宋清遠[1]先生が言った。昔、王坦斎[2]先生が学幕[3]にいた時、一人の友人がおり、夢で遊んで冥府にいったが、見ると衣冠の数十人が累累として入ってきた。冥王が質してしばらく責めると、ふたたび累累として出ていったが、それぞれが恥じ怨む色を浮かべていた。たまたま一人の下役を見たところ、知り合いのようではあるものの、姓名を記憶していなかったので、揖してみると、やはり答礼した。そこで尋ねた。「これらは誰ですか。こんなありさまになっているとは。」。吏は笑った。「君も幕府[4]にいたのだから、この中にどうして一人の旧友もいないことがあろう。」「わたしは二度学幕を輔佐しただけで、有司[5]の官署に入ったことはありません。」。吏は言った。「それなら、本当に知らないのだな。かれらは四救先生という者たちなのだ。」「『四救』とはどういうことです。」「幕僚となるものは口訣を伝えている。『生を救ひ死を救はず、官を救ひ民を救はず、大を救ひ小を救はず、旧を救ひ新を救はず。』だ。『生を救ひ死を救はず』とは、死者はすでに死んでいるから、断じて救えないが、生者はなお生きているから、さらに殺して命を償わせれば、一人余計に死ぬことになるので、むしろ法を曲げて[6]出獄させ[7]、死者が怨みを抱くかは、考慮することではないということだ。『官を救ひ民を救はず』とは、上訴[8]の事案で、冤罪が雪がれれば[9]、官の禍福は測り知れないが、雪がれなければ、たとい反坐[10]となっても、軍流[11]に過ぎないから、官が法を枉げている[12]か否かは、考慮することではないということだ。『大を救ひ小を救はず』とは、罪が上官に()せば、権勢[13]が大きい者ほど責任が重く、巻き添えになるもの[14]もかならず多いが、罪が微官に()せば、責任が軽い者は罰は軽くできるし、結着する[15]のはいささか容易で、小官[16]が罪するべきものなのか否かは、考慮することではないということだ。『旧を救ひ新を救はず』とは、旧官が去った後に、未了のことがあった場合、拘留しても償えない恐れがあるが[17]、新官は来たばかりで、残務[18]があった場合、むりに圧力をかければなお調達できるから、新官が耐えられるか否かは、考慮することではないということだ。これらはいずれも君子の心によって、忠厚な長者のする事を行っているのであり、求めているものがあるのではなく、巧みに法文を弄ぶ[19]のも、恩讐があり、ひそかに報復しているのではない。しかし人情は百態、変事[20]は万端で、もともと一つに固執して論じられない。もしこの慣例を堅持し、邪を正すのが[21]度を過ぎれば、こちらを顧みてあちらを失い、福を齎そうとしてかえって罪を造り、事を収めようとしてかえって事を醸すことも、しばしばあろう。今日取り調べたのは、これによって禍を齎した者たちだ。」「その果報はどうなのですか。」「『瓜を植えれば瓜、豆を植えれば豆[22]』で、夙業は纏いつき、因縁があればかならず合う。未来生の中で、四救先生に遇わせ、かれらを四不救[23]に列ねるだけだ。」。まもなく、霍然としてたちまち目ざめたが、夢に現れたわけは明らかでなかった。もしや神明がかれをかりて人に告げようとしたのではあるまいか[24]

  
  乾隆癸丑[25]春夏の間、都で疫病が流行った。張景岳[26]は法術によって祓ったが、十中八九が死に、呉又可の法術で祓うのも、あまり験がなかった。桐城の医者が、重剤[27]石膏で馮鴻臚星実[28]
妾を治したので、見た人は驚いた。しかし呼吸が絶えようとしていたものが、すぐに癒えた。その法に従った者が、人を活かすことは数えきれず、一服に用いること八両に至る者、一人で服して四斤に至る者がいた。劉守真[29]の『原病式』、張子和[30]の『儒門事親』[31]は、もっぱら寒涼[32]を用いるが、やはりここまでしようとはしない。本当に昔から聞かないことであった。調べると石膏を用いることを好むのは、明の繆仲淳(名を希雍といい、天崇の間[33]の人で、張景岳と同時だが、伝はそれぞれ異なっている。)に勝るものはなく、もともと中道でなく、王懋[34]の『白田集』には『石膏論』一篇があり、つとめてその非を弁じている。どうしてこのような効果があったかは分からない。これも五運[35]六気[36]が、たまたまその年にあたったもので、固執して定例にすることはできない。

  
  従伯[37]の君章公が言った。中表[38]の某丈は、月の晩に村外れで涼んでいた。書生のような男に遇ったが、男は長揖して言った。「わたしは不幸にして社公に責められ、みずから祈ったが祓えなかった。社の中で、君だけは、社公を祀ることがもっとも盛んであったが、数十年に一度も祈請しなかった。社公はたいへん君を徳とし、たいへん君を重んじているから、君が一たび祈れば、かならず従われよう。」。表丈[39]は言った。「あなたはどなたですか。」「わたしはもと諸生で、君の亡くなったお父さまとも知りあいだったが、今では死んで三十余年になる。昨日たまたま某家で食を求めたところ、訴えられたのだ。」。表丈は言った。「自分の事を祈請せず、他人の事を祈請するのですか。人間の事を祈請せず、幽鬼の事を祈請するのですか。わたしはお役に立てません。先生、おやめください。」。その人は腕を振って去った。「自了漢(ひとりよがり)[40]に過ぎず、謀るに足らん。」。そもそも肴酒がかならず豊かであるのは、鬼神を敬っているのである。祈請しないのは、遠ざけているのである。鬼神を敬して遠ざけるのは、民の(やりかた)である。俗物が諂[41]、迂儒が驕っているのと比べれば、その中間にあるものである。この事が説かれた時、わたしはわずか八九歳であったので、この表丈はたまたま姓名を忘れた。その時は郷風[42]が淳厚で、おおむねかならず謹厳篤実の家であって、はじめてともに婚姻し、品行がこのようなものは多かったので、誰だったのか推し量れない。「高山仰止[43]、景行行止[44]。」、俯仰[45]七十年間、睪然[46]として深く考えぬことができようか。

  
  黄葉道人潘斑[47]は、かつてある林下の巨公[48]と連坐したとき、しばしば巨公を(けい)と呼んでいた。巨公は怒ったり笑ったりして言った。「老いぼれは今七十余ですぞ。」。時に潘はすでに酒を飲んでおり、首を挙げて言った。「兄は前朝の生まれなので[49]、前朝の人と並ばれるべきで、みだりに本朝に入るべきでない。もし本朝の生まれならば、わたしは順治二年九月に生まれ、兄は順治元年五月に大清に入り、わずかに十余か月違うだけだ。唐詩に『兄と行年[50]一歳を(ひとしくせ)[51]。』という。兄と称するのはもとより古の礼なのに、なぜひどくお責めになる。」。満座はそのため舌を咬んだ[52]。論じる者は、潘生は狂士だ、この言葉はたいへん忠厚を損なっている、かれが終生不遇であったのは当然だと言った。しかしかれに理がなかったとはいえない。わたしが『四庫全書総目・明代集部』[53]を作ったとき、明代集部は練子寧[54]から金川の門卒[55]龔詡[56]まで八人を、解縉[57]、胡広[58]諸人の前に列ね、ともに案語[59]を附した。「謹んで案ずるに、練子寧以下八人は、いずれも恵宗[60]の旧臣である。その任官の年を調べると、そもそも解縉らの後にいる者がいるが、一方は故君[61]のために生命を棄て、一方は新主に恩賞を求めている。梟鸞[62]は性を異にし、同居できないので、別々に伝を編み、それぞれその類に従わせた。龔詡が成化辛丑[63]に亡くなったことに至っては、さらに遠く縉らの後にあるが、今も前に列ね、名教による褒貶を明らかにしている。千秋に論は定まっており、紆青(うせいたし)[64]の栄誉があっても、戟を(にな)[65]老兵と、この紙一枚の先後を争えない。」。黄泉は逝き易いが、青史は誣い難いので、潘生のこの言葉は、軽薄だとして廃することができない。

  
  曽映華[66]が言った。数人の書生が郷試に赴き、長夏溽暑のなか、月を頼りに夜歩きしていた。疲れてとある廃祠の前に身を寄せ、階に近づいてしばし休み、眠ったり、目ざめたりしていた。ある生員が祠の裏手で人の声がするのを聞き、瓜や棗を守る者かと疑い、さらに盗賊かと疑い、息を潜めてじっくり聴いた。一人が言った。「先生はどうして来られました。」。一人が言った。「さきほど隣の塚と境界を争い、社公[67]に訴えました。先生は幕僚をながくされたお方ですから、その勝負を予測してくださるようにお願いします。」。一人は笑った。「先生は本当に書痴でいらっしゃる。そもそも勝負にどうして常がございましょう。この事は、後に訴えた者を勝たせるには、先に訴えた者を詰って言うのです。『かれが訴えなかったのにおまえが訴えたのは、おまえが諍いを起こしてかれを侵そうとしているのだろう。』。先に訴えた者を勝たせるには、後に訴えた者を詰って言うのです。『かれは訴えたのにおまえは訴えなかったのは、おまえが先にかれを侵し、道理がないことが分かる。』。後に来た者を勝たせるには、先に来た者を詰って言うのです。『おまえはかれが来ないのに乗じ、先に占領したのだろう。』。先に来た者を勝たせるには、後に来た者を詰って言うのです。『ひさしく定められていた境界であったのに、おまえが急にもとの局面を覆し、おまえがゆえなく諍いを生じたのだろう。』。富む者を勝たせるには、貧しい者を詰って言うのです。『おまえは貧しくて無頼だから、訴えを恐れておまえに賄させようとしているのだろう。』。貧しい者を勝たせるには、富む者を詰って言うのです。『おまえは富んで不仁で、併呑してやまず、財力と権勢によって頼るものがない人を苛めようとしているのだろう。』。強い者を勝たせるには、弱い者を詰って言うのです。『人情は強きを抑えて弱きを助けるものだから、おまえは膚受の訴えを聴かせようとしたのだろう。』。弱い者を勝たせるには、強い者を詰って言うのです。『天下には強きが弱きを凌ぐことはあっても、弱きが強きを凌ぐことはない。かれは本当に不平を持っているのでなければ、危険を冒しておまえの鋒に掛かろうとはしまい。』。双方を勝たせるには、こう言うのです。『証文もなく証人もいないのだから、紛糾はどうして窮まろう。引き分けして訴えを収め、おしまいにしてもよかろう。』。双方を敗れさせるには、こう言うのです。『人には阡陌[68]があるが、幽鬼にどうして疆畔[69]があろう。一棺の外は、すべて人の持ち物で、おまえたちの持ち物ではなく、譲って闢c[70]にするべきだ。』。こうした様々な勝ち負けがあり、どうして常があろうか。」。一人が言った。「それなら結局どうするべきなのですか。」。一人が言った。「これら十説にはそれぞれ取るべき言い分があり、さらにそれぞれに解するべき言い分があり、紛紜として変化すれば、永遠にやむことができない。城隍[71]社公のことは知ることができないし、冥吏鬼卒にいたっては、つねにどっちつかずであろう。」。そう言うと静かになった。これはたしかに幕僚をながくしたものの言葉であった。

