小尉遅将闘将認父帰朝雑劇
第一折
（冲末が劉季真に扮し、蛮卒を率いて登場、詩）軍鼓と銅鑼を一二度敲き、轅門の内と外には豪傑を列ねたり。三軍は平安喏[1]をば唱へおへ、きつちりと旗を卷き、決して揺らさず。
それがしは、北蛮の劉季真。わが父は、定陽王の劉武周。二十年前、父のもとには一人の将軍、尉遅敬徳がおり、唐軍と交戦し、介休県で包囲され、唐に投降していった。かれは一子を置いていったが、その子はわずか三歳だった。その子には養父の宇文慶がいた。それがしは、その子をもらい、わたしの息子にすることにした。今では二十年経って、その子も成長して劉無敵と呼ばれている。だれかが尉遅敬徳の子だといったら、わたしはそいつを殺すとしよう。今では、あの子は十八般の武芸を学び、せぬものはなく、うまくないものはないのだが、あの尉遅敬徳が父親であることは知らない。大唐は将軍は老い、兵士は驕り、秦瓊は病み、敬徳は隠居しているとのことだ。わたしは今から子の劉無敵に十万の猛兵を率いさせ、宣戦布告の文書を送り、尉遅敬徳だけに戦を挑んで出馬させるとしよう。敬徳は老いているから、わが劉無敵に勝つことはできないだろう。あの尉遅敬徳に勝った時には、それがしがみずから大勢の猛兵を統べ、まっすぐに突撃し、大唐を一鼓のもとに下すのに[2]、何の難しいことがあろう。小蛮[3]よ、劉無敵に話しをし、猛兵十万を率いて、吉日を選び、陣を発して大唐の国境にゆき、宣戦布告の文書を送り、尉遅敬徳だけに戦を挑んで出馬させるのだ。それがしは、あとから兵を率いて合流するとしよう。
（詩）墲ｪ子は武芸に精通し、敬徳に戦を挑み、出馬せしめて鋒を交へり。ただ一戦で生擒にして寨へ還り、蛮将の英雄と認めらるべし。（退場）
（外が劉無敵に扮し蛮卒を率いて登場）それがしは劉無敵。父親は劉季真。宇文慶は養父となって、幼いときにわたしを養い、成人させた。今、父上の命令を奉り、十万の精兵を選び、尉遅敬徳だけに戦を挑んで交戦しにゆくところだ。今日は私邸の前庁で、軍装をととのえて、武器を磨いているところ。小蛮よ、入り口で見張りをし、誰かが来たら、報せるのだ。
（正末が宇文慶に扮し、杖を持って登場）わたしは姓を宇文、名を慶という。昔は尉遅敬徳の家のじいやであった。二十年前、敬徳さまは、定陽王劉武周のもとで将軍となり、そののち、唐に降っていかれ、坊ちゃまをわたしもとに残された。父親が去った時、坊ちゃまは三歳だった。はからずも、われわれは北蛮劉季真のもとに落ち、あのものは坊ちゃまを育てようとした。坊ちゃまは、今では劉無敵とﾄﾎれ、年齢は二十三歳、十八般の武芸を学び、まことに敬徳さまに劣らぬ。坊ちゃまに幾度か話しをしようとしたが、劉季真に知られることが恐ろしい。今日、坊ちゃまは、前庁で武器を磨いて、軍装をととのえてらっしゃるが、なぜだろう。ひとまず事情を訊ねにいこう。（唱う）
【仙呂点絳唇】御身はかやうに対峙して、鋒を交へど、しよせんはすべて南柯の夢ぞ。軍功などは、御身にはもとより無用のことならん。
【混江龍】今にいたるも干戈は動けば、大唐と闘ひて、雌雄をば決せんとせられたり。つねに龍虎は争ひて、蝎と蜂は闘へり。見よやかの昏惨惨たる征塵は遮りて、遍地をば暗からしめて、焰騰騰たる燎火は焼けて、半天を紅からしめたり。繍旗は颭颭、軍鼓は冬冬[4]、陣を並ぶるさまは拶拶[5]、陣を列ぬるさまは重重、愁雲[6]は靄靄として、殺気は濛濛。御身の鞭の到る処に阻むものなく、社稷を扶け、疆封を守られんことを求めん。小蛮よ、取り次いでくれ、宇文慶が入り口におりますと。
（蛮卒が報せる）将軍さまにお知らせもうしあげまする。宇文慶さまがお越しです。
（劉無敵）はやく呼んでくれ。
（蛮卒）お入り下さい。
（正末が会う）若将軍さま、どうしてこちらで武器を磨いてらっしゃるのです。
（劉無敵）養父どのはご存じないのでございましょう。父上さまの命令で、精兵十万を率いて、大唐の尉遅敬徳だけに戦を挑み、交戦をいたします。ですからこちらで武器を磨いて、軍装を整えて、まもなく出発いたすのでございます。
（正末）若将軍さま、絶対に行かれてはなりませぬ。
（劉無敵）養父どの、どうして行ってはならぬのでしょう。
（正末）行かれても、あのものに勝てませぬ。
（劉無敵）勝てるのか勝てないのかはさておいて、父上さまの命令に背くわけにはまいりませぬ。
（正末が唱う）
【油葫蘆】げにわれをことごとく冷笑の中にあらしめ、勧めども従ふことなし。
（劉無敵）今すぐ挙兵しようというのに、なぜそのようなことを仰る。
（正末が唱う）御身はわたしの口中の言を耳辺の風と見なせり。御身は朽木の材にして、ほんものの棟梁のかれとは比べものにはならず。御身は寒鴉にて丹山の鳳[7]のかれとは比べものにはならず。
（劉無敵）父上の配下には、将兵が多いですから、大唐は大したことはないでしょう。
（正末が唱う）わが劉季真は、かの徐茂公の比にあらず。御身はそも泥鰍と組まれ、相隨はれ、水晶宮にてむなしく騒がれたるものならん。
【天下楽】「将は謀にあり、勇にはあらず」[8]と言はざるや。ああ。御身は将軍なれど、むなしく力を費やされたり。
（劉無敵）わたくしが馬に乗り、手に槍を執ったときには、万夫とて敵わぬ勇気がございますから、あのものは大したことはございませぬ。
