鐫新編全相楊家府世代忠勇通俗演義志伝四卷
●真宗が赦免状を出して六郎を求めること
さて天左、金秀は延賛を捉え、檻車に入れ、さらに幾人かを擒にし、いっしょに幽州に護送してゆき、功績を報告することについて相談しました。それから蕭天左、土金秀、耶律慶は手分けしてますますはげしく攻撃しました。宋軍は惶惶として股を震わせました。八王は言いました。「楊六郎は、蛮人がふだんから惧れているもの。こたび陛下は漢の高祖が白登城[1]の囲みを解いた故事に倣われ、陣中の強壮な者を選んで、六郎たち十八人の指揮使の装いをさせ、楊家の旗印を掲げさせ、かれらに命じて城の上を往来させるべきにございます。蛮人はそれを見ればかならずや退去することでしょう。わが軍が勢いに乗じて出撃すれば、すぐにこの災難を逃れることができましょう」。帝は上奏に従い、命令を兵士に下し三関の人馬と同じいでたちをさせました。次の日の朝、楊家の旗印を掲げました。蛮人は城の上で銅鑼や太鼓が一斉に鳴り、大砲の響きが天を揺るがし、焦賛、孟良、岳勝らが城の上を往来し、馳せているのを見ますと、にせものであるとは気付かず、みな一斉に叫びました。「はやく逃げろ。これは六郎が死んだと偽り、われらを欺く計略なのだ」。蕭天左らはみな陣を壊して逃げました。王全節、李明はそれを見ますと、門を開け、勢いに乗じて追撃しました。蛮兵は奔走し、おたがいに踏みつけあい、死者は数えきれませんでした。宋の兵はまっすぐ数里追いかけてから戻りました。王欽は蛮兵が退いたのを見ますと、怒りました。「このものたちは懦夫であり、口ばしが黄色いこわっぱ同然だ。心の中には勇気がなく、六郎をこのように懼れるとは」。そこでひそかに人を遣わし、蛮将に急報しました。蕭天左らは報せを得ますと、嘆きました。「にせものでさえ、恐れるのだから、ほんものに逢えば、ほんとうに胆を潰すだろう」。そこでふたたび軍を返して城を囲みました。侍臣はそれを見ますと、真宗に急奏しました。真宗は八王に尋ねました。「蛮賊は計略を見破ったが、卿にはほかにかれらを退ける策があるのか」。八王は言いました。「計略はございませぬ。辺境の援軍は到着せず、京師はさらに音信がございませぬ。疲弊した兵たちだけでは、誰も出撃してゆこうとはいたしませぬ。今は六郎がおらず、北蛮は荒れ狂っており、かようなことでは戦うことはできませぬ」。真宗は言いました。「臍を咬んでももう間に合わぬ。朕は今から兵らを率いてみずから出撃、交戦し、囲みを突いて脱出しよう。この計略はどうであろうか」。八王は言いました。「かれらは多く、われらは少のうございますから、どうして闘うことができましょう。御自らがご出陣あそばされれば、いたずらに兵士を損ない、脱け出ることはできないでしょう。この城をかたく守られ、援軍が来るのをお待ちくださいますよう」。蛮兵は魏府を囲むこと二十余日、城内は洶洶として、危きこと甚しいというありさまでした。人々が真宗を擁して城壁に登って眺めますと、蛮人は城下で馬を走らせ、その勢いははなはだ雄壮でありました。八王は言いました。「陛下がこの窮境を逃れようとなさるのならば、楊六郎が来るよりほかにございませぬ」。帝は言いました。「そのむかし、怒りを発し、誤ってあのものを斬ったのが悔やまれる。もしあのものが生きていれば、醜虜がかように横暴に振る舞うことを許さなかったことだろう」。八王は言いました。「陛下には赦免状をお出しになられ、あまねく天下をお探しになられれば、六郎がいるかも知れませぬ」。真宗は八王を見て語るのをやめ、ゆっくりと御帳の中に退いてゆき、考えました。「八王はなぜあのようなことを言ったのだろう」。そこで侍臣と話をしました。侍臣はそろって上奏しました。「八王さまがそうおっしゃっていたのでしたら、六郎どのがまだ生きていることをご存じなのでございましょう。陛下にはその上奏を受理されて、人を遣わし、赦免状を持たせ、各地へ往かせ、探させますよう」。次の日、真宗は尋ねました。「赦免状を持って汝州に往き、六郎の消息を探るものはおらぬか」。王全節は言いました。「わたくしが往きたいと思います」。帝は赦免状を与え、李明先に命じて門を開け、出撃させますと、ちょうど蛮将の耶律慶に遇い、交戦しました。律慶は大いに敗れ、全節は勢いに乗じて厳重な囲みから脱出し、汝州をめざしてゆきました。李明は退却し、かたく守って外に出ませんでした。
さて全節は汝州に着きますと、役所に入り、太守の張済に見え、聖上が魏府で囲まれ、兵士が戦に敗れ、延賛が捕らえられたため、諸官が保奏[2]したこと、聖上が楊六郎の以前の罪を赦し、兵を率いて聖駕を救うように命じたことを報せました。「わたくしは赦免状を持ってこちらにまいりました、大人さまには今すぐ探されますように」。張済は言いました。「楊将軍はすでに胡将軍によってその首級を晒され、聖上に献上されましたから、生きているはずがございましょうや。今、わたくしにどこを探せとおっしゃるのでしょう。将軍さまにはすぐに戻られ、別に名将を召されて囲みを解かれますように」。全節はそれを聴きますと、悵悵として悦ばず、言いました。「六郎がいないなら、聖上は危険から抜け出ることは難しく、わたくしはどうして復命できましょう」。張済は言いました。「臣たるものは、力を尽くして主君の難を救うべきです。将軍さまはどうしてもようとする楊将軍を探す、楊府へ往って訪ねられてはいかがでしょうか。わたくしの管轄の州にはほんとうにいないのでございます」。全節はやむを得ず、張済に別れを告げて、楊府へゆき、令婆に目通りして言いました。「聖上は危難に遭われ、このたび赦免状を出されて、わたくしに命じて届けさせ、ご子息の以前の罪を赦そうとしてらっしゃいますから、ご子息に命じられ、すみやかに兵を率いて聖駕を救わせてください」。令婆は言いました。「以前、聖上はわが子の首級を家に送られ、埋葬させてくださりましたが、今はもう塵となりましたから、もう一度生き返すことはできませぬ。軍情が切迫しておりますから、将軍さまにはすみやかに帝に上奏しにゆかれるべきでございましょう」。全節はどうすることもできず、次の日、単騎で魏府に駆けつけ、血路を切り開き、その東門にゆきました[3]。李明はそれを望み見ますと、いそいで門を開いて迎え入れました。全節は真宗に上奏しました。「汝州には六郎の消息はございませぬ。さらに楊府にいって捜索いたしましたが、令婆は、六郎はむかし梟首され、人々はみなそれを見ている、今は生き返ることはできないと申しました」。真宗はそれを聴きますと、長嘆して言いました。「朕はむかし考えが足りなかったため、不当にも英雄を殺してしまった。今日は災に遭遇したが、堂堂たる中国に、六郎のように将士を率い、朕を助けるものが一人もおらぬとは。そう言いますと、群臣に策を尋ねました。群臣は上奏しました。「このような勢いでは、諸葛が復活し、子牙が再生したとしても、どうすることもできませぬ」。真宗は顔中に泪を流し、寝食をともに忘れてしまいました。八王は言いました。「事ここに至っては、もうおしまいにございます。わたくしは楊府に往って捜索し、六郎がいなければ、藩鎮をすぐに召し、兵を興して救いにこさせることにいたしましょう。陛下は諸将とこの城をかたく守られ、みだりに動かれてはなりませぬ」。真宗は言いました。「卿は手足の情を念じて、今すぐに兵士を呼んで救いにきてくれ。ぐずぐずとしてはならぬ。朕は今この地で囲まれ、一日を一年のように過ごしているのだ」。そう言いますと、ふたたび李明、王全節に命じ、門を開いて厳重な囲みを脱け出し、八王を助けて出てゆかせました。八王が出てゆきますと、二将はふたたび城に入りました。
八王は赦免状を届けるために無佞府に往き、令婆に会って言いました。「聖上は今、危険に遭われてらっしゃいますが、これぞまさしく六郎どのが翼を伸ばす秋ですから、出てきていただき、兵を興して聖駕を救うことを相談いたしましょう」。令婆は言いました。「先日、王節使さまが拙宅に来られたときは、わたくしは事実を隠し、お知らせいたしませんでした。このたびは、殿下がみずから来られましたから、瞞こうとはいたしませぬ」。しもべを呼んで、裏庭の穴蔵の中に往かせ、六郎を呼び、堂上に出てこさせ、八王に拝礼をさせました。八王はそれを見ますと、六郎の手を執り、悲しみかつ喜んで言いました。「すばらしい考えだ。すばらしい考えだ[4]。昔がなければ、今はなかったことだろう[5]。郡馬どのがいなければ、聖駕を救うことはできぬ」。六郎は霊を言いました。「殿下の恩と德には、生まれ変わっても報いることはできませぬ」。八王は言いました。「主上は囲まれてすでに久しい。このたび、わたしは郡馬どのを赦免する勅旨を持ってきたのだから、この機に乗じて、力を出して聖上をお救いし、報国の赤心を明らかにするべきだ」。六郎は言いました。「聞けば佳山の兵士はすでに離散していったとか。すぐに集まるのは難しいことでしょう。わたくしがかの地に往ってかれらを招けば、はじめて救いにゆくことができましょう」。八王は言いました。「事態ははなはだ急であるから、はやく往き、かれらを招け。わたしも各地の藩鎮の兵士を集めて魏府に往き、待機して郡馬どのといっしょに挟み撃ちにしよう」。六郎は承諾し、八王は別れを告げて去りました。六郎は令婆に言いました。「朝廷がわたくしを養われるのは、たとえれば一頭の馬のようなもの。外に出るときはわたくしに乘り、跋渉の労を和らげ、暇なときには、潰して料理にしてしまいます。わたくしは母上に別れを告げて天下をば雲遊し、理乱を耳にせぬことといたしましょう」。令婆は言いました。「朝廷のご恩は薄いが、八殿下は手厚く遇してくださっているのだから、やはりご恩を思うべきだろう。そなたが今このようなことをしては、八王さまに負くばかりでなく、そなたの祖父やそなたの先祖の優れた名声や家名がそなたによってすっかり台無しにされてしまう。そなたがもしもゆかないならば、まことに腹立たしいことだ」。六郎は孝行な人でしたから、母が怒っているのを見ますと、令婆を慰め、別れを告げて三関へむかしの部下たちを探しにゆきました。証拠に詩がございます。
剣を負ひ独り徒行き、三関に旧兵を集む。一心に主難を援け、忘却す旧冤の情。
六郎は一人で数日道をゆき、先に鄧州にいって焦賛の消息を尋ねる方がよいと考えました。鄧州に到着しましたが、尋ねても行方が知れませんでしたので、錦江口に行きますと、一群の僧たちがぶつぶつ言いながらやってきました。六郎は尋ねました。「おんみらはどこに往こうとされているのか。どのような仕事があって、そのように嘆いてらっしゃる」。僧は言いました。｢おんみは事情をご存じないのです。この地には気違いがおり、怒りますと人を殺して食べようとするのですが、官軍はそのものをどうすることもできないのです。そのものは上官が朝廷に無実の罪で誅されたといい、各寺で僧を捕まえ、読経して済度させております。もしゆかなければ、火を放ち、寺を焼き、僧を殺戮するのです。昨日はわたくしたちを呼びにきて、法事をしにゆき、その上官を追善しろと言いましたので、わたしたちはゆくしかないのでございます。そうしなければ、寺はすこしも立ちゆくことができないのです」。六郎はそれを聴きますと、焦賛にちがいないと考え、さらに尋ねました。「その人は今どこにいますか」。僧は言いました。「鄧州城の西泗州堂の中におります」。六郎は言いました。「おんみらはわたしを連れていっしょに看にいかれてください」。僧は六郎を案内して泗州堂にゆきますと、焦賛が神案の上に臥し、鼾をかいており、音は雷のようでした。六郎が近寄って見てみますと、はたして焦賛でしたので、手を伸ばして揺すりました。焦賛は起き上がり、一双の丸い眼を見開きますと、大声で怒鳴りました。「どこの死を怕れない狗畜生だ、このように大胆に、やってきて俺さまを怒らせるとは」。六郎は怒鳴りました。「焦賛、無礼はまかりならぬぞ。わしが今ここにいるのは、そなたを召しにきたのだぞ」。焦賛はそれを聴きますと大いに驚き、慌てて進み出て抱きしめますと、言いました。「上官どのは人間でしょうか幽鬼でしょうか。きっとわたしが幾たびも済度したため、本日は霊威を顕されたのでしょう」。六郎は笑いながら言いました。「真昼間に幽鬼がおまえに会うような、奇妙なことがあるはずがない。とりあえず無駄話をする必要はない。とにかくわたしに従って、人気のない処へ行って、心の中を打ち明けよう」。焦賛は手を放し叩頭し、僧たちは笑いを堪えながら散ってゆきました。六郎は焦賛を連れて城の西の橋のたもとにゆきますと、告げました。「聖上が災難に遇われたので、今、八殿下は赦免状を持ち、われわれを召しにこられ、兵を率いて聖駕を救えとおっしゃっている。それゆえに、わたしはさきにそなたを訪ね、三関へともに往き、兄弟たちを招集し、魏府に往き、聖駕を救おうとしているのだ」。焦賛はそれを聴きますと、大いに喜びました。「将軍さまは朝廷によって誅されたものと思っていました。残されたわれわれはとても淋しゅうございましたが、今日はまた会うことができ、ほんとうに嬉しいことにございます」。次の日、汝州を通りますと、役所に入って張済に拝礼をし、八王が赦免状を持って召しにきて、聖駕を救おうとしていることを報せました。張済は大いに喜び、王全節の来たわけを六郎に知らせました。六郎は言いました。「わたしは今から三関に往き、人々を招集し、兵を進めるため、こちらを通ったのですが、中に入って、そのむかし命を助けていただいたご恩にお礼をいたさぬわけにはまいりませぬ。そうしましたら、すぐにお別れいたしましょう」。張済は言いました。「将軍どのにはお気遣いいただきまして」。そして城から送り出して別れました。
