立成湯伊尹耕莘

鄭徳輝撰

楔子

(冲末が東華仙に扮し、仙童を率いて登場)玉闕に光は輝き太玄[1]に満ち、瓊楼に霞は彩なしおのづと幽然。昆侖はあまねく照らす霊虚の境[2]、蓬壺一洞天は格別なるぞかし[3]

貧道は東華帝君[4]。貧道は青華[5]至真の気を得て化生し、木公と号し、瀛海の東、蒼霊の(ふもと)[6]、陽和[7]発生の気を司り、東方を治め、東華木公とも号している。太極が玄妙な働きをなしたとき[8]、東方の溟A[9]の中、大道純精の気を分けられて形を成し、西池[10]の金母[11]とともに二気[12](おさ)め、万物を陶鈞[13]し、群生(ぐんじょう)を養育している。およそ天上天下、三界十方の男子で、得道登仙するものは、すべてわたしが掌管している。天に昇る時は、まず貧道に会い、仙訣を授けられ、大徹大悟した後で、はじめて九天に昇り、心を澄まして元始[14]に見えることができる。貧道は紫府[15]に勤め、三十五司命[16]を率い、霊官を移動させ、真仙を評定している[17]。こたび、上帝さまに謁見したが、下界では大禹の後、孔甲[18]は不仁不道、帝癸[19]の後、諸侯らは多くが反し、暴戻凶悪、残忍で生きものを損なって、禽鳥や走獣が不安となっているために、上帝さまの命により、貧道は文曲星を下降させ、義水[20]有莘[21]に投胎させることになった。後に伊員外に引き取られ、養われ、成人し、伊尹と名のり、成湯[22]を輔佐し、亳邑に建都することになるだろう。仙童よ、文曲星を呼んできてくれ。

(仙童)かしこまりました。文曲星さまはどちらにいらっしゃいます。上仙がお呼びです。

(正末が文曲星に扮して登場)わたしは天界の文曲星。上仙さまがお呼びだが、何事だろうか。行かねばならぬ。はやくも着いた。仙童よ、取り次げ。文曲星が来たとな。

(仙童)かしこまりました。上仙さまにお知らせします。文曲星が参りました。

(東華仙)通せ。

(仙童)かしこまりました。行かれませ。

(正末が見える)上仙さまがわたくしを呼ばれましたは、いかなるご用にございましょう。

(東華仙)文曲星よ、そなたを呼んだはほかでもない。下界では孔甲以来、履癸[23]に至るまで、徳政を修めず、暴戻凶悪であったため、諸侯は多くが反し、禽鳥走獣は不安となり、民生は塗炭の苦しみ。上帝さまの勅命により、おまえを下界に降らせ、義水有莘に投胎させ、桑の樹の(うろ)に隠れさせ、伊員外に引き取らせて養わせ、事業を成させ[24]、伊尹と名づけることにする。成湯を輔佐し、桀を伐ち、民を救い、蒼生の倒懸の苦を除くのだ。ぐずぐずしてはならぬ。今すぐに下界へ行くのだ。

(正末)上帝さまの勅命を受けたからには、ぐずぐずしたりはいたしませぬ。今日すぐに下界へ行きましょう。(唱う)

【仙呂】【賞花時】本日は勅を奉じて聖帝の指図をみづから受けたりき、

(東華仙)人の世に降生し、清朝(せいちょう)[25]を輔佐したてまつり、仕途にあっては良相となれ。

(正末が唱う)塵寰に降生せしめ、将相の人材となさんとす。

(東華仙)今日より紫府の仙班[26]を離れ、長旅に出よ。

(正末が唱う)玉闕と金階を辞したてまつり、この仙壇[27]の世界を離れぬ。

(東華仙)上帝さまはおまえに仙骨を離れさせ、凡胎に拠らせ、人の世で輔弼の臣をさせようとしていらっしゃる。

(正末が唱う)仙骨を出でしめたまへば、わたしは今日より凡胎に拠りにゆきなん。(退場)

(東華仙)文曲星は行ってしまった。貧道は祥雲に駕し、上帝さまにご報告しにゆくことにしよう。

朝廷に立つ賢良は世に出でつべし、桑の樹の(うろ)に送りてとりあへず隠れしむべし。祥雲に駕し天庭にひとり赴き、清詞を呈して玉帝さまにみづから朝せん。(ともに退場)

 

第一折

(外が旦児に扮して子役を抱いて登場)紺髪荊釵[28]の布衣にして、賢淑にして平らかな心を持てり。村里の桑女[29]には余事[30]はなし、働くことを促して織女の機を守りたり[31]

わたしはこの義水村有莘里の人、姓は趙、名は淑女。父母は堂にましまし、今はいずれも年老いている。家にはすこぶる金銭穀物があり、人はわたしの父を長者と呼んでいる。わたしは当年二十歳、父母の厳しい教えのために、閨門を出ていない。わたしは夜に夢を見たが、斗ほどの大きさの一塊の紅い光が、天から(くだ)り、わたしの部屋の前に落ち、部屋に転がり込み、だんだんと小さくなった。わたしはそれを手に捧げ、思わずお腹に呑み込んだ。はっと目覚めれば、まさに南柯の一夢であった。しばらくするとだんだんお腹が大きくなって、十か月が満ち、この抱いている子供を生んだ。両親はこう言った。うちは名の知れた家だ、金持ちの箱入り娘が、(とつ)がないのに、子供を生めば、人々が噂するだろうから、置いておくべきではないと。この子供を抱いて、西荘にある伊員外家の荘園の裏に来た。東を見、西を望んでも、誰もいない。わたしは子供をこの桑の樹の(うろ)に置き、わが家に戻ってゆくとしよう。坊や、おまえは生きるならひとりで生き、死ぬならひとりで死ぬのだよ。

子供の顔はいと優れたるものなれば、光たゆたひ部屋中に清らかな(かをり)を散ぜり。室女[32]が子供を養ふことは難ければ、桑の樹の(うろ)に運んで天に任せん。(退場)

(外が王留に扮して伴哥とともに登場)

(王留)わたしは田舎の農夫だが、北や南の村々をぶらぶら歩く。水飯(みずめし)をあらたに掬って心を鎮め、瓜の切れ端に(みそ)をつける。おい、おい。伴哥よ、老員外さまのご命令だ。四方の五穀を見にゆけとさ。

(伴哥)あい。あい。荘園へ見にゆこう。どこからこのような異香がしてくるのだ。

(王留が嗅ぐ)良い香りだ。良い香りだ。

(伴哥)見ろ。あの枯れた桑の根元に紅い光が満ちている。(見て驚く)王留、どうして桑の樹の(うろ)で一人の子供が哭いているのだ。隠してはならぬ。老員外さまに報せにゆこう。(ともに退場)

(正末が伊員外に扮して李老人とともに登場)(正末)老いぼれは姓は伊、名は致祥、義水有莘の人。若くしてすこぶる経書を読み、隠居して仕えておらず、農業をして暮らしている。長年貯蓄し、たくさんの金銭穀物を持っており、財産はすこぶる豊かだ。また老いぼれが高齢なので、人々はみな老員外と呼んでいる。こちらはわが村の老兄弟の李老人。朝飯はもう済んだから、いっしょに五穀を見にゆきましょう。

(李老人)行きましょう。こちらの槐の下でしばらく坐りましょう。良い五穀です。老いぼれは思うのですが、そのむかし三皇五帝は、乾坤を開き、人民に耕作をさせ、国を富ませて民を養ったのですが、その功徳は小さくはございませぬ。

(正末)ご老人、五帝の時のことならば、おんみはご存じないでしょう。わたしの話をお聴きください。(唱う)

【仙呂】【点絳唇】混元[33]の始めには宇宙は洪荒[34]、二儀[35]四象[36]あり。天は五帝と三皇を(くだ)らせて、壮大な百二の山河[37]を用意せり。

【混江龍】乾坤を開き、人民をして耕作せしめ、綱常を定めたりにき。河源を通せば大禹の功は高くして[38]、庠序を設けて堯王の徳は厚かりき[39]。そのとき堯は一夔[40]を用いて礼楽を起こし、公孫甲子は陰陽を論じたりにき[41]。地理を察して、天象を占ひて、心をば社稷に留め、穹蒼を運営したりき[42]

(李老人)思うに五帝の時、堯帝はどのように天下に注意し、治民に留意したのでしょう。

(正末)ご老人はご存じございますまいが、むかしから聖君は至徳至聖で、ほんとうにありがたいものにございます。(唱う)

【油葫蘆】思へばそのかみ至徳仁明[43]にして万邦を掌り、賢良を用ゐて四方を定めたり。天の道理の常を用ゐて、ひろく五典[44]を施せば偏党(かたより)はなし。心を労し、思ひを尽くし、温譲[45]を行へば、四時は穏やか雨露は(ととの)ひ、八方は(やす)らかにして士庶は(すこ)やか。人心は悦びて天意はともに和やかなれば、万国はみな来りて降れり。

