巻三十六 王漁師が鏡を捨てて三宝を貴ぶこと 白水僧[1]が物を盗んで双生(ふたつのいのち)喪うこと           

 

 

   はもとより割り当てられしものなれば、貪る心を費やしたとて(あだ)なこと。

   不当な物を手にしなば、かならず神鬼に弄ばれん。

 

    さて、宋代の淳熙年間、臨安府の市民沈一は、酒を売って生計立て、官巷口[2]に住み、大きな飲み屋を開いていました。さらに西湖で商売が盛んでしたので、銭塘門[3]外の豊楼[4][5]を買い、大きな酒店を開いていました。楼の上では湖を望み、景色を賞でられましたので、遊客は往来して絶えませんでした。沈は昼間は店で酒工[6]を監督して酒を売らせ、夕方にはじめて家に戻ってゆきました。日々営営として、利息を計算し、たいへん繁盛していました

 

    ある日、ちょうど春の終わり、夏の初めで、店で酒を飲むものがたいへん多く、晩になっても休まず、片づけが間に合わなかったため、家に戻ってゆかず、店に泊まりました。二鼓になろうとする頃、突然湖に大きな船があらわれ、岸に泊まりました。楽隊は騒がしく、管弦はいっせいにどよもしていました。すると、五人の公子が、それぞれ花帽[7]を戴き、袍、玉の帯で妾十数引きつれ、まっすぐ楼の下に来ました。酒工を呼んで尋ねました。「店の主人はどこにいる。」酒工は言いました。「主人沈一は今日は家に戻ってゆかず、こちらにおります。」五人の客はおおいに喜びました。「主人がこちらにいるのならさらによい。はやく呼んできて会わせろ。」沈一が会いに出てきますと、五人の客は言いました。「うまい酒があれば、とにかく取りだしてきてくれ。損はさせぬぞ。」沈一は言いました。「弊店は酒がすこぶるございますから、心ゆくまでたくさんお飲みになってください。どうぞ楼の上にゆかれてお掛けください。」五人の客は歌童舞女を擁し、いっしょに楼に登り、更あまり愉快飲みました。店の百ほどの酒をすっかり飲んでしまいました。酒代を払いましたが、すべてのような白銀でした。沈一は利口な人でしたので、様子を見ると考えました。「世間には同じ装いの五人の人はいない。それに風采や物腰は飄然としていて、おおいに仙気があるし、無数の酒を飲むことだけでも、けっして凡人ではあるまい。五通神[8]であることは疑いない。わたしの店に来た以上は、やりすごすべきでなかろう。」一点の欲心を起こし、おもわず進みでて跪きますと拝礼して言いました。「わたくしは今まで苦労して商売し、わずかな利金を追い求め、その日暮らしをしているにすぎません。たいへんな幸運で、神さまにお会いできようとは思っておりませんでした。まことに夙世の縁により、こうした出会いがあったのでございます。どうかささやかな富貴をわりますよう。」五人の客は大笑いしながら言いました。「おまえに富貴を与えるのは難しいことではないが、どんな事をもとめる。」沈一は叩頭して言いました。「わたくしは市井のでございますからほかに望みはございません。おおめに金銀をわりさえすればようございます。」五人の客は大笑いして頷きました。「よろしい。よろしい。」すぐに黄巾の力士を呼びますと、力士は進みでて応答しました。五人の客の中でかしらのものが力士を呼びよせ、小声で耳打ちし、何やら命じますと、力士は命を受けてゆきました。まもなく復命し、大きな布嚢を背負ってきて地に擲ちました。五人の客は沈一を来させ、かれに言いました。「この一袋の金銀の食器を、すべておまえに与えよう。ただ、家に着いたらはじめて見るのだ。ここで開けるべきでない。」沈一が手を伸ばして袋ごしにつまみますと、袋はごつごつ、音はがちゃがちゃしていましたので、望外の喜びに、叩頭し、何度もお礼を言いました。たちまち鶏が鳴き、五人の客は妾を率いて馬に乗せましたが、提灯は道を挟み、進むさまは飛ぶかのようでした。

 

    沈一は心が楽しく、眠ろうとせず、家に担いで戻ってゆき、開けて見ようとしましたが、城に入る際、嚢が大きいために、城門で問いただされることを恐れ、大きなもちますと、嚢ごしにで撃ち、さらに蹴ったり踏んだりして平らにし、音を出さないようにしました。その後、肩に担ぎ、いそいで家にゆきました。妻はまだ牀で眠っていましたので、沈一は何度叫びました。「はやく起きろ。はやく起きろ。思いもかけない財宝がここにあるぞ。秤を探してきてはかってみてくれ。」妻は言いました。「思いもかけない財宝ですって。昨夜、家の戸棚で異常な音がしましたので、賊かと疑い、起きあがって照らしてみましたが、何もみえませんでした。そのため一晩寝つけず、今まで眠っていたのです。ひとまず戸棚を見にゆかれ、そのあとで秤を探しにこられても遅くはございませんでしょう。」沈一は鍵を取りにゆき、戸棚を開いてみましたが、中は空っぽでした。そもそも沈一は、城内城外の二か所の飲み屋使う銅錫の食器と、妻の金銀の髪飾りで価値があるものは、すべて戸棚に収めていましたが、今は一つも見えませんでしたので、驚きました。「おかしい。賊が盗んでいったなら、なぜ錠前がまったく開いていなかったのだ。」妻は戸棚が空だと言われますと、大泣きして起きあがりました。「ああ。ああ。一生苦労してきたのに、すっかりなくなってしまうなんて。」沈一は言いました。「大丈夫だ。神さまが昨夜下さったものをひとまず見にこい。十分な利益があるぞ。」いそいで布袋を開いて見ますと、沈一は驚いてぼんやりしました。言うもおかしなことですが、一つ一つとりだして見ますと、すべて自分の戸棚にあったものでした。ただ惜しいことに、夜に撃たれたり踏まれたりしていましたので、歪むものは歪み、平らになるものは平らになり、食器ではなくなってしまっていました。沈一は大声で叫びました。「まずい。まずい。このろくでなしの神どもに騙された。」妻が事情を尋ねますと、言いました。「昨夜五通神に会い、金銀を下さいと頼むと、かれらはわたしにこの布の袋をくれた。ところがすべてうちのものだった。小鬼に呼んで運んでゆかせていたのだ。」妻は言いました。「なぜすべて壊れているのですか。」沈一は言いました。「これはわたしがものが大きいために、城門で問いただされるのを恐れたので、すべて敲きつぶしてしまったのだ。このように自分で自分に損害を与えていたとは。」沈一夫妻はひどく怒り、職人を呼び、すべて作りなおさせたのですが、かえって多くの工賃を費やしてしまいました。思いもかけない財宝ではなく、損をしていようとは思いませんでした。噂は広まり、笑い話となりました。沈一はしばらくの間、出てきて人に会おうとはしませんでした。一念が貪婪痴愚となり、分不相応なものをみだりに望んだため、神にこのように弄ばれたのでした。この世では、みずからのものでないものを、悪辣に貪ってはいけないことがわかります。わたしは悪辣に他人ものを貪ろうとするとそれを享受できず、かえってはっきりとした報いを受けることをお話しし、皆さんにお聞かせし、悪辣に他人のものを求める心を冷やしてみることといたしましょう。それが証拠に詩がございます。

