第百回

狄希陳の災いが退くこと

薛素姐が悪の報いを受けること

 

およしなさいな悪いこと

冥土にゃ帳簿をつける人

少しも間違いありゃしない

業鏡[1]掲げて胆照らし

すべての事に報いあり

余罪は

来世で追及だ

すぐに(かたき)と鉢合わせ

とりあえず女の部屋に招き入れ

強きが弱きに復讐だ

勝手気儘は人の常

同じ命があるものを

惨たらしくも殺し去り

あっという間に復讐し

美人を使い、罰を与えて

皮匠の刀で命絶つ

生まれ変わって婿探し

同じ心と嘘を言い

ひどい苛めは梼杌[2]まさり

ぶっ叩いたり縛ったり  《賀新郎》

 狄希陳は、陸路で船を追い、河西滸に着きました。一日しますと、郭総兵と素姐の座船がやってきました。まず郭将軍、周相公との会見を終え、自分の船に戻りました。そして、型通りの挨拶をしますと、言いました。

「相覲皇は四川の副使に昇任し、家に戻りました」

さらに言いました。

「侯、張の二人は、成都から出ていくとき、強盗に遭い、贈られた銀子、生地を奪われてしまいました」

さらに、こっそりと寄姐に知らせました。

「調羮母子は、もう相大妗子につき従って家に戻った。小翅膀は希青と名付けられた。先生を呼んで勉強をし、今では学校に入って、立派に成長し、薛再冬くんもいつも面倒をみてくれている。来るときに百十両の銀子を彼ら母子の生活費として残してきた。僕は帰るときに急いでいたので、巧妹妹に贈るものは何も持ってこなかった。七八十両の銀子が残ったが、旅費の分以外は、すべて彼に与えた。僕たちが四川にいってから、あの人の家には、二人の甥が生まれたが、どちらも立派な学生になった」

素姐は、下男たちに実家のこと、龍氏が狄希陳と口喧嘩をしたかどうかを尋ね、さらに言いました。

「私たち二人のお師匠さまが途中で盗難に遭われたのなら、弁償をすべきでしょう」

さらに、役人をして戻ったのだからと言い、龍氏にどのような贈り物をしたかを下男に尋ねました。彼女はくわしく質問をし、話しの合間に、罵ったり、騒いだりするのをやめませんでした。

 狄希陳は、船で、さらに七八日進み、張家湾に着き、船を泊め、郭総兵は欽取中軍都督府同知の伝牌を送り、会同館[3]に着きました。そこには、府の下役、班の人々が大勢迎えに来ていました。狄希陳もあらかじめ都に手紙を届け、部屋を掃除させ、駱有莪と狄周も、都から出迎えました。素姐は狄周に会いましたが、まさに「敵同士が相見えるときは、特に目が丸くなる」という有様でした。多くのおかしな有様は、お話ししきれるものではございません。

 駱校尉は言いました。

「富平[4]の典史が、按院によって追放され、官職を失いました。彼は都に潜伏し、姓名を変え、悪事をし、廠衛に追われています。現在、厳しい命令が発せられ、五つの都市の兵馬が動員されています。宛、大二県と錦衣衛の役所、退職した役人が、都に潜伏することは許されません。法律を定め、違反していれば必ず辺境に送られ、充軍となります。現在、厳しいお触れが出ているのです」

狄希陳は、その知らせを聞きますと、進退窮まってしまいました。すると、駱校尉がさらに言いました。

「[水郭]県、通州は、どちらも運河の波止場で、都から遠くありません。そこでは様々な商売をすることができ、金を儲けることができます。通州はさらに大きな都市です。とりあえず、通州に家を借りて住まれ、様子をみることにされれば宜しいでしょう」

狄希陳はとりあえず通州にとどまることにしました。そして、駱校尉に頼んで城内に入りますと、家を探しもとめました。その家は、月三両の家賃で、テーブル、椅子、床、帳を貸してもらうことができ、部屋もとても綺麗でした。狄希陳は部屋を移しながら、船上に酒席を整え、郭総兵、周相公、郭夫人と権、戴二夫人らを呼び、女も男も見送りをしました。

 一日後、郭総兵は、周相公と家族をつれて上京しました。狄希陳一家は、通州にしばらくとどまりました。駱校尉も、別れを告げて帰ろうとし、嫁と童奶奶とその嫁を通州に様子を見にこさせようとしました。狄希陳も、狄周を駱大舅とともに帰らせ、餞別を買わせ、郭総兵と周相公に転居祝いの贈り物をしました。駱校尉は去っていきました。

