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鍾離春智勇定斉

第一折
(冲末が斉公子に扮し、祗候を率いて登場)戦国は紛紛たれども、なほ周朝を尊べり、五霸は強きを争ひて列侯となる。率土(そつと)(ひん)に治化[1]を承け、威名は耿耿、春秋に壮んなり。

それがしは斉公子。先祖は臨淄に国を立てた。周の初めに、七十二国が封ぜられたが、後に十八国に合わさり、呉越は争い、周の平王さまより後は、春秋の世となっている。今はそれぞれ十二国に分かれている。魯国、衛国、晋国、鄭国、曹国、蔡国、燕国、陳国、宋国、楚国、秦国、わが斉国がそれである。わが東斉だけは領土は広く、桑麻は地に遍く、積まれた(ぞく)は山のよう、黎民は生業を楽しみ、雨風は穏やかである。それがしは昨夜夢を見た。一輪の皓月が、岬に出、中天で輝いていたところ、突然雲霧に覆われた。はっと目覚めたところ、まさに夜半の子の刻であった。吉であろうか凶であろうか。中大夫の合眼虎を呼んできて、夢占いをしてもらおう。朝すでに人を遣わして呼びにゆかせたが、そろそろやってくるだろう。

(浄が合眼虎に扮して登場)東斉東斉、姿はをかし。禿にあらずば、(めしひ)なり[2]

わたしは合眼虎、斉国の中大夫の職にある。わたしは平生喧嘩を好み、相手より強ければ、眼を瞠り、ひたすら殴るが、相手より弱ければ、眼を閉じて、ひたすらに殴られるのだ。公子さまがお呼びだが、何ごとだろうか。行かねばならぬ。はやくも着いた。取り次げ。合眼虎が来ましたと。

(祗候)かしこまりました。(報せる)(じゃ)[3]。公子さまにお知らせします。合眼虎さまがお越しです。

(斉公子)通せ。

(祗侯)かしこまりました。行かれませ。(見える)

(浄の合眼虎)公子さまがわたしを呼ばれましたのはいかなるご用にございましょう。

(斉公子)合眼虎よ、呼んだのはほかでもない。それがしは昨夜夢を見た。一輪の皓月が、岬に出、中天で輝いていたところ、突然雲に覆われた。吉であろうか凶であろうか。おまえを呼んで夢占いしてもらうのだ。

(浄の合眼虎)何かと思えば、夢のことでございましたか。大したことはございませぬ。公子さま、お考えくださいまし。月とは亮であり[4]、亮とは明でございます。雲とは霧でございますから、月の中に雲があり、雲の中に霧があり、月、雲、霧が揃いますのは、吉兆でございます[5]。今日、財を得られないなら、公子さま、きっとあなたをお呼びして酒を飲ませる人がいることでしょう。

(斉公子)こいつはでたらめを言っている。門番よ、上大夫晏嬰を呼んでこい。

(祗候)かしこまりました。(呼ぶ)晏大夫さま、どうぞ。

(外が晏嬰に扮して登場)綱常礼楽彝倫は正しく、よく人と交はりて資性は(あつ)[6]。治国斉家は国土のためにし、明徳を明らかにして[7]民を新たにしたるなり[8]

わたしは姓は晏、名は嬰、字は平仲、斉国の上大夫の職を拝している。今、公子さまがお呼びだから、行かねばならぬ。はやくも着いた。門番よ、取り次げ。晏嬰が来ましたと。

(祗候)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。公子さまにお知らせします。晏大夫さまがお越しです。

(斉公子)通せ。

(祗候)かしこまりました。どうぞ。(見える)

(晏嬰)公子さまがわたくしを呼ばれましたは、何ゆえにございましょう。

(斉公子)大夫よ、呼んだのはほかでもない。それがしは昨夜夢を見た。一輪の皓月が、岬に出、中天で輝いていたところ、突然雲に覆われた。わざわざ大夫を呼んできてこの夢を占ってもらうのだ。吉であろうか凶であろうか。

(晏嬰)公子さま、月は陰に属し、皓とは明でございます。浮雲に覆われましたのは、人が時運に恵まれていないのでございます。公子さまはご夫人を娶っていらっしゃいませぬが、賢明な淑女は、村里に隠れているか、林麓にいるものでございます。

(斉公子)大夫よ、どうしたら会える。

(晏嬰)公子さまがお会いになるのは難しくございませぬ。明日になりましたら、城を出て狩りをなされば、午の三刻に、かならず淑女賢人に遇いましょう。

(斉公子)それは確かか。

(晏嬰)絶対に確かで、間違いはございませぬ。

(浄の合眼虎)晏のちびはまさにでたらめを言っております[9]。人はみな夢を見るもの、ここ数日は春の疲れで、眠りが長く、夢が多いのでございます。わたしでさえも、籤を抽き、珓[10]を抛ち、人のために夢占いしたことがございます。昨今は占い師が多くなり、霊験はございませぬ。「夢は胸の思い」だと言われているではございませんか。眼がぴくぴくしますのは眉毛が長いから[11]、鵲が騒ぎますのは食事に忙しいから[12]嚏噴(くしゃみ)しますのは鼻が痒いからでございます[13]。「籤を抽き、珓を抛つ。一貫のお金が惜しい[14]」ともいいますが、まったくもっておかしなことで、ただのでたらめでございます[15]

(斉公子)おまえのでたらめは聴かぬ。合眼虎よ、左右のものに言い含め、武器、鞍馬、鷹、犬を調えさせ、明日になったら狩猟しにゆくとしようぞ。

(浄の合眼虎)かしこまりました。門を出た。大小の頭目たちよ、鞍馬を調え、鷹、犬を用意せよ。公子さまは狩りに行こうとしていらっしゃる。わたしとは関わりはない。すべては晏のちびのせいだ。明日、狩猟するときに、賢人淑女にでくわすと言ったのだ。会えるなら、それでよいが、でくわさないなら、わが子晏嬰よ[16]、わたしはおまえを心配するぞ。「夢は胸の思い」なのだ。晏嬰はいい加減に騒いでいるのだ。淑女がいなかったときは、ゆっくりあいつの嘘を暴こう。(退場)

(斉公子)左右のものよ、田能を呼んできてくれ。

(祗候)かしこまりました。(呼ぶ)田能どのはいずこにおわす。

(外が田能に扮して登場)四塞[17]の関河[18]に帝基を立てて、巍巍たる泰岳列峰奇なり。山のごとくに(ぞく)を積み民は(しごと)に安んじて、赳赳と威名はありて大斉と号したるなり。

それがしは田能、斉公子さまの麾下に仕えて、統軍上将軍の職にある。練兵場で兵馬を操練していると、公子さまがお呼びだから、行かねばならぬ。はやくも着いた。取り次げ。田能が来ましたと。

(祗候)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。公子さまにお知らせします。田能さまがお越しです。

(斉公子)通せ。

(祗侯)かしこまりました。行かれませ。(見える)

(斉公子)田能よ、来たな。

(田能)参りました。

(斉公子)とりあえずあちらにいろ。左右のものよ、徐弘吉らを呼んできてくれ。

(祗候)かしこまりました。徐弘吉どのたちはいずこにおわす。

(外が徐弘吉に扮し、徐弘義とともに登場)

(徐弘吉)武芸には熟練し戦争(いくさ)せんとし、戦闘対峙し兵を交ふることに慣れたり。斉国を助けまつりて良将となり、威は辺関を鎮むれば名をぞ顕はす。

それがしは徐弘吉、弟は徐弘義、斉公子さまの麾下で左右裨将の職にある。さきほど軍を点呼して戻ってきた。公子さまがお呼びだが、何ごとだろうか。行かねばならぬ。はやくも着いた。取り次げ。われら二人が来ましたと。

(祗侯)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。裨将徐弘吉、徐弘義さまがお越しです。

(斉公子)通せ。

(祗候)かしこまりました。行かれませ。(見える)

(徐弘吉)公子さまがわれら二将を呼ばれましたは、いかなるご用にございましょう。

(斉公子)わたしは今から狩りに行こうとしているのだ。田能よ。

(田能)はい。

(斉公子)かれら二将とともに、すぐに鞍馬を調えて狩りに行くのだ。ぐずぐずするな。

(田能)かしこまりました。徐弘吉、徐弘義よ、われらは一隊の人馬を率い、旅装などの物を調え、公子さまに従って狩猟しにゆく。おまえたち二人は先に狩り場に行け。それがしは公子さまをお守りしながら城を出る。

(徐弘吉)行きましょう。

(田能)裨将は先に狩り場に行けり、春蒐[19]のため帝郷を出づ。羅の網を大いに張りて牲口(けもの)を捕らへ、帰るときにはともに凱歌を唱ふべし。(裨将とともに退場)

(斉公子)大夫の陰陽(うらない)はよく当たる。この夢の験があれば、かならずや褒美を厚くし、官職に封じよう。

率土(そつと)臨淄に大権を掌り、正室のなきがため姻縁を求めたるなり。春蒐し郊野に臨まば、夢の験の佳人に遇ふべし。(退場)

(晏嬰)公子さまは戻ってゆかれた。書に「先進の礼楽に於けるや、野人なり[20]」というのは、郊野の民に、質樸の風があることをいっているのだろう。今公子さまにはご夫人がいらっしゃらぬが、内を治めないで、どうして外を治められよう。このような夢を見たなら、明日桑畑で狩猟するとき、きっと賢い淑女に遇って、君子と結婚することだろう。

一輪の皓月の空にあるとき、浮雲惨霧[21]に覆はれぬ。深き林はいづくにかある[22]、明日狩りをせば知りつべし。(退場)

(外が孛老児に扮し、卜児、浄、茶旦を率いて登場)

(孛老児)先祖代々蒼山[23]を家となし、村里に桑麻[24]を事とす。秋は収めて春は種ゑ田園こそは楽しけれ、是もなく非もなく歳華(とし)を過ごせり。

老いぼれは姓は鍾離、名は信という。先祖代々、斉国は無塩邑の人である。五人家族で、女房は劉氏、倅は鍾大、嫁は鄒氏、娘は鍾離春という。家にはすこぶる田地があり、いささか多くの食糧を収穫するので、人はみなわたしを鍾大戸と呼んでいる。娘は鍾離春、年は二十歳、性質は聡明、胸襟は磊落だが、やや顔が醜い。昼は詩書を誦え、夜は天象を見、十八般武芸にすべて通じ、九経三史はみな知っている。学んではいないのにものにしたのは、まことに天賦の才能だ。文武兼備で、韜略に詳しく、江山社稷を安んじる才、斉家治国の策を持っているが、婚約はしていない。折しも春で、農繁期、倅は牛を使いにいった。嫁よ、家できちんと蚕を世話しろ。

