鐫新編全相楊家府世代忠勇通俗演義志伝五卷

●孟良が金の盔(かぶと)を通行料とすること

さて孟良は一日足らずで五台山に着き、五郎に会｢ますと、天門陣を破ったことを話し、山から下りて助けてもらいたいと頼みました。五郎は言いました。「さきに澶州でわが弟を救った後、山に戻ってきて、一心に佛教に帰依し、俗縁を絶っていたから、もう一度、陣伍に臨み、わが行いを損なうわけにはゆかぬのだ。こたびまた纏わりつきにくるとはどういうことだ」。孟良は言いました。「わがわたくしの事ではなく、お上の命で遣わされたため、来ないわけにはゆかなかったのでございます。師父さまには、わが上官が国事に励んでいることを考慮され、行くのを辞されませぬように」。五郎は言いました。「蕭天右、蕭天左は二逆龍精の降生で、天右はすでにわたしによって除かれたが、天左は今でも生きている。この悪者は天右の比ではない、ふたたびわたしがゆくとなれば、結局わたしがかれと戦うことになろう。わたしは今、考えたのだが、木閣寨の後ろには、降龍木が二本あるから、左側の一本をわたしに与えて、斧の柄を作らせてくれれば、あのものを降伏させることができよう。おんみがこの木を得ることができるなら、すぐに山から下りるとしよう。そうでなければ、行っても詮無いことであろう」。孟良は言いました。「師父さまがご所望ならば、わたくしは労苦を辞さず、行って求めてくるよりほかにございますまい」。五郎は言いました。「はやくゆき、求めてくれば、わたしも山から下りる準備をするとしよう」。孟良は五郎に別れを告げ、木閣寨めざして去ってゆきました。

さて木閣寨主は、定天王と号し、名を木羽といいました。かれには木金花という一人娘があり、またの名を木桂英といい、生まれつき勇力があり、神女に遇って神箭飛刀を伝授され、百発百中でありました。ある日、小盗人たちと狩りをし、一羽の鳥を射落としました。証拠に詩がございます。

隊(たい)を結び紛紛(ふんぷん)として寨東(さいとう)に出(い)で、囲みを分かち発縦(はつしよう)[1]し勢豪雄(せいがうゆう)たり。龍泉光(りゆうせんひかり)は射る腰間(やうかん)の剣(けん)、鵲血(じやくけつ)[2]新たに調(ととの)ふ手内(しゆない)の弓(ゆみ)。犬(いぬ)は金鈴(きんれい)を帯び草(さう)際(さい)に飛び、鵲(かささぎ)は錦翅(きんし)を翻(ひるが)へし雲中(うんちゆう)に投(とう)ず。平原(へいげん)十里(じふり)秋風(しうふう)冷たく、沙草蕭蕭(ささうせうせう)として半(なか)ば紅(あか)を染(そ)む。

木桂英が狩猟をしておりますと、一羽の鳥が飛んでゆきましたので、弓を放ってそれを射ました。その鳥はたちまちに落ち、孟良のちょうど目の前に落ちました。良はそれを拾ってゆきました。数歩も進まないうちに、たちまち五六人の小盗人が追いかけてきて、叫びました。「おとなしく鳥を返せば、そなたの命を許してやろうぞ」。孟良はそれを聴きますと、歩みを停めて進むのをやめました。小盗人は進み出て孟良を捉えにきましたが、孟良が脚を挙げて蹴ったため、小盗人たちは頭を抱えて逃げ惑い、いそいで桂英に報せました。桂英と小盗人たちは孟良を追いかけました。孟良は後ろが騒がしいのを聴きますと、賊たちが追いかけてきたのだと知り、鋭い刀を取り出し、突っ立って待ちました。たちまち桂英がやってきて、大いに罵りました。「狂夫(しれもの)め。このように大胆に、われわれのところに来て英雄ぶりをひけらかすとは」。孟良は話もせずに、刀を揮って桂英と戦いにきました。桂英は剣を挙げて迎えました。つづけて闘うこと数十合、孟良は小盗人たちが押し寄せてくるのを見ますと、傷つけられるのを恐れ、身を翻して逃げました。桂英はともに戦いましたが、孟良が刀の扱い方に慣れているのを見ましたので、負けた振りをしているのではないかと疑い、追わず、人々とともに退いて狭間[3]を守りました。孟良は進退きわまり、小盗人に言いました。「拾った鳥をお返しするから、路を開け、通してくだされ」。小盗人は言いました。「おんみはさきほど英雄ぶりをひけらかしたのに、今はどうして臆病になったのだ。おんみは路を間違えたのじゃ[4]。木閣営を通るときに、金銀を置いてゆかねばならないことは、すべての人が存じているぞ。通行料にする金がないときは、一日はもちろんのこと、一年でもゆくことはできないぞ」。孟良は、話を聞きますと、考えました。「五郎さまのために木を求めにきたが、命さえも保ち難くなってしまった」。やむなく金の盔を取って小盗人に渡し、通行料としました。小盗人は金の盔を桂英に捧げました。桂英は金の盔を得ますと、路を開けてかれを通らせるように命じました。

孟良はいそいで寨に馳せ戻り、六郎に会い、五郎が斧の柄を所望したことと金の盔を通行料としたことを、すべて話しました。六郎は言いました。「そのようなあばずれは、はなはだ憎むべきものだ」。宗保は言いました。｢わたくしは孟良といっしょに取りにゆきたいと思います」。六郎は言いました。「そなたは敵わないだろう」。宗保は言いました。「臨機応変にいたしますから、父上は心配なさらないでください」。その日、良とともに軍二千を率い、木閣寨の外にゆき、喊声をあげました。木桂英はそれを聞きますと、全身に鎧を纏い、人々を率い、太鼓を鳴らして出てきました。宗保は言いました。｢聞けばそなたの寨の後ろには、二本の降龍木があるとか。一本をわたしに与え、斧の柄を作らせてもらいたい。陣を破ったら、贈り物をし、お礼を申しあげるとしよう」。桂英は笑いながら言いました。「おんみは木をご所望ですが、手の中の宝刀をくだされば[5]、一本はもちろんのこと、二本でも差しあげましょう」。宗保は孟良に言いました。「狗婦(いぬおんな)めは、あのように不遜なことを申しておるが、あいつを捕まえ、みずから木を伐りにゆけば、懇願する必要はない」。そして槍を突き出して桂英を捕らえにゆきました。桂英は刀を舞わせて迎えました。交戦すること十数余合、桂英は隙を見せますと、馬に鞭打ち、負けた振りをし、山の隅へと逃げてゆきました。宗保が勢いに乗じて追いますと、桂英は身を引いて戻り、弓を取り、不意に一本矢を放ち、その馬に中てました。宗保が落馬しますと、桂英は進み出て、生け捕ってゆきました。孟良は後から駆けつけて救おうとしましたが、寨の上から矢や石がこもごも落ちてきましたので、前進することができませんでした。孟良は言いました。「われらは退いてはならぬ。計略を考えて、若将軍さまを救い出し、陣に戻らせなければならない」。兵士たちは言われた通りに、閣下に駐屯しました。

さて、木桂英は宗保を捉えて陣幕に入れ、小盗人に命じてきつく縛らせました。宗保は声を励まして言いました。「殺したいなら殺すがよい。かような苦刑を用いてどうする」。桂英は宗保が眉目清秀、白い歯に紅い唇、言葉が激烈なのを見ますと、ひそかに考えました。「この人と結婚することができれば、この世に生まれてきたのも無駄ではなかったというものだ」。ひそかに小盗人に命じて結婚を持ちかけさせました。小盗人が宗保に知らせますと、宗保はしばらく考えました。「わたしはかれの木が欲しいのだが、今、承諾しなければ、死ぬのは免れ難いだろう。承諾し、国家の危急を救った方がよいだろう」。そこで言いました。「寨主さまの雅情を蒙りましたので、ご命に従いたく思います」。小盗人は宗保が承諾したことを桂英に報告しました。桂英は大いに喜び、みずからその縛めを解き、宗保を扶け起こして相見え、左右に命じて酒を整え、宗保を持て成させ、向き合って腰掛け、楽しく飲みました。酒が半ば酣になりますと、たちまち寨の外で喊声がどよもし、宋軍がはげしく攻撃してきたことが報されました。宗保は言いました。「寨主さまに命を救われ、鸞鳳に倣ったのですから、一身同体にございます。門を開け、部下に事情を告げ知らせ、かれらの心を鎮めましょう」。桂英は承諾し、小盗人に命じて門を開けさせ、事情を宋軍に知らせ、孟良一人を陣幕に入れ、会いにこさせました。孟良は宗保と桂英がさし向かいで飲んでいるのを見ますと、言いました。「若将軍さまはこちらで限りなく楽しんでらっしゃいますが、われらは驚き、胆も潰れてしまいましたぞ」。宗保は結婚したことを孟良に知らせました。孟良は言いました。「軍情ははなはだ急にございますから、しばし別れを告げられて、後日、また来て、結婚式をなされてはいかがでしょうか」。宗保が桂英に哀願しますと、桂英は言いました。「そのようにすぐにゆかれたいのであれば、明日すぐにお送りし、ながいことお引き留めしようとはいたしませぬ」。次の日、宗保が桂英に降龍木を求めますと、桂英は言いました。「ひとまず戻られてください。わたくしがお送りし、嫁入道具といたしましょう」。宗保を山の麓まで送ってゆきましたが、恋恋として捨て難いといった様子はありませんでした。宗保は言いました。「わたしが災いに遭ったときには、救われて、断られないでください」。桂英は承諾して別れました。証拠に詩がございます、

郎(らう)才女(さいじよ)貌両(ばうふた)つながらに相(あひ)宜(よろ)しく、洞府紅(どうふべに)を揺らし幻影(げんえい)輝く。一夕(いつせき)の恩情(おんぜう)山岳(さんがく)より重く、歧(き)に臨み遽(には)かに分離(ぶんり)するに忍びず。

宗保は兵士たちを率いて戻りますと、父親に会い、言いました。「わたくしは木閣寨にゆき、桂英と鋒を交えたのですが、あやまって不意の矢で馬を傷つけられて、擒にされてしまいました。そのうえ命を奪われず、結婚を迫られたため、なすすべもなく、従うよりほかありませんでした。このたびは罪を請いにまいりました」。六郎は言いました。「木は手に入れたか」。宗保は言いました｡「ございませぬ。桂英はひとりで送ってくると申しておりました」。六郎は大いに怒って言いました。｢わしは国事に忙しいため、居ても立っても暇がないのだ。そなたはこたび木を求めたが、手に入れてくることもできず、私欲を貪り、主君や親を忘れるとは。わたしは何と不幸なのだ。このような不肖の息子を生んだとは。かようなものは必要ないわい｣。推し出して斬るように命じました。左右が宗保をまさに縛っておりますと、令婆がそのことを聞き、いそいで言いました。「宗保は軍令を犯したのだから斬られるべきだが、今まさに陣を破ろうとしているのだから、とりあえず生かしておいて使うとしよう」。六郎は言いました。「お婆さまが救ってくださらなければ、決してそなたを許さなかったぞ。とりあえず陣中に収監し、陣を破った後に引き出し、罪に問うことにしよう」。孟良は跪いて訴えました。｢将軍さまにはお怒りを収められたく。若将軍さまの一件は、まことにやむをえないことにございます。捉えられたからには、籠の中の鳥でございますし、木を求めようとなさっていたのですから、その時は従われないわけにはゆかなかったでしょう。収監するのを赦されますよう｣。六郎は決して承知せず、宗保を収監しました。−宗保が収監されたのは、六郎がその新婚であることに恋恋として、心して陣を破らないことを恐れていたからでした。次の日、孟良はひそかに獄中に入り、宗保に見えて言いました。「さきほど鍾道士さまに会いましたが、若将軍さまには二十日の血の災があるとのことにございました。今ここで囚われてらっしゃるのも、割引というものにございましょう。どうすることもできませぬから、耐えられるしかございませぬ」。宗保は言いました｡「父上はわたしを酷い目に遭わせられた。わたしのしたことは、そなたはすべて存じていよう。ただ、わたしはここで考えたのだが、桂英はとても優れた才能をもっているから、かれが助けにきてくれるなら、大いに役に立つことだろう。そなたは今からふたたび会いにゆくがよい。一つには木を求めるため、二つには桂英を呼んできて、わたしが出陣するのを助けてもらうためだ」。孟良は承諾し、別れを告げて去ってゆきました。

 

●木桂英が六郎を生け捕ること

次の日、孟良は宗保の言葉を受け、すぐに木閣寨に往き、桂英に会い、若将軍が囚われたため、わざわざ助けを請いにきたことを知らせました。桂英は言いました。「そなたの主君を待ち望んだが来ないので、迎えの人を遣わそうとしていたのだが、そなたがわたしを招きにきた。わたしがどうしてこの地を離れられようか。はやく戻って上官に伝えておくれ。若将軍を釈放せぬなら、わたしはすぐに人々を率いて攻撃するだろうと」。孟良はそれを聴きますと、愕然として言いました。「寨主さまは、若将軍さまと佳き連れ合いになられたのですから、軍を率いて助けるべきでございますのに、なにゆえさような不穏なことをおっしゃるのでしょう」。桂英は怒って言いました。「夫の不幸は、わたくしの不幸です。夫がわたしのために囚われたのならば、夫はすなわちわたしです。わたしの仇敵であるものを、兵を率いて攻めぬわけにはゆきませぬ。これ以上、ぺちゃくちゃと喋らないでください。鋭い刀をお見舞いしますよ」。孟良は言いました。｢今日は日が暮れましたから、わたくしを一晩休ませてください。上官の誼を思われてください」。桂英は言いました。「それは宜しゅうございましょう」。そこで孟良は退出し、寨の前で休みました。孟良は考えました。「手荒なことをしなければ、あのかたを助けにゆかせることはできまい」。考えを決めますと、二更を待ち、ひそかに寨の左に往き、火を放って焼きました。ちょうど九月で、狂風がはげしく吹き、たちまちに煙と焔が天に漲り、あたりが焼けましたので、小盗人たちは大いに驚き、一斉に出てきて火を消そうとしました。孟良は刀を提げて寨の後ろに入り、降龍木を斬り、ふたたび寨の中に入り、家族の半ばを殺しました。孟良は人々に覚られるのを恐れ、降龍木を負い、五台山めざして去ってゆきました。

