楔子

(正旦が鄭彩鸞に扮し、外が扮した(しもべ)を連れて登場、言う)わたくしは姓は鄭、字は彩鸞、当年とって二十一歳。幼きときから父母(ちちはは)はともに失ってはいるが、父母(ちちはは)はかつてこう仰った。礼部にいた頃、秦工部さまと指腹(しふく)(こん)したのだと。その後、先方に男児が生まれ、秦然と呼びなされ、こちらにはわたくしが生まれたのだ。父母は失せたまい、先方は行方が知れぬ。この城の北、五十里に、草庵がある。庵にはひとりの道姑がおり、道姑も姓は鄭といい、かつてわたしに(きん)と書を教えてくれた。今日はわたしの誕生日。(しもべ)よ、酒と果物を用意しておくれ。道姑がいらっしゃるだろう。

(僕)かしこまりました。

(老旦が老道姑に扮して登場、言う)道の道とすべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず。わたくしは姓は鄭、梁公弼どのの夫人だ。主人と離れ離れになって、髪を束ねて、俗世を棄てて出家した。わたしは(きん)と碁の上手。こちらに一人の娘がいる。鄭礼部さまの娘御で、わたしのもとで(きん)と碁を学んでいる。今日は娘の誕生日、お祝いをしにゆこう。はやくも入り口に着いた。僕どの、取り次ぎをしておくれ。わたしがやってきましたと。

(僕が取り次ぎをし、言う)お嬢さま、鄭道姑さまが門口にいらっしゃいます。

(正旦)お呼びしておくれ。(会う)

(道姑)お誕生祝いしにまいりましたよ。

(正旦)お師匠さま、お金もございませんでしょうに、お気遣いいただきまして。

(僕)お嬢さま、近ごろ、お上が触れ文を出しました。役人だろうが庶民だろうが、二十歳(はたち)を超えた娘はすべて嫁がなければならないのです。期限は一月、違反者は罪に問われます。

(正旦)どうしたらよいでしょう。こうするよりほかございますまい。僕や、文房四宝を持ってきておくれ。(書き、言う)書き上がりました。僕や、こちらに来ておくれ。二枚の文書を作ったはなぜだと思う。一枚はおまえが年をとったため、従良[1]の文書をおまえにやるのです。もう一枚の文書には、わたくしの財産をすべて記してください。先祖が建てた竹塢草庵はまことに清雅。北門の外にありますが、近ごろは住持がおらず、一人の若い道姑が番をしているだけです。わたしは今からお師匠さまにならって出家をしますから、一年四季の、斎糧と道服を、欠かしてはなりませぬ。

(僕)ご安心くださいまし。一年四季の、斎糧と道服を、欠かしたりいたしませぬ。

(老道姑)お嬢さま、あなたは出家できないでしょう。出家しようとなさるからには、堅い心で修行すべきで、道半ばにして還俗されてはなりませぬ。

(正旦)お師匠さま、ご安心を。わたくしはもう誰にも嫁ぎはいたしません。出家したほうがさっぱりいたします。(唱う)

【仙呂賞花時】

白髪頭の老父母を喪ひて

眷属はとりたててなし

筆をみづから手に執りて文書を書きあげ

なんぢ[2]田畑(でんぱた)をば托し

(あるじ)とし(やつこ)となさず

【幺篇】

一歳の子は百歳の(しもべ)(あるじ)[3]

身心を無駄にしてむざむざと苦しみを受く[4]

富貴を求めて何にかはせむ

我はただ香を添へ

燭を補ひ

常に御身[5]に仕へんとせり

(ともに退場)

第一折

(外が梁州尹に扮し、張千を連れて登場、詩)

白髮は(ちょうそう)[6]として両鬢を侵し

老ゆれば若き心は消えり

官位にはなほありといへども

いかんせん夫人は行方知れずなり

わたくしは姓は梁、名は公弼、かたじけなくも進士に及第、南康の知事に任ぜられたり。夫人は姓を鄭といひ、わたくしは三年の任期を終へて、京師へと還らんとしたれども、旅の途中で、土賊に襲はれ散り散りとなり、今でも夫人は行方が知れず。かたじけなくも聖恩により、このたびは、鄭州の州尹に任ぜられたり。想へば若き日、旧友ありき。姓は秦、名は思道。ともに南陽で役人をせり。工部尚書に昇任せしも、不幸にも亡くなられ、一人息子の秦翛然のあるのみなり。秦翛然は九経三史に通じたれども、今にいたるも消息はなし。わたしはここで役人をして、身は栄ゆれど、二つの不幸をいかんせん。一つには夫人を失ひ、二つには甥[7]に出会へず。かれら二人に会ふことを得ば、わが平生の願ひは足らん。

張千よ、門口で見張っていてくれ。誰かが来たら、知らせるのだぞ。

(張千)かしこまりました。

(副末が秦翛然に扮して登場、詩)

若くして文を作りて名を揚げて

今や書を携へて都に上れり

いづかたの権門の娘御が

みづから()(べん)をわたくしに手渡すのやら[8]

わたしは姓は秦、名は翛然、幼きときに父母を失えり。父母の()しし時、鄭礼部家と指腹婚せり。鄭家には字を彩鸞とぞいえる娘が生まれど、今や両家は没落し、音信はたえてなし。わたくしは功名を得るために、鄭州に至りたり。聞けばわが叔父梁公弼はこの地で知事をしておられるとか。訪ねていってみるとしよう。はやくも着いた。門番よ、取り次ぎをしておくれ。秦然が門口におりますとな。

(張千が取り次ぎをし、言う)秦翛然さまが門口にいらっしゃいます。

(梁尹)秦翛然といっているのか。

(張千)左様です。

(梁尹)わたしが話をせぬうちに、甥がはやくもやってきた。張千よ、呼んでくれ。

(張千)お入り下さい。

(秦悠然が会い、言う)叔父さま、お掛けになられ、わたくしの再拝をお受け下さい。

(梁尹)甥よ、とても心配していたぞ。荷物はどこに置いてある。

(秦翛然)宿屋に置いてございます。

(梁尹)張千よ、運んできてくれ。書斎を掃除し、甥を書斎で休ませるのだ。酒肴を用意し、旅の苦労をねぎらうのだ。(ともに退場)

(正旦が小姑[9]とともに登場、言う)出家してより、おおむね安穏快適なり。(唱う)

【仙呂点絳唇】

銅斗(どうと)[10]のやうな財産を棄て

天にも届く火院(くわいん)[11]を棄てて

束縛はなし

日々香煙を絶やすことなく

一片の真心を磨きたり

【混江龍】

油頭粉面(ゆとうふんめん)を改めて

ふたたび蛾眉を淡く掃き、(せん)(びん)を盛り上ぐることぞなき

陰徳をひそかに積みて

道教を明らかに伝へたり

座上にはわづかなる塵さへもなし

壺中(こちゆう)には別に天あり

是非海(ぜひかい)[12]の内

人我叢[13]の中にあり

道理を知らぬ愚者を諭して

飄飄たる浮世

冉冉たる流年を見る

(小姑)お姐さまはこのようなお顔ですから、官員さまや士大夫の家を選んで嫁がれれば宜しいのに、出家してどうなさるのです。帰られた方が宜しいですよ。

(正旦)小姑や、それは違います。(唱う)

【村里迓鼓】

帰るにしかずと仰れど

わたくしは心から修行せんとぞしたるなる

蠅頭(ようとう)蝸角(くわかく)の虚しき名利に

恋々とすることはなし

是非[14]を避け

寵辱を忘れ

驕怨[15]のなきにしくはなし

誰が官を得

誰が禄を得

誰がお金を得たかなど関係なし

ああ

死生の(せき)に出くはせばいかでかこれを免れん[16]