  
  蛇が怨みに報いることができることは、古い記録にあるが、他の毒をもった動物はそれができない。しかし古老はいう。「およそ毒をもった動物に遭っても、殺害する心がなければ、けっして刺されない。見てすぐに殺害すると、かならずいつかその害を受ける。」。調べるとすこぶる真実である。これは動物が報いることを知っているのではなく、気機[72]が感じているのである。狗が狗を屠る者を見ると群れて吠えるのは、その人を知らなくても、その気に感じるのである。さらに毒虫を生食する者がおり、力を増すことができるといっている。毒虫が人を刺せば死にいたることがあるのに、その毒を腹にすべて貯えて、恙ないのは、どういうことか。崔荘の無頼の若者がこの術を習っていた。かつて見たが、かれは一匹の赤練蛇[73]を握り、その首を断って生きたまま齧り、余味があるかのようにしていた。その剛悍鷙忍[74]の気が、勝るに足りていたのだろうか。力を増す必要はない。たとい力を増しても、方薬[75]もすこぶる多いのだから、さらにこのようにする必要はない。

  
  賈公霖[76]が言った。交易して樊屯[77]に行き来していた者がおり、一匹の狐と友人であった。狐はつねに迎えて住処にいったが、房舎はまるで人家のようで、門を出た後、振り返れば見えないだけであった。ある晩、狐の家で飲んだときのこと、妻が出てきて酒を注いだが、容色はたいへん艶麗であった。この人は酔った後に心が淫らになり、戯れにかれの腕を抑えた。妻が狐を見ると、狐は横目で見て笑った。「陳平になろうとなさるのですか[78]。」。まったく怒らず、笑い戯れるさまは平時のようであった。この人が帰った後、ある日、突然、家から客作が一頭の驢馬を引いてその妻に送って来、言った。「急の知らせを得ましたところ、あなたがにわかに中風となったということでしたので、驢馬を借りてあたふた徹夜でやってきたのでございます。」。この人はたいへん驚き、仲間が戯れたのだと思った。旅舎には眷属を入れる場所がなかったので、客作を呼んで送り帰らせようとしたが、客作はすでに去っていた。家までは一日たらずの距離で、時はまだ辰巳であったので、みずから馬を引いて妻を送った。途中、若者に遇ったが、妻と肩を触れあって過ぎ、手が婦の足に触れた。妻は怒って若者を罵ったが、笑って謝するばかりで、言葉は無礼なものであった。この人が憤ってともに闘うと、驢馬は驚き、岐路に逃げ込んだ。蜀秫[79]が茂っていたので、まもなく見えなくなった。この人は若者を措いて妻を追い、蹄の跡を一二里辿っていったところ、驢馬は泥濘に陥っており、妻は行方が知れなくなっていた。田野は連なり、四方に人跡はなく、徹夜で奔走した。彷徨して朝になり、ひとまず驢馬に騎って返り、その後で妻を捜すことを考えることにした。数里たらずで、路傍から大声で「賊を捕らえたぞ。」と叫ぶのが聞こえた。隣村の驢馬が昨晩盗まれ、まさに四方に出て捕らえていた。人々は捕らえて縛り、おおいに鞭うちを受けた。さいわい知りあいに遇い、あれこれ弁明してはじめて免れることができた。意気沮喪して家に着けば、紡車は琤然[80]として、妻が糸を引いていた。昨日の事を問うと、茫然として記憶していなかった。妻と客作と若者は、いずれも狐が化けていたもので、驢馬だけが本物であったことをはじめて悟った。狐の報復は悪いことだが、発端はこの人がみずから開いたのであった。


  壬子[81]の春、灤陽の樵数十人が、夜に山の窪みに宿った。見ると澗を隔てた坡の上で、数頭の鹿がぶらぶらと遊んでおり、さらに二人の男が、林下を行き来して向かい合って泣いていた。ともに訝った。「人が鹿の群れに入っているのに、鹿はどうして驚かないのか。」。仙鬼かと疑ったが、向かい合って泣いているのは変であった。崖は高く、水は急で、人跡は通じていなかったが、月明かりは昼のようであったので、はっきりと見えた。その中の一人をかすかに見わけたところ、旧友の材木商某のようであった。すると山風がにわかに起こり、木の葉は乱れて鳴り、一頭の虎が林からにわかに出、二頭の鹿を襲って倒した。さきほど見たものは、かれの生魂であったことを知った[82]。東坡の詩にいう「未だ死せずして神先に泣く[83]。」の意か。聞けば材木商は大きな悪事もなかったが、謀略だけは深く、事々に利益を得ることに務めていた。陰謀は道家が忌むものであるというのは、本当に理由あることである。さらに巴公彦弼[84]が言った。烏什を征した時、ある日、城をはげしく攻め、ある人が力を奮って激戦していると、たちまち矢が傍から飛んできたが、見るのが間にあわなかった。一人が側でそれを見ていて、急いで刀を挙げて代わりに受けとめようとしたが、かえってみずから(あたま)を貫かれて死んだ。この人は感激し、哀しんで祭った。夜に死んだ者を夢みたところ、こう言った。「あなたとは前世で同僚だったが、およそ苦しく怨まれる仕事があれば、すべてあなたに推しつけ、およそ功績を示し長所を見せる仕事があれば、あなたを抑えて進めなくさせた。この因縁により、冥府は今生であなたに代わって死ぬように定めたのだ。今からは、双方に恩仇はない。わたしは自分からお助けしたので、祭る必要はない。」。これは材木商の事と似ている。材木商は陰謀であったので責めが重く、この人は小智であったので責めが軽かったのだ。それならばいわゆる巧みだということは、まさに拙いということではないか。

  
  門人の郝
[85]は、孟県の人で、わたしが己卯[86]の典試[87]で採用した士人であった。進士となり、進賢[88]の令を授かった。菲衣[89]悪食し、民事をみること家事のようであった。倉庫の出納について、毎月一冊の帳簿を作っていた。あらかじめ帰途の舟車の費用を貯え、一つの笥の中に閉ざし、窮迫しても一銖一両も用いなかった。嚢篋[90]はすべて室内に準備し、旅装を整えているかのようであったが、そもそも辞官する計画を立てない日はなかったのであった。人はかれが毎日辞官できるようにしているのを見ても、どうすることもできなかった。後に病を患って帰ることを請い、一銭も()めず[91]、生徒を教えて故郷で死んだ。聞けば、かれが若い時のこと、おりしも春社[92]で、遊客は織るかのようであった[93]。見ると一人の媼が二人の女を連れており、田舎の装いであったが、姿には趣きがあった。とともに歩き、脇見しなかった。ふと見ると、嫗と二人の娘が怪石を踏み、横ざまに進んで絶澗にゆき、樹の下に鵠立していた。その人が径に由らず、避けるものがあるようにしているのを怪しみ、横目で凝視した。媼は従容として進み、言葉を述べて言った。「景色が美しゅうございますので、娘たちを連れて踏青[94]し、それぞれ眷属[95]を捜していたのでございます。公は正しいお方ですので、近づこうとはいたしませんが、公も娘たちに近づいて、不安にさせないでください。」。狐魅だと悟って、腕を振って去った。それならば、花月の妖[96]は、人の心がみずから召すものであることは、明らかである。

  
  木蘭[97]の官木[98]を伐る者が、はるかに見ると、向かいの山に数頭の虎がいたが、懸崖絶壁で、数里迂迴しなければゆけなかったので、人は虎を恐れず、虎も人を恐れなかった。ふと見ると別隊の木を伐る者が、虎を衝いてまっすぐやってきた。人々は足踏みして戦慄した。しかし、人は虎を見ていないかのよう、虎は人を見ていないかのようにしていた。数日後、会って話がそのことに及んだ。別隊の者は言った。「あの日はやはり遠くに人々を見たし、遥かに騒ぐ声を聞いたかのようだった。しかし、見たものは幾つかの巨石で、一頭の虎もいなかった。」。これは運命として咬まれないことになっていたのだろうか。しかし、運命が虎を石に化させることがどうしてできよう。これはきっと運命を司る者がいたのである。運命を司る者は空虚で兆候がなく、冥漠(ぼんやり)として知覚がないので、虎を石に変化させることもできない。それはきっと天と鬼神とである。天は鬼神とともに運命を司ることができるのに、天はすなわち理であり、鬼神は二気[99]の良能[100]であるという。それならば、理気[101]が混沌としていて、一屈一伸し[102]、たまたまこの人に遇ったとき、怒って打つものが、嶙峋[103]として聳えたものか[104]。わたしは推し測る術がない。

  
  景州[105]の高冠瀛は、高江村[106]を夢みて生まれたので、名を士奇といった。篤学能文で、小試[107]ではかならず第一位であったが、省闈[108]はかならず落第し、不遇で終わった。年が二十余の時、占い師はその命を占い、天官[109]、文昌[110]、魁星[111]、貴人[112]が、すべて一宮に集まっており、占術によれば鼎甲[113]で翰林に入るはずだと言ったが、その年は食餼[114]することができただけであった。かれの一生の経歴を考えても、食餼以上に志を得たことはなかった。そもそもその賦命[115]がもともと薄かったので、極盛の運でも、得るものはこのようなものに過ぎなかったのであった。田白岩[116]は言った。「張文和公[117]の八字に関して、占い師がかれの一生の官歴、星度[118]を検証したところ、かれの開坊[119]は生員に相当しているに過ぎなかった[120]。これと冠瀛の運勢はたがいに比べ合わせることができる。術家[121]はこれを斟酌するべきで[122]、星度だけによって、すぐに吉凶を断じることはできない。」。さらにかつて一人の術士が言った。およそ陣歿した将兵に関して、かれらの戦死した年月を占うと、運はかならず極めて盛んである。そもそも節を尽くす時は、名を千古に垂れ、百世に名を残し、栄誉は子孫に及び、得るものは王侯将相の上にあるからだと。立論は極めて奇抜であるが、本当に至理である。これも占術の外にある考えで、李虚中[123]らの格局[124]の中にないのである。