火が消されますと、孟良の仕業であると分かり、あたりが捜索されましたが、人々はとっくに去ってしまったと言いました。ふたたび寨に入って看ますと、家族が殺されておりましたので、桂英は大いに怒り、すぐに部下たちを集め、九龍谷に押し寄せてゆき、この怨みに報いようとしました。進むこと数程で、小盗人が進み出て言いました。｢孟良がこの策を用いましたのは、寨主さまが山を下りて助けようとなさらなかったからにございます。あのものは、ほんとうは、殺意は持っていなかったのでございます。今、山寨はすでに焼かれて、ご家族も殺傷されてしまいましたから、人々を率いて大宋を助けた方が宜しゅうございましょう。一つには結婚をなしとげて、二つには朝廷に代わって功を立てられれば、いかばかり宜しいことにございましょう。あのかたと闘って、みずから和気を傷われることはございませぬ｣。桂英はしばらく考えますと、言いました。「そなたの申すことも尤もだ」。そこで人々を率いて戻ってゆき、寨の中の糧秣や物品をまとめ、車に積み込み、木閣寨の令字旗を掲げ、人々を率いて宋の陣に赴いてゆきました。証拠に詩がございます。

紫簫声断(しせうこゑた)ゆ鳳(ほう)凰台(わうだい)、緬想(めんさう)離情(りぜう)恨(うら)み懐(むね)に満(み)つ。是(こ)れ毒(どく)心(しん)もて寨(とりで)を焚却(ふんきやく)するにあらずんば、怎(いか)でか能(よ)く勾引(こういん)して山(やま)を下(くだ)り来(きた)らしめん。

宋軍は木閣寨の旗が来るのを望みますと、いそいで六郎に報せました。六郎は怒って言いました。「このあばずれはわたしの息子を誘惑し、とても憎らしいやつだ。今日また誘惑しにきたからには、わたしが斬って、後の患えを絶つことにしよう」。すぐに軍を率いて出陣し、大声で罵りました。「賤人(ばいた)め、おとなしく去ってゆけば、何もしないが、去ってゆかねば、そなたの首級を梟木に掛けようぞ」。桂英は大いに恐れ、考えました。｢わたしは好意で兵を率いて助けにきたのに、かえってかれから侮辱を受けた」。そこで話もせずに、馬に鞭打ち、六郎を捕らえにきました。六郎は槍をもたげて交戦すること数十余合、勝負はつきませんでした。桂英は負けた振りをして逃げました。六郎は馬を走らせて追いかけ、怒鳴りました。「どこへ逃げるのだ」。桂英は弓を取り、矢を番え、六郎の左腕に中て、馬から落とし、馬を返して六郎を捉えました。この時、岳勝、焦賛らはみな陣中におらず、救援する人がありませんでした。桂英は六郎を縛ってもとの寨に戻ることにしました。

路を進んでおりますと、たちまち山の後ろから、旗で日を蔽わんばかりに、一隊の僧兵たちが来ましたが、それは楊五郎と孟良でした。桂英は陣を布きました。孟良は馬に鞭打ち、進み出て、六郎が捉えられたのを望見しますと、大いに驚いて叫びました。「将軍さまはなにゆえ擒になられたのです」。六郎が答えないうちに、桂英が尋ねました。「このかたはどなたでしょうか」。孟良は言いました｡「桂英さまの舅どのです」。桂英は驚きました。「そなたがもしも来なければ、大倫を損なってしまうところであった」。すぐに馬から跳びおり、人に命じて六郎の縛めをいそいで解かせますと、拝礼をして言いました。「まちがって大人にご無礼をいたしましたが、何とぞお赦しくださいまし」。六郎は言いました。「挨拶をすることはない。とりあえず立ち上がるがよい」。五郎らは兵を合わせて、九龍谷に戻りました。六郎は人に命じて宗保を釈放させ、桂英とともに令婆に拝礼させました。令婆はとても喜んで、言いました。「この娘はほんとうにわが孫にふさわしい」。そして酒を整えるように命じ、五郎らをねぎらいました。酒が半ば酣になりますと、岳勝、胡延顕らが、各地の兵馬を召してきたという報せがありました。六郎は大いに喜び、すぐに寨を出て迎えました。王貴、金頭馬氏、八娘、九妹らは、みな陣幕の中に入りました。会いますと、六郎は王貴を呼び、拝礼をして言いました。「叔父さまが風塵に馳せられるのは、わたくしの巻き添えとなられたもの、お咎めになられませぬよう」。王貴は言いました。「そなたとわたしはともに朝臣であるのに、なぜ『巻き添えとなられた』などと申すのだ」。王貴らはみな令婆に拝礼しますと、六郎は酒席を設けて持て成し、人々は楽しみを尽くして散じました。

六郎は御営に入って上奏しました。｢今、諸路の兵馬はすでに寨にまいりましたから、聖旨を出されて号令し、陣を破られますように｣。帝は言いました。「諸軍がすべて来たのなら、そなたは機に乗じて進め。これからは、朕の指令を待つことはない。そなたの指揮に任せよう」。六郎は命令を受け、陣中から退出し、宗保と陣を破ることについて相談しました。宗保は言いました。「陣を破るには吉日を択ばねばなりませぬ。ここ数日は日柄がよくなく、鍾師父もひとまず二日待つのがよいとの仰せです。わたくしは今から先に諸将を率い、隙を窺うことにいたしましょう」。六郎は承諾しました。次の日、三回太鼓が鳴りますと、宗保は全身に鎧を纏い、旗を揚げ、太鼓を鳴らして陣を出ました。蛮将の黒韃令公韓延寿は武威をひけらかし、陣前に走り出ますと、南陣の諸将が白馬の上に端座する一人の少年を擁しているのが見えました。延寿はその馬が蕭太后の乗っていた白馬であることに気付きますと、まるで雷が轟くかのように大喝しました。宗保はたちまち馬から落ちましたので、諸将は慌てて扶け起こし、介添えしながら陣中に戻りました。帳に入り、腰を掛け、鍾道士に白湯で丸薬を煮てもらいますと、すぐによくなりました。六郎が落馬の理由を尋ねますと、諸将は答えました。「まさに対陣していた時に、蛮人が声を励まし、一喝したため、若将軍さまが落馬されたのでございます」。六郎はそれを聴きますと、嘆きました。｢交戦をしておらぬのに、声を聞いただけで震えるとは。かようなことでは、成功を望むことはできないな。こわっぱは大事を謀るには足らぬわい」。鍾道士は言いました。｢宗保さまは懦弱なために、戦えぬのではございませぬ。単にお年が若かっただけのことにございます。将軍さまは聖上に上奏され、壇を築いて宗保さまに拜礼をされ、重職を授けられ、一歳を賜われば、出陣し、敵を破ることができましょう」。六郎はその言葉に従い、真宗に上奏しました。

真宗が群臣と相談しておりますと、八王が上奏しました。「六郎の上奏を受理され、宗保を重職に封じれば、はじめて三軍を指揮して、遼を破ることができましょう」。真宗は言いました。｢いかなる職に封じるべきか」。八王は上奏しました。「遼、宋の勝ち負けは、この一点に掛かっております。本日、職に封じるときは、以前、他の将軍たちに職を授けたときのように、粗略に命令なさるだけではいけませぬ[6]」。真宗は言いました。「どのように封ずるべきなのだ」。八王は言いました。「その昔、漢の高祖は韓信を拝して元帥とし、兵士らに尊敬すべき人物を知らしめました。今日も漢の高祖の行いに倣われれば宜しいでしょう」。帝は上奏を受け入れ、兵士に命令を下し、陣の外に三層の将台を築かせ、四方に旗竿を立て、方色[7]に従って旗を立てました。儀礼はすべて漢の制度に倣いました。一日足らずで築きおわりますと、真宗に上奏しました。真宗は斎戒沐浴し、吉日を択び、群臣を率いていっしょに将壇の上にゆきました。真宗は壇に登りますと、宗保を壇に昇らせました。宗保は跪きました。真宗は香を焚き、天地に祈りますと、真宗はみずから大元帥の印を掛けてやり、嚇天覇王、征遼破陣大元帥に封じました。宗保は勅旨を受け、恩徳に謝しました。帝は群臣に言いました。「朕は宗保が若いので、特別に一歳を賜い、満丁[8]の数にしよう」。八大王が上奏しました。「陛下が一歳を賜わられたから、臣らも一歳を贈り、あわせて十六歳にしましょう。丁年を満たして、かれを出陣させれば、万倍の威力がございましょう」。真宗は大いに喜び、すぐに勅旨を下し、宗保に一歳を賜い、群臣は一歳を贈りました。そして将校たちに金牌の勅書を捧げもたせ、寨に送り帰させました。宗保は再拝して命を受け、将校とともにさきに陣に戻ってゆきました。真宗ははじめて壇を下り、群臣とともに御営に戻りました。

翌日、宗保は陣中に坐し、各陣に命令を下し、陣を攻めるのを待たせました。そして鍾道士を帳に招き入れ、兵を進めることについて相談しました。鍾道士は言いました。「蛮陣の中では、道の曲折がきわめて多うございますから、かならずさきに勇気ある、大胆な者を入ってゆかせ、巡視して戻ってこさせ、兵士らに話しをさせて、その後で攻撃をすることができましょう」。宗保は尋ねました。「天門陣を巡視しにゆく者はおるか」。焦賛はすぐに返事をしました。「わたくしがゆきたいと思います」。宗保はかれがゆくのを許しました。焦賛は退いて本陣に戻りますと、副将の江海と相談しました。「わたしは今から蛮陣を巡視しにゆこうと思うが、おんみはいかなる策をわたしに授けてくださる」。海は言いました。「蕭后の勅旨がなければ、入っていって看ることはできませぬ。今からゆこうとなさるなら、蕭后の勅旨を偽造し、夜回りをすれば、はじめてゆくことができるでしょう」。賛は言いました。「どこで印章を得るのでしょう」。海は言いました。「難しいことではございませぬ。わが父は蕭后の掌印の官をしておりましたが、印の型が残っておりますから、わたくしが型の通りに彫刻しましょう。先日、孟将軍が良驥を盗みにいかれたときも、わたくしが印章をあのかたに差しあげたのです。このたび、わたしがこの印をふたたび偽の勅旨に押して、おんみに与えてゆかせれば、かならずや巡視して戻ってくることができましょう」。焦賛は大いに喜び、海から偽の勅旨をもらい、夜に本営を離れ、天門陣にゆきました。

さきに鉄門金鎖陣を見ますと、蛮将馬栄が雄威糾糾[9]と、将台の上に立ち、部下は鉄桶のように守っておりました。そして焦賛を見ますと、尋ねました。「そなたは誰だ。ここに来て巡視するとは」。賛は言いました。「太后さまの勅旨を奉じ、ここへ夜回りをしにきたのだ」。栄は言いました。「勅旨はどこにある」。賛はすぐに取り出して示しました。栄はそれを見ますと、陣を開いて賛を通しました。賛は鉄門陣を過ぎ、さらに青龍陣にゆきました。すると鉄頭太歳が声を励まして言いました。「ここをどこだと思っておるのだ。ここに来て夜歩きするとは」。賛は言いました。「太后さまのお達しにより遣わされ、見回りをしにきたのだ」。太歳は勅旨を求めてそれを看ますと、賛に青龍陣を通らせました。賛はその中に入り、道路の入り組んでいるさまをすべて見、さらに四面の銅鑼、太鼓の音を聞き、はなはだ恐れました。さらに白虎陣にゆきますと、守将の蘇何慶が怒鳴りました。「何者がこの陣を看にまいったのだ」。賛は言いました。｢太后さまの勅旨を受けて、夜回りをしているのだ」。蘇何慶は勅旨を求めてそれを看ますと、陣を開き、賛を通しました。賛はいそいで太陰陣にゆきますと、多くの婦人が裸体で、台の周りに立っており、陰風は習習、黒霧は騰騰としておりましたので、おもわず頭がくらくら、心がぼんやりとしました。黄瓊女は髑髏を手に執り、焦賛を遮りました。賛は怒鳴りました。「わたしは太后さまの勅旨を奉じて巡視しているのだから、そなたが阻むことはできぬぞ」。瓊女は勅旨を求めてそれを看ますと、賛を通しました。