【元和令】

われらは無常で 若年なりとも関はりはなし

我は嘆けり 世事のたちまち変はれるを

夭桃(やうたう)が火を噴きて柳が(けむり)を重ぬれば

荷花(かか)ははやくも翠鈿(すいでん)を点じたり[17]

東籬の菊はいまだすべては開かざりしに

紛紛と雪は天にぞ満てるなる

【上馬嬌】

一張[18]の琴

一聯の詩の

楽しみの悠然たるにしくはなし

試みに看よ かの富みたるも貧しきも

みな同じ白骨となり、黄泉に葬らるるを

【勝葫蘆】

興廃栄枯は眼前にあり

人々は名利に牽かれ

満目の紅塵に関塞は遙かなり

車輪に馬足

晨鐘に暮鼓

年年むなしく苦労せり

【幺篇】

いかでか()くべき 東窗に眠りは足りて 日の影の傾くに

枕を高くし ひたすらに安眠す

愚者は愚かで賢者は賢し

九転の丹砂を鍛へ

『黄庭』二卷を袖に入れ

『老子』の五千言を誦へり

(言う)日が暮れた。小姑や、明かりを点し、お香を足して、お休みなさい。

(小姑)お香を足して、明かりを点し、門を閉じ、休むとしましょう。(退場)

(正旦)夜も更けたから、焦尾の琴を取りだして、一曲奏でて、愁いを消さん。

(正末が登場、言う)わたしは秦翛然。叔父上の家に来てから一か月、門を出でたることはなし。本日はこの城外で踏青し、景色を賞でたり。小者たち、みな帰ろう。日も暮れて、城門は閉まってしまった。こちらには庵があるから、中へ行き、一晩の宿を借りればよいだろう。門を開ければ、今でも灯りがついている。(聴く)ああ、誰かが琴を弾いている。聴いてみよう。

(正旦が唱う)

【後庭花】

金炉には宝煙[19]を焚き

瑶琴は素弦[20]を鳴らす

流水高山調[21]

堆風積雪篇[22]に異ならず

まことに五音は全くして

軽く弾き

青宵[23]の明月に対したり

行く人は杳然として

まさに泠泠 指で伝ふる

琴の音は穏やかならず

何ゆゑぞ琴の音の穏やかならざる

(言う)弦が切れた。きっと誰かがこっそり聴いているのだろう。この門を開け、見てみよう。

(末を見て、言う)美しい秀才がいる。

(秦翛然)ああ、美しい道姑がいる。

(正旦)秀才さま、あなたはどちらのお方でしょう。お名前は。どうしてこの庵へと来られたのでしょう。正しいことをおっしゃれば、何もいたしませぬが、嘘をついたら、道録司へと送られて、許してもらえないでしょう。

(秦翛然)わたくしは南陽府の者、姓は秦、名は翛然ともうします。功名を得るために、この地に来ました。本日は城外で踏青し、景色を楽しんだのですが、日は暮れて、泊まる場所とてございませねば、ここに来て、一夜の宿を借りようとしたのです。(りょうりょう)たる琴の音を聴き、こっそりと耳を澄ましましたが、道姑がこちらにいらっしゃるとは思いもよりませんでした。わたしの罪をお許し下さい。

(正旦が背を向けて言う)この方が秦翛然さまだったのか。とりあえず尋ねてみよう。秀才さま、指腹婚した鄭彩鸞をご存じですか。

(秦翛然)わが父が生きていたとき、指腹婚した鄭彩鸞がいることを聴いておりました。父母が亡くなってから、鄭彩鸞は行方も知れず。わたしは常に心配をしておりますが、会うはかなわず。

(正旦)秀才さま、偽らず申し上げましょう。わたくしが鄭彩鸞です。

(秦翛然)あらゆる所を探しましたが、こちらにいらっしゃったとは。お嬢さん、わたくしに会われたからには、まさに一対の夫婦です。あなたに話がございます。

(正旦)秀才さま、無作法はなりませぬ。盟約があったとはいえ、急いで野合すべきではございませぬ。万一人に知られれば、私奔の謗りを受けましょう。

(秦翛然)わたしとあなたは怨女(えんじょ)曠夫(こうふ)、相隔たること十余年、本日たまたま巡り会いしは、天与の幸い、固い考えはよくありませぬ。

(正旦)それならば、この場所で話をしてはなりませぬ。耳房(じぼう)[24]に行って話をしましょう。(唱う)

【金盞児】

この花影はさらに幽然

桧柏(くわいはく)は蒼煙を籠む

これら二つはまことに人に便宜を与へり

色胆(しきたん)[25]は大いなること天のごと

今夜は星河の阻てもなく

人月ともに団圓(まどか)なるにや

わたくしは清閑な道本(しんどうほん)にはあらずして[26]

たとひおんみに汚されんとも構ふことなき散神仙(さんしんせん)[27]なり

(言う)秦翛然さま、夜が明けました、お帰りください。

(秦翛然)お嬢さん、明日はいつまいりましょうか。

(正旦)昼、来られてはなりませぬ。晩に来られて下さいまし。来られる時は正門を通らずに、角門からお入り下さい。人に見られたらまずいですから。

(秦翛然)分かりました。

(正旦)秦翛然さま、あなたのために、

(唱う)

【賺煞】

七真壇[28]を築き上げ

新たに三清殿[29]を造らん

かねてより、真心(しんしん)(うんじやう)すること浅からず

この一曲の瑶琴の()は婉転として

麗しき姻縁を包藏(はうざう)せるなり

香はしき肩を並ぶる月下星前

三生をともに願ひて誓ひを立てり[30]

わたくしも蓬莱や閬苑(りやうえん)に到るは叶はず

薬炉経卷に向かへるを羞ず

愁ふるは()さき窗、(ひと)りの枕に夜の一年のごときなり

(退場)

第二折

(梁尹が登場、言う)わたしは梁公弼。秦翛然が役所に来てから、一か月、わたしは仕事が忙しく、いっしょに話す暇はなし。張千よ、秀才どのは書斎で勉強しているか。

(張千)知事さまがお尋ねになられなければ、わたくしも敢えて申し上げませんでした。秀才さまは昼間は書斎で勉強をされ、晩になりますと−城外の竹園に、草庵があり、庵には一人の年若い道姑がおり、顔立ちはとても美しく、まことに聡明なのですが−秀才さまは毎晩そちらでいっしょに過ごしてらっしゃいます。

(梁尹)このような事があったか。

(張千)わたしは嘘はもうしませぬ。

(梁尹)それならば、恐らくは功名心を衰えさせることだろう。張千よ、乳母を呼んでくれ。

(張千)乳母よ、知事さまがお呼びだぞ。

(浄が乳母に扮して登場、言う)知事さまがお呼びとは、どういうことだろう。行かねばなるまい。(会い、言う)知事さま、わたしを呼ばれましたは、いかなるご用にございましょう。

(梁尹が耳打ちし、言う)実はこういうことなのだ。

(乳母)お言葉、承りました。書斎にゆかねばなりますまい。(退場)

(梁尹)張千、こちらに来てくれ。わしはおまえに話がある。わしはこれから郊外に勧農に行く。秀才が別れを告げにやってきたら、わしは公務が忙しいから、春衣一套、白銀二錠、全副の鞍馬[31]一頭とともに、長の旅路につくがよい、気を付けてなと告げるのじゃ。

(詩)

何事ぞ 人を促し 旅路へと上らしむ

女に迷ひ 功名を失ふことを愁ふればなり

後日、意を得て訪ね来ば

通家の情を示すべし

(退場)

