第二十四巻

灤陽続録六

  狐の詩をよくする者は、伝記にすこぶる多く見えるが、狐の絵をよくする者はおおむね見えない。海陽[1]の李文硯亭[2]が言った。順治、康熙の間、周処士[3]楚豫に漫遊した。周は松を描くことで有名であったので、ある士人が書室の一壁に絵を乞うた。松の根は西壁の隅から起こり、盤拏[4]夭矯[5]、横ざまに北の壁を経、梢はさらに東の壁を掃うこと一二尺に及び、濃い陰は座に入り、長風が来ようとするのを覚えた。置酒するときは、社友を迎えてともに賞でた。群がって壁の下に立ち、指して賛嘆していると、突然一人の友人が手を叩いて絶倒し、友人たちもにわかにどっと笑った。そもそも松の下には秘戯図が描かれており、大きな木の榻があり、長い(むしろ)を布き、一人の男と一人の女が、裸で交合し、流し目しており、媚態はほんものさながらであった。傍には二人の侍婢も裸で立ち、一人は扇を揮い、蝿を駆り、一人は両手で婦の枕を支え、踏みしだかれてゆかに墜ちることを防いでいた[6]。士人および妻と媵婢[7]の小像であった。嘩然[8]として走って見れば、眉目は真に逼っており、童僕さえもその面貌を見わけられ、みな口を掩った。士人はたいへん怒り、空を望んで手を揮い、妖狐を罵った。すると突然、簷で大声で笑った。「あなたはたいへん風雅を損なわれています。以前聞きましたが、周処士は松を描く時、目で見ることはなかったということです。昨晩、妙跡[9]を見られ、坐するときも臥すときもその下に去れず、あなたを避けそこねることになりましたが、磚を擲ち、瓦を擲ち逆らったことはございません。あなたがすぐに毒罵なさいましたので、心が本当に穏やかでなくなり、すこしいたずらしたのでございます。あなたはまだ反省なさらず、はじめのように理に悖っていられますから、いずれこの像をあなたの家の白木の扉に描き、道ゆく人に一笑を博させましょう。よくお考えください[10]。」。そもそも士人は一晩前に客を供する食器を置き、奴僕と燭を執って書室に行った。するとにわかに黒い物が門を衝いて去ったので、士人は狐魅[11]だと悟り、侮辱したのであった。人々は取りなし、座に招き入れて一つの空席を上座に設けた。その姿は見えなかったが、語る声は琅然としていた。前にいって酒を注げばかならず尽くしたが、肴饌[12]は食らわなかった。言った。「生臭物は四百余年食らっていません。」。散じるにあたり、士人に語った。「あなたはたいへん聡明で、しばしば気によって物を凌いでいますが、これは徳を養う道ではなく、身を全うする道でもございません。今日の件ですが、わたしに遇われたのはさいわいでした。向こう気の強いあなたのような者に遇うならば、難はこれから起こりましょう。どうか学問して気質を変化させてください。ご留意なさりませ。」。ねんごろに言い含めて別れた。絵を振り返ると、洗い清めたかのようになっていた。翌日、書室の東の壁に、突然、彩色された桃花数本が現れたが、青苔碧草を施されており、花はあまり密でなく、すでに開いたものがあり、なかば開いたものがあり、すでに落ちたものがあり、落ちないものがあり、墜ちて地にいたらないうちに風に従い、舞い飛んでいるものもあり、八九片が横に斜めに翻り、勢いは漂っているかのようで、まったく筆墨の及べるものではなかった。上には二句が題せられていた。「芳草行径なく、空山まさに花落つ。」。(編者按ずるに、この二句は、初唐の楊師道[13]の詩である。)姓名を署していなかった。狐が昨晩の酒に酬いたことを知った。後に周処士はそれを見て嘆いた。「まったく筆墨の痕跡がない。わたしの絵はなお努力して勢いを出そうとしているが[14]、ことさらにわざとらしい[15]感じがする。」。

  
  景城[16]の北の岡に元帝[17]廟があり、明末に建てられたものであった。年を経て、壁にしみ[18]が隠隠として、峰巒[19]が起伏する形となり、眺めれば遠山に霧が籠めているかのようであったが、わたしが幼い時にはまだ見ることができた。廟祝の棋道士はそれが陰気であることを(へい)とし、画工に墨で描かせたが、方竹[20]を削って円くしたかのようであった[21]。今、廟はすでに崩れ尽くしている。棋道士はその姓は分からないが、将棋[22]を好んだので、この名を得ていた。あるいは斉姓の誤りかと思う。将棋はいたって弱かったがいたって勝気で、終日丁丁然[23]として止まなかった。対局する者が疲れて去ることを求めると、長跪して留めるに到った。かつてある人が対局する者に一手を指示したところ、恨み骨髄に徹し、緑章[24]を拝し、かれがはやく死ぬことを願った。また一人の少年がたまたま一手を誤り、道士がさいわい勝ち、少年は手を改めようとし、騒ぎ争って[25]許さなかった。少年は粗暴で、起って殴ろうとしたが、笑って退避し、言った。「君がわたしを撃って肱を折っても、結局わたしが今日勝たなかったとは言えない。」。これもまた痴れ者であったといえる。

  
  「酒は別腹」というのは、本当である。八九十年来、わたしが聞いた者では、顧侠君[26]先輩が第一と称せられ、繆文子[27]先輩がそれに次ぎ、わたしが見た者では、先師孫端人[28]先生も当時の酒社[29]に入っていた。先生はみずから言われた。「わたしは二公との間に、なお十余人を示すことができる[30]。」。次は陳句山先輩[31]と相敵するが、酒で有名であるわけではなかった。最近は路晋清[32]先輩が第一と称せられ、呉雲岩[33]先輩も駸駸[34]と勝ちを競っていた。晋清は言った。「雲岩が酒の後にますます温和であるのは、酒の力に勝えず、わざと重々しくしているからだ。」。調べると偽りはなかった。同年の朱竹君[35]学士、周稚圭[36]観察は、いずれも酒によってみずからを雄としていた。雲岩は言った。「二公は豪快にふるまって[37]いるだけだ。拇陣[38]して騒ぎ、酒を半分近く零しているから、坐して静かに酌ませれば敗れよう。」。調べるとやはり偽りはなかった。後輩では葛臨溪[39]第一で、酒を与えなければ、みずから一杯を求めたことがなく、酒を与えれば、盆盎[40]でも難色がなく、長鯨一吸し[41]、涓滴も遺さなかった。かつてわたしの家で飲み、諸桐嶼[42]、呉恵叔[43]ら五六人と競ったが、夜になり、夜が闌けようとすると、人々はみな酩酊し、あるものは足を滑らせて顛倒した。臨溪はすべて童僕を指揮して扶けて榻に登らせ、その後、従容として輿に乗って去り、神志は湛然[44]として、飲んでいない者のようであった。そのしもべは言った。「わたしは従うこと七八年、かねてからあのかたが独酌されているところを見たことがなく、たまたま酔っているのも見たことがございません。」。しかし飲むときは酒を選ばず、酒を味わわせてもあまりうまいまずいを知らなかったので、かれの同年は登徒の好色[45]として戯れていた。しかしやはり稀にあるものであった。しむらくは顧、繆二先輩に会い、勝負を一決できないことであった。端人先生はつねにわたしが飲めないことを(へい)とし、言った。「東坡の長処を学んだのはよいが、どうしてかれの短処までも刻銘に似せることを求めているのだ。」。わたしが典試[46]して臨溪を得ると、手紙で先生に報せた。先生は返事を寄こした。「わたしの孫弟子がこのものであったことを聞き、起って舞った。しかしやはりおんみが蜂腰[47]であることが残念だ。先輩の風雅は、佳話であったといえる。今は老い、久しく若者の文酒[48]の会に関わっておらず、後輩が上座にいるが、誰であるかも分からない[49]。」

  
  高官[50]の農家で一頭の牛を飼い、その子は幼い時、日々牛と戯れ、角に攀じ、尾を梳いても動かなかった。牛は子供の頭を嗅ぎ、子供の掌を舐めることがあったが、子供も恐れなかった。やや長じて牧させ、子供が外出すればすぐに出、子供が帰宅すればすぐに帰り、子供が進めばすぐに進み、子供が止まるとすぐに止まり、子供が眠れば側に臥して、何年かを経ていた。ある日、牧しにいったが、牛は突然狂奔して家に来た。頭と頚にすべて血を浴びており、吼えて角で門を衝いた。子供の父が出て見ると、すぐに身を返してもとの路を戻ったので、かならず変事があったと悟り、懸命に追った。野外に行くと子供はすでに頭を割られて死んでいた。さらに一人の男が路傍に横臥していたが、腹は裂け、腸は出、一本の棗の棍棒が地に棄ててあった。じっくり見ると、三果荘の牛を盗む者(三果荘は、回民が集まっているところで、滄州の盗賊の巣窟であった。)であった。はじめて子供が盗賊に殺されたので、牛もまた盗賊を衝いて殺したことを悟った。これは牛にも人の心があるということである。また西商[51]の李盛庭は馬を買い、きわめて馴良であったが、路で白馬に逢うと、かならず立ちどまって注視し、鞭うっても進もうとせず、あるいは白馬を望み見れば、かならず馳せて追いつき、抑えても止められなかった。後にもとの持ち主にそのことを話したところ、もとの持ち主は言った。「もともと白馬が生んだもので、しばしばその母を捜しているのです。」。これは馬にも人の心があるということである。


  わたしが八歳の時、乳母の丁媼が言った。某家に雌牛がおり、跛で耕すに堪えなかったので、隣の肉屋に売った。その犢は離乳したばかりで、その母が屠殺されるのを見、牟牟(モウモウ)と数日鳴いていた。後に肉屋を見るとすぐに走って避け、走って避けるのが間にあわなければ、地に伏して戦慄し、命乞いしているかのようであった。肉屋はわざと追い、笑いの種にしたりし、意に介さなかった。犢はだんだん生長し、たいへん壮健になったが、肉屋を恐れるさまははじめのようであった。角が堅く鋭くなると、肉屋が側のの上に臥しているのを伺い、衝いてその心を貫き、そのまま馳せ去った。肉屋の妻は大声で叫び、牛を捕らえようとした。人々はその母のために復讐したことを憐れみ、ゆっくり追ったので、牛は逃れ、行方が知れなくなった。時に、丁媼の親戚は人を殺したものの、赦しに遇い、免れることができたが、なおその[52]子と郷里をともにしていた。そこで、丁媼はひそかにこのことを挙げてかれのために心配し[53]、仇に親しめないことを明らかにしていた。わたしは犢に復讐の心があり、力が勝らないことを知り、ことさらにその(きっさき)を隠し、隠忍してぶつかることを求めたことを評価する。孝であるばかりでなく、智でもある。黄帝の『巾机銘』にいう(「机」は本字だが、校する者が破体[54]俗書[55]であるといい、「機」の字に改めることがあるのは、むしろ誤りである。)。「日中(ひちゆう)すればかならず(あかる)9(編者按ずるに、『漢書・賈誼伝』はこの句を引き、「」に作り、『六韜』はこの句を引き、「彗」に作るが、音義はともに同じである。)、刀を()れbかならず割く。」th、機を失ってh7らないことをいう。『越絶書』で子貢が越王に、「それ人を謀るの心あれば、人をしてこれを知らしむるは、危し。」といっているのは、機密の漏らせないことをいう。『孫子』は「よく兵を用ゐる者は、門を閉ざすこと処女のごとく、門を出ること脱兔のごとし。」というが、この言葉は妥当である。

