第二十二巻

灤陽續録四

  劉香畹[1]が言った。老儒が親戚の家に泊まっていると、にわかに主人の婿が来たが、そのものは無頼漢であった。おたがい気が合わなかったので、ともに一つの部屋に泊まることを願わず、老儒を別の部屋に移した。その婿はそれを見て笑っていたが、そのわけは分からなかった。部屋も清潔で、筆硯書籍はすべて具わっていた。老儒が燈下で、家に寄せる手紙を書いていると、たちまち一人の娘が燈火の下に立ったが、容色はさほど美しくなく、風采はすこぶる嫻雅[2]であった。老儒はかれが幽鬼であることを悟ったが、特に恐れず、手を挙げ、燈を指すと言った。「こちらに来たのだから、ぼんやりと立っていてはいかん。燭を切るべきだ[3]。」。娘はすぐにその燈を消し、近づくと向かいあって立った。老儒は怒り、いそいで手で硯の上の墨汁を摩り、かれの顔を掴んで塗ると言った。「これを印にし、明日、おまえの屍骸を探し、折って焼こう。」。幽鬼は呀然[4]と声を出して去った。翌日、主人に告げた。主人は言った。「もともと下女がこの部屋で死に、夜ごと出てきて人を騒がしていました。そのため白昼に客と坐するだけで、夜になると宿る人がいなくなりました。昨日、あなたをお留めする場所がございませんでしたが、あなたは耆徳[5]碩学でございますから、幽鬼はかならず出ぬものと思っておりました。ふたたび姿を現そうとは思いませんでした。」。かれの婿がひそかに笑っていたわけが分かった。この幽鬼はしばしば月下を中庭に行き、後に家人でたまたまかれに会った者がいたが、すぐに顔を掩っていそいで逃げた。後日、注意して伺うと、顔はまだ墨でめちゃくちゃに汚されていた。幽鬼は(すがた)はあるが(なかみ)はないのに、どうして色を受けられるのか分からなかった。きっとまだ(なかみ)があるもので、久しく精魅となり、下女を借りて姿を変えただけであろう。『酉陽雑俎』にいう。「郭元振[6]がかつて山に居たとき、真夜中、顔が盤のような人が、瞬きしながら[7]燈下に出てきた。元振は筆を浸してその頬に題した。『久戍[8]して人ひとへに老い、長征して馬肥えず。』。するとその(もののけ)は消えた。後に樵に従って散歩したところ、巨木の上に白耳[9]があるのを見たが、大きさは数斗で、題した句があった。」。これも一つの証しである。

  
  烏魯木斉(ウルムチ)の農家は、多くは水の(ほとり)で田に灌漑し、田の辺に家を建設するので、村を作って住むことができなかった。しばしば単独で数棟を築くが[10]、四方に隣家がないことがあり、杜工部の詩にいう「一家村」[11]のようであった。それに人々は傜役はなく、地は測量されることがなく、三十畝の税を納めれば、坐して数百畝の地産を耕すことができた。そのため深岩窮谷に、この類のものたちはもっとも多かった。ある吉木薩(ジムサル)の軍士が山に入って狩猟し、一軒の家を望み見たが、門戸は堅く閉ざされ、中庭に十余頭の馬がいるかのよう、鞍と轡はことごとく装備されていた。きっと瑪哈沁(マハチン)が占拠しているのだと思い、騒いで囲んだ。瑪哈沁(マハチン)は軍勢が多いのを見ると、鍋と帳を棄て、囲みを破って去った。人々はかれらが死闘するのを恐れ、追いもしなかった。門に入ると、骸骨が散乱し、寂として一人もおらず、隠隠と泣く声がするばかりであった。探して見ると、少年で約十三四歳のものが、裸体で窓の(れんじ)に懸けられていた。縛めを解いて尋ねると、言った。「瑪哈沁(マハチン)は四日前に来、父と兄はかれらと闘って敗れ、すぐに一家がすべて捕縛されました。おおむね一日に二人を山溪に引いてゆき、洗って戻り、ともに割き、炙って食らい、男女七八人はすべて食らい尽くされました。今日は行くに臨み、わたしを洗いおえますと、すぐに食らおうとしました。中の一人が手を振って止め、額魯特(オロト)の言葉を解しませんでしたが、その身振りを見ますと、ばらばらにして数段にし、それぞれ馬上に携えて食糧にしようとしているかのようでした。さいわい兵が来、棄てて去りましたので、今命が助かりました。」。絮絮[12]と泣いて止まなかった。かれに身寄りがないことを憐れみ、陣中に引いて帰り、ひとまず雑役をおこなわせた。童子はそこでかれの家にはなお物品があり、(あなぐら)の中に埋めてあると言った。営弁[13]が導いていって発掘させれば、銀幣衣物がたいへん多かった。くわしく童子に尋ねると、かれの父兄がいずれも強盗であったことが分かった。かれらが強盗を行うのはかならず駅路の山に近い処で、一二輌の車が単独でゆき、前後十里に助ける者がいないのを望み見ると、にわかに立ち上がってその人を殺し、すぐに車に屍を載せて深い山に入った。車が通じることができないところに到れば、手あたり次第に巨きな斧で砕き、屍および襆被[14]とともに絶澗[15]に投じ、馬で貨物を担いで去った。さらに馬が通じることができないところに到れば、馬具[16]を絶澗に投じ、馬を放ってゆくに任せ、ともに背負って鳥道[17]から帰った。強盗をおこなった処を去ること数百里であった。帰って(あなぐら)に隠すこと一二年、人に命じて商人であると偽らせ、回り道して辟展[18]の諸処にいって市で売っていたので、長年気づく者はなかった。ところが瑪哈沁(マハチン)がかれの家を滅ぼしたのであった。童子は幼かったので連坐を免れたが、後にやはり牧馬していたときに崖から落ちて死に、子孫はなかった。この事はわたしが軍幕で処理[19]し、盗人がすでに死んだので、措いて論じなかった。今にして思えば、この盗人は蹤跡は計り知れず、にわかに捕縛するのは容易でなかったので、瑪哈沁(マハチン)が来、その惨殺の罪に報いたのである。瑪哈沁(マハチン)は人を食らって飽くことがなく、一人の童子を留めたのは、かれらが禍を招いた理由を明らかにしたのである。この中には神理があるかのようで、偶然ではなかった。盗人の姓名は忘れて久しいが、童子は、崖から落ちた時、役所の牒報[20]に秋児と記名してあった。

  
  佃戸の劉破車の妻が言った。ある日、朝起き、涼しいうちに中庭を掃除したことがあったが、見ると家の裏の藁屋[21]の中で、二人が裸で臥していた。驚いてその夫を呼んでくると、隣人の娘とその月作[22]の人であった。並んで僵臥[23]しており、すでに死んでいるかのようであった。まもなく隣人も来、心のなかで事情を悟ったが、どうしてここに来たか分からなかった。生姜湯を飲ませると目ざめた。みずから隠せず[24]、言った。「ながいこと約束しておりましたが、狭くて隙地はございませんでした。雨の後に塀が壊れ、空もまた暗いのに乗じ、破車の藁屋に人がいないことを知りますと、草を布いて密会しました。疲れて休み、なお恋々として起きませんでした。たちまち雲が破れて月が来、皎然として昼のよう、棚の中を振り向きますと、七八の幽鬼が坐しており、指さしてからかいました。そこで驚き恐れ、魂を失い、今になってはじめて目ざめたのでございます。」。人々は珍しいことだと思った。破車の妻は言った。「わたしの家にはもともと幽鬼はおりません。芝居を見ようとして、ついて来たのでございましょう[25]。」。亡き従兄懋園は言った。「どこに幽鬼がいなかろう。どこに芝居を見る幽鬼がいなかろう。人に見るものがいたり見ないものがいたりするだけだ。この事は珍しくない。」。そこで思い出したが、福建の囦関公館(俗に水口という。)は、大学士楊公[26]が閩浙を総督した時に再建したものであった。おりしもわたしは出巡していたが[27]、わたしに言った。「水口公館にゆかれ、夜に見えるものがあっても、どうか恐れないでください。害はなしません。わたしはかつてこの地に宿り、鍵を掛けて眠りましたが、気候が暑かったため、牀を移して窓に近づき、紗幌[28]を隔てて空の晴陰を見ておりました。時に月が暗く、簷に六つの燈を掛けてありましたがなお灰になっていませんでした。中庭の黒い影を見ますと、ほぼ人の姿のようで、階の前で、あるときは坐し、あるときは臥し、あるときは歩き、あるときは立ち、寂然として一声もありませんでした。夜半にふたたび見ますと、まだいました。夜明けになると、だんだん縮んで地に入りました。駅吏に尋ねてみますと、みな知りませんでした。」。わたしは言った。「公は使相[29]でございますから、鬼神がひそかに従っているはずでございます[30]。わたしにどうしてそうしたことがございましょう。」。公は言った。「そうではございません。仙霞関内[31]の地は水陸の要衝で、兵を用いる者はかならず争います。明末の唐王[32]、国初の鄭氏[33]、耿氏[34]は、戦闘で殺傷せられたものは、幾ばくか知りません。これはかれらの沈淪している(たましい)が、建物が空虚であるのに乗じてひそかに拠ったものの、大官が来ましたので、避けて出たのでございます。」。これも幽鬼がいない処はないという説を証すに足りる。

  
  老僕の施祥がかつて言った。「天下で幽鬼だけがもっとも愚かだ。幽鬼が部屋を占拠すれば、人は多くはそこへはゆかない。偶然客が宿りに来ても、しばらく居るだけなのだから、しばらく譲って[35]なんの差し障りがあろう。それなのにかならず出て騒がすとは。禄命[36]が重く、血気が(つよ)い者に会えば、多くはおのずから敗れ、はなはだしい時は符で祓われ、さらに不測を踏むだろう。たといそうではなくても、人は居ないのだから、家はかならず直されない。しばらくしてひとりでに崩れたら、おまえはどこに身を寄せるのだ[37]。」。老僕の劉文斗が言った。「その言葉は本当に尤もだ。しかし誰が幽鬼に知らせられよう。おまえは幽鬼より愚かでないか。」。姚安公はそれを聞くと言った。「劉文斗はまさに愚かでないことを患っているだけだ[38]。」。祥は幼名を挙児といい、姚安公と同庚[39]で、八歳ですぐに公の伴読となった。数年で、はじめて『千字文』を暗誦できるようになったが、書巻を開けば一字も知らなかった。しかし天性忠直で、主人の事を見ること自分の事のよう、怨恨も避けなかった。その時、家中では表向きのことは祥に頼り、内向きのことは廖媼[40]に頼り、百事はすべて井井としていた。雍正甲寅[41]、わたしは年が十一で、元夜[42]にたまたま玩具を買った。祥は張太夫人に申しあげた。「四官さま[43]は今日燈市に遊び、雑物幾許かを買われました。金銭はもとより惜しむに足りませんが、先生が明日開館[44]されますのに、遊びを気にされているのか。勉強を気にされているのか分かりません。」。太夫人は頷いて言った。「おまえの言う通りだ。」。すぐに篋に収めて鍵した。これは細事だが、まことに人が言い難いことを言っている。今、眼中にこの人はいず、徘徊四顧し、はるかに想って慨然[45]としている。

  
  亡兄晴湖の第四子汝来は、幼くして美しく、わたしはもっとも愛していたし、やはりすこぶる勉強することを弁えていた。妻を娶り、子を生んだ後、たちまち顛狂を患った。世話する人がいなければ、髪を剃らず、顔を洗わず、夏に絮を着たり、冬に葛を着たりしたが、疾病はなかった。寒暑に侵されない者のようであった。食事に呼ぶとすぐに食らい、食事に呼ばなくても求めなかった。ある時はみずから市中の餅餌を取り、児童を呼んでともに食らい、その値段を問わず、残しても惜しまなかった。ある時は、一二日見つからなかったが、たちまちひとりで帰ってきた。ある日、くまなく捜しても行方が知れなかったが、ある人が村外れの柳の林の中に人がいるようだと言った。走っていって見ると、すでに端坐して死んでいた。かれが迷わされて死んだのかは、知ることができなかった。あるいは得たものがあり、人の世に身を寄せ、縁が尽きて化して去ったのかも知れなかった。思えばわたしが福建から帰郷した時、わたしを見るとなお礼法通りに跪拝し、拝しおわると、卒然として言った。「叔父さまはたいへんお疲れさまでございます。」。わたしは言った。「どうしようもない。」。さらに卒然として言った。「叔父さまは苦しみを感じられないのですか。」。黙黙と退いて去った。後にその言葉を思えば、意図があるかのようであったが、今でも結局推し測れない。

