第三十二齣 相逢

【縷縷金】(生が登場)故郷は遠く、路は窮まる。十数里多く進めば、しらぬまにまたも黄昏。鼓角の声は悲しく咽び柴門に絶ゆ[1]。こなたにて一泊し、先を急がん。旅路は寂しきものなればひそかに悲しむ。旅路は寂しきものなればひそかに悲しむ。

江は静かに潮ははじめて落つるなり。林は昏く(かき)は開かず。暗香[2]が漂ふ処は、隴頭[3]の梅ならん。日はもう暮れた。こちらで一夜の宿を借り、明日はやく行くとしよう。ご主人はいらっしゃいますか。

(丑)門庭を掃除して埃塵を絶つ。月色と風光は四隣を照らす。門外に大書する天下館[4]。家に泊むるは四方の人。どちらさまでございましょう。

(生)わたしは投宿するものです。

(丑)いらっしゃるのが遅うございました。部屋はございませぬ。

(生)年老いて前に進めず[5]、遅くなりました。

(丑)ほかにはどなたがいらっしゃいますか。

(生)身一つで荷物さえございませぬ。一席の地さえあれば、身を落ち着けられましょう。(丑)中に一間の書房がございます。ひとまず入ってお休みください。

(退場。生)大変ありがとうございます。これぞまさしく、一眠りせば心は穏やか。夢魂はこれより陽台へ到るべし。(眠る仕草。小生が登場)

【前腔】心は憂へ、まことに辛し。寂しき村に犬は吠ゆなり。風雪の()に帰らんとする人は、こなたにて宿に泊まれり。身を寄せて、身を落ち着くるに宜しかるべし。親を思へば振り向きて孤雲を望む。振り向きて孤雲を望む。

疊疊とした遥山に白雲を望み、疎疎たる微雨は黄昏となる。松声[6]はさらに帯ぶ溪声[7]の急なるを、離人[8]ならずとも(たま)を断つべし。

わたしは鄂州に来て、李員外に会えたが、父上は戻っていったと言っていた。追い掛けて余計に幾歩か進んだが、しらぬまに日が暮れたから、こちらで一晩宿を借りなければならぬ。主どのはいらっしゃいますか。

(丑が登場)どなたでございましょう。

(小生)宿を借りるものです。

(丑)いらっしゃるのが遅かった。部屋はございませぬ。

(小生)単身で荷物さえございませぬ。一席の地さえあれば、身を落ち着けられましょう。

(丑)中の書房に、一人のご老人がいます。ごいっしょにお休みになられてはいかがでしょうか。

(小生)大変ありがとうございます。主どの。火がありましたらお貸しください。

(丑)ございます。これぞまさしく、一片の浮萍(うきくさ)が大海に帰せんとも、人生はいづこにありてか逢ふことなからん。

(退場。小生)三冬の客旅(たびびと)は辛苦を嘆き、膝を抱へて(ともしび)の前にしあれば影は身に伴へるなり。ひそかに思へば家人は夜坐し、遠くへと行きたる人を思ふらん。

李員外はわたしに一冊の『台卿集』を下さった。わたしの父上が作ったものだ。天よ。わたしは父上の詩集一冊を手に入れ、母上の手紙一通を持っているが、両親の筆跡を見るばかりで、両親の顔は見えない。本当に悲しいことだ。

【駐馬聴】梗跡蓬飄[9]山川(やまかは)を跋渉しいかでか労を憚らん。親を捜してこなたに来れり。母親は心配し、見送れば(たま)は消えたり。悲しみの二字は懐抱(むね)にあり。眠ることなく愁へつつ孤燈の照らすに対したり。寂しきわれに誰か伴ふことあらん。身に沿へる痩せたる影が、わたしを棄つることのなきのみ。

