第一折

(冲末が楊景に扮し、兵士を率いて登場。詩)

三関を鎮守していくたびか秋を過ごしし

蛮兵は白溝[1]をあへて侵さず

父と兄とは国のため忠義を尽くし

天子さまより清風無佞楼を賜はる

それがしは、姓は楊、名は景、字は彦明。父親は金刀無敵大総管楊令公、母親は佘太君、わが兄弟は、平、定、光、昭、朗、嗣の七人、それがしは第六子。それがしが鎮守する三関は、梁州の遂城関、霸州の益律関、雄州の瓦橋関。部下には二十四名の指揮使がいる。このたびは孟良を辺境に巡回に行かせたが、日が暮れたのに、還ってこない。兵士よ、灯りを点して持ってくるのだ。(兵士が灯りを点す。)

(楊景)呼んだらすぐに来るように。呼ばないときは来なくてよろしい。

(兵士)かしこまりました。(退場)

(楊景)今日は頭がぼんやりとする。なぜだか分からぬ。しばらく休むこととしよう。(眠る)

(正末が楊令公に扮し、霊魂に扮した外とともに登場。)わたしは楊令公、北蛮の韓延寿と交戦し、虎口交牙峪において包囲せられたり。内には糧秣、外には援軍なし。これはわが第七子楊延嗣、このわしを救はんとしてきたれども、潘仁美により、あまたの矢もて射殺(いころ)されたり。老いたる父は逃るるを得ず、李陵碑にあたりて死せり。蛮兵はわが(むくろ)を焼きて、遺骨を幽州昊天寺なる塔に吊して、来る日も来る日も百人の兵士らに、わしを三回ずつ射させ、百箭会と称したり。痛さには堪へられず。今日は冥府に訴へたれば、枉死城[2]をば出でゆきて、この三関の地に到り、六郎の夢にしぞ現れしなる

(七郎)お父さま、思えばわたしの世をおおう(いさおし)は、すっかり潰えてしまいました。わたくしたちは兄じゃの夢に現れましょう。

(詩)われら父子(おやこ)は忠義を全うしたれども還り得ず、汗馬の労は一旦にして潰えたり。憐れやな、辺境に奮戦すれども、生きながら万戸侯には封ぜられずに、(しかばね)(えびす)の国に陥りて、矢羽の苦を受け、魂は沙漠にて雲に愁へり。今宵は夢にて怨みを訴へ、兄ぢやが仇に報いんことをひとへに願へり。

(正末)息子よ、われらは蛮地の城に死し、さらにこの残害に遭ふ。魂は安らかならず、まことに苦し。この世にて英雄となりたることも徒なりき。(歌う)

【仙呂点絳唇】

傀儡の舞台には

(つづみ)と笛の()が流れ

劇を演ぜり

思へば世事はすべて空しく

あたかも南柯の夢にぞ似たる

(七郎)いとも恨めし、奸賊の潘仁美は、わが父子を蛮地に殺せり。まことに悲しや。

(正末が唱う)

【混江龍】

先祖の墓を見るはかなはず

黄泉路にわれら英雄をしぞ(うづ)めたる

(七郎)父上さま、われらは青史に名をとどめ、万古に伝へらるることなし。満腔のこの怨み、いづれの時にか消ゆべけん。

(正末が唱う)

満腔の怨みを抱く

万丈の虹となるはかなはず

漢主の(うてな)にわれらの顔を描かるることを願へど[3]

誰か知らんや 李陵の碑にて はやくも命を失はんとは

なにゆゑぞ、両狼山を、むごたらしくも祁連[4]の塚[5]とす

われらに半生敵のなく

辺地での十大功も(あだ)とはなりぬ

(七郎)父上は一世の猛将たりしも、想はざりき、奸賊の手に落ちたまひたりしとは。

(正末)想へばわしは若き時、南に北に、東に西に戦ひたれど、今となりてはみな一場の春夢となりぬ。

【油葫蘆】

南山の老いたる虎は追ひつめられて殺されり[6]

爪と牙とを持ちたれど何にかはせむ

すべては東の風に付せらる[7]

思へばわれらは千鈞の雕弓(てうきゆう)を挽き

一本槍でも三軍の多きを恐れず

蛮国を攻め

敵陣を衝きしことあり

八方四面に戈と盾とを動かせど

なんぴとも馬を出だして(ほこ)をば交へやうとせず

(七郎)父上の威名はかくのごときなり。兵書にはかくぞ言ひたる。「一夫が命懸けならば、万夫も敵すべからず」と。自尽せず、懸命に突撃をせましかば、助からましを。

(正末が唱う)

【天下楽】

ああ

兵家はもとより勝ち負けの窮まることなきものなりと汝はいへど

兵書のことを

このわしはよくぞ知りたる

(言う)われら楊家は、蛮兵により、虎口交牙峪へと陥れり。羊の虎口に落つるとはまさにこのこと。兵家の禁を犯したからには、いかでか活くることを得ん。

(唱う)

賊臣はわれらを虎口に投じたる羊のごとくに葬らんとす

まさに信ぜり 将たるものの本分は計略にあり

勇気にあらずと

むざむざと姜太公[8]を失へり

(言う)われわれは三関にやって来た。息子よ、大騒ぎするではないぞ。

(七郎)父上さま、六郎兄じゃの寝所に来ました。とりあえずこの銀の燭台の蝋燭を動かしましょう。

(七郎が蝋燭を動かす。)

(楊景)灯影のもとに一人の老いた将軍と、一人の若い将軍がいる。辺境に何か緊急事態があるなら、日をあらためて、陣屋にて相談しよう。日も暮れたから、下がられよ。

(正末)六郎よ、何ゆえにわれらに気付かぬ。

(唱う)

【後庭花】

耳が聞こゆるならばわが声を聴けかし

目が見ゆるならわが顔を見よ

(楊景)こちらの若い将軍はどなたでしょうか。

(正末が唱う)

これはかの佘太君のとりわけて慈しみし子ぞ

(楊景)老将軍さま、御身はどなたなのでしょう。

(正末が唱う)なんじの老父、楊令公じゃ。

(楊景)父上さまと七郎でしたか。近くに来られ、お話しください。遠慮などいりませぬ。

(正末)息子よ、もっと後ろに下がっておれ。そなたは生きた魂だが、わしは死んだ魂だからな。わしの話を聴くがよい。

(楊景)父上さま、お話し下さい。息子は聴いておりまする。

(正末)なんぢの父は蛮兵と交戦し、両狼山虎口交牙峪に閉ぢこめられたり。内には糧秣、外には援軍あらざれば、脱け出づることもかなはず、李陵碑にぶつかりて死す。なんぢが弟七郎は、陣より出でて救援を求めしかども、賊臣潘仁美によりて、花標樹[9]に縛られて、あまたの矢もて射殺(いころ)されたり。今、韓延寿はわしの遺骨を、幽州は昊天寺の塔に掛け、来る日も来る日も、百人の兵たちに、三本ずつ矢を射させ、百箭会と称したり。わしは今、痛くてたまらず。それゆゑになんぢの夢に現れしなり。