  
  姚安公が言った。廬江[46]の孫起山先生が謁選[47]した時、貧しくて資金がなく、沿途驢馬を雇っていった。北方でいう「短盤[48]」であった。ある日、河間の南門外に到り、驢馬を雇えないでいると、大雨がにわかに来たので、民家の簷の下に避けた。主人はそれを見ると、怒った。「家を造る時におまえは金を出さず、地を築く時におまえは力を出さなかったのに、どうして理由なくこちらに坐っているのだ。」。推して雨の中に立たせた。時に河間はまだ題缺[49]を改めていなかったので[50]、起山は入京すると、数か月足らずでこの県を引くことができた[51]。赴任した時、この人はそれを知り、慌てて恥じて[52]みずからを悔い、家を売り、家を移そうとした。起山はそれを聞き、召してくると笑ってかれに語った。「わたしはどうしておまえたちと争うにいたろう。今ここに来たからには、後にまたあのようにしてはならない。やはり忠厚養福[53]の道だ。」。そこで一事を挙げて言った。「わたしの郷里に花を植えることを好む者がおり、ある晩たまたま起きたところ、数人の娘が花の下に立っていたが、いずれも知りあいではなかった。狐魅であると悟り、すぐに(つちくれ)を擲ち、言った。『妖物は花を盗み見られぬぞ。』。一人の娘が笑って答えた。『あなたは昼から賞で、わたしは夜から遊んでいるのですから、あなたに何の妨げがございましょう。毎晩こちらに来、花は一茎一葉も損なわず、花にまたどうして妨げがございましょう。すぐに争われるとは、どうしてここまでお心が狭いのでしょうか[54]。わたしはあなたの花を揉み砕かないことができないわけではございませんが、人がわたしたちの見識も、あなたと同じだと思うのを恐れ、そうせぬだけでございます。』。飄然としてともに去り、後に他のこともなかった。狐さえこのものたちと争わないのに、わたしは狐にも及ばないのか。」。その後、この人は結局安心せず、家を移して行方が知れなくなった。起山は嘆いた。「小人の心は、天下はなべて小人であると思っているのだ。」。

  
  太原の申鉄蟾[55]は、香奩[56]の艶体[57]に、不遇の感を寓することを好んだ。かつて某公に謁しようとして会わず、戯れに無題詩を作った。「堊粉囲牆画楼を(おほ)ひ、窓を隔てて細箜篌[58]を撥くを聞く。分の信使[59]の青鳥[60]を通ずるなく、まげて遊人をして紫騮[61]を停めしめ、月姉[62]定めてまさに顧兔[63]に従ふべし、星娥止むべく牽牛を待ち、垂楊疏らなる処雕
[64]近く、ただ恨む珠簾の鉤に上らざるを。」きわめて玉溪生[65]の雰囲気があった。王近光[66]は言った。「織女まで疑い、仙霊[67]を誣蔑[68]するべきではないようだ。」。わたしは言った。「『やんぬるかな。織女黄姑[69]に別れ、一年一度一たび相(まみ)え、彼此(ひし)河を隔てて何ごとかなからん。』は元微の詩である。『海客(いかだ)に乗りて紫氛[70]に上り、星娥織るを罷め(ひとへ)に相聞き、ただまさに憚らざるべし牽牛の妬むを、支機石[71]を把りて君に贈る。』は李義山の詩である。微之の意は、双文[72]にあり、義山の意は、令狐[73]にある。文士は筆墨を弄び、それを借りて比喩しているので、まったく織女と関わりなく、鉄蟾の言葉も、なお元・李の志を言っているだけであり[74]、仙霊を誣蔑しているのではない。まったく虚構でありながら、さながら実事のようであり、その時と場所を示し、姓名を撰することにいたっては、『霊怪集』に載せる郭翰が織女に会った事(『霊怪集』は今は佚し、この条は『太平広記・六十八[75]』に見える。)が、でたらめの甚だしいものである。そもそも詞人が引用するときは、百家を漁猟しているので、もとより逐一調べることはできないが、誣罔[76]に過ぎている場合は、やはり知らないとすることはできない。そもそも荘列[77]が寓言を借りて意を述べてから、戦国の諸子に、雑説はいよいよ多く、讖緯稗官は、つぎつぎに祖述し、ほしいままで忌憚ない時があった。たとえば李冘の『独異志』[78]は、伏羲は兄妹で夫婦となり、すでに良心を失っていると誣い、張華の『博物志』はさらに誣いることが尼山[79]に及び、もっとも狂妄である(編者按ずるに、張華[80]はここまででたらめ[81]であるはずがなく、後人の依托であろう。)。このような者は一つだけで足りず、今なお流伝しており、痛恨すべきである。また、史文に依拠し、穿鑿[82]鍛錬[83]したものがある。たとえば『漢書・賈誼伝』にある「太守呉公之を愛幸す」の言葉にかんして、『駢語雕龍』[84](この書は明人の撰したもので、陳枚[85]が刻したものだが、作者の姓名を記していない。)は、長沙[86]を孌童の類に列ね、『大儒龍陽となる』と注している。『史記・高帝本紀』は、母の媼が大沢の中におり、太公が見にゆくと、蛟龍がその上にいるのを見たと称している[87]。そこで晁以道[88]の詩には『翁を殺して我に分かて一杯の羹[89]、龍種[90]由来事杳冥[91]なり。』の句があり、高帝は龍が交わって生んだもので、太公の子ではない。『左伝』には、「成風私かに季友に事ふ[92]」、「敬嬴私かに襄仲に事ふ[93]」の文がある。「私かに事ふ」というのは、ひそかに交わりを結んでその子を立てることを謀っているだけである。後儒は『私』の字に拘泥し、朱子にも『卻つて是れ大悪なり[94]』の言葉がある。このようなことも一つで足りない。学者は真偽を調査するべきで、みな博学をひけらかし、新奇をてらって、すぐに執って話柄とすることはできない。」。

  
  従叔の梅庵公が言った。一族に二人の少年がおり(これはわたしが若い時、公の言うことを聞いたもので、かれらの字号を忘れたが、おおかた伯叔の世代であろう。)、某の墓の中に狐の(あしあと)があることを聞き、夜、銃を携えてゆき、ともに草の中に伏して伺い、背を寄せ合わして眠った。目醒めれば二人の髪が結ばれて一つになっており、貫かれて[95]巻かれており[96]、にわかに解けず、たがいに引き、歩けず、立てず、すこし動けば、すぐにたがいに痛いと叫んだ。騒いで暁となると、路を行く者が望見されたので、はじめて呼びよせ、佩刀で断ってもらい、疲れ果てて帰った。怒って報いにゆこうとすると、父老は言った。「かれは姿と声はないから、力で勝てるものではなく、ゆえなくかれを侵そうとしたのだから、理も正しくない。侮辱は実はみずからが招いたもので、またどうして仇としよう。仇はかならず甚だしいと敗れるのである[97]。」。二人は止めた。この狐はわずかな戯れで戒めさせ、ふかく傷つけなかったのでかれらは憤激してかならず報いようとしたが、やはりよくみずからを全うしていたといえる。しかしわずかな戯れも激怒するに足りるので、謹んで動かないことにしくはなく、伺っても(あしあと)が知れないようにさせればなおよい。

  
  太和門[98]の丹墀[99]の下に石匱[100]があったが、何という名か分からず、どんな物を収めてあるかも分からなかった。徳
斎先輩(斎は名は徳保といい、定圃[101]先輩と同名である。乾隆壬戌の進士[102]で、官は翰林院侍読[103]に到った。そのため、当時、大徳保小徳保として区別していた。)言った。「図裕斎[104]の先徳[105]は、昔、殿舎の工事を監督した時、開いて見たことがある。このことを裕斎に尋ねると、言った。『本当です。中身はすべて黄色の細かい屑で、半分しか満たせておらず、凝結して土坯[106]のようでした。じっくり見れば米穀が年を経て化したもののようでした。』。思うに丹墀の左の石闕[107]には、嘉種[108]を貯えるので、これが五穀というのは、理にやや近かろう。それに大駕[109]鹵簿の中で、象の背の宝瓶[110]にも、五穀を貯えている。そもそも「稼穡[111](これ)[112]」であることは、古訓[113]が伝えており、八政[114]が食を第一とすることは、『洪範』に見える。定制の[115]意図は、まことに奥が深いものである。

  
  宣武門の子城[116]の中に、(こやま)のようなものが五つあり、磚を積んでおり、土人に五火神墓といわれていた。明の成祖[117]が北征した時、火仁、火義、火礼、火智、火信を用いて飛炮[118]を作り、元兵を乱柴溝[119]で破った。後にかれらの技術がたいへん優れていたので、変事をなすかもしれないことを恐れ、殺してここに葬った。麗譙[120]の側に五本の竿を立て、折々に祭り、幽鬼に帰るところがあり、祟りをなさないようにさせた。後に成祖は転生して荘烈帝[121]となり、五人は李自成[122]、張献忠[123]の諸賊に転生し、復讐した。これは斉東の語[124]である。正史にこの文がないだけでなく、明一代の稗官小説は、汗牛充棟だが、この人とこの事に言及したものはない。戊子[125]の秋、わたしは漢軍歩校[126]の董某に会ったが、かれが言うには、京営の旧卒がこう言うのを聞いた。「これは水平[127]でございます。京城の地勢は、宣武門[128]だけがもっとも低く、街巷の水は、雨にあうとすべて子城に集まります。夜、雨がたいへん激しくなるたびに、守卒はすぐに起き、この(こやま)を見、水が頂に及ぼうとしていますと、叫んで門を開いて漏らしますが、頂が没していれば門扉は水に浸され、開けないのでございます。今日では長い時間を経てだんだん忘れられましたので、邪魔にされるときもございます。その城上の五本の竿は、白塔の信砲[129]と表裡しています。信砲を聞けば、昼は旗を懸け、夜は燈を懸けるのでございます。五火神とどうして関わりがございましょう。」。この言葉は理に近いようであり、受けたところがあるはずだ。

  
  科場の撥巻[130]で、撥を受けた者は、多くは心が不満である。これも人情だが、やはりその答案がどうかを見ているのである[131]。壬午[132]の順天郷試で、わたしは同考官(当時、閲巻[133]はまだ本省を迴避しなかった。)に当たっていた。一つの合字[134]の答案を得たところ、文はたいへん巧みだが詩は良くなかった。詩を試験する制度が改められたばかりであったので、大目に見られるようにし[135]、主考の梁文荘公[136]に推薦したところ、合格した。その後、草榜[137]に記入するに臨み、梁公はかれの「なんぞこの度を改めざる[138]」の句が下文の「改」の字[139](問題は「はじめわれ人に於けるや」の四句[140]であった。)を冒しているのを(へい)とし、落第させ、ほかに一つの合字の備巻[141]をわたしに回した。さきにその詩を見たところ、第六聯に「素娥[142]寒影に対し、顧兔[143]夜眠の香。」(題は『月中桂』であった。)とあり、自分はその秀逸を喜んでいた。そしてその第七聯に、「樹に拠りて呉質[144]を思ひ、詩を吟じて許棠[145]を思ふ。」とあるのを見るに及んで、躍然として言った。「呉剛は字を質といい、李賀の『李憑箜篌引』に『呉質眠らず桂樹に拠り、露脚ななめに飛びて寒兔を湿す。』という。これは詩選[146]がもともとまったく録していないので、『昌谷集』を見ていない者は知らない。華州で『月中桂』の詩を試験したとき、許棠を第一人として推挙した。棠の詩は、今は伝わらず、王定保[147]の『摭言』[148]、計敏夫[149]の『唐詩紀事』[150]を見ていない者は知らない。かれの答案の『花を開きて上界[151]に臨み、斧を持つに仙郎あり[152]。』を合格させたのだから、この詩を合格させてはどうか。公が撥入[153]なさらなくても、易えることを願っていました[154]。」。それは朱子穎[155]であった。合格発表の後、時はすでに九月で、貧しくて絮衣[156]がなかった。蒋心余はもともとかれと唱和していたので、衣を貸し与えた。そして見に来、作った詩を贈り物とした。わたしは丙子[157]に古北口[158]に扈従した時、車馬が渋滞し、旅舎で小休止した。壁上には一首の詩があり、大半が剥落し、三四句だけ判読できたが、その「一水漲り(さは)ぐ人語の外、万山青くして到る馬蹄の前。」の二語をもっとも気に入り、「雲中路繞る巴山の色、樹裡河流漢水の声」は過ちでないと思ったが、惜しいことに姓名は分からなかった。かれの答案を開くに及び、この詩があったので、微細な契合を知ったが、すでに六七年前であったので、ともにしばらく嘆息した。子穎はわたしを待遇する時、もっとも礼を尽くし、歿した後、かれの二子は父の志を受け、わたしを見てもなお依依として情誼があった。翰墨[159]の因縁には、ほんとうに偶然はなく、撥房[160]だからといって親しくしたり疏んじたりすることはないのである[161]。(わたしの『厳江舟中』の詩にいう。「山色空濛[162]として淡きこと煙のごとし、参差として緑到る大江の辺。斜陽流水篷を推して坐し、処処人に従ひて船に乗らんとす。」。実は「万山」の句から奪胎したものである。かつてそのことを子穎に語った。「人言ふ青は藍より出づと、今日藍は青より出づ。」。子穎は謙遜感謝したが、心の中でよしとしているかのようであった。これも詩壇の佳話であるので、並びにここに附録する。)

