保成公径赴澠池会
楔子
(冲末が秦の昭公に扮し、卒子を率いて登場)先祖は顓頊の苗裔にして[1]、贏氏の姓を賜はりて秦を国とす。よく御して周主を扶け[2]、悪来[3]は力があれば殷に事へつ。
それがしは秦の昭公、先祖は顓頊の末裔である。犬戎が周を伐ってから、先祖襄公は兵により、周を救い、戦陣で功があった。周が東のかた洛邑に移ると、襄公は兵を送り、周の平王は先祖襄公を封じて諸侯にし、岐山の西の地を賜わった。襄公から成公まで七代を経て、先祖の穆公が立ち、楚人百里奚が賢いのを聞き、たくさんの幣帛で贖おうとしたが、楚が与えないことを恐れ、招くとき、五羖の羊皮で贖った[4]。このとき百里奚は年はすでに七十余であったが、穆公はともに国事を語り、おおいに喜び、国政を授け、「五羖大夫」と称した。穆公が卒すると、殉死した者は百七十七人、秦人はそれを哀しみ、『黄鳥』の詩を作った[5]。穆公に至るまで十四世[6]、国土ははじめて確定し、強国の六公は、斉の威公、楚の宣公、魏の恵公、燕の悼公、韓の哀公、趙の成公であった。秦の地は雍州[7]で、中国の諸侯と会盟することはない[8]。孝公は孤寡を助け、戦士を招き、功賞を明らかにしたために、秦国はおおいに治まった。兄の武王が卒すると、それがしを立てて公とした。わが秦国は軍は百万、将は千員、西は巴蜀に接し、北は吐蕃に通じ、南は襄ケに連なり、東には蒲坂[9]がある。今や天下の七国はみな秦に服しにくるが、趙国の成公だけはやってこない。それがしはかねてから趙国に楚の和氏の玉璧があり、値は万金だということを聞いている。それがしはこれを求めようとしているが、取るすべがない。今それがしの配下には大将白起がいるから、呼んできてどうしたら取ることができるのか相談しよう。左右のものよ、白起を呼んできてくれ。
(卒子)かしこまりました。白起どの、いずこにいられる。
(外が白起に扮して登場)少年にして将となり猛兵を率て、鉄馬金戈は両京をしぞ定めたる。ことごとく韜略に拠り秦地を安んじ、官位は護国大将軍に封ぜられたり。
それがしは秦国の大将白起。郿郡の人。昭王十三年に将となり、韓の新城を撃ち、韓魏の伊闕[10]を攻め、首を斬ること二十四万、さらにその将公孫喜を虜にし、五城を抜き、武安君の職に封じられている。今、天下の七国はみな秦国に服したが[11]、趙国だけは服していない。しばしば将を率いて趙を収めようとしているが、昭公さまはお許しにならぬ。今、昭公さまがお呼びだから、行かねばならぬ。左右のものよ、取り次いでくれ。大将白起が参りましたと。
(卒子)かしこまりました。(報せる)喏、大王さまにお知らせします。白起が参りました。
(秦の昭公)通せ。
(卒子)かしこまりました。行かれませ。(見える)
(白起)殿さまは白起を呼ばれましたが、どのような軍事国事を相談なさるのでしょうか。
(秦の昭公)将軍よ、今や天下の七国は、みな秦に服したが、趙の成公だけはわが秦国に服していない。こたびはそなたを呼んできて相談するのだ。
(白起)大王さま、その事は小さなことでございます。わが秦国は軍は百万、将は千員、兵を起こし、趙と鋒を交えますなら、かならず趙の成公を捕らえ、趙の地を平定しましょう。
(秦の昭公)白起よ、趙国は英雄が多かろう。鋒を交え、わが軍が不利ならば、むなしく諸国の嘲笑を招くであろう。趙国の廉頗はとても勇敢だから、われらは兵を起こすべきでなく、知恵で取るのがよいだろう。
(白起)大王さま、趙国には廉頗大将がおりますが、どのように知恵で取るのでございましょう。
(秦の昭公)白起よ、それがしはかねてから聞いている。趙国に無瑕の玉璧があり、値は万金だと。われらは使者を遣わして、ただちに趙国に至らせ、玉璧を求めさせ、かれらの十五の連城と換えるのだ。趙の成公は十五の連城の話をされれば、かならず玉璧を送ってこよう。われらはその玉璧を収め、連城を与えず、玉璧を秦国のものとするのだ。かれが玉璧を送ってこない時は、わが秦国は大勢の兵馬を発し、罪に問い、戦を起こし、成公を捕らえよう。この計略はどうだ。
(白起)大王さま、この計略はたいへん素晴らしゅうございます。玉璧を秦に送ってきましたら、その者を国へ還らせず、宝は秦が収めましょう。玉璧がないときは、それがしは大勢の猛兵を率い、趙国を踏みしだき、平地にしましょう。今日すぐに使者を趙国に行かせましょう。
(秦の昭公)白起よ、使者を遣わし、今日すぐに玉璧を求めにゆかせることにしよう。来たときは、わたしに知らせろ。
瑕の無き玉璧は輝きあれば、使者を遣はしとくとく都を離れしむべし。秦国の境界に入りしときには、望みそね十五の連城。(退場)
(白起)本日は使者を遣わし、趙国の玉璧を取りにゆかせよう。行って玉璧が手に入れば、万事問題ないのだが、与えなければ、それがしは大勢の秦軍を率い、成公を生け捕り、平生の願いをはじめて叶えよう。
秦国の将軍は猛ければ誰か当たらん、今使者を遣はして咸陽を出でしめつ。玉璧を持ちてみづから来ることなくば、廉頗を生け捕り剣下に倒さん。(退場)
(外が趙の成公に扮し、卒子を率いて登場)先祖襄公が晋の地を三分したるは、智伯が勝負を決せんとせしがためなり。程嬰は孤児を立て心に趙のことを思ひて[12]、今までながく名をぞ揚げたる。
それがしは趙の成公。先祖襄公が晋の地を三分してから、邯鄲に都し、先祖は胡服し、騎射をするものを招いた。二十年、先祖は中山[13]の地を攻め、寧葭[14]に至り、西のかた胡地を攻め、楡林に至り、胡王は馬を献じた。二十一年、中山を攻め、中山は四邑を献じた。今、天下の七国は雄を競い、五国はみな秦に服しているが、趙国だけは秦に従っていない。かねてから聞いているのだが、秦国の白起は、秦軍を起こし、趙と鋒を交えようとしているとか。いかんせんわが趙国には老将の廉頗がおり、とても勇敢、秦は兵を起こそうとせず、みなこの人を恐れている。今日それがしは邯鄲で手紙を読んだ。左右の者よ、どこにいる。入り口で見張りしろ。人が来たら、わたしに知らせろ。
(卒子)かしこまりました。
(外が使者に扮して登場)御諚を奉じ、都を離れ、帝都を出て、鞍馬を馳せて、旅路にぞある。玉璧のため、みづから趙に赴きて、弧矢の間に丈夫なるを示したり[15]。
わたしは秦国の使者。昭公さまの御諚を奉じ、みずから書状を持ち、まっすぐに趙国に行き、玉璧を求める。話していると、はやくも邯鄲に着いた。兵卒よ、取り次いでくれ。秦国の使者が入り口にいると。
(卒子)かしこまりました。(報せる)喏、殿さまにお知らせします。秦国の使者がこちらに来ました。
(趙の成公)通せ。
(卒子)かしこまりました。行かれませ。
(秦の使者が見える)
(趙の成公)使者よ、そなたが来たのは、何のためか。
(使者)大王さまに申し上げます。このたびは昭公さまの御諚を奉じておりまする。聞けば趙国には無瑕の玉璧があり、値は万金だとのこと。わが殿さまはつつしんで十五の連城を奉り、玉璧に換えようとしています。大王さまがご承諾なさいますなら、人を遣わし玉璧を秦に送り、連城に換え、両国の誼を結びなさいませ。従わないなら、両国の干戈はかならず起こりましょう。大王さまにはご判断を過たれませぬよう。
(趙の成公)使者よ、ひとまず本国に戻るのだ。それがしは大臣と相談しよう。その後で考えを決めるとしよう。
(使者)大王さま、失礼いたします。大王さまにはすみやかに人を遣わしてこられますよう。本日、わたしはすぐに秦国に戻ってゆきます。
趙国の無瑕と号する玉璧のため、両国に争ひは起こりつべけん。駅馬に跨り京兆に戻らんとして、海角と天涯を辞することなし。(退場)
(趙の成公)秦国の使者は行ってしまった。兵卒よ、大将廉頗を呼んできてくれ。玉璧のことを相談しよう。
(卒子)かしこまりました。廉将軍はいずこにいられる。殿さまがお呼びです。
(廉頗が登場)幼年にして将となり、邯鄲を定め、勇猛なること赳赳として江山に活躍したり。斉を伐ちかつて破れり登莱の路[16]、威力は秦斉燕韓をしぞ鎮めたる。
それがしは趙国の大将廉頗。おおいに斉の軍隊を破ったために、上卿の官職を拝している。今成公さまがお呼びだが、何事だろうか。行かねばならぬ。はやくも着いた。兵卒よ、取り次いでくれ。廉頗が参りましたとな。
(卒子)かしこまりました。(報せる)喏、殿さまにお知らせします。廉頗が参りました。(趙の成公)通せ。
(卒子)かしこまりました。行かれませ。(見える)
(廉頗)大王さまが廉頗を呼ばれましたのは、何事にございましょう。
(趙の成公)将軍よ、呼んだのはほかでもない。今、秦の昭公が使者を遣わし、手紙を届け、無瑕の玉璧を求め、十五の連城を対価にしたいと望んでいるから、老将軍を招き、この事を相談するのだ。
(廉頗)大王さま、この一件には偽りがございます。玉璧を秦国に送り、昭公が城を与えなかったら、みずから宝玉を届け、城も与えられなかったということになり、むざむざ隣国の嘲笑を招きましょう。大王さま、お考えください。
(趙の成公)老将軍よ、われらが玉璧を送らず、秦国が兵を率いてきたら、どうすればよいだろう。
(廉頗)大王さま、むかしから「兵が来れば将が迎え、水が来れば土が堰きとめる」と申します。かれらが兵を率いてくるなら、われらはこなたで兵を率いてかれらと鋒を交えましょう。敵と戦って勝たなければ、あらためて手を打ちましょう。
(趙の成公)将軍よ、「三思して後行ひ、再思して可なり」といわれているではないか。左右のものよ、中大夫藺相如を呼んできてくれ。
(卒子)かしこまりました。藺相如どのはいずこにいられる。
(正末が登場)わたしは趙国の中大夫藺相如。今、七国は分かれ、秦斉燕趙韓楚魏となっている。それがしは趙の成公さまを輔佐し、邯鄲に国を建てている。七国の諸侯には、強秦、壮楚、雄燕、大斉がある。今、秦国はわれら隣国をしばしば征伐しているが、わが趙国は武官に廉頗、文官にわたし藺相如がいるため、われらは半本の矢も折ることがない。今日は殿さまがお呼びだが、何事だろうか。行かねばならぬ。はやくも着いた。取り次いでくれ。藺相如が参りましたと。
(卒子)かしこまりました。(報せる)喏、殿さまにお知らせします。藺相如が参りました。(趙の成公)通せ。
(卒子)かしこまりました。行かれませ。(見える)
(正末)殿さまが呼ばれましたは、何事にございましょう。
(趙の成公)大夫よ、呼んだのはほかでもない。今、秦国が使者を遣わしてきて、無瑕の玉璧を求め、十五の連城と換えるというから、そなたら文武二人を招き、このことを相談するのだ。
(正末)殿さまのお考えでは、この玉璧はお与えになりますかお与えになりませぬか。
(趙の成公)わたしが思うに、玉璧をかれに送れば、かならず十五の連城をくれるだろう。かれがわれらに城をくれなかった時、あらためて計画を立てるとしよう。
