第一折

(外が東華仙に扮して登場、詩)

東海に(くれなゐ)の霞あり

三島[1]に爛漫と花は開けり

紫芝[2]()ひて寿命を延ばし

逍遥自在、仙家[3]を楽しむ

それがしは東華上仙。天地開闢よりこのかた、一心に道を好みて、三田[4]を修煉し、黄芽[5]を植ゑて、幾たびも鍛煉し、大羅[6]にて神仙となり、東華妙厳天[7]を掌管す。瑶池会にて、金童玉女に俗世を慕ふ心があれば、罰して下界へ堕として転生せしめたり。金童は潮州の張家にて男子となり、儒教に通じ、秀才となり、玉女は東海龍神のもとに生まれて娘となれり。二人が罪を償ふときに、それがしは彼らを点化し、正道に帰せしめん。

(詩)

金童玉女は意気投合し

才子佳人は世にも稀なり

相逢ふて積もりし罪を償はば

正道に帰せしめて瑶池へと赴かしめん

(退場)

(正末が長老に扮し行者とともに登場、詩)

釈門の大道は修むべきなり

老比丘は宗源[8]を明らかにせり

門外に東海の近きを知らず

仙境はもとより清幽なりといふのみ

それがしは石仏寺の法雲長老。この寺は古刹にして、東海の岸辺に近く、龍王の水兵がしばしばこちらへ遊びにくる。行者よ、門前に出て様子を見、お客が来たら、わしに知らせよ。

(行者)かしこまりました。

(冲末が張生に扮し、童僕を引いて登場)わたくしは潮州の者、姓は張、名は羽、字は伯騰。父母は早くに身まかりて、幼きときより詩書を学べど、いかんせん功名はいまだに遂げず。海のほとりをさ迷えば、古寺があり、門前に行者の立てるをたちまちに見る。行者どの、こちらのお寺は名のあるお寺でございましょうか。

(行者)無名なはずがございますまい。無名な山は人を迷わし、無名な寺は俗臭紛紛。こちらは石仏寺にございます。

(張生)長老さまに、遊学の秀才が、訪ねてきたとお知らせしてはくださいませぬか。

(行者が報せる)秀才が一人、お師匠さまを訪ねてきました。

(長老)お通ししてくれ。(見える、長老)お尋ねしますが、どちらのお方で。

(張生)わたくしは潮州の者。幼きときより父母はなく、功名はいまだに遂げておりませぬ。たまたま海辺をさ迷うていましたところ、古きみ寺の清らなる境内を目にいたしました。長老さま、どうかきれいなお部屋をわたくしに貸し、経史を勉強させてください。いかがでしょうか。

(長老)寺内にはたくさん部屋がございます。行者よ、東南の静かな部屋を掃除して、秀才どのが勉強できるようにしてさしあげよ。

(張生)差し上げる物とてございませぬが、白銀二両を長老さまにお送りし、まずはお布施といたしましょう。ご笑納くださいまし。

(長老)秀才どののご厚意とあらば、お受けしましょう。行者よ、部屋を片付けて、斎食を準備して、秀才どのにお休みいただけ。わたしはひとまず禅堂に戻り、修行をしよう。(退場)

(行者)秀才さま、こちらの静かなお部屋へどうぞ。とんぼ返りを打たりょうとも、踢弄[9]の真似をなさりょうとも、地鬼の舞いをし[10]、神さまの扮装をして、おどけた振りをし、勝手なことをし、ふざけたり、笑ったりなさりょうとも、それはおんみの楽しみにございます。わたくしは禅堂に行き、師匠の世話をしてまいります。

(詩)

童僕は日がな働き

掃除が終はれば水を運べり

本当は遊びが好きで

麗しき人を探してともに詩文を説かんとす

(退場)

(張生)寺は清雅で、騒がしき俗人もなく、読書にはうってつけ。日も暮れたから、童僕よ、あの琴をもってきて、一曲奏でて気晴らしをしよう。

(童僕が琴を置く。張生)灯りを点し、香を焚こう。(灯りを点し、香を焚く。張生の詩)

流水と高山[11]の調べは(あだ)ならざりしかど

鍾子期は去り 音を賞づるは独りとなりぬ[12]

今宵灯下に三弄[13]を弾く

泳ぐ魚も出でて聴けるや

(正旦が龍女に扮し、侍女を率いて登場、言う)わらわは瓊蓮。東海龍神の三女じゃ。今晩は、梅香、翠荷と海辺をそぞろ歩きして気晴らししている。

(侍女)お嬢さま、澄みきった大海をご覧ください、大空と同じ色にて、麗しき景色にございます。

(正旦が唱う)

【仙呂点絳唇】

海水は湧き立ちて

(ゆふべ)の風は微かなり

くはふるに天も湧き[14]

西も東も知るはかなはず

凌波[15]の歩みを軽く動かす

【混江龍】

静かな宵に夢みることなく

小精霊[16]を引き連れてわが旅に伴はしめたり

澄みわたる碧海(あをうみ)を離るれば

輝ける長空(おほぞら)をはるかに望む

かの一万朶の彩なす雲の海の()に生ずるを見よ

一輪の(あかる)き月は波の(あはひ)を照らしたり

(侍女)海中の風景は人の世と異なりましょうか。

(正旦が唱う)

人の世の宮城は

水国の龍宮にいかでか比ぶることを得ん

清らなる洞天福地は逍遥すべく

水浴びをする(かも)と飛ぶ雁の喧しきを何ぞ愁へん

乙女の思ひは深けれど

宜しき知らせはなどてかやうに伝はり難き

(侍女)お嬢さまは、もともとは海上の神仙ですから、お顔立ちはまことに素晴らしゅうございます。

(正旦が唱う)

【油葫蘆】

海上の神仙の命は永く

蓬莱は眼中にあり

風は袂をひるがへし絳綃は(くれなゐ)なり

雲鬟を高く結ひ金釵は重く

軽やかに蛾眉を展ぶれば花鈿[17]は動けり

袖は掩へり

十本の葱の指

裙は払へり

小さき弓鞋

簫を吹くことを学びてもろともに丹山の(おほとり)[18]に跨らんとす

その時は空に登りて風を追ふべし

(侍女)天上と俗世は異なるものなのですね。

(正旦が唱う)

