異聞総録巻二

 

葛文康が大司成[1]をしていた時、ある厩卒が癩を病み、満面瘡で汚れて醜悪で、ほかの仕事もなかったので、易える暇がなかった。以前、馬を御して宝籙宮[2]にゆき、門外にとどまり、葛公が宮に入って参拝し、出てその顔を見ると、清潔で瘢痕がなかったので、驚いて尋ねたが、卒はもとより自分でも気づいておらず、こう言った。「一人の道人がきてわたしと遊び、手を伸ばして顔を摩り、何度かそうしますと退いて去りました。」葛はじっくりそのありさまを尋ね、属吏に探させたが、もはやいなかった。

 

道人劉景真は、他人のために籙醮[3]して帰り、知っている中貴人[4]の家を訪ね、門外でしばらく休んだ。五更で月が明るかったが、緑衣玄裏[5]、垂脚の帕頭[6]のものが、小侍数十を率いて街中から叫んできて、その家を指して言った。「おまえたちは酒でわたしを祭らないから[7]、燭台を引っくり返して顔を焼こう。」劉がじっくり見ると、すべて幽鬼であった。翌朝、劉はひとりでいって主人に会い[8]、引っくり返ったかを探ると、顔に薬を塗っていたので、尋ねると、夜に数人の客を招いて飲んでいたところ、それがおわらないうちに、燭台がゆえなく傾いて倒れ、わたしの顔を傷つけたと言った。

 

青州[9]の老人朱先生は、薬を売って自給し、つねに一妻一妾一犬を連れ、贛州[10]及び南康県に往来し、土人にはそれを知っているものが多かった。紹興丁丑四月、南康から帰り、宿泊先にゆくと、贛南[11]岡のある村民が来、母が病だと称し、迎えてその家にいって診察させ、その家までの距離を尋ねると、数里だといったので、朱はすぐについていった。ゆけば、すべてその所持金を奪い[12]、三人[13]を殺して林間に埋めた、犬はついてきて叫んだが、まもなく棄てて去り、民は追いはらってやまなかった[14]。すぐに南康県の旧宅に帰り、爪で地を掻き、悲しんでやまなかった。邸[15]の人が怪しみ、県庁に引いてゆくと、犬は法廷に伏し、訴えることがあるようにした。県知事は諭して言った。「おまえの主人はもしや奸盗に殺されたのか。わたしは弓兵[16]に捕えさせよう。」犬はすぐに起きて尾を振って人々を引いて埋めた所にいった。穴を掘ると屍が現れた。兵はさらに語った。「屍はすでに見たから、わたしを引いて賊の家にゆくべきだ。」犬はさらに先導し、悪党をすべて捕らえた。

 

莆田の葉元浣は、子昴[17]丞相のおい、趙州士[18]の婿で、僉書恵州判官であった[19]。乳母が門を出て子供と戯れるたびに、一人の朱衣の人が、杖を持って地を測り、その側に来、手を引いて描いた。「到此佳(ここにいたればよろし)。」そして去った。媼は郡普段この人はいないと訝り、帰って葉に告げ、葉は吏卒を呼んで尋ねたが、何も見えなかった。翌日、城中で火事があり、屋舎に延焼することがたいへん多かったが、僉判[20]庁の前に達すると止まった。

 

万俟[21]は淳熙[22]十三年、武岡[23]の太守となったが、一人の娘がおり、年は十ばかり、人に嫁いでいなかったが、にわかに精神錯乱の病を得、その境遇を語れなくなり、ただ厭厭と憔悴して夢の中のようであった。師巫はお祓いしたり捕らえたり[24]、あらゆることをしたが、まったく効果がなく、母趙氏は、もっとも心配した[25]。しばらくしてますますひどくなった。その誕生日は六月で、その日になると、彦中は娘は星まわりがよくないから、退避するべきかもしれないといい[26]、家人は正堂の上に集まって酒杯を挙げた。まもなく一つの小さな盤が空からだんだんと下り、地に置かれた。人々があらそって見にゆくと、古い漆盤、一つの瓦瓶[27]、一つの泥杯、三彩の(こざら)で、枝龍眼を貯えてあったが、瓶の中の物は汚穢であった[28]。箋紙[29]の小片があり、「六お嬢さまに寿酒[30]を薦める。」と書いてあった。彦中喜ばず、僚吏[31]をすべて招いて妖異の顛末を語り、言った。「身は民社[32]の主でありながら、このような災禍と愚弄に遭い、その不職ははなはだしい。」上書して辞官帰隠することを求めようとし[33]、同僚たちはだめだといったので、とどまった。十余日後、転運使[34]中の劾疏が下り[35]、辞官して去った。交代したものは李大声で、いってその事情を尋ねると、ある人が言うには、郡庁の庭園が大水になった、下にはもともと祠があったが、廃絶して五十年になる、きっとそれが祟りをなしたのだ、中はもともとつねに建立しようとして成し遂げていなかったということであった。そこですぐにその場所に祠を作ると、怪しいことは収まった。衡陽[36]の曹敬之は、時に永州東安の主簿で司理[37]を代行し、みずからこのこと及び盤や瓶の類を見たという。(敬之談)

 

邵武[38]の恵応廟[39]の神は、はじめ祐民公に封ぜられ[40]、建中靖国[41]元年、建陽[42]江屯里にも祠を建てて祭られた。士人江衍は祠に参拝し、夜に夢みて溪南[43]の廟にいった。すると、歌声が聞こえ、門番が留めて言った。「公は夫人とともに白雲障[44]の下に坐していて、新作の詞を演奏していらっしゃる。にわかに進むな。」まもなく、神は命じて衍を呼ばせ、尋ねた。「おまえはこの詞を聞いたのか[45]。」衍は恐れて謝して言った。「世間でどうしてまた聞けましょう。」神は言った。「これは鍾宮錦纏絆[46]だ。」そしてその詞を誦えて言った。「屈曲する新堤、占断[47]す満村の佳気。画簷[48]両行雲際に連なり、乱山疊翠[49]回還(くわいくわん)[50]、岸辺の楼閣金碧はるかに相倚り、柳蔭低く艷やかにして花光[51](おほ)ふ。美好昇平[52]にして誰がためにはじめて起くる。大都の風物ただ人により、旧時の荒壘[53]今日の香煙[54]の地。」衍は目ざめると、すぐに録して伝えたが、歌えるものはいなかった。

 

上官衡侍郎は、揚州に住み、夫人の楊氏は、白昼、堂中で児女と集まって坐していた。すると突然、雷雨が激しくなり、奇鬼[55]が空から地に落ちてきたが、長さはわずか三尺ばかり、顔及び肉の色はすべて青かった。頭上に頭巾を被り、世の帕頭のようであったが、それは肉で、額と連なっていた。人を振りかえると、顔を掩って笑っているようにした。その後、見るものがだんだん多くなったが、笑いも止まなかった。しばらくして大きな雷が建物の外で激しくなり、雲霾[56]は暗く、人物は見えわかなくなると、たちまち空を飛んで去った。

 

揚州節度推官の沈君(その名及び里は忘れた。)は役人ぶりがたいへん剛直で、通判饒恵卿はもっともそのことを知っていた。恵卿が引き継ぎして臨川に帰る時、全府の僚属が出てきて瓜洲[57]で送別することになった。その一晩前、沈は書窓の外で人が語るのを聞いた。「おまえは明日、命運が尽きよう[58]」妻子に言うと、愀然として楽しまなかった。翌日、馬に乗ろうとすると、その子は衣を引いて留めたが、沈は言った。「饒通判はたいへん親しく、千里別れるのだから、どうして送らないことができよう。」馬に鞭うってすぐにいったが、乗っていた馬はそもそも軍中から借りたもので、たいへん凶悪であった。城を出るとすぐ、走っていて落ちたが、足は鐙にかかって抜け、馳せること四十里、瓜洲に達してはじめて止まった。御吏[59]追いつけば、面目はすっかり崩れ、血と肉は模糊とし、見分けがつかなかった。担いで官舎に帰ったが、気息殜殜[60]とし、一日を経て絶命した。卿はかれが自分のために死んだことを憐れみ、銭二十万を贈り、郡は人足余人を遣わし、柩を守って帰らせた[61]が、人々は道で顧み、体は氷霜のようで、すこしでも怠れば、頭はかならず痛くなり、物に撃たれるのに似ていた。両脇をゆくものはみな緑袍の官員が柩の上に坐し、を執って左右を顧み、家に着くとやむのを見た。一年あまり後、かれの妻閻氏は、白昼に旗幟がゆっくりと空中をゆくのを見た。一人の男が白馬に跨って蹀躞[62]として下ってきたが、来たのは沈であった。かれはしばらく慰労し、さらにあまねく子供たちを呼び、書物を読んで作物を植える務めを教え、「わたしは今は掠剩大夫[63]になっていて、仕事は忙しいから、心配するな。」と言った。翩然として去り、それからまた来なかった。閻氏の客がそのことを伝えた。

