第九十八回

周相公が他人に善行を勧めること

薛素姐が憐れみを乞う振りをすること

 

出食わしたのは悪い妻

この世の運はついてない

糞浴びせるはけいたいで

背中焼くのはひどいこと

追い立てるのはおのがため

人諭すのは人のため

周さん守ってくれなけりゃ

薛素姐は錦江[1]の西島流し

 狄希陳は、家でたっぷり四十日以上火傷の治療をし、職務を行うことができませんでした。やがて、傷が治って休暇を終えましたが、軍庁の胡さん、糧庁の童さんは、彼に世間話をしただけでした。刑庁の呉さんは冗談を言いました。

「この前、私はあなたに何度も注意して避けるようにといったのに、あなたは私の忠告に従いませんでした。先日世間話しをしていたとき、知事さまは薛の奥さまのことを口にされました。私はいいました。『あの人は初めは薛という姓でしたが、後に潘と改姓し、よく棒を使いました。しかし、棒では効果がないので、諸葛と改姓し、しばしば火攻めを行いました』。知事さまはあなたが意気地無しで、奥さんにさんざんぶたれて出てくることができなくなり、ひどい有様なのをお怒りになり、あなたの悪い評語を書き、あなたを故郷に引退させてしまおうといいました。私は言いました。『あの人の悪い評価を書けとおっしゃいますが、私はあの人が私のことを禿げというのを許していないので、あの人を目くらという勇気はありません』とね。奥さんは、今、孔明の一族となり、その酷さは並ではありません。あなたは注意しなければ、また『藤甲軍』になってしまうでしょう」

狄希陳「ほかの人には話されなければよかったのです。これからも私をかばってください」

呉推官「こんな状態はよくありません。私たちのような堂々たる男子が、女房を恐れる能力はあっても、それを認める能力がないというのですか」

狄希陳「知事さまがそうおっしゃったのでしたら、恐らく本当に悪い評価を下されることになるでしょう。あなたが数年間私を引き立ててくださった苦労が無駄になることになります」

呉推官「あの方は気持ちを隠す人ではありませんから、あなたが休暇が終わったことを報告にいけば、かならず何かおっしゃるでしょう。事を取り仕切るのは刑庁です。私がまず悪い評定を下さなければ、あの人も異議を唱えることはできません」

 役所で二梆が告げられました。狄希陳はお茶のお礼を言いますと、別れを告げ、外に出ました。まもなく、知府が登庁しましたので、狄希陳は休暇が終わったことを告げにいきました。挨拶を終えますと、知府は階段をおり、狄希陳に尋ねました。

「背中の火傷はすっかり治りましたか。世の中にはどうしてあのような畜生がいるのでしょう。あなたは男で、両親がいるのだから、『大きな杖を避ける』べきなのに、どうして手をこまねいて、このような火傷をおわされたのです」

狄希陳「あの日私はすでに服を着終わり、用心をしていなかったので、あの女にひどい目にあわされてしまったのです」

知府「あのような凶暴な人間を、目の前においておくのは、虎と一緒に眠るようなものです。あのような凶暴な女をゆるすわけにはいきません。上申書をお書きなさい。あの女をあなたと離縁させ、故郷に護送し、あなたがひどい目に遭わないようにしてあげましょう。いかがですか」

狄希陳は尋ねました。

「知事さまが私を哀れに思ってくだされば、とりあえず命を長らえることができますが、任期を終えて故郷に帰れば、あの女は私をますます恨み、私はひどい目にあうことでしょう」

知府「あの女があなたの奥さんなら、あなたをひどい目に遭わすでしょう。しかし、私が離縁を命じれば、あの女はあなたとは赤の他人になりますから、あいつを恐れることもなくなるでしょう」

狄経歴「夫婦でなくなっても、あいつとは同郷ですから、朝晩やってきて私を苛め、私は持ち堪えることができないでしょう」

知府「男なのに、奥さんを虎のように恐れるとは、世も末ですな。はやく上申書をお書きなさい。心配するには及びません」

知府は厳しく命令をしましたが、狄希陳はすぐに承諾をしようとはしませんでした。知府は狄希陳がかならず態度を変えるだろうと思い、宿直の書吏を遣わし、狄経歴を護送し、期限を定め、上申書を書かせました。上申書を提出し終えますと、時間に拘りなく、役所の中に招き入れました。狄希陳は、書吏に期限を少し遅らせてくれ、自分が官舎に退き、ふたたび相談できるようにしてくれと頼みました。書吏は承諾し、とりあえず引き下がりました。

