第二十一齣 剖面

地游】(旦が登場)寃家(かたき)はみだりにものを言ひ、心には奸狡多し。婚姻を迫らんとして無理に騒ぎにきたるなり。寧ろ死に甘んぜんとも、偕には老いじ。

象は牙ゆゑ身は亡び、(かはせみ)は羽のため体を裂かる。

わたしは(かお)のため、張敏に不仁の心を起こされて、亭主の命を害された。どうして再婚するはずがあろう。子供がお腹にいたために、しかたなく嘘を言い、承諾をする振りをしたのだ。わたしは思う。烈女には臂を断ち、目を剔り、貞節を守ったものがいたそうだ。わたしはどうして貌を惜しんでこの身を汚そう。かれが今日来たときは、花容(はなのかんばせ)を損なって、かれの狂おしい思いを絶とう。ああ天よ。わたしのために、家は破れて人は亡びぬ。知るべし、貴妃は国を亡ぼし、緑珠は家を破りしを[1]

【集賢賓】鸞[2]に臨めば、紅顔の痩するに任す。脂粉[3]の憔悴することに構ふものかは。わたしの夫を葬り去りしは、わが(かほ)のため。千里に配流せられしは、秋水の多嬌なるため[4]。魂は消え、夢は(はる)けし。万山を隔つるは、眉山(まよね)のかやうに美しきため。眼中の人の、遠くに去りしは、鏡中の人の麗しきため[5]

【鴬啼序】荊釵裙布[6]に、いかなる妖嬈(うつくしさ)のあらん。

張敏は、

むごたらしくもわが一家をばことごとく損ひたりき。知るべし。唐の損なはれしは貴妃が(あで)やかなりければなり。石崇は緑珠の絵にも描き得ぬ美しさのため滅びたり。かの毛延寿がことさらに漢昭君を描きしも、いまだ過ちにはあらず[7]

【啄木児】顔を裂きなば、節義は高くなりつべし。身体髪膚は言ふに足らざるものぞかし。青史に名を(しる)さんとせば、剛刀を血をもて汚さざるを得ず。之を父母にし受けたれば孝を全うすることは難からんとも[8]、美しさゆゑに身を誤るをつとに知りたり。「恩を受くるは貌にはあらず」と言はざるや[9]

【普賢歌】(浄末衆が登場)洞房花燭に瑞香は漂ひて、今日乗龍し鳳儔を結ぶなり[10]花貌(はなのおもて)はまさに恥ぢらふ。すみやかに粧楼[11]を下れかし。広寒に孤眠してむなしく秋を(わた)るに勝らん[12]

(浄が言い含める仕草。末が報せる仕草。浄)奥さん、ご機嫌よう。

(旦)員外さま。本日は寡婦であるわたくしの家へ来てどうなさいます。

(丑が儀式を執り行なう仕草。浄)家に筵席が調えてあります。奥さん。どうか家に戻って結婚しましょう。

(旦)員外さまのお宅には、金釵十二[13]がいらっしゃるのに、貧家の賎しい(おんな)を娶られるのですか。

(浄)家には幾人か妻妾がいますが、奥さんの花のようなお貌には及びません。

(旦)わたしの貌のため、このようになさるのですね。これぞまさしく、漆は役に立つために(はだへ)を裂かれ、亀は殼の勝れたるため腸を刳らる。わたしは貌のため、平地に波を生じてしまった。員外さま、しば、しお待ちを。鏡を開き化粧しましたら、轎に乗ってゆきましょう。

(浄)化粧は必要ありません。喪服を着ていてもなかなかきれいです。

(旦が鏡に向かう仕草)今日はわたしの顔を見るのみ、夫の顔を見ることはなく、ひどく悲しい。

【黄鴬児】鏡を開き人は愁えぬ。(いにしひ)容顔(かんばせ)は痩す。鏡台よ。わたしはひさしくおまへを見ざりき。鸞鳥は孤なるがために菱花(かがみ)もて照らすを恥ぢたり[14]顔よ。顔よ。窈窕なれば、

(浄)窈窕たる淑女は、君子の好逑。

(丑が仕草をする。旦)人の騒ぐを招きたり。財産を失ひて寄る辺なし。もしも子がなからましかば、身は死にたらまし。

わたしはこの美しい姿を、

ことごとく蓬蒿に(ほろ)ぼしたらまし[15]

