第二十巻

灤陽続録二

 

  ある館吏[1]が議叙[2]によって経歴[3]を得、会城[4]で需次[5]していたが、久しく仕事を得ず、困窮すること甚だしかった。上官にかれを憐れむ者がおり、ひとまず典史[6]を代行させた。するとたいへん威張りちらし、さらに気焔で同僚を圧倒したので、他の事で免官された。邵二雲[7]学士はたまたまこのことに言及し、言うには、かれの郷里で、ある人が夜に読書していたところ、(れんじ)窓で音がしたので、じっくり見ると、紙が破れ、二つの小さい手が引き裂いた。大きさはわずかに瓜の種ほどで、すぐに一人の小人が跳びこんできたが、彩衣紅履、頭は双つの髻で、眉目は描いたかのようで、高さはわずか二寸あまりであった。案頭の筆を執って挙げて旋舞し、硯の上で往ったり来たり跳ねたり踏んだりし、墨汁を引き、書巻はすっかり汚れた。この人ははじめたいへん驚き、坐してしばらく見ていたが、他の技がないように思われたので、手を挙げて打った。然として捕らえられ、掌握の中に局促した。声は[8]として虫鳥のようで、命乞いしているかのようであった。この人はひどく恨んでいたので、すぐに燈火で焼き殺したところ、部屋中に枯れた柳の木の臭いがしたが、今まで他の変事はない。煉形[9]ができるようになったばかりで、幻術はすこしもできないのに、ほしいままに人を侮り、禍を招くのは、もしやこの吏の類か。これは本当にその事があったか、それとも二雲が戯れて作ったか分からないが、聞けばやはり戒めとするに足りる。

  
  昌吉[10]の守備[11]劉徳が言った。昔、回部を征した時、急の檄文があったので、珠爾士斯(チュルシス)の路を取って馳せていったが[12]、暗くて道が分からず、十余騎はみな迷い、食糧は尽きようとし、泉水もなかったので、しばらく樹の根元に坐し、天が晴れて南北を見わけられるようになることを願った。見ると崖下に人馬の骨数体があり、風雪に蝕まれ、衣と武器はすべて朽ち、その作りを見たところ、味方のようであった。そこでそれに向かって嘆いた。さらに二日晴れなければ、君たちとこちらで仲間となろう。しばらくすると旋風が林の外れで起こり、たちまち来、たちまち去り、招いているかのようにし、馬を走らせて従ってみると、風はすぐに先導し、しばらく休息してみると、風も進まなくなったので、暁然として骨の霊だと悟り、従って往還すること三四十里、さらに嶺を渡ること二度で、はじめて元の道を見つけた。風もにわかに収まった。人々は哭いて拝して去った。ああ、生きては身を棄て、魂はなお国に報い、精霊はながくあり、氏名が湮没しているのは、やはり悲しいことである。

  
  神仙はいないと思えば、ある人は遇ったと言うし、神仙はいると思えば、つねに遇うわけではない。劉向[13]、葛洪[14]、陶弘景[15]以来、神仙を記した書物は、百家にとどまらず、神仙の姓名を記した者は、千人にとどまらない。しかし後世はみなふたたび言及してはいない。後世の遇ったものは、さらにおのずから後世の神仙がある。精気を保ち、長寿となれても、結局やはり遷化に帰したのではあるまいか。さらに神仙は清静であるが、方士は幻化し、もともとそれぞれ別のものである。諸書の記録では、およそ幻化する者はすべて神仙といい、まったく区別することがない。王媼という者がおり、房山[16]の人で、家は深山にあったが、かつて亡母張太夫人に告げた。「山に道人がおり、年は約六七十で、小さい庵におり、山果を拾って糧とし、泉を掬って飲み、日夜木魚を撃ち、経を読み、一度も家にいったことがありませんでした。その庵に近づいてともに語る者がおり、あまり受け答えせず、贈りものも受けなかった。王媼のおいは外で傭工となっていたが、ある晩、帰って母を訪ねようとし、その庵の前を過ぎた。道人はたいへん驚いた。『夜が更けて虎が出るから、どうしてゆけよう。おまえを送ってゆかなければならない。』。琅琅[17]と木魚を撃って先導した。半里たらずで、ほんとうに一頭の虎がにわかに出てきた。道人が身をもって遮ると、虎はそのまま去り、道人は別れを告げずにやはりみずから去った。後にたちまち所在を失った。」。これは仙人のようなものかもしれない。従叔の梅庵公[18]が言った。「かつて見たが、ある人が童子を三層の明楼に登らせ(北方では、瓦で覆われているものを暗楼、上層が雉堞[19]の形で寇を防ぐのに備えているものを明楼と呼ぶ。)、手で招くと、翩然として下ったが、一箇所も傷はなかった。さらに銅の盂[20]を溪に投じ、叫ぶと、徐々に自然に浮かび出てきた。」。これらはいずれも方士の禁制[21]の術で、神仙ではない。舅氏[22]張公健亭[23]が言った。「磚河[24]の農家で、数頭の牛を野で牧していたところ、一時にすべて急死した。道士が通ると、言った。『これは本当に死んだのではなく、妖鬼に取られただけだ。急いでわたしの薬を注ぎ、臓腑を腐らないようにさせれば、わたしはあなたのために祓い、その魂を召そう。』。そして招いて家にゆき、禹歩[25]して法術を行った。約半刻で、牛たちはほんとうにみな蹶然と起きあがった。食事に留めたが、顧みないで去った。その事を知る者が言った。『これはさきに毒草を草の中に置き、後に薬で解いただけだ。謝礼を受けようとしなかったのは、財産目当てでないことを示し、また来て惑わせるようにしたのだ。わたしは山東で、その人がこの術を行うのを見た。』。その言葉が一たび伝えられると、道士はふたたび来なかった。」。方士の中にも、真贋があり、どうしてすべて神仙と言おうか。

  
  李南澗[26]が言った。かれの隣県の一生は、名家の子であった。若年で放埓で、おおいに男色を渉猟していた。ある日、親戚の家から飲んで帰ったが、城からやや遠く、雲は黒く、路は暗く、入るのに間にあわないと思い、小雪も簌簌と降っていた。躊躇していると、十歩ばかり外に燈の光があり、しもべを見にゆかせれば、茅屋数間で、四方には住人がおらず、屋中には一童一嫗がいるばかりであった。そこで尋ねた。「泊まる処はあるか。」。嫗は言った。「倅は久しく外に出ており、一人の孫がわたしとこちらに住んでいるだけでございます。なお空き部屋二間がございますので、狭いのがお嫌でなければ、しばらく宿れましょう。」。そして童子を呼び、二頭の馬を樹に繋がせ、生を迎えて座に入らせた。嫗は年寄り[27]ははやく眠るべきでございますと言い、童子に客の応対を頼んだ。童子は年が約十四五で、衣履は破れていたが、眉目はきわめて美しかった。挑んでともに語ってみると、みずから火を吹き、茶を沸かしたが、あまり返事しなかった。ともに戯れ笑っていると、やや意を解しているかのようであった。そして突然、隙を見てこっそり語った。「ここは祖母の家に近うございますから、雪が晴れましたら、みずから公のお家にいって、ご褒美をお求めしましょう。」。生がたいへん喜び、繍嚢[28]玉玦[29]を解いて贈ると、恥じらいながら受けた。長いこと軟語すると、門を閉ざし、燈を持って去った。生としもべは壁に拠って疲れて休み、しらぬまに昏睡した。目ざめると、家はすでに見えず、よその墓の柏の下に坐し、狐裘貂冠[30]、衣褲靴襪は、すでに剥がれて寸縷もなかった。雪中で裸になっていたので、寒さは忍べなかった。二頭の馬も居場所が分からなかった。さいわいしもべは衣が剥がれなかったので、その敝裘を脱いで上体を覆い、ゆっくり歩いて帰り、偽って盗賊に遇ったと言った。まもなく二頭の馬は路を知っていたので自分で帰っていたが、すでにすべてその尾と鬣を切られていた。衣冠は便所で見つかり、汚穢にまみれていた。あきらかに盗人でなく、言い訳できなかった。しもべははじめてその情状をつぶさに漏らした。軽薄さが侮辱を招き、狐に戯れられたことが分かった。

  
  戊子[31]の昌吉の乱[32]では、前兆はなかった。屯官[33]は八月十五日の夜、流人たちを労い、山腹で置酒し、男女が雑然と坐していた。屯官が酔った後、流婦[34]たちに逼って歌を唱わせたところ、突然憤激して反乱し、屯官を殺し、軍装庫[35]を奪い、その城に拠ったのであった。十六日の朝、報せが烏魯木斉(ウルムチ)に届くと、大学士温公[36]は兵を集めるように促した。時に班兵[37]は散じて諸屯におり、城中にはわずか百四十七人しかいなかったが、いずれも百戦の勁卒で、賊を馬鹿にしていた。温公は率いてすぐに紅山口[38]にゆくと、守備の劉徳[39]は馬を引きとめて言った。「ここから昌吉までは九十里あり、われらが馳せて一日で城下にいっても、かれらは安楽、われらは疲労し、かれらは坐して守り、われらは上に向かって攻めるのですから、百余人でできることではございません。それにここから昌吉まではすべて平原で、瑪納斯(マナス)[40]はやや広うございますが、あちこちで馬に鞭うって渡ることができ、扼するべき要所がございません。扼するべき者は、この山峡の一本の路だけでございます。賊は城を得ればかならず株守せず、その軍勢はすぐに来るはずでございます。公はこちらに兵を留められたほうがよく、懸崖が多いので、賊に多寡を知られません。かれらが来るのを待ち、険を扼して下って攻撃すれば、攻撃を転じて守備とし、労苦を転じて安楽とし、賊を破ることができましょう。」。温公は従った。賊が来ようとし、徳は左に紅旗を執り、右に利刃を執り、人々に命令して言った。「土煙を眺めれば、千人に過ぎないが、みな決死の徒で、かならず死闘するから、やはり防ぐのは容易でない。さいわい乗っているのはすべて屯[41]の馬で、戦陣を経ておらず、創を受けるとかならず退却しよう。おまえたちはそれぞれ鉄砲を捧げ、片膝を曲げて跪き、ただ伏して馬を撃て。馬が逃げれば人は乱れよう。」。さらに命令した。「影を望んで鉄砲を鳴らせば、鉄砲は賊に届かず、火薬は先に尽き、賊が来たときにはかえって用いられるものがなくなろう。おまえたちはわたしの旗が動くのを見たら、鉄砲を鳴らすことを許し、先に鳴らそうとする者は、手ずから斬る。」。にわかに賊たちが鉄砲をあらそって発射し、砰訇[42]として地を動かしたが、徳は言った。「これらはすべて空砲で、役に立たぬ。」。弾丸が先鋒を撃って一人を傷つけると、徳は言った。「かれらの鉄砲がわたしに届くのだから、われらの鉄砲はかならずかれらに届くだろう。」。旗を挙げて一振りすると、多くの銃が一斉に発射された。賊の馬ははたしてみな暴れ、ぶつかりあった。わが兵は騒いでこれに乗じ、賊は殲滅された。温公は嘆いた。「劉徳は容貌が田舎の翁のようであったが、陣に臨めばかくも沈着であった。参将[43]都司[44]は、応対阿諛に達者であっただけだ。」。そこでこの戦役では徳を首功とした。しかし捷報は委細を縷述できていない。くわしく記せば、湮没しないことだろう。

  
  烏魯木斉(ウルムチ)から昌吉までは、南は天山に接し、登ることができる路がなく、北は葦湖[45]に接し、天に連なって涯がなく、淤泥は深さが一丈ばかり、入る者はかならず頭頂を滅するのであった。賊が敗れたところ、西に還って昌吉に拠らず、南北に逃げ、ことごとく絶境に入ったので、恐れ慌てて錯乱したかと思った。後に俘虜を連れてきて尋ねると、みな言った。「潰滅した時、もともと西に逃げようとしていました。ふと見ますと、関帝が馬を雲の中に停めており、帰路を断っていましたので、やむをえず傍にゆき、隠れて免れることを願ったのです。」。神の威霊は、二万里外に及んでいるのである。国家の福祚は、さらに神助を二万里外に致せるのである。(はりねずみ)の鋒、(かまきり)の斧で[46]、反乱して何になろうか[47]