(楊景が悲しみ、言う)父上さま。かように苦しまれていたとは存じませなんだ。後日、七日の追善法要をして[10]、父上と七郎を済度しましょう。

(正末が唱う)

双方は相逢ひて

紙銭もて送らんとせり

息子よ

われわれと(えびす)との激しき戦を記憶せよかし

鉄桶のやうに囲まれ

進むにも食糧はなく

退かんにも路は通ぜず

風にのらずば

幾重もの敵兵のもとを逃るることはかなはず

思へばわれらは一世の英雄なれば

投降し、命をば永らふるわけにもゆかず

荒野にて石碑にぶつかり 命を終へたり

今に至るも草は血に紅く染まりて

魂はなほも恐れり

(七郎)兄じゃ、われわれは(えびす)の国にむなしく死んで、苦しみに堪えられませぬ。兄じゃ、憐れと思うてくださるならば、今すぐに将兵を選抜し、われら父子(おやこ)の屍を救いに来られてくださいまし。

(楊景)父上さま、ご遺骨は、本当に幽州昊天寺の塔に掛けられているのでしょうか。

(正末が唱う)

【青哥児】

ああ

敵はわが(むくろ)をばむごたらしくも弄びたり

それゆゑに、息子につぶさに訴へり

(楊景)父上さま、韓延寿は兵は強く、その馬は逞しいので、知によって取ることはできますが、力によって奪うのは難しいことでしょう。三関の指揮使二十四人の、誰といっしょに行くならば、成功することができましょう。

(正末が唱う)おまえにもしもその気があって、体じゅう矢羽の刺さった、このわしを憐れと思うてくれるなら、手練手管を使ったり、ことさらに兵を選んだりすることは必要ない。陣中に、火コ天蓬[11]がいるならば、おのずから神に通ずることであろう。遺骨を探し、武勇を揮い、わが骨匣を虎狼の群より抜け出させれば、これがすなわちおまえの香花というものだ。

(楊景)父上さま、ご安心下さいまし。わたくしは明日、配下の人馬を選抜し、みずから幽州に赴いて、父上さまと弟の仇に報いることといたします。

(正末)六郎よ、気をつけてな。(悲しみ、唱う)

【寄生草】

なにゆゑぞわれらは泪をしきりに拭へる

汝が心に悟るを願へり

かの嘉山[12]の太僕[13]をつかはして争はしめよ

宣花[14]の巨斧を軽々と振り回し

われらが昊天塔上でとこしへに悲しむことを免れしめよ

汝がもしも蛮どもとの不倶戴天の仇を忘れば

われわれは望郷台にてむなしく故郷に還るを夢みん

(楊景)父上さま、怨みを忘れはいたしませぬ。

(正末が唱う)

【賺煞尾】

息子よ

聖明の朝廷に戻りゆき

つぶさにわしの怨みを告げよ

わしは飛ぶとも昇進を望むことなかるべし

ただひたすらに君臣の義を尽くすを求めり

かの清風無佞楼にてすみやかにわれらを迎へよ

匆匆として

睡眼の朦朧たるぞ恨めしき

息子よ

相逢ふも夢ならずやといふなかれ

楊家の子たる汝に告げん

父子の(なさけ)の重きを思ひ

われわれの幽魂を梵王宮[15]にな愁へしめそね

(七郎)われら父子(おやこ)はこれにて行かん、兄じゃ、夢なりとおぼしめさるな。(ともに退場)

(楊景が目醒め、言う)父上さま、弟よ、こちらへ来られてくださいまし。どうして消えてしまわれるのです…。夢だったのか。父上さま、弟よ、悲しくてたまりませぬ。今しがた父上さまと弟が、夢で語っておられたことは、まことに悲しいことでした。信じようとはおもいませぬが、かようにはっきりした夢があるはずはございますまい。信じようともおもうのですが、真か嘘かはまだわかりませぬ。とりあえず夜明けになったら、諸将と相談いたしましょう。

(詩)

父上はつぶさに事情を説かれたり

夢の中にて両の泪はこもごも流れり

真のことと知れたらば

雄兵を()て かならずや仇に報いん

父上さま、弟よ、あな悲しや

(退場)

第二折

(外が岳勝に扮して登場、詩)

軍鼓と銅鑼は敲かれて

轅門の内と外には豪傑たちが居並べり

三軍は平安(へいあんじや)をば唱へをへ

旗や幟をきつく卷き けつして揺らさず

それがしは花面獣岳勝じゃ、帥府排軍の職に封ぜられ、六郎兄じゃの麾下におる。兄じゃは本日、何らかの辺境の軍務のために、明け方、陣に上られる。それがしは先に行き、伺候しなければなるまいぞ。

(楊景が兵士を率いて登場、詩)

昨晩は父上をはつきりと見き

言ふなかれ 夢中のことは(まこと)ならずと

今すぐに 仇に報いにゆかずんば

天下に英雄たるも(あだ)なり

(岳勝がまみえ、言う)

兄じゃ、今日は何のため、かくも早くに陣地にあがられるのでしょう。

(楊景)弟よ、おまえは知らないのだろうが、わしは夜、夢を見たのだ。父上が弟の七郎とともにきて、灯りの下で、泪を拭きつつ、みずからわしに話されたのだ。わが父は蛮兵により、両狼山虎口交牙峪に閉じこめられ、内に糧秣、外に援軍がなかったために、みずから李陵碑にぶつかられ、亡くなったのだ。その時、弟七郎は、陣を出て救いにきたが、奸賊の潘仁美により、花標樹に縛られて、たくさんの矢で射殺されたのだ。今、韓延寿はわが父上のご遺骨を、幽州昊天寺の塔に掛け、来る日も来る日も、百人の兵士に、それぞれ三本の矢を射させ、百箭会と称しているということだ。幽魂は痛みにたえず、わしにみずから孟良をつれ、すみやかに救ってくれとおっしゃった。父上さまはかようなる苦しみを受けておられる。信じたくないのだが、このようなはっきりとした夢をみるはずがない。信じようともおもうのだが、真か嘘かはいまだに分からぬ。それゆえ、はやくに陣屋にのぼり、みんなを呼んで相談し、行動をしようとしたのだ。

(岳勝)かしこまりました。わたくしが占いをしてみましょう[16]。夢は嘘ではございませぬ。本日正午に、故郷より、かならずや手紙を寄せる人が来て、事情が知れることでしょう。

(楊景)それならばどうしたらいいだろう。兵士よ、門前で、誰が来るのか見ていてくれ。

(丑が兵士に扮して登場。詩)