  
  先師介野園先生[163]は、礼部侍郎で役人をしていた。扈従して南巡し、旅先で亡くなった。亡くなる一晩前、星が舟の前に落ちた。亡くなった後、京師ではなおそのことを知らなかったが、施夫人が夢みたところ、公が馬に乗って門前に来た。騎従はたいへん(みやび)であったが、佇立して入ろうとせず、ただ人を遣わして言葉を伝え、こう言った。「家でよく対処してくれ[164]。わたしは去る。」。匆匆として過ぎた。夢の中で思うに、時に扈従していたので、急ぎの仕事があり、入る暇がなかったのかもしれないと疑った。目ざめた後、驚き恐れた。凶報が来たが、公が亡くなった夜であった。公はしばしば文柄を掌り、およそ四たび会試を主り、四たび郷試を主り、その他の雑多な試験はほとんど縷述できなかった。かつて『恩栄宴』の詩にいった。「鸚鵡の新班[165]御園に宴し(思うに「鸚鵡の新班」は、出典を知らず、当時、公に尋ねようとしていたが、ぐずぐずしていて忘れた。)、摧頽[166]の老鶴も(また)軒に乗る[167]。龍津橋[168]上黄金榜[169]、四たび見る門生の状元となるを。」。丁丑[170]の年の作である(編者按ずるに、この詩は金の吏部尚書張大節[171]の作で、題は『新進士呂子成[172]の輩とともに状元楼に宴集す』で、『中州集』に見える。しかし「御園」は「杏園」につくり、「摧頽」は「妨げず」につくり、「四たび見る」「三たび見る」につくり、「状元となる」は「これ状元」につくる。)。于文襄公[173]も聯を贈り、「天下の文章は軌轍をともにし、門牆の桃李半ばは公卿。」と言ったが、儒者の最高の栄誉と言える。しかし日者は公の命運を推して言った。「一品の武階[174]として終わります。後日、将軍として赴任するかもしれません[175]。」。公は笑った。「本当に君の言葉の通りであれば、『将軍武を好まず』ということだな[176]。」。公が亡くなると、聖心[177]は痛惜し、特別に都統[178]を贈った。そもそも公は礼曹[179]で官となり、副都統を代理し、扈従した時は、副都統として班行していたので[180]、亡くなるとすぐに武官の階級が一級進んだのであった。日者の術も、験があったといえる。

  
  乩仙[181]は多く古人に偽托しているが、時折小さな験がある。温鉄山先輩(名は温敏、乙丑の進士[182]、官位は盛京[183]の侍郎[184]に到った。)は、かつて扶乩する者に遇い、尋ねた。「寿命はどれほどか。」。乩はお告げした。「甲子年華二秋あり。」。そこで六十二にあたると思っていた。しかし二年後に亡くなったので、二秋とは二年であったことを知った。そもそも神霊はしばしば予知することもできるのである。また聞けば山東巡撫の国公[185]が扶乩して寿命を尋ねた時、乩はお告げした。「知らない。」。尋ねた。「仙人なのにどうして知らない。」。お告げした。「他人は知ることができるが、公は知ることができない。長短には(さだめ)があり、常人はその享けたものを尽くすだけである。封疆の重鎮が、生殺予奪の権を操っているとき、政治が善ければ、千百万人はその福を受けるので、寿命は増せるが、政治が善くなければ、千百万人はその禍を受けるので、寿命も減じられる。これは司命の神でもあらかじめ定めてやれず、ましてわたしならなおさらだ。蘇[186]が誤って二人を殺し、二年の寿命を減じ[187]、婁師徳[188]も誤って二人を殺し、十年寿命を減じたことは聞いていよう[189]。だとすれば寿命の事は、公はみずから尋ねられ、わたしに尋ねることはない。」。この言葉は鑿然[190]として理に適っているから、会ったのは真仙であろう。

  
  族叔の育万[191]が言った。張歌橋[192]の北で、黒い狐が場屋[193]の中で(脱穀場で穀麦を番する小屋を、俗に場屋という。)酔って臥しているのを見た人がいた。はじめ捕らえようとしたが、その後、狐は財を致せると考え、衣で覆って坐して守っていた。狐は眠りから醒め、伸縮すること再三、すぐに人の姿になった。かれが見守っていてくれたこと[194]にたいへん感動し、友となった。狐も時に贈り物をした。ある日、狐に尋ねた。「もし人が君の家に隠れたら、君は隠れて現れないことができるか。」「できます。」。さらに尋ねた。「君は人の身に憑いて狂奔できるか。」「それもできます。」。この人はすぐに懇願した。「わたしの家はひどく貧しく、君の恵みでは生活するに足りないが、しばしば君を煩わしていることを恥じてもいる。今、郷里の某甲は、たいへん富んでいるが、たいへん訴訟を恐れている、最近、かれが一人の女の料理人を探していることを聞いた。わたしは妻をゆかせ、数日したら、隙を窺って逃げ出して君の家に隠れさせ、わたしは妻がいなくなったことをおおやけに訴えよう。妻はまだすこし美しいから、蜚語で誣いれば、大金を脅しとれよう。金を得た後、公は妻に憑いて走って某甲の別荘にゆかせ、後に人に見つけさせれば、恵みを受けることが多かろう[195]。」。狐は言われた通りにし、ほんとうに大金を得た[196]。妻が見つかって帰った後、某甲はかれ[197]が別荘にいたことについて、それ以上尋ねようとしなかった[198]。しかしこの妻の狂疾は癒えず、つねにみずから着飾り、夜人とともに笑っているかのようにし、その夫を阻んで近寄らせなかった。いそいで狐を尋ねてゆくと、狐はこのようなはずはないと言った。行って探ってみたが、にわかに帰ってくると足踏みして言った。「まずい。これは某甲の家の楼上の狐で、奥さんの容色を好み、わたしが出たのに乗じてかれが入ったのだ。この狐はわたしが敵することができるものではなく、どうしようもない。」。この人はもとより懇願してやまなかったが、狐は色を正して言った。「たとえば、君の郷里の某は、横暴で虎のようだが、かれが人妻を強奪したら、君は代わって争えるか。」。後にその妻は癲癇
日に日に激しくなり、くわしくその夫の陰謀を発いた。鍼灸やお祓いはまったく効かず、ついに癆咳によって死んだ。同郷人はみな言った。「この人は狡猾であること幽鬼のようであり、さらに狐の幻術に助けられていたのだから、患いがなかったのは当然だった。ところが狐で狐を召すのは、螳螂と黄雀が伺っているかのようであったのだ[199]。」。古詩に「利の傍に倚刀あり[200]、人を貪らばまたみづからそこなはん。」というのは、本当である。

  
  門人の王廷紹[201]が言った。忻州に貧しいために妻を売った者がおり、去って二年に近かった。突然、ひとりで帰って来、買われた当初、ある家に引いてゆかれたと言った。まもなく、一人の道士が来、引き連れられて山に入った。心はたいへん疑い恐れていたが、売られてしまったので、どうしようもなかった。道士が目を閉ざさせると、すぐに両耳に風が
颼颼とするのが聞こえた。にわかに目を開かせると、すでに高い峰の上にいた。居室は華麗清潔で、婦女二十余人がおり、ともに尋ねて来、こちらは仙府[202]だから、苦しむことはないと言った。そして尋ねた。「こちらに来たのはどうしてですか。」「交代で祖師さまの寝所に侍しているのでございます。こちらは金銀が山のように積まれ、珠翠錦繍、嘉肴珍果は、すべて鬼神を使役し、呼びますとたちまち来ます。服食日用は、みな王侯に肩を並べんばかりです。毎月一回の小さな痛みも、障りはございません。」。そこで指さして言った。「こちらは倉庫、こちらは厨房、こちらはわたしたちの居ります所、こちらは祖師さまのおわす所でございます。」。もっとも高い処にある二つの部屋を指して言った。「こちらは祖師が月を拝し、北斗を拝する処で、こちらは祖師が煉銀される処です。」。やはり給仕[203]する人がいたが、一人の男子もいなかった。それから白昼になるたび呼び入れて枕席に進み、夜になり、祖師が祭壇に登って礼拝すると、はじめてそれぞれ帰って寝た。月信落紅(つきのもの)の後だけは、内外の衣をすべて剥ぎ、紅い(いと)を巨きな縄にし、大きい木に縛り、手足はすこしも動かせなくさせ、綿の丸で口を塞ぎ、黙って声を出せなくさせた。祖師は金管を箸のように持ち、脈穴を探し、両腕や両股の肉に刺し込み、その血を吸い、すこぶる残酷であった。吸った後、薬の粉末を創の孔に撒けば、すぐに痛みを覚えなくなり、まもなく痂ができ、翌日になれば、痂は落ち、元通りになるのであった。その地はきわめて高く、俯いて見ると雲や雨はすべて下にあった。とある日、狂飈[204]はにわかに起きず、黒い雲が墨のように山頂を圧し、雷電が閃き、勢いはたいへん恐ろしかった。祖師は慌て恐れ、二十余の女を呼び、みな裸になってその身を抱きかかえたが、肉屏風のようであった。火光[205]が部屋に入ること数回、いずれも一回伸びてすぐに帰った。にわかに一匹の龍、爪の大きさは箕のようなものが、人ごみの中から祖師を攫って去った。霹靂の音がし、山谷は震え、天地は暗くなった。ぼんやりと眠って夢みているかのようであるのを覚え、やや目ざめれば、すでに道端に臥していた。住民に尋ねると、家から数百里にすぎないことが分かった。そこで臂釧(うでわ)敝衣(ぼろぎ)に換えて体を蔽い、乞食して帰ることができた。忻州の人にはなおこの妻を見られた者がいたが、面色は枯槁で、まもなく癆咳を患って亡くなった。そもそも精血を道士にとり尽くされていたのであった。かれの言うことに拠れば、そもそも焼金[206]して女と交わる士であった。かれの術がこのように霊妙でも、なお天誅を免れなかった。ましてその伝授を得ていないのに、いたずらにでたらめなもの[207]の蠱惑を受け、神仙となることを願うのは、まちがったことではないか。

  
  江南の呉孝廉は、朱石君[208]の門生であったが、優れた人材でありながら夭折した。その妻は身をもって殉じることを誓い、しばしば縊れたが死ねなかった。するとたちまち燈下に孝廉が現れて言った。「彩服に換えれば死ぬだろう。」。その言葉に従うと、ほんとうに絶命した。孝廉の郷里の人はかれの事を録して詩を徴したが、作った者はたいへん多かった。わたしも二律を題した。石君は墓志を作ってやり、孝廉の坎坷、烈婦の慷慨[209]に、みな深く痛惜を致したが、この事件には一字も言及しなかった。あるひとはかれの郷里の人の粉飾かもしれないと疑ったので、わたしは言った。「そうではない。文章の流派には、それぞれ体裁がある。郭璞[210]は『山海経』、『穆天子伝』[211]に注したときは、西王母の事に関してたいへんくわしく述べているが、『爾雅・釈地』、『西のかた到る西王母』の句に注したときは、『西方昏荒[212]の国』といったに過ぎず、さらに一語も増さなかった。そもそも経に注する体裁は、かくあるべきなのである。金石の文は、史伝と表裡し、稗官雑記と並べることはできないし、詞賦とも並べられない。石君は群書を博覧し、深く著作の流儀を知っており、かれがこの事を墓志に記していないのは、古の文章作法であり、偽っているとして削ったのではない。」。わたしは年老いて物忘れが多くなり、孝廉の名は承紱であったと記憶しているが、烈婦の姓氏は思い出せない。ひとまずその大略をここに録し、扈蹕[213]して回鑾[214]するのを待ち、さらにかれの行状を探し求め、くわしく著すことにしよう。

  
  老僕の施祥は、かつて馬に乗り、夜に張白[215]にいった。四野は広々としていたが、暗闇の中で数人が(すな)と泥を擲っていたので、馬は驚き、嘶いて進まなかった。祥は幽鬼だと悟り、叱った。「わたしはおまえの墓地にゆかないのに、なぜわたしを冒す。」。幽鬼たちはからかった。「もとより冗談を言っただけだ。誰がおまえと議論しよう。」。祥は怒った。「議論しないなら、喧嘩を売っているのだな。」。すぐに馬を下り、鞭でほしいままに撃った。長いこと騒ぎ、力は敵いそうになく、馬も跳びはねてかれの肘を引いた[216]。慌てていると、たちまち遠くから幽鬼が狂奔して来、声を荒げて叫んだ。「これはわたしの親友だから、おまえたちは勝手なことをするな。」。幽鬼たちは散じた。祥は馬に乗って馳せて帰ったが、かれが誰であるかを尋ねる時間はなかった。翌日、酒を携えて昨日の処で祭り、霊験があるように祈ったが、寂然として答えなかった。祥の友は、廝養[217]屠沽[218]に過ぎない。九泉の下、人の情はこのようなものである。