焦賛は雄心がにわかに消え、とても慌て、それ以上、中に入って陣を看ようとは思わず、脇を通って陣から走り出、陣中に馳せ戻りました。そして宗保に謁見し、陣立てや、その中がかくかくしかじかであったということを知らせました。宗保はそれを聴きますと、すぐに鍾道士を招いて相談しました。鍾道士は言いました。「太陰陣だけは破るのがきわめて難しゅうございます。命令を下し、先にこの陣を破れば、そのほかは順繰りに攻めることができるましょう」。宗保は尋ねました。「大陰陣に、婦人が裸体で立っているのは、どういうことなのでしょう」。鍾道士は言いました｡｢按ずるにかれは月孛星(げつぼつせい)[10]であり、髑髏を手に執り、交戦する際、哭き声を出しますと、敵将は気を失って馬から墜ちるのでございます。今、この陣を破られようとなさいますなら、まずこの女を擒にせねばなりませぬ｣。宗保は言いました。「誰がゆくことができるだろうか」。鍾道士は言いました。「金頭馬氏が行けば、うまくゆくことでしょう」。宗保は命令を下し、金頭馬氏に命じました。「精兵三万を率いて、第九座天門陣から攻め込んでゆけば、わたしが援護の兵をさしむけよう」。金頭馬氏は兵を率いてゆきました。宗保はさらに八娘を呼び、言いました。「おばさまは兵馬一万を率いて、太陰陣の外に逼って、待機していてください。敵軍が出てきましたら、勢いに乗じて突進してください」。八娘は計略を授かりますと去ってゆきました。宗保は差配をおえますと、鍾道士とともに台に登って眺めました。証拠に詩がございます。

蓬(ほう)島(たう)神(しん)仙(せん)の侶(りよ)、凡(ぼん)に臨(のぞ)み宋(そう)君(くん)を輔(たす)く。

 

●黄瓊女が遼に反して宋に投じること

さて金頭馬氏は兵を率いて第九座門から喊声をあげて攻撃しました。黄瓊女はそれを聴きますと、赤身裸体で出陣し、敵を迎えました。馬氏はそれを見ますと、罵りました。「おまえは西夏国王の実の娘だが、軍を率いて他人の戦を助けている。自由に指揮することができずに、他人の指揮を受けるのは、無能であるということだ。それに婦人が男子と異なる所以は、体を隠す一事にすぎない。今、そなたは耻を知らず、父母の遺体を露わにして出陣し、武威を輝かそうとしている。たとい功を成し遂げたとて、人に唾され、罵られよう。明日になったら、どの面下げて、戻って父母や兄弟に見えるつもりだ」。瓊女は馬氏に罵られますと、嘿嘿として言葉がなく、満面に羞じらいの色を浮かべて、馬を走らせ、陣中に戻ってゆきました。馬氏は陣に殺気が騰騰、刀や槍が晃晃としているのを見ますと、追いかけず、八娘と兵を合わせて戻りました。

さて黄瓊女は陣中に戻りますと、ひそかに考えました。「わたしは遼を助けにきたが、赤身裸体になるように命じられ、ほんとうに恥ずかしいこと限りない。思えばむかし、�ｹ令公が媒酌となり、わが父はわたしを山後の継業六郎と婚約させたが、�ｹ令公が亡くなったため、この縁談は沙汰止みとなってしまった。今、宋の大軍を統べているのは、わたしの昔の許婚六郎さまとか。部下を率いて宋に投降し、佳きつれあいと縁結びをし、蛮族を破るのをお扶けし、かような恥辱に報復すれば、まことに素晴らしいことだろう」。考えは決まりました。次の日、ひそかに部下を遣わし、馬氏の陣に手紙を送らせました。馬氏は手紙を得ますと、令婆に報せました。令婆は言いました。「かれがこのたび話をせねば、わたしも忘れていただろう。昔、河東にいた時に、そのような話があった。�ｹ令公が亡くなったため、その縁談が成就しなかったのであろう」。馬氏は言いました。「その婦人は、昨日わたしに辱しめられましたから、本日投降してまいりましたのは、嘘偽りではございますまい。ご隠居さまはご子息と相談なさるべきでしょう」。令婆はそこで六郎を召し、知らせました。「黄瓊女どのは昔の縁結びの件のため、本日、人を遣わして、手紙を届け、投降してきて、昔の誼を求めようとなされています」。六郎は言いました｡「投降してくるのは結構ですが、会親(かいしん)[11]をするのは難しいでしょう。今は交戦の最中ですから、暇がございません。陣を破った後、さらに相談しなければならないでしょう」。令婆は言いました。「それは違う。かれは結婚するために、投降してこようとしているのだ。そなたがもしもぐずぐず言えば、かれは心に疑いを懐き、来ようとしなくなるだろう。今は人を用いる時で、かれが投降してくれば、太陰陣は攻めずともおのずから破れよう。さらに宋には一人の羽翼が加わって、遼には一人の強敵が�揩ｦるのだ。このような機会は一挙両得で、とても大きな幸いぞ。老母の言葉に従って、承諾をするがよい」。六郎は母の命に従い、すぐに手紙を書き、来た者に与えて戻らせ、明晩内外呼応することを約束し、陣が破れたら、軍中に招き入れて結婚することにしました。黄瓊女は手紙を得ますと、とても喜びました。次の日、黄昏が近づきますと、軍に命令を下して、きちんと準備をさせました。するとたちまち陣の外で、金頭馬氏が本隊を率いて太陰陣を攻撃し、喊声がどよもしました。黄瓊女は宋軍がすでに到着したことを聴きますと、人々を率いて中から出撃しました。見回りの黒先鋒はすぐやってきて、馬氏と鋒を交えましたが、ただ一合で、斬られて馬から落ちました。北兵は大いに乱れました。黄瓊女は馬氏と兵を合わせ、北営を出てゆきました。韓延寿、蕭天左が兵を率いて追いかけてきた時には、馬氏はすでに陣に戻っておりました。二人は後悔しましたが、すでに手遅れだったため、戻ってゆきました。金頭馬氏は黄瓊女を連れて陣中に入り、令婆に見え、言いました。「このたびは黄瓊女は投降し、黒先鋒は殺されて、北蛮に大勝いたしました」。。令婆は大いに悦び、六郎を召し入れました。黄瓊女がかれと会いますと、各陣の軍官たちは一斉に祝賀しました。

次の日、宗保は陣に入って六郎に言上しました。「昨日は鍾師父に、陣立てと、攻撃のとき出入りする路を、はっきり指示していただきました。明後日は甲子ですから、陣を破ることができましょう。お父さまには、聖上に上奏し、みずから督戦しにきていただきますように」。六郎は言いました。「心して計を定めて、兵を進めよ。わたしはすぐに帝にお知らせするとしよう」。宗保は退出し、鍾師父に会い、尋ねました。「明日兵を出しますが、どの陣を破るのを先にいたしましょう」。鍾道士は言いました。「鉄門金鎖陣は咽喉元の重要な場所だから、先に破らなければならない。その次は青龍陣だ」。宗保は言いました。「誰を遣わし、鉄門、青龍両陣を破りにゆかせるべきでしょう」。鍾道士は言いました。「鉄門陣へはご夫人の桂英どのを遣わされ、青龍陣へはご母堂柴太郡さまに行っていただくべきでしょう」。宗保は言いました。「桂英は断ることはございませんが、わが母は身籠っておりますから、どうして行くことができましょう」。鍾道士は言いました。「とにかくゆかれれば宜しいのです。今はまさに、お産の気により、この陣の妖孽を抑えようとしているのです」。宗保は承諾し、六郎に謁見し、指示されたことを知らせました。六郎は言いました。「軍令に背くわけにゆかない。ただ、そなたの母は身籠っている。危うくなったらどうしよう」。宗保は言いました。「鍾師父は構わないと仰っていましたから、孟良に介添えをしてゆかせましょう」。六郎はその話を受け入れました。宗保はひそかに陣を破る計略を書き、太郡、桂英に渡しました。太郡、桂英は計略を授かりますと、それぞれ精兵三万を率い、大砲が鳴りますと、二隊の兵は太鼓を鳴らして進みました。

さて木桂英は兵三万を率い、蛮陣に近付きますと、兵一万を分かち、おのおの火炮、火箭の類を執り、陣に入り、鋒を交える時になったら火炮、火箭をいっせいに発するように号令しました。さらに軍一万を分かち、九旗谷の真北から攻め込ませ、青龍陣の後ろに出、柴太郡の兵を迎えさせました。兵士たちは計略を授かりますと去ってゆきました。木桂英は軍を駆り、喊声をあげ、左右に分かれて鉄門金鎖陣を攻撃しました。蛮将の馬栄はそれを眺めますと、将台を離れ、人々を率いて天地が崩れるかのように下ってきました。桂英はほぼ一望の地[12]を退き、馬栄を欺いて近付け、交戦すること二十余合、勝負はつきませんでした。桂英がまさに戦っているときに、その一万の部下たちは、それぞれ通路めがけて攻め進みました。鉄門の兵はたちまち押し寄せましたが、宋軍によって火炮を放たれ、火箭を射られ、殺傷されるものは数をも知れませんでした。鉄栓、鉄棍十四門の精兵はみな救援しにきましたが、宋軍は蜂が湧くかのように進み、北兵の陣は乱れました。桂英は勇を奮って突進し、大喝一声、鋼の刀を振り上げますと、馬栄の頭はもう地に落ちておりました。宋軍は勢いに乗じて攻め入り、蛮兵を無数に殺しました。証拠に詩がございます。

鉄馬金(てつばきん)戈陣図(かじんず)を破り、馬栄(ばえい)力怯(ちからよは)く竟(つひ)に誅(ちゆう)に遭(あ)ふ。蒼天(さうてん)此(こ)の際(さい)明聖(めいせい)を扶け、致使(ちし)す佳人(かじん)の大謨(たいぼ)を立(た)つるを。

さて柴太郡は軍三万を率い、青龍陣へゆきますと、孟良に命じました。「そなたは軍一万を率い、先に九曲の黄河[13]を攻め、龍腹から出るのだ。わたしは兵を率いて龍頭を攻撃し、陣の後ろに出、桂英と合流しよう」。孟良は命令を受け、兵を率いて先に進みました。郡主は良をゆかせますと、軍に命じて大声で叫ばせ、龍頭を攻撃しました。守将の鉄頭太歳は兵を率いて将台を離れ、敵を迎え撃ちにきました。郡主は交戦すること数合、勝負はつきませんでした。たちまち中間に殺到しますと[14]、大砲が響き、孟良が軍を率いて阻みました。北兵は大いに乱れました。鉄頭太歳がさらに迎え撃ちにきますと、柴太郡は勢いに乗り、軍を促して進撃させました。龍鬚、龍爪十四門の精兵は一斉に出撃し、柴郡主と孟良は前と後ろで奮戦しました。正午が近付きますと、郡主は長く奮戦したため、産気づき、たちまち腹が痛みだし、だんだん耐えられなくなりました。郡主は大声で「苦しい」。と叫びますと、部下の兵士はみな色を失いました。郡主はまもなく馬から落ち、一人の赤ん坊を産み、意識を失って地に倒れました。鉄頭太歳は郡主が馬から落ちたのを見ますと、馬に鞭打ち、捉えにきました。するとたちまち陣の側面に一隊の兵馬が風のように馳せてきました。それは木桂英でした。かれは郡主が地に倒れているのを見ますと、力を奮って郡主を救い、進み出て、鉄頭太歳と交戦すること数合、鉄頭太歳は郡主のお産の腥い気に衝かれ、たちまち馬に鞭打って逃げましたが、桂英によってすばやく刀で斬りつけられ、一道の金光となって天に衝きあがってゆきました。蛮兵は大いに乱れました。孟良は勢いに乗り、数知れぬ蛮軍を斬りまくりました。桂英は馬を下り、郡主を扶け起こし、生まれた子供を包んで自分の懐に入れ、ふたたび太郡を扶けて馬に乗せ、その後で、みずから馬に跳び乗って出撃し、青龍陣を破りました。証拠に詩がございます。

太郡(たいぐん)の威風(ゐふう)等閑(とうかん)ならず、忽然胎(こつぜんたい)堕(お)ちて陣図(じんず)開く。桂英(けいえい)の一馬如(いちばも)し遅く到(いた)らば、険(あや)ふく妖魔(やうま)の短剣(たんけん)に飧(くら)はれんとす。

桂英は完勝を得ますと、戻って令婆に見え、陣を破ったこと、郡主のお産が無事であったことを知らせました。令婆、六郎らは大いに喜び、郡主を後営で休ませました。

さて北蛮の韓延寿は宋人がさらに二つの陣を破ったことを知りますと、いそいで椿岩を召して相談しました。岩は言いました。「二つの陣は破られましたが、わが迷魂陣が破られることはございませぬ。かれらがふたたびまいりましたら、すべて殺すといたしましょう」。延寿は言いました。「それは難しいだろう。陣はすでにかれらによって三つ破られたのだから、敵の陣にもきっと智謀の士がいるのだろう。敵が無能であると侮ってはならぬ。ご用心なさるがよろしい」。岩は言いました。「わたしにはおのずから考えがございますから、元帥さまにはご心配ご無用にございます」。そう言いますと、呂軍師と相談をしにゆきました。

