第二十四齣 就教
【風馬児】(旦が登場)玉は砕け香は消え鏡台は荒る。緑雲は繚乱し化粧は懶し。十二年来寄る辺なし。孤児寡婦は、苦心して氷霜に耐ふ。
百年の光景は梭を擲つがごと。三月の韶光は箭のやうに催したるなり。
亭主が遠流になったが、別れた時は七ヶ月の身重であった。不幸にも夫は死に、千万の苦しみを受けつくしている。今、子供は生長して十二歳になった。瑞隆という。いかんせん家は貧しく力は弱く、かれを勉強させにゆかせることができない。今、林学士の家では、義学を開いている。束修は必要なく、親疎遠近を問題にしていないので、みな勉強しにいっている。かれを出てこさせ、送ってゆかなければならない。瑞隆はどこかえ。
(小生が登場)
【前腔】月は冷え萱堂[1]は夜迢迢たり。風木に感じ[2]、悲しみ号ぶ。父上の骨はいづこの沙場の草にあるやらん。母の懐を出てより、劬労に報ゆるすべなきを恨みたるなり。
(見える仕草。旦)倅や。玉は磨いてはじめて器になり、木は揉んではじめて輪になる。勤学すれば君子となり、学ばなければ小人となる。おまえは父がない子だ。父上は別れに臨み、おまえに書物を読ませるようにと、再三言い含めていた。ひたすら腕白にして、勉強に励もうとしない。裏の林学士さまの家では義学を開いている。わたしは今からおまえを送って勉強をしにゆかせよう。今までのように悪戯するのはやめるのだ。
(小生)つつしんで母上のご命に従いましょう。(旦)
【宜春令】今から行きて、聖書を読めかし。花街を歩み、柳衢を穿つ。人煙が集まる処、市井闤闠[3]。書生の輩は、学堂の中にあり、みな金持ちの子たちなり。
(内が書を読む仕草)ふと聴くは、書を読む声の沸きおこるなり。わたしはやむなく子供を連れて、街除[4]に歩み入れるなり。
もう着いた。倅や。先生をお呼びしてきておくれ。
(小生)先生、失礼いたします。(外が登場)
【翫仙燈】書斎に端座してゐれば、誰かが勉強しにきたぞ。
(小生)先生、ご機嫌よう。
(外)坊やはどこの子だ。
(小生)母がおもてにおります。
(見える仕草。外)奥さまがこちらにいらっしゃいましたのは、どのようなお話でございましょう。
(旦)わたしはわざわざ倅を送り、教えを求めておりまする。
(外)書物はわたしがお教えしますが、学校は林大人が開いています。林大人が出てきましたら尋ねましょう。書童よ。旦那さまを呼び出してこい。
(末が登場)
【称人心】玉堂金馬を恋ふ心なし。一経[5]を子に教へたり。
(見える仕草。末)奥さまはどちらのお方で。
(旦)前街の周羽の妻でございます。
(末)失礼しました。維翰さんの奥さまでしたか。こちらへ何をしに来られました。
(旦)わざわざ倅を連れ、就学させにまいりました。受け入れてくださることを望みます。
(末)周維翰さんが去られた後、ご令息はいらっしゃらぬはず。
(旦)遺腹の子でございます。
(末)可哀想に。
(外)周維翰とはどのような人ですか。
(末)わたしの友人で、人に陥れられ、よその土地に遠流となりました。ご令息がこのように成長なさっているとは思いませんでした。名づけましたか。
(旦)周瑞隆と名づけました。
(末)良い名です。どなたがおつけになりました。
(旦)愚夫が別れに臨んで、この名をつけたのでございます。
(末)周の奥さん。老いぼれは義学を開いておりまする。くる者は拒まず、ゆく者は追いませぬ。ご令息はこちらで、わたしの飯を食べ、わたしの書を読ませましょう。朔望の日にはじめてかれを戻ってゆかせましょう。ご心配なく。
(旦)大変ありがとうございます。倅や、おいで。先生にご挨拶おし。
(小生)先生がわたしの愚蒙を開かれ、蒙昧を啓かれることを望みます。他日名を成しましたなら、厚恩を忘れようとはいたしませぬ。