六郎と焦賛は三関めざして進み、道々それぞれが事の一部始終を告げました。知らぬまに楊家渡に着きますと、日はまさに正午、はるかに望めば白浪は天に漲っておりましたが、両岸に船はありませんでした。しばらく待ちましたが、まったく一人も往来するものはいおりませんでした。証拠に詩がございます。
途は窮まる野渡の辺、雪浪は遥天を拍つ。両岸蘆花の裏、舟の一川を済る無し。
六郎はしばらく停まり、焦賛に言いました。「そなたは上流へ、船があるか看にいってくれ」。焦賛は命を受け、上流に行き、船があるのを見ますと、船頭に尋ねました。｢船でわたしを渡してくれれば、そなたに渡し賃をやろう」。船頭は言いました。「この船はわたくしの船ではなく、楊太保さまの船でございますから、わたくしが勝手にお渡しいたすわけにはまいりませぬ。おんみがもしも渡りたければ、前方の亭で太保さまに会い、借りられれば、はじめてお渡ししてゆくことができましょう」。焦賛はそれを聴きますと、亭に往きました。すると一群れの人々が賭博をしておりましたので、焦賛は近寄って言いました。「おんみの船をお貸しくださり、河を渡らせてくだされば、船代をすぐに差しあげましょう」。人々は頭を上げましたが、焦賛の姿が奇怪でしたし、一声の呼びかけを気にとめておりませんでしたので、みな返事をしませんでした。焦賛はさらに言いました。「船で渡してくだされば、すぐ船賃をお支払いいたしましょう。あなたを騙すわけでもないのに、どうして返事をなさらぬのです」。人々は罵りました。「疫病神め、何が騙すだ」。焦賛は大いに怒り、両の拳を伸ばして殴りましたので、人々は逃げまわりました。まさに進み出て太保を打とうとしますと、太保はまっすぐ奥へ逃げてゆきました。焦賛は戻ってきて六郎に会いましたが、怒りは収まっておりませんでした。六郎は言いました。「そなたはまたも禍を引き起こしたな」。焦賛は言いました。「今回は狗どもがわたしを辱しめたのです。あきらかに船があるのに、貸そうとはせず、言葉を発して罵ったのです。わたしは怒って、打ちまくりましたので、人々はみな四散してしまいました」。六郎が心配をしておりますと、人々が紛紛と長い槍、短い棒を執りながら追いかけてきました。焦賛は言いました。「将軍さまにはしばらくお待ちくださいますよう。わたしは賊徒どもを殺して、民のため大害を除くとしましょう」。そして刀を引提げて突っ込んでゆきました。人々は防ぐことができず、逃げてゆきました。楊太保は刀を引提げて後ろから走り出、焦賛とつづけて数合闘いましたが、勝負は着きませんでした。六郎は叫びました。「壮士どの、ひとまず力比べをやめて、お名とご姓をお知らせくだされ」。楊太保は鋭い刀を揮うのをやめ、土手の上に立ちました。焦賛も動きを止め、闘うのをやめました。太保は言いました。「わたしは鄧州のもので、姓は楊、名は継宗。号は太保というものだ。そなたは誰だ。この渡し場を渡ろうとして、手下に命じて船を奪わせようとするとは、どういうことだ」。六郎は言いました。「それがしはほかでもない、令公の子の楊六郎です。今、聖上は魏府で囲まれているので、それがしは佳山に往って部下たちを招集し、聖駕を救いにゆこうとし、わざわざこちらにきて船を借り、河を渡ろうとしたのです。ご無礼がありましたこと、お許しくだされ。お許しくだされ」。太保はそれを聴きますと、宝刀を抛ち、近寄って拝礼をして言いました。「ご高名は久しく承っておりましたが、お会いする機会がございませんでした。本日は幸いにお会いすることができ、平生の願いは叶えられました」。六郎が扶け起こしますと、太保は言いました。「将軍さまには弊荘でお食事を召されますよう。お嫌でなければ、わたくしが部下を率いていっしょに聖駕を救いにゆくのはいかがでしょうか」。六郎は言いました。「もとより願うところです。わたしが諸将を招集し、人を遣わし呼びにくるのをお待ちください」。太保は承諾しました。その晩、六郎を引き留めて村に泊まらせたことは、お話しいたしません。
●六郎が神祭りをしている廟を壊すこと
さて楊太保は次の日に、船で六郎を運んで河を渡り、太保はいっしょに上陸しました。六郎は楊太保に別れを告げ、焦賛とともに三関めざして進みました。時は四月で、途中、日は暖かく風は和やかでありました。証拠に詞がございます。
翠葆[6] 参差として竹径新たなり。緑荷雨に跳りて珠を濺ぎて傾く。弯曲せる茎。小荷亭。風は簾衣を約して帰燕急に、水は蒲影を揺らして戯魚驚く。柳梢残日微晴を弄ぶ。
二人は数日足らずで三関の地に近付きました。焦賛が言いました。｢歩いてとても疲れました。将軍さまはひとまずこちらに停まっていてくださいまし。わたくしは前方に往き、一酌みの酒を買ってきて渇きを癒すといたしましょう」。六郎は承知しました。焦賛はすぐに前方に往きましたが、飲み屋はなく、運命はまことに苦しい、酒が欲しいのに飲むこともできないと考えました。歩いておりますと、一群の人々が幾つかの荷物を担いできました。焦賛が近寄って看てみますと、それは酒と肉でしたので、尋ねました。「酒と肉を売ってくれるか」。その男は言いました。「まことに物の分からぬ御仁じゃ。神をお祭りするためのお酒や肉を、人に売り、食べさせるはずがございましょうや」。焦賛は言いました。｢どのような神を祭るのだ。遠くから旅をしてきた者なので、ほんとうに知らなかったのだ。はっきりと話してくれ」。人々は言いました。｢前方に楊六郎将軍さまの神廟が立っており、とても霊験あらたかにございます。わが村はお蔭を蒙り、四時八節災難がございませぬ。そのうえ祈祷する者は、すべて願いが叶うのでございます。本日は神祭りの日ですから、わざわざお礼参りに往くのです」。焦賛はそれを聴きますと、六郎のもとに戻って、その事をすべて告げました。六郎は笑って言いました。｢さようなことがあるはずがない」。焦賛は言いました。「わたくしは嘘をついてはおりませぬ。あのものたちがこのように申していたのでございます。将軍さまと看にゆけば、詳細が知れましょう」。六郎はその言葉に従い、すぐに焦賛いっしょに看にゆきました。
数里もゆかぬうちに、はたして立派な廟宇があり、大きくて厳かなものでした。六郎がゆっくり歩いて廟に入って看てみますと、真ん中の神座には、自身の塑像、両脇には十八人の指揮使の塑像が造られており、灯火は朗朗として明るく、階の前には、焚かれた紙銭の灰が山のように積み重なっておりました。六郎は焦賛の像を指さして言いました。「これはそなたの像だが、ほんとうにそっくりだな」。焦賛は笑いながら言いました。｢将軍さまはもっとそっくりに造られておりますよ。わたくしは鄧州で人を殺して食べようといたしましたが、ここでこのように祀られていたために、頭がおかしくなったのでしょう」。そう言いますと、片手でみずからの像を推し倒しました。さらに真ん中の神座の上に跳びあがり、六郎の像を立て続けに何回か推しましたが、倒れませんでしたので、力をこめて動かしますと、大きな音をたてて崩れました。お礼参りの人々はそれを見ますと、みな逃げました。香火を捧げる廟守りは、いそいで銅鑼を敲きますと、たちまち劉超、張蓋が二百余人を率いて廟の前にやってきました。六郎はそれを見ますと怒鳴りました。「そなたらは結構なことをしておるな」。劉、張は大いに驚き、頭を下げ、拝礼をして言いました。「人々は将軍さまが殺されたものと思っていたのに、今日はなぜまたこちらに来られたのですか」。六郎は死んだと偽っていたことを告げますと、言いました。｢このたび赦免状が出されて、われらは召され、聖駕を救いにゆくことになったので、今日はそなたらを呼びにきたのだ」。劉、張は喜んで言いました。「朝廷がふたたびさようになさるのでしたら、将軍さまにはひとまず寨の中にゆかれて、相談なさってくださいまし」。六郎はそこで人に命じて廟宇を壊させ、神像を推し倒させ、人々とともに虎山寨へゆきました。六郎が腰掛けますと、劉、張は拝礼をし、酒を整えて持て成しました。六郎は尋ねました。「岳勝、孟良は今どこにいる」。劉、張は言いました。｢岳勝と孟良は部下たちを率いて太行山に帰って、王やら帝やらと称して、大いに民を害しております」。六郎は嘆きました。「天に二つの太陽はなく、民に二人の君主はない。このたびはわたし一人がいないだけで、そなたらはみんな勝手なことをしておる」。そう言いますと、劉、張に命じて槍、刀、盔、甲を準備して、待機させました。「わたしがみずから太行にゆき、岳勝たちを呼んできてから、いっしょに出発するとしよう」。劉、張は承諾しました。
六郎はふたたび焦賛とともに太行山めざして進みました。一日進みますと、日は西に墜ち、空はだんだん暗くなってきました。六郎は言いました。「この先は奥深い谷ばかりで、人煙は稀であろう。そなたは前方の村に往き、どこかの家で一晩宿を貸してもらい、明日の朝、山に上ってゆくとしよう」。焦賛は承諾し、まっすぐ進んでゆきましたが、人家はありませんでした。山の後ろにまわりますと、一つの村があり、焦賛が村に入ってゆきますと、ある家の堂上に灯火が輝き、老人が独り坐して嘆いておりました。焦賛はまっすぐ堂に入りますと、揖をして言いました。「よその土地から人が来て、今晩、貴殿の家を借り、宿ろうとしております。手厚くお礼はいたしましょう」。老人は答えました。「拙宅は以前はお客を自由にお泊めしておりましたが、本日はいささかの事情があるため、お泊めすることができませぬ。他の家へ宿を借りにゆかれるべきでございましょう」。焦賛は言いました。「日はすでに暮れ、どうすることもできませぬから、どうか便宜を施してくださいますよう」。老人は言いました。「いくたりいらっしゃるのでしょうか」。焦賛は言いました。「上官とわたくしの二人だけです」。老人は言いました。「お二人だけなら、入って休んでゆかれてください」。焦賛はすぐに外に出、六郎を呼び、老人に会わせました。老人は六郎の顔が堂堂としているのを見ますと、尋ねました。「どちらへ往かれるおつもりですか」。六郎は言いました。「わたくしはいささかの公務のために、太行山へまいります」。老人は太行山と聞きますと、両眉を顰め、長嘆しました。六郎は尋ねました。「わたくしが太行と言うのを聞かれ、すぐに不愉快そうなお顔をされたのは、どうしてでしょうか」。老人は言いました。「太行山と申しますれば、じじいには不倶戴天の恨みがあるのでございます」。六郎は言いました。「どのような怨みがあるのでございましょう。わたくしにお話しをしていただければ、すぐに解決いたしましょう」。老人は言いました。「この村はみな陳姓で、みな同族にございます。ここから太行山へは数里ございますが、今、山の中には二人の草寇がおり、一人は名を岳勝、一人は名を孟良といい、天子と称しておりまする。配下に五六万人を集め、人々の財産を掠奪し、害をなすこときわめて大なるものがございます。じじいには倅がなく、一人娘があるだけでございましたが、孟良はそれを知りますと、人に話しをしにこさせ、今ではむりやり婿になろうとしております。じじいはふだんは善を好み、義を重んじておりますから、従って、この地の民を安んじるほかございませぬ。そうでなければ、火を放ち、人を殺すのが、収まることはないでしょう。この怨みを、どこで晴らせばよいのでしょうか」。六郎は笑いながら言いました。「それしきのことならば、ご心配召されませぬよう。孟良とわたくしは旧知の間柄ですから、あのものが今晩来たら、わたしにはおのずからあのものを退ける計略がございます」。老人は言いました。「娘が汚されないならば、老いぼれは泉下でもご恩に感じて忘れはいたしませぬ」。六郎と焦賛は食事をしますと、客間に出て待ちました。老人は小者に宴席を整えて迎えるように命じました。
