第六齣 催逋
【喜遷鴬】(生が登場)両眉をしきりに皺む。乾坤に問ふ。なにゆゑ人を不遇にしたまふ。花県の征徭、衡門の貧困、両つの事は頭を掻くに堪へず[1]。
(旦)九万の鵬程は開くべし[2]。五百の青蚨はかならずあるべし[3]。
(生)女房よ。二月には新しい絲を売り、五月には新しい穀物を売る。眼前の瘡を癒し、心頭の肉を剜る[4]。人夫にされたため張員外の家へお金を借りにいってもらった。今回また期日になった。元本利息を計算したがどうして返すことができよう。
(旦)亭主どの。ほかの人なら一二百錠借りたとしても、あなたのように悩みませぬ。かれが来たとき、しばらく期限を延ばしてもらい、わたしがせっせと針仕事して、ゆるゆるかれに返しましょう。焦ってはなりませぬ。
【雁過声】(生)この一件を考へて、朝晩このことゆゑに苦しむ。
二錠のお金はもちろんのこと、
身の衣、口の食さへ十分ならず。たくさんの借金が帳消しとなるはずはあるまじ[5]。
(旦)帳消しになるはずはございませぬ。
(生)かれがお金を取り立てにきたりなば、いかにして対処せん。
(旦)しばらく期限を延ばせばよいのでございます。
(生)後先のことをまたもや考へず。
期限を延ばせと申しているが、
一日経たば一日分の利息が増すべし。
(旦)亭主どの。今酒があれば今酔うのです。
(生)明日愁へが来りなば明日愁ふるわけにはゆかじ。
【前腔】(旦)このようにひどく憂ふることはなし。かれを愁ふることもなし。
(生)どうしてかれに返したものか。
(旦)二錠の銀はわたしがすぐに工面せん。
(生)元利を計算すれば、四錠のはずだ。
(旦)先日張員外さまは言いました。
(生)何と言った。
(旦)利息は取らぬと言いました。
(生)昔から言う。「酒を飲むのは酔いを求めるため、金を貸すのは利を求めるため」と。利息を求めぬものはあるまい。
(旦)かれは金持ち。
虚言もて誘ひたることもあるまじ。
(生)前言に従わなかったらどうする。
(旦)その時はやむなくお願ひごとをせん。
(生)かれに贈り物するわけにもゆくまい。
(旦)いたしかたございませぬ。
これぞまさしく、路は険しき処に当たりて避け難く、事は所詮は儘ならぬもの。
(末が登場)頬舌をもて嬌娥に説かん。嬌娥の思ひはいかならん。紅粉は無情にて意を留むることは少なし。青蚨には限りがあれどみだりに多く書き込めり[6]。
こちらはもう周秀才の家の入り口。誰かいるか。
(生)人がおもてで叫んでいる。もしやまた黄河の工事を命じるものか。
(旦)黄河のことはもうすみました。また来るはずがございませぬ。
(生)わたしが見にゆこう。(見える仕草)足下はどちらから来られました。
(末)わたしは張員外の家のものです。
(生)執事どのでしたか。失礼しました。しばしお待ちを。(身を翻す仕草)女房よ。憂えるなと言ったが、話していると、借金取りがもう来たぞ。どうしたらよい。
(旦)かれを引き留め、入ってこさせ、お茶を飲ませて、ゆるゆると応対しましょう。
(生)執事どの。中にお掛けください。お茶を持て。(末が旦を見る仕草。生)先日愚妻がお屋敷へ行き、員外さまにお金を貸していただきました。さらに奥さまのお持てなしを蒙り、重ねて足下にお世話していただきました。
(末)とんでもございません。女主人は奥さまがすぐにお帰りになったと言っていました[7]。大変失礼いたしました。
(旦)大変ありがとうございました。大変ありがとうございました。
(生)女房よ、お茶を持ってこい。
(旦が退場。末)員外は朝に言いました。おまえは南荘へ取り立てにゆくが、周先生の家の入り口を通ったら、入ってゆき、周先生に、訴訟はどうなりましたかと尋ねろと。そのため軽々しくお訪ねしたのでございます。
(生)訴訟などございませぬ。以前黄河が決潰したため、わたしが人夫となるように命ぜられた一件では、員外さまにはたいへんご心配していただきました。