(李老人)老員外どのは書を読む君子で、古今に通じていらっしゃる。仰らなければ、老いぼれはかような大聖大徳がいたとは知りませんでした。

(正末が唱う)

【天下楽】そのとき四野に桑麻と禾稼は(ゆた)かにて、百姓たちは謳歌して天を祭れり。軍はあれども戦なく、民戸は(さか)へ、民心に従ひて税科を減じ、天心に応じ、逸荒[46]を絶ち、まことに天下は聖皇を尊びたりき。

(王留、伴哥が慌てて登場)

(王留)走れや走れ。着いたぞ。老員外さまではないか。(見える)老員外さま、わたくしは伴哥とともに五穀を見にいったのですが、荘園の裏手の桑の樹の(うろ)で、一人の子供が哭いており、異香がし、紅い光は地に満ちておりました。わたしたちは隠そうとせず、わざわざ老員外さまにお知らせしにきたのでございます。

(正末が唱う)

【酔中天】かれらはいづれもいそいそと事情を説きて、言葉を語れば心は慌てり。

(伴哥)老員外さま、小さい赤子が、年を経た桑の樹の(うろ)におります。

(正末が唱う)小さき子供が古樹(ふるき)に隠れたりと言ふ。

(王留)わざわざ老員外さまにお報せしにきたのでございます。嘘ではございません。

(正末が唱う)さらに言ふ、(そらごと)を語るにあらずと。心の中でひそかに思へり、本日は事は天より降れりと。

(伴哥)老員外さまにお報せしないわけにはまいりませぬ。

(正末が唱う)真情をくはしく訴へ、行蔵(おこなひ)をつぶさに言へり。

(言う)その桑の樹はどこにある。

(王留)荘園の裏手にございます。

(正末)さあさあ、おまえは老いぼれに付き添って、その桑の樹の(うろ)を指し示してくれ。わたしは見てみることにしよう。(走る)

(王留)老員外さま、こちらです。

(正末が子役を見る)

(李老人)老員外どの、桑の樹の(うろ)に、どうしてこの子がいるのでしょう。この子はすぐれた姿形をしています。

(正末)確かにそうだ。ほんとうにおかしなことだ。(唱う)

【金盞児】見よ、かれは青滲滲[47]と秀眉は長く、高聳聳と鼻梁は高し。手脚を曲ぐれど意識ははつきり、古樹(ふるき)に姿を潜めつつ村里に在り。生まれつき清奇[48]にて(かんばせ)は雪のやう、(はだへ)は白き霜のやう。などて画閣に住まはしめざる。ことさら桑の樹の(うろ)に隠れたるにや[49]

(言う)小者たちよ、抱き上げてきてくれ。

(王留)かしこまりました。(子役を抱く)良い子だ。哭くな。員外さまのお子となるとは、幸せな。員外さま、わたしはこの子に立つ練習をさせましょう。

(李老人が会う)この子は生まれつき顔形は端正で、骨格は清奇であるから、尋常の人ではないぞ。

(正末)まことに優れた顔立ちです。(唱う)

【酔中天】生まれつき風采は非凡にて、上品な美しき(かほ)。天宮を降されて下界へと墜ちにけるにや。おぼえずわたしは喜べり。

(李老人)この子は生まれつき眉目秀麗でございます。

(正末が唱う)まことに眉目秀麗なれど、など村里の深巷に流落したる。あなたにてわあわあと泣き、両の涙は列を成したり。

(言う)王留、伴哥、きちんと抱いて家に行き、乳母を捜して、しっかりと養えば良いだろう。

(李老人)この子がもしも成長すれば、かならず貴くなりましょう。

(正末が唱う)

【尾声】誠意もてしつかりと思ひやり、気を付けて寄り添ふべきなり。寒暑温凉を見つつ養ひ、乳をもて哺むに、時に従ひ思案すべきなり。あらためて風の寒きを避くる大廈を立てよかし。慌つるなかれ。かれの血気がまさに(さか)んになるときは、細心に賢者を捜して師道を求めよ[50]。勉強し、才は高く、智は広く、文運強く、武運壮んになるときは、王業を支へて忠義を尽くすべし。(老人とともに退場)

(王留)老員外さまは行ってしまった。この子を抱いて乳母に渡しにゆくとしよう。

な笑ひそ田舎の家と、地の中で麻を(ひた)せり[51]。荘園の裏手にて、赤子を拾へり。(ともに退場)

 

第二折

(浄が陶去南に扮し、喬卒子を率いて登場)わたしは元戎[52]、まことに美し。陣を見て鋒を交へて対峙せんとす。昨日は練兵場に行き、軍を点呼し、馬より落ちて足を挫けり。

それがしは姓は陶、名は去南、履癸さまの配下で、軍を率いる元帥の職にある[53]。今、天乙は、履癸の配下で、方伯の職にある。この人は履癸の恩に背き、みずから一部の人馬を率い、われわれと交戦している。思うにおまえは湫窪(いけ)の水、一抓みの微塵であろう[54]。かれ[55]は大したことはなかろう。左右のものよ、副帥入巣を呼んできてくれ。

(卒子)かしこまりました。(呼ぶ)副将軍さま、元帥さまがお呼びです。

(浄が入巣に扮して登場)将軍なれども嘘つきで、敵を臨みて陣に上りて恐るることなし。また好漢に逢ふときは、すぐ跪き報告をせん[56]

それがしは副将の入巣。わたしは文武両道で[57]、酒肉に耽っているものだ[58]。大人はわたしが好漢であるのを見、わたしを引き立てて副帥にした。先日、練兵場で的を射たが、いささか力を込めたため、的にも中たらず、仰向けに馬から落ちた。家で膏薬を貼っていると、元帥さまがお呼びだから、行かねばならぬ。はやくも着いた。兵卒よ、取り次げ。副帥老躱が参りましたと。

(卒子)かしこまりました。(じゃ)。元帥さまにお知らせします。老躱さまがお越しです。

(陶去南)通せ。

(卒子)かしこまりました。行かれませ。

入巣)元帥さま、わたしを呼ばれましたのは、いかなるご用にございましょう。

(陶去南)副将よ、おんみを呼んだはほかでもない。方伯の天乙が、履癸さまに背き、強兵を集め、わたしと交戦しにこようとしている。思えばわたしのもとには人馬などない。履癸さまの命令だ。おんみは九夷[59]の軍を動かし、兵を合わせて、かれらとともに敵を防げ。本日は長旅に出よ。

入巣)親父さま[60]、わたしを行かせるのですね。九夷の人馬を来させて、敵の天乙を防がせれば、わたしが出てゆく必要はございますまい。本日は軍令を受け、配下の人馬を選び、九夷の軍を動かしにゆきましょう。

将を率ゐて兵を駆り、武藝は高く、戦策機謀をかつて学べり。九夷の兵が至りなば方伯は捕へられ、わたしが行くを免れん。(退場)

(陶去南)副帥は行ってしまった。あのものが九夷の兵を来させたら、方伯の天乙と交戦しにゆくことにしよう。

天乙は仇をなす心を起こせば、英雄の陶帥[61]は対峙せんとす。配下の戦上手の将にひとへに頼り、天乙の顔の皮をぞ斬り裂かん。(退場)

(外が方伯天乙に扮し、卒子を率いて登場)代々堅き心もて大唐[62]を立て、民を教へし功徳によりて商[63]を受けたり。簡狄[64]が遺されし卵を呑みて、契[65]が生まれて代を重ねて成湯に至りたるなり。

それがしは天乙、以前は履癸に仕え、官は方伯を拝していた。それがしは先祖は唐虞[66]の大司徒契、民を教えて功があり、商に封ぜられ、子という姓を賜わった。契は昭明を生み、昭明は相土を生み、相土は昌若を生み、昌若は曹圉を生み、曹圉は冥を生み、冥は振を生み、振は微を生み、微は報丁を生み、報丁は報丙を生み、報丙は主壬を生み、主壬は主癸を生み、主癸はわたしを生み、天乙と名づけた。履癸に仕え、方伯となったが、履癸が不道であるために、諸侯は多くが反している。かれは暴戻凶悪で、軍民を虐げており、禽鳥走獣は、そのために不安となった。今かれは理由なく兵を起こして征伐している。それがしはかれに背いて、みずから一部の人馬を率い、英傑を招安し、不道なものを征伐している。今、聞けば義水有莘の野に、姓は伊、名は尹という者がおり、風雲を察し、天時を弁じ、気色を望み、地理を見て、経済[67]の才能、天下を安んずる手腕を持っているとか。それがしはかつて履癸に推薦したが、任用されることはなかった。この人は有莘に帰り、今、有莘の野で耕している。この人を招きにゆこうと思っているが、いかんせんこの事に当たれる人がいない。朝に人を遣わして仲虺を呼びにゆかせたが、かれが来たとき、いっしょに相談するとしよう。そろそろやってくるだろう。