二更が近づきますと、銅鑼や太鼓の音がどよもし、路じゅうに灯火が明るく、人は孟大王が来たと報せました。陳老人は村を出て迎えました。孟良は広間に入り腰掛け、従者が両脇に並びました。老人は拝礼をして言いました。「大王さまがご光降されましたのに、遠くまでお迎えもいたしませんで。老いぼれの罪をなにとぞお許しください」。孟良は言いました。「これからは、あなたは舅なのだから、拝礼なさる必要はない」。老人はお礼をいい、小者に命じて酒席を運んでこさせ、わざと百花お嬢さまを呼び出してきてお酌をさせようとしました。下女が報告しました。「お嬢さまは恥ずかしがって、出てこようとはなさりませぬ」。老人は言いました。「今はもう大王さまの奥方なのだから、羞じることなどあるまいに」。ふたたび人に催促をさせました。孟良は老人からこのようにお世辞を言われますと、とても喜びました。六郎と焦賛は窓越しにそれを窺い、こっそり笑って言いました。「あいつは法を侮って、かように民を害している。今晩われらが来なければ、ほんとうにあいつによって老人の娘は騙しとられていただろう」。焦賛は言いました。「出ていってあいつの片足をへし折れば、新郎になることはかなうまい」。六郎は言いました。「そなたが先に出ていってあいつを抱いたら、わたしがすぐにあいつを辱めにゆこう」。焦賛はこの時ひどく怒り、数歩で広間に跳びあがってゆき、片足で宴席を蹴り倒し、両手で孟良をきつく抱きとめました。孟良は不意を衝かれて、体をまったく動かすことができず、ただ怒鳴りました。「手下よ、どこにいる」。小盗人が進み出て焦賛を打とうとしますと、六郎は声を励まして罵りました。「礼義を顧みぬ輩めが、なぜこのように恥知らずなのだ。民間の娘をむりやり奪うとは、どういうことだ」。焦賛は孟良を引っぱって宴席を出ますと、指さして言いました。「眼を見開いて、誰がこちらに来ているか看るがいい」。孟良は明かりの下で六郎であるのを見ますと、あわてて拝礼し、言いました。「将軍さまは殺害されたと耳にしましたが、今日はどうしてこちらに来られたのでしょう」。六郎は言いました。「そなたはひとまず立ち上がり、今すぐ太行山に戻って相談し、軍馬を整え、聖駕を救いにゆくがよい」。陳老人は進み出て尋ねました。「先生のご高名を、老いぼれはお聞きいたしたく存じます」。焦賛が事情をすべて告げますと、老人は頭を下げて拝礼をして言いました。「将軍さまのご威名は、雷が耳を貫くかのように、ながいこと承っておりました。今日はいかなるご縁で、お会いすることができたのでしょう」。その娘を呼び出して拜礼をさせました。六郎たちが見てみますと、はたして美しい娘で、姿態は端正、嬌嬈窈窕たるさまは、王嬙に比べるに堪えるものでした。焦賛は笑いながら言いました。「こうして看てみると、孟兄じゃは運がない。もしもわれらが一日遅く来ていれば、一晩を楽しむこともできたのに」。孟良は怒鳴りました。「上官どのがこちらにいらっしゃるというのに、くだらないことを申すな、憚りもなく」。人々はみな口を掩って笑いました。百花お嬢さまは拝礼を終えますと、部屋に退いてゆきました。老人はみずから杯を取り、六郎たちに酒を勧め、とても殷勤にしました。その夕方、人々は順番に腰掛け、楽しみを尽くして大いに飲みました。夜明けになりますと、六郎は別れを告げて出発しました。老人は金帛を取り、六郎に礼を言いました。六郎は受けず、人々とともに村を離れ、太行目指して進みました。証拠に、孟良が結婚することができなかったことを嘆いた詩がございます。
孟良強めて鸞鳳に效はんと欲するも、詎ぞ意はん良宵に六郎に遇はんとは。婚牘[7]芳名原より未だ注せざれば、致令す紅粉の両つながらに分張[8]するを。
翌朝、孟良は人を遣わし、山に上らせ、岳勝に報せました。岳勝は人々を迎えて山の中腹に案内し、六郎に会いますと、道ばたに拜伏しました。六郎は岳勝に立ち上がるように命じ、まっすぐ山寨に入って腰掛けました。諸将が拝賀しますと、岳勝が進み出て言いました。「そのむかし、将軍さまが亡くなられたとの噂が広まり、人々は主を失い、おのおの散ってゆきました。本日はふたたび集まることができ、われらには主ができて、このことにまさる幸せはございませぬ」。六郎は言いました。「無実の罪に関しては、暇な日にふたたび話をさせてもらおう。ひとまず差迫ったことをそなたに告げることにしよう。今、聖上は遼人により、魏府で囲まれ、情勢ははなはだ逼迫しているから、今すぐに武器を整え、お救いしにゆくべきだろう」。岳勝は言いました。「皇上は将軍さまを大事になさらず、讒言を信じられ、死地に陥れられましたから、恩情はきわめて薄うございます。将軍さまは平素より忠義を懐かれ、力を出して王家を扶けられましたから、蒼天は将軍さまを裏切らず、禍は遠のいて、身は保たれたのでございます。わたくしの意見に従い、聖駕を救いにいくのはおやめなさいまし。この地に據って天子と称し、たくさんの快楽を享受されればよろしいでしょう」。六郎は言いました。「わが家は代々忠貞で、美名は万年、すばらしい名声をみずから堕とすわけにはゆかぬ。今、この土地に據ったとしても一草寇となるだけで、後世に唾されて、罵られてもどうすることもできないだろう」。岳勝はさらに話そうとはせず、盛大に酒席を設けて、会ったことを祝わせました。この日はどんちゃん騒ぎをし、人々は宴が酣になりますと散じました。
次の日、六郎は人を遣わし、劉超、張蓋らを召しにゆかせますと、かれらは兵を起こして会いにきました。さらに陳林、柴敢がどこにいるかと尋ねました。岳勝は言いました。「二人は今なお勝山寨に駐屯しております」。六郎はそれを聴きますと、すぐに人を勝山寨へ往かせ、陳、柴両名を召させました。数日足らずで、劉、張、陳、柴らはみな到着しました。六郎はむかしの幕下の部将たちを点呼しますと、岳勝、孟良、焦賛、陳林、柴敢、劉超、張蓋、管伯、関均、王琪、孟得、林鉄槍、宋鉄棒、丘珍、丘謙、陳維、謝勇、姚鉄旗、董鉄鼓、郎千、郎万、総勢二十一人の指揮使はみなおり、その配下の精鋭な兵士は八万余人でした。六郎は言いました。「佳山の人々が今日ふたたび揃ったからには、敵に勝つことは疑いない」。そう言いますと、人を遣わし汴京に赴かせ、八王に報せ、期日を約して兵を進めることにしました。さらに人を楊家渡へ往かせ、楊太保に報せ、軍を率いて途中で会うことにしました。六郎は指示をおえますと、その日のうちに楊家の旗印を掲げ、旗の上に「楊六郎兵を興して聖駕を救ふ」。の数文字を大書し、大砲を一発響かせ、大軍で太行山を離れました。刀と槍は焰焰と、剣と戟は棱棱としておりました。兵馬が進んでおりますと、たちまち前方に一部隊が来たという報せがありました。六郎が人に命じて探らせますと、楊太保であるという報告がありました。楊太保は六郎と会いますと、いっしょに兵を進めました。六郎は馬上で軍容の掬すべきありさまを見ました。証拠に詩がございます。
宝剣の霜威糾糾として雄く、霓旌秋に捲く海天の空。一声の長嘯貔貅粛たり、雲鳥奔騰す碧玉驄[9]。
●六郎が兵を興して聖駕を救うこと
三軍は行くこと数日足らずで、たちまち八王も軍十万を率いて来るのに遇いました。六郎が馬を下り、八王と会いますと、八王は限りなく喜びました。六郎は言いました。「このたび聖駕をお救いした後、まっすぐに幽州の地を攻撃し、醜類を殲滅し、軍を還すといたしましょう」。八王はそれを承知しました。この日は兵を澶州城内に留めました。次の日、六郎は岳勝に言いました。「主上は遼に久しく包囲されているから、そなたは先鋒となり、兵五千を率い、ただちに進んで攻撃し、先に蛮人の鋭気を挫くのだ」。岳勝は命令を受けますと去ってゆきました。さらに孟良、焦賛を呼び、言いました。「そなたは劉、張らを率い、それぞれに兵二万を率いさせ、左右に分かれて挟み撃ちにさせ、武威を奮って、蛮軍の中へ突入してゆくべきだ。わたしはすぐに大軍を率いて襲撃しにゆこう」。孟良らは兵を率いてゆきました。六郎は八王と相談しました。「先に岳勝らを行かせ、さらに殿下と精兵を率いて後に続いてゆけば、蛮族の囲みが解けぬ心配はございませぬ」。八王は言いました。「郡馬どののこのようなご差配は、そのむかし覇をとなえた桓、文にも劣らぬものにございます」。六郎はとんでもございませんと言いました。
次の日、岳勝が軍を促して、すみやかに進ませようとしておりますと、たちまち真北で征塵が天を蔽い、一隊の人馬が道を進んでまいりました。岳勝は兵士たちに言いました。「はやく進んで、あの一隊の軍を追い掛け、かれらと戦い、幾つかの首級を斬り、蛮人の矛先を挫けばそれがそなたらの最高の功績だ」。そう言いますと、馬を馳せ、先駆けて追い掛け、刀を揮ってその陣に突入しました。蛮将劉珂は敵を防ぐことができず、大いに敗れて逃げました。宋軍は檻車を奪い、六郎の陣中に送り込みました。その檻車の中の人は、保駕将軍胡延賛でした。六郎はそれを見ますと、慌てて檻車を打ち壊し、扶け出し、拝礼をして言いました。「おじうえが檻車に捕らえられていたのに、はやくお救いすることができませず、恥じ入っておりまする。なにとぞお赦しくださいまし」。延賛は言いました。「何を申すか。ここで会えたのはさいわいだった。そうでなければ、俘虜となっていたことだろう。老いぼれは捕らえられた時、聖上にお報せしようとしたのだが、いかんせん、蛮営に囚われたため、知らせる者がいなかったのだ」。六郎は言いました。「おじうえは、そのむかし、わたしを汝州で救われましたが、本日、わたしは岳勝に命じて先に陣を襲わせ、はからずも、おじうえを途中でお救いいたしました。天道の循環は、かくも昭昭たるものにございます」。そこで八王に引き合わせました。八王は言いました。「天子さまの洪福により、老将軍は救われたのだ」。六郎は兵士たちに命令を下し、大急ぎで進発させようとしました。この時、真宗は魏府で群臣たちとともに援軍の消息を待ち望んでおりましたが、音信はありませんでした。城内の糧秣はすでに尽き、臣下たちはみな馬を殺して食べておりました。蛮兵は王欽の報せを得ますと、ますますはげしく城を攻めました。さいわいに兵権は王欽の手中にはありませんでしたので、諸将はかれの指示を聴かず、懸命に防ぎました。