 さらに一日たちますと、童奶奶と小虎哥の女房、駱校尉の女房が、三台の小さな轎に乗ってきて、狄周の女房も一緒に轎から降りました。素姐は、他の人に会ったときは、何も悪いことをしませんでしたが、狄周の女房に会いますと、思わず腹を立てて、罵りました。

「ろくでなしの淫婦。逃げも死にもせず、私を子供扱いして。先が長いが、おまえが死ななければ、私も死なないからね。私たちは猿を弄ぶように私たちは苛めてやる。おまえたちがついた嘘は、すっかりばれてしまったよ。売女の調羮と雑種の小わっぱが私を避けてどうするんだい」

童奶奶はわざと言いました。

「あれは以前私たちの家に来た鼻のない女じゃないか。どうしてここに来たのだろう」

寄姐「あれはお母さまのお婿さんの奥さんです。薛という姓で、私より数歳上です。私はあの人を姉さんと呼んでいます。あの人は、はるばるお参りをする男女とともに任地に訪ねてきたのですよ」

童奶奶たちは、彼女に挨拶をしました。童奶奶は素姐を追い掛けて叫びました。

「薛の奥さん」

駱校尉の女房と虎哥の嫁は、彼女に挨拶をしました。素姐は、本当は恭しくしないつもりでしたが、寄姐が闘いに負けた鶏のように、羽を伸ばさず、おとなしくしていましたので、他の人と同じように、童奶奶のことを「おばあさま」、駱校尉の女房を「おばさま」、小虎哥の女房を「あなたのおばさん」と呼びました。

 二日後、女たちを家に帰らせました。寄姐は、通州に数日間とどまってから故郷に様子を見にもどろうと考え、さらに数日とどまりました。狄希陳は、寄姐が去って素姐を抑える人がいなくなってしまえば、必ずひどい目にあわされると思って恐れましたが、うまい方法を考え出すことができませんでした。ところが、狄希陳はそのときは、まだ運がよかったのです。どういうわけか、素姐は誓いを立てて言いました。

「妹の母親は私の母親で、妹のおばは私のおばです。あなたと一緒に故郷に戻り、お目にかかりたいものです」

狄希陳は、それを聞きますと、急いで唆しました。寄姐も承諾するしかありませんでした。狄希陳は、さらに、素姐に二三十両の銀子を与え、使う物を自由に買わせました。さらにたくさんの汗巾、絲帯、膝褲、首帕、蜀扇、香嚢などの物を準備し、挨拶をするときの贈り物にしました。彼女は喜び、口を開き、歯をむきだし、嬉しさを露わにしました。二台の轎は、十数頭の驢馬を雇い、張樸茂夫婦、小渉淇、小選子、小京哥、狄周の女房、さらに都からきた二人の男で、都へいきました。狄希陳は一人で家に住み、勝手気儘に過ごし、名勝を巡り、ぶらぶらと城を出て、香岩寺に行きました。

 さて、胡無翳は、晁梁に住持の職務を託し、天下の名山を遍歴し、四川の眉州峨眉山にいきました。峨眉山は周囲数百里の広さがあり、寺院は千数箇所を下らず、全部で一万人の僧侶がいました。その中には、善人もいれば悪人もおり、身分の高いものもいれば低いものもおり、賢いものもいれば愚かなものもいました。これら和尚の様々な様子は語り尽くすことができるものではありませんでしたが、徳のある僧、胡無翳が見るに堪える僧侶は一人もいませんでした。最後に高い崖の人気のない場所に行きますと、性空長老がおりました。彼は、頬に髭を生やしており、顔は少年のよう、毎日部屋の中で修行をして外に出ませんでした。胡無翳は彼が高僧であることを知りますと、その庵にとどまり、沐浴して着替えをし、彼の部屋の前にいき、面会を求めました。性空は喜びました。

「遠い道を来られ、お辛かったでしょう」

まるで旧友のように、毎日、胡無翳と禅関[5]を隔てて仏法について論じました。因果を説き、輪廻について語りますと、胡無翳は自らの仏性を悟り、心は澄みきり、過去、未来のことをすべて知りました。自分と梁片雲は、前世で地蔵王菩薩の二人の司香童子だったが、人間界で願ほどきの劇を奉納する者がいたとき、劇ばかり見て、焼香をするのを怠ったため、「閻浮世界」で役者をする罰を受けた、一人は生に扮し、一人は旦に扮したが、さいわい事件の巻き添えになり、仏門に入った、善根が失われていなかったため、戒律をきちんと守り、すぐに正果を得ることができた、というのでした。さらに、性空長老が、善男善女を救済するため、下界に降りてきた仏の生まれ変わりで、凡人ではないということも分かりました。胡無翳は峨眉山で性空とともに三か月とどまりますと、別れを告げ、寺に戻りました。性空は胡無翳が浮き世との縁を絶っておらず、晁梁とも約束があることを知っていましたので、引き止めませんでした。

