第四齣 遣役

【青玉案】(旦が登場)奇すしき花は東君の力を得るなく、深き(には)にて栽うる人なし[1]。嫩顔嬌姿は岑寂に甘んぜり[2]。凄涼寥落、等閑にむなしく過ごし、両の涙はしきりに滴る。

わたしはもともと郭氏の娘。今は周家の妻となりたり。良人(おつと)の家はもとより貧しく、わたしは労苦を避けんとはせず。桑を採る南陌の(ほとり)、水を汲む西澗の(きし)(いばら)(かざし)(あたひ)なく、(もめん)(もすそ)が破るればひとまず繕ひ、婦道を(そこな)はんことをしぞ恐れたる。いかにして父母(ちちはは)にお礼せん。譬ふれば憔悴したる松のごと、非所(あしきところ)に絲蘿は絡まる[3]。陽春が一朝にして生じなば、枯松は翹楚となりぬべし[4]。これは女蘿の根、いかで荊布の(なかま)とならん[5]。言はんとすれば婦儀を執り[6]、正しき心を保ちつつ君子に事へん。

わたしは周秀才の妻。夫は家が貧しいため、日々憂えている。かれが出てきたときに、慰めれば、どれほどよいか。

【一翦梅】(生)ひねもす愁へ書を読むことこそ懶けれ。誰か寒儒を思ふべき。誰か寒儒を(すく)ふべき。そぞろに思へば家に賢き妻はあれども、愁眉を解くは難きなり。愁眉を展ぶるは難きなり。

(見える仕草。旦)亭主どの。昔から「君子は道を謀れども食を謀らず。道を憂へて貧を憂へず[7]。」ともうします。原憲は鶉衣百結[8]。顔子は箪瓢陋巷[9]。阮宣子は家に担石なく[10]、范史云は甑に塵を生じました[11]。これらの君子は、天命を弁えていました。とりあえず貧乏に安んじて、道義をお守り、一挙に名を成すことをお待ちなさいまし。いつまでもこのように苦しいことはございますまい。

(生)女房よ。腹に教養が満ちていても、嚢中に金銭があるのには及ばない。「飢うれば空しき牀に拠れども、一字さへ煮るに堪へず。」とも言われている。貧乏に安んじ、道義を守るべきことは、もちろん弁えている。しかし身に着ける衣、口に入れる食べものは、手に入れることができない。どうしたらよいだろう。

(嘆く仕草。旦)亭主どの。

【酔太平】嘆息したまふことなかれ。思へば古来聖賢は、みな災厄を経たるなり。陋巷に箪瓢せしとき、顔子には憂色なかりき[12]。思へば昔、食糧を絶たるれど陳蔡にひとり絃歌し、夫子には憂戚(うれへ)なかりき[13](ふみ)を読み、道を守らば、他日おのづと栄達すべけん。

【前腔】(生)しかれば家には四壁あるのみ。貧窮に安んじて、正道を楽しむことを、わたしはなどか知らざらん。いかんせん衡門に(むしろ)を掛けて[14]、家は空しく担石もなし。あな悲し。空しき甑にひそかに塵を生ぜしことは幾たびぞ[15]。この光景(ありさま)にいかで耐ふべき。むなしく五車の書籍(ふみ)はあれども、貧窮(まづしさ)のたちまちに迫るを救ふことを得ず。

【不是路】(丑末)事態はすでに逼りたり。命令は緊急にして旦夕に迫りたるなり。

こちらだな。すぐに入らなければならない。

(生)保正さまはどちらから来られましたか[16]

(丑末)黄河の堤を築くため、お上はおまへに人夫となるを命じたまへり。

(生旦)まことに思ひがけなきことぞ。痩せたる書生は力なし。身は一人にて兄弟(いろせ)なく、口には食を欠けるなり[17]。他人を選び、憐れと思ひ、わたしの名前と換へたまへかし。

(末)まことに物分かりが悪し。お上は帳簿を作りたまひて、人を数へてみな登記したまへり。役所へ行けかし。

(生)行けませぬ。

(丑)おまえが頑としてゆかなければ、わたしが責めを受けるだろう。

(生旦)涙はむなしく滴れり。千辛万苦をことごとく遍歴したり。夫と婦が別るとも(なんぴと)か痛惜すべけん。この堤をばいかで築かん[18]。黄河の岸で鬼となるべし。

(丑末)むなしく憂ふ。むなしく憂ふ。

【白搗練】(丑)わたしが話をせんとせば、またも窮迫せりと言ふ。過分に求めたるにはあらねど、

周先生。

買収をする金があるなら、怨むことなく、惑ふことなかるべし。

(生旦)飢寒に耐へて、岑寂に甘んじたれば、お金を求めど、などてかは百貫を得ん。

(丑)(かんざし)(くし)などがあればまあよいのだが。

質草にする(かんざし)(くし)もなし。(なんぴと)に借金を申し込むべき。(なんぴと)に求むべき。

(末)かれの言葉を聴きたれど、かれらは事情を理解せず[19]

