第三齣 修築

【菊花新】(小生が登場)歌謡は道に満ち伝へられ[1]、名は四海にぞ香りたる。黄河は溢れてかく洶茫[2]たり。風波をいかで防ぐべき。

本官は封丘の県宰。雉錦の才ではないものの[3]、鳴琴の政を忝のうしている[4]。桃李は争って開き、河陽一県の吏治をなしている[5]。松菊[6]は恙なく、彭沢三径の襟懐がある[7]。桑雉は馴れず[8]、粟鶏は(くら)い難い[9]。黄河は決潰し、波は蛟龍を怒らせている。瓠子堤[10]は崩れ、民は魚鱉[11]に隣している。朝、人を遣わして探りにゆかせた。どうなっただろう。あのものが戻ってくれば、ことが知れよう。

【劉袞令】(末が登場)黄河は溢れ、黄河は溢れ、千里に怒涛は生じたり。百里の民家は、漂ひてすでに没しぬ。風波はいささか収まれど、災禍はなほも憫れむべきなり。瓠子堤を築きなば、風波ははじめて収まらん。

(見える仕草。小生)黄河の決潰を探ったが、事態はどうだった。

(末)大いに溢れておりまする。

(小生)どのようなありさまだ。

(末)日月は暗く、雷霆は轟いています。惨惨黯黯とした数重の雲霧が、天地を覆っています。凜凜烈烈とした幾陣かの猛風は、山岳を揺るがしています。浪は滔滔として万丈の雪山のよう。天を打ち、太陽を拍っています。雨は瀟瀟として千条の銀燭のよう。平地に瀉げばにわかに滄海となっています。ひもすがら淅淅溹溹、豁豁喇喇[12]。家屋は吹かれ、東に倒れ、西に歪んでおりまする。県全体が傾傾動動、倥倥偬偬[13]。民草たちは脅えて手脚をあたふたとさせています。巉巉岩岩、崎崎嶇嶇とした、高山の樹木はすべて抜かれて倒れました。惜しいことに、嗶嗶剥剥、叮叮噹噹[14]、簷の瓦は捲きあげられて飛ぶかのよう。湿湿淋淋[15]。眼はありますが開けるのは難しゅうございます。客人(たびびと)たちは脅えて路に出ようとしませぬ。戦戦兢兢として、足はあっても進むのは難しゅうございます。虫けらは打たれてなかばは深林で死んでいます。たちまちに波涛に覆われ、たちまちに雲霧に包まれ、万丈の神光は、閃閃爍爍、燦燦爛爛、掣電(いなづま)が明るさを争っているかのよう。数層の殺気は、昏昏沈沈、陰陰深深として、奇花が乱れ咲いているかのよう。払払霏霏として、三春[16]の驟雨のよう。轟轟劃劃として、九夏[17]の雷鳴のよう。陽侯神、霊胥神、夷神、海若神、天呉神、壬癸神が誰と闘っているのかは分かりませぬ。おそらくは川君、洞庭君、南海君、宮亭君、丹陽君、北海君でございましょう。それぞれ霊威を示しています。これぞまさしく、黎民は難に遇ひまことに哀れ。瓠子堤は崩れて潮はまさに来れり。高きこと禹門三級の浪のやう、険しきこと平地一声の雷のやう[18]

(小生)この地方は誰が管轄しているのだ。

(末)黄徳保正でございます。

(小生)はやく呼んでこい。

(末が返事して退場。叫ぶ仕草。丑が登場)

【柰子花】保正の仕事に当たるは難し。仕事は日夜つねに忙し。瓠子を修築し労苦は多し。いささかも嘘を言ふのはままならず。ぐづぐづとせば捧をもて殴られんのみ。

(見える仕草。小生が尋ねる仕草)保正よ。黄河は溢れ、瓠子堤は崩れた。はやく民家に報せて修理させろ。

(丑)知事さまは誰に報せて修理させよと仰るのです。

(小生)民家を三等に分けろ。上等は銀子を出させ、木石を買わせろ。中戸は人夫にしろ。下戸には労役を課するな。生員吏戸には情実を加えよ[19]。半月以内に修理を終えろ。

(丑が言上する仕草)土地は広うございます。知事さま、幾日か期限を緩めてくださいまし。

(小生)仕方ない。一月を期限にしよう。快手[20]を呼び、今すぐに黄徳とともに行け。

【柳絮飛】とりいそぎ黄河の堤を、黄河の堤を修築せんとす。かならずただちに調へよかし。調へよかし。力を併せ、心をともにし、修理しにゆけ。民家、民家を救はんとせり。

(合唱)万の危難を免れば、県ははじめて収まらん。

【前腔】(丑末)わたくしはつつしんで御諚、御諚を受くるなり。修築をぐづぐづ、ぐづぐづしやうとはせず。愚民の従はざることあらば、知事さまがわたしのために捕らへにゆかん、捕らへにゆかんことを望まん。(前腔を合唱)

