杜牧之詩酒揚州夢雑劇
喬夢符撰
楔子
(冲末が張太守に扮し浄の張千を連れて登場、詩)昔年は白屋の一寒儒なりしかど、今日は黄堂で四頭立ての馬車に乗る。富貴は勤苦によりて得しものなれば、男児は五車の書を読むべきなり。
わたくしは姓は張、名は紡、字は尚之ともうす。甲科[1]に合格して以来、いくたびも聖恩を蒙って、豫章太守に任命された。若いときから杜牧之と八拝の交わりをしているのだが、このたび牧之は翰林侍読の職となり、公務のために豫章に至り、帰京するため出発をしようとしている。果卓を準備し、あのもののため、餞別をせねばなるまい。わたしは近ごろ梨園で一人の歌妓を手に入れた。年はあたかも十三歳、笛、太鼓、歌と踊りに長けており、好好という。わたしはしばしば占いをしてやるのだが、かれには夫人となる福分があるとのことだ。誰と結婚するのやら。今日は牧之を餞別し、好好を酒を勧めに出てこさせよう。好好よ、どこにいるのだ。
(旦が張好好に扮して登場)旦那さまがわたしを呼んでいらっしゃる。またどんなお客ﾉ呼ばれたのだろう。前庁にゆき、お会いしなければならない。(会う)旦那さまがわたくしを呼ばれましたのは、いかなる御用にございましょう。
(張太守)今日は牧之を送別するから、席上で歌と踊りをし、牧之に酒を勧めておくれ。
(旦)つつしんでご命をお受けいたしましょう。
(張太守)張千よ、入り口で見張っているのだ。杜翰林が来たら、わたしに知らせよ。
(正末が杜牧之に扮して登場)わたくしは姓は杜、名は牧、字は牧之、京兆の人。太和年間、賢良方正に挙げられ、いくたびも昇進し、翰林侍読の職に至った。公務のために豫章に着いたが、こちらの太守の張尚之どのは、若いときからわたくしと仲が良く、今日は私宅で酒宴を設け、わたくしの送別をするといい、人に命じて招きにこさせた。ゆかねばならぬ。左右のものよ、杜が来たと報告してくれ。
(張千が報せる。会う)
(正末)わたくしは德が薄いのに、太守さまに宴を設けていただくなどとはとんでもないこと。
(張太守)粗末な食事で、お出しするには堪えませぬが、とりあえず餞けの気持ちを示させてください。左右のものよ、酒をもて、学士どの、一杯干されよ。
(正末)太守さまが干されてください。
(張太守)学士どの、昔からこうもうします。「宴前に楽しみなくば、歓楽を成すことなし。」と。今、拙宅に一人の娘、年はあたかも十三歳、好好といい、歌と踊りを善くするものがおりますが、出てきて歌と踊りをし、学士どののお酌をさせることにしましょう。
(正末)たいへんなご厚意を蒙りまして、ありがとうございます。ありがとうございます。
(張太守)好好よ、そなたは歌と踊りをし、杜さまを持て成せ。
(旦が歌と踊りする)
(正末)珍しいものはございませんが、瑞文の錦[2]一段と、犀角梳一副で、ひとまず微衷を表すことといたしましょう。詩が一首ございます。
(詩)なんぢは豫章の姝にして、十三をわづかに過ぎたり。うるはしき鷓鴣の児にして、なよやかな鸞鳳の雛。舞へる態は花塢[3]を出で、歌へる声は雲衢[4]に上れり。贈れるは天馬の錦[5]、与ふるに堪ふ水犀の梳。
(張太守)好好よ、旦那さまにお礼をもうしあげるのだ。
(旦が拝する)結構な賜わり物に、あつく御礼申しあげます。
(正末)たいへんお世話になりました。わたくしは長居しようとはいたしませぬ。これにてお別れ申しあげ、長の旅路に就くことといたしましょう。(唱う)
【仙呂賞花時】一曲の『金縷』[6]を唱へば、悠揚と雲はそぞろに過ぎゆきて、一たび舞へば彩なす袖は軽やかに花影を揺らしたり。本日は短長亭に送別し、この江山の勝景に向かひたれども、酒を斟ぐことは慵く、別れの思ひを訴へり。
【幺篇】聴くを怕るる陽関の第四声、家山に首を回らせば千万程[7]。功名とやらを得んとして、浮萍浪梗[8]となりぬれば、豫章の城を出づることこそ懶けれ。(ともに退場)
第一折
(外が牛僧孺に扮し左右の従者を連れて登場、詩)閑あらば清らかに絲桐[9]を奏で、楽しみは琴書にあれば意を注ぐべし。事なくば官衙に永き昼を消し、居然[10]と坐して古人の風[11]を嘯けり。
老いぼれは姓は牛、名は僧孺、字は思黯、揚州太守の職に任命されている。そのかみは張尚之、杜牧之と忘年の友であった。牧之は翰林侍読の職を拝命し、公務のためにこちらに来たので、老いぼれは特別に一席設け、人に命じて招きにゆかせた。左右のものよ、杜牧之が来たら、わしに報せよ。
(正末が家童を連れて登場)わたくしは杜牧之だ。一昨年、公務で豫章に至り、このたびはさらに公務で揚州に来た。太守の牛僧孺どのは、もともと父の友人で、本日は宴を設けて招かれたから、ゆかねばならぬ。
(家童)旦那さま、この揚州はよい景色にございます。