  
  門人呉鍾僑[219]はかつて『如願小伝』を作ったが、寓言は滑稽で、文で戯れをなしていた。後に蜀中の県令となったが、おりしも金川の役[220]があり、路で火薬の運送を監督していたときに歿した。詩文はすべて散佚したが、この篇だけはたまたま古紙の中から得たので、ここに附録する。その言葉にいう。「如願[221]とは、水府[222]の女神で、昔、彭沢の青洪君が廬陵の欧明に贈った者がそれである[223]。事々に人の求めを満たせたので、この名があった。水府はいたるところにあるが、遇不遇は、人の禄命である。四人のものがともに真人を訪ね[224]、江海を渉り、龍神の召しにあったが、龍神は言った。『おまえたちの精進に鑑み、今それぞれ一つ願いを叶えてやろう。』。すぐに四人の娘がついてきた。一人は、求めるとすべて願いどおりになったので、心はきわめて快適であったが、数か月足らずで病んで死にそうになった。娘は言った。『今世で享受するものは、すべて前生で蓄えたものですが、あなたは夙生に蓄えたものを、今、数か月で費やし尽くされました。どうか帰って復命させてくださいまし。』。この人はほんとうに助からなかった。もう一人は求めればすべて得られたが、欲はなおやむことがなかった。冬になり、新鮮な荔枝の巨きな瓜のようなものを求めると、娘は言った。『谿壑[225]は満たせても、満腹することができません。神でなければ与えられるものではございません。』。やはり辞して去った。もう一人は求めると、得ることがあったり、得ることがなかったりしたので、娘を咎めた。娘は言った。『神の力にも違いがあり、わたしには致せるものと致せぬものがございます。しかし、日は中すればかならず傾き、月は満ちればかならず欠けます。足りないのは、まさにあなたの福分でございます。先に亡くなったかたをごらんになっていないのでしょうか。』。この人は惕然[226]としていた。娘は従って去らなかった。もう一人は如願を得ても、求めることはなかった。如願はしばしばみずからやってきたが、やはり[227]として安心しなかった。娘は言った。『あなたの道徳が高く、あなたの福分が厚いのを、天地は鑑み、鬼神はお助けしているのです。求めなくても得、十倍求めがあれば、わたしを待つことがなくてよく[228]、わたしはひそかにお助けするしかございません。』。後日遇うと、それぞれその事を語り、喜んだり嘆いたりし、言った。『惜しいことだ。逝った者がこれを聞いていないのは。』。」これは鐘僑が筆を弄んだ遊戯の文で、たまたまこれを作り、勧懲に資したので、悪いことでもない。累牘連篇[229]すれば、ややもすれば巻帙[230]となろうが、これは著書の体裁ではない[231]

  
  郭石洲
[232]が言った。河南のある豪族は、高官となって帰郷した。年は六十余りであったが、強健で少壮のようであった。つねに若い妾三四人を養っていたが、二十歳になると、嫁入道具を調えて嫁がせていた。いずれも処女のようであったので、娶る者は多くはひそかにかれの徳を頌え、人々も多くはすすんで娘を売った。しかし、かれは家にいる時、枕衾で親しむさまは常人と同じであった。ある人は紅鉛[233]を取って薬餌に供しているのだろうと考え、ある人は耳目を喜ばしているだけで、実際は老いて男になれていないのだろうと思っていたが、その詳細は分からなかった。後にその家のばあやがひそかに事情を漏らしたが、実は女を男のように淫していたのであった。老友がひそかに虚実を尋ねると、まったくみずからを隠すことなく、言った。「わたしは血気がなお盛んで、情欲を絶てない。女と交わればまだ子を生めるが、実は身後の累となることを恐れている。男色を漁ろうとしても、これはさらに艾豭[234]の事で、子孫の恥となることを恐れている。だからこの非常手段をとっているのだ[235]。」。この事は奇抜で[236]、古に聞いたことがないことであった。そもそも閨房の内に、何がなかろう。牀笫[237]の事は深く論じないのがよい。毎年嫁に出し[238]、良家の娘たちに再婚の名を得させていることは、人に損があるようだが、かれらの婚期を遅らせず、かれらの貞潔な体を損なわないのは、人に恩があるかのようであった。この種の事案は、その是非を判断するすべがない。戈芥舟[239]先輩は言った。「判断するのは難しくない。かれは財産が多いのを恃み、法外に淫行をほしいままにしていただけだ。昔、竇二東[240]は強盗を行ったとき、かならず防寒の衣衾、帰郷の資金を残し、みずから徳があると思っていた。この老人のがあるというのも、このようなことにすぎない。」。

  
  郷里に丁一士という者がおり、敏捷で力が強く、武芸を習っていたが、それは超距[241]の術であった。二三丈の高さに、翩然として上れ、二三丈の幅を、翩然と越えられた。わたしは幼い時にまだ見ることができ、その技を見せることを求めたことがあった。わたしを過庁[242]に立たせ、わたしが表門に顔を向ければ、表門の外に立って相対し、わたしが後門に顔を転じれば、後門の外に立って相対していた。このようにすること七八度であったが、そもそも一躍して屋根を飛びこえているだけであった。後に杜林鎮[243]を過ぎ、一人の友人に遇い、橋のたもとの酒肆に招いて飲んだ。酒が酣になると、ともに河岸に立った。友は言った。「ここを越えられるか。」。一士はすぐに跳びあがって超えた。友が招いて戻らせると、すぐにまた来た。足が岸に達しようとしたが、岸は崩れようとしており、水に近い切り立った処に裂け目があった。一士はそれを見ておらず、誤ってその上を踏んだため、岸は二尺ばかり崩れた。そしてそのまま河に落ち、流れに従って去っていってしまった。もともと水に慣れていなかったので、水の真ん中から数尺躍り上がるばかりで、まっすぐ上がれるが岸に近づけず、ふたたび水中に落ちるのであった。このようにすること再三で、力尽き、溺れた。そもそも天下の患えは、恃むものがあるよりも大きなものはない。財貨を恃む者は結局財貨に敗れ、権勢を恃む者は結局権勢で敗れ、智恵を恃む者は結局智恵で敗れ、膂力を恃む者は結局膂力で敗れる。恃むものがあれば、危険を踏もうとするからである。田侯松岩[244]は灤陽で一本の労山杖[245]を買い、みずから詩を題した。「月夕花晨[246]我を伴ひて行き、路(たい)らかなる処にあたるもまた傾くを防ぐべし。あへてなんぢを恃むにより心に慮ることなく、便ち崎嶇に向かひて歩むこと平らかならず。」。これはまことに閲歴の言であり、敬服すべきものである。

  
  滄洲の甜水井[247]に老尼がおり、慧師父といったが、それが名か号かも分からず、この「慧」字かも分からず、ただ習慣でこう呼ばれていた。わたしは幼い時、かれが外祖張公の家に出入りしているのを見たことがある。戒律は厳格で、糖も食らわず、こう言っていた。「糖も、猪脂(ラード)を点じて作るのだ[248]。」。(かわごろも)を着ず、言った。「皮に寝るのと肉を食らうのは同じだ。」。衣に綢絹(きぬもの)はなく、言った。「一尺の帛は、千蚕の命だ。」。仏に供える麩を、かならずみずから作り、言った。「市中ではみな足で踏んでいる。」。香を焚く時はかならず石を敲き、火を取り、言った。「竈の火が不潔だ。」。清斎[249]一食を、十分に得て自給し、営営として募化[250]しなかった。外祖の家の下女は、一疋の布を施しとしたが、尼はじっと見て識別すると、言った。「布施は自分の財を用いて、はじめて功徳になります。邸内ではこの布を失ったため、若い下女数人が鞭うたれていますが、仏はどうしてこのような物を受けましょうか。」。女は事情を告げ、言った。「はじめ布数十疋があると思い、逐一くわしく調べることはなく、たまたまその一つを取りました。ところが人[251]に鞭うちを受けさせてしまい、日々呪詛されていますので、心は本当に不安で、お布施して罪を懺悔することを求めるばかりでございます。」。尼は擲って還して言った。「それならこっそりもとのところに送ってはいかがでしょうか、人も濡れ衣が晴れ、あなたもご安心なさいましょう。」。後に女が死んで数年して、かれ[252]の弟子がその事を漏らし、人は知ることができたのであった。乾隆甲戌、乙亥[253]の間、年はすでに七八十になっていたが、たちまちわたしの家を訪ね、潭柘寺[254]にいって仏を拝した、若い尼のために戒を受けたいと言った[255]。わたしがたまたま以前のことを話すと、首を振って言った。「本当にそうしたことはございません。若い尼めがお喋りであるだけでございます。」。ともにかれの忠厚に感嘆した。ゆくに臨み、わたしに仏殿の一額に題することを求めたので、わたしは趙春澗[256]に代書を頼んだ。すると合掌して言った。「書いたかたがその名を題されますようにお願いします。仏前ででたらめを言われてはなりません。」。趙の名に換えてやると、持ち去り、後にふたたび来なかった。最近、滄洲の人に尋ねたが、知っている者はいなかった。また景城
[257]天斉廟[258]の一僧は、住持果成の第三の弟子であった。士人はかれを敬い、みな三師父と称しており、その名は佚していた。果成の弟子はすこぶる不肖で、多くは分散して四方で托鉢していたが、この僧だけは宗風[259]を落とさず、大知客[260]の俗気はなく、法座[261]の禅師の驕貴[262]の気もなく、戒律は厳しく[263]、千里でも旅装を整えて徒歩し、車馬に乗ったことがなかった。亡兄晴湖は、かつて中途で遇い、極力迎えて車をともにし、絶対に承知しなかった。官吏が廟にいっても、礼遇は加えず、田夫野老が廟にいっても、礼遇は減じなかった。布施が多く、布施が少なく、布施がなくても、礼遇は一様であった。禅誦[264]の余暇には、ただ一室に端坐し、その廟に入れば人がいないかのようであった。かれのする事はこのようなものにすぎなかった。しかし郷里の男女は、みな言った。「三師父は道行[265]が清高[266]でございます。」。その道行はどこにあり、清高はどこにあると尋ねれば、茫然として答えられなかった。かれが人心を感動させるのは、まさになぜなのか分からなかった。かつてそのことを姚安公に尋ねると、公は言った。「おまえがみると、清高でないところがあるのか。清高でないところがないなら、それが清高なのだ。おまえはかならず錫飛[267]しようとしているが、杯渡[268]は善知識[269]なのか。この一尼一僧も、かれの法の中の独行[270]する者だ。」。(三師父は涅盤に入られてまもないので、その名は人が知っているはずで、郷試の孫たちに会ったら、帰って廟に尋ねさせよう[271]。)

  
  九州は広く、奸盗の事がない所はなく、ない日はないので、みな異常であると思っていない。盗みでありながらやや盗みと異なっているものは、結局、盗みと言わざるを得ず、姦通でありながらやや姦通と異なっているものは、結局、姦通と言わざるを得ず、これらは異常である。盗みで人がその盗みを遂げることを許し、姦通で人がその姦通を遂げることを許せば、これはさらに異常である。そこでまた刺激すればすぐに起こり、牽制すればすぐに収まり、起こるのは鼎が沸くかのよう、収まるのは(いかづち)が落ちるかのようなのは、異常のなかの異常ではないか。舅氏安公五章[272]が言った。中年でつれあいを失った者がおり、すでに子があり、さらに、一人の夫がいる妻を買った。さいわい抑えがうまかったので、なお平和に暮らすことができた。その後、この人は死んだが、平素の貯蓄は、ことごとくこの妻の手に入った。その子が仄聞して求めたところ、事に証拠がなく、妻は承諾しなかった。後に探ってかれが貯蔵している処を知り、夜中に壁に穴を開けて部屋に入った。篋を開いて持って出ようとしていると、妻が気づき、大声で泥棒と叫んだ。家の人々は起き、それぞれ武器を持って入ってきた。その子はあたふたと穴から出ようとしたが、迎え撃つと、すぐに倒れた。すぐに穴から入り、残りの盗賊を捜すと、(とこ)の下で喘ぎ声がしたので、大勢でもう一人賊がいると叫び、ともに引き出して縛った。燈が来た時にじっくり見れば、額を割られ、昏倒している者はかれの子で、(とこ)の下にいたのはかれのもとの夫であった。その子は甦った後、妻とそれぞれ訴えあった。子は言った。「子が父の財を取るのは盗人でない。」。妻は言った。「妻が前夫に嫁ぐのは姦通でない。」。子は言った。「前夫とは再婚できるが密会できない。」。妻は言った。「父の財は求められるが盗めない。」。罵りあい、勢いはおたがいひけを取らなかった。翌日、族党はひそかに相談し、訴訟して双方が敗れたら、いたずらに家風を汚してしまうと言った。そこでひそかに調停し、金をすべて留めてその子に与えさせ、妻がみずからもとの夫に嫁ぐに任せたところ、その難は収まった。しかしすでに「(かね)(きゆう)()すれば、(こゑ)(そと)()こゆ[273]。」であった。亡き叔父儀南公は言った。「この事件で、うまく鉢合わせ
させたのは[274]、天であるが、この事をもたらしたのは、人である。夫のある妻を娶らなければ、子はどうして盗みをし、妻はどうして姦通しようか。かれが恃んでいたのは、力で抑えられることだけであり、生前に抑えられても、死後に抑えられないことを知らなかったのだ。」。

最終更新日:201964

閲微草堂筆記

中国文学

トップページ

 



[1]巻七・十・十一にも出てくる。

[2]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5ZdicA8ZdicB464310.htm&sa=U&ei=BUqATb7UAZTSuwOY8ZDrBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFBtUfmv0_bxTingVpCBqhZyR20dwおとなしく雅。おとなしく大様。

[3]原文「可剪燭」。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE5Zdic89ZdicAA29505.htm&sa=U&ei=u-x_Taf3NYqivQPx6aXOBw&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNHWyiRP-sw9WCQb2IIE7tcNOVW4lQ唐李商『夜雨寄北』「何当共剪西窓、却巴山夜雨」後に「剪」で膝をつきあわせて夜すること。

[4]http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5Zdic91Zdic80110501.htmいてうさま