  
  姜慎思[56]が言った。乾隆己卯[57]の夏、江南の挙子が、京師の宿屋は湫隘[58]なものが多かったので、西直門外のある大家の墓苑を借りて読書していた。たまたま晩涼に樹下を散歩していると、一人の娘に遇ったが、年は十五六で、すこぶる白皙であった。挑んでともに語ったところ、怒らず、答えず、塀の角を回ってそのまま去った。夜半に眠りから醒めると、門の了鳥[59]がかすかに音をたてたようであったので、盗賊かと疑った。童僕を呼んだが返事がなかったので、ひとりで起きて門の隙間を隔てて窺ったところ、昼に見た娘であった。かれが近づいてきたことを知り、いそいで戸を開き、擁して入れた。娘はみずから言った。「墓守りの娘で、家はたいへん貧しく、父母はともに愚かですので、つねに嫁いで農家の妻となることを恐れております。さきほどはお目を懸けていただきましたので、心はみずから抑えられず、塀の隙間からあなたの処にまいりましたのでございます。あなたは富貴のお方で、きっと奥さんがいましょうから、百両を調えて父母に与えられますなら、妾となっても悔いませぬ。両親は利を好んでおりますから、やはりかならず従いましょう。」。挙子は諾い、親しみ、夜明けになると去った。それからは夜半につねに来、妖艶放蕩で、百態が横溢していた。挙子は巫山洛水もこれに過ぎないと思い、ある晩、来るのがやや遅かったので、挙子はひとりで月下を歩いて待っていた。すると突然、梢から飛びおりてきた。挙子はにわかに悟り、言った。「おまえは狐ではないか。」。娘はまったくみずからを隠さず、笑って答えた。「はじめはあなたが驚き恐れられるのを恐れ、出まかせを申しておりました。今、情はすでに深くなっていますので、はっきり告げても構いません。将来四方に宦遊し、一人の姿を隠して付き従っている妾がおり、車馬を煩わさず、宿屋を選ばず、衣食を求めず、昼は懐に携えられ、夜は出て枕席に進み、千金で買笑するよりましではございませんか。」。挙子は、よいものを得たと思った。それからひそかに書室に住み、夜度(うたいめ)[60]を待たなかった。しかしつねに燭を執る頃になれば外出し、夜半に帰ると、かすかに鬢が乱れ、釵が横たうありさまを示していることがあった。挙子は疑ったがぐずぐずしていた。その後、かれの孌童と淫行した。すぐに二人のしもべに窺われたが、ともに淫行した。料理人はそれを知ると、やはりつづけて親しんだ。ある日、昼に孌童と寝ていた。挙子がひそかに扼殺すると、狐の姿を現したので、塀の外に埋めた。半月後、老翁が挙子のところに来て言った。「娘は身を托しておまえの妾になったのに、どうして突然殺されたのだ。」。挙子は憤然として言った。「おまえの娘がわたしの妾であることを知っていたなら、話は簡単だ。そもそも二人の男が女をともにし、争って損なうのは、姦通を憎んでいるためで、法律では償いを論ぜられるべきだ。おまえの娘がわたしの妾になると、明らかに人でないことを知りながらわたしは誓いを改めなかったのだから、夫婦の名分は定まっていた。他人に淫し、さらにわたしのしもべに淫した以上、わたしは実の夫なのだから、慣例として姦通者を捕らえられる。殺しても、何の罪があろう。」。翁は言った。「それならおまえのしもべを殺してはどうか。」。挙子は言った。「おまえの娘は死んで姿を現したが、かれらはすべて人間だ。手ずから四人を斬り、一匹の死んだ狐を得て事件とした時、おまえが刑官[61]なら、これに拠って裁くことができるか。」。翁は長いこと俯くと、手で膝を打って言った。「おまえは自業自得だ[62]。本当におまえがここまでしようとは思わなかった。」。衣を振るってそのまま去った。挙子はたちまち準提庵[63]に居を移したが、慎思と隣の部屋であった。かれの孌童は狐ともっとも親しかったので、主人がたいへん残忍であったことを怨んでおり、その事を慎思にくわしく漏らしたため、その詳細が知れたのであった。

  
  吉木薩(ジムサル)は、烏魯木斉(ウルムチ)の所属である。屯兵の張鳴鳳は(カルン)[64](軍営の見晴らし場の名である。)を、派遣されて守備していたが、とある菜園と近かった。園丁は年が六十余で、風雨に遇うたび、かならず(カルン)で宿を借りていた。ある晩、鳴鳳は酒に酔ってかれ[65]を淫していた。叟は目ざめるとたいへん怒り、営弁[66]に訴えた。調べると(きず)はまだ治っていなかった。上官に申告し、鳴鳳の食糧を除いた[67]。時に鳴鳳は年がわずか二十歳であったので、人々はかならずこのような理はないと思い、叟がかつてひそかに鳴鳳を汚したので、報復したかと疑った。しかし双方をふたたび取り調べしたところ、いずれもそれを認めなかった。みな怪しいことだと言った。官奴[68]の玉保が言った。「もとよりございますことで、怪しいことではございません。以前、馬を南山[69]で牧していましたところ、雉を射る者に驚かされ、馬が逃れました。責められ、罰せられることを恐れ[70]、深い山に入って追跡しました。あたふたとして道に迷い、転じるほどに迷い、一昼夜を経ても出られませんでした。はるかに林の中に家屋の一部が見えましたので、いそいで目ざしてゆきましたが、盗賊の巣窟で、殺されるかもしれないと心配でもありましたので、ひとまず草叢に伏して様子を窺っていました。しばらくしますと、二人の老翁が手を携えて談笑し、出てきて巨石の上に坐し、抱き合い、寄り沿い、たいへん親しんでいました。にわかに左に一人の翁が、右に一人の翁を引き、石の畔に伏し、ほしいままに淫行しました。わたしは秘密を窺い見ましたので、わたしを殺して口封じするのを恐れ、惴惴[71]と萎縮して動こうとしませんでした。かれはわたしを望み見ましたが、まったく恥じず、ともに呼んで出させ、どこから来たかと尋ね、二つの餅を取って食らわせ、帰路を指し示して言いました。『某処から某樹が見えたら転じて某処にゆき、深い澗を見ながら沿ってゆけば、一日で家に着くことができよう。』。さらにもっとも高い峰を指し、言った。『これは正南だから、迷ったらすぐにこれを望んで方向を知れ。』。さらに言った。『空山に草はなく、おまえの馬はすでに飢えて勝手に帰っている。こちらには熊と狼がたいへん多いから、もう来るな。』。家に帰ると、馬は本当にさきに返っていた。今、張鳴鳳は六十の叟を愛し、この老翁の類ではないか。」。その言葉によれば、天下にはまことに理外の事がある。しかし、二人の翁はどこの人か分からず、深山に姿を隠していたので、修道の士のようでもあったのに、どうしてすることがこのようであったのか。『因樹屋書影』[72]は仙人馬繍頭の事を記し、称するには、頑童[73]なら、中で真陰[74]が採れると言った。容成[75]の術では女と交わるばかりでなく、男とも交わるのである。しかし採ることが老翁にまで及んで、どんな裨益することがあるのか。たとい修煉[76]に本当にこうした方法があっても、邪師[77]外道[78]であり、上真[79]にはけっしてこうしたことはあるまい。

  
  張助教[80]潜亭[81]が言った。昔、一人の友人とともに北上し、夜、宿に泊まった。すると[82]音がし、あるときは窓の外に居り、あるときは部屋の外間[83]に居た。はじめは虫か鼠だと思い、さほど訝らなかったが、後にかすかに嘆息するのが聞こえたので、はじめて慄然とした。探ったが、なにも見えなかった。紅花埠[84]に着き、たまたま筆と硯をしまうのを忘れていたところ、夜分、筆を置く音がするのが聞こえた。翌朝、(つくえ)の上に字が書かれていたが、陰黯[85]惨淡[86]として、あるかないかのようであった。じっくり見ると、一首の詩で、こうあった。「上巳鴬花(よろ)しく、寒食風雨多し。十年なんぢわれを思ひ、千里われなんぢに従ふ。あいまみゆるも親しむを得ず、悄立しておのづから淒楚[87]なり。野水青茫茫として、この別れ終に万古なり。」。香魂[88]が怨み侘びている言葉のようであった。しかし潜亭は思い出してもこの人に心当たりはなく、友人もこの人に心当たりはなく、かれがどうして来たか分からなかった。程魚門[89]は言った。「君はこの詩を誦えようとしたのだから、きっとこうしたことはあるまい。お友達が言うことを憚ったのだろう。」。人々はそうだと思った。

  
  同年[90]の胡侍御牧亭[91]は、人品は孤高であり、学問文章もしっかりしていた。しかし性情は迂腐であり、まったく家族や生計のことを理解していなかった。古にいう「馬が何本足か知らない者」とは、かれのようなものであろう。奴隷たちはかれを愚弄すること子供のごとくであった。かつてわたしと曹慕堂[92]、朱竹君、銭辛楣[93]を留めて食事したところ、肉は三盤、蔬菜は三盤、酒は数巡しただけであったが、聞けば費用は三四両に達しているとのことであったから、他は知られよう。同年がたまたまそのことに言及し、相対して太息した。竹君は怒ることがもっとも激しく、かれらの奸悪をすべて発き、追いはらった。しかし流弊はすでに深く、ひそかに伝受し、数ヶ月足らずで、故轍に戻ってしまった。その仲間は士大夫の家々に散らばり、竹君のためにほしいままに誹謗し、かえってお節介の名声を得させた[94]。そこで人々はみな坐して見ていた。小人は仲間があり、君子は仲間がいないので、ひとまずみずから解嘲[95]したということであった。後に牧亭はずっと貧困で鬱鬱として死んだ。死後一日して、旧僕が来、哭いて哀しみを尽くし、三十両を出して几上に置き、跪いて祈った。「主人は妻子を迎えず、一身は会館に寄居し、月給はもともと暖衣飽食するに足りていました。わたしたちが横取りしましたばかりに、薪や米を給せられない事態を招きました。その時は京師の長随が、結託して欺罔し、主人に忠である者がいれば、ともに排斥し、食らったり宿ったりする地がないようにさせ、異をとなえさせようとしませんでした。ところが主人は結局そのために死にました。心は恥じて悔い、夜も眠れません。今、貯蓄をすべて献じて納棺をお助けし、いささか地獄の罪を贖うことを願います。」。祈りおわるとそのまま去った。満堂の賓客のしもべは、みな顔を見あわせ、色を失った。陳裕斎[96]はそこで一事を挙げて言った。「ある軽薄児が若い女が新しい(つか)の下でひとり哭いているのを見ると、走っていって挑んだ。若い女は色を正して言った。『正直に申しあげます。わたしは女狐でございます。墓の中の人はわたしの容色を貪り、を病んで亡くなりました。わたしはかれの多情に感じ、かれがわたしによって命を落としたことを恥じ、すでにみずから神に誓い、今生けっしてふたたび結婚しないことにいたしました。あなたは妄念を起こして、いたずらに禍を招いてはなりませぬ。』。このしもべはこの狐に似ている。」。しかしわたしはやはり身を返してすぐに去った者より賢いと思う。