 狄希陳が香岩寺に旅した日は、胡無翳が帰ってきてから幾らもたっていませんでした。たまたま出会いますと、胡無翳はにっこりとして、言いました。

「お久し振りです」

方丈に案内して腰を掛けますと、ちょうど晁梁もそこにいました。三人は一緒に腰掛け、来意を述べました。胡無翳は晁梁にむかって言いました。

「晁さん、心を静めてお考えになってください。氷とは何で、水とは何ですか」

晁梁はしばらく考え、狄希陳を見ますと、胡無翳に向かって言いました。

「水は固まっていない氷、氷は固まった水で、もともとは同じものから分かれたものです」

料理人とともに精進料理を用意し、食べさせました。

胡無翳「あなたは、一か月以内に、生命を損なわれますので、難を避ける必要があります」

狄希陳「あなたはそれを予知されたのですから、凡人ではないでしょう。避けることはできないのでしょうか」

胡無翳「奥さんがあなたと一緒にいる間、あなたは何度も死ぬ運命にありました。今回は命を奪われ、逃れることはできないでしょう」

狄希陳は何度も頼みました。

「近くには妻がおり、常に私を殺そうとしています。予知することがおできになるのですから、救われることもできるはずです」

胡無翳は指折り数えますと、言いました。

「さいわいまだ助かる見込みがあります。あなたとは前世で縁がありましたから、災難があれば、助けに参りましょう。命を奪われることはないでしょう」

 狄希陳、胡無翳、晁梁の三人は、別れを告げて去っていきました。胡無翳は晁梁に向かって言いました。

「一つの世を隔て、長いこと別れていましたが、昔旅したこの地でふたたび会えるとは思いませんでした」

晁梁は自らを省み、長兄の晁源が、狄希陳に生まれ変わって会いにきたことをはっきりと知りました。彼は、胡無翳に尋ねました。

「この人は、今、命を奪われようとしています。前世の恨みとは、このようにひどいものなのですか」

胡無翳「前世であなたが家にいたときに、狩り場で仙狐を射殺(いころ)し、皮を剥がれたため、狐が仇に報いようとしているのです。前世で人妻と姦淫し、その夫に殺されましたが、仙狐が助けていたため、夫は手を下すことができたのです。生まれ変わったこの世では、その仙狐は女に生まれ変わり、狄希陳さんの正室になり、報復をすることができるようになりました。今回、私があなたを助ければ、逃れることができますが、そうでなければ逃れることはできません」

胡無翳は、彼が普段してきたことと、晁夫人が銀を寺に与え、常平倉を設けて米の売り買いをしたことを、晁梁に告げました。晁梁は尋ねました。

「そのような性格で、そのようなことをしたら、きっと悪いものに生まれ変わるはずなのに、どうしてふたたび人に生まれ変わって、男子に転生することができたのですか。先ほどのあの人の話しによれば、朝廷の命官になったとのことですが、どうしてそのような報いがあったのですか」

胡無翳は更に考えますと、言いました。

「あの人は三つ前の世ではとても賢く善良な娘でした。ですから、彼女は男に生まれ変わり、子宝と官位に恵まれ、長寿を得ることができたのです。しかし、前世では、善良な心を失い、男の体を得ても、父母の教えを聞かず、師匠や友人の忠言を受け入れず、殺生をし、他人の利益を損ない、妻や妾をすて、姦淫や詐欺を行い、権勢におもねり、貧しいものを苛め、金持ちに取り入り、善良な者の悪口を言い、諍いを起こし、恩義を忘れるなど、あらゆる悪事を行いました。そこで、子宝と官位を削り、命を縮めたのです。最初に定められた運命通りであれば、もっといい果報があったのですがね。さいわい、この世では、妻の尻に敷かれていますし、あまり良心を失ってもいないので、やはり人間に生まれ変わることができるでしょう。そうでなければ畜生道に落ちていたはずです」

