好酒趙元遇上皇
第一折
(外が孛老に扮し、卜児、搽旦とともに登場)(孛老)髪は銀絲のごとくして両鬢は秋、老いぬれば腰は曲がりて頭を低うす。月は十五を過ぎぬれば光明少なく、人は中年を過ぎぬれば万事休せり。
老いぼれは姓は劉、排行は第二、人々はみな劉二公と呼んでいる。東京の者だ。女房は姓は陳。とりたてて倅などはおらず、この娘がいるばかり、字は月仙という。器量は申し分なく、大変美しいが、人と婚約していなかった。姓は趙、趙元という婿をとったが、のらくらもので、酒を好み、杯を貪り、家事もせず、仕事もせず、毎日ひたすら酒を飲んでいる。娘はとても嫌っている。近頃聞いたところでは、東京の臧府尹さまは、娘を気に入り、娘も一心に嫁ごうとしているとか。趙元がいるがどうしよう。女房よ、娘よ、どのように手を打てばよいだろう。
(卜児)おじいさん、趙元のやつは、毎日ひたすらお酒を飲み、家事をせず、将来どうなりますのやら。
(搽旦)お父さま、あの飲んべえと一緒にいるのは、まっとうなことではございませぬ。わたしの考えですが、今からすぐに大通りの飲み屋に行き、趙元を捜しあてたら、殴りつけ、公然と去り状を求めましょう。くれるときはくれるでしょうが、くれなければ、すぐに府尹さまのお役所に引いてゆき、いずれにしても去り状を求めるのです。離婚すれば、臧府尹さまに嫁ぐことができましょう。お父さまのお考えはいかがでしょうか。
(孛老)その通りだ。われら三人は大通りの飲み屋に趙元を捜しにゆこう。(ともに退場)
(外が店員に扮して登場)商ひし帰りきたれば汗はいまだに消ゆることなし、牀に上るもなほ明日をしぞ思ふなる。なにゆゑぞ家を切り盛りするものの頭がさきに白くなりぬる、日夜思ひて計は万条なればなり[1]。
わたしは店員、この東京に住んでいる。特別な仕事はせず、小さな飲み屋を開いている。南北へ行き来する客商たちは、いつもわたしの店で酒を飲んでいる。今日の早朝、この店を開け、望杆[2]を掲げ、燗鍋を熱くしていると、誰かが来たぞ。
(正末が趙元に扮し、酒気を帯びて登場)わたしは趙元、この東京汴梁の人。この地の劉二公家の婿となっている。女房は字は月仙。わたしは平生、何杯か酒を飲むことを好んでいるのだが、女房とかれの父親は、とてもわたしを嫌っており、何度か殴り、罵って、離婚を求めた。人として世にあるときに、何杯かの酒がなければ、どうして心の愁えを解けよう。今日は用事がないから、大通りの飲み屋へ、何杯かやけ酒を飲みにゆこう。(唱う)
【仙呂】【点絳唇】東に倒れ西に傾き、後へ反りて前を仰ぎて、席を離れつ。酒に狂ひて、酔ひたる魂は家へ行くなり。
【混江龍】こなたにてふと眺むれば、風は青旆[3]を吹き高陽[4]を呼ぶ。糯の美酒を飲めば、玉液と瓊漿にさへ勝るなり。喜ぶは両袖の清風と偃月、一壺の春色は瓶を透して香るなり[5]。花の前にて酒を飲み、月の下にて髯を扱き、蓬頭垢面で、鼓腹謳歌し、茅舍の中、酒甕の辺にて、れろんれろんと唱ふなり。三杯は肚に入りたり[6]。万古になんぢによりて伝へられなん[7]。
(言う)はやくも着いた。店員さん、二百銭の酒を漉し、ゆっくりと温めて飲ませてくれ。
(店員)かしこまりました。ございますとも。ございますとも。お客さま、お掛け下さいまし。(酒を漉す)お客さま、二百銭の酒でございます。
(正末)持ってきて何杯か飲ませてくれ。誰かが来たぞ。
(孛老が卜児、搽旦とともに登場)心が逸れば来る路は遠くして、事は急なれば門を出たり。
娘や、人に尋ねたら、趙元はこちらの飲み屋で飲んでいるそうだから、見てみよう。(見る)
(孛老)趙元どの、結構なことですな。毎日仕事せず、酒を好み、杯を貪り、のらくらし、また飲み屋で酒を飲まれましたな。
(搽旦)趙元どの、まともな仕事をなさらずに、毎日お酒を飲み、仕事せず、酒を恋い、杯を貪ることを、いつやめるのです。ほんとうにひどく迷惑です。
(正末が唱う)
【油葫蘆】酒を恋ひ、杯を貪り、迷惑を掛くと言ひたり[8]、
(孛老)このようにのらくらとして。この馬鹿野郎を打つとしよう。
(正末が唱う)まことに乱暴。
(卜児)おじいさん、この馬鹿者を打ちましょう。
(孛老)女房よ、分かっている。打つのに何を恐れよう。
(正末が唱う)おんみが一窩狼[9]と呼ばるるも宜なるぞかし。
(搽旦)ろくでなし、毎日酒の中で眠り、酒の中に臥し、家に住まわず、わたしをさびしく置き去りにして。お酒を飲んで、どのような良いことがあるのです。
(正末が唱う)君見ずや、桃花が頬に来ざるうち、はやくも乱れて竹葉[10]の尊前[11]に唱へるを。
(搽旦)お父さま、このような奴と一緒で、どのような良いことがありましょう。どのようなまともな話しができましょう。狗の口から象牙は吐き出されぬもの[12]。進み出て、酒を貪り、仕事をしない飲んだくれ、馬鹿者をお打ちなされ。
(孛老)娘よ、おまえの言う通りだ。この馬鹿者を打つとしよう。(打つ)
(正末が唱う)ぐいぐいと髪を掴みて、
(搽旦)お父さま、拳で殴り、脚で蹴り、ぐちゃぐちゃの羊の頭のようにしましょう。
(孛老)のらくらしている畜生を蹴るとしよう。
(正末が唱う)ばしばしと脚で蹴り、
(孛老)拳でこの狗畜生の耳元を打つとしよう[13]。
(正末が唱う)耳元をひたすらに拳で打てり、
(搽旦)あなたが着ているこの服は[14]、わたしが作ったものではないから、引き裂きましょう。
(正末が唱う)悪狠狠とことごとくわが衣裳をぞ引き裂ける。
(卜児)毎日仕事せず、ひたすらお酒を飲むことを、いつやめるのです。
(正末)わたしがお酒を飲むことは、あなたとは関わりはございませぬ。
(搽旦)結構ですね。まだ強弁するのですか。毎日、酔うてはまた醒め、醒めてはまた酔い、街に倒れ、巷に臥しているというのに。今回はぜひともあなたと決着をつけましょう。お父さま、許せませぬ。
(正末が唱う)
【天下楽】今回以外も、婿を殴つて罵れり。何ごとぞ。ぶらぶらとせしこともなかりしに災禍を招けり。
(搽旦)あなたは妄りに箭を射て、不意打ちの槍を突き、細かい針を刺しています[15]。あなたが事件を引き起こせば、役所に告げ、あなたの皮を剥ぎ、脚の節骨をすべてへし折ることでしょう。毎日ひたすら酒を恋い、杯を貪り、わたしを養えないのなら、去り状をください。
(正末が唱う)ともすれば拇印を求めやうとせり。自供書を取らんとしたるか[16]。
(搽旦)この飲んべえの死に損ない、ぴんぴんとしているときに死ぬ男[17]、幾文かのお金があるとお酒を飲んで、わたしが化粧しようとしても、臙脂、白粉も買ってこない。男なのに、仕事せず、ひたすらお酒を飲んでいるなら、あなたは必要ありません。あなたに連れ添ったりはしません。
(正末が唱う)飢寒を忍ぶ田舍の郎をいたく虐ぐ。
(孛老)趙元どの、酒を飲むなと言ったのに、なにゆえにこの二三日、また酒を飲み、家に来なかった。
(正末)お父さま、ここ三日、お酒を飲みましたのは、いささかの人付き合いがありましたため、飲んだのでございます。問題はございませぬ。
(搽旦)嘘を仰い。どんな人付き合いですか。狗がお酒を飲みにこいと言ったのですか。お父さま、信じてはなりませぬ。
(正末)お父さま、話すのをお聴きください。(唱う)
【那吒令】一昨日は瞎王三の棟上げなりき、
(孛老)昨日はどこで酒を飲んだ。
(正末が唱う)昨日は村李胡が羊を比べき[18]、
(孛老)今日はまた酔っているが、どこで酒を飲んだ。
(正末が唱う)今日は酒留屠の誕生日なり[19]。
(搽旦)結構な友達ですね。すべてうだつの上がらない狗油東西です[20]。