  
  田侯松岩[97]が言った。幼い時に易州[98]の神石荘[99]に居り(土人は本当の名は神子荘といい、かつて一人の神童が出たからだと言っていった。後に三つの巨石が荘の北に落ち、−春秋宋国の事のようであるが、−今の名に改めた。)、易州の西南二十余里にあった。たまたま童たちと厩舎の中で戯れていたところ、豆を煮る鍋を見たが、鉄泡[100]が十数盛りあがり、ともに形は狭くて長かった。童たちが石でその一つを壊すと、中に虫がおり、長さは半寸余、形は柳蠹[101]のようで、色はかすかに紅く、四本の短い足とその首だけはみな黒い色で、油然として光があった。取り出せば、なお蠕蠕として動くことができた。そこですべて壊して見ると、一つの泡に一匹の虫がおり、姿はすべて一様であった。また、頭等侍衛[102]常君青(これはまた別の常君で、常大宗伯[103]と同名である。)は、乾隆癸酉[104]に西域を守り[105]南山の下(塞外の山脈は西南から東北に走り、西域三十六国は、これを夾んで住み、山の南に住む者は「北山」といい、山の北に住む者は「南山」というが、その実、同じ山である。)に帳を立てた。山の中腹に飛瀑二丈余があり、その泉はたいへん甘かった。冬に氷結するとき、河で水を汲んでも、その水は湍悍[106]で性質は冷たく、飲むと病気になるので、やむを得ず、やはり瀑泉[107]の氷を鑿った。水の(あな)が開くと、すぐに無数の氷の玉が湧き出るのであったが、形はすべて橄欖のようであった。壊すと、中に蚕のように白い虫がおり、その口と足は深紅であったが、これが氷蚕というものだろうか。鉄の中の虫が、鍛えて死なないのとともに、異聞と言える。しかし天地の気は、あるときは動きあるときは静まりで、たがいにその根となっている。極陽[108]の中にはかならず陰が隠れ、極陰の中にはかならず陽が潜んでいる。八卦[109]は対になっており、坎[110]は二陰が一陽を包み、離[111]は二陽が一陰を包んでいる。六十四卦[112]は変化し、陽が乾[113]に極まると、すぐに一陰が生じ、下って姤[114]となり、陰が坤[115]に極まると、すぐに一陽が生じ、下って復[116]となる。静まるときは潜んだものが集まり、集まったものが鬱し、動くときは鬱したものが蒸し、蒸したものが化する。化するに到れば生生として止まない。沖和[117]の気だけは、それが生じるのには規則があるが、偏勝[118]の気は、それが生じるのは推測できない。沖和の気は、生じない地はなく、偏勝の気は、生じたり生じなかったりするだけである。だから、沸鼎[119]が焼け、寒泉が凍っても、その中にみな虫を生じることができるのである。崔豹の『古今注』の記載では、火鼠[120]は炎洲[121]の火中に生じ、その毛を績いで布にすると、火に入れても燃えないという。今、洋船はたくさんある。亡兄晴湖は数尺を蓄えており、わたしはそれを試したことがある。また『神異経』[122]の記載では、氷鼠[123]は北海の氷中に生じ、氷に穴を掘って住み、氷を齧って食らい、歳を経ると象のように大きくなり、氷が破れるとすぐに死ぬという。欧羅巴(ヨーロッパ)人はかつてそれを見た。謝梅荘[124]先輩が烏里雅蘇台(ウリヤスタイ)を守っていた時も見たことがあった。これは獣さえ火と氷に生じるということである。その事は異常のようで、実は常理である。

  
  命数はすべて前もって定まっており、鬼神は予知できる。しかし事がまだ萌さず、人がまだ念を起こさず、吉凶禍福の関わることでも、因果報応の関わることでもなく、重要でもなく、些細で語るに足りず、冥籍[125]があらかじめ注することができるものでは断じてないことでも、やはりしばしば予知できる。乾隆庚寅[126]、ある翰林がたまたま乩仙[127]に遇ったので、官途について尋ねた。乩は一詩を判じ、言った。「春風一笑して手に(つゑ)扶け、桃李花開きて溌眼[128]濃し。(まこと)にこれ香を尋ぬる双蝶、粉牆(わづ)かに過ぎれば巧みに相逢ふ。」。茫として何の意味か分からなかった。にわかに翰林で御試[129]があり、編修[130]から知県に改まった。人々は次句は河陽一県の花の故事[131]をひそかに用いていたので、験があったといえる。しかしそのほかのことは結局明らかでなかった。同年が慰めにゆくと、門番は杖に縋ってゆっくりと出てきた。そもそも朝官のしもべは、外吏[132]を見ること天上の人のようであった[133]。門番は主人が地方に転任する便りを得ると、階の上に方立し[134]、喜んで躍って言った。「わたしは今日は登仙します。」。ところが足を滑らせ、その脛を傷つけたので、杖をついていった。数日後、ある日二人のしもべを追いだしたことを仄聞したが、罪状は明らかでなかった。まもなく、ある者がその事情を漏らした。「二人のしもべはいずれも門番になろうとはかったが、さきにすでに跛の者がいるのをどうすることもできなかった。それぞれその妻を着飾らせ、主人が休息するのを待ち、誘って惑わそうとしました。晩になり、一人の女がひそかに餅餌を調え、一人の女はひそかに茶を煎じ、いずれも暗闇を手さぐりして書斎の廊下にゆきました。にわかにぶつかり、持ってきたものをすべて傾け、恥ずかしくてたまらず、怒りは罵りに変わりました。主人は深く追究しようとせず、穏便に去らせました。」。詩の最初の三四句はともに験があったのであった。この乩はすぐれた幽鬼であったといえる。しかしどうしてこれらの事を予知できたのかは、結局、理によって推測できなかった。(馬夫人は一人の針子を雇っていたが、かつてこの家に居り、語るには、二人のしもべが門番を奪うことを謀っており、みずからその妻を献じる意はまったくなく、ひそかに一人の狡猾なしもべに謀ると、狡猾なしもべがこの策を立ててやり、ともにかれと約した。「この日は暇がございますから、隙に乗じて入れましょう。」。そしておたがいに知らないようにした。そのため二人がともに失敗することを致したのであった。二人のしもべは後を追い、狡猾なしもべも跛の者に諂い、迎えて妓館に遊ばせようとしたが、跛の者は罠があるのを悟り、おもてむきは先にいって待たせ、かげでは主人に告げて捕らえにゆかせたので、狡猾なしもべも失敗した。ああ。一州県官の門番にすぎないのに、これら四人は、たがいに排斥し、あれこれ輾移して止まなくなるに到った。黄雀螳螂の喩えは[135]、その明らかな験である。附記して世情の険悪を示す。)

  
  わたしは兵部尚書をしていた時[136]、良郷[137]にゆき、湖北を征する兵を送り[138]、長新店[139]の旅舎で小休止した。見ると壁に『帰雁詩』二首があり、その一首にいった。「料峭たる西風に雁字斜めなり、深秋またなんぢを送りて家に還らしむ。可憐なり飛びて到る多日なく、二月なほ来りて杏花を看る。」。その二にいった。「水(ひろ)く雲深く伴侶稀なり、蕭条としてただ燕とともにかへる。ただ嫌ふ来歳烏衣巷[140]、却つて雕梁[141]に向かひおのおのみづから飛ぶ。」。末尾に「晴湖」の二字を題してあったが、これは亡兄の(あざな)であった。しかし語気筆跡は、いずれも亡兄に及ばなかったので、別の人であろう。ある人が言った。「鄭君名は鴻撰という者も(あざな)は晴湖だ。」。

  
  田侯松岩が画扇を持っているのをたまたま見たが、筆墨は秀潤[142]で、大いなること衡山[143]のごとくであった。かれの親戚の徳君芝麓[144]が作ったものだと言った。おもてには一首の詩があった。「野水平沙落日はるかに、半山紅樹影蕭条たり。酒楼人孤にして樽に倚りて坐し、われの驢に乗りて板橋を過ぐるをみる。」。風格は翛然[145]として、塵外の趣きがあった。さらに徳君の題辞があり、卓悟庵作で、絵はこの詩の趣意を描いているので、この詩を並録しているといっていた。これはその言葉を愛していたのであろう。田侯は言った。悟庵は名を卓礼図といったが、その生平を詳らかにすることができないと。大抵下僚に沈滞している者は、遥情[146]高韻[147]があっても、氏名は湮没している。録して存しても郭恕先[148]の遠山数角[149]にすぎない[150]

  
  古人の祠宇[151]は、[152]一つであり、後人に風規[153]を慕わせ、模倣を生じさせるが、これは風俗を守り励ます教えである。そこには精霊がつねに居り、霊感があって音が聞こえるかのような者は[154]、いたるところに多くおり、なりすまし、憑いて血食を求めることは、時折ある。言い伝えでは、ある士人が陳留[155]のある村に宿り、溽暑のなか、野外を散歩していた。黄昏の後、暮色は蒼茫としていたが、突然一人の男に遇って揖した。ともに老樹の下に坐し、かれの郷里姓名を尋ねると、その人は言った。「驚くな。僕は蔡中郎[156]なのだ。祠墓[157]は残っているものの、祭祀を欠かされることが多いが。生きては士流[158]をかたじけのうしていたので、歿しても俗輩に食を求めようとしないのだ。君は気質が似ているから、あえて微衷を述べたのだ。明日野祭[159]をしてもらえるか。」。士人はもとより雅量があったので恐れもせず、漢末の事を尋ねた。いいかげんに応酬したが、多くは羅貫中の『三国演義』の中の言葉であったので、ひそかに疑い、かれの生平の顛末を尋ねれば、述べる事跡は高則誠[160]の『琵琶記』[161]と細かいところまで、すべて同じであった。そこで笑って語った。「資金が乏しく、本当にあなたを祭るすべがない。別に力のある者を探すべきだ。一言だけお願いしよう。これからは、『後漢書』、『三国志』、中郎文集を求めてすこし一見するべきだろう。そうすれば、食を求める道にさらに近づけよう。」。その人は顔を耳まで真っ赤にし、躍り上がり、幽鬼の姿を現して去った。なりすまして財を集める術は、幽鬼もできるのである。