(正末が登場、言う)鄭彩鸞と相遇いてより、昼も夜も眠ることなし。本日は房中に閑坐せり。何ゆえに乳母は来ぬのか。(乳母が登場、会う)

(正末)乳母よ、いずこに行っていたのだ。

(乳母)よそさまのお葬式に行っておりました。

(正末)誰の葬式に行っていたのだ。

(乳母)秀才さまはご存じございませんでしょう。王同知家の坊ちゃまが、この北門外竹塢草庵の年若き道姑のために亡くなったのでございます。霊魂が舍人に憑いて、舍人は亡くなられました。その庵の道姑は幽鬼で、年若い男を見ると、憑いて殺してしまうのです。

(正末が驚き、背を向けて言う)ああ。あの道姑が幽鬼だったとは想わなかった。ほんとうにびっくりしたぞ。張千を呼び、旅装を整え、長の旅路につくとしよう。

(張千)若さまが呼ばれましたは、いかなるご用にございましょう。

(正末)知事さまはどこにいらっしゃる。

(張千)郊外へ勧農にいかれました。

(正末)上京し、受験することにしようぞ。

(張千)知事さまはおっしゃいました。秀才さまが受験しにいかれるときは、春衣一套、白銀二錠、全副の鞍馬一頭、すべて揃えてありますと。秀才さま、知事さまが戻られるのをお待ちになれないのでしたらお行きください。

(正末)待てないな。旅装を整え、長の旅路につくとしよう。

(詩)

佳人なりしと思ひしが

なにゆゑ幽鬼なりといふ

夫婦となれぬことを悟れば

しばらく離るるよりほかはなし

(退場)

(梁尹が登場、言う)張千よ、秀才は行ってしまったか。

(張千)はい。

(梁尹)本日は何事もない。北門の外には竹塢庵があり、庵には一人の道姑がいる。年若く、大いに顔が美しい。一つには景色を眺めて気を晴らすため、二つには庵に行き道姑に会うため行くとしよう。(退場)

(小姑が正旦を扶けて登場、言う)三十三天、離恨天(りこんてん)は最も高く、四百四病、相思病(こいのやまい)は最も苦し。恋の思いに苦しめられり。

(小姑)たくさんの安い薪がございますから、馬鹿なあなたをお焼きしましょう。[32]

(正旦)あの方が去られたのなら、何ゆえに別れを告げられなかったのだろう。あの人が去っていないのなら、何ゆえにここ幾日か現れず、音信がまったくないのか。秦翛然さま、どちらにいらっしゃるのでしょう。(唱う)

【中呂粉蝶児】

このところ『南華』は誦ふるに懶く

一串(いつせん)[33]の数珠を壁間に掛け

一首の断腸詞を詠みて諳んぜり

道姑に命じて浄水を添へ

今しがた神を拝せり

立派なお方にあらずんば

この道袍をいかでか脱ぐべき[34]

【醉春風】

わたくしは今、藁縄で心猿(しんえん)をつなぎとめ

藕絲(ぐうし)もて意馬(いば)を縛れり

人は言ふ、出家せし者はみな俗心を断たんとせりと

我は言ふ、すべては偽り、偽りなりと

いづれの時にか月枕[35]に二人寄り添ひ

玉簫をともに吹き

翠鸞にともに騎るべき

(言う)小姑、騒ぐのはおやめなさい。わたくしは休みますから。(眠る)

(小姑)かしこまりました。門口で、誰が来るのか見張っております。

(梁尹が張千を連れて登場、言う)張千よ、儀仗、傘蓋(さんがい)をつけることなく、一人一騎で、城外に来たれり。はるかなる竹林は、おそらくは道姑の庵。

(張千)その通りです。

(梁尹)馬を繋げ。

(小姑が見て驚き、拜礼をする)

(梁尹)出家したものが稽首(けいしゅ)せず、俗人のように拜礼するとは。この若い道姑もまじめではないな。取り次ぎをしておくれ。わたしが訪ねて来ましたとな。

(張千)こら。この方は州知事さまだぞ。

(小姑が慌てて取り次ぎをする)

(正旦)どうしたのです。

(小姑)知事さまが門口にいらっしゃいます。

(正旦が唱う)

【紅繍鞋】

わたしは先ほど芙蓉の懶架(らんか)に身を凭せ[36]

眼を閉ぢてかの人[37]を夢見たり

目覚むれば相も変はらず天涯に隔たれり

早くもわたしの心は乱れ

客人が邪魔するに堪へられず

知事さまが、門口で、馬を下りたまひたりとか

(小姑)知事さま、お入り下さいまし。

(梁尹が旦に会い、言う)この道姑は姿が良いな。

(正旦)稽首いたします。知事さま、お掛け下さいまし。小姑や、はやくお茶を沸かしておいで。

(梁尹)道姑どの、そなたも腰を掛けられよ。

(正旦)滅相もございませぬ。

(梁尹)道姑どの、命に従うのにまさる恭敬はなし。

(正旦)それならば、僭越ながら。(稽首し、腰掛ける)

(梁尹)道姑どの、わたしが来たのがなぜなのか当ててごらんなさい。

(正旦)知事さまが来られたわけを、当ててみましょう。(唱う)

【石榴花】

山城(さんじやう)で何事もなく 早々に仕事を終へられたればにや

(梁尹)今日の朝、雨が降ったでしょう。

(正旦が唱う)

(あした)の微雨は軽紗[38]を潤す

(梁尹)今は折しも暮春の季節。

(正旦が唱う)

茸茸(じようじよう)たる芳草は残霞を引き立て[39]

人はみな宝馬(はうば)[40]に乗りて

(梁尹)わたくしは景色を愛でて踏青(とうせい)をしようとしたのだ。

(正旦が唱う)

足にまかせて歩みたり

(言う)分かりましたよ。

(唱う)

お役所で民快[41]がお願ひをなしたればにや[42]

(梁尹)わたくしは気晴らしをしにきたのです。

(正旦が唱う)

それゆゑに郊外に出で、幽雅を求めたまひしか。

(梁尹)道姑どの、わたしは来るとき、傘蓋を差さず、儀仗を並べなかったのだが、この趣旨がお分かりか。

(正旦が唱う)何ゆえに傘蓋を差さず、儀仗を並べなかったのでしょう。恐らくは、林下の野人の家を驚かすからでしょう。

(梁尹)道姑どの、ここはまことに静かなところじゃ。

(正旦が唱う)

【闘鵪鶉】

わが草戸(さうこ)柴門(さいもん)をな笑ひそ

銀屏(ぎんへい)繍榻(しうたふ)をいづくにか得ん

(梁尹)わたしは久しく高風をお慕い申し上げていたため、訪れたのです。

(正旦が唱う)

ご来臨賜はりたるぞ、ありがたき

駕を枉げていただきまして

(梁尹)道姑どの、それは琴ですな。一曲弾かれよ。耳を清めることとしましょう。

(正旦)弦が断たれておりますので、弾くことはできませぬ。

(梁尹)道姑どの、その弦はいつ断たれたのです。出家した方がわたくしをからかわれてはなりませぬ。[43]

(正旦が唱う)

出家せし者は昔から、人をからかふことを得ず

知事さま、な咎めたまひそね。

(梁尹)道姑どの、弦が断たれたのでしたら、街で他の弦を買い、繋いではいかがでしょうか。

(正旦が唱う)

この弦は、街で見つかることはなければ

求めんとせば、長江の真ん中で、ぐるぐると回るよりほかなかるべし。[44]

