第二十九齣 報捷

【剔銀燈】(旦が登場)倅は京華(みやこ)に赴きて、紫宸を拝せり。一別後、杳として音信はなし。かれには荷衣[1]の福分ありや。昔のままの白身[2]なりや。思へば、(たま)は断たるれど、音信のわが家に至る術ぞなき。

【前腔】(末)わたしはもともと護送人。周秀才は死せざりき。わたしは途中でかれを逃がしき。みな言へり。かれははたして孤魂[3]となれりと。今かれの子は雲に歩めば[4]、わざわざ父子の吉報を報せにきたれり。

わたしは護送人張文。以前、張敏はわたしに銀子を与え、わたしに途中で周羽を打ち殺させようとした。かれを打ち殺していたら、今回、子供が合格したから、かならずや復讐し、わたしも逃れ難かっただろう。登科録を買い、今すぐにかれの家へ吉報を届けよう。以前の事を話すのに、何の良くないことがあろう。もう着いた。すぐに入らなければ、ならない。

(見える仕草。旦)護送人どの。長年お会いしませんでしたが、こちらへ何をしに来られました。

(末)わざわざ吉報を届けにきました。

(旦)どのような良いことがございます。

(末)ご令息が第九名の進士に合格なさり、呉県の尹を授かりました。登科録をご覧ください。

(旦)やはり倅は合格したか。ありがたい。

(末)ご令息のことは小さな喜び。さらに大きな喜びがございます。

(旦)さらにどのような大きな喜びがございます。

(末)奥さま、当ててご覧なさい。(旦)

【傾盃序】愁へは積もり、年を経し冤罪を恨めども、解く術はなし。倅がにはかに甲第に登るを告げられ、いささかの愁へを晴らし、かのひとの祝ふを聞けり。あなたがかやうな吉事を語れば、わたしは驚き怪しめり。その吉報は、いづこにて得たりしや。

【前腔】(末)哀れなり。ご夫君は、思へば当初、広南に流されたまひ、わたしはみづから護送したりき。不仁なる張敏は、わたくしに財貨を与へ、ご夫君を天涯で打ち殺すことを望みき。神さまは夢にし立てば、かれを逃がして、災厄を免れしめたり。尋ねんとせば、鄂州へ行きて会ふべし。

【前腔】(旦)今おんみらが自由となるを得しことに感謝せん[5]。たとひ死すとも感謝せん。二十年来音信(たより)はながく絶えたれば、日々憂へたり。愁ふれば、粧台を鎖したり。倅が大魁[6]をば占めて、亭主がなほも生きたることを報せども、わたしは残され苦しみたりき。

おにいさん。

めでたきことを言ひたまへども、わたしは哀しみをも増せり[7]

(末)周先生は鄂州にいらっしゃいます。ご令息が戻ってきて、尋ねようとなさるなら、すぐにかの地へ行けばよろしい。

(旦)倅が戻ってきましたら、お家を訪ねてお礼を申しあげましょう。

(旦)かならずや恩怨[8]を子供に語らん。おんみが恩人なることを知らざりき。
子を教へ黄甲第[9]に登るを喜ぶ。親を捜しに鄂州へ行くべきぞ。(末が退場。小生衆が登場)

【似娘児】平地一声の雷。桃浪は暖かく(うを)ははや龍に化したり[10]。曲江に賜ひ罷はれり瓊林の宴[11]。宮花[12]を帽に飾りつけ、天香[13]は袍に染み、雲梯を高く歩めり[14]

一人息子は皇恩を受け、一家は天禄をば、食めり。本官は母上の命を受け、受験して、さいわい一挙に名を成して、聖恩を蒙り、平江路呉県県尹の職を授かった。家に戻り、母親を呼び、いっしょに赴任するとしよう。こちらはもうわたしの家の入り口だ。左右のものよ道をあけろ。(衆が退場。見える仕草)母上、上座にお着きください。倅が拝礼いたしましょう。

(旦)ひとまずわたしに挨拶はせず、まず父上にご挨拶しにおゆき。

(小生)母上、それは違います。わたしが母上のお腹にいたとき、父親は亡くなりました。今どこへ父上を捜しにゆきましょう。

(旦)孝行な子だと思っていたが、不孝な子だったか。本当に腹立たしい。(小生)