【天下楽】

人の世の空しき繁華は比較にならず

人の世はまろぶ蓬のごときなり

春は過ぎ、夏は来たりて秋また冬あり

暁を告ぐる鶏を聴き

夜を告ぐる鐘を聴けども

世の人は今なほ悟らず

(張が琴を弾く。侍女が聴き、言う)お嬢さま、どこから聞こえてくるのでしょう。

(正旦が唱う)

【那令】

さらさらと夕風は吹き

風の()は万松に落つ

明るき月の(かんばせ)

光は空を照らしたり

潺潺と水は流れて

流れは(たに)に消えゆけり

蓮摘みの娘の棹をさすにもあらず

魚捕りの男の船を打つにもあらず

人々の寝惚け(まなこ)を驚かす

(侍女)この音はほかの音とは違っております。

(正旦が唱う)

【鵲踏枝】

佩玉の鳴るにもあらず

軍馬の響きにもあらず

僧院で磬、鐘を打つにもあらず

わが心をば驚かす

誰ぞやが琴を弾くなる

(張がふたたび琴を弾く。)

(侍女)寺で誰かが何かを弾いているのです。

(正旦が言う)琴を弾いているのです。

(侍女)お嬢さま、お聴きください。

(正旦が唱う)

【寄生草】

一字一字に限りなき(なさけ)あり

一声一声 曲は終はらず

そよそよと金菊の秋風に揺れ

かぐはしき丹桂の秋風に吹かるるがごと

さらさらと翠竹の秋風に弄ばれて

ひゆうひゆうと金梭の錦を織る(はた)を促す音のごときなり

ぱらぱらと指を伸ばして真珠を散らしまろばすがごときなり

(侍女がこっそり見て、言う)秀才さまが琴を弾かれていたのです。まことに床しきお方です。

(正旦が唱う)

【六幺序】

弦の(うち)より言葉を伝へて

指先の功を表はす

やさしくゆつくり檀槽(だんさう)[19]を弾くに勝れり

かの人の清らなる顔立ちは

(りんかう)に客たりし漢の相如にあらざらめやは

「鳳求凰」[20]の曲を奏でて文君の心を動かし

覚えず情の濃やかなるを惹き起こしたり

この清風と明月に(さん)(ろう)を聴くなかれ

金徽(こと)[21]()はまことに烈しく

玉軫(こと)[22]()は澄みわたりたり

(侍女)お嬢さま、音楽を解する御身はいうまでもなく、わたしにもゆったりとして、心地よい音色であると思われます、本当にお上手ですね。

(正旦が唱う)

【幺篇】

まことに心は聡くして

神のごとくに巧みなり

悲しきさまは鳴く(おほとり)のごとくして

切なるさまは寒空に鳴く(こほろぎ)のごと

嬌なるさまは花のごと

雄なるさまは雷の轟くがごと

まことに多くの愁を消せり

この秀才は一つ事にし精通すれば

(もも)つ事にぞ通ずべき

わたくしは足をひそめて

かの人は琴を奏でり

(はんはん)の詞をもて(ふおう)に媚びしに勝れり[23]

良き宵は游仙の夢にぞ似たる

それゆゑに方丈をひそかに窺ふ

閨房でじつとしてゐぬわけにはあらず

(弦が切れる。張生)何ゆえに弦がにわかに切れたのだろう。おそらく誰かがこっそり聴いているのだろう。門を出て、見てみよう。

(正旦が避け、言う)、素晴らしい秀才だ。

(張生が見、言う)、ああ、素晴らしい娘さんだ。(尋ね、言う)、お尋ねします、どちらのお方で。何ゆえに夜歩きをなさっているので。

(正旦が唱う)

【金盞児】

碧雲の空と緑波の中に家はあり

魚や龍が従へり

豪奢なる水晶宮の奥にをり

わたくしは海中の龍氏の娘

天上の許飛瓊[24]に勝るべし

群星の北斗を巡り

すべての川の東に向かふをなどて知らざることのあるべき

(張生)龍さんとおっしゃるのですね。何承天[25]の『姓苑』にこの姓がございましたね。ご姓があるなら、当然お名もございましょう。何ゆえにこちらに来られたのでしょう。

(正旦)龍氏の三女で、字は瓊蓮と申します。秀才さまが琴を弾くのを耳にして、琴を聴きつつこちらに来たのでございます。

(張生)琴を聴くため来られたのなら、音が分かるということですね。書房に掛けられ、わたくしの演奏を聞かれては、いかがでしょう。

(正旦)そういたしましょう。(書房に行く。正旦)先生のご姓は何とおっしゃいますか。

(張生)姓は張、名は羽、字は伯騰といい、潮州の出身にございます。幼き時に父母は亡くなり、詩書をさんざん学びましたが、いかんせん功名はいまだに遂げず、この地に游学しております。妻はいまだにございません。

(侍女)この秀才はまことに無礼。奥さまのあるなしを尋ねてはおりませぬ。

(童僕が言う)若さまばかりか、わたしにも妻はございませぬ。

(張生)貧乏がお嫌でなければ、わたしの妻になられませぬか。

(正旦)秀才さまは聡明で、美しいお顔ですから、妻になりたく思います。ただ両親がおりますので、尋ねてみましょう。八月の十五日、中秋節に、わたしの家で、あなたを婿にお招きしましょう。

(張生)ご承諾を得たのですから、今晩すぐに結婚すれば、楽しいでしょうに。八月の十五日まで待てはしませぬ。

(童僕)本当です。わたくしも待てませぬ。

(侍女)あなたが待てなくても、問題はございませぬ。

(正旦)諺にこう申します「情があれば一年別りょと心配なし」と。待てないはずはございますまい。(唱う)

【後庭花】

陽台の雲雨にあらず

秦楼の風月ならず[26]