(外)書を読むときは懈惰荒淫を戒めとする。勤勉にしてたゆみなく自強せよ。
(旦)大人と先生は上座にお着きくださいまし。拝礼をいたしましょう。
(外)弟子が先生を拝するのは、通常の礼ですが、父母が先生を拝する礼はございませぬ。
(旦)この拝礼は、先生と大人が憐れんでくださることを求めるものでございます。この子は父のない子なのです。
【一封書】厚意もて受け入れていただきたれば、父のなき子を憐れむことを望みたるなり。倅が腕白無知ならば、罰を示して、罪を許したまふなかれ。倅や。おまへは書を読みて大器とならば、先生が教へを示したまひしを忘るるなかれ。
(合唱)詩書を読み、ひたすら勤め、功名を得て天下に知られんことを期せ。
【前腔】(外)こなたで学校をば開き、人財の集ひきたらんことを望めり。かのひとの令息の貌は美はしければ、聡明なるべし。老先生。かの寡婦でさへ貧居して子を教へたり。金持ちはいかでか書を読まざるべけん。(前腔を合唱)
【前腔】(末)見ればこの子は喜ぶべきなり。
(外)大人は何を喜ばれます。
(末)容顔に秀麗多し。見ればこの子は悲しむべきなり。
(外)大人は何を悲しまれます。
(末)父は死に、母は子を教へたるなり。先生。熱心に教へたまへかし。奥さん。ご令息はかならず大儒となりぬべし。(前腔を合唱)
【前腔】(小生)父上はいづこにおはし帰らざる。家は貧しく母上の悲しみたるを嘆きたり。本日教へを蒙れば、そを守り母上に違はんとせず。名を成して栄達する日があらんとも、両親の老いざる時とは言ひ難からん。
(前腔を合唱)
日もすがら書を読み、労を憚ることなかれ。賢なる妻は子を教へたり。
世上万般みな下品。書を読むことのみぞ貴き。
(旦)倅や。こちらで勉強するとき、遊んではならないよ。先生がお打ちになるよ。
(小生がついてゆこうとする仕草。旦)わたしは行くがすぐにおまえに会いにこよう。
(退場。外)林大人。ご令息はどうして二日出てきませぬ。
(末)呼び出してまいりましょう。書童よ。大叔[6]を呼び出してきて勉強させよう。(退場。書童が丑を担いで登場)
【大斎カ】わたしは富家の児。腹の飢うるを恐るることなし。先生はわたしに詩書を読むを教へり。書を読むことにいかなる益のある。一日に三度の食事は保障せられり。
(丑が仕草をする。外)書包を置き、やってきて揖をしろ。
(丑が揖する仕草。外)やってきてこの生徒に揖をしろ。
(丑)かれは姓は周といいます。
(外)なぜ知っている。
(丑)かれの母親は張員外と遊んでいます。
(外)こら。やってきて揖をしろ。
(丑が揖する仕草。外)周瑞隆はどんな書物を読んでいる。
(小生)古文を読んでおりまする。
(外が小生に後から読ませる仕草)滕王の高閣は江渚に臨み、佩玉鳴鸞歌舞を罷む。画棟朝に飛ぶ南浦の雲。珠簾暮に捲く西山の雨。持ってゆきゆるゆると読め。醜驢よ、本を持ってこい。山水歌[7]を教えよう。
(丑)靴屋のお兄さん[8]。
(外)良工は善く丹青の理を得たり。輒ち茅茨[9]に向かひて山水を描く。
(丑)張公は靴底を裁つに慣れ、日の出る卯の刻にはじめて作り始めたり。
(外)地角[10]をば移しくる方寸の間。天涯を写す筆鋒の裏。
(丑)楦頭を置く皮担[11]の間。鑽を置く皮盝[12]の裏。
(外)一片の石、数株の松。
(丑)一塊の蝋。数本の騌[13]。
(外)遠くまた淡し。近くまた濃し。
(丑)皮はまた爛る。底はまた緩む。
(外)門庭を三五歩も出づることなく、見つくせり江山千万重。
(丑)門を出で歩くこと三五歩にして、靴底が剥がるれば戻りきて縫ふ。
(外)おまえたち二人はこちらで勉強していろ。わたしは城内へ行き友人を訪ねたらすぐにくる。遊んではならないぞ。平生の志気を消しつくし、童稚の怨みを結ぶべし。
