謝金吾詐拆清風府雑劇

楔子

（冲末が殿頭官[1]に扮し、校尉を連れて登場｡）

（殿頭官の詩）主君の起くるは早ければ、大臣の起くるも早し。朝門に来たれど天(そら)は暁(あ)けやらず。長安の幾ばくの富豪の家ぞ、明星を知らずして老いに到れる[2]。

わたしは殿頭官。このたびは、王枢密が上奏し、都大路が狭いので、車駕の行き来に不便であるため、聖上の御諚を奉じ、王枢密に目印の竿を立てさせ、楊家の清風無佞楼まで壊したらやめるとのこと[3]。拒否する者があるときは、法律により罪に問う。部下よ、王枢密に伝えてくれ。すっかり取り壊したら、報せにくるがよい、聖上にご報告申しあげると。

（校尉）かしこまりました。

（殿頭官の詩）命を奉じて、宣旨を伝へ、玉階を下り、東庁の枢密に、知らしめん。大路にて、先づ目印の竿を立て、事が完(をは)らば聖上に、ご報告申しあぐべし。（退場）

（浄が王枢密に扮し、従者を連れて登場、言う）わたしは姓を王、名を欽若、字を昭吉というもの。このたびは、大宋真宗皇帝さまが即位され、景徳元年と改元された。わたしは今は、東庁枢密使となっている。ここには人もおらぬわい。わたしはもともと蛮邦の蕭太后の腹心で、元の名は賀驢児であった。四夷[4]の言葉に通じており、六蛮[5]の書に明るいために、南朝へ来て、間者となった。出発する時、蕭太后は、わたしが南朝の富貴に恋恋として、北蛮の恩義を忘れることを恐れて、わたしの左足裏に、朱砂により、「賀驢児」の三つの大文字を刺青された。下にはさらに二行の小文字で「むしろ南朝に反すとも、北蛮に背かず」とある。中原に入った時は、ちょうど真宗皇帝が東宮だった時にあたり、文学の士に選ばれて、出世することができたのだ。今、聖上は即位され、わたしを寵用されたため、枢密の職に昇任した。文と武の重責を掌り、諫言は聴かれ、計略は従われ、ほんとうに権勢がある。ただ、一つだけ気に入らぬ事がある。現在、楊令公の子で、姓を楊、名を景、字を彦明という名将がいる。さらにその配下には、二十四人の指揮使がおり、みな勇ましく、英れている。天下の軍人、民草は、みなかれを楊六郎と呼んでいる。かれら父子が忠を尽くして、国に報いたことにより、先帝はかれらの家に、門楼を造られて、清風無佞楼と題された。今でも楼には、三代の天子の御筆の敕書がある。朝官の尊いものも賤しいものも、通る者は、みな馬を下りねばならない。天子は春と秋とに参拝されている。楊六郎の母親は、佘太君に封じられている。先帝さまの誓書鉄券[6]には、「国とともに休(よろこ)ぶ」[7]とあり、かれら九人の死罪を免れさせている。楊景が瓦橋三関を守備しているため、北蛮は寸尺の地も得ることができぬのだ。近ごろ蕭太后さまは、人に手紙を届けさせ、わたしを咎め、昔の言葉を忘れたと仰った。わたしは今は、施すべき計略がない。想うに蕭太后さまが、毎年勝利することができぬのは、ひとえに楊景を怕れて、兵を起こされようとせぬためなのだ。楊景一人を殺されれば、二十四人の指揮使がいても、「蛇に頭がなければ進まない」ものだから、かれらを怕れることもない。その時、わが蕭太后さまが、ことごとく河北の地を奪われるのは、掌を返すがごとく、た易いことで、まことにわたしの平生の願いにかなうことなのだ。先だって、聖上は、都大路が狭いため、車駕の行き来に不便であると仰った。わたしはこの機会に乘じ、楊景を謀殺しよう。部下よ、婿の謝金吾を呼んできてくれ。

（従者）かしこまりました。謝金吾さま、どちらにいらっしゃいますか。

（丑が謝金吾に扮して登場。言う）このわれは、衙内なれども、愚かなるものにはあらず、白銀は、偏へに黒き眼に対し[8]、満城の民草は、わがことを聞けば怕れり。このわれは、権勢を笠に着る謝金吾ぞ。

わたしは謝金吾、衙内の職を拜命している。わたしが誰の権勢を頼っていると思われる。わたしの舅が王枢密であるために、誰もわたしを虐げようとしないのだ。わたしは人を打ち殺しても、命を償う必要もなく、兵馬司に行き、入牢するのみ。今、舅どのが呼ばれているから、行かねばならぬ。はやくも家の入り口に来た。部下よ、取り次げ。謝金吾が到着したと。

（従者）旦那さまに、お知らせ申しあげまする、謝金吾さまが来られました。

（王枢密）通すがよい。

（従者）お入りください。

（謝金吾が見え、言う）お父さま、わたくしを呼ばれましたは、いかなる公務にございましょう。

（王枢密）そなたを呼んだはほかでもない。先だって、聖上は、都大路が狭いため、車駕の行き来に不便であると仰った。わたしは本日、上奏し、京城の内外で、丈二の目印の竿を立て、目印の竿にぶつかるものは、軍人の家であろうと、庶民の家であろうとすべて取り壊し、楊家の清風無佞楼まで壊したら、やめにすることになった[9]。知らぬであろうが、楊家はわたしの仇敵だから、今、「到」の字に、人偏を添え、「倒」の字にして、「清風無佞楼を壊したらやめにせよ」[10]にするとしよう。都大路の幅と高さを計測し[11]、すべて取り壊してしまえ。金吾よ、そなたは注意して、清風無佞楼を壊したらやめにして、はやくわたしに報告してくれ。

（謝金吾）わたしが行けば、たとい銅墻鉄壁だろうと、壊せぬはずがございませぬ。

（王枢密が唱う）

【仙呂賞花時】われはなどてか清風無佞楼を取り壊さんとせる。これもまた、われと楊家の話の投ぜざるがためなり。

（言う）楊景は、あいつの家の門楼が壊されたことを聞いたら、家へと馳せ戻ってきて、わたしを咎め、その事を上奏しよう。その時、わたしはあらかじめ人を遣わし、あいつを捕らえ、聖上に上奏し、受け持ちの地をみだりに離れ、こっそりと三関を離れた罪に問うとしよう。

（唱う）欺きて雄州を離れしむれば、かのものを斬首することを得ん。

（言う）このことは、わたしとそなたしか知らぬから、漏らすでないぞ。

（謝金吾）わたくしはまことに賢うございますから、お命じになられるまでもございませぬ。

（王枢密が唱う）これぞまさしく「六つの耳のあるときは、謀議はうまくゆかぬもの」[12]なり。（ともに退場。）

 

第一折

（謝金吾が人夫を連れて登場。言う）わたしは謝金吾、聖上の御諚を奉じ、この街道が狭いため、車馬の行き来に不便であるから、身分の高い官員の家も、身分の低い官員の家も、大路を塞いでいるのであれば、みな取り壊すことにした。この門楼の前に来た。この楼はまさに大路を塞いでおるわい。人夫たち、進み出て、取り壊すのだ。

（じいやが登場。言う）わたしは、楊令公家のじいや。門前で、誰かが大騒ぎしている。見にゆこう。（謝金吾に会う）人夫の皆さん、ひとまずお待ちくださいまし。なぜわが屋敷の清風無佞楼を壊されるのでしょう。

（謝金吾）この老いぼれめ、このわしが聖旨を奉じて、街路を広げていることを知らぬのか。おまえの楼はまさに大路を塞いでいるから、取り壊さねばならぬのだ。

（じいや）それならば、わたくしは、ご隠居さまを呼びにゆき、あなたとお話しさせましょう。太君さま、お出でください。

（正旦が佘太君に扮し、七娘子、八娘子を連れて登場｡）

（正旦）わたしは佘太君。中堂にぼんやりと坐っていると、入り口で大騒ぎしているのが聴こえる。何ごとだろうか。

（七娘子）じいやさん、どうしてそんなにあたふたとして来られたのです。

（じいや）ご夫人にお知らせ申しあげまする。謝金吾が大勢の人夫を連れて、家を壊して、わたくしたちの無佞楼の前に来ました。ご隠居さま、あの者とお話しになられてはいかがでしょう。