【入破】衣錦して郷里に帰れば、(なんぴと)か喜びを生ぜざる。わが母はなどて愁への(こころ)となれる。尋ねんとしてまたもためらふ。わたしにいかなる罪ありや。母上が責を許さんことを望まん。母上のご命に従ひ、わたしは逆らふことはなからん。

(旦)おまへはなどか知るべけん。千万の狼狽(くるしみ)をわたしが受けつくせしことを。もしもおまへがなからましかば、わたしも溝渠に喪びたらまし。他人に虐げられなんことを望まめや。

(小生)父上は、きっと誰かに酷い目に遭わされたのでございましょう。わたしは不孝な倅です。生長成人しましたが、母上の事情を存じておりませぬ。

(旦)黄河の堤を築くとき、賄にする金がなければ、張敏に金を借りたり。しかるにかれは空欄のある証文に虚偽を記載し、他人を殺し、父上を誣告して殺人の重罪となしたりき。かれはお上に請託し、父上は偽りの自供をし、罪を認めき。その後わたしに結婚を迫れども[15]、わたしが従ふことはなかりき。ひとへにおまへが母の身にありしためなり。断ることは得叶はざれば、やむなく花容(はなのかんばせ)を裂き、はじめて別るることを得たりき。刀の痕は、おまへの母が心を傷まするものぞ。

【滾】(小生)痛切な言葉を聴けば、痛切な言葉を聴けば、わたしは(むね)が砕けたり。二十年間、母上が苦しみを受けたることを、聞きしことなし。天に逆らふ罪は大なるものなれば、張敏の不仁を恨めり。張敏の不仁を恨めり。わが父母を陥るれば、この奸賊とは誓ひて天をともにせじ。世にあることこそ許し難けれ。官職を棄て、官職を棄て、かれを殺さん。かならずや復讐すべけん。

(旦)倅や。人を殺せば、囚人となるだろう。

(小生)むしろ重罪人となるべし。むしろ重罪人となるべし。かのものを殺すことなく、人々に笑はるることはまことに恥づかしや。

(旦)間違いをしてはならないよ。間違いをしてはならないよ。父上は他郷に陥れられている。親を捜しにゆかないで、こちらでつまらぬ争いをしてどうするのだえ。

(小生)母上。わたしはこの件に関しては、かならず復讐いたします。

(旦)仇に報いにゆくのなら、仇に報いにゆくのなら、かならずや牢獄(ひとや)に落ちん。子が罪に遭ひ、母が思へど、父が帰らぬことあらば、家中(いへぢゆう)はことごとく荒れはてぬべし。

(小生)父上のことは分からず。父上のことは分からず。災禍(わざはひ)をいかにして逃れたまひし。今はいづこに流落(さすら)ひたまふ。そもいかにせばよかるべき。

(旦)護送人張文が言っていた。父上を護送してゆく時に、神祠の中で、夢に感じて憐れんで、逃がしたと。

(小生)父上を捜そうと思いますが、どこへ捜しにゆきましょう。

(旦)親を捜しにゆくのなら、親を捜しにゆくのなら、鄂州で事情を尋ねよ。今、旅の仕度をすれば、またもわが別離の涙は垂るるなり。

(小生)行かないわけにはまいりませぬ。二十年間、父親がいませんでしたが、今日父上が他郷にいると言われ、わたしはとても喜んでいます。朱寿昌[16]の事をお聞きでしょう。幼年で母親を失い、その後に成長し、官を棄て母を尋ね、西川[17]で会い、朝廷はそれを盛事と考えました。ただ、父上がどのようなお顔であったかは存じませぬ。母上、お知らせくださいまし。(旦)

【金落索】言へば、まことに憐れなり。いづくにか父親の顔を知らざる子のあらん。別れて二十年(はたとせ)。いささか儀容を思ひ出し、倅に聞かせん。体は小さくさらに短し。容顔は痩せ、白く(きよ)らな顔に微鬚(うすひげ)。一双の清秀なる(まみ)そのかみ家におはせし時は、ェ衣博帯[18]、儒生の(よそひ)をなしたりき。他郷に流落したまへば、以前に勝ることはなからん。憐れなり。父はなく、倅は知らざることを思へば、母は語るも難きなり。