 

陳伯修は宣城[64]の太守となり、政務を執る余暇に、しばしば頤白堂で『易』を講じ、賓客で連れだって聞くものはつねに十数であった。講義が終わって客が退き、ひとり禅榻[65]に坐していると、突然、朱衣の人が進みでて揖して言った。「殿院が雪を見ることを求めます[66]。」おりしも七月末で、熱風はなお盛んであったので、伯修は驚き、今雪があるはずはない、それにわたしは庶僚[67]なのに、どうして朱衣の吏[68]が事を知らせられるのかと訝った。つとめて起き、席を数歩離れると、雷のような大きな音がし、堂の梁はすでに折れ、禅榻は圧し砕かれて余すところがなかった。

 

資州[69]の東岳行宮[70]は城内あったが、小さな殿舎で、二つの回廊に一つの門楼、郡の人はつねに狭いことを嫌に思っていった。紹興十六年、通行人が廟を過ぎたところ、(もののけ)に憑かれ、廟宇を立派にするべきだと言ったが、期限はたいへん厳しく、見るものは塀となって立ち、不遜にしようとするものはいなかった。翌日、一州百里の間、およそ山麓の巨木は、すべてこの廟のために(しるし)をつけられ、遠近は協力して援助した。まもなく大きな廟ができたが、基礎がもともと山に枕していたので、高く増築すると、巍然として一路に冠絶し、みながねんごろに祈りにくると、すべてすぐに験があった。冤罪を陳すれば、わずか一二日で、原告及び被告と証人はみな死ぬが、理が正しいものだけは顔色が変わらず、夜を経てすぐに蘇るのであった。冥土に入って見たことを語ったが、まったく世間のようであり、牛頭の獄典[71]が猛獣とともに息を吐いて罪囚を燻したり炙ったりする違いがあるだけだということであった。門外の人は闇夜のたびにしばしば鞭うつ音を聞いた。二十一年、郡守鄱陽左守道は着任すると、そのたいへんひどいことを嫌に思い、掲示を出して人が書状を投ずるのを禁じ、殿門を閉ざし、それからは従来の訴えは絶えた。

 

淳熙四年春、鄱陽知県正国は、夢みて冥府にいったが、神祠のようで、通引吏[72]二人が、左右で拱手して迎え入れ、赴いて揖していると、目ざめた。館客[73]椿年に語ると、たいへん嫌がった。掲は言った。「明府[74]は土神[75]の主で、神祇が敬うべきものでございます。」十日後、朝に訴えを聴いていると、郡守が吏を遣わしてたいへん厳しく春衣銭[76]を求めさせた。呉は食事する暇もなく、車に乗ってすぐに出て坑冶使者[77]に会って金を借り、さらに府にいったが、やや不調を覚え、いそいで帰った。車中でしばしば軾を叩いていそいでゆき、県まで百歩で、持ち堪えられず、ある民家を訪ね、すこし休むように命じた。たまたま武烈廟[78]があったので、扶けて入り、家人は走ってきてそれを見たが、すでに胡牀[79]に臥して語れなくなっており、まもなく絶命した。廟中には二人の吏がおり、まさに夢みたところであった。呉は洛陽の人で、政治を行って仁愛があったので、人民はかれを追念した。

 

大原府[80]の二龍[81]の威霊はたいへんいやちこで、廟貌[82]はとりわけ雄壮で、府帥[83]来るたび、かならず修理した。つねに姿を変えて青蛇となり、人は大青小青と目したが、小青はたいへん凶暴で、人は近づけなかった。政和[84]年間、李祐普臣が知事となり、来たが、参拝しようとせず、僚属がともに求めても、答えなかった。白昼、政務を執っていると、霹靂一声、煙霧は暗く、咫尺も見られず、小さな穴が柙と(ふろしき)をすべて貫き、開いて見ると、印はすでになくなっていた。李はなすすべを知らず、さがし求めて十日、得るものはなかった。人々は雲がなくて雷があったのは、きっと神物が招いたことだと思い、龍が怒ったのだと悟り、つとめていって祈ることを求めた。李はやむをえず、その廟にゆき、香を焚いて懇願し、さらに不敏を謝した。拝跪していると、雷神が帳の中から出てき、ただちに印柙のところにいって絶えた。すぐに柙を開くと、印は元通りあったので、李はそれから侮ろうとしなかった。

 

潁昌[85]の韓元英は、字を勤甫といい、晩年、金国に仕えて汴洛輦運使[86]となったが、もともと岳帝[87]に仕えてたいへん恭しくしていたので、岳帝がかれの家に降臨するにいたった。来ようとする時、盛大に一室を設け、香を焚いてうやうやしく立って待った。まもなく、肅然として来、ある時は人と言葉を交わした。一年後、神が来臨しようとしなくなると、ある人が、都廂官[88]辛君に告げて言った。「韓運使は死にましょう。」そのわけを尋ねると、神が棄てたのですから、死なないでどうしますと言った。韓はもともと辛と親しかったので、そのことを告げると、心配し、いそいで信頼しているしもべに香を持って岱岳にいって祈って謝させ、言った。「聖帝[89]は頭炉香[90]だけを受け、夜明け前に廟を開けるたびに廟令[91]が供える[92]ものがそれだ。かれの後に従えれば、神はかならずよろこんで答えるが、すこしでも遅れれば、暴風に乗って山に登り、さらに求めても、もはや聞かない。あなたは一日前の夜に廟吏に賂し、宿に入り、朝を待って祈るべきだ。さもなければ、かならずわたしの事を誤ろう。」しもべは戒めを受けて去った。廟に入ると、通天鼓[93]架の下で憩い、ながく歩いて疲れていたので、おもわず熟睡した。目ざめると、正門はすでに開き、羽儀騎従が赫奕としてたいへん盛んで、はじめは疑って廟令が帰ってきただけだと思い[94]、普段はこのようではないがと思った。その後、聖帝が輿に乗って出てき、すぐに東廟採訪殿[95]にいったが、韓君は(かせ)を担いで後ろをゆき、しもべを顧みて東にいった。しもべは間に合わないことを知りながらも、なお香を焚いた。それがおわると、帰って復命し、ご命の通りにいたしましたと嘘をついたが、韓は責めて言った。「おまえは鼓の下に伏しており、わたしはほんとうにおまえを見た。どうして嘘をついてわたしを欺けようか。」それからわずか一月あまりで亡くなった。辛幼安が語った。

 

南城[96]の楊氏は、たいへん富んでいた。長子は不肖で、父に追いだされ、寒空でゆくところがなかったので、牛用の藁を貯える建物の中に入り、草を敷いて寝た。月が明るくひとり寝ないでいると、突然一頭の虎が跳ねて来た、従っている数鬼は、すべて倀[97]で、ただちに屋所に赴き、草を取って躍り戯れ、子は喘ごうとしなかった。まもなく黒雲勁風で、咫尺も暗闇となり、虎は追われるように、倉惶と走り、人々もまもなく散じた。その後、神人が号令し、土地神[98]を呼ぶように命じると、老叟が出てきて拝礼した。神人は責めて言った。「おまえは長年楊氏の祭祀を受けているのに、虎を放って乱暴させ、坊ちゃまは食らわれそうになり、わたしはわざわざ神兵を出して追いはらわねばならなくなった。おまえは不職であったといえる。わたしはかれの家の竈君司命(かまどがみ)だが、おまえは知っているか。」土地は謝罪して退いた。翌日起きて見ると、外に虎の足跡があり、草はすべて散じて地に抛たれていた。後にその父は怒りを解き、子は帰られ、くわしく語ったので、それからますます慎んで竈に仕えた。

 

宋の寧宗の時、新淦県[99]で雷が物を撃ったが、婦に触れ、上昇できなくなった。時に鄒巫は解呪を誦えられ、神が求めて言った。「解穢呪を千遍誦えられれば、報いることがあろう。」鄒は千遍誦え、神は鞭と印おのおの一つを授け、言った。「晴を祈る時はただしく印を用い、雨乞いする時はさかさまに印を用いる[100]。鞭を用いて空を画し、雨は画したところにとどまる。」神は突然見えなくなり、雷は天に登った。鄒は平生鴨を食らうことを好み、かつてその娘を訪ねると、娘はとどめて鴨を殺して黍にした。時に娘は菱を庭で晒していたが、天に雨の気配[101]があったので、娘が取り込んだ後に食事しようとしたところ、雨が菱を損なうはずがないと言った[102]。まもなく大雨となったので、鄒が空に向かって四方を画すると、庭にだけ雨が降らなかった。それから遠近の人が招いて祈らせ、法術の通りに印を用いると、みなすぐに験があった。年が九十余で亡くなると、鞭と印もなくなった。今、郷里の人は玉笥山[103]承天宮[104]前の廟に祭り、ただ鄒公と呼んでいる。