(茶旦)お義父(とう)さまは口を開けば、娘さんが書を読み、字を書き、剣を舞わせ、槍を揮うのを自慢していらっしゃいます。学んでも何の役に立ちましょう。わたしは農家の出身で、今は農繁期、息子さんは田を耕しにゆき、わたしはひとりで家におりますが、麻を織ったり紡いだりせねばならず、桑を摘み、蚕に食べさせねばならず、お義父(とう)さま、お義母(かあ)さまにお食事を差し上げなければなりませぬ。あのひと[25]は毎日横のものは取らず、縦のものは担ぎませぬのに、なぜ只飯を食べているのでございましょう。養ってどうなさいます。

(卜児)お爺さん、詰まらない言葉をお聴きになりませぬよう。娘が書を読み、字を書きますなら、それも宜しゅうございましょう。いつか娘が栄達すれば、それもまたわれら夫婦にとっては宜しゅうございましょう。おまえ[26]はあれを出てこさせてくれ。わたしはあれに尋ねるから。

(孛老児)馬鹿女め[27]、あれはわたしの娘だぞ。あれを養わないとは言っていないぞ。おまえがあれを呼び出してこい。

(茶旦)お義父さまはあのひとを呼べと仰っている。わたしとは関わりはないが、関わりがあるとも仰っている[28]。お義父(とう)さまに従って、あのひとを出てこさせよう。

(呼ぶ)無塩や、お父さまがお呼びだよ。

(正旦が鍾離春に扮して登場)わたしは姓は鍾離、名は春。無塩女といい、年は二十歳、この村の奥に住んでいる。先祖は仕官したが、今、父はもっぱら農業をしている。わたしは生来、針仕事するのを好まず、詩書を学ぶことを好み、すこぶる武芸を諳んじている。お父さまがお呼びだが、何ごとだろうか。行かねばならぬ。思うに上古の先王は、世を治めたが、それを今まで伝えることは、容易なことではなかっただろう。(唱う)
【仙呂】【点絳唇】かの勝利せし殷湯は、国の基を立てしかど、今、人は周の諸王に(なつ)きたり。世を治むれば上位のものを尊べり[29]
【混江龍】その後に、春秋の群雄は、それぞれが国家を立てて、境界を分け、領土を定めき。幸ひに繁華に当たれば豊年を寿ぎて、美景に逢へば風光を楽しむことを喜べり。まことに人は穏和にて、謙譲をしぞ行へる。人は心に義理を持ち、綱常を存せんとしたるなり。
(見える)お義姉(ねえ)さま、ご機嫌よう。

(茶旦)義妹(いもうと)や、お父さまがお呼びだよ。お会いしにゆくのだよ。(見える)

(茶旦)お義父(とう)さま、義妹(いもうと)でございます。

(孛老児)娘よ、来たな。

(正旦)お父さま、呼ばれましたのは何ごとにございましょう。

(孛老児)娘よ、おまえは農家の娘であるのに、針仕事や農婦の仕事をしようとはせず、毎日ひたすら武芸を学び、字を書き、書を読んでいるが、勉強してどうする。

(正旦)ああ、お父さま、そのことでございましたか。(唱う)
【油葫蘆】あなたはわたしに草堂でいそいそと針仕事させ、繍牀[30]に縋らせんとぞしたまへる。瑶琴を撫し、剣術を学び、文章を誦ふるにしくはなし。ひそかに嘆き、豪気をもて天を衝くより、韜略を施して兵を駆らばや。

(孛老児)娘よ、わたしに従って、針仕事だけした方が良くないか。

(正旦が唱う)かねてより、志操は堅く、気性は剛し、わが胸にもとより江湖の度量あり、時運を待ちつつしばらく潜み隠るることをいかで知るべき。
(孛老児)おまえは娘なのだから、武芸を学んでも、大したことはないだろう。

(正旦が唱う)
【天下楽】いつの日か衆に抜き出で、顕れて、名をば揚げてん。機謀を巡らせ才智の広きことに頼らん。

(卜児)娘や、兵書戦策を学んで、誰と戦うのだえ。

(正旦が唱う)思ひのままに鋒を交へて陣を並べて、潜伏し武功を揚げてん。皇家のために辺地を鎮め、悪しき輩を除きてん。
(孛老児)娘よ、われらの土地には役人になるものもあり、下役になるものもあり、商人になるものもあるが、われら農民たちの快適さには及ぶまい。

(卜児)娘よ、官途に登るものは、どうなるなのだえ。商人になるものは、どうなるのだえ。一遍お話し。聴いてみるから。

(茶旦)わたしたち農民はほんとうに快適でございます。

(正旦が唱う)
【寄生草】書を読むものは高位に登り、財を治むるものは大商人となる。仕ふるものは三品官の高きにありて名を揚げて、商ひをするものは品物をもて千里を行きて利を増すことを図るなり。農民たちは田蚕[31]は万倍となり、大いに栄えん。

(茶旦)義妹(いもうと)や、家にいても閑だから、桑を採りおわったら、牡丹亭に気晴らしをしにゆこう。なかなか面白いよ。

(正旦が唱う)あなたは涼しき牡丹の亭に遊ばんとしたまへど、わたしは中軍九頂の蓮花の(とばり)に坐せんとしたり。

(孛老児)娘よ、もう幼くはないのだぞ。今、春は尽き、夏は来ようとし、まさに蚕の世話をするのに忙しい時。義姉(ねえ)さんに従って桑の葉を採り、蚕に食わせるのが、良くはないか。

(正旦)お父さまのご命には従わなければなりませぬ。参ります。参ります。

(孛老児)嫁よ、きちんと娘を見て、ぶらぶら遊ばせてはならぬ。

(正旦)義姉(ねえ)さん、桑摘みにゆきましょう。(唱う)
【尾声】わたしは今は苦しみに甘んじてまめにして、ぶらぶらと遊ばんとすることぞなき。田舎女に従ひて、籃を提げ、桑を採り、艶やかで美しき装ひをうち畳み、家の桑畑に入りて、桑の並木を数へ尽くして[32]、蚕のために忙しくせり。しづ心なき春の日に、内外の仕事をそれぞれ行へり。わたしの高き才能と、(いかめ)しき容姿によりて、いつの日か宗社を守り、斉国をしぞ定めてん。(茶旦とともに退場)
(孛老児)娘は桑を採りにいった。老いぼれはすることがないから、荘園の東に五穀を見にゆこう。

春されば耕種してまめまめしくし、夏されば鋤を揮ひて苦しみを受け、秋天(あきのひ)に五穀を収め、三冬を楽しく過ごす老富民。(退場)

第二折
(田能が徐弘吉、徐弘義とともに鷹を持ち、犬を引き、旗を振る卒子を率いて登場)

(田能)それがしは田能。諸官とともにこの郊外にやってきた。大小の三軍よ、狩り場に並べ[33]。公子さまがそろそろいらっしゃるだろう。狩り場に散らばれ[34]

(徐弘吉)将軍さま、きちんと指図いたしました。

(田能)公子さまがいらっしゃるだろう。

(斉公子が晏嬰、祗候とともに馬に乗って登場)

(斉公子)それがしは斉公子。郊外に来た。狩り場ではないか。(馬に乗って走る)どうして(のろ)(おおしか)、鹿、兔が、一匹も見えぬ。一匹の白い兔ではないか。皆の者、矢を放つな。あの兔を射よう。(矢を射る)当たれ。矢は兔に当たった。左右のものよ、取ってきてくれ。

(卒子)公子さまにお知らせします。兔は矢を帯びたまま逃げました。

(田能が追う)ああ。兔は活きていて、矢を帯びたまま逃げたのか。

(斉公子)溌毛団(けだもの)は、金の鏃の矢を帯びて逃げたのか。どこへ行った。ただでは済まさぬ。皆の者、それがしに従って、追いかけろ。(追う)いそいで追うものはいそいで走り、ゆっくり追うものはゆっくり走れ。田能よ、おまえたちは狩り場を守れ[35]。わたしは追いかけるとしよう。(退場)

(田能)ほんとうにおかしなことだ。半日狩猟したのだが、一匹の白毛の兔がいただけだ。公子さまが矢を当てたのだが、金の鏃の矢を帯びたまま逃げてゆき、公子さまは追い掛けていってしまった。将兵たち、四方に兔を探しにゆこう。(ともに退場)

(茶旦が籃を提げて登場、唱う)
【撼動山】薬草を採る籃を提げ、髪はぼさぼさ。今年は蚕がたくさん取れて、たくさん取れて[36]、雨は潤ひ、(えだ)は柔らか、露は花咲く梢を湿し、家の南の桑の並木へ赴けり[37]
(言う)わたしは鄒氏、お義父(とう)さまとお義母(かあ)さまのお言葉により、義妹(いもうと)といっしょに桑を採りにゆく。もう荘園に到着だ。義妹(いもうと)や、お急ぎ。

(正旦が籃を提げて登場)わたしは無塩女。今は晩春初夏の間で、養蚕に忙しい。父母(ちちはは)の言葉を受けて、義姉(ねえ)さんに従って桑を摘み、蚕に食べさせるとしよう。無塩よ、いつがおまえの出世の時やら。(唱う)
【中呂】【粉蝶児】今は(よそ)ひをするに慵し。忙しく農作業して蚕を養ふ時に当たれり。暇を盗みて剣を学び、(ふみ)を読み、林に隠れ、野に潜み、世々農業に従事せり。

(茶旦)義妹(いもうと)は桑摘みの時にも本を持っている。どのような良いことがあるのかえ。

(正旦が唱う)(ふみ)読むことに励みしは、国を治めて、名をし揚げんとすればなり。
(茶旦)義妹(いもうと)や、外に出てきたことがあるかえ。ご覧。近所の家の娘たちは、おまえと違ってみな桑を摘み、蚕に食わせているのだよ。こうして出てきたのは[38]、一つには桑を摘むため。二つには遊ぶためだよ。ただただ坐っているよりはましだろう。