(張生)お家はどちらにあるのでしょうか。

(正旦が唱う)

三千丈の滄海にあり

険しきことは巫山の十二峰のごと

(張生)あなたの婿になることは、富豪の婿になるということですね。どなたが世話してくださるのですか。

(正旦が唱う)

そのうへわれらは家柄がよく

(みづち)[27](きゆう)[28]がつき従ひ

くはふるに()将軍[29]鼈相公(べつしやうこう)あり

魚夫人に蝦愛寵

鼉先鋒に亀老翁あり

波を鎮めて風を弄び

雲山の千万重を隔つるも

日ならずして逢ふことあらん

(張生)約束はお守りください。わたくしは誠実でまじめな男なのですから。

(正旦が唱う)

【青歌児】

甘き話で人を慰め

笑顔で人を宥めたり

八月の氷の月が東の海に出づるとき

霧は収まり空は晴れ

風は簾に吹き通り

雲と雨とは相和せん

その時は錦と花に囲まれて

玉のと金の(しよう)もて

二人並んで

うきうきと

笑みつつ御身に従はん

誤ちて桃源洞に入りしかと言はるるなかれ

(張生)妻となって下さるからには、証拠の品を残してください。

(正旦)氷蚕[30]で織りあげた鮫絹帕をとりあえず証拠の品といたしましょう。

(張生が礼を言う)どうもありがとう。

(童僕)梅香さん、わたしにどんな証拠の品をくださいますか。

(侍女)破れた蒲扇を差し上げましょう。持ち帰り、炭火を扇げばよろしいでしょう。

(童僕)どこであなたに逢えるのでしょう。

(侍女)羊市角頭磚塔児胡同総鋪門前にいらっしゃいまし。

(正旦が唱う)

【賺煞】

意気の相投ぜしことを知らぬはずなし

何ゆゑぞかやうに悟りたまふことなき

わたくしは羅刹女にあらざれば恐るるなかれ

このたびは前世(さきつよ)(えにし)のあれば君に愛せられしならん

中秋に相逢はん

しばらくはゆつたりなさりたまへかし

この万里の溟濛[31]を掻き分けば

わが(いへ)は静かにて たえて俗世の煩はしきなし

(張生)かようにお金持ちでしたら、行きたいと思います。

(正旦が唱う)

紅や翠に覆はれて

金の扉に銀の棟

九天の大空にある蕊珠宮[32]にも劣るまじ

(侍女とともに退場。)

(張生)あの娘は艶めかしく、世に並ぶ者ぞなき。海辺に来いと言われたし、中秋までは待てぬから、童僕よ、琴と剣と本箱を持て。鮫絹の手巾を持ちて、はろばろと、海辺へ娘を訪ねてゆかん。

(詩)

東の海の岸辺にて歩みに任せん

琴を聴きたる娘のことが気掛かりぞかし

縁あらば逢ふことを得ん

江皋の鄭生[33]を笑ふことなし

(退場)

(童僕)若さまは本当に馬鹿なお方だ。あの者は妖鬼かも知れぬのに、追い掛けてゆかれるなんて。長老さまと行者さまにお知らせし、若さまを追い掛けよう。

(詞)

鬼怪妖魔に打つ手なし

巧みな言葉で唆かす

今すぐに追ひ掛くることなくば

若さまはさんざんに惑はさるべし

(退場)

第二折

(張生が登場、詩)

さいはひに美人に逢ひて約することあり

野の草花は香りを競へり

桃源洞はいづこにありや

劉郎[34]はゆきて帰らず

わたしは張伯騰。先ほど逢ったあの娘は、顔立ちが優れていたので、後を追い掛け、訪ねてきたが、どこへ行ってしまったものやら。青い山、緑の水、翠の(はく)、蒼い松があるばかり、前には進めず、後にも退けず、盤陀[35]たる石の上にてまことに寂しい。とりあえず休むとしよう。(退場)

(正旦が仙姑に扮して登場、詩)

桑田は海となりまた田となれり

あつといふ間の人生は百年(ももとせ)を超ゆることなし

頭をすこし動かさば

何人(なんぴと)か大羅の仙人ならざらん

わたしはもともと秦の宮人、その後、薬草を採るために山に入って、火食しなかったため、次第に体は軽くなり、大道を成就して、世に毛女と称されている。今日はたまたま興に任せて、この地に遊んでいるところ。ここは東の海岸で、茫茫として、一面の大海原だ。

(唱う)

【南呂一枝花】

黒々とした水は漲り滄海は広うして

高々とした山は昆侖のごとく大なり

明らかな氷の月は海に出で

輝ける紅き日は山を巡れり

日月は往来すれど

山海はなほも存せり

八方に漲りて

九垓[36]に広がりて

河漢江淮[37]おしなべて

川はみな大海に帰す

【梁州第七】

縹渺たる十洲[38]と三島を見よ

はるかに見ゆるは(らうえん)蓬莱

黄河の大なる流れを望めり

高々と九曜[39]を衝き

遠く三台[40]を隠せり

上は銀漢に連なり

下は黄埃に接せり

勢ひは汪洋としてはてしなく

珍宝を多く出だすは奇なるかな

看よ、看よ、看よ、波涛は涌きて

光り輝く(あたひ)も知れぬ(たから)あり

草木は、草木は、草木は生え

香はしき長生の薬あり

蛟龍は、蛟龍は、蛟龍は臥し

精怪と霊胎[41]は鬱然として

とこしへに雲昏く気は集まれり

緑は滴り 紅塵の世界を隔てり

九天の外にあるがごと

八つ九つの雲夢沢を呑みこまんとす

翠島と蒼崖はいふまでもなし[42]

(張生が登場)ここはいずこぞ。また一人、娘がいるぞ。ああ、道姑だ。路を尋ねてみるとしよう。

(仙姑が唱う)

【牧羊関】

にはかには避け難し

いかで離るることを得ん

かのものは拱手して進み来づ

おそらくは路に迷ひし旅人ならん

おそらくは船を失ひし旅人ならん

(張生)道姑どの、こちらはいずこでございましょうか。

(仙姑が唱う)