 狄希陳は知府がいった言葉を、上申書を書くように命じ、素姐を離婚しようとしていることをこっそり寄姐に伝えました。

寄姐「あの人を離婚することができるのでしたら、天地は安穏、太平になるでしょう。しかし、きっぱりと離婚しなければ、ますます深く恨まれることでしょう。これは『虎を山に放つ』ようなものですから、必ず人の命を損なうことでしょう。それにあなたはいま役人をされていますから、女房を役所に連れていき、役所で離婚の判決を得るのは、とても体裁が悪いでしょう。私が指図をすることはできません。ご自分で考えを決めるか、周相公と相談するかしてください。するべきことはし、するべきでないことはしないことです。急がれてはなりません。私は、昨日、あることを聞き出したのですが、まだあなたにお話していません。本当か嘘かは分かりません。私たちがきた後、呂祥が家にいって、あの人に秘密を漏らしたために、あの人は呂祥とともに私たちを追い掛けてきたというのです。彼らは淮安まで追い掛けましたが、追い付けませんでした。あの人は河神廟で願を懸け、呪文を唱えました。すると、河神はあの人に乗り移って話をしましたので、呂祥はすきをみて荷物と騾馬を奪って逃げてしまいました。あの女は淮安に行き、冬までとどまってから故郷に帰りました。そして、県庁に、私たちが謀反を企み、四川に行き、兵を調えていると告発しました。県庁では両隣を呼び、郷約は審問を行い、嘘だということがわかると、拶子に掛け、百回たたき、あの女の弟を三十回板打ちにし、一か月間枷に掛けました。私も信じることはできませんでしたが、注意してみてみますと、十本の指に、どす黒い傷痕がついていました」

狄希陳「そんなことまでしていたのか。お前はだれの話を聞いたのだ」

寄姐「ほかでもありません。あの人についてきた小者があの人たちに話したのですよ」

 狄希陳は、書房の静かな所へ行きますと、張樸茂、伊留雷、小選子を呼び、素姐のことを尋ねました、彼らは小濃袋の言葉を伝えましたが、寄姐の言ったこととすべて同じでした。狄希陳は寄姐に報告をしました。

「本当にこのようなことがあったのだな。彼らにまた尋ねることにしよう」

注意して素姐の指を見ました。素姐は賢い人でした。彼女は両手をさっと狄希陳の目にむかって伸ばしますと、いいました。

「私の手を見てどうするつもりだい。これは凍傷の痕で、拶子に掛けられたわけではないのだよ。それをじろじろと見るなんて」

狄希陳も黙ってしまい、こっそりと寄姐に言いました。

「まあいいだろう。後から恨まれることにも、今の体裁にも構ってなどいられない。おかみがこのような良いことをしてくださるのだから、この機会を利用して害を除いてもらうことにしよう」

すぐに周相公を呼んでこさせますと、彼に知府の言葉を伝え、さらに聞いたばかりのことを告げ、いいました。

「知府さまが書吏を遣わされ、上申書を出すように催促されています。周さんが原稿を書いてください」

 周相公も、たくさんのことを話しましたが、これらのこまごまとした言葉は、書き尽くすことはできません。しかし、大体は、寄姐の言ったことと同じでした。さらに、こう言いました。

「離婚請求の上申書は、書くことはできません。世の中で、最も罪深いのは、他人のために三下り半や、一家を離散させる事柄を書くことです。私の郷里には、孫挙人がおりましたが、興善寺で勉強をしていました。ある日、住持の和尚の夢枕に、伽藍神が現れ、こう言いました。『寺で勉強をしている孫尚書が、朝晩わしのお堂の前を歩いているが、わしらは隠れる場所がない。わしらのお堂の前に照壁を築いてくれれば、彼を偉くしてやるのだが。住職は初めは信じませんでしたが、後に何回も夢を見たので、ぐずぐずするわけにはいかなくなり、煉瓦や石灰を買って、照壁を造りました。孫挙人はその事をききますと、とても喜び、自分は尚書であると考え、すぐに勝手な振る舞いをしだしました。ある日、住持の和尚の夢にまたも伽藍神が現れこういいました。『わしのお堂の前の照壁を壊してくれ。孫挙人は彼の同窓に女房を離縁するように唆し、彼の同窓の離縁状の原稿の手直しをした。地獄では彼の官位と俸給を剥奪し、生命も保障しないことにした』。果たして翌年の会試では、人々に押されて地面に倒れ、踏まれて柿餅のようになってしまいました。