 

蜀人の崔福子は、福建に寓居し、三代仕官し、父は仕えて太守に到り、福子は恩蔭によって承務郎[105]になった。某所で幹官[106]となったが、遊蕩して慎まず、もっとも賭博を好んでいた。嘉熙[107]年間、父は怒ってかれを追いだしたので、里中の廟に宿っていた。真夜中に寝ないでいると、知らせを聞いた。「梓潼帝君[108]が来た。」廟神は出てくると、帝君を迎えて中に坐させたが、会話は、まったく分からなかった。しばらくすると、あるひとが言った。「どうして生きているもののにおいがする。」廟神は言った。「村人の崔某でございます。」帝君は「おう。」と言った[109]。福子は功名の事を知ろうとし、前にいって跪拝した。「帝君さまは人の世の功名のことを掌り、わたしは三代仕官し、すべて監司[110]郡守で、わたしの功名の到達点はいかがでしょうか。」帝君は言った。「おまえの家は富貴だが、すべておまえの高祖父が一人で積んだもので、曽祖父以下三代は、鈞軸[111]を執るべきだ。すでに富貴となったが、いずれも驕淫貪暴であったので、もはや顕達しない。おまえも一回任官できるにすぎない。」福子は言った。「わたしの二子はいかがでしょうか。」帝君は言った。「長子は州となれ、次は漕となれるが[112]、いずれも四十年後のことだ。」福子が喜ぶと、廟神は言った。「おまえはどうしてこちらに来た。」福子が事情を告げると、神は言った。「おまえの父親はおまえを追いだしたが、母親はおまえを思っているから、いそいで帰り、母親を心配させるな。」福子は廟を出、四顧すれば寂然として見えるものはなく、帰ると、その母は号泣し、燭を執ってあまねく探していた。三年後、福子は死に、神が「一回任官できるにすぎない。」と言っていたのは、三年であったことを悟った[113]。至元に江南が帰順した時[114]、長子は兵乱に遭い、三刀で殺されたが、そもそも三刀は『州』の字で、次子が曹水で溺れたのは、『漕』の字なのであった。

 

宋の欽宗は源昌州[115]にゆき、城外の寺に泊まったが、殿中に仏像はまったくなく、石刻の二人の胡婦[116]があるばかりで、鬼火は飛び交い、散じてまた合わさっていた。突然、男が酒と食物を持って現れ、言うには、この寺には神がいてもっとも霊妙だ、一晩前に夢で「明晩、天羅王[117]が、青袍を着、南方からこちらに来て宿るので、こちらにきてお待ちしているのだ。」とお告げしたとのことであった。帝が飲みおわると、男はまた帝を引いて山に入ったが、そこには草葺の家三間があった。その門に入ると、人の挨拶する声がしたが、三十余人のようで、人々はみな驚き訝った。神像を見るとやはり石刻の婦人で、将軍のありさまのようで、手に鉄剣を執り、侍者はいずれも婦人であった。帝が門を出ると、さらに前のように挨拶する声がしたが、尋ねれば契丹天皇侍女神寺[118]といったので、帝ははじめてその前身が天羅王であったことを悟った。

 

宋の二帝が北狩[119]し、ある寺にゆくと、二つの石に金剛が刻まれており、ともに拱手して立っていた。門に入ると、一人の胡僧がその中に出入りしており、神像はたいへん高く、頭は桁と棟に触れており、ほかに祭器はなく、ただ石盂[120]と香炉があるばかりであった。僧は揖して坐し、尋ねた。「どこからきた。」帝が南から来たと答えると、僧は童子を呼んで茶を沸かさせ、茶の味はたいへん香わしく旨かった。ふたたび茶を飲もうとすると、僧と童子は堂の裏に走ってゆき、しばらくしても出てこず、探すと、寂然たる空家で、竹林の中に小部屋があり、中に胡僧が刻まれ、二童子が侍しており、見ると、さながら茶を献じたもののようであった。

 

隴西[121]の李沈は、その父が朱[122]の恩を受けたことがあり、賊が平らぐと処罰されたが、沈は逃れて免れられた。すぐに赦免に遇い、家産と童僕すべて洛北の恵林寺[123]に施して日を過ごし、書を読んで琴を弾き、しばらく日を過ごした。今、荊南相公[124]である清河[125]の崔公群[126]は、進士に合格していたが、いずれも門人の礼を執り、まさにかれがともに遊ぶものであることは、言うを待たず、つねに処士李擢と刎頸の交わりをなしていた。元和[127]十三年秋、擢は沈に言った。「わたしは故あって、宋[128]にゆこうとしています。帰る日は予測できませんが、貴兄は舟を浮かべて送れますか。」沈はかれが去ることを聞くと、離思[129]は浩然とし、舟に乗り、はじめはある道程を約したが、その道程が尽きれば、言った。「貴兄の情はどうしてここで尽きましょう。」さらにゆくとさらに言い、感ずることがあって結局別れられず、そのまま睢陽[130]に到った。その晩、擢は舟人に謝して去ろうとし、沈と汴堤[131]の月光の中に坐し、おもむろに言った。「ほんとうにひさしく思っていただきましたが[132]、貴兄は(わたし)が誰なのかご存知ですか。」沈は言った。「博学の士だ。」擢は言った。「いいえ、(わたし)は冥官で、近年、洛州[133]都督となりましたので、洛州にしばらくおり、陰道[134]の公務は、昼は任務がございませんので、貴兄とともに遊べたのでございます。今回、(あのよ)を去って(このよ)に遷ることとなり、親に孕まれてすでに五年になります。歩きながら貴兄をお誘いしたのは、託する思いがあるからです。」沈は言った。「どういうことだ。」「(わたし)のこの身は、学芸は並ぶものがなく[135]、この身を捨て、前世の仕事[136]を完うすることだけを考えており[137]、貴兄が醒ましてくださることを祈ります。しかし(わたし)は孕まれて五年、親の腹に寓しています。その家は不吉と思い、神仏への祈祷は、すべて行いましたが、(わたし)はなおゆかず、神はもとよりどうすることもできません。貴兄がその家にゆき、『産』の字を朱書し、見させれば(わたし)はすぐに生まれましょう。かならず貴兄に白絹を奉じ[138]、貴兄はこの娘を得ましょう[139]。後に(わたし)が三歳になりました時、またきて見るべきで、さらに『ご主人はお孫さんがひさしく産まれませんでしたが、わたしが朱字を呑ませますと、優れて聡い子を生み、今では三年になります。泊まって占おうと思いますので、また来ました。』と言うのです。子を持って抱いて臥し、夜が深けましたら、掌人[140]が戸を閉ざすのを伺い、すぐに静かなところで抱き、呼んで言うのです。『李擢、わたしを憶えているか。』子は泣くはずで、泣いたらすぐにびんたすれば、(わたし)はかならず徹悟[141]しましょう。貴兄が(わたし)に洛中の住所及び遊宴の地を仰れば、(わたし)は大悟するはずです。悟った後、今生の仕事にはやり残しはなく、この時かならずすっきりとして帰ります[142](わたし)は後に栄達しますが、貴兄はふたたび閑適を得ることはできません。貴兄は名声が盛んで、まもなく大諌[143]を拝命するはずですが、けっして赴いてはなりません。赴けば短命なはずです。この郡の北二十里に胡村があり、村の前に車門[144]があり、まさに(わたし)の住居でございます。」そう言うと、泣いて拝して去った。夜明け、沈が杖をついて訪ねると、ほんとうに胡家があり、門を叩いて休憩を求めると、掌人翁は年が八十余で、杖に倚って招きいれた。坐らせると、憂色があるようであったので、沈が尋ねると、翁は言った。「新婦は孕んで五年、計は窮まり、術は尽きましたが、すこしの(きざし)もございません。」沈はそこで言った。「(わたし)は道門[145]に心を留め、たいへん呪術をよくしますので、生まれないわけは、みればすぐに分かります。」にわかに左右のものに命じて新婦を招いて来させると、沈は新婦の臂を診て言った。「男で、たいへん聡明で、非凡の才がございますので、通常の月数に拘ることはございません。」そこですぐに所の帷帳牀榻を調えさせ、沈は筆を執って香を焚くかのようにし[146]、朱で『産』の字を書き、呑ませ、口に入ると男子が生まれた。翁はたいへん喜び、絹を三十匹奉った。沈は受けとると、言った。「この子は優れています。三歳になったらまた来、人相を見てあげましょう。」そう言うと去った。期日になるとふたたびゆき、言った。「前に生まれた子は、今三歳になりました。一晩いただき、観察することを願います。」掌人は喜んで承知した。沈は夜に人が静まるのを伺い、抱いて遠いところにゆき、呼んだ。「李擢よ、今わたしのことが分かるか。」子が驚いて泣くと、沈はびんたし、言った。「李擢よ、どうしてわたしを見ても思い出さない。」さらにびんたすると、子はますます泣いた。子を三四回びんたして尋ねると、子は突然言った。「十六兄[147]はほんとうにこちらに来られたのですか。」沈が洛中のことを語ってやると、大いに笑ったが、話すさまは以前のようで、「(わたし)はすっかり悟りました。」と言ったので、抱いて宿に帰った。翌朝になると、その掌人に告げて言った。「この子には重禄[148]があり、家を興す貴人ですから、守るべきです。」胡氏は喜び、さらに絹を五十匹贈ったので、取って別れた。そして「すっきりとして」という言葉を思いだした。そもそも三才[149]五星[150]によってその成数[151]を隠していたのである[152]。沈は禄を食んで[153]誅せられ、食まないで免れたのは、(さだめ)ではないか。禄位を貪ってその使命を悟らないものを戒めるに足りる。