[5]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE8Zdic80Zdic86194473.htm&sa=U&ei=f7KCTfq4PNDQcfrHoZ4D&ved=0CBgQFjAD&usg=AFQjCNEl9qdZBS-8MzYEHW9so5M-tNDe7A年が高く徳が高く、衆望を担っている者の称。

[6]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/56795.htm&sa=U&ei=UMyyTdqkDo-YvAOCv-WRBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEE0U0k4h5mgBdrkVNNGZ7_4iuDcA

[7]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/16/ZdicE7Zdic9EZdic9A189689.htm&sa=U&ei=-e1_Tba1GoXGvQPauODlBw&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNEyKCd02IrliY0XC7daLx9cB3yWPQまばたく。

[8]未詳だが、字義からして長年辺境防備に当たることであろう。

[9]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic99ZdicBD227925.htm&sa=U&ei=psqwTdXtKYmKuAP6mrCOBw&ved=0CBAQFjAB&usg=AFQjCNF7YR32K0hbS-YFkAKao8uFMDyQRA

[10]原文「往往有自築數椽」。未詳。とりあえずこう訳す。

[11]http://webcache.googleusercontent.com/search?hl=zh-CN&lr=&q=cache:T7uyz09u_6EJ:http://www.ntjy.cn/bcy/gx/scqf/200607/1299.html+%E4%B8%80%E5%AE%B6%E6%9D%91%E3%80%80%E6%9D%9C%E7%94%AB&ct=clnk

[12]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7ZdicB5ZdicAE109453.htm連綿としてえないさま

[13]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE8Zdic90ZdicA5166288.htm&sa=U&ei=uQCCTajzC4LprAfS9-m8CA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHrh06Y_uVg3rGt_rspRawS6j6CRg中下武官を称する。

[14]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/17/ZdicE8ZdicA5Zdic8671900.htm&sa=U&ei=Q16DTYfcIdOOcfbAkaMD&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNFRB2OCHQ0xez1b5FnyxIVZgcB2nw荷物。

[15]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7ZdicBBZdic9D237194.htm&sa=U&ei=20qDTaD7M8fXcY2ejIsH&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNGPlN5Go1IHlkGwb7w8_6Hg4WJzIQ高山絶壁の下の

[16]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/17/ZdicE7ZdicBEZdic81192587.htm&sa=U&ei=C1KBTda2FJDEvgOYz-zVBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEzKdPF7eqynvRUPwxbf3cVa8E0MQのおもがいのたづな。またひろくあるいは禽を指す。

[17]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE9ZdicB8Zdic9F340327.htm&sa=U&ei=1ot_TfKpF4b8vQPG7-nTBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFzA7oQLDdxo12lrzmay9YNWoHQ4g峻狭窄の山路。

[18]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E8%25BE%259F%25E5%25B1%2595%25E5%258E%2585&sa=U&ei=Us2wTYylIYyEvAPp3byZBw&ved=0CA8QFjAA&usg=AFQjCNFSWZj3xYELaPigRT8CzB2ma3W_9Q

[19]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE7ZdicBBZdic8F337354.htm

[20]http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE7Zdic89Zdic92222921.htm文書を送って通すること

[21]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE8Zdic8DZdic8935601.htm&sa=U&ei=G1mHTa_cIoymvgPB3PTBCA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFHpxBCPrMMvc7NZ8kSyT9nIWxheA草葺きの素な住屋。

[22]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6Zdic9CZdic88168955.htm&sa=U&ei=zVKBTcCfOoGmvgPR5vjsBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGJEWbRICLlDE1CcOM-WjjLzmL_Tg月雇いでのために作する人。

[23]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/15/ZdicE5Zdic83ZdicB5318799.htm&sa=U&ei=wPR_TbnqJZCougO8jpHLBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFN072zM3Dly6_hdOOZZ8wsIY4gygして起きない。

[24]主語は寝ていた二人

[25]原文「我家故無鬼。欲觀戲劇、隨之而來。」。未詳。とりあえずこう訳す。「戲劇」は男女の交わりを指しているか。

[26]http://baike.baidu.com/view/369589.htm

[27]紀昀が福建で学したことをさす。http://webcache.googleusercontent.com/search?hl=zh-CN&lr=&q=cache:ev6DE4LgVtwJ:http://baike.baidu.com/view/56259.htm+%E7%B4%80%E6%98%80%E3%80%80%E7%A6%8F%E5%BB%BA&ct=clnk 

[28]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE7ZdicBAZdicB137152.htm&sa=U&ei=aPV_TeuJNIncvQOQwsnYBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEz-6ICWFIbIIQ7jFpXgrXOn3WNqQ製の窓のカーテン。

[29]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE4ZdicBDZdicBF87825.htm清代、大学士を兼ねた督を称した

[30]原文「公為使相、當有鬼神為陰從。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[31]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/56773.htm&sa=U&ei=M9KbTaroNIS6ugPz8ozJBg&ved=0CA8QFjAA&usg=AFQjCNEyBVrFqhhDorpTw5-f3nRQoGNndQ

[32]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/120926.htm&sa=U&ei=TtawTbyKFomcvgPD8amSBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGiHD_mdyNzGN1-enIWOvT4_sg8CA

[33]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/120778.htm&sa=U&ei=ldawTYHvGYf0vwOFz4GcBw&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNHSsyH638p1NA941_x3jVc6C_eb9A

[34]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/69298.htm&sa=U&ei=vNawTYnKDoa4vwOmufihBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNFbp-UqLN1viKEkJUsdCAk_gppb1w

[35]主語は幽鬼

[36]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7ZdicA6Zdic84184589.htm&sa=U&ei=ANewTd36OIu2vQPjs9CcBw&ved=0CBUQFjAC&usg=AFQjCNFvn5ky1YMidqL1cNXNANYKX0BsfA禄食命運。

[37]以上のせりふは、施祥が幽霊に向かっていったせりふであると解す。

[38]原文「劉文斗正患不癡耳。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[39]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic90Zdic8C214389.htm&sa=U&ei=1Ph_TcmzLovEvQP0qPXpBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHtzXC9TX1zyOBJZqvEWbx7xQG2BA同じであること。

[40]巻十三に出てくる。

[41]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1734%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=zdewTYP4FoyevQPJo5ycBw&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNFSkx-667Wu4aIvH5Se_iU9ByhuKQ

[42]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5Zdic85Zdic83107648.htm&sa=U&ei=hlOBTYfRC4GGuQPJ8JnLBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEiiwowXN6QEj1jlnlUL_lsh9fKaA元宵

[43]文脈からして紀昀を指すこと間違いなく、おそらく「四番目の坊ちゃん」の意味だが、紀昀は次男のはず。排行か。

[44]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicBCZdic80255489.htm&sa=U&ei=zVOBTbqnDJHqvQPUoonaBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFPFsxRsRzHf0zmhUgmTO_D9bGVCg開設して生徒に教授すること。ここでは勉強初めのことであろう。

[45]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6Zdic85ZdicA8320778.htm&sa=U&ei=dGuETdfCDoX5cfv2rf8P&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFNfhf49kjYBSrJoPaPMKBe2nX-zQ感慨深いさま

[46]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/10584.htm&sa=U&ei=FdmwTf3kEoa4vwOmufihBw&ved=0CBYQFjAB&usg=AFQjCNFxJckzTi-2DqKhRNdtreZPSECtvA

[47]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE8ZdicB0Zdic92256345.htm&sa=U&ei=KdmwTZ3eLIz8vQP4_v2gBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFT46wt8qJLo7WVbdw8EAaKhpXxAw官吏が吏部に赴いて任を受けること

[48]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7Zdic9FZdicAD39400.htm&sa=U&ei=PtmwTd6ZDpHqvQOutaiPBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNF3AYlVAadQz30gg4m4eQsS-fxQMg陸路をゆくとき、畜力を用いて客のために短距離運する者を、「短」と称した

[49]http://www.zdic.net/cd/ci/15/ZdicE9ZdicA2Zdic98279375.htm缺の出た官への任命すること

[50]原文「時河間猶未改題缺」。未詳。とりあえずこう訳す。文脈からして河間知県の缺がまだ埋まっていなかったということであろう。

[51]原文「不數月竟掣得是縣。」。抽選で河間の知事の位を抽選で得たということであろう。

[52]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6Zdic83ZdicB6181547.htm&sa=U&ei=iwaCTZm4Noj0cYmL0YwD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNH536K8mID-HreRQQYPL_T9vLx7XQ惶恐羞愧

[53]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE5Zdic85ZdicBB59751.htm&sa=U&ei=1O2cTaWbIonCceXzqOsF&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNGvxC_KJk1gQvlNrwlZDd5PMiDaGA幸福を保持すること

[54]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE9Zdic84Zdic9921374.htm&sa=U&ei=wI5_TafkPInovQPCisXYBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNH9cwVvGHXn7IQ0FPsmHgwI7Nzk0A心が狭いこと。

[55]巻八・九にも出てくる。

[56]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE9ZdicA6Zdic99302163.htm&sa=U&ei=xtmwTb2QJYuovQPck9CcBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGIaLnSmZ-FcTMXOTh3X_rwfcngnw閨閣

[57]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE8Zdic89ZdicB336229.htm&sa=U&ei=9tmwTcbIO4rKvQOjmL2EBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGEPyTnK4Rh8cnj-y41eBtF8lsghw辞の美な歌。多くは情を指す

[58]原文同じ。「細」が未詳。「箜篌」は楽器http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE7ZdicAEZdic9C231964.htm&sa=U&ei=LCe0TbWpN4T6vwOZ2uGfBw&ved=0CBAQFjAB&usg=AFQjCNGcar6qRTNM3xj2fWwfg7AgjZMfOQ 

[59]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE4ZdicBFZdicA14294.htm&sa=U&ei=5AiGTYOPL4OcvgP7wp3ZCA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGOz-hlpFXHnPu0yT3j7UOU_aRNXw使臣、使者。命を報じて使命を担ったり、消息を伝達したり、信を送したりする人。

[60]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE9Zdic9DZdic92299581.htm西王母のために食事を手紙をえる

[61]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7ZdicB4ZdicAB202352.htm&sa=U&ei=w02DTfKjLYqmcKjliY8D&ved=0CA4QFjAB&usg=AFQjCNE9bd1wh3UBCcB2R4TGJrKEbT8xNQ古の駿馬名。

[62]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6Zdic9CZdic88223008.htm&sa=U&ei=HgeCTeyBG4jXrQf44dHdCA&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGvV4Zp0_aaCyOU9CHi33KY7ZxQaQ月中の仙女、月嫦娥を指す。

[63]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9ZdicA1ZdicBE57780.htm&sa=U&ei=N9yBTYLXGYi2vQP50_ndCA&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNH9XuVpfIsD5P6TtawBVoNU-6_y-g」とも。神伝説で月中の精が兔の形になったもので、後に月の名。

[64]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/16/ZdicE9Zdic9BZdic95267162.htm&sa=U&ei=8Pt_Tci2OpGGuQP8wq3dBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNETZpGoQC90F3xCvIY3F6A9833onw雕刻した

[65]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/6028.htm&sa=U&ei=OtuwTaicAY7CvgPEo9GJBw&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNFByrOjxLxw8FxQxk3EcduVUaUQxA

[66]巻六にも出てくる。陽曲の人という。

[67]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE4ZdicBBZdic9911754.htm&sa=U&ei=O2OnTerZIIXuuAPMu_2QCg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNG3dnkdPdv-hVGimeKmd8MCsX8e7A神仙

[68]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE8ZdicAFZdicAC361344.htm&sa=U&ei=-DqeTaypM4-8vwPLi9G7BA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEG1HdNdGQj7ogfgQ2Q4brhNmuhgw捏造し、人を罪に陥れること。

[69]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE9ZdicBBZdic84316482.htm&sa=U&ei=O06DTb6NAoLRcdGCrZgD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFPAjQiOchM3fxDiQCgGnANfWihxg牛星

[70]『文』刘从弟』「於心有不翅凌紫氛。」注「向曰…紫氛天気也。」

[71]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6Zdic94ZdicAF289875.htm&sa=U&ei=27OGTcTFEYaAvgOM3uDHCA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFbQAx6WA-yYS1_sNdl0oLmfW6GEw天上える石。

[72]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5Zdic8FZdic8C267612.htm&sa=U&ei=dU6DTaOPD4vRcY-m8Y0D&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGueOzcEU1L4FEJLYHZt7xNheO0QQ奇小人物鶯鶯指す。

[73]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/75559.htm&sa=U&ei=19ywTbzoH5CSuwOWl5WaBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEtdRHh888qB2YkhFJ1-OTYFvf11A

[74]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicBAZdic91303752.htm&sa=U&ei=HTGbTbTHIYfsvQOjs7ziBg&ved=0CBIQFjAC&usg=AFQjCNFCgLKvjcFSno4Vmp3HGim3Yijj_g

[75]http://goldnets.myrice.com/gd/100/taiping/071.htm

[76]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE8ZdicAFZdicAC255107.htm&sa=U&ei=Ak-DTbjvJcmXce3F7JAD&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHfARYP_SvjfW_bBhiWcsa4HT2HBA毁謗

[77]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/6/ZdicE5ZdicBAZdic84199217.htm&sa=U&ei=bt6wTcO6OpGMvQPCrtyABw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNG_gsy0GpAXFSOC9gJ5WiJKckMb2Q荘子と列子。

