楔子

(末が張天覚に扮し、正旦の翠鸞とともに興児を連れて登場、詩)

一片の心に懸くる国家の(うらみ)

二本の眉は鎖したり廟廊[1](はかりごと)[2]

浮雲[3]の日を蔽ひたるがため

長安は見ゆることなく、人をして愁へしめたり

わたくしは姓は張、名は商英、字は天覚、もったいなくも甲第に合格し、幾たびも抜擢を受け、かたじけなくも聖恩により、諌議大夫の職を拝せり。高[人求]、楊戩、童貫、蔡京らの民草を虐げしため、忠直の心をもつて、しばしば諌めたりしかど、従はれたることはなく、聖上はわたくしを江州に退隠せしめたまひたり。わが妻は不幸にも早くに亡くなり、一人娘を遺したるのみ。字は翠鸞、年は十八、いまだに人と婚約はせず。朝廷を離れてこのかた、旅路に苦しみ、淮河の渡しに到りたり。期限は差し迫りたれば、興児よ、排岸司[4]をば呼びきたれかし。

(興児)かしこまりました。

(浄が排岸司に扮して登場、詩)

(すね)に毛はなく口に髭あり

星、(いかづち)のごとく馳せ、遅るることなし

川岸をつねに見回りたりければ

排岸司をぞ授けられたる

わたしは排岸司。駅亭でお役人さまがお呼びだが、何事だろうか。行かずばなるまい。おじさん、取り次ぎをしておくれ。排岸司がまいりましたとな。

(興児が取り次ぐ)

(張天覚)呼んできてくれ。

(興児)行かれませ。(会う)

(浄)お役人さまが排岸司(わたくし)を呼ばれましたは、いかなるご用にございましょう。

(張天覚)排岸司よ、このわしは聖上の命を奉じて、家族を連れて、江州に行き、退隠するのだ。期限は差し迫っているから、船の用意をしなければ、期限に遅れ、さんざん打たれてしまうだろう。今日すぐに船を出すのだ。

(浄)お役人さま、淮河の神は、よその神とは違います。祭礼をするときは、三牲[5]が必要で、金銀銭紙[6]に護符を焼き、喜んでいただけたとき、はじめて船を出せるのでございます。喜んでいただけなければ、風は吹き荒れ、波は逆巻き、船を出そうとするものはおりませぬ。お役人さまにお尋ねしますが、神さまはもうお祭りになられましたか。

(正旦)それならば、父上さま、この方にいささかのお金を与え、早めに祭りの準備をしましょう。

(張天覚)娘よ、おまえは知るまいが、わたしは国家の正しき臣で、かれは国家の正しき神にましませば、祭礼などは必要ないぞ。「その()に非ずして之を祭るは、諂ふなり」[7]というではないか。

(詩)

宋国は強楚にあらず

清淮は汨羅に異なる

忠信のあるを恃みて

波風の起つに任せん

排岸司よ、すみやかに船を出してくれ。

(浄)それでは船を出しますが、不測の事態が起こりましても、どうかわたしをお怨みになりませぬよう。(船を動かす)

(興児)ああ。波風が起こったぞ。大変だ。大変だ。水が船に入ってきた。助けてくれ。助けてくれ。

(張天覚が退場)

(浄が正旦を救い、言う)この娘さんをお救いしたから、あのお役人さまを助けにゆくとしよう。(退場)

(正旦)翠鸞はまことに危うく、父上はまことに苦しむ。淮河で船は覆ったが、さいわいに、岸司はわが命を救った。わが父上の生死のいかんはなお知れず、排岸司は河へ救いにいってしまった。わたくしは一人でここに残されて、どうしたらよいのであろう。

(外が孛老に扮して登場、正旦に会い、言う)娘さん、あなたはどちらのお方でしょうか。お名前は。わたくしにお話しください。

(正旦)わたしは張天覚の娘で、字は翠鸞、年は十八。父親は江州に行き、退隠するため、淮河の渡しにまいりましたが、排岸司の言うことに従わず、神を祀らなかったため、河の半ばに船を進めましたところ、波風がたちまち起こり、船は転覆したのです。もし排岸司に救われなければ、命はございませんでした。

(孛老)この娘さんは、貧しい人ではなさそうだ。官員さまのご家族だろう。おんみといっしょにこちらで待つといたしましょう。官員さまが今でもいらっしゃるのなら、おんみを送り返しましょう。

(正旦)ずいぶん待ったが、排岸司どのはどうして来ぬのだろう。一つには濡れた衣に耐えられぬため、二つには日がだんだんと暮れてきて、父上の行き先も知れぬため、天よ、わたくしはまことに辛うございます。

(孛老)娘さん、わたくしは淮河のほとりで漁をして、崔文遠と呼ばれておる者。家はここから離れてはおりませぬ。娘さん、義女になるのを承知してくださいますなら、とりあえず、わたしの家にお泊まり下され。お役人さまが見つかりましたなら、あなたがた親娘を再び団円させてあげましょう。お考えはいかがですかな。

(正旦)お爺さん、もしもお嫌でないならば、あなたの娘になりましょう。

(孛老)それならばいっしょに家にゆきましょう。

(正旦)今、わが父は所在が知れず、(唱う)

【仙呂端正好】

先ほどはこの早瀬にて船が沈みて

やつとのことで岸辺に着けど

上下の衣は濡れそぼちたり

漁翁がわたしを養はずんば

(言う)ああ天よ。(唱う)

拙き命は望みなからん

(ともに退場)

第一折

(張天覚が興児を連れて登場、詩)

船は過ぐ、淮河の渡し

あたふたと路を急げり

はからずも、波風の起き

一天をかき乱したることぞ悲しき

わたしは張天覚。排岸司のことを聴かずに、川の中ほどまで行くと、船がひっくり返ってしまった。わが翠鸞は、行方が知れぬ。みずから探しに行きたいが、期日にも迫られている。いずれにしても辛いこと。どうしたらよいだろう。道すがら、触れ文を残すとしよう。わが娘翠鸞を家に収容した者に、十両の花銀[8]を褒美にとらせよう。江州に着いたら、再び人を遣わし、ゆっくりと探させて、手を打つとしよう。翠鸞よ、おまえのせいでまことに悲しい。(退場)

(孛老が登場、言う)この日に勝る歓びはなく、嬉しいこの日にどうして逢えよう。わたしは崔文遠。わが弟を訪ねて帰ってきたところ、娘に会った。張天覚さまの娘だ。娘の父は江州へ行き、退隠するため、淮河の渡しに来たものの、排岸司の言うことを信じず、神を祀らなかったため、船を動かし、川の中ほどまでゆくと、大風が吹き、波が湧き、船はひっくり返ってしまった。娘の父は行方が知れぬ。これもまた(えにし)があるということだ。わたしは娘を義女にした。娘は我が家にやってきてから、馴れ親しんで、家族も同然。毎日、あれこれ面倒をみて、貧しさを厭うことはない。これもわたしの功徳によるもの。本日は漁に出ず、家で閑坐し、だれが来るかをみるとしよう。

(冲末が崔甸士に扮して登場、詩)

黄巻、青灯、一腐儒あり

九経、三史は腹中にあり

金榜[9]に名を題しし後に

はじめて信ず、男児の読書を要するを

わたくしは姓は崔、名は通、字は甸士、原籍は河南の者。若くして儒学を習い、詩書を読み、十年の辛苦に耐えて、楽しみを得ようとしている。このたびは、上京し、受験するため、淮河の渡しにやってきた。この地には、わが父の実兄の、崔文遠が住んでいるから、道すがら訪ねてみなければなるまい。ここは伯父上の家の入り口。一声掛けてみるとしよう。どなたかいらっしゃいますか。

(孛老)誰だろう。この門を開けるとしよう、(開け、言う)どなたですかな。

(崔甸士)わたくしは崔甸士です。上京し、受験するため、伯父さまにご挨拶しにまいりました。

(孛老)入るがよい。お父さまはお元気か。

(崔甸士)おかげさまで、息災にございます。

(孛老)すぐには行かず、わが家で何日か泊まるがよいぞ。

(崔甸士)ありがとうございます。

(孛老)おまえは嫁は娶ったか。

(崔甸士)申し上げます。古人はかくのたもうています。「功名を先にして、妻は後回しにせよ」と。わたくしはまだ妻を娶っておりませぬ。

(孛老)崔甸士には文才がある。やがて必ず役人となるだろう。翠鸞を妻にしようと思うのだが、考えはどうだろう。呼び出して、甥と会わせて、手を打つとしよう。翠鸞や、出ておいで。