（正旦）誰がそう言ったのですか。

（じいや）今ちょうどあちらで取り壊そうとしておりまする。

（正旦）上には現に先帝さまの御筆があるから、あのものは取り壊そうとはしないだろう。あの者はまことに大胆。（唱う）

【仙呂点絳唇】わが百尺の楼台は、祖先の残ししものなるぞ。功(いさを)は大なるものにして、さらに郡馬[13]の名もあれば、かのものもみだりに壊すことはなからん。

【混江龍】この楼の建てられしとき、府(くら)に蓄へし幾ばくの財を費したるかを知らず。上には御筆の玉札と、欽賜せられし金牌があり。朝廷の官員たちの馬を下るるはもちろんのこと、天子さまさへ、春と秋とに、お参りせざることを得ず。

（じいや）今ごろは、手をつけておりましょう。ご隠居さま、お急ぎください。

（正旦が唱う）がやがやといふを聴き、ますます慌て、息ははあはあ。脚をいそいで擡げども、歩みを移すは難くして、宅門を少しも出づることを得ず。わたくしはここで人夫を遮れず、塵埃を逃れ得ず。

（謝金吾）ご隠居、来られてどうなさる。

（正旦）わが清風無佞楼は、聖旨を奉じて建てられたものなのですから、取り壊してはなりませぬ。

（謝全吾）ご隠居、それは違いますぞ。そのむかし、聖上は貴家のため、建てるよう、お命じになられましたが、このたびも、わたしが聖旨を奉り、貴家のため、取り壊すのです。わたしが道を歩くのに、邪魔なので、壊そうと思います。人夫たち、まずはあの門楼の磚と瓦を振り落とすのだ。

（正旦）この者は、まことに無礼。（唱う）

【油葫蘆】かのものは、瓦と磚を振り落としたり[14]、

（謝金吾）人夫たち、椽(たるき)をすべて壊すのだ。わたしは家に持ってゆき、薪にしよう。ご隠居に構うことはない。

（正旦が唱う）かれ、かれ、かれは椽を壊し、薪にせんとす。

（謝金吾）はやく壊すのだ。

（正旦が唱う）かれ、かれ、かれは、片時も措かず急きたてて、満城の人々はみな驚きを添ふ。わが一家のみ、かくも損なはれたるとは。

（謝金吾）ご隠居、お上に命ぜられた仕事は、思いのままにならぬもの[15]。わたくしは、朝門の外から壊し、多くの王侯宰相の邸宅を、すっかり壊したのでございます。貴家だけを取り壊しているわけではござらぬ。

（正旦が唱う）われはいそいで尋ぬれど、かれは無理やり頑張れば、進み出で腰帯を握りしめたり。

（謝金吾）ご隠居、御身はまことに聞き分けがない[16]、聖上の御諚を奉じているというのに、わたしを引きとめ、どうなさるおつもりか。

（正旦が唱う）聖旨がなきに、みだりに指図せるならん。

（謝金吾）ご隠居、偽りを申してはおりませぬ。こちらに聖旨がございます。

（正旦）聖旨がどこにあるのです。わたしはあなたと聖上にお目通りしにゆきましょう。（唱う）

【天下楽】われら二人は掴み合ひつつ君王の前へ上奏しにゆかん。

（謝金吾）わたしがあなたと行くことは構いませぬが、人夫たち、ご隠居に構わずに、とにかく壊せ。

（正旦が唱う）このろくでなし、かやうに悪しきものなりしとは。われわれは十余年、朝廷に仕へたる武官なりしも、

（謝金吾）おまえの楼が、都大路を塞いでいるため、壊すのだ。

（正旦が唱う）この門楼をあらゆる人が通り過ぎ、この門楼にあらゆる人が到れども、ただ御身謝金吾のみが道の狭きを厭ひたり。

（謝金吾）ご隠居、御身がひたすら喚いても、聖旨にははっきりと「清風無佞楼を壊したら、やめにすべし」と書いてあるのだ。わたしが勝手に作ったわけではないのだぞ。看たければ、看せてやろうぞ。本日は、いずれにしても取り壊さねばなるまいぞ。

（正旦）聖旨ではございますまい。

（謝金吾）まさか御身を欺くはずがないだろう。聖旨は偽造できぬもの。御身はひたすら四の五の言って、口に任せて誰を罵っておるのだ。それはよくないことではないか。

（正旦が唱う）

【那吒令】これはみな、王枢密、王枢密の計略にして、ことさらに謝金吾を、謝金吾を来たらしめ、壊したるなり。無理矢理に宋真宗、宋真宗を頂きて、上は天理の定めを怕れず[17]、下は人情の駭(おどろ)くを怕るることなし。汝(な)が上奏も、まことに疚しきものならん[18]。

【鵲踏枝】老いたる裙釵(をんな)のわたくしを切り捨てて、溌駑駘(ばかもの)の御身を得たり[19]。怨鼓[20]を敲き、皇城に走りゆき、金階にぶつかりて死せんとす。かのもの[21]の、ことのほか、壊せるを見て、思へずわれは感嘆し、傷心す。

（言う）謝金吾どの、わが家は御身とかねてから怨みなく、むかしから仇はございませぬ。

（唱う）

【寄生草】われらと御身は、とりたてて仇などはなかりしに、なにゆゑぞ、かやうに酷き仕打ちをなせる。狼藉者や無頼の者を率ゐつつ、朱楼画壁の誰(た)が屋敷なるかも問はず、たちまち雕欄玉階を消えしめぬ。御身のごときは、不忠不信の、人を害する賊にして、仁義ある朝廷の客とはいへず。

（謝金吾）聖旨のことはさておいて、わたしも現に朝廷の大臣だから、わたしにも盾突くべきではないのだぞ。

（正旦が唱う）

【村里迓鼓】かのものは朝廷の大臣なりと言ひたれど、われら楊家も民間の血筋にあらず。

（謝金吾）おまえはわたしを知らぬのか。わたしは王枢密の婿。おまえのような白髪頭は眼中にない。

（正旦が唱う）そもそも御身は舅の威光を恃みにし、年老いしわれを虐げやうとせり。

（金吾）この老いぼれめ、ほんとうに身の程を知らぬわい。話をさせてやれば、ひたすら年寄りであるのを恃み、くどくどと話すのをやめぬとは。おまえに鬚が生えたとて、相手にせぬから、行くがよい。

（謝金吾が正旦を推して倒す。）

（正旦が唱う）思ひがけなく、かのものに転ばされ、腰が抜け、膝を擦り、あやふく頭は破れんとせり。ああ、御身(おみ)も白髪頭の婆(ばば)を憐れみたまへかし。

（謝金吾）人夫たち、金の釘(かなぐ)の朱(あか)い戸や、虬(みづち)の彫られた亮槅(こうしど)の、解体できないものはみな打ち壊すのだ。

（正旦が唱う）

【元和令】かれ、かれ、かれは、金の釘(かなぐ)の朱(あか)き戸をこじ開けて、虬(みづち)の鏤(ほ)られし亮槅(かうしど)をすべて壊せり。

（謝金吾）柱を切って、壊すのだ。

（正旦が唱う）沈香の柱をまるで麻殻のごとくに壊し、大半の街を平らかにせり。

（言う）門楼を壊されたのはいいとして、どうして御筆の牌額も打ち壊したのですか。

（唱う）牌額をなどて打ち壊されたるや。

（謝金吾）この牌額を砕いても、大したことはないだろう。訴えたいなら、訴えるがよい｡

（正旦が唱う）もしや御身は「官印をもち、世間をなみする」[22]ものにあらずや。

（謝金吾）聖上の御諚を奉じてこちらにいるのだ。わたしを罵ることは聖旨を罵ることと同じだぞ。聖旨を罵ることがいかなる罪になるのか存じておろう。

（正旦が唱う）

【青哥児】かのものは、わが家の、わが家の邸宅を取り壊し、大袈裟な、大袈裟な言葉で脅せり。全身に口がありとも、いかでか弁ずることを得ん。ああ、はからずも、老年になり、災ひに遭ひ、かのもののため、通りにて、押し倒されて、転んで体を傷つけて、鬼門関[23]より子らを呼び戻さんとせり。かのものは、ひどく人をば虐げり。