 

京兆の韋安道が朝に外出し、慈恵里[154]にゆくと、武器を持った兵士がいた。帝王の衛兵のようで、飛傘[155]は玲瓏[156]とし、垂らしているのは玉女[157]の飾りのようであった。後騎[158]の官監[159]が、里の西門を指して言った。「公はこちらから去れば、お分かりになるはずでございます。」安道が言われた通りに戸を叩くと、朱衣の吏が出てきて言った。「后土夫人がながいこと待っている。」大きな城に引いていったが、城の西は河と汾水で、その北に大門があり、衛兵はともに並んで殿中に立っていた。かすかに環珮[160]の音がし、官監は讃えて言った。「夫人は公と冥数[161]では結婚することになっています。」引き入れて向かい合って坐し、まもなく食事を進め、楽人が双合鳳[162]の曲を奏で、そこで儐相[163]が安道を引いて帳に入り、合巹[164]結婚したが、夫人はなお処女であった。翌日、夫人が入ってき、舅姑に会うことを願った。安道の両親はそれを見て驚き、舎人[165]が安道に命じて言葉を述べて去ることを求めさせると、夫人は言った。「舅姑の命とあれば、従わないわけにはまいりません。」翌日、夫人は法服[166]を着、大殿に住み、天下の国王をすべて召して来させたが、最後の一人は大羅天女[167]といい、見ると、天后[168]であった。夫人は天后に向かって語り、安道に銭五百万、五品官を与えるように願って帰った。

 

賈知微は舟を洞庭に寓し、懐古詩を吟じて言った。「目を煙波に極むればこれ九嶷、吟魂[169]憂へてみる暮鴻の飛ぶを。二妃[170]恨みあり君知るや否や。なにごとぞ旬を経て去りて帰らざる。」岳陽につくと、詩を賦して言った。「湖平らかにして天(くさ)をして雲のごとくせしめ、たまたま泊す巴陵[171]の旧水浜。惜しむべし仙娥[172](やや)用意[173]するを、張頎[174]これ有才の人にあらず。」まもなく蓮舟で数人の女郎が、瑟を鼓して下り、生はそれを目送した。舟は西岸に達したが、そこはまさに曽城[175]夫人京兆君の宅であった。生が堂に赴くと、宴と食事が調えられ、三人の女郎がおり、一人は曽城夫人と称し、一人は湘君夫人と称し、一人は湘夫人と称し、酒をつぐとおのおの詩を吟ずることを求めた。生は言った。「たまたま扁舟に棹さして渺茫[176](うか)び、期せず幸ありて仙郷を()むを。玉堂ひさしく照り星辰集まり、雪扇[177]双つながらに開きて日月長し。あにただに恩憐[178]ありて上客[179]となるのみならんや、また歓笑を容れて中堂に宴す。預愁[180]明発[181]分かれ飛びて去り、衣上人聞く異香あるを。」湘君は言った。「南のかた蒼梧[182]を臨みて玉容[183](かな)しく、九嶷[184]の山色たがひに重重たり。すべからく知るべし暮雨朝雲[185]のところ、ひとり陽台十二峰[186]のみにあらざるを。」湘夫人は言った。「(よる)蓮歌[187]を歌ひて洞庭に入り、蓮を採り人(つら)なりて青蘋[188]()く。長歌一棹むなしく帰り去り、蓮花を把りて主人に譲る莫かれ。」京兆君は言った。「征鴻[189]を一解して蓼汀[190](くだ)り、便(すなは)ち仙御[191]に従ひて曽城に()す。傷心す遠く張生に別れて去り、翻つて人間(じんかん)薄倖の名を得るを。」詩がおわると、二湘夫人は別れて去り、京兆君は生を迎えて宿にとどまらせた。翌日秋羅[192]帕で定年丹[193]を五十粒包んで生に送り、生は受けると、詩を吟じて謝して言った。「丹はこれ曽城の定年薬、帕は織女の秋雲羅[194]なり。勤拳[195]致して贈る東行の客、以て相思して恩愛の多きを表す。」拝して別れて去り、岸を百歩離れ、振り帰ると夫人の宅はすでに消えていた。

 

韋子卿は孝廉に挙げられ、華陰廟[196]にいった。飲んで酣となり、三女院[197]に遊び、その麗しいのを見ると、言った。「わたしは及第して帰れば、三娘子を娶って妻としよう。」その春に及第し、帰る時に渭北[198]に宿ると、一人の黄衣の人が言った。「大王さまから遣わされてきました[199]。」子卿は愕然とした。まもなく車馬を見たが、幢幢[200]として美麗で、夫人は金章紫綬[201]、応対がおわると、日を選んで婚礼した。二十日後、韋は言った。「帰ってよいぞ[202]。」妻は言った。「わたしは神女で、もとよりあなたの連れあいではございません。あなたが宋州[203]にゆかれれば、刺史は娘を嫁がせてあなたのつれあいにしようとしますから、娶りなさい。わたしのことは漏らしてはなりません。事が露顕しますと双方に益がございません。」子卿は宋州にゆき、刺史はほんとうにかれに縁談を持ちかけたので、娶った。神女はつねに子卿に尋ねて言った。「あらたに美人を得られましたが、新しいものを得て古いものを忘れてはなりません。」後に刺史の娘は病に罹り、治療は効果がなかった。道士がいて符禁に精通しており、韋郎は身に妖気があり、この娘の病は、韋から得たものだといった。符で子卿を捕らえ、取り調べると、くわしく顛末を述べた。道士は黒符[204]を飛ばして神女を捕らえて言った。「おまえに罪はないが、神鬼でありながら、生路[205]に通じたので、懲らしめる[206]。」五回杖うちした。一ヵ月後、刺史の娘が亡くなると、子卿は突然神女を見て言った。「おまえに漏らさないように頼んだのは、禍が及ぶのを恐れたからだが、今ほんとうに言った通りになった。」神女は左右に怒鳴って言った。「秘術を施さないで、何をぐずぐずしている。」従者は子卿を引いて鞭うち、その夜、亡くなった。

 

最終更新日:201524

異聞総録

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[1]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicA4ZdicA733361.htm&sa=U&ei=jbNKUPLeDYjbmAXj3IHYAQ&ved=0CB4QFjAA&usg=AFQjCNHTjZmA8vnXTbw9ZeM3nVqXJNcZqg国子祭酒

[2]道観の名。『宋史』にも幾つか見える。『宋史』徽宗本紀・政和六年「夏四月乙丑、會道士于上清寶籙宮。」「上清寶籙宮」の互動百科検索結果

[3]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE9ZdicBBZdic84316658.htm&sa=U&ei=77NKUPqMM8ucmQXXl4DQAw&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNFyluWG14rDUw3F5rMsXDBAjnJGIQ黄籙

http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE9ZdicBBZdic84293929.htm&sa=U&ei=yE9LUO-4MqufmQWf9YCICg&ved=0CB4QFjAB&usg=AFQjCNGg1pbkefLNPlpZ2RPjQm8DCqkwvQ道家の潔斎法の一つ。

[4]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicB8ZdicAD304406.htm&sa=U&ei=_Zk1UL3IJK_nmAWuuIDAAw&ved=0CBgQFjAA&usg=AFQjCNE0exzjtzPyjQjMYiW99ybNC3DIQg宦官。