(正旦が登場、言う)わたしは翠鸞。父と別れてからというもの、音信はまったくない。さいわいに崔老人はわたくしを義女となされて、実の娘と同様に扱われている。わたしはここで辛い思いをしてはいないが、父上はいずこにいらっしゃるのだろうか(唱う)

【仙呂点絳唇】

(まなこ)を挙げて愁へを生ず

父上は別れし後に尋ぬるを得ず

一片の心は悠悠[10]

生き長らへておはしませるや

【混江龍】

もしも漁翁に救はれざりせば

満江の春水を追ひ、東へと流れたらまし

わたくしは今、生きのびて歳月を過ごしたれども

父上は、いづこにて過ごされたるらん

わが一寸の心は千古の恨みを抱き

二本の眉は十分[11]の憂へに鎖せり

さいはひに老父[12]の恩は厚うして

わたくしを他人のごとく見なしたまはず

実の娘として養へり

(会う)父上さまが翠鸞(わたくし)を呼ばれましたは、いかなるご用にございましょう。

(孛老)娘や、わたしには、崔甸士という甥があり、功名を得にゆく途中、わたしの家を通りかかって、別れを告げにやってきたのだ。今から行って、会うがよい。

(正旦)かしこまりました。

(孛老)おまえは知らなかっただろうが、わしは近ごろ、翠鸞という義女をとったのだ。特別に呼び出して、会わせてやろう。奥の間に出入りをしても構わぬぞ。

(崔甸士)伯父さま、お呼びくださいまし。会うことにいたしましょう。

(孛老)翠鸞や、やってきて、礼儀正しくお兄さまにお会いするのだ。

(正旦が会い、言う)お兄さま、こんにちは。

(崔甸士)すばらしい娘だなあ。

(正旦が唱う)

【油葫蘆】

ただ見るは、かのひとの、月桂を折る手をぞ拱ける[13]

(崔甸士)娘さん、初めまして。

(正旦が唱う)

進まんとして退けり

あたふたと挨拶をして、半ば羞ぢらふ

(崔甸士)娘さん、縁あって、お会いすることができました。

(正旦が唱う)

ただ見る

かれの体は美しく

顔は麗し

(崔甸士)娘さん、いつになったらまた会うことができますのやら。

(正旦が唱う)

ただ見る

かれの心の温かく、情の厚きを

とりあへず誇るをやめよ

潘安の(かほ)は十分ならずして

子建の才は八斗にあらずと

白凉衫[14]にしつかりと鴛鴦の(ボタン)を着けて

上にも下にも、毫も(すい)ならざるはなし

(崔甸士)娘さん、わたくしは、まず伯父を訪ねて、その次に、別れを告げて、受験しにゆくのです。

(正旦が唱う)

【天下楽】

ただ願ふ

試験場にて第一等を奪はんことを

文は優れて福も優れり

瓊林に宴をするは[15]御身ら男児の意を得し(とき)なり

名は香り

美しく装ひて

宮花を挿して、御酒を飲む準備せり

(孛老)わたしはこんなに年をとったが、ただこの娘があるのみで、結婚をさせてはおらぬ。甥は賢く、顔が良いから、娘を甥の妻にしようと考えている。甥に尋ねてみるとしよう。甸士よ、嫁は娶ったか。

(崔甸士)まだですが、なぜお尋ねになるのです。

(孛老)わしはこんなに年をとったが、ただこの娘があるのみじゃ。見ればおまえは風采が堂堂として、頭が良く、姿も良いから、やがて必ず役人となるだろう。わしがおまえを婿にして、やがてはわしの葬式を出してもらえば、わしにとっても名誉なことじゃ。甸士よ、「淑女は君子と結婚する」というではないか。おまえの考えはどうかな。

(崔甸士)謹んでおっしゃることに従いましょう。ありがとうございます。伯父上さま。

(正旦)お父さまは、わたしの命を救われただけで十分ですのに、さらにわたしのためにこの結婚を成就しようとなさるのはなぜでしょう。(唱う)

【醉中天】

淮河にて救ひ出だされ

さらに楚峰の頂に送られり[16]

(背を向けて哭き、言う)かの父は[17]

(唱う)

生死は知れず、訪ぬることはかなはぬに

なにゆゑぞ、婚姻を通ぜんとする[18]

(孛老)娘や、なぜ一言も返事せぬのだ。「結婚は、結婚は、偶然のものではない」のだ[19]。わしもおまえを不幸にはせぬ。

(正旦が唱う)

結婚は偶然にあらずといへど

一言も口にし難し

あまたの雨の(なみだ)と雲の(うれへ)あり[20]

(孛老)娘や、これはめでたいことなのに、なぜ哭きだすのだ。はやく哭くのをやめるのだ。あの甥は満腔の文才を持ち、かならずや役人となるだろうから、おまえを婚約させたのだ。諺に「娘は育てば家を出てゆく」と申すであろう。実家で老いを養う娘がどこにいようか。とにかくわしの言う通りにし、今日すぐに結納を交わして、夫婦となるがよい。

(正旦が唱う)

【金盞児】

そもそもかれ[21]は儒者を敬ひ

仲睦まじうす

諍ひの多くは口を開くことより生ずべし

「娘は育てば家を出てゆく」ものと言ひ

かれみづからがはつきりと約束すれば

わたくしは頭を擡ぐることもかなはず

わたくしは心に愛しく思へども

顔は羞ぢらふ

(孛老が旦を引き、末が挨拶をし、言う)本日は吉日なれば、この結婚を成就せん。甥よ、今すぐ上京し、官職を得るために、受験するのだ。官職を得て帰ったら、わが一門を一新するのだ。わが恩をゆめゆめ忘れぬようにせよ。

(正旦)ありがとうございます。お父さま。ただ恐れるのは、崔秀才さまが去られて、やがて裏切られることでございます。

(崔甸士)わたしがあなたを裏切りましたら、天は蓋わず、地は載せず、日月は照らさないことでしょう。

(正旦)秀才さま、行かれませ。しきりに手紙を寄越してください。

(崔甸士)分かりました。ご安心なさってください。

(正旦が唱う)

【賺煞】

かれの胸には江淮[22]が逆巻きて

宝剣は星斗[23]にぞ輝ける

こはわが父が鸞鳳[24]を娶はせるなり

想へば御身は千里の山をひとりで歩めば

今宵は夢にも近寄ることは難からん

公楼[25]に赴かば

鰲頭[26]を奪ふべし

ただ恐る、金榜に名がなくば誓ひてやまざらんことを

約を違へて

親しきものに背かるることなかれ

(言う)崔秀才さま

(唱う)われをして柴門に倚り、帰らぬ舟をじつと眺めしむるなかれ

(退場)

(崔甸士)本日は伯父上にお別れし、長旅に出なければなりませぬ。

(別れを告げる)

(孛老)甥よ、ただ願はくは、なんぢのはやく名を成して、わが翠鸞を夫人県君とせんことを。

(詩)

良縁を成就するのは頃刻の(あはひ)なるべし

もつぱら望む、明春は錦衣にて還らんことを

(崔甸士の詩)

嫦娥[27]は年の若きを好めば

なんぞ怕れん、蟾宮に登るを許さざることを[28]

(ともに退場)

第二折

(浄が試験官に扮し、張千を連れて登場、詩)

人は桃李[29]は春官[30]に属せりと言ひたれど

わしの役所はほかと異なり

文章の人より秀づることを要せず

ただ金銀の秤に満つるを求めたるのみ

わたくしは姓は趙、名は銭という。物好きどもに綽名をつけられ、孫李と呼びなされている[31]。今年はわしが答案をみることと相成った。清廉で民草の銭は受けぬが、貪欲に生員のお金を求める[32]。今、姓は崔、名は通、字は甸士という挙子[33]がおり、答案を提出した。かれを首席にしようと思っているのだが、復試[34]を行ってはいない。部下よ、崔秀才を呼んできてくれ。

(崔甸士が登場、言う)わたしは崔、答案を提出したが、試験官さまが呼ばれているから、行かねばなるまい。

(張千が取り次ぎ、言う)お知らせいたします。崔秀才がまいりました。

(試験官)呼んでくれ。

(張千)行くがよい。(会う)