さて斥候は宗保に、北兵の陣の防備がとても厳重であることを報せにきました。宗保は言いました。「敵は防備が堅いが、わたしによって三つの陣を打ち破られて、すでに鋭気を損なわれている。今からふたたび順番に攻撃すれば、負ける心配はないだろう」。そう言いますと、鍾師父を招いて帳に入れ、兵を進めることについて相談しました。鍾道士は言いました。「兵を指揮して白虎陣を攻撃なさるべきでしょう。白虎陣が破れれば、さらに機を看て進みましょう」。宗保は言いました｡｢今回は誰をゆかせるべきだろう」。鍾道士は言いました。「この陣はご父君が破られましょう」。宗保は承諾し、すぐに六郎にそのことを告げました。六郎は言いました。「わしがみずからが出陣すれば、はじめて諸将を激励することができよう」。宗保は退出しました。次の日、六郎は全身に鎧を纏い、騎兵三千を率い、北営に殺到し、白虎陣を攻撃しました。宋軍は喊声がどよもし、勢いは潮が湧くかのようでした。椿岩は将台に登り、紅旗を揮いました。蛮帥蘇何慶は中座の陣門を開き、兵を率いて敵を迎えようとしますと、六郎が武威を輝かしながらやってくるのに遭遇しました。二騎は交戦すること二十余合、何慶は負けた振りをし、馬を停め、逃げ戻りました。宋軍が勢いに乗り、進撃しますと、たちまち将台に銅鑼が響き、黄旗がひらめき、にわかに八卦陣へと変わり、覇貞公主が精兵を率いて取り囲んできました。六郎がその中に入りますと、路は紛紛としており、進路も退路も分かりませんでした。何慶は兵を促してふたたび戻り、六郎を陣に包囲しました。六郎は左に右に突きまくりましたが、出る路はありませんでした。敗軍は慌てて宗保に報告しました。宗保は大いに驚いて言いました。「わたしは計略を誤ってしまった」。すぐに焦賛を呼び、言いました。「そなたははやく兵三千を率い、左側から白虎陣の中に攻め入り、石で二面の銅鑼を打ち破り、虎の眼をなくし、見ることができなくするのだ。そうすればわたしは兵をさしむけて救援しよう」。焦賛は兵を率いてゆきました。宗保はさらに黄瓊女を呼んで言いました。「軍五千を率いて、右側から白虎陣の中に攻め入り、二面の黄旗を切り倒し、虎の耳をなくし、聴くことができなくされれば、その陣はかならずや乱れましょう」。黄瓊女は兵を率いてゆきました。さらに木桂英を呼んで言いました。「そなたは騎兵一万を率い、中門から白虎陣の中に突進し、わが父を救うのだ」。桂英は兵を率いてゆきました。宗保は差配をおえますと、みずから岳勝、孟良らを率いて救援しにゆきました。

さて焦賛は上官が囲まれたことを聞きますと、雷のように声を震わせ、兵を率いて左から攻め進みました。蛮将劉珂は虎眼を守っておりましたが、宋軍が殺到しますと、すぐに台を下り、敵を迎え、馬を交えること二合、賛によって一刀のもとに斬られました。焦賛は残りの軍を退散させ、馬に鞭打ち、台のほとりに近づき、銅鑼を打ち砕き、勢いに乗じて進撃しました。さて瓊女は右側から突入し、蛮将張熙に遭遇しました。交戦すること一合、瓊女は一刀のもとに張熙を斬って馬から落とし、台の前に近付き、その旗二面を切り倒し、賛と兵を合わせ、いっしょに白虎陣の後ろに出てゆきました。蘇何慶は陣がすでに乱れたのを見ますと、いそいで救援を求めました。木桂英は突入し、何慶と交戦すること二合、何慶は力が萎え、陣を逃げまわりました。桂英が弓を取り、矢を番えて射ますと、何慶はたちまち馬から落ち、反乱兵によって斬り殺されました。覇貞公主は夫が馬から落ちるのを見ますと、すぐに救いにきましたが、後ろから黄瓊女が殺到し、鉄鎚で背中を打ちましたので、覇貞公主は口から鮮血を吐き、単騎で本国へ逃げかえってゆきました。六郎はおもての銅鑼や太鼓の音を聞きますと、きっと援軍が来たのだと考え、真ん中を衝いてゆきますと、焦賛の兵に遭遇し、蛮兵をまるで瓜を切るかのように斬り殺し、白虎陣を破りました。証拠に詩がございます。

白虎陣勢(びやつこじんせい)を安排(あんはい)すること巍(ぎ)にして、六郎(ろくらう)攻打(こうだ)して雄威(ゆうゐ)を奮(ふる)ふ。旗鑼砍(きらき)り倒され眸耳(ぼうじ)無く、頃刻塵(けいこくちり)清められ凱(がい)を奏(かな)でて帰る。

 

●令婆が通明殿陣を攻撃すること

六郎が白虎陣を破り、宗保らはかれを迎えて戻りました。次の日、軍議しますと、諸将はみな入ってきて拝賀しました。六郎は言いました。「陣ははたして玄妙なもので、戦が半ば酣になるとさらに別の陣に変わり、出る路に迷ってしまった。援軍が来なければ、敵に殺されるところだった」。宗保は言いました。「今、父上は白虎陣を破られましたが、勢いに乗じて、兵を進め、通明殿を攻撃されれば、そのほかの陣を破るのは難しいことではございますまい」。六郎は言いました。「陣中の変化は一つではないから、そなたはじっくり指揮せねばならぬ。軽くみて、大事を誤ってはならぬ」。宗保は言いました。「父上にはご安心なさいまし。わたくしはすでに成算がございます」。そして令婆、八娘、九妹を招き、言いました。「お婆さまと二人のおばさまは、兵三万を率いられ、通明殿を攻撃なさってくださいまし。通明殿には梨山老母がおりますが、お婆さまはゆかれましたら、まずはこの婦人を擒にされねばなりませぬ」。そう言いますと、令婆は兵を率いて出でゆきました。そこで八娘、九妹に命じ、それぞれ軍一万を率いて前進させました。宗保はさらに王貴を招き、帳に入れ、言いました。「老将軍さまには軍一万を率い、通明殿の真ん中から入り、令婆の軍を救援なさってくださいまし」。王貴は軍を率いてゆきました。宗保は差配をおえますと、諸将を率いて台に登り、様子を眺めました。

さて令婆は人々を率い、喊声をあげながら、通明殿に殺到してゆきました。椿岩は令婆が陣に進撃してきたのを見ますと、紅旗を振りました。梨山老母は、董夫人でした。董夫人は紅旗が揺れているのを眺めますと、馬に鞭打ち、令婆と交戦しにきました。戦うこと数合、董夫人は馬を返して逃げました。八娘、九妹は両翼から挟み撃ちにし、一斉に陣に突入してゆきました。するとたちまち陣中で、銅鑼、太鼓が一斉に鳴り、蛮将が取り囲んできて、令婆らをその中に包囲しました。王貴はいそいで兵を率い、殿の真ん中に突進し、令婆を救いにゆきますと、北蛮の巡営元帥韓延寿が来るのに遭遇しました｡韓延寿は弓を取り、矢を番え、王貴の胸元めがけて射掛けました。王貴はたちまち倒れ、部下の兵士は蛮人によって大半が殺されました。敗軍は逃げ戻り、宗保に報せました。宗保は大いに驚いて言いました。「聖上の愛将を殺傷するとは、この恨みが消えようものか」。すぐに桂英を遣わし、軍五千を率い、救いにゆかせました。桂英は命令を受けますと、兵を率いてゆきました。さらに楊七姐―六郎の娘―に命じて、歩兵五千を率い、殿前に突入し、紅灯を打ち破り、敵が変化を知らせられないようにしました[15]。七姐は兵を率いてゆきました。

さて木桂英は陣中に殺気が騰騰とし、ぐるりと包囲されているのを望見し、馬を走らせて突進しますと、董夫人が八娘、九妹と奮戦しているのに遭遇しました。八娘、九妹はだんだん力が衰えました。木桂英が弓に矢を番え、董夫人の目に中てますと、董夫人は馬から墜ちて死にました。桂英は兵を促して突入させ、九妹、八娘、令婆らを救い出し、兵を合わせて出撃しました。見れば楊七姐は紅灯を打ち破り、通明殿の後ろにまわり、令婆らとともに兵を一箇所に集め、陣の中に突進してゆきました。韓延寿は宋軍の勢いがはなはだ鋭いのを見ますと、交戦しようとせず、馬を停め、戻ってゆきました。

宋軍はそこで王貴の亡骸を奪い、寨に戻りました。宗保らはそれを見ますと、みな悲しみました。時に王貴の妻杜夫人も陣中におり、夫が陣没したのを見ますと、号泣してやみませんでした。六郎は言いました。「おばさまどうか悲しまれないでください。わたくしは今から聖上に上奏し、手厚く表彰を加えていただき、その死に報いることにいたしましょう」。夫人は泪を収め、哭くのをやめました。六郎は御営に入り、上奏しました。「叔父の王貴は出陣し、射殺されましたが、そのことは誇るべきことにございます。陛下には表彰をされ、後人を励まされますように」。帝は上奏を聞きますと、悲しむのをやめず、その上奏を受け入れました。そしてすぐに杜夫人を御帳に入れ、慰めました。「王令公は、朕の愛将であったが、こたび戦没したために、朕ははなはだ悲しんでいる。たださいわいに息子がいるので、無職の恩官[16]に封じ、月に俸米八十石を給わろう。年が丁年になったら、入朝させて父の旧職を襲がせよう。そなたは忠義夫人に封じ、王貴は忠義成国公と贈り名し、金銀緞匹十二車を欽賜しよう」。勅旨が下りますと、夫人は聖恩に謝して退きました。次の日、杜夫人は令婆らに別れを告げ、まっすぐ洪都荘に戻ってゆきました。

さて宗保は鍾道士を招き、帳に入れ、兵を進める策について相談しました。鍾道士は言いました。「今、幾つかの陣を破りましたが、さらに迷魂陣があり、攻撃するのはきわめて難しゅうございます。おじさまの五郎さまを遣わして、僧兵を率いてゆかせれば、はじめて破ることができましょう」。宗保は言いました。「わたくしは将台の上で眺めましたが、真北の呂軍師の陣は隠隠として山のようです。この陣を破れぬことをとても心配しております」。鍾道士は言いました。「ご心配にはおよびませぬ。わたしがみずからそこを破るといたしましょう」。宗保は大いに喜んで退きました。次の日宗保は軍議を開き、五郎を招き、言いました。「おじうえには僧兵を率い、先に出て、迷魂陣を攻撃なさいますように。わたくしは兵を指揮して救援をいたしましょう」。五郎はすぐに頭陀僧兵五千を率い、喊声をあげ、迷魂陣に突入してゆき、蛮将蕭天左に遭遇し、交戦しました。馬を交えること十数合、天左は負けた振りをし、五郎を陣に引き込みました。単陽公主は馬を走らせ、刀を揮い、五郎を捕らえにきました。五郎は交戦すること二合、公主は馬を返して逃げました。五郎は兵を駆り、追いました。すると五百羅漢が一斉に出撃しましたが、頭陀僧兵は勇を奮って奮戦し、五百羅漢の半分を殺しました。耶律吶は台の上で宋軍の勢いが鋭いのを眺めますと、いそいで紅旗を揮いました。するとたちまち陰風が習習、霧気が漫漫として、一陣の妖鬼が号哭しながら現れました。頭陀僧兵はみなぼんやりし、頭は痛み、脚は萎え、前進することができなくなりました。五郎は大いに驚き、いそいで神呪を解き、その後、兵を率いて逃げ戻り、宗保に報せました。宗保は言いました。「忘れておりました。師父はこちらに妖怪がいると仰っていましたから、法術を用いて破るべきでしょう」。そして、附近の村に人を遣わし、四十九人の子供を探してきますと、すべて軍装させ、かれらに楊柳の枝数本を執らせました。さらに五郎を招いてこさせますと、言いました。「今日はふたたびおじうえにこの子供たちを率いて、入ってゆかれ、攻撃をしていただきましょう。もしも妖鬼が出てきましたら、すぐさま子供たちに命じて、楊柳の枝を風に向け、進み出てゆかせられれば、妖鬼の三魂七魄はすべて散じてゆくことでしょう。妖魂が散じましたら、ゆるゆると健軍五百に命令をされ、まっすぐ紅旗台の下にゆかれ、妊婦の亡骸を掘り出してください。このようにすれば、この陣はかならず破れることでしょう」。五郎は計略を授かりますと去ってゆきました。さらに孟良を呼び、言いました。「あなたは軍一万を率いて、太陽陣に突入してゆき、その後ろに出て、本隊を救援してください」。孟良は命令を受けますと、兵を率いてゆきました。

さて五郎は勇を奮い、威を耀かし、人々を率いてさらに迷魂陣を攻めました。単陽公主は戦わずして退き、宋軍が陣に入るにまかせ、ふたたびその軍を惑わせようと思いました。五郎は兵を指揮して、まっすぐに突入してゆきました。耶律吶が紅旗を揮いますと、妖気が迸り出ました。五郎はいそいで子供に命じ、楊柳を持ち、風にむかって打ちまくりながら近付いてゆかせますと、妖気はにわかに消えました。五郎はすぐに五百の健兵に命じ、いそいで妊婦の亡骸を掘らせました。耶律吶はそれを見ますと、慌てて台を下り、逃げましたので、五郎は馬を走らせ、進み出てゆき、一斧で斬り殺しました。五千佛子[17]は混乱し、逃げました。頭陀僧兵はいっせいに戒刀[18]を挙げ、かれらを追いかけ、闘って寸草も留めませんでした。単陽公主は驚きましたが手遅れで、宋軍はかれを生け捕り、寨に帰りました。蕭天左はとても怒り、兵を率いて押し寄せてきました。五郎は出撃、交戦しましたが、五合足らずで、考えました。「この悪者は降龍棒を抜いて撃たなければ、勝つことはできないだろう」。そこで降龍棒で天左の顔を一撃しました。天左は避けようとしましたが間に合わず、その肩を打たれました。天左は正体を露わにしましたが、それは一条の黒龍でした。五郎が斧を挙げ、真っ二つに斬りますと、二箇所に分かれ、飛び去りました。五郎は蕭天左を斬りますと、兵士に命じて陣をひきました。

さて孟良は軍を率い、太陽陣を攻撃しました。蛮将蕭撻懶はそれを望見し、馬を走らせ交戦すること二合、孟良によって一斧で真っ二つに斬られ、残りの軍を退散させ、まっすぐ陣の後ろに出、五郎を迎え、兵を合わせ、一斉に出撃し、迷魂陣を破りました。証拠に詩がございます。