珍宝の人に帰するは夙縁にして、傍らで見て垂涎するを許すことなし

試みにみよ欺けことごとく禍となりぬるを、はじめて信ず冥冥[9]におのずから(はからひ)あるを。

 

    さて、宋朝の隆年間、蜀中の嘉州[10]の地に漁師がおり、姓は王、名は甲といいました。岷江の傍らに住み、代々魚を捕らえることを生業にしていました毎日妻とともに小舟に棹差し、江上を往来し、網を施し、一日に得るもので、ちょうど一家を養っていました。この漁師は、このような職業でしたが、一心に善行を好み、仏を敬い、つねに魚やを市に売りにゆきました。一日の食べものが満ち足りていますと、それを乞食に布施しました。寺院で斎食を乞うているとき、禅堂で豆腐や野菜を乞うているときは、かれは一文二文に関わらず、つねに喜捨して惜しみませんでした。かれの妻はそれを見慣れておりましたし、女でしたので、さらに仏を信じており、かれと一心一体でした。商売は零細で、大したことはありませんでしたが、一日として二文を喜捨しない日はありませんでした。

 

    ある日、江で舟に棹差していますと、突然水底に物が現れ、漂って止まりませんでした。あたかも日の光のようで、赤い光が揺れ動き、人の眼を射ました。王甲に妻は言いました。「見ろ。この下にはきっと珍しいものがあるから、手立てを講じて引きあげて、どのような物かを見よう。」そして妻に網を取らせ、さっと広げさせました。まもなく、船首を返して引きあげますと、その網の中が異常に明るかったので、笑いながら言いました。「どんなよいものだろう。」手に取って見ますと、古い鏡でした。周囲は八寸の大きさがあり、龍の紋が彫られ、さらに篆書の多くの字がありましたが、字の形は符よう読めませんでした。王甲は妻に見せると言いました。「古鏡は価値があるそうだ。この鏡はどのくらいか分からないが、きっともよいものなのだろう。ひとまず家に持ってゆき、きちんとしまい、識別でき人がいたら、取りだしてきてその人に見せてみよう。粗末に扱うな。」皆さん、お聴きください。この鏡は、ほんとうに来歴がある物で、軒轅黄帝が作り、日月の精華を取り、奇門遁甲[11]に従って、年月日時を選びとり、炉に入れて鋳たのです[12]。上には金章宝篆[13]があり、いずれも秘笈[14]の霊符[15]でした。この鏡があるには、金銀財宝がすべて集まってきますので、「聚宝鏡」といいました。王甲夫妻は善を好み、夙世の縁もあったため、繁盛することになっていました。ですからこの物がれると取って家に戻ることができたのでした。この鏡を得た後、財物は求めないでもやってきました。家の中で地を掃っても金の屑が出てきましたし、田を耕しても銀の(あなぐら)が出てき、船で投網すれば珍宝を引きあげ(どぶがい)を裂いても明珠が出てきました。

 

    ある日、河辺で魚を捕らえていますと、岸辺に二つの小さな白いものがあり、行ったり来たりし、数回回転していました。いそいで岸に跳びあがり、衣襟[16]で包みましたが、の種ほどの大きさの二つの小石で、清浄で光沢があり、光彩は人を射、たいへん愛らしいものでした。袖の中にしまい、家に持ちかえってきて箱に置きました。その夜すぐに二人の白衣の美女を夢みましたが、姉妹二人で、特別にお仕えしにきましたと言いました。めざめると考えました。「きっと二つの石の精霊だ。宝であることは明らかだ。」手にとってきちんと包み、衣帯に結びました。数日を隔てますと、波斯(ペルシャ)の胡人がわざわざ尋ねてき、王甲を見ると言いました。「あなたは宝物をお持ちです。お見せください。」王甲は嘘を言いました。「なにも宝物はございません。」胡人は言いました。「わたしは宝の気が河辺にあるのをはるかに望み、後をつけてこちらに来、あなたの家にあることを知りました。出ていらっしゃったのを拝見しますと、宝の気がお体にございます。どうかお見せください。わたしを欺かれることはございません。」王甲は宝が分かる者だと悟り、体からとりだしてかれに見せました。胡人はそれを見ると嘖嘖として言いました。「縁があってこの宝に会うことができました。そのうえ一双であるとは。もっとも得がたいことでございます。お売りくださいましょうか。」王甲は言いました。「わたしが持っていても役に立ちませんから、代金を得ればすぐお売りしましょう。」胡人は売ろうと言われますと、たいへん喜びました。「この宝にはもともと定価はございません。今わたしの旅嚢には三万しかございませんが、すべてさしあげ、買ってゆくことといたします」王甲は言いました。「わたしは無心で手に入れたので、どういう物か分かりません。値段は低くありませんから、金額問題ようとはいたしませんが、これを求めてどうなさるかをはっきりご説明ください。」胡人は言いました。「これは澄水石といい、水中に置きますと、った水はすぐにすっかり清くなります。これを帯びて海に浮かびますと、海水は湖水と同じく、淡水となり、飲むことができるのです。」王甲は言いました。「そのようなことだけで、どうして高いがつくのでしょう。」胡人は言いました。「わたしの国には宝池があり、中に珍宝が多いのですが、汚泥水で、水に毒があり、下りていった人は、あがってきますとみなすぐに死んでしまうのでございます。ですから宝を取ろうとするものは、きっと大金を用いて決死の人を募り、水に入らせ、その人が死ねば、かれの一家を養わなければなりません。今この石があれば、身に帯びるだけで、水はすっかり清く澄み、普通の水のようになり、ほしいままに宝を取ってもまったく障りがございません。どうして価値ないことがございましょう。」王甲は言いました。「それならば、ただ一買ってゆけば十分で、二粒ともほしがることはありません。わたしが一残してもよいでしょう[17]。」胡人は言いました。「それにはわけがございます。この宝は形は二粒ですが、気はほんとうは連なってのです。おたがいに競いあえば、活動し、長持ちすることができるのです。もしも二か所に分けてしまえば、使ってすぐに枯槁して役に立たなくなりますので、分けられないのでございます。」王甲は胡人が目利きだと思いますと、すぐ先日の古鏡を取りだしてきて鑑定求めました。胡人はそれを見ますと、合掌頂礼して言いました。「これは俗世の宝ではなく、その妙処は無量であり、わたしさえもそのはたらきをすべて知ることはできません。世間の大きな福徳のある人がはじめてこれを持つことができるのでございます。わたしはお金があっても買おうとはいたしません。二つの宝を買ってゆくだけで十分でございます。この鏡はしっかり隠され、軽く見られるべきではございません。」王甲は言葉に従い、鏡をきちんとしまい、胡人と取り引きしたところ、はたして三万二つの白石を買ってゆきました。