  
  梁谿堂[162]が言った。粤東[163]に遊んだ者があり、妻が死んだので、柩を山寺に預けた。夜に妻を夢みたところ、こう言った。「寺に悪鬼がおり、伽藍神[164]は制することができません。およそ柩を僧寮[165]に預ければ、男はすべて働かされ、女はすべて汚されます。わたしはつよく拒みましたが、免れることができませんでした。どうして神さまに訴えてくださらないのでございましょう。」。目ざめてもはっきり記憶していたので、一炷の香で祈った。「わたしはこのような夢を見たが、春の眠りでぼんやりしていたのか。意想が造ったのか。そもそもおまえは本当に霊力があるのか。本当に霊力があるなら、三晩したらわたしに告げにこい。」。その後二晩して、夢みたところ、やはり同じであった。そこで牒[166]で城隍に訴えた。数日すると霊感がなくなった。ある晩、夢みると、妻が来て言った。「勝訴できれば、伽藍が糾察と検挙を怠り、山神と社公が管理を怠ったこととなり、陰律ではいずれも責めを得ます。ですから城隍は躊躇して審理することができないのでございます。ふたたび牒を書かれてはいかがでしょうか、江西にゆき、正乙真人[167]に訴えると称すれば、城隍はかならず沙汰してくれましょう。」。言われた通りに、牒を書いて投じた。数日して、再び夢みたところ、妻が来、言った。「昨日、城隍がわたしを召し、諭して言いました。『この幽鬼はもともとこの室内にいたのだ。おまえがかれを犯したのであって、かれがおまえを連れてきたのではない。男女がともに一室に居り、そのしもべが往来し、形跡が疑わしくなるのは、免れないことかもしれない。おまえの訴えも原因がないものではない。今おまえのためにきびしくそのしもべを笞うったから、すでにおまえに謝するに十分だ。汚されたことに固執し、みずから不貞の名を博することはない。昔から有事は無事に化する方がよく、大事は小事に化する方がよい。おまえがはやくおまえの夫に命じて柩を移させれば、この件は決着しよう。』。再三考えましたが、万事やめられればやめるべきで、どうしても神と争い、かえって意外の憂患を引き起こすことはございません。あなたがすぐにわたしを移してくだされば結構でございます。」。尋ねた。「城隍が構おうとしなかったとき、どうして天師[168]に訴え、この調停をさせようとしたのだ。」。言った。「天師は幽冥を治めていませんが、訴えに遇えば、上帝に奏聞でき、諸神は阻めません。城隍も意外の患難を引き起こすことを恐れ、おだやかに鎮め、双方をともに収めたのだ。」。そう言うと、別れを告げて去った。その夫がほかの場所に柩を移したところ、ふたたび夢みなかった。これは、幽鬼はいやしくもみずからを救えれば、多く求めないということであり、物分りがよいといえる。しかし城隍は明神なのに、何事を司っているのか。もしや聡明ではあるが正直ではないのか。それに癰を養って治らなければ、かならず大事件を醸成する時があろうから、いわゆる聡明の者は、利弊がそれぞれ半ばしているのではあるまいか。

  
  田白岩が言った。「済南の朱子青[169]は狐と友人であったが、声が聞こえるばかりで姿は見えなかった。それでも時々文酒[170]の会に与ることがあり、能弁をほしいままにし、屈服させられることがなかった。ある日、かれの姿を見ることを望む者があったが、狐は言った。『本当の姿を見ようとなさるのでしょうか。本当の姿はお見せできません。幻の姿を見ようとなさるのでしょうか。姿が幻でございますなら、見ていないのと同じことでございますから、やはりご覧になることはございません。』。人々がつよく頼むと、狐は言った。『お心の中で、わたしの姿がどのようであると思われますか。』。一人が言った。『龐眉[171]皓首[172]だろう。』。すぐに老人の姿を現した。さらに一人が言った。『仙風道骨[173]だろう。』。すぐに道士の形を現した。さらに一人が言った。『星冠[174]羽衣だろう。』。すぐに仙官が姿を現した。さらに一人が言った。『貌は童顔のようだろう。』。すぐに嬰児の姿を現した。さらに一人が戯れて言った。『『荘子』に、姑射[175]の神人は、綽約[176]として処女のようだというから[177]、君もそのようにするべきだ。』。するとすぐに美人の姿を現した。さらに一人が言った。『すぐに変じるのは、すべて幻にすぎないから、やはり本当の姿を一見したい。』。狐は言った。『天下は広うございますが、誰も本当の姿を人に示そうとしません。わたしひとりが本当の姿を示すことをお望みでしょうか。』。おおいに笑って去った。」。子青は言った。「この狐はみずから七百歳と称していたが、そもそも閲歴が深かったのだ。」。

  
  舅氏の実斎安公[178]が言った。「講学家は幽鬼がいないと言うのが習いだ。幽鬼を見たことはないが、幽鬼の言葉はみずから聞いたことがある。雍正壬子[179]の郷試で、返って白溝河[180]に宿った。建物は三間で、わたしは西の間に泊まり、さきに一人の南方の士人が東の間に泊まっていた。たがいに訪ね、酒を買い、夜に談じた。南方の士人はこう称した。『ある友人と総角の交わり[181]だった。かれの家はたいへん貧しかったが、しばしば金銭と穀物で救済していた。後に公車[182]で北上してきたが、たまたまわたしは某巨公の家で筆墨[183]を司っており、かれが飄泊しているのを憐れみ、かれを迎えてともに住んだところ、かれはだんだん主人に重視された。わたしの財産を取り、ひそかに蜚語をなし、わたしを追い出してわたしの館を占拠した。今、山東で托鉢しようとしているが、天下にどうしてかくも良くない人があろうか。』。たがいに太息していると、突然、窓の外で嗚嗚(ウウウウ)と泣く声がし、しばらくするとこう語った。『おまえはまだ人の良くないことを責めるのか。おまえの家にはもともと妻がいたが、わたしが門前で花粉[184]を買うのを見、偽って娶っていないと言い、わたしの父母を騙し、おまえを家に婿入りさせたが、おまえは良くなかったのではないか。わたしの父母は(えやみ)を患い、前後して歿し、ほかに親戚がいなかったので、おまえはかれの邸宅を占拠し、かれの資産を収め、棺衾祭葬はすべていい加減にし、奴婢が死んだ時と同じにしたが、おまえは良くなかったのではないか。おまえの妻が糧艘について訪ねてき、門に入り、おまえと罵りあうと、すぐにわたしを追おうとした。その後、もともとはわたしの家であったこと、おまえがわたしに衣食を給せられていたことを知ると、しばらく受け入れたが、おまえはあれこれ巧みに説き、わたしを妾に降格した。わたしはひとまず平穏であることを求め、涙を忍んでしぶしぶ従ったが、おまえは良くなかったのではないか。わたしの宅を占拠すると、わたしに物を提供することを求め、さらにわたしを虐げさせ、わたしの幼名を呼ばせ、ともすれば地に伏して杖を受けさせたが、おまえはかえってかれのためにわたしの項と背を抑え、わたしの手と足を抑え、わたしを怒鳴りつけて転側させなかったたが、おまえは良くなかったのではないか。一年余り後、わたしの財産衣飾[185]をすっかり奪うと、わたしを西商に売った。わたしを見にきた時、わたしが出ようとしなかったところ、さらにわたしを痛打し、わたしは窮して自尽することになったが、おまえは良くなかったのではないか。わたしが歿した後に一つの柳の棺[186]も与えず、一枚の紙銭も与えず、さらにわたしの敝衣を剥ぎ、わずかに一着の(はかま)を残し、蘆の(むしろ)で包み、墓地に葬ったが、おまえは良くなかったのではないか。わたしは神明に訴え、今おまえを捕らえにきた。おまえはまだ人が良くないと責めるのか。』。その声は哀しく激しく、童僕はみなそれを聞いた。南方の士人は驚き、恐れ、萎縮し、一言も措かず、すぐに[187]として地に倒れた。わたしは係わり合いになるかもしれないと心配し、夜が明けないうちにすぐに去ったので、その後どのようになったか知らないが、生きているはずはないだろう。」。因果は分明で、了然として根拠があるが、講学家がこれを見たら、またどんな遁辞をなすか分からない。

  
  張浮槎[188]の『秋坪新語』[189]はわたしの家の二つの事を載せている。その一は亡兄晴湖の家の東楼の幽鬼(この楼は兄の宅の西にあるが、先祖が分家する前、楼は邸宅の東にあったので、その旧名に従っていた。)を記しているが、その事は嘘でなく、委曲が詳らかでないだけである。この楼は明万暦乙卯[190]に建てられ、今まで百八十四年である。楼上と楼下では、およそ七人が縊れ死んでいたので、住もうとするものはいなかった。その晩やむを得ずそこを開いたところ、この変があった。形家[191]のいう凶方だろうか。しかしその側の小楼では、住む者の子孫が繁栄していたので、結局そのわけは明らかでなかった。その一はわたしの子汝佶[192]の臨終の事を記しており、やはり十のうち六七を得ているが、西商が借金を取りたてることを語ったのは、野の幽鬼がなりすまして食を求めたのである。後にその姓名、住所、年月とこの事を見聞した人を窮詰すると、言葉に窮して去った。汝佶が債権者と訴訟した時、刑部はかつてくわしくその累積債務の額を調べ、案牘がそなわっているがやはりこの条はなかった。そもそも張氏、紀氏は世姻[193]で、婦女はたがいに説を述べ、すこしも増減することはできなかった。ああ。見たことが異なり[194]、聞いたことが異なり、伝聞が異なるのは、『魯史』[195]でさえそうであり、まして稗官小説ならばなおさらである。他人がわたしの家の事を記したばあい、その異同をわたしは知っているが、他人は知ることはできない。それならばわたしが他人の家のことを記したばあい、聞いたことに拠って叙述するから、虚偽なのか真実なのか遺漏があるのか、他人は知られるが、わたしも知ることはできない。劉後村(編者按ずるに、劉後村の詩は、一に陸游の詩に作る。)の詩にいう。「斜陽古柳趙家荘、負鼓の盲翁まさに作場[196]す。死後の是非誰か管し得ん、満村蔡中郎を唱ふ[197]を聴く。」。「今は(これ)今に(あら)ず、振古[198]もかくのごとし」である。忠厚の意を失わず、やや勧懲の旨を存し、『碧雲騢』[199]のように是非を顛倒せず、『周秦行記』[200]のように恩怨を描かず、『会真記』[201]のように才子佳人を描かず、『秘辛』[202]のように横陳[203]を描かず、君子に排斥されないことを願う。

最終更新日:201672

閲微草堂筆記

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[1]山東登州府の県名。

[2]未詳。どこまでが名で、どこまでが字号なのかも不分明。脱字があるか。

[3]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/223693.htm&sa=U&ei=wgrCTZToM4_wvwOIrtXgDw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEPSXDP8UuMJNqQuMgnZMtcerUYkQ

[4]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7Zdic9BZdic98335543.htm&sa=U&ei=lhnDTYiJOousugP1vImRAQ&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNHJmf0YaDcnb-ZUgfMUX-xwTZSW-A强勁のさま

[5]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicA4ZdicAD107286.htm&sa=U&ei=rOuSTeykFYeSuAOIlv28CA&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNF15ZvQxdzElLDtTYLYATxj6MudWw屈曲のさま