(梁尹)弦の話をしているのに、長江の真ん中でぐるぐると回るだなどと言っている。まるで魚だ[45]。これでは賢愚が分からぬわい。道姑どの、それは碁盤ですな。持ってきて、いっしょに一局打ちましょう。

(正旦)碁は打てませぬ。

(梁尹)どうして打たれぬのでしょうか。わたくしに手を読まれるのが怖いのでしょう[46]

(正旦が唱う)

【上小楼】

徒に機略を用ゐるも

わたくしの碁の奸策をいかでか知るべき

(梁尹)この碁にはどのような奸策があるのです。

(正旦が唱う)[47]

蝸角(くわかく)の虚名

蠅頭(ようとう)微利(びり)

蟻陣(ぎじん)蜂衙(ほうが)のためのみに

(こう)を打つ心を持ちて[48]

人と高下を争ひて

最後に死してはじめて罷めり

(梁尹)道姑どの、碁を打たれぬならそれもよし。名人の書画があったら、持ってきて見せてくだされ。

(正旦が唱う)

【幺篇】

羲之の書に

老杜の詩

戴松[49]の牛

韓幹[50]の馬にすぎず

枯木竹石

山水(れいもう)[51]

雪月風花にぞすぎざる

これらの人はみな亡くなり

今や漁樵(ぎよしやう)の閑話となり

(梁尹)道姑どの、この書画は、わたくしは存じませぬ。昔から、俗世を思う仙女は多く、ただ霊照女(れいしょうじょ)[52]の丹霞を点化したるを説くのみ[53]。この事は、ご存知ですか。

(正旦が唱う)

【快活三】

鍾子期(しょうしき)が伯牙を()ひしことを説かれず

霊照の丹霞を点化せしことを問ひたまふとは

(梁尹)古来、俗世を思う仙女がいないわけではございますまい。

(正旦が唱う)

古来、俗世を思ひたる仙女はなきやと問はるれば

しばし応ふることを得ず

【鮑老児】[54]

かの霊験なき書物をば、試みにご覧あるべし[55]

孔宣聖(こうせんせい)[56]が遺されしものにはあらじ

包待制を水晶の塔[57]

いささかの真実もなく

ひたすらに古今を論じ

山水を訪ね

花柳に寄り添はんとして

己を正し

民を利し

国を治むるにはあらずとぞみなしたる

(梁尹が背を向けて言う)この道姑は、表には西施の顔、内には(どううん)[58]の才あり、わが甥が恋をしたのも当然だ。甥はもともと彼女と指腹婚しているとか。夫婦にするにはちょうどいい。甥を騙して去らせたが、まだここに留まっているのなら、わしも安心できぬわい。このようにするしかあるまい。(振り返って言う)道姑どの、わが役所の近くには、白雲観あり。敕建の祈祷所じゃ。あなたを招いて庵主としようと思うのだが、お考えはいかがかな。

(正旦)行きたいと思います。(唱う)

【耍孩児】

我が心には気掛かりはまつたくなし

方牀(はうしよう)[59]矮榻(わいたふ)[60]に浄坐[61]して

喧騒の場に喧騒を避け

白雲庵を家となすべし

粗衣(そい)淡飯(たんはん)の貧しきをな笑ひそ

肥馬(ひば)軽裘(けいきう)[62]の富をば誇ることなかれ

(ほくばうざん)の真下を見れば

断碑(だんぴ)荒冢(くわうちよう)

老樹(らうじゆ)残霞(ざんか)のあるのみなり

【尾声】

わが重門(ちようもん)の緑苔に鎖されて

閑亭(かんてい)[63]に落花を掃ひ

瑶琴を抱き 松陰に高臥して

神仙になれずとも

まことに楽しきことには及ばず

(退場)

(梁尹)日が暮れたから、張千よ、馬を牽け。私宅へ帰ることにしようぞ。

(詩)

三十余年 官途にありて

風塵はいづこにありても顔を摧けり

竹院に過ぎり清話を貪り

浮生にて半日の閑適を得たり

(退場)

第三折

(梁尹が登場、言う)わたしは梁公弼。竹塢庵の鄭道姑を引っ越させ、白雲観の住持にした。甥の秦翛然が及第し、戻ったときに、手を打とう。昨日は、新任官が着任したとの報せがあって、人を迎えに遣わした。張千よ、来たらわたしに知らせるように。

(張千)かしこまりました。

(秦翛然が登場)

(詩)

十年の寒窗(かんそう)に雪は積もりて

世の万巻の書物を読みたり

つひには文の力を借りて

象簡(ざうかん)羅袍(らはう)[64]玉除(ぎよくぢよ)[65]に上れり

わたしは秦翛然。叔父上のもとを離れて、京師に赴き、功名を得ようとしている。はからずも願いを遂げて、一挙状元に及第した。それがしは聖上に上奏し、叔父上の養育の恩に報いていないので、近い地に着任し、侍養(じよう)に便ならしめたい旨を言上した。ありがたいことに、聖上は鄭州の通判を賜わったので、このたび赴任しようとしている。まずは叔父上に会いにゆこう。張千よ、取り次ぎをしておくれ。州判が着任したとな。

(張千)かしこまりました。申し上げます。新任の州判さまが来られました。

(梁尹)お呼びしてくれ。

(正末が会う)

(梁尹が笑い、言う)甥の秦翛然ではないか。役人になったのだな。

(秦翛然)叔父上さまのお陰です。上座に着かれ、わたくしの拝礼をお受け下さい。(拝礼をする)

(梁尹)張千よ、宴席を調えて、状元どのにお祝いをしてさしあげよう。静かな場所なら、話ができよう。張千よ、急いで乳母を呼んできてくれ。

(張千)乳母どの、知事さまがお呼びです。

(乳母が登場、会い、言う)老知事さまがわたくしを呼ばれましたは、いかなるご用にございましょう。

(梁尹)乳母どの、白雲観に赴いて、道姑どのにお知らせくだされ。庵を借りて、客人をもてなしますから、静かなところを選んで、掃除をしてくださいと。乳母どの、先にお行きください。わたしは後からすぐ行きますから。

(乳母)かしこまりました。(退場)

(梁尹)状元どの、ご一緒に白雲観にまいりましょう。(ともに退場)

(正旦が小姑を連れて登場、言う)梁公弼さまがわたしを白雲観に招かれてから、庵主となって、まことに静かで快い。しかし、秦翛然さまはどちらにいらっしゃるのやら。わたくしは安心できぬ。(唱う)

【正宮端正好】

もともとは『鳳求凰(ほうきうわう)[66]を弾きたれど

三畳(さんでふ)陽関令(やうくわんれい)[67]となる[68]

淹然(えんぜん)[69]として満腹の離情を訴へ尽くすことなし

清風と明月は悠然として静かなれども

一人の知音の聴くを欠きたり

【滾繍球】

秀才たちはまことに浅墓

ひどく薄情

破釵(はさ)分鏡(ぶんきやう)[70]のごとくにて

一たび去れば糸の断たれし風筝(たこ)のごと

わたくしはちらちら燃ゆる灯を守り

長吁短嘆(ちやうくたんたん)する声を聴く

枕に倚れば

人はみな夜明けまで座禅せりとぞ思ふべき

山河は遥けく、かの人はいづこにか在る

それゆゑに、枕と衾は淋しくて、夢は得成らず

両の泪の盈盈たるを(こら)へ得ず

(言う)小姑や、わたしの邪魔をしないでおくれ。休むから、門口にゆき、番をして、誰かが来たら、知らせるのだよ。

(小姑)かしこまりました。

(乳母が登場、言う)老知事さまのお言葉を受け、白雲観に赴いた。はやくも着いた。小姑や、取り次いでおくれ、乳母が来たとね。

(小姑が取り次ぎをし、言う)お師匠さま、乳母が来ました。

(正旦が驚き、言う)これは驚いた。お呼びしてくれ。(会う)