(丑)銀台[16]の熒燭[17]に月光高し。嘹亮と笙歌は画梁を巡るなり。画皷を軽く敲き龍笛響く。新人は歩みを移し蘭房を出づ。(丑が仕草をする。旦)

【前腔】残されて年少(わかきひ)(わた)るなり。残されて悩みを添へたり。(かんばせ)禍根の芽。小さからざる災を招きたるなり。おまへはわたしを酷き目に遭はせたり。

何の難しいことがあろう。

かれ[18]を損なひ、この身がかれ[19]の罠に落つるを免れん。

(浄)ながく待ち、本当にいらいらする。

(旦)とりあへずいらいらするをやめよかし。

(浄)ほんとうに花のよう、月のようだ。

(旦)言ふなかれ花のやう月のごとしと。かならずや月は缺け花は散るべし。

(丑)蓬莱の仙子は新たな(よそほひ)を試みて、おもむろに蓮歩は画堂を出づるなり。前に唱ひ後に随ふ夫婦の礼。笙歌をば、合奏し鳳は凰をぞ求めたる。(丑が仕草をする。旦)

【尾声】悲しみながらこの剛刀を手に取りて、身をぞ全うせんとせる。美貌を全うすることこそは難きなれ。

張員外さま。あなたは安心して行かれませ。

(浄が仕草をする。旦)一段の禍の根を、君のため葬り去らん。(顔を裂く仕草。衆が退場する仕草。浄)

【念仏子】あば、ずれは、いと頑固なり。口には食らふものはなく、身に衣なし。わたしはかれの美貌を憐れみ、夫妻とならんとしたれども、愚かなおまへは顔を裂きたり。満身は鮮血淋漓。自ら美貌を傷へり。わたしが心機を費やしたるも徒なりき。

【前腔】(旦)奸謀を施せる畜類どもは、富みたれど不仁不義なり。かのものの弓をな引きそ。かのものの馬にな騎りそ[20]。わたしは自ら思ひたり。家は貧しく(かんばせ)は美しければ、亭主をば、陥れ溝渠に死なしめたるなりと[21]。何の面目ありてかかれの毒計に中たるべき。

【前腔】(浄)貧しき輩は、はなはだ無知なり。柴を買ふこと束ねし桂のごときなり[22]。朝餉はあれど、夕餉なし。節を守るも無駄ならん。

(旦)節を守りて貞潔なること氷のやう。おまへたち畜類の比にあらず。犬や羊と再婚し婿にすることはあるまじ。

【前腔】(浄)大いに良からず。大いに良からず。再婚をせんとせず、花容(はなのおもて)を損なへり。さらに手を打つこととせん。

(旦)さらにおかしなことを言ひたり。さらにおかしなことを言ひたり。女はよそに(さは)にあるべし。誓ひて軽く身を棄てじ[23]。出でゆけよかし。出でゆけよかし。疾風暴雨の時さへも、寡婦(やもめ)(いへ)には入らぬもの[24]

(かほ)を損なひいと無情なり。心中は憤り穏やかならず。
逢へども馬を下ることなく、おのおのが行く手を走る。(浄末が退場。旦が弔場する。嘆く仕草)

【鎖南枝】張員外はいと不仁なり。はしなくも亭主を死せしめ、わたしに迫り、むりに結婚せんとせり。寧ろ死すとも従はじ。今裂きたれば、二人に対して安心したり[25]。倅が成長するを待ち、話をし、復讐せしめん。

花容(はなのおもて)を裂きたれば、まことに悲し。寃家[26]はこれより別るべし。
これよりは乾紅の色に染まらず。傍人に噂せらるることはあるまじ。

 

最終更新日:2008年3月1日

尋親記

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[1]原文「可知道貴妃亡國。克敗家。」。貴妃はいうまでもなく楊貴妃。緑珠は晋の石崇の寵姫。

[2]鏡のこと。鸞鏡。鸞は夫婦仲がよく、つがいを離れた鸞が鏡を見て悲しんで死んだという話が『異苑』にある。

[3]ここでは脂粉を塗った顔のこと。

[4]原文「配千里。只爲秋水多嬌」。秋水」は眼のこと。「多嬌」は美しいこと。

[5]原文「人去遠。眼中人。只爲鏡中人好。」。「眼中人」は懐かしい人。この句、自分が美しかったために、張敏に横恋慕され、夫を苦しい目に遭わせてしまったと謳ったもの。何遜『霖雨不晴懐郡中游聚』「不見眼中人、空想南山寺。