[6]原文「傍二侍婢亦裸立、一揮扇驅蠅、一以兩手承婦枕、防蹂躪墜地。」。何のためにこうした動作をするのかが未詳。とりあえずこう訳す。

[7]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE5ZdicAAZdicB5162846.htm&sa=U&ei=H-ySTejtLYOqvQPrz4i9CA&ved=0CBMQFjAD&usg=AFQjCNFSTsBgmdrl120LERIACMXzv3VUlAお手つきの下女

[8]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE5Zdic93Zdic97339862.htm&sa=U&ei=cz-TTd2RCZGavgOxnYW9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFnv0UGyM4hnOFdj7D5XBZtnfGqxA人が多く声がわるさま

[9]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5ZdicA6Zdic9990259.htm&sa=U&ei=lOySTd3hLYKovQOh_Z3ACA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHPSQU4VgviOU4AJjV2O4bU0uozaQ平凡でない事迹。ここでは情交のありさま。

[10]原文「君其圖之。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[11]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE7Zdic8BZdic90317815.htm&sa=U&ei=CECTTa2AEISyvgOnkPy8CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEK4R1UrYQzN0VJJubCyVzb5WxQgw狐妖

[12]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE8Zdic82ZdicB4158460.htm&sa=U&ei=dViTTYfWLIfEvQPOqJm9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFT1IkuMiP-mZlQptQmXNr5RUv3Dw豊かな

[13]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E6%259D%25A8%25E5%25B8%2588%25E9%2581%2593&sa=U&ei=wQ3CTfjSIJCwuAPKhZDjDw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEeeMBOQYAb1RDmg6nFS-RC1pEa7g

[14]原文「覺吾畫猶努力出稜」。「出稜」が未詳。とりあえずこう訳す。

[15]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE4ZdicBDZdic9C18748.htm&sa=U&ei=uEWUTbVNh8FxyOCNlQc&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEMf2E21U6EPcXzmjdeWbD3MHT89A故意にある種の姿あるいは表情作り出すこと

[16]直隷滄州。『元史』巻五十八・河間路「滄州、中。唐改景城郡。」

[17]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic8EZdic84307066.htm&sa=U&ei=ChrDTZVgjei9A__Y8asB&ved=0CBAQFjAA&usg=AFQjCNH3a7RovtF7xsSmA6z5k4i0fRSvwg玄帝。真武帝。

[18]原文「」。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicBEZdic81108633.htm&sa=U&ei=lniUTar3BMOecLyVwKIH&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNGDTsYT30VvqQST6a7Pfj6SToNehg迹象http://www.zdic.net/cd/ci//9/ZdicE8ZdicBFZdicB9309585.htm漢典に適当な語釈なし。

[19]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5ZdicB3ZdicB070981.htm&sa=U&ei=WIKUTY3VEMvIcbeEkacH&ved=0CBAQFjAC&usg=AFQjCNEX_W4Zfj0vIFy0N-rKzlYHAoh57g連綿とした山峰

[20]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6Zdic96ZdicB9172718.htm&sa=U&ei=DUaUTYeeGsn0cPjs9a0H&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGInbVmQQoDrQ8wiEVsx0YmJ5EahA竹の一http://www.google.com/search?hl=zh-CN&q=%E6%96%B9%E7%AB%B9&lr=&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi

[21]原文「遂似削圓方竹」。典故がありそうだが未詳。文脈からして、自然の素晴らしい状態のものに人工を加えて台無しにすることの喩えであろう。

[22]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE8ZdicB1ZdicA1237565.htm&sa=U&ei=OkGTTchrj_69A4v99LwI&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHbBk_F93o1vMpqaB8130wFLE3W6Q

[23]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/2/ZdicE4ZdicB8Zdic8114269.htm&sa=U&ei=ZkGTTbW6EIiCvgPhu4W9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFthTfcPRa1YKc1lReBj25USDKJYg擬音語。ここではぱちぱち。

[24]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE7ZdicB7Zdic91235454.htm&sa=U&ei=Be-STfn_NIywvgOb24y9CA&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNFcaHe_w2OAZC9rLtRmvJrBmQHX7w。旧道士が祭天のに書いた奏章表文、硃筆で青藤に書くので、かくいう。

[25]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE5Zdic96ZdicA7214750.htm&sa=U&ei=NO-STfi2A4HGvQOarJ29CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGMsR0fioj22FCOfcYAV3vq2hSK0g騒いで争いうこと

[26]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E9%25A1%25A7%25E5%2597%25A3%25E7%25AB%258B&sa=U&ei=YhTCTbjsCoqgvgOuqfHhDw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGPR8rjIBcNC_8Wp8f-jHiURP9UAg

[27]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E7%25B9%2586%25E6%259B%25B0%25E8%2597%25BB&sa=U&ei=gxTCTfm1BYaMvQOGmNjODw&ved=0CCAQFjAC&usg=AFQjCNEBJljWy2Mv5VEEABkYOaVVBOCxxQ

[28]http://archive.ihp.sinica.edu.tw/ttscgi/ttsquery?0:0:mctauac:TM%3D%AE%5D%A4H%C0s

[29]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic85Zdic92239175.htm&sa=U&ei=eO-STZfUOomAvgP8zLG9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEUTExFLgImRKvjzKgGe-vyTvDHnw酒会

[30]原文「我去二公中間、猶可著十餘人。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[31]http://www.google.com/url?q=http://www.hudong.com/wiki/%25E6%259D%25AD%25E5%25B7%259E%25E5%258F%25A5%25E5%25B1%25B1%25E6%25A8%25B5%25E8%2588%258D&sa=U&ei=whvDTfiYH4eIuAPgoIixAQ&ved=0CB4QFjAF&usg=AFQjCNF64XriZ4zk-hZzNJWGb2YEREdUbA

[32]未詳

[33]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/220199.htm&sa=U&ei=jBXCTZesKI20vgOFppnaDw&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNE5nX3NA_F3uELiFnMYF2aYfUhA2w

[34]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9ZdicAAZdic8E64745.htm&sa=U&ei=ou-STbGhBo2gvgO615C9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEa2hY1DPT_SNhy_aRWa5N3zQ3DGg盛んなさま

[35]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E6%259C%25B1%25E7%25AD%25A0&sa=U&ei=MhbCTbbPDIy8vQPa0YnbDw&ved=0CBgQFjAD&usg=AFQjCNFfvsZSHgjPPql3aLlnrCusiiSz4A

[36]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/224092.htm&sa=U&ei=VRbCTaGSHpD8vQPP4vXpDw&ved=0CBMQFjAC&usg=AFQjCNHGK5N7h85Af2vEwkRO3CGXgrOsVQ

[37]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/14/ZdicE8ZdicB1ZdicAA294203.htm&sa=U&ei=J62-TdLUB4eavAOwuonWBQ&ved=0CA8QFjAA&usg=AFQjCNE9FeXV7OYTT4CkElzxt9SSTZRVWQ豪侠の人がたがいに称て自らをRかすこと。

[38]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic8BZdic87222104.htm&sa=U&ei=MFS9TfuCG5GOvQPk3pHIBQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNH8mWbm7eHvezcOTpgoSANlWFAknQhttp://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic8BZdic87132919.htm&sa=U&ei=VlS9TerMKpGmugOc-sC7BQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGc9SgqCeFN96TQlLZ8ES-5m9_Gmg猜拳。酒令の一。二人が同片手を出し、それぞれ二人が伸ばした手指の合の数を中て、勝負を決する。

[39]http://blog.sina.com.cn/s/blog_502d22df0100k0ig.html

[40]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7Zdic9BZdic86182777.htm&sa=U&ei=bkKTTZOfAo3CvgPi8Pi8CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGofubkpICu2GPf-BYtrJ0hKRBu2g盆と盎。またひろくやや大きい盛器をさす

[41]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/155541.htm&sa=U&ei=vxfCTf_hA4aavAOf9sDiDw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNFn0jJMI_NLzYznzEDKkiUI_HGPtw

[42]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/2058568.htm&sa=U&ei=5RfCTcTkL4XevQOE_Li7AQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGAiOrIfCxqT4CQEp7J8qHGQRN-UQ

[43]巻六・十・十一・十三・二十一にもでてくる。

[44]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6ZdicB9Zdic9B331681.htm&sa=U&ei=JPGSTf_VEYLCvQPM5pm9CA&ved=0CBYQFjAB&usg=AFQjCNFEFNEhEStcl6OUsmnb6rhMrD5RNw清醒のさま

[45]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7Zdic99ZdicBB230066.htm&sa=U&ei=e12_TYyJCYH4vwP_u9C6BA&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNG0oXWPacYVcQ2Tp0zb_V4GYj5sKA楚宋玉『登徒子好色』に「其妻蓬頭孿耳、齞脣歷歯、傍行踽僂、又疥且痔、登徒子悦之、使有五子。」とある、後世、好色で美醜をばない「登徒子」と称する

[46]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5Zdic85ZdicB897809.htm主持すること

[47]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE8Zdic9CZdic82196538.htm&sa=U&ei=JA2VTcqMGIrsvQOq4sSEDA&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNEFRSC9zESKdlIM0teOLGWeaS5O2w蜂の腰は中いので、中間にいる者が最も劣っていることの比。ここでは師匠・弟子・孫弟子の中で、弟子にあたる紀ホのみが下戸であることの喩え。

[48]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6Zdic96Zdic87168514.htm&sa=U&ei=BvKSTbPuIJCavgP5v-28CA&ved=0CBEQFjAB&usg=AFQjCNGy9Kq9UfeTpwTRU9ME16prHO0XCA賦詩

[49]原文「後來居上、又不知為誰」。未詳。とりあえずこう訳す。

[50]http://maps.google.com/maps?q=%E9%AB%98%E5%AE%98%E3%80%80%E6%B2%B3%E5%8C%97%E7%9C%81&hl=zh-cn&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl

[51]山西陝西の商人

[52]丁媼の親戚が殺した人のことであろう

[53]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/7/ZdicE5ZdicBFZdicA7172610.htm&sa=U&ei=dPqSTc6jBZC2vQOTtIS9CA&ved=0CBEQFjAC&usg=AFQjCNFpCjO6zRKPGM6a7YWn63m8ifRi1Q

[54]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7ZdicA0ZdicB4225958.htm&sa=U&ei=-vqSTfm1LoTovQO6lNC-CA&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNHg3ljUNxxNBkgTAOK6u_1n0chA0w破体字http://www.zdic.net/cd/ci//10/ZdicE7ZdicA0ZdicB4176263.htm正体に合わない俗字

[55]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/9/ZdicE4ZdicBFZdic9720111.htm&sa=U&ei=C_uSTYXyHI3-vQP7sYW9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFsLM_xHvPShYXMuc4dj04FVnVRXg俗に流行して正体と異なる

[56]未詳

[57]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1759%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=ih7CTeKJKZCwuAOS2eHAAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHk8_P7gc8jlobtNTTqVWKBH5dv2g

[58]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6ZdicB9ZdicAB320329.htm&sa=U&ei=EUOTTbyUK4OGvgO_14S9CA&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNGkMoqsM5GdgL8c4tTyF0u5Py8LTQ低く狭小なこと