 

    王甲はすぐに豊かになりましたが、まだ漁船での仕事を捨てませんでした。ある日、日が暮れ、風雨に遭いましたので、船を漕いで家に帰りました。江の南を望みみますと松明が明るくともり、人が船を呼んで渡すことを求めていました。その声はたいへん緊迫していました。王甲は、この時ほかに舟がいないから、もし渡すことができなければ、これらの人々は苦しい目に遭うだろうと思いました。いそいで風を冒して漕いでゆき、かれらを載せることにしました。かれらは二人の道士で、一人は黄衣を着、一人は白衣を着ていました。船に乗り、岸に漕いでゆきました。途中で王甲に言いました。「今は闇夜で大雨で、投宿する所がございません。貴宅にいって一晩休むことができれば、ほんとうに幸いでございます。」王甲は善行をする人でしたので、言いました。「家はむさくるしいですが、粗末な寝床で眠れますから、お二人いらっしゃっても構いません。」そして船をきちんと繋ぎ、二人の道士とともに家に来、妻に命じて斎食を用意させました。二人の道士は固辞しました。「食事をわられることはございません。ただ一宿をお求めします。」

ほんとうに茶や水はまったく飲まず、まっすぐ竹の牀にゆき、布団を敷いて眠りました。王甲夫妻が夜眠っていますと、竹の牀がばりばり音をたて、どすんと音がし、とても重い物が地に転げ落ちてきたかのようでした。王甲夫妻は訝りました。「客人が床から転げ落ちたのではあるまいか。しかし人が転んだのならこのように響きはしまい。」王甲は疑い、ひそかに出てき、二人の道士の寝ているで聞き耳を立てましたが、寂然としてすこしも気配がありませんでしたので、ますます訝りました。部屋の中に戻り、火種を探しだして灯を点し、外に出て照らしますと、叫びました。「ああっ。」竹の牀はされて壊れており、二人の道士はともに牀の下に落ち、棒のようになって眠っていたのでした。手を伸ばして触りますと、怯えて舌を伸ばしたまま、しばらく縮めることができなくなってしまいました。どうしてだと思われますか。二人の道士は、

氷のごとくに冷たくて、石のごとくに堅きなり。二人の体は、然とした一双の宝となりぬ。黄黄白白、世間ではこれがなければ人たり難し。重重痴痴、路上ではこれがなければ客たり難し。

 

    王甲は妻を呼びおこしました。「珍しいことだ。二人の客人は生身の人ではなかった。どちらもかちかちになってしまった。」妻は言いました。「何に変わったのですか。」王甲は言いました。「火の光では、はっきりとしないので、銅か錫か、金か銀かは分からない。夜が明ければはじめて分かるだろう。」妻は言いました。「このように怪しいことができるのですから、銅や錫ではないでしょう。」王甲は言いました。「それもそうだな。」だんだん夜が明けましたので、じっくり見ますと、はたして黄を着ているのは金の人、白を着ているのは銀の人で、重さは千百斤ほどありました。王甲夫妻は非常に驚喜し、これは天が賜ったものだが、このように姿を変えられるのだから、きっとどこかへいってしまうに違いないと言いました。いそいで一二十炭を買いにゆき、家に帰ると火を起こ溶かしました。すると黄のものは純金で、白いものは紋銀でした。王甲は、これより前にも、日に日に意外な所得があり、すでに豊かになってきており、さらに二つの石を売って、大金を得ていました。今回さらにこれらおおくの金銀を手に入れ、ますます瓶や甕は一杯になり、数間のぼろやには置く場所がありませんでした。

 

    王甲夫妻は質実な人でしたから、多くものを手に入れても、家屋を造ろうとも、田地を買おうともしませんでした。漁師の仕事はほったらかしにし、やめてしまいましたが、分を守って暮らしましたし、たえず思いもかけぬ財宝が手に入りましたので、商売しにゆく必要もなくなりました。二年の間に、ひどく豊かになりました。しかし夫妻二人だけでは、これらの財産は用いるところがありませんでした。自分でも財産がひどく多いと感じましたし、心はいささかびくびくし、落ち着きませんでした。そこで、妻に相談しました。「わたしの家は先祖から今まで、ずっと漁とを生業としてきた。一日に得るものは、どんなに多くても百銭で、それ以上にはならなかった[18]。この宝鏡を得てからは、ともすれば千万銭が求めるまでもなく、ただで飛んでくる。夢にも思わなかったことだ。ちょっと考えてみろ。わたしとおまえはもともとどれほどの人間でもない。にわかにこのような常ならぬ富を得れば、天理が許さないだろう。それに、わたしたちは粗末な衣食で暮らしていたのだから、こんな多くのものを求めてどうするのだ。今、この宝鏡を家にとどめていれば、財産が増えるばかりだ。天地の宝を、身辺にひさしくとどめ、みずから罪得るべきではないだろう。峨眉山の白水禅院[19]に持ってゆき、聖像の上に奉納し、光背にし、ながくお寺への供物にした方が良い。わたしたちの心を尽くすことができるし、善行も施すことができるから、まことによかろう。」妻は言いました。「これは仏さまにとって見栄えのよいこと。それにわたしたちはなすべきことを弁えております。まさにそのようにするべきでございます。」

 

    そこで二人は実に十日ほど精進物を食べ、いっしょに寺にゆき、この宝鏡を献じました。寺の住持僧法輪は来意を尋ねて知りますと、おおいに賛嘆しました。「これは檀越の大きな福田(ふくでん)[20]となることでございます。」王甲はかれに趣意書[21]を書くように頼み、すぐに寺中の僧たちを集めさせ、三日夜の法事をしました。斎食を調え布施を与え、数十両の銀銭を費やしました。法事をしますと、王甲はすぐに宝鏡を住持の法輪に渡し、別れを告げて帰りました。法輪はかねてから王甲の家のこの鏡が宝を集めることを知っておりましたので、謙った言葉でごまかしました。「このものは、天下の至宝で、神さまが惜しむものでございます。檀越さまが施され供物になさるのであれば、これはもとより檀越さまの善行で、わたしたち僧侶は関わりはございません。檀越さまはみずから奉納して三宝の前に置かれ、頂礼してゆかれればようございます。拙僧は手を触れるわけにはまいりません。」王甲夫妻は言葉に従い、みずから宝鏡を仏頂の後ろにきちんと安置し、四たび拝し、法輪に別れて戻ってゆきました。

 