(孛老)こいつめ、毎日ひたすら酒を飲み、仕事しないで、どうするつもりだ。
(正末が唱う)もともとは行かんとはせざりしかども、かれらが訪ねきにければ、引かるるにえ耐へざりにき。
(搽旦)家を滅ぼすろくでなし。毎日杯を貪り、酒を恋い、妻を飢え凍えさせ、お酒を飲んでいるばかり。どのような良いことがあるのです。
(正末)酒には良いことがある。
(搽旦)この黄湯はひたすら強弁している。どのような良いことがあるのです。お話しなされ。お話しなされ。
(正末が唱う)
【鵲踏枝】酒あらば親房は集まり、酒あらば賢良は会しなん。
(搽旦)ぺっ。恥知らず。毎日狗畜生どもと一緒になって、誰が善人なのですか。お酒にどんな良いことがあるのです。
(正末が唱う)諺に、酒は愁へを解くものといふを聞かずや[21]。
(卜児)お酒を飲めば、諍いを招き、累はわれわれ一家に及ぶことだろう。
(正末が唱う)酒があれば心は広くなりなんも、酒なき時は腹は熱して腸は慌てん。
(搽旦)酒飲みの驢馬、酒飲みの畜生、酒飲みの狗の骨[22]、いずれは酒で死ぬだろう。ほかの人は飲むときに節度があるが、あなたには見境がない。お父さま、許してはなりませぬ。酒を断たせてくださいまし。
(孛老)その通りだ。趙元どの、こちらへ来られよ。今日すぐに酒を断たれよ。断たなければ、百回の黄桑棒で、打ち殺しますぞ。
(正末)酒を断てと仰るのですね。どんな仕事でもいたしますが、酒だけは断てませぬ。
(搽旦)ぺっ。アル中でもこのようにひどくはない。
(孛老)酒を断とうとしないなら、どのような仕事をする。
(正末)あらゆる仕事はすべてしますが、酒だけは断てませぬ。(唱う)
【寄生草】仲買となり、行商となり、牛を使ひ、豆を作り、田を耕し、灰を塗り、粉を塗り、演技を学び、髪を剃り、和尚とならん。
(搽旦)馬鹿な話はしていられませぬ。酒を断ちなされ。
(正末が唱う)愁へを溶かす甕の香を断たしめやうとしたれども、
(搽旦)断ちなされ。断ちなされ。
(正末)断てぬ。断てぬ。
(唱う)願はくは、仕置場に行き、頚を伸ばさん。
(搽旦)酒を断ってくれるなら、一年だけでも良いのです。
(正末)一年断てというが断てない。一年四つの季節に酒を飲むときに、ことごとく良いことがあるから、酒は断てない。
(孛老)四つの季節になぜ断てぬのか、お話しなされ。
(正末)四つの季節に断てないと申しましたが、
(孛老)話しなされ。春に酒を断つと、どうなるかを。
(正末)春に断たば、(唱う)
【酔中天】春は暖かく群芳は開きたり、
(孛老)夏に断つと、
(正末)夏に断たば、
(唱う)夏は暑く芰と荷は香りたり。
(孛老)秋に断つと、
(正末)秋に断たば、
(唱う)金井に梧桐の敗葉は黄なるなり[23]、
(孛老)冬に断つと、
(正末)冬に断たば、
(唱う)瑞雪が頭上に飛ぶにえやは耐ふべき。
(言う)天に不測の風雨あり、人に旦夕の禍福あり[24]。
(唱う)人の生死は一時のことなるに、金波[25]緑醸[26]をし断たば、つらくむなしく時を過ごさん。
(搽旦)このようにたくさんの巧みな言葉を並べ立てて。とにかく酒が好きなのでございましょう。まさしく死に損ないの馬鹿野郎です。お父さま、お酒を断とうとしないなら、城内に住まわせてはなりませぬ。村に住まわせれば、飲むお酒がないことでしょう。
(孛老)その通りだ。趙元どの、酒を飲めば、いずれわれらに迷惑を掛けるであろう。城内に住まず、今日から村に住んでくだされ。いずれにしても酒を断たれよ。
(搽旦)お酒を断たないなら、ご飯も食べさせず、ぺこぺこに飢えさせましょう。はやく村へ行かれませ。
(正末)村に住めば、飲む酒がないだろうが、ますます断てないことだろう[27]。
(孛老)どうして断てない。
(正末が唱う)
【金盞児】村舍に住まはせて、牧童に伴はしめて、皮袋をば養はせ[28]、村里に住まはせんとす。日々風に吹かれ、日に炙られ、田を耕し、沙三趙四[29]と風霜に耐ふ。百年三万六千たび、ことごとく酔ふことをいかで得べけん。
(言う)お父さま、二つのことがあるため、酒は断てませぬ。
(孛老)いったいどんな二つのことだ。
(正末が唱う)諺に言ふ、野の花は地を穿ち出で、田舎の酒は瓶を透して香りなんとぞ。
(搽旦)お父さま、このように酒を貪り、杯を恋い、仕事をしない乞食男、死に損ないの馬鹿者の、妻になることはできませぬ。このありさまでは、やはり離婚をしようとしないことでしょう。引っぱって、府尹大人にお会いしにゆき、役所で離婚することにしましょう。わたしも争うことにしましょう。その時はほかの人に嫁げましょう。
(孛老)その通りだ。いっしょに役所へ行くとしよう。
(正末がとともに退場)
(浄が臧府尹に扮し、張千を連れて登場)官人は清きこと水のやう、外郎は白きこと麺のやう。水と麺とを一捏ねすれば、一面がどろどろとなる[30]。
わたしはこの地の府尹で、姓は臧、臧府尹という。こちらに一人の女がおり、姓は劉、名は月仙。何度か妻にしようとし、かれもわたしに嫁ごうとする気持ちがあるが、いかんせん、夫がいるのだ。いずれ軽微な罪に問い、命を奪い、女を娶り、妻にして、平生の願いを叶えることにしよう。今日は登庁したが、誰かが訴えにきたぞ。
(孛老、卜児、搽旦が正末を引いて登場)
(孛老)訴え事にございます。訴え事にございます。
(浄が尋ねる)おもてで誰かが訴え事と叫んでいるぞ。張千、連れてきてくれ。
(張千)かしこまりました。(呼び入れる)面を上げよ。
(衆が跪く)
(浄)ご老人、どんな訴え事がある。お話しなされ。
(孛老)大人、憐れと思し召されませ。婿趙元は、仕事せず、妻を飢え凍えさせ、毎日ひたすらお酒を飲んでおりまする。娘は去り状を求めようとしております。
(浄)ご老人、立たれよ。今から裁きをし、去り状を貰ったら、ほかの人に嫁がせてはなりませぬ。
(孛老)大人、憐れと思し召されませ。老いぼれにお味方ください。
(浄)しばし待たれよ。こうするしかない。あいつに公文書を届けさせ、西京河南府へ行かせよう。お上には明文の規定がある[31]。一日期限に遅れれば杖四十、二日期限に遅れれば杖八十、三日遅れれば斬罪だ。あいつは酒を貪る男、行かせれば、命はなかろう。あいつがいなくなってから、あいつの女房を娶れば良かろう。張千よ、六房[32]の下役に尋ねてくれ。今度西京に公文を届けるのは誰だ。
(張千)知事さま、尋ねましたら、この地の趙元が行くことになっております。
(浄)それならば、趙元よ、こちらへ来い。わたしとて、おまえに妻を離縁しろという裁きをするのは難しい[33]。今回は西京河南府へ公文書を届けろ。お上には明文の規定があり、一日遅れれば杖四十、二日遅れれば杖八十、三日遅れれば斬罪だ。今日すぐに行け。
(正末)今回はほかの人が行くことになっており、わたしが行くことにはなっておりませぬ。
(浄)まさにおまえが行くことになっているのだ。
(搽旦)あなたが文書を届けることになっているなら、趙元どの、去り状を下さいまし。あなたが行けば、死んでいようと活きていようと、わたしとは関わりがございませぬ。わたしの眼から離れたほうが、かえってさっぱりいたします。
(正末が躊躇する)(唱う)
【遊四門】麗しき花を富みたる家の郎に与へ、夫婦はともに別れなんとす。目下文書を届けなば戻るは難きことならん。わが一身はかならず亡び、かれらは連れ添ひ、鸞凰[34]にしぞなりぬべき。
(浄)期限に遅れてはならぬ。はやく公文書を届けにゆけ。去り状を書くのなら、はやく与えて、殴られぬようにしろ。