(外が仲虺に扮して登場)健順の時に従ひ国王を佐けまつりて[68]、民を(あはれ)み統治するのは当然のこと。鼎鼐を調和するには仁徳に従ひて、塩梅を燮理するには大綱[69](のつと)れるなり。

わたしは仲虺。官は右丞相の職にある。履癸が不仁無道、暴戻凶悪で、生民を虐げているために、諸侯は多くが反している。こたびはまた兵を起こし、方伯と戦おうとしている。わたしが私邸で、この事を憂えていると、方伯が人を遣わして呼びにきたから、行かねばならぬ。はやくも着いた。兵卒よ、取り次げ。仲虺が来たとな。

(卒子)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。方伯さまにお知らせします、右丞相さまが入り口にいらっしゃいます。

(方伯)お通ししろ。

(卒子)かしこまりました。どうぞ。

(仲虺が会う)大人がわたしを呼ばれましたは、何ごとにございましょう。

(方伯)こたびおんみをお呼びしたのは、履癸が不道で、暴戻凶悪、生霊を虐げているためだ。こたびまた兵を起こしてそれがしと戦おうとしている。それがしは兵を起こそうとしているが、いかんせん軍師がおらぬ。今、義水有莘の野に、姓は伊、名は尹という者がいる。この人は経済の才があり、今有莘の野で耕しているとか。それがしはこの人を招こうとしているが、誰が使いになることができるだろうか。

(仲虺)ほかの人では行けませぬから、汝方に宣命を持たせて、その人を招きにゆかせることにしましょう。

(方伯)それは良い。左右のものよ、入り口で見張りせよ。汝方が来たとき、それがしに報せよ。

(卒子)かしこまりました。

(外が汝方に扮して登場)忠義は懸懸みな袖に隠れ[70]、文雄[71]は浩浩[72]として(そら)に沖せり。民心は安らかにして差科[73]を減じて、聖主は恩を施しておのづから余りあるなり。

わたしは汝方。方伯の天乙さまの配下に仕え、官は上大夫の職を拝している。公館で仕事していると、方伯さまがお呼びだが、何事だろうか。行かねばならぬ。はやくも着いた。左右のものよ取り次げ。汝方が来たとな。

(卒子)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。方伯さまにお知らせします。汝方大夫が来られました。

(方伯)お通ししろ。

(卒子)かしこまりました。どうぞ。(見える)

(汝方)大人がわたしをお呼びになりましたのは、いかなるご用にございましょう。

(方伯)汝大夫よ、おんみを呼んだはほかでもない。履癸は政治を誤り、理由なく兵を起こしているから、それがしは軍を率いて征伐し、民の患えを除こうとしているのだが、いかんせん軍師がいない。今、聞けば義水有莘に、姓は伊、名は尹というものがおり、経済の才、国を安んじる策を持っているとか。おんみにこの人を招きにゆかせようと思うが、どう思う。

(汝方)公子さまのご命に、逆らったりはいたしませぬ。わたしは行きとうございます。

(方伯)行くのなら、紫泥[74]丹詔、玄纁玉帛、束帯朝章を持ち、駟馬高車、傘蓋儀仗を率いて、ただちにかの地に行き、賢士伊尹を招き、暴桀を攻め、すみやかに蒼生の難を救え。

(汝方)つつしんで君命に従いましょう。玄纁[75]丹詔[76]、束帯[77]朝章[78]を持ち、駟馬高車で、ぐずぐずしたりはいたしませぬ。今日はただちに有莘へ伊尹を招きにゆきましょう。

深謀をもて招聘せんとしたまへば行く意思は堅くなりたり、かのひとは有莘の野で(つと)めて田をぞ耕せる。乾坤は多くは感ず天乙の徳、四海はみな聞く伊尹の賢。(退場)

(仲虺)大人。汝方はこのたび、手厚い礼物、朝章と玉帛を持ってゆきました。それに汝方は能文の大儒ですから、有莘に行き、伊尹に会えば、かならずかれを朝廷に招き、ともに輔佐することでしょう。わたくしはすることもございませぬから、私宅に戻ってゆきましょう。

伊尹は忠良大才があり、田野を耕しひさしく埋もれぬ。一朝にして省に入り卿相(おとど)とならば、四海の黎庶(たみ)の災禍を除かん。(退場)

(方伯)仲虺は行ってしまった。人馬を調え、伊尹を迎えよ。することもないから、とりあえず後堂に戻ってゆこう。

夏桀に仁の心はなければ遠征し、人望をまつたく失ひ蒼生を苦しめたるなり。天怒によりて戈甲(いくさ)を起こし、万里の山河に一戦すべけん[79]。(退場)

(正末が伊尹に扮して隠士余章とともに登場)(正末)わたしは姓は伊、名は尹といい、義水有莘の人。以前、方伯がわたしを夏へと推薦したが、夏には用いられなかった。わたしは有莘に帰り、功名を志さず、農業を学び、種を蒔き、耕耘しているが、なかなかに長閑なものだ。

(余章)兄じゃ、思うに兄じゃは経綸済世、立国安邦の策を学んでいらっしゃるのですから、朝廷に列なれば、大いなる才能により、官爵を受け、世に顕れることができ、ほんとうに耕作をして暮らすよりましでしょう。

(正末)弟よ、おまえは仕進することが難しいことを知らない。五帝の世に、賢者を求めて人士を用い、功を立てさせ、国を安んじさせたことを、おまえは知るまい。

(余章)ほんとうに存じませぬ。

(正末)弟よ、わたしが一遍話すのを聴け。(唱う)

【中呂】【粉蝶児】思へばそのかみ摯逝は堯を封じて[80]、よく聖人の道を行ひ、全図を禹は皋陶に任せたり[81]。かれらはいづれも天の心に従ひて、正しき法を行ひて、黎民(たみくさ)を撫教したりき。朝廷に履癸が臨みてこのかたは、糟粕を運び貪暴に任せたり[82]

【酔春風】塗炭に陥りたる庶民(たみ)と、災危(わざはひ)に逢ひたる禽鳥(とり)を憐れめり。徳を修むる天乙に誰か勝らん。ほんたうに少なかるべし、少なかるべし[83]。上は天心に従ひて、外は仁義を施して、内は純孝[84]を存したり。

(余章)兄じゃが役人となれば、堂食[85]を食べ、御酒を飲み、門に画戟を並べ、戸に簪纓を列ね、紫袍を地に垂らし、象簡[86]を胸に当て、この山林で、寂しさに耐えるよりましでしょう。

(正末)弟よ、おまえはわたしの心を知らぬ。(唱う)

【迎仙客】わたしはひたすら農務を習ひ、緑野を耕し、農時[87]に従ひ、鋤刨[88]に務めん。

(余章)そのように仕官しようとなさらないのは、どのようなお考えによるものでしょう。

(正末が唱う)これこそは古き生業、一生拙を養ふことなれ[89]

(余章)それならば、どういたしましょう。

(正末が唱う)煙霞に臥し、緑草に眠るに任せ、醒むるときには濁酒を飲まん。

(余章)兄じゃは間違っていらっしゃいます。こんなことではどうして身を立てることができましょう[90]

(正末が唱う)これこそ伊尹(わたし)の安楽を極めたるなれ。

(汝方が馬に乗り、勅書、礼物を捧げる卒子、儀仗兵を率いて登場)(汝方)わたしは上大夫汝方。方伯の命を奉じて、伊尹を招く。左右のものよ、儀仗を並べよ。

(余章)兄じゃ、見えますか。はるかに塵土が起こる処に、一群の人馬が流星のようにやってきました。何事でございましょう。

(正末が唱う)

【石榴花】ただ見るは、塵の揚がりて日を蔽ひ、荒郊(あれの)に籠むる、

(余章)兄じゃ、人馬が近くに来ました。

(正末が唱う)さらに人馬は喧し。

(余章)目の前に一頭の馬が、とてもいそいで走ってきました。

(正末が唱う)目の前で一頭の駿馬はいたく嘶けり。

(汝方)左右のものよ、儀仗をきちんと並べろ。

(正末が唱う)見れば従者は列なりて、いと英れたり。

(汝方)はやくも着いた。左右のものよ、馬を繋げ。もしや賢士の伊尹どのか。

(正末が唱う)一人の男が馬を下り、幾度も叫べり。

(慌てる)わたしは、わたしは、

(汝方)賢士どの、恐れたまうな。わたしは方伯の命を奉じて、賢士どのをお招きし、朝廷にお入れし、官となっていただくのです。

(正末が唱う)脅えてわたしは(はく)は散じて(こん)は飛びたり。

(汝方)わたしは紫泥の丹詔をお持ちしました。賢士どのにはぐずぐずなさいませぬように。

(正末が唱う)かれは言ひたり、一枚の賢者を招く詔勅を捧げもてりと。

(汝方)拒まれることはございません。すぐに朝廷に臨まれよ。

(正末が唱う)あなたはわたしをすみやかに朝廷に臨ましめんとす。

(汝方)束帯朝章を受けられよ。

(正末が唱う)