[59]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/2/ZdicE4ZdicBAZdic86288588.htm&sa=U&ei=cy6TTc_dKIPEvQOMv429CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGvGzJ-GiWPfduT3nWpATs_LS2f2Q窗の上の金属の留金。

[60]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicA4Zdic9C100738.htm娼妓

[61]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic88Zdic9127558.htm&sa=U&ei=hkSTTdvOMpDuvQPNx4W9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNE61GM5IiRJ1Fdr5tcl7XCyg1Qe1w法を掌る官吏

[62]原文「汝自取也夫」。「汝」が誰を指しているのか未詳。挙子をさしているという解釈は成り立たないであろう。娘の霊に向かっていっているものと解す。

[63]http://www.google.com/search?hl=zh-CN&q=%E6%BA%96%E6%8F%90&lr=&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wihttp://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5Zdic87Zdic86141247.htm&sa=U&ei=PirCTdD3EJCYvAOT_ei-AQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNG1RtwErAAju_RqbIf24Vv5Dth2Jw

[64]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic8DZdicA110777.htm&sa=U&ei=7s2VTejXLIGevQPTnLjmCw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNE_Wgyt8SXCaQ6piTVTHltwoHM86Q

[65]六十余歳の園丁をさす

[66]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE8Zdic90ZdicA5166288.htm&sa=U&ei=JjLCTf75JoGyvgPKwvDQAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHezx-ZANFmRQBzmkw6WEkFGDQKQg中下武官。

[67]原文「除鳴鳳糧」。「除糧」が未詳。とりあえずこう訳す。

[68]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicAEZdic98123201.htm&sa=U&ei=hzCTTYvHA470vQODn_C8CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFkz359onMuCGdBqHgRWPFHzP-2hA官府に没入せられた奴隷

[69]こちらを参照

[70]自分が主人に

[71]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6Zdic83ZdicB4181534.htm&sa=U&ei=9TCTTe-JLIqiuQOiwZG9CA&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNH0q5pWi2ZTfFdJ3U4idUYZ3OtPeg惧戒慎のさま

[72]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/2836920.htm&sa=U&ei=zrLCTamNKZCmvQOX4sXNAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNH9QkJXvkKxbC-NNOu-yPwrjAu-ZQ

[73]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9ZdicA1ZdicBD279251.htm&sa=U&ei=IkaTTZSKHIa8vgPA8OS8CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEptNEBCzAqyKM7Oo-6DUkAPnn8Rw

[74]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7Zdic9CZdic9F99556.htm&sa=U&ei=w9yVTe-xGY-YvAPWgtX2Cw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEPntySmPBGh0lcMOK9dSGVeRb7iQ中医学名。「」、「元とも。「真陽」にしていう。

[75]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/302296.htm&sa=U&ei=ihGVTciLKo-yuAOWzrHsCw&ved=0CBEQFjAC&usg=AFQjCNHe9rp1zYv_eZFqHPfmHgP-xwXbAQhttp://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5ZdicAEZdicB9325705.htm&sa=U&ei=ej7CTdiNHZHqvQOHsIC9AQ&ved=0CBQQFjAD&usg=AFQjCNEI-LJD3ifl2pTUVkbLpHBGHL6KBw黄帝の大臣、法を発明したとされる。

[76]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE4ZdicBFZdicAE95901.htm&sa=U&ei=oyGYTePLJoSPcfzIwY8H&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEpDnI99x8vS4_hteM2b4L91ixF6w道教の修道丹等の活

[77]http://www.google.com/url?q=http://zdic.net/cd/ci/6/ZdicE9Zdic82ZdicAA44206.htm&sa=U&ei=TEaTTc7MGpD8vQPr8Jm9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEJSF-6-xMjL7UKCkUKzegi9YY22w左道傍

[78]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5ZdicA4Zdic96117800.htm&sa=U&ei=zhGVTdHeFo28vwP1tomIDA&ved=0CBsQFjAH&usg=AFQjCNGclgzxue1ruZ-F8f8gZ34UA9a51gひろく正道に合わない論説、法指す

[79]真仙。『漢語大詞典』参照。

[80]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5Zdic8AZdicA9333327.htm&sa=U&ei=rj_CTcrGD4-KvQOJ4dDDAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNH4Zf6TXXvo0tXC8walW4hOIDJPrw学官名。国子祭酒、博士を助けて生徒を教授する

[81]http://hi.baidu.com/%D5%C2%D1%A7%B3%CF/blog/item/53afb11f08394bf6e0fe0b31.html  張羲年。『清史稿』卷一百八・文科「四十三年、助教省蘭、助教銜張羲年以校四庫書賜殿試、非常例。」

[82]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE7ZdicB6ZdicB7197677.htm&sa=U&ei=jzGTTa34O5GkvgOrnq29CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHQbGkkowPsP3Se2l5x1bzdad7BBQ衣服の摩擦する音

[83]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5ZdicA4Zdic96103153.htm&sa=U&ei=DSSUTaiPHYjRceyp3K4H&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNH6he1QuVT8zq58XOoN2QxyCLtSYA間が連なった房屋の中で直接外に通じている部屋

[84]http://maps.google.com/maps?hl=zh-CN&q=%E7%B4%85%E8%8A%B1%E5%9F%A0&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wlこの地か

[85]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE9Zdic98ZdicB4271913.htm&sa=U&ei=VySUTa25JcKdcey-vKsH&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNGG_sxYnWoMasL6Z2kuVINdQcCVzQ

[86]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6Zdic83ZdicA8284109.htm&sa=U&ei=ZSSUTfOgAsn0cPjs9a0H&ved=0CBwQFjAC&usg=AFQjCNF_pwA60xjMWo_p9x9LEmgJ1F61fA暗淡

[87]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5Zdic87Zdic8426027.htm&sa=U&ei=HCOUTamUPMn4cZnLwZAH&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNEWgH5BSYsemiKDSJc5D5JrzS0_tw凄凉悲痛

[88]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE9ZdicA6Zdic9958354.htm&sa=U&ei=WiOUTfvgPILCcZO9naMH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNE41wy61ez9ayeB7QemopVu4HphVw美人の魂

[89]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1904439.htm&sa=U&ei=gUHCTffNN42AvgOf5427AQ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGEU6IpQ1vlZeJ_7ROpEHxnfC_hpA

[90]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic90Zdic8C87718.htm挙で同科に合格した者の互称。

[91]胡紹鼎。字は雨方、号は牧亭、孝感の人。乾隆甲戌の進士、御史となった。『所存集』がある。http://www.google.com/url?q=http://tw.myblog.yahoo.com/jw!ob4NscCdAxS_yWJbxTvlgfR./article%3Fmid%3D40227&sa=U&ei=lbTCTeKzNIuEvAOLzf2zAQ&ved=0CBAQFjAB&usg=AFQjCNEj6BUmxxfTFPhifA6C7xTKFsMOog

[92]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/4407680.htm&sa=U&ei=j0LCTcaLCoyuvgPkhvC0AQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGOTZz7TMAAys1FHLyEjNJQn9fQTQ

[93]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E9%2592%25B1%25E5%25A4%25A7%25E6%2598%2595&sa=U&ei=uELCTfkyhoa-A4aj9cYB&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNEEE78mttcRFgyzgGNsdQbY2FT5Gg

[94]原文「為竹君騰謗、反得喜事名。」。未詳。おそらく皮肉な言い方をしているのであろう。

[95]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE8ZdicA7ZdicA3319242.htm&sa=U&ei=kCuUTZO1BcWecNG5tZAH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGf1uH6WsREhjqI4CjM9QRdNL4TiQ人に嘲笑せられて自ら釈明をなすこと

[96]未詳

[97]巻二十二・二十三にも出てくる。

[98]直隸易州直隸州

[99]http://maps.google.com/maps?hl=zh-CN&q=%E7%A5%9E%E7%9F%B3%E5%BA%84&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=vl

[100]未詳だが、おそらく鉄の表面が錆びて水泡のような形になったものであろう。

[101]http://www.google.com/url?q=http://www.zhongyigjwz.cn/ShowArticle.aspx%3Fid%3D7407832017660658&sa=U&ei=QSfDTaTcCIzcvQOribWQAQ&ved=0CBsQFjAE&usg=AFQjCNF4ZZ9JKCNqIfcFk2dBHisJzTXnHAhttp://www.google.com/search?hl=zh-CN&lr=&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&q=%E6%9F%B3%E8%A0%B9

[102]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE4ZdicBEZdic8D19230.htm&sa=U&ei=R5HCTZr4FYukugPN-KG7AQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEwPIhtuCFokKNwFQaQhEN8AusyMw官名。皇帝禁清代もっぱら満、蒙の功臣の子弟および武士を選んで担任させた。『通志·官五』参照。

[103]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicA4ZdicA754422.htm&sa=U&ei=iZHCTYjuMo_ovQOShqDLAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGjoRnYMYd9JEI6emuV1n-sGwF9MQ礼部尚

[104]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1753%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=qpHCTbDyMZDuvQOu0byrAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEO47cmQoh0LEMvu0q-3mnMkYrWOw

[105]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE6Zdic88Zdic8D83449.htm&sa=U&ei=jjOTTcPEPImcvgOe_IC9CA&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNFwwhrsBiwZ4zXOuJJ1dLtXOkSQ1g守、守

[106]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6ZdicB9Zdic8D5032.htm&sa=U&ei=HdHBTdS2GY6mvQOmu4yiBA&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHSZpRlTQkG4qZRPkKQ5ExrkeHfug勢が急であること

[107]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/18/ZdicE7Zdic80Zdic91146474.htm&sa=U&ei=tzOTTcXrB5GIvgOvoYi9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNETqmkH0CdXqUeebmSLkgRdIPOcyA涌く泉

[108]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/7/ZdicE6Zdic9EZdic81141101.htm&sa=U&ei=0EiTTb-rIYfMuAPo6IW9CA&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNHfbyJsVyxF6py7EfbGCPr_NxKWCQ漢典に適当な語釈なし。「陽の極み」といった意味であろう。

[109]http://zh.wikipedia.org/zh/%E5%85%AB%E5%8D%A6

[110]http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic9DZdic8E.htm八卦の一つ。水を象徴する

[111]http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE7ZdicA6ZdicBB.htm八卦の一つ。火を象徴する

[112]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/163816.htm&sa=U&ei=G7bCTcynAYH0vQPvkZSrAQ&ved=0CCAQFjAF&usg=AFQjCNHMa86zR5duujR3pHzVg5S1mGITaQ

[113]http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE4ZdicB9ZdicBE.htm八卦の首卦。天

http://www.google.com/search?hl=zh-CN&q=%E4%B9%BE%E5%8D%A6&lr=&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi

[114]http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5ZdicA7ZdicA4.htm六十四卦の一つ。巽が下で乾が上

[115]http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic9DZdicA4.htm八卦の一つ。地、母、布、釜、吝

[116]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/483295.htm&sa=U&ei=4RDDTYiZHpGavgPVkpSrAQ&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNEWxpSN2UuTN8GzETMiqu5oQOKklQ