  
  昌吉が乱れる前、通判[48]の赫爾喜[49]は檄を奉り、転任して烏魯木斉(ウルムチ)にゆき、倉庫を調査した。城が陥ったことを聞くと、憤って生きようとせず、温公に指示を請うて言った。「屯官が刺激して反乱させたもので、かれらの反逆はかならずしも本心ではございますまい。道で賊を単騎で迎え、利害によって諭したく思います。首領を縛って献ずれば、征討を労さなくともよいでしょう。梟[50]が群を成し、正に()そうとしなければ、手ずからかれらの将を斬り、ともに生きません。」。温公はそれはいけないと阻んだが、[51]で馳せて去り、ただちに賊の中に入り、大義によって再三導いた。賊たちはみな言った。「公は良いお役人ですが、これは公とは関わりのない事です。事ここに到ったからには、形勢を挽回することはできません。」。そして擁して路傍にゆき、置いて去ろうとした。事がうまくゆかないことを悟ると、刀を執り、力を奮って数人の賊を殺し、格闘して死んだ[52]。当時、輿論は惜しんでいった。「屯官はかれの所属ではなかったし、流人はかれの管轄ではなかったから、いわゆる『縦[53]』ではない。争いは一時に起こり、あらかじめ不軌を図っていたのではないので、いわゆる『失察[54]』ではない。転任の命を奉じてよそに出、身は官署にいなかったのだから、いわゆる『防備が堅くなかった』わけでも『城を棄てて逃げた』わけでもない。奪ったのは軍装庫で、営弁[55]が掌管していたのだから、いわゆる『疏防[56]』ではない。理においても法においても、いずれも死ぬことがなくてよかったのに、結局『城が存すればともに存し、城が亡べばともに亡ぶ』の一言に拘り、身をもって殉じるに甘んじた。その志を推しはかれば、常山[57]、睢陽[58]とみなしてもよい。」。そこでかれの柩が帰ると、哭奠[59]しないものはいなかった。屯官の残骸が帰ると(屯官は賊によって銕鍘で踵から一寸一寸切られて頭頂にまで達していた。乱が平定された後、はじめて拾われた。)、一陌の紙銭を焚く者もいなかった。

  
  朱青雷[60]が言った。かつて長い巻物を見たが、字は大きくて杯のようで、奇怪できわめて張二水に似ていた。巻頭に「紀夢十首」と題し、蝕まれて破れていたが、二首だけはまだ完全だったので、読むことができた。その一首にこうあった。「夢みて到る蓬莱の頂、瓊楼碧玉の山あり。波は浮かぶ天の半壁、日は湧く海の中間。はるかに望む仙官の立つを、翻つて野老の閧スるに輸す。雲帆[61]三十丈、高く掛けすみやかに西に帰らん。」。その二にいう。「鬱鬱たり長生の樹、層層たり太古の苔。空山開鑿[62]せず、元気なほ胚胎す。霊境何処にかある。夢に遊ぶこと今幾回ぞ。もっとも憐れむ魚鳥の意、相見ゆるも驚猜[63]せず。」。年月姓名はみなすでに損なわれ、誰が作ったのか分からなかった。かつて李玉典[64]が扇に書き、ならびに跋を附すると、ある人は言った。「これは青雷がみずから作り、古人に托したのだ。」。しかし青雷の詩格は、婉秀[65]で秦少遊[66]の小石調[67]のようであり、二詩と趣きは近くなかった。ある人はさらに言った。「詩と字はいずれも張東海[68]のようだ。」。東海集をかつて見たが、この二詩があったかを記憶していないので、さらに調べるのを待とう。(青雷の跋にいう。前の詩の後ろの四句は、人に言われたものではない。しかし昌黎の詩に「我よく屈曲[69]すること世間よりし、いづくんぞよく汝に従ひて神仙を求めん。」[70]というのは、まさにこの趣意で、襲取の痕がないだけである。)

  
  回部に富豪の子があり、形状は(ぶくぶく)、歩履は蹣跚(よたよた)とし、さらに、辺幅を修めず、垢はつねに顔に満ちていた。しかし狭斜に遊ぶことを好み、婦女に遇えばかならず注視していた。ある日、ひとり歩いていて、若い女に会ったが、風姿はきわめて優れていた。時に新雨でぬかるんでいたので、進み出てからかい、言った。「路がこんなに滑らかなのに、ねえさんは介添えがいらないのですか。」。若い女は色を正して言った。「馬鹿なことを仰らないでください。わたしは女狐で、平生月を拝し、姿を整えているだけで、人を惑わし、採補[71]の事をしたことはございません。あなたは何さまで、かようなことを仰るのです。あなたに禍しましょう。」。そして(すな)を掬い、かれの顔に振りまいた。驚いて退くと、たちまち(どぶ)に落ち、力を尽くして跳び出たが、若い女はすでに行方が分からなくなっていた。それからは心がつねに惴惴[72]として、祟りを慮ったが、結局患えはなかった。数日後、友人がかれを宴に迎え、あらたに若い妓女を出してお酌させた。じっくり見ると、以前の若い女であった。疑い訝り、なすすべを知らなかった。むりに尋ねてみると、言った。「×日の雨の後、東村にいったか。」。妓女はゆっくり答えた。「姉がその日東村にゆき、阿姨(はは)に会いましたが、わたしはゆきませんでした。姉はわたしと貌が似ておりますが、公はごらんになりましたか。」。言葉はきわめてとらえどころがなく、(あやかし)か人か分からなかったので、きっぱりと[73]、理由を付けて席から逃げ去った。去った後、妓女はその事を述べた。「本当はあのひとの醜態が嫌で、乱暴されることを恐れましたので、ひとまず嘘の言葉で欺き、免れることを求めたのです。さいわいあのひとが自分から転びましたので、麦の脱穀場の柴の山の後ろに隠れました。あのひとが本当だと思おうとは思いませんでした。」。席上のものはみな絶倒した。ある客は言った。「青楼に入ったのだから、客を択ぶことはできない。あのひとはもともと千両で買笑することができる人だから、おまえを連れてあのひとのところにゆこうか。」。そしてかれとともにゆき、つぶさに妓女の舅姑および夫の氏名を述べたので、その疑いは解けた。(妓女姉妹は、大楊二楊という者たちのことで、当時名士の多くは『楊柳枝』[74]の詞を作り、みなそれを借りてかれらの姓を寓していた。)妓女もまた謝した。「若い時から存じあげておりました。先日、気に入っていただいて嬉しかったのですが、ことさらに冗談でお答えし、失礼を致しました。ふかく残念に思っておりましたので、衾と枕を抱いてみずから罪を贖うことにいたしましょう。」。言葉は嫻雅[75]で、恣態は豊満であった。そこで大いに惑わされ、数晩逗留した。その夫を召して来、毎月夜合[76]の資金を与えたが、親しむこと一年を経て、消渇いよって死んだ。亡兄晴湖は言った。「狐でありながら人であれば、かれを恐れるのは、死を恐れているからだ。人でありながら狐であれば、かれを恐れないばかりか、死をも恐れないが、かれもその仲間に入れることができよう。あなたに禍しましょうと、かれはさきに言っていた。この子は妓女によって死んだが、狐で死んだと言ってもよい。」。

  
  郭大椿、郭双桂、郭三槐の兄弟がいた。三槐はしばしばその兄を侮り、県にいって訴えていた。帰るときにある寺で休んでいると、緇袍[77]が座に満ち、梵唄[78]がきそって起こっていた。主人は礼服を着ていたが顔色は悲しげで、宣疏[79]通誠[80]の時、涙を声とともに落としていた。尋ねると、寺僧は言った。「某公のお兄さまはご病気が危ういので、仏に叩頭して福を求めてあげているのです。」。三槐は茫然としてしばらく立っていたが、たちまち発狂し、足を踏み、胸を打って叫んだ。「よその兄弟はこのようにしているのか。」。このような一言を、繰り返して止まなかった。扶けて家にゆけば、眠らず、食らわず、なお足を踏み、胸を打ち、この一言を誦え、二三日止むことがなかった。大椿、双桂はもともと別に住んでいたが、報せを聞くとどちらも来、かれの手を持って哭いた。「おまえはどうしてこのようなことになったのだ。」。三槐はさらにしばらく茫然と立ち、にわかに二人の兄を抱いて言った。「兄さんはこのようなお方だったのですか。」。長号すること数声、一跳びして絶命した。みな言った。「神が殺したのだ。」。そうではない。三槐は恥じてみずからを咎めたのであり、これは聖賢のいう改過[81]、釈氏のいう懺悔である。この志を満たすだけなら、田荊[82]、姜被[83]でも、できることである。神はまさに許し、殺せなかった。かれが嘆くとすぐに死んだのは、心が感動したことにより、天良[84]を刺激し、みずから世に立つべきでないと感じたので、一瞑して見ず[85]黄泉(よみじ)に影を潜めたのである。神がその(たましい)を奪ったのではない。惜しむらくは、過ちを知りながら過ちを補うことを知らず、気質や行動は、一度そうなったら取り返しがつかず[86]、救う学問がなく、導く明師益友がいず、助ける賢い妻子がいなかったので、悪く始まって美しく終われず、遅い改心を図ったことで、これはかれの不幸であった。昔、田氏の姉は一人の若い下女を買ったが、娼家の娘であり、人が隣の妻が淫乱であることを謗っているのを聞くと、驚いて言った。「してはいけないことだったのですか。わたしはあのようにするべきだと思っていました。」後に嫁いで農家の妻となったが、一生貞潔であった。それならば三槐が理に悖ったのは、まさに知らなかったことによっている。ゆえに子弟にはさきに礼を知らせるべきである。

  
  朝鮮の使臣鄭思賢[87]が、碁石二(はこ)をわたしに贈ったが、いずれも天然で円く滑らかで、人工のものらしくなかった。言うには、黒いものは海岸の砕けた石で、長年海水に衝かれてでき、白い者は小さい車渠の殼で、やはり海水に磨かれてすべすべになっており、いずれも得難いものであるということであった。その厚薄が均しく、輪廓が正しく、色沢が均しいものを探しを重ね、比べ合わせて差し替えるのは、一朝一夕の力だけではない。書斎に置き、おおいに賞玩していたが、後に范大司農[88]に持ち去られた。司農が歿した後、家計(くらし)は蕭然としたので、今ではどこにあるか分からない。

  
  海中の三島[89]十洲[90]、崑崙[91]の五城[92]十二楼[93]は、詞賦家が沿用している。朝鮮、琉球、日本の諸国は、いずれも中華の書物を読める。日本に関しては、わたしはその五京地志[94]及び山川全図を見たが、疆界は数千里に延びており、いわゆる仙山霊境はなかった。朝鮮、琉球の貢使と、かつてしばしば談じ、そのことを尋ねた。みな言った。「東海には日本以外に、大小の国土がおよそ数十あり、大小の島嶼は幾千百あるか知りませんが、中朝の人は絶対に到達できず、つねに帆船は万里をわたり、商船は往来しているものの、まったくこの説があることを聞きません。琉球の落漈[95]だけは、三千の弱水[96]のようなもので、落漈n舟は、潮が平らになる年に当たると、時折還ることができるが、やはり白銀の宮闕があることを聞かず[97]、望むことはできますが近づくことはできません。それならば三島十洲は、どうしてまったくの虚構でなかろうか。『爾雅』、『史記』は、いずれも河は崑崙から出ていると称している。調べると、河源は二つあり、一つは(ホータン)から出、一つは葱嶺から出ている。葱嶺はその正源で、(ホータン)の水が入るとも言い、(ホータン)がその正源で、葱嶺の水が入るとも言う。双流はすでに合い、やはりいずれが主でいずれが客かを弁じない。しかし葱嶺、(ホータン)は、今ではいずれも版図の内にあり、開墾して辺塞を防備すること四十余年、深岩窮谷でも耕牧を通じている。両山の水のどちらが正源かはさておき、両山の中にかならず一つの崑崙があるのは、確かである。いわゆる瑶池[98]、懸圃[99]、珠樹[100]、芝田[101]は、まったく見られず、また、まったく聞かれていない。それならば五城十二楼は、さらに荒唐でないか。こればかりでなく、霊鷲山[102]は今抜達克善(バタクシャン)[103]にあり、諸仏菩薩の骨塔[104]はつぶさに存し、題記[105]の梵文はすべて経典と合っている。さらに石室六百余間があり、これがいわゆる大雷音寺[106]で、回部[107]の遊牧する者が住んでいる。わが兵は波羅泥都[108]、霍集占[109]を追撃し、かつてその地にいったが、見たものはこのようなものに過ぎなかった。種種の荘厳さは、やはり文飾の言葉のようであった。言い伝えでは、回部の祖国では、銅で城を造るという。西に近い回部は、銅城はその東万里にあるといい、近東の回部は、銅の城はその西万里にあるという。たがいに遥拝していたが、今までその地にいったことがある人はいない。これによって推せば、南懐仁[110]の『坤輿図説』[111]が記す五大洋洲の珍奇霊怪は、この類に等しいであろう。周編修書昌[112]はいう。「仏縁のある者が、仏界を見られ、仙骨のある者が、仙境を見られる。尋常の耳目で、その有無を断じるべきでない。」。かつて、一人の崑崙に遊んで帰った道士を見たが、言っていることは旧記と異ならなかった。だからわたしは知らない[113]