[5]未詳だが、黒い裏地であろう。

[6]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicB8Zdic95102281.htm&sa=U&ei=PLRKULarMsKHmQX8g4H4DA&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNGZwhGoljNn5NnVkOCq28gakJCNEw男子が束する巾。

[7]原文「汝酒不祭我」。未詳。とりあえずこう訳す。

[8]原文「劉專往謁主人」。」が未詳。とりあえずこう訳す。

[9]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/26859.htm&sa=U&ei=eLRKUPrqB6LmmAX4o4DYBQ&ved=0CCQQFjAB&usg=AFQjCNE5-v34CcEwjVFUt3ev55BE2BxJ7Q

[10]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/3463.htm&sa=U&ei=jrRKUILiO6zNmgWH9oHYAg&ved=0CB0QFjAA&usg=AFQjCNEIEv1ClDPEZtGOneL9Ai20W1jxLw

[11]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/76831.htm&sa=U&ei=hVBLUJDeJq73mAXix4CgDw&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNF4Jg23sIFEmFSustnALHQ1kTFaaw

[12]主語は「岡のある村民」。

[13]朱先生、妻、妾。

[14]原文「民逐之不已」。前後の文脈と合わない気がするが未詳。とりあえずこう訳す。「まもなく棄てて去り」と「民は追いはらってやまなかった」が逆ではないか。

[15]原文同じ。宿泊先のことであろう。

[16]http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicBCZdic93137564.htm地方の巡捕の責めを負う兵士。巡司に属する。

[17]http://baike.baidu.com/view/1232432.htm

[18]未詳

[19]恵州の僉判であったということ。僉判は簽書判官公事の称。宋代各州の幕、州の官を助けて政および文理した。

[20]前注参照

[21]原文同じ。「万」が姓、後ろに「」と出てくるので、これが字で、「」は諱と思われる。

[22]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/705620.htm&sa=U&ei=O89KUPegKbHKmAXeqoHICQ&ved=0CB0QFjAA&usg=AFQjCNFH9dij7mvXwgAMtVbTJDNOGlAgOw

[23]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/589267.htm&sa=U&ei=EMdKUI6WEO-gmQWc9oBo&ved=0CB0QFjAA&usg=AFQjCNF_iZx3xEpGs5barmLCjoBcmFQsTw

[24]原文「考攝」。まったく未詳。とりあえずこう訳す。

[25]原文「尤以為念」。「以為念」が未詳。とりあえずこう訳す。

[26]原文「中謂女星運殃厄、或當退舎。」。「星運殃厄」が未詳。とりあえずこう訳す。

[27]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE7Zdic93ZdicA6327948.htm&sa=U&ei=7i1MUJ37DYqhmQWb0ICQBA&ved=0CCYQFjAC&usg=AFQjCNEMMfeOIkR44CKGOreN77hy2rS-Pw陶製の容器。

[28]原文「物則穢溺也」。穢溺」が未詳。とりあえずこう訳す。

[29]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7ZdicACZdicBA157151.htm&sa=U&ei=FTI0UN6VMon0mAWc84CYBw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHEuCexn2oNFtH-iNGwgtdxMZKOAQ

[30]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5ZdicAFZdicBF32103.htm&sa=U&ei=LzI0UJfeKu_vmAWzvoGICg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNH3ZpibTGFp9yTdHQpqdSFYkceMFQ祝寿の酒。

[31]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE5Zdic83Zdic9A96807.htm&sa=U&ei=gMhKUK2lJaGKmQWZrICwCA&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNH6ZdL2NxvNOj4DJNNMXibATlGKgg属官。

[32]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE6ZdicB0Zdic91156409.htm&sa=U&ei=v681UMiPN6rOmgWf_YGwBg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHe8wEfA1lybCdYOwhwCnX0oSveBQ州、等の地方。また地方官を指す。

[33]原文「欲上章丐辭官歸筠」。「歸筠」がまったく未詳。とりあえずこう訳す。

[34]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/47330.htm&sa=U&ei=M8lKUO7nKumgmQWW5oHwCA&ved=0CB4QFjAC&usg=AFQjCNGFrW9jrWmcvn__yfSgvMqJq6krVg官名

[35]原文「後十餘日轉運使林中劾疏下」。劾疏下」が未詳。「劾疏」は弾劾状であろうが、それが「下」というのがよく分からない。「上」の誤字か。とりあえずこう訳す。

[36]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/9019.htm&sa=U&ei=prA1UJ3LGevnmAWfrIAQ&ved=0CC4QFjAD&usg=AFQjCNF5TvFttk9yDdn7zLtTEAOj760ofg

[37]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic8FZdicB8110881.htm&sa=U&ei=4LA1UJOnMIfMmgXxvoHYBg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNEFSj9P8nrK_R_rIWiqOwlHIRK0tQ官名。

[38]http://baike.baidu.com/view/37726.htm

[39]邵武の恵応廟ではないが、『西湖遊覽志』巻十二に「恵應廟、俗呼皮塲廟、相傳有神張森、相州湯隂人、縣故有皮塲鎮、萃河北皮鞹、蒸潰産蝎、螫人輙死。神時為塲庫吏、素謹、事神農氏、禱神殺蝎、鎮民徳之、遂立祠、凡疹疾瘡瘍、有禱輙應。」とある。張森という人物を祀った廟らしい。また『夢粱』卷十四・東都隨朝祠には「惠應廟、即東都皮場廟、自南渡時、有直廟人商立者、攜其神象隨朝至杭、遂於山至コ觀右立祖廟、又於萬松嶺侍郎橋巷元貞橋立行祠者三。按《會要》云、神在東京顯仁坊、名曰皮場土地祠。政和年間賜廟額、封王爵。中興、隨朝到杭、累加號曰明靈昭惠慈佑王、神妃封曰靈婉嘉コ夫人、靈淑嘉靖夫人。按廟刻云、其神乃古神農、於三皇時都曲阜、世人食腥膻者、率致物故、因集天下孝義勇烈之士二十四人、分十二分野、播種采藥、至今於世極有神功、兩廡奉二十四仙醫使者是也。自漢、唐至今、殲寇助順、具有聖跡、不可殫紀。」とある。

[40]恵応廟の神が「祐民公」に封ぜられたということは未詳。

[41]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1101908.htm&sa=U&ei=hP1LUM_7NO6OmQWLz4HACg&ved=0CBgQFjAA&usg=AFQjCNHISVDCAwSJFAPP7cJs7M4BKS-BQA

[42]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/600618.htm&sa=U&ei=lP1LULuAIuWDmQXD6YCIDA&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNEZkus0X-WIx3k1u5oYg_UesDbz2Q

[43]地名とも思われるが未詳。

[44]原文同じ。まったく未詳。衝立のようになった白雲か。

[45]原文「汝得此詞否」。未詳。とりあえずこう訳す。

[46]楽曲名。グーグル検索結果

[47]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic8DZdicA0303857.htm&sa=U&ei=PWw4UK6yCcaciQfC3IGYBw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHn7LEiBXxSfALyWrDbFS2CTszxRA全部占有すること。

[48]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE7Zdic94ZdicBB182175.htm&sa=U&ei=Qj1MUJG_OqXLmgWXkIDIBw&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNGf7NnD_8glLUQz3A7yQpqnXjkVHg絵ののある屋檐。

[49]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE5Zdic8FZdicA057287.htm&sa=U&ei=IUdMUIu1AuGgmQXN_4GwAw&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNEKssmi2Y_1FluO0BXBh3UP6pj5XAたたなわる色。たたなわる山色。

[50]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic9BZdic9E294849.htm巡り曲折すること。

[51]http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE8Zdic8AZdicB1202063.htm花の色彩。

[52]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5Zdic8DZdic8712967.htm&sa=U&ei=aUdMUIjSC8bumAXM6YG4BA&ved=0CB0QFjAA&usg=AFQjCNG_ak_KwH8QVqX9cwlzCGli48__gg太平。

[53]未詳。荒れ果てた城塁か。グーグル検索結果。鄭愔『塞外』の用例もそのようである。

[54]http://www.google.co.jp/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE9ZdicA6Zdic99302162.htm&sa=U&ei=V0pMUMbGC6rOmgWi_4GwBg&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNHV0Di-bxsYQmukoxkexLOXFe9BLw神仏にする祭祀。

[55]未詳だが、怪しい幽鬼であろう。

[56]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicBAZdic91258809.htm&sa=U&ei=lzQ0ULDCE8bumAW0goHYCg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNEu1EpKmYKubjeNeeLxF92mwdQXpw雲。

[57]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic93Zdic9C228181.htm「瓜州」とも。名。ある邗江南部。

