人情の狡猾さでは、京師に勝るところはない。わたしはかつて羅小華[1]の墨十六鋌を買ったが、漆匣は黒くぼろぼろで、本当に旧い物であった。試してみると、泥を捏ねて黒い色で染め、その上の白い霜も、湿った場所で覆って生じたものであった。また丁卯[2]の郷試のとき、拙寓で蝋燭を買ったが、焚いても燃えなかった。それは泥の(したじ)に羊の脂を被せたものであった。また燈下に炉鴨[3]を売る声がしたので、従兄の万周が買ったが、その肉はすべて食らわれていた。骨はすべて残されており、中には泥を塗り、外には紙を貼り、炙って炒めた色に染め、油を塗ってあり、両の(みずかき)と頭、頚だけが本物であった。またしもべの趙平は二千銭で皮靴を買い、たいへん得意になっていた。ある日、驟雨があったので、穿いて出たが、裸足で帰ってきた。そもそも(くつ)は黒くて光沢のある高麗紙[4]を揉んで皺を作り、底は糊で貼った襤褸綿を布で縁どったものであった[5]。その他の偽りにこのようなものは多かったが、それでも小さな物であった。ある選人は、向かいの若い女がたいへん端麗であるのを見たので、尋ねると、その夫が遊幕[6]し、京師に寄寓しているので、母と同居しているというのであった。数か月後、たちまち白い紙を門に貼り、家中が号哭していたが、それはかれの夫の訃報が来ていたのであった。位牌を設けて祭り、経を誦えて追善し、弔う者も結構いた。その後、だんだん衣物を売り、食が乏しいので結婚を相談しようとしていると言った。選人はそこでかれの家に入り婿した。さらに数か月すると、にわかにかれの夫が生還し、はじめて誤って凶報が伝わったことを知った。夫はたいへん怒り、お上に訴えようとした。母と娘は哀れみ嘆き、その嚢篋をすべて留め、選人を追い出した。半年後、選人が巡城御史[7]の処にいたとき、この妻が取り調べを受けているのを見た。先に帰ってきたものは妻の愛人で、共謀して選人を脅して財を取り、後に夫が本当に帰ってきて事敗れたのであった。黎丘の技は、出るほどに巧みではないか[8]。さらに西城に邸宅があり、約四五十間、一月の賃料は二十余両であった。男が住むこと半年あまり、つねに期日に先立って家賃を納めていたので、訪ねていったことがなかった。ある日、たちまち門を閉ざして去り、主人に告げなかった。主人が見にゆけば、瓦礫が散乱し、一寸の椽もなく、前後の通りに臨む建物があるばかりあった。そもそも邸宅の前後に門があったが、住んでいたものは裏門に材木屋を設け、屋材を販売し、ひそかに邸内の梁柱門窓を壊し、雑ぜて売っていたのであった。それぞれ別の巷にいたので、人は気づけなかったのであった。棟を重ね、甍を連ねていたので、運搬の痕跡がなく、もっとも神技であった[9]。しかしこれら五六の事は、あるいは安値を取り、あるいは有利を取り、貪欲ゆえに囮に罹ったものなので、その咎もすべては他人にない。銭文敏公[10]は言った。「京師の人と関わりを持つときは、用心してみずからを守り、陥阱に落ちなければそれだけで幸いだ。ややうまいことがあっても、かならずからくりが隠されており、神奸巨蠹[11]は、百怪千奇、どうしてうまいことがわたしたちに訪れよう。」。その言葉は真実である。