(崔甸士)お役人さまがわたしをお呼びになりましたのは、何ゆえにございましょうか。

(試験官)そのほうは答案を提出したが、復試を行ってはおらぬ。そのほうは字を存じておるか。

(崔甸士)秀才でございますから、字を知らぬはずがございませぬ。お役人さま、魚が水を知らないことがございましょうや。

(試験官)秀才が丁祭[35]で饅頭を奪って食べぬことがあろうや。わしが今から、文字を書くから読んでみよ。東に筆を下ろして、西で止めたらば、何の字になる。

(崔甸士)一の字でございましょう。

(試験官)結構じゃな。第一等の状元に合格したのも尤もじゃ。かような難字を知っておるとは。もう一度尋ねよう。聯詩はできるか。

(崔甸士)はい。

(試験官)「河の中には一艘の船、岸の上では八人が曳く」。つなげてみよ。

(崔甸士)「引き綱が切れてしまえば、八人はみなずっこけり」。

(試験官)よろしい。もう一首作るとしよう。「一つの大きな青い碗、ご飯はいっぱい盛られたり」。

(崔甸士)「若者は一しきり食べ、朝から晩まで腹を満たせり」。

(試験官)すばらしい秀才だ。このような教養があるのなら、わしの師匠にもなれるだろう。張千よ、この秀才が結婚をしているかどうか尋ねるのだ。

(張千)試験官さまがお尋ねです。結婚はなさっていますか。

(崔甸士)結婚をしていればどうなるのでしょう。結婚をしていなければどうなるのでしょう。

(張千)試験官さま、あのものは、結婚をしていればどうなるか、結婚をしていなければどうなるのかと尋ねております。

(試験官)結婚をしているならば、秦川知県にしてやろう。結婚をしていないなら、わが家には百八歳の娘がいるから、あのものの妻にするとしよう。

(張千)十八歳でございましょう。

(試験官)十八歳だ。

(張千)秀才さま、試験官さまは、あなたが結婚なさっているなら、秦川の知県にし、結婚なさっていないなら、一人娘の婿にするとの仰せです。

(崔甸士)お待ちください。考えますから。(背を向けて言う)伯父上の家の娘は、実の子ではなく、どこからもらわれてきたかも分からない。あの女など必要ない。神さまを欺いたとて、坐して機会を失うわけにはゆくまいぞ。(振り返って言う)実を申せば妻は娶っておりませぬ。

(試験官)それならば、そなたを婿にするとしようぞ。張千よ。下女に命じて竃の中から娘を引き出せ。

(張千)かしこまりました。

(搽旦が登場、詩)

今朝、喜鵲(かささぎ)(かまびす)

必ずや姻縁の到りたるらん

ともに乞食(かたゐ)とならんとも[36]

わたくしはただははと笑はん

わたしは試験官の娘。父上が呼んでいるから、ゆかねばなるまい。(会う、言う)お父さま、わたしを呼ばれましたのは、何ゆえにございましょうや。

(試験官)おまえを呼んだはほかでもない、わしはおまえに婿をとったぞ。

(搽旦)幾人とられたのですか。

(試験官)一人だけだよ。見てみるがよい。よい婿だろう。

(崔甸士)すばらしい嫁だなあ。

(試験官)すばらしい義父であろう。

(崔甸士)すばらしいお義父(とう)さまにございます。

(試験官が張千を見、言う)すばらしい義母か。

(張千)恐れ多いことにございます。

(試験官)崔甸士どの、今日はそなたを秦川の県令にして、わしの娘といっしょに赴任させるとしよう。『酔太平』という小曲を作ったから、唱ってそなたを送るとしよう。(唱う)

【酔太平】

なんぢは優れた人物にして

経史を習ひ

聯詩、猜字[37]をことごとく知りたれば

娘をなんぢに娶はせり

この

はづしてなんぢに被すべし

(幞頭をはずす)

この(うすぎぬ)襴衫は、脱いでなんぢに着せかけん

(羅の襴衫を脱ぐ)

真つ裸とぞ相成れる。

(言う)張千、わしについてこい。(唱う)

湯殿にゆきて湯浴みせん

(退場)

(崔甸士)娘さん、今日はいっしょに荷物を整え、赴任しましょう。(詩)

桃李の門[38]に別れを告げて

遥かなる山河を急げり

(搽旦の詩)

幞頭や袍、笏を買ふ必要はなし

訴へごとを裁きにゆかん[39]

(ともに退場)

(正旦が登場、言う)わたしは翠鸞。崔老人はわたしを義女とし、甥崔甸士さまは、わたしを妻とせり。崔甸士さまは上京し、受験され、はや三年(みとせ)。秦川の県令となられしことを聞きしかど、わたしを娶りに来たまふことなし。今、崔老人の言葉に従ひ、旅費を整へ、秦川に行き、崔甸士さまを探さん。崔老人も甥に会はまく(ほり)すれば、後から会ひにきたまふべし。(嘆く)ああ、想ふに秀才たちはまことに薄情なるもの(唱う)

【南呂一技花】

やうやくに蟾宮に桂枝を手折り[40]

金闕に褒美を受けて

洞房に花燭の夜

金榜[41]に名を記す時なりと思ひしに

御身のために財産を棄て

はるばると旅路をたどれり

五六里の塚に憩へぬことが恨めし

(くれなゐ)の塵に灑げる秋雨は絲絲(しし)として

(うすぎぬ)の衣に染むる金風(あきかぜ)飋飋(しつしつ)たるなり

【梁州】

ただひらひらと空に漂ふ敗葉(わくらば)を見る

赤々と血に染まりたる臙脂のごとし

寒々と西風(あきかぜ)は菊を散らせり

見ればかの林の梢は葉を落とし[42]

山の姿は参差たり

旅ゆけば、口は乾きて、舌はざらざら

(まなこ)は霞み、頭はくらくら

涙を拭ふを禁じ得ず

か弱き体は得進(えすす)まで

ゆつくりと靴を直して[43]

ゆつくりと笠を抑へて

そつとこの(もすそ)を曳きたり

情の薄きあの男

役人となりぬればかならずや人の仕ふることあらん

いかに忙しからんとも

わづかな手紙も書き得ぬことのあるべきや

なんぢに会ふ日もかならずあるべし

われはじつくりと物思ひせり

(言う)もう秦川県についたから、人に尋ねてみるとしよう。(古門に向かって尋ね、言う)お尋ねします、お兄さん、どちらが崔甸士さまのご私宅にございましょう。

(内)前方の八の字の門がそれだよ。

(正旦)お兄さん、包みはこちらに置いておきます。親戚を確認いたしましたら、取りにまいります。

(内)こちらに置いておかれても構いませぬ。お行きなされ。

(正旦)どなたかいらっしゃいますか。取り次ぎをなさってください、夫人が入り口にいますと。

(従者)ご婦人、間違ってらっしゃるのでしょう。わたくしどもの主人には奥さまがございますから。

(正旦)何ですって。

(従者)わたくしどもの主人には奥さまがございますから。

(正旦が唱う)

【牧羊関】

戯れ言を

いかなることぞ

かの人は浮気などするはずはなし

かの人と別れて三年(みとせ)

わたしはすこしも操を枉げしことはなし

糟糠の妻をば棄つることはあらじと思ひしに

わたしのほかに美人を求めたりしとは

ひたすらにその女房めを打ち殺すことを望めり

ああ、ああ、ああ

げに情なき崔甸士どの

(言う)お兄さん、いずれにしても、取り次ぎをなさってください。

(従者が取り次ぐ)お知らせします。入り口にご夫人がいらっしゃいました。

(搽旦)こいつめ、何を言うのかえ。

(従者)旦那さまのご夫人が、入り口にいらっしゃるのです。

(搽旦)その人が夫人なら、わたしは下女かえ。

(崔甸士)こいつは聴き間違えたのだろう。妻よ、行ってはならぬ。ここで待つのだ。わしが見にいってこよう。

(正旦が確認をし、言う)崔甸士さま、あなたはまことに薄情な方。何ゆえに、官職を得られましたに、人を遣わし、わたしを娶りに来られぬのでしょう。

(搽旦)結構なことでございますね。嫁はいないと言っていたのに、なぜこの人が来たのです。このけだもの、ほんとうに腹立たしいこと。(腹を立てる)

(崔甸士)妻よ、怒りを静めてくれ。これはわが家の買った奴隷で、わが家の銀壺と台盞を盗んで逃げて、いままでずっと見つからなんだが、今日はみずからやってきたのだ。飛んで火に入る夏の虫とは、まさにこのこと。部下よ、捕まえて、素っ裸にし、打ってくれ。

(従者が旦を捕まえようとするが、旦は承知しない)

(正旦が唱う)

【隔尾】

わたくしは夫唱婦随し

琴瑟をともに奏づることのみを望みたりしに

誰か知るべき

あばずれ女と再婚したまひたりしとは

(搽旦が怒って言う)死にぞこないめ。わたしのことを罵っている。

(崔甸士)部下よ、引きずり出して打たないか。

(正旦が唱う)

竪へ横へと引きずりて

(きざはし)を離れしめたり

(言う)崔甸士どの

(唱う)