[117]http://www.zdic.net/cd/jd/6/ZdicE5Zdic86ZdicB263.htm淡泊平和

[118]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE5Zdic81Zdic8F22310.htm&sa=U&ei=EkmTTbyYEZC8vgPngP28CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFuYWpJ2FzLmY_Je_dPyi6wAQTohw一方がもう一方を超え、平衡を失っていること。

[119]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6ZdicB2ZdicB8315655.htm&sa=U&ei=JkmTTaafLIryvQOkqZS9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFMtnRW1x1-SiZvaZaT6CURN0U9ww沸騰した水を入れた

[120]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE7Zdic81ZdicAB172995.htm&sa=U&ei=SzSTTbLpNoWgvQOAroW9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEDGkzKGY-o57SfhQZ0ibllve5zBg伝説中の鼠。その毛は火浣布を織れる。

[121]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE7Zdic82Zdic8E164312.htm&sa=U&ei=WDSTTdyBLISqvQO5vrS-CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEeBnVTH5Rydq_ZYo_A8knupCCJnA上の南海炎熱の島

[122]http://zh.wikisource.org/zh/%E7%A5%9E%E7%95%B0%E7%B6%93

[123]神異經北荒經北方層冰萬里、厚百丈、有磎鼠在冰下土中焉。形如鼠、食草木肉。重千斤、可以作脯、食之已熱。其毛八尺、可以為羽褥、臥之卻寒。其皮可以蒙鼓、聞千里。其毛可以來鼠、此毛所在、鼠輒聚焉。」のことか、しかし以下の「氷に穴を掘って住み、氷を齧って食らい、歳を経ると象のように大きくなり、氷が破れるとすぐに死ぬという。(穴冰而居、齧冰而食、久大如象、冰破即死。)」という記述一致しない

[124]http://www.google.com/url?q=http://www.hudong.com/wiki/%25E8%25B0%25A2%25E6%25B5%258E%25E4%25B8%2596&sa=U&ei=15TCTeebNo6gvgPkpLTDAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEMSwxSc6bltrcEjX7nra7uyRnVGA

[125]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5Zdic86ZdicA521589.htm&sa=U&ei=oFCUTZb6A5Oqcaq_yJwH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFXfzVPTZmwnNCPPFPKPsr3GNstuQ冥土籍簿。

[126]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1770%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=WpXCTZHpCpLcvQO2-tG7AQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNFnffY6ygVIOAaGPN5vHFsvm40qUg

[127]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE4ZdicB9ZdicA9209443.htm&sa=U&ei=aZXCTfObHYmUvAOgycGvAQ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHpLrSo07Qh_lY03sTe6u1qTY8dHw扶乩の時にまねく神霊

[128]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6ZdicB3ZdicBC154524.htm

[129]原文「俄御試翰林」。未詳。とりあえずこう訳す。御試は天子の行う試験。普通は殿試をいうが、http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE5ZdicBEZdicA1123753.htm&sa=U&ei=fJ-_TZa1AoLOvQOEnISgBA&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHv80CWBhGCVVNpqpTvUApszMNiXgここではそうではなく、翰林学士を対象とした天子が試験することがあったようである。「御試翰林」という言葉は『清史稿』に幾つか見える。一例を挙げる。『清史稿』卷十・乾隆二年「戊戌、御試翰林、・事等官、擢陳大受等三員為一等、餘各陞黜有差。」。

[130]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7ZdicBCZdic96205082.htm&sa=U&ei=7JXCTa3qDo70vQPi9vGzAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNG2iYS7hKCjrdCGR7aDOtgrWI0eaQ

[131]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6ZdicB2ZdicB3294381.htm&sa=U&ei=FJbCTe_iHYeGvgOwjuHAAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGO8Whve3bppj2YIdZUFukSlEQi7w晋の潘岳は河陽(今の河南省孟西)令に任ぜられ、一県に遍く桃李を種え、美談として伝えられた

[132]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5ZdicA4Zdic96111731.htm&sa=U&ei=QzWTTZ3aJZC8vQPa3fi8CA&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNEQzaODO7NSn6gu6mBN9VETy21IEg地方官

[133]原文「蓋朝官僕隸、視外吏如天上人。」。未詳。とりあえずこう訳す。地方官のほうがなぜよいのかは未詳。賄賂がたくさん取れるからか。

[134]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6Zdic96ZdicB9161356.htm&sa=U&ei=QlGUTbW7LY_CcfGfsKEH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEoy1ckwLCCKXi7_cQipj14T-bk7Q漢典に適当な語釈なし。「端立」と同じできちんと立つということであろう.

[135]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/17/ZdicE8Zdic9EZdicB3194199.htm&sa=U&ei=JZrCTfahNovovQO1wZyuAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNH8s-L8MGxnxrOG8T7zxL2T30xkXQ「螳螂捕蝉、黄雀在後」の略http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/17/ZdicE8Zdic9EZdicB3334833.htm&sa=U&ei=UJrCTY26FouMvQPMgoHSAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEtZ_7oJWd5SdRnXCsoJRW32MdcGA『荘子·山木』「庄周游乎雕陵之樊、覩一異……蹇裳躩執弾而留之。覩一蝉、方得美而忘其身、螳蜋翳而搏之、得而忘其形、異従而利之、利而忘其真。」劉向『苑·正』「園中有、其上有蝉、蝉高居悲鳴飲露、不知螳蜋在其後也、螳蜋委身曲附欲取蝉、而不知黄雀在其傍也。」螳螂が一心に蝉を捉えようとし、黄雀が後ろでかれを食らおうとしていることを知らないこと。浅はかで、眼前の利益を顧みて後患を顧みないことの比喩

[136]元年(千七百九十六年)http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E7%25B4%2580%25E6%2598%2580&sa=U&ei=pDXDTcj0B4TsvQPzzrigAQ&ved=0CBkQFjAD&usg=AFQjCNEOOaPEQPxO6paPaOQoWMjMAgTtuA 

[137]直隸順天府の県名。

[138]元年(千七百九十六年)。白蓮教の乱(川楚白)があった。http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/24896.htm&sa=U&ei=TDbDTeO-KpCivQOd1d22AQ&ved=0CBMQFjAB&usg=AFQjCNHgVmHtA-_C_1ftvUJY79QcVV2OCA 

[139]光緒九年『畿輔通志』巻百二十一参照。良郷付近の地名

[140]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicB9Zdic8C98287.htm&sa=U&ei=qjeTTZD5GYvIuAOvppW9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEda-IuWC5gYwGSdxE5sB-9EKv-lA地名。今の南京市秦淮河の南にある。三国呉のここに営を置き、士兵が衣を著けていたことで名を得た。王・などの望族がここに住んだので、著名である

[141]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/16/ZdicE9Zdic9BZdic95125916.htm&sa=U&ei=tzeTTfzYJ42-vgPF7PG8CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNH5Jrs5HIdHKs4UuMQ6w84Y-lav0g、彩を施した。装飾華美な梁。

[142]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE7ZdicA7Zdic80183600.htm&sa=U&ei=TE2TTfnQD4qmvgOq0fy8CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGGXgI8bl2VAE5MsQWItqgit1FOfg、秀麗沢潤

[143]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/16/ZdicE8ZdicA1ZdicA183858.htm&sa=U&ei=0pvCTf6DOIiOvQO6w5HRAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHvXb6u4H7Zhh0rFEakFs33vI1e7g衡山は山名だが、なぜここで衡山を持ち出してくるのかは未詳

[144]http://www.google.com/url?q=http://jrj.gg-art.com/dictionary/dcontent.php%3Fbookid%3D34%26name%3D%25B5%25C2%26proname%3D%26keywords%3D%26bookdetailid%3D52200%26columns%3D2%26strokes%3D0&sa=U&ei=9pvCTaP_J4SgvQP51PCwAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNFlk5sll4CN4E77C9wL2YWoLzq84A

[145]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7ZdicBFZdic9B22354.htm&sa=U&ei=BjiTTaCjEIuKvgPE6YS9CA&ved=0CBQQFjAD&usg=AFQjCNHlLWX6zPa5Ez71125ZsASELxHyHg拘束のないさま、超脱のさま

[146]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE9Zdic81ZdicA5232646.htm&sa=U&ei=B06TTf-ECoLyvQPrqpG9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF7KzYCQyhCMlB9QvrpbNr3nE8YFAな情思。

[147]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9ZdicABZdic9852427.htm&sa=U&ei=8EyTTfPfJI3YuAPY2cG9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFVZsppgaAWBt7pbFv2OXiaq4O7cQ高雅な度。

[148]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/133843.htm&sa=U&ei=S7jCTc-ROo7IuAPw2ZHDAQ&ved=0CBAQFjAA&usg=AFQjCNGTgNzDlA9a0ataXGodMvFM08v5WQ

[149]『不下帶編』「郭恕先於絹素一角作遠山數峰。馬遠水墨西湖十景冊、畫不滿幅、人稱為“馬一角”。【姚雲東詩:“宋家院馬一角”是也。】彼非不能佈滿也、蓋方寸具千里之勢耳。」

[150]な情思、高雅な度の片鱗を窺うものに過ぎないということであろう

[151]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7ZdicA5ZdicA0184196.htm&sa=U&ei=TjiTTbakOYOOuQOUmYm9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHI8Kjb90PevhLrRDx8W-bgrQ3nFw祠堂、神

[152]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE4ZdicBFZdic8E63989.htm&sa=U&ei=Qk6TTdXnDIGevgOy8JS9CA&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNFy7-OL-ZOYBPnHpDh9e_KIm5bMbA俎と豆。祭祀、宴の時に食物を盛る二種の礼器。またひろく各種の礼器をさす。

[153]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE9ZdicA3Zdic8E68716.htm&sa=U&ei=xk-TTYSHO5CYvAPntaG9CA&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNFmAwVeIyw1Cdq-lJdL4rWrfAqqng度品格。ここでは祖先のそれであろう

[154]原文「肸蠁如聞者」。未詳。姿ははっきりえないがこえるかのようであるということかhttp://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cy/ch/ZdicE5ZdicA6Zdic8218840.htm&sa=U&ei=V-a_TcKKL5GYvAPBu6m2BA&ved=0CBQQFjAD&usg=AFQjCNEbKMmNGaFES0_h72jKjlCz7eBtNQ

[155]河南開封府の県名。

[156]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/31335.htm&sa=U&ei=b6DCTZfRDoiavgO_57XFAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNFKuuH9iQ8R2XvgsmmKvvq9A5blSQ

[157]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7ZdicA5ZdicA0362932.htm&sa=U&ei=6DiTTb70J4SGvAOK65S9CA&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNHdi1ErLun91O_8duVIiSAhWhmGBA祠堂と

[158]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicA3ZdicAB31181.htm&sa=U&ei=AzmTTZ-dM4eEvAPJ_IW9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEbJQOuRb5oAnUBZ4fryH5MRZ87qQひろく読書人、文士をさす

[159]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE9Zdic87Zdic8E243360.htm&sa=U&ei=EzmTTe7BO4y6vQOCwP28CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGE4uFTuVHxt-DURVAMcF__CRIujQ野外で祭祀すること