  
  蔡季実[114]殿撰[115]に一人のしもべがおり、京師の長随[116]であった。機敏で応対がうまかったので、季実はたいへん喜んでいた。とある日、二人の幼い子がともににわかに亡くなり、その妻も家でみずから縊れた。そのわけは分からなかったが、ひとまず納棺するしかなかった。その家の老嫗がひそかに人に語った。「こっそり愛人を持っており、その夫を毒殺し、後に子を連れて嫁ごうとし、ひそかに砒素を買い、餅餌を作り、その夫が帰るのを待っていたのです。ところが二人の子供がこっそり食らい、ともに死んだのです。妻は悔やんでやまず、やはりともに死んだのです。」。しかし、嫗は真夜中に、窓の外で盗み聴きし、陰謀の言葉を耳にしただけで、逢っていた者が誰かは分からなかったので、やはり追究しようがなかった。そのしもべもすぐに発病して死んだ。死んだ後、かれの仲間はひそかに語りあった。「主人はあの人だけを信じていたが、あの人は手を尽くして主人を欺いていた。他の事はさておき、たとえば昨日の四鼓に円明園にいって侍班[117]した時、あの人はことさらに車を乱暴に御して騾馬を逃がし、御者は追いかけて返ってこなかった。時間はすでに迫っており、門を叩いて車を借りていてはかならず間に合わなかったので、急いで雇わせた。すると言った。『風雨が来ようとしていますから、五千銭でなければ人はゆきません。』。主人は為すすべもなく、しぶしぶ従った。ひどすぎることではないか。奇禍はあるいはこれによるか。」。季実はそれを聞くと言った。「それは死ぬのが遅かった。わたしは誤って物分かりの良い人だと思っていた。」。

  
  楊槐亭先輩[118]が言った。その郷里に官を終えて帰郷した者がおり、門を閉ざして保養し、世事に関わらず、かなり林下[119]の楽しみを得ていたが、跡取りがないことだけを憂えていた。晩年に一子を得、愛情はことに甚だしかった。痘を患ってたいへん危険であった。労山[120]に道士がいて予知できることを聞き、みずから尋ねにいった。道士は囅然として言った。「ご令息はまだ多くのお仕事があって終わりませんので、すぐに亡くなるはずはございません。」。はたして良医に会って癒えた。後にその子は遊蕩して放縦となり、その家を破産させた。流離寄食し、若敖の鬼は餓えた[121]。郷党は論じた。「この翁は悪もなければ善もなかったから、にわかにこの児を授かるべきではなかった。しかし蕭然たる寒士で、令となったのは十年に過ぎなかったのに、役人の稼ぎは数万を越えていたから、富を致す道に知られざることがあったではあるまいか。」。

  
  槐亭はさらに言った。茅山法[122]を学ぶ者がおり、鬼魅を祓うとしばしばすぐれた験があった。ある家が狐に祟られたので、駆除しにゆくように頼んだ。法器[123]を整え、日を決めてゆこうとしたところ、知り合いの老翁が来、言った。「わたしは久しく狐と友だちだ。狐は事が急で、わたしにこう言った。狐は先生に無礼していませんので、先生も狐に怨みがございません。かれらの贈り物を得、ことを処理してやるだけに過ぎません。狐は事が定まった後、かれが二十四金を贈ることを約束したのを聞き、今その数を十倍にし、先生に納めることを願っていますが、先生はとどまってゆかないことができますか。」。そして金を出して(つくえ)に置いた。この人はもともと貪婪であったので、すぐに受けた。そして、翌日、頼んだ者に断って言った。「わたしの法術は、凡庸な狐しか祓えません。昨日、召して調べようとしましたが、あなたの家で祟っているのは天狐ですので、制することはできません。」。金を得た後、ひそかに喜んだ。そこで狐は金を多くしたのだから、術で捕らえられると思った。そして四境の狐を考召し[124]、雷斧[125]火獄[126]で脅し、賄を納めさせた。取り立てはしきりにあったので、狐は大騒ぎし、ともに謀ってかれの符印[127]を盗んだ。かれは狐に憑かれ、顛狂して叫び、みずから河に投じた。狐たちはかれの金を取って去り、銖両も残らなかった。人は費長房[128]、明崇儼[129]のようなものだと思った。後にその徒がひそかに漏らし、かれが失敗を招いたわけを知った。そもそも符印を管理し、鬼神を使って(あやかし)を駆除するとき、その権力は官吏と等しいということである。収賄して悪者を野放しにすることは、するべきでないし、さらにさまざまな手段でその溪壑[130]を満たせば、天道はすぐれているので、どうして鑑察を逃れられよう。狐たちが殺さなくても、雷霆の誅は、けっして免れないはずである。

  
  天は高く、地は遠く、鬼神は茫昧(ぼんやり)として、人と関わっていないかのようであるが、時にそれらの反応は響くかのようであり、人の智力を尽くしても、それらと争うことはできない。滄州の上河涯[131]の某甲の娘は、某乙の子と婚約していた。両家はいずれも小金持ちで、婚期は一二年以内であった。星占い師が某甲の家を訪ねたところ、雨に阻まれて泊まったので、娘の運命を占わせた。星占い師はしばらく沈思すると、言った。「算書[132]を持っておりませんので、この運命は占えません。」。おかしいと思い、詰問すると、はじめて言った。「この八字[133]ならば、側室の運命でございます。お宅がそのようなことになるはずはないようでございます。それに、聞けば嫁がれるのにはすでに期日があり、干支には刑剋[134]がなく、まったく再婚されることはございませんので、ますます疑っていたのでございます。」。狡猾な者がその事を聞き、それを利用して利益を求めようとし、某甲に言った。「あなたは家産をどのくらいお持ちなのです。それに、娘さんを嫁がせるにはかならず費用が多く掛かりますから、ますます持ちこたえられますまい。運命がこのようでございますなら、まずは娘さんがご病気だと嘘をつき、次に娘さんが亡くなったと嘘をつき、空の棺を買ってすぐに葬られてはいかがでしょう。夜に娘さんを連れて京師に逃げ、姓名を改めて売り、貴い家の妾になされば、大金は坐して齎せましょう。」。某甲はそれに従った。たまたまある達官が娘を嫁がせ、美しい妾を求めていたので、二百両で買った。一月あまりすると、舟を浮かべ、娘を送った。南へゆき、天妃閘[135]に着くと、一家はすべて魚の腹に葬られたが、某甲の娘だけは、救われて生きることができた。少女であったので引きとろうとせず[136]、所轄の官吏に知らせた。所轄の官吏がかれの来歴を尋ねたところ、娘はこの家にいることが長くなかったため、主人の姓を知っているばかりで、かれの官爵郷里を挙げられなかったが、父母の姓名住所だけは、はっきり言った。そこで滄州に移牒し、その事は露顕した。時に某乙の子は、すでに表妹[137]と結婚しており、盟約を改める道理はなかった。某甲が大金を得たことを聞くと、怒って訴えようとした。某甲は逼迫していたので、娘をかれの子にふたたび嫁がせることを願った。表妹の家はそれを聞くと、さらに訴えようとした。紛糾混乱し、大事件となりそうな情勢であった。両家の旧友や親戚たちが調停し、某甲に命じて資金を出させ、娘を迎えにゆかせ、某乙の子の側室にし、その難事は収まった。娘が家に帰ると、某乙の子はすでに親迎[138]していた。某乙が牛車に娘を載せ、家に来、かれの姑に会うと、自分の意でないことをつとめて弁じた[139]。姑は言った。「おまえの意思でないなら、おまえを売った時にどうして夫がいると言わなかったのだ。」。娘は返す言葉がなかった。引いて正妻に拝礼させた時、娘はすこし躊躇した。姑は言った。「おまえは売られて妾になった時も拝礼しなかったのか。」。やはり返す言葉がなく、礼法どおりに拝した。姑は一生奴隸としてかれを養った。これは雍正末年の事であった。亡き祖母張太夫人は、時に水明楼[140]で避暑していたが、たいへんくわしくこのことを知っていた。かつて侍婢に語った。「かれの父は大金を求めていたに過ぎず、娘は富貴を望んで、この計略を立てただけだ。しかし無益であったばかりか、もともと持っていた物まで失ってしまった。おまえたちはこれを見、さまざまな妄想を消すべきだ。」。

  
  亡き四叔母李安人には、文鸞という下女があり、もっとも可愛がられていた。たまたまわたしが手紙を寄せ、侍女を求めたところ、叔母は(おい)たちの中でもっともわたしを好んでいたので、文鸞を贈ろうとした。ひそかに文鸞に尋ねたが、まったく拒まなかった。叔母は衣裳簪珥[141]を作ってやり、すでに吉日を占って(あぶら)した[142]。妬む者がかれの父を唆して要求を多くさせ、事は阻まれた。文鸞は鬱鬱として発病し、死んでしまった。わたしは知らなかった。数年後、そのことを仄聞したが、やはり雁が長空を過ぎ、影が秋水に沈んだかのようであった[143]。今年の五月、扈従して出発しようとし、掃除してやや疲れ、坐して仮眠していた。ふと夢みると、一人の娘が翩然[144]としてやってきた。まったく知らなかったので、驚いて尋ねた。「誰だ。」。じっと立って語らなかった。わたしもすぐに目ざめたが、そのわけが分からなかった。家人が会食した時、わたしはたまたまそのことを語った。第三子の妻は、わたしの甥女(めい)で、幼い時に外家[145]で文鸞と遊んでおり、さらによくかれが恨みを呑んでいたことを知っていたので、驚いて言った。「もしや文鸞ではございませんか。」。そしてその容貌姿態をくわしく語ったが、夢の中で見たものと合っていた。かれだったのであろうか。どうして二十年来久しく度外に置いていたのに、たちまちゆえなく夢に入ったのか。かれの葬られた場所を尋ね、石碑を建ててやろうとしたが、みなが言うには、丘隴(はか)はすでに平らかになり、久しく荒榛[146]蔓草に埋没しているので、知ることはできないということであった。そこでひとまずこちらに録し、黄泉(よみじ)にいるものを慰める。思えば乾隆辛卯[147]九月に、わたしは秋海棠詩を題した。「憔悴の幽花はなはだ憐れむべし、斜陽の院落晩秋の天。詞人老大[148]にして風情[149]減じ、なほ残紅[150]に対して(ひとへ)に悵然たり。」。さながらこの人のために詠じたようであった。

  
  宗室の敬亭先生[151]は、英郡王[152]の五世孫であった。『四松堂集』[153]五巻を著し、その中の『拙鵲亭記』でこういっている。「『鵲巣鳩居』とは、鵲は巧みで鳩は拙いことをいう[154]。わが庭の鵲は、その仲間を十や百にして、林に棲んでいる[155]。かれらの様子を観察すれば、ことさらに巣居を厭っているわけではなく、鳩が巣を奪うことを恐れているわけでもない。そもそも性質の愚かであることは、みたところ鳩が甚だしく、巣をうまく作れないのであろう。そこで雨、雪、霜、霰があれば、羽毛は濡れるが、朝日が昇れば、また木の梢で群れ騒ぎ、その声は怡然としている。露天に棲むことを苦としていないかのようであり、飛ぶときも高く飛ばず、去るときも遠く揚がらず、庭園の付近で飲啄するばかりで、主人の堂に入る時もある。主人が食らってその残りを棄てれば、すぐ近づいてその喙に置き、主人の客が来ても驚かず、客と主人の、機心ない者のようにしている。辛丑[156]の初冬、堂の北に一つの亭を造ったが、凍えた林が四方を囲み、鵲が周りに棲んでいたので、『拙鵲亭』と名づけた。鳩が拙いのは当然だが、鵲がなぜ拙いのか。拙くなければわが園の鵲とするに足りないからである[157]。」案ずるにこの記は鵲を借りて寓意しており、その事は近くて目前にあり、かならずや虚構でなく、異聞でもある。先生の弟の倉場侍郎[158]宜公は、先生の集を刻しおえ、わたしは校讎し、そこで取り上げて録し、談柄に資したのである。

  
  医者の殷賛庵[159]が、深州[160]の患者の家から帰る時、主人は楊姓のしもべに送らせた。楊はもともと暴戻で、人々はかれを横(去声)虎と名づけていたが、沿途喧嘩をふっかけ、人と競わない日はなかった。ある日、真夜中にとある村に着いたが、旅舎はすべていっぱいだったので、とある寺に投宿した。僧は言った。「仏殿の後ろに空き部屋が三間だけございます。しかし(もののけ)が祟ります。嘘ではございません。」。楊は怒った。「何物が楊横虎(おれさま)に祟ろうとしよう。尋ねたいものだ。」。僧を促して榻を掃かせ、賛庵とともに寝た。賛庵は心が怯え、壁に近づいて眠ったが、横虎は外に臥し、燭を明るくして待っていた。人々が静まった後、本当に嗚嗚(ウウウウ)と音がして外から入ってきたが、美女であった。だんだん榻に近づくと、楊はにわかに起きて抱き、すぐに接吻し、戯れた。女はたちまち縊鬼の姿を現し、醜い姿は恐ろしかった。賛庵は戦慄し、歯を鳴らした。楊はやおら笑った。「おまえは貌が憎らしいが、下半身は人に異ならないはずだから、ひとまず楽しむだけだ。」。左手でその背を抱き、右手ですぐにそのを下ろし、榻に抑えつけようとした。鬼は大声で叫んで逃げさった。楊は追って叫んだが、戻ってこなかった。そこで安眠して暁になった。ゆくに臨み、寺僧に言った。「この部屋ではたいへん良いことがあり、わたしは×日に還り、また泊まるから、他の客を泊めないでくれ。」。賛庵はかつて滄州で王友三[161]に言った。「世には縊鬼に姦通を逼る者がいる。横虎の名は、むなしく得たものではあるまい。」。

