第二十二齣 誑妻

【出隊子】(老旦が登場)貞烈なる賢女。貞烈なる賢女。凛として秋霜清水にぞ似たる。わたしの夫は相約し、佳期に赴きたりしかど、などてたちまち忙しく帰りきたれる。佳人が節を守りて諾はざりしにや。

【前腔】(浄)思へば憎らし。思へば憎らし。賎しき女はろくでなし。顔を裂き、いと愚かなり。花容(はなのおもて)を損なひて是非(いさかひ)を招きたるなり。わたしは激して怒りは心に起こりたるなり。

万般(よろづのこと)はみな(さだめ)なり。いささかも人に由るなし。憎らしや。憎らしや。花容(はなのおもて)を損なひたるは、げに惜しむべし。わたしは今から院君に会ひ、嘘を言ふべし。(見える仕草。老旦)員外さまの結婚話はうまくゆきましたか。

(浄)うまくいったぞ。

(老旦)信じませぬ。

(浄)信じないなら張千に尋ねろ。

(老旦)あなたが行ったら、周の奥さんはどのように応対しました。

(浄)わたしが行くと、すぐに牀の上に坐らせたぞ。

(老旦)信じませぬ。

(浄)張千に尋ねろ。かれはすぐ来る。かれを迎えにゆくとしよう。

(退場。老旦)路遥けくして馬力を悟り、日久しうして人心を見る[1]。周の奥さんは心が鉄石のようだと思っていたが、一朝にして改めたのか。ちょっと待て。真か嘘かは分からない。わたしは今からひそかにかれの家へ行こう。かれの様子を見れば、事情が知れよう。これぞまさしく、濁れば(たなご)と鯉を分かたず。水清くしてはじめて両種の(うを)を見る[2]。(退場。旦が登場)

【杜韋娘】寃家[3]は逃れ難ければ、やむなく花容(はなのおもて)を損なふ。

(老旦が登場)蓮歩を忙はしく移し、周家の門へひとまず行かん。(見える仕草)なにゆゑ美しき顔が、刀もて損なはれたる。

(旦)院君は寒門へたちまち到れり。仇人を一見すれば(いか)りははやくも起こりたり。家にまことに賢き妻あり[4]。夫をば唆し見識を迷はしめたり。

(老旦)ことさらにかくしたまひそ[5]。ゆめ疑ひそ。昨日すでに諾ひたまへば、これより姉妹と称すべし[6]

(旦)昔はおんみを賢しと思ひしかども、今は激してわたしの心は砕けたり。ともに相従ふに及ばず。戻りたまへかし。

(老旦)奥さま。仰ることはとても性急。真偽はなほも言ひ難し[7]。とりあへず心を静めたまへかし。ひとまず試金石たらん[8]。奥さま。早まられますな。わたしに真偽を知らせたまへかし[9]。来るにかならず理由あり。

(旦)院君[10]さま。あなたがいらした趣旨を、わたしは存じておりまする。院君さま。お掛けください。わたしが申しあげるのをお聴きください。

【二鴬児】貧困に遭ひ、飢寒に耐へ、(なんぴと)か世話しに来らん。おんみの夫に酷き目に遭はされて、千般苦しみ、万般拒めり。わが花容(はなのかんばせ)の傷つきたるを御覧あれかし。この証拠はいかでおんみを欺かん。じつくり思へば、張員外の家にかやうな賢妻ありと思ひたり。

【前腔】(老旦)わたしは今まであなたを敬ひ、羨みたるにはあらざるなり。わたしの夫を諌むれど夫は従はんとせず。わたしの夫は帰りきて、あなたはかれと結婚せりと言ひたりき。真偽は定かならざれば、わざわざ探りにきたるなり。あなたの花容(はなのかんばせ)の傷つきたるを目にすれば、じつくり考へ、周秀才の家にかやうな賢妻あるをはじめて信ぜり。

【集賢賓】(旦)わたしは院君さまが賢く、言葉もてひさしく諌めたまひしを聞く。ひとへに花容(はなのかんばせ)のため、かやうなる目に遭ひしかど、裂きたればそこれよりは別るべし[11]。語るは難し。わたしの夫の()となりたるをひとへに怨み、わたしの子供の寄る辺のなきにひとへに苦しむ。

(合唱)悲しみて、旧恨と新愁を語り起こせば、涙は数多零れたり。

【前腔】(老旦)母娘二人が過ぐすは難く、空腹を忍ばざることを得ず。こはみなわたしの夫が累を及ぼせるなり。あなたの寂しさはわたしの寂しさ。疑ふなかれ。わたしは(かざし)を差し上げてひとまず食を充たしめん。あなたの貧しきことを思へば他意はなし。(前腔を合唱)

【啄木児】(旦)賜りものを受けたれば、辞するべきにはあらねども、院君さまの釵は員外のもの。顔を裂き悪名を避けたれば、死すともおんみの品物は受け難し。倅は幼きものなれば、おんみの憐れみ済ふを望まん。その恩は銭と米とに勝るべし。

(合唱)涙はむなしく滴れり。誰か憐れまざるべけん。逢はんとすれどなほ疑はる[12]

【前腔】(老旦)貞潔な心は、清く水のやう。これらはまことに褒むべきなり。あなたは貧しく飢寒に逢ひて、周家の子供を損なふべけん。天がもし周家を憐れみたまふなら、この子を守り器と成るを得しむべし。(前腔を合唱)

孤り貧しく悲しみに耐へたまひたり。花容(はなのおもて)を切り裂けど疑ひたまひそ。
雪は鷺鶿(しらさぎ)をば隠せども飛びてはじめて見ゆるなり。柳は鸚鵡を蔵せども語りてはじめて知らるべし[13]

 

最終更新日:2007年12月12日

尋親記

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[1] 原文「路遙知馬力。日久見人心」。諺。遠い道を行けば馬の力が分かるように、長く付き合えば人の心が分かるということ。俗文学に用例多数。

[2] 原文「渾濁不分鰱共鯉。水C方見兩般魚」。混乱しているときは状況が分からないが安定しているときは状況が分かるという意味の諺。俗文学に用例多数。

[3] 敵のこと。ここでは張員外のこと。

[4] 原文「家有好賢妻」。これは皮肉。

[5] 原文「伊家休假意」。「伊家」はここでは二人称。「假意」はことさらに振る舞うこと。

[6] 原文「昨日已應承。今當姊妹稱」。「應承」は郭氏が張員外の妾となることを承諾することであろう。「姊妹稱」は、張員外の夫人が、妾となる郭氏とあねいもうとと称しあうこと。

[7] 原文「眞僞猶難道」。張員外が郭氏を妾にした事の真偽はなおも定かでないという趣旨と解す。

[8] 原文「聊爲試石金」。「試石金」は試金石のこと。「試石金」となっているのは押韻の関係。この句、未詳。張員外の夫人が郭氏に質問を試みている状況を述べている句か。

[9] 原文「知我是眞是假」。未詳。とりあえずこう訳す。

[10] 貴婦人に対する呼びかけ。

[11] 原文「今割破從此分離」。未詳。とりあえずこう訳し、今後は張員外につきまとわれることもないということを述べた句であると解す。

[12] 原文「要相逢又被嫌疑」。まったく未詳。

[13] 原文「雪隱鷺鶿飛始見。柳藏鸚鵡語方知」。今まで明らかでなかったことが明らかになったことをいう慣用句。

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