半斤の肉を食らひて

半升の酒を飲み

「突撃」という声を聞きなば

びつくりし、全身に汗をかきたり

おいらは楊家府の兵士、佘太君さまのご命を奉じ、瓦橋関へと赴いて、六郎さまに手紙をお送りすることと相成った。はやくも門の前に着いたぞ。兵士よ、取り次ぎをしておくれ。太君さまが兵士を遣わし、手紙を送って来ましたとな。

(兵士)ここにいてくれ。報せにいくから。(報せて、言う)もしもし。元帥さまにお知らせもうしあげまする。兵士が一人、太君さまの手紙をもって、入り口にまいっております。

(楊景)呼んでまいれ。

(兵士)かしこまりました。

(兵士がまみえ、言う)元帥さま、太君さまは、元帥さまにお手紙を届けるようにお命じになりました。

(楊景が手紙を受け取り、跪いて開封し、言う)ああ。母上さまのお手紙だ。父上さまと弟が夢に現れたのだそうだ。すべてわたしの見た夢と同じだぞ。かようなる珍事があるとは。兵士よ、酒十瓶、羊肉二十斤をとらすぞ。わたしのために轅門の番をするのだ。二十四人の指揮使たちよ、来る者があらば、みな通せ。孟良だけは、通すでないぞ。

(兵士)元帥さま、通さねば、あの方はわたしを殴ることでしょう。

(楊景)おまえもあいつを殴るのだ。

(兵士)罵られたらどうしましょう。

(楊景)おまえもあいつを罵ればよい。

(兵士)咬みつかれたらどうしましょう。

(楊景)馬鹿をぬかすな。

(岳勝)兄じゃ、孟良を通されぬのは、いかなるお考えでしょう。

(楊景)弟よ、おまえにはわかるまい。孟良は強情な性格だから、おまえがあいつにいけといっても、いきはすまい。おまえがいつにくなといえば、あいつはかならずいくだろう。あいつが来たら、わざとあいつを怒らせよう。あいつはかならずわしといっしょに父上さまを救いにいこうぞ。

(兵士)わたくしは轅門の番をして、誰が来るのか見ておりましょう。

(正末が孟良に扮して登場)わしは孟良、兄じゃの命を奉り、辺境を巡綽し、何事もなからしめたぞ。兄じゃのところへ報告しにゆかねばならぬ。(唱う)

【中呂粉蝶児】

このところ征伐をする場所もなし

界河[17]にゆきて巡綽をしたばかり

一人一人を生け捕りにして

彪躯[18]を躍らせ

猿臂を伸ばさば

肝は飛び、胆は裂くべし

武芸を用ゐる必要はなし

見返ればわれらの鎧を見るばかり

【醉春風】

雕鞍[19]を置き

槽頭(さうとう)[20]に軍馬を牽きて

宣花の斧鉞を手に執りて

敵軍を見ること児戯のごときなり

万騎は馳せて

両軍は相見え

われらはすこしも負くることなし

(正末が兵士を見、言う)こやつめ、ここで何をしているのだ。

(兵士)何をしているのだだと。ここで虱を捕っているのだ。元帥さまのご命を奉じ、轅門の番をして、人を中へは入れぬのだ。

(正末)わしは中に入りたいのだ。

(兵士が遮り、言う)入れはせぬ。入れはせぬ。

(孟良が怒り、言う)入れはせぬと、三回言う勇気があるか。

(兵士)三回はもちろんのこと、たとい百二十回でも入れぬと言おうぞ。(正末が殴る)旦那さま。旦那さま、打つのはおやめ下さいまし。中にお入れいたしましょう。

(正末がまみえ、言う)兄じゃの軍令に従い、界河を巡り、何事もなからしめ、報告をしにまいりました。

(楊景)用はない。とりあえず下がるがよいぞ。

(正末)兵士よ。元帥さまが下がれとおおせだ。

(楊景)おまえに下がれともうしておるのだ。

(正末)誰に下がれとおおせでしょうか。

(楊景)おまえに下がれともうしておるのだ。

(正末)わたくしに下がれですと。下がりませぬ。下がりませぬ。ここで殺されたとしても、下がりませぬ。

(楊景)岳勝どの、こいつを見てくれ、こいつにはわしの心が分からないのだ。

【紅繍鞋】

平素より、わたしが居らぬところでは、話するのを好まれざりしに

本日は、わたしに会ひても、(こうべ)を垂れて言葉なく、嘆息するのみ

機密があるなら、わたしも知るべきなるにあらずや

(楊景が岳勝に耳打ちし、言う)あいつは分かっておらぬのだ。

(正末が唱う)

目でふたたび見

足先で踏み[21]

あつといふ間にわたくしを怒らしむ

(楊景)孟良よ、わしの思うていることを当ててみよ。

(正末)当ててみましょう。

(楊景)当てたらば使ってやろう、当たらなければ使わぬから、しばらく下がっているがよいぞ。

(正末が唱う)

【石榴花】

大遼の軍馬が侵入し来りしにや

御身とともにすみやかに戦ひに赴かん

(楊景)そうではない。

(正末が唱う)

王枢密[22]が陛下を弄びたるにや

御身とともにすみやかに馬に乗り、京華へと赴かん。

(楊景)それもちがうな。

(正末が唱う)

佘太君さまが誰かに苛められたりしにや

(楊景)わしの母上を、苛めたりする者はない。

(正末)苛める勇気はございますまいな。

(唱う)

趙玄壇[23]の力があらば

虎の頭を撫でさすり

鬚を抜くべし

御身とともに賊徒を捕らへん

【闘鵪鶉】

ああ

賊徒は霧を籠めたる蚩尤[24]にあらずして

空を飛ぶ夜叉にもあらず

(楊景)賊がおまえの武術を見、逃げ隠れたらどうするのだ。

(正末が唱う)

その者が雲の中へと隠れやうとも

地の下に隠れやうとも

わたくしは、天と地をくつがへし、その者を見ん

その者が姿を変ふることを得んとも

わたくしが

すこし怒鳴らば

ごろごろと、海は沸き、山は崩れん

すこし睨まば

がらがらと、天は摧けて、地は落つべし

(楊景)孟良よ、おまえはずっとあてようとしているが、あてられないな。さがるがよいぞ。

(正末)あてられませんでしたから、ひとまずさがるといたしましょう。

(正末が門を出て兵士に会う)おいおまえ、ここにきて、何をしておる。今すぐに本当のことを言うのだ。もしも言わねば、一斧でおまえのそ首を切り落とそうぞ。

(兵士)元帥さまは今しがた、わたくしに酒を十瓶、羊の肉を二十斤下さりましたが、わが首が切られれば、どうして食べることができましょう。

(正末)はやく言え。言わねば、斧で斬ってやろうぞ。

(兵士)旦那さま、斧で斬るなど、乱暴はいけませぬ。申しましょう、申しましょう。わたしは楊家府の兵士です。佘太君さまの命を奉じて、手紙を一通、元帥さまにお届けしたのでございます。手紙には、夢に令公さまが現れ、蛮兵と交戦し、両狼山虎口交牙峪に閉じ込められたとおっしゃった、内に糧秣、外に救援あらざれば、七郎さまは陣を出て救援を求めようとなさいましたが、潘仁美めは七郎さまを花標樹に縛り、たくさんの矢で(いころ)した、令公さまは脱出できず、李陵碑にぶつかって亡くなった、今、韓延寿は令公さまのご遺骸を焼き、遺骨を幽州昊天寺の塔に掛け、往来する人があれば、矢がある者には三本の矢を射させ、矢のない者には三つの磚を投げさせて、百薬箭と称していると書かれております。