この話はここまでにして、今度は素姐たちの話を致しましょう。

 素姐は、寄姐とともに都に入り、ふたたび洪井胡同の家に行きました。素姐は笑って

「あなた方はとんでもない嘘をついていたものですね。ここは私が昔来たところではありませんか。どうして調羮の姿が見えないのですか」

童奶奶はひたすらごまかしました。素姐は巧みな甘い言葉で、童奶奶たちのご機嫌を取り、嘘の話で童奶奶たちに取り入りました。童奶奶たちは素姐を憎まなかったばかりでなく、彼女のことをほめはじめ、彼女はあまり悪くはない、他の人が彼女を苛めたため、性格が悪くなっただけで、どうやら乱暴者ではなさそうだ、といいました。そして、素姐が廟にお参りをしたり、山に旅をしたり、金魚池[6]で遊んだり、韋公寺[7]を見たり、心ゆくまでしたいことをするに任せました。素姐は、二十五日とどまってから、寄姐とともに通州に戻りました。狄希陳が彼女を家に迎え、酒を買い、旅の労をねぎらったことは、くわしくお話し致しません。

 狄希陳は胡無翳が一か月以内に厄日があるといっていたことを思いだしました。その時は二十五日で、災難は目前でしたので、以前にもまして用心をし、少しも怒らせないようにしました。しかし、素姐も狄希陳と寄姐が用心をしているだろうと思い、わざと優しそうなふりをし、今までのように不満そうな様子を見せませんでした。狄希陳は「父母に愛されれば、喜んで忘れない」[8]ときのように、小躍りし、心の中で胡無翳がいったことは当たっていないと思いました。

 さらに三日が過ぎました。狄希陳は、便所で用を足して戻ってきますと、帯を締めながら、烏が屋根の上で狄希陳にむかって気味悪く鳴くのを見ていました。すると、素姐は、裏間の寝室の壁に掛けてあった弓袋から弓を取りだし、鷲の羽のついた鏟箭[9]で、狄希陳にぴったりと狙いを定め、窓格子からひょうと射放ちました。狄希陳は「ああっ」と声をたてて、前に倒れたきり、言葉を発することができず、ひたすら床を転げ回りました。素姐は喜んで言いました。

「今度こそ絶対におだぶつだ。やっと仕返しをすることができた」

家の人々は慌て、どう救っていいか分かりませんでした。矢を抜こうとしましたが、矢傷を塞ぐものがなくなって、血が流れれば、きっと死んでしまうだろうと思い、とても慌てました。

 さて、その日、胡無翳は晁梁にむかって言いました。

「晁さま、私はしばらく座を外して、あなたの前世のお兄さんを救いにいくことにいたしましょう」

晁梁「私も一緒に見にいって宜しいでしょうか」

胡無翳「ご足労を厭われないのでしたら、一緒にこられれば宜しいでしょう」

二人が狄希陳の家の前に歩いていきますと、ちょうどそこでは大騒ぎをして助けを求めていました。胡無翳は進みでていいました。

「執事どの、奥へ行って話しをされてください。香岩寺の小和尚と晁相公が薬を持ってきたと」

狄希陳は気絶する寸前でしたが、意識ははっきりしていましたので、急いで招き入れました。胡無翳は四川から持ってきた薬を袖から取り出し、指先を噛みますと、口に入れて細かく噛み砕きました。そして、片手で矢を抜き、片手で口で噛んだ薬を、先が大きく、後ろが細い形に捏ね、矢傷に入れたところ、血は少しも流れなくなりました。狄希陳を表の客間につれていきますと、胡無翳はさらに一碗の血竭[10]を沸かし、熱い酒で注ぎ込みました。狄希陳は少し痛みが止み、心が静まりますと、胡無翳、晁梁をひきとめて食事をとらせました。

 素姐は、狄希陳が胡無翳によって救われたことを知りますと、奥であれやこれやと罵りました。そこで、胡無翳は、指を湯のみで湿し、テーブルの上に、黒い腹をした蠍を描き、指で弾きました。すると、素姐が奥で頭を振り乱し、転げ回って叫ぶのが聞こえました。人々が見てみますと、素姐は、空から落ちてきた大きな蠍に唇を刺され、朱太尉のようになっていました。彼女は痛さに気をとられ、人を罵ることなどできない有様でした。

 胡無翳は、何度も狄希陳を寺に迎えて病気療養をさせようとしました。そして、矢傷は肋骨の隙間の急所に当たっているから、百日かけなければよくならない、百日の間に、疲れ、怒り、飢餓、満腹、苦悩は禁物で、腹を立てたら、もう救いようがないといいました。晁梁も何度も勧めました。狄希陳は一緒に行くことを承知しました。寄姐と相談はせず、寝床を使って狄希陳を担ぎ、寺に戻らせました。晁梁は、狄希陳を自分の部屋に住まわせました。