(正末)家童よ、そなたは存じておるまい。そのかみ隋の煬帝は広陵に御幸して瓊花を看たが、当時の繁華は、天下に並びなきものだった。わしの話を聴くがよい。(唱う)
【仙呂点絳唇】錦の纜、龍の舟、隋堤に柳のむなしくあることぞ憐れなる。千古のことをそぞろに愁ふ。春光の老い、瓊花の瘦するをわれは恐れり。
(家童)旦那さま、旅をしてきた州県は、ことごとく人煙の賑やかなこの地には及びませぬ。
(正末が唱う)
【混江龍】江山は古の如くして、竹西[12]に歌吹せる古揚州[13]、三分の明月、十里の紅楼、緑水芳塘に玉榜[14]を浮かべ、珠簾繍幕を金鈎に掛く。
(家童)旦那さま、こちらの景色をご覧下さい。まことに繁華な名勝にございます。
(正末が唱う)百二十行[15]を列ねて財貨を商ひし、八万四千戸は潤ひて人物は瀟灑なり。平山堂、観音閣、閑花と野草、九曲池、小金山、浴鷺と眠鴎、馬市街、米市街、龍の如くに馬は聚まり、天寧寺、咸寧寺、蟻の似くに人は密なり。茶房の内に、松風[16]を泛ぐときには、香酥鳳髓[17]をもつてして、酒楼の上で、桂月[18]に歌ふときには、檀板[19]と鶯喉[20]をもつてせり。前庁に迎へ、後閣に通ずるは、馬蹄階砌[21]。雕闌に近づきて、玉戸を抜ければ、亀背球楼[22]。金盤露、瓊花露[23]の、佳醞を醸成し、大官羊[24]、柳蒸羊[25]、肴には珍饈を列ねたり。官場[26]を看れば、袖を垂るるに慣れ、肩を垂らして蹴鞠せり。教坊を喜びて、清歌を善くし、俳優は妙舞せり。おほむねは軽紗を着けて、異錦を纏ひ、きつちりと春秋に従へり[27]。繁弦[28]を奏で、急管[29]を吹き、にぎやかにして昼夜を分かたず。万両を棄て、ぎらぎらとした黄金もて買笑し、百段[30]を擲ちて、たくさんの紅錦を纏頭[31]とせり。
（言う）左右のものよ、取り次いでくれ。杜牧之が参りましたと。
(左右が報せ、会う)
(牛僧孺)老いぼれは何もお持てなしするものはございませぬが、左右のものよ、酒をもて。学士どの、一杯干されよ。
(正末が唱う)
【油葫蘆】月底の籠灯に花下の遊。佳興を捧ぐることに慣る。綺羅の叢にて、われを酔郷侯に封ぜり。幾杯かの錦橙[32]の漿を酌み、談天[33]の口を浄めて、一枝の碧桃の春を折り、拿雲[34]の手に占む。
(牛僧孺)文苑の多くの変わった秀才は、狂ったように飲むのを好んでいるといいますな。
(正末が唱う)翰林の猛き心を奮ひ立たせて、太学の姿をば荒々しくせり。錦の封を剖かざるに香はさきに漏れ、渇きし時は洞庭の秋[35]を吸ひ尽くすべし。
(牛僧孺)これぞまさしく、知己がいて、気に入った人もいる、よい宴会にございます。
(正末が唱う)
【天下楽】げに一酔は万古の愁へを能く消さん。醒め来たりなば三杯の迎へ酒せん。われはかの紅裙の隊里に向かひて、一籌を奪ふべし。花を看ば、病となり、酒を飲みなば、酔ひつぶるべし。われはひたすらたくさんの花を簪して、つねに酒をば帯びんとす。
(牛僧孺)牧之どのは京師で、毎日、女と酒を楽しまれていたでしょう。老いぼれのもとには家楽[36]の娘がおり、すこぶる歌と踊りを善くいたしますので、呼び出してきて、学士どのをお持て成しさせましょう。好好はどこにいる。
(旦が登場)わたくしは張好好。もともと張尚之の家の娘でしたが、牛太守さまは張尚之と旧友で、わたくしは牛太守さまの義女となり、今まで三年。本日は前庁でお客を持て成すこととなり、太守さまが呼ばれているので、会いにゆかねばなりませぬ。(会う)
(正末)この娘さんはどなたでしょうか。
(牛僧孺)老いぼれの義女で、幼名は好好ともうします。呼んできて、歌い踊らせ、学士どのに一杯お酒を差し上げるのでございます。
(家童)旦那さま、すばらしくきれいなお嬢さんですが、どこかでお会いしたことがございます。
(正末が唱う)
【那吒令】金瓶の鳳頭[37]を傾けて、瓊漿の玉甌を捧げたり。金蓮の鳳頭[38]を蹴り、波を凌げる[39]玉鈎[40]を並べたり。金釵の鳳頭[41]を整へ、春繊[42]の玉手を露はす。天にもし情があらば、天も老い、春にもし意があらば、春も瘦すべし。雲は心のなきものなれど、雲も愁へを生ずらん。
(牛僧孺)賤しい家の娘ですから、たいして美しくはございませぬ。
(正末が唱う)
【鵲踏枝】花もかれより麗しからず、玉もかれより柔らかならず。げに鶯も魂を蕩けさせ、燕も羞ぢらふことあらん。蜂と蝶、花間の四友[43]、ぼんやりと荳蔻の葉末に歇めり。
(牛僧孺)牧之どの、二杯飲まれよ。
(正末)お姐さんと杯を交換しましょう。お姐さん、この一杯のお酒に換えて飲まれませ。(唱う)