[58]原文「君明日祿盡馬」。「祿盡馬禄馬きること

http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7ZdicA6Zdic84184591.htm禄馬禄命。相術语。人生食禄命運。

[59]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE9ZdicA9ZdicAD337818.htm車馬する役吏。

[60]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE6ZdicAEZdic9C307957.htm&sa=U&ei=abM1UMCRIs_kmAWgj4HQBw&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNHJdM2H_AbnD6Vx8oobk6fdyYbYlw気息微弱のさま。

[61]これは郷里に柩を帰らせたのであろう。

[62]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/16/ZdicE8ZdicB9Zdic8057293.htm&sa=U&ei=UTc0UJe8IMfRmAXq0oCIBw&ved=0CCMQFjAC&usg=AFQjCNHU3LVBoW7VyIdG-nj5_69MBxTbJw走りすること。

[63]掠剩鬼のことであろう。http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6Zdic8EZdicA0151327.htm人の收入は皆前もって定められており、それを越えると司に奪われる。司でその事を掌る者「掠剩使」といい、「掠剩鬼」とも称する。

[64]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/62462.htm&sa=U&ei=Gs1KULrEG_DymAWroID4AQ&ved=0CCkQFjAB&usg=AFQjCNFSto3-GG7rLZqWhmqKNmGsmFv4Dg

[65]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7ZdicA6Zdic85176570.htm&sa=U&ei=G7Q1UKuqE6yimQXa_IC4AQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNFU-sEDMxIkfXVE0tIv6gyAYq-9IA禅牀。

[66]原文「請殿院看雪」。「殿院」に関して、漢典は御史台の下部機関と説くが、太守の陳伯修にむかってなぜこのように呼びかけるのかが未詳

[67]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE5ZdicBAZdicB6216109.htm&sa=U&ei=HTg0UOHhLq3MmgXO1oHgDQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGSGKgYaLrJKzE1RMtMZC0uNixLuQ一般の官吏。

[68]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE6Zdic9CZdicB1127159.htm&sa=U&ei=WIk5UMK3IKjAiQfGwIDQBw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNF_fkfxeq2sjX6qCcmTzmECulrWCQ戚、大臣が外出する時の先導の吏、朱衣を着ける。

[69]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E8%25B5%2584%25E5%25B7%259E&sa=U&ei=dQdEUISlNsznmAW0mYGYAw&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNGKAsOPy_w4k2_Qe9QwaspcEHYuWg

[70]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/23935.htm&sa=U&ei=3s1KUIb7CqaImQWjsoGQBw&ved=0CB0QFjAA&usg=AFQjCNFaoknmfWhIuJ8ufiNmvMr_0yaiwQ

[71]未詳だが、典獄に同じいであろう。

[72]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic80Zdic9A46741.htm&sa=U&ei=Kpg9UPizGqzJmQWknoDIDw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHBHVoLJIHsrNn3dLZ9Baj4uGPg_A下役。おそらく案内係であろう。

[73]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE9ZdicA6Zdic86281113.htm&sa=U&ei=2zk0UMroB6mLmQWLxIDQCA&ved=0CB4QFjAB&usg=AFQjCNGl8QLFxHNYIv8Pk1EBRPQoJw-WTw客、幕

[74]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic98Zdic8E67538.htm&sa=U&ei=i5g9UNeNMZHimAXovoCIDA&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGbg4gBN6L4hHC1QU9ZNclg0UK5fA令。

[75]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5Zdic9CZdic9F319885.htm&sa=U&ei=rpg9UL7IEaKKmQWopYCICg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHEEZLhVIeWK8HuItcoGyL1ERpi8A土地神。

[76]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE6Zdic98ZdicA585982.htm&sa=U&ei=AmtBUKKzBc_ymAWqqIHADw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNE8kmc4AWGhKox7jLgWgmSosTQpsg春季に着る衣服。正史の用例『金史』兵志・養兵法「凡射糧軍揮使及、沁埽兵揮使、錢粟七貫石、絹六疋、軍使錢粟六貫石、絹同上、什將錢二貫、粟三石、春衣錢五貫、秋衣錢十貫。承局押官錢一貫五百文、粟二石、春衣錢五貫、秋衣錢七貫。牢城并土兵錢八百文、粟二石、春衣錢四貫、秋衣錢六貫。邊鋪軍請給與射糧軍同。」兵士に支給される春用衣服代のようである。

[77]原文同じ。「坑冶」は金属採掘と精錬。またひろく埋蔵されている鉱物をさす。鉱山に関連する役職名のように思われるが未詳。

[78]未詳。石守信の廟か。謚が武烈。ただ、そのようなものがあるのか未詳。

[79]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE8Zdic83ZdicA1158613.htm&sa=U&ei=Z0w3UObvO4vBiQeK34DADg&ved=0CB0QFjAB&usg=AFQjCNHSGYjUwe2NLiWruIQP6HMpWnAVtA「胡牀」とも。折りたたみできる便な坐具。交牀とも称する。画像検索結果

[80]原文同じ。太原府のあやまりか。

[81]原文同じ。まったく未詳。

[82]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicBAZdic99123396.htm&sa=U&ei=rLo1UL7hI4bjmAW624CgDA&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGPVGsQXEj-rI4-CfHMZOFeIDo3LA宇および神像。

[83]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicBAZdic9C122813.htm&sa=U&ei=yro1UJH3O5DQmAW3poDABA&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNH-6kHS2fhRX6dXjMyykC-1ZSdiLQ漢典に適当な語釈なし。府知事のことであろう。

[84]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E6%2594%25BF%25E5%2592%258C_(%25E5%258C%2597%25E5%25AE%258B)&sa=U&ei=UNlKUPrQNM6ZmQXykoHYDA&ved=0CBkQFjAA&usg=AFQjCNHMNsoInX3PwK_JvKXfTqKCRjsFKQ

[85]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E9%25A2%258D%25E6%2598%258C%25E5%25BA%259C&sa=U&ei=PldLUIbUO6fZigfZooCADA&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNEXKfoofDdmoPpssjCo1XhJnbzihQ

[86]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE8ZdicBEZdic8739295.htm&sa=U&ei=a9pKUMWYD86ZmQXykoHYDA&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNGPcq5hzGYMm7cfIlrjETJtlkf5OA官名

[87]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicB2ZdicB3118483.htm&sa=U&ei=o-xJUNLyG4_MmAWPx4HgCg&ved=0CBoQFjAC&usg=AFQjCNHPICKY1JWlKeGiCHmX4qYORvN49Q岳泰山の神、岳大帝の称。

[88]http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE5Zdic8EZdicA2123080.htm官名。宋自大中祥符以後、京城の外を区分して若干のとし、特に官を置き、簡易な裁判をおこなった。南宋も官をけた

[89]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic9CZdicA3230376.htm漢典に適当な語釈なし。ここでは東岳大帝のことであろう。

[90]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5ZdicA4ZdicB4272534.htm&sa=U&ei=Aa85UOPyNqmTiQe0x4GICQ&ved=0CCIQFjAB&usg=AFQjCNHBzhD3QbOV3Gd1Jk2nglF4AgiqQw早朝、神仏の像の前で意を表すために焼く一本目の香。

[91]未詳だが、廟祝であろう。

[92]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE8ZdicB0Zdic92256323.htm&sa=U&ei=Wrw1UJn0AqTMmAWfrIHwCg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHw0nOp6VEh3YCsxYW4_SUAQW0RCA祭奠。

[93]未詳だが、廟で、神にむかって鳴らす太鼓であろう。

[94]原文「初以為廟令歸騶耳」。歸騶」が未詳。とりあえずこう訳す。

[95]原文同じ。まったく未詳。

[96]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/140082.htm&sa=U&ei=g91KUJfzLOrOmAXgzoHABA&ved=0CCkQFjAB&usg=AFQjCNES2CSAk8xAauV43B7NI1qLV9vDNw

[97]http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE4ZdicBCZdicA5.htm虎に咬み殺された人がじた幽鬼虎を導いての人を咬ませる

[98]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5Zdic9CZdic9F105334.htm&sa=U&ei=sfdKUNuDJqr6mAXv04GIDQ&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNG8wXgJhbpT7SY-XYOP0JrSugQWSAある地方を掌管、守する神。画像検索結果

[99]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/5925819.htm&sa=U&ei=8_dKUPG5Gc6ZmQXykoHYDA&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNG36StC8nkgptXN8yglbC_XvIsRbQ

[100]原文「祈晴順用印、祈雨倒用印。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[101]原文「雨勢」。http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE9Zdic9BZdicA8262706.htm漢典に適当な語釈なし。訳文の意であろう。