(末)黄河工事の件ですが、員外が手紙で、府なり県なりに言いさえすればよいのです。お金を使うことはありません。員外はもちろんのこと、わたしでも一二割は知っています。
(生)そうなのですか。まったく存じませんでした。さきほど愚妻とこちらでお金の事を話していたところです。たまたま執事どのがいらっしゃいました。
(末)まだ期日に達していませんから、気に掛けることはございません。
(生)期日に達していませんが、日夜心配しております。
(末)先生の方から仰いましたから、申しあげましょう。員外のお金は、一日はやく返せば、一日の利息を払わないですみます。期日になれば、四十錠になります。
(生)ご冗談を。わたしは二錠を借りただけ。元利は四錠だけのはず。
(末)四十錠です。
(生)四十錠なら、わたしの家ではございませぬ。間違いです。
(末)間違うはずがありません。その時の直筆の証文を作りましたか。
(生)はい。
(末)員外さまの証文は、すべてわたしが管理しています。今日は持ってきただろうか。
(生)持ってきたなら、見せてみてください。みんな了解するでしょう。
(末が調べる仕草。証文を読み上げる仕草)証文作成者周羽。羽の字は羽毛の羽。こちらにあります。
(生)見せてください。
(末)以前、一人の友人が貰って見ると、すぐ引き裂いてしまいました。その後わたしが代わりに員外に返しました。
(生)わたしはそのような人間ではございません。
(末)そうはいっても、君子と小人は同じではございませぬ。遠くでご覧なさい。
(生が考える仕草)そうか。これはまずい。女房よ、はやく来い。
(旦が登場)どうしました。
(生)はじめおまえに空欄のある証文を与え、一錠を借りたら一錠と書き込むように命じたが、書き込んだか。
(旦)わたしはあなたを救おうと焦っていたため、書き込みませんでした。
(生)怨みに思うぞ[8]。このような小さなこともおまえに頼めないとはな。どうしたら良いだろう。
(旦)員外がこのように性悪だとは。このようなろくでもない事をするとは。
(末)夫婦二人で、怨む振りをなさいますな。四十錠のお金を、返さぬというのではありますまいね。
(生)返さぬ筈がございませぬ。四錠ならば期日に送り返しましょう。四十錠なら、もちろん返しませぬ。
(末)そう仰ってはなりませぬ[9]。相談しましょう。あなたの家にはどのような田地家屋がありますか。十両の値のものを十五両とし、あなたのために員外の面前で便宜を図ればよいでしょう[10]。
(生)明らかに面と向かって人を馬鹿にしていらっしゃる。売るための田地があったら、借金を申し込みにはゆきませぬ。
(末)装身具や金珠があれば、員外も欲しがるでしょう。
(生)あるはずがございませぬ。
(末)二つともございませんか。どうなさるのです。ちょっと来てください。いっしょにおもてで話しましょう。
(旦)どこへ行きます。こちらでお話しください。
(生)細心にすべきなのに細心にしなかった。先日、証文に二錠と書き込めば、このようなことにはならなかった。
(末)打ち明け話をいたしましょう。わたしの家には空き部屋がございます。先生と奥さまはこちらで苦しんでいらっしゃいます。うちの員外のところへ引っ越して住まわれるのがよいでしょう。先生は門前でいささかの帳簿を管理し、奥さまは中で楽しく暮らすのです。とりあえず質草になされてはいかがでしょう。
(生)わたしは借金をした寒儒だが、女房を売る下僕ではない。(末を打つ仕草)
【女冠子】わが妻は金を借るとて証文を持ちゆきて、はからずもかのものの謀略に嵌りたるなり。二十錠と偽りの記載をし、みだりに請求しにきたり。利息はいらぬと申したり。
員外どのに申しあげよう。
君子は財を愛せども、取るときは理に従へり[11]。人が悪しければ人は恐れど天は恐れず。人が善ければ人は苛むれど天は苛めず[12]。