  
  冠瀛は久しく名場[125]に苦しみ、心はきわめて鬱鬱としており、かつてわたしと雪崖に言った。「聞けば旧い家があり、泊まる者は夜はかならず魘され、幽鬼なのか、狐なのか、明らかにできなかった。ある生員は胆力があり、祟る者が何物か窺おうとし、その中に寝た。二更過ぎ、本当に黒い影が瞥然と地に落ち、進むかのよう、退くかのようにし、生が転側するのを聞くと、すぐに伏して動かなくなった。人を恐れていることが分かったので、寝た振りをして待っていた。だんだん鼾をかくと、にわかに足から上るのを感じたが、胸と腹に及ぶと、すぐにぼんやりするのを覚えたので、急いで右手を奮って打ち、その尾を執り、すぐに左手でその項を扼したところ、噭然と声を出し、人の言葉を話して許しを乞うた。急いで燈を持ってこさせて見ると、黒い狐であった。人々はともに押さえ、刃でその髀を穿ち、縄を通し、みずから左腕に繋いだ。変化できまいと思い、刀を持ち、その祟ったわけを尋ねた。狐は哀鳴した。『およそ狐の霊は、みな修煉して仙人になることを求めています。もっとも上の者は調息煉神し、坎離[126]龍虎[127]の趣旨を講じ、精を吸い、気を服し、日月星斗の華[128]を食らい、内結[129]の金丹を用い、蛻形[130]羽化[131]します。こうするには仙授がなければならず、仙才でもなければなりませんが、このようなことは、わたしにはできません。次は顔を整えて素女[132]となる術で、媚態で惑わし、精を摂り、補充し、内外[133]が配合し、やはり丹となることができます。しかし取るものが少なければ道は成らず、取るものが多ければ他人を損ない、自分を利することとなり、冥罰を受けなければ、かならず天刑[134]がございます。このようなことをわたしはしようとはいたしません。ですから剽窃の功によって、猟取の計を立て[135]、人が熟睡しているのに乗じ、鼻息を仰いで[136]余気を収め、蜂が蜜を採る時のように[137]、花を損なうことがないようにし、集まるものはだんだん多く、融けあって一つになっても、元神[138]は散ぜず、年を経て通霊[139]できます。わたしたちがそれなのでございます。道術は粗雑で、功を積むのも苦しゅうございますが、許されないなら、百年の精力が、すべて東流に付せられますので[140]、どうか先生は哀れんでお許しになられますよう。』。生はかれの言葉が切実なのを憐れみ、許して去らせた。この事は雍正末年にあり、伝えられてすでに久しかった。わたしはこれによって思ったのだが、科場[141]にいる者で、鴻才[142]碩学は、わたしはなれないし、次の者は危険を冒して僥倖を得るが[143]、わたしはそれになろうとしないし、()の者は剽窃猟取することができるだろうが、わたしはやはり望まない。わたしは道が窮まっている。お二方[144]はいずれもはやく及第されたが、どうしてわたしに教えることができようか[145]。」。雪崖は戯れて言った。「君を江村の後身とするのは、香山[146]を白老[147]とするようなものだ[148]。この一念によって、身は異なっても性は残っていたにちがいない[149]。この病はいたって重いから、わたしたちは本当に救う薬がない。」。ともに一笑して終わった。そもそも冠瀛は文を作るとき、戛戛[150]として捏造すること[151]を好み、硬語盤空[152]であったが、しばしば挫折したのには司るものがあり、おおむねこれによっていたのである。だから雪崖はそのことを用いて戯れとしたのである。『賈長江集』[153]に「ひとり行く潭底の影、(しばしば)(いこ)ふ樹辺の身。」[154]の一聯があり、句の下の夾注[155]の一詩に、「二句三年にして得、一吟すれば双涙流る。知音もし賞せずんば、帰りて臥さん故山[156]の秋。」とあった。千古の畸人は、その意見はやや似ている。

  
  吉木薩(ジムサル)[157]の台軍[158]が言った。かつて雉を追って、深い山に入ったところ、懸崖の上に人が立っているかのようであった。澗を越えて見にゆくと、地から四五丈足らずのところにおり、一人は紫の
氆氇[159]を着、顔及び手足はすべて黒く、毛は茸茸として長さは一寸ばかり、一人の女子はたいへん艶麗で、蒙古の装いをしていたが、裸足で靴がなく、緑の氆氇を着対座してともに肉を炙っているところであった。傍に黒い毛の人四五が侍していたが、いずれも小児の体のようで、寸縷も着けず、人を見ると笑ったが、その言葉は蒙古でもなく、額魯特(オロト)でもなく、回部でもなく、西番でもなく、[160]として鳥のようで、聞き取れなかった。その情状は妖物でないかのようであったので、跪いて拝した。するとたちまち物を崖の下に擲ったが、それは火を通した、野生の騾馬の半分の足の肉であった。さらに拝謝すると、みな手を振った。持ち帰ったところ、三四日食らうに足りた。ふたたび馬を牧する者とともに探しにいったが、二度と会えなかった。思うに山神か。

  
  世に虹が見えれば雨は止むというが、これは逆である。雨が止めば虹が見えるのである。そもそも雲が破れ、日が現れれば、回光返照(てりかえし)が、向かいの雲を射る。天の形は真ん丸で、上を覆うこと笠のようで、頭上にあれば仰ぎ見、四垂[161]にあれば斜めに見えるので、収斂して一線になる[162]。その形は下に垂れ、両側の形は、屈曲して弓のようである[163]。さらに斜めに見えるものの中で、斜めに目に対しているものは近く、水平に目に対しているものは遠い[164]。だんだん遠くなる[165]ので、重重[166]たる雲気のへりが見え、重なって一層一層の紅や緑の色になっているのであり、本当に帯のような物があって、中空に横たわっているのではない。(たにがわ)に下って水を飲むことができ、頭は驢馬のような者も見られ(『朱子語録』[167]に見える。)、婦女と親しめる者もあり(『太平広記』に見える[168]。)、きっと別の妖気で、その形が虹のようであるか、別の妖物で、虹に形を変えているだけであろう。

  
  及孺愛[169]先生が言った。かつてみずから見たが、一匹の蝿が人の耳に飛び込んで祟り、人の言葉を話せ、病人だけにそれが聞こえた。ある人は、蝿は蠢蠢[170]としているから、(あやかし)になれない、(あやかし)が蝿の形に化していただけかもしれないと言った。この言葉は真実に近い。青衣の童子が赦免状を読んだり[171]、渾家門客[172]が詩を吟じたりするのは、いずれも小説のでたらめであり、依拠するに足りない。

  
  辟塵[173]の珠は、外舅馬公周籙[174]が遭遇したことがあるので、確かにその物があるが、惜しいことにその姿を見たことがなかった。はじめ隆福寺[175]で、雑多な珠宝を売る者が、地に茵を布き(俗に擺攤(パイタン)という。)、その上に小篋を並べていた。はげしい風霾[176]でも、一点の塵もなかったので、嚢に辟塵珠があると戯れるものもいたが、その人は魯鈍であったので、いつも笑って応え、信じなかった。このようにして半年が経った。ある日、足踏みして大声で叫んでいた。「わたしは本当に誤って至宝を売ってしまった。」。そもそもその日、飛塵がたちまち集まってきたので、はじめて今までほんとうに珠が避けていたことを悟ったのであった。按ずるに医書に響豆を服する法がある。響豆とは、槐の実の、夜中に爆ぜる音をたてるものである。一本の樹に一粒だけあるが、見わけられない。その法は、槐がはじめて花開いた時、すぐに(きぬいと)の網を樹に被せ、鳥鵲が啄んで食らうのを防ぐのである。実を結び、熟した後、たくさん布嚢を縫ってそれを貯える。夜は枕にし、聴いて声がないものはすぐに棄てさる。このように枕をかえてゆくと、かならず一嚢爆ぜる音をたてるものがある。この一嚢を取り、さらにたくさんの小さな嚢に分けて貯え、枕にして聴き、はじめて一つの響くものを得ればさらに分ける。二つの枕でだんだん分けてわずかに二粒を残すに至ったところで、さらに分けて枕すれば、響豆が得られる。この人が売っていた珠は、やはり幾つもないものであろう。この法で分けて試せば、数刻足らずで得られるのだから、どうして手を拱いて失うにいたろうか。漫然として省みず、結局たやすく手放したのは、禄相[177]がもともと薄かったことによっているはずである。

  
  乾隆甲辰[178]、済南では火災が多かった。四月末、南門内西横街[179]でさらに火災があり、東から西し、巷は狭く、風は激しく、路を挟んですべて烈火であった。張某という者がおり、草屋三間を路の北に持っていたが、火が及ばない時は、妻子を連れて出られたのに、母の柩があるので、移して避ける手立てを考えていた。出られない情勢になると、夫婦と子女四人で棺を抱いて悲しみ叫び、身をもって殉じることを誓った。時に撫標[180]の参将[181]が軍を監督してが消火していたが、隠隠[182]と哭く声が聞こえたので、標軍に命じて裏町に面した棟[183]に登らせ、声を辿っているところにゆかせ、縄を垂らして縋って出させようとした。張夫婦はともに叫んだ。「母の柩がこちらにございますので、棄てられません。」。その子女も叫んだ。「父母が父母に殉じるのですから、わたしは父母に殉じるべきでありませんか。」。やはり上ろうとしなかった。にわかに火が及ぶと、標軍は屋根を越え、避けて去り、からくも免れたが、家はすっかり灰燼となったと思い、はるかに眺めて太息するばかりであった。火が止んでから、その家を巡視すると、巋然[184]としてひとつだけ残っていた。そもそもつむじ風がたちまち起こり、火は転じて北にゆき、その屋の裏手に巡り、隣家の質屋を焚き、はじめてまた西した。鬼神が守っているのでなければ、どうしてそうなることができよう。この事は、癸丑[185]七月、徳州の山長張君慶源[186]が記録してわたしに寄せた。わたしの『灤陽消夏録』に載せてある孀婦のこと[187]と似ているが、夫婦子女が、心を一にしてともに願ったのは、もっとも得難いことであった[188]。そもそも二人が心を同じうすれば、その鋭さは金をも断ち、まして六人ならなおさらである。庶女[189]が一たび叫べば、雷霆が落ち、まして六人がともに純孝であるならばなおさらである。精誠の至りで、三霊[190]に哀願すれば、命数があっても、かれのために挽回せざるをえない。人の定めは天に勝るが、これもその一つである。事は異聞であるが、常理であるといってよい。わたしは張君とは知りあいでなかったが、張君は間関と[191]郵送し、務めて伝えさせようとしたので、張君の志趣は知られる。そのため字句を改めて定稿とし、この編を録した。

  
  呂太常含暉[192]が言った。京師の民家で、柩を停めていたところ、火災に遭ったが、出られる路がなく、助けて担ごうとする人もいなかった。そこで、家じゅうの男女が、鍬
[193]刀鏟[194]で、協力して室内に穴を掘り、棺を中に置き、上を土で覆った。穴を覆うとすぐに火が及び、家が焼けたが、棺は穴の中で恙なかった。火は上燃える性質があるので、これも応変の機智であった。張孝子の事に因んで附録した。