七十二座(しちじふにざ)の天門陣(てんもんじん)、惟迷魂(ただめいこん)の惨毒(さんどく)甚しき有るのみ。是れ五郎(ごらう)の山(やま)を下り来るにあらずんば、妖(やう)氛(ふん)を将(もつ)て悉(ことごと)く掃(はら)ひ清め難し。

五郎は軍を退き、陣に戻りますと、単陽公主を護送して陣中に入り、宗保に見え、陣を破り、蕭天左を殺したことを報せました。宗保は大いに喜んで言いました。「あの陣が破られれば、胡塵は一掃され、蕭后をかならず擒にすることができましょう」。そして単陽公主を出して、斬首して晒すように命じました。木桂英は宥めました。「この女は顔が端正で、蕭后の実の娘ですから、留めておいて使われた方が宜しゅうございましょう」。宗保はその言葉を容れ、単陽公主を釈放しました。そして諸将を指揮し、出陣させ、胡延賛を呼びますと、言いました。「玄壇[19]を装って、玉皇殿を攻撃してください。孟良どのは関元帥、焦賛どのは殷元帥、岳勝どのは趙元帥、張蓋どのは温元帥、劉超どのは馬元帥の装いをしてください[20]。五人の方々は左右に分かれ、敵の北天門を攻撃なさってください」。延賛らは命令を受け、それぞれ兵五千を率いて去ってゆきました。宗保は差配をおえますと、六郎とともに将台に登り、様子を眺めました。

さて胡延賛は喊声をあげ、威を奮い、玉皇殿に突進してゆきますと、金龍太子に遭遇しました。二騎は交戦すること数合、太子は負けた振りをし、賛を陣に引き込みました。孟良、焦賛らは勢いに乗じて突進し、将台の真珠白凉傘の下に近付きますと、殺気が炎炎としておりましたので、接近しようとはしませんでした。延賛は人々を率い、陣をめぐって攻撃しますと、たちまち土金秀が真武旗を振りました。岳勝が馬に鞭打ち、先に進みますと、たちまち天地が暗く、東西が分からなくなり、岳勝は蛮卒に生け捕られてゆきました。焦賛がそれを知り、突入し、救おうとした時には、蛮兵が四方から取り囲んできました。延賛は蛮軍の勢いが鋭いのを見ますと、兵士たちを率いて退却し、帰って宗保に見え、陣中のことを知らせました。

宗保が将軍を点呼しますと、岳勝、孟良の二名が欠けておりましたので、あわててなす術を知りませんでした。すると兵卒が孟良、岳勝が寨に戻ったことを報せました。宗保が召し入れて尋ねますと、岳勝は言いました。「わたくしが陣に突進してゆきますと、土金秀が旗を振ったため、真っ暗になり、道に迷い、蛮兵に擒にされたのでございます。孟良が蛮人の振りをして、わたくしを救わなければ、残りの命を失っていたことでしょう」。宗保は言いました。「陣中で変化できるのは、七七四十九盞の天灯、二十八宿の将官だけです。計を用いてこれを除けば、この陣を破ることができましょう」。そして孟良を呼びました。「玉皇殿の前の真珠白凉傘を、明日攻め込んで、真っ先に斬ってください」。さらに焦賛を呼び、言いました。「明日、陣に入り、二面の日月真武�p羅旗を切り倒されれば、兵をさしむけ、援護いたしましょう」。孟良、焦賛は兵を率いてゆきました。宗保は陣に入り、六郎に言上しました。「玉泉殿の玉皇大帝は、聖駕がみずから鋒を交えて、はじめて完勝を得ることができましょう。さらに父上が出馬され、右側から白虎殿を攻撃なさってください。さらに八王さまに出馬していただき、左側から青龍殿を攻撃していただきましょう。わたくしは兵を率いて、真ん中に突進し、その正殿を攻めましょう。今から聖上に上奏をなさってください」。六郎はそれを聴きますと、すぐに御帳に入り、聖駕がみずからお出ましになり、陣に臨むよう奏請しました。王欽はひそかに上奏しました。「将帥たちはみなここに集まっているのですから、陛下がみずからお出ましになられることはございませぬ。危険があれば、どうすることもできませぬ。諸将に命じさえすれば十分にございます。敵に勝てなければ、元帥を責めましょう」。王欽は宗保がしばしば北陣を破るのを見ておりましたので、真宗がゆくのを阻み、宗保が功を成し遂げることができないようにさせようとしたのでした。真宗は欽の言葉により、ぐずぐずとして勅旨を下しませんでした。八王は慌てて上奏しました。「錦繍の江山は、臣子の所有ではございませぬ。今、将佐は力を出して奮戦し、ことごとく陛下のために争っておりまする。勝負を決する時に当たって、ぐずぐずとしてゆかれなければ、諸将は散じて、陛下の大事は成し遂げられぬことでしょう。陛下には大いに天威を奮われて勇往邁進されますように。諸将がそれを目にすれば、威風はおのずと盛んになり、敵がそれを見れば、靡き伏し、退きましょう。それに宗保の用兵は神の如く、百戦して百勝にございますれば、陛下には危険を心配なさいませぬよう」。帝の考えが決し、命を下してみずから陣に臨んだことは、お話しいたしません。

 

●鍾離が洞賓を連れ帰ること

次の日、三回太鼓が鳴りますと、孟良、焦賛の二騎は玉皇殿に突進してゆきました。孟良が真珠白凉傘を切り倒し、焦賛が日月�p羅旗を切り倒しますと、土金秀、土金牛両名が殺到してくるのに遭遇しました。双方は激戦し、孟良は怒り、金牛を一斧で斬り殺しました。焦賛は金秀を斬って馬から落としました。蛮軍は宋軍によって、数えきれぬほど斬り殺されました。六郎は後ろにいて、軍を促し、攻撃し、陣に入らせ、まず四十九盞の号灯[21]を射て消しますと、その陣は乱れました。二十八宿の将官は一斉に出撃しましたが、孟良、焦賛によってすべて殺されました。金龍太子は陣が混乱したのを見ますと、馬を停め、逃げましたが、真宗が翎(れい)箭(せん)を設けて[22]、左脇に中てたため、落馬して死にました。宋軍は紛紛として陣中に突入しました。宗保は火箭を玉皇殿に射かけ、その殿宇を焼きましたが、火焰は天に漲り、焼死する蛮兵は数知れませんでしたので、孟良らと兵を合わせ、玉皇陣を破りました。証拠に詩がございます。

大纛高牙(だいたうかうが)[23] 玉皇殿(ぎよつくわうでん)、動揺(どうやう)閃電(せんでん)無窮(むきゆう)に変(へん)ず。金龍(きんりゆう)箭(や)に傷(そこな)はれ冥途(めいど)に入り、帝王(ていわう)勤労(きんらう)して功業(こうげふ)建つ。

宗保は玉皇殿を破りますと、諸将に命令を下し、力を尽くして敵に勝つようにいい、孟良には朱雀陣を攻撃させ、焦賛には玄武陣を攻撃させ、胡延賛には長蛇陣を攻撃させました。軍令が下りますと、孟良は勇を奮って先駆け、人々を率いて朱雀陣に突入し、蛮将耶律休哥が槍を突き出して迎撃してくるのに遭遇しました。闘うこと数合、勝負はつきませんでした。たちまち陣の後ろで声が響き、劉超、張蓋が押し寄せました。休哥は力が萎え、将台を棄てて逃げました。孟良は勢いに乗って追撃し、朱雀陣を破りました。さて焦賛は玄武陣に攻め込み、耶律奚底に遭遇し、交戦すること十数合、奚底が敗走しますと、焦賛は駆けつけて一刀のもとに斬り、残りの軍を退散させ、玄武陣を破りました。六郎は人々を率いて、長蛇陣を攻撃しました。耶律沙は陣がすべて混乱しているのを見ますと、敵を迎えようとせず、刀を引きずり陣をめぐって脱出しました。宗保が行く手を阻みますと、二騎は闘いましたが、数合足らずで、孟良、焦賛らが後ろから押し寄せました。耶律沙は進退窮まり、剣を抜き、自刎して死にました。宗保は命令を下し、呂軍師の陣を攻撃させました。

韓延寿は天門七十二陣が宋軍によって撃破されようとしているのを見ますと、あわてて陣に入り、呂軍師に策を問いました。呂軍師は怒って言いました。「くちばしの黄色いこわっぱめ[24]、このように身の程を知らぬとは。このわしがみずから往って擒にしてやる」。すぐに本営の勁騎を率いて出撃し、その勢いは、河や海が沸き返るかのようでした。椿岩が呪文を唱えますと、たちまち天地が暗くなり、石は走り、沙は飛び、宋軍はみな眼を開けることができませんでした。宗保ら君臣、父子、諸将は馬上に伏し、心の中でとても驚きました。蛮兵は四方から斬りかかってきました。宋人に危険が迫りますと、鍾道士はそれを眺め、陣の前へ歩いてゆきました。袍の袖を一拂いしますと、風は戻ってゆき、蛮軍を吹き倒し、日はまた明るくなりました。椿岩は鍾道士を見ますと、あわてて呂軍師に報告しました。「鍾仙長が来られましたから、師父さまははやくお逃げください」。そう言いますと、一道の金光に化して去ってゆきました。鍾離は洞賓に会いますと、怒鳴りました｡「憎らしいこわっぱめ。この前のことは戯れ言なのに、そなたはすぐに怒りを抱き、俗世に降り、蛮族を助け、無数の民草を殺傷した。もしもわたしが来なければ、そなたは蛮人を助け、宋君を殺し、天条[25]を犯し、その罪は逃れられなかったろう。おとなしく蓬莱へいっしょに帰り、物外に逍遥すれば、とても楽しいことであろうに、このようなつまらぬ悪事に関わって、心を煩わせてどうするのだ」。洞賓は返す言葉もなく、鍾道士とともに瑞雲に乗り、天に昇ってゆきました。

さて蕭后の陣は、左右前後にさらに七つの仙姑陣、四つの天王陣があり、破られておりませんでした。宗保は八娘、九妹、木桂英、令婆、楊七姐、金頭馬氏、黄瓊女に命じて、軍を率いて七つの仙姑陣を攻撃させ、さらに五郎、岳勝、孟良、焦賛に命じて、兵を率いて四つの天王陣を攻撃させました。みなは命令を受けますと、兵を率いて攻撃しにゆきました。

さて八娘らは蛮将韃靼令公ら七人を殺しました。楊五郎らは陣に突入してゆき、耶律尚、耶律奇、兀朮児、不花顔児の四将軍をすべて殺しました。韓延寿は軍勢が消滅したのを見ますと、いそいで蕭后に上奏しました。「周囲はすべて宋軍ですから、太后さまにはすみやかに逃げられますよう」。太后は驚きました｡｢呂軍師はどこにいるのだ」。延寿は言いました。「どこへいったか存じませぬ」。后はそれを聴きますと、慌てましたがどうすることもできず、小さな車に乗り、韓延寿、耶律学古らとともに山後を通って幽州に戻りました。六郎はそれを知りますと、諸将を促し、すぐに追い掛けさせました。焦賛は勇を奮って進み出て、追い付きますと、大声で叫びました。「羯狗よ、はやく降伏すれば、死ぬのを免れさせてやろうぞ」。延寿は馬を返し、焦賛と数合交戦しましたが、副将たちがみな宋軍によって殺され、心ははなはだ怯えていたため、槍の使い方はあたふたとしておりました。焦賛はその隙をつき、力を奮って延寿の槍を押しのけ、進み出て生け捕って帰りました。孟良らは競って進み、蛮軍は戈を引き、甲を棄てて逃げました。学古らは蕭后を守り、間道を通って幽州に逃げ戻ってゆきました。楊宗保は一月たらずの間に、南台七十二の天門陣をすべて破り、蛮兵四十余万を殺しましたので、骸骨は山と積もり、血は流れて河となりました。証拠に詩がございます、

胡虜秋(こりよあき)高く胆気横(たんきみ)ち、楊家(やうけ)の英勇辺城(えいゆうへんじやう)に耀(かがや)く。殺場血(さつじやうち)に染まりて征袍(せいはう)赤く、白骨(はつこつ)平原(へいげん)に積もりて満盈(まんえい)す。

六郎は蕭后を追いかけましたが間に合いませんでしたので、軍をひき、陣に戻り、完勝を得ました。次の日、宗保は軍議し、各地の兵馬と、獲得した蛮人の兵器馬匹、捕捉した将軍を調べました。たちまち歩兵が韓延寿を護送し、帳に入り、縛って階の下に放り投げました。宗保は指さして罵りました。「臊い羯狗(けつく)めが。本分に安んじず、空元気を恃み、辺境を侵犯し、民草を殺傷すること数十余年、今日、天がわが手を借りてそなたを捉え、患いを除き、民草の命を安んじようとは、思いもよらなかったろう。さもなければ、そなたはしばしば禍を引き起こし、民は生きられなかっただろう。それにそなたは北蛮にいたときに、みずから英雄無敵であるのを恃んでいたのに、今日はなぜわたしに擒にされたのだ」。延寿は言いました。「くどくど話すことはない。今すぐに処刑してくれ。本日、わしはそなたによって擒にされて、そなたは自分が英雄であると思っておるが、所を易えれば、英雄はわしの方だ。そなたはわしが民草を害したと申しておるが、そなたがわれらの四十余万の兵士を殺したのは、まさに民草を害したということではないか」。宗保はその言葉を聞き、大いに怒り、左右に命じ、推し出して斬らせ、ほどなく、首級を梟木に掛けて晒しました。宗保は記功官に命じ、諸将が陣を破った功績を記録させましたが、鍾道士が見えませんでしたので、諸将に見たかと尋ねました。すると一人の兵卒が、鍾道士が呂軍師を怒鳴りつけ、かくかくしかじか、雲に乗り、飛び去ったことを言上しました。宗保は言いました。「そなたはどうしてそれを見たのだ」。その兵卒は言いました。「元帥さまはわたくしに鍾道士さまの世話を命じられました。昨日、あのかたに従い、陣に入りましたので、見たのでございます」。宗保は言いました。「漢鍾離と呂洞賓だったのか」。溜息をつくのをやめませんでした。さらに諸将に命じ、隊ごとに陣を布き、聖旨を待たせることにしました。諸将は命令を受け、去ってゆきました。それからは軍の勢いは大いに振るい、四夷は震駭しました。