さて劉珂は敗れて戻りますと蕭天左に会い、大宋の援軍が到着し、すでに胡延賛を奪って去ったことを報せました。蕭天左は大いに驚き、すぐに人を遣わし、どこの援軍が来たのかを探らせました。斥候は報告しました。「旗の上には『楊六郎が聖駕を救う』と大書してあり、将兵たちの来るさまはとても雄壮にございます」。蕭天左は笑いながら言いました。「先日、敵が六郎たちの装いをして、われわれを誑かしたとき、わが軍は驚いて奔走した。今日はまた、どこの兵かは知らないが、六郎の名を騙り、われわれを欺きにきた。南人はかくも狡猾だから、こちらもしっかり防ぐしかない」。そして各陣に命令を下し、兵を整え、敵を迎えさせました。指示がおわらないうちに、岳勝の兵馬が風のように馳せてやってきました。蛮将の耶律慶が陣を出て先に戦いますと、岳勝は罵りました。「天兵が来たというのに、醜賊はなおもいそいで逃げず、ぐずぐずとして、殺されるのを待とうというのか」。耶律慶も罵りました。「城内の兵士は半分近くが死んだが、そなたらも殺されにやってきたのか」。岳勝は馬に鞭打ち、刀を揮い、律慶を捕らえにきました。律慶は槍を突き出して迎え撃ちました。交戦すること数合で、蛮兵がまわりを囲んできましたので、孟良、焦賛は左右に分かれて挟み撃ちにし、蛮陣に突入しました。蛮将麻哩喇虎は方天戟を挙げて出撃し、孟良を迎え、二騎は鋒を交えること数合、陳林、柴敢はさらに精兵を率いて脇から殺到しました。この時、南北は激戦し、銅鑼と太鼓は天にどよもしました。焦賛は闘って怒りを発し、朴刀を提げ北陣で縦横に暴れ回り、無人の境に入ったかのようでした。ちょうど蛮将劉珂に遇い、馬を交えること一合、賛に斬られて馬から落ちました。宋の騎兵はあらそって前進し、たくさんの弩を一斉に鳴らしましたが、北陣の蛮兵はなおもしっかり防いで逃げませんでした。蕭天左が勇を奮って戦いにきますと、楊太保は刀を揮って敵を迎えました。六郎は大軍を促して襲いかかってゆき、蛮将の隊伍は乱れました。蕭天左は敗走し、楊太保は弓を取り、矢を番え、天左を馬から射落としました。土金秀はそれを眺めますと、出撃し、かれを救いました。耶律慶は敵わないと考え、斜めの方向に飛び出して逃げました[10]。岳勝は追い掛けてゆき、一太刀で耶律慶を真っ二つにしました。麻哩喇虎は馬に鞭打って逃げ、劉超、張蓋によって、縄でその馬を引き倒され、兵士は進み出て生け捕って戻りました。師蓋がまさに救いにこようとしますと、六郎は郎千、郎万を出撃させました。師蓋は対応が間に合わず、二郎[11]によって馬上で生け捕られ、孟良は単騎でまっすぐに東門に突進しました。李明、王全節は敵楼の上で城下の激戦を眺め、援軍が来たことを知り、門を開けて出撃し、闘いますと、北兵は大敗して逃げました。徹夜で長駆して追撃しましたが、踏み殺された者、射殺された者、斬り殺された者は数をも知れませんでした。蕭天左と土金秀は闘って意気消沈し、徹夜で幽州へ逃げ戻ってゆきました。
宋兵は多くの寨、馬、槍、旗、盔、甲を奪いました。八王は単騎で城内にまっすぐ入り、真宗の前に拜伏し、お祝いを言いました。「陛下の洪福により、楊郡馬を得て、兵を興させ、聖駕をお救いいたしましたが、闘いの結果、蛮兵は鎧を棄て、戈を曳きつつ逃げましてございます」。真宗は言いました。「朕が禍を逃れて、みなが生還できたのも、すべてそなたの功績だ」。そして六郎を陣幕に入れました。六郎は地に拝伏して罪を請いました。真宗は言いました。「卿の以前の罪はことごとく赦すとしよう。今日、卿は朕の車駕を救い、功は莫大であるから、朕が帰朝したのちに、手厚く爵賞を加えよう」。六郎は叩頭して礼を言い、上奏しました。「天下で得難いものは時にございます。今、蛮兵は大敗し、意気消沈しております。くわえて陛下の車駕がこちらにとどまってらっしゃるため、ますます武威は揚がっております。わたくしは部下たちを率いて幽州城下にただちに逼り、蕭后の領地をすべて奪って帰り、ながく辺地の患えを除き、千載の鴻図を成就いたしましょう。陛下にはわたくしの上奏を受理されますよう」。真宗は言いました。「卿の申すことはもとより正しいが、朕は久しく都を出、将兵は疲れているから、帰朝してからふたたび征討することを相談しても遅くはあるまい」。六郎はそこで陣中から退出し、捕らえた蛮将をすべて梟首しました。次の日、帝は代州節度使楊光美を魏府留守にし、さらに命令を各陣に下して荷物を整え、軍を汴京に戻らせることにしました。兵士は命令を受けますと、みな歓びました。文武の官は車駕を護って魏府を離れ、大梁へ戻りました。
大軍は数日足らずで汴京に着き、車駕は皇城に入りました。翌日朝議が行なわれ、群臣が拝賀しますと、真宗は文武官が久しく魏府で包囲され、心を労し、力を尽くしましたので、それぞれに褒美を与えました。そして特別に六郎を昇殿させますと、真宗は手厚い褒美を与え、六郎に言いました。「三関の地を、昔そなたが守っていたとき、北蛮は侵そうとしなかった。こたびそなたはふたたび部下たちを率いてこの地を守り、遼人を防ぐがよいぞ」。六郎は言いました。「わたくしは、実はふたたび佳山に往って、精鋭を募り、遼を伐とうと思っていたのでございます。ただ、聖旨を得ておりませんので、みだりに行こうとしなかったのでございます。このたび、陛下が勅命を下されましたので、臣の願いは遂げられました」。真宗は大いに悦び、六郎に三関総管節度使の職と「自ら斬殺を行ひ、詔旨を請はず」。という勅旨を授けました。六郎は聖恩に感謝しました。それからさらに文武列班とともに朝賀しました。証拠に詩がございます。
鶏鳴鐘声未央[12]を出で、千官鱗次[13]して散ること蹌蹌[14]。旌旗霄漢龍虎[15]を飛ばし、楽奏簫韶[16] 鳳凰を引く[17]。玉苑に花飄り暁色に迷り、金猊の檀篆[18] 余香を染む。不才此の際方に慶を称へ、再び鴛班[19] 豹尾[20]に続きて行く。
三日後、真宗は便殿で宴を設け、魏府で聖駕を救った将兵をねぎらい、君臣は楽しみを尽くして散じました。次の日、六郎は入朝して宴に感謝し、真宗に別れを告げ、無佞府に帰り、令婆に別れを告げて出発しました。その子の宗保は年まさに十三歳でしたが、父に隨ってともに三関にゆこうとしました。六郎は言いました。「佳山は酷寒の地だから、そなたがゆく必要はない、家でおばあさまにお仕えし、成長してから、行っても遅くはないだろう」。宗保はようやく行くのをやめました。六郎は家を離れ、岳勝らと彫刻を施した鞍に跨り、軍を率いて佳山めざして進みました。証拠に詩がございます。
重寄[21] 心膂[22]に分かち、雄威爪牙を奮ふ。三関今復往き、声勢胡笳を浄む。
六郎は人々を率いて、一日足らずで三関に着き、寨に入って腰掛け、命令を下してむかしの陣の柵を修理し、岳勝らを十二団営[23]とし、それぞれ配下の兵を率いて、槍、刀、衣甲を整えて働かせることにしました。それからは、三関の威勢は以前のように大いに盛んになりました。六郎は毎日邏騎を遣わして北蛮の消息を探り、諸将と毎日征討の策を相談しましたが、そのことはお話しいたしません。
さて蕭天左が敗れて戻った後、蕭后は日夜宋国が攻めてくることを心配しました。ある日、蕭后は群臣と相談しました。「魏府で戦い、敗れてから、南人はいい気になっている。さらに楊景は三関で英雄を募り、人は強く、馬は壮んであると聴くが、かならずや北侵の意があるのであろう。なんじらも計略を設けて防ぐべきだ」。そう言いますと、韓延寿が上奏しました。「国勢大いに盛んになさりたければ、ひろく英雄豪傑を招かねばなりませぬ。わたくしが見ましたところ、大遼の将帥はみなすでに年老いていますから、太后さまには触れ文を出され、天下の勇士を募り、将帥の職を授けて、宋人の侵攻を防がれますよう」。蕭后はそこで触れ文を書き、午門に掲げるように命じました。触れ文にいわく、
遼太后蕭、賢を招き以て国難を靖んずる事の為にす。嘗て謂ふ兵の重んずる所の者は将なり、将の貴ぶ所の者は謀なりと。今干戈日に作り、禍乱相尋ぐに値り、特に榜文を出し、豪傑を招募す。或いは才猷を抱きて山谷に隠れ、或いは韜略を懐きて遐荒に処り、或いは旗を搴き将を斬るの勇を有し、或いは地を掠め城を攻むるの能を有せば、一技一務に拘はらず、以て国を富まし兵を強くするに足れば、咸幽州に集めて親ら試さん。若し果たして職あらば、即ち兵印を授けん。故に茲に榜示す。
学士は触れ文を書きおえますと呈上し、蕭后はそれを見ますと、将校に命じて午門の外に掲げさせました。証拠に詩がございます。
榜を張り奇才を募れば、椿の精変化して来たる。洞賓韜略を伝へ、宋国兵災を受く。
さて大中祥符四年、蓬莱山の鍾、呂二仙は洞窟で碁を打っておりましたが、鍾離が言いました。「世の人々は、色を貪らなければ、寿命を延ばせるとは限らないが、病を退けることはできるであろう」。呂洞賓は言いました。「人は欲の中から出てきたもので、貪ることのないものはございませぬ。欲を絶つことができるなら、それはすなわちこの世の高士でございますから、仙人の修行をするのも難しくないことでしょう」。鍾離はさらに言いました。「世を挙げて、酒に溺れ、性を乱し、德を乱すものばかりが紛紛としているが、これはいったいどういうことか。人が酒の中から出てきたというわけでもあるまい」。洞賓は言いました。「酒というものは、血を活かし、気を助けますが、それを貪ることだけがよくないのです。弟子はさらに『酒中に道を得、花裏に仙と為る』。[24]ということを耳にしたことがございます。酒色の効も大なるものにございます。節制できれば、悪いものではございませぬ」。鍾離は笑いながら言いました。「分かったぞ。そのために、そなたは白牡丹と双六をして、岳陽楼で泥酔したのだ」。[25]洞賓は答えることができず、みずからまちがったことを言ってしまったと悟りましたが、弁明しようとしませんでした。するとたちまち南北の殺気が雲霄に衝き入りましたので、仙童たちは訝って、尋ねました。「師父さま、これはいかなる兆しでしょうか」。鍾離は言いました。「南朝の龍祖と、北蛮の龍母と、両国がしばしば戦っているため、殺気が空に衝きあがってきたのだよ」。仙童は言いました。「一陣の殺気が、なぜこのように凝りて散じないのでしょう」。鍾離は言いました。「気数からいえば、二年の永きにわたるであろう」。仙童は言いました。「いったい、どちらが勝ち、どちらが負けるのでしょうか」。鍾離は言いました。「龍母は逆妖の類だが、蛮地に逃れ、一隅に霸を唱えているのだ。龍祖は天が降生させて、下界の民の君師としたもの。龍母はその分を守らず、みだりに逆らい、兵を興して侵犯し、民を苦しめているから、まもなく龍祖に滅ぼされよう」。仙童は言いました。「二龍は闘い、万民は殃に遭っておりますが、衆生を救うことができれば、功德は莫大にございます。師父さまは俗世にゆかれ、龍母を捕らえ、戻られて、民の患えを除かれれば、宜しゅうございましょう」。鍾離は言いました。「これは天地の一大戦[26]、民草の災厄であり、たまたま起こったものではない。われらはこれに従うだけだ。天時に負き、みだりにわが身の功德を成すのを望んでよかろうはずがない」。そう言いますと、丹房に入り、焼錬をしにゆきました。
●椿の精が変化して触れ文を剥がすこと
鍾離が丹房に入ってゆきますと、洞賓は考えました。「鍾離師父はわたしが酒色を貪っていると笑われた。弁明しようと思ったが、あのかたはわたしの師匠だ。あのかたはさらに龍祖が龍母を滅ぼすとおっしゃっていた。わたしは今から神通力を顕して、かならずや人でありながら天に勝ち[27]、龍母を助け、龍祖を滅ぼし、その時に鍾師父がどうおっしゃるかをみるとしよう」。そこで碧蘿山の万年椿木の精を呼んできました。椿の精は着きますと、跪いて尋ねました。「呂師父さまには、どのようなお話しにございましょう」。洞賓は言いました。「今からそなたに六甲天書を授けるが、上、中二卷は看なくともよい。下の一卷だけは用兵、布陣、迷魂、妖魅[28]の事だから、じっくり玩味するがよい。今、北蛮の蕭后は触れ文を出し、英豪を募り、南朝と戦おうとしている。そなたは変化して、幽州に降臨し、触れ文を剥がし、兵を率いて宋を伐つのだ。中国を滅ぼした後、そなたを連れてともに仙班に入るとしようぞ」。椿の精は拝礼をして言いました。「闘うことはお手のものですが、兵書の文義は奥妙であり、ほんとうに分かりませぬ」。洞賓は言いました。「そなたが触れ文を剥がしにゆけば、わたしが謀を立て、事に当たろう」。
椿の精はそこで洞賓に別れ、身を揺らして姿を変え、一道の金光となり、雷のような轟音をたて、北蛮の幽州城外に降下しました。ゆっくりと歩いて午門の前に行きますと、四方の勇士が雲集して掲示を看ておりましたが、一人も剥がすものはおりませんでした。椿の精は進み出て、叫びました。「この触れ文はわたしが剥がそう」。人々が見ますと、その顔は墨を塗ったかのよう、眼は火の珠のよう、身長は一丈余り、両腕の節肉は盛り上がり、顔はきわめて怪異でありました。守軍[29]はかれが触れ文を剥がしたのを見ますと、すぐに蕭后に謁見させました。太后はかれを見ますと、大いに驚いて言いました。「世の中にこのように怪異な人物がいるとは」。そして尋ねました。「そなたはどこのものなのだ」。椿の精は言いました。「わたくしは碧蘿山に住んでおり、姓は椿、名は岩ともうします」。太后は言いました。「どのような能力を持っているのだ」。椿の精は言いました。「十八般の武藝は、すべて諳んじております。太后さまみずからがご自由にお試しください」。太后は大いに悦び、すぐに文武官と相談し、かれを官職に封じました。蕭天左は上奏しました。「壮士は来たばかりですから、才略の高下のほどは知れませぬ。太后さまにはとりあえず一隊を授けられ、やがて功を立てましたのち、重職に封じられればよろしいでしょう」。后は上奏を受け入れ、椿岩を幽州団営都統使に封じました。椿岩は聖恩に謝して退出しましたが、そのことはお話しいたしません。