(正旦が唱う)
【酔春風】見よや近所の俊嬌娃(たをやめ)と、この郷閭(むらざと)小幼女(さをとめ)を。家園(そのふ)の万卉の葉は蓁蓁、列なれる樹を数へんと、数へんとせど、楡の林は歩き尽くせず、棗の棘は見尽くせず[39]、桑の樹は数へ尽くせず。
(茶旦)桑をゆっくり摘んでいると、誰かが来た。

(斉公子が馬に乗り、兔を追って登場)走れや走れ。やっと追いついたが、金の鏃を帯びたまま、桑畑に逃げ込んでいってしまった。(見る)どうして見えなくなったのだ。桑畑に幾人か桑を摘む娘がいるから、一声尋ねてみるとしよう。桑を摘む娘よ、矢に当たった兔を見たか。

(茶旦)こちらで兔のことをお尋ねですね。お話ししましょう。南海子に尋ねにゆけば、獐さえもあなたにお話しするでしょう[40]

(斉公子)娘よ、どちらが臨淄へゆく路だ。

(正旦が唱う)
【紅繍鞋】かれはわたしに臨淄への路はどれかと尋ねたり。

(言う)どちらさまでございましょう。

(斉公子)それがしは斉公子。

(正旦)斉公子さまでしたら、

(唱う)などてわれらが郊外に来たまへる。ああ、公子斉侯さまに落ち度あり。

(斉公子)こいつはほんとうに無礼だな。どのような落ち度がある。

(正旦が唱う)なにゆゑぞ禾苗[41]の地にあることを知るなく、麦が熟れんとすることを思ふことなき、

(言う)今、田には苗がございます。

(唱う)お考へあれ、驊騮を走らせ、田畝を踏むべきにはあらず。

(斉公子)ほんとうに運が悪い。あの溌毛団(けだもの)のために、この桑摘み女に怒られてしまった。桑の林を出たが、なぜ晏嬰がいないのだ。

(晏嬰が馬に乗り、あわてて登場、見える)公子さま、あの兔は大したものではございませぬのに、ここまで追ってこられますとは。

(斉公子)晏嬰よ、結構な夢占いをしてくれたな。淑女にも会えなかったし、桑摘み女にすっかり怒られてしまったぞ。

(晏嬰)公子さま、どちらにいるのでございましょう。見てみましょう。(驚く)あの娘を見ましたところ、容貌は俗ではございませぬ。ちょうど正午でございますから、あれは夢の験の賢人淑女ではございませぬか。そうであるかそうでないかはお尋ねになりますな。詩を作るように指示して、何と言うかを見るとしましょう。娘よ、詩を作るから聴け。おまえは分かるか。これが詩だ。「桑摘みは忙しや忙しや、日々桑の(あはひ)を行けり。織りなすは綾羅と緞子、衣を着るは誰やらん」。

(正旦)このひとは朝廷の宰相だろう。一首を返そう。お聴きください。これが詩でございます。将軍は忙しや忙しや、日々闘ひて強きを競へり。江山と社稷があるも徒にして、領土を守る人こそなけれ。

(茶旦)一方は「桑摘みは忙しや忙しや」と言い、一方は「将軍は忙しや忙しや」と言っている。男と女で思いを語ることはできない。いそいで逃げねば、お義父さまが見て、あなたたちを殴るだろう。

(晏嬰)ああ、ああ、ああ。やはり賢人だ。桑を摘む娘よ、どこの者だ。姓と名は。言ってみよ。聴いてみるから。

(正旦が唱う)
【石榴花】国のご恩に報ゆる農婦は、耕す鋤を用ゐつつ辛苦せり。

(晏嬰)農繁期だから、辛かろう。

(正旦が唱う)(いね)(きび)を育つることは易からず。

(晏嬰)どこの者か。

(正旦が唱う)斉国の辺境に住み、土地柄は鄙俗なり。

(晏嬰)わが国の民であるなら、国君に従うべきだ。

(正旦が唱う)徴税と差役には従ふべきなり、民草は栄ゆれば家々はみな服すべし。お殿さま、ひとまずェ恕したまへかし。こころみにわが談論を聴き、今しばし待ちたまへかし。

(晏嬰)わが国は、人馬は強く、士民らは仕事を楽しみ、文武らは有能なのに、どのような談論すべき事がある。

(正旦が唱う)
【鬥鵪鶉】おんみらは今、士人は文事を能くするものなし。おんみらは今、兵士は武芸に励むものなし。

(言う)剣呑、剣呑。春秋の世は、外にあっては君臣の礼を修めず、内にあっては斉家の治を(おごそ)かにしておりませぬ。一旦志気が衰えて、他国が侵入したときは、悔いても遅うございます。

(晏嬰)さきほど賢女どのが仰ったわが国の事を、お聞きしたいと思います。

(正旦が唱う)(なんぴと)か水に入り蛟を捕らへ、林に潜み虎を刺すべき。一人一人が智は浅く、才は拙く、腹は空しく[42]、心を思ひのままにして「徳孤ならず」となるを得ず[43]

(晏嬰)今は春秋戦国の世で、おのおのがその国に拠っており、文武で有能なものがいないはずはございませぬ。

(正旦が唱う)西の(うれへ)の秦をなど知ることのなき。南の仇の楚をなどて知ることのなき。
(晏嬰)公子さま、見ましたところこの娘は、言うことは俗ではなく、まさに賢人。夢の験の賢人でございます。この娘をご夫人になさいますなら、斉国は大いに治まることでしょう。

(公子)大夫よ、尋ねよ。

(晏嬰)さきほど賢女どのの仰ることをお聞きしましたが、桑畑にいる農婦ではございませぬ。仰ることはことごとく治国斉家の言であり、まことに女流の中の翹楚[44]でございます。わが斉公子さまには現在、正室がございませぬが、賢女どのが斉公子さまと結婚するのをお約束してくださいますなら、わたしがみずから仲立ちとなりますが[45]、賢女どののお考えはいかがでしょうか。

(正旦)おんみはどなたでございましょう。

(晏嬰)斉国の上大夫晏嬰でございます。

(正旦)ああ、晏丞相さま、久しくお名をお聞きしておりました。わたしは桑を摘みにきたのでございます。こちらは結婚する所ではございませぬ。父母が存命ですので、約束をしようとはいたしませぬ。

(晏嬰)賢女どのがお約束してくださいますなら、公子さまの贈り物を受け取っていただいてから、ご両親に結婚の相談をいたしましょう。

(正旦)それならば、公子さまが奸邪を退け、虚飾を去り、兵馬を選び、府庫を満たし、賢良を用い、直言を納れられますよう。そうしていただけるのならば、後宮に入りとうございます。大人、お戯れになってはなりませぬ。

(晏嬰)二言はございませぬ。証拠の品を差し上げたいのですが、いかがでしょうか。

(正旦)ご随意になさいませ。

(晏嬰)公子さま、おめでとうございます。賢女どのはすでに約束なさいました。証拠の品をお贈りください。

(公子)外出先で、宝物(たからもの)は何もないが、この紫の絲鞭をひとまず証拠の品にするとしよう。

(晏嬰)持ってきた。賢女どの、わが公子さまは、この紫の絲鞭を証拠の品になさいました。

(正旦)夫婦の礼を結ぼうとしていますのに、どうして鞭を執る事ができましょう[46]。できませぬ。

(茶旦)良いでしょう。良いでしょう。これで牛を追いましょう。

(晏嬰)公子さま、賢女どのが仰っていました。夫婦の礼を結ぼうとしていますのに、どうして鞭を執る事ができましょうと。

(公子)この剣を証拠の品にするとしよう。

(晏嬰)良いでしょう。良いでしょう。賢女どの、公子さまはこの宝剣を証拠の品になさいました。

(正旦)兵器は不吉な物ですから、証拠の品にはできませぬ。

(茶旦)貰っておけば、桑の葉を切り、蚕に食べさせられるのに。

(晏嬰)公子さま、賢女どのが仰っていました。兵器は不吉な物ですから、証拠の品にはできませぬと。

(公子)どうしよう。

(晏嬰)公子さまには、お腰の玉帯を賢女どのに与えれば、証拠の品にすることができましょう。

(公子)それはよい。この玉帯をかれにやり、とりあえず証拠の品にするとしよう。

(晏嬰)持ってきた。持ってきた。賢女どの、わが公子さまはこの玉帯を差し上げて証拠の品にいたしますが、賢女どののお考えはいかがでしょうか。

(正旦)とりあえずお受けして、家に行き、父母と相談いたしましょう。

(公子)晏大夫よ、賢女どのをわたしといっしょに戻ってゆかせ、後日ご両親の処へご挨拶しにゆくのはどうだ。

(晏嬰)賢女どのに話しにゆきましょう。賢女どの。公子さまが賢女どのを車にお載せし、いっしょに戻り、後日ご両親にご挨拶し、吉日良辰を選び、結婚するのはいかがでしょうか。

(正旦)それは非礼でございます。縁を結んで、鍾家から嫁迎えしようとなさっているのなら、吉日良時を選び、親迎し[47]、嫁入りをさせるのが礼儀でございます。いっしょに車に乗って戻れば、それは奔女[48]でございます。

(公子が聴く)晏大夫よ、この言葉は至極尤もだ。

(晏嬰)賢女どの、とにかく玉帯をお収めください。

(正旦)玉帯をお受けしましょう。(唱う)
【耍孩児】この玲瓏たる玉帯を証拠となせり。朝廷に立つときは麗しからん。綱常と礼楽をもて(のり)を定めて、人倫をもて身を縛るべし。

(晏嬰)玉帯をひとまず証拠の品にしました。お二方とも約束を違えようとはなさいますまい。

(正旦が唱う)本日は誓ひを立てたり。織り、紡ぎ、まめに働く(をみなご)と、衣冠の大丈夫(をのこ)が結婚すべしと。(をみなご)を得しは富貴の家なれば、(をみなご)は名が郷里に聞こえ、門閭をば輝かすべし。
(公子)大夫よ、賢女どのにお返しの礼物を求めよ。