お尋ねならば

まずわたくしにはつきりと事情を話したまへかし

(張生)わたくしがここに来たのは、愛しい人がどこにいるのか分からぬためです。

(仙姑が唱う)

わたくしは()を採る娘 とりあへず怪しむなかれ

愛しきお方はいづこにか在しませる

(言う)秀才さま、いずこのお方で、何ゆえにこちらにこられたのでしょう。

(張生)わたくしは潮州の者。遊学し、身を石仏寺に寄せております。先日の夜、琴を奏でていたところ、一人の娘が侍女を引き連れ、聴きにきました。龍氏の娘で、字は瓊蓮、八月の中秋の日に、わたくしと海岸で逢おうと言っておりました。わたくしはすぐに彼女を探しましたが、路に迷ってしまいました。彼女は美しい人で、この世に並ぶ者もなきありさまでした。

(仙姑)龍という苗字であるとおっしゃいましたが、勘違いしてらっしゃいます。(唱う)

【罵玉郎】

龍宮の美女は嬌態多し

そのかみの約束のため

本日はただひとり訪ね来たりて

命を棄てて風流債(いろこひ)をなさんとす

かの龍は青き顔にてつねに猜疑し

悪しき心を測るは難し

荒々しき振舞で人を害せん

(張生)なにゆえかように凶悪なのです。

(仙姑が唱う)

【感皇恩】

ああ

かのものは牙をむきだし

頭の角を軽く抬げて

波をば起こし

山をば(くだ)

江淮を巻き

大きくならば乾坤さへも狭からしめ

小さくならば芥子の中にも蔵るべし

武勇を奮ふこともでき

神通力を顕して

狂ほしきさまをほしいままにすべし

(張生)あの娘は龍という苗字ですのに、どうして龍のお話を始めるのでしょう。

(仙姑)秀才さまはご存知ない。軽々しく龍を相手になさってはなりませぬ。(唱う)

【采茶歌】

雲霧を起こして片時に至り

風雨を動かし塵を満たさん

おそらくは驚きて身命を喪はん

雲雨を約せし龍姓の娘のために

月宮の桂花を手折る俊才を死なしむることなかれ

(張生)分かりました。彼女は龍宮の娘で、その父親はまことに凶悪、娘をわたしの嫁にするはずがないのですね。この結婚が成就することはございますまい。ただ、お嬢さん、あなたに琴を聴かせた人は誰なのでしょう。(悲しむ。)

(仙姑)わたくしは俗人ではございませぬ、東華上仙の法旨を奉じ、あなたを正道へと引き戻し、堕落させぬためまいったのです。

(張が拜礼をし、言う)わたくしの眼は節穴でございました。上仙さまのご指示とは知りませなんだ。どうかお許しくださいまし。

(仙姑)お尋ねします。琴の()を聴いた娘は東海龍王の三女、字は瓊蓮だとおっしゃいますが、あの方は龍宮の海蔵にいられますのに、何ゆえに逢うことができたのでしょう。

(張生)龍宮の娘でしたら、わたしと縁がございます。

(仙姑)どうして縁があるのでしょう。

(張生)縁がないなら、八月の十五夜に、あの人の家でわたしを婿にすることを約束したりはしないでしょう。そのうえわたしに鮫綃[43]の手巾を与え、証拠の品としたのです。

(仙姑)鮫綃の手巾は龍宮の物です。その方はあなたを気に入ったのでしょう。ただ龍神は凶暴で、可愛い娘をやすやすとあなたの妻にはいたしませぬ。秀才さま、わたくしは結婚を成就するため、あなたに三つの呪物を差し上げ、龍神を従わせ、娘を嫁にさしだしてもらいましょう。

(張生が跪き、言う)上仙さまの呪物を拝見させてください。

(仙姑が小道具を取り出し、言う)銀の鍋一つ、金貨一文、鉄の杓子一つを上げましょう。

(張生が受け取り、言う)呪物を頂きました。上仙さまのご指示をお願いいたします。どのように用いれば宜しいのでしょう。

(仙姑)海水を杓子で掬い、鍋に入れ、金銭を水に入れます。一分(いちぶ)煮ますと、海水は十丈蒸発いたします。二分(にぶ)煮ますと、二十丈蒸発します。鍋を干上がらせますと、海水は干上がります。龍神はじっとしていられずに、かならずや人を遣わし、あなたを婿にすることでしょう。

(張生)どうもありがとうございます。ところでここは海辺からどのくらい離れているのでございましょう。

(仙姑)数十里先が沙門島の海岸でございます。(唱う)

【黄鍾煞尾】

これなる宝は瑶台紫府、清虚世界

天より来たりしものにして

自由に煮

自由に使はば

心に従ひ

思ひに適はん

求親[44]

納財[45]をすることなしに

仲立ちをなし

嬌客(むこ)となることを得べけん

連理の枝に

並蒂の蓮は開かん

鳳と鸞とは交はりて

水と(いを)とは睦むべし

これらの物の小さきを侮るなかれ

神仙の巧みなる策に任せば

前生の福は適へらるべし

湯を沸かすかのごとく大海を涸らすべし

(退場)

(張生)縁あって、上仙さまの呪物を授けられたから、沙門島へと赴いて海水を煮るとしよう。

(詩)

東海の波は逆巻けど

水をとり 鍋で煮るべし

これこそは神仙の真妙法なり

かならずや多嬌に(まみ)えん

(退場)

 

 