(合唱)今いかにして手を打たん。
【前腔】(旦)かの時はひたすら色好きことを言ひたり。かのものの毒計に嵌まるとは思ひもよらぬことなりき。罠に落つるをつとに知りせば、寧ろ死に甘んじて人夫とならまし。一身は命を懸けて、誓ひて他志なし。君に勧めん。疚しき事をするなかれ。東嶽にあらたに速報司を添へん[13]。(前腔を合唱)
【前腔】(末)金を借るとき富豪を怨みそ。よもや返さぬ道理はあるまじ。善意もて憐れみて済ひしに、今日になり拒むとは。忠言をもておまへに勧めん。信じざることは勝手なれども、
うちの員外は性根が悪い。
崖にて馬を滑らさば韁を引くとも遅からん。江心に船が到らば穴を塞ぐとも遅からん。
(前腔を合唱)周羽よ。よくも殴ったな。金を返せ。
(生)金を取り立てんとすれど今はなし。(旦)口は甜きも心は苦く意はいとも冷たし。
(末)酒席で語らざるものが真君子。(衆)財貨をごまかさざるものが大丈夫。
(末が退場。生旦が弔場する。旦)亭主どの。不当なお金は返すことはございませぬが、どうしてさらにかれを打たれる[14]。
(生)おまえは存じておらぬのだ。あいつはわたしに指示をして、あいつの家の帳場で帳簿を管理させ、おまえを質草にさせようとしたのだ。だからわたしはあのようにしたのだ[15]。
(旦)そのように憎らしくても、狗畜生を打つのはお控えなさいまし。(退場)
最終更新日:2007年12月24日
[1] 原文「花縣征徭。衡門貧困。兩事不堪搔首。」。「花縣」は県政をいう。晋の潘岳が河陽県令となったとき、県中に桃の花を植えたという、『白孔六帖』巻七十七の故事にちなむ言葉。「征徭」は賦税と徭役。「衡門」は木を横たえて作った門。転じて隠者の住まいをいう。「搔首」は焦ったり、物思いしたりするときの動作。この句、県からは徭役を割り当てられ、家は貧しく、焦燥に堪えないという趣旨に解す。
[2] 原文「九萬鵬程須展」。「鵬程」は鵬の行く道のり。九万里とされる。『荘子』逍遙遊「鵬之徙於南冥也、水撃三千里、搏扶揺而上者九万里」。この句、鵬が九万里のかなたに飛ぶように、科挙に合格して雄飛することを述べていよう。
[3]原文「五百蚨終有」。未詳。科挙に合格して雄飛すれば、大金を稼ぐこともできようということか。
[4] 原文「二月賣新絲。五月糶新穀。醫得眼前瘡。剜卻心頭肉。」。唐の聶夷中「傷田家」の詩の文句。「醫得眼前瘡。剜卻心頭肉。」は諺としても用いられ、一時の急を救ったために、多くの代価を払うことになることをいう。
[5] 原文「許多錢終不得干休」。「干休」はここでは取り立てをしないことであろう。
[6] 原文「蚨有數謾塡多」。未詳。借りた金額はわずかであったがたくさんの金額を書き込んだという趣旨に解す。
[7] 原文「院君説大娘子來促了。」。「促」が未詳。とりあえずこう訳す。
[8] 原文「只道我埋寃你。」。未詳。とりあえずこう訳す。
[9] 原文「不要是這等講」。未詳。とりあえずこう訳す。あるいは「不」は衍字で「そう仰るなら」ということか。
[10] 原文「値十兩的擡做十五兩。我與你在員外面前方便。就是了。」。田地家屋で借金返済をする際、十両のものを十五両として計算し、便宜を図ってやろうということ。
[11] 原文「君子愛財。取之有理。」。『五灯会元』巻十五「君子愛財。取之以道。」。
[12] 原文「只怕人惡人怕天不怕。人善人欺天不欺。」。「人惡人怕天不怕。人善人欺天不欺。」は諺。
[13] 原文「勸君莫作虧心事。東嶽新添速報司。」。「東嶽新添速報司」という言葉は『瀟湘雨』第二折にも見える。「東嶽」は泰山。死者が行くとされている山。この句、疚しいことをすると冥界に即座に報告されてしまうぞという趣旨であろう。
[14] 原文「不該錢又沒得還他。怎麽又打他。」。「不該錢又沒得還他」が未詳。とりあえずこう訳す。
[15] 原文「我到是那話兒。」。未詳。とりあえずこう訳す。