(正旦)稽首いたします。乳母どの、お掛け下さいまし。小姑や、お茶をお出ししてくれ。乳母どの、どうして来られたのです。

(乳母)あなたに会いに来たのです。かようにお若く、賢くてお美しいのに、出家してどうなさるのです。

(正旦)乳母どの、話をすれば、長くなります。

(唱う)

【幺篇】

わたしの先祖は上卿[71]となり

左丞[72]となれり

これもまた善行の宿縁なり

家には(しん)(えい)[73]が並びて

富の中にぞ生ひ立てる

父母(ちちはは)がわたしに婿をとらざることはなかりしも

塵寰(ぢんくわん)を出で、甘んじて修行せり

わたしの心は天にある皓月のごとく静かに

寒潭(かんたん)のごと、底まで清く

僅かなる俗情もなし

(乳母)道姑どの、かようにお若いのですから、官員さまに嫁がれて、(うすぎぬ)や錦を着、髪を梳かれて装えば、出家した者よりはるかにましでしょう。人から聴いたところによれば、出家をされた方々は相思の病になる者が多いとのこと。

(正旦)乳母どの、何を仰います。(唱う)

【叨叨令】

出家の者が脂粉を顔に塗らめやは

出家の者が淫邪の性を持ためやは

出家の者が俗人の縁談を容れめやは

出家の者が相思の病を患はめやは

わたくしは話すに堪へず

わたくしは話すに堪へず

わたくしは外面(そとづら)は清く正しきものなれば

(乳母)知事さまの言葉を奉じて、あなたに話をするのです。この庵を借り、客人にお酒を飲んでいただくのです。

(正旦)乳母どの、こちらは祈祷所なのですから、世間体がよくありませぬ。鍋や竃を汚されるのはなりませぬ。

(乳母)ご承知しないだろうと思っておりました。老知事さまはもう来られました。

(正旦)老知事さまが来られたら、わたくしが話をしましょう。

(梁尹が登場、言う)道姑は何と言っていたのだ。

(乳母)鍋や竃を汚すから駄目だと申しておりました。

(梁尹)わたしが自分で話をしよう。(会う)

(正旦)こんにちは。

(梁尹)道姑どの、わたくしはあなたの庵の静かな部屋をお借りして、酒肴を用意し、客人をもてなしたいのだ。

(正旦)知事さま、こちらは祈祷所なのですから、世間体がよくありませぬし、鍋や竃を汚してしまいますでしょう。

(梁尹)汚しても、誰も知るまい。

(正旦)神を冒涜なさるのですか。鍋や竃を汚されるのはよくありませぬ。

(梁尹)ほんとうにご承知しないおつもりか。

(正旦)なりませぬ。なりませぬ。七代の先祖の霊が出てきても、承知しませぬ。

(梁尹)ご承知して下さらぬなら、この庵を貸し、新しい状元どのに一杯の茶を出して下され。

(秦翛然が登場、言う)だめならば、わたくしは帰りましょう。

(梁尹)お茶一杯ならよろしいでしょう。道姑どの、新しい状元どのとお会い下さい。

(旦が正末に会い、言う)こんにちは。

(梁尹)お茶は飲まなくともよかろう。新しい状元どのと私宅に戻り、酒を飲むことにしようぞ。

(正旦が正末の衣服を引き、言う)知事さま、こちらにお掛けになればお宜しいのに。

(梁尹)こちらは祈祷所なのですから、世間体がよくありますまい。

(正旦)誰にも知られはしますまい。

(梁尹)鍋や竃を汚しましょうぞ。神を冒涜なさるつもりか。

(正旦)おもてに小鍋がございます。

(梁尹)道姑どの、新しい状元どのとこちらに掛けてらっしゃるがよい。わたしは酒肴をとってこよう。(退場)

(正旦)秦翛然さま、いずこより来られたのです。

(秦翛然)おまえは幽鬼か。あっちへゆけ。

(正旦が唱う)

【倘秀才】

わたくしは御身のために

長き夜に耐へ

独り寝に耐へ

日暮れまで待ち望み

夜明けまで待ち望みたり

旧き約束をば思ひ

帰らるる道をば想ひ

久しく待ちたり

【滾繍球】

秀才たちは後生を誑かし

好色の(ばけもの)にして

一人一人が伝槽病(でんさうびやう)[74]を患へり

娘らに物申す このやうな酸丁(さんてい)[75]の気をな惹きそね

琴書を携へ四海に游び

千里の山を進みたり

行くところ渺として姿なく

倩女(せんぢよ)[76]の離魂を引き起こしたり

(秦翛然)おまえは幽鬼だ。向こうへ行け。

(正旦)あなたが幽鬼でございましょう。わたくしは幽鬼ではございませぬ。

(秦翛然)わたしがどうして幽鬼なのだ。

(正旦)あなたが幽鬼でないのなら、

(唱う)

何ゆゑぞ九経の書を灯前に看ず

かの瑶琴の三弄[77]を月下に聴きて

行ひは汚れたれども言葉の清き

(梁尹が登場、聴き、咳をする)

(正旦)騒ぐのはおやめください。老知事さまに聞こえましょう。

(梁尹)わしはとっくに聴いておるわい。

(正旦が秦翛然を引き、跪く)

(梁尹)二人ははやくも白状したな。道姑どの、ここは祈祷所で、鍋や竃が汚れるのではなかったのか。世間体がよくないのではなかったのか。道姑どの、お分かりか。道の道とすべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず。今人(きんじん)は道を修むるに、正道によれることなし。(どん)(しん)をほしいままにすることなかれ。奸狡(かんこう)をほしいままにすることなかれ。心正しく邪ならず、これがすなはち正道なり。新しき状元どのよ、御身は立派な読書人。十年(ととせ)のあひだ蠹簡(とかん)[78]を窮め、一挙に龍門をば跳べり。何ゆゑぞ金榜[79]の日を思はれず、楚台[80]の雲とひそかに約することを望める。かやうなる道姑があれば、かやうなる秀才があり、かやうなるわれのあるなり。

(詞)端冕(たんべん)[81]を着け、三輔[82]に臨み、弦を調へ、万民を治むる資格などはなし[83]。何ゆゑぞ姻縁簿をば点検し、有情の人を批評せる[84]。ご立派な道姑どのよ。

(詞)布袍(ふはう)[85]は夜の月を籠め、(あけい)[86]は秋の雲を束ねり[87]。もとは清風明月の客[88]なるに、金馬玉堂の臣を養ふ[89]。一方は琴を聴く漢司馬にして、一方は道を修むる卓文君。常に素飯を食らふといへども、真葷(しんくん)[90]は断たざりき。経巻を読まんとはせず、(えにし)を結び、夜夜花燭の会、洞房[91]の春となるを望めり。夜明けの鐘が一たび響かば、天尊を拝すべし。すみやかに道服を着て、あたふたと法裙(ほうくん)[92]を結びたり。肌着は着くる暇もなく、髮は紛紛と乱れたり。手も洗はずに、香を焚く。三清殿を汚したりしに、何ゆゑぞ李老君[93]をば覆さざる[94]。道姑どの、恐ろしいか。

(正旦)恐ろしゅうございます。

(梁尹)許してもらいたいか。

(正旦)許してもらいとうございます。

(梁尹)それならば、還俗し、秦翛然に嫁ぐがよい。五花誥(ごかこう)()馬車(ばしゃ)を受けて、夫人県君となれるなら、まことによかろう。

(正旦)ありがとうございます。老知事さま。

(梁尹)見よ、すぐに承知したぞ。

(正旦が唱う)