（謝金吾）人夫たち、本日は壊しきれなかったが、明日また来て壊すとしよう。（退場）

（正旦）ああ、これは謝金吾がここに来て狼藉をしたのではなく、あきらかに、王枢密がわれわれの敵となり、ことさらに、謝金吾を来させたのだろう。六郎は、ほんとうに怒りっぽいから、このことを知ればかならず馳せ戻ってきて、王枢密の術にはまってしまうだろう。じいやさん、きてください。今日、わたくしは、手紙を一通書きましたから、瓦橋三関に赴き、六郎に、はっきりとした聖旨があれば、関を離れろ、はっきりとした聖旨がなければ、関を離れてはならぬと言ってください。気をつけて。（唱う）

【賺煞】悪しき心の賊を除きて、また門楼を建てずんば、われわれは、楊家の姓を、改むるよりほかなかるべし。かのものは、わが子を嫌ひ、その罪を探さんとせり。今日われは、執事の御身をみづから遣はさんとせり。手紙には、しかと述べたり。疑ふなかれ、内情は大いに恐ろしきことに関はれり[24]。かのものに罵られたりしかど、わが子には、忍ぶべし、軍機を誤り、要衝の関門[25]を、ひそかにな離れそと言い含むべし。（退場）

 

第二折

（冲末が楊六郎に扮し、卒子を連れて登場｡）

（楊六郎の詩）雄鎮[26]の三関を二十秋(はたとせ)守れば、蛮兵は白溝を犯さんとせず。父兄らは、国のため、忠孝を行ひて、清風無佞楼をぞ勅賜せられたる。

それがしは姓は楊、名は延景、字は彦明、原籍は河東の者だ。父親は金刀教手無敵大総管の楊令公。母親は佘太君。それがしの七人の兄弟は、平、定、光、昭、朗、景、嗣。それがしは六番目。三関を守備している。三関とは何かといえば、梁州の遂城関、霸州の益律関、雄州の瓦橋関。これがすなわち三関だ。それがしは、六使の職を受けている。六使とは何かといえば、辺関内外点検使、界河両岸巡綽使、関西五路廉訪使、推浙両場催運使、豳汾二州防御使、河北三十六処救応使。これがすなわち六使の職だ。ああ憎らしい。北蛮の韓延寿めは無礼なやつだ。それがしと鋒を交えたが、それがしは半本の箭も中ててはいない[27]。それがしの配下には、結義した兄弟たち、岳勝と孟良以下、総勢二十四名の、掛印指揮使がいる。かれらを褒めるわけではないが、ほんとうにみな武芸に通じ、兵機を弁え、冠(かぶり)に金の獬豸(かいち)[28]を挿して、甲(かぶと)に錦の[犬唐]猊[29]を掛け、ひようひようと弓を射て、ぱかぱかと馬を走らす。命知らずの、国家を守る将軍で、太き胆、雄(たけ)き心の、勇ましく戦う男児(おのこ)。それがしは今日、元帥府にて軍議を開く。部下よ、轅門の外で緊急の軍情を報せる者があるときは、わたしに報せよ。

（じいやが登場。言う）わたしは楊令公家のじいやだ。謝金吾は、清風無佞楼を壊して、ご隠居さまを階段から突き落とし、頭に怪我を負わせたぞ。ご隠居さまのお言葉は、手紙を持って、まっすぐに三関の六郎さまのもとへ行けとのことだった。話していると、はやくも着いた。轅門の番人よ、元帥さまにお知らせしてくれ。入り口にじいやがいますと。

（六郎）通すがよい。

（卒子）お入りください。

（じいやが見え、言う）急ぎの用があるために、会いにきたのでございます。

（六郎）じいや、どんな急ぎの用があるのだ。

（じいや）元帥さま、ご隠居さまのお手紙がこちらにあります。ご覧ください。

（六郎が手紙を開き、跪いて読む）手紙を見せよ。「母太君より六郎へ：こたび王枢密は、婿の謝金吾に命じて、清風無佞楼を壊して、わたしを階段から突き落とし、転ばせて、わたしの頭を傷つけた。まことに腹立たしいことなので、そなたに知らせる。そうはいっても、辺関の要衝の地にいるのであるから、はっきりとした聖旨がなければ、わたしのことを気に掛けて、こっそりと関を離れて、王枢密の奸計に堕ちないように。しっかり覚えておくのだよ。」（怒り、言う）じいや、食事をしたら、先に戻って、太君さまにしっかり養生するように伝えておくれ。わたしにはおのずから考えがある。

（じいや）わたしは長居はいたしませぬ。ご隠居さまにご報告しにゆきましょう。

（詩）手紙を伝へ、すぐに戻らん。路は遠きも、苦しみを避けんとはせず。願はくは順風を借り、一日にして家に戻りて、太君さまに見えんことを。（退場）

（六郎）今からひそかに三関を後にして、母じゃに会いにゆきたいが、いかんせん、受け持ちの地をみだりに離れるわけにはゆかぬ。恨みは骨髄に徹して、報いぬわけにゆかぬから、ゆっくりと計略を考えよう。部下よ、帳門[30]をかたく守るのだ、

（外が焦賛に扮し登場、詩）三関を守備するは好漢にして、蛮兵を殺して逃ぐるなからしむ。軍前陣後に敢へて先んず。われはすなはち虎頭[31]魚眼[32]の焦光賛。

それがしは焦賛じゃ。辺境を見回って、先ほど戻ってきたのだが、兄じゃに会いにゆくとしよう。部下よ、取り次げ。焦賛が到着したと。

（卒子が報せる）元帥さまにお知らせ申しあげまする。焦賛さまが来られました。

（六郎）通すがよい。

（卒子）お入りください。

（焦賛が見え、言う）兄じゃ、辺境を見回りましたが、何事もございませぬので、わざわざ報告しにまいりました。

(六郎)弟よ、何ごともなかったのなら、戻るがいい。

(焦賛が外に出て、言う)わたくしは、気がついた。普段、わたしに会われるときは、嬉しげにされているのに、今日ははなはだお怒りだった。わたしは行かずに、ここにいて、あの人が何と仰るかを聴こう。

(六郎)焦賛は行ってしまった。もう一度この手紙を読もう。「母太君より六郎へ：こたび王枢密は、その婿の謝金吾に、清風無佞楼を壊させ、わたしを階段から突き落とし、転ばせて、わたしの頭を傷つけた。まことに腹立たしいことなので、そなたに知らせる。」

(焦賛)そもそも兄じゃはこのような怒りを抱いてらっしゃったのか。あな憎らしや。王枢密は無礼なり。清風無佞楼を取り壊し、太君さまを転ばせて、頭をすっかり傷つけるとは。兄じゃが戻られるときには、わたしは先に上京し、あいつの一家老若を、皆殺しにし、兄じゃの恨みに報いよう。さあ行こう。まことに楽しや。

（詩）西蛮に境をば接したれども、険隘の処には、おのづから、見回りをして、防ぐものあり。岳排軍に寨を死守させ、われは六郎さまに内緒で、まず三関を離るべし。（退場）

(六郎)ああ、このような恨みには、いつになったら、報いることができるやら。わたしはひそかに三関を離れたいのだが、いかんせん、諸将を指揮する者がいない。この事は、漏らすわけにはゆかぬわい。焦賛に知られたら大変だ。このようにするしかあるまい……部下よ、岳勝と孟良を呼んできてくれ。