(正末が唱う)
【柳葉児】知事は女房に味方せり[35]。歩みきたれば雪の上に霜を加へぬ[36]。脅かさるれば悠悠[37]とわが魂はたゆたへど、いづこに訴状を呈すべき。書きあたへなば、災殃を免れつべきも、書きあたへずば、いかなることになりぬべき。
(言う)仕方ない。書き与えよう。(唱う)
【賞花時】美貌の妻ゆゑ故郷を離る[38]。無頼なお上は裁きをしたり。かれら三人は心根悪し。夫妻となりて四年以上で、五十たび役所に告げたりき。
(搽旦)去り状をください。あなたが路で車に碾かれようと、馬に踏まれようと、悪人に切り裂かれ、殺されようと、わたしとは関わりはありませぬ。安心して人に嫁いでゆきましょう。
(正末が唱う)
【幺篇】六合の内にておまへのみが良からず、わが七代の先祖の霊を口に任せて貶したり。八下にみだりに訴へ悪しき談合、夫妻とならんと久しく思へり[39]。十たび望むも身は亡びなん[40]。
【賺煞】家を養ふ心は十倍[41]。将来傍の人々に噂せらるることを恐れず[42]。八番家街にて騒げり。七世の先祖に無礼するなかれ[43]。六親が見たとて慚ぢて慌てなん。五更に手を組み考へて、四隣をば驚かせ、社長に訴へやうとせり[44]。三杯で路傍に横たはらんとせり[45]。二十日にて身が亡ぶことはまつたくなかるべし[46]。わが一霊は酒造所を離るることなし。(退場)
(浄)趙元を行かせたが、必ずや殺されることだろう。奥さん、吉日良時を選び、求婚しにきましょう。ほかの人に嫁がれますな。張千よ、馬を引け。ひとまず私宅に戻ってゆこう。(退場)
(孛老)娘や、趙元から去り状を貰ったな。趙元は行けば命はないだろうから、すぐに府尹に嫁いでゆけ。娘や、お金を持っているか。
(搽旦)お父さま、どうなさるおつもりですか。
(孛老)二つの小さな筺を買い、都府門の前へ、筺を担いで、馬糞を拾いにゆくのだよ。(卜児、搽旦とともに退場)
第二折
(ボーイが登場)曲がれる竿に草稕[47]を懸け、緑楊の影に琵琶を弾きたり。高陽公子[48]はむなしく過ぐることなかれ、尋常の酒売る家と異なれり。
わたしは飲み屋、汴京城外の草橋店で、飲み屋を開いている。折しも冬で、紛紛揚揚と大雪が降り、とても寒い。今日の早朝、この飲み屋を開け、ひとまずこの望竿を掲げ、燗鍋を焼き、熱くしていると、誰かがお酒を飲みにきたぞ。
(駕が楚昭輔、石守信を連れ、秀才に扮して登場)建業[49]し興隆するに異謀[50]を起こし、兵書戎策[51]もて戈矛[52]をぞ定めたる。良臣の坐間に輔くることなくば、乾坤の四百州をばいかで得べけん。
朕は宋の太祖皇帝。登基してこのかた、四海は晏然、八方は平穏である。こたびは近臣楚昭輔、石守信を連れ、われら三人で白衣の秀士に扮装し、郊外にお忍びし、趙光普には京師を留守番させている。折しも冬で、紛紛揚揚とこのような大雪が降っている、朕とともに、ゆっくり行こう。
(楚)上様、風雪がまた激しくなってまいりましたから、ひとまずあの飲み屋に行きましょう。一つにはしばらく風雪を避けるため、二つには何杯か田舎酒を飲むためですが、いかがでしょうか。
(駕)それならば、とりあえず飲み屋に入り、風雪を避けるとしよう。(店に入って坐る、楚)ボーイ、二百銭の酒をくれ。
(ボーイ)かしこまりました。三人の秀才さま、お掛け下さい。お酒を漉してまいりましょう。(酒を漉して登場)三人の秀才さま、二百銭の酒でございます。ごゆるりとお飲みください。
(石)酒を持て。趙秀才さま、一杯干して下さいまし。
(駕)お二方がどうぞ。
(楚)趙秀才さま、一杯干して下さいまし。
(駕が飲む)お二方、お掛けになって、一杯お飲みください。
(石)われら二人も一杯飲むといたしましょう。
(駕)われら三人はゆっくりと飲みましょう。誰かが来ました。
(正末が風を受けて登場)わたしは趙元。この地の知事の臧府尹が、無理に女房を娶って妻にし、公文を都へ届けさせるとは思わなかった。一日期限に遅れたら杖四十、二日期限に遅れたら杖八十、三日期限に遅れたら斬罪になる。知らぬ間に半月遅れてしまったから、必ず殺されるであろう。折しも冬、紛紛揚揚と国家祥端[53]が降っている。まことに激しい風と雪だ。(唱う)
【南呂】【一枝花】風を受け、柳絮を迎へ、雪を冒し、梨花を払へり[54]。雪に覆はれ千樹は老いて、風に剪られて万枝は枯れぬ。このやうな風雪の途、雪は迷る天涯の路、風も厳しく、雪も撲ちたり。あたかも杴[55]もて篩ふかのやう。あたかも絮を毟るかのやう。
【梁州第七】韓退之なら藍関の外で駿馬を進めず、孟浩然なら灞陵の橋で驢馬に騎らんとすることなからん[56]。凍ゆればぶるぶると手脚は停まり難きなり。かてて加へて天は寒く、日は短く、曠野は寂し。関山は寂寞として、風雪はこもごも雑はる。全身に単と夾の衣服を着、東風に舞ひ、珍珠は乱れ注ぐなり[57]。頭を挙ぐれば窟を出る頑蛇のやう、肩を縮むれば水に漬かりし老鼠のやう、腰を曲ぐれば人の姿の蝦蛆のやう。いづれの時に帝都に到らん。天地を刮ぎて狂風は吹き、誰もこの苦しみを受けしことなし。三頭の金鞍[58]の桑の老樹に繋がるるを見る、おそらく国戚皇族ならん。
(言う)飲み屋に来たが、入り口に三頭の馬がいたから、人が中にいるのだろう。わたしも入ってゆき、とりあえず風雪を避けるとしよう。(飲み屋に入る)
(駕)お二方、もう一杯お飲みください。
(楚)われら二人はもう一杯飲みましょう。
(正末)とりあえず竃に近づき、火に当たろう。おいしい酒の香りがするぞ。飲み屋よ。
(ボーイ)お客さま、お酒をご所望ですか。
(正末)二百銭の酒を漉してこい。
(ボーイ)お客さま、二百銭の酒でございます。
(正末)酒よ、連日おまえを見ていなかったが、今日またこちらで会おうとは思わなかった、ほんとうにうまいなあ。(唱う)
【牧羊関】酒を見ていそいで拝し、酒を飲みまた言上せり[59]。友なる酒と今日は会ひたり。酒よ、永く逢ふことなしと思へば、こたびふたたび会はんとは思はざりけり。酒のため風雪に遭ひ、酒のため程途を踏めり。酒浸頭はおんみとまた遇ふ。酒どの、恙なかりしや。
(酒を注ぐ)まず澆奠[60]し、一つには皇上の万歳を願い、二つには大臣の安康を願い、三つには風雨が穏和で、天下の黎民が業を楽しむことを願うとしよう。
(駕)民間にこんなに賢い人がいるとは。貌は卑しいが、心は大らか、この人には聖賢の道がある。
(正末が三人を見る)ご機嫌よう。秀才さま。とりあえず三人の秀才さまにつつしんで一杯奉りましょう。
(正末が酒を渡す)
(駕)滅相もございませぬ。滅相もございませぬ。お先にどうぞ。
(正末)秀才さま、一杯干して下さいまし。
(駕が飲む)
(正末)お二方も一杯お飲みくださいまし。
(楚)おんみがどうぞ。
(正末)お二方、この杯を干して下さい。
(二人が飲む)
(駕)おんみが一杯干して下さい。われら三人にどのような取り柄があって、お気遣いいただいたのでございましょう。このお酒をお飲みください。
(正末が唱う)
【隔尾】わたしは驢や馬に従ふ下郎にすぎず、おんみはまさに古を説き文を論ずる士大夫ぞ。天はわたしを人として過ごさしめたまふことなし[61]。わたしは愚鈍な匹夫にて、先王の礼法はえ語らねども、
(駕)この酒を飲まれよ。
(正末が唱う)ごくごく咽喉に呑み込めり。
(駕)何杯かゆっくり飲まれよ。われら三人は酒は十分。われらは先に戻ってゆこう。(立ち上がる)
(ボーイ)この三人の秀才たちは本当にけしからん。酒を飲み、金も払わず、どこへ行く。
(駕)手元にお金がないから、後日払おう。