(正末)廉将軍どの、お考えはいかがでしょうか。
(廉頗)わたしの考えでは、玉璧は与えるべきではございませぬ。間違いがあったときには、悔いても遅うございます。
(正末)将軍どのの仰ることは、間違っています。
(廉頗)わたしがどうして間違っている。玉璧を送らなければ、かれはかならずわが趙国を征伐しにくる。老いぼれは趙国の精兵を率い、秦と勝敗を決しよう。どちらが勝ち、どちらが負けるかは分からない。そのときになったら相談するとしよう。
(正末)将軍どの、「一日干戈を動かさば、十年太平ならず」とは申しませぬか。
(趙の成公)大夫よ、われらが玉璧を送り与えても、かれらが城を与えようとしなかったら、われらはどうして宝玉を取り返すのだ。
(正末)殿さま、今、秦の昭公はわれらの無瑕の玉璧を求めており、十五の連城を玉璧と交換するとのことですが、かれに誠意はございませぬ。かれが城で璧を求めているときに与えなければ、非はわれらにございます。かれに璧を与えたときにわれらに城を与えなければ、非は秦にございます。殿さま、藺相如は不才ではございますが、璧を奉じて行きたいと思います。秦公に城を代価とする意思がないときは、臣が壁を守って帰ってまいりましょう。殿さまのお考えはいかがでしょうか。
(趙の成公)大夫よ、思うに昭公は兵百万、将千員を持っている。秦国に行けば、かれは宝玉を収め、そなたを咸陽で捕らえるだろう。人は趙に帰れず、宝は国に戻れないなら、そのときは悔いても遅いことだろう。
(廉頗)大夫どの、仰ることは間違っている。秦は虎狼の国、将兵は多く、人馬は強く、六国を併呑しようとする心がある。思えばそのかみ六国の強兵が、函谷で鋒を交えたが、みな大敗して戻ったのだ。ましておんみは懦弱な人で、兵事を習っていないから、秦国に行けば、かならずや宝を失い、命を失い、そのときはむなしく英雄たちの嘲笑を招くであろう。
(正末)将軍どの、お怒りをお鎮めください。秦国が連城を与えず、わたしが璧を守って帰れなければ−こちらにいらっしゃる殿さま、皆さまに申しあげます−わたしはながく趙国に還りませぬ。
(趙の成公)大夫よ、玉璧は値万金。生なかなものではないぞ。細心にするのだぞ。
(廉頗)相如どの、おんみが行かれ、無瑕の玉璧を失って、咸陽城に捕らえられても、わが趙国が兵を起こして救いにゆくと思しめされるな。
(正末)将軍どの、ご安心なされ。(唱う)
【正宮】【端正好】槍刀を列ね、隊伍を並ぶることを須ゐず。成と敗とはひとへに相如次第なり。
(廉頗)大夫どの、今回行けば、行く路はございましょうが、帰る路はございますまい。
(正末が唱う)元帥は、行く路あれど帰る路なからんと言ふ。かれはわたしを軽んじてひどく虐ぐ。本日は趙国を離れ、旅路を踏めり。かれが奸邪の心を懐かば、わたしは機略を用ふべし。
(趙の成公)大夫よ、はやく行き、はやく戻れ。細心にするのだぞ。
(正末)殿さま、ご安心ください。
(唱う)わが手はいかであまんじてかれにこの荊山の玉を献ぜん。(退場)
(廉頗)殿さま、相如は行ってしまいました。かれは行けば、身命を失いましょう。玉璧は国に戻ることができず、相国はかならずながく秦に囚われ、隣国に嘲笑されることでしょう。
(趙の成公)将軍よ、相如は行ったが、勝敗は分からない。あのものが秦の城を得ず、璧を守って国に戻ってきたときに、手厚く官位を加え、褒美を賜っても、遅くはなかろう。
昭公が計略を用ふれば、両国は闘ひを起こしたるなり。そなたが璧を全うし、城を得て、二つの利益を得んときは、官位を与へ、褒美を賜ひ、名を題すべし。
第一折
(秦の昭公が卒子を率いて登場)昔より長安の地は、周秦の古雍州なり[17]。三川[18]の花は錦のごとくして、八水[19]はとこしへに流れたるなり。華夷図を見れば、陝右は筆頭にしぞある[20]。
それがしは秦の昭公。先だって、使者を趙国に遣り、無瑕の宝玉を求めにゆかせた。使者が国に戻ったが、成公が人を遣わし、宝玉送ってき、十五の連城と換えるとのこと。それがしは玉璧を求めているが、連城と換えようとはせぬ。宝玉を送ってきたら、それがしは手元に収め、来たものを城中に捕らえよう。宝玉を得て、連城は与えなければ、はじめてわたしの平生の願いは叶おう。左右の者よ、どこにいる。入り口で見張りしていろ。趙国の使者が来た時は、わたしに知らせろ。
(正末が従者を率いて登場)(正末)わたしは藺相如、趙国を離れ、従者を率い、玉璧を持ち、秦国に来た。思うに秦の昭公はこのたび玉璧を求めているが、趙国に人がいないのを馬鹿にしているだけだ。
(従者)大夫さま、思いみますに秦国の昭公は奸悪で、白起は勇猛、大夫さまは今回使者となるべきではございませぬ。おひとりで秦国に入れば、われらは秦に囚われましょう。
(正末)それがしが殿さまの前で、大口を叩いたことを知らないな。今回秦に入って使者となるのも、生なかなことではなく、蒼生の苦しみを救うためだ。(唱う)
【仙呂】【点絳唇】兵馬はたがひに残ひて、庶民は塗炭にまみるべし。旅程を遅らせやうと思はず。人は天地の間に生きて、青史の内に名を揚げんとす[21]。
【混江龍】このたびは百万の軍卒も用ゐることなく、
(従者)大夫さま、われらは人一人、馬一頭で秦国に行き、どのような武藝によって宝玉を国に戻らせるのでしょう。
(正末が唱う)槍の唇、剣の舌もて江山をしぞ定めてん。今、河は清くして海は晏らか、黎庶は穏やかにせり。大口を叩き、趙国を離れ、計略を定め、潼関に入る。それゆゑに駿馬に跨り、雕鞍に乗り、星月を帯び、風寒を冒し、玉璧を完うし、帰還せんとす。麒麟殿にて趙公の憂へを解かん[22]。虎狼の群れの英雄は、官職に封ぜられ、褒美を賜はることも望まず、人馬の平安なることのみを願ひたり。
(従者)大夫さま、思いみますに、無瑕の玉璧は、わが趙国の宝であり、秦国も知りませぬのに、なにゆえにこの無瑕の宝を、みずから秦にお送りになるのです。われらはまさにみずから禍を招いています。
(正末)おまえは存じておらぬのだ。話を聴け。(唱う)
【油葫蘆】思へばそのかみ、文武の臣は両班に列なりて、玉階の前、聖顔を仰ぎたりにき。秦の使者は邯鄲に来て、無瑕の玉璧を見んとせり。かのものは連城と交換するを約せしもそれは虚誕。
(従者)大夫さま。秦が十五の連城をこの玉璧と交換するなら、運んできてもわが趙は損しないことでしょう。
(正末が唱う)玉璧を求むるときは容易に取りて、連城を与ふるときは難癖をつくべけん。隣国のわれらを威圧し、軽侮して、われらはたちまち征戦を起こすべし。
【天下楽】両国の干戈が動かば、数十年安らかなるは難からん。そのときは後悔せんとも手遅れならん。この藺相如は正直にして奸佞ならず。わたしの言葉は確実にして、変心するなし。わたしはこたび興敗をしぞ決すべき。
(従者)大夫さま、旬日の間に、秦国に着きました。
(正末)はやくも王府の入り口に来た。取り次いでくれ。趙国の中大夫藺相如が門前におりますと。
(卒子)かしこまりました。中大夫どの、大王さまがお呼びです。
(従者)大夫さまは行かれますが、わたしはどちらにおりましょう。
(正末)おまえは入り口にいろ。わたしはそのまま行くとしよう。(正末が見える)
(秦の昭公)趙国の使者どの、どのような官職か。なぜ秦国に来られた。
(正末)わたしは趙国の中大夫藺相如。趙国の命を受け、玉璧を奉じて秦に入ってきました。
(秦の昭公)成公どのがそなたを遣わし、玉璧を秦に送ってこられたのだな。今、玉璧はどこにある。
(正末)玉璧は今、こちらにございます。公子さま、ご覧ください。
(秦の昭公)玉璧を持て、見てみよう。(見る)良い玉璧だ。この玉璧を趙国はどのように得られたのかな。
(正末)公子さま、この玉璧はもともと趙国にはございませず、楚の荊山で出たものでございます。卞和というものが、この玉を得て楚公に献じたのですが、楚公は分かりませんでした[23]。その後卞和が三たび献じましたところ、楚公はようやく玉であることを知り、その後わが趙国のものとなったのでございます。
(秦の昭公)この玉は真の宝ではなく[24]、そのような由来があったか。この玉にはさらにどのような珍しいことがある。卞和はどうして無瑕の玉璧であることが分かったのだ。
(正末が唱う)
【金盞児】この玉は荊山に出で、荊山に長じたるなり。この玉ゆゑに卞和は危難に遭ひしなり。楚国を離れて邯鄲に行き、見ること気命のごとくして、惜しむこと心肝のやうなりき。
(秦の昭公)この玉はすばらしい宝ではなく、珍しいものでなかろう。
(正末が唱う)容易に得なば、尋常のものとして見ん。
(秦の昭公)左右の者よ、どこにいる。白起将軍を呼んできてくれ。
(卒子)かしこまりました。白将軍はいずこにいられる。
(白起が登場)それがしは秦国の大将白起。練兵場で軍を訓練していると、兵卒が報せにきた。趙国の使者がこちらに来たとのことだ。殿さまがお呼びだが、趙国が人を使わし玉璧を送ってきたに違いない。行かねばならぬ。はやくも王府の入り口に着いた。兵卒よ、大王さまに取り次いでくれ。白起が参りましたとな。
(卒子)かしこまりました。(報せる)喏、大王さまにお知らせします。白起将軍が入り口にいます。
(秦の昭公)通せ。
(卒子)かしこまりました。行かれませ。(見える)
(白起)大王さま、呼ばれましたは何事にございましょう。
(秦の昭公)白起よ、呼んだのはほかでもない。今、趙国が、中大夫藺相如を遣わし、玉璧を送ってきたので、見にこさせたのだ。
(白起が秦公に背を向ける[25])大王さま、ご安心ください。かれがこの玉璧を送ってきたのは、趙の成公に秦を恐れる心があるため、人を使わし、送ってきたのでございます。かれが十五の連城と交換しようと思っても、難中の難でございます。今からこの無瑕玉を、真の宝でないと言えば、大王さまにどのような返事をしましょう。
(秦の昭公)白起よ、まさにその通りだ。そなたの心はわたしとまったく同じだな。
(白起)大夫どの、長旅ご苦労さまでした。玉璧をお持ちください。拝見しましょう。(見る)十五の連城の価値がある、無瑕の宝玉とは、どのようなものかと思っていましたが、白い石にすぎませぬ。名ばかりのもので、宝ではございませぬ。
(正末が背を向ける)こうするしかない。公子さま、これは真の宝ではございませぬ。
(秦の昭公)無瑕の玉璧が真の宝でないのなら、この世で何が真の宝か。
(正末)公子さまは、国の忠良が、世のすばらしい宝だということをお聞きでしょう。この玉は、(唱う)
【酔扶帰】飢うるときには食糧と為すを得ず、凍ゆるときには風寒をえ防がず。
(秦の昭公)この玉はすばらしい宝ではないと申すが、どうしてどこにも瑕がなく、一面に光沢があり、内と外とが輝いている。ほんとうに世の宝だぞ。