  
  科場は国家のために人材を得るためのもので、試験官が門生を得るためのものではない。後に各房[162]で人数に定数があるようになったが、答案を分けることの是非については規定がなかったので、撥房[163]の慣例ができた。雍正癸丑[164]の会試で、楊丈農先の房では(楊丈は諱は椿[165]といい、亡き姚安公の同年であった。)、撥入[166]せられた者は十分の七であった。楊丈は意に介さず、言った。「諸々の答案は本当にわたしの房の答案に勝っているから、心に境界を設け、黒白を逆さまにさせようとしない。」。(これは座師[167]介野園[168]先生に聞いた。先生は楊丈房に撥入せられた人であった。)乾隆壬戌[169]の会試で、諸襄七[170]先輩は撥入を受けいれず、一つの房でわずか七つの答案を合格させただけであったが[171]、総裁もそれに従った。聞静儒[172]先輩は、本房[173]第一、第二十名であった[174]。王銘錫[175]は魁選[176]がなかった。任釣台[177]先輩は、一つの房から二人の魁[178]であった。戊辰[179]の会試で、朱石君[180]先輩は湯薬罔[181]先輩の房首[182]であったが、実は金雨叔[183]先輩の房から撥入せられ、雨叔も一つの房から二人の魁であった。当時いずれも異論はなかった。刻せられた同門巻[184]を、わたしはすべてみずから見た。庚辰[185]の会試で、銭籜石先輩[186]は藍筆で牡丹を描き、あまねく同僚に贈り、つぎつぎに題詠させた。時に顧晴沙[187]員外が撥出[188]した答案はもっとも多く、朱石君が撥入した答案はもっとも多かったので、わたしは晴沙の絵にこう題した。「深く(そそ)ぐ春水細かく培ふ沙[189]、養ひいだす人間富貴の花。(まこと)に艶陽三四月のごとく、余香風送り隣家に到る。」。辺秋崖[190]先輩はわたしの韻に和した。「一番の好雨塵沙を(きよ)め、春色全て帰す上苑[191]の花。これはこれ沈香亭[192]畔に植ゑ、移して野人の家に到らしむるなかれ。」。さらに石君の絵に題した。「こひえたり仙園に花幾茎ぞ、嫣紅[193]にして名を知らず。何ぞもちゐんこれ誰家(たれ)が植うると問ふを、手に到りてあひ見ればすなはち情あり。」。石君はみずから和した。「春風春雨枯茎を(あま)し、傾国なんぞかつて一たび名を尋ねん。心は維摩老居士[194]のごとく、天花[195]来り去るも情に関せず。」。張鏡壑[196]先輩はついで和した。「墨青泥を搗き硯沙に(けが)れ、濃藍写しいだす洛陽の花。云何(なん)ぞ臙脂をして染めしめざる、因縁を把りて画家に尋ねんとす。」。「黛花片となし翠茎となし、『欧譜』[197]は第幾名に居るを知らん。かへつて怪しむ玉盤の露を承けて冷ゆるを、香山居士(はなは)だ関情[198]す。」。そもそもいずれも長年の親友であったので、形骸[199]を軽んじ[200]、たがいに悪ふざけして楽しみとしたもので、まったくわだかまりはそこになかった。蒋文恪公[201]は時に総裁となっていたが、それを見て言った。「諸君子の跌宕[202]風雅は、もとより佳話である。しかし古人の怨恨は、多くは諧謔から起こっている。これらをすべて帳消しにするほうが、交わりを全うする道である。」。みな深くかれの言葉に敬服した。そもそも老人の見識は深いのである。これを録して若年の綺語の過ちを記した。向後、俊英は、けっしてまねしてはならない。

  
  科場の填榜[203]が終わった時、かならず巻いて(つくえ)に横ざまに置き、総裁[204]、主考[205]、みな朝服して九拝し、後に捧げて出ることを、堂吏[206]は「拝榜」といっている。これは誤っている。公事として論じれば、一榜すべて挙子なのだから[207]、試験官がどうして挙子を拝しよう。私事として論じれば、一榜すべて門生なのだから、座主[208]がどうして門生を拝しよう。ある人は『周礼』の、民数[209]を拝受するという文を証拠としているが[210]、きわめて附会である。そもそも合格発表の日、すぐに題名録[211]を進呈せねばならない。録[212]は先に書くことができない。かならず拆巻[213]して一名を唱え、榜に一名を書き込み、その後、填榜したときの紙条(かきつけ)を渡し、一名を抄録するのである。今、紙条(かきつけ)をなお「録条[214]」というのは、そのためである。かならず拝して送るのは、拝摺[215]の礼のようなもので、榜が公開されなければ、録は出ず、録が完成されなければ、榜は公開されない。そこで録と榜がかならず(つくえ)に並んで、はじめて拝する。榜は大きく、録は小さく、燈光が輝く下、人々は榜を見て録を見ないので、榜を拝していると誤認したのである。その後、謄写して終わらず、天はすでに明るくなろうとしていたり、試験官が復命を急ぎ、さきに拝していったりすることがあった。そして拝する時に(つくえ)に録を置かないものがおり、時を経ると、もともとそうであったと見なされたのである。堂吏は録がなくても拝することができるため、録を置かなくなった。さらに、録を置かず、すこし遅れてから送れるので、榜を写すのが終わった後になり、置ける録がないので、拝するものがしらぬまに榜に移ったのである[216]。かつてそのことを先師阿文勤公[217]に尋ねたところ、公は李文貞公[218]がそのように言っていたと述べていた。文貞は公の己丑[219]の座主であった。

  
  翰林院の堂屋は中門[220]を開かず、開けば掌院[221]が不吉だといわれていた。癸巳[222]に『四庫全書』館を開いたとき、質郡王[223]が来臨したので、所管している者がそれを開いた。にわかに掌院の劉文正公[224]、覚羅奉公[225]が相継いで亡くなった。さらに門前の沙堤[226]の中では、土が凝結して(たま)となっていたが、誤って砕けばかならず翰林に害がある。癸未[227]に雨水が衝いてその一つを露わにし、子供に抛たれて割られると、呉雲岩[228]先輩がたちまち歿した。さらに原心亭[229]の西南隅には、翰林で父母がいる者は、坐を設けるべきでなく、坐すれば刑剋[230]があった。陸耳山[231]は時に学士となり、毅然としてそれを信じず、外艱[232]に遇った。左の角門[233]などは、久しく閉ざされて開かず、開けば所轄している者に降格があるというので、試そうとする人はいなかったが、ほんとうに験があるかは分からなかった。そのほかの部院[234]にも、それぞれ禁忌があった。たとえば礼部の甬道[235]や屏門[236]は、昔は搭渡(搭渡とは、夾木[237]二枚を、敷居に挟んだもので[238]、坡陀[239]として橋の形のようであり、堂官[240]で車に乗る者が、中[241]を通って入れるようにし、腋に回るのを免れさせるのである。)を加えなかった。銭籜石先輩が従わなかったところ、にわかに天壇の燈桿[242]の事件があった[243]。しばしば応験もあった。これはかならず理が存し、ただその理がどこにあるか詳らかでないだけである。

  
  言い伝えでは、翰林院の宝善亭[244]には、女狐の二姑娘というものがおり、その行跡は見えなかった。しかし褚筠心[245]学士が斎宿[246]した時、夢みると、一人の麗人に連れてゆかれたが、牆壁を越えて雲霧を踏んでいるかのようであった。城根[247]の高麗館[248]にゆき、一人の老叟に会うと、驚いた。「これは褚学士ではないか、二姑娘はなぜこのように軽率なのだ。はやく送りかえせ。」。そして霍然として目ざめた。筠心は清祕堂[249]で、かつてみずから語った。

  
  奸物は巧妙でも、失敗する時があり、富豪は放縦でも、失敗する時がある。しかし、奸物が富を用いたり、富豪が悪を扶けたりすれば、追及できない。景州[250]の李露園[251]が言った。燕斉[252]の間で、ある富豪がつれあいを失い、村人の新婦を見て恋慕していた。そしてひそかに一人の媼を遣わし、隣に家を借りさせ、あれこれ口利きさせ、新婦の舅姑に厚く賄し、不孝であるとしてその嫁を離縁させ、その倅に知らせないように約束させ、さらに別に嫁の実家と平素往来している媼を遣わし、嫁の父母に厚く賄して口利きさせ、いつわって嫁を送り返させることにした。舅姑も、いつわって後悔する意思を示し、食事に留め、嫁を呼んで部屋に入らせると、にわかにたがいに気に障ることを言い、ふたたびたがいに罵り、嫁を追って帰らせ、やはり嫁に気づかせなかった[253]。そこで離婚された嫁を売買したこと、実家と共謀したことには、いずれも辿るべき痕跡がなかった。その後、二人の媼はいつわって媒酌し、両家のために結婚を相談したが、富豪は嫁が不孝であることを憚って断り、嫁の実家も貧富が釣り合わないとして断った。そこで、娶る計画を立てたことにも辿るべき痕跡がなかった。さらに時が経つと、さらに取り持ちする親戚友人がいたので、ふたたび結納を贈った。その夫は貧しかったものの、もともと士人で、父母に迫られたため、罪がないのに嫁を離縁していたため、怏怏として病となっていた。それでも破鏡[254]がまた合うことを願っていたが、嫁ぐ約束があることを聞くと、憂憤のうちに死んだ。死ぬとその魂は富豪に祟り、合巹[255]の夜、燈下に姿を現し、邪魔して衾枕をともにさせなかった。数晩このようにした。あらためて昼を選ぶと[256]、嫁も怒って言った。「どうしてもとの夫が傍にいながら、新郎とこのようにする者がございましょう。さらに三日の新婦であるとはいえ、白昼このように門を閉ざしている者がどうしてございましょう[257]。」。大声で泣いて従わなかった。どうしようもなく、術士[258]を招いて祓わせた。術士は祭壇に登り、護符を焚き、指揮、叱咤して見えているものがいるかのようにしていたが、すぐに起きあがると謝って去り、言った。「わたしは邪魅は駆れますが、怨魂は駆れません。」。僧を招いて礼懺[259]しても験がなかった。ふと、その人が平素たいへん孝行で、嫁を離縁することを阻もうとしなかったことを思いだし、ふたたび嫁の舅姑に賄し、諭してその子を追いはらわせた。舅姑は子を憐れんだが、その金を利とし、ひとまずともに来て怒り罵った。幽鬼は泣いた。「お父さまとお母さまが逐われているのですから、これ以上とどまる道理はございません。地下に訴えるだけでございます。」。それからは来なくなった。半年足らずで、富豪は死んだ。訴訟が正しく結着したのだろうか。富豪のこの挙を、ケ思賢[260]は訴えられず、包龍図[261]は察することができなかった。かれ[262]が金銭を恃み、幽鬼を駆れるにいたったことは、計画が巧みであったというべきであるが、結局、幽冥の業鏡[263]を逃れられなかった。聞けば費えは数千両を下らず、歓をなすこと幾許もなく、かえってそれで命を落とした。いたって拙かったといってもよい。巧みさがどこにあろうか。

  
  京師に張相公廟があるが、その縁起は詳らかでなく、張相公とは誰なのかも分からない。土人は河神かと思っている。しかし河神は沽水[264][265]の間[266]におわすはずで、京師は治めるところではない。さらに密雲[267]にも張相公廟があるが、本当に山中で、水郷ではなく、河を去ることさらに遠いではないか。委巷の談は、まったく信ずるに足りない。思うに、唐の張守珪[268]、張仲武[269]はいずれもかつて平盧[270]を鎮め、高適[271]の『燕歌行』序を調べると、この詩は本当に守珪が作ったものであった。一首にはいう。「戦士軍前死生半ばし、美人帳下になほ歌舞す。」。さらにいう。「君見ずや辺庭征戦の苦を、今に到るもなほ思ふ李将軍。」。守珪に対しておおいに諷刺の言葉があった。仲武は奚寇[272]を撃破し、防衛の功があり、その露布[273]は今なお『文苑英華』に載せられている。理によって推すと、士人が廟を建てて仲武を祀ったのかもしれなかった。行篋には調べるべき書物がないので、還御[274]に扈従した後を待ち、さらに調べるべきであろう。

最終更新日:2011619

閲微草堂筆記

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[1]未詳だが「…館」(たとえば庶常館)などといった役所の官吏であろう。

[2]清の制度で、績優異の官、部に知らせて査定、奏して記録等のを与えたことを、「叙」という。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE8ZdicAEZdicAE260202.htm&sa=U&ei=NZRhTej1DMS3cMTurbsJ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGNvPIzPBdIamQtN-Y_9XSzFlFAYQ

[3]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE7ZdicBBZdic8F337375.htm&sa=U&ei=mf6WTeqHBMvJccrXzZkH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHw7NUNW6Fv4XInAAjTSSRKhM6QAQ官名。掌とする官。

[4]http://maps.google.com/maps?hl=zh-cn&q=%E4%BC%9A%E5%9F%8E%E9%97%A8&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl会城のことか

[5]補任を待つことhttp://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE9Zdic9CZdic80264671.htm&sa=U&ei=U5RhTeGnFcbzcYPPgIcK&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGKSSfM1i7T7XQenhXOBqR4nYea3Q