【闘鵪鶉】わたしに束帯朝章をしぞ受けしむる。儒冠布襖をいかにせん。

(汝方)さらに駟馬高車がございます。車に乗って朝廷に行けば、官職を加えられましょう。

(正末が唱う)駟馬高車を列ね、天を奉じて爵を与へんとぞしたる[91]。陰陽を燮理して鼎鼐を調へしこともなく、遥かなる辺塞で夷狄(えびす)を退けたることもなかりしかども、草舍茅庵に拝辞して、蘭堂画閣を楽しまん。

(余章)招きに応じて起たれませ。国家が人を用いる時、君臣が慶んで会う時でございます。朝廷に行き、国を安んじ、胸中の才気を施し、主上をお助けなさるなら、こちらで耕作なさるよりましでございましょう。

(汝方)聞けば賢士どのは、風雲気色を知り、地理経綸を見、世を救う才能を抱き、天地を安んじる手腕をお持ちとか。命を奉じて賢士どのをお招きし、天下を安んじていただきましょう。

(正末)わたしにどんな取り柄がございましょう。滅相もございません。滅相もございません。(唱う)

【上小楼】わたしには天を支ふる能力はなく、人を驚かす才調もなし。

(汝方)賢士どのは経済の才能と、俊偉の器量をお持ちですから、将相になれましょう。

(正末が唱う)わたしはよくせず、星斗を弁じ、土を嗅ぎ風を聞き、雲霧を上げ下げすることを[92]

(汝方)賢士どのはすぐに起たれよ。「賢臣は明主に遇ひて(いづ)る」とはまさにこのこと。

(正末が唱う)種を蒔き耕耘し、農業をつとめて習ひ、鋤を入れ、稲を植うるに過ぎざれば[93]

(汝方)丹詔が現にこちらにございます。

(正末が唱う)紫泥の宣勅、一封の丹詔に値せず。

(言う)山野の村夫に、滅相もないことでございます。大人は詔勅を収めて復命なさいまし[94]

(余章)兄じゃ、大人は束帯朝章をお持ちです。兄じゃはどうか衣冠を換えて、王命に逆らわず、行かれませ。

(正末が唱う)

【幺篇】おまへはわたしにいそいで儒士の冠を取らしめ、すぐさま粗布の袍を脱がしむ。

(汝方)左右のものよ、伺候して、儀仗をきちんと並べろ。賢士どの、どうか旅路に登られよ。

(正末が唱う)かれは水罐[95]銀瓶と、傘蓋儀仗を、ぐるりと列ねり。

(汝方)賢士どの、おんみは紫袍と金帯を着け、紅纓[96]の白馬に騎って、ほんとうに威厳がおありだ。

(正末が唱う)あなたは言へり、白き馬、紅き(むながひ)、紫の袍、金の帯とは威を示せりと。

(汝方)賢士どのが官となれば、賢士どのの奥さまはかならず五花官誥[97]を受け、賢徳夫人となりましょう。

(正末)荊布[98](つま)は、

(唱う)いかでかは五花官誥に値せん。

(余章)兄じゃ、宣命がございますから、固辞するべきではございません。

(汝方)賢士どのは才を抱き、徳を抱いていらっしゃいます。今は人が用いられる時。大丈夫(ますらお)は天地の間に生まれたからには、世を救い、民を安んじるもの。君に忠にし、国に報いるのは、男児のすること。田野に埋もれれば、あなたの蓋世の英才が無駄になります。賢士どのは固辞することはございません。「君命で召さるれば、駕を待たずして行くべし[99]」と申しませぬか。固辞なさり続けるのでしたら、それはことさらに君命に逆らうことで、罪せられましょう。

(正末)仕方ございません。本日は大人についてゆきましょう。(唱う)

【耍孩児】見よ、日月を磨き宗廟[100]を起こし、士馬を()り、兵を駆りつつ戦はん。天地をば経綸し、皇朝を定め、社稷を保持して堅からしめん。塩梅を調和して、陰陽を燮理して、天地と風雨を穏やかにせん。な思ひそ、わたしが貪婪狡猾なりと。めでたき天子に頼りなば[101]、かならずや万姓は歌謡すべけん。

(言う)大人、わたしは行きましょう。(唱う)

【尾声】四夷[102]を従へ帝京に朝せしめ、八蛮[103]に聖朝を賀せしめたり。天下はなべて豊年にして、黎民は楽しみて、当今は太平なりとの表を献ぜり[104]。(ともに退場)

(余章)兄じゃは行ってしまった。行けばかならず重用せられることだろう。することもないから、わたしは荘園に戻ってゆこう。

官となる(さだめ)にはなく、志は桑麻[105]にぞある。伊尹は召されたりぬれば、わたしはひとりで家に還らん。(退場)

 

第三折

(浄の陶去南が喬卒子を率いて登場)わたしは元帥、世に罕なるもの。六韜と三略は口より離れず。ちかごろは口下手となりすべてを忘れ、焼酎黄酒を記憶するのみ。

それがしは履癸さまの部下、大元帥の陶去南。今、方伯は兵を起こして戦っており、かれから勝利を得ることは難しい。それがしは副将に命じて九夷の兵を動かしにゆかせたが、どうしただろうか。兵卒よ、帥府の入り口で見張りせよ。軍情をそれがしにすべて報せよ。

(卒子)かしこまりました。

(浄の入巣が登場)区区(わたし)は副将入巣、仕事の時は遥けき路を避くることなし。九夷は兵馬を与へんとせず、わたしが行きしも無駄足なりき。

それがしは入巣。兵を借りるため九夷に行って戻ってきた。元帥さまに会いにゆこう。はやくも着いた。兵卒よ、取り次げ。躱叔[106]が来たとな。

(卒子)躱叔、わたしはあなたを小躱児[107]と呼びましょう。

入巣が打つ)わたしは副帥であるのに、小躱児と呼ぶとはな。

(卒子が報せる)わたしをお打ちになりますな。取り次ぎましょう。(じゃ)。小躱児が参りました。

(陶去南)通せ。

(卒子)躱叔、どうぞ。

入巣が喬に見えて礼拝する)

(陶去南)兵を借りる件はどうなった。

入巣)仰いますな。わたしはあちらに行き、(ことば)を謙らせ、礼を厚くし、かれらの軍団長に頼みましたが、かたくなに兵を貸そうとしませんでした。わたしは腹を立てて戻ってきたのです。元帥さま、思いみますに、わたしたち二人は文武に優れていませぬ。

(陶去南)文武両道であろうが[108]

入巣)ああ、文武両道でございます。九夷は必要ございませぬ。わたしたち二人だけでもかれを捕らえられまする。

(陶去南)おまえの申すことも尤もだ。今日は本部の人馬を選び、おまえは先鋒になり、わたしは殿軍になり、宣戦布告の文書を届けにゆくとしよう。方伯だけを出馬させ、おまえが兵となり[109]、さきに方伯と交戦したら、それがしが救援をしにゆこう。気を付けるのだぞ。

入巣)かしこまりました。大小の三軍よ、わが軍令を聴け。

わたしは副将、真の英傑、敵に臨んで対陣をせばぼんやりとすることなかれ。負くるときには馬を下り、跪きつつかれを方大爺(さま)とぞ呼ばん。(退場)

(陶去南)それがしはぐずぐずとせず、履癸さまの命を奉じて、人馬を率い、副帥を救援しにゆくことにしよう。

わたしの機謀武藝は優れ、英雄の胆略は人に勝れり。方伯の威勢が盛んであるときは、家に行き、門を閉ざさん。(退場)

(方伯が仲虺とともに卒子を率いて登場)(方伯)士馬は紛紛離乱の間、黎民の塗炭はげにこそ見難けれ。幾たびか気を奮ひ残暴を除かんとせり、剣の気は天を衝き牛斗は寒し。

それがしは方伯天乙。履癸が無道であるために、それがしは兵を起こしてかれを征伐しにゆくところだ。仲右丞よ、聞けば履癸は九夷の兵を動かそうとしたのだが、九夷は従おうとしなかったとか。

(仲虺)たとい動かしたとしても、公子さまの洪福がございますから、かれを恐れはいたしませぬ。

(方伯)今、かれと交戦すれば、かならず酷い目に遭わせ、おおいに残暴を除き、天下を平らげ、生民を安んじることであろうが、いかんせん知恵を巡らせ謀略を施す人がいない、すでに汝方を遣わして伊尹を招きにゆかせたが、どうしただろうか。

(仲虺)公子さま、汝方はかならず伊尹を招いてまいりましょう。

(方伯)左右のものよ、入り口で見張りせよ。軍情があれば、わたしに知らせよ。

(卒子)かしこまりました。

(正末が汝方とともに卒子を率いて登場)(正末)わたしは伊尹。方伯公子の命を奉じて、汝方大人が、玄纁玉帛を持ってわたしをお招きになったから、行かねばならぬ。

(汝方)賢士どの、わたしは思うのですが、賢士どのは有莘の野に住み、耕作して暮らし、このような苦しみを受けていました。このたびは招きを受けて役人となられましたが、山間林下にいるよりましではございませぬか。