(正末が唱う)温潤にして光輝ありとも珍しきことはなく、今や災禍を招きたるなる。紋様はなく、いかでかはお眼鏡にかなふべき。げに雕琢を費やして磨くは難きものぞかし。
(白起)大王さま、このものは、言葉を聴いたところでは、智謀に長けたものでございます。古のすばらしい宝は何だと思うかをお尋ねください。
(秦の昭公)大夫どの、この玉璧が真の宝でないのなら、古から今まで、何が至宝か、申してみよ。
(正末)公子さま、古から今まで、幾つかのすばらしい国の宝がございます。
(秦の昭公)国のすばらしい宝とは何か。話して聴かせよ。
(正末が唱う)
【河西後庭花】湯伊尹は奸佞を除き、姜太公は暴虐を伐つ。孝子は周公旦、忠臣は殷比干なり。
(秦の昭公)どのようなすばらしい宝のことを語るかと思ったら、古の名士を並べているな。わたしの前で古今のことを引き合いに出しているな。
(正末が唱う)古今のことを引き合いに出すにはあらず。かれらはすべて後人の模範なり。あなたは無瑕の宝玉を尋常のもののごとくに見たまへり。
(白起)大王さま。趙国の大夫どのに話をし、とりあえず駅亭に戻らせて泊まらせましょう。玉璧は置いてゆかせ、後で交渉することにいたしましょう。
(秦の昭公)大夫どの、今日はもう日が暮れた。玉璧をそれがしの邸宅に置き、ひとまず駅に戻って泊まり、明日になったらふたたび相談するとしよう。
(正末)待たれませ。公子さま、この玉璧を持ってきたのは、秦国に差し上げるためでございます。先日、公子さまは趙国に使者を遣わし、秦国は十五の連城をこの玉璧と交換すると仰いました。今回、わたしは璧を奉じてこちらにやってまいりましたが、公子さまは玉璧は貴くないと仰っています。わたしはこの玉璧を持ち、とりあえず駅亭に戻りましょう。明日になりましたら文武を集め、わたしは文武の前で、この玉璧を献じ、わが趙公さまが公子さまを敬う心を示しましょう。公子さまは諸将ときちんとご相談なさいましたら、公子さまがさきに十五の辺城の図面をご提出ください。わたしはそれを持ってゆき、公子さまが趙公との約束を違えなかったことを示すといたしましょう。
(白起)殿さま、かれの言うことも尤もでございます。(背を向ける)すでにわが秦国に入ってきたのだから、翅が生えてもこの潼関を飛び出してゆけないだろう。とりあえず玉璧を持たせ、駅亭に戻ってゆかせることにしましょう。
(秦の昭公)大夫どの、今日は玉璧を持ち、とりあえず駅亭に戻って泊まり、明日諸官と相談し、この宝玉を取りにくるのだ。
(正末)駅亭にひとまず戻ってゆきましょう。
(正末が門を出て従者に会う)(従者)大夫さま、玉璧はどちらにございます。どうしたら国に戻ってゆけましょう。
(正末)宝玉はこちらにある。従者よ、宝玉をきちんとしまえ。わたしは今夜秦関を出、ひそかに間道を回り、趙国に戻ってゆこう。(唱う)
【尾声】駅亭にひとまず帰り、すみやかに旅路に臨まん。すみやかに黄河を渡り[26]、旅路ではいそいそとして、ぐづぐづとすることなかれ。すみやかに帰還して、公子さまをば喜ばしめん。語りつつ、あらためて策を立てたり[27]。もしも過失と損失あらば誓ひて還らじ。かれはかならず人を遣はし追い掛けしめん。潼関を出でなば、昼夜を分かつことなく、邯鄲にしぞ到るべき。(退場)
(秦の昭公)白起よ、趙国の相如は玉璧を持ち、駅亭に戻り、泊まっているが、明日、かれに城の図面を描き与え、引き留めて、永遠に国へ還れぬようにしよう。
無瑕の玉璧は価千金、ことさらに機略を用ゐ深謀を用ゐたるなり。趙国は勇猛な将を誇りそ、いかでかは秦国の京兆城を出づべけん。(退場)
(白起)殿さまは行ってしまわれた。それがしは明日、かれに十五の城の図面を描き与え、玉璧を留め、城は与えぬ。相如は翅が生えても函谷関を飛び出てゆけまい。
趙の相如は剛胆にして、秦に入り使者となり豪傑なるを示したり。小細工を施して難を逃れど、一命をほどなく荒郊に失ふべけん。(退場)
(秦の昭公が卒子を率いて登場)いと正直な人を使ひそ、不仁の人を防ぐべし[28]。
趙国の相如めはけしからん。あのものは、今日城の図面を描けば、玉璧と交換すると言っていたのに、駅亭に行くと、真夜中に関所をこっそり逃がれ出て、玉璧を本国に持ち帰った。左右の者よ、どこにいる。白起を呼んでこい。
(卒子)かしこまりました。白さまはいずこにいらっしゃいましょう。
(白起が登場)それがしは大将白起。殿さまがお呼びであるから、行かねばならぬ。はやくも着いた。取り次ぎは必要ない。そのまま行こう。(見える)
(白起)殿さまが白起を呼ばれましたのは、何事にございましょう。
(秦の昭公)白起よ、こたび趙国の相如は、玉璧を持って駅亭に戻り、夜になったらひそかに逃げた。かくなるうえはどうしたらよいだろう。
(白起)殿さまは昨日、玉璧をかれに与えるべきではございませんでした。今日はかれに嘲笑されていることでしょう。
(秦の昭公)すでに逃げたが、大丈夫だ。そなたは今から三千の人馬を率い、追い掛けていってくれ。捕らえて戻ってきたら、あのものの屍を万に砕こう。
(白起)殿さま、あのものを追い掛けるのは難しゅうございます。思いみますに、相如は心が曲珠[29]のよう、東と言えば西へ向かうものですから、どこへ追いかけてゆけましょう。相如を捕らえてまいりましても、かれ一人だけにすぎませぬ[30]。
(秦の昭公)今日追い掛けてゆかなければ、あの宝はいつ得られるのだ。
(白起)臣に一計がございます。趙の成公を捕らえることができましょう。
(秦の昭公)どのような計略だ。
(白起)殿さまが澠池で会をお開きになり、趙の成公に、会盟すると言うだけで、かれはかならず宴に赴いてまいりましょう。来た時に、臣は三つの計略を設け、趙の成公をかならず捕らえることにしましょう。玉璧は珍しいものではなくなることでしょう[31]。
(秦の昭公)将軍よ、どんな三つの計略だ。話してみよ。
(白起)第一計は、趙公との酒宴が酣になったとき、宴席で金鐘を撃ち、合図にします。第二計は、酒宴で二人の将軍が剣舞し、宴席で功を成就することができましょう。第三計は、壁掛けの中に甲士を隠し、成公を捕らえるのでございます。三つの計略を用いるまでもなく、趙国の君臣はかならず秦の人質となりましょう。殿さまのお考えはいかがでしょうか。
(秦の昭公)その計略はおおいに良い。今日すぐに使者を遣わし、趙の成公を招き、日を選ばせて、澠池で会盟させるとしよう。することがないから、後堂へ酒を飲みにゆこう。
第二折
(趙の成公が卒子を率いて登場)事に訝るに足るあれど、物に固より然かるあり[32]。
それがしは趙の成公。藺相如は秦国に入り、使者となり、璧を持ち、城に換えようとしている。行って一月あまりになるが、音信はまったくない。左右のものよ、入り口で見張りしていろ。来たときは、わたしに報せよ。
(卒子)かしこまりました。
(正末が登場)わたしは藺相如、公子さまの御諚を奉じ、使者として秦に入った。秦公に見えたとき、それがしは秦公に城を与える意思がないのを見、秦公を説得し、こっそりと秦国を出た。とても恐ろしいことだった。(唱う)
【中呂】【粉蝶児】千里を駆馳することをも避けず、忠心を尽くし、国家のために力を出せり。ひとへに秦の昭王が諸国を併呑せしがためなり。かのひとは連城を玉璧に交換するを約せども、心には奸計を懐きたりにき。すこしでも話が合ふことなきときは、阿諛し情意を揣摩したりにき[33]。
【酔春風】わたしは月夜に秦を離れて、飛星のごとく趙を目指せり。無瑕の宝玉が全きままで帰るを得なば、めでたき、めでたきことならん。かのものは貪婪をほしいままにし、暴虐をおもひのままにせんとせしかば、わたしはひそかに智略を施さんとしき。
(言う)はやくも着いた。馬を繋げ。取り次いでくれ。藺相如が参りましたと。
(卒子)かしこまりました。(報せる)喏、大王さまにお知らせします。中大夫藺相如が参りました。
(趙の成公)さきほど話をしたところ、相如がはたしてやってきた。玉璧はどうなったろう。通せ。
(卒子)かしこまりました。大夫さま、行かれませ。
(正末が見える)
(趙の成公)相如よ、そなたは使者として秦へ行ったが、玉璧の一件はどうなった。
(正末)殿さま。わたしは殿さまのご威光のお陰で、秦国に行き、昭公に見えました。秦公はわたしの応答が流れるようであるのを見ますと、おおいに喜び、玉璧を求めました。わたしは秦公に連城をくれる意思がないのを見ますと、婉曲に説得し、ひそかに潼関を出、璧を守って戻りましたのでございます。
(趙の成公が喜ぶ)大夫はまことに謀略は伊尹のよう、智恵は傅説のようだ。璧を守って国に帰り、智恵は古の賢者に勝っている。
(正末)滅相もございませぬ。(唱う)
【迎仙客】臣は鼎鼐を調ふることはなく、塩梅も理むることなし。いかでかは、済るとき楫と為り、旱のときに霖と為る伊傅に比すべき。
(趙の成公)昭公は虎狼の国で、玉璧を狙っていたから、宝を守って還るのは、ほんとうに難しいことだったろう。
(正末が唱う)刀兵を収め、社稷を安んぜんとせり。物の阜く民の熙ぶことを求めて、われら臣たるものは力を尽くすべきなり。
(趙の成公)大夫の功は、滄海のように深い。上大夫に昇進させ、廉頗将軍と同班としよう。
(正末)わたしにどんな功績があり、このような職位を受けるのでございましょうか。
(趙の成公)左右のものよ、廉頗を呼んできてくれ。
(卒子)かしこまりました。廉頗将軍はいずこにいられる。
(廉頗)それがしは大将廉頗、練兵場で軍を訓練していると、殿さまがお呼びだから、行かねばならぬ。話していると、はやくも着いた。左右のものよ、取り次いでくれ。廉頗が参りましたと。
(卒子)かしこまりました。(報せる)喏、殿さまにお知らせします。廉将軍が参りました。
(趙の成公)通せ。
(卒子)かしこまりました。行かれませ。
(廉頗が見える)殿さまが廉頗を呼ばれましたは、何事にございましょう。
(趙の成公)廉将軍よ、呼んだのはほかでもない。こたび、中大夫相如は、秦に入り、使者となり、璧を守って還った。今日はかれを官職に封じ、褒美を賜い、上大夫に昇進させる。
(廉頗)殿さま、思いみますに相如には汗馬の功がなく、口舌に頼っているだけ、なぜこのように立派な官職に封ぜられます。かれと同位となることは難しゅうございます。
(趙の成公)廉将軍よ、古人の言葉を聞いていよう。「一言にして以て国を興すべく、一言にして以て邦を喪ふべし[34]」と。相如の功を論じれば、他人の下に在るものではない。
(正末が唱う)
【紅繍鞋】官位を昇進させるには値せず。妻子に恩典を与ふるに値せず。上卿の職位は大いに高きなり[35]。高牙[36]を立てて駟馬に乗り、大纛[37]を立てて紅衣を列ねん。わたしはこなたで深恩に謝し、至徳に感ぜり。