第三折

(行者が登場、言う)わたしは石仏寺の行者。先日、一人の秀才がわたしの部屋を借りたのだが、真夜中に琴を弾き、妖怪に惑わされ、去ってゆき、童僕もあたふたと追いかけていってしまった。お師匠さまはわけが分からず、わたしに命じて秀才を探しにゆかせた。林は深く、山は険しく、どこにも彼は見つからなかった。わたしはひとりで帰ろうとしたのだが、思いがけなく、虎が一頭、牙、爪を剥きながらやってきた。さいわいに、こちらが先に虎を見て、虎はこちらを見ていなかった。左を見、右を見たが、もはや隠れる場所はなかった。折よく脇には泥沼があったので、体をそっと水に潜らせ、腰掛けた。ところが虎は歩いて喉が渇いていたため、水を飲もうとやってきた。血のように赤い口を開いて、やすりのように鋭い舌を伸ばして、水を一飲みしたら、池は一寸(いっすん)干上がった。虎は何度も水を飲み、池はだんだん干上がって、わたしの体は櫓杭(ろぐい)のように現れた。どうすればよいだろう。わたしはあいつが口を開いているのをさいわい、とんぼをきって、お腹の中に入ってしまった。お腹の中は真っ暗だったが、虎の心肝五臓に触れることができた。わたしが虎の心肝に触れ、左の方をきつく齧ると、その虎はぎゃあと叫んだ。わたしが虎の心肝に触れ、右の方をきつく齧ると、虎は「今日はどうしてこんなにひどく胸元が痛むのだろう。石仏寺のずるがしこい小坊主がいたずらをしているのではあるまいな」。そこでわたしはこう言った。「そんなものだよ」。虎は言った。「出て来い」。わたしは言った。「どこから出させるつもりなのだ」。虎は言った。「口から出て来い」。わたしはこう考えた。「二対(ふたつい)あいつの牙で一咬みされれば、わたしの体は芝麻糖[46]になってしまうぞ」。そこでわたしはこう言った。「口からは出るまいぞ」。虎は言った。「それならどこから出て来るのだ」。わたしは言った。「尻の穴から出るとしよう」。虎は岡の上へとのぼり、二本の脚で二本の大きな樹を掴み、お尻を岡の広々とした場所に向け、力いっぱいいきんだところ、雷のようなおならを出した。そこでわたしはおならとともにとんぼをきって、石仏寺に着き、ようやく命を永らえたのだ。

(詩)

ゆゑもなく命を棄てて

人に出会ひて(おいど)の話をするは羞づかし

秀才とともに迷ひて死ぬるにしかず

牡丹の花の(もと)にて風流鬼とならん[47]

(退場)

(張生が童僕を連れて登場、詩)

前生でよき(えにし)を結び

鸞膠[48]を得て断たれたる弦を()ぎたり

呪物の釜は沸きたてど

火の中に蓮の生ふるをいかで知るべき[49]

わたくしは張伯騰。もう海岸に着いたわい。童僕よ、火打ち金、火打ち石にて火を起こし、三角石[50]に鍋を置くのだ。(鍋を置き、言う)この杓子で海水を掬うのだ。(水を掬い、言う。)鍋は水でいっぱいだ。金貨を水の中に置き、焼くとしよう。火加減を盛んにすれば、一時(いっとき)で水は沸き立つことだろう。

(童僕)あらかじめ仰ってくだされば、宜しゅうございましたのに。あの娘さんの侍女がわたしに蒲扇をくれたのですが、持ってきませんでした。何で扇いだものでしょう。(袖で火を扇ぎ、言う)鍋の中では湯が沸いてまいりました。

(張生)湯が沸いたか。海水の様子を見てみよう。(見て、驚く)ああ不思議だ。本当に海水が沸きたっている、本当に神さまの仰った通りだぞ。

(童僕)何ゆえにこちらで水が沸きますと、あの海水も沸きだすのでしょう。この鍋が海と関係しているわけでもございますまい。

(長老が慌てて登場、言う)わしは石仏寺の長老じゃ。禅床で座禅を組んでいたところ、東海龍王が人を遣わし、こう言った。「ある秀才が、何かで海を沸かしたために、龍王さまは逃げ場所がございません。どうか秀才を説得し、すみやかに火を止めてくださいまし」と。この秀才はほかでもない、このあいだ、わが寺に間借りして、読書していた潮州の張生だ。わが石仏寺は東海にほど近いので、龍宮で災いがあるときは、救わぬわけにはゆくまいぞ。みずから沙門島へ赴き、秀才を説得しよう。(唱う)

【正宮端正好】

ひたすらに煮立てられ

世の中はなすすべもなく大騒ぎ

海中の龍王を慌てさせ

水晶宮[51]の血気の天を衝くを見る

鼻と口とは息もつき得ず煙に咽べり

【滾繍球】

たれかかの秀才を呼びきたりたる

かやうなる事をなすとは

かの者はいかなる力を持ちたるや

優れたる力をば示さんとせるのみならん

太陽に迫らんほどの火を放ち

はげしく焼けば浪は沸き立つ

かの雷雨さへ騒ぎを救ふことを得ざらん

錦鱗の魚はぴちぴちと波間に踊り

銀脚の蟹はがさがさと岸辺に隠れり

少し触らば水泡をしぞ生ずべき

(やってきて、言う)こここそまさに沙門島の海岸だ。秀才どの、こちらで何を煮ていらっしゃる。

(張生)海を煮ているのでございます。

(正末)海を煮てどうなさる。

(張生)長老さまはご存知ないのでございます。わたくしは先日の夜、お寺で琴を弾いたのですが、一人の娘がこっそり聴いておりました。その人は龍氏の三女で、字は瓊蓮、中秋に会うことを約束しました。その人が来ないので、この場所で海を煮て、出て来させようとしているのです。

(正末が唱う)

【倘秀才】

この秀才は洞房花燭[52]はかなへられずに

(言う)おや大変だ。

(唱う)

強引に香水混堂(ふろや)[53]を開けり

大海は升もて量るばかりとなりぬ

秀才はおとなしくおだやかなものなるに

何ゆゑにかくも暑苦しきことをしたまへる

(張生)長老さま、心配はご無用です。他のところへお布施を貰いにおゆきください。

(正末が唱う)

【滾繍球】

斎食(とき)を貰ひに来たわけでもなく

供物を求めに来たわけでもなし

わたしはわざわざおんみを訪ねきたりたるのみ

(張生)わたくしは貧乏秀才、訪ねられてもあなたにお布施はできませんよ。

(正末が唱う)