(正末)役人となることは、まことに楽しいことですが、山林にいるのにも、楽しみがございます。(唱う)

【正宮】【端正好】ふたたびは見じ、青靄靄たる柳の陰の濃かなるを、高聳聳たる山の翠を重ぬるを。耕鋤を楽しみ、耙を引き、犁を支へしことはあれども、このたびは皇宣を受け、官位に昇れり。紫衣を着け身は栄えたり。

(汝方)賢士どの、役人となれば、天子さまの下に立ち、入るときは雕牆峻宇[110]、出るときは大纛高牙[111]、儀仗は二列、銀盆水罐、傘蓋車馬は、ほんとうに厳かですぞ。

(正末が唱う)

【滾繍球】わたしはただ見ん、儀仗の左右に従ひて、公人の前後を囲むを。慢騰騰とゆるやかに駿騎[112]を進め、喜孜孜と鼎を列ねて食らはん。中華を輔佐して社稷を安んじ、乾坤を磨き、日月を輝かすべし。経綸を施して天地を補完し、忠誠を尽くして心は金石のごとくせん。

(汝方)賢士どのをお招きし、朝廷にお入れするのは、容易なことではありませんでした。

(正末が唱う)二本の手により王業を支へ、百二の山河によりて帝基[113]を壮んならしめ、四海に檄を伝ふべし。

(汝方)賢士どの、来られよ。わたしはさきに報せにゆきます。左右のものよ、取り次げ。汝方が伊尹どのを招いてきたと。

(卒子)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。方伯さまにお知らせします。汝大夫さまが伊尹さまを招いてきました。

(方伯)通せ。

(卒子)かしこまりました。行かれませ。(見える)

(汝方)わたしは命を奉じて、伊尹を招いてまいりました。今入り口におりまする。

(方伯)お通ししろ。

(汝方)かしこまりました。賢士どの、どうぞ。

(正末が会う)

(方伯)賢士どのには遠路ご光臨していただきました。今は履癸が不道、暴戻、凶悪で、生霊を虐げており、兵を起こしてもいますので、それがしは討伐しようとしておりますが、いかんせん孤軍に和するものは少のうございます。賢士どのは経済の才を持ち、天の時を知り、地の利を諳んじ、人の和を保たれます[114]。ひさしく隴畝に退いていらっしゃいましたので、わざわざ使者に玄纁玉帛を持たせ、(ことば)を謙らせ、礼を厚くし、お招きしたのでございます。望むらくは賢士どのが神機を巡らせ、妙策を施され、三軍を指揮なさり、乾坤を安定させ、生民の塗炭を解かれることでございます。賢士どのにはご高配を賜りますれば[115]、ほんとうにそれがしの幸いにございます。

(正末)わたしは田野の村夫ですから、国を安んじる策は存じませぬ。(唱う)

【倘秀才】わたしはもとより田野の愚鈍な村夫なり。

(仲虺)賢士どのをお招きし、公子さまを助けていただきまたいのです。賢士どのはとりあえず八府[116]に臨まれ、三台[117]の仕事をなさり、柱石の臣となられませ。

(正末が唱う)いかでかは相府にて賢良な宰職となり得べき。

(方伯)賢士どのほどの才徳がおありなら、国家の柱石になれましょう。

(正末が唱う)わたしを地に立ち天を支ふる大いなる柱石と言ふ。

(汝方)賢士どのが古今に抜きん出、知恵が優れていらっしゃるため、特別に象簡紫衣を賜わったのです。賢士どのには忠誠を尽くして輔弼なさいますよう。

(正末が唱う)白象簡と紫羅衣もて、

(方伯)ひとえにおんみの高才により、国を安んじていただきましょう。

(正末が唱う)わたしが国を安んずることを求めり。

(汝方)賢士どの、今、兵を起こそうとしておりますが、兵家の為すべきことを存じませぬ。賢士どのは神鬼も測り得ぬ機略を施し、一旅の兵を起こし、公子を輔佐し、大事を成されよ。

(正末)わたしは犁を支える叟で、兵家のことを存じませぬ。

(仲虺)賢士どのほどのお知恵があれば、夏の桀などは手強いことはございますまい。

(正末が唱う)

【滾繍球】山林の景色の奇なるを楽しみて、桑麻と禾稼の畦に向かひたるに過ぎず。

(方伯)ご謙遜なさいますな。かねてから賢士どのの才能、胸に妙策を抱き、腹に神機を隠していらっしゃることは存じております。

(正末が唱う)あなたはわたしに軍卒を率ゐしめ謀略を巡らしめんとす。

(方伯)賢士どの、用いられれば、大才を施すべきでございます。

(正末が唱う)あなたはわたしに乾坤を定めしめ、兵機をば施さしめんとしたまへり。

(方伯)わたしのもとには軍兵百万がおり、陣を布き、槍の林に剣の(ほら)、鉄桶のようですが、はかりごとを巡らす人がおりませぬ。ひとえに賢士どのが頼りです。

(正末が唱う)あなたは言へり、きつちりと陣を布き、きらきらと剣戟を列ね、がやがやと軍隊をびつしり並べ、穹蒼を覆はんばかりに旌旗(はた)を帯べりと[118]

(仲虺)賢士どの、かれらの軍勢は少なくなく、謀略を定め、施す将帥もございます。

(正末が唱う)よしかれが坐しつつ千の計略を設くとも、いかでかは聞かざらん、閫外の将軍の八面の威と、智勇に及ぶものなきを。

(方伯)それがしは孤陋寡聞でございます。今、敵と対陣しておりますが、どのように兵を並べて陣を布き、寨を築いて陣を布けば、かならず勝利を得ることができましょう。賢士どのはその一二を挙げて、蒙を啓いてくださりませ。

(正末)兵を動かすことの大略ですが、将たる者は智は万物に通暁し、勇は三軍に冠絶し、辺地に坐し、守りはかならず固くして、軍を進めて陣を布き[119]、戦ってかならず勝たねばなりませぬ。これが将たるものの大略でございます。(唱う)

【呆骨朶】垓心(いくさば)に戦ひて征騎を駆れば、喊声は高くして戈甲はきちんと並びたり。

(方伯)どのように寨を築いて陣を布き、兵を並べて陣を布くのか、賢士どのにはかならずや奇正[120]の方略がございましょう。

(正末が唱う)あなたのために八方に兵を列ねて、四壁には軍を分くべし。地勢に従ひ軍を並べて、方位を見、形勢を定むべきなり。これは兵士を動かして陣地を築く謀、敵に臨みて攻戦の機をさきに知るなり。

(方伯)賢士どのが仰らなければ、それがしは知ることはできませんでした。明日になったら三軍を選び、かれと交戦しにゆきましょう。

(正末が唱う)

【脱布衫】強兵を率ゐて対峙し、貔虎[121]を駆りて、鼓を裂きて旗を奪へり。悪狠狠と武威を顕はし、気昂昂と威勢を奮へり。

(方伯)さらに兵を動かす妙策があれば、賢士どの、もう一遍話してくだされ。

(正末が唱う)

【小梁州】陣は八門を列ね生はもっとも奇なるなり[122]。将たるものは知るべきぞ。軍卒が飯せざるとき将帥はな食らひそ。これにより、軍卒は従ひて、甘苦をともにすべきなり。

【幺篇】怒りても責めを加へず好みても狎れあふことなし[123]、兵士に衣のなきときは将軍は重衣[124]を与へよ。こは兵を(あはれ)む功徳、心を鎮むる計略ぞ。この義を悟ることを得ば、万衆はみな帰順せん。

(方伯)明日になりましたら、それがしは賢士どのといっしょにみずから戦陣に臨み、交戦し、大夏を討伐いたしましょう。

(正末)公子さまにはこのような大徳がございますから、将兵は力を尽くし、わたくしはささやかな知恵をお出ししましょう。陣に臨めばおのずと奇策がございますから、敵は大したことはできないことでしょう。

(汝方)行けばかならず功績を成すことでしょう。ひとえに賢士どのの能力が頼りです。

(正末)ご安心なさいまし。(唱う)

【尾声】明日になりなば陣を布き、寨を築き、才智を施し、陣を布き、兵を並べて、武威を示さん。骨剌剌[125]と繍旗を列ね、鬧垓垓[126]と軍馬は嘶く。命を懸けて悪戦し、戦乱(いくさ)を鎮め、危険を除き、夏畿[127]を攻むべし。輔佐をして堅き心で帝基を立てて、肱股忠良四海は知るべし。龍と虎とは風と雲とに際会し、一統乾坤万万里をぞ平定すべき。(退場)

(方伯)賢士どのは行ってしまった。

(汝方)あの人は行ったからすこし休もう[128]

(方伯)人馬はすでに選んだ。左右のものよ、費昌を呼んできてくれ。

(卒子)かしこまりました。(呼ぶ)費昌どのはいずこにおわす。

(外が費昌に扮して登場)胆気は沖沖[129]智は余りあり。人に勝れる驍勇を誰かは知らめ。文武は雄壮、攻守をよくし、戦乱(いくさ)を鎮め、危険を除くが大丈夫(ますらを)ぞ。

