第十二齣 省夫
(末丑が登場)牢内に善人はなし。目の前に囚徒あるのみ。人の心が鉄のやうならんとも、炉のやうなお上の法には耐へられじ。このあいだ、罪人周羽がわたしの牢へきたのだが、一分一文の銀子も出さない。あいつを呼び出してこねばならない。あいつをどうにかしてやろう。囚人周羽はどこにいる。来い。(生が枷と鎖を帯びて登場)
【遶地游】陥れられ、まことに悲し。憐れなり柔弱の身は、耐へられず。
(末丑)日もすがらおまへのために苦労は多し。かねてより一口の水さへ飲まず。
(末丑)周羽よ来い。「山に関わるものは山に寄り、水に関わるものは水を飲む[1]。」おまえは入牢してこのかた、燈油銭[2]も出さず、柴火銭[3]も出さないが、どういうことだ。
(生)典獄どの。家の便りが通じないのでございます。
(丑)今日も家の便りが通じるのを待ち、明日も家の便りが通じるのを待つのか。匣牀に入れよう[4]。
(生)わたくしは誣告されてこちらに来ました。あなたに与えるお金はございませぬ。
(丑)わたしもおまえの世話はできない。(匣牀に掛ける仕草。生)おにいさん。冤罪で、どうすることもできないのです。憐れと思し召されまし。
【銷金帳】ひもすがら飢ゑに耐へ、みづから覚ゆ神魂の揺らげるを。
(生が解放を求める。丑が打つ仕草)無理に担がれ、幾たびか棒で打たれぬ。人を殺せしことあらば、そは良からざることなれば、甘んじて殺されて、拷問の棒も怨まじ。天よ。かやうに蒼蒼としたまへど、良民の冤罪をなどて鑑みたまはざる。「悪事をなさば災禍を下し、善事をなさば吉祥を降す」と言へず。
【前腔】(旦)こちらに来ると、
(生が叫ぶ仕草。旦)呻吟の響きを聴けり。誰ぞ拷問の棒に遭ひたる。
(末丑が生を打ち生が哭きさけぶ仕草。旦)この声は、まるで夫のごときなり。一たび棒で打たるれば、わたしは一寸腸を断たれぬ。
典獄どの。お開けください。
(丑)何者だ。本当に大胆な。門を開けろと叫ぶとは。こちらは立入厳禁だ。関係のない者が入ってくるのは許さぬぞ。
(旦)天よ。かやうに警備がなされたり。こなたに来、さらにまた妨害に遭ふ。
(生)本当に痛い。憐れと思し召されませ。
(旦)苦痛の声を耳にして、わたしは心を痛ませり。
憐れと思い、門をお開けください。
(丑)何者だ。
(旦)わたしはご飯を夫に送り、食べさせるのでございます。
(丑)おまえの亭主は誰か。
(旦)周羽でございます。
(丑)「乾魚を買い放生する。生死を知らない[5]。」上司は命令を下している。おまえの亭主の食を絶てとな。
(旦)憐れと思われ、夫に一目会わせてください。
(丑)昔から牢獄は風を通さないのだ。行け。
【前腔】(旦)典獄さま、お考へあれ。ひとまず門を開けたまへかし。夫に会いにゆくことを許したまへかし。一朝にして死別生離することとなりぬれば、いかでかは得棄つべき。わたしが別れを告ぐるため、いささかあちらへ行くことを許したまへかし。哀れみたまひ、しばらく会はせたまひなば、ご恩をいかで忘るべき。
(末)李にいさん。人に便宜を施せば、自分が便宜を得ようもの。周羽の妻が来たのでしたら、かならずやいささかの品物をわれらに与えることでしょう。門を開け、かれを入ってこさせましょう。
(門を開ける仕草。旦)主人はどちらにおりますか。
(丑末)来い。こちらにいるぞ。(旦が生に会い、哭く仕草)
【香柳娘】総身に刑具を帯びたまふ。総身に刑具を帯びたまふ。眼を開きおんみを見れば頭をいかで抬ぐべき。縛られ、掻かれ、吊られ、打たるることにいかでか得耐ふべき。わたしには請託をする金はなし。わたしには請託をする金はなし。なにゆゑおんみに会はんとしたる。おんみと飢寒ともにすること七八載。本日おんみは囚人となりたまへども、狼狽はともに受け得ず。
(合唱)一家の破滅を嘆くなり。一家の破滅を嘆くなり。骨肉はいずれの年に再会すべけん。悲しみて涙を落とせり。