【宜春令】(小生)父上の容貌は、わたしと同じものなれば、旅路にて逢ひ、気付きなば、いかで別るることのあらん。ただ愁ふるは父上が深き(やしき)に身を寄せて、尋ぬるに術のなきこと。会ふを得ば、いかにして多くの事情を語るべき。

【梧桐樹】(旦)父上は宿に身を寄せたまふにや。父上はいづこかの門館[19]に身を寄せたるにや。酒肆やらん茶坊やらん。寺院やらん宮観[20]やらん。

倅や。

人に逢ひなば、(いや)を施し、まづ周維翰(ちちうへ)のことを尋ねよ。邕州に遠流せられんとして身はさいはひに免れたりと言ふがよし。別れに臨みたるときに妻は妊娠してゐたと言へ。故郷(ふるさと)を離れて二十年(はたとせ)なりと言へ。さすれば、かならず会ひつべし。愁ふるはなが嚢中にいささかの金もなきこと。いかにして路銀を得べき。

【宜春令】(小生)路銀の事を、語るは難し。話さば母の心は悲しむことならん。旅路では、おのづと工面するを得ん。

(旦)どのようにして路銀を得るのだ。

(小生)医療売卜して得べし。

(旦)医療売卜は、旅の妨げになるだろう。

(小生)役人は貴けれども偵察すべし[21]

(旦)人に物乞いするのではあるまいね。

(小生)血を出し経を書かんと思ひたり。

【梧桐樹】(旦)二十年(はたとせ)おまへを養へど、誰かおまへを軽んぜし。本日体を傷はば、母はいかでか怨まざる。身を傷はば、母の苦痛は言ひ難し。一点の血が流れなば、一点の涙を母は流すべし。手の指を刺し、傷つけて、人前で訴ふることなくば、骨肉が団円し一処に歓ぶことを得じ。天は憐れみたまふらん。母はかやうに恋々とせど、倅よ。ぐづぐづするなかれ。

【宜春令】(小生)親に別れて、ぐづぐづとしやうとはせず。旅支度して、衣装を改む。わたしはこれより行くとせん。母上に勧めまつらん。心配したまふことなかれ。旅路で逢はば、−父上がかやうなお姿なることは知りたれど−母上。何を拠りどころとして、父上に見せたてまつらん。

(旦)それもそうだ。手紙を一通書いてやろう。

【一封書】妻は郭氏。寸箋をもて夫周解元どのに申しあぐべし。別れし後に、苦しみは千万ありき。張敏の不仁はすべては言ひ難きなり。今さいはひに倅は合格するを得て、職を棄て、親を捜しに海辺へ行かんとしたるなり。鸞箋を見て、ぐづぐづとするなかれ。すみやかに戻りきて大いなる怨みを雪ぎたまへかし。

【羅帳裏坐】かのひとと別れし後に、心配事は千万ありき。すべて書かんとしたれども、長箋[22]はなし。大綱(おほすぢ)をいささか書かん。かれを安心させるため、平安の二字を報せん。封皮の涙の()るを得待たず。

【前腔】(小生)わたしはこたびお別れし、母に辞し、遠きにゆかん。いそいで歩けば、自ら歩履の進まざることを覚えぬ。

(旦)行ったのに、なぜまた戻ってきたのだえ。

(小生)心配事を言はんとすれば、珠の涙は漣漣たり。

(旦)どんな心配事がある。

(小生)父上はいつ還るかも分かりませぬが、誰が母上をお世話しましょう。

【前腔】(旦)わたしは辛苦を歴るに慣れ、千万を喫しつくせり。心配ならば、[23]、父上にいかでか見ゆることを得ん。わたしのためにじつくりと遍く尋ね、遠きを憚ることなかれ。父に会ひなば、はじめて還れ。母のためただちに帰ることなかれ。

【前腔】(小生)本日わたしは行かんとすれど、愁へは千万。わたしのことを問ふ人あらば、倅は任に赴きたりと言ひたまへかし。

(旦)どうしてだ。

(小生)張家の賊子はまた凶悪を逞しうせん。旅路ではいささかの遅延のあるを、免れじ[24]