さて宋の真宗は魏府で囲まれたため、つねに報復しようとしておりましたが、とある日群臣を召集して相談しました。八王は上奏しました。「陛下は中原を一統されましたが、幽州は一隅の地ですから、取るのは難しくありませぬ。ただ、今は聖駕が戻られて時間がたっておりませぬから、さらに兵士を数年休ませ、討たれても遅くはございませんでしょう」。帝が黙っておりますと、たちまち階の下に一人の男が出てきて上奏しました。「為すべき時に為されれば、勝てないはずがございませぬ。今はまさに為すべき時にございますから、陛下には兵を興され、伐たれればよろしいでしょう」。それは誰でしょうか。すなわち光州節度使の王全節でありました。真宗は尋ねました。「卿はいかなる考えで、為すべき時であると申すか」。全節は言いました。「先に聖上は魏府で包囲されましたが、兵士らは損なわれてはおりませぬ。蛮人の兵馬は十中七が喪われました。これをもって論じますれば、かれらは衰え、われらは盛んにございますから、為すべき時にございます。孟子はのたもうております。『鎡基有ると雖も、時を待つに如かず。』[30]と。臣にはさらに一計があり、蕭后を拱手して命に従わせることができましょう」。帝は言いました。「卿にはどんな策があるのだ」。全節は言いました。「幽州の地は、千乘に過ぎませぬ。陛下には澶州一路、雄州一路、山後一路に勅命を下されますよう。臣は汴京からさらに一路を率い、全部で四路の兵士をいっしょに進めれば、区区たる千乘の都邑は、持ち堪えられないでしょう」。帝は上奏に従い、その日のうちに三路に命じて兵を出し、遼を討たせることにしました。使臣は三ヶ所へ勅旨を届けにゆきました。帝はさらに全節を南北招討使、李明を副使とし、兵十万を率いて前進させました。全節は勅旨を受けますと、その日のうちに兵を率いて汴京を離れ、幽州めざして出発しました。時はあたかも初春、風景は穏やかでありました。証拠に詩がございます。
花は錦繍を粧ひ柳は風を牽き、艶冶なる江山は異容を逞うす。景を踏み芳しきを尋め趣を得ること多く、恍然として人画図の中に在り。
三軍は一日足らずで九龍谷に着き、大きな寨を築きました。北蛮の斥候は徹夜で幽州に戻り、帥府に報せました。帥臣[31]はすぐに参内し、上奏しました。「中国は今、四路の兵士を起こして北伐し、勢いはきわめて恐るべきものにございます」。蕭后は大いに驚きました。「その日のうちに兵を興してやってくるとは思わなかった」。群臣に尋ねました。「兵を率いて迎え撃つものはおらぬか」。そう言いますと、椿岩がすぐに返事をしました。「太后さまにはご心配なく、わたくしが一人のものをご推挙いたせば、宋の兵を退けるのは、風が浮雲を卷くかのように、あっという間にございましょう」。蕭后は尋ねました。「そなたが誰を推挙すれば、そのように簡単に宋の兵を退けることができるのだ」。岩は言いました。「臣の師匠は、姓を呂、名を客といい、兵士を用いるのは呂望より勝り、将軍を擒にするのは軒轅よりも優れております。鬼を泣かせ、神を驚かす智恵があり、風を呼び、雨を招く能力がございます」。蕭后は言いました。「今そのものはどこにいるのだ」。岩は言いました。「今は午門の外におり、みだりに入ろうとはしておりませぬ。太后さまには召しいれて尋ねられれば、詳しいことがお分かりになりましょう」。蕭后はすぐに呂客を昇殿させるように命じました。太后は呂客の容貌が奇異であるのを見ますと、この人はきっと奇才であると考え、尋ねました。「わたしは宋の君主と争っておりますが、おんみはこのたび応募してこられました。なにか妙策があればはっきりとお話しください。社稷を捧げて従いましょう」。呂客は言いました。「わたくしが太后さまをお助けにきましたからには、臂を回している間に、中国の版籍はことごとく奪われましょう」。后は言いました。「卿は軍馬がどのくらい必要か」。呂客は言いました。「もし宋人と闘うのでしたら、かれらはなおも一二を防ぐことができましょう。わたくしが陣を列ねれば、かれらは攻めても破れずに、怯えて投降することでしょう。さらに太后さまが人を五箇国に遣わして、兵を借り、戦をお助けになれば、はじめて宋に勝つことができるでしょう」。太后は言いました。「卿はどの五箇国の兵を借りようと思っているのだ」。呂客は言いました。「使臣を遣わし金帛を、遼西鮮卑国王の耶凡慶に届けさせ、五万の兵を借りられるべきでしょう。かれはかならず利を見て心を動かして、兵を出し、援助しましょう。さらに一使を黒水国に遣わして、功績を立てた後、西羌の地を分け与えると約束し、かれに羌兵五万を援助させましょう。さらに人を遣わし、官誥を森羅国に届けさせ、国王の孟天能に勅賜して、かれに兵五万を出して、援助するように命じるのです。さらに一使を西夏国に遣わして、国王の黄柯環に見えさせ、中国の兵はとても恐ろしいと知らせ、「唇亡ぶれば歯寒し」。のたとえ話をし、かれに兵五万を出して援助させましょう。さらに一使を流沙国に遣わして、蕭霍王に見えさせ、兵五万を出して援助させるのです。この五箇国から兵士を借りてこられましたら、臣は兵法に従って指図して、七二十座の天門陣を列ね、宋人がそれを見れば、胆は戦き、心は驚き、敵対しようとせぬことでしょう。その時はかれらが賓服せぬ心配はございませぬ」。蕭后は大いに悦び、言いました。「まことに御侮[32]の才をお持ちじゃ。幽州は安泰だから、もはや心配することはない」。その日のうちに呂客を輔国軍師、北部内外軍馬正使に封じました。呂客は聖恩に謝して退きました。
そこで蕭后は五人の使臣を遣わし、金帛を五箇国に届けさせました。その日、使臣はそれぞれ勅旨を受けて五箇国にゆき、五箇国の国王に会い、兵を借りたいことを告げました。五箇国の国王は金帛を賜わりますと、みな歓び、鮮卑国王は黒韃令公馬栄を元帥とし、森羅国王は亢金龍太子を元帥とし、黒水国王は鉄頭黒太歳を元帥とし、西夏国は黄瓊女を元帥とし、流沙国王は駙馬蘇何慶と公主蕭霸貞を元帥としました。各国はみな精兵五万を援助し、数日足らずで、みな幽州城外に集まりました。近臣は蕭后に知らせました。蕭后は呂客を召して尋ねました。「五箇国の兵はすでに着いたが、軍師どのはどのように指示をなされる」。呂客は上奏しました。「こたびの戦は生易しいことではございませぬ。ふたたび雲州の耶律休哥、蔚州の蕭撻懶らを召し戻し、ことごとく九州の兵を起こして、わたくしに指揮させてくだされば、かならずや宋の江山を奪って帰還することができましょう」。后は上奏を受け入れ、すぐに詔を降して雲、蔚二州の兵馬を戻らせました。さらに韃靼令公韓延寿を監軍都部署とし、精兵五十五万を率いて、呂軍師の指示に従わせました。韓延寿は勅旨を得ますと、すぐに練兵場に出て三軍を操練しました。数日しますと、雲、蔚二州の兵士はみな到着しました。呂軍師は言いました。「韓監軍どのはお先に本国の軍馬を率いて前進なさってください。わたしはすぐに五箇国の兵馬を率いて後からまいるといたしましょう」。北蛮の兵馬は幽州を離れ、ただちに九龍谷めざして進発しました。証拠に詩がございます。
騰騰たる殺気は長空に触れ、閃閃たる旌旗は日の紅きに映ず。列を擺べて征途軍令粛しく、神仙自ら凡[33]と同じからず。
韓延寿は兵を率いて九龍谷に着き、大きな寨を築きました。次の日、呂軍帥は大軍を率いてやってきて、帳に入って腰掛け、諸将を召集して言いました。「三月初三は、丙申の日で、干がその支と相剋だから、この日を択んで出撃し、陣を列ねることにする。各部隊の将官はみな命令を聴かねばならぬ。背くものは梟首して、決して許さぬ」。韓延寿は言いました。「軍令とあらば、君命にさえ従いませぬ。誰も背きはいたしませぬ」。呂客は紙一枚を取り、図を描いて中営の総旗[34]に与え、軍九千を率い、九龍谷から半里離れた平らな所に、図の通りに七十二座の将台を築き、さらにほかに五壇を築き、方角ごとに青、黄、赤、白、黒の旗印を立て、中に往来するための七十二条の通路を開き、すみやかに築造し、報告させることにしました。中営の総旗は命を受けますと、軍を率いて図の通りに築造しました。数日足らずで、台、壇はことごとくきちんと築かれ、呂軍師に報告がなされました。呂軍師はみずから巡視しにゆき、陣中に戻りますと、諸将に言いました。「明日は丙申だから、各陣はみな粛然として、指示を待て」。
次の日、三回太鼓が鳴りますと、各陣の兵馬は整然と陣幕の外に並びました。呂軍帥は軍議して、鮮卑国の黒韃令公馬栄に命令を出し、本部の兵士を率いて九龍谷の本道に並べ、鉄門金鎖陣を列ねました。兵一万を分け、おのおのに長槍を執り、七座の将台を守らせ、鉄門と号しました。さらに兵一万を分け、おのおのに強弓、鉄箭を執り、七座の将台を守らせ、鉄栓と号しました。さらに兵一万を分け、おのおの利剣を執り、七座の将台を守らせ、鉄棍と号しました。馬令公は命令を受け、大砲が響きますと、軍を率いて本道に並べました。証拠に詩がございます、
鉄門金鎖陣図開き、晃晃たる戈矛将台を繞る。変動宜しきに隨ひて機測る莫く、攻衝是れ八仙の来るなるを除かんや[35]。
呂軍師はさらに黒水国の鉄頭太歳を遣わし、本部の兵士を率いて九龍谷の左に行かせ、青龍陣を列ねさせました。兵一万を分け、手に黒旗を執り、七座の将台を守り、龍鬚と号しました。さらに一万の軍を四隊に分け、おのおの宝剣を執り、七座の将台を守らせ、龍爪と号しました。さらに兵一万を分け、おのおの金槍を執り、七座の将台を守らせ、龍鱗の形を列ねさせました。鉄頭太歳は命令を受けますと、軍を率いて布陣しにゆきました。証拠に詩がございます。
龍は本より一神物、陣を排ぶれば其の形に肖る。任ひ是れ英雄の将なるも、蘧然として胆戦き驚く。
呂軍師はさらに流沙国の蘇何慶に命じ、部下を率いて九龍谷の右にゆき白虎陣を列ねさせました。兵一万を分け、おのおの宝剣を執り、七座の将台を守らせ、虎牙と号しました。さらに兵一万を分け、おのおの短槍を執り、七座の将台を守らせ、虎爪と号しました。さらに耶律休哥に兵一万を率いさせ、前方の六座の将台を守らせ、朱雀陣と号しました。さらに耶律奚底に兵一万を率いさせ、後方の六座の将台を守らせ、玄武陣と号しました。左右を囲み、掎角の勢[36]を列ねました。蘇何慶らは命令を受け、それぞれ配下の兵を率いてゆきました。証拠に詩がございます。
勢を陳ぶれば威厳白虎に比し、前は朱雀を排べ後は玄武。中に玄妙を藏し嘯きて風を生ぜば、浮世何人か敢へて正睹せん。
呂軍師はさらに森羅国の金龍太子に、軍を率いて真ん中の将台を守らせ、通明殿に鎮座する玉皇大帝と号させました。さらに董夫人に命じて梨山老母[37]の装いをさせ、兵一万を分け、それぞれ青、黄、赤、白、黒の服を着けさせ、真ん中の将台の周りに立たせ、五斗星君と号しました。さらに二十八人をざんばら髪にし、真ん中の将台の前後にぐるりと立たせ、二十八宿と号しました。さらに土金牛に玄天大帝の装いをさせました。さらに土金秀には一路の軍を率い、手に黒旗を執らせ、亀、蛇の形を列ね、天門の北を守らせました。金龍太子らは命令を受けますと、兵を率いてゆきました。証拠に詩がございます。
旌旆雲屯して玉皇を擁し、星君羅列して陣堂堂たり。宋人策の能く攻め破る無く、万種の憂愁寸腸に積む。
呂軍師はさらに西夏国の黄瓊女に命じて、軍を率いてみな宝剣を執り、旗の下の右側に立たせ、太陰星と号し、交戦するときは、裸で出陣し、手に髑髏を執り、声を放って大哭きし、月孛凶星に変わるようにさせました。さらに蕭撻懶に命じて、軍を率いてそれぞれ紅袍を着け、旗の下の左側に立たせ、太陽星と号しました。さらに耶律沙に命じて、本部の兵士を率いて四方を巡視させ、長蛇の形をさせました。瓊女らは命令を受けますと、兵を率いて布陣しにゆきました。証拠に詩がございます。