【寄生草】十个千歳[44]頼めども、かれははつかに三口半を飲むのみなりき。内家[45]の妝ふ紅鴛の袖[46]を汚さんとして、嫋やかにして繊やかな楊柳の宮腰[47]をいとど露はし、芙蓉の顔の麗しき皮肉を添へり。白き処は梨花の露を擎け粉酥[48]の凝れるが似くして、紅き処は海棠の雨を経て胭脂のすきとほれるにぞ似たる。
(牛僧孺)牧之どの、お飲みくだされ。
(正末)しばらくお待ちくださいまし。文房四宝をお持ちください。詩を一首作ってお贈りいたしましょう。
(家童)筆と硯はこちらにございます。
(正末が唱う)
【幺篇】鉄角[49]を磨れば烏犀[50]は冷たく、霜亳を点ずれば玉免は秋なり[51]。明窓に対すれば、滄海に龍蛇[52]は走り、金星[53]に筆を蘸せば、端硯に雲煙[54]あまねく、銀箋の湘水の玻璃の皺を拂へり[55]。
(牛僧孺)学士どの、さように気を使われるには及びませぬ。
(正末が唱う)呉宮[56]の花と草を二十年賞でつるときは、翰林の風月[57]三千首を費さん。
（言う）この娘さんは、
(詩)げに仙人の紫雲の車で降りたるなり。月闕[58]を離るれば蟾影孤なり[59]。尊前に玉盞を擎げたる、美しき貌は世に稀なるもの。(唱う)
【後庭花】かのひとは応へして話を合はせ、わたくしは笑まひ語らひ昵懇にせり。月の夜に紅袖を携へんとし、しらぬまに春風に玉甌を傾けり。
(旦)わたしはさらになみなみと斟ぎ、飲んでいただくことにしましょう。
(正末が唱う)などかわが咽喉に下さん。田文[60]どのの労せらるるは有り難し。志は昂昂として古今を包み、宇宙を贍たり。気は騰騰と、虹霓を吐き、斗牛を貫く。袖は飄飄、紅雲を拂ひ、鳳楼へ登らんとせり。興は悠悠、蒼龍に駕し、九州をあまねく巡れり。麗しきこと滴滴たる、双玉頭の瓊花を賞でり[61]。風は颼颼、広寒に遊ぶ、秋八月。楽しみは陶陶として、春風を倩り、旅の愁へを散じたり。湿ること浸浸として、錦橙漿は、紫裘[62]を潤す。焦ること煎煎として、韋娘[63]のままならざるを想へり。虚しきこと飄飄として、彩雲のた易く收まることを恨めり[64]。香ること馥馥たる、一杯の花露酒を斟げり。
(旦)一杯のお酒を持たれて飲まれないとは、わたくしの情を無になさるのですね。
(正末が唱う)
【青歌児】香を偸みし、香を偸みし韓寿[65]に頼むことなかれ、両行の、両行の紅袖を驚かせ帰らしむべし。多情なる賢き太守に感謝せん。わたくしは江海を流浪せる儒流なれども、宰相と王侯を軽んぜり。客と主は酒酌み交はし、筆硯[66]の交遊をながながと叙ぶ。酒に向かひて綢繆として、觥籌[67]は交錯し、銀甲[68]をかるく掐へて、『金縷』をばひくく謳へり。かのひとは雲兜[69]に倚りたれば、わたくしは驊騮を御せり。江州の司馬[70]、蘭舟の商婦[71]にもあらずして、煙水は悠悠として、楓葉は颼颼たり。わたしが楚江の頭に琵琶を弾くを聴きなば、愁への泪は青衫の袖を潤さん。
(牛僧孺)学士どの、もう一杯飲まれよ。
(正末)お酒はたっぷりいただきました。(背を向ける)この娘とはどこかで会っているようだ。
(牛僧孺)学士どのはお酒を飲まれなくなったから、娘は戻ってゆくがよい。(旦が退場)
(正末が唱う)
【賺煞尾】錦堂の中なる客が散ずれば、黄昏の後に会ふ備へをぞせん。かのものは尋常の牆花路柳[72]に異なれば、あまんじて公事を終へんとはせず、むりやりに艶めかしくし、酒に病み、花に愁へん。
(牛僧孺)何もお持てなししませんでしたが、学士さまには我慢していただきまして。
(正末が唱う)これぞまさしく釣詩鈎[73]、酔ふには酔へど、かのひとをつねに思へり[74]。掃愁帚[75]は、奉箕帚[76]にぞ得しかざる。
(牛僧孺)牧之どの、会うごとに年をとりますな。
(正末が唱う)よしやおんみの鬢髪に霜華[77]はやうやく密ならんとも、衫袖の上の酒痕[78]はもとのままにして、われはまさしく「数寄者は老いぬるも数寄者」ぞかし。(退場)
(牛僧孺)老いぼれは友人の誼を念い、酒肴を調え、杜牧之どのをお招きしたが、酒と詩に耽るのは、相も変わらず昔のままだ。わたしは家楽に命じて酒を捧げさせたが、杜牧之はこの娘にはどこかで会ったことがあると言っていた。かれの両眼を逃れることはできぬもの、あの痴れ者は豫章にいた時、張尚之どのの家で娘に会ったことがあるのだ。もう三年もたっており、成長し、あの時と異なっているというのに。杜牧之は眼で看るばかりで、手に入れることはできぬのだ。張千よ、杜牧之がまた来たときは、太守は家におりませぬと言い、かれを翠雲楼にゆかせよ。しばらく閑坐し、面白くなくなれば、かれは戻ってゆくだろう。(退場）
第二折
(張千が登場)わたくしは太守さまのお屋敷の僕だが、太守さまのご命を奉じ、この翠雲楼を掃除することと相成った。杜学士さまが遊びにこられ、こちらで持てなされるのだろう。