  
  交河の泊鎮[195]の王某は、技撃をよくし、王飛
というであった(「」は俗に「腿」に作り、慣例となってすでに久しいが、正しい字ではない。)。ある晩、たまたま墓地を通ったところ、十余人の小児が路で戯れており、いずれも四五歳であった。怒鳴って避けさせようとしたが聞いていないようであったので、怒ってその一人を掴むと、子供たちはともに騒いで罵った。王はますます怒り、足で蹴った。子供たちは沸き返り、それぞれ磚瓦を持ってかれの腿を撃ち、猿のように敏捷であった。捕らえられず、左を防げば右に来、前を防げば後に来、回ったり推したりしたので、ついに転び、頭や目も傷われた。何度も起きたり、倒れたりし、夜半になると、動く元気もなくなった。翌日、家人はかれを捜しだして帰った。両足は青紫になっており、半月臥して起きられた。小児は狐であった。王の力なら、平時は数十人の壮夫に敵しても、なお迅速自在であったが、この小さな妖魅に遭って、一敗地に塗れたのであった。『淮南子』は尭戒を引いていう。「戦戦慄慄、(ひび)一日を慎む。人山に躓かず、(ありづか)に躓く[196]。」。『左伝』に「蜂蠆毒有り」という[197]、その通りである。

  
  郭彤綸[198]が言った。阜城[199]に男がいて外出し、数年音信がなかった。ある日、あたふたと夜に帰ってきて、言った。「わたしは流落して敷物もなく、誤って盗賊たちの中に落ちたが、奪ったり殺したりしたものは一つでなかった。今、事が敗れ、さいわい身軽に逃れたが、聞けば他の捕らえられた者は、すでにわたしの姓名住所を自供し、すでに檄を飛ばして眷属を捕らえるだろう。おまえたちは自分で生計を立てるべきだ。ともに死んでは益がない。」。涙を拭いて去り、さらに一言もなかった。家中が震え驚き、一夜で星散し尽くし、住まいは廃墟となった。人もそのわけを知らなかった。数年後、その男は旧宅に来、父母妻子がどこに引っ越したかを尋ねた。隣人は久しく逃げ隠れていることを告げたが、やはり茫然として事情は知れなかった[200]。すこし捜索すると、妻が彤綸の家で傭作(やとわれにん)となっていることを知った。門を叩いて訪ね、そのわけを知った。しかし外で盗賊をした事は本当になく、その後夜に帰った事も本当になかった。綸は官牘[201]を調べたが、捕縛が行われたことはなかった。しばらくして八溝(漢の右北平[202]故地である。)で耕作した時のことをを思いだした。家を山岡に築いていたが、岡の後ろに狐がおり、時折物を盗み、さらに夜中に叫んで人の眠りを乱したりした。徒党を集め、その穴を掘って壊し、煙で燻すと、狐はすべて去った。疑うらくはかれらが(あやかし)となって報いたか。

  
  しもべの史錦文は、かつて滄州に行き、医者を招いた。暑月で掛け布団を持たず、一頭の馬に騎っていった。張家溝[203]の西にゆくと、
[204]たちまち起こったので、馬を樹に繋ぎ、樹に寄ってしばらく休んだ。だんだん[205]として眠り、夢みてとある場所にいったが、草屋数間があり、一翁一嫗が門外に坐しており、錦文を見ると迎えて坐らせた。姓名を尋ねると、みずから言うには、姓は李、排行は六といい、かつて崔荘に二年住み、かれ[206]の父史成徳と交わりがあり、錦文は幼い時に会ったこともあったが、今このように成長したか[207]、ということであった。存歿を思い、すこぶる悲しいと思った。嫗はさらに「五魁(五魁は史錦彩の幼名である。)は恙ないか。三黒(三黒は、李姓、錦文の異父弟で、継母に従ってともにきた者である。)はまだ従っているか。」と尋ね、やはりすこぶる詳密であった。翁は言った。「今年は大雨で、某路を通って某処にゆけば水が深いが、底の沙は陥らず[208]、某路を通って某処にゆけば水が浅いが、すべて紅土(あかつち)と膠泥[209]で、馬の足に粘って進むのは難しい。雨が来ようとして、日はすでに昼を過ぎているから、おまえははやくゆくべきだ。おまえを引き留めはしない。」。霍然として目ざめると、はるか四五丈離れたところに、一つの塚があったので、これが李六の墓所かと思った。指し示された路を辿り、晩に常家磚河[210]に至り、ほんとうに雨に遇った。帰ってその継母に告げると、継母は言った。「以前、崔荘で瓜を売り、お父さまと日々酔郷に遊んだ者だ。」。黄泉に去り、なお友人の子に惓惓とするのも、小人でありながら識見がある者である。

  
  しもべの傅顕は読書を好み、すこぶる文義[211]を知っており、医薬もすこし知っていた。性質は迂愚で、眺めれば困窮した老儒のようであった。ある日、閑歩して市場にゆき、人に逢うごとに尋ねた。「魏三兄に会われましたか(しもべの魏藻のことで、排行は三である。)。」。ある人が居場所を示すと、また閑歩していった。会うと、しばらく喘いでいた。魏は尋ねた。「何のご用です。」「先ほど苦水の井戸の前にいて見ましたが、三嫂が樹の下で針仕事し、疲れて仮眠しました。お子さんが井戸端で遊んでいましたが、三五尺を隔てているだけで、危険でした。男女には(べつ)があり、三嫂を呼んで目ざめさせにくかったので、走って兄を捜したのです。」。魏はたいへん驚き、走ってゆけば、妻はすでに井戸を覗き込んで子に哭していた。そもそも童僕が読書するのは、良いことといえるが、読書して道理を明らかにし、道理を明らかにして実用を致すのである。生齧りであれば愚昧偏屈に至り、害をもたらすことは限りない、どうしてこうした儒者を尊ぼうか。

  
  武強[212]のある豪族は、夜に強盗がいたので、大勢で起きて追いかけた。盗賊が逃げさると、人々は力を合わせて追いつめた。盗賊はかれ[213]の先祖の墓の松柏の中に逃げた。林は深く、月は暗かったので、人々は入ろうとせず、盗賊も出ようとしなかった。対峙していると、樹の中で暴風が四方に起こり、砂礫が乱れ飛び、人々はみな目
に砂が入って見えなくなり、盗賊は隙に乗じて囲みを破り、逃れることができた。人々は、先祖の霊がなぜ盗賊を助けたのかと訝った。主人が夜に夢みたところ、先祖はこう言った。「盗賊が財を奪えば捕らえざるを得ないが、お上が捕らえて処罰すれば、盗賊も主人を怨めない。財を得ていないなら、追ってはならない。追いついた時、盗賊が反撃して人を傷つければ、失うものは大きくないか。たとい人々の力が盗賊を倒すに足りていても、盗賊は殺されればかならずお上に訴える。お上が許さず、擅殺[214]に坐せば、失うものはさらに大きくないか。それに、われらは烏合の衆だが、盗賊はすべて命知らずのものたちだ。盗賊は夜な夜なわれらを窺っているが、われらは夜な夜な盗賊に備えることはできない。一たび仇となれば、憂えはまさに大きいのだから、ふかく考えないことができようか。旋風はわたしの起こしたもので、怨恨を解いたのに、これ以上、何を咎める。」。主人は目ざめると喟然として言った。「わたしは老人の深慮は、若者の盛気よりずっと勝っていることを知った。」。

  
  滄州の城守尉[215]永公寧[216]は、舅氏[217]張公夢徴[218]と親しくしていた。わたしは幼い時に外家にいたので、かれが舅氏にある事を告げるのを聞いた。「某前鋒[219]に平姐という娘がおり、年は十八九で、婚約していなかった。ある日、門外で脂粉を買っていたところ、若者が挑んだので、怒り罵って中に入った。父母が出て見ると、路にその人はいず、近所にもその人は見えなかった。夜に戸を閉ざして寝ると、若者が燈下に出てきた。(あやかし)だと悟ったが、驚いて叫びもせず、ともに語りもせず、鋭い鋏を持って寝た振りをして待っていた。若者は近づこうとせず、牀の下に立つばかりで、あれこれ誘いかけた。平姐は見ても聞いてもいないようにした。若者はたちまち去り、まもなくまた来たが、金珠簪珥数十件を握っており、値は約千金、牀の上に列ねた。平姐はやはり見ても聞いてもいないようにした。若者はまた去ったが、その物は持ってゆかなかった。夜が明けようとすると、若者はにわかに出てきて言った。『夜通しあなたを窺っていたが、あなたは一つも取って見なかった。至人[220]は利で動かせず[221]、だめだと思えば、鬼神も争えない。ましてわたしたちならなおさらだ。わたしはあなたがひそかに一言祈っていたのを誤解し、父母に託けていると勝手に思ったので、このようなことをしたのだ。あなたは怒ってはならない。』。その物を収め、そのまま去った。女の家はもともと貧しく、母は老いて病み、父が受けている俸給は養うに十分でなかったので、以前ひそかに仏前で祈り、はやく一人の婿を得て父母を養うことを願ったのだが、それを(あやかし)にひそかに聞かれたのだ。」。それならば、一言が出、一念が萌すのを、曖昧[222]の中ではすべて観察しているのである。耳目が前にあれば、飾ったり偽ったりすることができようか。

  
  瑶[223]に賭博を好む者があり、貧しくて甑がなくなるに至り、夫婦して寒夜に向いあって泣いたが、悔いても手遅れであった。夫は言った。「銭三五千がありさえすれば、行商して朝晩の足しにし、死んでも嚢家[224]に入るまい。しかしどこから手に入れよう。」。すると突然、窓を叩いて語るのが聞こえた。「本当に悔いているなら、得るのは容易だし、これより多くても容易だが、昔の知恵[225]がまた萌すことだけが心配だ。」。同じ敷地の年長者が憐れんで救ってくれるのだと思い、涙を呑んで誓いを立て、言葉はたいへん堅かった。すぐに門を開いて出て見れば、月明かりは昼のようで、寂として一人もおらず、惘惘としてそのわけは分からなかった。翌晩、さらに窓を叩いて話すのが聞こえた。「銭はすでにすべて返したから、ご自分で取られよ。」。火を執って起きて見れば、数百千銭が累累然としてすべて屋内にあり、数えると負債と同じであった。夫妻は狂喜し、夢かと思ったが、たがいに腕を抓るといずれも痛みを覚えたので、灼然として本当であることを知った(俗に伝えるには、夢の中でみずから夢かと疑う者は、みずから腕を抓り、痛いと感じれば本当で、痛くなければ夢なのだという。)。鬼神が助けてくれたと思い、牲醴[226]を買い、祭って謝した。途で馴染みの博徒に会うと、博徒は言った。「おまえは技が進歩したのか。運が変わったのか。どうして数年の負債を、昨日一日ですべて取りもどしたのだ。」。返答を知らず、唯唯諾諾とするばかりであった。帰って供物を設けると、簷の上で語るのが聞こえた。「でたらめに祭り、邪鬼を招いてはならぬ。昨日代わりに賭博したのはわたしだ。わたしの家の近くにご父君のお墓があるが、ご父君があなたの遊蕩を憤り、夜な夜な悲しみ嘯かれ、わたしは聞くに忍びなかったので、あなたの姿に変わって嚢家に行き、銭を取って帰ったのだ。ご父君は言葉を寄せられた。この事は一度だけでき、二度とすることはできないとな。」。そう言うと静かになった、この人はそれから行いを改め、暖衣飽食して終わった。ああ。不肖の子は、もとよりしたいことをしようと思っており、どうして黄泉の下で、夜な夜な悲しみ嘯いている者がいることを思おうか。
  