  
  王青士[12]が言った。弟でありながら兄の財産を奪うことを企む者がおり、代言人を密室に招き、燈を点けて相談した。代言人は謀略を設けてやったが、すべて周到で、反間内応の術も、すべて微に入っていた。謀りごとが決まると、代言人は鬚を扱いて言った。「おにいさまが虎豹のように猛々しくても、鉄の網から出るのは難しいでしょう。しかしなにでわたしにお礼してくださいますか。」。弟は感謝した。「あなたとは親友で、情は骨肉と同じですから、どうして大徳を忘れようとしましょう。」。時に二人は向かいあって方几[13]に拠っていたが、たちまち(つくえ)の下から一人の男がにわかに出てき、部屋を巡り、片足を上げて跳びまわった。眼光は炬のよう、長い毛は毵毵[14]としてのようであり、代言人を指して言った。「先生、お考えください。このかたは先生を見ること骨肉のようにしていますが、先生は危ういのではございませぬか。」。笑ったり舞ったりし、簷に跳び上がって去った。二人と側に侍する童子はともに驚いて倒れた。家人は気配に異変があるのに気づき、呼び入れて見ると、すでに昏倒して人事不省となっていた。薬を飲ませて夜半になると、童子は先に蘇り、つぶさに見聞きしたことを述べた。二人は暁になると動けるようになった。秘密はすでに漏れ、人の噂は藉藉としていたので、その謀りごとをやめ、門を閉ざして出ないこと数ヶ月であった。言い伝えでは、ある妓女に親しんでいた者がおり、たいへん愛していた。しかし落籍してやろうとすれば、拒んで従わなかった。別宅にひとり住まわせ、待遇は正妻のようにすると約束したが、ますますつとめた拒んだ。怪しんでそのわけを質すと、喟然として言った。「結髪[15]を棄ててわたしをお隠しになると仰いますが、これがどうして一生を託せるかたでございましょうか。」。この幽鬼の言葉と、見解はほぼ同じであるといえる。

  
  張夫人は、亡き祖母の妹で、亡き叔父の外姑[16]であった。病が革まった時、侍者を顧みて言った。「だめだ。聞けば死にそうな者は先に亡くなったものを見るそうだが[17]、今それを見た。」。すぐに病床を振り向くと、捜しているものがいるかのようであったが、喟然として言った。「間違えた。」。にわかにまた枕を打って言った。「大間違いだった。」。にわかにまた目を閉じ、歯を咬み、掌を抓った痕があり、言った。「本当に大間違いだった。」。うわごとかと疑い、尋ねようとしなかった。しばらくすると、娘や嫁を榻の前にすべて呼び、告げた。「わたしは以前、夫の一族は疏くて母の一族は親しいと思っていたが、今きて導いた者は、いずれも夫の一族で、母の一族ではなかった。わたしは以前、嫁は疏くて娘は親しいと思っていたが、今、亡くなった嫁が左右にいるのに、亡くなった娘は見えなかった。『気を同じうするものは関わりがあり、派を異にするものは関わりがない』のではないのか。平日の心がけを思い返せば、『薄いものに厚くし、厚いものを薄んじ』ていたのではないか[18]。わたしは一たび誤ったが、あなたたちは二度と誤るな。」。これは三叔母張太宜人[19]がみずから聞いたことであった。婦女は私情に偏り、死ぬまで悟らない者が多いが、このものはそれでも大智慧の人だったので、回心猛省できたのである。