(卒子)岳勝さま、孟良さま、どちらにいらっしゃいますか。

(外が岳勝に扮し登場、詩)一片の赤心をもて、皇朝をお佐けし、日夜辺地を見回りて、労を憚ることぞなき。三百万の蛮兵があらんとも、われらが岳家の刀には敵ふまじ。

それがしは双刀岳勝、楊景麾下で将軍となっている。演武場にて兵卒の操練をしていたところ、兄じゃが呼んでいらっしゃる。何ごとだろうか。行かねばならぬ。部下よ、取り次げ。岳勝が到着したと。

(卒子が報せる）元帥さまにお知らせ申しあげまする、岳勝さまが来られました、

(六郎）通すがよい。

(卒子）お入りください。

(岳勝が見え、言う）兄じゃ、わたくしを呼ばれましたは、いかなるご用にございましょう。

(六郎)ひとまずあちらにいるがよい。

(外が孟良に扮して登場、詩)両軍は、相対峙して、戦を促す太鼓を三たび敲きたり。それがしは身に火葫蘆(くわころ)[33]を担ぎ、肩に蘸金(しやうきん)斧(ふ)[34]を負へり。それがしは加山孟良[35]。楊六郎さまの配下で、指揮使の職についている。先ほど兄じゃに呼ばれたが、何ごとだろうか、行かねばならぬ。部下よ、取り次げ、孟良が到着したと。

(卒子が報せる)元帥さまにお知らせ申しあげまする。孟良さまが来られました。

(六郎）通すがよい。

(卒子）お入りください。

(孟良が見え、言う)兄じゃ、わたくしを呼ばれましたは、いかなるご用にございましょう。

(六郎)なんじら二人を呼んだのは、ほかでもない。このたびは、王枢密がかれの婿、謝金吾に命令し、われら楊家の、清風無佞楼を壊して、老母を階段から突き落とし、頭に怪我をさせたのだ。わたしはひそかに三関を後にして、母親を訪ねてゆこうと思うのだ。岳勝よ、諸将を率い、寨を死守し、蛮兵を防ぐのだ。それがしが病気になって、今すぐに出ることはできぬというのだ。諸将は一人も付き従うのは許さない。それがしは夜を徹し、ただ一人、ひそかに三関を離れて、母親に会いにゆくとしよう。

（詩）軍馬を駆りて、徹夜にて、馳せ戻らんとす。将校たちは、陣営を離るるなかれ。太君が転んで怪我をなされずば、それがしもこつそりと三関を離れんとはせず。（退場）

(岳勝)兄じゃは行ってしまわれた。孟家の弟よ、わたしは兄じゃの軍令を奉り、寨を死守することにする。そなたは軍馬を整えて、辺境のあちこちを巡回し、蛮寇を防いで兄じゃが戻るのを待て。気をつけて、命令に反してはならないぞ。

(孟良)兄じゃ、ご安心なさいまし。わたくしは分かっております。

(岳勝の詩)元戎は遅かれ早かれ戻るべし、兵戈を整へ、しばしも休む時はなし。

(孟良の詩)辺境を見回るに、われを留めば、蛮兵は、南を看んとすることはなかるべし。(ともに退場。)

(焦賛が登場。言う)わたしは焦賛。兄じゃがひそかに関を離れて、年老いた母じゃを訪ねられるため、城門の外で見張りし、あのかたが来られたら、声をかけよう。そろそろ来られることだろう。

(六郎が登場。言う)それがしは楊景だ。諸将に内緒で、三関を後にして、この城門の外にきた。さらに待ち、暗くなったら、城に入ってゆくとしよう。(焦賛に会う。）

(焦賛）兄じゃ、どちらへ行かれるのでしょう。

(六郎)弟よ、どちらへ行くのだ。

(焦賛)兄じゃ、とっくに知っておりますよ。わたしは兄じゃの護衛になって、ごいっしょに入城し、母じゃを訪ねてゆきましょう。

(六郎)弟よ、知っているなら、大騒ぎせんでくれ。われら兄弟二人は、母じゃを訪ねてゆこう。弟よ、ふだんから、おまえは粗忽な性格だ。この事は、首を斬られる罪に関わることだから、すこしも漏らしてはならぬぞ。黄昏時に入城したら、弟よ、わたしといっしょに行くとしよう。（ともに退場。）

（正旦が七娘子とともに登場｡）

（正旦）ああ憎らしい。王枢密は、まことに無礼で、わが家の清風無佞楼を取り壊した。わたしは再三阻んだが、阻みきれずに、階段から突き落とされて、転んで頭を砕いてしまった。まもなく死んでしまうだろう。わたしはじいやを遣わして、六郎に知らせにゆかせ、かれが戻ってこぬように、話をさせた。じいやが来たら、はじめて事情が知れるであろう。（唱う）

【南呂一枝花】この両日、われは怒りて、悶悶と寝ね、患(わづら)ひて低低[36]と臥す。功臣を、むざむざと切り捨てて、賊子を放ち、狼藉させたり。天理はいかなるものなるや。間者はすべてを瞞きて、御前で寵用せられたり。中書省[37]の鼎鼐(てんか)を調へ、枢密院[38]の辺関を掌りたるも徒なり。

【梁州第七】すべてかの無頼のものの軍馬を動かしたるなりき[39]。汝(な)は一本の筆をもて天下を裁けるにはあらず[40]。悲しみて、この幾日か、耐へ難く、夜市(よみせ)の騒ぎ、露店での諍ひを聴くことはなく、行商たちの、商ひは多くはあらず。そのかみは、清風楼の前後に集まりたりしかど、今や寂しき一片の空地となりぬ。祥(めでた)き雲の碧瓦丹甍(へきぐわたんばう)を覆へるを見ず、暁の日の珠簾繍幕(しゆれんしうまく)に映ずるを見ず、香はしき霧の画戟雕戈(がげきてうくわ)[41]を鎖せるを見ず。かのものは、敢へて勝手なことをして、先帝さまの聖旨をすこしも怕るることなく、わけもなく、この禍を惹き起こしたり。わたくしは、床に着き、いかんともするを得ず、楼を壊されたりければ、生くる能はず。

（言う）息子たち、わたくしは眠りたいから、今すぐ門を閉じておくれ。

（楊六郎が登場。言う）それがしは楊景だ。城に入ったが、焦賛が見えなくなった。邸宅の入り口に来た。ひとまずそっと敲くとしよう。開けてくだされ。

（七娘子）どなたでしょうか。

（六郎）そなたの兄だ。

（七娘子）この門を開けるとしよう。六郎兄じゃが家に来られたのでしたか。

（六郎）妹よ、母上さまに、わたしが来たとお知らせしてくれ。

（七娘子）お母さまにお知らせをしてまいります。（見える。）

（正旦）今、誰が家の入り口にいるのだえ。

（七娘子）お母さま、六郎兄じゃが来られたのです。

（正旦）息子を入ってこさせておくれ。

（六郎が旦に見える。）

（正旦）息子や、おまえは勅旨を受けて来たのかえ。

（六郎）お母さま、わたくしは手紙を読むと、すぐ家に飛んでゆき、お母さまに会いたくて、たまらなくなったのでございます。聖旨を受けにゆく暇はございませなんだ。諸将に内緒で、ひそかに戻ってまいったのです。

（正旦）息子や、聖旨を受けていないのに、ひそかに関を離れたのは、よくないのではあるまいか。

（唱う）

【牧羊関】わたくしが、急いで人を遣はして、阻ましめしに、慌てて家に来たりしは、なにゆゑぞ。そなたは地網天羅(ちまうてんら)[42]より跳び出づることはなからん。かのものは、そなたを欺き、辺関を離れしめ、そなたを罪に陥れんとしたるなり。

（六郎）わたくしは、謝金吾がお母さまを転ばせて、頭に怪我をさせたため、まいったのです。

（正旦が唱う）かれ、かれ、かれは、わたくしを転ばせて、頭を傷つけたることもなく、わたくしを掴みたることもなかりき。門楼を壊されしため、怒りを生じたりしかど、この数日でやうやく癒えり。