 「さらにもう一つ、わが郷里の寺で起こったことですが、隆恩寺で陸秀才という男が勉強をしていました。彼はその寺の土地廟の入口を通っていましたが、夜に住職が見てみますと、土地廟から二つの紗の提灯が出てきて彼を送るのが、一日にとどまりませんでした。住職は陸秀才が貴い人なので、敬われているのだということが分かりました。その後、陸秀才が廟の入り口を通ったとき、紗の提灯が見えませんでしたが、たまたま見えないのだと思いました。しかし、それが何度も続きましたので、住職は彼に言いました。『私は今まであなたを敬ってきました。あなたが晩に土地廟を通られるとき、必ず二つの紗の提灯があなたを送り迎えしていました。ですからあなたが貴いお方だということが分かったのです。このところ、紗の提灯の送り迎えがありません。あなたはきっと疚しいことをされ、陰徳を傷付けられ、冥土で官位と俸給を剥奪されたのでしょう。ですから、神さまもあなたを手厚く待遇しなくなってしまったのでしょう。すぐに懺悔をされるべきです』。陸秀才は何度も思い返してみましたが、理由が分かりませんでした。しかし、その一か月前、こんなことがあったのです。陸秀才の同窓生で、家に一人の妻と妾がいる者がおりました。その妻は真面目な人でした。妾は娼婦で、家中の人を買収して、計略を設け、妻が姦通をしているといいました。その同窓生は本当か嘘かを調べず、彼女を離婚しようとしました。しかし、妻の実家は豪族でしたので、姦通の噂は立っていたものの、はっきりした証拠はなかったため、ぶち殺すことができませんでした。その同窓生は、陸秀才がしっかりした考えを持っている人であることを知っていましたし、同窓生の中で最も親しい友人でもありましたので、陸秀才と相談をしました。他人の家のことは、その家の主人が、自らの耳で聞き、自らの目で見たと言っていたとしても、聞き間違えたのではないか、裏に別の理由があるのではないか、見間違えたのではないか、裏にはほかの原因があるのではないかといった心配があるものです。陸秀才は同窓生とは別の家に住んでおり、彼らの家の事情は分かりませんでした。不祥事はでたらめでしたし、同窓生本人もはっきりした証拠がないといっていました。ところが、陸秀才は言いました。『家中の人が、異口同音に、本当だと言っているということは『国中の人々が殺すべきだといっている』[2]ということです。はっきりした証拠など必要ありません。はっきりした証拠が出てくるのを待っていては、あなたは、緑頭巾を破けてしまうほど被ったうえに、新しい物に換えることになりますよ[3]』。同窓生は言いました。『しかし、あいつは豪族の娘だから、誰かが出てくるかもしれない。しっかりした証拠がなければ、彼らに対抗することができないぞ』。陸秀才は言いました。『あなたの家の立派な壁には、瓦のかけらすらなくなり、茨はとり除かれ、塀の上は道になり、密通者の通り道になっています。文句を言う人がいなければそれでよし、文句を言う人がいても、私たち同窓生をどうすることもできません。私が先頭に立ち、人々を呼び出し、鳴り物入りで攻めることにしましょう。あなたを妓夫にするようなことを、許すわけにはいきません。あの人と死に物狂いで戦わなければなりません』。話をしますと、同窓生の考えは、八九割り決まりました。家に行きますと、さらに娼婦からたきつけられたため、すっかり考えを固め、離婚書の原稿を作って陸秀才に見せました。陸秀才は原稿がしっかり書けていないのが気に食わず、しっかりとしたものに変え、嫁は離縁されて実家に帰っていきました。実家の人々は離婚書が理路整然と書かれていましたのでどうすることもできず、自分の実家でさえもこの『あるはずのない』ことを本当だと信じてしまいました。おかしなことに、嫁は口下手で、何も言えず、大声で泣くだけで、理に従って弁明をすることができませんでしたので、彼女が悪いことをしてびくびくしているのだと言われてしまいました。陸秀才は考えました。『陰徳を損なうことはこのほかにはない。きっとこのことが神さまの怒りに触れ、私の官職と俸給を剥奪されたのでしょう』。何度も後悔し、同窓生を一生懸命執り成し、言いました。『神さまが私をお咎めになりました。これはきっと冤罪にちがいありません。私は当事者ではないのに、天罰を受けましたが、あなたは当事者ですから、罪を逃れるのはもっと難しいですよ』。同窓生は、話を聞きますと、冷や汗を流し、とても恐れ、舅の家にいって何度も詫び、女房を家に連れ帰り、離婚書を破棄しました。陸秀才も自ら仏前にやってきて罪の懺悔をしました。それからというもの、陸秀才が晩に行き来するときに、土地神が今まで通り紗の提灯で送り迎えするのが見えるようになりました。陸秀才は、その後、気持ちを引き締め、心を少しも汚さないようにし、あらゆることに慎み深くして、天理を損なうのを恐れました。その後、住職は、二つの紗燈のほかに、さらに二つが加わるのを見ました。後に、陸秀才は兵部尚書にまでなり、太子太傅を加えられ、妻は封号を、子は世襲の官職を受け、大変な栄誉を得ました。