さて六郎が諸将の功績を真宗に上奏しますと、真宗は言いました。「朕は軍を返して都へ戻り、朝議して、諸将らを昇進させ、恩賞を取らせよう」。六郎はさらに上奏しました。「利益や機会は、昔から得難いものです。このたびは、蛮人が敗れたのに乗じ、陛下には勅旨を下され、諸将に命じて、長駆して進ませて、幽州を直撃し、その版籍を取り、万世の禍根を絶たれますように」。帝は言いました。「兵馬は疲労が甚だしいから、とりあえず何年か休み、相談してから征伐しても遅くはあるまい」。六郎は陣を退出してゆきました。二日後、帝は澶州三路の兵士に命を下して、ふたたびもとの鎮に帰らせました。さらに九龍谷に堅固な関所を築かせ、王全節、李明に命じ、兵を率いて守らせました。そのほかの征遼をした将帥たちは、聖駕に隨って帰朝し、勅旨に従い行動することになりました。聖旨が下りますと、三軍はみな喜びました。次の日の朝、軍は三隊に分かれました。真宗は中隊、六郎は前隊、宗保は後隊におりました。三軍が九龍谷を離れ、悠悠蕩蕩として、汴京めざして帰ったことは、お話しいたしません。

 

●王欽が偽って勅旨を得て幽州へ帰ること

さて真宗が汴京へ戻りますと、文武官は真宗を宮殿に迎え入れました。次の日、朝議が開かれ、群臣が祝賀しますと、帝は六郎を御前に召し、撫諭されました。「過日、遼の陣を破ったのは、みな卿ら父子の力だ。数日したら、朕は手厚く褒美を取らせることにしよう」。六郎は上奏しました。「遼の陣を破りましたのは、陛下の洪福の致すところ、諸将らが命に従った功績にございますから、臣ら父子のみが恩賞を受けるわけにまいりませぬ」。帝は言いました。「今、卿は驕らず誇らず、まことに社稷の臣である」。そこで宴席を設けるように命じ、北征した将兵を宴でねぎらいました。楊家の女将たちは、みな同席しました。この日、君臣は楽しみを尽くして散じました。次の日、六郎が朝廷に赴き、聖恩に謝しますと、帝は黄金甲二副、白馬二匹、紅緞一十二車、金環各千両を賜わりました。六郎がすぐに固辞しますと、帝は言いました。「ささやかなもので、陣を破った功績に酬いるのには足りぬから、断ることはない。朕はさらに群臣と相談し、卿ら父子と諸将の職を昇進させよう」。

六郎はその賜わりものを受け、無佞府に持ち帰り、令婆に見え、聖上から賜わりものがあったことを知らせました。令婆は言いました。「聖上の恩典は、厚いといえよう。そなたはつねに耿耿[26]とした心を抱かねばならぬ。ただ、三関の地には、蛮人がしばしば侵寇しているから、そなたはまた守りにゆき、防御すべきだ」。六郎は言いました。「母上の仰ることはご尤もです」。そこで宴を設け、部下をねぎらうように命じました。岳勝ら二十余人の戦将は左席に腰掛け、黄瓊女、木桂英以下二十余人の女将は右席に腰掛け、楊令婆、柴太郡、楊六郎、五郎、宗保はみな真ん中に坐しました。この日は、楽が奏でられ、酒が出され、人々はおもいきり愉快に飲みました。酒が半ば酣になりますと、楊五郎は起ちあがり、令婆に言いました。「沙門[27]の法戒[28]を、わたくしは完うしておりませぬ[29]。本日は特に母上に申しあげます。膝下にお別れ申しあげ、また五台山へまいります」。令婆は言いました。「功徳を積むのは[30]、よいことだ。そなたは自由に往くがよい。わたしは阻んだりはせぬ」。五郎はそこで令婆らに別れを告げ、頭陀僧兵を率い、五台山へ帰ってゆきました。酒席は酣になりますとお開きとなり、諸将はみな退きました。翌朝、六郎は朝廷に赴き、聖恩に謝し、部下を率い、ふたたび三関を守りにゆきたいと上奏しました。帝は上奏を聞きますと、大いに悦び、すぐに勅旨を降し、六郎に命じ、ふたたび三関を鎮守させることにしました。楊宗保は禁軍を点呼し、京城を巡視しました。六郎は帝に別れ、無佞府に戻り、令婆に別れを告げ、部将岳勝らを率い、すぐに三関に赴いてゆきました。

さて王欽は屋敷に帰ってゆきますと、宋国に入ってから十八年、蕭后のためにすこしも功績を建てていないと考え、心に一計を案じ、真宗に上奏しました。「臣は陛下の厚恩を蒙っておりますが、すこしもお報いしておりませぬ。今、北蛮は敗れて帰り、中国の威光をふかく畏れておりましょう。なにとぞ勅旨を降されますよう。勅旨を奉じてかれらを諭し、投降させて、後日の辺地の患えを防ぐといたしましょう。臣がこの仕事をするのを許していただけるのならば、官に居り、禄を食んでも、愧じることはございませぬ。そうでなければ、無駄飯を食べているのをどうすることもできませぬ」。帝は言いました。「卿が身を委ねて仕事をしようとするのは、最高の忠義であるから、従わぬわけにはゆかぬ」。すぐに命令を下し、武軍校尉周福に、兵一万を率いさせ、随行させることにしました。周福は勅旨を得ますと、兵を整え、王枢密とともに勅旨を持ち、汴京を離れ、幽州めざして進発しました。

城外十五里の総駅[31]に着きますと、王欽は尋ねました。「何本の路が北遼に通じているのだ」。福は言いました。「二本通じておりまする」。欽は言いました｡｢どのような二本の路だ」。周福は言いました。「一つは黄河から進み、一つは三関から進むのでございます」。王欽は言いました。「このたびはどちらから進むのだ」。福は言いました。「このたびは三関からゆきまする」。王欽はそれを聴きますと、考えました。「もしも三関を通れば、六郎は許そうとしないだろう。かれは斬殺自由の勅旨を身に帯びているから、きっとわたしを捕らえて殺すことだろう。周福を瞞いて、単騎で黄河からゆく方がよいだろう」。そこで周福に言いました。「さきほど公文を忘れたことを思い出したから、戻ってゆき、取ってこよう。そなたは人馬を率い、ひたすら進め。待つことはない」。福は計略であるとは知らず、すぐに軍を率いて、先にゆきました。王欽は黄河からゆきました。太原府に着きますと、人に命じて知府薛文通に報せました。薛文通はすぐに城を出、欽を迎え、役所に入れました。会いますと、文通は尋ねました。「大人がこの地にいらっしゃいましたのは、いかなるご用にございましょう」。王欽は言いました｡｢聖上はわたしを大遼に往かせて、投降受諾の文書を取ってこさせるのだ。賢太守どのは船でわたしを送ってゆかせるべきでしょう」。文通は将校に命じ、官船で王欽を運び、河を渡らせました。王欽は河を過ぎますと、文通に別れを告げ、幽州をめざしてゆきました。

さて周福は軍を率い、三関の地に近づきますと、六郎の邏騎[32]に阻まれ、尋ねられました。「兵を率いて、ここを通っているのは誰だ」。先払いの兵士は言いました。「欽差王枢密さまが、北蛮にゆき、ご公務をなさるのだ。そなたは誰だ。大胆に道を阻むとは」。邏騎は言いました。「わが上官は八王さまから報せを得たが、王欽が逃亡し、遼に入ろうとしているということだったので、われらはここで幾日も待っていたのだ。はたして嘘ではなかったわい」。人々は進み出て、周福を縛り、六郎に報せました。「奸佞な王欽を捉えてまいりました」。六郎は大いに喜んで言いました。「あいつはわたしが推薦したため、位は枢密に至ったが、しばしば謀をして、混乱を引き起こし、御前でわたしを讒言し、憎むべきこと甚だしい。われらはあいつを擒にしようと思ったが、あいつは聖上の力を頼るため、手を下すことができなかった。ところが今日はみずから網に飛び込んできた」。そこで縛って会いにこさせるように命じました。人々は命令を受けますと、周福を縛り、帳の前に放り投げました。陣中の兵士たちは、上官を謀殺しようとした人物であると聞きますと、みな歯噛みして、斬って肉味噌にしたくてたまらず、槍や刀を執って、両脇に並びました。周福は驚き、顔は土色になり、言葉もありませんでした。六郎は繰り返し幾度か見ますと、言いました。「この人は王欽ではないのに、そなたたちはなぜ捕らえたのだ」。周福はようやく返事をしました。「わたくしは周福にございます。将軍さまには命を許してくださいますよう」。六郎が通ったわけを尋ねますと、周福は言いました。「聖上は、わたくしを王枢密さまといっしょに北蛮に遣わされ、投降受諾の文書を求めさせました。ところが王枢密さまは公文を忘れられたため、ふたたび取りに戻られて、わたくしを先にゆかせたのです。将軍さまの部下はなぜ、わたくしを捕まえたのでございましょう」。六郎は笑いながら言いました。「王欽を捕らえようとして、誤っておんみを捕らえてしまったのだ。おんみはあいつに騙されたのだ。聖旨を持って出てゆくときに、公文を忘れるものがあるはずがない。あいつはきっと先に気配を覚ったために、わざとさような計略を設け、黄河を通っていったのだ」。そう言いますと、人に命じて周福の縛めを解かせ、帳に入れ、面会しました。六郎は言いました。「おんみは昔、河東で兵を交えたときに、わたしが潘仁美に陥れられたことをご記憶でしょうか」。周福は言いました。「はっきりとこの胸に記憶しておりまする」。六郎は言いました。「おんみはわたしの旧知ですから、驚かれるにはおよびませぬ」。―六郎は河東で交戦した時、道に迷いましたが、周福に導かれたため、知り合いだったのでした。

 

●六郎が周福を宴でもてなすこと

さて六郎は周福を釈放しますと、左右に命じ、酒食を調え、周福を持て成し、夜通し楽しみを尽くして散じました。証拠に詩がございます。

渭北春(ゐほくしゆん)天(てん)の樹(じゆ)、江(かう)東日暮(とうにちぼ)の雲(くも)。清宵(せいせう)一樽(いつそん)の酒(さけ)、相叙(あひの)ぶ旧知音(きうちいん)。

次の日、六郎は周福を送り、三関を通りました。

さて王欽は幽州に着きますと、まず近臣に命じ、蕭后に上奏させました。蕭后は王欽を召しいれて、会いますと、大いに怒り、罵りました。「奸佞な賊めが、生きながらそなたの肉を喰らい、憤りを雪ぎたくてたまらぬわい。常日ごろ、捕らえるすべがなかったが、今日はみずから殺されにまいったか」。推し出して、斬るように命じました。将校は命令を受けますと、王欽を縛りました。耶律休哥は上奏しました。「太后さまには、お怒りを鎮められますように。王欽がこのたびまいりましたのは、きっと話があるからにございましょう。かれの話の善し悪しを聴かれたのちに、斬られても遅くはございませんでしょう」。耶律学古も上奏しました。「王欽は籠の中の鳥も同然、どこにも逃げはいたしませぬ。太后さまには縛めを解かれ、その来たわけを尋ねられ、それから沙汰をなさりますよう」。后は怒りをやや鎮め、縛めを解き、その来意を尋ねるように命じました。王欽は驚き、魂も体に付かず、しばらくじっとした後で、言いました。「わたくしは太后さまにお別れし、去ってから、忠心を尽くさないことはございませんでした。敵地にあって、好機がございませんでしたので、功を建てられなかったのでございます。今、宋人はもう一度、兵を発して、大遼に出征しようとしております。かれらは山後の九州をことごとく取って帰ろうと言っております。わたくしは蛮国[33]に敵に当たれる者がないのが心配ですので、計略を設け、宋の君主に上奏し、勅旨を得、こちらに戻り、太后さまと相談し、敵の内部で謀略をなしとげようとしているのでございます。今、太后さまが奸佞だとしてわたくしを責め、誅戮を加えられれば、これはまことにわたくしを酷い目に遭わせるものにございます」。蕭后は上奏を聞きますと、怒りを喜びに変えて言いました。「中原を得る策を、ひとまず申してみるがよい」。欽は言いました。「今、大梁の城中では、征戦をする良将たちはほかの地を守りにゆかされ、十大朝臣が都にいるにすぎませぬ。太后さまは、手紙を書かれるべきでしょう。九州の文書を献じ、投降したいが、王欽は官位が低く、このような大任を委ねることは難しい、十大朝臣が飛虎谷に遣わされたとき、文書を渡せば、後日、証拠にすることができ、征戦をすることもなくなるだろうといわれるのです。太后さまはこう仰って、かれらを騙してやってこさせて、囲んで捉えなさいませ。大臣を捉えましたら、人を遣わし、宋の君主に話をし、かれが天下を中分するよう要求し、大臣を釈放するのでございます。宋の君主はかならずや大臣のことを大事に思い、かならず土地を差し出しましょう。半分の土地を得ましたら、兵を進めて、宋の全土を得ることを相談するといたしましょう」。后は言いました。「その趣意を大宋に知らせるには、誰がゆくべきだろう」。欽は言いました。「宋の君主に疑われぬよう、わたくしがゆきたいと思います」。后はすぐに文臣に命じて手紙を書かせ、王欽に与え、汴京へ持ってゆかせました。