    ところがこの法輪は狡猾あまりある僧で、鏡が至宝であり、王甲の巨富がすべてこれによってもたらされたことをはっきりと知っていました。寺に奉納しようと言われたとき、すでにそれを貪る心を抱いていました。さらに後日王甲が後悔し、取りかえしにくることを恐れ、わざと手を触れるわけにはまいりません」と言い、後日ごまかしやすいようにしたのでした。王甲が去ったあと、すぐに鏡を取っておろし、きわめて腕の立つ鏡職人をこっそりと呼び、そっくりに、もう一枚を鋳させました仕上がりは宝鏡とすこしも異ならず、目利きの人も鑑別できませんでした。法輪は職人にあつく礼を言い、口止めしました。そしてあらたに鋳た鏡をすぐに仏座に飾り、本物は取りかえてきちんとしまいました。法輪がこの鏡を得た後、金銀財物は求めなくてもひとりでにやってくるようになりました。まったく王甲のこの二年間の有様のようで、衣充実し、祠部[22]の度牒を買って奴隷を得度させ、三百余人の多きに到りました。寺は繁盛し、富は言いようもありませんでした。王甲は戻ってゆきましたが、日に日に没落しはじめました。そもそも家が貧乏になることは、簡単なことなのでございます。盗難火災は必要なく、支出があって収入がなく、七たび転び八たび倒れ、する事がうまくゆかず、計算がはずれれば[23]、しらぬまにだんだん消耗してゆくのです。それに、王甲は当初財物が容易にやってき、気前よく費消し、心に留めなかったため、まるで底のない吊桶(つるべおけ)のように、とにかく漏れでてゆくのでした。ところが宝鏡が手の中になくなりますと、収入の路がなくなり、使えば空になりました。たったの二年で、大金持ちからふたたび漁師の身分になり、財産はすこしもなくなってしまいました。

 

    諺がうまいことをいっています。「なかったものがあるようになるのはよいが、あったものがないようになるのはよくない。」王甲は莫大な家産がすっかりなくなってしまいますと、考えました。「わたしはもともと貧乏人で、宝鏡を得たため、日々思いがけない財宝にあい、このように豊かになった。きちんと家に置いておけば、財産はおのずから日夜増え、貧乏になるはずはなかった。福分を享受せず、必要もないのに、白水寺に奉納してしまった。今あの寺はたいへん繁盛しているが、わたしはふたたび貧乏になってしまった。これはどちらが言い出したのだ。」夫妻二人は、あのときはどういう考えだったのか、どうして一言止めなかったのかと、おたがいに怨みました。王甲は言いました。「今でもうまく手を打つことはできる。わたしたちはかれらに売りはらったわけではない、ただで奉納したのだ。今、実情を住持長老に告げ、家に取り戻してこよう。これはうちにもともとあった物なのだから、かれらも承知せざるをえまい。仏さまの手前で体裁が悪いことを恐れるのなら、わたしたちがふたたび豊かになった後、多めに布施を出し、三宝を荘厳すれば、信義に悖る行いではないだろう。」妻は言いました。「仰ることはご尤もです。どうして眼を瞠って他人の富貴を見ながら、貧乏耐えられましょう。いそいで取りにゆきましょう。ぐずぐずしてはなりません。」相談が決まりますと、翌日、王甲はまっすぐ峨眉山の白水禅院に来ました。

その昔やすやすと珍宝を施したるは、気前よく度量ある人、今日ふたたび旧踪(むかしのあと)を思へるは、ほかならぬ貧者の料簡。同じ檀越、貧富は異なり、同じ登臨[24]、苦楽はにはかに異なれり

 

    さて、王甲は住持の法輪に会いますと、鏡を奉納したために家がいたこと、目下しかたなく、原物の返還を求めにきたことを述べました。王甲は口ではそう言いましたが、法輪が何か理由をもうけて断わることを恐れていました。ところが法輪は話を聞かされますと、すこしも難色を示さず、欣然として言いました。「これはもともとお宅の物でございますから、今日取りにいらしたのは、理の当然でございます。拙僧が先日すこしも手を触れませんでしたのは、いずれかならず取り戻される日がございますため、拙僧が関わりになる必要がなかったためでございます。拙僧は出家した人間でございますから、この色身さえ、自分のものではございませんし、まして外物はなおさらでございます。近い将来、不測の事態が起こり、悪人に盗んでゆかれたりしましたら、檀越のご好意を台無しにして、檀越のご尊顔を拝見できません。今、物をその持ち主に返せますなら、拙僧は夢の中でも安らかになりましょうから、惜しもうとはいたしません。」そして、香[25]に命じて斎食を調えさせ、王甲をもてなし、王甲をみずから仏座に上らせ、宝鏡を取ってこさせました。王甲は手に捧げ、くりかえしじっくり回して見ましたが、もとのものだと考え、すこしも疑いませんでした。家に持ちかえってきて、妻に見せますと、とても大切にしまい、先日と同じように、財物が水のように湧いてくることを望みました。ところがすこしも霊なく、依然として貧しいままでした。しばしば鏡を取りだして見ましたが、光彩は昔のようでありながら、すこしも功徳がないのでした。そこで嘆きました。「わたしは福気がすでに去ったので、宝鏡さえも霊験がなくなってしまったのだろう。」夢にも偽物と思いませんでした。それが証拠陳朝駙馬の替え歌[26]がございます

 

鏡と財はともに去り、鏡は帰るも財は帰らず。

もはや奇すしき光なく、明るき月は空しく輝く

 

    王甲は鏡を珍蔵しましたが、相も変わらず貧乏でした。白水禅院は日に日に栄えつづけました。世の人々はそれを聞きますと、みな疑いました。「きっともともとの鏡がまだ僧のにあるから、このようなのだ。」はじめ鋳る職人が鏡を作っていた時は、寺の住持が形をまねて鏡を作っているのだと思い、裏の事情を知りませんでした。今、人が議論しているのを見ますと、王家に宝を集める鏡があったが、寺に奉納したときに寺僧に盗まれ、王家は貧乏となり寺は裕福になったと言っていましたので、職人ははじめて先日の事情を悟り、人々に告げました。人々はそれを聞きますとますますその和尚の悪辣さを恨みました。しかし王甲は鏡が偽物であるのは分かりましたが、それを証明するすべはありませんでした。これ以上寺と争するわけにゆきませんでしたので、声を呑み、怒りを忍び、みずから不運を恨むしかありませんでした。妻は神に呼びかけ仏に呼びかけましたが、怨みは晴れず、どうすることもできませんでした。法輪はうまくいったと思い、尽きせぬ宝を、安穏に享受できると考えました。

 