(退場。丑)周瑞隆。いっしょに遊ぼう。
(小生)わたしは遊びを知りませぬ。
(小生)知りませぬ。先生が戻ってきたら打たれましょう。
(丑)いっしょに扎朦しよう。
(小生)扎朦とは。
(丑)手巾で眼を覆い、わたしがおまえを捕らえたら、わたしがおまえを打つのだよ。おまえがわたしを捕らえたら、おまえがわたしを打つのだよ。ごまかすことは許さない。まずはおまえを目隠ししよう。
(包む仕草。小生が丑を捕らえて打つ仕草。小生)今度はあなたを目隠ししましょう。
(丑)先生が来たら咳をして合図してくれ。(覆う仕草。小生が丑を騙す仕草[15]。外が登場。丑が外を捕らえて打つ仕草。外)誰がおまえにやらせたのだ。
(丑)周瑞隆です。
(小生)わたしはこちらで書を読んでおります。
(外)まあよかろう。書を持ってきて暗誦しろ。
(小生が本を暗誦する仕草。丑が暗誦する仕草。外が引いて跪かせる仕草。外)周瑞隆よ。やってきてかれを辱めるのだ。(辱める仕草。丑が小生を打つ仕草)
【駐雲飛】ろくでなしのおまへを打たん[16]。おまへは賢くわたしを騙せり。わたしの食事はおまへに勝れり。おまへは本をよく読めど役には立たじ。ああ。父のなき児のおまへを打てり。はやく門より出でゆけよかし。二度と来ることなかれ。怒ればわたしは肝腸が砕けたり。
(合唱)先生の教へに大いに感謝せり。
【前腔】(小生)男児となるも徒なりき。鳳は深き林に入りぬれば鵲にさへ欺かる。むざむざと喬才の気を受けたり。
(丑)馬鹿を言え。
(小生)自ら不運を恨むなり。ああ。金榜に名を掛くる時、母の恩義に報ゆべし。他日栄達せん時に、はじめて男児の志をぞ顕はさん。
(前腔を合唱。外)喧嘩することは許さぬぞ。これ以上喧嘩するなら、二十回板で打つ。日が暮れた。本をしまって勉強はおしまいだ。
(丑が仕草をする。外)周瑞隆は明日はやめに来い。
(小生)はい。
(外)書を読むに猖狂を恣にするなかれ。(丑)よく書を読めど住む家はなし。
(小生)朱門に餓殍[17]を生ずることはなかれども、(合唱)白屋[18]に朝カ[19]の出しことあり。
(外が退場。丑)周瑞隆。どこに行く。さきほど先生が来たとき、おまえは一言も言わなかったな。
(小生)言うのが間に合いませんでした。
(丑)馬鹿を言え。(打って退場)
最終更新日:2007年12月14日
[1]母親の部屋をいう。
[2]風樹の嘆に同じ。本来は、両親が死んで、孝養を尽くすことができないことをいうが、ここでは父親がおらず孝養を尽くせないことを指していよう。
[3] 闤闠は街道のこと。
[4]街途の誤りか。街途は街道のこと。
[5] 一つの経書。
[6] 息子のことをさしているのは間違いないが、「大叔」という言葉をこのように用いる例がほかにあるかは未詳。「大叔」は、普通は父と同輩で年がやや若い者や、他人の下僕に対する呼称。
[7] 特に固有名詞ではなさそうである。山水を詠じた詩のことであろう。
[8] 原文「皮匠阿哥」。すぐ前で、「山水歌を教えよう(教你山水歌)」と言っているのを受けた句。「歌」と「哥」は同音。
[9] 簡素な居室。
[10] 地の果て。
[11] 未詳だが、天秤棒の荷物として担いできた皮であろう。
[12] 未詳。盝は小箱。皮を入れる小箱か。
[13] 原文「一塊蠟。數根騌」。靴屋が靴を作るときの素材なのであろうが、どのように用いるのかは未詳。
[14] 未詳。
[15] 原文「小生哄丑介」。「哄」が未詳。鬼さんこちらなどと声を出す動作か。
[16] 原文「打你無知」。「無知」が未詳。とりあえずこう解釈する。
[17] 餓莩。餓死者。
[18] 無位無冠の人の家。
[19]朝臣。