[6]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5Zdic85ZdicB823946.htm&sa=U&ei=Ev-WTZroJI-ycZ310agH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEAFtdeUtK4Axiyg4EOaSR3YtTJyA官名。元が始めて置き、明清も置いた、下で捕、監獄を掌管する属官。丞、主簿がいなければ、典史がその任した

[7]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/217986.htm&sa=U&ei=mweXTYm6EMGXcf71yZUH&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNEjDKLFCzuaQckoxUejV_z9EoYbSg

[8]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/8/ZdicE5Zdic91ZdicA6334192.htm&sa=U&ei=vgphTf_dBo62vQPiwIzjAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHxUCE1gf2kmAWCVq4wCAPbIoIOPwB擬音語。泣き声あるいは口からせられる低く微かな声。

[9]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7Zdic82ZdicBC275214.htm&sa=U&ei=GpZhTdnALMWlcNztxPkJ&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNHGAAn1altT6bW8KfsDuccdAJ2vmA道家が自身の体を修することをいう

[10]新疆迪化府の県名。

[11]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5ZdicAEZdic88300846.htm&sa=U&ei=qgiXTfaYNs-5ce7xrYwH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNG_E2FWqZhequDN-z80z1CfHGxtJg明清武官名。

[12]原文「取珠爾士斯路馳往」。「珠爾士斯」は地名と思われるが未詳。とりあえずこう訳す。

[13]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/6708.htm&sa=U&ei=tRCXTbKUBMSecL7P5JQH&ved=0CBAQFjAA&usg=AFQjCNHxYYI5YsRLtOzuJFaxkvPqdW5w4w

[14]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/27971.htm&sa=U&ei=xRCXTa78E4K3cNzWhZgH&ved=0CA8QFjAA&usg=AFQjCNE85ZZUlEurMgOxb5feFDa1fvlbwQ

[15]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/44799.htm&sa=U&ei=1BCXTYvdO4K8cK-EzaYH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEi_Aq7MFL5LSxBi59sV04a9PL5tQ

[16]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/152480.htm&sa=U&ei=QRGXTfqIC8vJccrXzZkH&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNEpZfvaT0AjHkHfC8MzqhFL74aB9w

[17]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7Zdic90Zdic85321452.htm&sa=U&ei=TxGXTbmsAZDZcYLBmaUH&ved=0CCQQFjAC&usg=AFQjCNGymzRBjlOGpmabDU-5T96b-MezAg擬音語。清朗、響亮の音を形容する。

[18]巻十一・二十二にも見える

[19]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE9Zdic9BZdic89267049.htm&sa=U&ei=BQxhTYfdNoHevQP897njAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNG-Ufc4lmozcBS_1tbaQbZc1_NI7gひめがき

[20]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE7Zdic9BZdic82.htm&sa=U&ei=yRiXTdK1OcS8cd7MtYwH&ved=0CBMQFjAC&usg=AFQjCNFgUMYx0CO_VE4ZJ76doN5yI3jkrg。また、盛る器皿

[21]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE7ZdicA6Zdic81319450.htm&sa=U&ei=2BiXTb7EO4K4ceu7zK4H&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNHQAXvV6UeyCCtp5pOmW1woVarBugコントロールすること

[22]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE8Zdic88Zdic85209573.htm&sa=U&ei=6RiXTZzpLcPXceDhzJAH&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNEmA3AVgt2oZyIslXiOo6Yr3RW47g舅父http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE8Zdic88Zdic85320947.htm母の兄弟。俗称は母舅。

[23]巻八・十四にも見える

[24]直隸天津府の鎮名。

[25]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7ZdicA6ZdicB98645.htm&sa=U&ei=UBmXTem8CMvJcaKsvKYH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNG-zaZuVg3A2RAVs02xG_o3ZQakkg、道士が術を行うときの方。

[26]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/217041.htm&sa=U&ei=fxmXTYzjEYiucNfQpaEH&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNEiuf4svaoUV5u3cibxoODTMxoMOg

[27]原文「老病」。未詳。とりあえずこう訳す。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE8Zdic80Zdic81321601.htm&sa=U&ei=2gplTe--NIyuuQPux7mrBg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNG6Bwv3zlGkkIDUgOIBr1QV6rz8ew

[28]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7ZdicBBZdicA3204058.htm&sa=U&ei=pxqXTcnQCcTQcazllJYH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFtj67Zv_4wZAUJpXIRMIBU2JdWpA模様を刺繍した袋。

[29]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic8EZdic89331114.htm&sa=U&ei=tBqXTcrvGsKycL3VhKwH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF0Cznc7J_AT7xZ9adDlC9TDamO2w佩玉の一。形はのようで欠けた部分がある。「玦」、「決」は同音なので、古人は「玉玦」を用いて決断あるいは決の意を表示した。

[30]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE8ZdicB2Zdic82249396.htm&sa=U&ei=CRuXTbqNI8rzcejUnJwH&ved=0CBMQFjAD&usg=AFQjCNEpkqkaD1CCow6KedDAKlH8y0WE7A古代の侍中、常侍の冠。貂尾りとしていたので、こう称する。

[31]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1768%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=bBuXTdGiCcOecZ_08aYH&ved=0CBQQFjAB&usg=AFQjCNElykqhIP6OfC1Wca8jctQ7V0hPFA

[32]未詳

[33]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicB1ZdicAF6847.htm&sa=U&ei=oxuXTZqbHojfcbiuvYwH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEVqyyCmwbtTaNf7ieWVWi8PiChdw屯田事掌管する官

[34]流刑に処せられている女囚であろう。

[35]未詳だが、字義からして軍服を保管する倉庫であろう。

[36]http://baike.baidu.com/view/1727563.htm

[37]未詳だが、字義からして部隊であろう。

[38]http://maps.google.com/maps?hl=zh-cn&q=%E7%B4%85%E5%B1%B1%E5%8F%A3&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl

[39]未詳

[40]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1918326.htm&sa=U&ei=8R-XTev-IpLevQPs_KyIDA&ved=0CBYQFjAB&usg=AFQjCNEa84mFIfH4IobzRAanZclLzfVSrA

[41]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5ZdicB1ZdicAF.htm&sa=U&ei=4yGXTYCCGY-yuAOWzrHsCw&ved=0CA8QFjAA&usg=AFQjCNFuy8RTYt_wZ6_JhJRmw4GFhqi-vA駐屯地

[42]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7ZdicA0ZdicB0174490.htm&sa=U&ei=CQ5hTeXzK4WmvQOu6tyQAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHS4DOaae6YV8ImnPKFjaUbclR7DA擬音語。迅雷の音。

[43]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5Zdic8FZdic8287101.htm&sa=U&ei=96NrTcTRE8ilcJWl7I0M&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHHPWoRfu-Q74cvvePWAOhvugMMbA武官名。明が置き、位は兵、副兵に次ぐ清はこれに因り、位は副将に次いだ。

[44]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic83ZdicBD352941.htm&sa=U&ei=ybRhTZC-JZm0cPqqpZMK&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEyYGJO109rOJxTxJfEnMgX-A0nmg指都指使司。一方の政を掌管する官署。

[45]http://maps.google.com/maps?q=%E8%8B%87%E6%B9%96%E5%BA%84&hl=zh-cn&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=il

[46]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7Zdic8CZdicAC226571.htm&sa=U&ei=_xFhTb2eLpHsuAOS87GxAg&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHNN0Ukg5XVCkg1CDLTo3nFgAamtQ微弱な力の

[47]原文「潢池盜弄何為哉」。「潢池弄兵」という言葉があり、「反乱」の意。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE6ZdicBDZdicA2220408.htm&sa=U&ei=RLtgTeunEIykvgPXlfyZAg&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNH7enZSV6xeRR_zDl04CDG9gezO4Qhttp://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7Zdic9BZdic97190372.htm

[48]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/10/ZdicE9Zdic80Zdic9A46791.htm&sa=U&ei=biSXTdmsMcS3cM6o9JcH&ved=0CBcQFjAF&usg=AFQjCNEfYTOukYKBG6cuGOoNlsnJPpkO1A官名。明清では各府にけられ、糧運および田水利等の事分掌した。清代ほかに州通判がおり、州判と称した

[49]未詳

[50]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic9EZdicAD282845.htm&sa=U&ei=j7tgTbObH4fsuAPixIW-Ag&ved=0CA4QFjAB&usg=AFQjCNFFBvTfKkH5H1SlC_tcvYN0kpWSTg忘恩負義の徒あるいは凶悪な人の

[51]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/19/ZdicE6ZdicABZdic9C65111.htm&sa=U&ei=CltnTbeGGovQca2OmZMD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF-Fc3-11xW5hh6f2jeaHV9SSdmgA箭と弓を収める器具。http://www.google.com/images?q=%E6%AB%9C%E9%9E%AC&hl=zh-cn&lr=&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi

[52]主語は赫爾喜。

[53]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE7ZdicBAZdicB5.htm&sa=U&ei=EyaXTfnQItLCcdrg8WE&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEjIGskzi7urcG5UnhuZamiy_RW7A未詳だが、字義からして囚人を放任することであろう。

[54]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1264319.htm%3Ffunc%3Dretitle&sa=U&ei=1hJhTe3ZBIG-vgPtr-2gAg&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNEL9bQA2aXi4e6XPvmuMtfwr8TPdA督察を怠ること。清の制度で、属吏に罪があり、上官がそれに気づいていないと、失察の分を受けた。

[55]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE8Zdic90ZdicA5166288.htm&sa=U&ei=PxNhTeSRAYPGvQO7lJ2tAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHD1dt_tKu5alLp8PaBAxf0UVWamg中下武官。

[56]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7Zdic96Zdic8F229892.htm&sa=U&ei=WRNhTfqBJ4y8vQPPscjaAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEJZhybS214jc5UJ0G3R8-C-6UJqA疏かにすること

[57]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/338267.htm&sa=U&ei=FEuZTf3AGJKdcbG1pKsH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHtKeRgKfHgjZf9uenAu1HQ13jShQ

[58]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/2437.htm&sa=U&ei=6iaXTb3IIouPcbTU3JAH&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNHYg_zeADfKb42yd89UnHm5V-PuyQ

[59]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/10/ZdicE5Zdic93ZdicAD114137.htm&sa=U&ei=jBNhTcG6A4K4vQPMk8HVAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFIYFyaRcbTNGeXeyhh61S77T-0_Q哭いて弔い祭ること

[60]朱青雷、名は文震、山東済南の人http://baike.baidu.com/view/211759.htm

[61]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicBAZdic91263098.htm&sa=U&ei=XRlpTabvPIffcfrZiI4M&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFCbwO5LoYVR_jxtCBn2tc01sPvEg@白い帆

[62]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicBCZdic80337636.htm&sa=U&ei=Rq1jTdvMPNOJcI3h-d4J&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNGHftqdgFkETht_LOwJgrDF14CFrQA開墾

[63]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6Zdic83Zdic8A71395.htm&sa=U&ei=vr1gTbqfD4aOvQOxspHjAg&ved=0CBUQFjAB&usg=AFQjCNGWQ9--2sNHOUSpMoZRly3K4nuxmg驚恐猜疑する

[64]巻五、十二、十三にも見える。

[65]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE5ZdicA9Zdic89129435.htm&sa=U&ei=1SiXTZjZNIPCcaG-8JwH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF8CwYvVRl4qEM8hYnM3uLsxd7k8A美。

[66]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/7346.htm&sa=U&ei=9SiXTZ6MKom7cce5zYwH&ved=0CBAQFjAA&usg=AFQjCNG8IRcGK28uw_L1ahKUUdmRMTrLgg

[67]http://baike.baidu.com/view/4927950.htm#1

[68]http://baike.baidu.com/view/221913.htm#2http://www.google.com/images?q=%E5%BC%A0%E5%BC%BC%E3%80%80%E6%9B%B8%E6%B3%95&hl=zh-cn&lr=&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi&aq=f&aqi=&aql=&oq=

[69]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicB1Zdic88126823.htm不本意ながら我慢すること

[70]愈『夢』

[71]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE9Zdic87Zdic87222326.htm&sa=U&ei=dRVhTcruA4nGvQPauryFBg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHqAgu-xZSzhe9okuw7FGbtoQL7sA他人の元気、精血をとり、自分の身を益すること。

[72]http://www.zdic.net/cd/jd/12/ZdicE6Zdic83ZdicB4181534.htm惧戒慎の貌。

[73]原文「是一是二」。未詳。「一是一、二是二」のことか。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/1/ZdicE4ZdicB8Zdic80330508.htm&sa=U&ei=m6RrTZS4O8_JcfH4mI4M&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHER9_MnaQUstVwtrkOolS867cnuQ

[74]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/39069.htm&sa=U&ei=1YxsTeH2Dc3QcfH0_cAF&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNFk46wMbOixgu4JfddSKl48dD8KVw府の曲名

[75]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5ZdicA8ZdicB464310.htm&sa=U&ei=txZhTd2rBYTuvQPz5IzkAg&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNGxi1nAsbOnQjLyuNVJdOIaAyrCiw物静かで雅なこと。

[76]原文同じ。未詳だが、夜に体を売ることであろう。

[77]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7ZdicBCZdic81207274.htm&sa=U&ei=4BZhTdKzLYOWvAPqyo3SAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFpHqgiUn_llxcXWufpBJyCxVYL2A僧衣