【尾声】やむなく分かるることを悲しむ。双方は懸懸として望みあひたり。いづれの日にか母子と夫妻は一つ処に歓ぶを得ん。

【哭相思】(旦)母のためただちに帰ることなかれ。

(小生)母上に勧めまつらん。お気を楽にし倅を思ひたまふなかれ。世上には(よろづ)の哀しき事あれど、遠別と生離ならざるものはなし。(小生が退場)

【前腔】(旦)倅は行けば、両の涙は垂るるなり。倅が行けば、千里に母の心は従ふ。南来の(かりがね)を母は望みて、一日に十二(とき)児を思ふべし。(退場)

 

最終更新日:2008年1月3日

尋親記

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[1] 『漢語大詞典』はこの例と『琵琶記』の例を引き、進士の着る緑袍であるとする。

[2] 無位無冠の身。

[3] 寄る辺ない亡魂。

[4] 原文「如今他孩兒歩雲」。歩雲」は科挙に合格することの喩え。

[5] 原文「如今謝你們得放身。」。「你們」が誰を指すか未詳。護送官と夫か。とりあえずそう解す。

[6] 状元。科挙の首席合格者。

[7] 原文「你説這樁喜事。到添我一般哀。」。「到添我一般哀」が未詳。夫の無事、息子の合格を聞かされたが、顔を裂き、家で苦しい思いをして待っていた自分のことを思えば悲しくもなるという趣旨に解す。

[8] 原文同じ。ここでは偏義詞で、「恩」の意であろう。

[9]科挙の第一等、すなわち甲科で合格したものをいう。第一等合格者は黄色い紙にその名を記される。『宋史』選挙志二参照。

[10] 原文「平地一聲雷。桃浪暖已化龍魚。」。「平地一聲雷」は何もないところで鳴る雷。科挙に合格して名声を轟かすことの喩え。「桃浪暖已化龍魚」は春に行われる会試に合格し進士になることを、春に龍門を上って龍に化する鯉魚に喩え、たもの。『佛果圜悟禪師碧巖録』 禹門三級浪。孟津即是龍門。禹帝鑿為三級。今三月三。桃花開時。天地所感。有魚透得龍門。 頭上生角昂鬃鬣尾。拏雲而去。跳不得者點額而回。」。また「那禹門三級桃花浪」という言葉も、科挙の合格を表す言葉として俗文学に頻出する。蘇子瞻醉寫赤壁賦』第一折【油葫蘆】奪這翰林兩字標金榜,便是那禹門三級桃花浪。」。

[11]宋代、皇帝が新たに合格した進士に対し、瓊林苑で賜った宴会。『宋史』選挙志一科目上「八年、進士、諸科始試律義十道、進士免帖經。明年、惟諸科試律、進士復帖經。進士始分三甲。自是錫宴就瓊林苑」。

[12]進士の試験に及第したものに天子が宴を賜うとき、頭に飾る金花

[13]宮中で焚く香。

[14] 原文「高歩雲梯」。雲梯」は天界へのかけはし。「高歩雲梯」は科挙合格の喩え。

[15] 主語は張員外。

[16]宋の人。五十年間母と別れていたが、棄官して、金剛経を血書しつつ全国をめぐり母を捜し当てた。『宋史』巻四百五十六に伝がある。

[17] 未詳。朱寿昌が母親に会ったのは河南省陝州。

[18] ゆったりとした服、広い帯。

[19] 書院、学塾。

[20] ここでは道観のことであろう。

[21] 原文「參官貴也須緝探」。參官」が未詳。普通は弾劾された役人をいう。この句、文脈からして自分は貴い役人でありながら、父を捜さなければならないという趣旨であろう。

[22] 長い便箋。

[23] 「母親のことを心配していれば」ということ。

[24] 原文「恐張家賊子又逞兇頑。若還中路稍遲延。只恐孩兒不免。」。未詳。とりあえずこう訳す。自分の旅には時間が掛かるであろうから、その間に張員外が母親を迫害するようなことがあるかもしれないという趣旨に解す。

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