 「さらに浙江で最近起こった話があります。今でもその人は生きており、名指しにするのはよくありませんから、秀才といえばいいでしょう。この秀才は家がとても貧しく、兵衛の兵卒で、十八歳で学校に入りましたが、妻を娶ることができず、未亡人の母親がいるきりでした。母親は、髪の毛にかぶせる網巾を織り、売っていました。浙江の網巾は安く、十個作っても、僅か二銭の銀子にしかなりませんでした。十の網巾を作るには、少なくとも一か月の時間が掛かるのです。家には半畝ほどの広さの土地がありましたので、秀才は自らまぐわやすきを手にとり、野菜を植え、水をやり、母子で寄り添って暮らしました。彼は聡明な素質をもち、勉強に励んだため、翌年の歳考で首席になり、すぐに廩生になりました。ある城外の金持ちの農民が、彼を呼び、勉強を教えてもらいましたが、彼は若いのに老成しており、教え方も上手でした。農民は彼をとても尊敬し、束修のほか、家に薪と米を支給し、衣服の面倒をみました。農民は仕事で城内に入るとき、必ず生物を買って先生をもてなしました。翌年、科挙が行われまししたが、農民は言いました。『先生はよく勉強をされ、性格もご立派なので、今年はきっといい成績で合格されるでしょう。私の家には一人娘がおりますが、私が農民であるのがお嫌でなければ、私は娘を婚約させようと思います。少しも結納品はいりません、私の先祖の祠に一対の蝋燭を点し、盒子にいれた麺を送ってくだされば、それが結納品ということになります』。秀才は家に戻りますと、母親に知らせました。母子は金持ちと縁結びをすることができて、とても喜びました。そして、吉日を選び、媒酌人を頼み、一対の寿燭、盒子にいれた喜麺を送って、結納品としました。蝋燭に火を点したり麺を送ったりするのは浙江の習慣で、どんなに手厚い結納品を贈るときでも、この二つのものは欠かすことができないのでした。例えば山東の風俗で、夫の家が結納品を贈るとき、必ず供物を買い女の家の先祖に告げ報せなければなりませんが、これと同じことです。秀才は農民の家で先生をしていたときも、とても尊敬していましたから、婿入り前でも、よいもてなしがあったことは言うまでもありませんでした。七月の後半になりますと、農民は受験のための衣服を買いました。旅をするための荷物、旅費を送り、渡し船を準備し、持っていく一切の日用品は、すべて揃えました。あらかじめ人を杭州に遣わし、試験場に近い清潔な宿屋を探させました。そして、料理人と下男をつれ、しばしば秀才の家に行き、物やお金を与えました。秀才が三回試験を受け、故郷に戻りますと、農民はあらゆる援助を行い、耳をすまして、吉報がくるのを待ちました。果たして数日足らずで、秀才が第七位で合格したという知らせがきました。農民は喜んで食事をとるのもわすれ、自分が英雄を見分ける眼識をもっていたことを自慢し、すぐに金銀を用意し、婿の家で使わせることにしました。省城にも旅費を、数百両もっていきました。秀才が省城にいきますと、農民の親戚、友人が毎日のようにお祝いにきて、彼が挙人に合格したことを祝いました。農民も挙人の舅として振る舞いました。秀才が省城で仕事を終えて家に戻りますと、以前とはすっかり違い、縁談を持ち込むものは、引きもきらず、金持ちの家ばかりでした。最初は母子は良心が残っていましたので、すでに婚約をしていると返事をしました。今は納聘[4]、過門[5]をする時期でしたが、事情を知らない媒酌人たちがやってきて縁談を持ち掛けました。そして、ある尚書の娘が、金持ちで家柄がよく、才能、容貌ともに優れているといいました。母子は初心を変え、尚書に婿入りする約束をし、結納品を納め、最初の農民との約束を反古にし、まだ彼の娘と婚約していないといってしらをきりました。農民は腹を立てて死にそうになりました。秀才は丁丑の進士となり、知県に選ばれ、御史に推薦され、応天府に巡按し、任地で死にました。尚書の娘は顔がなかなか綺麗でしたが、息子を生むことはできず、妾を娶ることも許しませんでした。娶れば、嫁入りして一か月足らずの間にぶち殺し、ぶち殺されたものは十人以上いました。農民の娘はかならず進士の嫁になろうと誓いを立てました。二十七歳になりますと、ある進士が妻に先立たれ、彼女を後妻に娶りました。進士は憲長[6]にまでなりました。農民の娘は物分かりがよく、才能もあり、五人の子供を産み、それぞれ成長しました。二人の妾は三人の子を生み、子供は全部で八人でした。