    皆さん、あなたがたは、このようなことならば、悪辣な人間が、かえって得をしてしまうことになり、公平でないと仰るでしょう。ところが、

度量が大きければ福分も大きく、機略が深ければ災禍も深くなる

ものでございます。法輪は機略を用い、他人の宝鏡を隠してみずからが金持ちになりましたが、天理は許さず、おのずと事件が生じてきたのでございます。[27]に提点刑獄使者[28]が来ましたが、姓は渾、名は耀といい、たいへん貪欲な人でした。白水寺の僧がとても豊かであることを聞きますと、すでに涎を垂らしていました。その後、調査して鏡が宝を集めることを知りますと、考えました。「一人の僧侶に千万の財産を要求するのは、難しいことではないが、千万の財産も尽きる時があるし、人の眼にも触れてしまう。何とかかれの鏡を求めれば、富はすべてわたしについてきて、尽きせぬ利益があるだろう。それに一つの品物だから、とても取りやすいわい。」すぐに宋喜という腹心の下役頭を遣わし、わざわざ白水禅院にゆかせ、住持の宝鏡を借りさせて見ようとしました。しかし、これだけは、まさに法輪の秘密に関わることでしたから、どうして承知できましょう。下役頭に返事しました。「提控さまにお知らせください。数年前に施主がおり、鏡一枚を仏頂に奉納しましたが、とっくに取りもどしてゆきました。弊寺に宝鏡などあろうはずがございません。なにとぞ提控さまにご報告ください。」宋喜は言いました。「提点さまは名指しでこの宝鏡のことを尋ねようとしていらっしゃる。きっとなにか来歴をご存知なのだ。これではご報告しようがないな。」法輪は言いました。「ほんとうにございません。拙僧がどうして作りだすことができましょう。」宋喜は言いました。「それならば、わたしも報告しようとはせぬ。きっとお咎めを受けるだろう。」法輪はかれが自分を困らせているのを悟りました。寺の中にはたくさん銀子がありましたので十両を出してきて下役頭に送りますと、言いました。「ぜひとも提控さまがご報告なさってください。薄謝ではございますが、少ないことをお咎めにならないでくださいまし。」宋喜は銀子を見ますと、たいへん喜びました。「ご厚意を受けましたから、いずれにしてもあなたにかわって報告しにゆくことにしましょう。」

 

    法輪は下役頭を門から送りだし、身を翻して戻ってきますと、信頼している行者真空に相談しました。「この鏡はわが寺繁盛のもとだから、軽々しくおもてに出すべきではない。他人の家に置くわけにはゆかん。王家のありさまを見ろ。それに役所が借りにきて、返してもらえなければ怨みを訴えるところがないし、他人の家のものを騙しとったのは、はっきり人に告げられないことだ。今はとにかくしっかり隠し、ないと嘘を言い、先方がきびしく要求し、いささかの銀子では動かなくても、とにかく買収するまでだ[29]。」真空は言いました。「それは当然でございます。やすやすと与えるわけにはゆきません。あのかたがどれほどのものを要求しようと、この宝さえとどめれば、心配はございません。」師弟二人がますます用心したことはお話しいたしません。

 

    さて、下役頭の宋喜が渾提点さまに報告しにゆきますと、提点はおおいに怒りました。「坊主がかくも悪辣だとは。お上が物を取ろうというのに、拒んで承知しないとは。」宋喜は言いました。「あのものは承知しないのではなく、もともとないと申しております。」提点は言いました。「馬鹿を言え。真実は探ってあるぞ。王姓の金持ちが寺に奉納したとき、あのものはそれをすりかえ、偽物を本人に返し、本物はまだあのもののにあるのだ。どうしてないと申すのだ。きっとおまえはあのものから賄賂を受け、あのもののためにとりなしているのだろう。取ってこなければ、おまえも打つぞ。」宋喜は慌てました。「またあのものに話しにいってまいります。かならず取ってまいります。」提点は言いました。「はやくゆけ。はやくゆけ。鏡がないなら、わたしに会いにこようと思うな。」宋喜は唯唯として外に出、ふたたび白水禅院に来て住持に会いますと、言いました。「提点さまはどうしても鏡をほしいと思ってらっしゃる。わたしさえひどく急きたてられている。今回は、鏡がないなら、あのかたに会いにゆくことはできない。」法輪は言いました。「先日すでにお告げしました。ほんとうに施主の家に返したのです。今はもうどちらにもございません。」宋喜は言いました。「提点さまははっきりと仰った。王という姓の施主が寺に奉納し、その後取りに来たときに、おまえは偽物をかれに返し、本物は自分が隠したと。どこで内情を探ったのかは分からない。どうしてこのことをあのかたに報告できよう。」法輪は言いました。「これはみな近くの人が弊寺に数貫の財産があるのを見、嫉み、羨み、でたらめな話を作りだしたのでございます。」宋喜は言いました。「もうとりなしはできない。あのかたが風を起こせば、かならず雨が降るだろう[30]。鏡がないなら、なにかをあのかたに贈り、火を消さなければならないぞ。」法輪は言いました。「鏡以外でしたら、どのくらい要求されても、弊寺は出せます。拙僧は惜しむつもりはございません。提控さまのご命に従うことといたします。」宋喜は言いました。「事を収めようとするなら、わたしの考えでは、あのかたに千金を与えれば、あのかたを鎮めることができるだろう。」法輪は言いました。「千金も工面できますが、どのように送ってゆくのでございましょう。」宋喜は言いました。「すべてわたしが引きうけよう。わたしにはおのずから送りこむ方法がある。」法輪は言いました。「事が収まり、ふたたび要求しにきさえしなければようございます。」すぐに行者真空に命じ、箱から千金を取りださせ、宋喜にきちんと渡し、さらに三十両を宋喜に与えてお礼しました

 

    宋喜はもってゆきますとさらに二百両を収め、八百両だけを提点の役所に送りました。宋喜は言上しました。「ほんとうに鏡を持っておりませんので、鏡の代金をこちらに用意してまいりました。」宋喜は心の中で言いました。「たとい宝鏡でも、大きな価があるとは限るまい。事を収めることができよう。」提点は銀子を見ますと、欲念を起こしましたが、考えました。「宝を集めるものがあるなら、七八百両は毫毛ほどのものにすぎず、珍しいことなどない。あのはげめ、悪辣に他人のものを騙し取り、手の中に持っていながら、どうして出そうとしないのだ。ないとひたすら嘘をつくとは。もはやどうするわけにもゆかん。」心に一計を生じて言いました。「こちらはまさに刑獄で、重大事件を裁いている役所だ[31]。数百両の銀を賄賂とみなし、あいつに、ひそかに賄賂を贈り、刑獄[32]に渡りをつけ、役所をしたという罪名を与え、捕らえてきて打てば、きっと鏡を出すだろう。」すぐに銀八百両を内に貯え、すぐに二人の下役を遣わし、白水禅院にゆかせ、法を犯した住持僧法輪を捕らえさせました。

 