(外が秦国の使者に扮して登場)わたしは秦国の使者、昭公さまの御諚を奉じ、趙国の成公を招く。はやくも府の入り口に着いた。左右のものよ、取り次いでくれ。秦国の使者がこちらに来ましたと。
(卒子)かしこまりました。(報せる)喏、殿さまにお知らせします。秦国の使者がこちらに参りました。
(趙の成公)通せ。
(卒子)かしこまりました。使者どの、行かれよ。(見える)
(趙の成公)秦国の使者どの、来られましたは何事にございましょう。
(使者)成公さまにお知らせします。わたしは秦の昭公さまの御諚を奉じ、吉日を選び、趙の成公さまを澠池の会盟にお招きするのでございます。はやく会に赴かれませ。お断りになりませぬよう。
(趙の成公)使者よ、分かった。昭公どのに報告しにゆけ。あとから参りますと。
(使者)長居せず、今日は秦国に戻ってゆこう。(退場)
(趙の成公)使者は行ってしまった。廉将軍よ、今、秦の昭公はわたしを会盟に招いているが、この件はどうしたものか。
(廉頗)殿さま、これは秦の昭公が心に奸計を生じているのでございます。玉璧を得られなかったので、澠池で会を設け、殿さまを会に赴かせ、宴で殿さまを捕らえ、玉璧を奪い取ろうとしているのでございます。
(趙の成公)それならば、どうすればよいだろう。
(廉頗)この一件は、ほかでもございませぬ。相如が戦を引き起こしたのでございます。
(正末)廉将軍どの、わたしが戦を引き起こしたとはどういうことです。
(廉頗)秦の昭公はおんみが玉璧を残そうとせず、真夜中ひそかに逃げたから、憤怒の心を抱き、この会を設け、殿さまを捕らえようとしているのだぞ。おんみが戦を引き起こしたのでないはずがあるものか。
(正末が唱う)
【普天楽】善人を推さんとはせず、賢門を閉ざさんとせり[38]。忠良を妬み、礼に叶はず[39]。
(廉頗)相如どの、おんみが今回、玉璧を届けにゆくのは、趙国のためではなく、おんみが功名を得、爵禄を忝のうするためであろう。
(正末が唱う)国家を安んずる計略を語ることなく、功をみだりに得んとする弥天の罪がありといふ[40]。賞罰の権利は公子が持ちたまひたり。公子は朝廷を掌管したまひ、明るきさまは皎日のやう。将軍は社稷を傾け、危ふきさまは累卵のやう。藺相如は皇図[41]を輔け、重きこと磐石のやう。
(趙の成公)廉将軍よ、今日、昭公は招きにきたのだから、澠池会へ行けばよかろう。行かなければどうなる。
(廉頗)殿さま、思いみますに昭公は心に奸計を生じ、この会を設け、智恵で殿さまを欺こうとしております。会に赴かれるべきではございませぬ。大勢の猛兵を発し、かれと対戦する方がようございます。
(正末)殿さま、兵を起こすべきではございませぬ。
(趙の成公)大夫よ、どうして兵を起こすべきでない。
(正末が唱う)
【上小楼】「顛れて扶けず、危ふくして持せず[42]」とははや言ひ難し。干戈を動かすことを謀らば、国内は崩壊し、四方は分裂しぬべけん。
(廉頗)相如どの、兵を起こしてはならないと仰るが、どうなさるおつもりか。
(正末が唱う)彝倫を述べ、綱常を正し、みづから仁義を行ふにしくはなし。わたしは唐虞の太平の治に倣はんとせり。
(廉頗)相如どの、おんみは懦弱な人であり、兵家の勝負をご存じない。わたしは今から大軍を率いよう。秦軍は大したことはないだろう。
(正末)公子さま、廉将軍に従って兵を起こせば、幾つか民に不利なことがございます。
(趙の成公)どのようなことか。
(廉頗)相如どの、わたしが兵を進めれば、どのような、民に不利なことがある。話してみられよ。
(正末が唱う)
【幺篇】商人たちは行旅を阻まれ、農民たちは耕織に苦しむべけん。倉廩を耗散し、府庫は空しく、士卒らは疲弊すべけん。
(趙の成公)そなたに従えば、どのようなことになる。
(正末が唱う)わたくしに従はば、財を傷ふことはなく、民を害することはなく、一人と一騎あるのみ、
(廉頗)わたしに従い、兵を起こしてかれらと交戦なさいまし。むかしから申します。「軍を養ふこと千日、用ゐるは一朝に在り[43]」と。
(正末が唱う)言ふなかれ「軍を養ふこと千日」と。
(廉頗)殿さま、今日は十万の大軍を選び、殿さまに従って会に赴いてゆきましょう。
(正末)殿さま、たくさん軍兵を選び、むなしく糧秣を費やすことはございませぬ。百十騎の人馬がありさえすれば、わたしひとりで殿さまをお守りし、澠池会に赴きましょう。
(廉頗)相如どの、なぜ大口を叩かれる。ひとりで殿さまをお守りしてゆき、殿さまにもしものことがあった場合は、誰が責任をとるのだ[44]。
(趙の成公)将軍の言う通りだ。大夫よ、そなたはたった一人でわたしを守り、会に赴くと申すが、宴会で間違いがあったら、どうするつもりだ。
(正末)こちらにいらっしゃるお役人さまがたに申し上げます。わたしが行って、間違いがございましたら、わたしの首を差し上げましょう。
(廉頗)相如どの、殿さまをお守りし、無事帰還なされたら、わたしは顔に紅粉を塗り、剣で髭、鬢を剃りましょう。
(趙の成公)大夫よ、行ったら、謀略を施し、知恵を用い、申した通りにするのだぞ。
(正末が唱う)
【十二月】盟府は公卿宰職なり[45]。文官と武官に対して、おんみは危難があらんと仰り、わたしは禍難はなからんと言ふ。賭けをして負くとも悔いそ、おんみの言葉の誠実ならんことを求めん。
(廉頗)わたしが負けたら、顔に紅粉を塗るが、まことに恥ずかしいことだ。
(正末が唱う)
【堯民歌】ああ、おんみは言へり、顔に紅粉を塗ることは恥づかしく、わたしの首は損にはならずと[46]。人の言葉は信なればながく変はらず。己を欺き、心を欺き、天を欺く[47]。悟れかし、悟れかし、皇家のために柱石となるものは、児曹輩の比にあらざるを。
(趙の成公)本日は百十騎の人馬を選ぼう。軽い弓、短い矢、善い馬、熟の者たちばかりで、澠池会へと赴こう。
(廉頗)殿さまはさきに行かれた。それがしはあとから大勢の猛兵を率い、殿さまに加勢しにゆこう。
(正末)殿さま、ご安心ください。(唱う)
【尾声】兵馬の多きは必要なし。数騎が従ふのみでよし。三川八水西秦の地をめざし、澠池会へと赴かん。旅路をさして心は急げば馬の歩みは遅からん。(退場)
(趙の成公)昭公が招いているから、会に赴いてゆこう。
玉璧は秦を離れて戦争を招けば、白起に兵士を率ゐしめたり。澠池会にて邪心を懐かば、いかでかは得ん秦国の十五城。(退場)
(廉頗)殿さまは行ってしまった。それがしは大勢の猛兵を率いて加勢しにゆこう。
秦の昭公は計略により国を興して、玉璧のために刀槍を引き起こさんとす。大軍を率て一斉に秦地に臨み、平らかにせん京兆は咸陽の地を。(退場)
第三折
(秦の昭公が卒子を率いて登場)それがしは秦の昭公。趙国の相如が、玉璧を抱いてひそかに国に逃げ戻ったため、それがしは怒りを抱き、澠池会という会を設け、趙の成公を呼んできて会盟しようとしているところだ。来ないなら、大軍を率いて征伐するとしよう。来たときは、配下に二人の上将がいる。一人は康皮力、一人は范当災という。呼んできてくれ。
(卒子)かしこまりました。康皮力、范当災どのはいずこにいられる。
(浄の康皮力、范当災登場)(浄の康皮力)肉は半斤をば食らひ、米は半升をば食らひ、闘ひをするを聴きなば、寝床にて喚き叫ばん。
われら二人は一人は康皮力、一人は范当災、公子さまがお呼びだから、行かねばならぬ。はやくも着いた。取り次ぎは必要ない。そのまま行こう。(見える)
(秦の昭公)康皮力、范当災、今日の宴は、用意はすでに調ったか。
(浄の康皮力)もう調っておりまする。
(秦の昭公)左右のものよ、白起将軍を呼んでこい。
(卒子)かしこまりました。白将軍はいずこにいられる。
(白起が登場)それがしは白起。宴はすっかり調ったから、公子さまにお会いしにゆこう。はやくも着いた。兵卒よ、取り次いでくれ。白起が参りましたと。
(卒子)かしこまりました。(報せる)喏、殿さまにお知らせします。白将軍が参りました。
(秦の昭公)通せ。
(卒子)かしこまりました。行かれませ。(見える)
(秦の昭公)白起将軍よ、仕事はどうだ。
(白起)すっかり調え、趙の成公が来るのを待つばかりでございます。
(秦の昭公)入り口で見張りをさせろ。趙の成公が来た時は、わたしに知らせろ。
(正末が趙の成公とともに卒子を率いて登場)
(趙の成公)大夫よ、秦の昭公は宴を設け、それがしを招いて会盟しようとしている。わたしはかれの罠に落ちるのであろうか。
(正末)殿さま、思いみますに、秦の昭公はこのたびは考えが良くありませぬ。
(趙の成公)大夫よ、宴に赴き、伏兵があれば、それがしは秦の危難を逃れることはできないだろう。
(正末)殿さま、ご安心ください。澠池会に行きましたら、かならずや殿さまをお守りし、無事にお国へ還らせてさしあげましょう。
(趙の成公)大夫よ、その昔、命は父母から授かったが、今日の危難はすべて大夫に救ってもらおう。
(正末)殿さま、「軍を養ふこと千日、用ゐるは一朝にあり」と申しませぬか。臣たるものは忠を尽くし国に報いねばなりませぬ。(唱う)
【正宮】【端正好】国家のために、旅する身にし成りぬれば、労を辞せずに千里を馳駆せん。三川と八水の秦国の路、澠池会へとみづから赴くこととせん。
【滾繍球】宴に到らば、いささかの悶着あるべし[48]。いかでかは主は憂へ臣は辱められなん。
(趙の成公)大夫よ、宴席には、どのような伏兵やからくりがあるか分からぬぞ。
(正末が唱う)思ふなかれ、紅妝を出し歌舞歓娯せんものと。きちんと士卒らを列ね、ぎらぎらと斧鉞を伏するに過ぎざらん。殿さまをしつかりとお護りし、虹光を抜き、手には錕ムを握るべし[49]。かれがもし強きを恃み弱きを凌がば君子にあらず、義を見て為さざるは大丈夫なれば[50]、ためらふことはなかるべし。
(趙の成公)大夫よ、澠池会に到着したぞ。
(正末)左右の者よ、どこにいる。馬を繋げ。
(卒子)かしこまりました。
(趙の成公)はやくも着いた。兵卒よ、取り次いでくれ。趙の成公がわざわざ会に赴いてきましたと。
(卒子)かしこまりました。(報せる)喏、殿さまにお知らせします。趙国の成公がこちらに来ました。
(秦の昭公)通せ。
(卒子)かしこまりました。どうぞ。(見える)
(趙の成公)それがしには何も取り柄はございませぬのに、忝なくも公子さまには宴を設けていただきまして。
(秦の昭公)それがしはいささかの菲儀を調え、敬んで微衷を述べているのです。忝なくも、公子さまにはご来臨たまわりまして。兵卒よ、果卓を担いでまいるのだ。(酒を斟ぐ)酒を持て。公子さま、一杯干されませ。
(正末が唱う)
【倘秀才】かれは時候の挨拶を述べ、久闊を叙し[51]、座席を譲り、客を尊び、主を敬ひ、にこにことして金樽と碧玉の壺を捧げ、珍饌を並べ、芳醑を飲み、止めんとは言ふことぞなき[52]。