 「このようにみてみますと、妻は離婚するべきではなく、離婚書も軽々しく人に書かせるものではありません。私は原稿を提出するわけには参りません。それに、奥さまがあのように凶暴で、人間らしくないのは、決してこの世の悪行の報いではありません。きっと前世で恨みがあり、この世で仕返しをしているに違いありません。天の心はこのようなものなのですから、天に背いて、あの人を追いだせば、ますます天の怒りに触れることでしょう。この世ではしかえししきれず、来世でも仕返しをされるでしょう。この世であの人をひどい目に遭わせ、あの人が仕返しをし終えれば、あの人は良くなるでしょう」

 狄希陳「言っていることは至極尤もだ。しかし、知府さまの使いが離婚書をすぐに提出し、離婚をするようにと迫っている。知府さまにどう報告をしたものだろう」

周相公「あなたが離婚を望まれないなら、奥さまを離婚される必要はありません。知府さまはもちろん、誰であろうと、無理強いすることはできませんよ」

説得に時間を掛けておりますと、書吏が書状を提出するようにと催促をしにきました。周相公は、ひたすらさえぎり、言いました。

「どうか私の言う通りにしてください。あの人はとても凶暴なことをしていますから、もうすぐ報いを受けることでしょう。自然に報いを受けるのですから、あなたが報いを与えることはありません」

話を聞くと、狄希陳は、考えを改め、訴状を提出するのをやめました。

 寄姐は、狄希陳が周相公と話をしてばかりいるのを見ますと、狄希陳を中に呼び、どういうことかと尋ねました。狄希陳は、周相公に執り成されたことを、寄姐に伝えました。

寄姐「あの周相公は、本当に善人です。もしも心の狭い人だったら、大小便を頭から掛けられたのを根に持って、このことを聞くや否や、すぐにあなたを唆していたでしょう。あの善人の言うことには、従われるべきです」

狄希陳が中で話しをしていますと、書吏が表で催促しました。

 さて、周相公と狄希陳の話しは、小濃袋に逐一聞かれていました。彼はこう思いました。

「奥さまはきっとこのことをご存じないだろう。きっとこっそり相談しているにちがいない。もしも奥さまがご存じなら、役所でじっとしているわけがない。詳しいことを知ったからには、奥さまに知らせずばなるまい。奥さまがすぐに過ちを改めることを約束されれば、離婚をやめさせることができる。それに、周相公がここにいるうちに、さらに執り成しをしてもらおう。もしも訴状を提出したら、『一枚の紙が役所に入れば、九頭の牛でも引きだすことはできない』という。知府さまに情実は通用しないし、狄希陳さまもどうすることもできないだろう」