    法輪は下役が来たのを見ますと、ほかでもない、宝鏡の件がうまくゆかなかったことを悟りました。そこで行者真空に命じました。「提点の役所がわたしを捕らえにきたが、わたしは別に訴訟とは関わりないから、何事もないだろう。かれは事を起こして、宝鏡を騙し取ろうとしているだけだ。とにかく会いにゆかねばならない。あのかたが何を話すかを見て、わたしもはっきり話すとしよう。あのかたは追及の手を止められるかも知れない。先日、宋提控[33]が金を送っていったが、少ないのを嫌っているのだろう。奮発してさらに二倍に増やせば、心も通じることだろう。あの鏡をきちんと隠し、ますます外に出してはいかん。」真空は言いました。「お師匠さま、ご安心ください。お師匠さまは役所にゆかれ、なにか袖の下が必要でしたら、とにかく取りにいらしてください。あの鏡は、人が探しあてられないところに蔵し、どんな人が来ようと、ひたすらしらをきることといたしましょう。」法輪は言いました。「わたしの名を挙げて求めにきても、けっしてあると言ってはならん。」双方はきちんと取り決めし、二人の下役をもてなし、さらに使い賃を手厚くお礼しますと、二人の下役はいずれもびました。法輪はみずからお金があるのを恃み、役所を恐れず、背筋を伸ばして、下役とともに提点の役所に来ました。

 

    渾提点は登庁して法輪を見ますと、えて案を打ち、おおいに怒りました。「こちらは生死を左右する役所だぞ。このはげめ、手厚い賄賂で、何事を企んでおる。没収された賄賂の銀子はにある。裏にはきっと隠された事情があろう。はやく自供しろ。」法輪は言いました。「提点さまは下役頭を遣わして鏡を取ろうとしてらっしゃいますが、弊寺には鏡がございませんので、下役頭が拙僧に命じて銀子を代わりにさせたのでございます。」提点は言いました。「すべてでたらめを言っているのだろう。そのような道理はないぞ。きっと買収しようとしたのだろう。打たねば白状せぬな。」p隷を呼び、引き倒させ、法輪を打って半死半生にし、監獄に収めました。提点はさらに宋喜をゆかせ、言葉かれを騙させ、鏡の行方を言わせようとしました。法輪は歯を食いしばり、ひたすら言いました。「鏡はございません。むしろ銀子をお求めください。わたしの弟子に話しにゆかれ、さらに銀子を集めさせ、あのかたに送らせ、わたしを贖わせてください」宋喜は言いました。「あのかたはひたすら鏡を求めている。銀子を増やしてことをおさめられるかは分からない。わたしがさきに消息を探ってから相談しよう。」宋喜は和尚の言葉を提点に報告しました。提点は言いました。「あのものとじっくりと交渉しても、鏡を出してこようとはせぬだろう。あのものを打ったとて無益なことだ。あのものの鏡は、寺の中にあるにちがいない。わたしは今からひそかに人を遣わし、寺を囲ませ、違法な贓物を調べと言い、あのものの家産をみな没収してきて、検査すれば、鏡が中にない心配はないだろう。」すぐに下役頭の宋喜に命じて四人の下役を監督させ、すみやかに仕事を行わせることにしました。宋喜は和尚から利益受けていましたので、こっそりとその趣意を法輪に知らせますと、法輪は心の中で考えました。「来る時、行者に言い含めたが、行者は鏡を秘密の場所に蔵したと言っていたから、きっと探しあてられないだろうし、家産もすべて没収するわけにはゆかないだろう。」そして宋喜に言いました。「鏡はもともとございませんから、お好きなように箱を捜索なさっても構いませんが、提控さまが少々取り計らいをしてくださいますようお願いします。弟子があちらにおりますが、家産を機に乗じてくすねないようにしてくだされば、提控さまが取り計らいをしてくださったということでございます。拙僧が出獄いたしましたら、禅院はあらためて手厚くお礼いたしましょう。」宋喜は言いました。「それなら役に立つことができるだろう。」法輪に別れ、下役とともに白水禅院に来たことは、お話しいたしません。

 

    さて、白水禅院の行者真空は、もともと若く、色男で、淫乱な僧でした。それに寺はかでしたので、好きなように浪費していましたが、今までは住持が邪魔で、自分では思いのままにならないように感じていました。目下師匠がしょびかれているのは、まさに願ったり叶ったりで、たいへん自由になりました。ただ諺には「だんなの金を盗んでも使う場所なし[34]。」ともうしますので、ふだん知りあっている情婦[35]、交わっている(あそびめ)に、あまねく財貨を与えまくり、多くを費やしました。さらに盗んできてあちこちに預け、自らのへそくりにすることは、数をも知れませんでした。かれはふと考えました。「師匠が出てきたら、財産を検査するにちがいないが、ことが露顕してしまうではないか。それに鏡のことを追究されたら、わたしも係わりあいになってしまうではないか。今、師匠がいないうちに、このたくさんの家産を奪い、鏡とともにすべて身に帯び、いそいでよその土地に逃げてゆき、髪の毛を生やして俗人になり、あのひとの後半生を楽しいものにしてあげれば[36]、本当によいだろう。」考えが決まりますと、いそいで行李中の小さくて価値のあるものを、まとめあげ、二つの荷物にしました。次の日、みずから一つを担ぎ、人を雇ってもう一つを担がせ、人々には州庁師匠を救いにゆくとだけ言い、山門を出てゆきました。

 

    いったあと一日して、宋喜ははじめて四人の下役とともに来て、住持の僧房を捜索しようとしている趣意を述べました。寺僧たちは、寺の師匠は役所にいる、行者も出てゆき、空き部屋がこちらにあるだけだと返答しました。下役は言いました。「黙れ[37]。わたしたちは上司の命令を奉り、法な贓物捜索し、人がいるかいないかは構わない。入ってゆくまでだ。」すぐに門を壊して入り、部屋の中を見ますと、中には大きくて価値のない器物があるだけ、椅子や卓は重たく、空の箱空のには、なにも重なものは見えませんでした。部屋のゆかを捲りましたが、鏡などはそこには見えませんでした。宋喜は言いました。「住持さまはわたしに、あのかたのものを散失させないように言い含められたのに、今、部屋の中が空っぽなのは、どうしてだ。」寺の僧たちはみな言いました。「行者はお師匠さまの様子を見にいっただけですのに、なぜ部屋の中をこんなに空にしてしまったのでございましょう。機に乗じて逃げたのでございましょう。」四人の下役はまずいと思い、何も大したものがないことを知りますと、とりあえず、遺されているぼろぼろの旧い衣服を乱暴に身辺に奪いとり、僧たちに、寺の僧が逃げている[38]を求め、宋喜とともに提点に報告しにきました。提点はたいへん怒りました。「禿どもめ、このように狡猾だとは。わたしに逆らい、ひそかに弟子を逃げてゆかせたのは明らかだ。」すぐに法輪を引きだし、さらにひどく打ちました。その法輪はもともと深山で住持をし、満ちたりて楽しんでいた僧でしたから、このような苦しみに耐えられませんでした。今は耐え難い監禁を受けていましたので、いささかの銀子を払い、早逃れることができるのを望んでいました。弟子が逃げた、家産がすでになくなったと言われ、心に苦しみを抱いていたところへ、さらにひどく打たれることは、まさに「雪の上に霜をくわえる」ということで、どうして耐えることができましょう。監獄にいったときには、ぼろぼろになっており、その晩に息絶えてしまいました。提点は死んだことを知りますと、ようやく手を休めました。法輪が悪辣で、他人の宝物を盗んだために、この果報を受けたことは明らかでした。それが証拠に詩がございます。