（六郎）お母さま、わたくしが看てみましょう。まことにひどく腹立たしきこと。

（正旦）六郎や、しっかりするのだ。（唱う）

【罵玉郎】階の下で気絶したれば、慌てて扶け、坐らしめ、慌てて抱きしめ、きつく引き寄す。口の中には喝嘍嘍(じゆるじゆる)と涎が湧けば、わたしはそなたの腕を揺らして、耳を引き、大声で呼びかけり。

【感皇恩】ああ、楊景と一声叫べど、呼び覚ますことを得ず。わたしは人中(にんちゅう)[43]をば抑へ、七娘子は髪の毛を引き、一家は騒げり。もしもそなたがぐつたりとして、目を醒まさずに、この世に婆(ばば)を置き去りにせば、わたしはいかでか持ち堪へ、切り盛りし、死すべけん。

（言う）王枢密は、（唱う）

【采茶歌】かならずや、わけもなく、干戈を起こし、馬嵬坡に追ひやらん。[44]

（言う）もしものことがあったときには、

（唱う）誰をして宋の山河を救はしむべき。かつてなきほどわたしをひどく愁へしめたり。しつかりし、ぼんやりとすることなかれ。

（六郎が目覚め、言う）父母の仇(かたき)にいつになったら報いることができるやら。ほんとうに、ひどく腹立たしいことだ。

（正旦）息子や、われら一家は、おまえ一人が頼りなのだよ。今すぐ三関へと帰り、禍をこちらで惹き起こさないでおくれ。

（六郎）母上さまのご命令には、わたくしは背こうと思いませぬ。今晩すぐに三関に戻りましょう。もし何か急ぎの用がございましたら、八娘子に手紙を届けさせ、お知らせください。

（正旦）息子や、ひとまずおまえに尋ねよう。（唱う）

【哭皇天】軍情は生半(なまなか)なことにはあらず。人を連れ、来たりしや、はたまた一人で来たりしや。

（六郎）お母さま、わたくしは弟の焦賛とともにまいったのでございます。

（正旦）焦賛はどこにいるのだえ。あの子を家に来させておくれ。

（六郎）城に入ると見えなくなってしまいました。

（正旦が唱う）あの子が城に入りし時、見えずなりぬと汝(な)は言へど、などやあの子を探さざる。昔より、あの子はいささか乱暴なれば、われわれの楼閣の壊されしことを聴きなば、わたくしが転ばされ、肩のくぼみを傷つけしことを聴きなば、かならずや、むらむらと、人を殺めんとする心を烈火のごとくに起こし、他人の恐ろしきことと、自らの生き死にさへも顧みることはなからん。

（六郎）焦賛は、ほんとうに、人を殺して、火を放つ性格ですから、いつか禍を惹き起こしましょう。これもまた「悪人はおのづから悪人に虐げらる」ということにございます。

（正旦が唱う）

【烏夜啼】ああ「悪人はおのづから悪人に虐げらる」とはいかなることぞ。これはみな、御身がみづから招きたる風波(わざはひ)ならん。かの賊も、大いなる権威を持てり。諍ひあらば、誰か収拾するを得ん。

（言う）息子や、焦賛にも構わずに、今すぐ三関へと戻り、賊臣の手に堕ちぬようにするのだ。

（六郎）お母さま、わたくしはまいります。（別れる。）

（正旦）息子や、とりあえず掛けるがよい。お役所の更鼓(かうこ)[45]を聴いたが、今、何更だえ。

（六郎）二更過ぎです。

（正旦が唱う）漏刻は沈沈として、二更を過ぎしばかりなり。心は懸懸、明日を待ち侘ぶ。ひとまず休み、とりあへず腰を掛くべし。一つには、馬に乗り、疲れしがため、二つには、腹の渇けるがため。

（言う）もう鶏が鳴きました。息子や、長居はせずに、今すぐに城を出て、三関に戻ってゆかねばならないよ。気をつけるのだよ。

（六郎）お母さま、しっかり養生なさってください。わたくしは、お母さまにお別れをして、行きましょう。

（正旦が唱う）

【尾声】鶏(とり)が鳴きなば、すぐに去り、ぐづぐづとすることなかれ。息子や、城門を飛び出づることを得ば、一命は逃がるべし。わたくしは、聖上の前へゆき、みづから言はん。王枢密は刻薄にして、あれこれそなたを損なはん。息子や、そなたは先を急いで、わたしに構ふことなかれ。（退場）

（六郎）母上さまにお別れし、三関に行かねばならぬ。

（詩）真夜中に家に戻りて、夜はいまだ明けざるも、発たんとしたり。忠を尽くして、孝を尽くさず、親不孝者は悲しみ、心をぞ傷ましめたる。（退場。）

（巡軍が登場。言う）何ものだ。楊景だな。はやく捕らえて、しっかり縛り、枢密さまに会いにゆこうぞ。

（六郎）隣近所の皆様方、わたしの母に、王枢密が楊六郎を捕まえて、仕置場に行ったとお報せくださいまし。お母さま、あなたのせいで、まことに悲しゅうございます。（退場）

 

第三折

（謝金吾が梅香とともに登場｡）

（金吾）わたしは謝金吾。清風無佞楼を壊して、戻ってこのかた、幾日か、ずっと眼がぴくぴくするぞ。諺に「眼がぴくぴくとすれば、不運が到る」というが、何らかの不運がわが家を訪れるのではあるまいな。梅香よ、ひとまず酒を用意してくれ。何杯か飲むことにしよう。

（焦賛が登場。言う）それがしは焦賛だ。六郎兄じゃと、ひそかに三関を離れた。日はもう暮れたが、城内に入ったぞ。「君子は怨みに報ゆるに、とりあへず三年(みとせ)待つ」[46]とはよくいったもの。それがしはせっかちだから、三年はもちろんのこと、一夜でも待つことはできぬわい。王枢密と謝金吾は無礼なやつだ。それがしは、この邸宅が謝金吾の住宅であることを聴きだした。それがしはまず、謝金吾一家の主従を殺し、その後で、王枢密を殺しにゆこう。お役所の更鼓を聴けば、三更前後だ。この塀を跳び越えて、この裏庭にやってきた。耳を澄ましてみるとしよう。

（梅香）衙内さまは、今でもあちらで、大酒を飲んでいらっしゃる。そろそろお休みになるだろう。表と奥へ仕事をしにゆくことにしよう。（猫を呼ぶ）猫や、猫や。

（焦賛が梅香を殺そうとして、言う）このあま、逃げるな、刀を食らえ。

（梅香が死に、退場）

（焦賛）ここが謝金吾の寝室だ。踏み開けよう。（謝金吾を殺す。）

（焦賛）謝金吾と家族十七人を殺した。このまま去るのは、好漢ではない。わたしは「立ちては名を更へず、坐しては姓を改めず」[47]、上着を切って、血溜りの中、鮮血に漬け、四句の詩をあの白壁に書くとしよう。（書く。）

（詩）来ること多く、去ること少き関西(くわんせい)の漢(ますらを)は[48]、人を殺して、火を放つのは、慣れたもの、十七人は誰か殺しし。六郎麾下の焦光賛なり。

（言う）この詩はまるで朱筆で書いたかのようだ。ほんとうによく書けている。「毒をくらはば皿まで」だ。謝金吾を殺し、さらに王枢密を殺しにゆくとしよう。あの塀を跳び越えよう。