わたしは心配事があり、眠れない。かれは心配事がなく、このようによく眠っている。

【前腔】心は逸れり。熟睡(うまい)して鼾かく安穏たる(をう)。かれはあちらで安然と()ね、枕を高くし、憂ふることなし。その楽しみは滔滔として事の心に掛かるなく、ひたすらひとりすずしげにせり[10]。心配をする者は思ひ乱れて悩みを添へり。今宵はともに客となれども、なにゆゑぞわれのみ悩む[11]。わが悲しみは尽くることなし。

(生)この人は時宜を弁えていない。旅をして苦労して、よく眠ろうと思っていたのに、ひたすらぶつぶつ言っている。「食らふときには語るべからず。眠るときには言ふべからず」ということは聞いていよう。

(小生)はい。わたしが悪うございました。

(生)あなたが悪いのではない。わたしが悪いのだ。

(小生)本当におかしい。かれはかれ、わたしはわたしで眠っていたのに、罵られたぞ。かれを咎めることもあるまい。わたしはこのようになる定めなのだ。李員外はわたしに『台卿集』をくれた。連日旅路にあるために読んでいない。今晩は燈の前で開いて読んでみるとしよう。(読み上げる仕草)(もちひ)を鬻ぎたる家に幾年(いくとせ)か名を蔵したり。死を逃がれ半生天涯(あまつはて)に客たり。今は孫賓石に遇ふなし。東風に対して落花を怨むべし。これは東漢趙岐[12]の故事だ。他人に陥れられ、北海に逃げたが、さいわい孫賓石[13]に受け入れられた。わたしの父は李員外に受け入れられた。その意に感じ、この詩を作ったのだ。

【前腔】怨みを書きて(ふで)を揮へり。人に逢ひ解嘲[14]を作るにあらず。孔明が梁甫を吟ずるかのごとし[15]。趙岐は危迍屈子は離騷を作りにき。二十年(はたとせ)の離恨は知るべし。筆端に凄涼(かなしみ)調(しらべ)をば書き尽くしえず。

母上はおかしい。周瑞隆(わたし)が十二十三ならば、男女のことは知らないが、十五十六なら、男女のことは知っている。その時、わたしに父上を捜させず、今日(こんにち)わたしに捜させるのは、遅くはないか。

情況はいと耐へ難し。一日はやく捜しあてなば、苦痛を受くるを免れん。

夜が更けた。疲れたから、眠らねばならない。これぞまさしく、蝴蝶の夢中家万里、杜鵑の枝上月三更。(眠る仕草。生)これぞまさしく、愁ふる人は愁ふる人とな語りそね。愁ふる人と語りなば展転として愁ふべし。わたしがまさに眠っているとき、若い旅人の言葉を聴いた。まるで河南人の声のようだ。さらに『台卿集』などと言っている。これはわたしが作り、李員外に送ったものだ。どうしてかれの手元にあるのか。かれは今眠っている。わたしは起きて見てみよう。(見て驚く仕草)

忒忒令】この詩集はわたしが手づから作りたるもの。いかにして手に入れたるや。

ちょっと待て。李員外の家の人なら、一人一人をみな知っている。とりあえず(あかり)で照らし、見てみよう。どなたです。ああ。

(うつく)しき(かんばせ)を眺むれば、妻にぞ似たる。言葉より推すれば、開封人の風体に似る[16]。この事情をばいかで解くべき。

【前腔】(小生が目醒める仕草)おんみはまことに愚かなり。眠らんとせずひたすらに驚き怪しむ。などて人をば目覚めしめたる。

あなたは仰いませんでしたか。

「食らふときには語るべからず。眠るときには言ふべからず」と。人の良き夢を醒ませり。

(生)お若い方、お咎めなさるな。さきほどわたしはあなたの言葉をお聴きしましたが、まるでわが河南開封府の言葉のようでした。そのためご無礼いたしたのです。

(小生)わたしはまさに開封府の人間です。

(生)老いぼれも開封府の者でございます。これぞまさしく、郷人が郷人に遇ふ。

(小生)おもわずわたしも心を動かす。ご老人。お掛けください。お話ししましょう。

(生)わたしはこれから戻ってゆこうとしております。お若い方はどちらに行かれるのでしょうか。

(小生)家に戻ろうとしております。

(生)それならば、ごいっしょに行きましょう。

(小生)ご老人のご姓は。(生)