(ボーイ)酒を飲み、お金を払わないのなら、行かせぬぞ。この三人の愚か者を打つとしよう。(打つ)
(正末が聴く)ほんとうにおかしい。(唱う)
【感皇恩】芳醑をひとりで飲まんとせしときに、叫べるは誰そ。
(ボーイ)三人の貧乏書生め、酒を飲み、どうして金を払わない。
(正末が唱う)くどくどとたえず寒儒と罵れり。
(楚)われら三人はお金を持ってこなかったから、後日払おう。
(ボーイが駕を引き止める)はやく払え。払わないなら、許さぬぞ。
(正末が唱う)たえず推したり突いたりし、ひたすら引いたり掴んだりせり。李太白が、剣を留めて酒を飲み、琴を質にし酒を沽ひしも宜ならん[62]。
(ボーイがまた引き止める)おまえたち三人は、立派な風采をしているのに、酒代を払わないのか。
(正末が唱う)
【採茶歌】一方は衣を引きて、一方は酔ひて模糊、満身の花影に人の扶けを請ふとはもはや言ひ難し[63]。三人の儒人よ恐るることなかれ、おんみらのため酒手を払ひ、青蚨を出さん。
(言う)ボーイ、どうしてかれら三人を引いている。
(ボーイ)二百文銭の酒を飲み、お金を払おうとしないのです。
(正末)かれら三人を放せ。かれらは国家の白衣の卿相[64]。酒代をわたしがかれらにかわって払うのはどうだ。
(ボーイ)かれらにかわってお金を払ってくださるのなら、まあよいでしょう。放しましょう。
(正末が銭を取り、払う)二百文銭だ。
(ボーイが受け取る)
(正末)三人の秀才どの、ご一緒にもう一杯飲みましょう。
(駕)お尋ねしますが、ご姓とお名は。どちらのお方か。どのようなお仕事でこちらに来られた。
(正末が悲しむ)わたしは姓を趙といい、趙元ともうします。(泣く)
(駕)なぜそのように悲しまれます。きっと事情がおありでしょう。ゆっくりとお話しください。お聴きしましょう。
(正末)三人の秀才さまはご存じございますまいが、ゆっくりとお話しするのをお聴きください。わたしは東京の人で、姓は趙、趙元といい、この地の劉二公の家で婿となっておりました。妻は劉月仙、なかなかの美人でしたが、とても性格が悪く、わたしをあれこれ罵って、さんざん嫌っていたのです。舅、姑もとても凶悪で、わたしをいつも殴り、罵っていました。ある日、舅、姑と妻月仙は、この地の知事臧府尹の役所に引いてゆき、無理に去り状を求めました。貪官は家内を娶ろうとしており、ことさらにわたしの命を弄ぼうとし、西京へ公文書を届けるように命じたのです。一日遅れたら杖四十、二日遅れたら杖八十、三日遅れたら斬罪になりますが、知らぬ間に、早くも半月遅れてしまいました。わたしは必ず殺されましょう。そのため泣いているのです。飲み屋で三人の秀才さまに遇えるとは思いませんでした。
(駕)ああ。この人にこんな事情があろうとは思わなかった。趙元どの、わたしも姓を趙といい、あなたも姓を趙とおっしゃる。結義して兄弟となりたいのですが、お考えはいかがでしょうか。
(正末)わたしは驢や馬に付き従っている者、秀才さまと結義しようといたしませぬ。
(駕)あなたの舅、姑がどのように酷いのか、東京の府尹がどのように奥さんを娶ろうとしたのかを、ゆっくりとお話しください。
(正末が唱う)
【紅芍薬】舅姑は心が悪しくして、かてて加へて府尹は愚か。
(駕)奥さまはどのように性格が悪いのですか。
(正末が唱う)美女は夫を煩はすもの、水のやう魚のやうにすることあらめや[65]。顔は良けれど、行ひ悪しく、聞き分けもなく、去り状を求めにき。
(駕)東京府尹は、なぜ奥さんを無理に娶ろうとしたのだ。
(正末が唱う)官の強きを恃みつつわれら夫妻を引き裂けり。まことに牛馬の襟裾[66]なり。
(駕)大きな役所へ訴えにゆこうとなさらず、こっそり泣いて、どうなさる。
(正末が唱う)
【菩薩梁州】鰥寡孤独の者にして、訴ふる人もなければ、怨みを抱けり。
(駕)そのように泣かれても詮無いことです。
(正末が唱う)それゆゑに気に胸は塞がりて、雨の涙は珠のやう。
(駕)趙元どの、お命をお救いしますが、お考えはいかがでしょうか。
(正末)兄じゃ、どのように救ってくださるのでしょうか。
(駕)ご安心を。わたしは都の丞相趙光普と面識がございます。手紙を書こうと思いますが、旅路で紙がございませぬ。楚昭輔どの、袖から霜毫筆を出し、趙元どのの腕を引き、石守信どのは弟を支えてください。あなた[67]の腕に二行の字を書き、花押を書くといたしましょう。趙丞相が見れば、きっと殺されないでしょう。(楚、石二人が正末を支える)
(正末が唱う)一人は霜毫を挙げ、一人は腕を引き、一人はわたしを支へ、二行の文字はわが生天疏なりと言ふ[68]。
(楚)この二行の文字があれば、都に行き、趙丞相に会っても、きっと殺されないでしょう。
(正末が唱う)わたしは無事に故郷に還れば、人は善事を行ふべきなり[69]。二百長銭が命を買ふとは思はざりけり。一枚の天書に勝れり。
(言う)兄じゃから手紙を頂きましたから、都に行き、趙光普丞相に会ったとき、この花押を見てもらえば、きっと命を許されましょう。長の旅路につきましょう。
(駕)ゆっくり行かれよ。腕の花押をかれに見せれば、きっと殺されないでしょう。
(正末)ああ。ああ。(唱う)
【尾声】このたびは横死せん身が恩顧を受くとは思はざりけり。はるかに雲間の雁を指し手紙を寄せて[70]、両脚は停まることなし。この憂へ、この悲しみ、この悩み、この思ひ、いかでかは訴ふべけん。いたく不満に思ひたり。趙光普さま、おんみは権力をば掌る方なれば、風雪を冒す射糧軍[71]の苦しみを受けたるをいかで知るべき。(退場)
(駕)趙元は行ってしまった。民間にあのような賢い人がいようとは思わなかった。都に行き、趙光普に見えたときに、寡人の花押と便りを見れば、きっとあの者を許し、東京府尹に除し、馬を走らせ赴任させることだろう。寡人は西京に着いたら、かならずや趙元の仇を捕らえて怨みに報いることにしよう。何の良くないことがあろうか。二人とも、わたしに従い、ゆっくりとお忍びするのだ。
飲み屋にて事情を尋ね、たまたま会へば平生のことを話せり。趙元はこれより光普を訪ひて、府尹に昇り東京にしぞ坐しぬべき。(ともに退場)
(ボーイ)酒を飲んだお客さまは行ってしまった。もう日が暮れた。店を畳んで、わたしの家に戻ってゆこう。(退場)
第三折
(趙光普が給仕を連れて登場)両朶の肩花は日月を捧げ[72]、一双の袍袖[73]は乾坤を理めたるなり。言ふなかれ、天下は王がすべてを司りたりと[74]、半ばは天子に由りたれど半ばは臣に由れるなり。
それがしは姓は趙、名は光普、字は則平。上様を輔佐し、丞相の位を拝し、太師韓国公の職に到った。建国の功臣である。聖上はいつも夜半にそれがしの邸宅に御幸され、風雪の中に立たれた。わたしは恐懼してお出迎えして、幾重もの茵を地に敷き、炭を焚き、肉を焼いた。わたしの妻が酒を注ぐと、上様は嫂さんと呼んだ。そして江南[75]を下す計略を決定した。大事を決定するたびに、書を読むが、それは『論語』だ。今ではわたしは半部の『論語』で天下を治めると称せられている[76]。雷徳驤[77]がかつてそれがしを謗ったとき、上様は仰った。「鼎や鐺にさえ耳があるのに、おまえは趙普がわが社稷の臣であることを聞いていないか」と[78]。今、上様は楚昭輔、石守信とともにあちこちをお忍びし、わたしを留守番役にしている。今、東京の官吏が、文書を届けに都へ来たが、一日遅れれば杖四十、二日遅れれば杖八十、三日遅れれば斬罪にすることになっている。半月の期限に遅れれば、斬罪にするべきだ。給仕よ、入り口で見張りせよ。人が来たら、わたしに知らせよ。