(正末が家童を連れて楼に上る)昨日、太守さまは宴を開き、美人を出されたが、女の容姿をじっくりと看たところ、艶やかなさまに心を動かされ、とても床しく思われた。わたくしは一時の軽薄なありさまを、太守さまに見破られたが、太守さまは亡父の顔に免じて責めることはなかった。本日は退屈なので、この翠雲楼に遊びにきた。わたくしが酒と花に耽るのは、いつになったらおさまるのやら。
(唱う)
【正宮端正好】衫袖は湿り、酒痕は香り、帽檐[79]は側きて、花枝重し。客と主はかばかりに和気藹藹としたれども、一杯いまだ尽きざるに笙歌に送られ、花の前にて遊仙の夢を呼び覚まされぬ。
(家童)若さまは昨日、お酒に中られたので、本日は起きられるのが遅いのでございましょう。あの楼の上をご覧下さい。すでに果卓と杯盤がきちんと調えられております。
(正末が唱う)
【滾繍球】日は高くして花影繁く、風香るとき酒力[80]は湧けり。毛をすんなりと撫づるがごとく、翠鸞と丹鳳に乗り[81]、思ひのままに玉の暖く香の融くるを楽しめり。この酒は琉璃の鍾、琥珀の醲よりも勝れり。この楼はまさに黄鶴の仙[82]、白兔の翁[83]に値せり[84]。この酒は醸しし葡萄、紫駝[85]銀甕[86]より勝りたり。この楼は人間湖海に傲りたる元龍[87]をいと楽しましめたり。この酒は、金茎[88]の中に瀉げる玉露をば仙掌[89]の擎くるがごとく、この楼は、翠盤[90]の内の霓裳[91]の月宮に到るを看るがごときなり。高々と彩繍の簾を掲げり。
(正末が張千に語る)わたしは昨日、酒に中ってしまったから、しばらく休もう。太守が来たら、報せるように。
(張千)かしこまりました。
(正末が家童ともに眠る)
(旦が四旦とともに登場)わたくしは張好好、太守さまはわたしを翠雲楼に来させて、杜翰林さまを持て成すこととされたが、翰林さまはどうして眠ってしまわれたのか。一声お呼びするとしよう。杜さま、杜さま、参りましたよ。
(正末が起きる)太守さま、来られましたか。
(旦)太守さまはご公務が忙しく、しばらくやって来ることができませんので、わたくしどもに、旦那さまを、ただちにお持て成ししにこさせたのでございます。
(正末)どのような持て成しをなさるのですか。われら二人はひとまずいっしょに坐りましょう。四人の娘さんたちは、歌と踊りはできますか。
(四旦)すこぶる上手にございます。
(正末)歌と踊りができるなら、みんなで楽しく三杯飲むことにしましょう。
(旦)昨日は席上で、旦那さまに失礼をいたしましたが、お咎めになられませぬよう。
(正末が唱う)
【倘秀才】想へばむかし私宅に宴なさりしときに、翰林は侍し奉り、使官の府にて文章の鉅公となれり[92]。昨日と今日は事情は異なり、暖かき脂粉の隊、香はしき綺羅の叢、紅と翠に囲まれぬ[93]。
（言う）娘さんは張好好さんですが、こちらの四人の娘さんはどなたでしょうか。
(旦)四人は玉梅、翠竹、夭桃、媚柳にございます。いっしょに歌い、旦那さまにお酒をお出しいたしましょう。
(正末が唱う)
【滾繍球】尊中に酒の空しきことはなく、宴前に曲は終はらず。汝はかれをして垂楊に、玉驄の低き鞚を繋がしめ[94]、人に倩ひ、両袖の春風を扶けしめんとしたるなり[95]。わが酒に病む渇きし肚と、花を看る餓ゑし眼と。歓喜の縁を結び、かれをして重んぜしめん。玉にも似たる嬋娟を伴ひて、相守り、相従はしめ、柳陌[96]に閑遊し、歌妓を尋ぬることもなく、笑まひつつゆくての村を指さして、牧童に問ひ、月の梧桐を転るまで、ひたすら飲まん。
（旦）若さま、お掛けになっていてくださいまし。太守さまが来られましょう。わたくしはひとまず戻ってゆくといたしましょう。
(旦が四旦とともに退場)
(正末が目覚める)まことにおかしい。さきほどの娘は、わたしに侍って酒を飲んでいたのに、どうして見えなくなったのだ。
(家童が目覚める)おもわず眠ってしまいました。
(正末)娘を見たか。
(家童)旦那さま、頭がぼんやりされていましょう。娘など見ておりませぬ。
(正末が唱う)
【酔太平】ぼんやりとして、南北と東西を弁ぜざるにはあらず。いましがた彩雲は広寒宮より降りたり。蟠桃会[97]に酔ひしとき、花間の四友[98]は争ひて持て成して、かの蓬莱の八洞[99]に相従ふにぞ勝りたる。華胥の枕に夢のはじめて濃きものは、すべて洒脱な酔翁ばかり。
(家童)さきほどすこし居眠りしたら、もう日が暮れてしまいました。
(正末が唱う)
【脱布衫】しらぬまに疲れたる酔眼は朦朧として、明るき燭影の紅に揺れたるにむなしく向かへり。かのひとは今いづこにかある。残んの月に暁の風。かのひとは誰が家の鴛枕[100]鳳衾[101]に宿りたる。