(正末)おそらくは百箭会のことだろう。

(兵士)おっしゃる通りにございます。

(正末)現在、兄じゃは諸将を召されて相談し、ご父君のご遺骨を取りに行こうとされている。これは大変なことだから、わしに隠しておられたのだ。ああ。兄じゃ、われら二十四人の指揮使は、みな同じ弟ですのに、どうしてひいきをなさるのか。かれらとは相談なさり、わたくしだけをさがらせるとは。もう一度行き、兄じゃの謎に答えるとしよう。(楊景にまみえ、言う)兄じゃ、わかりましたぞ。

(楊景)何が分かったのだ。

(正末)兄じゃ、ご父君をお救いし、ご遺骨を奪い返しに行かれるのでしょう。

(楊景)何者がわが母のことを話したのだろう。弟よ、おまえはすでに知っておろうが、敵は今、父の遺骨を幽州昊天寺の塔に掛けているのだ。わしはわが父のため、遺骨を盗みとりに行くのだ。あれやこれやと考えたが、妙策はない。どうしたらよいものか。

(正末)兄じゃ、他の者たちはいけませぬが、わたくしだけは行くことができまする。

(楊景言う)弟よ、行きたいのなら、おまえはわしの第二の父母じゃ。

(正末)わたくしはさがりましょう。

(楊景)ちょっと言ってみただけじゃ。すぐに戻ってきておくれ。弟よ、おまえなら、どのようにして行くつもりじゃ。話してみよ。

(正末が唱う)

【上小楼】

天をも焦がすわが松明は

経文も佛法もお構ひなし

大またで僧房に踏み込んで

和尚を捕へ

袈裟を掴んで

癇癪を立て[25]

憤怒を発し

禅榻からひきはなし

首級をごろりと(きざはし)の下に抛たん

【幺篇】

胸ぐらを脚で踏み

額の上を手で掴み

わが蘸金[26]の大斧で

ぐしやりとあいつの鼻を斬り

凶悪な菩薩

獰猛な[27]

金剛が相手をしやうがお構ひなし

釈迦佛さえもいかんともするを得ざらん

(岳勝)向こうへいったら、気をつけるのだぞ。

(楊景)行きたいのなら、どのような武器を持ち、どのような鎧を着けていくつもりだ。

(正末が唱う)

【耍孩児】

慌ただしければ特別の鎧は用ゐず

軽き衣服を身に着けり

敵方の大軍は癩蝦蟇(ひきがえる)のやうなもの

荒々しき拳法をお見舞ひせん

わが(せな)にかならずや瓢箪を置き

頑石でごしごしと斧を擦らん[28]

でくわさば、逃がしはせじ

蒲、葦を刈り

(ひさご)や瓜を割るがごとくに敵を殺さん

(言う)排軍さま、二つのことをお話ししましょう。

(岳勝)弟よ、二つのこととは。

(正末が唱う)

【三煞】

魂を迎ふる幡と

(たま)を鎮める花を用意し

みな麻の衣を着けて

亡き父の柩を運ぶ馬[29]を繋ぎて

ご父君の骨匣を背負はれば

孝子の誉れは天下へと伝はらん

竹に哭きたる孟宗も[30]

籬を引きし袁孝[31]も物の数かは

(楊景)弟よ。われらは幽州昊天寺へと赴くが、寺には僧が五百人おり、一人一人が槍、棒を使えるし、山門は鉄桶のように閉じられている。開けることなどできまいぞ。

(正末)兄じゃ、わたくしがいれば、開かぬわけがございませぬ。

(唱う)

【二煞】

門環を手で揺らし

門框(もんがまち)をば脚で踏み

令公さまのご遺骨が塔に掛けられたるがため

石で造りし柱を引きずり

銅で鋳し旗竿(はたざを)を地より拔くべし

四天王が山門を守りたるとも、憂ふるものかは

わたくしは

(いしぶみ)を支ふる力と

鼎を挙ぐる荒技を示すべし

(楊景)弟よ、父上さまのご遺骨は、幽州の昊天塔の先にあるのだ。どうして下ろすことができよう。

(正末)兄じゃ、安心なされよ。(唱う)

【煞尾】

左手(ゆんで)にて火輪[32]を握り

管心を右手(めて)に取り

一ゆすり

二ゆすりせば

ぐらぐらと琉璃の瓦は揺れ動くべし

御身のためにかの玲瓏たる舎利塔を倒しましょうぞ

(退場)

(楊景)孟良は行ってしまった。弟よ、三関を守ってくれ。本日は孟良を迎え、わが父の遺骨を取りにゆくとしよう。

(詩)

岳排軍はしつかりと陣地を守り

孟火星はなんぴとも阻むべからず

頭領たちは受け持ちの場を離るべからず

楊六郎はひそかに三関へと下れり

(ともに退場。)

第三折

(丑が和尚に扮して登場。詩)

汚れなき和尚の身なれど

お経を念じしこともなし

お経を見聞きすることあらば 頭は痛み

山の麓で狗肉(くにく)を食らふを習ひとす

わたしは幽州昊天寺の小坊主だ。楊令公の遺骨が塔に掛かけられて、来る日も来る日も、百人の兵たちがかわるがわるに、矢を三本射て、百箭会と称しておる。日が暮れてからは遺骨を下ろし、この中に入れ、鍵を掛け、旅人に盗まれぬようにしておる。日も暮れたから、三門に閂を掛けるとしよう。

(正末が楊景とともに登場、言う)実に熱いな。弟よ、もうすこし歩こうぞ。もうすこし歩こうぞ。

(正末)兄じゃ。ご一緒に、ご一緒に、まいりましょう。(唱う)

【正宮端正好】

一筋の炎が飛びて

四野にはやくも烟は満てり

みなわが(せな)瓢箪(ひさご)よりいでしものなり

万隊の火の龍は空に舞ひ

明らかにかの幽州への路を照らせり

【滾繍球】

焼かれて休む場所もなく

城中はみな痛哭す

令公さまのご遺骨に付き添ひたるがごときなり

お上の法は壚にぞ似たるといふなかれ[33]

祭風台[34]に要あらめやは

狼烟(のろし)を挙ぐることも須ゐず

六丁神[35]の怒りを発するにもまさり

天の半ばは真赤になりて

漢張良が連雲桟を焼き切りて[36]