太陰星に号令し、兵を交ふるに哭声を放たしむ。太陽は為に党助[38]すれば、誰か復敢へて相迎へん。
呂軍師はさらに蕭后の娘の単陽公主に命じ、兵五千を率いさせ、それぞれ五色の袈裟を着けさせ、迷魂陣と号し、中に蛮僧五百人を混ぜ、迷魂鬼と号しました。さらに民間へ七人の妊娠した婦人を捉えにゆかせ、旗の下に逆さに埋め、交戦の際、旗を振り、敵の精神を萎縮させることにしました。単陽公主は兵を率いて言われた通りにしました。証拠に詩がございます。
陣図の玄妙なるは独り迷魂のみ、陰霧濛濛として白日昏し。更に一般の情惨しき処有り、神号鬼哭聞くに堪へず。
呂軍師はさらに耶律吶に命じて五千の健康な僧を選ばせ、手に弥陀素珠を執らせ、西天雷隠寺諸佛と号しました。さらに五百人の僧を左右に列ね、阿羅漢と号し、七十二天門の前に居並ばせました。律吶は命を受けますと、人々を率いて陣を列ねにゆきました。証拠に詩がございます。
戦鼓声は敲く霹靂の轟き、四囲万馬自づから奔騰す。洞賓排就す屠龍の策、是れ鍾離にあらずんば孰か抗衡せん。
●六郎が公然と三関を下ること
さて呂軍師は指示をおえますと、椿岩と韓延寿に命じて軍を率いて出陣させ、各陣中で進んだり、退いたり、交戦したりするときは、すべて紅旗を目印にさせました。七十二座の天門陣は、変化して測り難く、昼には冷たい風雨があり、夜には鬼神が哭き叫ぶというありさまで、仙人のすることは、その万分の一も窺うことはできませんでした。次の日、椿岩は延寿と相談しました。「陣を布きおえましたから、人に命じて宋の陣に往かせ、宣戦布告の手紙を届け、かれらに兵を出させて陣を看させることにいたしましょう」。延寿はその言葉に従い、すぐに騎兵を遣わして宋の陣に往かせ、宣戦布告の手紙を届けさせました。王全節はそれを見ますと、批語を書いて送り返しました。次の日、李明らを率いて九龍谷を出、平らなところに陣を列ねますと、真北の陣が山のように隠隠[39]として、もとからあったもののようでしたので[40]、大いに驚いて言いました。「蛮人はふつう隊伍がないのに、今日はかように精妙な陣を布いている。軍中ではきっと優れた人物が謀略を立てているのだろう。われらは敵を軽んじて、鋭気を損なってはならぬ。そう言いますと、遼将の椿岩、韓延寿の二騎が飛び出し、声を励まして叫びました。「宋の兵が出撃するなら、今すぐに馬を出せ。陣を闘わせようとするなら、今日のこの陣が何という名か申してみよ」。王全節は言いました。「そなたの小さな陣など、知ることは簡単だ。今はひとまず言わないで、明日になったら破ってやろう」。そこで双方は軍をひきました。
王全節は陣中に戻りますと、李明に言いました。「わたしは半生兵を用いてきたから、あらゆる陣を知っているが、この陣だけは見たことがない。図を描くべきだと朝廷に上奏し、識者を選んで見定めさせて、はじめて攻撃することができるだろう」。李明は言いました。「将軍さまのおっしゃることは、わたくしの考えにぴったりでございます。今すぐにそうなさいませ。ぐずぐずとなさるべきではございませぬ」。全節はそこで陣を布いた形の通りに、図を描き、騎兵を徹夜で汴京に往かせ、真宗に知らせました。真宗はそれを看ますと、すぐに文武官に示しましたが、一人も知るものはおりませんでした。寇準が上奏しました、「陣図をくわしく観ましたが、玄妙なること窮まることがございませぬ。三関の楊郡馬なら知っているかもしれませぬ。そのほかの将帥で識別できる者はおりませぬ」。帝はすぐに人を三関に往かせ、楊郡馬を召して都に戻らせました。使臣は三関にゆき、宣読をしました。六郎は勅旨を受け取りますと、諸将に言いました。「聖上の御諚が来たから、わたしは今からべきだ命に赴くべきだろう」。陳林、柴敢に寨を守らせ、岳勝、孟良、焦賛二十人の指揮使を連れ、三軍を率い、三関を離れ、汴京めざして進みました。証拠に詩がございます。
宝匣鋒を藏すること幾春か有る、太平計の長纓を請ふ無し[41]。忽ち聞く狼火風煙の急なるを、誓つて楼蘭を斬り聖明に報いん。
軍旗は翻り、一日足らずで汴京に着きました。六郎は城外で部下たちを率い、人民たちに乱暴をせぬように号令しました。翌朝、真宗に見えますと、真宗は言いました。「朕は王全節に遼を伐つように命じたが、遼人は陣を布き、全節らはその陣を知らなかったので、陣の通りに図を描き、寡人に上奏した。寡人は満朝の文武官に示したが、一人も知るものはなかった。朕が想うに、そのほうは武門の子であり、陣図はすべて精通しており、この陣をかならずや存じていよう。今、こころみに何という陣なのか看てくれ」。六郎は陣図を受け取り、しばらく観ますと、上奏しました。「北遼にふだんすぐれた人物はございませぬが、このたびはたまたまかようにすぐれた陣がございますので、朝晩不安でございます。わたくしみずから兵馬を率い、陣に臨んで看るのはいかがでございましょうか。今はただ図を看ただけで、ほんとうに識別ができませぬから、みだりにお答えいたすわけにはまいりませぬ」。帝は上奏を受け入れ、六郎に金卮玉酒を賜い、その日のうちに出発させました。六郎は聖恩に感謝して去りました。次の日、無佞府に戻り、令婆に別れを告げ、部下たちを率いて汴京を離れ、九龍谷めざして進発しました。
斥候は王全節に報せました。全節は楊家の兵が到着したことを知りますと、愁えはにわかに消え、李明らと寨を出て六郎を迎えました。六郎は馬を下り、全節とともに歩いて帳に入りました。腰掛けますと、全節は言いました。「わたくしは勅旨を受けてこちらへ征討しにきましたが、賊奴らは比類なく奇怪な陣を列ねております。われらはそれがいかなる陣であるのかを存じませぬ。さいわいに将軍さまがこちらにいらっしゃいました。きっとこの陣をご存知で、攻め破ることができるのは疑いのないことでございましょう」。六郎は言いました。「聖上は陣図をわたくしに示されましたが、わたくしも知らないため、みずから陣を出、その陣を観て、詳細を見なければなりませぬ」。全節は言いました。「将軍さまのおっしゃる通りにございます」。そして、酒を整え、ねぎらうように命じました。次の日、六郎は岳勝らに命令を下し、鎧を纏って出陣させました。三回太鼓が鳴りますと、宋軍は勇躍して出撃しました。北将の韓延寿は六郎が来たのを見ますと、考えました。「あのものは武門の子だから、この陣をかならずや存じていよう」。そこで各陣に命令を下し、みな紅旗の指揮に従い、臨機応変に迎え撃たせることにしました。兵士は命令を受けますと、大砲の響きとともに、山のように隠隠とした陣を布きました。六郎は馬上でしばらくじっと見ますと、諸将に言いました。「わたくしは陣図をすべて学びましたが、この陣を見たことはありませぬ。八門金鎖陣かと思えば、六十四門が余計ですし、迷魂陣かと思えば、さらに玉皇殿がございます。このようにごたごたとしていては、どうして攻撃することができましょう。軍を戻してふたたび相談するよりほかにございますまい」。そこで岳勝らに命じて軍を退かせますと、蛮人も追い掛けませんでした。六郎は陣中に戻りますと、全節と相談しました。「この陣立ては奇妙なもので、わたくしもいかなる陣であるのかは存じませぬ」。全節は言いました。「将軍さまがご存知ないなら、そのほかは申すまでもございませぬ」。六郎は言いました。「人を遣わして上奏し、聖駕にみずからこちらにお出でいただいて、兵を進めることにつき、相談をしていただこう」。全節はすぐさま人を都にゆかせ、上奏をさせました。真宗は上奏を聞きますと、群臣と相談しました。「その陣を楊郡馬が知らないのなら、これは並大抵のことではない。朕はみずから往って観る、進攻の策を相談するべきだろう」。八王は上奏しました。「陛下がみずから兵士を率い、出撃していただけるなら、成功はたちまちに得ることができましょう」。帝の意は決し、命を下して、寇準を監国、大将胡延賛を保駕大将軍、八王を監軍にしました。使いをやって辺境の将帥を召し、すべて九龍谷に赴かせ、働かせることにしました。使臣が勅旨を受けて去りますと、みな兵を出して九龍谷に往き、待機しました。
さて車駕は大梁を離れ、幽州めざして進発しました。大軍は数日足らずで九龍谷に到り、楊六郎、王全節らは聖駕を迎えて寨に入りました。諸将が朝見をおえますと、帝は六郎を陣幕に入れ、その陣立てのいかんを尋ねました。六郎は言いました。「陣立ては異常なもので、臣が見たことがないものにございます。聖上には明日御覧頂きたく」。帝は命令を下し、明日陣を看ることにしました。六郎は退出して各陣に帝を守り、明日陣を看る準備をするように命じました。
さて蛮人は宋の君主がみずから来たことを聴きますと、韓延寿と椿岩は相談しました。「宋の君主の車駕がみずから督戦しにきて、兵士は勇気十倍している。われらも太后さまの車駕がみずから督戦しにくることを奏請するべきだ。さすれば諸将は畏れ慎むことを知り、大功はさらに容易に成し遂げられよう」。岩は言いました。「そなたの言うことは尤もだから、すぐにそうすることにしよう」。延寿は表を書き、人を幽州に戻らせて蕭后に上奏させました。蕭后は上奏を聞きますと、すぐに群臣と相談しました。蕭天左は上奏しました。「この戦いは中原を取るための大計であり、きわめて重要なるものにございますれば、太后さまには上奏を受け入れられたく」。后は悦び、耶律韓王を監国、蕭天左を保駕将軍、耶律軍古を監軍にしました。その日のうちに聖駕は幽州を離れ、九龍谷めざして進発しました。韓延寿は迎えて寨に入り、宋人が陣立てを知らないことと宋の君主がみずから出陣して看ようとしていることを知らせました。后は言いました。「なんじらが心力を尽くし、中原を得たら、かならず封土を分け与えよう」。延寿は拜命して退出しました。次の日、三回太鼓が鳴らされて、真宗の車駕が担ぎだされ、将佐は前後に居並びました。蕭后もみずから出陣しますと、はるか遠くの黄の旗の下で、真宗が馬上に高々と坐しながら、陣を看ているのが見えました。蕭后は紫驊騮に跨り、褐羅の旗の下に立ち、大声で叫びました。「宋の君主は中原を一統したが、貪る心は飽くことを知らず、しばしばわが山後の九郡を狙おうとした。しかしどうすることもできずに、このたびはわざわざ雌雄を決しにきた。もしもこの陣を破れば、山後はすべて献じよう。さもなくば、陛下の城池をことごとく頂こう」。真宗は答えました。「そなたが貊狄磽瘠[42]の地を、このわしに献じても、役には立たぬ。ただ、そなたらがことごとく殲滅されることがなければ、辺地の患えはおさまる日がない。つねに兵を興しているのは、そのためなのだ。朕は今、みずからこの地にやってきて、幽州で馬に水飼い、蛮族の巣窟を一掃しようとしているのだ。今、この小さな陣に逢い、破れないはずがあろうか」。そう言いますと、軍を指揮して陣に戻らせました。蕭后も軍を返してゆきました。
●宗保が神に遇い兵書を授けられること
さて真宗は陣立てを看ますと、陣に戻り、諸将を召集して相談しました。「朕が観たところ、あの陣は変化多端だ。今、なんじらはあの陣のことを知らぬが、どうしたらいいだろう」。六郎は上奏しました。「想いみますにあの陣は、六甲天書の下卷に載っているものにございます。臣は上、中両巻を学んだだけで、まさに下卷を学ぼうとしていたときに、わが父が潘仁美、王侁らにより、狼牙谷に陷れられ、亡くなったため、その伝を失してしまったのでございます。この陣には妖術によるからくりが数多くございますから[43]、攻撃しようとしても、どこから入り、どこから出るかが分かりませぬ。想うに臣の母ならば、そのあらましを聞くことができているかもしれませぬ。陛下には母を召されてお尋ねになられますよう」。帝は大いに悦び、すぐに胡延顕を遣わして、勅命を届けさせ、徹夜で汴京に戻らせ、令婆を召しました。延顕は勅旨を受けますと、すぐに無佞府に赴き、令婆に見えました。詔を読みますと、令婆は拝受し、延顕を持てなし、陣立てのことを尋ねました。延顕は答えました。「先日、聖上はみずからお出ましになられ、陣をご覧になられましたが、ご存知ありませんでした。臊奴らがいい気になって、言うことが不遜であるため、ご隠居さまをお招きし、陣を観させて、進攻の策を相談しようとされているのです」。令婆は言いました。「聖旨で召されたとあれば、もちろん命に赴きましょう。明日すぐにまいりましょう」。胡延顕は別れを告げて外に出ました。次の日、令婆は柴太郡に言いました。「老いぼれは今から九龍谷に往き、陣を観ますが、もしも宗保が戻ってきても、そのことを告げないでくだされ」。太郡は承諾しました。令婆は命じおえますと、延顕とともに無佞府を離れ、幽州にゆきました。
