第二齣 対雪

【称人心】(生が登場)彤雲は靉靆として、茅屋はにはかに銀世界となる。凄涼寥落、くはふるに餓ゑ凍えたり。梅の花、疎らなる竹[1]に対して、憔悴に堪ふることなし。柴門(しばのと)はなかば掩はれ、誰かは戴を訪ぬべき[2]

(かし)がざれば井は朝に凍え、(ふすま)がなければ(とこ)は夜に寒きなり。嚢は空しく不如意を恐れ、一文銭を留めたるのみ。

わたしは姓は周、名は羽、字は維翰といい、本籍は河南府封丘県の人。妻郭氏がおり、夫妻二人は、半生不運で、あらゆることがうまくゆかない。五車の書を読んではいるが[3]、空しく労し、困窮し、陋巷に箪瓢している[4]。この憂えには堪えられない。雷は薦福に轟いている[5]。天はどうしてわたしを苛める。これぞまさしく、歳月は無情にて頭はやうやく白くして、天地はかくも大なれど(まなこ)は誰か青からん[6]。楚国の屈原に学ぼうとして、まるで江潭[7]に放たれたよう。首陽の伯夷のように貧しく、薇を採って食べようとする。宝剣瑶琴[8]、雄心はなおもある。玉堂金馬[9]、望んでもむなしく遠い。千鍾の酒を飲んだとて、ほんとうに口を開いて笑うのは難しく、七歩の詩を作っても[10]、吟じるのは断腸の声であろう。これぞまさしく、富貴はすべて勤苦より得るものにして、書を読まばいかでかは飢ゑ凍ゆべき。思えば書を読む人たちは、

【懶画眉】鳳閣[11]鸞台[12]に棟梁の材となり、芸省[13]蘭堂[14]に詞賦の魁となる。玉堂金馬[15]の天街[16](めぐ)るものもあり、閫帥[17]琴堂[18]の宰となるものもあり。(ふみ)は読めども、十たび朱門に謁するに九たび開かず[19]

【前腔】蓉褥花茵[20]に暖かければ相寄りて、着るは紫綬羅欄[21]錦繍、用ゐるは銀瓶犀筯[22]薦金[23]の杯。眠るは翠被[24]香衾[25]ぞ。書は読めど、寒炉に一晩灰をかきたてつくすなり[26]

彤雲は密に布き海天低く、畏るべし連朝(あさなさな)六出(ゆき)の飛べるは。
江上晩来舟満載し[27]、漁翁は玉簑を羽織りて帰る。

 

最終更新日:2007年11月3日

尋親記

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[1]間竹は未詳。まばらな竹か。

[2]原文「有誰訪戴」。晋の王徽之が大雪を冒して剡渓に戴逵を訪ねたが、途中で会わずに帰ったという『世説新語』任誕の故事を踏まえた句。

[3]車五台分の書物。『荘子』天下「惠施多方、其書五車」。

[4]原文「箪瓢陋巷」。『論語』雍也「子曰、賢哉回也。一食、一飲、在陋巷。」

[5]原文「雷轟薦福」。范仲淹が鄱陽を治めたとき、貧しいが詩の上手な書生のために、欧陽率更の薦福碑の拓本をとり、京師で売ることを計画していたが、薦福碑に雷が落ち、計画が頓挫したという、『墨客揮犀』に載せる話に典故を持つ言葉。ここでは不遇であることのたとえ。なお、元曲に『薦福碑』あり。

[6]原文「乾坤許大眼誰青」。世界は広いが誰も自分に好意的な目を向けてくれない、の意。

[7]川のほとり。『楚辞』漁父「屈原既放、游於江潭」。

[8]剣と琴は書生の持ち物。

[9]翰林院の雅称。

[10]原文「便做詩成七歩」。いうまでもなく、曹植が曹丕に命ぜられ、七歩歩くうちに詩を作ったという『世説新語』文学の故事を踏まえた句。

[11]中書省の雅称。

[12]門下省の雅称。

[13]秘書省の雅称。

[14]蘭台に同じいか。だとすれば、これも秘書省の雅称。

[15]翰林院の雅称。

[16]都大路。

[17]地方の軍。

[18]地方の官署。

[19]原文「教我十謁朱門九不開」。十謁朱門九不開」は貴人になかなか会えないことをいう常套句。元曲などに用例多数。『玉壺春』『看銭奴』『牆頭馬上』『漁樵記』『裴度還帯』などに用例あり。

[20]蓮や花を縫い取りした布団。

[21]うすぎぬの襴衫。

[22]犀角の箸。

[23]未詳。

[24]カワセミの羽布団。

[25]香を焚きしめた布団であろう。

[26]原文「教我撥尽寒炉一夜灰」。撥尽寒炉一夜灰」は貧士の境涯を表す常套句として戯曲小説に用例多数。元曲では『貶黄州』、『調風月』、『倩女離魂』などに用例あり。

[27]満載しているのは雪であろう。

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