【園林好】わたしは周羽秀才でございます。

(小生)家にはどなたがいらっしゃいます。

(生)妻の郭氏は別れるときに妊娠していました。

(小生)字は。

(生)字は維翰と称したり[17]

(小生)家を離れたのはいつですか。

(生)家を離れて二十年。家を離れて二十年。

【前腔】(小生)事情を聴けば哀れなり。ああ。あなたはわたしの父上でございます。

(生)わたしに子供はございません。勘違いなさいますな。

(小生)わたしは遺腹子。天に逆らひ罪は大なり。

(生)あなたがわたしの遺腹子なら、何という名か。

(小生)周瑞隆ともうします。

(生)倅だったか。倅よ。

(抱いて哭く仕草。小生)二十年父上を飄泊せしめぬ。会はざるときは、涙は腮に満つれども、会ひぬれば、喜びは頬に満ちたり。

【江児水】(生)思へばそのかみ別れしときは、母親の懐にあり。今ははや二十年なり。倅は今は成人し、生長したれど、父と母とは二つ所で愁へをばいかんともせず。わたしはさいはひ恩人に遇ひ、持て成されたり。思ふにおまへの母親は、かならずや狼狽(くるしみ)を受けつらん。

【前腔】(小生)父上は他郷に陥れられて、母上は苦しみを受けたまひにき。張敏のため酷き目に遭わされぬ。

(生)張敏が無礼したとき、おまえの母親はどのように操を立てた。

(小生)わたくしを守らんとして甘んじて耐へたまひにき。

(生)どのようにして敵の思いを絶ったのだ。

(小生)花容(はなのおもて)を切り裂きて、はじめてかれの心を改むるを得つ。

(生)顔を裂いたか。本当に悲しいことだ。おまえに本を読ませたか。

(小生)勉強を教へ合格させたりき。

(生)合格したか。ありがたい。

(小生)職を棄て、親を捜して、万里の道をわざわざ南海に来たのです。

【五供養】(生)倅は今や大魁[18]となり、おまへの父の身が天涯に流落するを遺憾とし、おまへの母がほかの男の(つま)となり、父が骸となるを愁へぬ。はからずも、操を守りたる妻は、子を教へ、大才となさしめて、遺腹子は父を捜して辺地に臨めり。

(合唱)昔の事を語り起こせば愁へは(むね)に満つるなり。骨肉は相逢へど、喜びは哀しみに変はりたり。

【前腔】(小生)金がなければ金を借り、血を出し、経を書き、天涯を歩きつくせり。天はわたしが苦しみを受くるを憐れみ、父上に見えしめたり。父上はわたしに会ひて、心は晴るれど、母上はわたしを待ちて、愁へをばいかんともせず。(前腔を合唱)

【川撥棹】(生)珠の涙を弾きたり。わたしの倅はまことに孝行。血を出し経を書くことなかりせば、血を出し経を書くことなかりせば、父子のふたたび会ふ術はなかりけん。ああ母親は、いかに過ごせる。ああ母親は、いかに過ごせる。

【前腔】(小生)母上も父上の(かんばせ)の改まれるを知りたまふべし。

(生)いかなる物を証拠とし懐に収めたる。

(小生)にはかに見たり。父上の喜びて顔を晴らすを。にわかに見たり。父上の喜びて顔を晴らすを。にはかに忘れぬ。母上の(てがみ)(むね)にありつるを。旧き涙は、やうやく晴るれど、新たな涙は、滴り落ちたり。