（正末が唱う）十八般の武芸にすべて通ぜりと、御身は言ひ、智謀の優れ、気勢の雄きをひけらかせども、劉黑闥、王世充[9]にも及ぶまじ。
（劉無敵）養父どの、ご安心くださいまし。わたくしの一身の武芸があれば、あの尉遅敬徳は将軍とはいえ、今では高齢なのですから、わたしにはかないますまい。
（正末）若将軍さま、あの尉遅敬徳をご存知ですか。
（劉無敵）わたくしは存じませぬが、人からは、かれが今では老いたと聴いておりまする。わたくしは「後生畏るべし」ということを知るのみにございます。
（正末）若将軍さま、明日、両陣の前へゆかれたら、敬徳の水磨鞭[10]には用心なさるべきでしょう。
（劉無敵）養父どの、なぜわたくしの意気を挫かれ、わたくしの勇気をいつも抑えるのでしょう[11]。尉遅敬徳には水磨鞭がありますが、わたくしも鞭をもっております。
（正末が唱う）
【村里迓鼓】敬徳は鞭を虚しく挙ぐることなく、挙げば中たらぬことぞなき。たとひ御身が一突きするとも、たちまちに御身を七擒七縦[12]すべし。ひとまずは、ゆつたり構へ、闘ふことなく、驚き恐るることなきにしくはなからん。
（劉無敵）養父どの、何を仰る。わたしは明日になったら両陣の間で、ほかならぬ、尉遅敬徳老人に挑むため、馬を出すのでございます。
（正末が唱う）両陣の間にて、鄂国公のみに挑みて、捕らへんとせられたり。
（言う）若将軍さま、御身がかれと闘われるなら、喩えがあります。
（劉無敵）どのような喩えでしょうか。
（正末が唱う）病みし羊の大虫に逢へるがごときなり。
（劉無敵）養父どの、ご安心なさいまし。わたしが行けば、かならず勝利いたしましょう。あのものは大したことはございませぬ。
（正末が唱う）
【元和令】御身がゆかば、吉は少く、凶多ければ、止まるがよく、動くべからず。「箭を弦につがへども、弓を張ることなかれ」と言はずや[13]。はじめて信ぜり、急ぎて行かば、善きことなきを。
（劉無敵）それぞれの力量次第にございましょう。わたしを邪魔されないでください。
（正末が唱う）御身はかやうに大騒ぎして、ぷんぷんとせられたり。軍情は漏れざるものとは言ひ難し。
（劉無敵）ああ、養父どの、われらはこちらで七重に取り囲み、陣立ては銀山か鉄壁のよう[14]、敬徳老人はわたしを見るわけにもいかず、わたしと戦うわけにもいかぬことでしょう。
（正末が唱う）
【上馬嬌】かのものは、鎧を着、武器もて攻めて、まことに人は虎のやう、馬は龍にぞ似たりける。かのものが、鋼の鞭を手に取りて、ゆつくりと軍馬を停めば、御身はたちまち一命を失はん。
【游四門】銀山と鉄壁が幾十重ならんとも、御身を殺して血達磨にせん。かの尉遅敬徳はまことに手強し。
（劉無敵）小蛮よ、本日は練兵場へ兵を選びにいくとしよう。いずれにしても、あのものと鋒を交えにゆくとしよう。
（正末が唱う）御身の高く叫ばるる、響きは鐘に似たれども、空しくかやうによき喉を逞しうせられたり。
（劉無敵）養父どの、ご安心くださいまし、わたくしは敬徳を生け捕りにしてもどりましょう。王侯や将相になるのは今にございます。
（正末が唱う）
【勝葫蘆】ああ。将相と王侯はもとより種なしなどと仰る。
（言う）若将軍さま、あなたは敬徳にはかなわないことでしょう。
（劉無敵）養父どの、兵士や馬を出す時は、縁起よくしなければなりません。
（正末が唱う）年若き先鋒どのよ、悲しむなかれ。もしも御身が九里山前にて闘はれ、劉沛公[15]のために力を出だされんとも、韓元帥[16]の御身には、動くなかれと勧むべし。御身のために蒯文通[17]はまことに辱しめられたり。
（劉無敵）わたくしが先鋒となり、わが父が後ろから合流し、あちらに行けば、三戦もせず、二戦もせず、ただ一戦で、敬徳を生け捕りにして戻り、好漢であることを示せましょう。
（正末が唱う）
【後庭花】継父をはなはだ敬ひ[18]、実の父御を敬はず。御身は天地を支へたる男児漢なれば、祖宗に背く風馬牛[19]にはいかでかなるべき。
（劉無敵）ますますわけの分からないことを仰る。
（正末が唱う）御身を黑頭虫と罵りて、わたくしは、諍ひを惹き起こさんとす。わたくしは、こちらにて、くどくどと事情を告げども、御身はそちらで、白白しくも聾の振りをし、甘んじて人の罠へと落ちんとしたまふ。わたくしは、たちまちに顔を見て、鄂国公を思ひたり。
（劉無敵）養父どのが悲しまれるのは、いったいなぜです。
（正末が唱う）
【柳葉児】あたかも刀がわが心を、剜りて痛ましむるかのごとく、まるまる二十年、消息の通ずることぞなき。大唐は、汝が三軍の動かんものとは思ひもよらず。御身をただちにお送りし、父と子を逢はしめん。将軍さま、馬を出だされ、鋒を交ふる御積りか。
（劉無敵）今、養父どのの仰ったお言葉は、まことにおかしい。わたしはかれに訊ねてみよう。養父どの、わたしは今から尉遅敬徳と交戦しようとしているが、御身がかようにわたしの邪魔をするのには、きっと事情があるのだろう。本当のことをわたしに仰っられてはいかがかな。
（正末）若将軍さま、兵卒たちを遠避けてくださいまし。
（劉無敵）すべての者ども、とりあえず遠避かるのだ。呼べばすぐ来て、呼ばねば来るな。
（蛮卒）心得ました。
