巻十
○琴曲宮十小調
世に琴曲宮声十小調[1]を伝えているが、すべて隋の賀若弼[2]が作ったもので、絶妙である。一は『不博金』、二は『不換王』、三は『浹泛』、四は『越溪吟』、五は『越江吟』、六は『孤猿吟』、七は『清夜吟』、八は『葉下聞き蝉』、九は『三清』、十はその名を失い、琴家は『賀若』と名づけているだけである。
○虞美人草行
曽子宣[3]夫人魏氏が『虞美人草行』を作って言った。「鴻門の刁斗[4]は紛として雪のようで、十万の降兵は夜に血を流す。咸陽の宮殿は三月に紅く[5]、霸業はすでに煙燼に隨って消える。剛強はかならず仁義の王に死し、陰陵で路に迷った[6]のは天が亡ぼしたのでない[7]。英雄はもともと万人敵[8]に学ぶ、どうして屑屑[9]として紅妝を悲しむ必要があろう。三軍は散じ尽くして旌旗は倒れ、玉帳の佳人は座中に老いる。香魂は夜に剣光を追って飛び、青血[10]は原上の草と化する。芳心は寂寞として寒枝に寄せ、旧曲は聞き家眉を顰めるかのよう。哀怨俳徊して愁えて語らず、還俗して楚歌を聴いた時のようである。滔滔として逝く水は今古を流し、漢楚の興亡は両丘の土。当年の遺漏は久しく空と成り、尊前に慷慨して誰がために舞う。」
○狄天使が戦上手なこと
宝元年間、党項が辺塞を犯した時、あらたに万勝軍[11]を募ったが、戦陣に慣れていず、賊寇に遇えば敗れることが多かった。狄青は将軍となり、ある日、万勝旗をすべて取り、虎翼軍に与え、かれらを出して戦わせた。胡虜はその旗を眺めてそれを侮り、全軍が赴いてゆき、虎翼に破られ、ほとんど生存者がなかった。さらに青は原[12]で、しばしば寡によって衆に当たり、かならず奇策で勝利した。あらかじめ軍中に、すべて弓弩を捨て、みな短兵を執り、軍中で鉦を聞けば止まり、ふたたび聞けば陣を整えて退く振りをし、鉦の音が止めば大声で叫んで敵を突くように命じ、士卒はすべてその教えの通りにさせた。敵に遇ったばかりで接戦していない時、すぐに鉦を鳴らすと、士卒はみな止まり、さらに音を立てればみな退いたので、虜人は大声で笑ったが、鉦の音が止むと、士卒は突撃し、虜には生存者がいなかった。
○盗賊を見わけられること
陳述古密直が、建州浦城県を治めていた時、人が物を失い、盗賊であるかたしかには分からないものたちを捕らえた。述古はかれらを紿いて言った。「某廟に一つの鐘があり盗賊を見わけられ、きわめて優れている。」人に命じ、後閣に迎えて置き、それを祭らせ、囚人たちを引き、鐘の前に立たせ、盗賊でないものがそれに触れれば音がせず、盗賊であるものがそれに触れれば音がするとみずから述べた。述古はみずから同僚を率いて鐘に祈り、たいへん厳肅であった。祭り終わると、帷でそれを覆い、ひそかに人に命じ、墨を鐘に塗らせた。しばらくして、囚人を引き、一人一人手を引き、帷に入れ、それを触らせ、出て来てからその手を調べると、みな墨があったが、一人の囚人だけは墨がなかった。かれに尋ねると、盗賊であることを認めた。そもそも鐘の音を出すことを恐れ触ろうとしなかったのであった。これも古人の方法で、小説に出ている。
最終更新日:2018年1月4日