王欽は蕭后に別れを告げ、幽州を離れ、夜に宿駅を馳せ、途中までゆきますと、周福に遭遇しましたので、蕭后が九州献納を願う文書は、十大朝官が受け取りにこなければならないと知らせました。福は大いに喜び、すぐに王欽とともに黄河を通って帰朝しました。一日足らずで都に着きますと、真宗に上奏しました。「万歳(へいか)は臣を蛮地に入らせ、勅旨を蕭后に示させました。蕭后はご威光を畏れ、九州の図籍[34]を陛下に献じようといたしました。ただ、このような大事なときには、朝廷の大臣が受けとりにこなければ、その後かならず異議を生じるだろうと申しておりました。臣は懇懇と利害を説きましたが、蕭后は、そなたの言うことは尤もだが、そなたは官位が賤しすぎる、飛虎谷で十大朝臣に九州の文書を献ずることができれば、廷臣たちは口を閉ざして征遼の表を奉ることもなくなり、盟約ははじめて堅いものとなり、征戦の苦しみを免れることができると申しておりました。それゆえに臣に命じて、このことを復命させたのでございます」。真宗は上奏を聞きますと、大いに悦び、すぐに、朝中の大臣はみな飛虎谷に赴き、領土献上の文書を受けとるように、即日出発し、命令に違わぬようにという勅旨を下しました。

さて寇準、柴王、李御史、趙監軍らの大臣は、みな八王の屋敷に赴き、相談しました。準は言いました。「これはわれらを陥れようとする、王欽の計略にございます。皆さま、いかがいたしましょう」。柴王は言いました。「聖上の命が下ったからには、その身を委ねて、ゆくしかあるまい」。八王は言いました。「ゆくときは、かならずや三関を通りましょうから、楊郡馬どのから軍装の供の者を借り、進むとき守ってもらえば、緩急の際の助けとなりましょう」。寇準らはみな同意しました。次の日、十大朝臣が参内し、真宗に別れを告げますと、真宗は言いました。「辺地の禍を収束させること。万年の計はこの一点にある。卿らは慎重にするのだぞ」。八王らは勅旨を受け、朝廷を出、汴京を離れ、三関めざして進発しました。

まず人を遣わして、六郎に報せました。六郎は孟良、焦賛に命じ、途中で迎えました。八王と朝臣が梁関—すなわち三関—に近づきますと、一隊の兵馬が路を阻みました。将校は八王に報告しました。八王は大いに驚き、いそいで進み出ますと言いました。「こちらで路を阻むのは何者だ」。孟良は八王であることに気付きますと、鞍から転がるように馬を下り、路傍に伏して、言いました。「上官はわたくしたちにここで待機するように言われたのです」。八王と諸官はすぐに三関に入りました。さらに一隊の兵馬が来ましたが、これは六郎が八王を迎えにきたのでした。八王はそれを見ますと、とても喜びました。陣に入りますと、十大朝臣が順番に腰掛けました。六郎は宴席を並べましたが、とてもきちんとしておりました。諸官は觴を挙げ、礼を言いました。六郎は言いました。「部下がご無礼いたしましたが、お咎めになられませぬよう」。そして尋ねました。「殿下と皆さまがこちらに来られましたのは、はたしていかなるお話しにございましょう」。八王は言いました。「聖上は北蛮の九州を取ろうとされたが、王欽は帝に、兵を用いることはない、ただ勅旨をいただき、幽州へゆき、蕭后に見え、利害を説き、九州献納の文書を求めれば、得ることができますと上奏したのだ。聖上は讒言[35]を信じられ、すぐに勅旨を降されて、かれに与えた。王欽は勅旨を受けると、幽州にゆき、蕭后に見えた。蕭后は王欽に従ったが、盟書は十大朝臣が飛虎谷に赴き、受けとらねばならない、そうすれば盟約ははじめて堅固なものとなり、後日、盟約に背いて征討を加えられることもないだろうと言いました。聖上は上奏を受け、われらに九州の文書を受けとりにゆくように命じられたのだ。わたしはこれは王欽の計略であろうと思い、わざわざこちらにやってきて、郡馬どのから部下をお借りし、行旅の助けとなっていただき、不測の事態を防ごうとしているのだ」。六郎は言いました。「先日、わたくしは殿下の手紙を頂きますと、あの賊を擒にし、後患を除こうといたしましたが、あのものは黄河を通って、行ってしまったのでございます」。今かれがかような詐術を用いたからには、わたくしは兵に鞭打ち、救援に赴いて、醜虜の図籍を奪いとり、はじめて手を休めることといたしましょう」。八王はそれを聴きますと、大いに喜んで言いました。「貴殿が兵士を指揮して救ってくれるなら、わたしは惧れることはない」。この日、諸官は楽しみを尽くして散じました。

酒宴が果てますと、六郎は岳勝、孟良、焦賛、林鉄槍、宋鉄棒、姚鉄旗、童戦鼓、丘珍、丘�h、孟得、陳林、柴敢、郎千、郎万、張蓋、劉超、李玉ら二十余人を呼び出して、命じました。「こたびの仕事は重要性がもっとも高い。そなたらは蛮人が十大朝臣を殺害しようとすることをつつしんで防ぐのだ」。岳勝は言いました。「将軍さまが行けとおっしゃるのであれば、もちろんご命に遵いましょう。ただ、遼人がわれらに気付き、疑って文書を交付しようとせねば、大事を誤ることになりましょう」。六郎は言いました。「わたしには、かれらに知られないようにするための一計がある。そなたらはみな随行の強力(ごうりき)を装って、それぞれ箱を一つ担いで、中には武器を隠すのだ。さらに竹筒一本を用い、節を除いて、刀、槍を隠し、遼人に尋ねられたら、水土に馴染まないために、この筒に故郷の水を入れて飲んでいるのだと申すのだ。何ごともなければそれでよし、もしも不測の事態があれば、臨機応変にこれを用いよ」。岳勝らは計略を授かりますと退きました。

八王は次の日六郎に別れを告げ、諸官とともに三関を離れ、飛虎谷めざして進みました。時は寒い冬にあたり、鴻雁は悲しげに鳴いておりました。十大朝臣が九龍谷に至りますと、両脇に骸骨が積もっておりましたので、八王は嘆きました。「むかしはここで兵を交え、民草を殺傷した。今日、この骸骨を見ると、思わず心が悲しくなる」。証拠に詩がございます。

骸骨山(がいこつやま)の如く積もる、黄沙(くわうさ)古戦場(こせんじやう)。西風(せいふう)残照(ざんせう)の裏(うち)、悵望(ちやうばう)すれば泪双行(なみだそうぎやう)。

十大朝官が九龍谷を過ぎ、飛虎谷に近づきますと、北蛮の遊撃兵が幽州総兵耶律学古に急報しました。学古は蕭后に上奏しました。蕭后はすぐに耶律学古を陣中総督とし、精兵一万を率い、飛虎谷に行って待機させることにしました。学古は勅旨を得ますと、兵を率いて飛虎谷の真北にいって駐屯しました。次の日、みずから谷の中に往き、巡視をし、陣中に戻り、副将の謝留、張猛に言いました。「そなたら二人は兵を率いてこの谷の東南の平坦な場所へゆき、寨を築き、盛大な宴を設け、宋の大臣をもてなすがよい」。謝留らは計略を授かりますと、準備をしにゆきました。

 

●学古が計略を設けて宋臣を陷れようとすること

耶律学古が謝留への指示をおえますと、たちまち宋国の十大朝臣がすでに到着したという報せがありました。耶律学古は数十人を連れて谷の入り口に出てゆき、八王に会いました。八王は馬上で身を屈め、挨拶をして言いました。「王欽は太后どのが九州をわが大宋に献じられようとしていると報告したので、われらは本日、わざわざ文書を受けとりにきたのです。すみやかに文書を渡され、千載の誼を結ぶべきでしょう」。学古は言いました。「国を引き渡す重大事を、そのように軽軽に行なうわけにはまいりませぬ。明日、宴にお招きし、献納するといたしましょう」。八王は承諾して別れ、真南に駐屯しました。耶律学古は陣中に戻りますと、謝、張を召し、相談しました。「そなたらのうち、誰が剣舞の達者なのだ。わたしは明日、宴席に呼び出して舞わせ、酒を勧める振りをして、宋の大臣たちをことごとく誅し、太后さまのご命令を果たそうと思っているのだ」。謝、張は、計略を授かりますと退きました。学古はさらに太尉韓君弼を召し、言いました。「そなたは精兵一万を率い、谷の入り口に潜伏し、変事があれば、すぐに出てきて遮るのだ。宋の大臣を逃がしてはならないぞ」。君弼は兵を率いてゆきました。学古は差配をおえますと、人を遣わし、手紙を持って宋の陣に往かせ、十大朝臣を招き、宴に赴かせ、投降受諾の文書について面談し[36]、双方の兵士らは随行する際、身に寸刃を帯びることも許さないことにしました。八王は手紙を得ますと、返書を蛮卒に与えて去らせました。寇準は言いました。「王欽のやつはまことに心が凶悪で、わたしたちをことごとく死地に置こうとしているのだ。楊郡馬どののところから部下を借り、いっしょに来てもらわなければ、わたしたちは一人も生還することはできなかったろう」。八王はその言葉に賛成し、言いました。「明日は宴に赴いて、かれらがいかなる計略を設けるのかをみるとしよう」。そう言いますと、諸官はすべて退きました。

次の日、耶律学古はみずから陣の外に出て待機しますと、はるかに土埃が揚がるのが見え、宋の大臣たちがみな馬に跨ってやってきました。学古はかれらを迎えましたが、兵馬が武器を帯びていないのを見ますと、心の中でひそかに喜び、考えました。「わたしの願いは遂げられた」。すぐさま宋の大臣を迎え、陣に入らせました。会いますと、順番に腰掛けました。茶がおわりますと、八王は言いました。「蕭太后さまがこのたび、大宋に帰順しようとされたのは、きわめて見識あることにございます。一つには一国の君主であることを失いませぬし、二つには干戈が収まり、民草は生活に安んじることができます。それに両国が和睦するのは、まことに万世の良図にございます」。学古は言いました。「さようなことはゆっくりとお話しするといたしましょう。わたくしが皆さまとお会いするのも、千載の奇遇にございますから、数杯を飲み、和睦の情を通じることといたしましょう」。そして人に命じて楽を奏で、酒を勧めさせました。

さて柴駙馬が左側の宴の主賓席に腰掛けますと、学古は酒杯を挙げて近付き、尋ねました。「もしや柴先生でしょうか」。柴王は言いました。「その通りです」。学古は言いました。「そのむかし、わが国が天字図[37]を宋朝に示したとき、先生が『未』の字に改められたため、わが太后はそれを聞き、怒りを発して兵を興して、諍いを生じたのです。本日ふたたびお会いするとは思っておりませんでした」。柴王はすぐに返事をしました。「どのようなお話をしていただけるかと思いましたら、そのようなくだらぬお話だったのですか。われらが主君は天と人とに従われ、中原を一統いたしましたが、おんみらの北蛮の地は痩せているため、度外に放置し、征討を加えなかったのです。ところが、おんみら君臣は、しばしば辺地に災禍をもたらし、民草を殺害したため、さきつかた、皇威を振るい、天門陣を打ち破り、おんみらは戈を倒して逃げられたのです。その時に、わが国の楊元帥は、兵馬を駆って幽州を直撃し、ことごとくおんみら遼の図籍を奪い、後の患えを絶とうとしました。さいわいにわが君は仁慈にてあらせられ、民草を久しく戦禍で苦しめることに忍びず、軍を返して、帰朝してゆかれたのです。今、蕭后どのが順逆の理を弁えて、狂夫に惑わされることなく、心から大国に仕えるならば、なお一国の主となることができましょう。さもなければ、堂堂たる中国は、兵馬は林のごとく、虎のごときありさまですから、逆類が国外で孤と称しているのを剿滅しないはずがありませぬ。天字の図を改めたのは、実はわが主君のご意思によるものです。ただ、これも過ぎたことですから、お話ししても詮無いことです」。

