第二十七齣 応試

【一翦梅】(旦が登場)月は孤房(ひとりのへや)に満ち涙は衣に満つるなり。良人をいたく思へども、天涯に非業の死を遂げ、黄沙に骨は冷えたれば、夢にても帰るは難きことならん。いかんせん家は貧しく、倅を教ふることこそ難けれ。

家は貧しく力は弱し。つとめて詩書を子に教へたり。今は大比[1]の年に当たれば、子が功名を求むることを望むなり。

かれの学問はいかほどだろうか。呼び出してきて相談をせねばならない。瑞隆はどこかえ。(小生が登場)

【前腔】寡婦孤児はともに貧苦に耐ふるなり。書斎に端座し、紛紛と涙を落とし、黄昏に柴門(しばのと)をひとり掩へり。わたしは孤児。父上は孤魂なり。

(見える仕草。旦)倅や。大比の年だから、上京し、功名を求めるべきだ。官職を得さえすれば、一つには周氏の家名を伝えられるし、二つには父母の恥を雪げるだろう。

(小生)わたしもひたすらこのようになることを願っております。問寝承顔[2]、三牲の養[3]に倣うのは難しくても、扇いで涼ませ、温めて暖くさせ、十月(とつき)の恩に報いましょう。父は死に母は(ひとりみ)。家でお仕えするべきですが、受験して功名を求めることも、親を貴くする道でございます。そのため進退窮まっておりまする。どうしたらよいでしょう。

(旦)倅や。三年に一度なのだから、見送るべきではないよ。すぐに出発するのだよ。

(末が登場)大比は時によりて挙げられ、郷書は類によりて上げらる[4]。誰かいるか。

(見える仕草。小生)社長[5]さまでしたか。お入りください。

(旦に会う仕草。旦)社長さま。拙宅へ来られましたは、どのようなお話でございましょう。

(末)老いぼれが参りましたは、ほかでもござらぬ。今、春試が近づいています。ご令息にはこのような才学がございますのに、受験しにゆかれませぬか。何をぐずぐずしていらっしゃる。

(小生)功名の件ですが、行きたくないのではございませぬ。ただ、母親は家でひとりにしておりますし、嚢橐(ふところ)は寂しいものでございます。そのために進退窮まり、遠くへ行こうとしないのでございます。

(末)なぜそのような小節のため、将来の大事を遅らせる。老いぼれがささやかな贈り物をやろう。

(小生)大変ありがとうございます。社長さま。

(旦が哭く仕草。末)奥さん。子を送り、功名を求めさせるのは良いことなのに、どうして哭かれる。

(旦)社長さま。あなたはご存じないのです。古人曰く、「男子行くことあらば、則ち父が送る。女子行くことあらば、則ち母が送る」と[6]。子に勉強を教え、子を送り功名を求めさせるのは、いずれもかれの父親がする事でございます。今日はわたしだけがおり、かれの父親はおりませぬので、思わずわたしは悲しんでいるのです。

【二カ神】愁への極まることはなし。倅を送るとき、父親の(かたはら)にゐるを見ず。そのかみは配流に遭ひし夫を送りたりしかど、思はざりき、今日また倅を科場に送り、官位を求めしめんとは。倅は科場に赴かば、かならず栄達する日があらん。父親は去りし後消息を絶つ。

(合唱)離別の涙は昔の離恨を語り起こせば、ふたたび滴る。

【前腔】(小生)即日堂前にてお別れし、旅の仕度を促して上国(みやこ)に行かん。母上は家にいまして、わたくしのために悲しむことなかれ。わたくしは去り、旅路にて母を思ひて悲しみをいとど添ふべし。たとひ蟾宮折桂の客となるとも[7]、いかでかはわが霊椿(ちち)を貴くすべけん。(前腔を合唱)

【三段子】(末)君に勧めん。これよりは南宮[8]に赴けよかし。文場[9]で敵と戦ひ、筆を下さば、神気あり、たちまち日華五色を賦すべし[10]。文章の力を得なば、雲梯の路をそぞろに歩み[11]、かならずはれて仙桂の籍に登らん[12]

【帰朝歓】(小生)わたしはゆかば、わたしはゆかば、おのづから嘆息するを免れん。光陰は梭の隙を過ぐるがごときものならん。

(旦)栄達しなば、栄達しなば、駅に馳せ、とく帰り、柳陌花街[13]に恋々とするなかれ。門に寄りつつおまへが身より白衣を脱せんことを望めり[14]。禹門驚雷の客となれかし[15]。凡庸の輩とともに空しく額を傷つくることなかれ[16]

【尾声】(末)こたび行きなば、かならずや蟾宮の客となるべし。紅楼の色をな恋ひそ。

(旦)すみやかに戻れかし。母の涙を滴らしむることなかれ。

(小生)今日お別れし春闈に赴く。(旦)青霄に上らんことを望めどもいまだ期すべきにはあらず。
(末)
錦衣して故郷に帰ることを得ば、(衆)はたしてまことに男児たるべし。

 

最終更新日:2007年12月25日

尋親記

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[1]郷試のこと。

[2]問寝は年長者のご機嫌伺いをすること。承顔は年長者の顔色を見ながら世話をすること。

[3]牛、羊、豚の肉を出して、両親に孝養を尽くすこと。『孝経』紀孝行「雖日用三牲之養、猶不為孝也」。邢[日丙]疏「三牲、牛、羊、豕也」。

[4]原文「大比因時舉、ク書以類升」。「因時舉」「以類升」が未詳。「大比」は郷試のこと。「郷書」は、周代、郷中の賢者を推薦した書状。また、郷試に合格することをいう。この句、ごく大まかな方向は、科挙に合格するのは運次第といったことか。

[5]村長。

[6]原文「男子有行。則父送之。女子有行。則母送之。」。出典未詳。

[7]蟾宮は月宮のこと。折桂の客は、科挙の合格者のこと。晋の郤詵が、科挙に合格したとき、自分は桂の林の一本の枝を折ったに過ぎないといった故事に基づく言葉。月には桂が生えているとされる。

[8]会試をさす

[9]試験場。

[10]原文「頃刻賦日華五色。」。日華は日光。『宋史』楽志「日華融五色」。この句、「あっという間に日の光のように輝く文章を書くだろう。」ということであろう。

[11]原文「謾自歩躡雲梯路」。雲梯」は仙界へのかけはし。郭璞『遊仙詩』「安事登雲梯。」李善注「雲梯,言仙人昇天,因雲而上,故曰雲梯。」。「雲梯路」は科挙に合格した境涯の喩えであろう。

[12]原文「管取榮登仙桂籍」。仙桂」は月中にあるとされる桂樹。「榮登仙桂籍」は仙人の仲間入りをすること。ここでは科挙合格者に名を連ねることの喩え。なお、科挙の合格を「折桂」という。

[13]花柳の巷。

[14]原文「倚門望你身脱白」。「脱白」は白衣を脱ぐこと。すなわち、白衣の書生から、官僚となること。

[15]原文「須作禹門驚雷客」。禹門驚雷客」は科挙合格者のこと。「禹門」は龍門に同じ。ここを遡った鯉は龍になるとされるので、科挙の関門に喩えられる。禹門三級浪。平地一聲雷」という句が俗文学に頻出するが、難関を越えて科挙に合格することの喩え。「驚雷」は「平地一聲雷」に同じいであろう。

[16]原文「莫比庸凡空點額」。不合格となること。龍門を登れなかった魚が額に傷をつけて帰ることに因む言葉。『水経注』河水四「鱣、鮪也。出鞏穴、三月則上渡龍門、得渡為龍矣。否則、点額而還。」。

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