[160]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/196782.htm&sa=U&ei=XbnCTZKvPI-kugO339irAQ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNG04DpOE-IkuZF6Vj24P40-uxin1g

[161]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/417276.htm&sa=U&ei=fLnCTZnVM5GivQOI2fnLAQ&ved=0CBAQFjAA&usg=AFQjCNF6ACxq6L3QNIUVqsAriE34KbIRGghttp://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/~chengyan/index.php?%E5%85%AD%E5%8D%81%E7%A8%AE%E6%9B%B2%2F%E7%90%B5%E7%90%B6%E8%A8%98

[162]巻十三・十七に「梁豁堂」として出てくる。

[163]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7ZdicB2ZdicA4201688.htm&sa=U&ei=xrnCTbOpMI6WvAOMxLzDAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNE2ljqURQjlPwyCu1av1e6jPAO15g

[164]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE4ZdicBCZdicBD72813.htm&sa=U&ei=2bnCTefzHYimugPfjJ3GAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEClH9pkJ3Fe72dcuL4n2a24fl0nQ

[165]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE5Zdic83ZdicA710403.htm&sa=U&ei=vzmTTcabOo7evQOtk6W9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFogOZIURFB2Wlkx-VN6LQCNJ5Itw僧舎

[166]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE7Zdic89Zdic92.htm&sa=U&ei=FHSUTYLyKMikcbzq1KAH&ved=0CBMQFjAB&usg=AFQjCNGZJopS3ahQ1mqXDQyGRmnzIj3oDA

[167]正一真人。正一嗣教真人。正一道の教主張天師のこと。官名。龍虎山正一真人。正三品。『清史稿』巻一百十五・僧道司参照。龍虎山は江西省広信府の山名。張道陵の子孫が代々居住していた。巻十、十三にも見える。

http://gan.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A9%E5%B8%AB%E4%B8%96%E7%B3%BB&variant=ganhttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:2MPgrylEM8cJ:www.hebdj.com/bbs/ShowPost.asp%3FThreadID%3D22+%E5%BC%B5%E9%81%87%E9%9A%86&cd=15&hl=zh-CN&ct=clnk

[168]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicA4ZdicA9282380.htm&sa=U&ei=g6bCTeOkNouEvAOLzf2zAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGFgEvaDhPbLJPSrn_51YSBYivbUA東漢の張道陵とその子孫。ここでは正乙真人に同じ。

[169]未詳

[170]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6Zdic96Zdic87168514.htm&sa=U&ei=TjuTTZv3LYmiuQP9vem8CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEIk6awK0mJDXURCdwlt7Y6xNvlQQ賦詩

[171]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicBAZdic9E332456.htm&sa=U&ei=kTuTTYKeEZC6vQOxgvW8CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFkbOZSc6IAPguiBR-4rDjTDMzGbg眉毛がごましおであること

[172]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7Zdic9AZdic93347876.htm&sa=U&ei=nKfCTaOWII20vgPa9Jy3AQ&ved=0CBQQFjAB&usg=AFQjCNEfDfiXMpfB7X3lBK-Wo8GL8xyglQ、白髪。

[173]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cy/ch/ZdicE4ZdicBBZdic9922287.htm&sa=U&ei=WlOTTaG1IYnEvQOAsZC9CA&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNFuL8kCiKalPuXJlNooa73HkzGiUQ骨は気概のこと。仙人の度、道長の気概。人の骨神采が衆人とことなること。

[174]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE6Zdic98Zdic9F69534.htm&sa=U&ei=ozuTTZ6cM4euvgO2ppm9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGAWiQDGPasxuvJqJXeqIl1zmvp2Q道士の帽子。

[175]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicA7Zdic91127539.htm&sa=U&ei=V1KTTcKjPJGiuQP8o4i9CA&ved=0CBEQFjAC&usg=AFQjCNG-K_O4oKzlL3Hqc5KH3eN25SJckA山名。山西省西にある

[176]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7ZdicBBZdicB052741.htm&sa=U&ei=bVKTTcPdIY6OvQPxrZi9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHidXHsGZ1uS_22sm0xpjkzMYYXVA柔婉美好のさま

[177]http://ctext.org/daoism/zh?searchu=%E8%97%90%E5%A7%91%E5%B0%84%E4%B9%8B%E5%B1%B1%EF%BC%8C%E6%9C%89%E7%A5%9E%E4%BA%BA%E5%B1%85%E7%84%89%EF%BC%8C%E8%82%8C%E8%86%9A%E8%8B%A5%E5%86%B0%E9%9B%AA%EF%BC%8C%E6%B7%96%E7%B4%84%E8%8B%A5%E8%99%95%E5%AD%90

[178]巻六、十二、二十三にも見え、呼称は「舅氏」、巻六のみ「從舅」となっている。「舅氏」は母親の兄弟http://www.zdic.net/cd/jd/13/ZdicE8Zdic88Zdic85209573.htm、「從舅」は母親のいとこまたははとこhttp://www.zdic.net/cd/jd/4/ZdicE4ZdicBBZdic8E122536.htm。巻六に「從舅實齋安公」、巻十二に「舅氏安公實齋」と見え、安という姓であったことがわかる。紀ホの母親は張氏だが、紀ホの父は三度娶っておりhttp://74.125.153.132/search?q=cache:F-Ptg4uTu_8J:www.sharechn.com/zone/cangzhou_1_4_5652_Info.html+%E5%AE%89%E5%A4%AA%E5%A4%AB%E4%BA%BA+%E7%B4%80%E6%98%80&cd=2&hl=zh-CN&ct=clnk、最初の夫人を安氏といい、「安太夫人」として巻八、十五に出てくる。安實齋は、おそらく、この「安太夫人」の兄弟かいとこかはとこなのであろう。なお、巻七には「安氏從舅」という言葉も見えるが、おそらく安實齋のことであろう。

[179]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/2221527.htm&sa=U&ei=qajCTfP6Ooq6vQPusbWrAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEMaAgr4n5j5rR87xF3FZYC1GmBZA

[180]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/3942561.htm&sa=U&ei=wKjCTZW5FpLsvQPP95ivAQ&ved=0CB8QFjAE&usg=AFQjCNE_jmOD8goAdWbjLMDsJRkIgshjFg

[181]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE6Zdic80ZdicBB38301.htm&sa=U&ei=5KjCTa2yA5C8vgPp2fmwAQ&ved=0CBAQFjAB&usg=AFQjCNEaPiMrfx4i6IL6NnrfMBEahADUYQ幼馴染

[182]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5Zdic85ZdicAC43492.htm&sa=U&ei=Sz6UTfn3FY70cf6o6aUH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNG99waooZrXLWhYarwY95qHuXyz2w代、公の車馬で召しに応じる人を運んだので、後に「公を挙応試の代称とした。

[183]http://www.zdic.net/cd/ci//10/ZdicE7ZdicACZdic9421015.htm写字、描画、作文。

[184]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE8Zdic8AZdicB1317907.htm&sa=U&ei=iDyTTfmbBpC2vQOTtIS9CA&ved=0CBEQFjAC&usg=AFQjCNEaAO84hN7rBRkYxPzLM6RnXzLgLQ婦女の戴く花と塗る白粉。また化粧品の代称。

[185]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE8ZdicA1ZdicA3195212.htm&sa=U&ei=pqrCTfetLImGvgPJ9JXDAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGZyTtNKhHu9d8utdF-jcX7Uq1-Yw衣服と装身具

[186]原文「柳棺」。未詳。柳を編んで作った棺か。

[187]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic99ZdicAD.htm&sa=U&ei=UD2TTa_mGY-8vwO2nYi9CA&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNGNjfJpVWwF2f3ubCacpSmeD6mulQ声音響亮のさま

[188]張景運。次注参照

[189]http://www.google.com/url?q=http://www.dl-library.net.cn/book/555/qiupingxin--554218.html&sa=U&ei=-avCTcKBJIX4vwOupIHAAQ&ved=0CBAQFjAB&usg=AFQjCNEekppL4WIntfYrK01znbG9cg38gA

[190]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1615%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=jazCTcT1FI2EvgPCnqnKAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNESAv7vi-dnnkk0_O6ZonR7Rt28NA

[191]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5ZdicBDZdicA2124062.htm&sa=U&ei=J1eTTZ7DA43EvQOTnI29CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNExbLc0luYiupsq7t4IikzBwucz7g輿

[192]http://www.google.com/url?q=http://www.hudong.com/wiki/%25E7%25BA%25AA%25E6%25B1%259D%25E4%25BD%25B6&sa=U&ei=2KzCTe3qIIG4vQPnppXPAQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNF0XDp81jyw8eauWWhS_B9M_jMjlA

[193]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE4ZdicB8Zdic9616404.htm&sa=U&ei=aT6TTbTUHYWEvAOjnJy9CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFcOZxOo1cTOOg7UvMfFc_SeoKGYw代々姻戚

[194]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5ZdicBCZdic82182047.htm&sa=U&ei=ej6TTeTpOIOevgPgsP28CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEu0pK_3jTRvyQ8pqSAWS-lEKq0BAことなる言と意

[195]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE9ZdicB2Zdic8185594.htm&sa=U&ei=WgLBTcipC4qivQPcwrSfBA&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNFiBtOjUJxe2IiGXQzXFKwmxzyG0w『春秋』

[196]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE4ZdicBDZdic9C304800.htm&sa=U&ei=sz6TTfHpM47IvQOE6Y2-CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNETCCYMyP5aKGU9tnnx8ZEUu7yYqg人が空地で演芸すること

[197]「蔡中郎を唱ふ」は蔡中郎に関する物語を講唱することであろう

[198]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6Zdic8CZdicAF141891.htm&sa=U&ei=KtCVTayuEoqovQPAtun2Cw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHmfAqvflV8YzTo7XZFIC_9gUPylA古、往昔

[199]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE7ZdicA2ZdicA7176656.htm&sa=U&ei=_xiVTcuUNIi6vQOc8JnkCw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNFGiZ98b3Ib0SukbwVlKo5D4lL0mg名。魏泰作、宋梅托名している

[200]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikisource.org/zh/%25E5%2591%25A8%25E7%25A7%25A6%25E8%25A1%258C%25E8%25A8%2598&sa=U&ei=SK7CTYLCJIbevwOy9cXNAQ&ved=0CBMQFjAB&usg=AFQjCNHOhFlQGMurm8jRLRHFXNTnIJVPsA

[201]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/541677.htm&sa=U&ei=aa7CTeD6HoW0vgPpqZi1AQ&ved=0CBYQFjAC&usg=AFQjCNFjJkjgTfSt7qbvbMXHlihJuo-YDw

[202]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/649554.htm&sa=U&ei=vK7CTY6cII6sugOM8OS_AQ&ved=0CBkQFjAC&usg=AFQjCNFv8-5XRih_jUvExwHhMdi3_6KFFA

[203]http://www.zdic.net/cd/ci/15/ZdicE6ZdicA8ZdicAA152441.htm。ここでは閨房のこと

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