 

贋の鏡をひそかに宝の鏡とし、かへつて施主を貧しからしむ。

今では財は散じて人は離れたり、四大はそもそも空しきものぞ。

 

    さて、行者真空は住持のものを盗み、山門から逃げだしました。とりあえず師匠の目下の生死を顧みず、ただちにほかの土地に行って楽しむ準備をしました。目下他人の家に預けてあったのものを、すべて集めてき、寺の中から持ちだしていった物と同じ場所置き、大きな車に乗り、荷物を載せ、人足を雇って推してゆかせました。皆さん、あなたがたは、住持はたいへん多くの家産を持っており、金銀は重たいのだから、一台の車に載せつくせまいと仰いましょう。しかし宋代には官[39]が流通しており紙幣ともいい、官会子[40]ともいいますが−一がたった一枚のなのでした。たとい十万でも、十万枚のでしたので、たいへん軽いのでした。住持はもとより金銀財宝を持っており、さらに紙幣数十万ありましたが、携帯するのは難しくないのでした。行者は身辺に宝鏡を隠し、車を押し、山を抜け、を越え、黎州[41]へゆこうとしました。竹公溪[42]のほとりにいたりますと、突然深い霧が天に満ち、路が分からなくなりました。金甲の神人が飛びだしてきましたが、身長は一丈ばかり、顔には威厳がありました。身には黄金の鎖帷子を着、手には方天画戟[43]を執っていました。そして大きな声で怒鳴りました。「どこにゆく。わたしの宝鏡を返せ。」車を推していた人は驚き、車を捨て、もとの路を逃げ戻りました。両親が四本脚で生んでくれなかったことを怨みながら、行者の生死を顧みず、一目散に逃げました。行者は車にかまう暇もなく、手脚をあたふたさせ、宝鏡を帯びたままひたすら前へ逃げまくり、林の深い入りました。すると突然狂風が起こり、斑模様の猛虎が、跳びだしてきて、頭を一打ちし、行者を引いてゆきました。あきらかに真空が悪辣で、師匠のものを盗み、師匠の命を害したために、この果報を受けたのでした。それが証拠に詩がございます。

 

盗品はもともと過分の財貨なり、くはふるに宝鏡は鬼神がみそなはしたまふ[44]

虎口の免れ難からんことを早くも悟りたり、などて分に安んずることのなき。

 

    さて漁師王甲は寺にあった宝鏡を取りかえし、家に収めましたが、あいかわらず貧乏でした。さらに、寺が日に日に繁盛、世の人が紛紛議論しているのを見、すでに和尚が悪辣に取りかえたことを悟っていましたが、訴えるところがありませんでした。かれは善人でしたので、みずからの不運を怨むばかりで、夫婦二人で、宝鏡が家にあった時の、多くのよいことを話し、しばしば嘆き怨むばかりでした。ある日、夫妻二人はともに金甲の神人を夢み、こう命じられました。「おまえの家の宝鏡は、今、竹公溪頭にあるから、いって収めて家に戻れ。」二人は目ざめますと、それぞれ夢のことを述べました。王甲は言いました。「これはわたしたちが心の中で思っていたから、夢をみたのだ。」妻は言いました。「思っていることが夢になることもございましょうが、二人とも同じになるのはおかしなことでございます。わたしたちはまだすこし運がよいので、神さまがこのように戒めてらっしゃるのでしょう。場所が分かっているのでしたら、そこへゆき、探してみるのもよいでしょう。」

 

    王甲は次の日竹公溪の路を尋ねながら、川を通り、を渡り、溪のほとりに到りました。すると一台の車が地上に倒れており、中に無数のものがあり、金銀紙幣は、ほぼ数十万ほどありました。左右を見ますと、人影がありませんでしたので、考えました。「この持ち主のない物は、天がわたしに賜ったのではあるまいか。夢の中で宝鏡がこちらにあると言っていたので、中にあるのだろう。」車内を逐一探しましたが、鏡は見えませんでした。さらに前後の草叢で四方をあまねく探しても、まったく見えませんでした。そこで笑いながら言いました。「鏡は見えないが、この財宝でも後半生を過ごすのに十分だ。人が来ないうちにはやく取ってゆく方が良いだろう。」車を整えて交差点に推してゆき、人足を雇って推させ、ただちに家に来ました。妻に言いました。「神さまのお指図のおかげで、溪口に宝鏡を探しにいった。宝鏡は見られなかったが、車一台分の品物がそこにあった。しばらく待ったが、来る人がいなかったから、天がわたしに下さったのだろう。だから家に取ってきたのだ。」妻がすぐに調べてみますと、金銀宝[45]でしたので、すべて集め、きちんとしまいました。夫妻二人はたいへん喜びました。しかし疑いました。「夢の中では宝鏡と言っていた。今、思いもかけない財宝を得たが、宝鏡が見えないのは、なぜだろう。やはりあちらへゆき、くわしく探すきだ。」王甲は言いました。「そのようなことはない[46]。わたしが明日またゆこう。」晩になり、また夢を見たところ、ふたたび金甲の神人が来て言いました。「王甲よ、おまえは執着することはない。この鏡は神の宝で、おまえたち夫妻が善行を好んでいたため、しばらく人の世に出して、おまえの富を築かせたのだ。これもおまえの前世の縁だが、二度奸僧の手に入ろうとは思わなかった。今、奸僧はどちらもすでに報いを受けたから、この鏡も天上に帰ってゆくのだ。おまえはもうみだりに思うな。昨日の車一台分の品物は、もとより室鏡が集めたものなので、ふたたびおまえに返すのだ。おまえが堅い心で善行を好みさえすれば、これらだけでも享受しつくせないだろう。」然として目覚めますと、南柯の一夢でした。王甲は一句一句はっきり記憶し、すべて妻に語り、あきらかに天意であることを悟り、鏡を探しにゆくこともやめました。夫妻は寺の中の品物を手に入れ、十分豊かになり、ふたたび嘉陵の富豪になりましたが、これは善行を好んだ報いで、かれが持つべき運命にあった財でもあり、無理に奪うことはできないのです。

 

他人の財貨を慕ふをやめよ、(さだめ)にて持ちたるものが(まこと)のものぞ。

過分のものを貪らば、試みに見よ二人の僧を。

最終更新日:2009516

二刻拍案驚奇

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[1]ここでは峨眉山白水寺の僧のこと。

[2]杭州の地名。

http://www.google.com/search?hl=zh-CN&q=%E5%AE%98%E5%B7%B7%E5%8F%A3&lr=&aq=f&oq=

http://maps.google.com/maps?hl=zh-CN&q=%E5%AE%98%E5%B7%B7%E5%8F%A3&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl

[3]杭州十城門の一つ。

http://www.google.com/search?q=%E9%8C%A2%E5%A1%98%E9%96%80&hl=zh-CN&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=iw

http://images.google.com/images?q=%E9%8C%A2%E5%A1%98%E9%96%80&hl=zh-CN&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