  
  孔子が「諌言には五つあるが、わたしは諷に従う。[20]」というのは、聖人が情理を究めているのである。親戚の、ある女は、子がいなかったのでひそかにその庶子を嫉み、おいや婿もまたあれこれ悪事を仲立ちし、徒党は牢固で、ほとんど理によって諭せなかった。妻には老いた乳母がおり、年は八十余であった。聞くと、匍匐して面会を請い、一拝すると、かならず痛哭して言った。「老いぼれは三日食らっておりません。」。女は尋ねた。「どうしておいごさんに頼らないのです。」「老いぼれに貯蓄がございました時、おいはわたしにつかえること母につかえるかのようにし、わたしを誘導して財産を尽くさせました。今は知らないかのようにし、一盂のご飯も求められません。」。さらに尋ねた。「どうしてお婿さんに頼らないのです。」「婿は財産に関して、おいのようにわたしを誘導し、わたしの財産が尽きた後、やはりわたしのおいのようにわたしを棄て、わたしの娘もどうしようもありませんでした。」。さらに尋ねた。「もっとも近い親戚が負きましたのに、どうして訴えないのです。」「訴えましたが、お上は、わたしがすでに嫁いだのだから、実家にとっては家が異なっていることになるし、娘はすでに嫁いだのだから、やはりわたしと家が異なっている、かれが養ってくれるのは格外[21]の情で、かれが養ってくれないのは、律に罪がないので、正せないとしました。」。さらに尋ねた。「おまえは将来どうする。」「亡夫は昔某官に従って外におり、妻を娶り、一子を生み、今は成長しています。わたしがおいと婿を訴えました時、お上は、子がいるのなら、かれは嫡母を養うべきであり、養わなければ律によって重く誅するべきであるとしました。すでに牒を移し、捕らえることにしましたが[22]、いつ来るかが分からぬだけでございます。」。女は茫然自失のありさまであった。それから、することはだんだんと改まった。親戚族党が、口を酸っぱくしても争えなかった者を、この嫗は数句で改心させたのであった。現身説法[23]し、語る者には罪がなく、聞く者は戒めるに足りるだけである。触龍[24]は趙太后に、この術を用いている。  辺秋崖[25]先輩が言った。ある役人が夜に書斎にゆくと、にわかに(つくえ)の上に男の首が見えたので、たいへん驚き、凶兆かと思った。里に道士がおり、符をよくし、しばしば他人の葬儀に預かっていたので、いそいで召して占わせたところ、やはり驚いて言った。「大凶でございますが、祓えましょう。斎の褒美は、百余両に過ぎません。」。相談しようしていると、窓の外で誰かが語った。「身は不幸にして処刑されて死にました。幽魂は首がなければ、転生できませんので、つねにみずからひっさげておりますが、煩わしくて瘤のようでございます。にわかに公の[26]が滑らかで浄いのを見、たまたまその上に置いたのでございます。たまたま公がにわかに来られましたので、倉皇として取るのを忘れ、驚かせてしまいましたが、これはもとよりわたくしの粗忽であり、公の禍福に関わりはございません。術士のでたらめを、けっして聴かれてはなりませぬ。」。道士はがっかりして去った。さらに言うには、ある役人が狐の祟りを憂え、術士を招いて祓わせたが、法に験がなく、かえって狐に苦しめられた。走っていってその師を訪ね、さらに符籙を乞うてきた。まさに祭壇に登って神将に檄していると[27]、すでに楼上で移動する音、会話する声が聞こえ、洶洶然と率いて去った。術士は見回して徳色があり、役人も深く感謝していた。ふと頭を挙げて壁の上の手紙を見ると、こうあった。「あなたには衰運が臨もうとしていましたので、わたしたちはお騒がせしましたが。しかし昨日、あなたは九百両を出し、育嬰堂[28]を建て、徳が神を感激させ、さらに福沢[29]を増されましたので、わたしたちは一族を挙げて去ることにいたします。術士が法術をおこなったのはたまたまその時にあたっていましたので、それを功としていますが、きわめてずうずうしいことでございます。觴豆[30]を賜い、恥をやや隠してやればよいでしょう。お礼なされば、小人にとって僥倖(たなぼた)でございます。」。字の直径は一寸あまり、墨痕はなお湿っており、術士は恥じてがっかりし、黙して語ろうとしなかった。梁の簡文帝の『湘東王に与ふる書』は諺を引いていう。「山川にしてよく語らば、葬師[31]食らふに所なし、肺腑にしてよく語らば、医師は面土のごとし。」。この二事は、鬼魅の言葉と言え、術士はそれを知ったのだろう。