(晏嬰)かしこまりました。賢女どの。公子さまの御諚を奉り、賢女どのにお返しの礼物をお求めします。

(正旦)ございます。ございます。この桑の木の櫛を、とりあえずお返しの礼物といたしましょう。

(晏嬰が受け取る)公子さま、賢女どのはこの桑の木の櫛一本を、とりあえずお返しの礼物になさいました。

(公子)大夫よ、わたしの玉帯は価値は百金、この桑の木の櫛は大したものではないだろう。言いにゆけ。

(晏嬰)言いにゆきましょう。賢女どの、わが公子さまは仰いました。玉帯は価値が百金、この桑の木の櫛は大したものではないだろうと。

(茶旦)大したものではございませぬ。行商が来たときは、さんざんに難癖をつけることでしょう[49]

(正旦)大夫さま、この桑の木の櫛を軽く見られてはなりませぬ。万物を整えることができまする[50]

(晏嬰)それは良い。公子さま、賢女どのは「軽く見られてはなりませぬ。万物を整えることができまする」と仰いました。

(公子)一句一句、一字一字がことごとく大道に叶っている。娘さん、ご姓とお名は。どちらのお方か。それがしは吉日良時を選び、結納を届けて挨拶し、正室にしましょうぞ。

(正旦)お聴きください。(唱う)
【尾声】姓は鍾離、名は春といひ、蒼山に住まひしたるは祖先なり。

(公子)分かりました。臨淄への路をお示しください。

(正旦が唱う)今、桑の畑を出でばそれがすなはち臨淄への路。わたしはもともと斉国は無塩邑の(むすめ)なり。(退場)
(茶旦)とてもめでたい。義妹(いもうと)が斉公子さまの夫人になって、玉帯を得ようとは思わなかった。わたしも家へ吉報を届けにゆこう。

晏嬰は上大夫たるに堪へ、教養と才智がありて書にも通ぜり。さらに一斗の臙脂と白粉をば塗らん。わたしは村に長年住める古狐[51]。(退場)

(公子)大夫よ、とてもめでたい。はたして夢の験があった。吉日良辰を選び、妻を娶り、本国に行き、官位を加え、褒美を与えることにしよう。

狩猟のために桑畑に入り、淑女に逢ひて美しき縁を結べり。奇なるかな智略ある無塩女は、治国斉家し大賢となる。(ともに退場)

楔子
(外が秦の姫輦に扮し、従者を率いて登場)強秦は霸者となり咸陽を占め、宝を競ひ臨潼で上邦[52]と奉られたり。壮士は紛紛勇烈を施して、威名は赳赳おのづから明らけきなり。

それがしは秦の姫輦だ。秦の昭公さまの配下で上将となっている。今は春秋の世で、秦が上国になっており、十一か国がことごとく進貢しにきているのだが、東斉だけは、三年進貢していない。聞けば鍾無塩の智恵と勇気を恃んでいるとか。それがしは、今からこの玉連環を持ち、東斉に行き、無塩を困らせるとしよう[53]。玉環を解けるなら、戦を止めて、解けぬなら、兵を率いて前進し、進貢をせぬ罪を攻めても遅くはないだろう。従僕よ、虎白長を呼んでこい。

(従者)かしこまりました。虎白長どのはいずこにおわす。

(浄の虎白長に扮して登場)それがしは虎白長。人馬を操練していると、大人がお呼びだが、何ごとだろうか。行かねばならぬ。はやくも着いた。門番よ、取り次げ。白長が来ましたと。

(従者)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。元帥さまにお知らせします。虎白長さまがお越しです。

(秦の姫輦)通せ。

(従者)かしこまりました。行かれませ。(見える)

(浄の虎白長)元帥さま、わたしを呼ばれましたのは、いかなるご用でございましょう。

(秦の姫輦)呼んだのはほかでもない。おまえを使者にし、一対の玉連環を持ち、東斉国に行かせるのだ。かれらが玉連環を解ければ、わが秦国はかれらが進貢することを免じるが、解けぬなら、兵を率いて征伐するのだ。細心にして、はやく行き、はやく戻れ。

(浄の虎白長)親父さま、かような任務をお与えになるのですね。今日は元帥さまにお別れし、ただちに斉国へ参りましょう。

任務は尋常ならざれば、徹夜して斉国に行く。玉連環を解くときは、生くること死ぬることいづれもありなん[54]。(退場)

(秦の姫輦)虎白長は行ってしまった。戻ってきたときは、おのずから考えがある。

西秦の姫輦は世に稀なるものぞ、寰中に勇躍したる大丈夫(ますらを)ぞ。言ふなかれ晏嬰に巧計多しと、言ふなかれ賢女には機謀がありと。玉環を持ち、東斉に行き、解けざる時は、われは怒らん。遼関に兵を到らせ一戦しなば、東斉の一国は秦に属せん。(退場)

(外が孫操に扮し、従者を率いて登場)先祖が封を受けたれば范陽に居り、将兵は勇ましければ国を立てたり。周初に疆土を分けられてより、文武を修め賢良を用ゐたるなり。

それがしは大将孫操、孫武子の後裔である。それがしは祖父の兵法を習い、久しく范陽に住み、燕公子さまの配下にお仕えし、国を守って憂患なからしめているが、東斉は無礼で、将兵が多いのを頼りにし、みずから大国と称している。それがしは腹を立て、蒲琴一張を作った。この琴には金徽[55]玉軫[56]、鳳沼龍池[57]があり、表面には蒲弦[58]七本がある。今から使者を遣わして、臨淄に送り、蒲琴を鳴らしたら、斉は上邦となり、蒲琴を鳴らせないなら、斉は下邦となる。承知しないなら、その後で兵を率いて征伐しても遅くはなかろう。従僕よ、孫倣を呼んできてくれ。

(従者)かしこまりました。(呼ぶ)孫倣どのはいずこにおわす。

(浄の孫倣に扮して登場)わたしは孫倣、ひたすら嘘をつくばかり。親父が呼んでいる、でたらめに喚いているぞ。

着いた。着いた。さきほど馬糞を拾っていたが家に着いたぞ。わたしは孫倣、孫操の次男である。お父さまがお呼びだが、何ごとだろうか。行かねばならぬ。到着だ。取り次げ。三舎[59]が来ましたと。

(従者)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。将軍さまにお知らせします。三舍さまがお越しです。

(孫操)通せ。

(従者)かしこまりました。行かれませ。

(浄の孫倣が見える)お父さま、呼ばれましたはいかなるご用にございましょう。

(孫操)孫倣よ、呼んだのはほかでもない。東斉は無礼で、しばしば隣国に侵入している。この蒲琴を持ち、ただちに東斉に行き、臨淄の名将を困らせろ。蒲琴を鳴らすなら、斉は上邦となり、蒲琴を鳴らせないなら、斉は下国となる。細心にして、はやく行き、はやく戻れ。

(浄の孫倣)かしこまりました。今日は蒲琴を持ち、お父さまにお別れし、ただちに東斉へゆくとしよう。

この蒲琴は良く、世にも稀なり。鳴らせずば、なんぢはいかになりぬべき[60]。(退場)

(孫操)孫倣は行ってしまった。戻ってきたときは、おのずから考えがある。

蒲琴は匠の作りたるもの、智恵機関(からくり)は兵を用ゐるかのごとし。弾くは高山流水[61]調(しらべ)にて、斉は尊き国なれば異能を示さん。(退場)

(斉公子が晏嬰、田能、合眼虎とともに祗侯を率いて登場)

(斉公子)淑女は貞良、世にも稀なり。英才智略ははたして奇なり。夫人を娶りてより後は、融融[62]と家の(ととの)ひたるを覚えり。

それがしは斉公子。狩猟して夢の験の淑女に会い、斉家治国の道を論じ、晏嬰の媒酌により、妻にした。妻の言うことに従って、不急の事は行わず、賢良を招き、直言を納れ、この斉国をよく治めている。大夫よ、あちらに宴を設けて祝うとしよう。門番よ、入り口で見張りせよ。誰かが来たぞ。

(浄の虎白長が玉連環を捧げて登場)それがしは虎白長。西秦を離れてから、一月の旅で、はやくも東斉に着いた。こちらが邸宅の門だな。門番よ、取り次げ。秦国の使者がこちらに来ましたと。

(祗候)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。公子さまにお知らせします。秦国のご使者が入り口にいらっしゃいます。

(斉公子)通せ。

(祗候)かしこまりました。行かれませ。

(浄の虎白長が見る)それがしはわが秦国の元帥、秦の姫輦の軍令を奉り、この一対の玉連環を公子さまに献じます。玉環を解かれれば、西秦は東斉に毎年進貢いたしますが、玉環を解かれねば、東斉は西秦に進貢なさらねばなりませぬ。

(斉公子)持ってまいれ。あちらにいろ。

(浄の孫倣が琴を捧げて登場)それがしは孫倣。燕国を離れ、はやくも東斉に着いた。門番よ、取り次げ。大将の孫操がこちらに使者を遣わしましたと。

(祗候)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。公子さまにお知らせします。大将孫操さまのご使者が入り口にいらっしゃいます。

(斉公子)通せ。

(祗候)かしこまりました。行かれませ。(見える)

(斉公子)使者どのはどの国からいらっしゃいました。

(浄の孫倣)それがしは燕国から参りました。大将孫操元帥の軍令を奉り、この蒲琴をお持ちしました。表面には七本の蒲弦がございます。あなたがた東斉に献じますが、鳴らす人がいらっしゃるなら、わが国は東斉に進貢し、臣と称しましょう。鳴らせないなら、十万の勇士を率い、蒼山に行き、鋒を交えることにしましょう。

(公子が琴、玉環を見る)持ってまいれ。見てみよう。この琴は、表面に七本の蒲弦があるが、どうして鳴らせよう。この一対の玉連環は繋がっていて、痕もないから、どうして解けよう。晏嬰よ、これはどうしよう。

(晏嬰)公子さま、ご安心なさいまし。ご夫人を呼び出してこられれば、おのずと妙策がございましょう。この事を相談することができましょう。

(斉公子)大夫の言うとおりだ。侍女よ、後堂に報せて、妻を呼び出してこい。

(祗候)かしこまりました。奥の侍女よ、ご夫人を呼び出してきて相談をしていただこう。

(外が答える)かしこまりました。

(正旦が登場)わたしは無塩女。昔、斉公子さまにお遇いし、話をすると、公子さまは正室にしてくださった。公子さまは前堂にいらっしゃり、人を遣わしてお呼びだが、何ごとだろうか。行かねばならぬ。(見える)公子さま、わたしを呼ばれましたのは、いかなるご用にございましょう。