（正末）若将軍さま、御身はどなたのお子さまでしょう。
（劉無敵）養父どの、年老いて惚けられましたな。わたしは劉季真の子です。
（正末）御身は劉季真の子ではないのです。
（劉無敵）わたしがかれの子でないのなら、いったい誰の子なのです。
（正末）若将軍さま、ご存知ございますまいが、わたしの話しをお聴きください。二十年前、父上さまは唐に降られ、あなたをわたしのもとに残され、尉遅保林と呼ばれていました。その時、あなたは三歳でした。劉季真には子がなかったため、あなたを引き取り、息子とし、あなたを劉無敵と呼んだのでございます。わたしはしばしばあなたにむかって話そうといたしましたが、劉季真に覚られて、命を奪われることを恐れていたのでございます。父上さまは行かれるときに、武具を残され、わたしのもとに収めてあります。一本の水磨鞭、一頂の鐵幞頭[20]、一副の烏油甲[21]と皂羅袍[22]です。尉遅敬徳さまにお会いになられたときに、この水磨鞭と対になるなら、それが御身の父上さまにございます。持ってきて、お見せしましょう。
（正末が鎧を持って登場）（見る）
（劉無敵）ほんとうに、一副の鎧、一本のすばらしい鞭だ。そもそもわたしは鄂国公の子であったのか。養父どのが仰らなければ、気付かなかった。（悲しむ）
（正末）若将軍さま、悲しまれないでくださいまし。劉季真に気取られましょう。この鎧を着て、拝見させてくださいまし。
（劉無敵が着る）養父どの、わたしは父と比べてどうだ。
（正末）すばらしい将軍さまです。行かれたら、どのように父上さまを確認なさるのでしょうか。
（劉無敵）養父どの、わたしは行ったら、父上だけに戦を挑み、出馬させるが、わたしと交戦したときは、おのずから考えがある。
（正末）若将軍さま、行かれましたら気を付けられませ。
（劉無敵）養父どの、ご安心あれ。わが父を見つけたら、わたしは御身を迎えにこよう。
（正末が唱う）
【賺煞尾】力を尽くして、怨みに報い、注意して、兵らをば駆りたまへかし。孝を尽くすは、すなはち忠を尽くすことなり。虎将の家に犬踪はなく[23]、鎧へばまことに威風あり。わたくしは、この英雄の、身体容姿を目にすれば、はからずも、物を見て、人を思ひて[24]、泪は紅し。かれはこの鐵の幞頭を帯び、鳶の肩をば聳やかし[25]、この皂き羅袍を着けて虎の腰をば動かせり。
（劉無敵）養父どの、わたしは父に比べてどうだ。
（正末）ご立派な将軍さまにございます。
（唱う）あきらかに、一本の鞭をもて槊を奪ひし、尉遅恭さまの生き写しなり[26]。
（退場）
（劉無敵）わたくしが鄂国公の子であったとは、思いもよらなかったわい｡養父どのが知らせてくれたはありがたい。両陣の間に行ったら、おのずから考えがある。
（詩）父と子は、別れて二十年、はからずも、今日団円するを得り。陣頭に、まことの父を認めんとして、わが虎眼竹節[27]の鞭に向かへり。
（退場）
第二折
（外が徐茂公に扮し、従者を連れて登場、詩）憶へば唐に帰して二十秋、天家[28]の四百州を佐けつ。二本の眉は江山の恨みに鎖し、一片の心は社稷の憂へを思へり。
わたしは徐茂公。唐に降ってからというもの、国家のために東へ西へ、南へ北へ征討し、十の大きな功績を建て、英国公の官職に封ぜられている。今や四方は平定されて、干戈はやんだが、北蛮の劉季真のみはいまだに帰順せず、このたびは、宣戦布告の文書を送り、大唐の名将のわたしに挑み、出陣させた。聖上の命により、朝堂の公卿たちと相談したが、尉遅どのに、この残党を平らげさせて、太平を佐けるべきだ。房玄齢どのが来られたら、尉遅公を呼びにゆかせることにしよう。部下よ、入り口で見張りをし、丞相さまが来られたら、取り次ぐのだぞ。
（従者）心得ました。
（外が房玄齢に扮し登場、詩）龍楼鳳閣九重の城、新たに沙堤[29]は築かれて宰相は行く。われが貴く栄ゆとも羡むなかれ、十年前は一書生なりしかば。
わたしは房玄齢。わが君をお扶けし、天が下をば平定し、今、中書省左丞相の職にある。このたびは、劉季真が、宣戦布告の手紙を送ってきたのだが、大唐の名将が出馬せよとのことだ｡公卿たちは、相談したが、尉遅敬徳どのでなければなるまいということだった。それがしは、聖上に上奏し、尉遅将軍にこの賊を平定しにゆかせることにした。軍師徐茂公どのが朝堂で待たれているから、ゆかねばらなぬ。部下よ、取り次いでくれ、房玄齢が到着したと。
（従者が報せる）軍師さま、お知らせ申しあげまする。房丞相さまがお越しにございます。
（茂公）お呼びしてくれ。
（従者）お入り下さい。
（房玄齢が会う）
（茂公）宰相どの、例の件は、どうなりましたか。
（房玄齢）聖上は、それがしの上奏を受理されて、尉遅公に元帥の印を掛けさせ、劉季真を征討させることにしたのです。功を立てて戻ったときには、さらに封土と恩賞が加えられます。
（茂公）それならば、部下よ、はやく行き、鄂国公を呼んできてくれ。
（浄が李道宗に扮し登場、詩）わたくしは、将軍となり、志あり。出陣し、使へるは斉眉棍[30]。他のものが突撃をして敗れども、わたくしは、先頭にゐて、勝ちを収めり。戻れば帳の内に行き、うまき酒、うまき肉をば喰らひたり。酔はざれど、酔ひし振りをし、陣中ででたらめに過ごしたり。