胡無翳「これからは食事を出す必要はありません。わが寺には、この方が前世で残されたものがたくさんありますから」

寄姐と狄希陳は、胡無翳が何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。

 狄希陳は、日一日と回復し、しばしば胡無翳、晁梁の三人と話をしました。そして、素姐が今までしてきた悪事を、すべて胡、晁の二人に知らせ、

「今回はお師匠さまに命を救っていただきましたが、またこのようなことがあれば、助かることは難しいでしょう」

と言い、胡無翳に逃げる方法を教えてくれるように頼みました。

胡無翳「あの方は前世からの深い恨みがあったため、この世であなたの奥さんになったのです。あなたは逃げ場がなく、しっかり報復をうけることでしょう。恨みを消すには、仏法により、罪を懺悔されることです」

狄希陳「以前家にいたとき、高僧に会い、たくさんの銀子を使って厄払いをしましたが、効果はありませんでした」

胡無翳「今回は必ず効果があります。私の教えを聞き、殺生をせず、精進物をとりつづけ、怒らないようにされなければなりません。仏さまの前で一生の誓いを立て、心を込めて『金剛宝経』一万巻を唱え続ければ、災いは消え、怨みは解け、前世でされたことを知ることができます」

狄希陳「お師匠さまが徳の高い方であることは存じあげております。お言葉に従わないはずがございません。吉日を選んでくだされば、仏前で戒を受け、背いたりはいたしません。心を込めて、『金剛宝経』を必ず一万巻唱えましょう。寺に住み、勝手に家に戻ったりはいたしません。必ず効果を得られるようにしたいと思います」

 狄希陳は、苦しみを嘗め尽くしてきた人でしたから、一生懸命戒律を守ろうとしました。彼は体を清め、長いこと精進物を食べ、毎日、朝起きて晩に眠り、心を込めて『金剛般若波羅蜜教』を一日必ず四十遍唱えました。長いこと唱えていますと、狄希陳は口から常によい香りを発するようになり、悪夢を見ることもなくなり、心は安らかになりました。素姐は心が落ち着かず、目が痙攣し、体が震え、心がびくびくしました。そして、常に悪夢を見、心がぼんやりとし、飲食が減ってしまいました。夜には人につけられているような気がし、一人で歩く勇気がなくなってしまいました。狄希陳がお経を読み終わる頃には、素姐は病気になり、狄希陳がお経を唱えるのを終えますと、床から起き上がれなくなっていました。

 胡無翳は十二群の戒律を守っている高僧を選び、自からの主催で、七昼夜の法事を行いました。祭壇を築き、とても荘厳な儀式を行いました。祈祷文にはこう書きました。

南贍部洲大明国直隷順天府通州香岩寺秉教沙門

伏して思うに陰陽は二気の初めであり、剛強と柔弱に関係するものであります。夫婦は五倫[11]の中にあり、陰陽が調和しないことはありません。もしも異常であれば、それは理に逆らうことでああります。山東済南府繍江県明水村の信官[12]狄希陳は運が悪く妻薛氏を娶りました。彼女は幼いときに嫁ぎ、成長してから合巹を行いましたが、普段から夫を尊敬せず、反抗ばかりしていました。悪口をいい、呪いをかけることを、閨房での楽しみに代え、棒でさんざん殴ることを、寝屋でのむつみごとの代わりにしていました。さらに弓矢を用い、夫の生命を損ない、羅希奭[13]のように誣告状を提出し、宗廟を覆そうとしました。私が報いをうける原因は、彼女に恨みの借りがあるからです。不倶戴天の怨みがあるため、仲睦まじい夫婦になれないのです。そこで、本官は罪を懺悔し、『金剛般若波羅蜜多経』一万巻を唱え、天に、罪業を消滅し、一切の怨みを解いていただくことを求めることといたします。こうすれば、夫婦の間で、報復が行われることもなくなることでしょう。どうか陰陽を調和させてくださいますようお願いいたします。祈祷文をしたためましたので、祈祷文の通りにお取計らいください。