さて楊宗保が狩りをしておりますと、天使が令婆を召しにきて陣を看させようとしているという報せがありました。宗保はその言葉を聞きますと、慌てて馬を馳せて戻り、屋敷に戻り、すぐに太郡に尋ねました。「お婆さまはどちらにおわしましょうか」。太郡は言いました。「宮中に入り、太后さまに見え、国事を相談しにゆかれました」。宗保は笑いながら言いました。「母上はわたくしを誑かしていらっしゃる」。そう言いますと屋敷を出、駿馬に跳び乗り、城内に入り、令婆の消息を探りました。北門に行きますと、将校に会いましたので、尋ねました。「そなたは令婆がこちらを通るのを見たか」。将校は答えました。「朝、天使とともに幽州の御営へ赴いてゆかれました」。宗保はそれを聴きますと、屋敷にも戻らずに、手綱を執って後から追いかけてゆき、道すがら尋ねましたが、人はみな通り過ぎてすでに久しいと言いました。宗保は追いかけてゆきましたが、知らぬ間に、空はだんだん暗くなり、そのうえ路を知りませんでしたから、奥まった場所に入ってしまいました。両脇に樹木は茂り、人家はありませんでした。宗保は大いに驚き、戻ってゆこうとしましたが、林は深く、路は窄く、真っ暗で、東も西も分かりませんでした。慌てておりますと、たちまち前方に一点の灯火が透けて見えましたので、宗保は考えました。「あの灯火がある処は、きっと人家に違いない」。そこで灯影をめざしてゆきました。その場所に着きますと、まるで廟のような建物がありましたので、馬を繋ぎ、何回か戸を叩きました。たちまち人が門を開け、宗保を連れて中へ入ってゆきますと、一人の婦人が、巍然として殿上に独坐しており、両脇の侍従は、麗しいこと比類なきありさまでした。宗保が階下でお辞儀をしますと、婦人は尋ねました。「どなたでしょうか。いかなるわけで、夜にわたしの家の扉を叩かれたのでしょう」。宗保が事情を告げますと、婦人は笑いながら言いました。「令婆は一人の人間にすぎず、仙人のすることを知りませぬから、陣中に赴いても無駄でしょう」。そこで左右に命じて、酒を整え、持て成しました。宗保は走ってお腹がすいておりましたので、思いきり飲みました。さらに紅桃七つ、肉饅頭五個が出されますと、宗保はこれらもすっかり食べました。婦人はさらに兵書を取り出し、宗保に与えて、言いました。「わたしはこの地に四百余年おり、世の人々はわたしの顔を見たことがありませぬ。わたしはそなたと宿縁があったので、今宵会うこととなったのです」。そこで兵書を一つ一つはっきりと教えました。その晩、婦人が賜わった飲食は、すべて仙丹でした。宗保はそれらを食べますと、心が豁然として明敏になり、兵書を教えられますと、残らず暗記しました。婦人は教えおわりますと、言いました。「そなたは下卷をもう一度、くわしく玩味するのです。そこには陣を破る方法があるのです。宋の君主をお輔けし、蛮賊を捕らえれば、今宵の奇遇は無駄ではなかったことになることでしょう」。宗保が拝謝しますと、東方はすでに白んでおりましたので、婦人は左右に命じて宗保を案内させ、路に出しました。宗保が別れを告げ、進むこと数歩足らずで、左右のものは言いました。「ここから十里離れたところに、九龍谷にございます」。そう言いますと、たちまち見えなくなりました。
宗保は馬上で驚いたり訝ったりし、深い林を出ますと、平坦な一本の大路がありました。宗保は路傍の住人に尋ねました。「この山は何という名だ」。住人は言いました。「この山は紅壘山にございます」。宗保は言いました。「中に人はいるか」。住人は言いました。「おりませぬ。ただ、人の噂では、そのむかし擎天聖母さまが中におわしましたが、今では廟宇は倒壊し、礎石があるだけとのことにございます」。宗保はそれを聴きますと、嘿然として、これはまことに天縁奇遇であると考えました。証拠に詩がございます。
幽谷行く処に迷ひ、天縁偶奇なるに会ふ。兵書明らかに授与せられ、一一玄機を剖む。
さて令婆は胡延顕とともに九龍谷に着きますと、御営に入り、真宗に見えました。真宗が北蛮の陣立てが分からないことを告げますと、令婆は言いました。「わたくしは先夫から伝授された幾卷かの兵書を持っておりますが、この陣があるかどうかは存じませぬ。わたくしが出陣し、看てみることにいたしましょう」。帝は上奏を受け入れました。令婆は別れを告げて外に出、次の日、六郎とともに将台に登り、その陣を眺めますと、兵戈は隠隠、殺気は騰騰としており、紅旗が一たび動けば、すぐにその形を換えました。令婆は言いました。「この陣は見たことがない」。さらに兵書を取って見比べましたが、やはりこの陣はありませんでしたので、六郎に言いました。「この陣はもちろんわたしは知らないし、そなたの父が生きていても知らないだろう」。六郎は言いました。「それならばどういたしましょう」。令婆は言いました。「われら楊家が知らないならば、他人はなおさら知らないだろう」。そう言いますと、将台を下り、六郎たちとともに陣中に戻りました。心配をしておりますと、たちまち宗保が着いたという報せがありました。六郎は怒りました。「軍隊の中だというのに、あいつは何をしにきたのだ」。そう言いますと、宗保が入ってきました。かれは父の怒りが収まっていないのを見ますと、言いました。「父上がそのようにお怒りなのは、もしやこの陣立てをご存じないからでございましょうか」。六郎は言いました。「そなたに尋ねることはない。おとなしく戻ってゆくのだ。これ以上、よけいなことを申したら、きっと鞭打つことであろうぞ」。宗保は笑いながら言いました。「わたしが去るのは大したことではございませぬが、さすれば誰がこの陣立てを破りましょう」。令婆はその言葉を聞きますと、傍らに呼び寄せて、小声で尋ねました。「この陣を知っているのか」。宗保は言いました。「看にゆけば、詳しいことが知れましょう」。令婆は岳勝らを呼び、宗保を護らせ、将台に登って陣を看させることにしました。岳勝らは命令を受けますと、宗保に付き従い、台に登って眺めました。宗保は左右を見回し、しばらくしますと、岳勝らに言いました。「この陣立ては奇妙ですが、完全でない処もあるので、攻めることができましょう」。岳勝らは言いました。「今、陣中の将帥は雲のようなのに、一人も知ることができるものはおりませぬ。若将軍さまはどうして知られたのでしょう」。宗保は言いました。「陣中に戻ったら話すとしよう」。人々は将台を下り、岳勝は陣に入って六郎に会いますと言いました。「若将軍さまはこの陣をよくご存知で、破るのは難しくないとおっしゃいました」。六郎は笑いながら言いました。「子供がふざけて言うことを、そなたはどうして信じるのだ」。岳勝はすぐに退出しました。宗保は陣に入って令婆に見え、陣には攻めることができる隙があると報せました。令婆は言いました。「破ることができるかどうかはさておいて、何という陣なのか知っているのか」。宗保は言いました。「一言では言い尽くせませぬ。この陣は一つ一つがすべて名前に従って守備をしており、九龍谷の北東から起こり、西南に達しております。中には七十二座の将台があり、将台の脇には路が通じており、七十二座天門陣というのです。左側の黒旗の下には陰霧が沈沈としており、人の魂を迷わす所で、下には妊婦が逆さまに埋められています。禍をなすことができるのはこの一か処だけですが、破るのはまことに難しゅうございます。その陣立てが不備な処は、真ん中の将台の玉皇殿の前であり、天灯七七四十九盞を欠いております。青龍陣では、九曲の黄河[44]を欠いており、白虎陣では、虎眼金鑼二面、虎耳黄旗二面を欠いており、玄武陣では、日月の皂羅旗二面を欠いております。この数箇所が攻めることができる隙なのです。言われた通りに兵を動かし、打つことができるなら、湯を雪にかけるかのように、たちまち敵を除けましょう」。令婆は言いました。「かわいい孫や、そなたはどうしてこの陣立てを知っているのだ」。宗保は令婆を追いかけていて路に迷ったこと、神に遇い、兵書を教えられたことを初めから告げました。六郎は手を額に当てて言いました。「聖上の洪福により、そなたはこの奇遇を得たのだ」。次の日、六郎は御営に入り、帝に上奏し、その陣名と攻めることができる処を話しました。真宗は大いに悦び、言いました。「卿がその陣を知っているなら、いそいで兵を遣わして攻撃すればよいだろう」。六郎は言いました。「臣は退出いたしましたら宗保と相談いたします」。帝は上奏を受け入れました。六郎は軍営から退出し、宗保を呼んで相談しました。宗保は言いました。「聞けばかれらは丙申の日に布陣したとか。これは干支が相剋の日を選んでおります。こちらは干支が相生の日に兵を出して破るべきでしょう」。六郎はそれを承知し、諸将に命令を下して出陣を待たせました。
さて王欽は六郎が陣立てが完全でないと言っていたのを聞きますと、すぐに心腹の人を遣わして、徹夜で蛮営に入らせ、韓延寿に報せました。韓延寿は報せを得ますと大いに驚き、蕭后に急奏しました。蕭后はすぐに呂軍師に命じて陣幕に入れ、尋ねました。「卿があの陣を布いたのに、なにゆえにまだ完全でない所があるのだ」。呂軍師は言いました。「誰が話しにきたのでしょうか」。蕭后は言いました。「宋人は布陣は完全でないから、破るのははなはだ易いと申しておるぞ」。呂軍師は敵の陣中でこの陣を知ることができる者は、凡夫ではないと考え、上奏しました。「わたくしは完全な布陣をしようとしなかったのではございませぬ。宋人は知ることができまいと侮っていただけにございます。かれらに見破られたからには、完全でない所をすべて補って、神仙が降臨しても、どうすることもできないようにさせましょう」。后は言いました。「はやく補い、敵に攻め破られないようにするがよい」。呂軍師はすぐに陣中を出、玉皇陣で命令を下し、紅灯七七四十九盞を添え、青龍陣には、九曲の黄河を布き、白虎陣には、左右二面の黄旗を建て、真ん中には金鑼二面を立てました。玄武陣には、日月の皂旗を立てました。陣立ては完全となり、まるで鉄の桶のようでした。証拠に詩がございます。
図局神人未だ布くこと斉はず、英雄幸ひに攻むるべき機有り。一たび奸賊に従り消息を伝へらるれば、凡人の着眼して窺ふを許さず。
さて楊六郎は宗保が神に遇い、兵書を授かり、その陣を見破りましたので、とても喜び、諸将に命令を下し、宗保の指揮に従い、日を選んで帝に上奏し、兵を出し、陣を攻めさせることにしました。帝は上奏を聞きますと、各陣に勅旨を下し、楊六郎の陣に入って働かせることにしました。宗保はふたたび岳勝らを連れ、将台に登って眺めてみましたが、天門陣のもともと完全でない所はすべて補われ、一綫の攻めるべき隙もありませんでしたので、大声で「これはひどい」。と叫び、台に倒れました。岳勝らは大いに驚き、あわてて介添えをして将台を下り、帳の中に入り、六郎に報せました。六郎はいそいで人に命じて蘇生させ、そのわけを尋ねました。宗保は言いました。「蛮陣の完全でなかった所は、今はみなすっかり補われております。破るなら、天仙が俗世に降臨するよりほかにございませぬ」。六郎はそれを聴きますと、地に昏倒しました。人々はいそいで助けおこしましたが、嘿嘿として人事不省でありました。令婆は声を放って大哭きし、諸将はみな慌てました。宗保は言いました。「お婆さまには、とりあえず号泣なさらず、はやく八王さまを呼ばれて相談なさいませ」。令婆はそこで泪を収め、人に命じて八王を陣に招いてこさせました。令婆が事情を告げますと、八王は言いました。「郡馬どのが急病になられたのなら、すみやかに聖上に上奏し、お知らせもうしあげるべきです」。八王はすぐに令婆に別れを告げ、真宗に謁見し、六郎が病になったことを知らせました。帝は大いに驚いて言いました。「楊郡馬にもしも不測のことがあったら、この陣は破ることができないだろう」。八王は言いました。「陛下にはご心配なさいませぬよう。触れ文を出し、名医を募り、治療しましょう」。帝は上奏を受け入れ、すぐに触れ文を出し、轅門の外に掲げました。