  
  朱導江[32]が言った。妻の喪が明けるとたちまち禮懺[33]をした者がおり、様子はたいへん哀切で、初喪[34]に勝っていた。尋ねると、はじめは語らなかったが、親しい人がひそかに尋ねると、泫然として言った。「亡婦は半生ともに暮らしてきたが、まったくかれに明らかな過失があることに気づかなかった。さきほどにわかに夢みて冥府にゆくと、娘数百人が、銀の(くさり)で縛られ、骨朶[35]で駆られ、大きな官署に入っていた。にわかに叫ぶのが聞こえ、魄魂を揺り動かした。その後、すべて引き出されたが、ともに流れる血は(すね)を被い、匍匐膝行し、羊や豚が牽かれているかのようであった。中の一人がわたしを見て手招きしたので、見たところ、亡婦であった。そこで驚いて尋ねた。『何の罪でこちらに来た。』『ことごとにあなたに二心を抱いていたことによるものでございます。はじめは家庭の常態と思いましたが、陰律はいたって厳しく、父を欺き、君を欺くのと同じ理でございますので、このように地獄に堕ちているのでございます。』。尋ねた。『二心とはどういうことだ。』『骨肉の中でひそかに子女を庇い、奴隸の中でひそかに下女を庇い、親戚の中でひそかに母の一族を庇い、いずれもお知らせなかっただけでございます。今、月朔[36]になるたび、かならず鉄杖三十を受け、いつ逃れられるか知らず、この累々としているものはすべてそれでございます。』。さらに話そうとしましたが、すでに鬼卒に曳かれていってしまっていました。長年の夫婦で、情に絆されましたので、営斎[37]造福[38]してやっているだけです。」。そもそも同牢[39]の礼は、情においてもっとも親しく、親しいものは、疏い者が隔てられるものではない。敵体[40]の義は、分においてはもともと尊いが、尊いものは、卑しいものが逆らえるものではない。そのため二人は心を同じくすれば、家庭の微細な曲折を、男子は知れず、知ってはいるが専断できない者とともになって、その欠点を弥縫するに足りるのである。もしその私愛[41]に従い、意思に偏りがあれば、謀略は百出し、耳目の及ばないところでは、あらゆる悪事をすることもできる。さまざまな釁端、さまざまな堕落は、すべてここから起こり、関わりは大きく、その罪はもとより軽くすることはできない。まして信じることはいたってく、托することはいたって重いのに、その気づかないことを侮り、したいことをするのは、朋友においてもなお裏切りに属し、神罰に触れるのが当然である。人はもともと一律だが[42]、身分が三綱に属している者ならば、その裏切りの罪は、さらに[43]加えるではないか。尋常の細かいことを、厳刑で断ずるのは、深文[44]と言えない。