[78]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6ZdicA2ZdicB565470.htm&sa=U&ei=8BZhTdCbCYLqvQOtrc20Ag&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFE-_HlZQ4Th0j_3VuK_Z7Bnk2ElA佛教法事をする歌詠賛頌

[79]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE5ZdicAEZdicA3112109.htm&sa=U&ei=GxdhTYqpNI-4vgPQ1s2aAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGJ4sNr5Z6_p6dfJCFtWwaYexxxWQ祈祷文を誦読すること

[80]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic80Zdic9A230012.htm&sa=U&ei=KhdhTfSCLYOavAPXtb3WAg&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNFAu6k84jjnz3kAiKhFoHtUEL3hVg意を表すこと

[81]http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE6Zdic94ZdicB972916.htm

[82]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic94ZdicB0159192.htm&sa=U&ei=Pp2MTYKOE4n5caChvIEK&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNEYthEbfX4bxw4OBOYnLun9_1mV1w田家の荆樹南朝梁呉均『続斉諧記·紫荆樹』に、京兆の田真兄弟三人が分家するとき、堂前の一紫荆樹を伐って三分しようとしたところ、がすぐに枯死したので、分家することの非を悟り、兄弟和合したという話を載せる。

[83]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE5ZdicA7Zdic9C128684.htm&sa=U&ei=IZ2MTbyYGcmecOyhnIUK&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNFHlMvXbtbd1g6l8_p5AvatkcJn0A姜肱布団。『後漢書·姜肱』「肱与二弟仲海、季江、以孝行著其友天至、常共起。」。

[84]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicA4ZdicA984973.htm&sa=U&ei=whdhTbqVLoXevwPy4NmJDg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGYCPHVAJvz61HX5Zmgc-VdTB-ePg良心

[85]原文「故一瞑不視」。「一瞑不視」は死ぬことをいう。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cy/ch/ZdicE4ZdicB8Zdic8026404.htm&sa=U&ei=c65nTbvYE9K4cJ_gvZMD&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEhhiH8cqvcCbExTYUDMWJHK8fryw

[86]原文「一往莫收」。未詳。とりあえずこう訳す。

[87]未詳

[88]大司農」は部尚http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicA4ZdicA796634.htm&sa=U&ei=w-KXTdL1Icn4cZnLwZAH&ved=0CBoQFjAE&usg=AFQjCNHXb6x_sa6h_RqQAMqOqKjoig7g_w范建中かhttp://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%83%E5%BB%BA%E4%B8%AD

[89]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE4ZdicB8Zdic898404.htm&sa=U&ei=HEmYTc-jOZKdcZKZyYwH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFW14VXgOK_pf9p8Nx6aAtmJeoDQA伝説上の、蓬莱、方丈、瀛洲という海上の仙山。またひろく仙境を指す。

[90]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/2/ZdicE5Zdic8DZdic81326773.htm&sa=U&ei=tUqYTfOZCMzIcfL1gLEH&ved=0CBMQFjAD&usg=AFQjCNHk30rsdGgLh904PxDPlloq0k3jYA道教で大海の中の、神仙が居住する十か名山境を称するまたひろく仙境を指す。

[91]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic98Zdic86215778.htm&sa=U&ei=xEqYTYS0Mc7BccPTnaMH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGVhggDVSp5-WLMa8Z0Fd8NyTdfLw@

[92]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicBAZdic94328794.htm&sa=U&ei=1UqYTfvhAcS8cd7MtYwH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGSnzAlrhf5724n0rhcsoN5s8GG1A@

[93]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/2/ZdicE5Zdic8DZdic8193847.htm&sa=U&ei=40qYTYiRJ5a0cJKctZ4H&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNG2y1dih6kZYw9qj3PGlk5bM2r5Mg@

[94]まったく未詳

[95]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE6ZdicBCZdic88.htm&sa=U&ei=HS6NTZKCGIG8cdWZ7ZIK&ved=0CBMQFjAC&usg=AFQjCNFyG_abjhq73Qccmm8vNhsCnhJPJQ「漈」は海底の深く陷った。「落漈」も同義であろう。

[96]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5ZdicBCZdicB1217917.htm&sa=U&ei=W7uOTdjdDIaSuAPLrsWyDQ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNG6GFxDyiJL_nDtXooIPrVPw1tPUwB

[97]『史記』封禪書「自威、宣、燕昭使人入海求蓬萊、方丈、瀛洲。此三神山者、其傅在勃海中、去人不遠;患且至、則船風引而去。蓋嘗有至者、諸僊人及不死之藥皆在焉。其物禽獸盡白、而金銀為宮闕。」。

[98]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE7Zdic91ZdicB6329981.htm&sa=U&ei=cWGYTcqVGs_CcZ_98JIH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNH4xX2Of3XZWJS8WQaOXoU06WX-Gw伝説池名、西王母所。

[99]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6Zdic82ZdicAC182575.htm&sa=U&ei=gGGYTcuDFYK3cNzWhZgH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFKkYy3di6ElZ0ZFBTOTMtHLafyFQ伝説金台、玉楼があり、神仙の居る所である。玄圃とも称する。後にひろく仙境を指す。

[100]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7Zdic8FZdicA0133579.htm&sa=U&ei=jmGYTdiTJ8SxceCCoZoH&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNH1RqYUhWrMIqzpD5GaWs0pKYeE7A伝説の仙

[101]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE8Zdic8AZdic9D35970.htm&sa=U&ei=oWGYTZu5HsnJcZ3QiJMH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHso6lta6C_Drods7zOiLTSx5vMrw伝説で仙人が霊芝をえる場所。

[102]http://www.zdic.net/cd/ci/17/ZdicE9ZdicB9ZdicAB84735.htmの略称。古の印度の摩陀国王舍城の北にある。梵名は耆闍崛山。山中に多いから、あるいは山似ているので、かくいう。言いえでは釈迦牟尼はここに居住し、多年法したという。そこで佛地をも称する。

[103]未詳

[104]未詳だが、舎利塔であろう。http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/149454.htm&sa=U&ei=TbRsTe3-LIHCca_pqLUF&ved=0CCoQFjAJ&usg=AFQjCNGhuFRf8zMsqQNBWQV1V_2Pp1XtUw

[105]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/15/ZdicE9ZdicA2Zdic98279376.htm&sa=U&ei=4K9rTefyNoTQcbrS6I0M&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNE1xW8cjgZM-viYCMClI2daJ_2S0g古迹あるいは念性のある文物等についてして思いを述べることまた著した文を指す。

[106]http://baike.baidu.com/view/479228.htm#5

[107]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic9BZdic9E106051.htm&sa=U&ei=rt1lTYOIFImsugPBwsDgDA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFIGVZb1jsLITEoMJa_hvUwQPL__g回疆http://www.zdic.net/cd/ci//6/ZdicE5Zdic9BZdic9E35258.htm清代、新疆天山南路にする通称。その地はウイグル族が居住するところであり、清代イスラム教を信仰する少数民族あるいは地区に対して、多く「回」を加えて称したので、かくいう。

[108]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E5%25A4%25A7%25E5%2592%258C%25E5%258D%2593&sa=U&ei=maqOTeSODonIuAOxx-2vDQ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGuIq2lr179cNCJKZuN2kT1TYIGSQ

[109]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/383961.htm&sa=U&ei=1RphTbPaBIyiuQOtw4m2Ag&ved=0CBQQFjAD&usg=AFQjCNFfSAKObnORzejbykB0taI8SFH4RQ

[110]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/78368.htm&sa=U&ei=PGaYTbnXC5SrcdjH1IwH&ved=0CA0QhgIwAA&usg=AFQjCNGZ-WzhOQNK6ixoOz7Re-QVlgn8OQ

[111]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/2085921.htm&sa=U&ei=WGaYTZWuMoq3cMvCyJIH&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNHitjf7b0uxq-dMbgegWdNniZmeyw

[112]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/494606.htm&sa=U&ei=GSJnTb6DJI6ivQPytpTkAg&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNGt7J3NziDXUnCrpAtNKlPxdh6cRA

[113]原文「是則余不知之矣。」。「是則」が未詳。

[114]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1427521.htm&sa=U&ei=0WaYTaGOI4WmcML21JoH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFjoUmhD_pJnAL2it9jZL7RHGN74w

[115]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE6ZdicAEZdicBF161483.htm&sa=U&ei=5GaYTYSmOJDfce7auZAH&ved=0CBAQFjAC&usg=AFQjCNGay4LG8QrRQFBJK-pWyqSfgykn0w状元の通称

[116]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE9Zdic95ZdicBF249047.htm&sa=U&ei=9maYTdOrEYW8cLOR2aMH&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNF6P0bfWjMQ6tptXzDbpXX8kjk8_g官府が雇用しているしもべ。

[117]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE4ZdicBEZdic8D95028.htm&sa=U&ei=FR1hTeuzK4m8vQP-0I2oAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNE1_jEJvtf1rTYFTXc8uOutrGBdYw臣下が輪番で中あるいは行在所で、君王に随侍すること。入直。

[118]巻九にも出てくる。即墨の人らしい。

[119]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic9EZdic97145098.htmA山林田野の退する

[120]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/547271.htm&sa=U&ei=tFKZTevBF9C8cbW3jfUK&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGE7fqICuFYYBQaTQ1BBHMcKUSzOQ

[121]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/378196.htm%3Ffr%3Dala0_1&sa=U&ei=KcRgTZ-UDIfyvQPF1ZymAg&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNH0wCMWrtdIP8-3rRtkizk_-Y8B7A子孫がなく、祭祀する人がいないことの喩え

[122]http://webcache.googleusercontent.com/search?hl=zh-CN&lr=&q=cache:qCWmqS_mZTUJ:http://baike.baidu.com/view/158120.htm+%E8%8C%85%E5%B1%B1%E6%B3%95%E3%80%80%E7%99%BE%E5%BA%A6%E7%99%BE%E7%A7%91&ct=clnk

[123]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6ZdicB3Zdic9564303.htmB僧、道が式を行うときに用いる、鼓、、引磬、木等の器および瓶、、杖、麈等の器物。

http://www.google.com/images?hl=zh-cn&q=%E6%B3%95%E5%99%A8&lr=&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi

[124]邪魅を召してその罪を調べ処罰すること。胡孚琛主編『中華道教大辞典』五百九十六頁参照。

[125]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE9Zdic9BZdicB7264193.htm&sa=U&ei=wWyYTdntDYOecNjaiJ4H&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHQrf_Q-22ZzsvkMfFZmimBdFN43A@伝説で雷神が用いて霹靂する工具。その形は斧のようなので、かくいう。

[126]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE7Zdic81ZdicAB173002.htm&sa=U&ei=0WyYTey-E4vGcJ2V-bEF&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFYIz_4O0zcMNEQk2hpespUBOdk0A烈火の盛んな地。極熱の処える

[127]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7ZdicACZdicA6186606.htm&sa=U&ei=DSBhTfjQNY6mugOu1KzMAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEKI8f3-yGKZ_gWyV9Yv4IVR-tNzw印信等憑物の総称

[128]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/50385.htm&sa=U&ei=_myYTaWVDoXZcYD8pZAH&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNHp5DCI71N2-zGycuwyEkY-VlpQzw

[129]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/665515.htm&sa=U&ei=vW-YTfjgDomycN7_yZAH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEH6UckKGZOIFoV3dT7Cc665fAe5Q

[130]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE6ZdicBAZdicAA142181.htm&sa=U&ei=fsVgTbOxAoSSuwPOsK2LAg&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNFWlOdLfx6DccyX2wlM0vB8Z0xfug大欲の喩え

[131]http://detail.dituren.cn/place/cn/VFZSTmQwOVVRWHBOYWtGM1RXcEpNZz09.aspx

[132]未詳だが、算命の書であろう。

[133]http://www.zdic.net/cd/ci/2/ZdicE5Zdic85ZdicAB6533.htm星命家が人の出生した年、月、日、、天干地支を配したもの、それによって人の命運を推算する。

[134]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic88Zdic9127573.htm&sa=U&ei=E8ZgTYCiFIm8uwP9lZGNAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFTyRJDmEkbPk2ncS_wH3DOLaZg5A星相。三刑相害、五行相克をいうhttp://www.zdic.net/search/?q=%E5%88%91%E5%AE%B3星相。三刑六害の合称。

[135]運河上の地名。譚其驤主編『中国歴史地図集』に見えないが、正史に見える。『清史稿』卷一百二十七・運河に「明初江南各漕、自瓜、儀至清江浦、由天妃閘入」とあるから、淮河と黄河の合流点か。

[136]原文「以少女無敢收養」。どうして「無敢收養」となるのかが未詳。

[137]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE8ZdicA1ZdicA816660.htm&sa=U&ei=iXeYTbqVJIOrcfignbIB&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFCt2YRQ7nYxEUzgDbzvammy5lneA姓が異なる従妹。

[138]古代の婚礼「六礼」の一つ。夫や婿がみずから女の家にゆき、新婦を部屋に迎え入れ、交拜合の礼を行うこと。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE4ZdicBAZdicB2242557.htm&sa=U&ei=-yBhTfvQBJC8uwPLi9mFAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHhRqof8-COan3Lnd8rXhZPQTg4Vg