(給仕)かしこまりました。
(正末が登場)趙元よ、期限に遅れる。急ぐのだ。ひどい大雪だ。(唱う)
【中呂】【粉蝶児】六出花は飛び、碧天に凍雲の退くことなく、双肩を抱きつつ頭を低くす。酔ひたる魂は消えうせて、酒は醒め、四肢は力を失へり。かならずや命は泉の泥となりなん。この災をいかで避くべき。
【酔春風】わたしを葬りさるものは竹葉の甕頭春[79]、花枝の心より愛したる妻。香醪を恋ひたれば永の別れを求めたり。今日になり、悔ゆれども、悔ゆれども、これもまた前世前縁、自業自得のことなれば、天を怨み、地を怨みたり。
(言う)はやくも丞相府の入り口に到着だ。儀門[80]の入り口に来た。見てみよう。(給仕が並んでいるのを見る)
(正末)ほんとうに恐ろしい。(唱う)
【迎仙客】狼虎のやうに従者を並べ、雁翅のやうに公吏を列ぬ。無常はひそかに来たれども人の知るなし[81]。わたしは脱身術をよくすることはなく、翅を生じて飛ぶこともなし。涙は推し集むるにぞ似たる。これこそはみづから首を斬らるる罪を求めたるなれ。
(言う)給仕どの、お取り次ぎを。東京から文書を届けてまいりましたと。
(給仕)こいつは死にたいのか。今になりようやく来るとは。入り口にいろ。取り次ぎにゆこう。(報せる)大人にお知らせします。東京から文書を届けてまいりました。
(光普)大胆なやつだ。通せ。
(給仕)かしこまりました。行け。
(正末が見える)
(光普)おいおまえ、どこから文書を届けてきたのだ。
(正末)大人。東京から遣わされてまいりました。
(光普)当番の下役よ、こいつはどのくらい遅れていて、どのような罪にするべきだ。
(下役)一日遅れれば杖四十、二日遅れれば杖八十、三日遅れれば斬罪になりまする。こいつは半月遅れております。
(光普)それならば、送ってきた文書を受け取ることにしよう。左右のものよ、こいつを推しだし、斬れ。
(給仕)かしこまりました。(正末を捕らえる)
(正末)大人。お兄さまのお手紙を持っております。
(光普)何を持っている。左右のものよ、連れ戻してこい。
(正末)お話しするのをお聴きください。(唱う)
【上小楼】お兄さまの信息があれば、階の前でじつくり説かん。すみやかに[82]、つばらかに、真実を訴へてん。
(光普)話して聴かせよ。真を言うなら、万事何ごともないが、嘘を言ったら、絶対に許さぬぞ。
(正末が唱う)趙元が語りたることに、寸毫の違ひがあらば、命の泉世に帰するを願はん。
(光普)どこで兄上に会った。誰が従っていた。一遍話せ。聴いてみようぞ。
(正末)飲み屋でお遇いいたしました。(唱う)
【幺篇】一行は三人にして、殷勤に一杯を勧めにき。はからずも酒代があらざりしかば、店の主人は大騒ぎせり。
(光普)どのように宥めた。
(正末が唱う)二百銭をば払ひしことに、他意はなければ、兄弟の契りを結びき。
(光普)始めから終わりまで、ゆっくり話せ。
(正末)文書を届けようとして、草橋店の飲み屋に来たとき、三人の秀才がお酒を飲んでいたのです。払うお金がなかったために、店の主人が騒いでお金を求めていたので、わたしが払ってあげました。三人の秀才は、わたしの姓名を尋ねました。わたしが姓は趙だと言うと、かれも姓が趙だと言いました。結義して兄弟になり、かれを拝して兄にしますと、一通の手紙を書いてくれました。かれは大人の兄だと言い、手紙を見せれば、きっと殺されないだろうと言っていました。
(光普)手紙はどこにある。持ってきて見せろ。
(正末が腕を伸ばす)これでございます。旅路で紙がなかったため、腕に書いてございます。
(光普)左右のものよ、扶け起こせ。
(給仕)扶け起こせ。
(光普が見る)左右のものよ、あちらから朝衣を持ってこい。
(給仕)かしこまりました。朝衣でございます。
(光普)扶け起こせ。朝衣を着せ、交椅に坐らせろ。御弟がいらっしゃることを存じていれば、お迎えいたすべきでした。お迎えいたしませんでしたが、お咎めになりませぬよう。
(正末が驚く)ほんとうに驚いた。(唱う)
【十二月】わたしを交椅に坐せしめて、わたしの手脚と体を持てり。地には繍褥をば敷きて、香は金猊より噴けり[83]。大夫に脈はどうかと叫べり[84]。わが病眼を癒すは難し[85]。
(光普)ご無礼つかまつりました。
(正末が唱う)
【堯民歌】悲田院なる土地神が鍾馗を拝し、官庁にゐる判官が牙椎を訪ふを見しことぞなき[86]。神針か法灸のごとくに疾し[87]。あたかも藍採和のやうに舞ひつづけ花を見て戻りきたりぬ[88]。かすかに笑へり、わが皇により、開封を治むる地位を賜ひしことを。
(光普)御弟よ、お聴きください。聖上はおんみを東京府尹にせよとのお達しですから、今すぐに馬を走らせ、赴任なさいませ。同時に文書をお作りなさい[89]。
(正末)東京府尹になれということですが、その役所にはお酒がございましょうか。
(光普)ひたすら酒を飲もうとなさる。今日すぐに長旅につかれませ。
(正末が唱う)
【耍孩児】役人になり判例を読み、五刑の文書を整理することをよくせず。蕭曹[90]の律令を習ふことなく、檔案を下役に分け対応せしめん。酒を飲まずば役所に入ることはなく、睡るを除いて人間をまつたく知るなし[91]。縈繋なく、従者やら下役やらは問題にせず、飲みし後、返礼の宴を設けん。
(光普)今日は文書を持ち、東京の役所に着いたら開かれよ。その時はなるようになりましょう。
(正末が唱う)
【二煞】酒を飲むこと李太白に似、愚鈍なること包待制の如きなり[92]。わたしが底のなき瓶と称せらるるを、天下の人はみな知れり。青雲に路あらばかならず到り、酒を好みて名がなくば誓つて帰らじ[93]。日々醺醺と酒に酔ひ、さまざまな取り調べには関はることなし。百盞の宴に充つる方がよし。
(光普)今日すぐに長旅につき、東京へ赴任してゆかれよ。
(正末が唱う)
【尾声】秋泉[94]の竹葉青も、九醞[95]の荷葉杯も問題にせず[96]。あなたとわたし、滄浪の水を選ぶことなし[97]。路半ばにて風雪飢寒を忍ぶに勝らん。(退場)
(光普)あの人は行ってしまった。あの人が飲み屋で、皇上に遇い、腕に花押を書かれ、兄弟の契りを結び、東京府尹を加えられ、馬を走らせ、赴任するとは思わなかった。聖上がお戻りになれば、あらためて官位を加えることであろう。今日は用事がない。左右のものよ、馬を引け。ひとまず私宅に戻ってゆこう。
聖上は飲み屋にて知己に逢ひ、東京府尹の官職を加へたまひぬ。(退場)
第四折
(外が孛老に扮し、浄が府尹に扮し、搽旦とともに登場)(孛老)月は十五を過ぎぬれば光明少なく、人は中年を過ぎぬれば万事休せん。
老いぼれは劉二公。娘が趙元に去り状を求めた後、この地の臧府尹を婿にした。趙元は都に文書を届けにいったが、一日遅れれば杖四十、二日遅れれば杖八十、三日遅れれば斬罪になるはずだった。ところがあいつが都に着いて、大人に会うと、期限に遅れた罪を、すべて許された。どのような才能があったものやら、大人の御諚を奉り、東京府尹に除せられて、馬を走らせ、赴任してきた。恩があれば恩に報い、仇があれば仇に報いることだろう。二人とも、どのように手を打とう。
(搽旦)役人になったのなら、贈り物を持ってきてくれましょう[98]。
(孛老)臧府尹どの、どう思われる。
(浄)お義父さま、申しあげることはございませぬ。昔、わたしはかれの嫁を奪い、かれを殺そうとしました。今日は府尹になりましたから、わたしは緑豆の皮でおいとまいたしましょう[99]。嫁も返し、殺されにゆきましょう。