  
  人情の狡猾さでは、京師に勝るところはない。わたしはかつて羅小華[45]の墨十六鋌を買ったが、漆匣は黒くぼろぼろで、本当に旧い物であった。試してみると、泥を捏ねて黒い色で染め、その上の白い霜も、湿った場所で覆って生じたものであった。また丁卯[46]の郷試のとき、拙寓で蝋燭を買ったが、焚いても燃えなかった。それは泥の(したじ)に羊の脂を被せたものであった。また燈下に炉鴨[47]を売る声がしたので、従兄の万周が買ったが、その肉はすべて食らわれていた。骨はすべて残されており、中には泥を塗り、外には紙を貼り、炙って炒めた色に染め、油を塗ってあり、両の(みずかき)と頭、頚だけが本物であった。またしもべの趙平は二千銭で皮靴を買い、たいへん得意になっていた。ある日、驟雨があったので、穿いて出たが、裸足で帰ってきた。そもそも(くつ)は黒くて光沢のある高麗紙[48]を揉んで皺を作り、底は糊で貼った襤褸綿を布で縁どったものであった[49]。その他の偽りにこのようなものは多かったが、それでも小さな物であった。ある選人は、向かいの若い女がたいへん端麗であるのを見たので、尋ねると、その夫が遊幕[50]し、京師に寄寓しているので、母と同居しているというのであった。数か月後、たちまち白い紙を門に貼り、家中が号哭していたが、それはかれの夫の訃報が来ていたのであった。位牌を設けて祭り、経を誦えて追善し、弔う者も結構いた。その後、だんだん衣物を売り、食が乏しいので結婚を相談しようとしていると言った。選人はそこでかれの家に入り婿した。さらに数か月すると、にわかにかれの夫が生還し、はじめて誤って凶報が伝わったことを知った。夫はたいへん怒り、お上に訴えようとした。母と娘は哀れみ嘆き、その嚢篋をすべて留め、選人を追い出した。半年後、選人が巡城御史[51]の処にいたとき、この妻が取り調べを受けているのを見た。先に帰ってきたものは妻の愛人で、共謀して選人を脅して財を取り、後に夫が本当に帰ってきて事敗れたのであった。黎丘の技は、出るほどに巧みではないか[52]。さらに西城に邸宅があり、約四五十間、一月の賃料は二十余両であった。男が住むこと半年あまり、つねに期日に先立って家賃を納めていたので、訪ねていったことがなかった。ある日、たちまち門を閉ざして去り、主人に告げなかった。主人が見にゆけば、瓦礫が散乱し、一寸の椽もなく、前後の通りに臨む建物があるばかりあった。そもそも邸宅の前後に門があったが、住んでいたものは裏門に材木屋を設け、屋材を販売し、ひそかに邸内の梁柱門窓を壊し、雑ぜて売っていたのであった。それぞれ別の巷にいたので、人は気づけなかったのであった。棟を重ね、甍を連ねていたので、運搬の痕跡がなく、もっとも神技であった[53]。しかしこれら五六の事は、あるいは安値を取り、あるいは有利を取り、貪欲ゆえに囮に罹ったものなので、その咎もすべては他人にない。銭文敏公[54]は言った。「京師の人と関わりを持つときは、用心してみずからを守り、陥阱に落ちなければそれだけで幸いだ。ややうまいことがあっても、かならずからくりが隠されており、神奸巨蠹[55]は、百怪千奇、どうしてうまいことがわたしたちに訪れよう。」。その言葉は真実である。

  
  王青士[56]が言った。弟でありながら兄の財産を奪うことを企む者がおり、代言人を密室に招き、燈を点けて相談した。代言人は謀略を設けてやったが、すべて周到で、反間内応の術も、すべて微に入っていた。謀りごとが決まると、代言人は鬚を扱いて言った。「おにいさまが虎豹のように猛々しくても、鉄の網から出るのは難しいでしょう。しかしなにでわたしにお礼してくださいますか。」。弟は感謝した。「あなたとは親友で、情は骨肉と同じですから、どうして大徳を忘れようとしましょう。」。時に二人は向かいあって方几[57]に拠っていたが、たちまち(つくえ)の下から一人の男がにわかに出てき、部屋を巡り、片足を上げて跳びまわった。眼光は炬のよう、長い毛は毵毵[58]としてのようであり、代言人を指して言った。「先生、お考えください。このかたは先生を見ること骨肉のようにしていますが、先生は危ういのではございませぬか。」。笑ったり舞ったりし、簷に跳び上がって去った。二人と側に侍する童子はともに驚いて倒れた。家人は気配に異変があるのに気づき、呼び入れて見ると、すでに昏倒して人事不省となっていた。薬を飲ませて夜半になると、童子は先に蘇り、つぶさに見聞きしたことを述べた。二人は暁になると動けるようになった。秘密はすでに漏れ、人の噂は藉藉としていたので、その謀りごとをやめ、門を閉ざして出ないこと数ヶ月であった。言い伝えでは、ある妓女に親しんでいた者がおり、たいへん愛していた。しかし落籍してやろうとすれば、拒んで従わなかった。別宅にひとり住まわせ、待遇は正妻のようにすると約束したが、ますますつとめた拒んだ。怪しんでそのわけを質すと、喟然として言った。「結髪[59]を棄ててわたしをお隠しになると仰いますが、これがどうして一生を託せるかたでございましょうか。」。この幽鬼の言葉と、見解はほぼ同じであるといえる。