わたしは李道宗。多くの功を立てたため、わたしは浄盤将軍[31]に昇進したぞ。どうしてわたしを封じて浄盤将軍にしたかだと。もし人がわたしを招けば、酒席に赴き、とりあえず、酒を飲まずに、さまざまな旨い肴を、狼か虎のように食い、ただ一回ですっかり平らげ、はじめて酒を飲むために、浄盤将軍と呼ばれているのだ。今、人は来ず、手元不如意で、ひねもす閑にし、くさくさと坐っておるが、尉遅どのは劉季真を討ちに行かれたとのことだ。あの尉遅どのが行かれれば、たちまち功を成すことだろう。わたしは今から朝堂にゆき、徐茂公に、国家のために尽力するため、尉遅どのについてゆきたいと話をしよう。かれが勝利を収めれば、わたしもいささか昇進し、恩賞を得ることができるから、手持ち無沙汰にしているよりはましだろう。ここは朝堂の入り口。部下よ、取り次いでくれ、李道宗めがまいりましたと。
（従者が報せる）軍師さまにお知らせ申しあげまする。李皇叔[32]さまが入り口にいらっしゃいます。
（茂公）お呼びしてくれ。
（従者）お入り下さい。
（李道宗が会ってでたらめな挨拶をする[33]）お二人の老先生は、こちらにいらっしゃったのですな。わたしはわざわざ相談をしにまいったのです。
（房玄齢）何事でございましょうか。
（李道宗）老先生、想うに臣下たるものは、忠を尽くして、国に報いなければなりませぬ。わたくしは狗畜生の劉季真めが、宣戦布告の手紙を送ってきたことを聴き、怒って酒や肉さえ口にできないのです。（見得を切る）ご安心あれ。わたくしが兵を率いて、押し寄せてゆけば、あの馬鹿ものは、隠れる場所もないことでしょう。
（茂公）行けはしませぬ｡劉季真麾下の名将は、みな驍勇にございますれば、行かれることはできませぬ。
（李道宗）ああ、本当に腹立たしや。わたしのような男でも行けぬなら、誰を行かせるおつもりなのです。
（房玄齢）鄂国公尉遅将軍どのをこれから行かせるのです。
（李道宗）ああ。本当に腹立たしや。あの尉遅公は以前なら、行くのを許されたでしょうが、今では老いて、大したことはございませぬ。やはり、わたしを行かせるべきでございましょう。
（茂公）行けはしませぬ。
（李道宗）わたしは闘いにゆきます。
（房玄齢）道宗どの、行かれてはなりませぬ。これは生半可なことではなく、すでに聖上に上奏し、受理されたため、尉遅公に元戎の印を掛けさせるのです。退かれませ。
（李道宗）老先生、お怒りになりますな。どうか便宜を図られて、尉遅公を元帥に、わたくしを副帥にしてくださりませぬか。
（茂公）副帥になることはできませぬ。こちらで邪魔をなさいませぬよう。退かれませ。
（李道宗）本当に腹立たしいわい。わたしのことを元帥にせず、副帥にもせぬ。爺さんたちは、ひたすらわたしを追い払ったぞ。このままで済まそうものか。とりあえず、曲を歌って、腹一杯の不平の気を吐き出すとしよう。（唱う）
【清江引】房玄齢と徐茂公は、まことに老いて、愚かにて、ともすれば、人を罵る。わたしがかれらを騙したることを悟らず、本当のことと思へり。打剌酥[34]を一瓶買ひにゆき、飲みつつ遊ぶこととせん。
（退場）
（正末が尉遅に扮し登場）それがしは姓を尉遅、名を恭、字を敬徳といい、朔州は善陽の人。先に定陽王劉武周に仕えて将軍となり、後に大唐に帰順した。それがしは、幾たびも大功を建てたため、鄂国公の官職を授かっている。こたび、北蛮の劉季真が宣戦布告の手紙をよこし、それがしだけに挑戦し、戦を交えようとしている。今日は軍師が呼んでいる。何事だろうか。行かねばならぬ。（唱う）
【中呂粉蝶児】われは怒りて、むらむらと、憤懣の気は腮に盈ちたり。なにゆゑぞ、ただ一人、われに挑める。思へずわれの髯は逆立ち、頷に満てり。人[35]はあたかも、虎の山より出でたるかのやう、馬はあたかも、龍の海より離るるがごと。わが疾き槍と鞭とを頼りにし、猛兵を率て、がやがやと、皂袍と烏鎧[36]を纏へり。
【酔春風】我と汝はいそがしく、鐵の幞頭を帯び、紅の抹額[37]をきつく締めたり。馬を交へて、あの溌奴才を捕らへずば、我は姓をぞ改めん、改めん。この我は、千戦千勝にして百発百中なれば、一朝一代をしぞ守らん。
（言う）部下よ、取り次いでくれ。尉遅恭が到着したと。
（従者が報せる）軍師さまにお知らせ申しあげまする。鄂国公が来られました。
（茂公）お呼びしてくれ。
（従者）お入り下さい。
（正末が会う）軍師どの、わたしを呼ばれ、いかなるご相談でしょう。
（茂公）将軍どのが来られましたか。陛下の御諚にございます。このたびは、北蛮の劉季真が宣戦布告の手紙をよこし、将軍どのに戦を挑み、出馬するよう申しております。陛下はこたび、御身に猛兵十万を率いさせ、あの劉無敵と交戦させることとなされたのでございます。かれはまことに勇敢で、手強いそうにございます。
（正末）軍師どの、名のない若い将軍は、たいしたことはございませぬ。
（房玄齢）将軍どの、諺にこう申します。「人間は顔ではない、海水は斗で量れぬ」と。軽くみられてはなりませぬ。
（正末が唱う）
【迎仙客】かのものは、激戦の場に上りしことなし。かのものは、大会戦をせしことぞなき。かのものは、手なづけられしばかりにて、路の窄きを嫌ひたる、暴れ馬にぞ過ぎざらん。わたしに向かひて兵略を説き、わたしに向かひて戦略を誇るとも、わたしはははと冷笑するのみ。