【臨江仙】二十年前、数多の事あり。離愁別恨、言ふもさらなり。(てがみ)を持ちて父を捜せし倅の身。骨肉を痛く憐れむ。ふたたびもとの家に返らん。

(丑が登場)もとより衣毛を整へざれば、夜な夜な(さけ)ぶ必要はなし[19]。あなたがたお二人が、夜通しぶつぶつ話しているため、各部屋の人々はみな眠れませぬ。どういうことでございましょう。

(生)あるじどの。正直に申しあげます。これはわたしの遺腹子で、二十年会っていませんでした。今日はたまたま貴店で逢いましたので、おもわず悲しんでいるのです。そのために皆さんを騒がせてしまいました。

(丑)この世の歓娯(よろこび)で、父子の出会いに勝るものはない。今回たまたまわたしの宿で逢われましたのは、まことに珍しいことでございます。おめでとうございます。おめでとうございます。

(生)わずかな宿賃ではございますがお収めください。

(丑)大変ありがとうございます。大変ありがとうございます。

(生)あるじどの。ひとまずお尋ねします。鄂州の李員外をご存じでしょうか。

(丑)この土地の宿屋はすべてあのかたのものでございます。もちろん存じておりまする。

(生)さようでしたか。わたしは一冊の本を持っております。あるじどのに届けていただきましょう。周維翰父子は宿で会ったと言ってください。どうかくれぐれも李員外さまに宜しくお伝えください。

(丑)もちろんそういたします。もちろんそういたします。

百の夢は一通の(てがみ)に如かず。百の(てがみ)はなどかは一たび逢ふに比すべき。
今朝(あまつ)さへ銀缸をもて照らす。なほ恐る相逢ふも夢中のごときを。

 

最終更新日:2007年12月9日

尋親記

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[1] 原文「鼓角聲悲咽斷柴門」。」が未詳。とりあえずこう訳す。「鼓角」は軍鼓と角笛。

[2] 幽香。かすかな香り。

[3] 原文「暗香浮動處。應是隴頭梅」。「隴頭梅」は南朝宋の陸凱が長安の范曄に梅花を贈った際、「折梅逢駅使、寄与隴頭人。江南無所有、聊贈一枝春」という詩を贈ったという『歳華紀麗』巻一の故事にちなむ言葉であろう。『歳華紀麗』では「隴頭」は長安をさしているが、「隴頭」は本来は甘粛省隴山のことで、辺塞の地のこと。なお、『尋親記』のこの部分、「隴頭」には実際上の意味はないであろう。

[4] 旅館の名前か。

[5] 原文「年老行不上」。未詳。とりあえずこう訳す。

[6] 松籟。

[7] 谷川の流れの音。

[8] 故郷を離れた人。

[9] 原文同じ。漂泊の身の喩え。梗は断たれた茎。蓬は風に吹かれて飛ぶヨモギ。

[10] 原文「一任自C高」。未詳。とりあえずこう訳す。

[11] 原文「一般爲客在今宵。如何兩般煩惱」。如何兩般煩惱」が未詳。とりあえずこう訳す。

[12]後漢の人。『後漢書』巻九十四に伝がある。

[13]後漢の孫嵩のこと。敵を避けて餅を売っていた趙岐を匿ったことで有名。『後漢書』巻六十五に伝がある。

[14] 他人の嘲笑に対し弁解すること。また、漢の揚雄の書いた文章の題名。

[15] 原文「似孔明吟梁甫」。梁甫は梁甫吟。諸葛亮が作った歌辞の名。『楽府詩集』相和歌辞・楚調曲参照。

[16] 原文「試將他語言猜。他丰範似開封府」。未詳。とりあえずこう訳す。

[17] 原文「表字維翰相代」。相代」が未詳。諱に代えているということか。

[18] 状元。会試の最高位合格者。

[19] 原文「自不整衣毛。何須夜夜號」。未詳。とりあえずこう訳す。

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