  
  張夫人は、亡き祖母の妹で、亡き叔父の外姑[60]であった。病が革まった時、侍者を顧みて言った。「だめだ。聞けば死にそうな者は先に亡くなったものを見るそうだが[61]、今それを見た。」。すぐに病床を振り向くと、捜しているものがいるかのようであったが、喟然として言った。「間違えた。」。にわかにまた枕を打って言った。「大間違いだった。」。にわかにまた目を閉じ、歯を咬み、掌を抓った痕があり、言った。「本当に大間違いだった。」。うわごとかと疑い、尋ねようとしなかった。しばらくすると、娘や嫁を榻の前にすべて呼び、告げた。「わたしは以前、夫の一族は疏くて母の一族は親しいと思っていたが、今きて導いた者は、いずれも夫の一族で、母の一族ではなかった。わたしは以前、嫁は疏くて娘は親しいと思っていたが、今、亡くなった嫁が左右にいるのに、亡くなった娘は見えなかった。『気を同じうするものは関わりがあり、派を異にするものは関わりがない』のではないのか。平日の心がけを思い返せば、『薄いものに厚くし、厚いものを薄んじ』ていたのではないか[62]。わたしは一たび誤ったが、あなたたちは二度と誤るな。」。これは三叔母張太宜人[63]がみずから聞いたことであった。婦女は私情に偏り、死ぬまで悟らない者が多いが、このものはそれでも大智慧の人だったので、回心猛省できたのである。

  
  孔子が「諌言には五つあるが、わたしは諷に従う。[64]」というのは、聖人が情理を究めているのである。親戚の、ある女は、子がいなかったのでひそかにその庶子を嫉み、おいや婿もまたあれこれ悪事を仲立ちし、徒党は牢固で、ほとんど理によって諭せなかった。妻には老いた乳母がおり、年は八十余であった。聞くと、匍匐して面会を請い、一拝すると、かならず痛哭して言った。「老いぼれは三日食らっておりません。」。女は尋ねた。「どうしておいごさんに頼らないのです。」「老いぼれに貯蓄がございました時、おいはわたしにつかえること母につかえるかのようにし、わたしを誘導して財産を尽くさせました。今は知らないかのようにし、一盂のご飯も求められません。」。さらに尋ねた。「どうしてお婿さんに頼らないのです。」「婿は財産に関して、おいのようにわたしを誘導し、わたしの財産が尽きた後、やはりわたしのおいのようにわたしを棄て、わたしの娘もどうしようもありませんでした。」。さらに尋ねた。「もっとも近い親戚が負きましたのに、どうして訴えないのです。」「訴えましたが、お上は、わたしがすでに嫁いだのだから、実家にとっては家が異なっていることになるし、娘はすでに嫁いだのだから、やはりわたしと家が異なっている、かれが養ってくれるのは格外[65]の情で、かれが養ってくれないのは、律に罪がないので、正せないとしました。」。さらに尋ねた。「おまえは将来どうする。」「亡夫は昔某官に従って外におり、妻を娶り、一子を生み、今は成長しています。わたしがおいと婿を訴えました時、お上は、子がいるのなら、かれは嫡母を養うべきであり、養わなければ律によって重く誅するべきであるとしました。すでに牒を移し、捕らえることにしましたが[66]、いつ来るかが分からぬだけでございます。」。女は茫然自失のありさまであった。それから、することはだんだんと改まった。親戚族党が、口を酸っぱくしても争えなかった者を、この嫗は数句で改心させたのであった。現身説法[67]し、語る者には罪がなく、聞く者は戒めるに足りるだけである。触龍[68]は趙太后に、この術を用いている。

最終更新日:2012728

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[1]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1231240.htm&sa=U&ei=CDQ1TcSAPZT0cYSG2NkL&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNEjC-ZzzZ6xYpDpCWMPTpaKaCWNFw

[2]乾隆二年。千七百三十七年。

[3]http://www.google.com/url?q=http://www.hudong.com/wiki/%25E6%258C%2582%25E7%2582%2589%25E9%25B8%25AD&sa=U&ei=kzQ1Tb-7D9TzcbTLzLwH&ved=0CBIQFjAB&usg=AFQjCNHco2-l6lOiHWmYMb0ZelR2b0Tyog

http://www.google.com/images?q=%E7%88%90%E9%B4%A8&hl=zh-cn&lr=&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi

[4]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/679153.htm&sa=U&ei=DgAMTf-VOI3yvwOXsfGUDg&ved=0CA8QFjAA&usg=AFQjCNHVbe_L81I2u-rJPJbOa1LYTGYJ6g

[5]原文「底則糊黏敗絮之以布。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[6]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6ZdicB8ZdicB8139792.htm

[7]http://baike.baidu.com/view/960809.htm

[8]原文「黎丘之技,不愈出愈奇乎」。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cy/ch/ZdicE9ZdicBBZdic8E14611.htm&sa=U&ei=jDg1TYTnC8GPcc6ppOYD&ved=0CBEQFjAB&usg=AFQjCNHs9RDGXXskktzQAabNWNimTeIZsw「黎丘之技」は「黎丘丈人」を騙した鬼の手腕のことで、騙しのテクニックということであろう。

[9]原文「尤神乎技矣。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[10]http://baike.baidu.com/view/181846.htm

[11]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7ZdicA5Zdic9E300365.htm

[12]未詳

[13]未詳だが、四角い机であろう。

[14]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6ZdicAFZdicB564327.htm@A

[15]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/443331.htm&sa=U&ei=ZVE1TYjgA8L4cd2U7ZcL&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNFVcs8JZug9-PtQ2UcWKFb5RcVNKw

[16]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5ZdicA4Zdic96103125.htm&sa=U&ei=fFE1TevBAoOecP_Y-cEK&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNFpRA-cYvMXGO5LgpCSevPA_rwujw

[17]原文「聞將死者見先亡」。典拠未詳。

[18]原文「回思平日之存心、非厚其所薄、薄其所厚乎。」。http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E5%85%B6%E6%89%80%E5%8E%9A%E8%80%85%E8%96%84%EF%BC%8C%E8%80%8C%E5%85%B6%E6%89%80%E8%96%84%E8%80%85%E5%8E%9A

[19]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicA4ZdicAA87805.htm&sa=U&ei=vGY1Ta6-NMS8cZiu1PMH&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEHNcMB4mPktfC7YNnY9cj0K5rnCA

[20]原文「諫有五,吾從其諷。」http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E8%AB%AB%E6%9C%89%E4%BA%94

[21]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6ZdicA0ZdicBC75058.htm

[22]原文「已移牒拘喚」。http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7ZdicA7ZdicBB183056.htm

http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic8BZdic98154361.htm

[23]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE7Zdic8EZdicB0352709.htmA

[24]http://baike.baidu.com/view/314873.htm#3 

[25]巻二十にも出てくる。

[26]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6ZdicA3Zdic90219900.htm

[27]原文「方登壇檄將」。未詳。とりあえずこう

[28]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE8Zdic82ZdicB2155479.htm

[29]http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE7ZdicA6Zdic8F293293.htm@

[30]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE8ZdicA7Zdic9E250416.htmA

[31]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE8Zdic91ZdicAC228947.htm

[32]http://baike.baidu.com/view/214814.htm

[33]http://www.google.com/url?q=http://www.hudong.com/wiki/%25E7%25A4%25BC%25E5%25BF%258F&sa=U&ei=NsIrTe_LFMuecdz6oK0I&ved=0CBYQFjAE&usg=AFQjCNEprVuYr4v3z0-L9V10tx_OJtefxQ

[34]http://www.google.com/search?q=%E5%88%9D%E5%96%AA&hl=zh-CN&source=hp&lr=&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=原文同じ。未詳。死んだばかりのときをいうか。

[35]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE9ZdicAAZdicA879815.htm @

http://www.google.co.jp/images?q=%E9%AA%A8%E6%9C%B5%E3%80%80%E9%87%91%E7%93%9C&hl=ja&lr=&um=1&tab=wi&aq=f&aqi=&aql=&oq= 