そこで、小選子に頼んで素姐に話しを伝えました。

「濃袋が薛奶奶に会おうとしています」

素姐が中門のところにいきますと、

濃袋「おもてのことを、奥さまはご存じですか」

素姐「おもてのことなど知るものかい。何を騒いでいるんだい」

濃袋「知府さまが書状の提出を求めているのです」

素姐「知府さまが書状の提出を求めようが求めまいが、私とは関係ないよ。あの人がどうしようと知るものかね」

濃袋「奥さま。まだご存じないのですか。旦那さまは今日役所に休暇が終わったことを報告にいかれあした。知事さまは、奥さまが旦那さまを棒でぶたれ、火傷を負わせたこと、旦那さまが一二か月寝込んで外にでられなかったこと、旦那さまが奥さまを離婚されないことをお怒りになりました。そして、書吏を遣わし、旦那さまにすぐに書状を提出するように迫られました。知府さまは、人を遣わして奥さまを捕らえ、離婚の判決を下し、故郷に護送するつもりなのです。今、旦那さまは周相公と相談し、周相公に訴状を書くように頼んでいます。周相公は何度も旦那さまをとりなし、訴状を作ろうとせず、旦那さまも何度もためらいました。しかし、あの書吏は厳しく催促しています。奥さま、早く手を打たれなければいけませんよ」

素姐は恨んで言いました。

「ええい。あの悪者め。そんなことをしていたのか。今日こそはあいつを殺してやろう。役人が私を離婚させることができるはずないじゃないか。私を追い出せなどといったら、その役人に恥をかかせてやろう。そうしなければ私は薛と名乗るのをやめてやるよ」

身を翻して奥にいってしまいました。

 濃袋は片手で素姐を引っ張りながら、言いました。

「奥さま。本当に体に火が着いてしまいますよ。まだ性格をあらためないのですか。繍江県では、あなたもひどい目にあわされたでしょう。あなたが元気のいい虎でも、彼らは大勢ですから、逃げることはできませんよ」

素姐「あの知府は、どうして他人に女房を離婚するように命令したのでしょう」

濃袋「奥さまのご性格が原因ですよ。あの人が話すことは国の法律で、変えようがありませんよ。奥さまが棒で旦那さまをぶったり、火傷をさせたのは、法に背くことですから、奥さまを罰しようとしているのです」

素姐「離婚させられるものならさせてごらん。官舎に行って、あの馬鹿野郎に仕返しをしてやるからね」

濃袋「奥さま、あなたが官舎に出掛けられても、あの人はあなたが入るのを許されないでしょう。あなたは待たれるおつもりですか」

素姐「私は出ていかないよ。私は女だから、あいつは私をどうすることもできないだろう」

濃袋「奥さま、出ていかないとおっしゃいますが、あなたは板子でぶたれることに耐えられますか」

素姐「私が途中で護送官を苛めれば、私を逃がしてくれるだろう」

濃袋「奥さま、人を苛々させることをおっしゃいますね。お聞きください。書吏が上申書を催促しているのですよ。このように事態が差し迫っているのに、四の五のおっしゃるとは。護送されるときになったら、あなたはどうすることもできませんよ。奥さま、あなたは『水滸』を聞かれたことがないのですか、林冲、武松、盧俊義だって、護送人の手から逃れることはできませんでしたよ。あなたがあの人を苛めれば、釈放されて帰ることができるなどということはありませんよ」

素姐「書状は勝手に提出させればいい。私が事情を知らなければ、私をだましていかせることもできるだろうが、もう知ってしまっているのだから、奴らがどんなことをしようと、私をだますことはできない。あいつが中にはいってきてわたしを掴まえるはずもあるまい」

濃袋「とにかく旦那さまが書状を出さないようにさせるべきです。旦那さまが書状を提出すれば、知府さまは訴状にしたがって、令状を出して捕縛を行うことでしょう。役所の下役は、奥さまがなかなか出ていかなければ、中に入って自ら手を下し、鉄の鎖を掛け、引っ張っていくことでしょう。彼らは、他人の面子などにはお構いなしですからね」