わたくしは出家せし者なれば

お布施を乞ふとも障りなからん

(張生)あの娘に逢うことができ、婿になることができるなら、お布施しましょう。

(正末が唱う)

かの美しき娘子(むすめご)

おんみを婿にせぬために

この禍は天より降れり

なんぢは貧乏なりとはいへど

かの人の家に光を添ふべし

鉛汞を焼く山頭火[54]をば得べからめやは

相思を癒す海上方[55]を探し出ださんはずもなし

こは尋常の物にはあらず

(張生)長老さま、まじめにお話しいたしましょう、あの夜の娘が出て来ないなら、わたしはひたすら煮ることでしょう。

(正末)秀才どの、お聴きくだされ。東海龍神はわたくしを媒妁として遣わして、あなたを婿にするのです。お気持ちはいかがでしょうか。

(張生)長老さま、ご冗談はおやめください。この海は一望すれば茫茫とした水ばかり、俗人のわたしがどうして行くことができましょう。

(童僕)若さま、問題はございませぬ。長老さまに従って行かれませ。長老さまが溺れ死なずに、若さまだけが溺れ死ぬことはございますまい。

(正末が唱う)

【脱布衫】

わたしはまことに相手の出方を問はんとす

おんみも行きてゆつくりと相談なされよ

この水を指して陸となし

平らな場所を歩かしむべし

【小梁州】

草原の荒れた(こみち)を歩むかのごとくせん

(張生)海底は、暗くはございますまいか。

(正末が唱う)

日はまさに扶桑より出づるなり

(張生)わたくしは俗人ですから、海中にゆくことはできません。

(正末が唱う)

大海は東洋と呼ばれたれども、謙遜したまふことなかれ。

(言う)まいりましょう。

(唱う)

かの人はおんみを婿に選ばんとせり

(張生)仙境には三千丈の弱水[56]があるとのこと、どうして行くことができましょう。

(正末が唱う)

【幺篇】

三千丈の弱水はいふに及ばず

目にも彩なる水魚の国なり

(張生が眺め、言う)この海はかように広く、岸もなく、おそらくは天に通じているのでしょう。まことに恐ろしいことにございます。

(正末が唱う)

茫茫として天のごとしとおつしやれど

こはかのひとの度量の大いなればなり

すみやかにぴかぴかの帽子を備へたまへかし

(張生)それならば、わたしは呪物をしまいましょう。長老さま、わたくしの結婚を成就してくださいまし。

(童僕)あの娘さんの近くに侍女がいましたが、わたしに娶わせてください。そうでなければ、わたしは火を焚きつづけましょう。

(正末が唱う)

【笑和尚】

蘭閣にゆき、画堂に至らん

この言の葉は、(そらごと)ならず

(張生)本当ですか。

(正末が唱う)

御身はまことに貧乏書生の姿なれども

かの人は麗しき装ひをせり

すみやかに、夫婦となるべし

鴛鴦(をしどり)のごと銷金帳[57]に宿るべし

(張生)それならば長老さまについてゆきましょう。すみやかに団円をすることができましょう。旧約に背いてはなりませぬ。

(正末が唱う)

【尾声】

佳人才子は情多ければ

かのひとの両親は、びつくりし、慌てふためく

おんみは顔が堂々として才も優れり

かのひとは玉のごとくに柔かく 花のごとくに香りあり

心は融けあひ まさに(えにし)を結ぶべし

愛しあふ夫妻に誰か比ぶべき

かのひとは麗しき韋娘[58]のごとく

おんみは粋な張敞[59]のごと

(言う)まいりましょう。

(唱う)

仲立ちのわたしにあつく報ゆべし

(張生とともに退場。)

(童僕)若さまはうきうきとして、長老といっしょに海に入ってゆかれた。わたしはひとりで、この海岸で呪物とやらの番をしている。若さまが本当に婿になったら、かならずや一月(ひとつき)したら出てこられよう。あの小坊主はなかなか可愛い奴だった。老和尚もいないことだし、これらの物を片付けて寺へと戻り、あの小坊主を訪ねてみよう。(退場)

 

第四折

(外が龍王に扮し、水兵を率いて登場、詩)

一輪の紅き日は扶桑に出でて

天に輝き、路こそは遥かなれ

三千丈の弱水の中とはいへど

無私でさへあるならば、渡るを得べけん

わしは東海龍王じゃ。わが娘瓊蓮は、夜、石仏寺に遊んだことがある。秀才は琴を弾き、その曲は「鳳求凰」。二人は顔を見合わせて慕い合い、中秋に会うことを約束した。わしはあいつは俗人だ、どうして水府に来ることができようと娘に言ったが、あの者は上仙に会い、三つの呪物を授けられ、海水を沸かしたために、わしは熱さに堪えきれず、仕方なく石仏寺の法雲禅師に媒妁を請い、あいつを招いて婿とすることにしたのだ。朝にはすでに花紅礼酒(ふるまいざけ)[60]で媒酌人をもてなした。お祝いの宴席を設けよう。水兵よ、秀才と娘を呼んでまいるのだ。

正旦が張生とともに登場、正旦)秀才さま、前庁で両親に拝礼をして下さい。

(張生)そうしよう。

(正旦)秀才さま、あの夜お別れしましたが、今日があるとは思いもよりませんでした。(唱う)

【双調新水令】

この波に縁ある人は隔てられ

闇の中にて離れ離れになるを恐れり

生き地獄に耐へ

死ぬほどの苦労をしなば

海の(すみ)、天の涯ならんとも

かならずやまた逢ふ日もあらん

(張生)この龍宮の中にはどなたがいるのです。

(正旦が唱う)

【駐馬聴】

水中の兵卒を並ぶれば

黿将軍

鼉先鋒

鼈大夫あり

この海中の(しもべ)には

赤鬚(あかひげ)の蝦

銀脚の蟹

錦鱗の魚あり

十二の簾は真珠を連ね

家財は金玉(きんぎょく)千万を積む

(張生)ほんとうにお金持ちだな。

(正旦が唱う)