李老君が煉薬の炉をくつがへしたるがごときなり

この火はかつてなきものなり

(楊景)弟よ、はやくも寺に到着したぞ。わしが入り口で叫ぶとしよう、和尚さま、門を開いてくださいまし。

(和尚)だめだ。だめだ。

(楊景)なにゆえに開けてくださらぬのでしょう。

(和尚)お布施があるなら門を開けるが、お布施がないなら門は開けぬぞ。

(正末が唱う)

【倘秀才】

まことに豪華な禅寺で

山僧施主も大したもの

四大人[37]の天火はもつとも烈しといふをきかざるや

善知識[38]なるわたくしは

貪欲な心はなければ

千本の蝋燭を寄進いたさん

(楊景)和尚さま、わたくしは御身らに千本の蝋燭を寄進しましょう。

(和尚)ちょっと待てよ。千本の蝋燭といえば、一対が銀一分だから、たくさんの銀子が掛かることだろう。門を開け、あいつを入れてやるとしよう。(門を開ける。)

(正末が門に入って和尚を捕まえ、言う)おい和尚、楊令公さまのご遺骨はどこにあるのだ。

(和尚)わたくしは存じませぬ。

(正末)なにゆえに知らぬのだ。言うか言わぬか。ただ一斧でおまえの首を斬ってやろうぞ。

(和尚が瓢箪を見て、言う)ああ。首を斬ろうとおっしゃるのですね、背中に掛けていらっしゃるのは、どちらの和尚の首級なのでしょう。

(正末)はやく言うのだ。少しでもぐずぐずすれば、斬ってやろうぞ。

(和尚)斬るのはおやめくださいまし。お話しをいたしましょう。楊令公さまのご遺骨は、昼間は塔の先に縛られ、百人の兵たちが、それぞれ三本矢を射ております。日が暮れますと、それを下ろして、小さな小さな匣に入れ、方丈の中にしまって、賊が来て、盗んで牌を作ったり、骰子(さいころ)にして遊んだりせぬようにしております。方丈の卓の上にある小さな匣が、楊令公さまのお骨にございます。

(楊景)偽物なのではあるまいな。

(和尚)偽物とおっしゃいますと、狗の骨だということでございましょうか。ご遺骨はみなそろっております。それぞれに王さまが朱筆で記した文字が書かれておりまする。偽物であるはずがございませぬ。

(楊景が哭き、言う)父上さま、まことに悲しゅうございます。

(正末)遺骨はあったが、全部そろっているのだろうか。もう一度、あいつに尋ねてみるとしよう。おい和尚、遺骨は全部そろっているのか。

(和尚)そろっていると申しましたよ。逐一数えてさしあげましょう。(唱う)

【滾繍球】

怒鳴りつくるは何ゆゑぞ

楊令公さまの遺骨は揃ひたり

こころみに初めより申し上ぐるを聴きねかし

こちらは太陽骨[39] 八片の頭蓋にござゐます

こちらは胸骨 内臓はなし

こちらは肩骨 皮膚がござゐます

こちらは膝骨 腿、ふくらはぎが揃ひたり

こちらは脊骨 肋骨と繋がれり

はつきりとすべてを数へたりぬれば

一つ一つを手にとられ ごらんになられ

偽りなしとの受け取り状を置きてゆきたまへかし

(正末)こいつめ、わが一斧を食らうがよいぞ。

(和尚)ああ。

(詩)

先ほどは呼ばれても門を開きませなんだが

蝋燭をやると言はれて中に入れ

ご遺骨をすべて引き渡しましたに

わたくしの首を斬るとはとんでもなし

(退場)

(正末)兄じゃ、この骨をしまったら、火を放ち、この寺を焼きましょう。兄じゃ、さあ、まいりましょう。(唱う)

【倘秀才】

やつとのことで天関地戸[40]を突き破り

龍潭虎窟[41]を飛び出でり

(言う)兄じゃよ、どうか気を付けて。

(楊景)弟よ、行くといったら行くまでなのに、なにゆえにかようなことを申すのじゃ。

(正末が唱う)

わたくしは今度は火事を起こさんと思ひたるなり

すみやかに

駿馬を走らせ

いそいで路を行きねかし

【滾繍球】

人は奔ること室火猪のごと

馬は馳すること尾火虎[42]のごと

兄じや

ふりかへり目を据へてひそかに見れば

われらはまさしく凌烟閣に描かるる人物ならん

和尚がゐれば鉢があるもの[43]

あの方が苦しみを受けられたるは、わたくしたちが苦しみを受けたも同じ[44]

徹底的にすることなくば

諸葛、周瑜に如かざらん

これぞまさしく博望[45]に陣を焼きたる計略(はかりごと)

赤壁に敵兵を皆殺しにせし計略(はかりごと)

わたしが工夫を尽くせしは徒ならざりき

(言う)兄じゃ。父君のご遺骨を持ち、先に三関へ行かれよ。わたしは後からまいりましょう、もしも追手が来た時は、わたしが相手をいたしましょう。

(楊景が悲しみ、言う)弟よ、想へば父は一世の猛将たるも、遺骨はなほもかやうなる苦しみを受く。どうして悲しまずにをれやう。父上さま。

(正末)兄じゃ、行くといったら行くまでですのに、何ゆえかように叫ばれますのか。

(楊景)弟よ、わしの言葉を、わしに返すというわけか。

(正末が唱う)

【煞尾】

しつかりと匣の遺骨を負ひながら とくとく帰りたまへかし

千里の山を巡りつつ 大声で哭くことなかれ

(楊景)ああ。後ろから喊声が聞こえてきました。おそらくは追手が来たのでございましょう。

(正末)兄じゃは先に行かれてください。わたくしはあいつらを阻みましょう。

(唱う)

城にたちまち喊声が湧き

はや一陣のK塵を巻き上げり

おそらくは韓延寿めが追ひ掛けてきたりしならん

嘉州孟太僕は怒りて

歯を食ひしばり 敵を阻めり

たとひ四方に兵士が潜みたらんとも

とりあへず九千回戦ひて 勝負を決せん

人を殺めんとする心は強くはあらねども

かならずや人は死に、馬は倒れて血にぞまみれん

敵の誰かが故郷に帰ることを得ば

ああ

わが宣花(せんくわせうきん)の斧も徒ならめやは

(退場)

(楊景)孟良は追手を阻みにいってしまった。わたしは父の遺骨を背負い、三関に来た。(詩)

父上さまは国のため(いさをし)を建てたれど

はからざりき 一命を蛮軍に奪はれんとは

このたびは ご遺骸を取り戻したれば

すみやかに三関に行き 母上にご報告せん

(退場)

第四折

(外が長老に扮して登場、詩)