[139]「弁じた」の主語は某甲の娘。

[140]巻十一・二十一にも出てくる。

[141]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/18/ZdicE7ZdicB0ZdicAA199844.htm&sa=U&ei=UiFhTYiLFIHuvQPMyM2ABA&ved=0CBYQFjAE&usg=AFQjCNF24ZsgXIxdmqEZQ8CgNAHDLI6Yvwかんざしと耳飾り

[142]車轴油を塗り、運に便ならしめること。車駕出発をも指す。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE8Zdic84Zdic82169665.htm&sa=U&ei=1-SOTfGyDoeIvgPOu9WcDQ&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNHyWvL__6jH716C8YmD2pY0FhFIqg

[143]原文「亦如雁過長空、影沈秋水矣。」。何の痕跡も残っていないこと。普通は「雁過長空、影沈寒水」http://cy.kdd.cc/8/CH/

[144]http://www.zdic.net/cd/ci/15/ZdicE7ZdicBFZdicA9236360.htmA飛ぶさま、Bやかなさま、C洒のさま

[145]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5ZdicA4Zdic96215813.htm&sa=U&ei=g-WOTf2bJpGmuQP_-aixDQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNFBENdk2mhfroYjnwL8P4GBPkZ9EQ外戚

[146]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE8Zdic8DZdic9235635.htm&sa=U&ei=ODGNTbeEC4rJcaqIyI4K&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNFLJzdt1e9UoKTP_Q7jc2OZhbvFXQ@生する草木

[147]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1771%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=IOiOTaagD4y2vQOZn834BA&ved=0CBMQFjAB&usg=AFQjCNEjP_SGCDGzSugHpjC2SnqAIqyhnA紀ホ四十八歳

[148]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE8Zdic80Zdic81321535.htm@年老いること

[149]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE9ZdicA3Zdic8E69690.htm&sa=U&ei=duiOTebVFIbyvwPe0LWpDQ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFX1K4jJir-v1jxf6pxr_y_F3JMiA@風采、神情。D色情。

[150]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE6ZdicAEZdic8B287275.htm落花

[151]http://baike.baidu.com/view/202900.htm

[152]http://baike.baidu.com/view/1146866.html

[153]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1342190.htm&sa=U&ei=sHuQTYOeLIq-vgOgjNmjDQ&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNEi0mzqA-XQlXSn6rGv-lOeLF1NtQ

[154]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE9ZdicB9Zdic8A344581.htm&sa=U&ei=M2BrTe7OBYimuAPo6tS6DQ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFML8MKBEBIRdtT2cKOoTW0qEMzzQ·召南·鵲巢』「維鵲鳩居之。朱熹集為巢、其完固。鳩性拙不能為巢、或有居之成者。

[155]カササギは雛が巣立ちすると巣を放棄する習性がある。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%B5%E3%82%AE

[156]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1781%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=K3uQTemCK43IvQOS8oCuDQ&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNE5MRBVLMJBZxdQEDXUtBiihU4iog

[157]原文「然不拙不足為吾園之鵲也。」。どういう趣旨か未詳。拙であることをよしとする道家的思想に基づく言葉か。。

[158]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/2244484.htm&sa=U&ei=6DKNTaPaLob6cIrxqfsJ&ved=0CBUQFjAC&usg=AFQjCNFuAjUihLF6p6ZveXms52jemOuMSw

[159]巻二十三にも出てくる。

[160]直隸深州直隸州

[161]未詳

[162]原文「諸房」。「房」は、この話の中で以下、何度も出てくるが、各試験官が科挙の答案を採点する採点所のこと

[163]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/8/ZdicE6Zdic8BZdicA827228.htm&sa=U&ei=MIlnTc3zJ8aPcbfv_KMM&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHrVhQ5zf5uahxpr8sxNq-GZRj2Wg科挙の採点の際、各採点所には合格させる人数に定数があるため、ある採点所で、定数超過のため不合格になった答案を、定数を満たしていない別の採点所に回して合格させること。

[164]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1733%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=8IOYTfuvLsbCcezP7asH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGDHpCQfJdt2vjrxS4Y4P3GdQp5sw

[165]http://baike.baidu.com/view/220655.htm#1

[166]「撥入」は、ある採点所で不合格になった答案を別の採点所が受け入れて合格させること。「撥房」に関する前注参照。

[167]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5ZdicBAZdicA7122961.htm&sa=U&ei=4YSYTazUOIj6cPyC-KoH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFOAjd-H0i4j4ABZb-5Ct36dD7gRQ明、清両代の人、士が主考官にする尊称。

[168]介福(?〜千七百六十二)、字受、号景庵、野園、黄旗人。雍正十一年士。http://zh.wikipedia.org/zh/Template:%E9%9B%8D%E6%AD%A3%E5%8D%81%E4%B8%80%E5%B9%B4%E7%99%B8%E4%B8%91%E7%A7%91%E6%AE%BF%E8%A9%A6%E9%87%91%E6%A6%9C

[169]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1742%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=uYWYTdrSMMWDcIG10Z0H&ved=0CA8QFjAA&usg=AFQjCNGmI7zyawwYUKsnXJgSo7S5hiUqBA

http://zh.wikipedia.org/wiki/Template:%E4%B9%BE%E9%9A%86%E4%B8%83%E5%B9%B4%E5%A3%AC%E6%88%8C%E7%A7%91%E6%AE%BF%E8%A9%A6%E9%87%91%E6%A6%9C

[170]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/236549.htm&sa=U&ei=lh5lTajXKI28vgPUlr2rBg&ved=0CBQQFjAC&usg=AFQjCNHXFc-8ej5OIr3uPGuagM4mpUYk0w

[171]原文「一房僅中七卷」。普通はどのくらい合格させるのかが未詳。とりあえずこう訳す。

[172]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/3347839.htm&sa=U&ei=886TTcLnLc2eccfJ5JoH&ved=0CBQQFjAD&usg=AFQjCNFPRcJLfOEafzn0uWkQAgAn_x3KPQ

[173]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE6Zdic9CZdicAC18759.htm&sa=U&ei=Hs-TTaySPMG9cZqYmJUH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF0NapQ8E6MiOa_9YFi7sW9TFEl-Qで、、会試験官が房に分かれて答案を批したので、考官がいる房を本房という。

[174]原文「本房第一、為第二十名。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[175]http://tw.myblog.yahoo.com/jw!ob4NscCdAxS_yWJbxTvlgfR./article?mid=40219&prev=40220&next=40208&l=f&fid=15&sc=1

[176]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE9ZdicADZdic81281014.htm&sa=U&ei=RPdlTY7JMoXovQOhlfX6DA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHWfLoC0SvnUaWOC7CdBpQPaPGRNQ

[177]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/2448227.htm&sa=U&ei=rBKZTbfFIM-Hce2CmJgH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGzveCULyW_3vbQIQA8moOgBHYX3A

[178]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE9ZdicADZdic81.htm&sa=U&ei=hbKMTZH3K8LzccWNpfsJ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHWnw5CQt8d64yGCRH1NdfDBwQU-Q首席者

[179]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1748%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=HxOZTerfLcS3cZ_AzYwH&ved=0CBMQFjAC&usg=AFQjCNEfxwTlreNb0jM7HH8aenHLAS00hA

[180]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1229407.html%3Freforce%3D%25D6%25EC%25B9%25E8%26hold%3Dsynstd&sa=U&ei=-dWTTbHCM5O3cZyisZAH&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNHjoYHvTX0YJb3bQ3c7KyfKra-90w

[181]未詳

[182]未詳だが、字義からして、ある採点所で最高の評価を得た答案であろう。

[183]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1089650.htm&sa=U&ei=FNCTTdaHNIb6cN6J7Y8H&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGplbo0FOJ0xamoroiGkLWb0ZaOnQ

[184]未詳だが、字義からして、同じ採点官の下で合格したものの合格答案集であろう。

[185]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1760%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=5dKTTfuQHoHCce39rJoH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFfFNo01o-VhuyiccEzgIz6ygdItA

[186]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/226914.htm&sa=U&ei=atCTTZL0NtG6cbiCyKkH&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNFpLrORbc9SR4gSoGJm6AHDkAA2Qw

[187]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/2766369.htm&sa=U&ei=jdCTTYy4JtS8cYuFkJgH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFTDWa-pnCwMcekVXIhJ-F7mu2sJA

[188]科挙の採点所で不合格答案をほかの採点所に送ること。「撥房」「撥入」に関する前注参照。

[189]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic9FZdicB9.htm&sa=U&ei=eTSNTa3cMoWrcY333ZYK&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFolGWhz5TE8y48vnH2fVBz7VWsPw

[190]未詳

[191]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE4ZdicB8Zdic8A4405.htm&sa=U&ei=gRSZTbmtJcuecZGTpKAH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEru1EY7nGOHjVlTNzImiZdg4Alsw御苑

[192]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE6ZdicB2Zdic88326384.htm&sa=U&ei=jhSZTZfsH8XIcb7CyJAH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEKxRnTLpUFcAG5Rw22DRbzzAei-Q代、中の亭名

[193]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE5ZdicABZdicA3131752.htm&sa=U&ei=y-dgTcuqLITwvwOp-PSMAg&ved=0CBwQFjAC&usg=AFQjCNFK14Q6qJs9_jk1MR2xfG32sVZMrQ嬌艶であることを嬌艶をも

[194]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/7485.htm&sa=U&ei=xxSZTbbQCsaycNja3JYH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGwOs1i0ctBpQosf3R9Z8bTz2va3Q

[195]http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicA4ZdicA997457.htm@佛教。天界の仙花

[196]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/221178.htm&sa=U&ei=CxWZTd3RMsG3cKa1jJcH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFN5PARFL3yO0xzIVPL8sUc_vk6YA

[197]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/865579.htm&sa=U&ei=DZaaTZi_K8TQceWdmNgF&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEhRIqKnOvBluVlor28uD2uSUuq7Q

[198]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic85ZdicB3279161.htm&sa=U&ei=TiRhTc6tO4G4vgOzoKyxAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHR60NsK7Cj-8WSelqLDfk95AwCDQA心をかすこと

[199]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5ZdicBDZdicA2323839.htm&sa=U&ei=QuCTTdXuBI_5cbK-sIwH&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNFqr1fo5lu8TEtslV48KanJ3dz2eQ

[200]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE8Zdic84ZdicB1159209.htm&sa=U&ei=t-hgTY3XNIHsuAPu64HbAg&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNEthhf9s67Qw4CXHgy0Y0qJXeNf-A

[201]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/884100.htm&sa=U&ei=ZtGTTce0H4vGcIy6qYwH&ved=0CBIQFjAC&usg=AFQjCNH6dF7LsiQQ5RR1hIWwCmA_69cNeg

[202]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE8ZdicB7Zdic8C57224.htm&sa=U&ei=-nyQTdPaEJGmuQP_-aixDQ&ved=0CBQQFjAB&usg=AFQjCNFC4SGwayz7Tf6FIXwt0ULRlc3KxA@放不羈

[203]で、合格者の姓名を掲示板に書くこと。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/jd/13/ZdicE5ZdicA1ZdicAB306354.htm&sa=U&ei=oiRhTd7mCoHOvQPEt6CQAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFxCJNDs0pNMOjuwmMZoFs9YViMqg

[204]http://www.zdic.net/cd/jd/9/ZdicE6Zdic80ZdicBB338023.htmC官名。明清代、会主管する

[205]http://www.zdic.net/cd/jd/5/ZdicE4ZdicB8ZdicBB8766.htmA主考官

[206]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE5ZdicA0Zdic82327567.htm&sa=U&ei=qJqSTeCUB4m8vwOQ3_S8CA&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNETYQJuNSu9SOf-eIkGQLwJOEjllw

[207]「合格者掲示板に書かれているのはすべて受験生の名なのであるから」

[208]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5ZdicBAZdicA7122958.htm&sa=U&ei=l7SSTf70LYOivgP1nai9CA&ved=0CBUQFjAD&usg=AFQjCNEtvXZc2H2UbkJTy0hLSaIoZRgGew明清で、人、士が主考官あるいは裁官座主と称した。座とも。

[209]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE6ZdicB0Zdic91218973.htm&sa=U&ei=v3hnTYebEdK4cJ_gvZMD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEKrK_C0PX5hbrGYabvbf3qOqHSHA人の数

[210]原文「或證以『周禮』拜受民數之文」。「『周禮』拜受民數之文」http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E5%8F%B8%E7%A5%BF%E8%80%8C%E7%8D%BB%E6%B0%91%E6%95%B8%E3%80%81%E7%A9%80%E6%95%B8%EF%BC%8C%E5%89%87%E5%8F%97%E8%80%8C%E8%97%8F%E4%B9%8B%E3%80%82のこととわれるがこの「拝受」という言葉えない

[211]で、同じ試験で合格した者の姓名、年、籍刻した名簿。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/18/ZdicE9ZdicA1Zdic8C350793.htm&sa=U&ei=UdySTezICoH0vQOUovm8CA&ved=0CBMQFjAD&usg=AFQjCNFgXEAIBGBmcP7kf9jh9Rpnx6ZKew