おんみはひそかに考へり

水晶宮は華やかな場所なりと

(拝礼をする。龍王)二人はどこで出会ったのだ。

(正旦が唱う)

【滴滴金】

緑の水に清き波

麗しき時

軽やかな雲に薄き霧

霜気は冰壺(つき)に染み入れり

玉露は泠泠[61]

金風(あきかぜ)は淅淅として

涼やかな中秋節の人は静まる初更の頃ほひ

(龍王)秀才と知り合いではなく、初更でもあったというのに、何ゆえに結婚を約束したのだ。わしに話して聞かせてくれ。

(正旦が唱う)

【折桂令】

月明の中(きざはし)をそぞろに歩めば

瑶琴の三弄の妙なる音を耳にせり

雲外の鳴鶴

天辺の語雁[62]

枝上の啼烏にぞ似たる

かの人は鶯儔燕侶(つれあひ)を探さんとして

わたくしは鳳只鸞孤(ひとりみ)をしぞ愁へたる

それゆゑに賢愚を見定め

親疏を分かち

心を(いつ)にし

水と魚のごとくせり

(龍王)秀才どの、どなたがあなたにこちらの呪物を与えたのかな。

(張生)貧乏儒者のわたくしが、呪物を持てはいたしませぬ。令愛を追い掛けていましたところ、たまたま海辺で仙姑に出会い、もらったのです。

(龍王)秀才どの、あなたのために焼き殺されるところだったが、これらはすべてわしの娘が招いたことであったのだな。

(正旦が唱う)

【雁児落】

火の中に比目の魚が現れて

石の中には荊山の玉が生ぜり

天辺に比翼の鳥

地上に連枝の樹の生ひたるは、思ひもよらぬことなりき

(張生)上仙さまの呪物がなければ、団円をすることはできませなんだ。

(正旦が唱う)

【得勝令】

鉛汞を焼くがごとくに大海を干さんとす[63]

水火は炉を同じうせずと言ひ難し[64]

大海に塵を揚げしめ

烈火にて東海を煮る

神術をもて海を焼き夫婦となりしも

あやふくおのが眷属を焼き殺さんとす

(東華仙が登場し、言う)龍神さま、わたくしのお話をお聴きください。

(龍王が張生、正旦と跪く。東華)龍神さま、張生はあなたの婿ではございません、瓊蓮もあなたの娘ではございません。前世の二人は瑶池の金童玉女でした。俗世のことを慕ったために、下界へと堕されましたが、このたびはかねて結びし契りを遂げて、水府を離れ、ふたたび瑶池へと戻り、前世での(えにし)を結び、ともに仙位に帰るのです。(人々が拝礼をする。正旦が唱う)

【沽美酒】

龍宮水府を後にして

碧落雲衢[65]へ赴かん

わたしとおんみはともに西池の聖母に見えん[66]

秀才さま

受験をし、龍門を跳び越えて

仙桂を折り[67]、蟾蜍[68]をば歩まるるとも何にかはせむ

(東華)わたくしが導かなければ、お二人は瑶池へ行けなかったでしょう。

(正旦が唱う)

【太平令】

広成子[69]には長生の詩句があり

東華仙は婚書[70]をしかと見

仙童仙女を導きて、一緒にし

仙桃と仙酒を捧げ、付き添へり

願はくは、世の曠夫怨女[71]

隔たることなく

誠実な人々の願ひのかなへられんことを

(東華)なんぢらはもともとは金童玉女の、俗世に身を寄せ、幾とせかとどまりしもの。石仏寺にて月の夜、琴を弾き、『鳳求凰』に、心を留めり。佳期を約せど、訪ぬるかたなく、海辺に赴き、落胆したりき。仙姑に会ひて、呪物は神通力を顕し、まことに神機妙策ありき。金丹を配し、鉛汞[72]を投じ、水火を用ゐ、張生は海を煮たりき。このたびは返本[73]し、老君さまに拝謁し、天空はるかにくすしき香りは漲れり。

(正旦が張生とともに稽首する。)

(正旦が唱う)

【收尾】

今日こそは、二人して、手を携へて登仙すれば

鮫綃の手巾を証拠に留めしことも(あだ)ならざりき

蟠桃は灼灼として樹頭に紅く

茫茫たる塵世(ひとのよ)と海中の苦しみをしぞ捨て去れる

 

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[1] 『神仙伝』「海上有三神山、曰蓬莱、曰方丈、曰瀛州、謂之三島」。

[2]霊芝。

[3]仙人の住処。

[4] 『修真十書』雑著捷径「両眉間為上丹田、心為中丹田、臍輪三寸為下丹田」。

[5]鉛の異名。『陰真君金石五相類』「黄芽者、是鉛中黄華」。

[6]大羅天。『元始経』「大羅之境、無復真宰、惟大梵之気、包羅諸天太空之上」。

[7]未詳。

[8] 「宗源」という言葉については未詳。ただ、「宗原」に同じいか。『荀子』非十二子篇楊w注「宗原、根本也」。

[9]軽業をする芸人。『都城紀勝』瓦舎衆伎「踢弄、毎大礼後宣赦時、搶金雞者用此等人、上竿、打筋斗、踏蹺」。

[10]原文「舞地鬼」。未詳。

[11] 『列子』湯問「伯牙鼓琴、鍾子期聽之、方鼓琴而志在太山、鍾子期曰、善哉乎鼓琴、巍巍乎若太山。少選之間、而志在流水、鍾子期又曰、善哉乎鼓琴、湯湯乎若流水。鍾子期死、伯牙破琴弦、終身不復鼓琴、以為世無足復為鼓琴者」。