千里の河流を修築し、堤防をすみやかに修めてん。
法を恐れば朝朝楽しみ、公を欺かば日日憂ふべし。

(丑末が弔場する)お上の法に従ひて、一棒のもとに打ち殺すべし。大戸は分けて、銀子を求めることにしよう。中戸には木石を買わせ、下戸は人夫にしよう。

(末)(いづ)れの官に私心なからん。(いづ)れの(かは)(うを)なかるべき。いづれの家へ手を着けん。

(丑)周羽の家へ行こう。あいつは懦弱な儒者だから、あいつに手を着けるとしよう。

計は()り月中に玉兔を捕らへ、謀は成り日裏に金烏を捉ふべし。

 

最終更新日:2008年1月5日

尋親記

中国文学

トップページ



[1]原文「歌謠滿道傳揚。」。人民によって政績を歌にして唱われることであろう。『隋書』王韶伝に「前任趙州、暗於職務、政由群小、賄賂公行、百姓籲嗟、歌謠滿道。」とある。これは悪い政治家のことを歌謡にした例のようである。

[2]未詳だが、水が広範囲に渡って逆巻くさまであろう。

[3]原文「才非雉錦」。未詳。華やかな才能はないがということか。

[4]原文「政忝鳴琴」。「鳴琴」は宓子賤が旦父県を治めたとき、役所で琴を弾いていたが、県はよく治まったという、『呂子春秋』察賢に見える故事に因み、為政者が政務に励まなくても、人民がよく治まることをいう。

[5]原文「桃李爭開。河陽一縣之吏治。」。「桃李」は賢者を喩える。則天武后が狄仁傑に、「天下の桃李は、悉く公の門にあり」といった、『資治通鑑』唐則天后久視元年の故事に基づく。河陽は河南省の地名。晋代、潘岳がここの令となり、県中に桃李を植えたことで有名。この句、部下に賢者が多いことを述べたものか。

[6]松、菊ともに寒さにも枯れることがないため、志操堅固な者の象徴。陶潜『帰去来兮辞』「三径就荒、松菊猶存」。

[7]彭沢はそこの県知事であった陶潜のこと。前注参照。

[8]原文「桑雉未馴」。「桑雉」は徳政を行うこと。漢の魯恭が中牟の令をしていたとき、査察の使者が中牟に来て、桑の木の下で休んだ、そこに雉が飛んできたが、そばにいた子どもは雉を捕らえようとはしなかった、役人がどうして雉を捕らえないのかと子どもに問うと、子どもは「雉がこれから雛を育てるから」と答えた、使者は魯恭の政治が良いため子どもまでが仁心を持つようになっているといって褒め称えた、という『後漢書』魯恭伝に見える故事に基づく言葉。この句、自分は徳政を行うのに慣れていないと謙遜したものか。

[9]原文「粟鶏難飯」。未詳。徳政を施さないため、人民が貧しく、食糧がない、の意か。

[10]河南省にある堤の名。『史記』孝武本紀「還至瓠子」注「集解服虔曰、瓠子、隄名。」。

[11]さかなとスッポン。

[12]原文「鎭日間只聽得淅淅溹溹。豁豁喇喇。」。「淅淅溹溹豁豁喇喇。」は擬音。さらさら、ざあざあ。

[13]原文「滿縣中只見傾傾動動。倥倥偬偬。」。「傾傾動動」「倥倥偬偬」ともに擬態語。「傾傾動動」は大騒ぎするさま。「倥倥偬偬」は窮迫するさま。

[14]「嗶嗶剥剥」「叮叮噹噹」ともに瓦が飛び、割れる擬音語。ぴっぴっぱっぱっ。てぃんてぃんたんたん。

[15]ここでは雨に降られてびしょびしょになるさまであろう。

[16]晩春。

[17]夏期。

[18]原文「高似禹門三汲浪。險如平地一聲雷。」。「三汲浪」は「三級浪」の誤字であろう。禹門は山西省河津県と陝西省韓浄県の境にある水門。禹が開鑿したと伝える。「平地一聲雷」は突然鳴り響く雷。「禹門三級浪」は科挙の難関、「平地一聲雷」は科挙に合格することの喩えとして、俗文学でしばしば用いられるが、ここではそうした含意はない。

[19]原文「生員吏戸量情」。未詳。とりあえずこう訳す。「吏戸」は未詳だが役所の下役の家であろう。

[20]捕り手。

inserted by FC2 system