稽神/再補

 

鄂州の小将[1]

鄂州の小将某は、もともと農家の子であった。仕えると、豪族と結婚してその古女房を謀殺しようとした[2]。そしてともに帰寧し、途中で殺し、屍を江のほとりに棄て、同行の下女をも殺した。その後、走ってその家に告げ、号泣して言った。「盗人に殺されました。」、人々は疑わなかった。数年後、命を奉じて広陵にゆき、宿屋に泊まった。見ると一人の女が花を売っており、殺した下女にひどく似ていた。近づくと、まさにその下女であった。自分を見ても再拝した[3]。そこで尋ねた。「人か幽鬼か。」「人でございます。以前賊に襲われ、さいわいにして死にませんでした[4]。意識が戻りますと、商船を見つけ、載せてもらって東に下りました。今はこちらで、奥さまと体を売り、食費を稼いでいるのでございます。」某はさらに尋ねた。「女房はどこにいる。」「近くにいらっしゃいます。」「会えるか。」「はい。」すぐについて去った。裏町の中で、一軒の貧しい家を指さして言った。「こちらです。」下女は先に入った。まもなく、その妻が出てき、相見え、悲しんで泣き、くわしく苦しみを述べた。某もぼんやりとし、予測がつかなかった。まもなく食を設け、酒を調え、さらに招き入れ、飲食を従者に置き、みな酔った。日が暮れても出てこなかった。従者がすこし進んで窺うと、寂として人がいないかのようであった。そこでまっすぐ部屋に入ると、ただ白骨が一揃いあるばかり、衣服は裂け、流血は地に満ちていた。その隣人に尋ねると、言った。「こちらは空家で、久しく住むものがおりません。」

 

核桃を食らうこと

楊子[5]の留後[6]尭卿の家に、雇われているものがおり、使われてすでに久しかった。ある日、数升を容れられる、大きな桃の核を持ち、尭卿に献じた。尭卿はその異常を知り、すこし磨ってとって食らった。食らいつくすと、たいへん身軽だと感じた。尭卿の(したやく)ぶりは、貪婪残虐であったが、畢師鐸[7]の難のとき、住居の後閣の井戸の中に投身して死んだ。師鐸は尭卿に似たものを探して殺した。後にその旧宅を得たものは、ひそかにかれの屍が井戸の中にあることを知り、取ってこれを得たところ、全身はすっかり腐爛していたが、臓腑は金となっているものがあった。

 

沙を掬い人を攻撃すること

新安の人生は病が篤くなって死んだことがあった。納棺すると、突然幽鬼が、披髪跣足して、門から入り、すぐに(もがり)の場所にゆき、沙を掬い、人を攻撃した。人々が驚いて逃げると、すぐに椎の声が騒がしく聞こえた。しばらくして、ちらと見ると、衣冠は儼然とした一人の男が、厨の中に入り、まもなくすぐに出ていった。墓にゆくと、家人は臨検しようとしたが、棺はすでに開いており、中も空であった[8]。数か月して、建康から手紙を寄こして言った。「わたしが死んだ後、幽鬼がわたしを救い、活かした。寝ると、たいへんのどがいたので、すぐに厨房に入って飲みおわったが、まだぼんやりとしており、しらぬまに門を出て、今、都にいる。」一年あまり後に帰り、人はみな「帰魂」と呼びなした。

 

大工

鄱陽山中に大工があり、秦の時に阿房宮を造った時に木を採ったものだ、木の実を食らい、不死を得たとみずから言っていた。しばしば民間に近づき、酒を買い、よく飲んだ。詩を一章作って言った。「酒尽(さけつ)くれば(きみか)ふなかれ()(かたむ)けばわれは(はつ)べし。城市(じやうし)(がう)(ぢん)[9](おほ)ければ(やま)(かへ)明月(めいげつ)(はい)せん。」

 

 干大

洪州[10]の西山に樵がおり、みずから干大[11]と称し、人々はかれの名を知らなかった。しばしば村落に出てきたが、人と接すれば、拱揖するだけで、一言も交わさなかった。人が尋ねようとすると、かならず揖して去った。ある若者は、かれが出てくるのを待ち、拝礼して言った。「先生にお仕えすることを願います。」干大は驚いて去ろうとした。若者がいそいでその衣褐[12]を捉え、ついてゆくと、干大は言った。「あなたは何ものか。」すぐに答えた。「先生にお仕えすることを願います。」拝しながらゆき、難所を経しばしも放さなかった。しばらくすると、(たにがわ)の傍に坐して言った。「茶がほしいか。」若者は言った。「はい。」すぐに衣襟を開いて茶の粉末をとり、若者の掌に置き、水を掬って飲みおわらせた。そして臥し、しばらくして目ざめると、干大はいなくなっていた。(そま)(みち)をさがして、分寧県[13]に出、数日して家に帰った。若者はそれから身軽で病がなかった。

 

最終更新日:201278

稽神録

中国文学

トップページ

 



[1]位の低い武官。http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicB0Zdic8F85013.htm 

[2] 原文「既仕,欲結豪族,而謀其故妻。」。「」が未詳。とりあえずこう訳す。

[3] 原文「見己亦再拜。」。「己」が未詳。三人称にするべきではないのか。「亦」は「自分を殺した人間であるにかかわらず」といったニュアンスであろう。

[4] 原文「往者為賊所擊,幸而不死。」。この発言、前の部分との整合性がない。

[5] http://baike.baidu.com/view/60724.htm#sub5566593 

[6] http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7Zdic95Zdic99190145.htm 官名

[7]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E7%2595%25A2%25E5%25B8%25AB%25E9%2590%25B8&sa=U&ei=ufz4T9WAPK2ImQWeovmOBQ&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNFSyPAP3HPe4rgPWX2bxATlYKEbcw 

[8] 原文「至墓,家人乃敢臨視,棺已開,中亦空矣。」。前とのつながりがおかしい。

[9]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/18/ZdicE5Zdic9AZdicA3101629.htm&sa=U&ei=1Ar5T9O9BcPQmAWopL2CBQ&ved=0CBkQFjAC&usg=AFQjCNF-kTGfMBnwpoHR8BSPd0wTK0iTMQ 喧騒と塵。

[10]http://baike.baidu.com/view/473641.htm#1  

[11] 干家の長男坊ということ。

[12]ひろく粗布衣服を指す。http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE8ZdicA1ZdicA3229595.htm 

[13]  http://gan.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%AF%A7 

inserted by FC2 system