(搽旦)役人になったのなら、わたしは夫人[100]でございます。わたしのように貞烈なものは、天下に珍しいものでございましょう。
(浄)これぞまさしく「いづれの家にか賢妻あらん」だ[101]。
(孛老)娘や、かれが来たとき、われら三人は羊を引き、酒を担ぎ、かれを祝い、詫びるとしよう。ひとまず部屋に戻ってゆこう。(ともに退場)
(駕が趙光普、石守信とともに登場)(駕)寡人は趙官家である。寡人は楚昭輔、石守信とともに三人で、白衣の秀士に扮し、あちこちをお忍びした。草橋店に行くと、紛紛揚揚と大雪が降っていたので、店に行き、酒を飲んだ。ところが東京の姓は趙、趙元という者も店に来て、酒を飲んだ。寡人は酔って、二人とともに立ち上がろうとしたところ、店の主人に引き止められた。酒代を求められたが、払えなかった。趙元は寡人のために二百文の長銭を払った。そのわけを尋ねると、その人は言った。舅姑は凶悪で、妻は因業、この地の府尹と私通し、無理に去り状を求め、都に文書を届けさせたと。寡人はその事情を知ると、袖から斑管霜毫の筆を取り出し[102]、趙元の腕に、二行の字を書き、花押を書いた。趙普はそれを見ると、一命を許し、この人を東京府尹にし、馬を走らせ、赴任させた。寡人は帰京したら、ふたたびあの者を召して会おう。すでに楚昭輔を遣わし、かれを召しにゆかせ、また人を遣わし、東京へ行かせ、かれの舅姑と妻とその地の府尹を捕らえさせた。寡人はしっかり裁くとしよう。そろそろやってくるだろう。
(正末が楚昭輔に従って登場)
(楚)趙大人、今日は主上がお呼びですから、急がなければなりませぬ。左右のものよ、儀仗を並べ、きちんと列ねろ。聖上にお目通りしにゆきましょう。
(正末)大人、たいへんお疲れさまでございます。(唱う)
【双調】【新水令】二列の給仕が群がることは必要なし、馬前に酒瓶十担があるにしかめや。この紗の襆頭、紫の襴衫は、白き纏帯、旧き紬衫に及ぶことなし[103]。闊論高談するも叶はず。な思ひそ役人ぶりがでたらめなりと。
(楚)趙大人、今日、主上に見えれば、褒美を厚くせられ、官位を加えられ、さらに東京に入り、府尹になれることでしょう。相公はお考えはいかがでしょうか。
(正末)大人、わたしは行けませぬ。
(楚)なぜ行けませぬ。
(正末が唱う)
【喬牌児】愚かなる言葉なり[104]。水深ければ杖もて探るものぞかし[105]。君王を凡人をもて欺くなかれ[106]。趙元は酒癖悪きなり。
(楚)知事どの、もう着きました。まずはわたしが聖上に会いにゆきましょう。(見える)
(駕)楚昭輔よ、趙元は来たか。
(楚)はい。
(駕)通せ。
(楚)かしこまりました。知事どの、主上がお呼びです。礼儀正しくなさいませ。
(正末)かしこまりました。(見える)
(正末)陛下、万歳、万歳、万万歳。
(駕)趙元どの。寡人をご記憶ですか。草橋店ではたいへんご厚意を承けました。寡人はこたびおんみを召して官位を加え、褒美を賜いますが、お考えはいかがでしょうか。
(正末)陛下、役人にはなれませぬ。
(駕)なぜですか。
(正末が唱う)
【甜水令】臣の心は高官を恋ふこともなく、富貴を求むることもなし。人を欺くことなかれ。この悩みをばいかで忍ばん。
(駕)寡人は邸宅を建て、広間を建ててあげましょう。
(正末が唱う)広間を建て、邸宅を建て、鑾鈴や象嵌も求むることなし[107]。草舍茅庵に住む方がよし。
(言う)陛下、役人にはなりませぬ。
(駕)なぜ役人になりませぬ。
(正末が唱う)
【折桂令】恐るるは鬧垓垓たる虎窟龍潭[108]、そもそも龍に風雲あり、虎に山岩あり[109]。玉殿と金階に、龍は争ひ、虎は闘ひ、奸讒を招きたるなり。朝野で誰かわれに勝らん。本当に蒙昧魯鈍痴愚にして、語語喃喃、崢崢巉巉[110]、宰相王侯とはもはや言ひ難ければ、李四張三の方がよし。
(駕)寡人はおんみを大官にし、老いるまで楽しませようとしているのです。何の良くないことがありましょう。
(正末が唱う)
【七弟兄】微臣はいかで大官に並ぶべき。わたしは苦、渋、酸、渾、淡、清光と滑辣を貪ることを知るのみぞ[111]。民草は虐げ易きもでたらめをせしことはなし[112]。
(駕)寡人がおんみを封じて役人にしようとしているのに、なぜお断りになるのでしょう。きっとお考えがあるのでしょう。
(正末が唱う)
【梅花酒】ああ。微臣はもつとも小胆にして、毎日酔はんとしたるなり。聖上の台鑑なれど、群成すことはなかるべし[113]。明廉按察、伯子公男にもならず[114]。自ら恥ぢたり。官高からば甘んぜず、禄重からば貪りなんを[115]。
(駕)明廉按察にもならないのですね。それならば、どのような官職が良いのでしょう。
(正末が唱う)
【収江南】汴梁城では酒都監にこそなるべけれ[116]。自ら注ぎ、舞ひ、清談し、煩ひや悩みなく、べろべろと語るべし[117]。諍ひの場にわたしは居らじ[118]。玉堂の食はわが甕の甘きに及ばず[119]。
(駕)趙元どの、おんみの仇に会いたいか。
(正末)陛下、もちろん会いとうございます。
(駕)近習よ、東京府尹趙元どのの舅姑及び妻の劉月仙を捕らえてきてくれ。
(楚)かしこまりました。皆の者、行って面を上げよ。(孛老、卜児、搽旦、浄を捕らえ、跪かせる)
(駕)おいおまえたち、罪を認めるか。
(浄)陛下、わたしは罪を認めませぬ。
(駕)どうして無理に良民の妻を娶った。
(浄)滅相もございませぬ。かれらは無理矢理わたしを招き、婿としたのでございます。
(駕)ほんとうにけしからん。
(正末が唱う)
【雁児落】姜太公は顛倒し、魯義姑は心の鑑なり[120]。役所なることを恃んで、拇印を求めたりしかど[121]、おまへは今日は破滅せり。
【得勝令】風月の荷を担ふとは考へざりき[122]。太山を蜻蜓が撼がすとはもはや言ひ難し[123]。おまへはそのかみひどくでたらめなりしかど、こたび刀下に斬られなん。思はず掴み、風雪の中に人を追ひ出す[124]。脅えて顔は藍のやう[125]。去り状を求めしは大胆なりき。
(駕)さあ、さあ、さあ、皆のもの、寡人の裁きを聴け。劉二公は親疏を知らず、婿を追い、別居させた。そなたの妻も因業な心を起こし、凶悪な心は賢愚を弁えなかった。月仙女は心に悪意を抱き、利口であることを誇り、去り状を求めた。期限に遅れて責めに遭い、一命を失うことを心から望んでいた。趙元は苦しんで風雨を辞せず、長く険しい道を避けず、草橋店でにわかに聖上に逢ったのだ[126]。罪人はすこしも赦さぬ。趙元どの、おんみを府尹にし、彩緞、羅綺、真珠を賜う。劉二公夫婦は罪を免れさせるが、趙元と同居してはならない。月仙女は杖百回にする。風教を損なったからだ。臧府尹は淫を貪り、法を蔑したので、律令に従い、配流する。本日は恩と仇とを裁いたから、一斉に万歳を山呼せよ。
題目 丈人丈母狠心腸
司公倚勢要紅妝
正名 雪裏公人大報怨
好酒趙元遇上皇
最終更新日:2007年6月28日
[1]原文「買売帰来汗未消、上床猶自想来朝。為甚当家頭先白、暁夜思量計万条」。「買売帰来汗未消」は商売に勤しむさまをいう、元曲の常套句。『東堂老』、『范張鶏黍』、『趙礼譲肥』、『生金閣』、『黒旋風』、『金鳳釵』などに用例あり。
[2]酒屋であることの標識を下げた竿。商店の標識を「望子」「幌子」などという。図:『北京風俗図譜』。上の一番左が酒屋の幌子。
[3]酒屋であることを示す青い旗。
[5]原文「一壺春色透瓶香」。「春色」は文脈から、まちがいなく酒のことであろう。唐代、酒のことを春といい、後世も沿用された。李白『哭宣城善醸紀叟』「紀叟黄泉裏、還応醸老春」王g注「唐人名酒多帯春字」。