(秦の昭公)公子は会に赴いてきたが、どうして将軍を率いずに、一人だけが従っている。おんみの国には文武の賢才がいないのだろう。
(正末)秦公さま、わが趙国には文武の人材がおらぬわけではございませぬ。殿さまがこの会を設けられ、両国の誼を通じようとしてらっしゃいますので、わが殿さまはわたくし相如を連れてきたのでございます。
(秦の昭公)そなたの趙国には、ほかに文武をよくする者がおらず、そなた一人がいるのみだ。そなたはどんな古今の先賢、聖学仁義を存じているのか、申してみよ。
(正末)秦公さまはご存じございますまいが、一遍お話しするのをお聴きくださいまし。(唱う)
【滾繍球】聖賢のことを講じて、今古のことを論ずるを求めたまへり。堯舜禹湯文武らは、みな聖明の君にして鴻図[53]を率ゐき。かれらは仁義の人を挙げ、凶暴な人を除きぬ。剛強を恃み併呑攻取するおんみと異なり、天下は謳歌道泰しみな服しにき[54]。桀紂は非を飾り[55]、諌めを拒み、国を亡ぼしたりしかど、堯舜は政を発し、仁を施し[56]、帝都を立て、四海に虞れなからしめたり。
(秦の昭公)今、七国で、そなた一人が有能だということはあるまい。
(正末)思いみますに、今、七国には、それぞれ文武をよくする権謀術数の人がおります。相如がいささかお話しするのをお聴きください。
(秦の昭公)七国の中で、誰が武芸をよくするか。一遍話せ。
(正末が唱う)
【倘秀才】七国の臣は文武をよくするやとぞ問ひたまふ。一人の肱と為り股と為り、輔弼して、社稷を安寧たらしめて、万姓を服せしめたり。文は『三墳』の典に通じ[57]、武は『六韜』の書を解したり。わたしがくはしく数へあぐるを聴きたまへかし。
(秦の昭公)七国に、どのような賢臣がいる。話してみよ。
(正末が唱う)
【滾繍球】斉の孫臏は竈を減らす智謀あり[58]、
(秦の昭公)趙国にはどんな人物がいる。
(正末が唱う)趙の李牧は怯弱を示しつつ夷虜を掃ひき[59]、
(秦の昭公)燕国にはどんな英傑がいる。
(正末が唱う)燕の楽毅は斉を破れど攻むることなく取ることなかりき[60]、
(秦の昭公)斉国にはどんな英雄がいる。
(正末が唱う)田穰苴は荘賈を誅して文武は全し[61]、
(秦の昭公)魏国にはどんな英雄がいる。
(正末が唱う)魏の呉起は士卒を犒ひ、疽をみづから吮りき、
(秦の昭公)わが秦国にはどんな人物がいる。
(正末が唱う)武安君は奇兵を出しすみやかに虚を搗きたりき[62]、
(秦の昭公)斉国にはほかにどんな好漢がいる。
(正末が唱う)斉田単は火牛の陣あり脱兔のごとし[63]、
(秦の昭公)そなたの趙国にはどんな英雄がいる。
(正末が唱う)わが国の廉将軍は勇気あり野戦長駆を善くしたり。
(秦の昭公)七国には説客が多い。
(正末が唱う)蘇秦、張儀と陳軫[64]あり、
(秦の昭公)ほかに幾人の説客がいる。
(正末が唱う)蔡沢[65]、荀卿、范雎あり、
(秦の昭公)これらの人々は、七国の中で、英名を示した、人中の傑物だ。
(正末が唱う)かれらは権謀術数の徒ぞ。
(趙の成公)大王さまの深いお心を有り難く存じております。それがしに何の取り柄がございましょう。お礼するすべがございませぬ。
(秦の昭公)成公どの、それがしは、かねてから、おんみが瑟をうまく弾くことをお聞きしている。宴席で音楽がなければ、楽しくないから、宴で瑟を弾いてくだされば幸いです。
(正末)秦公さま。わが趙公さまは瑟を弾きますので、公は缶をお撃ちください。
(秦の昭公)それがしは職は高い位にいるものだから、人のために缶を撃とうとはせぬ。
(正末)秦公さまがお望みにならないのなら、五歩と離れておりませぬから、臣は頚の血を大王さまに注ぎましょうぞ。(唱う)
【塞鴻秋】殿さまに宴席で瑟を弾かしめ虐げたまへば、
(秦の昭公)大夫どの、缶を撃てばよいのだな。
(正末が唱う)秦公に缶を撃たしめて辱めたり。
(秦の昭公)成公どのが十五の城をわたしに送り、贈り物とすれば、両国は刀兵を免れるであろう。
(正末が唱う)われらが十五の城をもて贈り物とし、秦国を助くることを求めたり、
(言う)大王さまにいささかの返礼をお求めしましょう。
(秦の昭公)どのような返礼がほしいのだ。
(正末が唱う)咸陽城を返礼に求むとも拒みたまひそ。
(秦の昭公)趙国の相如はけしからん。どうして言葉で侮辱するのか。首切り役人よ、こちらに来い。
(正末)大王さま、われわれ臣下たるものは死を避けませぬ[66]。
(唱う)五歩の間、たちまちに頚の血は紅の雨と飛ぶべし。みな史書に万代に名を標すべし。
(秦の昭公)宴席が寂しければ、楽しくない。康皮力を呼んできて剣舞させよ。
(趙の成公が背を向ける)宴席で剣舞するとは、きっとわたしを殺そうと思っているのだ。どうすればよいだろう。
(正末)大王さま、一人で剣舞するのは寂しゅうございますから、わたしたち二人は剣舞いたしましょう。(唱う)
【伴読書】かのものは龍泉を抜き、席上に舞ひ、虎躯[67]を整へ、軽やかに歩みを移せり。わが殿さまは戦戦兢兢、為す術もなし。蜂や蝎は刺激せられてでたらめをせり[68]。身を守る兜鍪鎧甲は何もなく、胆の太きも役には立たず。
(趙の成公)二人は宴席で剣舞して、わたしを殺そうとしているが、どうしたらよいだろう。
(正末が唱う)
【笑歌賞】わたしは、わたしは、軽々と猿臂を伸ばし、ぎよろぎよろと眼を瞠り、冠を衝きて怒れり[69]。ぎらぎらと剣は匣を離るれば殺霧を生ぜり[70]。
(言う)秦公さま、こちらには伏兵がいますね。
(唱う)片手で腰帯をば掴む。誰かはあへてわたしを阻まん。負けを認めて、兵士を収め、わたしを函谷関より送り出せかし。
(正末が秦公を掴む)秦公さま、あなたの配下の将軍が向かってきたら、さきに大王さまを殺しましょう。
(秦の昭公)すべての将軍は下がれ。手を出してはならぬ。
(正末)大王さま、あなたはわたしを澠池から送り出してゆかれませ。
(趙の成公)大王さま、本日は、ご歓待くださいまして、大変有り難うございました。後日かならず手厚くお礼いたしましょう。
(秦の昭公)函谷関から送り出すほうがかえってすっきりするわい。
(廉頗が登場)それがしは大軍を率い、殿さまにご加勢しにきた。
(正末が昭公を放す)
(趙の成公)大王さま、手厚い礼物を大変有り難うございました。今から国に戻らせてください。
(正末)ご歓待していただきまして大変有り難うございました。
(浄の康皮力)公子さま、金鐘を撃つのを合図にいたしましょう。
(秦の昭公)行ってしまう。遅かった。失敗だ。
(浄の范当災)大王さま、慌てられますな。さらに三つの妙計がございます。
(秦の昭公)成公どの、遠くまでお送りせぬのをお許しください。旧い怨みはお忘れください。
(正末が唱う)
【尾声】かれらは金爪の武士が隊伍を並べ、わが方は鉄甲の将軍が士卒を率たり。おんみは故なく会盟をせんと言ひ、計略を定め、尊卑を無みし、礼法を疎かにせり。瑟を弾かしめ、宴席に辱め、むりやりに城を求めて心は凶悪。雕輪駟馬の車へわれらを乗せしかば、二人はあへてことさらに一歩を進めたりしなり。首を失ひ、身を棄つることを覚悟で、わたしはかれと思ひのままにしたれども、錦のやうな秦川は思ひのままにすることぞなき[71]。(成公らとともに退場)
(秦の昭公)趙国の大夫相如は恨めしい。智恵は呂望に勝り、謀略は孫呉のよう、玉璧を全うし、故国へ還り、主君を救い、しくじることがなかったが、ほんとうに七国の英雄傑士だ。
相如の謀略は孫呉に勝り、澠池会にて図面を求めぬ[72]。言ふなかれ白起は大いに勇なりと、天が下では相如こそ真の丈夫。(ともに退場)
楔子
(趙の成公が卒子を率いて登場)(趙の成公)今朝にまさる歓びはなく、今日にまさる喜びはなし。
それがしは趙の成公。澠池会で、秦の昭公には、わたしを害しようとする心があったが、さいわい相如に救われて、無事に国へ還ってきた。今日は左右のものに言い含め、宴を調え、相如のために手柄を祝い、褒美を与えることにしよう。来たときは、わたしに知らせろ。
(卒子)かしこまりました。
(廉頗が登場)それがしは趙の将軍廉頗。相如めは、公子さまをお守りし、澠池会に赴いてゆき、酒宴で殿さまをお守りし、無事に国へと還らせた。今日、殿さまは宴を調え、かれのため、手柄を祝い、官位に封じようとしている。思えばかれには何も汗馬の功がないのに、どうしてかれをかくも立派な官位に封じ、わたしをかれと同列になさるのか。今はひとまず宴席で、どのような官職に封じるのかを見るとしよう。それがしと同列ならば、左右のものに命令し、あいつを殴らせ、恨みに報い、平生の願いを叶えることにしよう。はやくも着いた。左右のものよ、取り次いでくれ。廉頗が参りましたとな。
(卒子)かしこまりました。(報せる)喏、殿さまにお知らせします。相如が参りました。
(趙の成公)通せ。
(卒子)かしこまりました。大夫さま、行かれませ。(見える)
(趙の成公)大夫よ、思えば澠池会で、大夫の働きがなかったら、それがしは国へ還れなかったろう。そなた一人に功績があるから、今から宴を設けて褒美を取らせよう。
(正末)相如の働きではございませぬ。ひとえに宗廟の霊威、殿さまの虎威によるものでございます。
(趙の成公)大夫よ、今回そなたはしばしば大功を建てたので、上卿の職に封じる。
(正末)相如にどんな功績がございましょう。このような重職を受けるわけにはまいりませぬ。
(趙の成公)おまえたち役人たちは数杯を勧め、十分に酔ったらはじめて帰るのだ。
(廉頗)相如め、おまえは一介の文人で、兵書に通ぜず、戦陣を知らず、汗馬の労もない。かれをこのように立派な官職に封じられるとは。同列になることは難しゅうございます。殿さま。廉頗はさきに失礼します。
(趙の成公)将軍はどうしてさきに戻るのだ。
(廉頗)廉頗は飲めなくなったのでございます。(門を出る)侍従、下僕たちよ、こちらで待て。相如が出てきたら、おまえたちはかれを殴って、報告しにこい。
わたしは怒れば髪はにはかに冠を衝き、怒ればわたしは気は牛斗をも衝けるなり。かれはいかでか臣僚に列なるべけん。廉頗を見、鞠躬拱手すべきなり。(退場)
(正末)廉頗には憤怒の心がございます。殿さま、相如は失礼いたします。
(趙の成公)相如大夫よ、もう何杯か飲んでゆけ。
(正末)酒は十分でございます。(門を出る)従者よ、駟馬の車で大路を行くな。小路を近道して行こう。
(外衆が打つしぐさをして、退場)
(従者が正末を扶ける)
(正末)あいつらはほんとうにけしからん。(唱う)
【仙呂】【賞花時】わが駟馬高車の前後へと押し寄せぬ。侍従と下僕は左右より衝き、喧嘩を売りて威風を示せり。廉将軍はわたしと功を争ひて寵を競へり。思はずわたしは怒気が胸にぞ満つるなる。(退場)