(公子)妻よ、呼んだのはほかでもない。こたび、燕国范陽の孫操が、使者を遣わし、蒲琴を献じ、秦の姫輦は一対の玉連環を献じ、わざわざわれら東斉を困らせにきた。蒲琴を鳴らせ、玉環を解けるなら、かれら二国は臣と称して進貢するが、蒲琴を鳴らせず、玉環を解けぬなら、われらを進貢させ、かれらが上国になり、そうしなければ、兵を率いて征伐しにくるとのことだ。為す術がないために、わざわざ呼んで相談するのだ。

(正旦)琴を持ってきて見せてください。(見る)かれらは公子さまや諸官らを困らせようとしているのではございませぬ。まさにわたしを困らせようとしているのです。難しいことはございませぬ。丈二の竹竿一本を用い、琴を高い処に掛ければ、おのずから考えがございます。

(祗候が琴を掛ける)

(正旦)晏嬰どの、支えてください。使者よ、近くに来て聴け。「琴」は「禁」であり[63]、人の心を(おさ)えるものだ。琴には三十大龍吟[64]、二十大素声[65]があり、宮商角徴羽[66]に従っている。聴け。

玉軫金徽の妙理は深く、良工はことさらに蒲琴を作れり。今はひとまず丹誠の手を伸べて、高山と流水の音をぞ奏でん。(琴が響く)

(正旦)そのほう、琴の響きが聞こえるか。

(浄の孫倣)聞こえます。聞こえます。ほんとうに琴が響いています。響いたのなら、わたしは戻ってゆきましょう。(走る)

(正旦)左右のものよ、引きずり出して、そのものの衣服を剥げ。

(祗候が衣服を剥ぐ)

(正旦が背に書く)針で入れ墨し、孫操に見せよう。門番よ、追い出せ。

(祗候が追い出す)出てゆけ。

(浄の孫倣)ご夫人はとても乱暴でございます。わたしとは関わりはございませぬ。わたしは賊でもございませぬのに、どうして体に入れ墨なさる。(退場)

(正旦)秦国の玉環を持ってきてわたしに見せろ。(見る)公子さま、そもそも玉は崑岡[67]から出て、珷玞[68]とは違っておりまする。良工は智恵を用いて、連環に作りあげました。わたしが智恵を用いれば、解くことは難しくありませぬ。そのほう、見よ。

(たくみ)が磨くは容易なことにはあらざりき、一対は連なりていとも麗し、袖より雲を持つ手を伸ばし[69]、目の前であきらかに玉環を解く。

(正旦が玉環を解く)

(浄の虎白長)玉環が解けましたなら、わたしは失礼いたしましょう[70]。(走る)

(正旦)門番よ、あいつを引きずり出せ。

(祗候が捕らえる)(浄の虎白長が跪く)親父さま[71]、どうなさるのです。

(正旦)筆を持ってきておくれ。(書く)左右のものよ、針を持ってきておくれ。顔に字を入れ墨するから、秦の姫輦に会いにゆけ。門番よ、追い出せ。

(浄の虎白長が門を出る)顔に入れ墨されてしまった。賊をしたこともないのに。ほんとうに苦しいことだ。眼罩(がんちょう)[72]を被って本国に戻ったら、秦将軍さまはどのように仰るだろう。

顔に入れ墨せらるとも構ふものかは、州県を経て村を過ぎたり。盛り場で人々に見らるれば、子供らはいたく騒げり。(退場)

(斉公子)妻よ、蒲琴を鳴らし、玉環を解いたのは、いずれもおんみの妙智によるもの。ただ、来た者の顔や背に入れ墨して返すべきではなかった。聞けば孫操と秦の姫輦はれっきとした英雄だとか。戦を招いたら、どうしよう。

(正旦)公子さま、ああしなければ斉国はかれらに見くびられるでしょう。構いませぬ。わたくしがおりまする。(唱う)
【仙呂】【賞花時】孫操が軒昂にして勇猛なりと言ふなかれ。姫輦が天下の英才にして、衛呉起の風采が立派なりとも恐れめや。よしやかれらに天に通ずる巧みな智恵があらんとも、

(言う)公子さま、ご安心なさいまし。

(唱う)ただちに十一か国をばすべて来朝せしむべし。(退場)
(斉公子)妻は行ってしまった。田能よ、人馬を調え、剣と刀を磨くのだ。おまえは副将、合眼虎は先鋒になれ。両国の兵が来たら、かれらと戦え。

(田能)かしこまりました。今日は練兵場に行き、人馬を選び、武器を調え、両国が鋒を交えにくるのを待とう。大小の三軍よ、わが命を聴け。

命を奉じて師を出し、大きな陣を築きあげ、太き剣と長き槍とを万層にしぞ列ねたる。方天画戟[73]に豹尾を懸けて、矛盾斧鉞に紅纓を掛く。国を立て、国を鎮むる忠良の将、韜略を深く知り、名こそあるなれ。斉兵を率ゐてゆかば、馬は偏土を踏みしだき平地のごとくせしむべし[74]。(退場)

(合眼虎)今日は人馬を選び、秦兵に備える。秦兵は、秦兵は、みな勇ましい。かならずやわれらが負けて、きっとかれらが勝つだろう。(退場)

(斉公子)諸将らは行ってしまった。かれら二人が兵を率いてきても、妻の神機妙策があれば、かれらは大したことはなかろう。

西秦の姫輦は雄才をば揮い、范陽の孫操は江淮を巻く[75]。東斉に賢士はなしと思ひしが[76]、琴は鳴らされ玉環は解かれたりにき。(退場)

(晏嬰)公子さまは行ってしまった。ひとまず私宅に戻ってゆこう。

賢母は優れた才をもて国を治めり、世に並びなき鍾氏に誰か勝るべき。危難を鎮めて天下を安んじたるときは、桑摘む人が夢の験の人なるをはじめて知るべし。(退場)

(秦の姫輦が従者を率いて登場)(秦の姫輦)使者を遣り、斉国に行かせたが、返事が来ない。

それがしは秦の姫輦。使者が玉環を持って東斉を困らせに行ったきり、戻ってこない。門番よ、入り口で見張りせよ。情報があれば、それがしに報せよ。

(従者)かしこまりました。

(浄の虎白長が登場)逃げろや逃げろ。わたしは虎白長。玉環を献じにいったが、身に禍を招いてしまった。休まず秦国に戻ってきて、秦将軍さまに会いにゆこう。到着だ。取り次げ。虎白長が参りましたと。

(従者)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。元帥さまにお知らせします。虎白長さまがお越しです。

(秦の姫輦)話すのが終わったら、使者が来た。通せ。

(従者)かしこまりました。行かれませ。(見える)

(秦の姫輦)虎白長よ、玉環を献じる件はどうなった。

(浄の虎白長)将軍さま、申しあげにくいことです。東斉に行き、玉環を献じましたら、大小の官員たちは、みな解けなかったのですが、斉公子の夫人だけは、玉環を解きました。これは嘘ではございませぬ。

(秦の姫輦)玉環はどこにある。

(浄の虎白長が玉環を与えて見せる)こちらでございます。

(秦の姫輦)無塩女はほんとうに無礼だな。どうして玉環を砕いた。これそのほう、顔が黒いのはどうしてだ。

(浄の虎白長)何でございましょう。ご覧ください。ご覧ください。

(秦の姫輦が見る)見てみよう。「国を立て国を安んじ斉に賢あり、勇ましき武将は千万。殿前に秦国の宝を解きて、無価の玉連環を砕きき。わたしはすこぶるよく将兵を駆りたれば、東斉を侮るなかれ。小わつぱ秦の姫輦に告げん、潼関を越ゆるなかれと[77]」。

(浄の虎白長)ぺっ。まだお読みになるのですか。あのものに近づかれてはなりませぬ。顔じゅうに入れ墨されて、洗っても落とせませぬが、どういたしましょう。

秦の姫輦はすばらしや、策謀を弄するを専らにして、わたしに命じて玉環を献ぜしむれば、顔中に入れ墨せられぬ。(退場)

(秦の姫輦)無塩女めは無礼である。玉環を砕き、それがしを小わっぱと見なし、使者の顔に入れ墨するとは。この恨みは骨髄に徹している。それがしは今から殿さまに上奏し、みずから帥となり、十万の勇士を選び、衛国の呉起とともに、東斉を征伐し、無塩女を捕らえにゆこう。わたしは

話がおはるのを聴けば怒りを生じ、明朝すぐに征塵を踏まんとしたり。なは殿前にて無価の宝をうち砕き、顔面に入れ墨しわれらに悪しき言葉を吐けり。衛国の呉起を先鋒にして、わたしはこれより三軍をみづから率ゐ、兵を駆り将を()て斉の地に行き、やすやすと桑の畑に葉を摘む人を生け捕らん。(退場)

(孫操が卒子を率いて登場)宝帳の周囲には虎将を並べ、中軍[78]の左右には勇士を列ね、文韜武略機謀は大に、寨を築き陣をし布けば神鬼は驚く。

それがしは孫操。燕国の公子の御諚を奉り、使者を遣わし、蒲琴を献じさせ、東斉を困らせにゆくことにした。報せの馬が来て言うには、本日来るとか。兵卒よ、入り口で見張りせよ。来たときは、わたしに報せよ。

(卒子)かしこまりました。

(浄の孫倣が登場)「禍福には門はなし、ただみづからが招くのみ[79]」。蒲琴を献じて、心は焦れり。

それがしは孫倣、蒲琴を献じて戻ってきた。飛ぶ星のように戻って、本国に来た。父上にご報告しにゆこう。はやくも着いた。取り次げ。孫倣が参りましたと。

(卒子)かしこまりました。(じゃ)。将軍さまにお知らせします。孫倣さまがお越しです。

(孫操)通せ。

(卒子)かしこまりました。行かれませ。(見える)

(孫操)孫倣よ、蒲琴を献じる一件はどうなった。

(浄の孫倣が長嘆息し、地団駄を踏み、胸を打つ)父上のお言葉を奉り、蒲琴を持って東斉に行ったのですが、無塩女に蒲琴を鳴らされ、殴られました。

(孫操)斉王の夫人が蒲琴を鳴らしたか。あいつは切れ者だな[80]。何と言っていた。

(浄の倣)夫人が何と言ったか。来てください。来てください。(衣服を脱いで孫操に見せる)この背中には、何と書いてございましょう。針で入れ墨されて、たいへん痛うございます。ご覧ください。ご覧ください。良い蒲琴を献上し、禍を招いたのでございます。