（茂公）聴けば、あの劉無敵も水磨鞭を使い、将軍どのよりさらにまさっているとのことにございます。
（正末）軍師どの、あのものが鞭を使えば、わたくしも鞭を使いますから、あのものを咎めることはできませぬ。
（唱う）かれはまさしく、「水を担いで河辺で売る」[38]なり。
（茂公）将軍どの、あの劉無敵は年が若いが、御身は今や老いられました。
（正末）あの若者は大したことはないでしょう。
（房玄齢）将軍どの、「後生は畏るべし」です、御身もいささかご用心なさるべきです。
（正末が唱う）
【紅繍鞋】龍は魚鼈蝦蟹に欺かれ、虎は狐免狼豺に抑へらる。かの若者は、今年は血の禍あらん。わが鞭は、かのものの脳天を打ち砕き、槍はかのものの三思台をぞ突き刺さん。御身はわたしが慈悲深くして、禍を生ぜんことを怕れたまふや。
（茂功）御身が若いときならば、一人の劉無敵はもちろん、十人の劉無敵でも怕れることはなかったでしょう。ただ惜しむらくは御身はいささか老いられた。
（正末）軍師どの、御身は間違ってらっしゃる。
（唱う）
【快活三】六旬を過ぎて、血気は衰へたりとはいへど、三五石の強弓を、今なほ引きたり。たとひわたしの「心の長く、髪の短く」[39]
斑白となりゆくを、軽く見るとも、わたしはまことに、年老いたるを認めんとせず。
（茂功）将軍どの、そのようなお年になられましたのに、老いていないと仰るわけにはゆかないでしょう。
（正末が唱う）
【鮑老児】老いたりとはいへ、戦の場では、いささかの気概あり、虎は痩すれど、雄心は存せりといふを聞かずや。
（茂公）恐らく御身は、あのものに近づけますまい。
（正末が唱う）もしもわたしが、勝つを得ずんば、いかんせん。恐らくは唐十宰[40]に会ふを羞づべし。あのものは、衣禄は尽きて、時運は拙く、一月に一年の災ひに遭ふべけん。君王の洪福により、千秋万歳、神明のご加護あるべし。
（房玄齢）将軍どの、明日になったら、両陣の間にて、あのものとどのように闘われるのか。一遍話してお聴かせくだされ。
（正末が唱う）
【柳青娘】明日になりなば、冬冬と、征鼙[41]をばゆつくり敲き、悠悠と角声[42]哀しく、璫璫と銅鑼は打たれて、剌剌と繍旗は開かん。漫漫と殺気は日色[43]をば蔽ひ、哏哏[44]と人は寨柵を離れ、騰騰と馬は塵埃を践み、磕磕と鐙はぶつかり、紛紛と槍は阻みて、匝匝と鎧は押し合ふことならん。
【道合】あの馬鹿者は、馬鹿者は、修羅場にて、がやがやと騒ぐべし。鞭をもて闘はば、このわれは、憤りを生じ、いかで抑ふることを得ん。鋼の鞭を、いそがしく手で抬げ、かのものを、磕叉と打ちて、盔もろとも、脳を半ば斜めにし、腮をば覆はしむべし[45]。骨碌碌と眼を睜り、子供のやうに見なすべし、見なすべし。残害に遭ふを避け、遭ふを避け[46]、虎の躯の脇を持ち、脇を持ち[47]、獅蛮の帯を掴みとり、掴みとり、かのものが、鐵を鍛へたる体にて、銅を鋳し体ならんとも、かの逆賊を、生け捕りにせん。
（茂公）将軍どの、行かれたら、お気を付けて。もし勝って、帰朝されれば、聖上はおのずから官位を加え、褒美を賜わることでしょう。
（正末が唱う）
【随尾】竇建徳を破るより、気楽にて、王世充を捕ふるよりも易きことなり。銀山、鉄壁、連環寨があらんとも、わが英雄の気慨によりて、敗残軍を李陵台[48]まで追ひ掛けん。（退場）
（茂公）尉遅どのは、行かれればきっと勝たれましょう。
（詩）尉遅公は年老いたれど、この鋼鞭は人を殺すこと少なからず。
（房玄齢の詩）もしかれが大勝し、朝廷に還りなば、唐の天子は官爵を手厚く加へん。（ともに退場）
第三折
（劉無敵が馬を走らせる仕草をし、蛮卒を率いて登場）それがしは劉無敵。養父の宇文慶どのが話されなければ、わたしは知らなかったろう。兵を率いて陣頭へ行き、双方が相対するが、わが父に会えば、おのずから考えがある。塵埃の起こる処は、大唐の軍兵が来たのであろう。
（正末が卒子を率いて登場）大小の三軍よ、陣を布け。（唱う）
【越調闘鵪鶉】わたしはなほも、美良川[49]の威風、楡科園[50]の猛気を存せり。秦瓊が病みしのみにて、わたしは隠退しておらず[51]。鞭をもて江山を整へ、槍をもて社稷を立てり。逆賊は敵情を推し量り、「かれの武芸は如何」と問ひて、わたしの年老いたることを侮らん。
【紫花児序】よく将兵を擒にし[52]、陣営を衝き、太鼓を叩き、軍旗を奪ふことを示さん。かのものは、二重の鎧甲を着るを得ず、三頂の頭盔を帯び得ず。敢へてわたしと闘ふや。銅を鋳し脳天と、鐵の背があらんとも、鞭が当たらば粉と碎けん。本日は、敵に遇ひなば、真つ直ぐかれに突撃し、馬は蹄を停むることこそなかるらめ。
（言う）やってきた将軍は何者ぞ。
（劉無敵）それがしは大将の劉無敵。御身はどなたか。
（正末）それがしは大唐の尉遅公。
（劉無敵が背を向ける）この方がわが父上だ。
（振り向く）将軍どの、御身は年老いたのだから、帰られよ。
（正末）こいつはまことに無礼だぞ。（唱う）
【小桃紅】この北蛮の将軍を見て、われはまことににやにやとせり、われはかれとはいささか年が異なれり。
（劉無敵）わたしの血気はまさに盛んで、後生は畏るべきもの。老人の御身は大したことはない。