【前腔】(生)このたびは護送せられて、このたびは護送せられて、いづれにしても仕置場にゆき屍骸とならん。女房よ。おまへは残され孤身は誰に頼らん。わたしは黄泉で瞑目し、わたしは黄泉で瞑目し、おまへが操を改むることに構はじ。
女房よ。わたしが死んだ後、
わたしの屍骸を埋葬し、わたしを無縁仏になせそ。これこそが夫妻の恩愛。(前腔を合唱)
【前腔】(旦)あなたは食べる人粧配。あなたは食べる人粧配。濡れ衣を着せられて何も罪なし。(拝する仕草)典獄さまが許したまはんことを望まん。縄を解きたまへかし。縄を解きたまへかし。一口の飯をもていささかの飢ゑを救はん。許されずんば、夫をば救はんがため、わたしが身代はりとぞならん。(前腔を合唱)
【前腔】(末丑)かれらが語り拝するを見る。かれらが語り拝するを見る。夫妻二人はげに哀れなり。
李さん。わたしとあなたはもちろんのこと、
鉄の心腸のものが見たとて愁へて遣る方なかるべし。しばらくかれを許したまへかし。しばらくかれを許したまへかし。縄をひとまず解きたまへかし。冤罪があるならば、などて官司へ訴へにゆくことのなき。
(生旦が拝する仕草。合唱)典獄さまの憫れみたまふに感謝せん。典獄さまの憫れみたまふに感謝せん。骨肉は一朝にして快適となり、恩こそは載せ難きなれ[6]。
【前腔】(生)わたしは人に陥れられ、わたしは人に陥れられ、千万の怨みをば訴へつくせず。女房よ。生離死別するならば、会ふは今回のみぞかし。わたしはかならず死すべけん。わたしはかならず死すべけん。これ以上わたしが棒もて打たるることのなきやうにせよ。
(旦)ご飯をこちらにお持ちしました。一口お食べなさいまし。
(生)おまえに夫妻の情があるなら、
すみやかにこの飯を持ち仕置場に行き、一口の涼漿[7]にして供へなば、わが魂霊は感謝せん。
(前腔を合唱。末)周羽よ。おまえたち夫婦は哭いても仕方ない。新任の知事さまはとても清廉だ。奥さんを遣わして訴状を届けにゆかせれば、許されるかも知れないぞ。
(生)女房よ。典獄さまのお導きを蒙った。人に頼んで一枚の訴状を書かせ、知事さまのもとへ訴えろ。天が憐れと思うなら、訴えが受理された時、夫婦が再会する日があろう。
(末)周の奥さん。以後飯を送ってくるな。わたしがかれに食べさせよう。
(生旦)大変ありがとうございます。
【臨江仙】この苦しみを訴ふる場所はなし。わたしの不平は天が知りたり。
(末丑)役所はつねに監獄を点検しにくる。はやく出てゆけ。はやく出てゆけ。
(生)押獄さまが考へを改めたまひたることぞありがたき。(旦)怨みを抱き怨みを含むことを訴ふ。
(衆)恩義に感じ怨恨を積むことのみが、万年千載塵を生ぜず[8]。
最終更新日:2007年12月20日
[1] 原文「管山靠山。管水吃水」。「管山的焼柴。管河的吃水」「管山吃山。管水吃水」「靠山靠山。管水吃水」などとも。自分の職場から利益を得ること。ここでは牢番が、牢の囚人から金を取り立てることの喩え。
[2] 灯油代。それに名を借りた、牢番への賄賂。
[3]薪代。それに名を借りた、牢番への賄賂。
[4] 原文「待我們匣他起來」。「匣」は動詞で、ここでは匣牀に入れること。匣牀は刑具の一種。[木匣]に同じ。鎖がついており、首、手足、胸、腹を鎖で固定する刑具。形は檻状で、針がついており、体を動かすと傷が付く仕組みになっている。呂坤『風憲約』獄政に、形状に関する詳しい記述がある。元雑劇『黒旋風』にも見える。
[5] 「死んでいる干し魚を飼って放生する」ということから、「生死を識別できない」「生死が分からない」という意味になる歇後語。俗文学に用例多数。温端政主編『中国俗語大辞典』五百三十一頁参照。
[6] 原文「感恩難載」。「載」は担うこと。担いがたいほど多くの恩に感じる。
[7]死者に供える粥。
[8] 原文「惟有感恩并積恨。万年千載不生塵」。未詳。とりあえずこう訳す。恩義に感じたり怨恨を積むことは千年万年変わることのない人間の営みだということか。あるいは、恩や怨みは千年万年忘れられることはないということか。明伝奇『千金記』にも用例あり。