(孫操が見て読み上げる)見てみよう。「無塩は英れたる名をば天下に知られ、八方は帰順して征旗を止めたり。各国を蹂躙し塵土(ちりひぢ)となし、偏土を打破して泥と化してん。愚夫孫操は巧みなる計を設けて、ことさらに蒲琴を作り災禍を招けり。書を小国の賊子に見せん、東斉にはやく従へ」。

(孫倣が吹き出す)ぷっ、まだお読みになりますか。恥ずかしくございませぬか。わたしは行きます。

わが父はかのものを困らせんとし機略を弄せり、行き帰り走ること数十日なり[81]。八句を作りて賊子と罵り、大いなる字で背に入れ墨をしたるなり[82]。(退場)

(孫操)桑を摘む農婦めは無礼だな。わたしを罵るとは、ただでは済まさぬ。今日は人馬を選ぶように言い含め、みずから将帥となり、二国はともに、東斉を征伐し、無塩女を捕らえ、恨みを雪ごう。大小の三軍よ、わが命を聴け。

忠義は国を栄えしめ大いなる兵を起こせり、刀槍は済済として(よろひ)は層層、人は猛虎の山を離るるかの如く、馬は長蛟の水を出づるが如きなり。地を圧したる兵士(つはもの)に塵土は暗く、天を衝く殺気はありて密雲生ぜり。武威を揚げ攻め戦ひて、東斉を踏み砕き平地のごとくならしめん。(退場)

(外が呉起に扮し、卒子を率いて登場)武略文韜聖謨[83]を体し、兵法に深く通じて神機を(めぐ)らす。功名を四十にて成就せずんば、堂堂とした大丈夫(ますらを)となるも徒なり。

それがしは大将呉起。先祖は衛国の人、蓋公山で勉学し[84]、今は魏の文侯さまの麾下にあり、大将の職にある。西のかた秦と戦い、五城を抜いた。それがしは、兵を進めるときは方法があり、臥すときは蓆を設けず、行くときは馬に乗らず、士卒とともに苦しみに甘んじている。魏の武侯さまと西河[85]に船を浮かべて下ったときのこと[86]、武侯さまは仰った。「美しいなあ、堅固な山河は。」それがしは答えた。「徳が大事で険しいことは大事ではございませぬ。」この一言で、人々はそれがしを文武元帥と呼んでいる。今、斉国は無礼であり、しばしばわれら二国を辱めているが、わたしは今から勇士十万を選び、秦の姫輦、燕の孫操といっしょになって、東斉を征伐しよう。今日は寨を発つとしよう。大小の三軍よ、わが命を聴け。

彩雲は押し出でり万山の中、煌めける金光[87]は碧空を射る。馬は蛟龍(みづち)の大海を離るるかのごと、人は虎豹の峰を出づるかのごと。征塵は滾滾として霄漢を衝き、殺気は騰騰として暁風に戦へり。勇略により斉国を破りなば、その時はじめてわたしの英雄たるを知るべし。(退場)

第三折
(正旦が田能、浄の合眼虎とともに馬に乗り、旗を振る卒子を率いて登場)

(正旦)わたしは無塩女。秦の姫輦めは無礼者。各国の名将を動かして、兵を合わせて、わが斉国と戦を交えようとしている。わたしの神機妙策をもってすれば、かれは大したことはできまい。(唱う)

【越調】【鬥鵪鶉】[88]わたしの陣は奎星[89]を布き、旗は箕尾[90]をぞ分かちたる。暗かに虚危[91]を置き、明らかに翼壁[92]をしぞ並べたる。(いきほひ)は参房[93]のごとくして、形は斗室[94]のごとくなり。作用は稀なる、兵法は優れたるものにして、たちまちに遯[95]は天山に起こり、師[96]は地水にぞ乗じたる[97]

【紫花児序】[98]わたしによりて五行は斡運[99]し、八卦は周流[100]し、万象[玉族]璣[101]、先天乾坤[102]南北、坎離[103]東西を用ゐて、週回[104]す。艮兌[105]は風雷の疾きに一任し、山沢は気を通じ[106]、たちまちに天地は交はり、水火は催す。

(浄の合眼虎)ご夫人は今日はどのようにかれらと戦われますか。かれらは大したことはできないことでしょう。わたし一人でかれら秦兵を殺しましょう。

(正旦)大小の諸将らよ、兵士は万隊を並べ、将軍は陣頭に列なり、天の二十八宿のように並び、「九宮八卦陣」と名づけるのだ。合眼虎よ。

(浄の合眼虎)はい。ご夫人が呼ばれましたは、何ゆえにございましょう。

(正旦)一千の軍馬を与えるから、戦いを起こして、負けてくれ。秦兵がこの計略に気付かなければ、おまえが負けた振りをしたとき、囲みの中に追いかけてきて、きっとわたしの計略に嵌るだろう。

(浄の合眼虎)かしこまりました。わたしはきっと負けましょう。

(正旦)遠くから秦兵が来たのだろう。

(秦の姫輦が孫操、呉起とともに馬に乗り、卒子を率いて登場)

(秦の姫輦)それがしは秦の姫輦。鍾無塩めは無礼者、それがしの玉環を壊し、使者の顔に入れ墨をして戻らせた。この恨みは骨髓に徹している。それがしは魏国の呉起、燕国の孫操とともに、大勢の勇士を率い、鍾無塩を征伐しにゆこう。大小の三軍よ、陣を布け。

(孫操)将軍どの、ひとまずお待ちくださいまし。わたしがかれと三たび手合わせいたしましょう。来たのは誰だ。

(浄の合眼虎)それがしは斉公子さま配下の合眼虎だ。

(孫操)おいおまえ、無塩女はどこにいる。なにゆえにわたしを謗った。おまえとは戦わぬ。無塩女を出てこさせろ。

(浄の合眼虎)わたしと闘う勇気がないか。

(孫操)ちんぴらめ、大口を叩きおって。兵卒よ、太鼓を鳴らせ。(戦う)

(浄の合眼虎が負けた振りをして逃げる)近づけぬわい。逃げろや逃げろ。(退場)

(孫操)どこへ行く。どこであろうと追い掛けてゆくぞ。

(正旦)左右のものよ、捕らえてくれ。

(衆が孫操を捕らえる)

(卒子)孫操を捕らえました。

(正旦が唱う)
【調笑令】こいつはわれらが謀略を巡らせたるを悟るなく、人をきびしく追ひかけぬ。ああ。今、船は(かは)真中(まなか)に着きたれば水漏れを塞ぐともはや手遅れぞ、崖に臨みて馬の手綱を引くことをいかで得べけん。なほも追ひかけ争ひて、気付かずにわれらが陣に突つ込めり。おまへはまさに路はあれども帰るなからん。
(言う)捕らえてきてくれ。

(卒子)かしこまりました。面を上げよ。

(孫操が跪く)ご夫人、憐れと思し召し、こたびはどうかお許しください。

(正旦)おまえは死を恐れていたのか。死を恐れるなら、とりあえず今回は許すとしよう。

(田能)ご夫人、捕らえたものを放つのは、良くないのではございませぬか。

(正旦)構わない。おまえには分からない。縛めを解き、兵卒よ、追い出せ。

(卒子)かしこまりました。(追い出す)出てゆけ。

(孫操が門を出る)無塩女はまことに立派だ。わたしの命を許し、本陣に戻ってゆかせるとは。(衆に見える)両陣の間で、斉兵に捕まりましたが、無塩女に許されて戻ってきました。

(秦の姫輦、呉起が馬に乗って走る)ぺっ。孫操どの、恥じていらっしゃるのか。おんみは陣を守られよ。呉起どの、われら二人はあのものと鋒を交えにゆきましょう。

(浄の合眼虎が馬に乗って登場)秦の将軍が出馬した。わたしはこたびはかならず勝つ。

(秦の姫輦)来たのは誰だ。

(浄の合眼虎)おまえに言おう。わたしは合眼虎。わが子よ[107]、わたしの名前を聞いておろう。

(秦の姫輦)おいおまえ、おまえとは戦わぬ。無塩女は、どうしてわたしの玉連環を壊し、使者の顔に入れ墨をして戻らせた。この恨みは骨髄に徹しているぞ。無塩女を出てこさせろ。おまえのような下郎は殺さぬ。

(浄の合眼虎)こいつめ無礼な、どうしてわれらのご夫人を謗るのだ。おまえと三合手合わせしよう。

(秦の姫輦)兵卒よ、太鼓を鳴らせ。(戦う)

(浄の合眼虎が敗走する)敵わない。逃げろや逃げろ。(退場)

(秦の姫輦、呉起が追う)

(秦の姫輦)どこへ行く。

(正旦)捕らえてくれ。

(衆が二将を捕らえる)(唱う)
【鬼三台】おまへに天を欺く智恵と、雲を持つ計略があらんとも[108]、陰陽八卦の道理を逃るることを得じ。

(秦の姫輦)智恵でわれらを欺こうとも、大したことはないだろう。

(正旦が唱う)なんぢはなほも兵機を説けり。おのおのが国家のためにすべきなり。兵を()てきて、勇猛を逞しうして、心行くまで追撃すべきにはあらず。伏兵をひそかに隠す計略をなどて知らざる。なんぢらは今日捕縛せられて、危険に臨み、はじめて悔ゆべし。
(秦の姫輦が呉起とともに跪く)このような浅はかな計略を用いても、優れてはおらぬわい。今からわれらを釈放し、おまえと闘わせ、両陣の間でわれらを捕らえれば、おまえたちが強いということになるだろう。

(正旦)それもそうだ。縛めを解き、追い出せ。

(卒子)かしこまりました。(追い出す)出てゆけ。

(秦の姫輦、呉起が門を出る)

(秦の姫輦)あいつは切れ者だ。呉将軍どの、われら二人はいかめしく身支度し、馬に乗り、陣を布きましょう。おい無塩女よ、出馬してこい。

(正旦)兵卒よ、刀と馬を持ってこい。かれらと鋒を交えよう。太鼓を鳴らせ。(陣を調える)(唱う)
【禿廝児】斉を鎮むる刀剣は青龍の挙がるかのごと、国を守れる将軍は大蟒(おほうはばみ)の争ふかのごと。見よ、鋒を交ふるにすばやき技を恃めるを、げにやなんぢは争ひ馳せて、優劣を弁ぜんとせり。
(秦の姫輦)すみやかに馬を下り、降伏せよ。(戦う)