[102]主語は鄒。

[103]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/70267.htm&sa=U&ei=KFtLUP6aJImeiAfc7ICAAw&ved=0CBgQFjAA&usg=AFQjCNG9q89_8eH1E-fUs_a0142qrxKxyw

[104]グーグル検索結果傒斯に『承天宮記』がある。

[105]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic89ZdicBF9134.htm&sa=U&ei=TflKUPiQGIr5mAWK6oDYCw&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNHbuf1RENtbBa7_wQbZfpGLY3QILQ官名

[106]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicB9ZdicB273246.htm&sa=U&ei=oTMyUO2sD4qhmQWctICwAw&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNHN0aYqWh_jSICbg74k4gOX26oJ7Aる官。

[107]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E5%2598%2589%25E7%2586%2599&sa=U&ei=k_lKULmnCYKImQWKpIBo&ved=0CDEQFjAH&usg=AFQjCNGCGhAyjUbHyOC3snSPFG816WWKqw

[108]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/74733.htm&sa=U&ei=q_lKUMzdKPHRmAXcvYGwCg&ved=0CCEQFjAD&usg=AFQjCNH3eq6x1UJPuka92wMi5UzB-dojUw

[109]原文「帝君曰啞。」。「啞」が未詳。とりあえずこう訳す。間投詞のようである。http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic93Zdic91.htm

[110]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7Zdic9BZdic91174171.htm&sa=U&ei=M2A3UOb0FOaZiAf-7YDwDQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNEcES1KLnEP6Vc17UfV7fxeRBXavQ察のう官吏。

[111]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE9Zdic92ZdicA7274611.htm国家の政大任。

[112]原文「長子可作州、次者可作漕」。「州」は知州、「漕」は漕司などの官職を連想させる。

[113]官吏の任期は三年。

[114]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5ZdicBDZdic9275034.htm南宋滅亡のこと。

[115]未詳

[116]未詳だが、(えびす)の婦人であろう。

[117]未詳。『大宋宣和遺事』貞集 にも見える。

[118]原文同じ。まったく未詳。

[119]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic8CZdic9799742.htm本来天子が北征することだが、ここでは宋の徽宗、が金に囚われて北方にゆくことを婉曲にいった言葉

[120]未詳だが、石製のであろう。

[121]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/323020.htm&sa=U&ei=bBZLUNK-L-jEmAWh1ID4Bw&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNGr6TfS-EqLak6IDPMrhpeqX2kRnA

[122]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/77658.htm&sa=U&ei=fRZLULypA6f0mAWEr4CICg&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNF2RLlJaOGonWl1K7_ZzXjHRxe9WQ唐代コ宗の叛将。

[123]グーグル検索結果韓愈に『洛北恵林寺題名』という文がある。

[124]『新唐書』崔羣伝「改華州刺史、宣歙池觀察使、進兵部尚書、出為荊南節度使、召拜吏部尚書。卒、年六十一、贈司空。

[125]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/71169.htm&sa=U&ei=TIBQUKq6FYqaiAfMuYCgDQ&ved=0CCEQFjAA&usg=AFQjCNGrFhO28r41fhgUo3FznSKcT8nugw 

[126]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E5%25B4%2594%25E7%25BE%25A4&sa=U&ei=bPtNUOK3J9GJmQXO0IDoAQ&ved=0CBkQFjAA&usg=AFQjCNEuq3JQfLhgvX4sfQF7BM05SjwDIA

[127]http://baike.baidu.com/view/623059.htm#sub5784402

[128]宋州のこと。後ろに出てくるに同じ。

[129]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7ZdicA6ZdicBB268003.htm&sa=U&ei=gco1UJKmOuzxmAXOpYCoAg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNFu6UseUOCWgtc8MNCjTyF3zyFdyA漢典は「離後の思」と説くが、離別の思いであろう。

[130]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/4828362.htm&sa=U&ei=311LUPX1H6ehiAf-ooDQAQ&ved=0CB4QFjAC&usg=AFQjCNHZf9CY8F1REtSGLJJfoEEnRobxtA

[131]未詳だが、汴河の堤であろう。

[132]原文「承念誠久」。未詳。とりあえずこう

[133]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1410061.htm&sa=U&ei=EaBOUNKaCuyVmQWru4DIDA&ved=0CCEQFjAA&usg=AFQjCNFCM3cmM2SRsp5xOc6NboGhqVohbg

[134]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE9Zdic98ZdicB4271169.htm&sa=U&ei=MMs1UMzMFObkmAXEu4D4DA&ved=0CB8QFjAA&usg=AFQjCNFKvMr_ey0nIMIupVeOZ70qk0YZWw漢典は「冥土の政法。」と説くが、ここでは「冥土」ぐらいの意味であろう。

[135]原文「藝難為匹」。未詳。とりあえずこう訳す。

[136]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE5Zdic89Zdic8D101937.htm&sa=U&ei=eV1MUJLOG4HEmQWNkIHYBg&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNE7Rg2327Q6mO9E2fjZBo8H18lo9A前の事。ここでは前世の仕事のことであろう。

[137]原文「惟慮一捨此身、都醉前業」。「醉」がまったく未詳。「卒」の字の誤りと解し、とりあえずこう訳す。

[138]主語は李擢が転生する家のもの。

[139]原文「兄得且女」。前後とのつながりがまったく未詳。脱文があるか。衍文か。とりあえずこう訳す。

[140]原文同じ。まったく未詳。執事のようなものか。とりあえずそう解す。

[141]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5ZdicBDZdicBB121492.htm&sa=U&ei=3cw1UIDHO8XkmAW9mICIBA&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNHcIfB_Zeixa_xL--n3loaLxusEHA世事を看破し、ることがあること

[142]原文「此時必醒素以歸。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[143]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicA4ZdicA733927.htm&sa=U&ei=dP5NUPvZHK6imQXH0IBw&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNGlMymNiEGKHwUoLqnQ-XMbulR_bg唐宋代、諌議大夫称。

[144]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE8ZdicBDZdicA638866.htm&sa=U&ei=VM01UNGiKaLhmAWViYCgAQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNFkWCf8AfMq5zaQ2L0v9MqqglJXMQ傍らの車馬の出入に供する

[145]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE9Zdic81Zdic9350844.htm&sa=U&ei=qs01UNvRE8nmmAXj1IDoCQ&ved=0CB0QFjAA&usg=AFQjCNF9i9vrBQmzFaMAZxZQ3I7d79aBBA道家あるいは道教。

[146]原文「沈執筆若祝香」。祝香」が未詳。とりあえずこう訳す。

[147]李沈への呼びかけと思われるが未詳。

[148]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE9Zdic87Zdic8D42609.htm&sa=U&ei=hDgyULigK8qemQXS_IGYBQ&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNEfnN9nWPiJ4Kzp9wGf6oeNCDKSag厚い俸給。

[149]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE4ZdicB8Zdic895602.htm&sa=U&ei=v0xDUK_cEMvomAXEqIGAAw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNE81BLila1SNOB424iV9z97x7FDRw天、地、人。

[150]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicBAZdic94328812.htm&sa=U&ei=LkBLUKn2A6T5mAXYjIGgDQ&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNEudEHpSl8Fkx0F0hpJMToOjYaSGQ水、木、金、火、土星

[151]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE6Zdic88Zdic90287723.htm整数。端数のない数。

[152]原文「蓋以三才五星隱其成數耳」。この文まったく未詳。とりあえずこう訳す。

[153]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE9ZdicA3Zdic9F326862.htm&sa=U&ei=FE1DUM2fHIHJmQXv0oGgBw&ved=0CB4QFjAB&usg=AFQjCNGibwK2qdaWVAYJSdFkcL_85SzF0g俸禄を享受すること。

[154]坊巷名と思われるが未詳。

[155]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE9ZdicA3Zdic9E77983.htm&sa=U&ei=y881ULpUz_eYBfnDgLAP&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNEQLIGFxG6Ff-T7INvqJhx8VLmW4Q高高とした覆い。

[156]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7Zdic8EZdicB2297414.htm&sa=U&ei=av05UPuLIq6yiQe6q4BI&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNHiNImWnRNvq3lzpo6x0D2_zkXEJA精巧なさま。

[157]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic8EZdic89331061.htm仙女。

[158]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic90Zdic8E120441.htm&sa=U&ei=b01DUKDTKKX0mAXw_IGoBA&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNG_eo57giaTRd1C3lwudAwlhuVySw後ろにしたがう騎兵

[159]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicAEZdic98124365.htm&sa=U&ei=fk1DUKaGNIXymAXipoDABA&ved=0CCMQFjAE&usg=AFQjCNEhqB2nRLCoOLuIw0pHgcslQJJewQ督のった官吏。