[78]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikisource.org/zh/%25E7%258D%25A8%25E7%2595%25B0%25E5%25BF%2597&sa=U&ei=D-CwTavaFYrOvQOFu6GbBw&ved=0CBsQFjAD&usg=AFQjCNGQX4ouNeLX4vuGHgw3alDPd9KLjA

[79]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5ZdicB0ZdicBC215192.htm孔子

[80]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/72757.htm&sa=U&ei=f-SwTbbwNI_CvQPG6LWHBw&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNE4C9owSM4uFT9TvDb6ZjbnsmQsQA

[81]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6Zdic82Zdic96170469.htm&sa=U&ei=btOCTYTcNserceXskIMD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEB4zH1vDHWNnsXVV_kMtKuLCrwHg狂妄

[82]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7ZdicA9ZdicBF191659.htm&sa=U&ei=N92bTa_7LoSkceLhnd8F&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNGu5agdS66zDg5FJrkCSjW7jXKV1Q牽強附会

[83]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE9Zdic94ZdicBB61973.htm&sa=U&ei=Vt2bTceXAdO3cbLU-NQF&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEqkAOzw6wYsO4TG6mH680W6icPFg文辞を練ること

[84]http://www.google.com/search?hl=zh-CN&source=hp&q=%E9%A7%A2%E8%AA%9E%E9%9B%95%E9%BE%8D&lr=&aq=f&aqi=&aql=&oq=

[85]未詳

[86]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/19256.htm&sa=U&ei=KAixTeKiLI26vQPa5dGiBw&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNEKsoi8KiPUfSZGIVCKwr4xLyZQcw

[87]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E5%85%B6%E5%85%88%E5%8A%89%E5%AA%BC%E5%98%97%E6%81%AF%E5%A4%A7%E6%BE%A4%E4%B9%8B%E9%99%82%EF%BC%8C%E5%A4%A2%E8%88%87%E7%A5%9E%E9%81%87%E3%80%82%E6%98%AF%E6%99%82%E9%9B%B7%E9%9B%BB%E6%99%A6%E5%86%A5%EF%BC%8C%E5%A4%AA%E5%85%AC%E5%BE%80%E8%A6%96%EF%BC%8C%E5%89%87%E8%A6%8B%E8%9B%9F%E9%BE%8D%E6%96%BC%E5%85%B6%E4%B8%8A%E3%80%82

[88]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/236567.htm&sa=U&ei=AWqxTbiSGpCougPGtdGABw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEChld2xCIvhronEJkVK6EpxsVgNA

[89]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E4%B8%80%E6%9D%AF%E7%BE%B9

[90]http://www.google.com/url?q=http://zdic.net/cd/ci/5/ZdicE9ZdicBEZdic9984989.htm&sa=U&ei=E_aDTeCDCdOccd-X7J4D&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGaHiPVoHk2SsmLupgJnVqlGVJCrA龍の種。ここでは劉邦のこと。

[91]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic9DZdicB3136502.htm&sa=U&ei=ZcOzTc2zIIeGvAPVuPmTBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHvFJFIxIqeAorr9ERXBcEQP9yvhgふかくりしれないこと

[92]『左伝』にこの句見えず。

[93]http://ctext.org/chun-qiu-zuo-zhuan/zh?searchu=%E7%A7%81%E4%BA%8B%E8%A5%84%E4%BB%B2

[94]未詳。

[95]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE8ZdicB4ZdicAF340063.htm&sa=U&ei=A_OCTfChOYSxcavhnIkD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNE78GD_FLsYgRBcNHtoHD7QKtrTbA接、聯贯

[96]原文「貫穿繚繞」。未詳。とりあえずこう訳す。

[97]原文「仇必敗滋甚」。未詳。とりあえずこう訳す。

[98]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/743778.htm&sa=U&ei=mHCxTduJN4umvQP4xfWJBw&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNGIcRoNFMnVIRCI4PsSHrGFOqFV7ghttp://www.google.com/search?hl=zh-CN&q=%E5%A4%AA%E5%92%8C%E9%96%80&lr=&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi

[99]http://www.google.com/search?q=%E4%B8%B9%E5%A2%80&hl=zh-CN&lr=&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&aq=f&aqi=&aql=&oq=http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicB8ZdicB9314697.htm&sa=U&ei=2nCxTfWNGoW6ugO9kMmdBw&ved=0CBcQFjAB&usg=AFQjCNFJKpJcHf5GlxJnIticcBK1iSOgFw

[100]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic9FZdicB3148118.htm&sa=U&ei=tiWbTa_kG4iyvwPIwK3kBg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNG1B2Xh_qXCtN4IHh_mh4UL3YE0dg石製の戸棚

[101]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E5%25BE%25B7%25E4%25BF%259D_(%25E6%25B8%2585)&sa=U&ei=YXKxTZWYCJCovQPGqOmiBw&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNFUgnEsyqJcMzK74NZ5QwOyzVBzyg

[102]http://zh.wikipedia.org/wiki/Template:%E4%B9%BE%E9%9A%86%E4%B8%83%E5%B9%B4%E5%A3%AC%E6%88%8C%E7%A7%91%E6%AE%BF%E8%A9%A6%E9%87%91%E6%A6%9C

[103]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE4ZdicBEZdic8D19238.htm&sa=U&ei=uHKxTeOPNYnIuAPs2ZGUBw&ved=0CBsQFjAD&usg=AFQjCNGXFtoi8_-7vDAj-X8GN-CYaDr_kg官名。清代に内が置いた官。奏章を勘票を校することを掌る。『清通志·官一』参照。

[104]未詳

[105]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic85Zdic88106591.htm&sa=U&ei=gHSxTca1FomKvgOgqu2RBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGqdOWnYTwRI4kycBKKlksSiMx2rQ先徳という

[106]http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5Zdic9CZdic9F101306.htm粘土を型に入れて製成した土、灶、炕、を造ることができる。

[107]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic9FZdicB3173869.htm石造の。多くは宮庙陵墓の前に立て、官爵、功したりとしたりする。

[108]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE5Zdic98Zdic89214791.htm&sa=U&ei=UUOFTaa5IIXYuAOv36jLCA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFllXQOdsc9XVai5Nd3WKHv4Kt1Hw良な穀

[109]http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicA4ZdicA733905.htm皇帝が出行するとき、規模の最も大きなものが大、法、小の上にある。

[110]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicAEZdic9D216644.htm&sa=U&ei=AQOHTfONDIPovQOD5s3FCA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGJ3_3twVyk8DAytLRbXiZnMdoeYQ仏教。仏具法具を盛る瓶器を尊称する。花瓶、水瓶等数ある

[111]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/16/ZdicE7ZdicA8ZdicBC295341.htm&sa=U&ei=qAyATaDsEovKvQOqlZzLBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNG7WkClRh-yizelVT079UhRo6pBJQ作物

[112]http://ctext.org/book-of-poetry/zh?searchu=%E7%A8%BC%E7%A9%A1%E7%B6%AD%E5%AF%B6

[113]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic8FZdicA4294035.htmしてきた典籍あるいは准となすべき

[114]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/2/ZdicE5Zdic85ZdicAB313167.htm&sa=U&ei=f4GBTcygFo3cvQOHzdHoBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEKrAFcnkB6qbmMzGqkwQ3oht-h9A·洪』「三、八政:一曰食、二曰、三曰祀、四曰司空、五曰司徒、六曰司寇、七曰、八曰。」

[115]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicAEZdic9A119682.htm&sa=U&ei=XCWbTZn4IYLYuAOm65zkBg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHNSekD6RP_rO4rxN1Iy_paZRJ-CA制度あるいは法式を定すること。

[116]http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicADZdic90311341.htm大城に所属する小城、内城および城郭に付随する甕城あるいは月城。

[117]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/23538.htm&sa=U&ei=VFZ_TaHXD4bwvwPvtuzaBw&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNEBMzJzNMdrOJokyzGOzy3Qk987dg

[118]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE9ZdicA3Zdic9E77902.htm&sa=U&ei=cf6DTfTwIc7JcZzL3KUD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNH7eNg_NmeuCjzQ4YPrQ-vzwOgUgg大炮

[119]未詳

[120]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE4ZdicB8ZdicBD73387.htm&sa=U&ei=iFZ_Tcj9OYHCvQOanIXsBw&ved=0CBAQFjAA&usg=AFQjCNHWKAHUkozeqUOQFwt_pjH_oQhGjg華麗な高楼

[121]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/115567.htm&sa=U&ei=0XaxTZ69FYSivQPitpSXBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHvsG_dG6Z2cWKPTe1fFjBmxatszw

[122]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/9761.htm&sa=U&ei=5HaxTevGII28vgP8vumWBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGDfW07pCbXN4Ugs6L1zRFORfwGbg

[123]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/46514.htm&sa=U&ei=93axTarTG4mKvgOgqu2RBw&ved=0CA8QFjAA&usg=AFQjCNH1czGT3js09esh9pRS3OmzZAZAlA

[124]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE9ZdicBDZdic90344783.htm&sa=U&ei=IHexTePoKpG6vQPU6pmPBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFCwZIvzZcVCc5tG2uJklheVqEdrA斉東http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE9ZdicBDZdic90344782.htm&sa=U&ei=YMWzTa6pKIySuwPwoY2YBw&ved=0CBsQFjAD&usg=AFQjCNHR9o1nz2wvbm7BXqsfIjVrfXwWvQ道聴途信じるにりないのたとえ

[125]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1768%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=QnexTeuZB4y8vQOtg-GLBw&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNEqh3HCaWdqi_EfhUSHvqcK_hvZPA

[126]未詳。歩軍校のことか。http://www.google.com/url?q=http://www.hudong.com/wiki/%25E6%258D%2595%25E7%259B%2597%25E6%25AD%25A5%25E5%2586%259B%25E6%25A0%25A1&sa=U&ei=paK0TfO7F4zUvQPQr5mjBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGniRD59FTgweI5TpHCsj3htbn3qw 

[127]http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6ZdicB0ZdicB4323498.htm水位計

[128]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/85601.htm&sa=U&ei=sn6xTYadKIzuvQPM_v2LBw&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNGXH4AomA1WpwByfhjsDZR1N3ZC6Q

[129]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/275909.htm&sa=U&ei=5oOxTcnQD4m8vwPpiK2NBw&ved=0CBAQFjAB&usg=AFQjCNG4-8U6huOVdBhePWVmzBIpIp9UHQ白塔山で警報のために鳴らす大砲。白塔山は現在北海公園にある白塔のある山。http://wikimapia.org/1127074/cn/%E7%99%BD%E5%A1%94 

[130]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic8BZdicA827246.htm&sa=U&ei=MBKATdrvGoOivQOKhsjNBw&ved=0CBMQFjAB&usg=AFQjCNFBDf7a49IRYPhJrdz1XX_EFbyMdQhttp://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic8BZdicA827228.htm&sa=U&ei=S4mxTdbRPJCYvAOdtdSRBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNFypj_US-JhtMBm8ya4aXdiMJ3TEg郷試試験答案房(採点所)に分けて審閲され、房官の主考に推薦されて合否を決定された。房の合格者にはそれぞれ定数があったが、房の試験答案は優劣が同じでなかったので、しばしば各房の合格答案の多寡が均しくなくなった。合格答案が定数超過した房の試験答案、合格答案の少ない房に入し、その房の推薦によって合格させることを、といった

[131]原文「然亦視其卷何如耳。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[132]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1762%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=GYqxTb2SK4eGvAPVuPmTBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGPKMDt78HzXrfECJnxj_gIQGxRWQ

[133]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic98Zdic85278775.htm&sa=U&ei=SBOATfeYJpGYvAOo8ZziBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNH8gPwUYSUAcAxEmrvVWlVnE5l8qw試験答案評閲すること

[134]科挙の試験会場の号房は、『千字文』によって番号が振られている。その「合」の字の号房のこと。

[135]原文「因甫改試詩之制、可以恕論」。未詳。とりあえずこう訳す。

[136]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/907473.htm&sa=U&ei=ooqxTbndLY6mvgOcyrCHBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHxK5hpCXfQOCVZNbOEOkCPzY5_BA

[137]宮崎市定『科挙史』百四十九頁「審査を終れば、正副考官は及第者番号を作成し、これを草榜と称する。」

[138]『楚辞』離騒

[139]http://ctext.org/analects/gong-ye-chang/zh?searchu=%E6%94%B9

[140]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E5%A7%8B%E5%90%BE%E6%96%BC%E4%BA%BA%E4%B9%9F%EF%BC%8C%E8%81%BD%E5%85%B6%E8%A8%80%E8%80%8C%E4%BF%A1%E5%85%B6%E8%A1%8C%EF%BC%9B%E4%BB%8A%E5%90%BE%E6%96%BC%E4%BA%BA%E4%B9%9F%EF%BC%8C%E8%81%BD%E5%85%B6%E8%A8%80%E8%80%8C%E8%A7%80%E5%85%B6%E8%A1%8C%E3%80%82

[141]ここでは、自分の採点所では定数超過分として落第させたものの、よその採点所で合格者定数を満たしていない場合、そちらに送って合格させるためにとってある答案のこと。「撥巻」に関する前注参照。