  李秀升[227]が言った。山西に富豪がいたが、老いて一子がいるばかりであった。子は瘵を病み、嫁も瘵を病み、いずれも助からぬ情勢であり、父母はたいへん心配していた。嫁が先に亡くなると、その父はすぐに息子のために妾を娶った。その母は驚いた。「ここまで病んでいるのに、死ぬのを速めるおつもりですか。」。その父は言った。「もとより絶対助からぬことは分かっているが、この子が生まれる前、跡取りのことを霊隠[228]で祈り、夢みたところ、大士[229]が言うには、おまえはもともと跡取りがなかったが、金を抛って救援し、千人を生かしたので、特別に一人の孫を与えておまえの老年を世話させようということだった。かれが死なないうちに、はやく妾を娶ってやらなければ、孫はどこからくるのだ。」。その事を促した。三四月たらずで息子は亡くなったが、ほんとうに遺腹子が生まれ、祭祀を継いだ。山谷[230]の詩[231]に「よく貧人と年穀を共にせば、かならず明月の蚌胎を生むことあらん。」とあるのは、本当に嘘ではない。

  
  宝坻[232]の王泗和[233]は、わたしの姻戚である。かつてわたしに『書艾孝子事』一篇を示し、言った。「艾子誠は、寧河の艾隣村の人であった。父は文仲といい、大工をして自給していた。たまたま人と闘って、撃ち倒し、死んだと誤認し、恐れて逃げた。その妻さえ、行方を知らなかった。ただ風の便りに聞けば、山海関を出たようだということであった。その時、妻は孕んでおり、二か月後、はじめて子誠を生んだ。文仲はすでに子がいることを知らなかった。子誠は幼いときは母に養われ、父を知らなかった。やや知恵がつき、母に父の居場所を尋ねると、母は泣いて事情を語った。子誠はそれから惘惘として失ったものがあるかのようであった。つねにかれの父の年齢容貌、及び先世の名字、姻戚の姓氏住所をくどくどと尋ねた。その趣意も知れなかったが、とりあえずすべて告げた。成長し、ある人が娘を娶わせようとすると、子誠は固辞して言った。『父が流離しているのに、その子が家に安住することがどうしてありましょう。』。そこではじめてかれが父を尋ねる志を持っていること、(やもめ)の母が堂にいるので、遠く離れようとしないだけだということが分かった。しかし文仲は久しく音信がなく、子誠も生まれてから郷里を出たことがなく、天地は茫茫として、追跡するすべがなかった。みなかれがほんとうにゆけるとは信じていなかった。子誠もこの事に論及せず、力作(りょくさく)して母を養うばかりであった。二十年後、母は病で亡くなった。葬りおわると、旅装を整え、食糧を持って遼東に赴いた。生死は分からないとして阻む者がいたが、子誠は泣然として言った。『もし遇ったら、生きていればいっしょに返り、歿していれば骨を負って帰り、もし遇わなければ、むしろ道路で老いて死に、生きて還りません。』。人々は涙を拭いて送った。子誠は関を出た後、父は罪を避けて逃げたのだから、きっと僻地で隠れているだろうと思った。およそ深山窮谷、険阻幽隠の処は、すべて探した。しばらくして資金が尽きたので、乞食して口を糊した。およそ二十年しても、まったく悔いる心がなかった。ある日、馬家城山中[234]で老人に会い、老人はかれの困窮と飢餓を哀しみ、呼んでともに語った。わけを尋ねると、感泣し、家に引いてゆき、酒食でもてなした。するとにわかに大工が道具を持って入ってきたが、計算するとその年は父と等しかった。子誠は心を動かし、じっくりその顔を見たところ、母の話していた者とすこし似ていた。そこで裙を引いて泣き、つぶさにその父が逃亡した年月を述べ、家世及び親戚のことを縷述し、かれが父かもしれないと期待した。その人は驚いたり悲しんだりし、認めようとするかのようであったが、家にいたとき子がなかったがと疑っていた。子誠はつぶさに顛末を述べ、噭然[235]として抱いて哭いた。そもそも文仲は輾転と逃げ、この地に到り、すでに四十余年を閲し、さらに姓名を変えて王友義となっていたので、探しても足跡がなかったのであった。ここにいたって、はじめてたまたま遇ったが、老人はかれの孝に感激し、帰郷の計画を立ててやった。文仲は流落してひさしく、負債が多かったので、留まって行けなかった。子誠はよろよろと走って還り、田宅を質入れし、親戚に借金し、百金を得てふたたびゆき、お供して帰った。帰って七年して、天寿を全うした。子誠は父を見つけた後、はじめて妻を娶った。今は四子がおり、みな勤倹で生計を立てられている。昔、文安[236]の王原[237]は親を万里の外に訪ねたが、子孫は今でも望族である。子誠の事はこれと似ているが、天はその家を盛んにしようとしているのだろうか。子誠はわたしの田の小作人で、住居はわたしの別荘からわずかに二里であった。わたしはその人となりを重んじていたので、近づいてその詳細を尋ね、その大略を書くこと右のごとくであった。学士大夫に、隴畝[238]の間にこうした人がいたことを知らしめる。癸丑[239]重陽の後二日。」。案ずるに子誠が父を長年探し、突然無心に遇ったのは、宋の朱寿昌が母を捜した事と同じであり、いずれも神助があるかのようであり、人力でできることではない。しかし精誠の至りが、幽明[240]を感動させたのだから、人力であったといってもよい。

  
  古義を引証する時は、経典を徴するべきであり、そのほかの雑説は、参酌するだけにし、逐一こだわって定論とすることはできない。『漢書・五行志』(編者按ずるに、『漢書』は、疑うらくは『元史』の誤りであろう。『元史・五行志』に「中統二年九月、河南の民王四の妻鄒氏は一度に三男を産んだ。」とある。)一度に三男を産むことを人痾[241]に列ね、その説は母の気が盛んであると考え、凶徴というのである。しかし成周[242]の八士[243]は、四乳[244]で生まれたのに、聖人が妖異と思わなかったのは、どうしてか。そもそも天地が氤氳[245]として、万物が化醇[246]するのであって、地だけが生んでいるのではない。男女が交合し、万物が生まれるのであって、女がひとりで生めるのではない。三男を夫がいないのに孕んだのなら、人痾といってもよかろうが、父がある子であれば、父の気も盛んであることを知ることができるのに、どうして陰だけが盛んで陽が衰えていると考えるのか。これに従って推すれば、嘉禾[247]が車に満ち、異畝[248]が穎を同じくすることが、『書序』[249]に見えるものも、地の気がたいへん盛んだというのか。おおむね『洪範』[250]の五行説は牽強付会のもの[251]が多く、この条が難解であることはもっとも甚だしく、源が伏勝[252]から出ているからといって、伝を経とすることはできない。国家の典制[253]では、一度に三男を産めば、すべて褒美を与えられる。これは曲学の陋説を一掃しており、まことに千古の定論である。わたしは『続文献通考』[254]を修めたとき、祥異考の中で、馬氏[255]の例を変え、この部門を削り去り、功令[256]に従った。癸丑[257]七月にこの書の草稿が成った。たまたま儀曹[258]が一度に三男を産んだことを賞める原稿に署名を請い[259]、たまたまともにこのことを論じたので、書末に附記したのである。

 

最終更新日:2011413

閲微草堂筆記

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[1]宋来会、字は清源、清遠、号は秋圃、徳州の人。雍正癸卯の拔貢。『近思斎集』がある。

[2] http://baike.baidu.com/view/203509.htm 

[3] 学政の幕府のことであろう。

[4]http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE5ZdicB9Zdic95322619.htm&sa=U&ei=owZnTba4KovQcaWOmZMD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHcI_XUDDhPY4OqYZCDt2HPF-btpA B

[5] http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE6Zdic9CZdic89157764.htm 

[6] http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicA7Zdic94312887.htm 

[7] 原文「是多死一人也,故寧委曲以出」。」が未詳。とりあえずこう訳す。

[8] http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE4ZdicB8Zdic8A16248.htm 

[9] http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic94ZdicB3176434.htm 

[10] http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5Zdic8FZdic8D65351.htm 誣告罪に対する罪。誣告していた罪の罰を誣告していた人に与える。

[11] http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic86Zdic9B237521.htm 軍に入れて流罪にすること

[12] http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic9EZdic89361234.htm 

[13] http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE6Zdic9DZdic83285654.htm 

[14] http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7Zdic89ZdicB5220023.htm 

[15] http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5ZdicBDZdic92284729.htm 

[16] http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicB0Zdic8F320104.htm @

[17] 原文「舊官已去,有所未了,羈留之恐不能償」。未詳だが、おそらく、前任官が公金を横領して、それを償っていない場合、その前任官を拘束しても償われることは望み薄だという趣旨であろう。

[18] http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicA7Zdic94139965.htm 原文「新官方來,有所委卸,強抑之尚可以辦」。未詳。「委卸」は「残務」と訳したが、おそらく、前任官が横領し、後任官が償わなければならない状態になっている公金の欠損であろう。

[19] http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE8Zdic88Zdic9E329007.htm http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE8Zdic88Zdic9E329008.htm 

[20] http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE4ZdicBAZdic8B298594.htm 

[21] http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7Zdic9FZdicAB190842.htm 

[22]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7ZdicA7Zdic8D336038.htm&sa=U&ei=9wZnTerrEMaycKvKkJMD&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGQSKT3nKSctz2k9SxiiAXYCtvXiw 

[23] 「生を救ひ死を救はず、官を救ひ民を救はず、大を救ひ小を救はず、旧を救ひ新を救はず。」の「死」「民」「小」「新」の側に連ねるということであろう。

[24] http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE5Zdic81Zdic87212328.htm 

[25]http://zh.wikipedia.org/zh/1793%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=NgdnTZWXNYjQcfS48ZID&ved=0CBIQFjAB&usg=AFQjCNF0IRBZTwv0RLX5JB8otuNfTE-5jw 

[26]http://baike.baidu.com/view/139297.htm&sa=U&ei=RgdnTfykE9K4cJ_gvZMD&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNEzuHsa0lmx11z4mdx0B53AenrSvA 

[27]http://baike.baidu.com/view/696274.htm#1  

[28]http://baike.baidu.com/view/231799.htm&sa=U&ei=qAdnTZu7MoLKvQPEg5DkAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHmFq4pBrqyLz9QEiiLtfHDcXEY9w 