【尾煞】

明日には雲鬟(うんくわん)を整へて

ふたたび菱花(りようくわ)の鏡に向かはん

もう二度と口を開きて『道コ経』を読みはせず

腰掛くる処に腰掛け

赴く処に赴かん

情は相投じ

意は相称ひ

今朝、酒の半ばは醒めたり

羅幃(らゐ)に入り

繍屏(しうへい)に隠れ

画燭(ぐわしょく)の昏く 夜の静まることをし待たば

宝篆(はうてん)(いんうん)として金鼎をめぐり[95]

枕上に風流(いろこひ)の楽しみあるべし

道姑らは不まじめなりといふなかれ

上八洞[96]を跳び出でし神仙さへも

わたくしを反省せしむることはかなはじ

(秦翛然とともに退場)

(梁尹)本日は甥の結婚を取り持った。酒肴を並べ、秦翛然にお祝いを言いにゆこう。

 

第四折

(小姑が登場、言う)お姐さまは還俗をしてしまわれた。わたくしは残されて、一人ぼっち、どうして過ごすことができよう。わたくしも若い和尚を探しにいこう。

(老道姑が登場、言う)わたしは梁公弼の妻、鄭家の娘を出家させ、はからずも心疼(しんとう)の病となりて、まるまる三年床に臥せども、本日、はじめて病は癒えり。鄭家の娘は何と薄情、会いに来ぬのはまだよいが、小姑を寄越すこともないとは。わたしは竹塢庵に行き、修行しているかどうかをみてみよう。(驚き、言う)どうして門が鄭州の封印で鎖されているのだろう。まことにおかしい。尋ねてみよう。(古門[97]に向かって尋ね、言う)お尋ねしますが、この庵の鄭道姑どのはいずこに行かれましたか。

(内が返事をして言う)州の西なる白雲観に引っ越され、住持となられたのでございます。

(老道姑)もう一度、白雲観を訪ねていこう。(到着し、門を叩き、言う)どなたかいらっしゃいますか。

(小姑が登場、言う)どなたでしょうか。(門を開け、会い、言う)鄭のお師匠さまでしたか。

(老道姑)尋ねるが、おまえの家のお嬢さまはいずこに行かれた。

(小姑)一言では言い尽くせませぬ。わがお嬢さまは俗心を清められずに、出家をされて幾ばくもたたないうちに、秀才を一人呼び込まれました。秀才は、毎晩琴を聴いていたため、見つかったのです。この秀才はまことに薄情、上京し、受験をするのに、一言も別れを告げませんでした。お嬢さまは恋の病となられ、死にそうになりました。このような方がどうして出家することができましょう。

(老道姑)そうだったのか。心疼になっていなければ、わたしはあれをさんざんに嘲ったのに。

(小姑)老お師匠さま、何ゆえ恋の病になられ、(しん)が疼かれたのですか。

(老道姑)これ。わたしのような老人にそのようなことを言うとは。

(小姑)わがお嬢さまは(しん)が疼いて、庵にて長吁短嘆しておられました。この州の知事さまがわがお嬢さまに会いにこられて、お嬢さまの姿が美しいといわれ、白雲観に招き住持とされたため、わたくしも引っ越してきたのです。ところがかの秀才も状元に合格したため、お嬢さまは還俗し、嫁いで夫人となられたのです。

(道姑)この馬鹿娘。出家をするなと言ったのに、おまえは無理に出家した。今度は耐えられなくなって、男について行こうとするとは。天に上って地に入ろうと、鍬でおまえを掘り出してやる。(進む。言う)家々の隅を回りて、家々の角を過ぎたり。新しい状元の屋敷はここだ。取り次ぎは必要ない。広間に行って坐っていよう。彼ら二人はどのように出てきてわたしに会うだろう。

(正旦が秦然とともに登場、言う)誰か想わん、今日あるとは。(唱う)

【双調新水令】

碧桃の花の下、鳳鸞の交はり[98]を成就せば

何ぞ怕れん 出家せし者の教門の中で嘲らるるを

いづこにありても霊丹を腹中に置き[99]

経卷を杖頭に掛くれども[100]

月の(ゆふべ)に花の朝

一陣の黄粱の夢はたちまちに醒む

(言う)ああ、お師匠さまだったのですね。(会う)

(老道姑)お嬢さま、あなたは初めどうして出家なさったのです。

(正旦が唱う)

【喬牌児】

出家せし者が嫁ぎゆきしを見しことぞなき

今ならばわたくしもまだ若し

(老道姑)あなたに琴をお教えしたのは、お心を清らかにしようとしたため。夫を誘い込むことを教えたわけではありませぬ。

(正旦が唱う)

卓文君の一曲の求凰操(きゅうおうそう)[101]

かの漢相如を引き寄せり

(老道姑)結婚をしたければ、眷属を招かなければなりませぬのに、どうしてわたしに知らせてくださらなかったのです。

(正旦が唱う)

【雁児落】

親戚(うから)さへ呼ばざれば

などか道姑に告げぬべき

(老道姑)どうして還俗されたのですか。

(正旦が唱う)

宿縁あれば還俗せんとしたるなり

(老道姑)わたしが道録司に訴えたら、許してもらえないでしょう。

(正旦が唱う)

ああ

癇癪を立て、騒がるることを須ゐず

(老道姑)出家できぬとおっしゃいますが、出家したいとおっしゃったのはどなたなのです。

(正旦が唱う)

【得勝令】

ああ

昔から人は怨めば声高となる

いかでか知らん わが父母の盟約ありしを

連枝の樹をば伐らんとし

比翼の鳥を分かたんとせり

胎胞を出でざるに

指腹して成婚し

今日に到りて

はじめて夫婦となるを得り

(言う)老知事さま、老道姑どのを宥めてください。

(梁尹が登場、言う)なぜ大騒ぎしているのです。

(正旦)老知事さま、来られましたか。老道姑さまを宥めてください。

(梁尹)これ以上騒いだら、道録司へと送りつけ、尻を打つことにしよう。その老道姑はどこにいる。

(正旦)表の広間に坐っております。

(梁尹が会い、言う)老道姑どの、わたくしの顔を立て、彼ら二人の結婚を成就してやりなされ。

(老道姑)老知事さま。

(梁尹)わが妻か。

(老道姑)冠を取り、()(さん)を脱ぎて、環絛(かんとう)[102]を解く。わたしは老知事さまを見る。出家するよりずっとまし。

(正旦)老姑さま、何ゆえかようになさるのです。その昔、おんみが出家されたのはどなたのためです。

(老道姑)この老人はわたしの亭主だったのです。

(正旦)わたしも夫婦だったのです。

(唱う)

【甜水令】

おんみはひたすら秦楼(しんろう)を倒し[103]

洛浦(らくほ)(うづ)[104]

(けんびやう)を覆さんとし[105]

とめどなくくだくだと喋りたりしに

またなにゆゑに星冠(せいくわん)[106]を棄て

道服を脱ぎ

環絛(くわんたう)を解きたまふ

かやうに志操堅固なりしか[107]

【折桂令】

おそらくは三焦[108]に欲火あり

一時(いちどき)(ほむら)は起こり

全身が焼けたるならん

このやうに抑へがきかず

寄り添はんとし

人に嘲らるることも顧みざるとは

想へばおんみは痩せこけて 精気は次第に枯れゆけり

ましてわたしは顔色まさに麗しければなほさらのこと

(老道姑)この人はもともとわたしの亭主でしたが、土賊に追われて離れ離れになったのです。密会をしたあなたとは違うのです。[109]