思い出されよ

そのかみ、みづから誓ひの言葉を立てたまひしを

(崔甸士)馬鹿をいえ。わたしがどんな誓いの言葉を立てたというのだ。

(正旦が唱う)

裏切らじ

裏切らじとて

天地をぞ指さしたまひし

(崔甸士)部下よ、おまえはこいつがほんとうに夫人だと思っているのか。引き倒し、素っ裸にし、しっかりと打たぬなら、わたしの力で、そのほうを充軍にしてやるぞ。(続けざまに机を叩く。従者が引き倒し、打つ)

(正旦が唱う)

【哭皇天】

(せな)は刀に刺さるるがごと

打たるれば青、紫を交へたり

びゆうびゆうと雨粒は落ち[44]

ひりひりとながく疼けり

無情なる

無情なる棍棒にいかで耐ふべき

皮や骨

(あたま)(むね)を殴られて

肉は飛び、筋は切れ

血は濺ぎ、(たま)消えたり

疼くたび

疼くたび、気を失へり

情の薄き甸士に問はん

何ゆゑに、無実の罪を押し付けたるや

(崔甸士)罪状を知りたいと申すのか。こうしてやろう。部下よ、このものの顔に「逃亡奴隷」の文字を刺青し、沙門島へと護送するのだ。

(従者)かしこまりました。

(正旦が唱う)

【烏夜啼】

この短命賊(ろくでなし)

なにゆゑぞわたしに勝手に刺青し

よその地に流さんとする

この世でかかるをかしな事を見しことぞなき

哭き噎び、声はか細く

肚いつぱいの嘆きを訴ふるを得ず

想へば、天に悲慈のなきはずはなからん

ただ願ふ、おんみの実の伯父さまのただちに来たまひ

双方の事情を質したまはんことを

おんみは達者なるその口で

わたくしが公私の罪[45]を犯せりと言ふ

(崔甸士)部下よ、今すぐに、健脚の護送官をば遣わして、逃亡奴隷を沙門島へと護送するのだ。旅の途中でかならず殺し、活かしておくのは許さぬぞ。今すぐに護送してくれ。

(正旦)崔甸士どの、あなたはまことに酷い方。(唱う)

【黄鍾煞】

君に勧めん、謀をば用ゐるなかれ

東岳[46]は新たに速報司[47]をぞ添ふべき[48]

おんみはまことに薄情なる方

わたしはもともと幸薄き女にはあらざれど

本日は、この地を追はれ

旅路にて、憐れにもただ一人なり

じつくりと、心の中でひそかに思へり

苦しみに、わが身のいかで動くべき

かならずや、路に(かばね)を横たへん

(悲しみ、唱う)

ああ、天よ

いづこで縊り殺さるるやら

(護送官とともに退場)

(搽旦)亭主どの、あなたの前の奥さんなのではございませぬか。あの人を家に留めて、下女になされば、世間から謗られることもございませんでしょう。

(崔甸士)妻よ、心配するな、前妻などはおらぬのだ。

(搽旦)あの人は今、あなたの実の伯父さまが来られたら、あなたと対面なさるだろうと言っていましたが、あれはどういうことなのですか。

(崔甸士)わたしには、崔文遠という実の伯父があるのだ。女はもともとわたしの伯父の下女だったのを、わたしに売ったものなのだ。顔はなかなか綺麗だが、手癖が悪く、盗みをしたのだ。わたしは以前、あちこちを探したが、見つからなかった。今日はみずから訪ねてきたが、どうして許すことができよう。今から旅に出、秋雨に遇い、棒瘡に罹れば、あいつも死んでしまおう。わたしはおまえと奥の間へ、お酒を飲みにゆくとしよう。

(詩)

今日さいはひに逃亡奴隷を捕らへたり

流刑となさば、必ずや旅路に死すべし

(搽旦の詩)

あの人がむかしの妻か妾なら

ともにゆかれて夫となるにしくはなからん

(ともに退場

第三折

(張天覚が興児、従者を連れ登場、詩)

江州に赴きて、三たび春を見

(はらわた)を断ち、(かうべ)(めぐ)らし、泪は手巾を潤せり

淋しさはただ雲の端の月の有るのみ

かつて照らせり、その昔、離れ離れとなりける人を

わたしは張天覚、わが娘翠鸞と、淮河の渡しで船が転覆したために、別れてからもう三年になる。さいわいに聖恩はありがたく、わたしのことを清廉潔白、志操堅固で、つねに報国の心を抱き、私心はまったくないと仰り、天下提刑廉訪使へと昇進させ、勢剣、金牌[49]、生殺の権を賜わった。聖上は貪官汚吏を監察し、公平でない訴訟を審査するようにとの御意向なのだ。わたしは衰えてはいるが、労苦を恐れることはない。ひたすらに翠鸞のことを考え、憂えるあまり、鬚と鬢とは白くなり、両眼はかすみ、昔とすっかり違ってしまった。ここ数年、人に命じて、至るところを尋ねさせたが、消息はまったく知れぬ。時は秋、寂しい風、冷たい雨、行く雁と、鳴く虫にどうして耐えることができよう。眼の前の景物は、一つとして悲しげでないものはない。興児。空が曇って、雨が降ってきたから急ぐことにしよう。

(詩)

朝臣となりてこのかた

苦しみを受く

郷園 千里の夢[50]

鞍馬 十年の塵[51]

実の子と生き別れ

代々の財産はことごとく散り失せたりき

折しも秋の暮なれば

旅の愁へは盛んなり

看よや、かの瀟瀟と降る雨と

切れ切れの雲

黄花は金の(けもの)(まなこ)

紅葉は火の龍の鱗ぞ

山の姿は嵯峨として起ち

(かは)()は浩蕩として聞こえたり

童僕は道を進むに倦みて

魂も消えいらんとす

興児よ、行く手はいづこなるらん。

(興児)旦那さま、この先は臨江駅で、離れてはおりませぬ。

(張天覚)臨江駅に着いたら、ひとまず泊まるとしよう。これぞまさしく、長江の風は(たびびと)をば送り、侘しき館に降る雨は人を留むる。(ともに退場)

(正旦が枷を着けられ、護送官とともに登場、言う)ひどい大雨。

(詩)

もともとは香閨の娘なれども

憐れにも、わらわを守る人ぞなき

流罪となりて故郷を離れ

淋漓たる驟雨に逢へり

護送官どの、ひたすらわたしを棍棒でお打ちになるが、そんなに邪慳なお心で、わずかばかりの慈悲の心ももたれぬはずはございますまい。(悲しむ)天よ。天よ。わたくしはまことに不満にございます。(唱う)

【黄鍾醉花陰】

たちまちに聴く、林を摧く怪風と

甕、盆を覆したる驟雨の音を

痛みを堪へ

旅路を忍べど

風雨は激しく

雨はいづれの時に止むべき

明らかにか弱き女をいびり殺さんとするなり

この人もなき荒野にありては

わらはを守る人こそなけれ

(護送官)急ぐとしよう。雨がますます激しくなってきたからな。

(正旦が唱う)

【喜遷鶯】

わたしは濡れて逃げ場なし

沙門島とはいづこの(ぢごく)

長嘆息は結ぼれて霧となり

ゆきゆけば、轍に(あし)は陷りて

腰は痛めり

頭を激しく打つ雨にいかでか耐ふることを得ん

脚元はぬらぬらとした泥濘ぞ

(正旦が転ぶ)

(護送官)どうして転んだ。

(正旦)護送官どの、こちらはぬるぬるしております。

(護送官)千万の人が歩いても転ばないのに、おまえひとりが転ぶというのか。わしが歩いてゆくとしよう。ぬるぬるとしていたら、許してやるが、もしもぬるぬるしていなければ、二本の脚をへし折って四本にしてやるからな。

(護送官が歩いて転び、言う)はやく助け起こしてくれ。娘よ、おまえは向こうを歩くがよい。こちらはすこしぬるぬるしておる。

(正旦が唱う)

【出隊子】

急いで歩くは難しく

濡れたれば、よき場所はなし

ご飯を食べる時に古びし服を干せども

道を行く時に木綿の腹掛けは濡れ

転びし時に棗の櫛を落としたり

(護送官)今度はどうした。

(正旦)棗の櫛を落としたのです。

(護送官)放っておけ。この先で、別の櫛を買ってやろう。

(正旦)護送官どの、探してください。この先、おんみも髪を梳かねばなりますまい。

(護送官)人に迷惑をかけおって。(脚で踏み、言う)これがそうだろう。この水で泥を洗おう。今、櫛が見付かったから、急ぐとしよう。

(正旦が唱う)

【幺篇】

心に憂へり

三つのもののわたしの命を終はらしむるを

(護送官)三つのものとはいったい何だ。わしに話して聴かせてくれ。

(正旦が唱う)