(丑)金のなき時は借るべし[20]。目下、文書は緊急のものにして、お上は期限を設くれば、時を遅らすべきにはあらず。

(生旦)独りの身には、凄涼(さびしさ)はすでに極まる。はからずも役所の仕事に遭ひたれば、夫と(つま)は引き裂かれたり。

【尾声】(末)二人して悲しみ啼くに何の益ある。

(生旦が拝する仕草)もしも援助を賜はらば大徳にしぞ感ずべき。

(丑)そのように拝礼しても無駄だ。

青蚨(かね)のみが上策ぞかし。

(生)保正さま。あなたは間違っています。生員吏戸[21]はみな労役を免れていますのに、どうしてわたしを遣わすのでしょう。

(丑が仕草をする。末)この県の知事さまが命令しているのに動かないのか。おまえといっしょに知事さまに会いにゆこう。

(丑が宥める仕草。末)黄保正よ。おまえはわたしが人を捕らえることを許さないが、期限に遅れ、わたしが苦しみを受けにゆくときは、おまえもきっと逃れられぬぞ。

(丑)とりあえず腰掛けろ。慌てるな。わたしがかれに話すとしよう。

(末)何か話があるのなら、お上に会いにゆくとしよう。

(丑)捕らえてお上に会いにいっても、板子で二十回打たれ、拶子に掛けられるだけだ。まさかあいつが死罪に問われるわけでもあるまい。周先生。これは何です。

(生)それは人を縛る縄です。

(丑)愚かなお方だ。これは人を縛る縄とはいわれず、銅銭を貫く縄と呼ばれています。銅銭銀子をお持ちなら、すこしお出しなさい。あなたのために人を雇って人夫としましょう。

(生)一貧は洗うかのよう。どこから持ってこられましょう。

(末)考えを誤られてはなりません。わたしが銀子を求めているのは、持ってゆき棺を買うためでも、死人を火葬するためでもありません。あなたをお上に会いにゆかせて人夫とするしかありませんね。

(丑)かれはどうして人夫となることができましょう。(身を翻す仕草)わたしに考えさせてください。

(生)お話をお聞かせください。

(丑)方策がございます。

(生)どのような方策がございましょう。ございますなら、すぐにあなたに従いましょう。

(丑)前村の張敏員外は、たくさんお金を貸しているから[22]、いささか借りてきてはどうか。わたしはあなたとは親友だから、あなたがこんなに苦しんでいるのを見れば、あなたのために力を出さないわけにもゆくまい。あなたのために江山白をいささか煎じ、上下の役人たちに飲ませて、一人の男を雇って身代わりにすればよい[23]

(生)平素馴染みがございませぬから、貸そうとはしないでしょう。

(丑)かれは利息だけを求めているから、知り合いか否かは問題にしない。

(生)それならば、下役どの。わたしを釈放してください。借りにゆき、すぐに戻ってまいりましょう。

(末)おまえは役所で働く人員だ。おまえが行ったら、わたしはどこに捜しにゆくのだ。

(生)銀子を借りるには、わたしが行かなければなりませぬ。

(丑)周先生。あなたは役所で働く人員ですから、このひとはあなたを放そうとはしません。奥さんに借りにゆかせればよいでしょう。

(生)あれは女ですから、行けませぬ。

(丑)また分からないことを仰る。この期に及んで、まだ太平楽を仰いますか。

(生)女房よ。仕方ない。おまえが行くしかないな。はやく紙と筆を取ってこい。

(旦が渡す仕草。丑)多めに借りましょう。少なければ足りません。

(生が書く仕草)証文作成者周羽。金銭が不足しているため、張さまのもとで銀を借用いたしたく…(止める仕草)ちょっと待て。女房よ。張員外がわたしに貸してくれるかどうかは分からない。証文に空欄を作っておくから、行って一錠を借りたら、一錠と書き込み、二錠を借りたら、二錠と書き込め。決して忘れてはならないぞ。

(旦)かねてから閨門を出たことがございませぬから、行けませぬ。

(生)わたしが死ぬのを見ているわけにもゆくまい。

(旦)わたしはよその家に行き、いかにして借金を申し込むべき。(生)借りにゆかずば黄河の工事を命ぜらるべし。
(末)
路は険しき処に当たれば避け難し。(丑)物事は結局は儘ならぬもの。

(旦が先に退場する仕草。末)いっしょに県庁の前へゆこう。(丑が引く仕草)かれはもう銀子を借りにいったのだ。そのようにすることはない。わたしの家へ行けばよい。

(生が内に向かって叫ぶ仕草)女房よ。銀子を借りたら、すぐに黄保正の家へ行け。(内旦が応える仕草)

 