（正末が唱う）血気のまさに盛んにて、猛々しきを頼りにす。御身は言はずもがななれども、このわれも、びゆうびゆうと日と風を追ふ馬に騎りたり。烏油甲は密に綴られ、点鋼槍[53]は切っ先鋭し。老将の兵略をよくすることを聞かざるや。
（劉無敵）将軍どの、一人で出馬なさいましたな。お好きなようになさるがよい。
（正末が唱う）
【鬼三台】雁翅は張られ、魚鱗は築かれ[54]、寨柵を列ね、部隊を集め、整然と陣を並べり。ただ聴くは、悠悠と画角[55]を吹ける、冬冬と花腔鼓[56]を撃つ。軽輩が見ば肝が碎けて、英雄もかならずや魂が飛ぶべし。おしなべて、沈点点[57]たる鞭、簡、撾、錘[58]、明晃晃[59]たる槍、刀、剣、戟ばかりなり。（陣を調える｡）
（劉無敵）わが父の武芸を見れば、大したものだ。ひたすら力を込めぬようにし、反撃をしようともせず。とにかく遮り、受けとめよう。
（正末が唱う）
【調笑令】そのかみは、敵に遭ふに、駿馬も横槍も、何とも思はず。わたしは突き刺し、打ち払ふとき、心臓と両の肋を反れしことなく、離れしことなし。かのものは、やすやすと遮りて、わたしに挑み、息を喘がせ、乱れしめたり。
（劉無敵）わたしはこちらで馬を降り、父上と誼を通じたいのだが、諸将が陣を監視しているのはまずい。負けた振りをし、あたふた逃げれば、父上はきっとわたしを追い掛けてこられるだろう。
（劉無敵が逃げて退場）
（正末）こいつめ、逃げたな。ただではすまさぬ。どこであろうと追い掛けてゆこう。（迫る）
（劉無敵が登場）わが父が追い掛けてきた。人々がいないところへ行って、馬から下りよう。父上さま、息子が跪きまする。父上さま、わたしを確認なさってください。
（正末が登場）こいつめ、逃げてここにいたのか。
（劉無敵）父上さま、わたくしがお分かりになられましょうか。
（正末）そなたは誰だ。
（劉無敵）わたくしは、二十年前、棄てられた子で、尉遅保林ともうします。
（正末が唱う）
【麻郎児】誰がそなたを来たらしめ、父子の縁を認めしめしや。
（劉無敵）宇文おじさまが仰ったのです。
（正末が唱う）誰がそなたを闘はしめしや。
（劉無敵）劉季真です。父上がお信じになられないなら、証拠の品の水磨鞭がここにございます。
（正末）持ってきて、わたしに看せよ。
（唱う）証拠の品を手に取りて、みづからつけし印があるかを看るとせん[60]。
【幺篇】われは老ゆれど、この日に勝る喜びはなし。相別れてより、生死を知らず、御身が成人せしとは想ひもよらざりき。
（劉無敵が悲しんで会う）父上さま、お別れしてから、はや二十年にございます。
（正末が唱う）
【絡絲娘】この幾とせか、消息を通ずることはなかりしかども、はからずも、本日汝に逢ふを得り。今しがた、闘ひしとき、汝は勝たんとせざりしが、われに遠慮をしたりしや。
（劉無敵）わたくしは、父上を確認するため、わざわざまいったのでございます。先ほどは、両陣の前で、諸将に監視されており、はっきりと、確認いたしかねましたので、ことさら負けを装ったのでございます。
（正末が唱う）良き子なるかな。後生の畏るべきを、はじめて信ぜり。
（言う）息子よ、宇文おじさんはそなたに何といったのだ。
（劉無敵）父上さま、わたしは知らなかったのですが、養父の宇文慶どのは、父上が唐に投降されたとき、三歳になったばかりのわたしを残され、劉季真により息子にされたと言っていました。生まれてこのかた二十年、父上さまを知りませなんだが、今日は証拠の品により、はじめて父子が逢うことができました。父上さま、わたくしが幾たびか拝礼するのをお受けください。
（正末）息子よ、わしとそなたは、ともに軍師に会いにゆこうぞ。
（劉無敵）父上さま、もちろんいっしょに行きたいのですが、いかんせん、わたしには、寸箭の功[61]もございませぬ。父上さまが先にゆかれてくださいまし。わたしはふたたび陣に戻って、劉季真を捕まえてまいりましょう。一つには、父上のため力を出だし、二つには、わたしが出世するための手土産といたしましょう。
（正末）それならば、先にゆくから、そなたは後からくるがよい。
（唱う）
【収尾】尉遅公の団円するは、ひどく劉家を悲しませるなり。明日ははやくも陣中にきて祝ひの宴を設くべし。これこそは、天の若将軍を導き、ともにわが大唐国を扶けたるなれ。（退場）
（小尉遅）父上を確認したから、陣に戻って、あの劉季真を生け捕りにすることにしよう。（退場）
第四折
（劉季真が蛮卒を率いて登場）それがしは劉季真、兵を率いて息子に合流しにゆこう。息子がきたぞ。
（小尉遅が蛮卒を率いて登場）劉季真ではないか。
（劉季真）息子よ、勝敗はいかがした。
（小尉遅）将校たちよ、捕まえてくれ。
（劉季真）そなたは突撃して目が霞んだのだろう。わしはそなたの父親なのに、どうしてわしを縛るのだ。
（小尉遅）こいつめ、わたしはおまえの息子ではない。このたびはわが父の鄂国公と誼を通じ、唐に降るが、何の功績もないから、そなたを縛ってつれてゆき、とりあえず投降の土産とするのだ。
（劉季真）そなたはそもそも、父親と誼を通じ、唐に降るが、投降の手土産がないために、わしを捕まえ、手柄にしようというわけか。馬鹿者め、羊と酒を買ってゆくがいい。