[29]http://baike.baidu.com/view/785027.html%3Fhold%3Dredirect&sa=U&ei=ugdnTcmTFJG8uwPfseHjAg&ved=0CBUQFjAD&usg=AFQjCNFOTmuHmu9X0o0seoOubswAegjLYQ 

[30]http://baike.baidu.com/view/54077.htm&sa=U&ei=AQhnTfGbKYOivgP4kJX1DA&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNEgHtE7A-LY5tPS1CkLUM2eKYKQXg 

[31]http://baike.baidu.com/view/463230.htm&sa=U&ei=5AdnTZvII4HKvQOku5jkAg&ved=0CBIQFjAD&usg=AFQjCNHT0JI4RPWGRyTUiN1isYIPa2N9pA 

[32] http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE5ZdicAFZdic92294090.htm 漢典に適当な語釈なし。未詳。体を冷す薬のことか。http://webcache.googleusercontent.com/search?hl=zh-CN&lr=&q=cache:a_NKeszysuQJ:http://baike.baidu.com/view/463230.htm+%E5%84%92%E9%96%80%E4%BA%8B%E8%A6%AA%E3%80%80%E5%AF%92%E5%87%89&ct=clnk 

[33]天啓・崇禎年間 http://baike.baidu.com/view/341438.htm#sub5136217 http://baike.baidu.com/view/115567.htm#5 

[34]http://baike.baidu.com/view/208517.htm&sa=U&ei=qQhnTcS4MdK4cJ_gvZMD&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGIrrD-9dT-6Q986o7F3rbrs_qAqA 

[35] http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicBAZdic94301892.htm 

[36] http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5Zdic85ZdicAD23714.htm 

[37]http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicBBZdic8E216221.htm&sa=U&ei=wAhnTbfTI4vQca2OmZMD&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNHFf9cjh0TMbZgHxoAhuJTg-70Zzg 

[38]http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicB8ZdicAD332885.htm&sa=U&ei=zghnTa6iFNK4cKHgvZMD&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNF2fP4XYMpYVPXapoFk2m3BtapKTA 

[39] http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE8ZdicA1ZdicA86903.htm http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE8ZdicA1ZdicA825479.htm 

[40] http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE8Zdic87ZdicAA231651.htm 

[41]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE8ZdicB0Zdic84257614.htm&sa=U&ei=Hd5JTaCrJ4LIvQP2xoQM&ved=0CBAQFjAB&usg=AFQjCNH8HOwuF8uSVHUGHB_ftFiM1dVvXw 

[42]http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE4ZdicB9ZdicA1244173.htm&sa=U&ei=cHdNTe6TGc-rce-Xic4L&ved=0CBgQFjAB&usg=AFQjCNHOEUgPda_R-mE-Wb5uODjW2G9Jqg 地方の風俗

[43]http://baike.baidu.com/view/230878.htm#2 

[44]http://baike.baidu.com/view/1170250.htm&sa=U&ei=6nVNTZfFI87Qceu45PoF&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNH1qpvIPzHUi_0-PHpMoh2Heh4GLQ 

[45] http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE4ZdicBFZdicAF66439.htm F

[46] http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE7Zdic9DZdicAA232062.htm 

[47] 未詳

[48] http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicB7ZdicA8320971.htm A

[49] 原文「兄前朝年」。http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5ZdicB9ZdicB491546.htm 漢典「年に関して適当語釈なし訳文の意であろう。

[50] http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE8ZdicA1Zdic8C216017.htm @

[51] 未詳

[52]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5Zdic92Zdic8B307128.htm&sa=U&ei=yQxnTcnhF4vQcaWOmZMD&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNHZGtVIS1pmYm9FW4QMdX_YGtTW-w Aびっくりした動作

[53] 『四庫全書総目提要』巻三十三

[54]http://baike.baidu.com/view/584533.htm&sa=U&ei=0FFOTZONK4iucKOplfsF&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNGCvDD043RTPFTTwnxMHpyVeoIVAw 

[55]http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE9Zdic97ZdicA8277434.htm&sa=U&ei=6AtKTc36KoqIuAP3nenoDw&ved=0CBQQFjAD&usg=AFQjCNHBV1YrTt2ITBrdqgkiubbE3ZXqvQ 

[56]http://baike.baidu.com/view/872821.htm&sa=U&ei=Mc9CTYbjEcircb36lJwO&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNGo3lJXgC1vht4WJxOdiy2gOjZ6BA 

[57]http://baike.baidu.com/view/130090.htm&sa=U&ei=CctCTaDSIsaPcYfhwekN&ved=0CBAQFjAA&usg=AFQjCNGC8E3Cdbh1EEf7vtTzT-tI1Rai6A 

[58]http://baike.baidu.com/view/195355.htm&sa=U&ei=S8tCTa2kKYamcPnE2McO&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNHD7E1qCBrvtm8YNf_0y0WLLYXFlg 

[59]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6ZdicA1Zdic88125794.htm&sa=U&ei=F1JOTbalOoPZcbbH4foF&ved=0CBAQFjAC&usg=AFQjCNFl4PgXl4T4NUvQ_70p1rKteC6tTA 

[60]http://baike.baidu.com/view/72718.htm&sa=U&ei=Jw1nTc-qFNK4cKHgvZMD&ved=0CA8QFjAA&usg=AFQjCNGecZDXukK5IicIrKvrnLlI2LS3bg 

[61] http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE6Zdic95Zdic85316164.htm 

[62]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic9EZdicAD117846.htm&sa=U&ei=O09rTcr1AoqgvgOy5IzkAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGIOaeQaCXlTVUnGkaf6RfdrrPMcQ  小人と君子。

[63] 辛丑ではなく己丑。成化五年。千四百六十九年。

[64] http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic8BZdic96149469.htm  制度で,侯がびる印紫色,公卿青色であったので 「拖青紆紫」を官の比とした。

[65]原文「竟不能與荷戟老兵爭此一紙之先後也。」。http://www.zdic.net/cd/ci/1/ZdicE4ZdicB8Zdic80302717.htm&sa=U&ei=StBCTemyGIPQcYGuodcN&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNHDYrUNF1CSQr2NeGMMSgEsh51sqA 

[66] 巻九にも出てくる。

[67]http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE7ZdicA4ZdicBE225822.htm&sa=U&ei=ISNoTbaSEo6AvgP1xOnqDA&ved=0CBYQFjAC&usg=AFQjCNGloED-vNdMAR2zIYTJiO78SmuLRA 

[68] http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE9Zdic98ZdicA1321977.htm 田の境界

[69] http://www.zdic.net/cd/ci/19/ZdicE7Zdic96Zdic86190072.htm 田の境界

[70] http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE9Zdic97ZdicB2277982.htm 主人のない田

[71]http://baike.baidu.com/view/128406.htm&sa=U&ei=eyNoTcrgKofMuAO8zZHkAg&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNFR3xX9Ipv4cy5e2kaYh84J6ehhTg  http://www.google.com/images?hl=zh-cn&q=%E5%9F%8E%E9%9A%8D&lr=&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi 

[72]http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6ZdicB0Zdic94222899.htm&sa=U&ei=siNoTa7LLYO6vQOlpvXjAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHWJgxiBDJRUTqoeuZhBCHEhL1vAQ A

[73]http://baike.baidu.com/view/663040.htm&sa=U&ei=EiRoTfTvF4a6vQP5rO3jAg&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNGxcvjRx5HhIIiH96kmW66g308hEw 

[74] http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE9ZdicB8ZdicB791710.htm 凶悪残忍

[75] http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6Zdic96ZdicB9292850.htm 処方と薬物

[76] 未詳

[77] 地名と思われるが未詳。

[78] 原文「弟乃欲作陳平耶。」。http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E7%9B%97%E5%85%B6%E5%AB%82 陳平は嫂と密通したことがある。ただ、ここで相手のことを「弟」といっているのがなぜなのか未詳。

[79] http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE8Zdic9CZdic80212309.htm  http://baike.baidu.com/view/311485.htm&sa=U&ei=DOFsTZG0DMPCcbul2LYF&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNEHITvJxkf9-jStql1OUfs4IPUBjw 

[80]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7Zdic90ZdicA4143224.htm&sa=U&ei=UyloTYifIYyyuAPProTkAg&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNEqN95kR90EjddF8h-jDyi5ItJXzg 

[81]http://zh.wikipedia.org/zh/1792%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=hiloTaCFG5C6vQPF3LnkAg&ved=0CBMQFjAB&usg=AFQjCNEqPv2hORp_-elRv-QEKt7LBu6cXA 

[82] 原文「知頃所見,乃其生魂矣。」。未詳。とりあえずこう訳す。この話、分かりにくい。「二人の男」=「二頭の鹿」だったということか。

[83]http://webcache.googleusercontent.com/search?hl=zh-CN&lr=&q=cache:jpUmIn_eTwoJ:http://www.guoxuebook.com/jijijibu/0301/00sxyy/039.htm+%E6%9C%AA%E6%AD%BB%E7%A5%9E%E5%B7%B3%E6%B3%A3&ct=clnk  

[84]http://npmhost.npm.gov.tw/ttscgi2/ttsquery?0:0:npmauac:TM%3D%C4%B1%C3%B9%A4%DA%AB%DB%B4%5D 

[85] 未詳

[86]http://zh.wikipedia.org/wiki/1759%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=nitoTb2BG5PovQOC2L34DA&ved=0CBQQFjAB&usg=AFQjCNFJIDWuuPDMyC9u2D82GeLgXok5KQ 

[87]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5Zdic85ZdicB897809.htm&sa=U&ei=rytoTcMXi8i4A42pteQC&ved=0CBAQFjAB&usg=AFQjCNHhlIhhQbxo632vBi-KNwHOQz9pJA 科挙の試験官となること

[88]http://baike.baidu.com/view/50572.htm&sa=U&ei=JixoTaOOCYnyvQPIl_TxDA&ved=0CBQQFjAB&usg=AFQjCNFZWmNyX-HPTzIOT4yjhjYcKNQBTQ 

[89] 未詳だが、粗衣のことであろう。

[90] http://www.zdic.net/cd/ci/22/ZdicE5Zdic9BZdic8A214909.htm A

[91]http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicB8Zdic8D29299.htm&sa=U&ei=JT1LTbCNHo_qvQOqk7n2Dw&ved=0CBsQFjAD&usg=AFQjCNGTDvhCTQEFGfnFS8jAGhzwICRv-w 

[92] http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE6Zdic98ZdicA580147.htm 

[93] 機織の梭のように「いったりきたりしていた」ということ。

[94]http://www.zdic.net/cd/ci/15/ZdicE8ZdicB8Zdic8F319483.htm&sa=U&ei=4C1oTdkKjLy9A7CN0eQC&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFBMlG5WBjIo_hrV2RncRPmv-D70g 

[95] http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7Zdic9CZdicB7296938.htm 原文同じ。ここでは「結婚相手」の意か。