胡無翳は、袈裟を着け、毘盧僧帽を被り、仏前でお経をよみ、法術を行いました。狄希陳は、仏前に跪き、地面に平伏し、胡無翳が彼のために恨みを解く呪文を唱えるのを聞きました。三更になりますと、狄希陳は夢うつつで、厳めしい役所に行きました。上座には、王のような姿をした神さまが腰を掛け、両側には厳めしい衛兵がおりました。二人の鬼卒が狄希陳を抑え、階段の下に跪かせました。王が彼の記録を調べるように命じますと、緑の袍を着けた判官が、一冊の文書を提出し、彼の罪悪を述べました。それは、胡無翳が晁梁に告げた話しとほぼ同じ内容でした。すなわち、彼が狩り場でそのほかの生き物を殺し、泰山聖母に仕えている仙狐を矢で射殺し、皮を剥ぎ、骨を捨てるべきではなかった、仙狐は冥府に告訴を行い、前世で殺された恨みに報いるため、生まれ変わって夫婦になり、前世で殺された恨みに報い、さらに皮を剥がれて骨を捨てられた恨みを晴らした、薛氏は天命にしたがって報復をしたのであって、個人的な気持ちからではない、というものでした。

 王は薛氏を捕らえて役所に呼びました。薛氏は病気で薪のように痩せ、気息奄々としながら訴えました。

「私は、前世で仕事を終えて洞窟に戻るとき、あの男の狩り場を通りました。そして、鷹や犬に取り囲まれ、逃げることができなくなったため、本当の姿を現して、馬の下に隠れ、救いを求めました。ところが、あの男は矢を抜いて脇腹目掛けて射掛けました。私はあっという間に射殺され、皮を剥がれ、骨を捨てられてしまいました。地主(ちしゅ)[14] は罰として彼を狐に、私を猟師に生まれ変わらせました。しかし帳簿には、彼の前世の善行の報いが尽きていないと書いてあったため、罪を減免され、畜生道に生まれ変わらずにすんだのです。また、私の罪が尽きていないから、男に生まれ変わるべきではないとも書いてありました。そこで、彼を男に、私を女に生まれ変わらせ、夫婦にし、前世の仇に報い、六十年間敵同士にすることとしたのです」

王「先ほど仏さまの命令を奉じ、心を込めて『金剛宝経』一万巻を唱えましたし、高僧の胡無翳が彼のために懺悔、祈祷をしましたから、一切の罪は消滅しました」

さらに、判官に詳細な調査をさせ、ほかに恨みをもつ者がいれば、捕らえてきて処置をするように命じました。

 すると、寄姐が目の前に護送されてきて、自分は彼の前世の正妻計氏だ、晁大舎は妾を愛して正妻を捨て、計氏を追い詰めて首を吊らせた、この世では彼の側室になり、報復をすることができたと言いました。さらに、小珍珠が首に縄を掛けたままやってきて、童氏の苛めに堪えきれず、首を吊って自殺したといい、寄姐に命の償いを要求しました。王が判官に帳簿を調べさせますと、小珍珠は狄希陳が前世で寵愛していた妾の小珍哥であり、正妻の計氏を誹謗したため、計氏が腹を立てて縊死した、この世で彼の小間使いになったのは、恨みに報いるに恨みをもってしたものだから、報いようがないものである、ということがわかりました。また、尤聡、呂祥の二人の餓鬼がやってきて、狄希陳に命の償いをするように言いました。尤聡は食物を粗末にし、悪事を行ったため、天が彼を許さず、雷で打ち殺したこと、呂祥は、蛆か蛇のような心を持ち、鼠か犬のようにこそ泥をし、争いを引き起こし、主人に背いて逃げ、毒薬で人を殺そうとしました。二人の非業の死は、狄希陳とは関係がないことがわかりました。さらに、狄希陳によって前世で借金、怨恨によって追い詰められて死んだたくさんの人々、前世で狄希陳によって殺された人々がやってきて、狄希陳の命を求めました。

 王は一つ一つ処置を行いますと、言いました。

「薛氏は仏の命を奉じ、『金剛宝経』の功徳により、すみやかに冥府に赴いて世話を受け、転生する場所をもつべきである。ここにとどまっていることは許さぬ」

童氏を釈放し

「前世では、夫が薄情だったため、初めは寵愛されたものの、後に疎んじられた。おまえは非業の死を遂げたが、すでに償いを受けた。おまえの恨みは、すでに消えているから、これからは、仲の良い家庭を築き、二度と仲違いしてはいかん」