この雲は

天を隠して、日を覆ひ

野を鎖したり

この風は

石を走らせ、沙を吹き

樹を抜けり

この雨は

弓の矢か、懸けられし麻のごとくに

苦しみを増す

(護送官)歩け、歩け、歩かねばおまえを打つぞ。

(正旦)護送官どの。(唱う)

【山坡羊】

ただ願ふ、お怒りを静めたまひて

あれこれと面倒をみたまふことを

なにゆゑぞひどき言葉で

三十たびも罵りたまふ

路は険しく

河はくねくね

ぶるぶるとして前に進めず

かてて加へて棒瘡の発するにいかで耐ふべき

わづかに半歩を動かせるのみ

(言う)護送官どの、わたしを打ち殺してください。

(唱う)おんみはまことに徳のなき方

(護送官)つべこべ言うのはやめるのだ。秋雨に濡れ、日に日に道が悪くなるから、急ぐのだ。

(正旦が唱う)

【刮地風】

ただ見る、かれの眼を怒らして大声で叫べるを

むらむらと怒りは胸に沸き起こりたり

わたくしは濡れたるにひたすら先を急がんとせり

ああ

殴られて傷つきし体は進むことを得ず

(護送官が怒鳴り、言う)まだ歩かぬか。

(正旦が唱う)

わたしは一歩一歩進みて

停まりたりしことぞなき

こなたにも、あなたにも

(かわ)(みずうみ)のあるにぞ似たる

かの悪しき風と波とが

わたしを阻めり

尋ぬべき旅人もまばらとなりて

かくて茫茫たる野の河と空は暮れたり

(言う)護送官どの、

(唱う)女のわたしはいかでか進みゆくを得ん

(護送官)どうしてだ。

(正旦)護送官どの、かように深い泥濘(ぬかるみ)を、進むことなどできませぬ。護送官どの、憐れと思われ、わたしが歩く手助けをなさってください。

(護送官)迷惑を掛けおって。おまえが歩く手助けをしてやろう。尋ねるが、あの方の下女だったのに、あの方の金銀を盗んでどこへいったのだ。あの方は、わしにおまえの命を奪えと命じられたぞ。本当のことをわしに言うのだ。

(正旦)わたくしはあの者の下女ではなく、金銀を盗んではおりませぬ。(唱う)

【四門子】

護送官どのにつぶさに訴へん

かの役人はわが夫なり

申し上ぐるはまことにて

そらごとならず

かのものを訪ねあて、(えにし)をば結ばんと思ひたれども

かのものは別に妻を娶りて

わたしを下女と言ひなせり

わたしはまことに不満なり

(護送官)それならば、あのお役人さまが悪いというわけか。だが、今、わしはおまえを許すわけにもゆかぬ。はやく歩け。

(正旦が唱う)

【古水仙子】

かれはまことに凶悪にして

良心に背いてわたしを殺めんとせり

おんみはきびしき下役で人を締め付け

わたしはかよはき罪人で苦しみを受く

嫩らかき(はだへ)を幾度も棍棒で打ち

冷たき鉄の(くさり)て首を締め付け

無理にわたしを活地獄へと送りたり

この悲しみを誰に告ぐべき

(言う)護送官どの、

(唱う)おんみはわたしの護身符ぞ[52]

(護送官)日も暮れた。急いで歩き、今晩宿る場所を探そう。

(正旦が唱う)

【随尾】

天と人とに助けられ

泪は頬を伝はれり

(言う)天よ、天。

(唱う)泪の粒はいや増して、秋の夜の雨にぞ似たる

(ともに退場)

第四折

(浄が駅丞に扮して登場、詩)

往き来する人々を送り迎へし停まることなし

食糧を駅丞は出だしたり[53]

欽差をおもてなしするは宜しかれども

お側近くに仕ふる輩は人でなしなり

わたしは臨江駅の駅丞。昨日届いた通知によれば、廉訪使さまがこちらを通られるとのことだ。宿舎をきれいに掃除しなければならぬわい。お役人さまが来られるからな。

(孛老が登場。言う)わしは崔文遠。わが娘翠鸞に、甥の崔甸士を探しにゆかせたのだが、音信はまったくない。わしはみずから秦川県に赴いて、わしの娘に会いにゆくのだ。日も暮れて、大雨も降っているから、とりあえず宿舎で一晩泊まって、明朝、出発しよう。

(駅丞が会い、言う)お爺さん、あんたは何をしているんだい。

(孛老)雨は激しく、この先に泊まる所もございませぬ。宿舎のどこでも構いませぬから、どうか一晩泊めてくだされ。明朝はやくに出てゆきますから。

(駅丞)爺さんは知るまいが、今、廉訪使さまの接待をしているのだ。大騒ぎしないでくれ。厨房の軒下に泊まってくれ。

(孛老)ありがとうございます。(退場)

(張天覚が興児、従者を連れて登場、言う)わたしは張天覚、臨江駅にやってきた。興児よ、雨で濡れたのではないか。

(興児)旦那さま、大雨で、服はすっかり濡れました。

(張天覚)それならば、まずは宿舎で雨宿りするとしよう。

(駅丞が迎え、言う)臨江駅の駅丞が、お迎えに参上しました。お役人さま、公館でお休みください。

(張天覚)興児よ、今まで馬に乗っていたから、疲れてしまった。とりあえず休むから、人が騒がぬようにしてくれ。もしもわたしを目覚めさせたら、おまえを殴ることにする。人々に言い含めてくれ。

(興児)かしこまりました。駅丞よ、廉訪使さまはお休みになられるから、大騒ぎすることはまかりならぬぞ。廉訪使さまを起こせば、わしが打たれる。申し付けたぞ。

(駅丞)かしこまりました。

(護送官が正旦とともに登場)

(正旦)護送官どの、今日は一日雨に降られてしまいましたね。

(護送官)この大雨でおまえが濡れて死んでくれたら、このわしも楽なのだがな。沙門島までは大した道のりだからな。[54]

(正旦)護送官どの、雨風はますます激しくなってきました。(唱う)

【正宮端正好】

雨は傾くるがごとく

風は扇ぐがごときなり

半空(なかぞら)に風雨は纏ひ

二つのものは旅人の怨みを顧みることなく

ひとへに頭と顔を打ちたり

【滾繍球】

そのかみは水辺に近く

岸辺に到るも

風の巻き、浪の高きは耐へ難かりき

これら二つはいとも冷たく

風の吹くさまは矢を射たるがごとく

雨の降るさまは甕をば傾けたるがごときなり

この風と雨とを見れば

まことに善からず

これもまたわが(めい)の罪を招きたるなり

ただ見る、雨は淋淋として、瀟湘の(けしき)を描き

雲は淡淡として、水墨の空をなせるを

両の泪は落つること漣漣たり

(護送官)悲しむな、わしはおまえといっしょに臨江駅に行き、泊まるとしよう。(門で叫び、言う)駅丞よ、門を開けてくれ。

(駅丞)今度は誰だ。この門を開けるとしよう。この馬鹿者は、まことに大胆。廉訪使さまがこちらで休まれているのだぞ。おまえは門の外にいろ。大騒ぎしたら、おまえの足をへし折るぞ。門を閉めるぞ。

(護送官)まことに運の悪いこと、廉訪使さまがこちらにいらっしゃったとは。大騒ぎするのはやめよう。この服を脱ぎ、自分で搾って乾かそう。(服を脱ぎ、言う)ああ、袖の中にはまだ焼餅(シャオピン)があったから、食べるとしよう。

(正旦)護送官どの、何をお食べになるのです。

(護送官)焼餅を食べるのだ。

(正旦)護送官どの、少し食べさせてください。

(護送官)わしが食事をするときは、おまえは必ずねだるのだな。まあよかろう、少し食わせてやるとしよう。

(正旦)護送官どの、もう少し食べさせてくださいまし。

(護送官)焼餅一つを、おまえといっしょに少しずつ食べようとしたのだが、おまえは少ないから嫌だという。仕方がない[55]、全部おまえに食わせてやろう。

(正旦が唱う)

【伴読書】

護送官どの、とりあへず休まれよかし

わたくしはいはんかたなくお腹がすきて

雨風の中、つとめて旅路を進みたり

歩けばわたしの筋は萎え、力は尽きて、身は震へたり

体は痛み、まことに疲れ

立ちつつ眠り、歩みつつ()

【笑和尚】

一晩は一年のごとくにて

天を怨めり

前世にてけちくさき願を掛けたに違ひなし[56]