[6]数杯の酒を飲み、楽しい境地に達したことを述べた句であろう。李白『月下独酌』「三杯通大道、一斗合自然」。
[7]原文「由你万古伝揚」。酒飲みの名を万古に留めようと述べた句であると解す。
[8]原文「你道我恋酒貪杯廝定当」。「定当」は未詳。「定害」の意に解す。
[9]原文「可知道你名児喚做一窩狼」。「一窩狼」という綽名の含意は未詳。
[10] 酒のこと。
[11] 樽の前。
[12]原文「狗口裏吐不出象牙」。慣用句。禄でもない人間は良いことは言わないということ。
[13]原文「我耳根拳打這狗弟子孩児」。未詳。とりあえずこう訳す。「弟子」は淫売女のこと。「弟子孩児」は淫売の子ということ。「狗」も罵語。
[14]原文「你穿的這屍皮」。未詳。とりあえずこう訳す。
[15]原文「你個乱箭射的、冷槍戳的、砕針児簽的」。含意未詳。
[16]原文「是不是取招状」。含意未詳。自供書をとるときのように厳しく迫るということか。
[17]原文「跳跳而死的」。未詳。とりあえずこう訳す。いずれにしても相手を罵り、呪った言葉。
[18]原文「昨日是村李胡賽羊」。「李胡」は「鬍を生やした李」ということで固有名詞ではないであろう。「村」は「野卑な」といった意味であろう。「賽羊」は未詳。闘鶏ならぬ闘羊のことか。後世の書物だが『清嘉録』九月・登高に「牽羊」に関する記載がある。「牽羊」は「撲羊」ともいい、二頭の羊を突き合わせ、優劣を競うもの。
[19]原文「今日是酒留屠貴降」。「酒留屠」は人の綽名であろうが未詳。「留屠」は「屠殺人の留」ということか。「酒」は「酒飲みの」ということか。
[20]原文「都是夥不上台盤的狗油東西」。「狗油東西」は未詳。現代北京語では「狗油」とは悪い考えの意だという。許宝華主編『漢語方言大詞典』三千四百九十三頁参照。
[21]原文「豈不聞俗語常言、酒解愁腸」。「酒解愁腸」は出典未詳。
[22]原文「糟驢馬、糟畜生、糟狗骨頭」。「糟」は酒粕のことで、ここでは飲んべえを貶めていう。
[23]原文「金井梧桐敗葉黄」。「金井」は秋の井戸。
[24]原文「天有不測風雨、人有旦夕禍福」。当時の諺。禍福は不測の風雨のように突然訪れるということ。
[25]酒をいう。
[26]緑蟻。緑醽に同じ。酒のこと。
[27]原文「你教我村裏住、須没酒吃、更是断不的」。未詳。とりあえずこう訳す。
[28]原文「養皮袋住村坊」。「皮袋」は人畜の体のこと。ここでは家畜であるとも、趙元自身であるとも解釈できる。
[29]沙家の三男と趙家の四男。ここでは田舎のありふれた人間の例として挙げられている。
[31]原文「上司明有文案」。未詳。とりあえずこう訳す。
[32]地方官庁の部局。吏、戸、礼、兵、刑、工房。中央官庁の六部に相当。
[33]原文「你的妻我也難断你休也」。未詳。とりあえずこう訳す。
[34]鸞、凰ともに霊鳥。ここでは夫婦の喩え。
[35]原文「赤緊的司公廝向」。未詳。とりあえずこう訳す。
[36]原文「走将来雪上加霜」。未詳。とりあえずこう訳す。「雪上加霜」は泣き面に蜂の意。舅や妻に責められた後、知事にも責められることを述べているか。
[37]ここではたゆたうさま。
[38]原文「則為一貌非俗離故郷」。未詳。とりあえずこう訳す。「一貌非俗」が美人の妻劉月仙を指していると解す。
[39]原文「做夫妻久想」。劉月仙が臧府尹と夫妻になろうと企んでいることを述べた句であると解す。
[40]原文「莫要十指望便身亡」。未詳。とりあえずこう訳す。
[41]原文「十倍児養家心」。未詳。とりあえずこう訳す。自分が家族を養おうとする気持ちはとても強いということを述べたものか。
[42]原文「不怕久後旁人講」。他人に後ろ指をさされる心配はないということを述べたものと解す。「久後」の「久」は「九」と同音。
[43]原文「七世親娘休過当」。未詳。とりあえずこう訳す。「過当」は度を過ぎたことをするという意味に解す。
[44]原文「動不動驚四隣告社長」。社長は村落の長。
[45]原文「我待横三杯在路傍」。未詳。とりあえずこう訳す。三杯は数杯ということであろう。李白『月下独酌』「三杯通大道、一斗合自然」。
[46]原文「都無二十日身喪」。未詳。とりあえずこう訳す。
[47]酒屋であることを示す、草を束ねた標識。
[49]事業の基を建設すること。
[50]すぐれた謀。
[51]未詳だが、軍事上の策略であろう。
[52]戈、矛いずれもほこのこと。矛は柄のないほこ。ここでは武器の代表として挙げられている。転じて戦争のこと。
[53]「国家祥端」は雪の異称。
[54]原文「蕩著風把柳絮迎、冒著雪把梨花払」。「柳絮」「梨花」ともに雪の喩え。
[56]原文「假若韓退之藍関外不前駿馬、孟浩然灞陵橋不肯騎驢」。韓愈『左遷至藍関示侄韓湘』「雲横秦嶺家何在、雪擁藍関馬不前」。「孟浩然灞陵橋不肯騎驢」の句の典拠は未詳。
[57]原文「舞東風乱糝珍珠」。「珍珠」は雪の喩え。
[58]金の鞍。それを置いた馬。
[59]原文「飲酒後再取覆」。「取覆」は言上すること。この句、酒に向かってうやうやしく話しかけることを述べたものか。
[60]神に酒を捧げる儀式。
[61]原文「這六点児運人不曽把人做」。未詳。とりあえずこう訳す。「六点児」は天のこと。牙牌で六は「天」といわれるため。
[62]原文「可知道李太白、留剣飲、典琴沽」。典拠がありそうだが未詳。
[63]原文「早難道満身花影倩人扶」。陸亀蒙『和襲美春夕酒醒』「覚後不知明月上、満身花影倩人扶」。
[64]「白衣卿相」いずれ出世するであろう書生のことをこういう。
[65]原文「果然這美女累其夫、他可待似水如魚」。「他可待似水如魚」は反語に解す。
[67]趙元をさす。
[68]原文「道両行字便是我生天疏」。「生天疏」は未詳だが、天に昇るための上申書ということで、ここでは趙元を救済するための、宋の太祖の文章のことであろう。
[69]原文「卻教我無事還郷故、這好事要人做」。自分は善行のお陰で無事に故郷に戻ることができるから、ほかの人も善行をするべきだという趣旨であろう。
[70]原文「遥指雲中雁寄書」。蘇武が匈奴に捕えられたとき雁の足に手紙を付けて故郷に送ったという『漢書』蘇武伝の故事に因む句。
[71]『金史』兵志・兵制「諸路所募射糧軍、五年一籍三十以下、十七以上強壮者、皆刺其(缺)、所以兼充雑役者也」。
[72]原文「両朶肩花フ日月」。「肩花」はまったく未詳。
[73]袍の袖。ここでは袍を着た趙光普の袖、両腕ということであろう。
[74]原文「休言天下王都管」。未詳。とりあえずこう訳す。「王」はここでは皇帝ということであろう。
[75]ここでは五代十国の呉越のこと。
[76]出典未詳。趙普が論語を耽読していた話は『宋史』の趙普伝に見える。『宋史』趙普伝「普少習吏事、寡学術、及為相、太祖常勧以読書。晩年手不釈巻、毎帰私第、闔戸啓篋取書、読之竟日。及次日臨政、処決如流。既薨、家人発篋視之、則論語二十篇也」。
[77]宋の人。『宋史』巻二百七十八などに伝がある。
[78]『佩文韻府』引『涑水記聞』「太祖寵待韓王如左右手。御史中丞雷徳驤劾奏普強市人第宅聚斂財而賄。上怒叱之曰鼎鐺尚有耳。汝不聞趙普吾之社稷臣乎」。
[79]新酒。また酒の名とも。
[80]官衙で、正門の次の門。『江寧府志』建置・官署「其制大門之内為儀門」。
[81]原文「這無常略来人不知」。「無常」は人の命を取りにくる地獄の使者。
[82]原文「怏怏疾疾」。「怏怏」は「快快」の誤字であろう。