(卒子が報せる)殿さまにお知らせします。廉将軍はさきに王府の門を出て、配下の軍卒を待機させました。藺相如大夫は王府の門を出たとたん、廉将軍の従者によって殴られました。人々は相如大夫を介添えし、家へ帰ってゆきました。
(趙の成公)廉頗めはけしからん。相如は璧を全うし、主君を救った功があるから、官職に封じることは当然なのに、あいつは憤怒の心を抱き、かれを辱めるとは。それがしは廉頗を罪しようと思うが、いかんせんあの者は上将で、以前、功績を立てている。使者を遣り、廉頗に話させ、相如と和解させるとしよう。仲睦まじくしないなら、それがしは決して許さぬ。
相如は計略をば用ゐ機略を運らせ、廉頗は勇猛なれども志は報はれず。二将が心を同じくしなば、六国は秦国を一鼓のもとに攻めとらん[73]。(退場)
(秦の昭公が卒を率いて登場)己が心を使ひ尽くせど、人をぞいたく笑はしめたる[74]。
以前、一心に図趙国の玉璧を求めたが、相如は璧を守って国へ還ってしまった。その後さらに澠池会を設け、成公を捕らえようと思ったが、またも相如に救われて無事に国へと還ってしまった。この怨みは骨髓に徹している。今、使者を遣り、宣戦布告の文書を届けにゆかせ、藺相如だけを出馬させよう。藺相如を捕らえられれば、平生の願いは満たされるであろう。康皮力、范当災を呼んできてくれ。
(卒子)かしこまりました。康皮力、范当災どのはいずこにいられる。
(浄の康皮力、范当災が登場)
(康皮力)将軍は雕鞍を置き、馬は袍をぞ褂くるなる、陣にはいまだ上らねど、転んで腰を折れるなり。軍に臨みて対峙したればさきに逃げ、商ひし帰りきたれば汗はいまだに消ゆることなし[75]。
それがしは大将康皮力、兄弟は副将范当災。帳房で焼肉を食らっていると、殿さまがお呼びだから、行かねばならぬ。左右のものよ、取り次いでくれ。われら二人の将軍が参りましたと。
(卒子)かしこまりました。(報せる)喏、殿さまにお知らせします。康皮力、范当災が参りました。
(秦の昭公)通せ。
(卒子)かしこまりました。行かれませ。
(二人の将軍が見える)殿さまが今日われら二人を呼ばれましたのは、何事にございましょう。
(秦の昭公)おまえたち二人を呼んだのはほかでもない。趙の相如がわたしをひどく欺いたため、今からおまえたち二人を遣わし、十万の秦軍を率いさせ、趙国と鋒を交えさせ、藺相如だけを出馬させるのだ。藺相如を捕らえてきたら、おまえたち二人に手厚い褒美を与え、官職に封じよう。
(浄の康皮力)殿さま、ご安心ください。廉頗、相如は、優れたものではございませぬ。わたしたち二人が兵を率いてゆけば、活きているのをお望みでしたら生け捕ってき、死んでいるのをお望みでしたら首級を斬ってまいりましょう。わたしはただちに趙国を平らげて、藺相如を生け捕ってまいりましょう。殿さまのお考えはいかがでしょうか。
(秦の昭公)勝利を得、帰還するなら、官位を加え、褒美を賜おう。
(浄の范当災)本日は兵を率いて、長の旅路に着くとしよう。大小の三軍よ、わが軍令を聴け[76]。
ゆくへには甲馬[77]を並べ、そぎへには旌旛を列ねよ。先頭に五路先鋒を並べ、後方に青龍白虎を列ぬべし。太歳は土科に従ひ、太尉は将軍に道案内せよ[78]。門神と戸尉は[79]、紙を剪りなしたる神刀を肩に掛くべし。井神と竈神は、紙を張りつけたる巨斧を手に握るべし。陣に上らば「己を知り彼を知る」べし[80]、闘はば千たび戦ひ千たび勝つべし。われら二人の将軍は勇猛にしてまことに賢く、軍卒人馬は両脇にしぞ並びたる。われらがすべて殺されば、家では霊を安置して法事せよかし。(退場)
(秦の昭公)二人の将軍は行ってしまった。行けばかならず成功しよう。することがないから、とりあえず後堂に戻ってゆこう。(退場)
(廉頗が卒子を率いて登場)恨みが小さくば君子にあらず、毒なくば丈夫にあらず[81]。
それがしは廉頗。宴席で、相如はあのように立派な官職に封ぜられ、それがしと同列となった。それがしは怒りを抱き、宴が散じると、人を遣り相如を打ち倒させた。聞けば相如は家で病に罹っており、参内せぬとか。かれはそれがしの勇力を恐れ、きっとわたしを害する心を持っていよう。今日は副帥呂成を使い、相如を見にゆかせよう。相如の言葉が穏やかならば、それがしは詫びにゆくが、わたしを害する心があるなら、それがしはさらに手を打つことにしよう。左右の者よ、どこにいる。呂成を呼んできてくれ。
(卒子)かしこまりました。呂成どのはいずこにいられる。
(外が呂成に扮して登場)少年にして将となり猛兵を率て、鉄馬金戈はしばしも停まることぞなき。謀略に拠り天下を安んじ、副帥や元戎に封ぜられたり[82]。
それがしは趙国の参謀呂成。それがしは文は三略に通じ、武は六韜を解し[83]、しばしば大功を建てたため、参謀の職に封ぜられている。今日は元帥がお呼びだが、何事だろうか。行かねばならぬ。(見える)将軍さまが呂成を呼ばれましたのは、何事にございましょう。
(廉頗)参謀よ、呼んだのはほかでもない。以前の宴で、それがしは人を遣り、相如を殴らせた。今、聞いたところでは、相如は数日参内せず、家で病に罹っているとか。あの者はかならずわたしを傷う心を持っていよう。
(呂成)元帥さま、思いみますに、相如は舌剣により秦国を威圧し、胆力により璧を守って戻りましたから、肱股忠烈の士でございます。将軍さまが同列となることを恥じ、怒りを抱き、人を遣り、あのかたを殴らせたため、家で病になっているのでございましょう。元帥さまのお心はいかがでしょうか。
(廉頗)参謀よ、わたしは今日、そなたとともに相如の邸宅に行こう。そなたは見舞いにゆくと言え。わたしは入り口で待つとしよう。相如が国を思うことを言ったら、わたしはへりくだり、荊を負って罪を請おう。相如が不遜なことを言ったら、さらに手を打つことにしよう。
(呂成)元帥さまの仰る通りでございます。今日は相如の邸宅へ訪ねてゆきましょう。(ともに退場)
第四折
(侍従が正末を扶けて登場)
(正末)あの日、酒宴の後、家に戻ってから、病に罹り、動けなくなってしまった。
(侍従)大夫さまのご病気は、停食傷飲[84]でございましょう。医者を呼び、診察させれば宜しいでしょう。
(正末)おまえ。わたしはそんな病気ではない。廉頗があの日、それがしと従者を殴ってからというもの、怒りを感じ、門を閉ざして出ないのだ。
(侍従)思いみますに、大夫さまは璧を守って国へ還られ、澠池会ではあのように勇猛でした。大夫さまの謀略がございませねば、殿さまは国へお還りあそばされなかったでしょう。大夫さまの功績は、廉頗の右にはございませぬのに[85]、なぜ恐れるのでございましょう。
(正末)おまえ。おまえは知らぬであろうが、われら臣たるものは、赤心により国に報い、私怨を忘れるべきなのだ。(唱う)
【双調】【新水令】当今の帝王は唐堯に勝り、われら文武は忠孝の心を尽くせり。廟廊に在りて愁は戚戚、国家を治め鬢は蕭蕭たるにもあらず。廉頗よ、おまへが跋扈して傲慢なれば、わたしは怒り、病気に罹り、湯薬を進められたり。
(正末)侍従よ、入り口で見張っていろ。人が来たら、わたしに知らせろ。
(侍従)かしこまりました。
(廉頗が呂成とともに登場)(廉頗)はやくも着いた。参謀よ、さきに行け。
(呂成)左右のものよ、取り次いでくれ。参謀呂成がわざわざ訪ねてまいりましたと。
(侍従)かしこまりました。大人にお知らせします。参謀さまが入り口にいらっしゃいます。
(正末)どうぞ。
(侍従)かしこまりました。どうぞ。(見える)
(正末)先生にはご来臨たまわりまして。お掛けください。
(呂成)丞相さま、お顔は以前と同じで、端然としていらっしゃいます。何の病気でございましょう。
(正末)わたしの病は、(唱う)
【歩歩嬌】東華にて待漏[86]し、風寒に冒さるることになどかはえ耐ふべき。
(呂成)飢飽労役[87]によるものでございましょう。
(正末が唱う)公務は煩雑なるものなれば飢飽とならん。
(呂成)ご病気は風寒暑湿[88]によるものでございましょう。
(正末が唱う)ひとへに年老いたるがためなり。
(呂成)薬を飲んだらいかがでしたか。
(正末が唱う)内外が傷はれ、病には耐へがたきなり。
(呂成)ほかに医者を呼んで診させましょう。
(正末が唱う)この病は癒ゆべけん、
(呂成)医者に病気の原因を調べさせ、薬を飲めばかならず癒えることでしょう。
(正末が唱う)たとひかの扁鵲ありとも癒すは難きことならん。
(呂成)丞相どの、この病は薬で癒せないのですね。あなたの病は、怒りが胸に満ちたのに感じたのでしょう。かならずや廉将軍のせいでしょう。
(正末)廉将軍のせいではございませぬ。もともとわたしは病身だったのでございます。
(呂成)丞相どの、あなたは経綸済世の才能と、天地を補完する手腕があり、三寸の舌により、璧を守って帰朝なさり、豪毅さにより、澠池会で上さまを救い、難を除かれた。丞相どの、どうして廉将軍を恐れる。
(正末)先生、それは間違いでございます。
(呂成)丞相どの、わたしにどんな間違いがございます。
(正末)廉将軍はわたしほど優れていませぬ。
(呂成)廉将軍は優れてはいませんが、あなたの名声は七国に知られています。
(正末)廉将軍は秦公に比べていかがか。
(呂成)秦の昭公は虎狼の国、猛兵は百万、武将は千員、廉将軍は比べものにもなりませぬ。
(正末)思えば秦公は澠池会で、大将数人、猛兵百万を列ねていたが、わたしはたった一人で、剣を抜き、目を瞠り、叱咤して、一喝し、諸将らを近づけず、昭公に缶を撃たせたのだ。酒宴がおわると、趙公さまをお守りし、無事にご帰国させたのだ。廉将軍一人をどうして恐れよう。今、秦国が趙国と戦をしようとしないのは、われら二人がいるからだ。今かりに、両虎がともに闘えば、その勢いは共倒れになる。わたしがこのようにしているのは、国家の急を先にしているのだ。わたしが廉将軍を恐れるものか。
(呂成)丞相さまは国を安んじる策を持ち、危難を救うために憂えていたのですから、忠孝両全、人中の傑物でございます。廉将軍は万一も及びませぬ。
(正末が唱う)
【沈酔東風】われら文官武官には諍ひはなし、兄弟に勝るものなればなどかは情の薄からん。われらは同じ宮殿の臣、仲の良き通家に勝り[89]、よく人と交はりし晏平仲にはるかに勝れり[90]。
(呂成)丞相さまと廉将軍とは、忠を尽くす、同じ宮殿の肱股の臣でございますから、旧怨を思われてはなりませぬ。
(正末が唱う)われら二人は、力を尽くし、誠を推して、聖朝を輔け[91]、
(呂成)趙国にとって、丞相さまと廉将軍は、国を安んじる臣でございます。
(正末が唱う)いかでかは、国を立て、国を安んずるこのすばらしき宝とえならん。
(呂成)丞相どの、日を改めて訪ねてまいります。失礼いたします。
(正末)先生、失礼いたしました。