泪の(まみ)は哭きて涸れ

喉は叫んで破れたり

護送官どの

いかでかこの焼餅を飲み込むを得ん

(哭き、言う)ああ、天よ。わたしはここにおりますが、わが父上はいずこにいらっしゃるのでしょうか。

(張天覚)翠鸞よ、ほんとうに悲しいことだ。わたしは先ほど目を閉じて、あの娘がわたしの眼の前にいるのを見たが、昔の事を語っていると、誰かがわたしの夢を醒ました。わたしは年老いているため、魂は疲れ、心は悲しく、宿は寂しく思われる。かてて加えて、季節は晩秋、景色は淋しい。水辺の街の夜は永く、(ちょうと)[57]の音は、人々を悲しませ、多くの憂えを抱かせる。寒空に(こおろぎ)唧唧(けいけい)と鳴き、辺塞に雁は叨叨(とうとう)[58]と飛び、金風は淅淅、疏雨は瀟瀟。無情なる雨風により、寝着かれず。これぞまさしく、憂えは湘江の水に似て、涓涓として流れを絶やすこととてない。秋の夜の雨に似て、一粒ごとに愁わしい。先ほど興児に、大騒ぎせぬように命じたのだが、あいつめ注意を怠って、わたしを目覚めさせてしまった。あいつを打つべし。

(興児)あの駅丞に言い含めたのに、あいつは注意をしなかった。わしはあいつを打ちにゆこう。(駅丞を打ち、言う)こいつめ、大騒ぎしないようにと言い含めたのに、わが旦那さまを目覚めさせたな。わしは打たれるところだったぞ。わしはおまえを打ってやる。

(駅丞)打たないで下さいまし。お休みください。護送官がこの門の外に来たのです。わたくしはこの門を開け、あいつを打ってまいります。(護送官を打ち、言う)護送官よ。大騒ぎするなと言うたに、何ゆえに泣き叫び、廉訪使さまをお起こししたのだ。今しがた、お付きの方に殴られたから、おまえを殴ってやるとしよう。

(護送官)すべてこの囚人のせいなのです。

(詞)なんぢは千里に寒衣を送りし孟姜女[59]、羅裙に土を包みたる趙貞女[60](みかど)にいたく哭しし女娥皇[61]、なんぢの泪の滴りて斑竹となることを誰か許さん[62]

(正旦の詞)護送官どの、お怒りにならないでくださいまし。わたくしの不平を誰に訴えましょう。これよりは、怒りを忍び、声を呑み、哭き喚いたりはしませぬ。父上、心配でなりませぬ。

(張天覚)翠鸞よ、おまえのせいでまことに悲しい。先ほどはわたしの娘と、そのむかし淮河の渡しで別れた事を語ったが、誰かに夢を醒まされてしまったわい。

(詞)一つには心の満ち足りることはなく、二つには思いはぼんやり。(まなこ)を閉じて、父娘は相逢い、そのむかし別れたことを話していたが、良い夢はたちまちに覚めてしまった。このような淋しさはどこにもあるまい。叮噹(ティンタン)鉄馬[63]は響き、寒空に砧を搗いているかと疑う。人気ない階の下、(こおろぎ)の西窗にすだくかと思いなし、大空のはて、雁の南浦に帰ってゆくのかと想う。物思いを終え、じっくり聴けば、そもそもこれは、人を呼び覚ます狂風驟雨。景色を見ても親戚はなく、心は悲しく、寂しさはいよいよまさる。娘よ、おまえは今、この世で生きているのだろうか、それとも黄泉路にいるのだろうか。富貴栄華を得ているのかも知れないし、追われたり捕らえられたりしているのかも知れない。白頭翁は孤り宿にて物思う。天よ、わたしの若い娘はどこで苦しみに耐えているやら。大騒ぎしないようにと興児に言うたに、なぜまたわしを目覚めさせたのだ。(興児を殴る

(興児)旦那さま、打たないで下さいまし。みな駅丞が悪いのです。(出て駅丞に会い、言う)駅丞よ、大騒ぎするなと言うたに、なぜまた旦那さまを起こしたのだ。

(詞)さんざんおまえに言い含めたに、長く短く泣き喚いている者がいる。今、旦那さまはわたしを殴り、わたしはぎゃあと叫んだから、わたしもおまえを殴って召使いさまと叫ばせてやる。

(駅丞)すべてこの門の外にいる護送官のせいなのです。この門を開け、あいつを打つといたしましょう。護送官よ、何度もおまえに大騒ぎするなと言うたに、また廉訪使さまの眠りを醒ましたな。この馬鹿者め。

(詞)風雨でびしよ濡れなりといへども、ことさらに騒ぐべからず。廉訪使さまのお付きの方がこのわしを一鞭打たば、このわしもおまえの脊骨をへし折らん。

(護送官の詞)大声で話すのを聴く。門を開け、見てみれば、狼か虎のよう。おまえ[64]は外に出たことはなく、旅には慣れていないのだろう。あなたも事情を尋ねてください。わたしを打たれるのはほんとうに不当なことにございます。大きな枷と鉄の鎖を掛けられた、悲しんで泣いているくそ女めが、駅馬を馳せて、金牌を掛け、先に斬り、後に奏する[65]老大臣さまの眠りを醒ましたのです。飢えを忍んで、寒さに耐えて、憎まれて、殴られて、棍棒がひたすら身に振り下ろされるより、風に触れ、雨を冒して、門楼を離れて、宿のある道を急いで、ほかに人家を探して泊まったほうがようございます。

(正旦の詞)門を隔てて訴へん。わたくしの肺腑の言葉を聴きたまへかし。慈悲の心を起こされば、御身はすなはちわたくしを生みし父母なり。旅路でのさまざまな苦労はさておき、脚の裏なる水泡は数をも知れず。懸けられし麻にも似たる驟雨は滴り、疾き矢に似た狂風は乱れ吹きたり。宿舎に落ち着けるものと思ひしが、誰か想はん、御身の邪慳にわたくしどもを追ひ出ださんとは。野末の宿を捜しにゆかんと思へども、真暗でいづこにありとも知れざりき。(やまいぬ)や虎に遭ひ、殺されずんば、必ずや江魚の腹に葬らるべし。山寺の夜明けの鐘は程なく鳴るべし。とりあへずわたくしたちを中に入れ、このしとどなる瀟湘の夜の雨を避けさせよかし。

(張天覚)夜が明けた。興児、入り口に行き、誰だか見てくれ。一晩中騒いでいたが、捕まえてきてくれ。

(護送官、正旦を捕まえる、旦を見る、旦が言う)父上さま。

(張天覚)翠鸞か。この三年間、どこにいたのだ。なぜ枷と鎖を嵌められているのだ。

(正旦が哭き、言う)ご存じないのでございましょうが、わたくしは父上さまとお別れしてから、崔老人に救われて、義女となったのでございます。崔老人には甥の崔通がおり、崔通はわたしの婿となりました。崔通は功名を得て、秦川の県令となったのですが、わたくしを娶りにきませんでしたので、崔老人の言葉に従い、かれを尋ねてゆきました。あにはからんや、崔通はほかに妻を娶って、わたしを逃亡奴隷だといい、沙門島へと護送するよう命じたのです。旅路では死なんばかりで、生きる望みはなかったものの、さいわいに、本日は、父上さまに会うことができました。父上さま、どうかわたしをお助けください。

(張天覚)すぐ枷と鎖をとるのだ。かくも無礼な奴だったとは。部下よ、いずこぞ。すみやかに秦川県に赴いて、崔通を捕らえてきてくれ。

(正旦)父上さま、崔通は秦川で知事をしておりまする。人を遣わし、あの者を捕らえられても、わたしの怒りは消えませぬ。従者を連れて、わたしみずから捕らえにゆくといたしましょう。これぞまさしく「つねに冷たき(まなこ)にて蟹を見る、おまへが横に進むのもあといくばくぞ[66]」。(従者とともに退場)

(崔甸士が登場、言う)わしは崔通。先日の女は、実は伯父上がこのわしに娶わせた妻だったのだが、無理やり逃亡奴隷とし、沙門島へと護送させた。護送官には、途中で殺せ、活かしておくなと命じたが、行って何日にもなるのに、なぜ報告が来ないのだろう。女房はこの事で、いつもわたしと口論している。(びっくりして、言う)なぜ眼がぴくぴくするのだろう。女房がまた喧嘩しにきたのだろう。

(正旦が従者を連れ登場、言う)はやくも秦川県に着いたぞ。部下よ、門を開け、中に入ろう。(会う、言う)崔通だ。部下よ、捕らえよ。

(崔甸士)これはおかしい。おまえたちはいずこからやってきたのだ。

(従者)廉訪使さまがそのほうを捕らえるのだ。

(正旦)崔通め、ここで会ったが百年目。部下よ、冠と帯を剥ぎ、しっかりと縛るのだ。

(崔甸士)憐れと思うてくださいまし。「夫は(つま)の天なり」[67]と申しましょう。

(正旦が唱う)