さて鍾離は洞賓がしばしば行ったり来たりして、ぼんやりとしているのを見ましたので、かれが出ていったときに、雲霧をかきわけて見てみますと、洞賓は蛮地に降臨し、蕭后のために陣を布き、宋を滅ぼそうとするのを助けておりましたので、嘆きました。「あの畜生はどうしてかように怒りを消せないのであろう[45]。そのむかし、腹を立て、黄龍を斬り、今日はわたしがあのものの過ちを口にしたら、怒りを発して、遼を扶けて宋を滅ぼし、わたしを黙らせようとしている。もしもわたしが囲みを解きにゆかず、あの畜生が宋の君主を滅ぼせば、天の法を犯すことになり、許されぬことになるだろう。それにわたしは仙班にいる手前、体裁が悪い」。そこで宋の陣に降臨しますと、轅門の外に医者を募る触れ文が掲げられておりましたので、進み出て剥がしました。将校は御営に報せ、近臣は真宗に知らせ、真宗は中に入るように命じ、尋ねました。「そなたは姓と名を何ともうすのだ。どこに住んでいるのだ」。老人は言いました。「臣は来逢荘におり、姓は鍾、名は漢といい、道教を奉じつづけてきたために、人はみな鍾道士と呼びなしております。このたびは楊将軍が病を得たため、臣はわざわざ治療しにまいったのです」。帝はその表表[46]たる威儀を見ますと、きっと治療をすることができるだろうとひそかに考え、鍾道士に六郎の症状を見にゆかせました。しばらく看ますと、すぐに上奏しました。「お治しすることができます」。帝は言いました。「卿はどのように治すつもりか」。鍾道士は言いました。「臣がその症状を見ましたところ、二種の薬を服用なさりさえすればたちまちに治りましょう」。帝は言いました。「どのような二種の薬か」。鍾道士は言いました。「二種のうち、一種はとても得難いものにございます」。帝は言いました。「もうしてみよ」。鍾道士は言いました。「龍母の頭の上の髪、龍祖の顎の下の鬚にございます」。帝は言いました。「どこにあるのだ。朕は人を遣わして、求めてこさせることにしよう」。
道士は言いました。「龍鬚でしたら、陛下の顎の下にございます。龍母の髪は、かならずや蕭后の頭上から求めねばなりませぬ」。帝は言いました。「今まさに争っているというのに、どうして求めることができよう」。道士は言いました。「もし求められないならば、病は治せないでしょう」。八王は上奏しました。「楊郡馬の部下はみな多智の士にございますれば、陛下には密旨を出され、遼に行き、蕭后の髪を得ることができた者には、手厚く褒美を取らせると告げられるべきにございましょう」。帝は上奏を受け入れ、鍾道士は退出しました。
●孟良が遼に入って髪を求めること
真宗は八王の上奏に従い、ひそかに勅旨を書き、八王に渡しました。八王は勅旨を受けますと、まっすぐ六郎の陣中に会いにゆき、令婆とそのことについて相談しました。令婆は勅旨を受けますと、すぐに岳勝を入ってこさせ、かれに言いました。「聖上の密旨がここにあるのだが、蛮営に往き、蕭后の髪を得た者は、戻ってきたらかならずや手厚く褒美を取らせると書かれている。想えば、髪を得られるあてが一つだけあるのだが、隠密となるのものが一人もおらぬ」。岳勝は言いました。「ご隠居さまはどのようなからくりを用いれば、得ることができるとおっしゃるのでしょうか」。令婆は言いました。「聞けば蕭后は娘のためにわたしの四郎を婿としたとのことだから、便りを通じる人がいれば、この髪はきっと求めることができよう」。岳勝は言いました。「陣中では、孟良という者が行くことができましょう」。令婆は孟良を召し入れ、その事を話しました。孟良は快く承諾しました。その夜、鍾道士に謁見し、髪がどれだけ必要なのかを尋ねました。道士は言いました。「どれだけあっても構いませぬ。ただ、さらに二つのことを、いっしょにしていただきましょう」。孟良は言いました。「二つのこととはいかなることにございましょう」。道士は言いました。「蕭后の厩の中には白奇驥がいますから、盗んでこられ、宗保さまを乘せてさしあげるべきです。さらに御苑の中には九眼[47]の琉璃井があり、その水を蛮人は青龍陣の九曲の黄河の中に撒いております。おんみが糞土で一眼を埋められれば、その龍は汚されて、井戸はたちまち乾いて水がなくなりましょう。敵は水を得る所がなくなり、この陣はたやすく破れることでしょう」。
孟良は命令を受けますと、こっそりと蛮営へゆきました。するとたちまち焦賛が後ろから追い掛けてきました。孟良は振り返って見ますと、声を荒げて言いました。「こいつめ、何をしにきたのだ」。賛は言いました。「兄じゃが一人で行かれますので、心が不安で、わざわざお供しにきたのです」。良は言いました。「このような事をするときは、万事隠密にせねばならない。どうしてそなたとともに行けよう」。焦賛は言いました。「兄じゃだけなら機密が保たれ、わたしがいると機密が漏れるのでしょうか。死ぬときは死ぬものにございます。どうしてもいっしょにゆきとうございます」。良は仕方なく、かれといっしょにゆくしかありませんでした。幽州城内に着きますと、飲み屋に泊まりました。次の日、良は賛に言いました。「そなたは宿に泊まっているのだ。わたしは駙馬の消息を探ったらすぐに戻ろう。街に出て人に見破られ、大事を誤ってはならぬ」。焦賛は承諾しました。孟良は蛮人の装いをし、駙馬の屋敷に入り、四郎に見え、上官が病気になり、髪を求めていることを知らせました。四郎は言いました。「わが屋敷には様子を探るものがいるから、そなたを入れることはできない。とりあえず外に出てくれ。わたしが策を考えて髪を手に入れるのを待ち、数日したら受け取りにくるがよい」。孟良は承諾し、ふたたび宿に戻って泊まりました。
さて四郎は夜、寝返りをうちながら考えましたが、ふと一計を思いつき、大声で胸と腹が痛いと叫びました。公主は大いに驚き、尋ねました。「駙馬さまの胸が痛むのは、むかしからあったことですか。近ごろあらたに加わったことですか」。駙馬は言いました。「むかしからあったことなのだ」。公主はいそいで医官を召し、治療させましたが、まったく効果はなく、ますます痛いと叫びました。公主は言いました。「駙馬さまは、むかしなぜこの病を得られたのでしょう」。駙馬は言いました。｢幼いときに戦って力を損ない、鼻血が心に入ったために[48]、つねに痛むのだ」。公主は言いました。「治療なされたことはございましょうか」。駙馬は言いました。「龍髪を得て、灰にして服用し、数年間よかったのだが、こたび、にわかに再発したのだ」。公主は言いました。「龍髪はどちらで得られたのでしょう。すぐ人を遣わして求めてこさせ、治療することにしましょう」。駙馬は言いました。「中国にだけあるもので、この地では得ることはできぬのだ。ただ、太后さまの龍髪は、代わりにすることができるかもしれぬ」。公主は言いました。「それならば、た易いことにございます」。すぐさま人を遣わして、陣中に往き蕭后に見えさせ、駙馬が病になり、龍髪を得て治療しようとしていることを告げました。蕭后は言いました。「駙馬の病を、これで治せるのであれば、惜しみはしない」。そこで一握り切り落とし、来た者に与え、来た者は徹夜で幽州に戻り、髪を屋敷に届けました。駙馬はそれを灰にして服用し、痛みがすぐに収まった振りをしますと、公主は大いに喜びました。次の日、駙馬が余った髪を蔵していますと、孟良が屋敷に入ってきましたので、すぐに与えました。孟良は髪を受けとり、別れを告げるとすぐに宿に戻り、焦賛に与えて言いました。「そなたはすぐにこの髪を持って陣に戻り、上官をお救いするのだ。わたしは仕事をしおえたらすぐに来よう。途中では気を付けて、ぐずぐずとしてはならぬぞ」。焦賛は髪を受けとり、徹夜で九龍谷に馳せ戻ったことは、お話しいたしません。
さて孟良はその晩ひそかに御苑に入り、看にゆきますと、はたして九眼の琉璃井がありましたので、糞土沙石を井戸に満たし、御苑を抜け出し、ひとまず寺の門前にゆき、腰掛けました。夜明けになりますと、まっすぐ厩にゆき、馬を看ました。ちょうど蛮人が馬に餌をやっておりましたので、孟良は蛮語を話しました。「太后さまの御諚によって、この馬を牽き、練兵場に出、訓練をすることになったのだ。明日はこの馬に騎られて出撃し、宋と対陣されるから。ぐずぐずとしてはならぬぞ」。馬を養う者は言いました。「勅旨をお見せくださいまし」。孟良は来た時に、江海から送られた蕭后にの偽勅一枚を身に帯びておりましたので[49]、その男が尋ねますと、すぐに取り出して見せました。その男は印鑑が本物であるのを看ますと、それが偽勅であるとは疑わず、すぐに馬を牽いて孟良にわたしました。孟良は馬に騎り錬兵場に出、手綱を執って走らせ、黄昏が近づきますと、馬を鞭打ち、まっすぐ九龍谷めざして走ってゆきました。蛮人が気がついて、後から追いかけたときには、孟良はすでに五十里逃げておりました。
孟良は馬を得ますと、陣中に戻り、鍾道士に会い、すでに三つのことをして戻ってきたと言いました。道士は言いました。「そなたはなかなか度胸があるわい」。そこで真宗の御帳に入り、龍鬚を切って混ぜ合わせることを上奏しました。真宗はよろこんで切り落とし、鍾道士に与えました。鍾道士はすぐにそれを混ぜ合わせ、酒に溶かして六郎の口に注ぎ込みました。たちまち六郎は目を醒まし、元通り健康になりました。真宗は鍾道士が六郎を治療したことを聞きますと、とても喜び、御帳に召しいれ、言いました。「そなたによって郡馬の病は癒えたから、特別に官職に封じて労に報いよう」。鍾道士は言いました。「わたくしは山野の愚夫で、胸中は空っぽで、上は主君の役に立つことはかなわず、下は民草に恩沢をもたらすことができませぬから、不相応の官職に就くわけにはまいりませぬ」。真宗は言いました。「そなたはどうしてそのように謙遜するのだ。朕から観れば、そなたの才は周、召[50]に劣らぬものだ」。鍾道士は言いました。「陛下の知遇を受けましたから、わたくしは楊将軍とともにこの陣を破って、万分の一のご恩に報いることといたしましょう」。真宗は喜んで言いました。「そなたが功を建てることができるなら、朕はそなたの名を鼎、石に刻んで、朽ちることなく伝えよう」。道士は言いました。「この陣は変化が窮まりないもので、すこしでも不備があれば、攻撃するのは難しゅうございますから、わたくしが宗保どのに指示して攻撃することにさせてください」。帝は上奏を受け入れ、ひとまず鍾道士を輔国扶運正軍師とし、陣にいる将帥たちは奏聞を必要とせず、鍾道士の指示に従わせることにしました。道士は聖恩に謝して退きました。
鍾道士が六郎に会いにきますと、六郎は拝謝しました。鍾道士は言いました。「かように小さな災もあるものにございます。このたびはさいわいに快癒されましたから、ご子息とともにこの陣を破られるべきにございましょう」。六郎はすぐに宗保を呼び、鍾道士を元帥としました。宗保が拝礼をしますと、鍾道士は言いました。「陣中に人馬は少なく、指示するのには十分でございませぬから、敵を破ることはできないでしょう」。宗保は言いました。「どういたしましょう」。鍾道士は言いました。「人を遣わし、もう一度、各地の兵士を調達し、使わねばならないでしょう」。宗保は言いました。「師父が兵馬を調達なさりたいのでしたら、いずこへなりとも人を遣わし、召しよせましょう」。鍾道士は胡延顕を太行山に往かせ、金頭馬氏を召し寄せ、本隊の兵馬を率いて御営に来させ、使うことにしました。さらに焦賛を無佞府に戻らせ、八娘、九妹、柴太郡を召し寄せ、陣に来させて使うことにしました。さらに岳勝を汾州口外洪部荘に往かせ、大将王貴を呼び戻し、陣に来させて使うことにしました。さらに孟良を五台山に往かせ、楊五郎を召し、僧兵を率いて、陣に来させて、戦を助けさせることにしました。指示がおわりますと、胡延顕らはそれぞれ命令を受けて去ってゆきました。