（小尉遅）将校たちよ、本日は部隊の人馬を率いて唐に投降しよう。
（詩）わたしはもともと尉遅保林、今までそなたに瞞されたりき。縛りゆき、とりあへず投降の手土産とせん。看よやこの悪党を。（退場）
（徐茂公が卒子を率いて登場）わたしは徐茂公。このたびは、尉遅公どのが兵を率いて、劉無敵と鋒を交えにゆかれたのだが、戦目付が戻って言うには、尉遅公どのは両陣の間にて、幾たびか交戦をしたものの、尉遅公どのと劉無敵とは、たちまち人気のないところへ行き、二人して、馬から下りて、ひそひそ話し、劉無敵を帰して追い掛けなかったとのこと。聖上は大いに怒り、尉遅公にはかならずや背逆の心があると仰られ、帥府でかれが戻るのを待ち、罪に問えとのお達しだ。
（房玄齢が登場）わたしは房玄齢。このたびは、聖上の御諚を奉じ、徐茂公は、帥府で尉遅公どのがくるのを待って、罪に問われる。想うに敬徳将軍は、忠心の塊で、謀反などあるはずがない。わたしはかれの保証人となるべきだろう。部下よ、取り次いでくれ、房玄齢が到着いたしましたとな。
（卒子が報せる）軍師さまにお知らせ申しあげまする。房丞相さまが入り口にいらっしゃいます。
（茂公）お呼びしてくれ。
（卒子）お入り下さい。
（房玄齢が会う）軍師どの、敬徳どのは劉無敵と戦を交えにいったと聞くが、勝敗はいかが相成ったかな。
（茂公）ああ、宰相どのはご存じないのでございましょう。戦目付が戻って言うには、敬徳は、両陣の前で、幾度か交戦しましたが、劉無敵と人気のないところへ行って、馬を下り、ひそひそ話し、何を言ったか分かりませぬが、敬徳は劉無敵を帰し、追い掛けなかったとのことにございます。聖上は、敬徳に叛逆の心があると疑われたので、わたくしは、帥府にて、敬徳が来るのを待って、その罪を問うことにしているのです。
（房玄齢）軍師どの、尉遅公にはそのような心はあるまい。そこには事情があるのであろう。敬徳どのが来られたときに、事情が知れよう。
（正末が登場）それがしは尉遅敬徳、両陣のもとに行ったが、あの劉無敵は、まさにそれがしが二十年前、置き去りにした、息子の尉遅保林であった。かれは今、それがしと誼を通じ、劉季真を捕まえてきて、功を立てると言っていた。それがしは、さきに軍師さまに会いにゆくとしよう。（唱う）
【双調新水令】わが大唐は、あらたにそへり、玉麒麟[62]。怪しむなかれ、かのものの、二三たび、わたしに挑んで出陣せしめ、わが美良川の猛き気勢と、楡科園の勇ましき精神を掻きたてたりしを。この水磨鞭をゆつくり振りて、かのものの脳天を、粉々に打ち砕かんとし、わたしの肉親ならんとは思ひもよらず。事情をば告げざらましかば、あやふく単雄信とせしところなり。
【駐馬聴】その昔、別れしときは、痛みつつ、むざむざと掌上の珍を棄て、今、認むるに、笑ひつつ、なほも夢中の人かと疑ふ。二十年、生死を尋ね得ず、幾千たび、愁へと恨みを措くを得ず。心にひそかに思ひたり、団円の定めに逢ふを得しことははなはだ福。
（言う）部下よ、取り次いでくれ、尉遅公が到着したと。
（卒子が報せる）軍師さまにお知らせ申しあげまする。尉遅公がまいりました。
（茂公）お通ししてくれ。
（卒子）お入り下さい。（会う）
（正末）軍師どの、敬徳がまいりましたぞ。わたくしは、劉無敵と両陣で対戦し、何度か鋒を交えますと、劉無敵は大敗し、馬から落ちて、埃の中に跪いたのですが、あにはからんや、あのものは、わが子の尉遅保林だったのでございます。あのものは、敬んで唐に投降しようとし、父であるわたくしと誼を通じにきたのです。
（茂公）御身は陣頭にいたとき、蛮将とひそひそ話し、来たときは戦わず、去ったときには追われなかった。聖上はたいへんにご立腹あそばされ、御身には、朝廷に叛逆をする意があると仰せられ、こちらで罪に問えとのお達し。蛮将が御身のお子だと仰るが、恐らく筋が通らぬのではあるまいか。
（正末が唱う）
【沽美酒】わたくしは、心を奮って主恩に報い、力を尽くして胡塵を掃へり。諺に「戦ふに父子の軍にまさるものなし」とぞ言へる。ただ一鞭で、蛮兵を殺し尽くして、宇宙を扶け、乾坤を定めんとせり。
【太平令】かのものは、唐朝に帰順をせんと約せしか。
（茂公）息子が唐に降ったのなら、どうして御身とともにこぬのだ。
（正末が唱う）あれやこれやと問ひたまふことなかれ。逆賊を、子供さへ根絶やしにして、功をなして、身を進めんとしたるなり。かのものは、父親のわたしを認めたりければ、ああ、などて言ひて信のなきことのあるべき。
（茂公）尉遅公どの、あの劉無敵の姓は劉、御身の姓は尉遅であるのに、なにゆえに息子と認められたのか。おそらくほかに尉遅保林はいるのであろう。あのものが御身を知らなかったとしても、まさか御身もあのものを知らず、陣頭でともに闘うはずはなかろう。
（正末）軍師どのはご存じないのでございます。わたしの息子の尉遅保林は、棄てられて二十数年、劉無敵がかれであるとは知りませなんだ。かれのほうがわたしを知っていたのです。唐に降るのに寸箭の功もないため、戻って劉李真を生け捕りにし、とりあえず出世のための手土産にすると言い、本日午の刻までに功績を立てるのでございます。