【快活三】

死したる狗のごとく掴めば

「夫は(つま)の天」なりといふ

達者な口を利くのなら

(言う)さあ行け。

(唱う)

わが父親のもとへ行き、釈明をせよ

(崔甸士)廉訪使さまの娘を、妻としていたということか。こりゃ大変だ。

(正旦)部下よ、さらに一人のあばずれがいる。そいつも捕らえてきておくれ

(従者が搽旦を捕らえて登場)

(搽旦)わたくしも役人の家の娘ぞ。なにゆえわたしを飯炊き女のように引っぱる。「妻に事有らば、罪は夫に坐するなり」[68]ということは存じておろう。これはみな崔通のしたことで、わたしとは関わりないのだ。

(正旦が怒って言う)部下よ、こいつも縛っておくれ。

(搽旦)騒ぐのはやめるのだ。わが父は役人となり、『醉太平』の小曲を唱うのが好きだったので、わたしもまねて唱えるのだ。唱うのを聴くがよい。(唱う)

【醉太平】

われは思へり、おんみは賢き卓文君

われは思へり、おんみは麗しき西施

手癖が悪く、お金を盗むことはあるまじ

こはことごとく崔通のでつちあげなり

(正旦)部下よ、さっさと縛っておくれ。

(搽旦)ああ。鳳冠を着けた夫人が、縛られるなどとんでもない。お待ちくだされ。(鳳冠を取り、唱う)

金花八宝の冠を取り

(霞帔を脱ぎ、唱う)

雲霞五彩の帔肩を取りて

すべて張家の娘のもとにお送りし

甘んじて下女となるべし

(正旦)部下よ、どちらも縛って、護送して、わが父に会わせるとしよう。(退場)

(張天覚が登場、言う)娘はみずから崔通を捕らえにいったが、どうしてなかなか戻ってこぬのだ。

(正旦が崔甸士、搽旦を護送して登場、言う)父上、悪人を二人捕らえてまいりました。

(張天覚)これらの無礼なものたちは、朝廷に上奏し、貢官と結託し、妻を離縁し、再婚し、あばずれを野放図にし、法を枉げ、自白をさせた、大罪に問うことにしよう。すぐにかれらを通りに護送し、殺してしまえ。

(孛老が慌てて登場、言う)だれが騒いでいるのだろう。見てみよう。(見て、言う)翠鸞や、どこにいたのだ。

(正旦)ああ、お父さま、わたくしは崔通に会いにまいりましたが、崔通はほかに妻を娶って、わたしを逃亡奴隷だといい、沙門島へと流罪にしました。ちょうどいい所にいらっしゃいました。今、崔通を殺そうとしていたのです。

(孛老が宥め、言う)娘や、どうかわたしの顔を立て、かれの命を許してやってはくれまいか。

(正旦が唱う)

【鮑老児】

かれはわが今生の仇、宿世の(かたき)

首を取りたくてたまらず

(崔甸士)伯父上、とりなしをしてくださいまし。わたくしは、あの嫁を離縁して、娘さんともう一度、夫婦になろうと思います。

(孛老)娘や、許してやってくれ。

(正旦が唱う)

わたしはかれに何らの愛ももたざれば

許すまじとは思へども

この恩人の面子を立てぬわけにもゆかず

ぷんぷんとして

心を傷ませ、歯咬みして

怒気は天をぞ衝けるなる

(正旦が孛老を連れ、張に会い、言う)父上さま、こちらはわたしの命を救ってくださった、崔文遠さま。恩人の顔を立て、崔通も許すとしましょう。

(張天覚)崔通を許すわけにはゆくまいぞ。

(孛老)お役人さま、お嬢さまはもともとは、崔文遠(わたくし)が正式に、甥崔通と婚約をさせたのでございます。今、あの嫁を離縁して、お嬢さまと、もう一度、夫婦とすれば、よろしくはございませぬか。

(張天覚)娘よ、おまえはどう思う。

(正旦)一生の事でございますから、わたくしも考えました。崔通を殺しても、ほかの男を婿にすることはできませぬ。女の顔に、「溌婦(あばずれ)」の文字を入れ墨し、下女として、わたくしに仕えさせればよろしいでしょう。

(張天覚)それもそうだな。部下よ、あの者を連れてきてくれ。崔文遠の顔を立て、死罪を許そう。恩人をわが家に招き、老いるまで世話をして、娘はふたたび崔通の妻としよう。女もかれの父親の趙礼部どのの顔を立て、入れ墨をするのを許し、下女として、娘に仕えさせるとしよう。

(搽旦が哭く)いずれも同じ父親で、いずれも同じ役人ですのに、あちらはかように権勢があり、わが父はすこしもわたしを救えないとは。いつわらず申し上げましょう。下女になるにはなりますが、通房[69]にしてください。亭主を独り占めすることは許しませぬ。

(張天覚)部下よ、冠と帯を持ってきて崔通に返すのだ。娘と結婚した後に、また秦川にゆき、役人となるがよい。

(正旦、崔甸士が冠帯で、搽旦が下女の出で立ちで付き添い、拝礼をする)

(張天覚)娘や、その昔、淮河の渡しで別れたが、今日があるとは思いもよらなかったぞ。

(正旦が唱う)

【貨郎児】

想へば淮河の渡しにて船の沈みし災は

わが運の拙きなりき

一家の者はみな黄泉路へと赴きたるかと思ひしに

排岸司どのに命を救はれ

崔老人はわたしのために縁を結び

今日、はからずも父子と夫妻は団円(まどゐ)せるなり

(崔甸士)天下の喜ぶべき事は、父子と夫妻の団円にまさるものなし。羊を殺し、酒を造って、祝いの宴を設けましょう。お義父さまに一杯差し上げるとしましょう。(酒を捧げる)

(正旦が唱う)

【醉太平】

薄情な解元が

薄命の嬋娟をふたたび打たば

すんでのところで、楽昌[70]の鏡は破れ、ふたたび円かなるを得ず

むざむざと罪科を受けんところなり

父上さまは、しつかりと森羅殿[71]をば取りしきり

崔通は、喜んで秦川県へと帰りゆき

翠鸞(わたくし)は、無理やりに武陵源[72]へと踏み込めり

これはみな蒼天の憐れみたまひたりしなり

【尾煞】

これよりは、琴を鳴らして、瑟を撃ち、歓びの宴を開き

雨風に打たれたる千万の苦しみを口にすることはなからん

鸞膠[73]を得て断たれし弦を接ぐがごと

背を向けて飛ぶ鳥は、(うなじ)を交ふる鴛鴦(をしどり)となり

塀を隔てし花は並蒂蓮となる

汝が文君『白頭篇』[74]に負かずば

挙案斉眉[75]し、百年(ももとせ)を共にせんことを望まん

歓びのみを記憶して、怨みを記憶せざるにはあらねども

女心はしよせんはまことに優しきものぞ

(張天覚)そのむかし、淮河を渡る船で別れて、父と娘は遠く離れてさすらへり。消息は年を経たるも杳杳として、心の懸懸たらざる日こそなかりけれ。年老いて会ふは難しと思へども、さいはひに神明はひそかに憐れと思しめされり。漁父にたまたま拾はれて、義女となり、崔生は一目見て、良縁を結びたれども、かねてより、よき事は成就し難く、策略に遭ひ、罪を受けたり。誓ひを立てて一心に蜀郡へ赴かんとし、千里はるかに秦川をしぞ訪ねたる。龍浦に剣は沈めども、ふたたび合はさり[76]、鸞台[77]に鏡を割れども[78]、ふたたび圓かとぞなれる。燭を秉り、今宵また相照らし、相逢ふもあるいは夢にあらずやと恐れたり。

 

最終更新日:2010121

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[1]廟堂に同じ。朝廷、国家のこと。

[2]心は国家の痛恨事を気に掛け、朝廷のことをあれこれ考えて両眉を曇らせる。

[3]奸臣の暗喩。

[4] 『宋史』卷一百六十五・職官五・司農寺「排岸司四、掌水運綱船輸納雇直之事」。

[5]供物の牛、豚、羊。

[6]金箔や銀箔を貼った紙銭のことと思われるが、未詳。

[7] 『論語』為政篇。

[8]銀のこと。『元史』巻九十三・食貨一・鈔法「平準鈔法、毎花銀一兩、入庫其價至元鈔二貫、出庫二貫五分」。

[9]科挙の合格掲示板。

[10]憂えるさま。

[11] すなわち百パーセント。

[12]崔文遠。

[13]原文「則見他抄定攀蟾折桂手」。「攀蟾折桂」は月に生えているという桂の枝を折ること。科挙に合格することの暗喩。「蟾」は蟾宮で月のこと。

[14]白衫、涼衫。宋代の士人の便服。

[15] 瓊林宴は宋代、皇帝が新たに合格した進士に対し、瓊林苑で賜った宴会。『宋史』選挙志一科目上「八年、進士、諸科始試律義十道、進士免帖經。明年、惟諸科試律、進士復帖經。進士始分三甲。自是錫宴就瓊林苑」。