積水に魚を養ひ、釣りすることなく

深山に鹿を放ちて、長生を願ひたり

地を掃ふとき、蟻の命を損なはんことを恐れて

紗の(ともしび)に飛ぶ蛾をぞ憐れめる

拙僧は五台山興国寺の長老じゃ。わが寺には、五百人の僧侶がおる。そのうち一人は楊といい、十八武藝のすべてを行い、すべてをよくして、来る日も来る日も裏山で虎を打ちたり。本日は何事もなく、日も暮れたから、とりあえず三門を閉じてくれ。

(楊景)わたしは楊景、幽州に来て、父の遺骨を盗んだ。弟分の孟良は後にとどまり、敵兵を阻みにいった。わたしは単騎で、五台山へと進んだが、日は暮れて、進むのは難しいため、寺に宿かるほかはない。三門の入り口に来て、馬を降り、三門を開いたぞ。和尚よ、もしもきれいな僧房があるならば、掃除をし、わしを一晩泊めてくれ。夜明けには出てゆくからに。

(長老)ご客人、この僧房はさっぱりとしておりましょう。

(楊景)この遺骨を置くとしよう。

(長老)お尋ねしますが、いずこより来られましたか。

(楊景)来た所から来たのだよ。

(長老)これからいずこへ行かれましょうか。

(楊景)行くところへと行くのだよ。

(長老)お国はどちらでございましょう。

(楊景)故郷はないのだ。

(長老)ご姓とお名は。

(楊景)姓も名もない。

(長老)ご客人、なにゆえに木で鼻をくくったようになさるのです。わたくしは構いませぬが、わたくしの弟子が来たらば、あなたをただでは済ましませぬぞ。

(楊景)そいつがきたとて、このわしをどうにもできまい。さがっておれ。父上さま、あな悲しや。

(正末が楊和尚に扮して登場)わしは醉うたぞ。(唱う)

【双調新水令】

帰りきたれど、酔ひはなほ醒めやらず

この禿さまを怒らせばただではすまさじ

(聴く)

おう。誰かが哭いているようだな。

(唱う)

哭きたるは山中の老樹の物怪(もののけ)

水底(みなそこ)の龍の精にや

霊力を示さんとするのなら

徳高き鬼神をば敬ふべし[46]

(楊景が哭き、言う)父上さま、あな悲しや。

(正末)あそこで哭いているのだな。(唱う)

【駐馬聴】

あの場所でおいおいと哭き

無是無非[47]の窓辺の僧の心を乱せり

(楊景)父上さま、あな悲しや

(正末が唱う)

悲しげにいよよ哭きたり

槍や矢で傷つけられし敗践兵ではあるまいか

三門に寄りかかり聴き

両肩を聳やかし、手で歯を抑へり

かばかりに喧しければ

「緑陰は地に満ちて禅房は静かなり」[48]とはいひがたし

(正末が長老にまみえる)

(長老)弟子よ、来たな。夕方に、客人があり、単騎にて、わが寺に泊まったのだが、質問をしたところ、本当のことを言わなんだ。その客は今ここにいるから、行って質問してきてくれ。

(正末)お師匠さま、方丈にいき、お休みください。わたくしが質問をしてまいりましょう。

(長老)これぞまさしく、「門を閉ぢ窓前の月に構はず、ひとへに梅花の開くにまかせり」。(退場)

(正末がまみえ、言う)お客さま、ごきげんよう。

(楊景)まことにがさつな和尚だな。

(正末)お客さま、先ほど立腹なさりましたは御身ですかな。

(楊景)そのとおりだ。

(正末)なにゆえかようにお怒りなのです。

(楊景)和尚よ、わしには心配事があるのだ。

(正末)わたくしがこころみにあなたの悩みを当ててみましょう。

(楊景)和尚よ、わしの悩みを当ててみよ。

(正末が唱う)

【歩歩嬌】

悩みがありとも、名と姓を明かすべきなり

ご両親のお見舞ひなるにや

(楊景)そうではない。

(正末が唱う)

大罪を犯されたるにや

(楊景)わしは罪人などではない。

(正末が唱う)

荷を担ひ、車を推してゐたところ、賊兵に遭はれたるにや

(楊景)賊兵がいようとも、どうということはないわい。

(正末が唱う)

二三たび尋ねましたに

少しも答へてくださらざるはなにゆゑぞ

(言う)ご客人、お尋ねもうしあげているのに、まことのことを話されぬとは。この寺の者たちは乱暴者にございまするぞ。

(楊景)おまえらが乱暴者でもどうということはないわい。

(正末が唱う)

【雁児落】

こちらで人を罵らんとも、あへて逆らふものはなし

(楊景)人をぶつ勇気があるか。

(正末が唱う)

こちらで人を打たんとも、あへて争ふものはなし

(楊景)強盗をする勇気があるか。

(正末が唱う)

こちらで強盗せんとても罪にはならず

(楊景)殺人をする勇気があるか。

(正末が唱う)こちらで人を殺むとも命を償ふ必要はなし

(楊景)おまえがかように言うたとて、わしは信じぬ。

(正末)信じぬならばこころみに嗅ぐがよい。(唱う)

【水仙子】

今、生臭く焼かれたるのは人肉ぞ

(楊景)ああ。大した和尚だな。飛んで灯に入る蛾を憐れめというではないか。

(正末が唱う)

われらはかつて飛んで灯に入りし蛾を憐れみしことぞなき。

(合掌し、言う)阿弥陀佛、世の万物に、死せざるはなし。

(唱う)

殺生せずば

輪廻もなからん

これこそは、われらが弥陀の済度の経なれ

(楊景)幼いときに出家をしたのではなかろう。

(正末が唱う)

ご客人、くわしき話を聴きたまへかし

(えびす)の兵を殺ししこともありたれど

信士[49]の招きを受けしことなし

中年になり剃髪し

和尚となれり

(楊景)和尚どの、わたしも御身を騙しはせぬ、わたしは大宋国の者です。

(正末)ご客人。御身が大宋国の方なら、あの家の方をご存じか。

(楊景)どなたの家じゃ。

(正末)その家に、金刀を使うものがいた。(唱う)

【雁児落】

その方は武藝に優れ、楊令公とぞよばれたる

(楊景が驚く)父上のことをなぜ知っているのだろう。和尚どの、かの楊令公にはいくたりの息子があったか。

(正末が唱う)

そのお方には、七人の息子がありて、おしなべて豪胆なりき

(楊景)その方の母上はどなたでしょうか。

(正末が唱う)

その方の母上は佘太君

敕旨によりて清風無佞楼を賜はれり

(楊景)その方の兄弟たちはみな健在にございましょうか。

(正末が唱う)

【得勝令】

ああ

その方の弟たちの死するは多く、生くるは少なし

(楊景)その方のご家来でございましょうか。

(正末が唱う)

われのみは、この五台にて僧となりたり

(楊景)ああ。楊五郎さまでしたか、生きている弟はほかにもいますか。

(正末が唱う)

楊六郎が三関に居る

(楊景)楊六郎をご存じでしょうか。

(正末)わたしの弟なのですから、知らないはずがございませぬ。(唱う)