[212]以下頻出するが、すべて「題名録」のこと。

[213]答案の受験者の名にかぶせられた封を裂くことhttp://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic8BZdic86136823.htm&sa=U&ei=Qn2QTcn7M5DOvQPD3IWwDQ&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGMAgB99ZwMfyQSnUIQkrMmvF7Zhg

[214]未詳

[215]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE6Zdic8BZdic9C313259.htm&sa=U&ei=MSBlTc_JAYHCvQPwnLirBg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF3BEOtqoIe2Xr7YNUdU4vY4VuOig「拜摺子」とも。清の制度で、督以上が重要案件を上奏するとき、上奏文を入れた箱を大堂の香案の上に供し、これにして三跪九叩の礼を行い、その後、取って折差にわたし、高く上に捧げ、中けて送り出す儀式。

[216]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/15/ZdicE6ZdicBDZdic9C86308.htm&sa=U&ei=cuCSTZnkIY3CvgPi8Pi8CA&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNHfa0JNqmQJe28gVdGVfsMrJaHpgg

[217]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/2013207.htm&sa=U&ei=MhmZTbHlKM_Jcf7Y3KYH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGlAIr-nN_YkmeGrW0DxeXJjTkNnQ(千六百八十五〜千七百五十六)

[218]http://baike.baidu.com/view/28415.htm#sub5089165

[219]http://zh.wikipedia.org/wiki/Template:%E5%BA%B7%E7%86%99%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%85%AB%E5%B9%B4%E5%B7%B1%E4%B8%91%E7%A7%91%E6%AE%BF%E8%A9%A6%E9%87%91%E6%A6%9C

[220]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicB8ZdicAD304331.htm&sa=U&ei=HehlTbXOFoG0vgPDoMXzDA&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNFqZhQsD1O0lwTrejdbLMuwqGJPdg@内、外。Bまん中の大。おそらくBの意味であろう。

[221]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6Zdic8EZdic8C152674.htm&sa=U&ei=5rhnTdq8CdK4cKHgvZMD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEsovW-YX_0g3OlOKYiJp42gw-26Q清代、翰林院掌院学士の略称。

[222]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1773%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=fhuZTYPIHMzIcfL1gLEH&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNEQskpbFh2ALpQ53nUUxZUNEfRDXw

[223]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/232364.htm&sa=U&ei=0RuZTcnrKsbJcdWv5JoH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHgeDQcejIFGS1Gs1Y7UbNe_YAJUQ

[224]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/79431.htm&sa=U&ei=Nh2ZTYiKPIaPcYn88Z8H&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNGqzHTTLz5g4qa4BSIdtfc_ZVojNg

[225]未詳

[226]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE6ZdicB2Zdic992285.htm&sa=U&ei=mX6QTa3YIpGGuQOvrtyvDQ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNETRPVS6kwMRxuFeGJX_gU8UuUFtQ唐代もっぱら宰相が車馬通行させるために舗装した砂をしいた大路。ここでは砂の舗装路のことか。

[227]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/1763%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=fLlnTZ3JLIvQcaWOmZMD&ved=0CBIQFjAB&usg=AFQjCNHfWbcs3DmUnJjXWfEFNYQyozgLZA

[228]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/220199.htm&sa=U&ei=Ox-ZTbbSF4XCcY_h-ZMH&ved=0CBMQFjAB&usg=AFQjCNG0rPuQX1FR4WHMJ1ObbNs2oPDe7g

[229]http://webcache.googleusercontent.com/search?hl=zh-CN&lr=&q=cache:T2w8xPsOuoMJ:http://baike.baidu.com/view/177310.htm+%E5%8E%9F%E5%BF%83%E4%BA%AD+%E7%BF%B0%E6%9E%97%E9%99%A2&ct=clnk

[230]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic88Zdic9127573.htm&sa=U&ei=7iVhTdKxBovOvQOHiL2VBw&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGHEaTTFtvlQ5w1Myu1YRN7lcUnvg星相。三刑相害、五行相克。http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic88Zdic91105646.htm星相術の語。三刑六害の合称。

[231]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/233398.htm&sa=U&ei=1R-ZTbHVKseVcYbauKsH&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNHuwTPnYSncYjQk9ieq80C6lmhiaw

[232]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5ZdicA4Zdic96119472.htm&sa=U&ei=BSZhTa-tIIbCvQPv35XQAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEbCUgOSzvPpEjdm-r0WvBpaqtNbQ父の死

[233]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE8ZdicA7Zdic92286876.htm&sa=U&ei=zH6QTaX1IITmvQPC-KWcDQ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFHjoIgB9jHkReLK_LrQqdCqtMt6Q門のの小

[234]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic83ZdicA8244091.htm&sa=U&ei=6HlnTaPMPMaycKnKkJMD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEOLHVxm25fMY2B84TaNftPEMREHw清代、中央六部と都察院の合称。

[235]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE7Zdic94ZdicAC9095.htm&sa=U&ei=iiFlTfaHFpDovQP2kbSsBg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFkNOrLzbYHLQpnCB7QGACdgLv3dw

[236]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE5ZdicB1Zdic8F118875.htm&sa=U&ei=lyFlTYnmLJHCvQP7y8mrBg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGHIkefxWztHTH0vKTCIQcX61OPSA内外の院を隔てている

[237]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6Zdic9CZdicA848529.htm&sa=U&ei=naqMTfaIMNOWcaTatZgK&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFB3v1GMikIdNmZKjoEW63LE7DQjw@旧時、伝逓するために用いる木制の板。

[238]原文「搭渡以夾木二方、夾於門限」。未詳。とりあえずこう訳す。

[239]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5Zdic9DZdicA128625.htm&sa=U&ei=3iFlTYGBBIuMvQOB5MCrBg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHAVDrsg-N-KuKhQYbFkgzpHvnywghttp://www.zdic.net/cd/ci//8/ZdicE5Zdic9DZdicA186334.htmA平坦でないこと

[240]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/57454.htm&sa=U&ei=-yFlTfzDHoKavAOmyKyrBg&ved=0CBcQFjAE&usg=AFQjCNGGkVXmbTvsdwAGRKI0HIGt_y3RaQ明清で中央の各部たとえば尚、侍郎等する通称。

[241]これは「門の中」ということであろう。

[242]未詳だが、字義からして提灯をぶら下げる木組みであろう。

[243]原文「錢籜石前輩不聽、旋有天壇燈桿之事者。」。「天壇燈桿之事」が未詳。とりあえずこう訳す。

[244]http://baike.baidu.com/view/177310.htm

[245]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/4558490.htm&sa=U&ei=vSGZTe6IFIT0caLBzKgH&ved=0CA4QFjAB&usg=AFQjCNHgeec5f1nMFjwK-O246SoX7jl3kQ

[246]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6Zdic96Zdic8B53557.htm&sa=U&ei=YOtiTZGGFMPzcf-ine4J&ved=0CA8QhgIwAA&usg=AFQjCNGz4L3o0tQ7LduFmc-ogOAJdusamQ祭祀あるいは典礼の一日前、戒して独り宿り、誠意示すること。

[247]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE5Zdic9FZdic8E86360.htm&sa=U&ei=_CGZTYrNB4T6cJ3osIwH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNE3dLrozx8zdB1r-bB0At93qPRiOA城壁に沿った部分

[248]未詳だが、字義からして朝鮮人用の会館であろう。

[249]http://webcache.googleusercontent.com/search?hl=zh-CN&lr=&q=cache:T2w8xPsOuoMJ:http://baike.baidu.com/view/177310.htm+%E6%B8%85%E7%A5%95%E5%A0%82&ct=clnk

[250]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1977201.htm&sa=U&ei=e5iMTZ3YF9CPccPa7YAK&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNGpFcreBkcCksgwo4IKRt1t2KlJfg

[251]巻一・七・十二・十八にも出てくる。巻一に「景州李露園基塙。康熙甲午孝廉。余僚婿也。」

[252]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/16/ZdicE7Zdic87Zdic95165771.htm&sa=U&ei=bSOZTZ75DofQcbL2rYwH&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNFW6aoDXae6DgE5x50lFhyOpXR0cw今の河北、山

[253]離縁するのが謀略であることを気づかせなかったという趣旨に解す。

[254]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7ZdicA0ZdicB4298977.htm&sa=U&ei=JSSZTci6O8mecOrZjZoH&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNGNaqg8ONUlVciCl0UFkiqDhjIAOQ昔、夫離れ離れになろうとする時壊し、半分を持って証拠の品とした。」後に、夫离れ離れになることをえたhttp://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7ZdicA0ZdicB4298978.htm&sa=U&ei=JSSZTci6O8mecOrZjZoH&ved=0CBcQFjAF&usg=AFQjCNEDvu4UMAsy08RrHQUsuIaz6AMRRA

[255]夫婦がための杯を飲むこと。葉大兵主編『中国風俗辞典』百二十九頁参照。

[256]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cy/ch/ZdicE5Zdic8DZdic9C250.htm&sa=U&ei=bR1jTYitI4L5ceebzbwJ&ved=0CBIQFjAB&usg=AFQjCNHnRuUKQPJAPsaEPS3Mz2nYVmOZXg原文「改卜其晝」。未詳。とりあえずこう訳す。同衾する時間として昼を選択したという趣旨に解す。

[257]原文「豈有故夫在旁、而與新夫如是者。又豈有三日新婦、而白日閉門如是者。」。「又豈有…」以下の趣旨が未詳。とりあえずこう訳す。大まかな方法として「真昼間から同衾するような人間はどこにいようか」ということか。

[258]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE6Zdic9CZdicAF93737.htm&sa=U&ei=UihhTcvqOIe4vQO1_bGfAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEEZwH7RlVzmTKWyQ0bqsMXFxtn3Q@法の士

[259]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7ZdicA4ZdicBC174816.htm&sa=U&ei=5AhhTeTDN46qvQOh7b24Ag&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHXxGJYP54tEp3Iqg8LjKBoc9sJfw佛教。佛菩礼拜し、文を念し、造った罪悔することを、拜通称する。

[260]http://webcache.googleusercontent.com/search?hl=zh-CN&lr=&q=cache:3K78N_BNO0YJ:http://www.shuku.net:8080/novels/classic/kcyvktntuyd/mxbt/mxbt25.html+%E9%82%93%E6%80%9D%E8%B4%A4%E3%80%80%E6%A2%A6%E6%BA%AA%E7%AC%94%E8%B0%88&ct=clnk

[261]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1228709.htm&sa=U&ei=0yWZTfrnHsL4cfeYsZMH&ved=0CBwQFjAB&usg=AFQjCNEAkkPo6wpG8Djv-8y1LaALpHenXQhttp://baike.baidu.com/view/1716.htm

[262]富豪を指す。

[263]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE4ZdicB8Zdic9A219993.htm&sa=U&ei=iJqMTYz7CtO3ceTS-ZYK&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF4LG4NBDS0ahUJ-N56vNG2960vjA佛教天と地で衆生の善悪業を映す

[264]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/5320973.htm&sa=U&ei=yrSaTbvcG5OEvAPYiY3JBg&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNH-mXM6zsPIB_69pStmUkFtQxXNbA

[265]http://maps.google.com/maps?q=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8C%97%E4%BA%AC%E5%B8%82%E9%80%9A%E5%B7%9E%E5%8C%BA%E6%BC%B7%E5%8E%BF%E9%95%87&hl=zh-cn&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl

[266]原文「然河神宜在沽水、縣間」。沽水http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/5320973.htm&sa=U&ei=yrSaTbvcG5OEvAPYiY3JBg&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNH-mXM6zsPIB_69pStmUkFtQxXNbAhttp://maps.google.com/maps?q=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8C%97%E4%BA%AC%E5%B8%82%E9%80%9A%E5%B7%9E%E5%8C%BA%E6%BC%B7%E5%8E%BF%E9%95%87&hl=zh-cn&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl「沽水、間」とはどの地域をいうのかは未詳。

[267]http://maps.google.com/maps?q=%E5%AF%86%E4%BA%91&hl=zh-cn&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl

[268]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/675449.htm&sa=U&ei=dCiZTdvMK8zCcZHmuZAH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNH4ahsLFqrOiUb_ORk2jotDuomoCQ

[269]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/826560.htm&sa=U&ei=hCiZTZLkEYiycJ6slKcH&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFHHhkDqZtvRkNnAG-8b2FxgiD5pw

[270]http://baike.baidu.com/view/1021418.htm唐代の行政区画

[271]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/16967.htm&sa=U&ei=7CiZTZCRH8HXcbzPtZML&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNGqjSSL5egeURGk12KvYx_HWrv3yA

[272]http://baike.baidu.com/view/36693.htm#sub5112693

[273]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/21/ZdicE9Zdic9CZdicB2321897.htm&sa=U&ei=7glhTbRyhLK4A-S72JQC&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF6do0Au9Tr8AXQUZ48J13IXf2L6Aの檄文

[274]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic9BZdic9E102193.htm&sa=U&ei=HwphTfTaFo6kvgOFncD1Ag&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHALZJ-64SXmru7_7W6loUOTP2vaA帝王及び后妃の車駕「鑾」と称したので、帝、后が外出して帰還することを「回鑾」と称した。

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