(正旦が唱う)

おんみに棄てし夫あれば

わたくしが結婚すとも宜しかるべし

二人とも団圓し

おしなべて楽しみを受くるにしかず

(僕が登場、言う)わたしは鄭のお嬢さまの家の園丁、お嬢さまに斎糧と道服を届けようとし、庵に行ったが、お嬢さまはおられなかった。白雲観に引っ越され、庵主となられたとのことだったので、白雲観に訪ねていったら、還俗をされていた。こちらはお嬢さまのお屋敷だ。一人で入っていくとしよう。(会い、言う)お嬢さま、斎糧と道服を持ってまいりましたに、どうして還俗なさったのです。

(正旦が唱う)

【沽美酒】

この一揃ひの新しき道袍は

千里に鵝毛を贈るがごとし[110]

路は遥けく風塵になんぢは労せり

いかで知るべき われの衣冠の改まらんとは

夫人となりしにあらずんばこれは扮装[111]

【太平令】

結婚は、些細な事にはあらざらん

出家せしわれらの福は消えがたし

雲雨の約を求むることが

師弟の全真了道(ぜんしんりやうだう)[112]なり

おんみは私のことを思はれ

かつて忘れしことはなし

諺に言ふ

「報いには報いあり」とぞ[113]

(梁尹)この新しい状元を存じておるか。

(老道姑が服装を改め、言う)存じませぬ。

(梁尹)この人こそはわが南陽にありし時、同僚なりし秦思道の甥、秦然だ。

(夫人)左樣でしたか。鄭彩鸞と指腹婚した甥ですね。はやくお知らせくだされば、わたくしもうるさく申しませんでした。

(梁尹)今、わが妻はわたしを認め、道姑も新しき状元と結婚せり。天下の慶事は夫婦団圓にまさるものなし。羊を殺し、酒を造り、盛大な祝いの宴を設くべし。

(正旦が唱う)

【離亭宴煞)

碁の勝ち負けを今ぞ知りたる[114]

瑶琴は弾き尽くす相思調(さうしてう)

この婚姻は、天縁の奇すしきめぐり合はせなり

七香(しちきやう)の車に坐して

高く掲ぐる(さん)(えん)の傘

請ふらくは受けよ 金花誥(きんくわかう)

偸香と窃玉の約にふたたび赴くことなく

煉薬と焼丹の教へ[115]にふたたび仕ふることなし

これよりは悲しみはなかるべし

簫史とともに登仙するはかなはねど[116]

梁鴻を守りつつともに老いゆくことを願へり

 

最終更新日:20101126

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[1]奴隷をやめて自由民になること。

[2]僕をさす。

[3]原文「更問甚一歳孩兒百歳主」。「一歳使長百歳奴」という成語があり、「一歳の主人には百歳の奴隷も従わねばならぬ」の意。「一歳孩兒百歳主」はこれと同義であろう。主人には絶対服従の奴隷の境涯をいう。

[4] この二句の主語は「僕」。

[5]鄭道姑をさす。

[6] まばらなさま。

[7]原文「侄」。甥のことをいうが、中国では友人の子供も「侄」という。

[8]原文「不知若箇豪門女、親把絲鞭遞小生」。絲鞭は絹の鞭、婚約のしるしとして送られる。

[9]若い道姑をいう。

[10]原文「棄了箇銅斗兒似家縁」。「銅斗兒」は本来量器。元雑劇で、しばしば「家縁」「家私」‐財産‐という言葉と連用して用いられ、「銅斗兒家縁」は豊かな財産の意に解釈されている。

[11]蕭望卿は火宅の意に解する。俗世の家を指していよう。

[12]是非海という言葉の他の用例を知らないが、「是非場」などと同じで、様々な争いごとの起こる俗世をいっていよう。

[13]人我叢という言葉の他の用例を知らないが、先出の「是非海」と同じで、己と他人とを分け、互いに争う俗世をいっていよう。

[14]争い事をいう。

[15]驕怨という言葉を知らない。幸運に驕ったり、不運を恨んだりすることをいうか。

[16]原文「到後來死生關頭怎免」。「死生關頭」は「生死關頭」に同じ。生死の境目。臨終の時。

[17]原文「早荷花點翠鈿」。翠鈿は翡翠の玉飾り。蓮の花を翠鈿にたとえたものか。未詳。

[18] 「張」は「琴」を数える量詞。

[19] 「宝煙」という言葉を知らない。ただ、香炉のことを宝鼎ということから推して、「宝煙」は香炉で焚く煙のことであろう。

[20]素絃。白い絃。

[21] 『列子』湯問「伯牙善鼓琴、鍾子期善聽。伯牙鼓琴、志在登高山。鍾子期曰、善哉。峨峨兮若泰山。志在流水。鍾子期曰、善哉。洋洋兮若江河」。        

[22]琴の音を堆風積雪にたとえた記事を知らぬ。恐らくは、前句の「流水高山調」と対にするために作られた言葉であろう。

[23] 「青宵」という言葉を知らない。「青霄」の誤りか。あるいは、青い夜空の意か。

[24]母屋の両端に建てられた部屋。

[25]色情、色欲。

[26]原文「我可是清閑真道本」。「可」は「豈」に同じと解釈する。「道本」は道家思想の根本をいう。ここではそれを悟った人をさすか。

[27]仙職を授かっていない仙人。散仙。

[28]七星壇に同じ。北斗七星をまつる祭壇。

[29]三清は元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊。

[30]原文「共指三生説誓言」。「指」は「指望」の意。「三生願」は夫婦となる願いをいうので、全体の意味は、夫婦となる誓いを立てるということ。

[31]馬具一式をつけた馬。

[32]原文「有的是賤柴、燒你這醜弟子」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[33] 「串」は数珠を数える量詞。

[34]原文「若不是會首人家、幾番將這道袍脱下」。未詳。「幾」を「怎」、「番」を「翻」‐裏返す‐の意に解し、とりあえず、こう訳す。

[35]未詳。

[36]原文「我恰才搭伏定芙蓉懶架」。「搭伏」は体を前に凭せ掛けること。「芙蓉懶架」が未詳。蕭望卿は「懶架」は「欄架」の意であるとするが、「欄架」という言葉は見かけない。

[37]秦翛然。

[38]佩文韻府引『陸游筆記』「亳州出輕紗、舉之若無裁、以為衣、真若煙霧」。

[39]原文「茸茸芳草襯殘霞」。「襯」は対照的に引き立てること。青青とした草の中で夕陽の赤が引き立つ。

[40]宝で飾り立てた馬。

[41]捕り手。

[42]原文「莫不是那官中民快央及的怕」。「怕」が未詳。とりあえず、こう訳す。

[43]原文「出家人休調發我」。琴の弦が切れていると告げることが、どうして相手をからかうことになるのか未詳。断弦という言葉には、夫がないという意味もあるので、道姑が自分の境遇と引っ掛けて、洒落をいっていると解釈したか。

[44]原文「則除是江心里旋打」。未詳。

[45]原文「可是魚」。未詳。とりあえずこのように訳す。

[46]原文「敢是你怕老夫識破那一着」。未詳。とりあえずこのように訳す。

[47]以下の歌の趣旨、全体的な趣旨は、碁の対局の勝ち負けなど、些細なことに過ぎないのに、人々は一生懸命碁をしている、馬鹿らしい、という趣旨だと思われるが、よく分からない。未詳。