【小梁州】今、かばかりに春は寒きに繍の被は空しく、冷清清たる褥は芙蓉を隠したり[102]。陽台の雲雨を思へば去りて踪なく、この夕、楽しみに乘じなば、山さへも逢ふことあらん。
【幺篇】暁けぬれば誤ちて桃源洞に入らんとはいかでか思はん。公孫弘[103]に籠絡せらるることを恐れり。手の甲を抓れば疼き、脚の面を踏めば痛めり。いづこも情は深ければ、夢の中かとなほも恐れり。
(家童)旦那さまは、あのかたをひたすら想ってらっしゃいますから、夢をご覧になったのでしょう。わたしはなにも考えておりませぬから、夢などは見ないのでございます。
(正末が唱う)
【一煞】ただ願ふらくは、ゆく雲[104]の三山の洞窟に返ることなく[105]、よき夢の五更の鐘に覚めざることを。わが繍の被に香は寒うして[106]、玉楼の人は去り、錦樹[107]の花は散りぬれば、金谷園[108]こそ空しけれ。彩鳳[109]は飛び、紅絨は解け、雕籠は砕かれぬ[110]。天公の働きなくば、双方の風月は成就せざりしところなり[111]。
(家童)戻りましょう。夢の中のことを信じられてはなりませぬ。
(正末が唱う)
【煞尾】風雲の気概はこれより、ことごとく陽台の夢となるべし。花前月下[112]の恩愛は太華峰よりなほ高し。風は紗窓に送られて月影斜めに[113]、篆[114]は金炉に裊[115]として香霧は濛たり。銀燭は高く焼かれて錦帳に融け、羅帕は重ねて沾ひて粉汗は溶く。鸞釵を高く插したれば雲髻聳え、蛾眉を巧みに描きたれば翠黛は濃し。柳の塢に花の溪、錦繍の叢、煙の戸に雲の窓、閨閣の中。見栄えよき春衫は手ずから縫ひて[116]、滋味珍饈は選んで供へり。これより蝶使蜂媒の断送に従ふことなく、これより怪友狂朋の搬弄を信ずることなし。魚水の逢ひて、琴瑟の和するを得んのみ。
(家童)旦那さま、戻りましょう。
(正末が唱う)柳債花銭[117]、麺糊[118]の桶をはや跳び出でり。(ともに退場)
第三折
(外が白文礼に扮し、雑当を連れて登場、詩)一溪の流水に軽舟を泛べ、柳岸に遊人は巨甌を飲めり。揚州花錦の地に住みてより、風光を眼に満たしつつ春秋を過ごしたり。
わたくしは姓は白、名は謙、字は文礼といい、揚州の人。幾貫かの財産を持っているので、人々に員外と呼び習わされている。このたび、杜翰林どのが公務のためにこちらへと来られたが、明日、帰還されるので、粗酒を調え、送別をしてさしあげよう。人を遣わし、呼びにゆかせたから、そろそろいらっしゃるだろう。
(正末が家童を連れて登場)わたくしが牛太守さまに招かれて、宴会をしていたときに、娘があって、歌と踊りはすばらしいものだった。ふたたび何度か訪ねていったが、牛太守には会ってもらえず、翠雲楼で景色を見ただけ。帰ってきたがとても退屈。このたび帰還しようとしたが、白員外が招いているから、ゆかねばなるまい。想えば夢に見たあの娘は、ほんとうに世にも稀なるものだった。(唱う)
【南呂一枝花】温柔にして玉に香あり、旖旎[119]たる春に価なし。情ある楊柳の葉に、物をいふ海棠の花。越女[120]と呉娃[121]を圧倒し、頭の髻から鞋、襪に至るまで、欠けたるところを覓めども寸毫もなく、くはふるに万につけて聡明にして、顔は大いに愛すべきなり。
【梁州第七】音呂[122]を知りて掛詞をして[123]風月を詠み、作法に従ひ、たちまちに[手顛]竹[124]分茶[125]す。情もて愛しみ、泪して心に掛けり。性格は穏やかにして、礼法を弁へり。衣裳は清楚、技芸には熟練す。行雲を遏めて板[126]は紅牙[127]を敲き、宮商を調へ曲は琵琶に和す。ひとしきり暮雨朝雲を楽しみて[128]、束縛のある玉堂金馬[129]を拝辞せり。とこしへに秋月春花を楽しまん。風流俊雅、美女は絶世、人はみな驚けり。進退を知り、高下を弁へ、賢き心は狡くはあらず、ただ歓喜冤家を欠けるのみ。
【隔尾】錦の機もて情を伝ふる帕を織りなし、翠の沼に蒂を並ぶる花を栽ゑたり。いづれの時にか青鸞にともに跨がることを得ん。錦衾、繍榻、弓鞋、羅襪、軟玉、温香、大いに楽し。
（言う）はやくも着いた。左右のものよ、取り次いでくれ。杜牧之が参りましたと。
(雑当が報せる)杜さまがいらっしゃいました。
(白文礼)お通しするのだ。
(正末が見える)わたくしにどのような取り柄があって、員外さまがお酒を買って、宴を設けられるのでしょう。もったいない。
(白文礼)粗末な食事でございますのに、ご来臨賜わりましたは、ほんとつにわたしにとって幸せなことにございます。
(正末)お尋ねしますが、員外さま、昨日、太守さまが宴を開いて招かれたとき、席上に美人が現れ、上手に歌い、舞っていましたが、どちらの娘さんでしょう。