（巡軍[49]が登場。言う）何ものだ。捕まえろ。これは焦賛ではないか。しっかり縛って、枢密さまに報せにゆくのだ。（退場）

（浄が韓延寿に扮し、蛮卒を連れて登場｡）

（韓延寿の詩）馬が到らば、旗は開きて、到るところで平伏(ひれふ)せり、軍に臨みて、陣に対して、勝負を決せり。掌る蛮兵は、すべて領袖、塞北の英雄の第一人者。

それがしは、蛮将の韓延寿、今、都総管大将の職にある。それがしの配下には、百万の猛兵と、千人の将軍がおり、大宋とつねづね対峙しているが、勝利することができない、それはいったいなぜかといえば、南朝に一人の大将、楊六郎がいるためなのだ。あのものはまことに勇猛、久しく河北の地を守り、蛮兵のわれらはかれらの国に侵入できぬのだ。このたびは、太后さまの御諚を受けた。わが方に一人人物がいる。それは賀驢児だ。このものは、六蛮の書に深く通じているために、南朝に行き、間者となって、王欽若と改名している。あのものが中原で出世を遂げれば、わが国と内外呼応することができるであろう。ただ、あのものは中原の富貴を慕い、わが契丹の恩義を忘れる心配があったので、左足裏に、朱砂で「賀驢児」の三文字の刺青をしておいた。はたして、かれは南朝に行き、枢密の職となり、馬に乗っては、軍をたばねて、馬を下りては、民をつかねて、まことに羽振りがよかったが、恩義に背いた。ただではすまさぬ。わたしはしばしば間者を南朝へと行かせ、賀驢児に会わせているのだが、今になっても報告がない。これから、さらに有能なものに、一通の手紙を持たせ、賀驢児に会いにゆかせよう。手紙はすでに書きあげた。下役よ、本日は間者となって、まっすぐに京師へ行って、王枢密に会うがよい。関所では、気をつけるのだぞ。官軍に用心し、楊六郎に気取(けど)られるなよ。今日すぐに行け。

（詩）風霜と路の寒きを避くることなく、探馬[50]となりて、辺関に入る。王枢密に見ゆとも、返書を得ずば戻るべからず。

（蛮卒が登場。言う）わたしは韓延寿。幕下の下役。わが元帥の軍令を奉り、南朝へ行き、王枢密に会うことと相成った。この山の中腹にやってきて、路に迷った。どちらへ行ったらよいだろう。遠くから官軍がやってきたから、ひとまずこちらに隠れよう。

（孟良が登場、言う）わたしは孟良。向こうに一人の蛮兵がいる。兵卒よ、捕まえてくれ。蛮兵よ、どこへ行くのか、正直に話すのだ。もし話さねば、兵卒よ、わたしの斧を持ってきてくれ。こやつのそ首を切り落とそうぞ。

（蛮卒）将軍さま、わたしをお斬りにならないでくださいまし。わたしが死んだら、誰が手紙を届けましょう。

（孟良）手紙を見せよ。このものは、まさに間者だ。今日すぐに岳勝兄じゃにお知らせしよう。このものを縛ったら、まっすぐに京師へ行って、聖上に見えよう。

（退場）

（王枢密が登場。言う）「恨みがなくば君子にあらず、毒なくば丈夫(ますらを)ならず」。あな憎らしや、楊景は無礼なり。かのものは、ひそかに三関を離れて、受け持ちの地をみだりに離れ、真夜中に謝金吾主従十七人を、みな殺しにした。わたしはすでに人に命じて、楊景と焦賛の両名を捕まえさせた。これぞまさしく、「飛んで灯に入る夏の虫」。かれらはわたしの手の内で死ぬことだろう。ただ楊景は、郡馬であるから、勝手にかれを一刀のもと、殺してしまっていいわけがない。もしも郡主[51]が参内し、不平を鳴らしにきたときは、かれと裁判しなければならぬわい。このたびは、あることないこと、聖上に上奏し[52]、かれら二人を刑場に護送して殺害し、後顧の患えを絶つとしよう。わたしは監斬官[53]となり、この刑場にやってきた。部下よ、いずこぞ。首切り役人に命じて、罪人二人を縛ってまいれ。

（首切り役人が楊景、焦賛を捕まえて登場。）

（首切り役人）急ぐのだ、時間が来たぞ。

（六郎）弟よ、酷い目に遭わせてくれたな。

（王枢密）楊景よ、焦賛よ、そなたらは、受け持ちの地をみだりに離れ、三関をひそかに抜けて、わけもなく、謝金吾一門十七人の主従を殺害しただろう。そなたは罪を認めるか。

（六郎）だれに救ってもらおうか。

（王枢密）首切り役人、午の三刻になったら、すぐに手を下すのだ。

（首切り役人）かしこまりました。

（正旦が皇姑[54]に扮し、雑当[55]を連れて登場｡）

（正旦の詩）朝(あした)には、黄金の殿(との)に登りて、夕(ゆふべ)には、宰臣の家に宿れり。飢うれば御厨(ぎよちゆう)[56]の飯を食らひて、渇きしときは翰林の茶を飲めり。

わたくしは長国姑。こたび、わが婿楊六郎は、受け持ちの地をみだりに離れ、要衝の関門を勝手に後にし[57]、焦賛を連れ、上京し、謝金吾の十七人の家族を殺した。王枢密は聖上にあることないこと上奏し、仕置場を設け、監斬官となったから、まもなく二人の息子らは、殺されてしまうであろう。わたくしは、配下の供を幾人か連れ、仕置場に乗り込もう。（唱う）

【越調闘鵪鶉】わたくしは、刑に赴く息子を看、わが婿を救はんとせり。本日は、郡馬が処刑せられんとせり。君皇は、まことに酷きなされやう、大臣(おとど)らは、処刑するなかれと諌むることぞなき。午の三刻に到りなば、手を下せとの声を聴くべし。「一将は求め難きも、千軍は得易し」と言ふを聞かずや。

【紫花児序】驚きて、わたしは焦り、心臓は刀で掻き乱さるるかのごと、悲しみて、腹は錐もて剜らるるかのごとくして、ぽろぽろと泪は多し。

（王枢密）首切り役人、ひとまず待つのだ。どこぞやの皇族がいらっしゃたぞ｡あのかたが通り過ぎたら、処刑しよう。

（正旦が会う、王枢密）誰かと思えば、楊六郎の姑の長国姑だぞ。下手に出れば、きっとわたしに楊六郎を助けることを求めるだろう。再び天子に上奏すれば、楊六郎は許されてしまうだろう。法が厳しいことをあいつに説明すれば、心配あるまい。わたしは東庁枢密だから、あいつもわたしを怒らせようとはせぬだろう。（挨拶をして、言う）国姑さま、こちらにいらっしゃったのは、いかなるご用にございましょう。

（正旦）わたくしは用事がなければまいりませぬ。

（唱う）長の別れのご飯を送り、わが婿にこれ以上、物思ふことなからしめ、永の別れの酒をもて、わが婿と別れんとしたるなり。

（王枢密）これは聖旨にございます。

（正旦が唱う）なんぴともやすやすと聖旨に背くことはなからん。

（王枢密）国姑さま、「良吏は月局(じよろや)に構うことなく、貴人は危険な場所を踏まない」ものですぞ。この場所に、来られなくともようございましょう。

（正旦が唱う）身内にあらずば、この仕置場に来るはずはなし。

（王枢密）仕置場にございますれば、国姑さま、ひとまずお帰りくださいまし。

（正旦が唱う）かのものは二三たびわれに答へり。汝(な)はなにゆゑぞ、口に任せてでたらめを言ひ、罵りてわが面目をなからしめたる。

（王枢密）ああ、わたくしは罵っておりませぬ。仕置場は国姑の来られる場所ではないと、ご忠告いたしたまでにございます。想うに楊家の父子(おやこ)には、どのような功労がございましょう。

（正旦）あなたはご存知ないのでしょうか。かれらの家に功労がないのなら、あなたには功労があるのでしょうか。（唱う）

【金蕉葉】京城の民草たちはみな知れり。そなたはわれらが大宋朝に、何らの力も出ししことなし。かれら父子のことを語ればまことに悲し。代代国家のためにせしかば。

（王枢密）楊景どのはまあよいとして、あの方の父親の楊業どのは、力量がなく、陣頭で亡くなりました。あのかたも、功労があるのでしょうか。

（正旦が唱う）

【寨児令】かれ、かれ、かれもわれらが趙の社稷のために、甘んじて、李陵碑に当たりて倒れり。たとひ死すとも名節を損なふことなし。かれもかつては将軍を斬り、軍旗を奪ひ、武威を耀かししことあれば、天が下にて、かれが楊無敵であることを知らぬものなし。