[6]イバラのかんざし、木綿のもすそ。婦人の粗末な出で立ち。それを着けた貧しい婦人。

[7]原文「那毛延壽故畫了漢昭君。未爲錯了」。漢昭君」は王昭君。毛延壽は画家。後宮第一の美人である王昭君の顔をことさらに醜く描いたため、漢の元帝は王昭君を匈奴に嫁がせた。この句、玄宗や石崇が美人のために没落したことを考えると、毛延壽がことさらに王昭君を醜く描き、元帝のもとから遠ざけたのはかならずしも誤りではなかったと述べたもの。

[8]原文「便做受之父母難全孝」。受之父母」はいうまでもなく『孝経』開宗明義身體髮膚、受之父母」に基づく句。この句、自分はこれから父母から授かった顔を損なうので、孝を全うすることはできないがということ。

[9]原文「卻不道承恩不在貌」。杜荀鶴『春宮怨』「早被嬋娟誤、欲妝臨鏡慵。承恩不在貌、教妾若為容。風暖鳥声碎、日高花影重。年年越溪女、相憶採芙蓉。」。

[10]原文「今日乘龍結鳳儔」。乘龍」は良い婿を得ること。『芸文類聚』巻四十引『楚国先賢伝』「孫儁字文英、与李元礼倶娶大尉桓焉女。時人謂桓焉女倶乗龍、言得婿如龍也。」。「鳳儔」は特に典故のある言葉ではなく、未詳だが、「結鳳儔」ですぐれた夫婦になるという方向であろう。

[11]婦女の居住する楼。

[12]原文「勝似廣寒孤眠虚度秋。」。「廣寒」は廣寒宮であり、月宮のこと。この句、郭氏を月中の仙女に喩えたもの。

[13]金釵をつけた十二美人。白居易『酬思黯戯贈同用狂字』「鍾乳三千两、金釵十二行。妒他心似火、欺我鬢如霜。慰老資歌笑、銷愁仰酒漿。眼看狂不得、狂得且須狂。」。

[14]原文「只爲鸞孤羞把菱花照」。菱花」は鏡。形が菱の花に似ているところから。「鸞孤羞把菱花照」は『太平御覧』巻九百十六引『鸞鳥詩』序「昔罽賓王罝峻祁之山、獲一鸞鳥、王甚愛之、欲其鳴而不致也。乃飾以金樊、饗以珍羞、對之逾戚。三年不鳴。夫人曰、聞鳥見其類而後鳴、何不縣鏡以映之。王從言。鸞覩影感契、慨焉悲鳴、哀響中霄、一奮而絶」に基づく。

[15]原文「若不爲兒曹。一身拚死。我將這段妖嬈呵。都喪在蓬蒿」。蓬蒿」は草むら。「喪在蓬蒿」は典拠のある言い回しかも知れないが未詳。意味は野垂れ死にすることであろう。

[16]未詳だが、銀製の燭台であろう。

[17]明るい蝋燭。

[18]顔をさす。

[19]張敏をさす。

[20]原文「論他弓莫挽。他馬莫騎。」。他弓莫挽。他馬莫騎」の句は、『無門関』四十五・「他是阿誰」に見えるが、『尋親記』での含意は、富んでいるが不仁である張敏と結婚することはしないということであろう。ただ、弓を挽いたり、馬に騎ったりすることが結婚の暗喩になるという例を知らない。

[21]原文「陷我夫身喪溝渠」。喪溝渠」は「填溝壑」に同じ。野垂れ死にのこと。

[22]原文「買柴如束桂」。未詳だが、貧乏なので、柴を買うのも桂の束を買うように難しいということであろう。

[23]原文「誓不將身來輕棄」。」は張敏に身を委ねることをこう言っているのであろう。

[24]原文「論疾風暴雨。不入寡婦門兒」。「疾風暴雨。不入寡婦之門」「疾風暴雨。不過寡婦之門」「促風暴雨。不入寡婦之門」という諺があり、それを踏まえた句。この諺の意味は、瓜田李下と同じ。俗文学に用例多数。

[25]原文「今割破。兩放心。」。兩放心」が未詳。とりあえず、顔を裂いたため、張敏には結婚を迫られなくなり、夫に対しては操を守ることができるから安心だという趣旨に解釈する。

[26]本来敵のこと。転じて恋人に対する親昵の称ともなるが、ここでは本来の意味で、張敏をさしていよう。

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