(白文礼)杜さまがお尋ねになられなければ、わたくしもお話ししようとしませんでした。あの娘は、もともとは歌い女で、豫章太守の張尚之どのの侍児となり、その後で、牛太守さまが豫章を通りましたとき、義女に貰ったものですが、笛、太鼓、歌と踊りが上手なのです。あの娘は、張好好にございます。
(正末)どこかで会ったように思っておりました。員外どのに正直に申しましょう。わたくしが、三年前、豫章にいたとき、張尚之さまはわたくしのために送別をされ、一人の少女にお酌するように命じたのです。年は十三、歌と踊りを善くするもので、好好といいました。わたくしは、好好に瑞文の錦一段、烏犀の梳一副をやりました。三年がたち、好好は成長し、たいへんに美しくなり、ほんとうに人の心を動かします。
(白文礼)それならば、杜さまはその時、張太守さまにお願いし、娘を下女になさっていれば、まことに宜しゅうございましたに。
(正末が唱う)
【罵玉郎】この一対の才子佳人は天が生みたる。若竹の遊冶子に、花の嬌娃[130]は、麗しき仕女の絵に描き込むに堪ふ。一歩進めば、百様の嬌、一声笑へば、万種の妖、一曲歌へば、千金の価あり。
(白文礼)わたくしもお会いしたことがございますが、ほんとうに美しく、素晴らしい姿です。
(正末が唱う)
【感皇恩】あでやかに妝へば、嬌滴滴[131]と露を擎けたる山茶のごとく、あつさりと妝へば、顫巍巍[132]と雨を帯びたる梨花にぞ似たる。斉臻臻たる歯は犀きを並べつつ、曲湾湾たる眉は黛をば掃ひ、高聳聳たる髻は鴉[133]を堆みかさね、香馥馥たる氷の肌は雪を凌ぎて、喜孜孜たる酔顔は霞と燃えたり。じつと見ば、顔は麗しく、考へば、口は甜きも、心を誤らしめんとするなし。
(白文礼)この娘とはご縁があるので、このようにご執心なのですね。
(正末が唱う)
【采茶歌】自慢するにはあらざれど、二人の情は麗しければ、天地とともに長へに栄華を享くる備へをぞせん。
(白文礼)杜さま、ご安心くださいまし。わたくしは杜さまのために、このことをかならず成就いたしましょう。
(正末が唱う)もしもおんみが赤縄を足に結ぶを諾はば、久しき後に、流るる水の桃花を泛ぶることはなからん[134]。
（言う）員外さまには太守の前で、どうか美言を加えられ、わたくしのためにこのことを成就してくださいますよう。そうしていただけるのならば、員外さまのご恩を忘れはいたしませぬ。
(白文礼)杜さま、ご安心なさいまし。わたくしには、おのずから考えがございます。かならずやこのことを成就いたしましょう。
(正末が唱う)
【牧羊関】今日こそは、一言をもて約すれば、両事家となることなかれ。撮合山のおみにはゆるゆるお礼せん。燕約鶯期を成就せば、心猿意馬を鎮むべし。合歓帯、同心結、連理の樹、共根の芽[135]、音呂[136]を知るは、琴中の曲[137]。よき姻縁は、錦上の花[138]。
(白文礼)杜さまはさらに幾日かお泊まりください。わたくしは太守さまにお知らせし、様子を看てみることにしましょう。
(正末)わたくしは公務が忙しいのですが、また会うこともできましょう。(唱う)
【一煞】しばらく伴ふ、西風の胭脂の蝋を揺り落とせるに。ひとまず堪ふ、月夜の寒さの翡翠の紗[139]をば穿てるに。やるせなき愁へのもとに、琵琶を奏でり。
(白文礼)杜さま、娘が気掛かりなのですね。
(正末が唱う)これよりは、酒と茶をみだりに飲みて、裙釵に意を留むることはなかるべし。しばし別れて寂しさに耐へ。天つ涯なる雲入る山を隔てつつ、両つところに嘆くべし。
(白文礼)杜さま、さらに一杯飲まれませ。
(正末)お酒はたっぷりいただきました。これにて失礼いたします。
(白文礼)気をつけてゆかれませ。話がまとまりましたときには、手紙をすぐに差し上げますので、ご返事を賜わりますよう。
(正末が唱う)
【黄鐘尾】おんみは情を題するに香羅[140]の帕にな書きたまひそね、われは恨みを寄するに鼓子花[141]に伝ふべし[142]。ひとまず心を寧らかにして、歳華を度らん。おそらくは年を越すとき、暮らしは味気なかるべし。
(白文礼)杜さまはほかに連れ合いをお捜しになりませぬよう。わたくしはこのことをかならず成就いたしますから。
(正末が唱う)豪奢富貴の家があり、結納品を多くつけ、嫁入りや婿入りを許すとも、われが初めの盟に背き、かれに就き、麗しき恩愛を棄てるとな想ひたまひそ。諸人をしてこのわれを称へしむべし。紅粉の佳人を娶らば、玉にも似たる肩を並み、手を執りて、楽しみは、ひとしほにして大いに愉快。一対のよき夫妻となりて、京華に出入りすることの、門外の緑の楊にむなしく馬を繋ぐに勝らざらめやは[143]。(退場)
(白文礼)杜翰林どのは行ってしまった。あの方は狂ってしまった。このことが成就されねば、あの方の命をむざむざ損ってしまうだろう。