それがしは費昌、公子配下の都護将軍だ。こたびは大夏の失政のために兵を起こして、公子さまとともに敵を防いでいる。公子さまは汝方を遣わし、玉帛を用いて伊尹を招いてこられた。帥府の戟門[130]で命令を待っていると、公子さまがお呼びだから、行かねばならぬ。はやくも着いた。兵卒よ、取り次げ。費昌が来たと。

(卒子)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。方伯さまにお知らせします。費将軍がいらっしゃいました。

(方伯)通せ。

(卒子)かしこまりました。行かれませ。

(費昌が会う)公子さまがわたしを呼ばれましたのは、いかなるご用にございましょう。

(方伯)費昌よ、今、夏国は兵を起こし、それがしと戦闘している。おまえは大兵を率いて進み、敵を防げ。それがしは新たに賢士伊尹を招いてきた。陣頭で指揮に従え。大夏を攻め、履癸を伐ち、ぐずぐずするな。細心にして勇を奮い、功を成し、ぐずぐずするな。

(費昌)かしこまりました。大勢の人馬を率い、伊尹どのと敵を防ぎにゆきましょう。

袍は猩紅[131]もて染めて錦花[132]を綴り、剣は秋水[133]をば含み寒匣[134]を出づ。槍と刀は日に輝きて金光は射し、旗の影は翩翻として彩霞に映えり。昂昂と勇烈はたがひに争ひ、凛凛たる威風はともに戦へり。明くる日に両陣が交はらば、かならずや賊子を黄沙に喪びしむべし。(退場)

(方伯)費昌は大兵を率いていった。それがしは軍師伊尹とともに三軍を率いて救援しにゆこう。

大徳と高才は古今を通じ、知謀を施し鬼神は(つつし)む。不道を除き殷室[135]を起こし、蒼生(たみくさ)の失望の心を鎮めん。(退場)

(仲虺)汝方どの、さきほど伊尹どのに会ったが、大才があったから、このたびはかならずや勝利を得、暴乱を平定なさることであろう。することもないから、わたしはひとまず私宅へ戻ってゆくとしよう。

(汝方)右丞どの、いっしょに戻ってゆきましょう。

(仲虺)履癸は(こころ)が強暴なるため、荒淫にして益体もなく刀と槍を動かせり。天は賢者を遣はして無道を誅し、ことさらに民庶(たみくさ)に平安を得しめたまへり。(ともに退場)

 

楔子

(浄の入巣が馬に乗り、喬卒を率いて登場)椀の(かぶと)を戴きて、匙の(よろひ)を纏ふなり[136]。かれらはつまらぬ負けん気で、わたしを戦に行かせたり。

それがしは副帥老躱。人馬を率いて方伯を征伐しようとしているが、さきに五千の遊兵を率いて戦を起こし、為す術もないときは形勢を見て、うまくいったら逃げるのが上策だ[137]。大小の三軍よ、陣を布け。今、両陣は対峙しているから、みな用心せよ。袖にいささかの石を入れ、陣頭に行ったら槍刀を棄て、石で打つのだ。そろそろ敵兵が来るだろう。

(費昌が卒子を率い、馬に乗って登場)それがしは大将費昌。公子さまの命を奉じ、それがしは人馬を率い、大きな陣を列ね、敵兵と交戦している。大小の三軍よ、わたしについてきて、まっすぐかれらの陣門に走ってゆけ。

入巣)来たのは誰だ。

(費昌)それがしは大将費昌、おまえの父だ。

入巣が応じる)何だと[138]

(費昌)無礼な奴だ。おまえは誰だ。

入巣)それがしは履癸配下の副将の入巣。おまえは夏国を棄て、方伯に従ったから、わたしはまさに匹夫のおまえを捕らえようとしているのだ。

(費昌)このような大口を叩きおって。太鼓を打て。(戦う)

(浄の陶去南が馬に乗り、卒子を率いて登場)大小の将軍たちよ、一斉に囲み、費昌を逃すな。

(正末が方伯とともに馬に乗り、卒子を率い、旗を振らせて登場)(正末)公子さま、これは奇門陣でございます。大小の三軍よ、進攻し、賊を逃すな。

(陶去南)なぜまた二人が走ってきたのだ。ああ、伊尹だな。おまえは牛飼いの田舎者だから、それがしには敵うまい。

(正末)こいつはまことに無礼だな。(陣を調える)(唱う)

【仙呂】【賞花時】わたしはこなたで武威を揚げ、胆気は(たけ)し。手綱を引き締め、槍を横たへ、豪気は冲せり。

入巣)追いかけてどうするつもりだ。

(費昌が追う)どこへ行く。

(陶去南)まずい。わたしを追って馬蹄を停めない。わたしは殺されてしまうわい。

(正末が唱う)わが方略によりて優れた(いさを)を立つれば、なが軍の猛くして将の強きも役には立たず。

(陶去南)副帥よ、まずいぞ。干戈を倒して逃れるのだ。逃げろや逃げろ。(ともに退場)

(方伯)二人の賊子は大敗し、逃げてしまった。

(正末が唱う)ただ一陣で疆封をしぞ定めたる。(ともに退場)

 

第四折

(外が殿頭官に扮して仲虺、汝方とともに卒子を率いて登場)(殿頭官)陰陽を燮理して聖威を讃へ、天地(あめつち)を経綸し、いと優れたり。身は丹墀へと近づきて勅命(のり)を伝へて、鼎鼐を調和して塩梅を調へたるなり。

わたしは殿頭官。履癸が不道で、生民を虐げていたために、諸侯らは多くが反し、天下は哀しみ怨んでいた。履癸は無名の師[139]を起こし、有道の国に抵抗していた。今、方伯というものがおり、もともとは契の世孫[140]、商家[141]の苗裔であったが、おおいに義兵を起こし、将兵を招安し、有莘の伊尹を招いて軍師にし、大軍で臨んでたちまち敵を下して、履癸を鳴条に放逐した[142]。公子さまは即位され、国を大商と号し、神都(くに)を立て、道理によって民を治め、寛大にして民を従え、四方は帰順し、(とう)の国は大いに治まっている。勅命により、わたしは諸官に官位を加え、褒美を賜わり、封土を与える。一つには国家が忠良を用いるため、二つには大臣の辛苦を労うためだ。人に命じて伊尹どのや公卿たちを呼びにゆかせた。左右の者よ、入り口で見張りせよ。来たときは、わたしに知らせよ。

(正末が費昌とともに登場)(正末)わたしは伊尹。今日は夏の桀に勝利し、公子さまは即位なされた。今から費昌どのとともに、行かねばならぬ。

(費昌)履癸は不仁で、生霊を虐げたため、鳥獣は安らかでなかった。主人は玉帛を用い、(ことば)を謙らせ、礼を厚くし、軍師を招いてこちらに来させた。軍師は計を用い、夏を伐ち、民を救ったが、その功は小さくはない。

(正末)今日があろうとは思わなかった。(唱う)

【双調】【新水令】白衣を脱ぎてゆるく歩みて雲衢(くもぢ)に上り、塵途[143]を離れて身を奮ひつつひとり歩めり。羅の襴[144]に白き象簡、玉帯に金魚[145]を掛けり。胸に江湖を巻き[146]、志を得て鑾輿[147]に額づく。

(言う)はやくも着いた。左右のものよ、取り次げ。伊尹、費昌が来たとな。

(卒子)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。大人にお知らせします。伊尹、費昌さまが来ました。

(殿頭官)お通ししろ。

(卒子)かしこまりました。どうぞ。(見える)

(正末)大人、われらは参りました。

(殿頭官)軍師どの、旅路ではご苦労でした。

(正末)招きを受けてやってきて、今は臣下となりましたから、労苦を辞しはいたしませぬ。力を尽くし、忠を尽くして、いささかのお礼を致すべきでしょう。

(殿頭宮)今日、あなたたちが優れたはかりごとを立て、夏を伐って湯を起こしたため、天下はおおいに定まって、軍民は生業を楽しんでいる。聖上の御諚を奉じ、あなたたち公卿に官位を加え、褒美を賜い、封土を与えることにしよう。

(正末)わたくしにどんな取り柄がございましょう。ご褒美をお受けして官職に封じられるわけにはまいりませぬ。いささか螻蟻の心[148]を尽くし、たまたま夏を討ち民を安んじましたのは、聖上の洪福によるものであり、わたくしの能力ではございませぬ。(唱う)