素姐「私は、周蛮子と話をしましょう。あいつは、私が顔中に糞を掛けたことを恨んで、唆したのです」

濃袋「さっきお話ししたでしょう。あの人は何度もあなたを庇ったのです。あの人は、奥さまを離婚するべきではない、人のために離婚書を書いてはいけないという話もしていました。あの人が唆したものではありません」

素姐「ろくでなしめ。私は威張るのに慣れているというのに、おとなしくするようにいうとはね」

濃袋「今回の件に関しては、へりくだり、非を認め、おとなしくしなければなりません。旦那さまと童家の奥さまに頼み、旦那さまを役所に行かせ、この件を沙汰やみにするよう、知事さまに頼んでいただくのです。奥さまは、さらに、周相公に、お礼を言われるべきです。このようにすれば、何とか事を収めることができますが、八千里離れた故郷に護送されることになれば、奥さま、あなたは自業自得で、後悔することもないでしょうが、私は若い身空で、両親の一粒種だというのに、故郷に帰ることができなくなってしまいますよ」

そう言いながら、大声で泣きました。

 素姐は、唾を吐きますと、罵りました。

「おまえの母さんは、どうしておまえのような子を生んだんだろうね。ほかにつける名前がなかったからといって、よりによって濃袋なんていう名を付けるなんて。『濃袋』ではなくて、『鼻涕』とつければ良かったんだ[7]。『天が崩れても、四人の金剛が支える』ものさ。そんなに怖がることはない。様子を見にいっておくれ。私は童さんに話しをしにいくから」

寄姐に会いますと、いいました。

「結構なことですね。私たち姉妹は仲良しなのでしょう。ほかの人がこのようなひどいことをするのならまだしも、私たちは仲間なのに、私のことを気にも留めてくださらないのですか」

寄姐はわざと言いました。

「何をおっしゃっているのですか。まったく分かりませんが」

素姐は、知府が人を遣わし、上申書を出すように迫っていること、素姐を離婚し、故郷に護送しようとしていることを、寄姐に告げました。寄姐は、知事さまは冗談を言っているのです、他人の女房を離婚させることはできません、捕まるはずがありません、去ることはありません、などといって、素姐をごまかしました。ところが、彼女は濃袋に事情を告げられていましたし、考えてみますと、ますます恐ろしくなりましたので、寄姐に、助けてくれるように、何度も頼みました。

寄姐「私は、あの人がそのようなことを話しているのを、聞いたことがありません。あの人を呼び、詳しいことを尋ねてみましょう」

小選子を遣わし、狄希陳を中に呼び入れました。

 狄希陳は素姐に怯えており、小濃袋が彼女と長いこと話をしていたのを知っていました。彼は秘密が漏れた、どんな災いがあるか分からないと思い、中に入っていく勇気はありませんでした。狄希陳が入ってきませんでしたので、寄姐は小選子に催促をするように命じました。狄希陳は催促されればされるほど怖がりました。奥では狄希陳が中に入ってこないので、ますますきびしく催促をしました。

寄姐「表にはどうせ周相公しかいないでしょう。あの人には会われませんでしたか」

素姐は一人で表に出ていきました。周相公は彼女が出ていったのを見ますと、立ち上がって動きませんでした。狄希陳は彼女が彼を掴まえに出てきたのだと思い、周相公の陰に隠れ、周相公に守ってもらおうとしました。素姐は周相公に向かって言いました。

「周さん、あなたはこの前私を罵るべきではなかったのです。しかし、私もあなたに大小便をかけるべきではありませんでした。今、私はとても後悔しています。この通りお詫び致します。周さん、あなたは本当に良い方なのに、私はそのことに気が付きませんでした。私の馬鹿主人はひどいことをしました。周さん、あなたが小さいことを根に持つ性格だったら、あなたは主人を唆し、主人を執り成そうとはされなかったでしょう」