[36]http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6Zdic9CZdic88218884.htm@

[37]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE8Zdic90ZdicA5149858.htm&sa=U&ei=SQMkTeehF8KXcci84JUK&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNGk82C-kLZZVB8KtzmRW7tYvFzq2Q

[38]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic80ZdicA040231.htm@

[39]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic90Zdic8C111066.htm

[40]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6Zdic95Zdic8C68435.htm

[41]http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE7ZdicA7Zdic81177966.htm@

[42]原文「則人原一體」。未詳。とりあえずこう

[43]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5Zdic80Zdic8D18045.htm

[44]http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6ZdicB7ZdicB180731.htm@

[45]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1231240.htm&sa=U&ei=CDQ1TcSAPZT0cYSG2NkL&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNEjC-ZzzZ6xYpDpCWMPTpaKaCWNFw

[46]乾隆二年。千七百三十七年。

[47]http://www.google.com/url?q=http://www.hudong.com/wiki/%25E6%258C%2582%25E7%2582%2589%25E9%25B8%25AD&sa=U&ei=kzQ1Tb-7D9TzcbTLzLwH&ved=0CBIQFjAB&usg=AFQjCNHco2-l6lOiHWmYMb0ZelR2b0Tyog

http://www.google.com/images?q=%E7%88%90%E9%B4%A8&hl=zh-cn&lr=&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi

[48]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/679153.htm&sa=U&ei=DgAMTf-VOI3yvwOXsfGUDg&ved=0CA8QFjAA&usg=AFQjCNHVbe_L81I2u-rJPJbOa1LYTGYJ6g

[49]原文「底則糊黏敗絮之以布。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[50]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6ZdicB8ZdicB8139792.htm

[51]http://baike.baidu.com/view/960809.htm

[52]原文「黎丘之技,不愈出愈奇乎」。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cy/ch/ZdicE9ZdicBBZdic8E14611.htm&sa=U&ei=jDg1TYTnC8GPcc6ppOYD&ved=0CBEQFjAB&usg=AFQjCNHs9RDGXXskktzQAabNWNimTeIZsw「黎丘之技」は「黎丘丈人」を騙した鬼の手腕のことで、騙しのテクニックということであろう。

[53]原文「尤神乎技矣。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[54]http://baike.baidu.com/view/181846.htm

[55]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7ZdicA5Zdic9E300365.htm

[56]未詳

[57]未詳だが、四角い机であろう。

[58]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6ZdicAFZdicB564327.htm@A

[59]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/443331.htm&sa=U&ei=ZVE1TYjgA8L4cd2U7ZcL&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNFVcs8JZug9-PtQ2UcWKFb5RcVNKw

[60]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5ZdicA4Zdic96103125.htm&sa=U&ei=fFE1TevBAoOecP_Y-cEK&ved=0CBEQFjAA&usg=AFQjCNFpRA-cYvMXGO5LgpCSevPA_rwujw

[61]原文「聞將死者見先亡」。典拠未詳。

[62]原文「回思平日之存心、非厚其所薄、薄其所厚乎。」。http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E5%85%B6%E6%89%80%E5%8E%9A%E8%80%85%E8%96%84%EF%BC%8C%E8%80%8C%E5%85%B6%E6%89%80%E8%96%84%E8%80%85%E5%8E%9A

[63]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicA4ZdicAA87805.htm&sa=U&ei=vGY1Ta6-NMS8cZiu1PMH&ved=0CA4QFjAA&usg=AFQjCNEHNcMB4mPktfC7YNnY9cj0K5rnCA

[64]原文「諫有五,吾從其諷。」http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E8%AB%AB%E6%9C%89%E4%BA%94

[65]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6ZdicA0ZdicBC75058.htm

[66]原文「已移牒拘喚」。http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE7ZdicA7ZdicBB183056.htm

http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic8BZdic98154361.htm

[67]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE7Zdic8EZdicB0352709.htmA

[68]http://baike.baidu.com/view/314873.htm#3 

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