【沈酔東風】そのかみわたしは布衣を着け、白屋[149]に深居したりき。

(殿頭官)今や身は八位[150]に登り、職は三台に列なり、名前は青史に記されて、郷閭(ふるさと)に錦を飾れり。

(正末が唱う)今日、清名は郷間(ふるさと)に輝けり。

(殿頭官)このたびは、勅旨を奉じ、官位の上に官位を加え、俸禄の上に俸禄を加えよう。

(正末が唱う)官は高きにまた官を賜はりて、禄は多きにまた禄を加へたまへり。

(殿頭官)門に画戟を並べ、戸に椒図[151]を列ね、ほんとうに晴れがましいこと。

(正末が唱う)門庭に画戟椒図を列ねたり。そのかみは蓑草を茵にし、地に敷きしかど、今日は蘭堂画屋に住めり。

(殿頭官)おんみはこのように大きな勲功を立て、凶暴な夏を除き、偉大な湯を立て、かさねて江山を整え、力を尽くし、心を尽くしたのですから、まことに肱股の良臣でございます。

(正末が唱う)

【雁児落】あなたは言へり、江山を立つる真の肱股と。

(殿頭官)あなたの功を論じれば、天を支える玉の柱か、海に渡した金の(はし)

(正末が唱う)また言へり、わたしは社稷を支ふる梁か柱ならんと。

(殿頭官)臣たる者が国に忠良を尽くすのは、良金美玉に喩えられます。

(正末が唱う)あなたは言へり、忠心を尽くせるさまは美金のごとく、徳政を布くさまは白玉のやうなりと。

(殿頭官)かねてから聞いていました。軍師どのが兵を動かすときは、風雲を察し、気色を弁じ、機謀を用いるのに長けてらっしゃると。

(正末が唱う)

【得勝令】ああ。あなたは言へり、わたしは戦闘するに機謀を善くせりと。

(殿頭官)ほんとうに、剣に叫べば風雨は(くだ)[152]、筆を走らせれば鬼神は驚き、軍機の枢要を知り尽くしていらっしゃいます。

(正末が唱う)あなたは言へり、わたしはただちに勝敗を見分けりと。

(殿頭官)馬で進まれ、凶暴な夏を除かれました。

(正末が唱う)あなたは言へり、凶暴な夏を除けりと。

(殿頭官)一陣で功を成し、天乙[153]さまをお助けし、毫邑に都せしめたり。

(正末が唱う)あなたは言へり、わたしは帝都を立てたりと[154]

(殿頭官)論功行賞があれば、麟閣[155]にお姿を描かれましょう。功労簿に記され、万年に誉れを遺すことでしょう。すばらしや。伊尹どの。

(正末が唱う)功績はささやかなものなるに、わたしを功労簿に記さんとしたまへり。謀略を論ずれば粗雑なるものなりしかば、凌煙閣に描くには値せず。

(殿頭官)おんみら諸官は宮居を望んで跪き、聖上の御諚を聴かれよ。夏の履癸は不道、不仁、凶悪で黎民を虐げていたために、到るところで人々は怨嗟して、鳥獣たちは安住することができなかった。方伯は怒り、兵を起こして征討し、伊尹を招き、知恵を巡らせ、軍を進めた。四方から攻めて囲んで鏖戦し、神機に頼り、勝利を得、完勝した。州城国邑を取り、倉庫の食糧や金銀を散じた。履癸を鳴条に放ち、徳を修め、正典[156]を明らかにして奸人を罰した。今日は論功行賞し、官爵を賜わって忠臣を励まそう。伊尹は太師左相に昇らせ、仲虺は太師右丞に昇らせ、汝方は二品を進級させ、費昌は天下総兵にする。重爵[157]を賜わり身は八位に登らせ、簪纓[158]を列ねさせ門庭を輝かせよう。功次を論じ、官位を加え、褒美を賜わる。一斉に天恩に拝謝せよ。

 

題名 修徳政天乙誅夏

正名 立成湯伊尹耕莘

 

最終更新日:200799

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[1]玄妙な道理をいうが、ここでは仙人の世界のことであろう。

[2]原文「昆侖照徹霊虚境」。未詳。「昆侖」は崑崙山のことか。中国の西方にあると考えられた霊山。美玉を産する場所と伝えられるので、「昆侖」は崑崙の玉をいっているのかもしれない。「霊虚」は太虚、宇宙。

[3]原文「別是蓬壺一洞天」。未詳。とりあえずこう訳す。「蓬壺」は蓬莱。東海上にあるとされる仙人の住む山。

[4]東王公、木公、扶桑大帝。『神異経』「東荒山中有大石室、東王公居焉。長一丈、頭髪皓白、人形鳥面而虎尾、載一黒熊、左右顧望」。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千四百六十三頁参照。

[5]東極青華大帝。救苦天尊。東極青玄上帝。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千四百六十五頁参照。

[6]『佩文韻府』引『雲笈七籖』「木公生於碧海之上、蒼霊之墟」。

[7]長閑な春の気候。

[8]原文「太極毓秀玄奥」。未詳。とりあえずこう訳す。

[9]天地が分かれる前の混沌の状態。

[10]瑶池。崑崙山にあり、穆天子が西王母に会った場所とされている。『列子』周穆王「已飲而行、遂宿於崑崙之阿、赤水之陽。別日昇於崑崙之丘、以観黄帝之宮、而封之以詒後世、遂賓於西王母、觴於瑶池之上」。

[11]西王母。

[12]陰気と陽気。

[13]本来、陶器を作るときの轆轤。転じて運営すること。

[14]元始天尊。道教の神の名。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千四百四十七頁参照。

[15]仙人の居所。

[16]司命は人の命を司る神。『楚辞』九歌・大司命の五臣注「五臣云、司命、星名。主知生死、輔天行化、誅悪護善也」。ただ、「三十五司命」は未詳。

[17]原文「迁去霊官校品真仙」。「校品」が未詳。とりあえずこう訳す。

[18]夏の王。鬼神を好み、淫乱であった。『史記』夏本紀「帝孔甲立、好方鬼神、事淫乱」。

[19]夏の最後の王である桀の父。『史記』夏本紀「帝癸崩、子帝履癸立、是為桀」。

[20]未詳。

[21]古の国名。『孟子』万章上「伊尹耕於有莘之野」。

[22]湯王。殷の開祖。

[23]夏の桀王のこと。

[24]原文「習成事業」。「習成」が未詳。とりあえずこう訳す。

[25]清く正しい朝廷。

[26]仙人の群。

[27]仙人の居所。

[28]荊のかんざし。婦人の貧しい身なりの代名詞。

[29]桑摘みの女。『論衡』自然篇「或説天生五穀以食人。生絲麻以衣人。此謂天為人作農夫桑女之徒也」。

[30]余暇にする仕事。

[31]原文「守定催功織女機」。「催功」が未詳。とりあえずこう訳す。

[32]処女。

[33]天地開闢。また、天地のこと。

[34]とりとめもなく広く大きいさま。

[35]陰と陽。両儀。

[36]易に現れる陰陽の四種の形。金、木、水、火。また、陰、陽、剛、柔。

[37]堅固な山河をいう。百二は二をもって百に当たるということ。『史記』高祖本紀「秦、形勝之国、帯河山之険、懸隔千里、持戟百万、秦得百二焉」。

[38]『孟子』滕文公上「禹疏九河、瀹済漯、而注諸海、決汝漢、排淮泗、而注之江、然後中国可得而食也」。

[39]原文「行庠序重コ堯王」。未詳。とりあえず、このように訳す。「庠序」は学校。ただし、堯と庠序の関係については未詳。

[40]夔は舜の臣の名。『書』舜典「帝曰、夔、命汝典楽」。「一夔」としているのは、夔が一本足だったという話があるため。『韓非子』外儲説左下「魯哀公問於孔子曰、吾聞古者有夔一足、其果信有一足乎」。