[96] 未詳。文脈からすると狐魅をいうか。

[97] http://baike.baidu.com/view/21477.htm#sub5112316 

[98] 未詳だが、官有地の木のことであろう。

[99] http://www.zdic.net/cd/ci/2/ZdicE4ZdicBAZdic8C292303.htm @

[100] http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE8Zdic89ZdicAF35912.htm @

[101] http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7Zdic90Zdic86290333.htm B

[102]http://webcache.googleusercontent.com/search?hl=zh-CN&lr=&q=cache:S4qzzOm6eDEJ:http://www.guoxue.com/gxzi/zhuziyulei/zzyl003.htm+%E9%AC%BC%E7%A5%9E%E5%8D%B3%E4%BA%8C%E6%B0%94%E4%BA%94%E8%A1%8C%E4%B9%8B%E5%B1%88%E4%BC%B8&ct=clnk 

[103] http://www.zdic.net/cd/ci/15/ZdicE5ZdicB6Zdic99334250.htm A

[104] 原文「偶遇斯人、怒而搏者、遂峙而嶙峋乎」。未詳。とりあえずこう訳す。「怒而搏者」は虎を指していると解す。

[105]http://baike.baidu.com/view/1977201.htm&sa=U&ei=bh1qTdSEKorBcdz6tI4M&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNGGl-_DvNtaQBgZG8RAD44092XRFQ 

[106]http://baike.baidu.com/view/228489.htm&sa=U&ei=Dt8_TYHTCsaXccnpzeAB&ved=0CBEQFjAC&usg=AFQjCNHRFwX8w0tAra2MsIc2JBl_EuMGSQ 

[107] http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicB0Zdic8F214109.htm A

[108]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7Zdic9CZdic81179512.htm&sa=U&ei=yy5oTbu1AYqmvgPlh6nkAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHFDFahdBpWMEPbs2iaVG_hxxzdmg B郷試

[109] http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicA4ZdicA997177.htm 星名と思われるが未詳。

[110] http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6Zdic96Zdic87172577.htm  星名

[111] http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE9ZdicADZdic81310146.htm  星名

[112] http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE8ZdicB4ZdicB5340081.htm 星名と思われるが未詳。http://baike.baidu.com/view/260618.htm 

[113] http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE9ZdicBCZdic8E54925.htm A

[114] http://www.zdic.net/search/?q=%E9%A3%9F%E9%A4%BC 給費生になること

[115] http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE8ZdicB5Zdic8B41737.htm A

[116]田中儀。字は無昝、号は白岩、詩人田雯の子、徳州の人。歳貢生、鑾儀衛経歴となる。詩詞を好み、『紅雨書斎詩集』がある。

[117]http://baike.baidu.com/view/42297.htm#sub4918955  

[118] http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE6Zdic98Zdic9F329445.htm @

[119] http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicBCZdic80258181.htm 

[120] 実際には開坊したのに、占いでは生員にしかなれないということになっていた。

[121] http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE6Zdic9CZdicAF120505.htm A

[122] 原文「術家宜以此消息」。「此」は「賦命」をさしていると解す。

[123]http://baike.baidu.com/view/340991.htm&sa=U&ei=VFtLTf_CNIqcvgPL_ZjQDw&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNEH2nwyxDXwUWwHTac_YYh_ELwOkg 

[124] http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6ZdicA0ZdicBC315253.htm 星命家の用語。定格と合局。

[125]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic90Zdic8D112253.htm&sa=U&ei=3jFoTbn5OZG8vwPbq5HkAg&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNGv1xSo66AhaIOmEBtgzvoat19u3g A

[126] http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5Zdic9DZdic8E296990.htmA 

[127] http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE9ZdicBEZdic99344937.htm E

[128] http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic8DZdic8E.htm 精華ということであろう。

[129] 未詳だが、体内にできた金丹であろう。http://baike.baidu.com/view/283885.htm&sa=U&ei=TR5qTeiPOcLMcIOfrI8M&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNFQMuQgm6MnX3p3JYAGBrOovbKHsg 

[130] http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE8Zdic9CZdic95194005.htm 漢典に適当な語釈なし。未詳だが、後ろにでてくる「羽化」と同じで、仙人になることであろう。

[131] http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE7ZdicBEZdicBD331040.htm A

[132] http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7ZdicB4ZdicA0206009.htm 

[133] 未詳。すでに体内に持っているものと外から取り込んだものを指すか。

[134] http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicA4ZdicA934244.htm A

[135] 原文「故以剽竊之功,為獵取之計」。まったく未詳。とりあえずこう訳す。

[136] http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE4ZdicBBZdicB0329943.htm 

[137] 原文「如蜂採蕊」。意訳す。

[138] http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5Zdic85Zdic8399808.htm AB

[139] http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic80Zdic9A100570.htm @

[140] 原文「盡付東流」。「すべて水の泡となりますので」ということ。http://www.zdic.net/cy/ch/ZdicE5ZdicB0ZdicBD10732.htm&sa=U&ei=8vpsTdDmBYPQceCniK0F&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFdTTZRKq6lfDfYtuv08GimFNF2Jg 

[141] http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7ZdicA7Zdic91287605.htm @

[142] http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE9ZdicB8ZdicBF344211.htm @A

[143] 原文「次者行險僥倖」。 http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE8ZdicA1Zdic8C302380.htm 

[144] 紀ホと莫雪崖

[145] 原文「其何以教我乎」。未詳。とりあえずこう

[146]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE9ZdicA6Zdic9982960.htm&sa=U&ei=ZYBSTZSFCZSfcZCSqbMH&ved=0CBEQFjAC&usg=AFQjCNFVxjCecjzj1QOi7PaXmkFnyDJB7Q @

[147]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic99ZdicBD181633.htm&sa=U&ei=VYBSTfD8CZm0cO_z-a4H&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEojg6MDchilRyji3pgDcxz3pKM-Q @

[148] 原文「以君作江村後身,如香山之為白老矣。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[149] 原文「當是身異性存。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[150] http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6Zdic88Zdic9B347539.htm C

[151]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE7Zdic94Zdic9F189657.htm&sa=U&ei=42BLTe-YF4eevgPToPQM&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNFX0ogO7hIcIYS2_P2XvoJ7Lmling A

[152]http://www.zdic.net/cy/ch/ZdicE7ZdicA1ZdicAC25525.htm&sa=U&ei=CGFLTZKHCYeGvAPG84U-&ved=0CCUQFjAH&usg=AFQjCNEMajrQFvxliejqqGT0NnVTlhZTHw 文章が雄健であるさま

[153]http://baike.baidu.com/view/285856.htm&sa=U&ei=neVdTbikDoWrcey41OMJ&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNE2oJTMwmWWddpQDJwm8ht2IzAmNQ 

[154]『送无可上人』

[155] http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5ZdicA4ZdicB9346606.htm A

[156] http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE6Zdic95Zdic8578953.htm 故郷

[157]http://baike.baidu.com/view/266195.htm&sa=U&ei=jzJoTdCjC5COvQPa8LXkAg&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNFYhuZjfrERWvW3Ub0Qxy6ElkVLuQ 

[158]http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic8FZdicB0188285.htm&sa=U&ei=ozJoTdfCH4HwvwPZvLHkAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF5RrmwNdx2pshnsmr9GuWGdgBgtg 

[159]http://www.zdic.net/cd/jd/16/ZdicE6ZdicB0Zdic86155674.htm&sa=U&ei=sTJoTYKgNZGkvgOezNHkAg&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNETF2iyF6TKaD_84KmwLxB8WamFXg 

[160]形容声音が烦杂碎。http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE5Zdic95Zdic81214720.htm

[161] http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic9BZdic9B101687.htm Aここでは四周の地平線のことであろう。

[162] 原文「在四垂則側視,故斂為一線。」。まったく未詳。とりあえずこう訳す。

[163] 原文「其形隨下垂,兩面之勢,屈曲如弓。」。未詳。とりあえずこう訳す。虹が弓のように見えることをいっていると思われるがどうしてこうした当たり前のことをわざわざいうのか未詳。

[164] 原文「斜對目者近,平對目者遠」。未詳。とりあえずこう訳す。仰ぎ見るところにある虹は近く、目と同じ高さに見える虹は遠くにあることをいっているか。

[165] 原文「以漸而遠」。未詳。とりあえずこう訳す。

[166] http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE9Zdic87Zdic8D127151.htm @

[167]http://webcache.googleusercontent.com/search?hl=zh-CN&lr=&q=cache:QChb0LUiExAJ:http://baike.baidu.com/view/1813137.htm+%E8%99%B9%E5%85%A5%E6%BA%AA%E9%A5%AE%E6%B0%B4%E5%85%B6%E9%A6%96%E5%A6%82%E9%A9%B4&ct=clnk 

[168] 原文「並有能狎昵婦女者(見《太平廣記》。)」。『太平広記』巻三百九十六に、虹の話を収めてあるが、こうした内容の話はない。未詳。

[169]http://baike.baidu.com/view/5209623.html%3FfromTaglist&sa=U&ei=HzxoTdXNMI6OvQPZ-dm8BQ&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNGKCdOSbCoLBVRBoOkjM5T5dmfE1A 

[170] http://www.zdic.net/cd/ci/21/ZdicE8ZdicA0ZdicA232435.htm D

[171]『白孔六帖』「苻屏人作赦文,有入室,来,俄而人知有赦。其所自,皆云有青衣童子呼于街中。曰:、是前青也。」。

[172]http://webcache.googleusercontent.com/search?hl=zh-CN&lr=&q=cache:G4ewN6VfqjcJ:http://big5.dushu.com/showbook/100156/1006066.html+%E6%B8%BE%E5%AE%B6%E9%96%80%E5%AE%A2&ct=clnk 

[173]http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE8ZdicBEZdic9F191942.htm&sa=U&ei=PJdLTcvSCs3CcYDjneoL&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNGmgHRyqrBqmJ5WgIW5D6sBlf-HNA @「辟塵之珠」の典籍の用例は未詳。

[174]http://baike.baidu.com/view/5203548.html%3FfromTaglist&sa=U&ei=RjxoTf6KE4n-vQPR-cn4DA&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNF1WuPsXTfTIshPL9z7-O_6fcrOhQ 

[175]http://baike.baidu.com/view/849303.htm&sa=U&ei=XTxoTZgdi4S8A4KG7eAP&ved=0CBUQFjAB&usg=AFQjCNHaRDdDVMOA_ihP7u19tyZDW1MFKw 

[176] http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE9ZdicA3Zdic8E69308.htm 風によって砂塵が巻き上げられ空が暗くなる現象

[177] http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7ZdicA6Zdic84226250.htm 

[178]http://zh.wikipedia.org/zh/1784%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=xTxoTYfoLpTevQOytdmbBQ&ved=0CBMQFjAB&usg=AFQjCNHz8IzhLwcpDlBf1OiBdZwjxrVhqA 