小珍珠に向かって言いました。

「おまえは、前世で、妾でありながら妻を苛め、妻はおまえのせいで死んだ。妻はこの世で主人となり、下女を苛め、下女は主人のせいで死んだ。これでちょうどおあいこだ。何も恨みを持つことはあるまい。首を吊って死んだ者の魂は、法律によれば、身代わりを待つべきである。仏の命令がある以上は、すみやかに身代わりを免じ、転生を許すべきである。これ以上、話すことはない。尤聡、呂祥は、生きていたときは悪人で、死んでからは悪鬼になり、鄷都地獄に送られ、罪を受けた。罪を受け終わった日には、畜生になる。狄希陳は、調査によれば、義母をよく待遇し、腹違いの弟を養い、実妹を愛した。寿命を延ばし、高齢で大往生を遂げさせることにする」

 処置が終わりますと、狄希陳は、急に意識を取り戻しましたが、体は、今まで通り、神像の前に俯していました。胡無翳も懺悔文を読み、法事を終えますと、仏に別れを告げ、立ち上がりました。狄希陳は、胡無翳に、夢で見たことを、一つ一つくわしく話しました。五鼓になりますと、七昼夜にわたる法事を終えました。

 さて、素姐は、病気が日一日と重くなりました。飲食は日に日に減り、体は痩せ細り、半月間、床から起き上がることができませんでした。そして、凶悪な心がなくなったばかりでなく、悪口を言うこともなくなりました。寄姐は、狄希陳が香岩寺に十か月とどまったまま、家に戻ってこないことを、初めは何とも思いませんでしたが、狄希陳に会ってからというもの、彼のことをとても懐かしみ、愛するようになりました。

 法事が終わってからも、狄希陳は数日寺にとどまりました。胡無翳は彼に言いました。

「あなたは前世では晁源という名でした。この晁梁居士は、あなたの異母弟なのです」

さらに、一切の事情を、一通り話しましたが、それらは彼が夢の中で見たことと同じでした。よく思い返してみますと、何となく悟ったかのようでした。さらに言いました。

「あなたは『金剛宝経』の功果を得られましたから、あなたへの怨恨はすべて消滅しました。この世でふたたび悪いことをされてはいけません。特に殺生をされてはいけません。前世の敵は、すでに取り除いてあげました。もう戻られ、これからよい暮らしを送られることを考えられるべきです」

狄希陳「先日、あの女に矢で射られたとき、お師匠さまに命を救っていただきましたが、私の魂はびっくりして体を離れてしまいましたので、ここでお師匠さま、晁さんと終生一緒に暮らそうと思います。もう戻ろうとは思いません」

胡無翳「とにかくお帰りください。あの女は今八人の金剛によって毎日監視されていますから、手を挙げることも、口も開くこともできません。あなたと一緒にいるのも、わずかな期間ですから、恐れる必要はありません」

狄希陳は何度も菩薩に感謝し、胡無翳に叩頭して感謝し、晁梁に別れを告げて、宿屋に戻りました。素姐は寝床で眠っており、か細い息をするだけで、猛々しい様子はありませんでした。寄姐も以前にもまして心のこもった看護をしましたが、素姐は半身不随になってしまいました。

 例の罷免された役人の捜索はさらに厳しくなっていました。狄希陳は、都に入ることができず、通州に留まりましたが、他にすることもありませんでしたので、故郷に帰り、ふたたび農業をしようと思いました。素姐は、とても喜び、寄姐もそれを勧めました。そこで、大きな船を雇い、運河を通り、徳州からは陸路を通り、家に戻り、先祖の家を掃除し、田畑を整理しました。薛素姐は、故郷に戻り、何日か病気をした挙げ句、閻魔さまに会いにいってしまいましたので、狄希陳は、厳粛に葬儀を行いました。寄姐は、格上げされ、正妻となりました。狄希陳は、さらに調羮を迎え、同じ家に住み、程楽宇の息子の程雪門は、狄希青と小京哥に勉強を教え、狄振先と名付けました。彼らは叔父甥で勉強をしました。今まで通り薛家と行き来しました。

 狄希陳は、旧家で、役人をして稼いだ金もかなりありましたので、僻地の村に住みますと、里長に睨まれることもありませんでした。年貢を納めないこともありませんでしたので、雑役などは回ってきませんでした。さらに、もとからあった先祖の家を壊し、すべて建て直したところ、小屋の後ろの石の水槽の下から、五千両の銀子を掘りだしました。十数人を使い、石の水槽をどかしますと、夜人が寝静まり、月が上ってから、調羮、寄姐と親しい親戚三人を連れ、まぐわや大きなすきを持ち、二尺の深さまで掘りました。すると、二つの石板に覆われた、二つの大きな甕があらわれました。石板を開けますと、甕の中には、清水がたっぷり入っており、銀子は見えませんでした。