(詩)清らなる長安の美少年、麗しき一対の好姻縁。月老が紅綫を牽くことあらば、はじめて鸞膠[144]もて断弦を続ぐを得ん。(退場）
第四折
(牛太守が登場、詩)維揚をば治むれど称ふるに足ることはなく、氷にも似て清き操を残したるのみ[145]。一生阿諛する力を得ざれば、知友にさへも憎まれぬ。
老いぼれは牛僧孺。揚州太守を忝うし、三年の任期を終えて、上京し、勤務評定を受けるところだ。杜翰林どのをしばしば訪ねたが、目通りさせていただけなかった。わたしが想うに、揚州にいた時に、かれを招いて酒を飲み、家楽を出して歌わせて、かれを来させたことがあったが、杜翰林どのは張好好と四つの眼をあわせるばかりで、会話することは叶わなかった。そのために、恨みを抱き、腹を立てていることだろう。揚州の白文礼は、老いぼれの配下の民で、その家は大金持ちだが、老いぼれに幾たびもこのことを訴えて、好好を杜牧之に娶わせて夫人にし、結婚を成就させようとしていた。かれは今、老いぼれに隨って京師に来ている。本日は金字館にて、宴を調えるとしよう。杜牧之が来たら、老いぼれには、おのずから考えがある。(退場)
(白文礼が僕を連れて登場)わたくしは白文礼。その昔、揚州で、杜牧之さまを送別したが、あのかたがひたすらに牛太守さまの家の娘を想われていたために、わたくしが取り持ちをして、結婚を成就することを頼んだ。牛太守さまはこのたび、任期満了し、帰京されたが、わたくしはあのかたについてきて、以前のことを太守さまにお知らせしたのだ。本日は金字館にて、宴を調え、杜翰林さま、牛太守さまを招いて、結婚を成就しなければならない。小者たち、入り口で番をしていろ。杜翰林どのが来られたら、わたしに知らせよ。
（正末が登場）わたくしは杜牧之だ。揚州を離れてから、今まで三年、牛太守どのはわたしをしばしば訪ねられたが、目通りをさせてはおらぬ。今日は白員外どのが宴会に赴くようにと言われているから、ゆかねばならない。昨晩は泥酔したが、今日もまた迎え酒せずばなるまい。(唱う)
【双調新水令】われはこの酒葫蘆に浸り醒むることなく[146]、花衚衕と言ひなばすぐに鞭と鐙に随はんとす[147]。本日は酒は金字館に香り、花は錦官城[148]に茂れり。富貴、出世を恋ふことはなく、平生談笑せんとするのみにして、白馬と紅纓[149]、象板[150]と銀筝[151]に伴ふを望むことなし。淮南郡でかくしなば、山水に名姓あるべし。
（言う）左右のものよ、取り次いでくれ。杜牧之が到着したとな。
(僕が報せる)杜翰林さまが来られました。
(白文礼)お通しするのだ。
(正末が会う)わたくしに何の取り柄があって、員外さまに酒を調え、宴を設けていただいたのでございましょう。もったいないことにございます。
(白文礼)粗末な食事で、お持てなしにはなりませぬ。旦那さまには幾杯か楽しく飲まれますように。
(正末が唱う)
【沈酔東風】な想ひそね、おのれひとりが醒めたると。屈平[152]は諸人の酔ひたるに学ばんとして、劉伶は湖海の愁へを流し去り[153]、風雲の興を洗ひ滌げり[154]。月の朗るく風の清きを徒にすることを怕れて、落魄し、江湖に酒を載せつつ進み、黄粱の夢境をぞ模糊たらしむる。
（言う）員外さま、本日の宴には、ほかにどなたがいらっしゃるのでございましょうか。
(白文礼)牛太守さまを招きにゆかせたのですが、そろそろお越しになりましょう。
(牛太守が登場)老いぼれは牛僧孺。本日、白文礼どのが、金字館にて宴を設け、招かれている。左右のものよ、取り次いでくれ。牛太守がまいりましたと。
(僕が報せる)太守さまが来られました。
(白文礼)お呼びしてくれ。
(牛太守が会い、正末に言う)老いぼれは、しばしばお訪ねいたしましたに、目通りさせていただけぬとは、それがしもご縁が薄いものですな。
(正末)わたくしは、連日仕事が忙しいため、お迎えいたしませんでした。おじさまにはお咎めになられませぬよう。明日、わたくしは宴を設け、罪を請うことといたしましょう。員外どのにご同席していただきますが、承知していただけましょうか。
(白文礼)今日はひとまずわたくしの宴席の酒を飲まれて、明日ごいっしょに盛大な宴に赴き、笛、太鼓、歌と踊りで、心楽しく大いにお飲みになってください。
(正末が唱う)
【水仙子】喜ぶは楚腰[155]の細きを掌中に擎げたる。愛するは一派[156]の笙歌を酔後に聴きたる。ああ、おんみ孟嘗君[157]はやきもち焼きで依怙地にて、春風の軟玉の屏を損ひて、金釵に戯れ、はやくも驚き、冠の纓を落とせり[158]。杜牧之は成す術はなく、牛僧孺どのは誠実ならず、おしなべて行ひ汚く、言ふこと清し。
(牛太守)旧い話は持ち出されますな。本日は員外どのが宴を設けられましたから、お酒をお飲みくださいまし。