[179] 未詳

[180] http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE6Zdic8AZdic9A165471.htm 

[181] http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5Zdic8FZdic8287101.htm 

[182]http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE9Zdic9AZdic90341936.htm&sa=U&ei=Kj1oTZfEOMOecZD5gI4M&ved=0CBMQFjAB&usg=AFQjCNHM86jCpCKuKf6_NJSzA26zMzitSA @もしくはB

[183] 原文「後巷屋」。未詳。とりあえずこう訳す。

[184]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicB2ZdicBF284849.htm&sa=U&ei=kz1oTZbWA8qHcaDQhY4M&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGVPpqkeLivkYa5AGn1cnt4FYC6iA 

[185]http://zh.wikipedia.org/zh/1793%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=vz1oTcCLKdOccbm62I4M&ved=0CBMQFjAB&usg=AFQjCNEJQTKMn3tQRvEFKT_o2RR7WmaBvg 

[186] 未詳

[187]

[188] 原文「而夫婦子女,齊心同願,則尤難之難。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[189]http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE5ZdicBAZdicB6114375.htm&sa=U&ei=pNVtTevZD4yovQPTuODSBA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNH-KRRHjL-PaiCVYzu5DqvU4YrPwA 

[190] http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE4ZdicB8Zdic8915032.htm @B

[191] http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE9Zdic97ZdicB4363852.htm 鳥の鳴く擬音語。未詳だが、訪れすることの喩えであろう。

[192] 巻十二にも出てくる。

[193] http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE9Zdic94ZdicB9267838.htm http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE9Zdic94ZdicB9332374.htm&sa=U&ei=cVFwTYW0FYXMuAOW0YG-AQ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHvi9nJWvIMCPRSMsMK8fhJ2gw2Uw http://www.zdic.net/cd/ci/25/ZdicEEZdicA1Zdic8F340415.htm&sa=U&ei=nlFwTbD_MorIvQOl0-C9AQ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNECdQHHLOlOPhkYmbPxWyvO2zqoqg 

[194]http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE9Zdic93ZdicB2276826.htm&sa=U&ei=u1FwTfbRG4yKvQP_jum9AQ&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNH10WOshANosjRT_ZWlTp4TS118sw ただ、これは調理器具。

[195]直隸天津府南皮の鎮名。光緒九年『畿輔通志』巻六十八参照。

[196]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E3%80%8A%E5%A0%AF%E6%88%92%E3%80%8B%E6%9B%B0%EF%BC%9A%E2%80%9C%E6%88%B0%E6%88%B0%E6%85%84%E6%A0%97%EF%BC%8C%E6%97%A5%E6%85%8E%E4%B8%80%E6%97%A5%E3%80%82%E2%80%9D%E4%BA%BA%E8%8E%AB%E8%B9%AA%E6%96%BC%E5%B1%B1%EF%BC%8C%E8%80%8C%E8%B9%AA%E6%96%BC%E8%9B%AD%E3%80%82%E2%80%9D 

[197]http://ctext.org/chun-qiu-zuo-zhuan/zh?searchu=%E8%9C%82%E8%A0%86%E6%9C%89%E6%AF%92 

[198] 巻十三・二十三にも出てくる。

[199]http://baike.baidu.com/view/882980.htm&sa=U&ei=M_dpTd6MEcHQcZGoiY4M&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNF7fDapofcwVmTOjW6nCl_tkebc0g 

[200] 主語は「男」。

[201] 未詳だが、公文書のことであろう。

[202]http://baike.baidu.com/view/436857.htm&sa=U&ei=7A1ETYDyHYK8cL__rawE&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNHSNuDFx8-FH0Ws7iDvURsfml7n4Q 

[203] 光緒九年『畿輔通志』巻七十九参照。

[204] http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE7Zdic98ZdicA8.htm 腹が膨れる病気

[205] http://www.zdic.net/cd/ci/18/ZdicE6Zdic87ZdicB5175607.htm 

[206]史錦文をさす

[207] この部分、はじめ間接話法だったのが直接話法に変化している。

[208] 原文「然沙底不陷」。未詳。とりあえずこう訳す。

[209] http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE8Zdic83ZdicB6337871.htm 水分のある粘土

[210]http://maps.google.com/maps?q=%E5%B8%B8%E7%A3%9A%E6%B2%B3&hl=zh-cn&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl 

[211] http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6Zdic96Zdic87160917.htm @B

[212]http://baike.baidu.com/view/313153.htm&sa=U&ei=v_hpTdm6IY_QcdqV6Y0M&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNGwUKGdB1o7JFmnTnn5Q94X0cIfJQ 

[213] 豪族を指す

[214] http://www.zdic.net/cd/ci/16/ZdicE6Zdic93Zdic85167460.htm 私的に人を殺すこと

[215]http://baike.baidu.com/view/196675.htm&sa=U&ei=KVNwTZTwBIqmvQP0xuW9AQ&ved=0CBcQFjAE&usg=AFQjCNEUy4O7XZMCTwGw3kqbN87UfTcXBA 

[216] 巻二・四・八・十にも出てくる。

[217]http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE8Zdic88Zdic85209573.htm&sa=U&ei=1flpTbCqCtOWcZ6W-Y4M&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGpKcKqeUMxjhef7O4HuIOiwuxQRg  http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE8Zdic88Zdic85320947.htm 

[218] 巻四・七・十にも出てくる。

[219] http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE5Zdic89Zdic8D299521.htm C

[220] http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE8Zdic87ZdicB3186203.htm @

[221] 出典がありそうだが未詳。

[222] http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE6Zdic9AZdicA75068.htm 漢典に適当な語釈なし。しいていえばAか。人の目に見えない世界のことであろう。

[223] 華亭県の地名。現在の鄔橋郷牛橋村。

[224]http://www.zdic.net/cd/ci/22/ZdicE5Zdic9BZdic8A214907.htm&sa=U&ei=gs9ETaT1KpLcvQPRu8HPAQ&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNEO3DwVokRDbp6bbk0t2-JXudwBpw 賭博を開帳する家。賭場。

[225] 原文「但恐故智復萌耳。」。http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE6Zdic95Zdic8581085.htm 「故智」は昔の知恵。昔とった杵柄。具体的には賭博の知恵。

[226]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7Zdic89ZdicB2221472.htm&sa=U&ei=9_xpTfyTD5GavAPojJHiDA&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNHNgnL8k2YLrBDKhvnMEoAxji7C8Q @

[227] 巻十六にも出てくる。

[228]http://baike.baidu.com/view/1513.htm&sa=U&ei=mf1pTa38KoqUvAObq9T9DA&ved=0CBYQFjAB&usg=AFQjCNHc11CgbN6PV5QlvVINegcu2etusg 

[229] http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicA4ZdicA733278.htm B

[230]http://baike.baidu.com/view/7373.htm 

[231]http://baike.baidu.com/view/5102681.html%3FfromTaglist&sa=U&ei=jP9pTY3iBJH0cfCxpI4M&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNHXDujPlgCoTtE4zYmuYVMC25uXAQ 

[232]http://baike.baidu.com/view/596704.htm&sa=U&ei=uP9pTa_kJIWwcaz_zY4M&ved=0CBQQFjAB&usg=AFQjCNHJevXGi5ZTiiyWOLwXubXYaAVFeg 

[233] 未詳

[234] 未詳

[235]http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic99ZdicAD.htm&sa=U&ei=RQBqTb3pM8OVcdvx8I0M&ved=0CBwQFjAE&usg=AFQjCNHI_ZALNctBsTy4gdYcvuEXycpVmQ 

[236]http://baike.baidu.com/view/133138.htm&sa=U&ei=WwBqTcnjMsGqcaTt3I4M&ved=0CA8QFjAB&usg=AFQjCNErXnFnuqOVRDOT2d8Fxslcee2_9w 

[237] 未詳

[238] http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE9Zdic99Zdic8759539.htm@ 

[239]http://zh.wikipedia.org/zh/1793%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=oQBqTZmVKtSjcaXyhOwB&ved=0CBQQFjAB&usg=AFQjCNEz6VaDPaJtdTgVkkbnm0nOW8nbNg 

[240] http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE5ZdicB9ZdicBD120227.htm C

[241]http://www.zdic.net/cd/ci/2/ZdicE4ZdicBAZdicBA17871.htm&sa=U&ei=wwBqTaCVHJG3cbHD2Y4M&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNFZF8EdfT_9ZvpbktsDBsQJOLC2qA 人にあらわれた災異

[242] http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE6Zdic88Zdic90308295.htm A

[243] http://www.zdic.net/cd/ci/2/ZdicE5Zdic85ZdicAB6487.htm 

[244] http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic9BZdic9B116657.htm 周の文王が四乳であったという。八士が四乳で生まれたという話の根拠は未詳。

[245]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6ZdicB0ZdicA477724.htm&sa=U&ei=jhZFTbKWCYeIvgOAzYGLAg&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNHfiZYETTN1j4qythAIE2XhGrj-SQ @

[246] http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5Zdic8CZdic9611248.htm 

[247] http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE5Zdic98Zdic89105250.htm @

[248] http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5ZdicBCZdic82226366.htm  http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5ZdicBCZdic82178232.htm A

[249]http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicB9ZdicA6283843.htm&sa=U&ei=sIpSTbmIG86PcZOp-Y4H&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNEY6MVFpNxoDuG6wrMA1bLDZr8MKQ 

[250]http://www.google.com/url?http://baike.baidu.com/view/235016.htm&sa=U&ei=2QBqTbvZC9OOcY-HrI8M&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNGDHvpOWT1EcmBqDjv7Zn9_ecN1vw 

[251]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7ZdicA9ZdicBF191659.htm&sa=U&ei=BPJPTcKhDcaycMXz_fsF&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGY8jr2fvVrKz1mHAegBi-xJrLA2Q A

[252]http://baike.baidu.com/view/653916.htm&sa=U&ei=T_JPTY_nA8a3cN3dhPsF&ved=0CAwQFjAA&usg=AFQjCNF-0ek_GnA1vl6qK71CL6KubWieDA 《洪范五行の作者

[253] http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5Zdic85ZdicB823958.htm A

[254]http://baike.baidu.com/view/114353.htm&sa=U&ei=mqBaTYCVGoOAvgOEwqToDA&ved=0CA0QFjAA&usg=AFQjCNGqdQLvkxkzfDNHAf2plGMCssXocA 

[255] http://baike.baidu.com/view/93986.htm 

[256] http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic8AZdic9F66509.htm A

[257]http://zh.wikipedia.org/zh/1793%25E5%25B9%25B4&sa=U&ei=dwFqTe24EIPCccTj-Y0M&ved=0CBQQFjAB&usg=AFQjCNF-KcQvBEhIWg617dmgADLlc1DMxQ 

[258] http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE4ZdicBBZdicAA20971.htm A

[259] 原文「適儀曹以題賞一三男本稿請署」。未詳。とりあえずこう訳す。

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