(正旦が唱う)
【聖薬王】一方はのろのろと槍を挙げ、一方はよろよろと馬を走らす[109]。たちまちに人馬は疲れ、いかでかは持ちこたふべき。征塵は起こり、殺気は漲り、金鼓を抛ち、征旗を捨てたり。

(秦の姫輦、呉起、孫操が敗走する)

(秦の姫輦)まずい。敵わない。わたしはおんみと、逃げろや逃げろ。(退場)

(正旦が唱う)見ればかれらは唐突に兵の囲みを撞きいでぬ。
(正旦)兵卒よ、銅鑼を鳴らしてくれ。

(卒子)かしこまりました。

(正旦が唱う)
【尾声】今日は
濉河(すいが)(ほとり)にて英雄たちを撃退し、名は四海にぞ知られたる。十一国をことごとく来朝せしめ、斉国を万万歳に鎮めてん。(ともに退場)

第四折
(外が秦国の公子に扮し、祗候を率いて登場)

(秦公子)八水[110]は流れを通じて上国を分け、三川[111]は錦のごとく烝民を楽しましめたり、春秋は世々贏氏[112]を尊び、赳赳と威厳はありて大秦と号したるなり。

それがしは秦の哀公、咸陽に建国している。今、春秋十二国のなかでは、秦が上国となっている。ところが斉の無塩女は、智勇に優れ、有能で、玉連環を解き、使者の顔に入れ墨をして戻らせた。それがしが秦の姫輦ら諸将を派遣したところ、大敗して帰ってきた。宣戦布告の文書まで送られてきた。このたびはわれら十一か国の公子が集まって、臨淄に行って、斉を尊び、上国にする。それがしはすでに十国の公子らと、期日どおりに行くことを約束した。それがしはぐずぐずしようとはせずに、本営の人馬を率い、方物を調えて進貢しにゆく。

白馬金鞍碧玉の轎、無塩はげにや勇ましき。紅羅の袍に鸞鳳は蟠り[113]、百万の軍中に剣と刀を舞はせたり。文ならば礼楽三千字に通じ、武は陰陽に従ひて六韜より出づ[114]。十一国に敵手はなければ、つつしんで表賀して、ことごとく来朝すべし。(ともに退場)

(斉公子が晏嬰、田能、合眼虎とともに祗候を率いて登場)

(斉公子)勇烈な夫人は天下に稀にして、兵を進めて陣を布き神機に従ふ。鋒を交へて八卦もて軍を並べて、凜凜と威名はありて大斉といふ。

それがしは斉公子。以前、玉環を解き、蒲琴を弾く一件があったため、秦の姫輦は燕、衛二国とともに、兵を合わせて、東斉を征伐しようとした。妻は諸将とともに兵を率いて敵を迎え、秦兵をたちまち破り、勝利を得て帰還した。名声は四海に伝わり、威力は諸国を恐れさせた。今各国の公子らは、斉を尊び、上国にしているが、これは妻の功績だ。各国の公子らはみなやってきたとか。今日は宴を設け、論功行賞し、斉国夫人を祝うとしよう。妻を呼んでこい。

(晏嬰)かしこまりました。簾の中の小間使いよ、ご夫人を呼び出してこい。

(正旦が正装し、侍女を率いて登場)わたしは無塩女。公子さまが人を遣わして呼びにきたから、行かねばならぬ。(唱う)
【双調】【新水令】今日は威勢を遍くし勇猛をしぞ示したる。わたしはまことに昂昂として智略あり。今や他国はことごとく土地を献じて、列国はみな来朝したり。将兵は勇猛にして、わたしの威名は大いなること山にぞ似たる。
(正旦)門番よ、取り次げ。参りましたと。

(祗候)かしこまりました。(じゃ)。公子さまにお知らせします。ご夫人がお越しです。

(斉公子)それがしは妻を迎えにゆくとしよう。(見える)妻よ、来てくれ。

(正旦)公子さま、ご機嫌よう。

(斉公子)妻よ、今日各国が帰順したのは、すべてそなたの功績によるものだ。以前、夜に雲が月を覆うことを夢みたが、今日、雲が散じて月が明るくなったのは、ひとえに晏嬰大夫が夢占いをしたためだ。大夫がいなければ、今日はなかった。

(正旦が唱う)
【沈酔東風】今日皓月の清けきは、白雲の散ぜしためなり。中天に到ればいとも明らかに、斉国に照り、光輝を生ぜり。一輪が出でたれば輝きは青霄(みそら)に徹し、蟾影(つきかげ)は輝輝として大朝[115]は澄み、万里の浮雲(ふうん)は掃ききよめらる。

(斉公子)そなたは知らないであろうが、それがしは人を遣わし、そなたのご両親をこちらに迎え、官位を加え、褒美を賜うことにした。まだ来られない。門番よ、入り口で見張りせよ。いらしたときは、わたしに報せよ。

(孛老児が卜児、搽旦とともに登場)

(孛老児)本日に勝る喜びはなく、今日の喜びにいかで逢ふべき。

老いぼれは鍾大戸。娘があのような才能を持っていて、斉国を守るとは思わなかった。公子さまは人を遣わし、わたしたちをお迎えだ。はやくも着いた。おにいさん、取り次いでくだされ。鍾大戸が参りましたと。

(祗候)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。公子さまにお知らせします。鍾大戸さまご一家がお越しです。

(斉公子)どうぞ。

(祗候)かしこまりました。どうぞ。(見える)

(孛老児)公子さま、老いぼれを呼ばれましたは、何ゆえにございましょう。

(斉公子)鍾大戸どの、娘さんをご覧なされ。

(孛老児が卜児とともに確認する)娘よ、どうして様変わりした。わたしはおまえが苦しみを受けまいと思っていたぞ。

(正旦が拝する)お父さま、お母さま、わたしがお分かりになりましたか。離れ離れでございましたが、ご無事でしたか。(唱う)
【甜水令】思へばそのかみしきりに桑を摘みたりき。みづから蚕の繭を取り、家財を増やしき。

(孛老児)娘よ、ほんとうにご苦労だったな。

(正旦が唱う)まことに日夜苦労して、やうやくにその身を進むることを得つ。名を成し志を得たれば、郷人の嘲笑するを恐れめや。

(言う)桑を摘んでいた時に、斉公子さまにお遇いしなければ、

(唱う)今頃は荒郊(あれの)にて老ゆるに甘んじたりにけん。
(孛老児)娘よ、旧い話は言うな。

(斉公子)このたび諸国が帰順して、尊ばれ、上邦となったのは、ひとえに妻の汗馬の労によるものだ。

(正旦が唱う)
【折桂令】春秋と戦国は豪を競へば、臨淄を守り、斉朝を安らかにせり。征旗を動かすこともなく、戈甲を施すこともなく、槍刀を動かすこともあらざりき。わたしはあやふく農婦となりて桑の畑に年老いなんとしたるなり。思へばそのかみ農婦となりて田の(くろ)に徒らに労せしかども、姓名は顕れたれば、自在に逍遥したるなり。

(斉公子)鍾大戸どの。娘さんには大きな功がございますから、わざわざあなたをお呼びして官位を加えて褒美を賜い、あなたを太師柱国の職に封じるのです。食邑は三千戸、ご夫人を柱国太夫人として、さらに三代に褒封[116]しましょう。

(孛老児)厚恩に深謝いたします。勿体のうございます。

(正旦が唱う)おんみは今日は褒美を受けて官職に封ぜられたり。おんみらの養育の劬労に報いん。(退場)
(斉公子)門番よ、入り口で見張りせよ。各国の公子がやってくるだろう。

(秦公子が卒子を率いて登場)

(秦公子)それがしは秦公子。各国の公子とともに、斉国にお祝いにきた。はやくも着いた。門番よ、取り次げ。秦公子が来たと。

(祗侯)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。公子さまにお知らせします。各国の公子さまがお越しです。

(斉公子)それがしみずから迎えにゆこう。(接見する)公子さま、どうぞ。

(秦公子)公子さまがお先にどうぞ。

(斉公子)滅相もございませぬ。

(秦公子)われら各国の公子たちは来るのが遅れ、ご無礼つかまつりました。

(斉公子)それがしに何の取り柄がございましょう。公子さまにはご足労いただきまして。

(秦公子)公子さま、今われら各国は心を一にし、戦を止めて、とこしえに唇歯の邦となりましょう。思えばわれらはみな大周の一族でございます。そのためわざわざ祝いにきたのでございます。

(斉公子)晏嬰よ、酒宴を設け、各国の公子らが遠くから来たことに感謝し、ともに祝いの宴をしよう。公子さまがた、お聴きあれ。

賢夫人のため、名声は天下に揚がり、斉兵は勝ち、奇事は四海に伝はりぬ。七弦の律呂をかなづる蒲琴を弾きて、細緻なる珍宝の玉環を解く。九曲を穿てる明珠は透明にして[117]、白牙を測れば大象は首位を奪へり[118]。六芸を知り書画に明るく、博弈を善くして囲碁を極めたり。教養は広ければ、天象を占ふに長け、武略は勇ましかりければ、対峙戦闘したるなり。謝すなんぢ晏平仲の文才をもて国家を安んじたりけるに、謝す鍾離春の智勇もて斉国を守りたりしに。

題目 晏平仲文才安国
正名 鍾離春智勇定斉

 

最終更新日:2007630

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[1]政治教化。

[2]原文「東斉東斉、生的蹺蹊、不是禿頭、便是瞎的」。未詳。とりあえずこう訳す。

[3] 挨拶の言葉。

[4]月のことを「月亮」と称する。唐代からある言葉で、現在でも用いられる。

[5]原文「月者是亮也、亮者是明也、雲者霧也。月裏頭雲、雲裏頭霧、月雲霧、好事吉祥之兆」。未詳。後ろの斉公子のせりふに、「こいつはでたらめを言っている」とあるので、支離滅裂なことを言っているのであろう。

[6]原文「善与人交秉性淳」。『論語』「子曰、晏平仲善与人交、久而敬之」。

[7]『大学』「大學之道、在明明徳」。

[8]原文「治国斉家為国土、在明明徳在新民」。新民」は民を教化して悪から善へ導くこと。『書経』康誥「己、汝惟小子、乃服惟弘王、応保殷民、亦惟助王宅天命、作新民」。