（王枢密）楊景どのの兄じゃの楊五郎どのは、剃髪し、僧となられた。このように死を怕れても、功労があるのでしょうか。

（正旦が唱う）

【幺篇】汝(な)は楊和尚[58]が天陣を破りしときにいささかの酷き目に遭へりと言ひて[59]、銅台が誰により救はれしかを言ふことぞなき[60]。かのものの弟は、戦場(いくさば)でいたく闘ひ、刀の先で功をば得り。なにゆゑぞ、かのものを仕置場の、よき宴席[61]に赴かしめたる。

（王枢密）事ここに至っては、かれを怕れることもあるまい。わたしは東庁枢密使。このものも、わたしを怒らせようとすることはあるまい。国姑さま、楊景どのは罪を犯されたのですぞ。「一人が反せば、九族が誅せられん」といわれております。国姑さま、あの罪人を救おうとなさるとは、王法を無視なさるおつもりですか。

（正旦）わたしの二人の息子らは、そのむかし、功を立てて、このたびは罪を受けました。功で罪を贖うべきです。王枢密どの、国姑のわたしの顔を立て、二人の子供をお許しください。

（王枢密）国姑はまことに尊大だ。わたしが人を殺そうとしているときに、ご自分の顔を立てろと仰るとは。わたしの顔を狗に食わせるおつもりか[62]。

（正旦）誰を罵られたのです。許されるなら、かれらを許され、許さないなら、それでよいのに、どうしてわたしを罵ったのです。

（王枢密）わたくしは、腐っても、東庁枢密使でございます。

（正旦）あなたが東庁枢密使ですか。想えばあなたは、そのむかし、志を得ないとき、墨壺を持ち、詩を売って、訴状を書かれていましたが、あのときも、東庁枢密使だったのですか。

（王枢密）国姑どの、大目に見れば、ますます勝手なことを仰る。わたしが志を得ないとき、墨壺を持ち、詩を売って、訴状を書いていたと言うとは。御身の家のご先祖は、そのむかし、志を得ないとき、関西五路[63]をさすらって、首を延ばして、傘を売る車を引いていたでしょう。

（正旦）このものはまことに無礼。（唱う）

【鬼三台】民草たちよ、聴きねかし。奸賊の王枢密は、敢へてわたしと口喧嘩して、上下尊卑をかやうになみせり。わたしはこれよりそなたに問はん。皇族を罵らば、いかなる罪に当たるべき。

（王枢密）婆さん一人を罵ったとて、何の罪にもなりませぬ。

（正旦が唱う）汝(な)は朝綱を掌れども、王法を知ることもなし。諺にかくこそ言ひたれ。「他人を責むることなかれ、先にわが身を損なはん。」[64]。

（王枢密）わたしは東庁枢密使ですぞ。大臣を罵るべきではないのではございませぬか

（正旦）罵りましょう。罵りましょう。（唱う）

【調笑令】枢密を罵ることは、まかりならぬとそなたは言へど、わたくしは、そなたのことを、姓を改め、名を変へし漏面賊(あくたう)[65]と罵らん。蕭太后はそなたを忍びのものとして、幾年(いくとせ)帝主を欺ける。

（言う）わたくしが知らないと思っているのか。

（唱う）幼名を賀驢児といひしはそなたなるべし。

（王枢密）賀驢児などではございませぬ。わたしは王欽若ですぞ。

（正旦）お黙りなされ。あちらでは賀を姓として、こちらでは王を姓としている。

（唱う）げに山河(やまかは)は改め易きも、本姓は変へ難きもの。[66]

（言う）悪党め、わが家が聖旨を奉じていることを知っているのか。ちらりと見れば、眼を抉り、指させば、手と腕を切り刻もうぞ。（唱う）

【雪里梅】眼を抉り、引き出だし、手と足を切り刻み、懲らしめん。

（言う）わが家の供の者たちは、どこにいるかえ。

（唱う）長枷をこじ開け、六郎を扶け起こして、すみやかに部下を呼ぶべし。

（楊景、焦賛を釈放する。王枢密が奪おうとすると、正旦が打つ。）

（六郎）お母さま、このものを殴られないでくださいまし。おそらくまずうございましょう。

（正旦が唱う）

【禿厮児】かくせずば、などてかなんぢを救ひ得ん。打ち殺さずば、忠直と言ふを得ず。わたしがこたび手を下せるはまことに遅し。わたしとおまえ[67]は掴み合ひ、宮中に入り、お上に会ひにゆくとせん。

（王枢密）わたしは東庁枢密使、国家の大臣、おまえはわたしをどうするつもりだ。

（正旦）

【聖薬王】たとひなんぢに権勢があり、地位がありとも、所詮わが天朝配下の奴婢(しもべ)なり。わたくしはなんぢを怕るることぞなき。わたくしが天潢(てんくわう)[68]の支派なるは、疑ひなし。さあ、さあ、さあ、敢へてなんぢと争はん。

（王枢密）そなたが国姑であることは知らないぞ。先帝さまは、潜める龍[69]でおわした時に、雨傘を売り、関西五路を旅されていたのだから、それほど多くの親戚はいないはずだぞ。今日になり、こちらも親戚、あちらも親戚だというつもりか[70]。そなたの家は、苗字が柴で、お上は苗字が趙なのに、胡おばさんか、假おばさんか[71]、いったいどんな親戚なのだ。

（正旦）こいつめ、聴くがよい。わたしは太祖皇帝さまの妹にして、太宗皇帝さまの姉、真宗皇帝さまのおば、柴駙馬の妻、杜太后の娘、柴世宗皇帝の嫁なのだ。おまえはわたしを知らぬのか。（唱う）

【麻郎児】われらが柴家は、孤児を托して位を譲り、われらが趙家は、禅譲を受け、帝位に登れり。すべて一門親戚にして、縁が遠きも結義せしものの比にあらず[72]。

【幺篇】わが長兄は、天下を開き、帝位に登り、次兄は、帝位を継ぎて、天下を治めたり。今上は、わが同族の甥にして、先帝はわが同腹の姉妹なり[73]。

【慶元貞】われはもともと、深宮の内苑の帝王の姫なりしかど、今は瓊楼朱邸(けいろうしゆてい)[74]にて、重臣の妻となり、家には丹書鉄券(たんしよてつけん)[75]の輝きたるを藏したり。賊のそなたは知らざれど、みなは知りたり[76]。なにゆゑわれを胡おばさん假おばさんとぞ呼びなせる。

（王枢密）そなたは楊六郎のため、ひたすらわしを罵っている。楊景はひそかに三関を離れて、焦賛は謝金吾一家十七人をみだりに殺したのだから、誅殺されて当然なのに、なぜ仕置場に押しかけるのだ。わしはそなたを捕まえて、聖上に会いにゆくとしよう。

（正旦）通りの両側の皆さん、お聴きください。このものが仕置場で、わたくしを罵ったのは、まあいいでしょう。ただ、朝廷に赴いて、このものの朝靴(ちょうか)[77]を剥いで、足裏をご覧になれば、二行の朱砂の文字があり、「賀驢児」、「むしろ南朝に反すとも、北蛮に背かず」と刺青してあることでしょう。わたくしがこのものを誣告しているはずはありませぬ。（唱う）

【收尾】かのものの賀驢児てふ幼名を長らく隠すことを許さず。足の裏には、現に二行の朱砂の字があり。明日になりなば、わたしはつぶさに君王に上奏し、やすやすとそなたを釈放することはなかるべし。（退場）

（王枢密）ああ、楊六郎、焦賛の二人を殺し、根絶やしにしようしたが、はからずも、国姑によって仕置場に押しかけられて、二人を釈放されてしまった。かくなる上はどうしてくれよう。まず聖上に上奏し、国姑もわが手で亡き者にするしかあるまい。

（詩）いかんせん、あばずれ婆は、堂々と仕置場に押しかけり。われはこれより、聖上に面会し、先に手を下すがよからん。（退場）

 

第四折

（殿頭官が校尉を連れて登場。言う）わたしは殿頭官。このたびは、楊景と焦賛が、ひそかに三関を離れて、みだりに謝金吾を殺したために、聖上は、王枢密に、二人の処刑を見届けるよう、お命じになられたが、いったいどうして報告がないのだろうか。部下よ、朝門の外で見張りし、もし来たら、わたしに知らせよ。