（房玄齢）軍師どの、わたくしはひとまず保証人となり、とりあえず尉遅公を保証しましょう。もし午の刻までに、かれの息子が唐に降ってこなかった時、二人の罪を罰しても、遅くはございませんでしょう。
（茂公）宰相どのが保証をなさるのであれば、とりあえず尉遅公どのの処罰は見合わせよう。午の刻前後になって、劉無敵が功を立てればそれでよし、もし来なければ、かならず罰することにしよう。部下よ、尉遅公をあちらへ収監するように。
（小尉遅が登場）それがしは、尉遅保林。劉季真めを捕まえてわが父に会いにゆくところ。はやくも帥府の入り口に来た。部下よ、取り次いでくれ。尉遅保林が劉季真めを生け捕りにして投降をしてまいりましたと。
（卒子が報せる）軍師さまにお知らせ申しあげまする。尉遅保林がまいりました。
（房玄齢）こちらへ通せ。
（卒子）お入り下さい。
（小尉遅が会う）
（房玄齢）御身はどなたか。
（小尉遅）劉無敵、もとの名は尉遅保林にございます。鄂国公の子でございます。このたび、劉季真を捕らえ、父親と誼を通じ、唐に投降いたします。
（房玄齢）鄂国公のご子息の尉遅保林どのですか。父上は御身のせいで、聖上に大いに怒られ、罰せられそうになったため、わたくしが保証しているのです。わたくしは左丞相房玄齢です。
（小尉遅）丞相さま、どうか憐れと思し召し、わが父にお知らせください。
（玄齢）こちらで待たれよ。父上にお話しをしにゆきましょう。
（正末に会う）将軍どの、喜ばれよ。ご子息が劉季真を捕まえてこられましたぞ。
（正末）どちらにいるのでございましょう。
（房玄齢）今ここにいらっしゃいます。
（正末が小尉遅に会う）息子よ、来たな。
（宇文慶が会う）宇文慶が叩頭をいたします。
（正末）ああ、わたしはどちらの宇文どのかと思ったが、わが家のじいや宇文慶か。息子よ、先ほどわしは軍師どのに、そなたが唐に投降すると申しあげたが、軍師どのは信じられずに、わたしをこちらに収監された。そなたとともに、軍師どのに会いにゆこうぞ。
（房玄齢が茂公に見える）軍師どの、尉遅公どののご子息が、劉季真を捕まえて、唐に投降しましたぞ。
（茂公）そのものをこちらへ。
（房玄齢）若将軍どの、軍師さまに会いにゆかれよ。
（正末）ごいっしょにまいりましょう。軍師どの、これが息子の尉遅保林にございます。
（茂公）若将軍どの、御身はどうして尉遅公どのの子なのだ。ゆっくりと話されよ。
（小尉遅が訴える）軍師どの、お怒りを鎮められ、わたくしがすべてを申しあげるのをお聴きください。わが父が唐に投降したために、わたしは棄てられ、身を寄せる処がございませんでしたが、劉季真がわたしを息子にしようとし、無敵と名付け、あのものの先鋒として、尉遅に挑ませ、出馬させ、鋒を交えさせようとしました。わたくしは養父から事情を報されましたので、父親と誼を通じ、投降してきたのでございます。双つの鞭を比べても間違いはございません。わが父は一代の功臣で、丹心は最期まで変わりませぬ。わたしはこのたび、蛮王を捕まえて、朝廷に献上し、功を父に報せたのです。軍師どのには、このことを聖上にお聞かせし、父子一家を団円させてくださりますよう。
（茂公）ほんとうにこのような事があるとは。今日山後を平定したが[63]、この功は小さくはない。聖上に上奏すれば、きっと官位を加えられ、褒美を賜わることであろう。
（正末が唱う）
【雁児落】粗忽なる軍師のまことに糞真面目にて、わたしを怒りたるを笑へり。比干の心の是か非かを決して調ぶることはなければ[64]、張儀の口があらんとも争論するは難からん。
（房玄齢）将軍どの、この若い将軍どのが来られなければ、大変でしたな｡
（正末が唱う）
【得勝令】ああ。二十三歳の年若き将軍のため、七十歳の老功臣は葬り去られなんとせり。
（言う）息子よ、軍師どのに拝礼するのだ。
（唱う）徐茂公どのをみづから拝せよ。
（小尉遅が拝礼をする）軍師さま、わたくしの一礼をお受けください。
（茂公）若将軍どの、お構いなく。劉季真はどちらでしょうか。
（正末）息子よ、劉季真を連れてくるのだ。
（卒子が劉季真を連れてきて跪いて会わせる）
（正末が唱う）敵の御身に言ひ含めん。喜べり。唐の天子をともに扶けて[65]、まさに興隆せしめしを。殷勤に感謝せり。房玄齢どのの保証をせられしに。
（茂公）このものが劉季真か。
（小尉遅）仰る通りにございます。
（茂公）部下よ、劉季真を轅門から推し出して、斬りおわったら報せるがいい。
（劉季真）やめてくれ。あのものは、もともと尉遅公どのの子であったのを、理由もないのに、育てあげたのだ。このわしを唐に投降するときの手土産にするとはな。そなたら父子に、かように仁義がないのなら、わしは死んだら、うちの親爺に話しをし、きっとそなたに仕返しするぞ。
（卒子が劉季真を連れて退場）
（茂公）尉遅公どの、御身ら父子は、宮居を望んで跪き、聖上の御諚を聴かれよ。
（詞）御身は未曾有の猛者なるがため、われらが唐主は多年にわたり寵用したまふ。むざむざと息子を棄てしことはともかく、ふたたび逢ひしはまことに天縁。鄂国公には黄金千両をば賜ひ、食邑として万頃の荘田を加ふべし。小尉遅は金吾将軍となし、先鋒として、世々軍権を掌らしめん。将軍は将軍と闘ひて、ともに王室をば扶け、鞭と鞭とを突きあはせ、父子して団円したり。（正末、小尉遅が恩徳に謝する）