[41]原文「公孫甲子論陰陽」。未詳。とりあえずこう訳す。

[42]原文「運用于穹蒼」。未詳。とりあえずこう訳す。「穹蒼」は大空のことだが、ここでは宇宙、宇内といった意味であろう。

[43]慈しみ深くて知恵が明らかなこと。

[44]人のふみ行うべき五つの道。諸説ある。

[45]温譲という言葉はないが、温良で謙譲なことであろう。

[46]怠けて荒むこと。

[47]黒いさま。

[48]異常に清らかなこと。

[49]原文「莫不他挙意隠空桑」。「挙意」が未詳。とりあえずこう訳す。

[50]原文「那其間着志求賢将師道訪」。「師道」は師匠の伝授する道のこと。

[51]原文「地里去漚麻」。まったく未詳。「漚麻」は麻を水に浸して発酵させ、繊維を取ること。

[52]元帥。元戎帥首とも。

[53]原文「為元帥統軍之職」。未詳。とりあえず、このように訳す。統軍という官はある。ただ、「元帥統軍」という官は未詳。

[54]原文「量你湫窪之水、一捻微塵」。未詳。とりあえずこう訳す。「湫窪」という言葉は未詳だが、文脈からして池、水たまりの類であろう。

[55]方伯を指している。すこし前までは二人称だったものが三人称になっている。

[56]原文「我做将軍詭詐、臨敵上陣不怕、若還逢着好漢、当時跪下回話」。この詩、全体的に未詳。支離滅裂なことを唱っているものかもしれない。

[57]原文「我小子文武兼済」。「我」と「小子」は同格であると解す。

[58]原文「酒肉中停」。未詳。とりあえずこう訳す。

[59]『爾雅』釈地・九夷注「李巡曰、一玄菟、二楽浪、三高麗、四満飾、五鳧更、六索家、七東屠、八倭人、九天鄙」。

[60]原文「老子也」。相手を自分よりも一世代上のものとすることで敬意を表したもの。

[61]陶行南自身をいう。

[62]原文「積祖堅心立大唐」。「大唐」が未詳。文脈からすれば夏のことであろうが、夏を大唐と称することはないと思われる。

[63]国名。帝嚳の子、契の報ぜられた国。現在の陝西省商県。

[64]帝嚳の妃。『史記』五帝本紀注「帝王紀云「帝嚳有四妃、卜其子皆有天下。元妃有邰氏女、曰姜嫄、生后稷。次妃有娀氏女、曰簡狄、生[卜咼]」。

[65]舜の司徒。司徒契。:『三才図会』。

[66]「唐」は「陶唐氏」の略で堯、「虞」は「有虞氏」の略で舜のこと。中国の伝説上の聖天子である堯と舜。

[67]経世済民。

[68]健順は乾坤。『易』説「乾、健也、坤、順也」。

[69]大いなる道理。大いなる綱常。

[70]原文「忠義懸懸皆隠袖」。「隠袖」は未詳。「懸懸」は心に掛かっているさま。

[71]文豪。

[72]光り輝くさま。

[73]徭役と税。

[74]紫色の印泥。勅書を封緘するときに用いる。勅書を紫泥書という。

[75]赤黒い帛。人を招聘するときに用いる引き出物。

[76]詔勅。

[77]帯。:『三才図会』。

[78]朝服。

[79]原文「万里山河一戦成」。「成」が未詳。とりあえずこう訳す。

[80]原文「想當日摯逝封堯」。「想當日摯逝封堯」がまったく未詳。

[81]原文「以全図禹任皋陶」。まったく未詳。皋陶は舜の臣。:『三才図会』。

[82]原文「運糟粕信従貪暴」。「運糟粕」が未詳。文脈からしてまずい政治を行ったということか。あるいは酒色に耽ったということか。

[83]原文「端実是少、少」。天乙に勝るものがまことに少ないという趣旨に解す。

[84]純粋な孝心。

[85]唐代、宰相のために用意する食事をいうが、ここでは役人に供せられる食事というくらいの意味であろう。

[86]象牙の笏。

[87]耕作すべき時期。農業のスケジュール。

[88]未詳だが、農地の草刈りであろう。

[89]原文「這的是老生涯養拙一世了」。「養拙」は生まれつきの素朴さを養い保つこと。

[90]原文「似此怎麼了得身事也」。「了得身事」が未詳。とりあえずこう訳す。

[91]原文「奉天建爵」。未詳。とりあえずこう訳す。

[92]原文「我不会辨別星斗、嗅土聞風、雲霧低高」。未詳。とりあえずこう訳す。

[93]次の歌「紫泥の宣勅、一封の丹詔に値せず」に続く。

[94]原文「乞請大人収回成命」。未詳。とりあえずこう訳す。

[95]水入れ。:『三才図会』。

[96]紅いむながい。

[97]勅書をいう。五色の金花綾紙でできているのでこういう。

[98]荊釵布裙。いばらのかんざしと木綿のスカート。婦人の貧しい身なり。

[99]『論語』郷党。

[100]社稷。国家。

[101]原文「托頼著一人有慶」。『孝経』天子章「一人有慶、兆民頼之」。

[102]東夷、南蛮、西戎、北狄。

[103]『爾雅』釈地・八蛮注「李巡曰、一曰天竺、二曰咳首、三曰[人焦]僥、四曰跛踵、五曰穿胸、六曰儋耳、七曰狗軹、八曰旁春」。

[104]原文「遍乾坤豊稔黎民楽、献上統当今太平表」。「統」が未詳。衍字か。表は上奏文。

[105]田園。

[106]躱おじさん。

[107]躱ちゃん。

[108]原文「是文武兼済」。前のせりふで入巣が「わたしたち二人は文武に優れていませぬ(俺両個文武不済)」と言い間違えたのを正したもの。

[109]原文「你為兵」。未詳。とりあえずこう訳す。

[110]彫刻が施された塀と高い家。『書』五子之歌「其二曰、訓有之、内作色荒、外作禽荒、甘酒嗜音、峻宇彫牆、有一于此、未或不亡」。

[111]大きく高々とした旗。「高牙」の「牙」は「牙旗」のこと。竿の先に象牙を飾つた旗をいう。『誤入桃源』『玉鏡台』『楊家府通俗演義』第五卷にも用例あり。

[112]駿馬。

[113]未詳。帝国の基盤か。

[114]『孟子』公孫丑下「天時不如地利、地利不如人和」。

[115]原文「惟望賢士高鑑」。「高鑑」が未詳。とりあえずこう訳す。

[116]未詳だが、八座に同じいであろう。八座は八つの高級官僚をいい、何を八座とするかは歴代の王朝によつて異なる。ここでは、高級官僚という程度の意味。

[117]大尉、司徒、司空。

[118]原文「映穹蒼号帯旌旗」。「号」が未詳。

[119]原文「布於行陣」。未詳。とりあえずこう訳す。

[120]奇襲戦法と正攻法。

[121]貔と虎。勇猛な将卒。貔貅。

[122]原文「陣列八門生最奇」。未詳。八門陣という言葉は後世の小説『英烈伝』第五十五回などに見えるが、具体的にどのような陣なのかは未詳。八門は易学の用語で、休門、生門、傷文、杜門、景門、死門、驚門、開門。休門、生門、開門以外は凶であるという。張其成主編『易学大辞典』六百八頁参照。「生最奇」の「生」は生門のことか。生門は生存、発展、生長を司っているという。

[123]原文「怒無加責歓無会」。「歓無会」が未詳。とりあえずこう訳す。

[124]重ねた衣。厚い衣。

[125]ひらひら。はたはた。

[126]ひひいん。わいわいがやがやして騒がしいさま。

[127]夏の都。

[128]原文「他此去小歇小歇」。未詳。とりあえずこう訳す。

[129]激しいさま。

[130]ほこで作った門。

[131]猩猩緋。黒みを帯びた鮮やかなくれない色。

[132]彩なす錦。

[133]清澄な秋の水。ここでは剣のきらめくさまの喩え。

[134]未詳だが、剣を入れる匣であろう。「寒」は剣の放つ光が冷たいことをいっているのであろう。剣の放つ光を寒光という。

[135]殷の皇室。殷の国家。

[136]原文「戴上椀子盔、穿上匙頭甲」。未詳。とりあえずこう訳す。ろくでもない武具を着けていることを歌ったものか。

[137]原文「沒奈何看事色、得手[走耑]了為上計」。未詳。とりあえずこう訳す。言っていることが支離滅裂。支離滅裂なことをいう人物として描いているか。

[138]原文「哎」。語気が未詳。とりあえずこう訳す。

[139]正当な理由がないのに出征する軍隊。

[140]未詳。子孫の意に解す。「世」の前に数字が脱落しているか。

[141]殷の皇室。

[142]現在の山西省安邑県の北にあった地名。『書』伊訓「造攻自鳴条」。

[143]未詳だが、塵世、俗世のことであろう。

[144]襴衫。:『三才図会』。

[145]金製の魚の形をした装飾品。高位高官の持ち物。『朝野類要』卷三「本朝之制、文臣自入仕著緑、満二十年、換賜緋、及銀魚袋。又満二十年、換賜紫、及金魚袋。又有雖未及年、而推恩特賜者、又有未及、而所任職不宜緋緑、而借紫借緋者、即無魚袋也若三公三少則玉帯金魚矣、惟東官魚亦玉為之」。

[146]原文「胸捲江湖」。未詳。とりあえずこう訳す。気宇壮大なさまか。『貶夜郎』第二折【滾繍球】に「你那里四時開宴充肥鹿、我這里万里揺船捉酔魚、胸巻江湖」という用例がある。

[147]天子の車。鑾駕。

[148]微衷。自分の心をアリやケラの心に喩えて謙ったもの。

[149]白茅で屋根を葺いた家。貧者の住まい。

[150]これも八座のことであろう。前注参照。

[151]八椒図。貴顕の家の門飾りで、螺の形をしている。明陸容『菽園雑記』巻二参照。

[152]原文「真個是剣呼風雨降」。未詳。とりあえずこう訳す。

[153]殷の湯王のこと。『史記』殷本紀「主癸卒、子天乙立、是為成湯」。

[154]原文「你道我平扶立帝都」。「平」が未詳。衍字か。

[155]麟閣。漢の武帝が建てた建物。宣帝の時代になり、功臣の画像を描いた。

[156]正しい法律。

[157]重い位。

[158]かんざしと冠の紐。それをつける高官。

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