(呂成が門を出、廉将軍に見える)廉頗さま、さきほど相如丞相は言っていました。今、秦国が趙と戦をしようとせぬのは、われら二人がいるからだ。今、両虎がともに闘えば、共倒れになる。このようにしているのは、国家の急を先にして、私怨を後にしているのだと。見たところ、相如は仁人君子の心を持っており、将軍さまはあのかたに遠く及びませぬ。(退場)
(廉頗)相如がそのように寛い度量を持ち、心を尽くして国に報いようとしているのなら、それがしはかれには及ばぬ。本日は肉袒し、荊を負って、門に行き、謝罪し、刎頚の交わりを為すべきだ。(門に着く)左右のものよ、取り次いでくれ。廉将軍が門を叩く、荊を負って罪を請いにまいりましたと。
(侍従)かしこまりました。大夫さまにお知らせします。廉将軍が入り口にいらっしゃいます。
(正末)何事だ。
(侍従)廉将軍が荊を負って罪を請いにこられました。
(正末)どちらにいられる。
(侍従)入り口にいらっしゃいます。
(正末が唱う)
【落梅花】がやがやと人は騒げば、ふはふはと魂魄は消ゆ、
(門を出、唱う)廉将軍が門を叩きて来るなり。
(廉頗)大夫どの、廉頗は愚鈍な人間で、仁義を知らず、たいへん失礼いたしました。どうか大夫どのには罪をお許しくださりますよう。
(正末が跪く)将軍どの、立たれよ。
(廉頗)大夫どの、われらは同じ宮殿の臣、過日のご無礼は、お咎めになりませぬよう[92]。
(正末が唱う)怒りの拳のわが身をまた殴らんことを恐れたり。なにゆゑぞわれはいそいで笑顔を作り哀願したる。
(廉頗)大夫どの、廉頗は間違いが多うございました。本日は門を叩き、荊を負い、罪を請います。大夫どの、お許しください。
(正末)将軍どの、なぜそのようになさる。
(廉頗)丞相どの、「君子は旧悪を思はず」と申しませぬか。丞相どのには廉頗の罪をお許しになりますよう。
(正末が唱う)
【殿前歓】わたしは本日、みづから思へり、
(廉頗)われらは同じ宮殿の臣下ですから、旧怨をお忘れください。
(正末が唱う)わたしとおんみは風雲会する旧き臣僚。
(廉頗)大夫どの。趙国にわれら文武二人の勇がいれば、各国の英雄たちを恐れることはございませぬ。
(正末が唱う)今、偏邦は辺徼を侵さんとせず[93]。
(廉頗)みなわれら文武二人を恐れています。
(正末が唱う)われら文武の豪傑をしぞ恐れたる。おんみは海の涛に掛く紫金の梁のごとくして、わたしは雲の表を侵す白玉の柱にぞ似る。
(廉頗)以前宴席で、乱暴にして、兄弟の誼を傷うべきではございませんでした。
(正末が唱う)もしみづからを傷はば、趙国を傾けて[94]、
(廉頗)大夫どの、わたしが間違っておりました。本日、悔いても手遅れではございますが。
(正末が唱う)秦朝を喜ばすことならん。
(卒子)皆さま方にお知らせします。今、秦の将軍が兵を率いて城下に来、戦いを挑んでいます。
(正末)構いませぬ。今日は廉将軍とともに秦の将軍を捕らえにゆきましょう。
(廉頗)大夫どのは功績を、以前に示していらっしゃいます。今日は廉頗が大夫どのとともに猛兵を率い、秦の将軍を捕らえにゆきましょう。
(正末が唱う)
【水仙子】堂堂たる陣勢に喊声高く、赳赳たる軍卒は戦鼓を敲き、重重たる鞍馬に征雲は籠む。大将軍どのの豪き気勢にひとへに頼れば、秦国を破るはさだめし今日ならん。廉元帥は『三略』を活用し、藺相如は『六韜』を運用し、山河を保ち、ともに功を立つべけん。(ともに退場)
(浄の康皮力、范当災が登場)
(浄の康皮力)大小の三軍は陣を布いた。遠くで土埃が起こっているのは、趙国の兵が来たのであろう。(正末が廉頗とともに馬に乗って登場)
(廉頗)大夫どの、行く手に来たのは秦国の軍兵ではございませぬか。わたしが捕らえることにしましょう。
(正末)来たのは誰か。
(浄の康皮力)われらは秦の将軍の康皮力、范当災。大軍を率い、無名の将軍のおまえを捕らえにきたのだ。
(正末)こちらは澠池会よりも楽だわい。太鼓を叩け。(唱う)
【雁児落】旗は並びて雲影のごと飄り、炮は響きて雷霆のごと噪しきなり。弓は引かれて秋月は円かにて、箭は発せられ流星は落つ。(陣を調える)(唱う)
【得勝令】たちまちに屍は山と積み、鮮血は波と滾てり。子を求め父を捜して喚きたて、兄を呼び弟を呼び叫ぶなり。われわれの将帥は勇猛にして、霧を撞く天辺の鷂のやう。かれらの兵馬は逃走し、風に舞ふ雲外の鶴にぞ似たる。(浄の康皮力、范当災を捕らえる)
(廉頗)大夫どの、わたしは今日、秦国の二人の将軍を生け捕ってき、兵たちを斬り尽くし、殺し尽くしました。
(正末)殿さまにお目通りしにゆきましょう。(ともに退場)
(趙の成公が卒子を率いて登場)それがしは趙の成公。澠池会から戻ってこのかた、廉頗将軍は大夫相如と仲睦まじくしていなかった。それがしが人を遣り、かれら二人を和解させると、廉将軍は荊を負って罪を請い、刎頚の交わりを結んだ。酒宴の最中、秦の将軍が兵を率いて戦いを挑んできたので、かれら文武二人は、趙の兵を率い、秦と鋒を交えている。行けばかならず勝利を得よう。左右のものよ、入り口で見張っていろ。来たときは、わたしに知らせろ。
(卒子)かしこまりました。
(正末が廉頗とともに登場)
(廉頗)大夫どの、本日は秦国の二将軍をこちらに捕らえておりまする。
(正末)あいつを縛り、殿さまにお目通りしにゆこう。
(廉頗)はやくも着いた。左右のものよ、取り次いでくれ。相如、廉頗が参りましたと。
(卒子)かしこまりました。(報せる)喏、殿さまにお知らせします。相如、廉頗が参りました。
(趙の成公)通せ。(見える)
(趙の成公)そなたら二人の将軍は、長旅ご苦労であった。
(正末)殿さまの虎威により、賊を生け捕ってまいりました。
(趙の成公)二人の将軍のおかげで賊を捕らえた。
(正末)この功労は、廉将軍によるものでございます。
(廉頗)わたしの手柄ではございませぬ。大夫が計略を用いたことによるものでございます。
(趙の成公)二人の将軍よ、陣頭でどのように鋒を交えた。話してみよ。
(正末が唱う)
【沽美酒】敗残軍はことごとく勦討せられ、賊魁は捕らへられ、皇朝に献ぜられたり。凶悪なものを馳せ、粗暴なるさまを示して、むりやりにわれらに無瑕の宝玉を要求し、澠池会にていたくわれらを辱めにき。
(趙の成公)本日は宴を調え、官位を加え、褒美を賜う。
(正末が唱う)
【太平令】瑟を弾き、宴席に楽を奏でて、金鍾を捧げつつ、笑まひの裏に刀を隠せり。倫理に背き、倫理を傷ひ、霸道を行ひ、王道に従ふことなし。こいつを縛り、仕置場に行き、一刀のもとに処刑し、宴を設け、三軍をしぞ労はん。
(趙の成公)秦の将軍を連れ出してゆき、殺すのだ。
(浄の康皮力)ご褒美に感謝いたします[95]。
(浄の康皮力が退場)
(趙の成公)そなたたち二人は、わたしが官位を加え、褒美を賜うのを聴け。
趙国の廉頗は征戦するに長け、大夫相如は機略が多し。武は趙国を安んじて乾坤を定め、文は顔曾[96]にも賽りよく直諌す。璧を守りて国へ還るは真の丈夫、会盟すれば主君を救ひ金殿に還らしめたり。極品の官に封じて禄は千鍾[97]、封土をば与ふれば人々が羨むに堪ふ。金印を掛け紫衣を着て朝臣となり、簫韶の楽を奏でて宴を開けり[98]。
(正末が唱う)
【折桂令】金鑾殿に簫韶の楽を奏でたり。
(趙の成公)そなたら二人は斉家治国し、力を尽くし、忠を尽くしているから、宴を設け、款待しよう。
(正末が唱う)宝篆の香は飄り、絳蝋の光は揺らげり。
(廉頗)大夫どの、わたしは一人[99]の洪福に頼り、七国の干戈を定め、天下は太平、万民は安楽でございます。
(正末が唱う)今、万乗は登基したまひ、百司は進礼し[100]、四海は来朝したるなり。
(趙の成公)おまえたちは国のために功績を立てたから、今日は官職に封じ、褒美を賜おう。
(正末が唱う)本日は、功績を褒め、官位を進め、功労を賞で、封土を賜へり。
(廉頗)「一人に慶有れば、兆民は之に頼る[101]」と申します。
(正末が唱う)今、黎庶は歌謡して、風雨は順調。万世の皇図にては、地は厚く天こそ高けれ。
(趙の成公)澠池会のため怨みを結べり、趙国の公卿に二賢あり。武将廉頗は社稷を安んじ、相如の機略は古今に伝はる。そなたには上卿の位を加へ、頭庭相[102]にするとせん。廉頗よ、そなたは三軍を率て金印を懸く。本日は文臣と武将が天下を安んぜり、皇朝をながく守れよ万万年。(ともに退場)
題目 趙廉頗伏礼親負荊
正名 保成公径赴澠池会
最終更新日:2007年10月18日
[1]『史記』秦本紀「秦之先、帝顓頊之苗裔」。
[2]『史記』秦本紀【索隠述賛】「造父善馭、封之趙城」。
[3]『史記』殷本紀「紂又用悪来」索隠「秦之祖蜚廉子」。
[4]『史記』秦本紀「繆公聞百里傒賢、欲重贖之、恐楚人不与、乃使人謂楚曰、吾媵臣百里傒在焉、請以五羖羊皮贖之。楚人遂許与之」。
[5]『黄鳥』は『詩経』の篇名。『詩経』黄鳥序「黄鳥、哀三良也。国人刺穆公人従死、而作是詩也」。
[6]秦嬴から数えて穆公まで十四代。
[7]古の九州の一つ。陝西、甘粛と青海省の一部。
[8]原文「不与中国諸侯之会盟」。「之」は衍字か。
[9]山西省の地名。舜が都を置いたところ。
[10]河南省にある関の名。『史記』秦紀「十四年、左更白起攻韓、魏於伊闕」注「正義括地志云、伊闕在洛州南十九里。注水経云、昔大禹疏龍門以通水、両山相対、望之若闕、伊水歴其間、故謂之伊闕。按、今洛南猶謂之龍門也」。
[11]原文「今天下七国皆来伏秦」。「天下七国」が未詳。秦を除く戦国の七雄と周を指すか
[13]春秋時代の国名。現在の河北省。趙に滅ぼされた。
[14]『史記』趙世家「二十年、王略中山地、至寧葭」注「索隠一作「蔓葭」、県名、在中山」。
[15]原文「弧矢之間顕丈夫」。「弧矢」は弓と矢。「弧矢之間」は未詳。戦の場ということか。
[16]原文「伐斉曽破登莱路」。「登莱」は登州、莱州。ともに斉の領内の州名。
[18]三つの川。、渭、洛の三川を指すほか、諸説ある。
[19]関中地方の八つの川。『初学記』巻六引『西征記』参照。また、関中地方を指す。
[20]原文「華夷図上看、陝右最為頭」。華夷図は唐の賈耽が描かせた、華夷の山川の図。『旧唐書』巻一百三十八・列傳第八十八・賈耽「至十七年、又譔成海内華夷図及古今郡国県道四夷述四十巻、表献之、曰、臣…謹令工人画海内華夷図一軸、広三丈、従三丈三尺、率以一寸折成百、奠高山大川、縮四極於繊縞、分百郡於作絵。宇宙雖広、舒之不盈庭、舟車所通覧之、咸在目」。写真:画像元ページ。「陝右最為頭」は未詳。「陝右」は陝西のこと。
[21]原文「播一個清史内名揚賛」。「清史」は「青史」の誤字であると解す。
[22]原文「解了那麒麟殿上趙公憂」。「麒麟殿」は未詳。漢代にこの宮名がある。ここでは漠然と宮殿のことであろう。