同じ父母より生まれし実の兄弟にございます

(楊景)兄じゃ、今日はどうしてわたしが楊景だということに気が付かなかったのですか。

(正末が確認をする)

(唱う)

驚くなかれ

この出逢ひはまことにさいはひ

(言う)弟よ、聞けばおまえは瓦橋関を守っていたとか、何ゆえにここに来たのだ。

(楊景)兄じゃ、わたくしは幽州の昊天寺にいき、わが父の遺骨をとってきたのです。

(正末が悲しむ)(唱う)

傷ましや

むなしくこの幽魂を虜城に喪ふ

(浄が韓延寿に扮し登場。詩)

将軍となり よく戦ひて

干飯や肉を食らへり

官軍と戦ふ勇士と思はれやうが

その実は、刀を恐れ、矢を避くる韓延寿なり

それがしは韓延寿じゃ。楊六郎めはまことに無礼、令公の骨を、盗んでいってしまったわい。わしは(えびす)の兵を率いて、徹夜で追ったが、楊六郎めは骨を持ち、先に行き、孟良が後に残って、しんがりをした。わしは今、大軍を遣わして、孟良と戦わせ、みずから五千の精兵を選び、押し寄せてきた。楊六郎がはっきりと見えていたのに、五台山の麓に行ったら、どうして見えなくなったのだろう。この寺に隠れているに違いない。兵士ども、この寺を囲むのだ。和尚ども、はやく楊六郎めを出すのだ。出さねば、寺じゅう皆殺しだぞ。(鬨の声をあげ、門を敲く。)

(楊景)兄じゃ、蛮の兵がやってきました。

(正末)弟よ、慌てるな、出ていって話をしてくる。三門を開けてみよう。(まみえる)

(韓延寿)和尚よ、この寺に楊六郎めがいるだろう。出せばよし、出さないときは、おまえら和尚のそっ首を、西瓜のように切り落とし、一人たりとも生かしはせぬぞ。

(正末)将軍さま、楊六郎めはおりまする。先に捕まえ、寺で縛っておりました。われらは出家にございますから、慈悲方便を旨としておりまする。たくさんの槍や刀で、われらの老いたる師匠をば驚かさないで下さいまし。武器を棄て、馬から降りてくださいまし。わたくしが、楊六郎めを捕まえて、御身が恩賞を受ければ、まことに宜しゅうございましょう。

(韓延寿)おまえの言う通りにしよう。この刀と槍を棄て、鎧を脱ぎ、馬から降りよう。和尚よ。楊六郎めはどこにおるのだ。

(正末)将軍さま、何を急いでらっしゃいます。わたしと一緒にこの三門にお入りください。とりあえずこの門に閂をいたしましょう。

(韓延寿)何ゆえに門に閂をするのだ

(正末)わたくしは用心深く、楊六郎めが逃げるのを恐れているのでございます。

(韓延寿)楊六郎は逃げ出せず、このわしも逃げられないというわけか。それもよかろう、それもよかろう。

(正末が浄を打つ。)こやつめ、いずこにも逃げられまいぞ。

(韓延寿)ああ。この和尚はならず者。門を閉じ、へぼな将棋を殺せばよいに[50]、どうしてわしを打とうとするのだ。

(正末)

【川撥棹】

こやつは頭が惚けてゐて

わが無明火[51]をかきたてり

衆生(しゆじやう)を損なふそのさまは

青蝿を打ち殺すかのごときなり

鵲巣[52]や灌頂[53]になることをたれか望まん

さあ、さあ、さあ。

おまへとともに戦ひて、勝負をつけん。

(韓延寿)この和尚は強そうだ。三門を閉じられて、わしはどこにも逃げられぬ。

(正末が唱う)

【七弟兄】

こ奴の帯を

むずと掴めり

まずはおまえを転ばせて、目から火花を、満点の星のごとくに散らしめん

われわれ出家せし者たちの慈悲なきを咎むるなかれ

むらむらと怒りは胆辺より生ぜり

えい

父令公の命を償へ。

(正末が倒れ、言う)この者を撃ちて殺せば、わたしの恨みは雪がれよう。(唱う)

【梅花酒】

ああ

打たれし者は地べたにのびたり

なにゆゑぞ天丁[54]を怒らしめたる

天兵も用ゐることなく

なんぢの頭を砕かんとせり

ぼこぼこと殴れば(まなこ)を見張れども

両の拳は打つのをやめず

颯颯と雨は濺ぎて

ひたすら打てば胸は疼かん

修行が足りぬわけにはあらず

仇人であることを知りたればなり

死にぞこなひを打ち殺さずば

この恨み、いづれの時にか晴れぬべき

(韓延寿)ああ痛い、痛い。とりあえず名と姓を告げてくれ。かような無礼をはたらくとは。

(正末が唱う)

ああ

韓延寿、黙れかし

姓と名を尋ぬるなどとはとんでもなきこと

(正末が韓延寿を捕まえる)(唱う)

【喜江南】

ああ

このわしは、人を殺めて、家を滅ぼす和尚なり

鉄金剛も宥むるを得ず

わが弟の正六郎楊景は辺地を守り

(言う)韓延寿よ。

(唱う)

刃を頚に当てられしおまへはもちろん

五千の軍も半分は、陣地に戻ることを得じ

(言う)弟よ、蛮将の韓延寿を打ち殺したぞ。

(楊景)兄じゃ、韓延寿の首級をさらして、心肝を抉り出し、父上さまの遺骨の前に、おまつりしよう。この五台山の寺の中にて、七昼夜の法事をし、わが父と弟を済度して、天界に昇らせようぞ。

(外が寇莱公に扮して突然登場、言う)わしは莱国公寇准じゃ、聖上の命、八大王の令旨を奉じて、瓦橋関へとやってきて、亡くなった護国大将軍楊継業と揚延嗣の遺骨を迎え、代々の墓に葬るつもりだ。孟良は(えびす)の兵を撃退し、楊景が今もなお五台山興国寺にあり、七昼夜、法事をなして、亡魂を済度したことを報せた。孟良を連れ、徹夜で来たが、はやくも五台山に着いたぞ。(まみえ、言う)楊景よ、わしは陛下の命を奉じて、わざわざここにやってきたのだ、そのほうが取ってきた楊令公と七郎の遺骨はどちらにあるのかな。

(楊景)大人さま。父親と七郎の遺骨はどちらもございます、今、ここで追善をしております。

(寇莱公)あるのなら、楊景は楊朗とともに宮居に向かって跪き、聖上の命を聴くのだ。

(勅命)大宋朝は鴻業を受け継ぎて、良将を選抜し、辺疆を鎮守せしめたり。楊令公の功労はもつとも大きく、父と子は忠義を尽くせり。潘仁美は賊臣にして奸計あり、忠良を陥れ、故郷に帰還することを得ざらしめたり。李陵碑に汝の父はぶつかりて死し、七郎さえも生命を失へり。百箭会に幽魂は夢に現れ、遺骨を盗むに多くは孟良に頼れり。楊延景は忠孝を全うし、命を棄てて沙場に苦戦す。遠く敕使を遣はして迎へしめ、黄金を賜ひ、墳堂を築かしむべし。さらに霊廟(たまや)を建立し、千秋にわたり祭祀を行ひ、山河を安んじ、万代にわたり栄えしむべし。(人々が恩徳に感謝する。)