 昔、狄希陳は都にいたとき、素姐が家を劉挙人に売り、彼がこの石の水槽の下から銀子を掘り出し、家に運んでいく夢を見ていました。夢の中で、劉挙人は、狄希陳を罵っていました。狄希陳は、急いで家に戻り、劉挙人が家を建てかえ、埋蔵金五千両を手に入れたことを聞き出しました。実は、このような貴重な品物は、生命のない物であるかのように見えますが、翼がないのに飛んだり、足がないのに走ったりすることができるのです。これらの品物は、人の盛衰に従って、自分で動くことができるのです。狄希陳が夢を見たとき、銀子はすでに彼のもとから離れてしまっていたのです。それに銀子というものには、定められた運命があり、一斗持つべきことを定められていれば、世の中を歩き回っても、やはり十升しか手に入らないものです。狄希陳は、三四年間役人をし、家に戻りましたが、旅費を除きますと、家に持ち帰ることができた額は、ちょうど石の槽の底にあった五千両と同じでした。このことから、人は思いがけない財産を手に入れても、すべては運命によって定められており、無理に手に入れることはできないことが分かります。調羮は、大きな石槽の下にある財産など、一人の力でどうこうできるものではないということが分かりました。これは明らかに天の意思であり、人を恨むことはできないものです。

 狄希陳の良いところは、小翅膀に財産を分けた上、彼にたくさんの物を買ってやったことでした。同郷人たちも、優しい彼を尊敬しました。後に、狄希青、狄振先、狄開先と名付けられた小成哥、巧姐の二人の甥薛志清、薛志簡は、狄希陳が先生を呼んで、教育してやりました。彼らはいずれも科挙に合格することはありませんでしたが、秀才になりました。

 狄希陳は、前世の友人に救われ、菩薩に助けられなければ、素姐にあと三十年祟られることになっていましたので、九代前までの祖先が天に上ることも、弟の面倒をみることもできなかったでしょう。家は落魄れ、生命も保てず、八十七歳まで生き、天寿を全うするような結末にはならなかったでしょう。ですから、証拠に詞がございます。

友を選ばば善き人を

善人といつの世までも睦むべし

御覧なさいな胡無翳を

前世で銀子を奪はれど恨みの心を抱くことなし

人を救ひて

説く因縁

敵は懺悔し解脱する

仏の力が偉大でなけれあ

殺されてたはず狄希陳

 晁源の因縁の物語はこれでおしまいであります。その他の人々のことは、くだくだしくは申し上げますまい。世の中の人々には、ぜひとも背骨を真っ直ぐにし、正しい心を持ち、生きているときは夫婦で賓客同士のように尊敬しあい、死ぬときは仏前で一緒に肩を並べられることをおすすめします。そうすれば、西周生は念仏、回向をし、無量の功徳を為すことといたしましょう。

 

最終更新日:2010118

醒世姻縁伝

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[1]罪業を照らす鏡。

[2]悪獣の名『春秋左氏伝』文公十八年の会箋によれば、虎に似、人面虎足猪牙、尾は八尺という。「顓頇氏有不才子、不可教訓、不知語言、天下之民謂之梼杌。〔会箋〕神異経曰梼杌状似虎毫長一尺人面虎足猪牙、尾長丈八尺、能闘不退」。 (図:『三才図会』)

[3]賓客その他特定の人の往来に供する公館。

[4]陝西省西安府。

[5]座禅堂の入口をいう。

[6]現崇文区天壇の北にあった池。金代から金魚の養殖場とされていた。明劉侗『帝京景物略』巻三・城南内外・金魚池参照。

[7]北京南部にある寺。海棠の名所。明劉侗『帝京景物略』巻三・城南内外・韋公寺参照。

[8] 『礼記』祭儀「父母愛之、喜而不忘」。

[9]未詳。ただし、鏟は鑿のこと。先が鑿状になった矢と思われる。

[10]漢方薬の一つ。キリンケツの樹脂。止血剤に用いる。

[11]儒教で、人として守るべき五つの道。君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。

[12]懺悔をする者の仏前での自称。

[13]原文「甚至誣投状牒羅鉗」。唐の人羅希奭は、李林甫の姻戚で、御史台主簿。酷吏として名高く、吉温とともに、「羅鉗吉網(首枷の羅希奭、網の吉温)」と称された。『佩文韻府』引『唐書』酷吏伝「吉温与羅希奭相勗為虐。号羅鉗吉網」。

[14]泰山、梁父両山のこと。『史記』封禅書「八神…二曰地主、祠泰山、梁父」。 

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