[12]前注参照。

[13]古曲名。梅花三弄。

[14]原文「兼天湧」。未詳。

[15]曹植『洛神賦』「凌波微歩、羅襪生塵」。

[16]未詳。侍女のことをこういうか。

[17]額に貼り付ける飾り。また、かんざしの意味でも用いる。

[18]張柬之『東飛伯労歌』「青田白鶴丹山鳳、婺女姮娥両相送」。

[19] 『譚賓録』「開元中有中官白秀貞自蜀回、得琵琶以献、其槽以邏[辵沙]檀為之、温潤如玉、光明可鑑」。

[20] 『琴集』「司馬相如客臨邛、富人卓王孫有女文君、新寡、窃於壁間見之、相如以琴心挑之、為琴歌二章。司馬相如『琴歌』「鳳兮帰故郷、遨遊四海求其凰」」

[21] 『国史補』「蜀中雷氏琴、最佳者玉徽、次琵琶徽、次金徽」。

[22]劉妙容『宛転歌』「低紅掩翠方無色、金徽玉軫為誰鏘」。

[23]涪翁は黄庭堅。『緑窗新話』巻上が引く『古今詞話』に、黄庭堅と妓女盼盼が詞の応酬をした故事が見える。

[24]西王母の侍女。『漢武内伝』に登場。

[25]劉宋の人。

[26]李白『憶秦娥』「簫声咽、秦娥夢断秦楼月。秦楼月、年年柳色、灞陵傷別」。

[27] 『説文』「龍之属也。池魚三千六百、蛟来為之長」。

[28] 『説文』「龍子有角者」。

[29] 『説文』「鼉、水虫。似蜥易長大」。

[30] 『拾遺記』員嶠山「有氷蚕長七寸、黒色、有角有鱗、以霜雪覆之、然後作蠒、長一尺、其色五彩、織以文錦、入水不濡、以之投火、経宿不燎」。

[31] ぼんやりとして明らかでないこと。ここでははるかな山河を指しているか。左思『呉都賦』「曠瞻迢遞、廻眺冥蒙」銑注「冥蒙、不明皃」。

[32]仙宮をいう。

[33] 『列仙伝』「江妃二女遊江浜、見鄭交甫、遂解珮与之。交甫受珮、去数十歩、懐中無珮、女亦不見」。

[34]劉晨のこと。阮肇とともに天台山に遊び、仙女と出会った故事が、『幽明録』に見える。

[35] 平らかならざるさま。

[36]韋昭『国語』鄭語注「九畡、九州之極数」。

[37]黄河、漢水、長江、淮水。

[38] 『十洲記』「漢武帝聞王母説巨海之中、有祖洲、瀛州、玄洲、炎洲、長洲、元洲、流洲、生洲、鳳麟洲、聚窟州」。

[39]仏教語で、日、月、水、火、木、金、土、羅睺をいう。

[40]王学奇主編『元曲選校注』は、北斗の下にある、上台、中台、下台という星であるとするが、根拠は示していない。

[41] 「霊胎」という言葉については未詳。ただ、精怪と同じく、妖精の類であろう。

[42]原文「問什麼翠島蒼崖」。未詳。

[43] 『述異記』「南海出鮫綃紗一名龍紗、其価百余金、以為衣服、入水不濡」。

[44]縁談を申し込むこと。

[45] 「納財」という言葉については未詳。ただ、納采のことであろう。

 

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[46]未詳。胡麻をすりつぶした食品か。

[47] 原文「倒也落的牡丹花下鬼風流」。「牡丹花下死、做鬼也風流」−女性といっしょに情死ができたら、幽霊になっても洒落たものだ−という慣用句をふまえる。

[48] 『漢武内伝』「西海献鸞膠、武帝弦断、以膠続之、弦両頭遂相著、終日射不断。」。

[49]原文「争知火裏好栽蓮」。『維摩詰経』仏道品「火中生蓮花、是可謂希有。」。

[50]未詳。ただ、鍋を支える三つの石であろう。

[51] 龍宮をいう。

[52]洞房は新婚の夫婦の寝室。

[53] 『都城紀勝』諸行「又有異名…浴堂謂之香水行是也」。『七修類稿』義理・混堂「呉俗甃大石為池、穹幕以磚、後為巨釜、令与池通、轆轤引水穴壁而貯焉。一人專執爨、池水相呑、遂成沸湯、名曰混堂」。

[54] 『易』旅・象「山上有火、旅」。

[55]海上の仙島にある薬の処方。

[56] 『海内十洲記』「鳳麟洲在西海之中央、地方一千五百里、洲四面有弱水繞之、鴻毛不浮、不可越也。

[57] 金糸の帳。

[58]韋応物『杜司空席上贈妓』「高髻雲鬟宮様粧、春風一曲杜韋娘」。

[59] 『漢書』張敞伝「又為婦畫眉、長安中傳張京兆眉憮。有司以奏敞。上問之、對曰、臣聞閨房之内、夫婦之私、有過於畫眉者。」

 

 

 

[60] 『東京夢華録』娶婦「迎客先回至女家門、従人及児家人乞覓利市銭物花紅等、謂之攔門」。

[61] 『楚辞』初放「下泠泠而來風」王逸注「泠泠,清涼貌」。

[62]出典未詳。

[63]原文「你待将鉛汞燎干枯」。未詳。

[64]原文「早難道水火不同炉」。未詳。

[65] いずれも天空の意。

[66]原文「我和你同会西池見聖母」。「西池の聖母」は瑤池の西王母のことであろう。『穆天子伝』「觴西王母於瑤池之上」。

[67] 『避暑録話』「世以登科為折桂、此謂郤詵対策東堂自云桂林一枝也。自唐以来用之」。

[68] 『後漢書』天文志注「姮娥遂託身于月、是為蟾[虫諸]」。

[69] 『神仙伝』「広成子者古之仙人也。居崆峒之山石室之中。…(黄帝)問治身之道、広成子答曰『至道之精、杳杳冥冥、無視無聴、抱神以静、形将自正、必静必清、無労爾形、無揺爾精、乃可長生』」。

[70]結婚の誓約書。

[71] 『孟子』梁惠王下「昔者大王好色、愛厥妃。詩云『古公亶甫、來朝走馬、率西水滸、至于岐下。爰及姜女、聿來胥宇。』當是時也、内無怨女、外無曠夫。王如好色、與百姓同之、於王何有

[72]鉛と水銀。

[73]反本に同じ。荀悦『神怪論』「故通於道、正身以応万物、則精神形気各反其本矣」。

 

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