 

最終更新日:20101121

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[1] 『宋史』河渠志「自襄邑下流治白溝河。導京師積水而民田無害」。

[2]冥界をいう。

[3] 「漢主台」は、漢の武帝が功臣の図像を描かせていたという麒麟閣のことであろう。ここでは、図像を描かれるくらいの功臣になりたいと思っていたが、の意。『漢書』蘇武伝「甘露三年、單于始入朝。上思股肱之美、乃圖畫其人於麒麟閣、法其形貌、署其官爵姓名」。

[4] 『漢書』霍去病伝「去病出北地、遂深入至祁連山」注「即天山也。匈奴呼天為祁連」。

[5]『元曲選校注』はこれを王昭君の塚とするが、根拠は未詳。いずれにしても、ここでは、蛮地が自分たちの軍隊の死に場所となったことを述べていよう。

[6] ここでは楊令公がみずからを虎に喩えているのであろう。『集異記』「永清県令至任、其弟見荒廟巋然、莫知誰氏、訪之但云永清大王而已。令弟徙倚、久之昏然成寐、与神相接曰『我毘陵人也。大父子穏呉書有伝、誅南山之虎、斬長橋之蛟、与民除害、陰功昭著』」。

[7]原文「都做了一斉分付与東風」。未詳。自分が今まで立ててきた功業が、みずからの死によって空しくなったことをいうか。

[8]太公望呂尚のこと。ここでは楊令公がみずからを喩えるか。

[9]未詳だが、刑木であろう。

[10]原文「追斎累七」。未詳。とりあえずこのように訳す。

[11]火コは火徳星君、火神のこと。天蓬は天蓬真君。ここでは、これらの神のような武将をさすか。未詳。

[12]未詳。嘉州の謝りか。嘉州は四川省の州名。

[13]孟良のこと。第三折に「嘉州孟太僕」という言葉が見える。

[14]未詳。第二折第三折にも用例あり

[15]仏寺をいう。

[16]原文「袖伝一課」。杜叔芬は、これを袖の中で占いをすることだというが未詳。

[17]河北省の川の名。

[18] 「彪躯」という言葉については未詳。ただ、彪は小虎。したがって、彪躯は小虎のような体。

[19]彫刻を施した鞍。

[20]飼い葉桶。

[21]前二句原文「一个将眼再覷、一个将脚尖蹋」。未詳。「一个」がよくわからぬ。動量をあらわすか。主語は楊景か。とりあえず、こう訳す。

[22]王欽のこと。モデルは宋の王欽若。元雑劇『謝金吾』や、明代の小説『楊家府通俗演義』に、楊家を陥れる悪役として登場する。

[23]趙公元帥のこと。黒虎玄壇とも。道教の護法神で、黒い虎に跨っている。

[24] 『古今注』輿服「大駕指南車、起黄帝与蚩尤戦於涿鹿之野、蚩尤作大霧、兵士皆迷、於是作指南車、以示四方」。

[25]原文「気性差」。「差」が未詳。とりあえず、このように訳す。

[26]蘸は水に赤熱した刀などをつけて鍛えること。にらぐこと。金は金属の意であろう。

[27]哪吒『封神演義』『西遊記』などの登場人物。『西遊記』では、孫悟空と武術を競い合う。

[28]上二句。原文「我脊梁辺穏把葫蘆放、頑石上[手蚩][手蚩]的斧刀擦」。含意未詳。

[29]原文「駄喪馬」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[30] 『白帖』「孟宗後母好笋、令宗冬月求之、宗入竹林慟哭、笋為之出」。

[31]原文「拖笆袁孝」。未詳。

[32]下にある「管心」とともに未詳。塔の部位を示す建築用語と思われるがよく分からぬ。待考。

[33]原文「且休題官法如壚」。「官法如壚」はお上の法は火炉のように苛烈だということであろうが、典拠は未詳。

[34] 「祭風台」という言葉については未詳。ただ、恐らくは、諸葛孔明が赤壁の戦いに際して、東風が吹くように願った祭壇のことをいうのであろう。ここでは、遺骨を奪還しにいくに際して、天に祈ることは必要ない、ということか。

[35] 『異神記』「上元中、台州道士王遠知善易、作『易総』十五巻。一日雷雨雲霧中、一老人語遠知曰『所泄者書何在。上帝命吾摂六丁雷電追取』遠知掘地、旁有六人青衣、已捧書立矣」。

[36] 『史記』留侯世家「漢王亦因令良厚遺項伯、使請漢中地、項王乃許之、遂得漢中地。漢王之国、良送至褒中、良因説漢王曰『王何不焼絶所過桟道、示天下無還心、以固項王意』乃使良還行、焼絶桟道」。

[37]未詳。四天王のことか。なぜここで、このような台詞が発せられるかは未詳。意地悪をしていると、寺が天火で焼かれるぞということか。

[38]仏教語。良友の意。

[39] 「太陽骨」という言葉については未詳。ただ、こめかみのことを「太陽穴」ということから類推して、頭骨のことであろう。

[40] 「天関地戸」は天や地への入り口。ただ、ここでは難関、関門といった意味であろう。

[41]龍の住む池、虎の住む洞窟。ここでは敵地にある昊天寺をさしていよう。

[42]室火猪、尾火虎ともに二十八宿の一つ。二十八宿のうち室火猪、尾火虎が選ばれているのは、韻を踏む関係から。

[43]慣用句。あるものには、それと切っても切れない関係にあるものがあるということ。

[44]原文「知道是他受苦也俺受苦」。未詳。「他」を楊令公たちの意に解して、上のように訳す。

[45]諸葛孔明が曹操を火攻めにして破った地。博望坡。

[46]原文「只俺个道高的鬼神敬」。未詳。とりあえずこう訳す。

[47] 「無是無非」という言葉については未詳。ただ、是もなければ非もないということで、平穏な心の状態をいうのであろう。

[48]原文「緑陰満地禅房静」。典故未詳。

[49]仏教語。僧に布施をする俗人をいう。

[50]原文「你只好関門殺屎棋」。未詳。この句、意味が分からぬ。ただ、ここは韓延寿が頭がおかしくなった振りをしているところなので、意味のないことをいっているということか。

[51]仏教語。怒りのこと。

[52]唐の高僧。鳥窠禅師のこと。丁福保編『仏教語大辞典』一九四一頁参照。

[53]唐の高僧。章安大師のこと。『続高僧伝』巻十九に伝がある。

[54]天の兵。ここでは朝廷の兵をさすか。

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