(正末)酒を飲まねばならぬなら、事も知らねばなりませぬ。わたくしは三年前に、白員外に一つの事を告げるようにと頼みましたが、おじさまはご承諾くださいましょうか。
（白文礼）太守さま、わたくしは好好さまを、杜翰林さまに娶わせるようにと申しあげましたが、お考えはいかがでしょうか。
(牛太守)牧之どのにご承諾いただけるなら、好好を会いに来させて、牧之どのの夫人にしましょう。好好はどこにいるのだ。
(旦が登場)わたくしは張好好。旦那さまがお呼びですから、ゆくとしましょう。(会う)旦那さまがわたくしを呼ばれましたのは、どのようなご用事にございましょう。
(牛太守)杜牧之どのがそなたを娶り、夫人にしようとしていらっしゃる。今日こそはまさに吉日、酒宴が散じた後に、輿入、結婚をさせ、宿縁を成就しようぞ。
(正末)おじさまにあつく御礼もうしあげます。
(張府尹が登場)わたくしは張尚之。せんだって豫章太守に任じられ、このたびは京兆府尹に昇任している。張好好は牛太守どのの義女となり、成人し、このたびは杜牧之の夫人となった。それがしは聖上の御諚を奉じ、牧之が女と酒を貪っていたため、もともとは罰を与えるはずだったのだが、ひとまずかれの才識が人に勝っていることを考慮して、細かい所行に拘ることなく、その罪を赦すことにし、このたびはわたくしみずからやって来て、かれに知らせることにしたのだ。はやくも着いたぞ。左右のものよ、取り次いでくれ。京兆府尹が到着したとな。
(僕が報せる)新任の府尹さまがご到着です。
(正末)お通しするのだ。
(張府尹が会う)
(正末)ああ、張さまが来られた。
(牛太守)京兆府尹どの、一別以来、恙なくお過ごしでしたか。
(張府尹)牛さまはわが父の友人ですのに、なぜ人々とともにこちらにいらっしゃるのでございましょう。
(牛太守)白員外さまに招かれたため、こちらにおります。
(張府尹)わたくしは、牧之どのが女と酒にうつつを抜かしていたために、朝命を奉り、もともとは罰を与えるはずだったのだが、保奏して、その罪を赦すことにしたのだ。
(正末)あつく御礼申しあげます。(唱う)
【雁児落】玉階の前に花影を弄ぶかと思ひしが[159]、そもそもは金殿の上に勅命を伝へたるなり。もとは牛僧孺の家の人なれど、杜牧之の心頭の病[160]となりぬ。
(張府尹が旦に会う)娘の張好好ではないか。なぜここにいる。
(正末が唱う)
【得勝令】天上の許飛瓊[161]なるかと疑ひしかど、そもそも足下の麗しき娘御なりき。竹を栽ゑ丹山の鳳を呼び[162]、花を覆ひて金谷の鶯を潜ましめ[163]、ことごとく実情を訴へたまへり。
(白文礼)学士さま、お舅さまに拝礼なさらず、どうなさるお積りですか。
(正末が唱う)わたしは強項令[164]なれば肩こそ強けれ、本日は縁を結び、この俊嬌娥を手に擎けり。
(張府尹)ああ、牧之どの、おんみが酒と女を貪られたために、朝廷はおんみを罰せられようとしているのです。
(正末が唱う)
【甜水令】酒を帯び、花を簪して、紅や緑に寄り沿ひて、狂ほしき心をもつべきにはあらざりき—これらの罪をわれは認めん。優れたるものを籠絡し、翻しては雲となり、覆ひては雨となり[165]、坑阱[166]に人を陷るべきにはあらず。われら二人は口先ばかりで拠り所なし[167]。
(張府尹)さいわいに、わたくしは、学士どのと同窓であったため、もう上奏し、罪を赦していただきました。そうしなければ、御史台は許そうとしなかったでしょう。
(正末が唱う)
【折桂令】御史台は人情に従はざれど、誰か汝をして画閣蘭堂[168]に人を欺き、錦陣花営[169]に人を誑かしむべけん。太守どのが許さるるなら、われわれ友のあひだには諍ひはなし。一双の花をば種うる手を展べて、河陽[170]の県令の似くし、一頂の酒を漉す巾を包みて[171]、五柳先生[172]にしぞ学べる。鸞鳳は和して鳴き、桃李の春に咲き誇ることを得ば、青楼に薄幸の名を贏ち得べし[173]。
(張府尹)牧之どの。わたしの話をお聴きくだされ。
(詞)太守の家の張好好は見目麗しく、杜牧之の心を懸懸たらしめたり。白員外の千里に誠を通ぜざりせば、良縁を結び夫となることをいかで得べけん。今日よりは、酒病と詩魔[174]を棄て去りて、十年の揚州の夢より醒めて、翰林院台閣の文章をはじめて示し、麒麟閣上に名を記されて姿を画かれたることにたえて負かず。
(正末が唱う)
【鴛鴦煞】これよりは功名を立て、麒麟閣には影を描かれ、絲蘿[175]を結びて、菱花の鏡[176]に寄り添はん。月を載する蘭の舟、夜を照らす花の灯を調へん[177]。朋友はともに歩むに、なほも衣衫の整はざるを恐れたり。雪月風花をやめにして、遊蕩疏狂の病を癒せり。本日は両の眼はすつきりとして、一枕の南柯の夢は呼び醒まされぬ。