最終更新日:2008年1月2日

尋親記

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[1]原文「奇花不得東君力。深院無人與栽植。」。「東君」は春の神。ここでは夫以外の男の喩えか。この句、「奇花」は郭氏を指しており、郭氏が深閨にあって純潔を保っているさまを謳ったものであろう。

[2]原文「嫩臉嬌姿甘岑寂。」。「嫩臉」は軟らかい顔。「嬌姿」は美しい姿。「岑寂」は寂寞。

[3]原文「譬如憔悴松。絲蘿托非所。」。「憔悴松」は貧しい周家の喩えであろう。「絲蘿」は松蘿などの蔓性植物。婚姻の喩えとしても用いられる。「絲蘿托非所」は貧しい周家に郭氏が嫁いだことを喩えていよう。

[4]原文「陽春一旦生。枯松在翹楚。」。「在」が未詳。とりあえずこう訳す。「翹楚」は傑出したもの。『詩』漢広「翹翹錯薪、言刈其楚」。

[5]原文「此是女蘿根。豈爲荊布伍。」。「此是女蘿根」が未詳。女蘿はサルオガセ。「荊布」は荊釵布裙のこと。イバラのかんざしと木綿のもすそ、それを着けた貧しい女性のこと。

[6]原文「願言執婦儀」。「願言」と「執婦儀」の関係が未詳。とりあえず、話をしようとするときは婦人の執るべき規範に従うという趣旨に解す。

[7]原文「古云君子謀道不謀食。憂道不憂貧。」。『論語』衛霊公「子曰、君子謀道不謀食。耕也、餒在其中矣、學也、祿在其中矣。君子憂道不憂貧。」。

[8]原文「原憲鶉衣百結。」。「鶉衣百結」は衣服がぼろぼろの喩え。趙蕃『大雪』「鶉衣百結不蔽膝、恋恋誰憐范叔貧。」。原憲が貧しかったという話は『荘子』譲王「原憲居魯、環堵之室、茨以生草、蓬戸不完、桑以為樞而甕牖、二室、褐以為塞、上漏下湿、匡坐而弦。」。ただ、「鶉衣百結」であったという記載はない。

[9]原文「顔子箪瓢陋巷。」。「顔子」はいうまでもなく、孔子の高弟であった顔回のこと。『論語』「子曰、賢哉、回也。一箪食、一瓢飲、在陋巷。人不堪其憂、回也不改其樂。賢哉、回也。」。

[10]原文「阮宣子家無擔石。」。阮宣子は晋の阮修。「家無擔石」の典拠は未詳だが、貧しかったことは確かなようである。『晉書』阮修伝「脩居貧、年四十餘未有室。」。

[11]范史云は後漢の范冉のこと。范丹にも作る。貧乏で、に塵が生じていたという、『蒙求』「范冉生塵」の故事で有名。

[12]原文「箪瓢陋巷。那顔子未有憂色。」。前注参照。

[13]原文「絶糧陳蔡自絃歌。那夫子幾曾憂戚。」。孔子が陳蔡でその土地の大夫たちに包囲され、食糧を絶たれたが、絃歌していたという話は『史記』孔子世家「孔子遷于蔡三歳、呉伐陳。楚救陳、軍于城父。聞孔子在陳蔡之閨A楚使人聘孔子。孔子將往拜禮、陳蔡大夫謀曰、孔子賢者、所刺譏皆中諸侯之疾。今者久留陳蔡之閨A諸大夫所設行皆非仲尼之意。今楚、大國也、來聘孔子。孔子用於楚、則陳蔡用事大夫危矣。於是乃相與發徒役圍孔子於野。不得行、絶糧。從者病、莫能興。孔子講誦弦歌不衰。子路慍見曰、君子亦有窮乎。」孔子曰、君子固窮、小人窮斯濫矣。」。

[14]原文「爭奈衡門掛席」。「衡門」は木を横たえて作った門。転じて隠者の住まいをいう。

[15]原文「幾番空甑暗生塵。」。貧しくて炊飯せず、甑に塵が生じたという話は前注参照。

[16]原文「保正首領何來。」。「首領」が未詳。

[17]原文「身隻單丁口欠食」。「單丁」は兄弟のない成年男子をいう。

[18]原文「這堤怎塞」。未詳。とりあえずこう訳す。

[19]原文「聽他言。不明白。」。「不明白」が未詳。金を借りて自分たちへの賄賂にすればよいことを、周維翰夫婦が理解していないという趣旨に解す。

[20]原文「沒錢時須當借易」。「借易」が未詳。とりあえずこう訳す。

[21]未詳だが、下役をしている者がいる家であろう。

[22]原文「前村張敏員外。廣放生錢。」。「前村」「廣放生錢」が未詳。とりあえずこう訳す。

[23]原文「我就替你煎些江山白兒。上下用一用。顧一個人代替就是了。」。「江山白兒」は未詳だが、文脈からして賄賂の隠語であろう。

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