（王枢密が登場、言う）わたしは王枢密、聖上の御諚を奉じ、みずから監斬官となり、仕置場を設け、楊景と焦賛の二人を殺そうとしている。ところが長国姑が仕置場に押しかけてきた。もう隠すこともない。聖上に会いにゆき、この事を上奏しよう。もう朝門の中に来た。（見え、言う）大人、どうか憐れと思われてくださいまし。長国姑さまがひどくわたしを虐げました。あのかたは、仕置場に押しかけて、聖旨を破りもいたしました。大人、わたしのために、上奏を取り次いでくださいまし。

（殿頭官）それならば、わたしはすぐに、あなたのために取り次いで、天聴に入れるとしよう。お怒りになられませぬよう。

（正旦が楊景、焦賛とともに登場。言う）このものたちは、まことに無礼。（唱う）

【双調新水令】わたしは真宗皇帝の年老いしおばなるに、かの賊は、誰(たれ)が前に行き来して、皇族を誹謗して、大将を殺害せんしたるなる。われとなんぢは、青蒲[78]にて叩頭し、好むことをば、選んで行ふこととせん[79]。

（正旦が楊景、焦賛とともに見える。）

（殿頭官）長国姑さま、なにゆえに王枢密を殴られた。礼を失しているのではございませぬか。

（正旦）大人さま、わたくしの話をお聴きくださいまし。

（殿頭官）わたしに話して聴かせてください。

（正旦が唱う）

【甜水令】見ればかの子供らは、わいわい、がやがや、仕置場の前へ群がりゆけり。

（殿頭官）仕置場に、御身も行かれるべきではございませんでしょう。

（正旦）わたしはかれらの姑(しうとめ)なるに、なにゆゑぞ一碗の長休飯、一杯の永別酒をば送らしめざる。

（唱う）わたくしは、切るとも切れぬ、いと近き親族なれば、一片の悲しみの心に耐へて、一点の悲しみの泪を忍び、哀願の言葉を述べて、腰をいと低うしたるなり。

（殿頭官）長国姑さま、婿どののため、このように平身低頭なさるとは。王枢密はどうしていますか。

（正旦が唱う）

【折掛令】王枢密は昂然と胸を突き出し、偉さうにして、役人風を吹かせたり[80]。かれは言ひたり、われら両家[81]はいづれも罪に坐したりと、一人が造反せしときは、九族はみな除かるべしと。

（言う）大人、王枢密はわたくしを罵ったのです。

（殿頭官）あなたは長国姑ですのに、どうして罵られたのでしょう。

（正旦）あのものは、先帝さまが、関西五路を旅されて、首を延ばして、傘車[82]を引かれていたことを罵ったのです。

（唱う）かれはわが先帝さまのご先祖の、馬車を推ししを罵るべきにはあらざりき。かのものは親疏を知らず[83]、賢愚を弁ぜず、ひたすらに忠良を損なひて、鑾輿を謗るがごときなり。

（殿頭官）楊景は、受け持ちの地をみだりに離れ、三関をこっそりと後にしました。焦賛は謝金吾の家の十七人を殺しております。いずれもかれらがみずから罪を犯したもので、王枢密がかれらを陥れたものではございません。

（正旦が唱う）

【喬牌児】辺関を離れ帝都に行くべきにあらずして、謝家の十七人をたちまち屠るべきにもあらざりき。お上はなどて功労簿をば看られざる。天に漲る罪がありとも、贖ふことを認めらるべし。

（殿頭官）長国姑さま、功で罪を贖うと仰ることはご尤もですが、惜しむらくは、いらっしゃるのが遅かった。王枢密は、もう聖上に上奏し、仕置場にあなたが押しかけ、詔書を破り、大臣を打ち、辱しめたと言いました。龍顔は大いに怒っていらっしゃいます。

（正旦が唱う）

【水仙子】ああ、かのものはわれらが仕置場に押しかけ、みだりに囚徒を放てりと言ひ、さらにわれらが、皇族なるを恃みにし、詔書を破りたりと言ひ、さらにわれらが大臣(おとど)を殴り、天顔を怒らしめたりとぞ言へる。

（殿頭官）長国姑さま、無駄足を踏まれましたな。楊景どのと焦賛どのは、きっと死罪を免れますまい。

（正旦が唱う）不平をばいづこにか鳴らすべき。罪なきものをまことに不当に扱へり。子供の命を許せずば、わたくしも、どの面下げて国姑と号せん。この白髪首をさしあぐることとせん。

（頭をぶつける。）

（殿頭官）おやめくだされ。もう一度上奏をしてさしあげますから、このように命に関わることはなさいませぬように[84]。

（孟良が蛮卒を捕らえて登場。言う）わたしは孟良、もう朝門の外に来た。部下よ、取り次げ。孟良が到着しました、緊急のお知らせがございますとな。

（校尉が報せる）大人さまにお知らせ申しあげまする、孟良さまが門外にいらっしゃいます。

（殿頭官）通すがよい。

（校尉）お入りください。

（孟良が見え、言う）大人さまにお知らせ申しあげまする。孟良が蛮兵一人を捕らえましたが、かれは韓延寿の間者で、一通の手紙を届け、王枢密に送ろうとしていたと申しております。わたしはかれを捕まえて、聖上に面会し、朝廷で取り調べをしていただきたいと思います。大人、今すぐにお取り次ぎくださいますよう。

（殿頭官）そのものを連れてきてくれ。

（蛮子が見跪き、言う）わたくしは韓延寿さまに遣わされ、王枢密に会いにきたのでございます。

（殿頭官）それならば、王枢密に反逆の心があるのは明らかだ。部下よ、王枢密を捕まえるのだ。

（校尉が王枢密を捕らえ、調べ、知らせる）左足裏に、本当に「賀驢児」の三文字がございます。

（正旦）大人、先ほど仰いませんでしたか。

（殿頭官）わたしが何と申しましたか。

（正旦が唱う）

【側磚児】御身は言へり。わたくしが、わけもなく、人を辱めたりしと。裁判で、たちまちに、真偽を定めん。飛び上がりたる瓦は宙にいかでか住(とど)まることを得ん[85]。皇姑のわれの誣告せるものにはあらず。

【竹枝歌】御身は言へり。かれは久しく天朝にあり、初心に負くことなしと。御身は言へり。わたくしは、みだりにかれを蛮臣となしたれど、証処はなしと。なにゆゑぞ、文書を捜しいださるる。反逆せしは王枢密、間者となりしは謝金吾なりき。これら二人の悪党は、本日、天に誅せらるべし。

（殿頭官）聖上の御諚であるぞ。長国姑以下、宮居にむかって跪き、わたしの裁きを聴くがよい。

（詞）この件は、冤罪となること久しく、雪がるることなかりしかども、今日になり、はじめてしかと裁くを得たり。謝金吾は偽りて聖語を伝へ、元勲をひそかに妬めり。清風楼は三朝の勅建なりしに、取り壊し、一片の灰塵とせり。加ふるに、わけもなく狼藉し、佘太夫人を転ばせて、傷つけり。東庁の枢密を恃みにすれど、かれはもとより国に叛ける奸臣なりき。謀反の書状は、たちまち露見し、十年(ととせ)のあひだ、金紫[86]もて、身を栄へしめたるも、徒となりたり。木驢に乗せて、凌遅にし、切り刻み、王法の無私なることを示すべし。楊六郎の一門は、忠孝にして、焦光賛の侠気は抜群、おしなべてわが天朝の名将なれば、服色を加へ[87]、あはせて麒麟を賜はらん[88]。長国姑は邪悪を除き、忠良を保ち、要衝をしかと守れり。論功し、食邑を�摯浮ｵ、皇家とともに万古長春[89]たらしめん。

（衆が恩徳に謝す。）

（正旦が唱う）

【清江引】ありがたや、当今の聖明の主は、奸臣に道を誤らるることはなく、清風楼を再建し、楊六郎に元通り、三関を鎮めしめ、宋の江山(てんか)を万万古[90]まで扶けしめたり。