[48]原文「將一片打劫的心」。「打劫」は囲碁用語。劫をする。

[49]唐の画家。戴崇のこと。元夏文彦『圖繪寶鑑』「嵩唐人、畫牛能盡野性、至於田家川原、亦各臻妙」。

[50]唐の画家。『酉陽雑俎』『宣和画譜』などに逸話が見える。馬を描くのに優れていた。

[51]鳥のこと。      

[52] 『傳燈録』「龐居士有女、名靈照、常隨竹漉籬、令鬻之、以供朝夕」。蘇軾『虔州呂倚承事、年八十三、讀書不已、好收古今帖、貧甚、至食不足』「不識孔方生、但有靈照女」按「龐蘊女靈照、父子皆深造禪理」。元雑劇に居士誤放来生債』がある。

[53]原文「則説靈照女透丹霞」。「丹霞」は居士誤放来生債』の登場人物丹霞禅師で、襄陽雲岩寺の長老、靈照に懸想し、挑発するが、靈照により点化される。居士誤放来生債』第四折参照。「透」が未詳だが、「参透」の「透」であり、ここでは悟らせるといった方向であろう。とにかく、方向としては、俗世を思う仙女は多いが、霊照は違っていたということであろう。

[54] この曲。全体の趣旨がよく分からない。とくに包待制が出てくるわけがわからない。未詳。

[55]原文「將你那無顯驗的文書是監察」。蕭望卿は「是」は「試」の意味だとする。これに従う。「無顯驗的文書」が未詳。道家の書をいうか。

[56]孔子。唐代、孔子に文宣王という封号が与えられたので、これに因むか。宣聖という封号はない。

[57]原文「水晶塔」。見かけは聡明だが、頭は硬い人をいう。

[58]東晋の才女、謝道韞。

[59] 『南史』賀革伝「革有六尺方牀、思義未達、則臥其上、不盡其義、終不肯食」。

[60]陸游『渓園』「矮榻水紋簟、虚齋山字屏」。

[61] 「浄坐」という言葉を知らない。ただ、「静坐」に同じいであろう。

[62] 『論語』雍也「子路曰、願車馬衣輕裘、與朋友共弊之而無憾」。

[63] 「閑亭」という言葉を知らぬが、人気のない亭であろう。

[64]象牙の笏と、羅の袍。

[65]玉の階。

[66]漢の司馬相如が卓文君を誘惑するために奏でたとされる琴歌。

[67]王維の『送元二使安西』に曲をつけたもの。別れの歌。

[68]前二句、全体の意味は、琴を弾き、秦翛然と会えたが、すぐに別れてしまったということ。

[69]奄然に同じ。気息奄奄として元気がないさま。

[70]破鏡、分釵。ともに夫婦が離れ離れになることの喩え。

[71]周代、上卿、中卿、下卿があったが、ここでは漠然と、朝臣の意であろう。

[72]中書省の丞。

[73]顕官。

[74]馬の伝染病のことだが、悪い病気というぐらいの意味で使っていよう。

[75]「窮措大」に同じ。貧乏書生。

[76] 『太平広記』巻三百五十八引『離魂記』の主人公。元雑劇にも『倩女離魂』がある。

[77]古曲名。梅花三弄。

[78]紙魚のくった書物。

[79]「金榜題名」のこと。科挙に合格すること。「金榜」は科挙の合格掲示板。

[80]楚の陽台。楚の襄王が高唐に遊んだとき、陽台のもとで朝には雲となり、夕べには雨となるという巫山の神女を夢みて、これとちぎったという、『高唐賦』の故事を踏まえる。「楚台の雲」はここでは鄭彩鸞のこと。

[81]玄端と冕冠。玄端は黒の礼服。

[82]近畿をいう。

[83]原文「調弦理萬民」。礼楽をもって万民を治めること。『論語』陽貨「子之武城、聞弦歌之聲。夫子莞爾而笑曰、割雞焉用牛刀」。

[84]原文「剗地點檢他這姻縁簿、花判他這有情人」。結婚を考え、男を物色するということであろう。

[85]木綿の袍。道袍。

[86] あげまき。

[87]原文「你那布袍籠夜月、丫髻挽秋雲」。含意未詳。月を女性の体に、雲を髪の毛に喩えているか。「挽」は「綰」に同じ。束ねる。

[88]俗世を離れた道姑の境涯をさしていよう。

[89]官となった秦翛然と密会したことをさしていよう。

[90] 「真葷」という言葉を知らぬ。ただ、真の生臭ものということで、ここでは異性をさしていよう。

[91]新婚夫婦の寝室。

[92] 「法裙」という言葉を知らぬ。ただ、道姑のはく裙のことであろう。

[93]太上老君。老子のこと。老子の名は李耳。

[94]原文「何不推翻李老君」。道姑をやめてはどうかということであろう。

[95]原文「宝篆氤氳繻金鼎」。「宝篆」は香煙をいう。「氤氳」は煙が立ち籠めるさま。「繻」が未詳。「繞」の誤字と考え、とりあえずこのように訳す。

[96] 『漢語大詞典』は上天八界神仙の居住する場所とするが、その根拠を示していない。

[97]舞台の退場口をいう。

[98]鳳も鸞も霊鳥。「鳳鸞交」は、優れた男女の結婚をさしていよう。

[99]道教では、体内に金丹を作るのが修行の一つ。

[100]原文「經卷挑杖頭」。典故があるように思われるが未詳。

[101] 「求凰操」という言葉を知らぬ。ただ、司馬相如が卓文君に求婚するときに奏でたといわれる琴歌『鳳求凰』をさすのであろう。

[102]明方以智『通雅』卷三十六「近世摺子衣、即直身、而下幅皆襞積細折如裙、更以絛環束腰、正古深衣之遺」。

[103]原文「你只待掀倒秦樓」。秦楼は、本来、秦の穆公が娘弄玉と婿蕭史のために建てた楼をいう。『列仙伝』参照。ここでは、鄭彩鸞と秦翛然がいっしょになるのを邪魔するというぐらいの意味か。

[104]原文「填平洛浦」。洛浦は曹植が神女と出逢ったとされる場所。『洛神賦』参照。これも男女の逢瀬を邪魔するぐらいの意味であろう。

[105]原文「推翻祆廟」。「祆廟」は拝火教寺院。『淵鑑類函』巻五十八引『蜀志』で、蜀帝公主とその乳母の子が密会しようとする場所。これも男女の逢瀬を邪魔するという意味であろう。祆神廟は男女の密会場所の隠喩として、元曲にはしばしば出てくる。『誤入桃源』第四折『倩女離魂』第四折『争報恩』第一折など。

[106]星の模様のついた道冠。

[107]これは皮肉。

[108]医学用語。膀胱をいう。

[109]原文「比你偸的」。未詳。とりあえずこのように訳す。

[110]鵝毛は軽微な贈り物の喩え。詩は軽微な贈り物を遠くから運んでくれてありがたいという趣旨。蘇軾『揚州以土物寄少游』「且同千里寄鵝毛、何用孜孜飲麋鹿」。

[111]原文「不是做夫人便妝幺」。未詳。とりあえずこのように訳す。

[112]原文「但則要捉對兒雲期雨約、便是俺師徒毎全真了道」。未詳。とりあえず、こう訳す。「全真」は天性を保つこと。「了道」は道を悟ること。

[113]原文「常言道、一報還一報」。お互いに思いあっていることを、諺を借りていっているか。

[114]原文「咱如今把圍棋識破了輸贏着」。未詳。とりあえずこのように訳す。

[115]煉丹術。道教をいう。

[116] 『列仙伝』「簫史者、秦穆公時人也。善吹簫、穆公有女號弄玉、好之、遂以妻焉。遂教弄玉作鳳鳴。居數十年、吹似鳳凰、鳳凰來止其屋、為作鳳臺、夫婦止其下。不數年、一旦隨鳳凰飛去」。

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