[142]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7ZdicB4ZdicA037126.htm&sa=U&ei=NoyxTef1DoHCvQOFyqGiBw&ved=0CBUQFjAC&usg=AFQjCNE8OUZffjCV-89ErUFsQS89Mb1i8Q嫦娥の称。また月の代称。

[143]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9ZdicA1ZdicBE57780.htm&sa=U&ei=XIKBTZf1DYq6vQOssOnKBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNG-54uW7zjA37KRcbpiIv5656j-BQ」とも。月中の兔の形になったもの、後に月の名。

[144]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5Zdic90ZdicB4112536.htm&sa=U&ei=cIyxTeeFAoX4vwPkzfSTBw&ved=0CBsQFjAF&usg=AFQjCNHm9H0L1wwf-snHb4AwfUzC3Tt7NA月中の神呉http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5Zdic90ZdicB4298745.htm&sa=U&ei=kJyzTbPRBZDuvQPewbCABw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHei8scGiZMt_gbQ18X9-Io0iaG5Q仙人名。

[145]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/214292.htm&sa=U&ei=zBSATYLUBIuWvAP5m7nKBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF5n06mq5zsDssvrvDJYeQUESOBGQ

[146]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/8/ZdicE8ZdicAFZdic97253020.htm&sa=U&ei=r4yxTb_3CYPevwOP6_mbBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHcAKNZAZlg9GXdBss9JRXjvlJAqw

[147]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/202047.htm&sa=U&ei=2oyxTaqkOYaEvAOCk8ygBw&ved=0CBAQFjAA&usg=AFQjCNGWZlZmfAOGHHXB7QHWDuarNimRmw

[148]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/904673.htm&sa=U&ei=7YyxTaGUD4nIvQPbhuiWBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNF6rTCNNKSoJUvZJC5Gu_3pftRMfw

[149]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E8%25A8%2588%25E6%259C%2589%25E5%258A%259F&sa=U&ei=AI2xTYnvH4miuQPluaSABw&ved=0CBAQFjAB&usg=AFQjCNE__vhvD_dHK6FrQot-I0wsZzKdVw

[150]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/137870.htm&sa=U&ei=FY2xTY2JFoG8vwOg2OmFBw&ved=0CB8QFjAF&usg=AFQjCNGMgSgsfCTlsRTLh2WidBCACGimVw

[151]http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE4ZdicB8Zdic8A326215.htm天界。仙仏が居る地。

[152]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE4ZdicBBZdic9911463.htm&sa=U&ei=KY2xTZX7HIKKvQPAhuCaBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHTONjhbR_h3fif0isFNKXMVO8PZw若い男の仙人。

[153]科挙の採点所で合格者定員外として落第させた答案を、合格者定員を満たしていない別の採点所に持ち込むこと。

[154] 原文「微公撥入、亦自願易之。」。「易之」が未詳だが、おそらく採点所を変更することであろう。

[155]http://www.google.com/url?q=http://www.hudong.com/wiki/%25E6%259C%25B1%25E5%25AD%2590%25E9%25A2%2596&sa=U&ei=P52zTYLZMYiKvgPStrSABw&ved=0CA8QFjAA&usg=AFQjCNGlBlRNfEtk16Z_WGHDwI9S74hE9A

[156]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7ZdicB5ZdicAE237220.htm&sa=U&ei=_hWATeTQHYm8vQO-0ZTSBw&ved=0CBEQFjAB&usg=AFQjCNGMDJcLF1wEQtnhu6MErMJZ3qynhQ綿

[157]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1756%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=0o2xTbS0O4zuvQPM_v2LBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGhOazqe_DREW11IPjCbnny-a2ReQ

[158]http://maps.google.com/maps?hl=zh-CN&lr=&um=1&ie=UTF-8&q=%E5%8F%A4%E5%8C%97%E5%8F%A3&fb=1&hq=%E5%8F%A4%E5%8C%97%E5%8F%A3&hnear=%E5%8F%A4%E5%8C%97%E5%8F%A3&cid=007261283814920651620&ei=5Y2xTdCqMo2EvgOmj8ibBw&sa=X&oi=local_result&ct=image&resnum=1&ved=0CBcQnwIwAA

[159]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/16/ZdicE7ZdicBFZdicB0317054.htm&sa=U&ei=_OuqTd2HJoSGuQP-4p2eCg&ved=0CBkQFjAC&usg=AFQjCNGTMzN8dyxPIzQbNFIhFRPM5gyHBA筆墨

[160]撥巻」に関する前注参照。

[161]原文「何嘗以撥房為親疏哉」。未詳。とりあえずこう訳す。

[162]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE7ZdicA9ZdicBA313947.htm&sa=U&ei=rlGDTdjXO8vXce6ZsYgD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFAGR6pBIhmgsSrKHWD3dQdN91fFg迷茫のさま。縹渺さま。

[163]介福。満州鑲黄旗の人。

[164]原文「家中好自料理」。ここでは、葬儀をきちんとしてくれということであろう。

[165] 後ろに「『鸚鵡の新班』は、出典を知らず」とあるがまったく未詳。

[166]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE6Zdic91ZdicA7305977.htm&sa=U&ei=1GKDTa_KKcrzcbXviJED&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNERV0V0Btw3kLLhtXLwe-phcevANg摧折、衰。困、失意。

[167]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE4ZdicB9Zdic98211876.htm&sa=U&ei=0ByATYbFCYS2vQOjooTTBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHjekfsUw3rUK0EEIKRZH0g3NW3EQ大夫の乗る。後に官となることをさす。

[168]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE9ZdicBEZdic9974202.htm&sa=U&ei=oJOxTY2UOZTovQPpzIyUBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEtZIGiasPYKn2fDLAQnM1CtDvkzA登科の路のえ。

[169]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE9ZdicBBZdic84316405.htm&sa=U&ei=d5OxTcHJJojcvwOftbGLBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNF3s5r9DJhUkGz6IcYvwpUSQabOMA黄榜、殿後に朝廷が発布する合格者名簿

[170]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1757%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=25OxTYatLYS0vwODg7SGBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNFF9MFooxbLHcVMlJNgPvNQNtBkbg

[171]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1426191.htm&sa=U&ei=6pOxTYenEJDmvQPd3PWTBw&ved=0CBAQFjAA&usg=AFQjCNFPY_PXrPjb0HurAj4BJiUvMPvj0A

[172]未詳。巨構、字は子成のことか。『金史』巻九十七「巨構字子成、薊州平谷人。幼篤學、年二十登進士第。

[173]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/199331.htm&sa=U&ei=5h2ATdL_H4e6vwPBodDNBw&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNEWLe41x3N6QANrd0PKHf8zWodebw

[174]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6ZdicADZdicA6301692.htm&sa=U&ei=VNioTYT5GIfMuAO17ZCUCg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEfHxd8aIzR68jjyAg3ZaDZIvA46gの官

[175]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic87ZdicBA100675.htm&sa=U&ei=5PuHTdHnJomycIOdxagM&ved=0CBkQFjAB&usg=AFQjCNHo-MvzQ8bVBsb86Bj-xMYY76vnFQ地方官に出任すること

[176]http://www.google.com/url?q=http://gzzwgs.com/blue/htm/gudai/shi/df054.htm&sa=U&ei=aAOqTaGPO43yvwObwdmLCg&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNFC5VXgCe3KNEWSlhfNxdQy-YxkpA

[177]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic9CZdicA3182011.htm&sa=U&ei=htioTZ7tKJC6vQPcsPH_CQ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNE_hFgW7MNR5_RmPlqkoK9Fht-58A帝王の心意

[178]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic83ZdicBD292717.htm&sa=U&ei=p9ioTdHtPI6-vgObhZiRCg&ved=0CBEQFjAC&usg=AFQjCNEVLV9PyoGeskX4STdqlnGiStpxpw官名。清代、八旗都、旗の最高官であった。一旗の口、生、教訓練等を掌した。

[179]未詳だが、礼部のことであろう。

[180]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7Zdic8FZdicAD133616.htm&sa=U&ei=niebTar8L5CYvAP-tOTZBg&ved=0CA8QFjAA&usg=AFQjCNG1igRP6ZwiNjTXuaoehJY5u0SlFQ

[181]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE4ZdicB9ZdicA9209443.htm&sa=U&ei=PhOyTaWeGIeGvAPVuPmTBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF24e6VhZkWHht5on2coHKGDUMOzQ扶乩のにおりたつ神霊

[182]http://zh.wikipedia.org/wiki/Template:%E4%B9%BE%E9%9A%86%E5%8D%81%E5%B9%B4%E4%B9%99%E4%B8%91%E7%A7%91%E6%AE%BF%E8%A9%A6%E9%87%91%E6%A6%9C

[183]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/455486.htm&sa=U&ei=Npq0TYfiIIGKvQP74dCHBw&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNFR7Otwwo1sg2jwEcIqIrwihTV6EA 瀋陽

[184]http://www.google.com/url?q=http://www.1001n.cn/Read/shengjing.aspx%3Fkey%3Dshengjing%26cat%3D24&sa=U&ei=T5q0TaHMBI-kugPf39yABw&ved=0CBcQFjAD&usg=AFQjCNEqmLmUDqGfL-jhqjTfxG76TXh0VQ 盛京は清初の都で、北京に都が移ってからも六部が置かれていた。その侍郎のこと。

[185]http://baike.baidu.com/view/1403775.htm#1

[186]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/219692.htm&sa=U&ei=gBWyTcDPJoXuuAOoyYmUBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEZQmd95edmmlk4lxqtdINhD5ptCA

[187]http://webcache.googleusercontent.com/search?hl=zh-CN&lr=&q=cache:ezcuH5JYyUsJ:http://book.cnxianzai.com/story.php?id=281716+%E8%8B%8F%E9%A2%8B%E3%80%80%E6%9D%80%E4%BA%8C%E4%BA%BA&ct=clnk

[188]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/162009.htm&sa=U&ei=IBayTZb3PJGiuQPjh6yQBw&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNGARwPY50kgLutDy9Ae9ffyyv7kSA

[189]未詳

[190]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/12/ZdicE5Zdic87ZdicBF272927.htm&sa=U&ei=WiibTaXoAYO-uwPa2Z3kBg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF3Hy_YiT_lrLhmIZBDvGaQJWRcAgであること

[191]未詳

[192]巻十五にも出てくる。地名と思われるが未詳。

[193]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic9CZdicBA95184.htm&sa=U&ei=pj2DTdyAK5GWcb_VqaMD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFuuyZu14aC3elO5vm3KGHsgEHwhA脱穀の小屋。

[194]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE6Zdic8AZdicA4260167.htm&sa=U&ei=5-KBTd23LI-EvAPQpYzDCA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGlw5ORkkvdTCyLvez7F1DJL0kE9w護衛照看すること

[195]監禁していたことを訴えると称して金を脅し取るということか。

[196]主語は狐の友人の男。

[197]

[198]自分の別荘で、狐の友人の男の妻が発見されたので

[199]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cy/ch/ZdicE8Zdic9EZdicB321446.htm&sa=U&ei=KxiyTaTtJ4zOvQOq66WYBw&ved=0CA8QFjAA&usg=AFQjCNF0QvG0CZdf2v4XEkbjLYjcNgwdCg眼前の利益のみ見て後患をみないこと。「螳螂捕蝉、黄雀在後」の略http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/17/ZdicE8Zdic9EZdicB3334833.htm&sa=U&ei=xcizTdbwFIiyvwOMqv2bBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNFsqOAR1NIruIUJ2iKjvjdhQBoDUg

[200]http://www.zdic.net/cy/ch/ZdicE5Zdic88ZdicA912705.htm利をれば常に得ることの喩え。

[201]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/603513.htm&sa=U&ei=liOATdbwKZGuuQOZh_zhBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNFfgek7sSd-Z1I3B-ZFoF7pMTvkoQ

[202]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE4ZdicBBZdic9994277.htm&sa=U&ei=KSSATdKQPIaAvgPDtIXVBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEANfutBrtjT_8-c2A-rC2Nfhsm7Q仙人が住む邸宅。

[203]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7ZdicBBZdic99237118.htm&sa=U&ei=YlODTe3NIoPfcbGDsJUD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEglGxWsjCBkr7QR6vNSj4C89ySGg役使に供する人

[204]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE7Zdic8BZdic82287842.htm&sa=U&ei=OjaBTbOJIImOvQPCpqTnBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGgMdCwQH7PUEIbloNrBjS1DlEBVwはげしい

[205]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE7Zdic81ZdicAB318309.htm&sa=U&ei=cTaBTc_1G4K8vQPnj6ztBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGukYGoMriMJ0kFw8bTqrEFg4gJlg火の光芒

[206]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7Zdic83ZdicA7170634.htm&sa=U&ei=RDeBTeJjlN69A--j1eQH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF-noheA8ViH20T1l8dbzND6Bm0VAの士が丹砂を鍛えて黄金にすること。

[207]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5ZdicA6Zdic84215270.htm&sa=U&ei=XTeBTdK0I4rCvgPSjMnoBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGxYTZDpbGVxdzsysHN-1jWGqGq4g無知妄の人

[208]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1229407.html%3FfromTaglist&sa=U&ei=yRqyTZeLDo2-vgPBsuSdBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGof2KI5HzTYrmzQ4r1Xy-5rzBERw