[23]『韓非子』和氏「楚人和氏得玉璞楚山中、奉而献之脂、、脂、使玉人相之、玉人曰、石也。王以和為誑、而刖其左足。及脂、薨、武王即位、和又奉其璞而献之武王、武王使玉人相之、又曰、石也、王又以和為誑、而刖其右足。武王薨、文王即位、和乃抱其璞而哭於楚山之下、三日三夜、泣尽而継之以血。王聞之、使人問其故、曰、天下之刖者多矣、子奚哭之悲也。和曰、吾非悲刖也、悲夫宝玉而題之以石、貞士而名之以誑、此吾所以悲也。王乃使玉人理其璞而得宝焉、遂命曰、和氏之璧」。
[24]原文「原来此玉不為真宝」。前後とのつながりが未詳。とりあえずこう訳す。
[25]原文「白起做背与秦公云」。未詳。とりあえずこう訳す。わざとおかしな動作をしているのか。
[26]原文「便蕩過黄河退灘」。「蕩過」は舟を浮かべて渡ることであろう。「退灘」が未詳。とりあえずこう訳す。
[27]原文「語言間、別有機関」。未詳。とりあえずこう訳す。
[28]原文「莫使直中直、提防人不仁」。当時の諺。上辺がとても正直そうな人を用いるより、不実な人間に用心する方が大事だということ。「莫使直中直、須防人不仁」「莫信直中直、須防人不仁」「莫信直中術、須防人不仁」「不信直中直、須防仁不仁」とも。
[29]原文「想相如心如曲珠」。「曲珠」はまったく未詳。
[30]原文「便拿将相如来、則是他一個人」。相如を捕らえてきたとしても、璧は手に入らないということであろう。
[31]原文「覷玉璧何罕之有」。「玉璧はあなたのものになるので、珍しいものではなくなる」という趣旨に解す。
[32]原文「事有足詫、物有固然」。びっくりするようなことにも、実は合理性があるという趣旨の諺。とりあえずこう訳す。「事有斗巧、物有故然」とも。
[33]原文「若不是片語投機、論阿諛揣情磨意」。未詳。とりあえずこう訳す。主語は藺相如で、かれが秦王の機嫌を損ねまいとしたことを述べた句であると解す。
[34]原文「一言而可以興邦、一言可以喪邦」。『論語』子路「定公問、一言而可以興邦、有諸。孔子対曰、言不可以若是其幾也。人之言曰、為君難、為臣不易。如知為君之難也、不幾乎一言而興邦乎。曰、一言而喪邦、有諸。孔子対曰、言不可以若是其幾也。人之言曰、予無楽乎為君、唯其言而莫予違也。如其善而莫之違也、不亦善乎。如不善而莫之違也、不幾乎一言而喪邦乎」。
[35]原文「上卿之職位何極」。未詳。とりあえずこう訳す。
[36]高くそばだつ牙旗。牙旗は将軍の旗。
[37]大きな旗。
[38]原文「不肯将善人推、則待把賢門閉」。「賢門」は賢者を登用する路。
[39]原文「于礼何為」。未詳。とりあえずこう訳す。
[40]原文「不説那定国謀、安邦計、倒与我個濫叨功名弥天罪」。「弥天罪」は天にも届くほど大きな罪。「迷天罪」とも。
[41]帝王の謀。
[42]『論語』季氏「危而不持、顛而不扶、則将焉用彼相矣」。
[43]原文「養軍千日、用在一朝」。諺。軍を養うのは、一旦緩急があるときに備えるためということ。「養軍」が「養兵」、「一朝」が「一時」になる用例もある。
[44]原文「倘或主公有些差失、誰人承認」。「承認」は「承担」と意であると解す。
[45]原文「盟府是公卿宰職」。未詳。盟府は誓約書を入れておく庫。宰職は宰相、大臣の職。居並ぶ大臣たちを、誓約書を保管する庫に例え、証人としたものか。
[46]原文「你説道面搽紅粉的不便宜、則我這六陽会首不相虧」。「則我這六陽会首不相虧」は廉頗が、藺相如は首を失っても損をしたとはいえないと発言したことを述べた句であろう。
[47] 原文「昧己瞞心把天欺」。前後とのつながりが未詳。
[48]原文「若到那筵宴間、有些児個生逆図」。「生逆図」が未詳。とりあえずこう訳す。
[49]原文「消的我掣虹光手掿著錕ム」。「掣虹光」は「掿錕ム」と対になっているから剣の名のように思われるが、このような剣はなく、未詳。「錕ム」は「昆吾」「昆吾剣」「昆吾刀」とも。昆吾国で産する剣。『海内十洲記』「周穆王時、西胡献昆吾割玉刀、長一尺、切玉如切泥」。
[50]原文「我可也見義不為大丈夫」。この句はいうまでもなく『論語』為政「見義不為、無勇也」を踏まえたものだが、「見義不為大丈夫」とは、『論語』の趣旨と百八十度方向が反対で、いかにもおかしい。「大」は「不」の誤字であろう。
[51]原文「我則見他叙寒温相別間阻」。「相別間阻」は未詳だが、訳文の趣旨であろう。時候の挨拶を述べ、「(ながらく)お会いしませんでした」と言うのであろう。
[52]原文「何曽道断続」。「断続」が未詳。とりあえずこう訳す。「断続」は偏義詞で、「断」に実際上の意味があるものと解す。「続」は韻字。
[53]大きな領土。
[54]原文「普天下謳歌道泰咸伏」。「道泰」は行いが正しいこと。
[55]「飾非」は黒を白と言いくるめること。『史記』殷本紀「帝紂資辨捷疾、聞見甚敏、材力過人、手格猛獸、知足以距諌、言足以飾非」。
[56]原文「堯舜為発政施仁立帝都」。「発政施仁」は仁政を行うこと。『孟子』梁恵王上「今王発政施仁、使天下仕者皆欲立於王之朝、耕者皆欲耕於王之野、商賈皆欲蔵於王之市、行旅皆欲出於王之塗、天下之欲疾其君者皆欲赴愬於王」。
[57]三つの古典。諸説ある。
[58]孫臏が龐涓と戦った際、次第に竈の数を減らし、兵が逃亡していると偽装して龐涓を油断させた故事に因む句。『史記』孫子呉起伝参照。
[59]李牧は趙の北辺を守っていた良将。『史記』巻八十一に伝がある。
[60]原文「燕楽毅破斉不攻不取」。『史記』にはまったく逆の記述がある。『史記』楽毅伝「楽毅攻入臨菑、尽取斉宝財物祭器輸之燕」。
[61]原文「田穰苴誅荘賈文武全倶」。田穰苴は春秋、斉の将軍。大司馬となったため、司馬穰苴ともいう。『史記』巻六十四に伝がある。荘賈は春秋、斉の大夫。田穰苴の監軍であったが、期日に遅れたため斬られた。
[62]原文「武安君出奇兵快搗虚」。「搗虚」は「擣虚」に同じ。すきをつくこと。
[63]『史記』田単伝「田単乃収城中得千余牛、為絳処゚、画以五彩龍文、束兵刃於其角、而灌脂束葦於尾、焼其端。鑿城数十穴、夜縦牛、壮士五千人隨其後。牛尾熱、怒而奔燕軍、燕軍夜大驚。牛尾炬火光明R燿、燕軍視之皆龍文、所触尽死傷。五千人因銜枚撃之、而城中鼓譟従之、老弱皆撃銅器為声、声動天地。燕軍大駭、敗走」。
[64]戦国、楚の人。『戦国策』楚策に見える。
[65]戦国、秦の人。『戦国策』秦策、『史記』巻七十九に見える。
[66]原文「俺為臣者生死不避也」。「生死」は「死」に重点があろう。
[67]虎のような体躯のことであろう。『佩文韻府』引白居易『騶虞画賛』「不識其形、得之于図、白質黒文、猊首虎躯」。
[68]原文「他正是撩蜂剔蠍胡為做」。「蜂」「蠍」は康皮力、范当災を喩えていると解す。
[69]原文「骨碌碌睜怪眼衝冠怒」。『史記』廉頗藺相如伝「王授璧、相如因持璧卻立、倚柱、怒髮上衝冠」に基づく句。
[70]原文「明晃晃剣離匣生殺霧」。「殺霧」は未詳だが、「殺気」に同じいであろう。「霧」は韻字。
[71]原文「我和他愛的做、和你那錦片也似秦川做不的主」。「我和他」は藺相如と趙成公を指していると解す。「愛的做」は未詳。とりあえずこう訳す。「和你那錦片也似秦川做不的主」も未詳だが、『晋書』列女伝に見える、錦を織って回文詩を作り、夫の帰りを促した、晋の竇滔の妻蘇氏、すなわち秦川女の故事を踏まえているであろう。ただ、この句、「你那錦片也似秦川」の部分は「秦」にしか実際上の意味はなく、言いたいことは「秦王の思うようにはさせなかった」ということなのであろう。そう解す。『晋書』列女伝・竇滔妻蘇氏「竇滔妻蘇氏、始平人也、名宦A字若蘭。善屬文。滔、苻堅時為秦州刺史、被徙流沙、蘇氏思之、織錦為迴文旋図詩以贈滔」。なお、蘇氏のことを「秦川女」と称するのは、庾信『烏夜啼』に「弾琴蜀郡卓家女。織錦秦川竇氏妻」とあることによる。
[72]原文「澠池会上要相図」。「要相図」が未詳。とりあえずこう訳す。
[73]原文「覷那六国秦邦一鼓収」。「一鼓収」は未詳だが、「一鼓可破」「一鼓抜」などという言葉があり、軍鼓を一回鳴らすだけで、敵を破ったり、城を抜いたりすること、たやすく敵を破ることをいう。「一鼓収」もこれと同義であろう。「収」は韻字。
[74]原文「使尽自己心、笑破他人口」。諺。さんざん謀略を巡らした挙げ句、失敗し、笑い種になること。「使砕自己心、笑破他人口」とも。
[75]原文「臨軍対壘先逃命、買売帰来汗未消」。「買売帰来汗未消」は元曲でよく使われる登場詩の句。普通は「買売帰来汗未消」は商売に勤しむさまをいう、元曲の常套句。『東堂老』、『范張鶏黍』、『趙礼譲肥』、『生金閣』、『黒旋風』、『金鳳釵』、『遇上皇』などに用例あり。『澠池会』のこの例のように、武将が使った例は珍しい。ここでは「買売帰来」には実際上の意味はないのであろう。
[76]以下の命令、全体的に意味未詳。わざとおかしなことを言っているか。
[77]鎧を着た馬。
[78]原文「太歳与土科相跟、太尉与将軍引路」。太歳は凶神。「土科」はまったく未詳。とりあえずこう訳す。
[80]『孫子』謀攻「知彼知己、百戦不殆」。
[82]原文「官封副帥作元戎」。未詳。とりあえずこう訳す。「元戎」は主将。
[83]原文「為某文通三略、武解六韜」。未詳。とりあえずこう訳す。
[84]「停食感冒」というものがある。謝観等編著『中国医学大辞典』千二百七十頁参照。「傷飲」は「飲傷」とも。飲み過ぎ。謝観等編著『中国医学大辞典』七百十七頁参照。
[85]原文「不在廉頗之右」。右にあるものの方が優れたものであると思われるのだが、なぜこのような言い方をするのか未詳。とりあえずこう訳す。
[86]入朝する前に、漏刻の合図で宮門が開くのを待つこと。
[87]「飢飽」は飢餓と満腹であろう。「労役」は疲労であろう。
[88]寒風、寒気、暑気、湿気。
[89]原文「俺須是一殿臣、勝似那通家好」。「通家」はみずからの息子娘が結婚している親同士。
[91]原文「俺両個竭力推誠輔聖朝」。「推誠」は真心を人に移し及ぼすこと。
[92]原文「大夫、看俺一殿之臣、旧日之交、休得見怪」。「旧日之交」が未詳。とりあえずこう訳す。
[93]原文「如今偏邦豈敢侵辺徼」。「偏邦」という言葉は未詳。隣国か。「辺徼」は辺境のとりで。
[94]後ろの「秦朝を喜ばすことならん」に続く。
[95]原文「謝齎発了」。「齎発」は贈り物。処刑が決定されたことに対して、皮肉を言ったもの。
[96]孔子の高弟顔回、曽参。
[97]鍾は量の単位。六斛四斗とも、八斛とも、十斛ともいう。
[98]『書』益稷「簫韶九成、鳳凰来儀」。
[99]天子のこと。
[100]百司は多くの役人。進礼は礼物を進上すること。
[101]この句、『書経』呂刑、『礼記』緇衣、『左伝』襄公十三年、『孝経』天子章などに見える。
[102]頭庁相とも。元曲で用いられる語で、宰相、大官をいう。