[9]原文「晏矮子正是胡説」。晏嬰が小男であったことは『晏子』晏子使楚楚為小門晏子称使狗国者入狗門晏子使楚、以晏子短、楚人為小門于大門之側而延晏子」に見える。

[10]道観で用いる、占いの道具。写真−窪徳忠『道教史』十一頁。

[11]原文「眼跳眉毛長」。「眼跳」は目が痙攣すること。凶兆とされる。『薛仁貴』『伍員吹簫』『秋胡戯妻』第二折『瀟湘雨』第四折『漁樵記』など、用例多数。

[12]原文「鵲噪為食忙」。鵲が騒ぐのは吉兆とされる。『挙案斉眉』『瀟湘雨』第二折『破窑記』などにその例あり。

[13]原文「嚏噴鼻子癢」。くしゃみをするのは人が噂しているからだとされる。『李逵負荊』『看銭奴』第三折などに例あり。

[14]原文「抽籤擲珓、一貫好鈔」。未詳。とりあえずこう訳す。

[15]占いがでたらめだと言っている。

[16]原文「晏嬰我児也」。相手を自分より一世代下のものと見なして、蔑んだもの。

[17]四方を山河に塞がれた要害の地。

[18]山河。

[19]春の狩猟。『爾雅』釈天「春猟為蒐」。

[20]『論語』先進。

[21]未詳だが、陰鬱な霧であろう。

[22]晏嬰のせりふ「賢明な淑女は、村里に隠れているか、林麓にいるものでございます」を受けた句。賢明な淑女のいる林はどこにあるのかということ。

[23]山東省臨沂県の東にある山名。

[24]養蚕と紡績。

[25]鍾離春をさす。

[26]鄒氏をさす。

[27]鄒氏をさす。

[28]原文「又則道我攀他哩」。未詳。とりあえずこう訳す。

[29]原文「治世為尊上」。王が世を治め、人々は王を敬っているという趣旨に解す。

[30]刺繍の際、布を固定する木組み。

[31]耕作と養蚕。ここではそれによって得られる収穫物であろう。

[32]原文「入家園数尽桑行」。「数」が未詳。とりあえずこう訳す。

[33]原文「布下囲場」。未詳。とりあえずこう訳す。

[34]原文「将囲場擺開者」。未詳。とりあえずこう訳す。

[35]原文「您守定囲場」。訳文の意味で間違いないと思われるが、すぐ後の部分で、田能が「将兵たち、四方に兔を探しにゆこう」と言っているのが不可解。

[36]原文「今年可便好収蚕、好収蚕也麼哥」。「収蚕」は未詳だが、たくさん繭が取れたということであろう。

[37]原文「転桑行行過家南」。未詳。とりあえずこう訳す。

[38]原文「你般出来」。未詳。とりあえずこう訳す。字が書けているか。

[39]原文「観不尽棗棘」。「棗棘」はここでは「棗」のこと。「棘」に意味はない。「棘」は韻字。

[40]原文「你去南海子尋問去、連獐子説与你」。「南海子」はまったく未詳。

[41]稲の苗。また、農作物。

[42]原文「一個個智淺才疏腹内虚」。「腹内虚」は教養がないということ。腹は教養の宿るところとされていた。

[43]原文「怎能勾志縱横徳不孤」。「志縱横」が未詳。大まかな方向は、大臣たちが才幹を縦横に発揮せず、徳行を修めていないということであろう。

[44]傑出したもの。『詩』漢広「翹翹錯薪、言刈其楚」。

[45]原文「小官親為大保」。「大保」」は未詳。とりあえずこう訳す。

[46]原文「要結夫婦之礼、豈為執鞭之事」。含意未詳。「執鞭之士」といえば御者のことで、下賤なものの代名詞なので、下賤なもののように鞭を手に執るわけにはゆかないという方向か。

[47]結婚の六礼の一つ。婿がみずから嫁の家にいって嫁を迎えてくる儀式。

[48]正式な礼を備えないで、男の下に奔る女。淫奔な女。

[49]原文「投至的等的一個貨郎児来、千難万難的」。「千難万難的」が未詳。

[50]原文「大夫、休看這桑木梳小可、他能理万法」。「万法」は万物。「法」と「髪」は『中原音韻』では同韻(家麻韻)。「万髪を梳くことができる」ということと「万物を整えることができる」ということを引っかけた洒落。

[51]原文「我是個村多年老[口芻」狐」。「老[口芻]狐」が未詳。とりあえずこう訳す。

[52]未詳だが、文脈からして諸侯の中で優位を占めている国のことであろう。

[53]原文「単奈無塩」。「奈」が未詳。以下も頻出するが文脈から「困らせる」の意味に解す。

[54]原文「生死我都当」。未詳。とりあえずこう訳す。

[55]琴の弦を縛る縄。

[56]玉製の琴柱。

[57]琴の底にある穴。上を龍池、下を鳳沼もしくは鳳池という。

[58]この戯曲に頻出する単語だが、まったく未詳。

[59]舎は舎人。三舎は三番目の坊ちゃん。

[60]原文「看你怎麼了」。「你」は斉公子らを指していると解す。

[61]『列子』湯問「伯牙善鼓琴、鍾子期善聽。伯牙鼓琴、志在登高山。鍾子期曰、善哉。峨峨兮若泰山。志在流水。鍾子期曰、善哉。洋洋兮若江河」。

[62]和らぎ楽しむさま。

[63]『白虎通』「琴以禁制淫邪正人心也」。

[64]未詳。

[65]未詳。

[66]中国の五音階。

[67]崑崙山。

[68]玉に似て、玉より劣るもの。武夫、武砆とも。『戦国策』西門豹為鄴令白骨疑象、武夫類玉」。

[69]原文「袖中舒出拿雲手」。「拿雲手」は元曲の頻出語。大きな仕事を成し遂げる手腕をいう。

[70]原文「慢在小子告回」。未詳。とりあえずこう訳す。

[71]原文「老子也」。相手を自分より一世代上のものとして持ち上げたもの。

[72]砂除けのために眼の前に垂らすベール。眼衣。周等編著『中国衣冠服飾大辞典』六百八十一頁参照。

[73]武器名。方天画杆戟。元雑劇『三戦呂布』第二折、『老君堂』第三折などに用例があるが、具体的にどのようなものなのかは未詳。

[74]原文「馬踐偏邦如土平」。未詳。とりあえずこう訳す。

[75]原文「范陽孫操巻江淮」。未詳。とりあえずこう訳す。

[76]主語は姫輦、孫操。

[77]原文「怕娘休要過潼関」。「怕娘」が未詳。とりあえずこう訳す。

[78]本陣。

[79]原文「禍福無門、惟有自招」。当時の諺。禍福はみずからが招くものだということ。『左伝』襄公二十三年「禍福無門、唯人所招」。

[80]原文「這廝是能」。未詳。とりあえずこう訳す。後にも出てくる

[81]主語は孫倣。

[82]主語は鍾離春。

[83]天子の謀。

[84]原文「曾于蓋公山學藝」。「蓋公山」は未詳。とりあえずこう訳す。

[85]黄河の、山西省の西を流れる部分。

[86]『史記』呉起伝「魏文侯既卒、起事其子武侯。武侯浮西河而下、中流、顧而謂呉起曰、美哉乎山河之固、此魏国之寶也。起對曰、在徳不在険。昔三苗氏左洞庭、右彭蠡、徳義不修、禹滅之。夏桀之居、左河濟、右泰華、伊闕在其南、羊腸在其北、修政不仁、湯放之。殷紂之国、左孟門、右太行、常山在其北、大河経其南、修政不徳、武王殺之。由此観之、在徳不在険。若君不修徳、舟中之人尽為敵国也。武侯曰、善」。

[87]兵器の光り。

[88]この曲。全体的に意味が未詳。大まかな方向は、星宿の並びに従って陣立てをしているさまを述べているのであろう。

[89]星宿の名。二十八宿の一つ。

[90]箕宿と尾宿。いずれも二十八宿の一つ。箕宿。みぼし。尾宿は蠍座の一部。

[91]虚宿と危宿。いずれも二十八宿の一つ。

[92]翼宿と壁宿。いずれも二十八宿の一つ。

[93]参宿と房宿いずれも二十八宿の一つ。

[94]斗宿と室宿。いずれも二十八宿の一つ。

[95]易の卦の一つ。『易』遯「象曰、下有」。

[96]易の卦の一つ。『易』師「象曰、中有」。

[97]原文「一会児遁起天山、師乗地水」。未詳。とりあえずこう訳す。

[98]この曲。全体的に意味が未詳。原文を記す。憑著我五行斡運、八卦周流、万象璿璣。用先天乾坤南北、坎離東西、周回。艮兌風雷一任疾、山沢通気、霎時天地相交、水火相催」。

[99]めぐりゆく。

[100]めぐりながれる。

[101][玉族]璣は未詳だが璣のことであろう。渾天儀。

[102]乾、坤はともに易の卦で、南、北の方角に相当。

[103]坎、離はともに易の卦で、東、西の方角に相当。

[104]めぐる。

[105]艮、兌はともに易の卦。

[106]『易』説「天地定位、山沢通気」。

[107]原文「我児也」。相手を一世代下のものとすることによって侮辱したもの。

[108]前注参照。

[109]姫輦、呉起両名のありさまを描写した句。

[110]秦のある関中地方を流れる八つの河。八川。司馬相如『上林賦』「蕩蕩乎八川分流」注「善曰、潘岳関中記曰、、渭、灞、滻、、鄗、潦、潏、凡八川」。

[111]関中地方を流れる三つの川。水、渭水、洛水。

[112]秦の王室の姓。

[113]原文「紅羅袍下盤鸞鳳」。「盤」はわだかまること。紅羅袍に鸞鳳が丸く図案化されているのであろう。

[114]原文「武按陰陽出六韜」。『易』や『六韜』に従って戦略を立てることを述べた句。

[115]自分の属する朝廷をいう。ここでは斉の朝廷。

[116]功績を褒め、封号を賜うこと。

[117]九つに曲がった穴の穿たれた珠。『祖庭事苑』「世伝、孔子厄於陳、遇穿九曲珠、桑間女子、授之以訣、高士遂暁、乃以絲繋螘、引之以蜜而穿之」。

[118]原文「秤白牙大象奪魁」。まったく未詳。とりあえずこう訳す。

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