[209]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE6Zdic85ZdicB7315416.htm&sa=U&ei=ISubTZubOYXevQPE3J3XBg&ved=0CBoQFjAC&usg=AFQjCNFuT3GFfBGa_Xi6UtYUGRyL4Hyuqw正気が、情激昂すること

[210]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/72826.htm&sa=U&ei=_xqyTeysLpDevQO9qqGJBw&ved=0CBAQFjAA&usg=AFQjCNHfTaIETSRsKnxNqHTM2pFo8pcUmw

[211]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/36790.htm&sa=U&ei=Fh-0TZOcOZSGvAP9wv2VBw&ved=0CB4QFjAF&usg=AFQjCNEJwWc5bT00yn-nMOLAzyjJNCD6Mw 

[212]http://baike.baidu.com/view/4931454.htm蒙昧荒涼

[213]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6Zdic89Zdic88149175.htm&sa=U&ei=USyATb3LG4ySuwOb38jhBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFAr317V3w6_CVX9J7wRj875IW51A皇帝が出行するのに随侍することとは、帝王の車駕あるいは行幸の指す。

[214]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic9BZdic9E102193.htm&sa=U&ei=YCyATe3hDoisvgOKtZzpBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNE7pBamVXXadJm0oK3lWF90O9O4vQ帝王および后妃の車駕「鑾」と称し、帝、后が外出して戻ることを「回鑾」と称した。

[215]地名と思われるが未詳。

[216]原文「馬又跳踉掣其肘。」。未詳。とりあえずこう訳す。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6Zdic8EZdicA359702.htm&sa=U&ei=9g-oTe-BJoK4vQP95_2YCg&ved=0CBgQFjAC&usg=AFQjCNESc_oOuxjy9MYPPYcqQ7-rBVe77A傍らから制すること。

[217]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6Zdic96ZdicAF156323.htm&sa=U&ei=x4mETb2VK8z4cfPpyJED&ved=0CBcQFjAC&usg=AFQjCNHN-XqibuJVenR24HgL0JiTuVR59g奴僕。

[218]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE5ZdicB1ZdicA0215558.htm&sa=U&ei=2y2ATbKuCo_wvwPDquHaBw&ved=0CBQQFjAC&usg=AFQjCNFUB_25GYINZQPl_ZxI6VcQ3MEo9w「屠酤児」とも。屠殺売酒をとする者。出身が微賎者の蔑称にも用いる

[219]http://www.google.com/search?q=%E5%90%B4%E9%92%9F%E4%BE%A8&hl=zh-CN&source=hp&lr=&aq=f&aqi=&aql=&oq= 

[220]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/78056.htm&sa=U&ei=AiKyTfmJGYiGvAOHuomZBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNF7E_ArYYO-v7CaBa-xGXItez61ow

[221]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/760457.htm&sa=U&ei=m2irTYq3O4PevQPAuqmcCg&ved=0CA8QFjAA&usg=AFQjCNGxU5HKXbp4HU-J5f9PWp25I2mczgの神の女婢の名。

[222]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6ZdicB0ZdicB486041.htm&sa=U&ei=Uy6ATcvdIoikugPN-dzWBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNE1kURyGmEFq2ajbAQC5oFnyOJIdA水神あるいは王の住む場所。

[223]『捜神記』巻四参照http://open-lit.com/listbook.php?cid=4&gbid=119&bid=5446&start=0

[224]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE8ZdicAEZdicBF252497.htm&sa=U&ei=2S6ATeG2EIaevQOQ0d3OBw&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNEmvY6IK80LmG39psQrzihrmCvT7g

[225]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE6ZdicBAZdicAA142181.htm&sa=U&ei=nC-ATe79FpG4vQPgzanTBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGXmwkiI4rtYIHGBFnqPLynlwoEqg溪谷。また足しがたい欲を喩える。

[226]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6Zdic83Zdic95166558.htm&sa=U&ei=jcuBTarYIIruuAPFvJC9CA&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNF61CMevszkAePB4hz34DRV40fclg省悟のさま。

[227]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/18/ZdicE8ZdicB9Zdic99226010.htm&sa=U&ei=8S-ATejtL46qvQPE9dDOBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHfOKZGM-Di0YKk_wOoSThvtU7ZJg局促不安のさま。愁不悦のさま。

[228] 原文「無求之獲、十倍有求、可無待乎我」。まったく未詳。

[229]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7ZdicB4ZdicAF37262.htm&sa=U&ei=fmeDTdW0DIuycdSP7WQ&ved=0CBUQFjAE&usg=AFQjCNH_e700QT9WjfOg0vvEY8nj8tpaSw文字が多くていこと。ここでは多く長くすること。

[230]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5Zdic8DZdicB7321088.htm&sa=U&ei=AkCsTf-ZIIaAvgP506CHCg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHc_rQa2AdWy3Rvvz2xv7n20j0NPg書籍

[231]原文「如累牘連篇、動成卷帙、則非著書之體矣。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[232]巻九、十二、十五にも出てくる。

[233]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE7ZdicBAZdicA228759.htm&sa=U&ei=X0GDTf-8Ns-XceGu9I0D&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF14UAE_R1wTF05coU1-nOIZ3D52g士が女の月あるいはそれを製採取した物を称する。明代、生不老のとされていた

[234]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE8Zdic89ZdicBE201958.htm&sa=U&ei=4zKATa-kCIaGuQPk15HqBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFAIydpsae5GZyh1KCGeTiBXsWwJw老いた雄豚。また男寵あるいは色の徒を指す

[235]原文「是以出此間道也。」。「間道」が未詳。とりあえずこう訳す。

[236]原文「此事奇創」。「奇創」が未詳。とりあえずこう訳す。

[237]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cy/ch/ZdicE5ZdicBAZdic8A4156.htm&sa=U&ei=XPK0TaNJhYq9A4LR_ZgH&ved=0CBQQFjAB&usg=AFQjCNGTSG5pxu6hEilKWStEMX5tboO0KQ 寝床房内あるいは夫婦間の私、私事。

[238]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE8ZdicBDZdicAC210422.htm&sa=U&ei=he2BTbudLI2AvgOOxOnMCA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFUzKCBbd6UDjogb1IFm22YS9xvhQ蔓延播。

[239]戈濤。献県の人。http://baike.baidu.com/view/201101.htm

[240]巻八にも出てくる。

[241]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE8ZdicB6Zdic85203081.htm&sa=U&ei=ADSATf2mBoXqvQPlit3eBw&ved=0CBMQFjAD&usg=AFQjCNFXGTmtqZvWQ1upD_uLxcT_wE6pHQ

[242]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE8ZdicBFZdic87340991.htm&sa=U&ei=Dx2ETf7uHsbQcYLnuJAD&ved=0CA4QFjAB&usg=AFQjCNF-OLexFzTJh-IDXq_RQOPGCs6jXg旧式の房屋の中で前後の、中堂。

[243]http://www.google.com/url?q=http://www.52maps.com/mapsmarker_show.asp%3Fid%3D55dd62d5f82b849a&sa=U&ei=SCyyTczmI4KiuQOagKGYBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNG74kb67qeIo9IxEkrHDStCIwLmuA

[244]巻二十三・二十四にも出てくる。

[245]未詳。

[246]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cy/ch/ZdicE6Zdic9CZdic8828199.htm&sa=U&ei=wjCyTeGMO42UvAPc682ABw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNFVdT2r-d4DS7aIqen_NyMcaX2KCQ良辰美景。

[247]地名と思われるが未詳。

[248]原文「亦豬脂所點成也。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[249]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6ZdicB8Zdic85299796.htm&sa=U&ei=0aqGTafaEoymugOC2tDCCA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHkpb7SIRmIU-iMHg50dLL4nX26Ww素食。

[250]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE5Zdic8BZdic9F322622.htm&sa=U&ei=wz6ATc2TCoPGvQPUhLXZBw&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNHR9Vyf33B9knTtgf-DIezw-E5Z8w他人に物を求めることをひろくさす

[251]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7ZdicB4ZdicAF205503.htm&sa=U&ei=GUSDTa7DJcSGcfq7iIED&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEJkUX9DxIDSQlrBF9xvWyUXWR4WQ囚禁せられた人。

[252]

[253]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1744%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=GkiyTa_fHYm6vQPay6iABw&ved=0CBQQFjAC&usg=AFQjCNHb8r4atTLI_G7dmS5PW66xBiHatwhttp://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1745%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=W0iyTZP6KIisvgOtsoGfBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEaFtoMUa_khYW-6KQ5PPLeSYmZ_w

[254]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/33358.htm&sa=U&ei=fUiyTf3FB4OivgPvubGZBw&ved=0CCAQFjAD&usg=AFQjCNFyChxfup1-EdO0S3yw3Fsw5wzhewhttp://www.google.com/search?hl=zh-CN&q=%E6%BD%AD%E6%9F%98%E5%AF%BA&lr=&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi

[255]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5Zdic8FZdic97103942.htm&sa=U&ei=ye2qTeuHOYTIvQPU1qSDCg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHecCA2h0yYZqMNHIstCXqtEdyW-g

[256]巻二十一にも出てくる。

[257]直隷滄州。『元史』巻五十八・河間路「滄州、中。唐改景城郡。」

[258]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicA4ZdicA991035.htm&sa=U&ei=Al2yTa-ZCYyuvgP1u-iIBw&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNFL_NbcERnnSOwqHsDle1dunTsLuA唐の玄宗が泰山神を天王に、後に岳を称した。

[259]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicAEZdic97290072.htm&sa=U&ei=LUGATca6OIrmvQP1qrXiBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEsF77bySZV7SofQ1Z6rT4QzcqtQQもともと仏教各宗派特有の格、伝統指し、多く禅宗に用いる。には道教あるいは文学芸術各流派特有の格と思想をひろくさす。

[260]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE7Zdic9FZdicA5126203.htm&sa=U&ei=RCGETYiDM4mHcaG04aED&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHyjsksuhZq8_mtFG6EFOXurcSxHQ仏寺で接待客を管する僧。典客、典とも称する。

[261]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6ZdicB3Zdic9512668.htm&sa=U&ei=gESDTartIY_fccfKoJQD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEpYmuaaKT_XPq_ptNDQMzWVR2-XA

[262]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE9ZdicAAZdic8479633.htm&sa=U&ei=6w2CTeb1KI70vQO347zECA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFLlFWHzRcYkpchDgcNtygHtMSNTw貴顕

[263]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE7ZdicB2ZdicBE234107.htm&sa=U&ei=Aw6CTdayC4ncvQOZp8TMCA&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNG6hjEKSLfH6c6I_B-IF3Tl2L7WGQ精勤刻苦。

[264]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7ZdicA6Zdic85166533.htm&sa=U&ei=we6BTZvSFIyIuAPuyv3JCA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGqXhZcp7S4-dqqd8V5cVssVg6sLQ仏教。坐禅誦経

[265]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE9Zdic81Zdic93314740.htm&sa=U&ei=_kSDTdfYBoHCcYGq2I4D&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHSFzlzHtHER3C4H25OahNXu8I0NA道徳、品行。

[266]http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6ZdicB8Zdic8513660.htm純潔高尚。

[267]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE9Zdic94ZdicA1273266.htm&sa=U&ei=ukGATbSlNZOGvAP3nIDsBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEiUuENYHNb_qTeQFqKkFPG9JcqYQ飛锡。僧が出遊すること。

[268]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic9DZdicAF8638.htm&sa=U&ei=CWmDTY-eFcS3cN7Q1YwD&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHhMRrPhk1kY4iR73YJW-sxSgWg2A晋宋代の僧、姓名不詳。言い伝えではかれは常に木杯に乗って水を渡ったので、杯渡という。事は南朝梁慧皎『高僧·神異下·杯渡』にえる。後にそれにちなんで僧の出遊を称する。

[269]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE5Zdic96Zdic84114654.htm&sa=U&ei=FBWITeDSJYSkccysuKMM&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNH8z3sv9tbolUT4qmTdyeCxUsHI_g仏教。梵。善友、好伴の意。後にまたひろく高僧をさす。

[270]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7Zdic8BZdicAC61325.htm&sa=U&ei=KPWuTfDfL4WevgPDg5WGDw&ved=0CBEQFjAC&usg=AFQjCNHewHM3Ilx2f20e17ie5GJIqdeaKA操が高尚で、俗に随って浮沈せぬこと。

[271]原文「三師父涅盤不久、其名當有人知、俟見試諸孫輩、使歸而詢之廟中。」。「俟見試諸孫輩」が未詳。とりあえずこう訳す。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE8ZdicAFZdicB8255575.htm&sa=U&ei=qhCoTZzPD4fKvQOE4vWFCg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHAQPGRVtQxReCaXtNsPmM2pSrflA

[272]巻五・八にも出てくる。

[273]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E9%90%98%E9%BC%93%E4%BA%8E%E5%AE%AE%EF%BC%8C%E8%81%B2%E8%81%9E%E4%BA%8E%E5%A4%96ここでは「噂が広まってしまった」ということ。

[274]死んだ夫の息子と、後妻の前夫が同じ部屋で鉢合わせし、息子の盗みと後妻の姦通が同時に露顕したこと。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7Zdic9BZdicB8179277.htm&sa=U&ei=jSypTaW2GJDWvQPQiamGCg&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNGmUVGKMUb9m8mlpITHnU5EeIDyXw

inserted by FC2 system