学古は柴王にそう言われますと、大いに怒りの色を浮かべました。数杯飲みますと、さらに右側の主賓席にいる寇準に尋ねました。「咸和年間、わが国は錦被暖帳[38]を宋の君に差しあげようとしましたが、先生はそれを隠して上奏されなかったため、兵乱が相次ぎました[39]。理をもって論じれば、これは忠君憂国の者のすることではございますまい」。寇準は声を励まして答えました｡｢わたしは主上が清心寡欲で、道を論じ、邦を治められることを望んだのです。物を弄び、笛や太鼓に耽ったのではございませぬ[40]。あの行いは、まさに忠愛の至りであり、よくなかったと指摘しようとするものはおりませぬ。本日、われらはおんみらのご主君が九州の文書を献納し、宋と誼を結ぼうとされているため、来たのですから、過ぎたことをやかましくおっしゃることはございますまい」。学古は言いました。「九州の文書は、別の日にお渡ししても遅くはございますまい。ただ本日は、酒もはなはだ粗末なもので、宴では楽しみとするものがございませぬ。陣中で剣舞をよくする者を呼び入れ、舞を舞わせて、皆さまにさらにお酒をお勧めすれば、まことに宜しゅうございましょう」。そう言いますと、謝留がたちまち現れて、手に長剣を執り、宴前で舞いました。八王は言いました。「昨日の手紙で、身に寸刃を帯びるのを許さぬとおっしゃられたのに、今、人に命じて剣舞をさせるとは、なんたる言行不一致か」。そう言いますと、孟良が激怒して進み出て、言いました。「一人で剣舞をしては見栄えがよくない。二人がいっしょに舞ってはじめて見栄えがよろしくなりましょう。わたしは今からいっしょに舞おうと思います」。そう言いますと、剣を揮い、謝留といっしょに舞いました。耶律学古は孟良の意気が昂昂としているのを見ますと、このものは勇力がはなはだ優れており、謝留はもとより敵ではなかろうとひそかに考え、言いました。「二人で舞っては、和睦の誓いにふさわしくありませぬから、矢を射て楽しまれる方が宜しいでしょう」。孟良は言いました。「どのように射るのでしょうか」。謝留は言いました。「馬を走らせ、楊を射るのは、人々が見慣れたことにございます。巧みに射れば、はじめて手並みを示すことができましょう」。孟良は言いました。「どのように射れば巧みであるといわれるのでしょうか」。謝留は言いました｡｢一人の生きた人間を柱に縛り、つづけて三本矢を発し、避けることができた者が、妙手であるということになりましょう」。孟良はそれを聴きますと、ひそかに笑いながら言いました。「この賊は計略を設けてわたしを殺そうとしておるわい。わたしは手並みを示し、この賊を除き、蛮人の鋭気を挫くことにしよう」。そこで返事をしました。「宜しいでしょう。ただ、どちらが先に射るのでしょうか」。謝留は言いました。「わたくしが先に射ましょう」。孟良は気前よく承諾し、みずからを人に命じて柱に縛らせ、叫びました。「すきなように三回射るがよい」。八王らはそれを看ますと、おたがいに顔を見合わせ、懼れる色を浮かべました。謝留は宴前を離れること二百余歩、弓を取り、矢を番え、まず孟良の口めがけて矢を放ちますと、孟良は口を開け、咬んで止めました。さらに二本目を項に射掛けましたが、孟良は矢が飛んでくるのを見ますと、すこし斜めに頭を回し、矢を打ちますと、矢は地に落ちました。謝留は慌て、胸元めがけてふたたび一本の矢を放ちましたが、孟良は護心の鏡を持っておりましたので、射ても刺さりませんでした。十大朝臣は射ても傷つかないのを見ますと、続けざまに喝采し、人に命じてその縛めを解かせました。孟良は言いました。「おんみをお借りして、わたくしの矢を試させていただきましょう」。謝留は視力の優れていることをみずから恃んでおりましたので、三本の矢をすべて受けとめ、その能力を誇ろうとし、人に命じて柱に縛らせ、孟良に射させました。孟良は心に一計を案じ、最初の一本は、羽の破れた矢で射ましたので、中りませんでした。謝留は、このものは剣舞がうまいだけで、矢を射ることはうまくない、それほど気を付けて防ぐことはないとひそかに考え、言いました。「そなたが二本の矢を射ても、惧れぬぞ」。孟良はひそかに考えました。「この賊はこれで終わりだ」。そしてよい矢を取り、咽喉めがけて射ますと、謝留はたちまち息絶えました。証拠に詩がございます。

勇猛(ゆうもう)なる謝留(しやりう)は虎狼(こらう)に似(に)、筵(えん)前(ぜん)自(みづか)ら目(め)の高強(かうきやう)なるを恃(たの)む。孟良(もうりやう)巧みに雕(てう)弓(きゆう)を発(はつ)する処(ところ)、忽(たちま)ち覚(おぼ)ゆ須臾(しゆゆ)にして一命(いちめい)の亡(ほろ)ぶるを。

耶律学古は謝留が射殺されたのを見ますと、大いに怒って言いました。「おんみらは講和するためにきたのに、なにゆえかように大胆に、わたしの部将を射殺したのだ」。大声で叫びました。「兵士よ、どこにいる。みんな出てきて、宋人をすべて擒にするのだ」。すると宴前に五六百騎の蛮将が押し寄せてきました。焦賛、岳勝らはひどく怒り、それぞれ箱を開け、鎧を取って身に着け、竹筒から長槍、短剣を取り出し、一斉に迎え撃ちました。耶律学古は準備がなされているのを見ますと、身を引いて逃げました。騎兵たちは、孟良らによって、半分を殺されました。孟良たちは馬匹を奪ってそれに乘り、朝臣を守って逃げました。谷の入り口に着きますと、突然大砲が響き、韓君弼の伏兵が一斉に出てきて、谷の入り口を遮りました。岳勝は北兵に厳重に包囲されれば、脱出するのはますます難しくなるだろうと考え、勇を奮って出撃するように兵士らを励ましました。しかし蛮人の弓、弩はいっせいに発せられ、矢は飛ぶ蝗のようでしたので、進み出るわけにはゆきませんでした。証拠に詩がございます。

玁狁奸回(けんいんかんくわい)[41]にして計策奇(けいさくき)なり、途(と)を截ち羽箭蝗(うせんいなご)の飛ぶが似(ごと)し。孟良(まうりやう)延朗(えんらう)の放つに遇(あ)はずんば、朝士何(ちやうしなに)に由(よ)りてか囲(かこ)みを出(い)づるを得(ゑ)ん。

八王は谷から脱出できないを見ますと、驚き慌て、色を失いました。寇準は言いました。「かような災禍は、汴京を離れる前に、すでに分かっていたことにございます。今となってはどうすることもできませぬ、しばしこちらにとどまって、ゆるゆると計略を立てるよりほかございませぬ」。八王は言いました。「卿の言うことは尤もだ。ただ、今は糧秣が不足しており、朝廷はわれらが包囲されたことをご存じなく、兵は救援しにこない。蛮人は幾重にもびっしりと布陣して、ながらく包囲しているが、これはむざむざこの谷で餓死するということではないか」。孟良は言いました。「殿下にはご心配なさいませぬよう。蛮兵がやや油断したときに、わたくしはこっそりと谷を出てゆき、三関に馳せ戻り、兵を得てきて、羯狗(けつく)を殺すことにしましょう」。八王は承諾し、寨を築いて駐屯し、囲みを出ようとしませんでした。

さて耶律学古は宋人が出てこないのを見ますと、張猛と相談しました。「われわれはかれらと闘うことはない。とにかくここをかたく守れば、敵に拔山の力があっても、役には立つまい」。張猛は言いました。「ながいこと包囲するのはもとより宜しゅうございますが、消息が汴京に伝わって、宋の君主がそれを知れば、かならずや兵を発して救いにきましょう。わたくしの考えでは、やはり太后さまに上奏し、みずから大軍を率いて、包囲しにきていただけば、はじめて事がうまくゆくことでしょう」。学古は言いました。「そなたの申していることは尤もだ」。そして人を遣わし、幽州に戻らせ、蕭后に上奏しました。蕭后は上奏を聞きますと、すぐに群臣たちと相談しました。耶律休哥は上奏しました。「宋の大臣が罠に落ちましたのは、絶好の機にございます。太后さまには、学古の上奏を受け入れられ、みずから大軍を率いてゆかれ、かれらを捕らえ、中原を得られますよう」。后は言いました。「わが国の良将たちは、天門陣が敗れたために、ことごとく死んでしまった。今、保駕大将がいないのに、軽軽に出るわけにはゆかない」。そう言いますと、たちまち階の下で一人の男が返事をしました。「太后さまがもしもゆかれるのでしたら、わたくしが車駕を守りたく存じます」。人々が見ますと、それは木易駙馬でした。后は喜んで言いました。「司天台官が以前上奏したのだが、遼は天下の王となり、そのときはかならずや、世に名の知れた人物が出るだろうとのことだった。この兆しはそなたにあらわれているのだろう」。そして命を下し、木易を保駕大将軍に封じ、女真、西蛮、沙陀、黒水四国の兵馬、都合十五万を率いてゆかせました。木易は命を受け、退出しました。翌日、蕭后の車駕は幽州を離れ、飛虎谷めざして進発しました。一日足らずで着きますと、耶律学古が陣中に迎え入れ、拝礼をして言いました。「太后さまの洪福により、すでに宋の朝臣を谷の中に包囲しました。糧秣はまさに尽きようとしておりますから、まもなく兵を遣わして、擒にするといたしましょう。臣はそれでも中国に対応策があることが心配ですので、太后さまをお招きし、みずから督戦しにきていただき、中原を奪いとる計略を立てようと思っております」。后は喜んで言いました。「もし宋の大臣を捕らえれば、天門陣の辱しめを雪ぐことができるだろう」。そこで兵馬に命じ、二つの大きな陣営に分かれさせ、飛虎谷に駐屯させました。耶律学古は女真、西蛮二国の兵を統べ、真北に駐屯しました。木易駙馬は沙陀、黒水二国の兵を統べ、真南に駐屯し、宋の大臣を囲みました。学古らは勅旨を受けて退きますと、おのおの兵士を指揮しにゆきました。

その晩は微風さえなく、星斗は輝いておりました。木易は陣中で考えました。「朝臣は囲まれてすでに久しいが、援軍は来ない。糧秣がもしも絶えれば、みなは谷の中で餓死してしまう」。そこで一計を案じ、一通の手紙を書き、鏑矢に縛り、こっそりと宋の大臣の陣のそばに歩いてゆき、ただちに射込み、ひそかに人を山の後ろに出し、食糧を奪うことを約束しました。孟良はちょうど陣を出て、巡回をしていましたが、ふと鏑矢が射られる音が聞こえましたので、人に命じて陣をくまなく捜させ、矢を得たところ、手紙が縛ってありましたので、あわてて帳の中に運んで、八王らとともに看ました。八王はそれを受けとり、開けて見ますと、その手紙にいわく

亡(ばう)人(じん)[42] 楊(やう)延朗(えんらう)頓首(とんしゆ)頓首(とんしゆ)して、八(はち)殿下(でんか)曁(をよ)び列(れつ)位(ゐ)大人(たいじん)に啓(まう)す

先生(せんせい)等(ら)茲(ここ)に穽中(せいちゆう)に落ち、策(さく)は惟謹守(ただきんしゆ)し、救兵(きうへい)を俟候(しこう)するのみ。慎んで妄動(まうどう)し、軽(かるがる)しく鋒鏑(ほうてき)を犯す毋(な)かれ。北人(ほくじん)若(も)し出兵(しゆつぺい)侵(しん)犯(ぱん)せんと欲(ほつ)せば、朗(らう)自(みづか)ら計を設(まう)けて之(これ)を止(とど)めん。必ずしも驚憂(きやういう)せず。今幽州(いまいうしう)より運び来る糧草(りやうさう)二十余車(にじふよしや)、限(げん)を定め明日(みやうにち)午後(ごご)山後(さんご)従(よ)り通らん。速(すみや)かに人(ひと)を遣(つか)はし攘奪(じやうだつ)して営(えい)に入れ用に応ぜよ。

敬(つつし)んで此(ここ)に申聞(しんぶん)す。誤る勿(な)かれ。誤る勿(な)かれ。

八王はそれを看ますと、溜息をつきました。「楊家で産まれた子供たちは、すべて忠義の猛将だ」。そして寇準らを召し、帳に入れ、言いました。「楊四将軍がさきほど矢を陣に射込んできたが、矢の上には一通の手紙があり、明日の午後、糧秣がこの山の後ろを通ることを報せていた。奪いにゆけば、禍がさらに速く訪れる恐れがあるが、奪いにゆかねば、われらの糧秣はすでに断たれてしまっているから、この件はどうすることもできなくなろう」。準は手紙を看ますと、言いました。「奪われて構わないでしょう。四将軍の手紙には、兵が攻めてきたときは、あのかたが防ぐとはっきりと書いてあります。殿下には、過度に心配なさりませぬよう」。八王は孟良、焦賛、岳勝、劉超、張蓋二十余人を呼び、山後に潜伏させ、車が来るのを待って奪わせることにしました。そして陳林、柴敢だけを残し、五百の従卒を率いて寨を守らせました。

孟良らは命令を受けますと、次の日、五十の健卒を率い、山の後ろに潜伏しました。夕方になりますと、はたして糧車がやってきました。孟良らは一斉に出撃し、ことごとく奪ってゆきました。糧秣の運送を監督していた蛮将の律軫宣児は宋軍が押し寄せ、食糧を奪うのを見ますと、勇を奮って単騎で敵を迎えましたが、孟良、焦賛、岳勝、董鉄鼓の四人が力を合わせて突進したため、槍で刺しまくられて馬から落ちました。運糧の兵卒はいそいで学古に報せました。学古は大いに怒り、すぐに南の寨にゆき、木易と相談しました。「憎らしい宋人は、わが北営の糧秣二十余車を奪っていった。このたびは、駙馬どのと約束をしにまいりました。明日、兵を進め、宋の大臣をすべて殺しましょう」。木易は言いました。「宋の大臣の配下に従っているのは、良将ばかりでしょうから、行って接近したとしても、敵はかならず死に物狂いで出撃し、わが軍はきっと傷つくことでしょう。兵書にはこう申します。『窮寇は追ふ莫かれ』[43]と。そのうえ宋の陣中には、千人余りの多くのものがいますから、二十車の糧秣を奪っていっても、幾日も持ちこたえられますまい。わたくしの考えでは、包囲しさえすれば、二三月足らずで、宋人はみな谷で餓死しましょうから、一張の弓、一本の矢も費やすことなく、大功を成すことができましょう。それに太后さまのご意思も、宋の大臣を生け捕って、宋の君主のいささかの土地と交換しようとしているだけで、将兵を損ない、敵を殺すことではございませぬ」。学古は承諾し、北営に戻ってゆきました。