[4]未詳。王古魯の注釈本は「豊楽楼」であろうとする。

『宋史』巻六十二「宣和六年、都城有売青果男子、孕而生子、蓐母不能収、易七人、始免而逃去。豊楽楼酒保朱氏子之妻、可四十餘、楚州人、忽生髭、長僅六七寸、疏秀而美、宛然一男子、特詔度為女道士。」。『武林旧事』巻五にも見える。

http://www.google.com/search?hl=zh-CN&q=%E8%B1%90%E6%A8%82%E6%A8%93&lr=

[5]商品倉庫。http://baike.baidu.com/view/355779.htm

[6]未詳だが、飲み屋のボーイであろう。以下多出。

[7]花羅、彩錦などで作った帽子。周汛編著『中国衣冠服飾大辞典』六十六頁参照。

[8]五郎神とも。悪神の名。http://baike.baidu.com/view/301843。htm

[9]ここでは冥府のことと解す。

http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5Zdic86ZdicA564820.htm

[10]『宋史』巻八十九・成都府路「漢州、上、徳陽郡、軍事。一十二万九百、口五十二万七千二百五十二。貢紵布。県四:、望。什邡、望。綿竹、望。徳陽。望。」。

http://baike.baidu.com/view/802772htm

[11]占いの本。http://baike.baidu.com/view/71311。htm

[12]原文「下爐開鋳」。未詳。とりあえずこう訳す。

[13]原文同じ。未詳だが、護符の文字を美称しているのであろう。

[14]秘本。秘籍。http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE7ZdicACZdic88.htm

[15]道教の符http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE7Zdic81ZdicB5264929.htm

[16]衣の前の部分。「えり」ではない。

http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE8ZdicA1ZdicA3200270.htm

[17]原文「便等我留下一顆也好」。「等」が未詳。とりあえずこう訳す。

[18]原文「再没去処了」。「去処」が未詳。とりあえずこう訳す。

[19]峨眉山白水寺。

http://www.google.com/search?hl=zh-CN&q=%E5%B3%A8%E7%9C%89%E5%B1%B1+%E7%99%BD%E6%B0%B4%E5%AF%BA&lr=

http://images.google.com/images?hl=zh-CN&q=%E5%B3%A8%E7%9C%89%E5%B1%B1%20%E7%99%BD%E6%B0%B4%E5%AF%BA&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

[20]布施したり、善行したりすることをいう。福を受けることが、田に種蒔きし、秋に収穫することに似ているからいう。

http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE7ZdicA6Zdic8F71883.htm

[21]原文「意旨」。未詳。とりあえずこう訳す。

[22]礼部。僧侶に度牒を与えるのは礼部の管轄。『宋史』巻四・太平興国七年「九月己丑朔、西京諸道係籍沙弥、令祠部給牒。」。

http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7ZdicA5ZdicA052742。htm

[23]原文「算計不就」。「不就」が未詳。とりあえずこう訳す。

[24]原文同じ。ここでは寺を訪問すること。

[25]寺の厨房をいう。http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE9ZdicA6Zdic99302168.htm

[26]原文「有改字陳朝駙馬詩為證」。徐徳言『破与人去、鏡帰人不。無嫦娥影、空留明月輝。」徐徳言は后主叔宝の妹昌公主の駙馬

http://baike.baidu.com/view/1350983.htm

[27]漢州、嘉州。『宋史』巻八十九・成都府路「漢州、上、徳陽郡、軍事。一十二万九百、口五十二万七千二百五十二。貢紵布。県四:、望。什邡、望。綿竹、望。徳陽。望。」

『宋史』巻八十九・/成都府路「嘉定府、上、本嘉州、犍為郡、軍事。乾徳四年、廃綏山、羅目、玉津三県。慶元二年、以寧宗潜邸、升府。開禧元年、升嘉慶軍節度。崇寧七万一千六百五十二、口二十一万四百七十二。貢麩金。県五:龍遊、上。宣和元年、改曰嘉祥、後復故。熙寧五年、省平羌県入焉。洪雅、上。淳化四年、自眉州来隸。夾江、中。峨眉、中。犍為。下。大中祥符四年、移治懲非鎮。監一:豊遠。鋳鉄銭。

[28]提点刑公事提刑官。http://baike.baidu.com/view/209875.Htm

[29]原文「隨地要得急時、做些銀子不著、買求罷了。」。「做些銀子不著」が未詳。とりあえずこう訳す。

[30]原文「他起了風、少不得要下些雨。」。未詳だが、するといったことはかならず実行するというくらいの意味であろう。

[31]原文「我須是刑獄重情衙門」。未詳。とりあえずこう訳す。

[32]ここでは刑獄提点使者のこと。

[33]下役の長。http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6Zdic8FZdic90151809。htm

[34]原文「得爺銭没使処」。盗んだ金は大っぴらには使えないという趣旨の諺。『二刻拍案驚奇』巻二十にも見える。

[35]原文「平日結識的私情」。「私情」は未詳だが、この意味であろう。

[36]原文「快活他下半世」。これは法輪への皮肉か。とりあえずこう解す。

[37]原文「不得」。未詳。とりあえずこう訳す。

[38]証明、保証書。http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7ZdicBBZdic93202167。htm

[39]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicAEZdic98124347.htm

[40]会子は紙幣のこと。http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE4ZdicBCZdic9A283980.htm

[41]『宋史』巻八十九・成都府路「黎州、上、漢源郡、軍事。崇寧二千七百二十二、口九千八十。貢紅椒。県一:漢源。下。慶六年、廃通望県入焉。旧廃飛越県有博易務。縻州五十四。0領羅巖州、索古州、秦上州、合欽州、劇川州、輒栄州、蓬口州、柏坡州、博盧州、明川州、州、蓬矢州、大渡州、米川州、木属州、河東州、諾筰州、甫嵐州、昌化州、帰化州、粟川州、叢夏州、和良州、和都州、附木州、東川州、上貴州、滑川州、北川州、吉川州、甫萼州、北地州、蒼栄州、野川州、邛陳州、貴林州、護川州、牒j州、浪瀰州、郎郭州、上欽州、時蓬州、儼馬州、橛州、邛川州、護邛州、川州、開望州、上蓬州、比蓬州、重州、久護州、瑶劍州、明昌州。」

[42]http://www.google.com/search?hl=zh-CN&q=%E7%AB%B9%E5%85%AC%E6%BA%AA&lr=

http://maps.google.com/maps?hl=zh-CN&q=%E7%AB%B9%E5%85%AC%E6%BA%AA&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl

[43]http://baike.baidu.com/view/4056。htm

[44]原文「況兼宝鏡鬼神猜」。「猜」が未詳。とりあえずこう訳す。

[45]宝鈔は紙幣。http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicAEZdic9D126769。htm

[46]原文「不然」。前の「宝鏡が見えない」を受けていると解す。

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