[84]原文「喚大夫是甚脈息」。未詳。とりあえずこう訳す。
[85]原文「則我這病眼難醫」。未詳。とりあえずこう訳す。
[86]原文「幾曽見悲田院土地拜鍾馗、判官当庁問牙椎」。「悲田院」は救貧施設。「土地」は土地神:写真。「牙椎」は医者、占い師の類をいう。牙推とも。この句、「悲田院土地」「牙椎」は趙元を、「鍾馗」「判官」は趙光普を喩えているか。
[87]原文「神針法灸那般疾」。未詳。「神針法灸」は霊妙な働きを持つ針灸のことか。
[88]原文「恰便似藍采和舞不迭看花回」。藍采和に関しては『太平広記』巻二十二に伝があり、拍板を持って踏歌していたとあるが、これが「舞不迭」の典拠なのかは未詳。「看花回」の典拠も未詳。
[89]原文「一壁廂便造文書」。未詳。とりあえずこう訳す。
[90]前漢の蕭何と曹参。いずれも名臣として知られる。
[91]原文「除睡人間總不知」。未詳。とりあえずこう訳す。寝ているとき以外も世間とは没交渉だということか。
[92]原文「飲酒如李太白、糊突似包待制」。「包待制」がなぜ「糊突」なのか未詳。包待制は包拯。宋代の名裁判官。
[93]原文「青雲有路終須到、好酒無名誓不帰」。「青雲有路終須到」は自分が必ず出世することを歌ったもの。「好酒無名誓不帰」は「金榜無名誓不帰」のパロディー。「金榜無名誓不帰」は科挙の合格掲示板に名がなければ誓って故郷に帰らないということで、「青雲有路終須到、好酒無名誓不帰」は「元曲の常套句だが、「好酒無名誓不帰」は、自分が酒好きであることで有名にならなければ誓って故郷に戻らないと述べたもの。
[94]秋の泉。酒の喩え。『佩文韻府』引張籍『劉兵曹贈酒』「一瓶顔色似秋泉」。なお、この句は『全唐詩』では「一瓶顔色似甘泉」となっている。
[95]『拾遺記』「晋時事」附南朝梁蕭綺録「張華九醞酒、以三薇漬麹糱…糱用水漬麦三夕而萌芽、平旦鶏鳴而用之、俗人呼為鶏鳴麦。以之醸酒、醇美、久含令人歯動、若大酔、不叫笑揺蕩、令人肝腸消闌、俗人謂為消腸酒」。
[96]原文「問甚麼秋泉竹葉青、九醞荷葉杯」。どんな酒でも無節操に飲むということであろう。
[97]原文「不揀你与我滄浪水」。「滄浪」は川の名。『楚辞』漁父「滄浪之水清兮、可以濯吾纓」の句は有名。この句、まったく未詳だが、澄んだ酒であろうが濁った酒であろうが併せ飲むといった方向ではないか。
[98]原文「他做了官、送人事来与我」。劉月仙は、趙元が役人になったと聴くと、自分が以前趙元を虐げていたことはすっかり忘れ、趙元から恩恵を施されることを望む身勝手な女性として造形されているのであろう。すぐ後ろにも「役人になったのなら、わたしは夫人でございます。わたしのように貞烈なものは、天下に珍しいものでございましょう」という身勝手なせりふがある。
[99]原文「我便緑豆皮児請退」。「緑豆皮児」は歇後語。「緑豆皮児青褪(緑豆の皮の青さが褪せる)」と続く。「青褪」は「請退」と同音で、お暇を請うということ。
[100]命婦の封号。
[101]原文「正是那家有賢妻」。未詳。とりあえずこう訳し、劉月仙を詰った句であると解釈する。「正是」とあるから、「那家有賢妻」は慣用句かとも思われるが、それほど気の利いた句には見えない。
[102]原文「就袖中取出斑管霜毫筆」。「斑管」は斑竹の管。「霜毫」は白い毛。
[103]原文「這紗襆頭直紫襴、怎如白纏帯旧綢衫」。「紗襆頭直紫襴」の「直」は未詳。「襆頭」「紫襴」ともに官吏の衣冠。「紫襴」は紫の襴袍のこと。唐宋では三品以上の官服であった。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』百九十五頁参照。襆頭はかぶりもの。図:『三才図会』。「纏帯」は未詳だが、粗末な帯という方向であろう。「紬衫」の「紬」は粗製の布。「衫」は襴衫。図:『三才図会』無位無冠の者の衣裳。この句、無位無冠であることは役人であることに勝るということを述べたもの。
[104]原文「這言語没掂三」。「没掂三」は思慮がないこと、愚かなこと。知事になれという楚昭輔の言葉を常識がないといったもの。
[105]原文「可知水深把杖児探」。人の才能をよく見極めよ、用心深くせよということを述べたものと解す。
[106]原文「対君王休把平人陥」。自分のような凡人を君主に引き合わせ、役人にさせるのは、君主を欺く所行であると述べた句であろう。
[107]原文「也不索建立庁堂、修蓋宅舎、妝鑾堆嵌」。「妝鑾堆嵌」は未詳。鑾鈴や象嵌で飾り立てるという意味に解す。鑾鈴は天子の車駕につけられる鈴のことだが、ここでは漠然と豪華な装飾の鈴のことであろう。
[108]原文「我怕的是鬧垓垓虎窟龍潭」。「鬧垓垓」は賑やかで騒がしいさま。「虎窟龍潭」いずれも伏魔殿のような官界の喩えであろう。
[109]原文「原来這龍有風雲、虎有山岩」。出典がありそうだが未詳。意味は、龍や虎にはよりどころとするものがあるということであろう。
[110]原文同じ。未詳だが、険悪に争うさまであろう。
[111]原文「我則知苦渋酸渾淡、清光滑辣任迷貪」。「苦、渋、酸、渾、淡」は、いずれも酒の味や状態を形容する言葉であろう。「渾」は濁ったさま。「清光滑辣」も酒の味をあらわす言葉。清冽でうまいこと。「清甘滑辣」とも。
[112]原文「下民易虐何曽濫」。「何曽濫」の主語が未詳。
[113]原文「聖主台鑑、休両両三三」。「台鑑」は思し召し。「両両三三」は人が群を成すこと。聖上の思し召しでも、群臣に連なることはないという趣旨に解す。
[114]原文「也不做明廉共按察、伯子共公男」。「明廉共按察」の「明廉」は未詳。「按察」と対になっているし、すぐ後ろに、宋の太祖のせりふで、「明廉按察にもならないのですね(明廉按察、你又不做)」とあるので、官名の積もりで用いているのであろうが、こうした官職はない。「伯子」「公男」はいうまでもなく五等爵のうちの四つ。「也不做明廉共按察、伯子共公男」の句、趙元が自分は按察使になったり爵位を貰ったりすることはないと述べた句であると解す。按察使は地方の巡察をする官で、唐代からある。
[115]原文「自羞慚、官高後不心甘、禄重也自貪婪」。官禄が高くなればさらに高い官禄を求めたくなるであろう、自分の性格を恥じた句であると解す。
[116]原文「我汴梁城則做酒都監」。「酒都監」は未詳。このような官名はない。ただ、大まかな方向は、自分は酒を管理する役人になりたいということであろう。
[117]原文「無煩無悩口労藍」。「労藍」はろれつの回らないさま。
[118]原文「是非処没俺」。「是非処」は「是非場」とも。どちらが是でどちらが非かを争う場、諍いの場。
[120]原文「姜太公顛倒敢、魯義姑心中鑑」。「姜太公」はいうまでもなく太公望呂尚のこと。魯義姑は『列女伝』に出てくる婦人。春秋時代、魯の国の人。子供と甥を連れて難を逃れるとき、自分の子を棄て、甥を生かした。この句、含意未詳。
[122]原文「卻不道風月担児担」。未詳。とりあえずこう訳す。臧府尹は色恋のために罪に問われるとは思っていなかったであろうと述べた句であると解す。
[123]原文「早難道蜻蜒把太山撼」。含意未詳。
[124]原文「忍不住揪撏、風雪裏将人賺」。主語は劉二公、劉月仙、臧府尹たちであると解す。かれらが趙元に暴行し、風雪の中に追い出したことを述べた句であると解す。
[125]原文「嚇得臉如藍」。主語は臧府尹であると解す。
[126]原文「草橋店忽逢聖主」。自分で自分のことを聖主といっているのはすこしおかしい。