[16]原文「又送上楚峰頭」。「楚峰」は楚地方にある峯であろうが、ここでは、さらに具体的に、巫山のことであろう。巫山の神女は楚の襄王と夢で契ったということで有名。宋玉『高唐賦』を参照。「送上楚峰頭」は、契りを交わすような情況に送り込まれる、ここでは結婚をするということ。

[17]実父のこと。

[18]主語は崔文遠。

[19]原文「姻縁、姻縁、事非偶然」。当時の成語。結婚というものはあらかじめ定められているものだ。

[20]原文「有多少雨泣雲愁」。未詳。「雨泣雲愁」がよく分からないが、雨のような涙と、雲のように盛んに沸き起こる愁えということか。雲雨とは関係はあるまい。

[21]崔文遠。

[22]長江と淮水。ここでは盛んな志の暗喩であろう。

[23]星。

[24]鸞鳥と鳳凰。ともに霊鳥。崔甸士の暗喩。

[25]科挙の試験場をいう。

[26]科挙の首席合格者の座をいう。

[27]月宮にいるとされる仙女。

[28]原文「何怕蟾宮不許攀」。蟾宮は月宮のこと。「蟾宮に登る」は科挙に合格することの暗喩。

[29]科挙の試験官が合格させてやった受験者をいう。

[30] ここでは試験官をいう。科挙は礼部によって執行され、礼部は『周礼』の春官の宗伯にあたるため。

[31]幼児教育書『百家姓』の冒頭句。「趙銭孫李」にちなんだ綽名。

[32]原文「我清耿耿不受民錢、干剥剥只要生鈔」。「民錢」「生鈔」が未詳。とりあえず、こう訳す。

[33]受験者。

[34]面接試験。

[35]孔子の誕生日の祭。儀式の後、供物が秀才たちに振舞われた。

[36]原文「隨他走個乞兒來」。「走個」が未詳。とりあえず、こう訳す。

[37]文字当て遊び。

[38]原文「桃李門墻」。師匠の家、ここでは趙銭の家をいう。

[39]原文「便好去幺喝攛箱」。「幺喝」は裁判をする際、下役が大声を出して威圧すること。「攛箱」は訴状の入れられた箱から訴状を出すこと。いずれも裁判に付随する動作。

[40]蟾宮は月のこと。「月の中の桂を折る」とは、科挙に合格することの暗喩。

[41]科挙の合格掲示板。

[42]原文「看了些林梢掩映」。「掩映」は覆われていたり光を通したりしている状態をいう。ここでは、樹々の葉が落ちて、梢から光が透けて見えているさまをいっているのであろう。

[43]原文「款款的兜定這鞋兒」。「兜」は裂けたところを直すことと思われる。後世の用例だが『牡丹亭』腐嘆「咱頭巾破了修、靴頭綻了兜」。

[44]振り下ろされる棍棒の暗喩であろう。

[45]元代、罪には公罪、私罪があった。公罪は公務上の罪、私罪はその他の罪。

[46]泰山。

[47]東岳大帝のもとで、因果応報を掌るとされる官。

[48]原文「東岳新添一個速報司」。「添速報司」という言い回しは、元曲によく見られるが、「添」という動詞が具体的にどういうことなのかは未詳。あなたに報いを与えるため、速報司が増設されますよという趣旨か。

[49]皇帝から全権を托されたことを示す二つのしるしの品。

[50]故郷は千里の夢の彼方。

[51]自分は鞍をつけた馬に乗り、十年塵に染まっている。

[52]原文「你是我的護身符」。この句、今まで護送官のことを悪く言ってきたことと整合性を欠く。皮肉か。未詳。

[53]原文「廩給行糧出驛丞」。未詳。とりあえず、こう訳す。駅丞という官職は、元の時代には存在せず、正史にも見えない。この部分、明代以降に混入した句か。駅丞の職務は、官員を駅館に泊め、食事を出すこと。『清史稿』職官志三「驛丞、掌郵傳迎送。凡舟車夫馬、廩糗庖饌、視使客品秩為差、支直於府、州、縣、籍其出入」。

[54]原文「這沙門島好少路児哩」。「好少」がよくわからない。「好」は「まことに」という意味であろうが、「少」がよくわからない。反語の意に解しておく。

[55]原文「没的」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[56]原文「敢前生罰盡了凄涼愿」。「罰」は「発」に同じ。「凄涼愿」がまったく分からない。ただ、「断頭香」などと同じく、神に対して失礼な願の掛け方をいうのであろう。恐らく、供物をそなえたり、香を焚いたりしない祈願をいうのであろう。

[57]陣中で使われた器の一種で、昼は炊具とし、夜は警戒のために打ったもの。『史記』李将軍伝「不擊刁斗以自衛」注「集解曰、孟康曰、以銅作鐎器、受一斗、晝炊飯食、夜擊持行、名曰刁斗」。ここでは夜回りの出す音をいうのであろう。

[58] かまびすしいさま。

[59]清兪樾『小浮梅閑話』「俗傳秦築長城、有范郎之妻孟姜、送寒衣至城下、聞夫死、一哭而城為之崩」。

[60]原文「是那趙貞女羅裙包土」。『琵琶記』の主人公趙五娘のこと。姑が死に、その墓を造るため、羅の裙に土を包んで運んだことになっている。元本『琵琶記』第二十六出参照。

[61]漢劉向『列女傳』有虞二女「有虞二妃者、帝堯之二女也、長娥皇、次女英」。「女娥皇」は「女英娥皇」のことか、「女である娥皇」のことかは未詳。後者の意に解す。

[62]舜の死を悼んだ妃の泪が、竹に掛かって斑竹となったという故事に因む句。晉張華『博物志』卷八「堯之二女、舜之二妃、曰湘夫人、帝崩、二妃啼、以涕揮竹、竹盡斑」。

[63]風鈴。

[64]張翠鸞をさす。

[65]原文「先斬後奏」。先に人を斬ってからお上に報告する。生殺与奪の権限を皇帝から与えられていることを示す常套句。

[66]原文「常將冷眼看螃蟹、看你行得幾時」。「横行」は、横に進むという意味と、横暴に振舞うという意味を持つ双関語。蟹は崔通の暗喩。

[67]潘岳『寡婦賦』「少喪父母、適人而所天又殞」注引『喪服傳』「父者子之天、夫者婦之天。」。

[68]原文「婦人有事、罪坐夫男」。未詳。当時の成語か。前後の脈絡から考えて、妻の悪事は夫の責任といった意味と思われる。

[69]通房丫頭。たてまえ上は下女だが、実際は妾であるもの。

[70]陳の楽昌公主。陳が乱れ、夫の徐徳言と生き別れとなる際、鏡を割って再会を約し、後にその鏡が機縁となって再会する。『本事詩』参照。

[71]森羅宝殿。閻魔殿のこと。裁判所の暗喩。

[72]桃源郷。阮肇、劉晨が踏み込んだとされる桃源郷。結婚生活の暗喩。

[73] 『漢武内伝』「西海献鸞膠、武帝弦断、以膠続之、弦両頭遂相著、終日射不断」。

[74]文君は卓文君。『白頭篇』は彼女が作ったとされる『白頭吟』。司馬相如が妾を取ろうとした際、これを作って妾を取るのを思いとどまらせたという話が『西京雑記』巻三に見える。ここでは、妾を取らせるのを承知しない妻の意思の暗喩であろう。

[75]案は食事を載せた台。「挙案斉眉」は、これを眉の高さにまで捧げて差し出すこと。後漢の梁鴻の妻が、夫に食事を出すとき、このように振舞っていたことから、夫に対して恭しくすること。『後漢書』梁鴻伝参照。また元雑劇に『挙案斉眉』あり。

[76]龍浦は龍のいる水。龍潭。雷煥が二つの剣を掘り出し、一つを自分が、もう一つを張華が持っていたが、かれら二人の死後、二つの剣が延平津に沈んで二頭の龍になったという、『晋書』張華伝の物語を踏まえた句。

[77]宮中。

[78]原文「鸞台剖鏡」。楽昌公主に関する前注を参照。

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