[160]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE7Zdic8EZdicAF143562.htm&sa=U&ei=vk1DUP_OEOucmQWGn4GYDQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNF8i-ATDFyU_A2kYyBGBj5OYYLWAA佩玉。

[161]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5Zdic86ZdicA535377.htm&sa=U&ei=hdA1UJaIEa3MmgX__oGwCw&ved=0CB4QFjAB&usg=AFQjCNE1_uFkLxyoKenSMVLepOwadK83hQ天が定めた気数あるいは命運。

[162]楽曲名と思われるが未詳。

[163]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE5Zdic82ZdicA764175.htm&sa=U&ei=YjkyUM6_NamDmQX-uoC4Cg&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNH1cP542qFJmVpVM36YZiQoODjKTw婚礼の際の儀式の進行役

[164]夫婦固めの杯を交わすこと。葉大兵主編『中国風俗辞典』百二十九頁参照。http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E5%90%88%E5%B7%B9

[165]ここにしか出てこない。どういう人物か未詳。

http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE8Zdic88Zdic8D312111.htm左右に近する官。

[166]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6ZdicB3Zdic952399.htm&sa=U&ei=7040UOa6H--KmQX-7oGIBw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGV1LyhZAnzvbPi8bgo-K673MfZxA礼法の定に従った、の異なる服

[167]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicA4ZdicA754932.htm&sa=U&ei=TklLULOXMaLmmAX4o4DYBQ&ved=0CB4QFjAB&usg=AFQjCNEG0UMPDslnyQvCs7Ot6OYc0a1YmA道教で称する三十六天の中で最も高い天。

[168]http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicA4ZdicA997455.htm道教の神名。

[169]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5Zdic90Zdic9F112683.htm&sa=U&ei=GJZMUNGZBMyamQXTioGIDA&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNEdg8CwhDw26tAdUNmmAXBii4VAiQ人の霊魂。

[170]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/2/ZdicE4ZdicBAZdic8C314922.htm&sa=U&ei=OZZMUMHSGpHwmAXJwoGwDg&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNHYnmY-RxPbZOsvvzUbfVHDG9tDbQ舜の妻娥皇と女英。死後湘水の神となった。

[171]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/126274.htm&sa=U&ei=doRQUIKwMNCUiQeNloC4CA&ved=0CCEQFjAA&usg=AFQjCNGJKLQNoumc9JZ-kJjib1B4VsVbCA 

[172]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE4ZdicBBZdic9918405.htm&sa=U&ei=joRQUJ6hCqqeiAeSioHoDw&ved=0CB0QFjAA&usg=AFQjCNGfcUBwcGbFFUS4m2Ssl6bUWYRCWg 仙女

[173]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE6Zdic88Zdic90287723.htm留意

[174]未詳。正史にも見えず。

[175]http://www.google.co.jp/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6Zdic9BZdicBE331559.htm&sa=U&ei=joVQUKisEO2SiAe9-4HICg&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNEgFpLtYCIMGc1ClWk_oAnbKMLgNw 伝説中の地名。またひろく仙指す。

[176]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6ZdicB8ZdicBA63387.htm漢典に適当な語釈なし。ここでは渺漫たる洞庭湖のことであろう。

[177]未詳だが、白い扇であろう。

[178]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6Zdic81ZdicA9168373.htm恩を加え憐れみを垂れること。

[179]http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE4ZdicB8Zdic8A15851.htm

[180]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9ZdicA2Zdic84280763.htm&sa=U&ei=MJtKUMCOFIeImQXA4ICoBA&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNFhImGafnYXRhx21yDGI9-_5MbSug愁の中にあること

[181]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic98Zdic8E297875.htm&sa=U&ei=ypRMUP7RJfHtmAWZqYDYCQ&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNGqIz8ioi26K4T9c8g4E2984Az-mw黎明

[182]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E8%258B%258D%25E6%25A2%25A7%25E9%2583%25A1&sa=U&ei=DWFLUN_zHIejiQe1_YG4Ag&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNGZaHATgirkISO6dot6JZ3ouiF9vQ舜の墓がある場所。

[183]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic8EZdic89143128.htm女子の容貌の美称。

[184]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/68726.htm&sa=U&ei=bktLUO_QGInYigfB84GIBA&ved=0CCEQFjAA&usg=AFQjCNEPEjOz1Eo-E75L2Yuex6f_kPr3TA

[185]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cy/ch/ZdicE6Zdic9AZdicAE15672.htm&sa=U&ei=gUtLUPLoFemyiQeDjYHoAw&ved=0CCgQFjAE&usg=AFQjCNHMNzDEH3s8czmlOugXzT-TBsPE8g男女の情会。

[186]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/2/ZdicE5Zdic8DZdic81209496.htm&sa=U&ei=oEtLUIeuLaOhigf2o4CIAQ&ved=0CBwQFjAA&usg=AFQjCNF7vmLy-JZEsKsMlM4SpGtAdkU5Jg川、湖北巫山の十二峰。望霞、翠屏、朝雲、松、集仙、聚浄壇、上升、起雲、飛鳳、登、聖泉。

[187]未詳だが、採蓮歌であろう。

[188]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE9Zdic9DZdic92268666.htm浅い水の中に生える草本植物。

[189]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicBEZdic81117695.htm&sa=U&ei=Al5DULSXG-3smAX1Fg&ved=0CB0QFjAB&usg=AFQjCNFxCrplL7HS5uvzwq0IDcW7xegN5w征雁。

[190]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/856067.htm&sa=U&ei=zEtLUIeRFLH0mAWe74HIBw&ved=0CBkQFjAA&usg=AFQjCNEMVFbOJj_Hp1KqUgiaZSBbXlzbig蓼草が生えた小さな洲。

[191]原文同じ。未詳だが、仙駕に同じいであろう。仙人の車駕

[192]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7ZdicA7Zdic8B227544.htm&sa=U&ei=-EtLUODzC-yOmQXI9oH4Dw&ved=0CB4QFjAB&usg=AFQjCNEflgPzTc-YeQ-rQ8Zi-8zX2qCXUA薄くて、筋ののある織物

[193]未詳だが、不老の薬であろう。

[194]未詳。秋羅雲羅か。雲羅柔らかい、雲のような絲綢

[195]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE5Zdic8BZdicA4103352.htm&sa=U&ei=GNY1UOXwHNHSmAXPwYC4Dw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGGotvXNxSXCsvV2NR-J2VE5nS9-w切真

[196]http://www.google.com/url?q=http://www.gg-art.com/dictionary/dcontent_b.php%3Fbookid%3D33%26name%3D%25B5%25D8%26columns%3D2%26bookdetailid%3D36081&sa=U&ei=yE1LUOntO-jvmAWWrIGACQ&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNEVb9J5JkyChgIrEhxMQJTTuLV4ZQ西岳廟

http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/314386.htm&sa=U&ei=5k1LUO2iDMqviQeNl4HYAg&ved=0CB0QFjAA&usg=AFQjCNFuHfNYSVFjJO2q9IPnyc92wKP8rA

[197]原文同じ。未詳。

[198]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/6037613.htm&sa=U&ei=NXY4UI3TJtGQiAf-2YDAAw&ved=0CB4QFjAA&usg=AFQjCNGrbBkkOy0TMQi8yKe3hBOvP_Ythw渭水以北。

[199]原文「大王遣命」。「大王」が誰か未詳。「遣命」も未詳。とりあえずこう訳す。

[200]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/15/ZdicE5ZdicB9ZdicA2307980.htm&sa=U&ei=tRc6UMaDB4i6iQfikICgBg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNF-DQbRfnSx7bwuczOS2IR95OZBSA羽毛が垂れるさま。羽の盛んなさまを形容することが多い

[201]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7ZdicB4ZdicAB202336.htm&sa=U&ei=c19DUIuyCszwmAX-0YDoBA&ved=0CBwQFjAC&usg=AFQjCNEJG7ueP12rLLuoORrmo20Jvomahg紫色印と金印、丞相が用いた。官をも指す。

[202]原文「可返矣。」。里帰りしてよいぞということか。

[203]http://baike.baidu.com/view/597033.htm#1

[204]未詳。黒い護符か。

[205]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic94Zdic9F184997.htm&sa=U&ei=nXY4UJ_OF82UiAfx_oH4BA&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNGs3gvMxpjBLgm9Xu8s-5Ws_NQwrg漢典に適当な語釈なし。生者の世界ということであろう。

[206]原文「罪雖非汝、為神鬼、敢通生路。因懲責。」。「罪雖非汝」が未詳。神女が韋子卿と交わったのは、韋が「わたしは及第して帰れば、三娘子を娶って妻としよう。」といったから、神女に罪はないということか。

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