さらに、狄希陳に向かって言いました。

「小陳哥、ろくでなし。泥棒に頭の半分を切られればいいんだよ。どこの家の夫婦だって口喧嘩はするものだ。夫婦には宵越しの恨みはないものだよ。それなのに、こんなひどい文書を提出し、私を離婚するつもりだったのかえ。『七出』[8]の決まりを犯しているわけでもないのだから、私を離婚することなどできないよ。でたらめをいって、私を離婚しようとするなんて。あんたは焼酎で私を酔わせただろう。私をかわいいと思っていたんだろう。ろくでなし。さっさと死んでおしまい。そんな考えを起こすのはやめるんだよ。私はこれからは、あんたを殴らずに、可愛がってやるよ。私は鼻が欠け、目がなくなり、顔が醜くなったが、体まで汚れているわけではないからね。四十歳になったばかりだから、あんたのために子供を産むことだってできるんだよ。私がまたあんたをぶち、あんたを可愛がらなくなったら、周相公を証人にして、訴状を出せばいいだろう」

 狄希陳はびっくりして顔色を失い、返事をすることができませんでした。周相公は言いました。

「狄友蘇さんは関係がありません。知府さまは狄友蘇さんが四五十日の休暇を二回とったときに、刑庁から話を聞き、狄友蘇さんが六七百回棒でぶたれ、背中に火傷を負わされたことを知ったのです。そして、昔から凶悪な女は多いが、あなたのように狼や虎よりも凶悪な女はいないとおっしゃいました。知府さまは、人を遣わして狄友蘇さんに文書を作らせ、あなたを捕らえ、極刑を加えて苦しみを受けさせ、離婚の判決を下し、あなたを故郷に送り返すときに、護送官にあなたの命を奪うように命じようとしたのです。私は狄友蘇さんに、奥さんは悪いことをしているから、必ず天の報いを受けます、天が奥さんを罰しますから、あなたが先に訴える必要はありません、と言って執り成しました[9]。私はあの人に訴状を提出しないように言ったのです。しかし、役所の下役が催促をし、手を緩めようとしませんでしたので、どうすることもできませんでした。あなたはご自分が悪いことをしているのが分かっているのでしたら、以前の非を改めることを約束してください。本当にそうすれば、『人に良い心があれば、天は必ずその人の意思に従う』といいますから、人の世の法を免れることができるだけでなく、天罰も免れることができるでしょう。牛や豚を殺す屠殺業者でも、改心して善行を積み、屠殺用の刀を捨てれば、西方浄土にいくことができるのですよ。とにかく私の言う通りになさってください。態度を変えられてはいけませんよ」

素姐「私は昔から言ったことは必ず守り、態度を変えたことはありません。態度を変えたら、豚、犬のような糞ったれで、人の子とはいえません。私が誓いを立てているのに、周さん、まだ信じてくださらないのですか」

周相公「わかりました。どうか奥にいかれてください。この件は私が引き受けました。私があなたのために事件に片を付けてさしあげましょう」

素姐は周相公に二回拝礼をしますと、狄希陳に向かって言いました。

「小陳哥、今まであなたに悪いことばかりしてきましたから、あなたにも二回拝礼をしましょう」

ここ二十数年間、狄希陳は彼女から礼儀正しくされたことはありませんでしたので、急いで挨拶を返しました。しかし、落ち着けばいいものを、慌てていましたので、揖をしようとして、思わず前につまづき、鼻の皮を擦り剥いてしまいました。素姐は奥にいってしまいました。

 知府が晩に役所に出ますと、狄希陳は書吏と一緒に、役所に上がって報告をしました。知府はそれをみると、尋ねました。

「文書をかいたので、奥さんに鼻を殴られて怪我をしたのでしょう」

狄希陳「これは私の一時の不注意によるもので、妻とは関係ありません」

知府「文書をかきおわったのなら、提出してください」

狄希陳「薛氏が私に嫁いだときは、両親が健在でしたが、今ではどちらも亡くなり、彼女は身を寄せる場所がありません。それに、幼いときに亡父母が縁談をまとめ、婚約をしたので、双方の父母はすべて亡くなったとはいえ、彼らの意思に背くに忍びません。また、秘密が守られず、情報を漏らされたため、妻は何度も罪を後悔し、今までの非をすっかり改め、改心をしなければ、離婚されてもかまわないと誓いを立てました。役所の人々も、何度も知事さまに許しを請うように頼んだので、私はとりあえず文書を提出しないことにしたのです」

知府「奥さんが後悔して罪を認め、あなたが亡くなったご両親のことを思われるのは、結構なことです」

書吏に、文書の催促をする必要はないと言い含め、狄希陳を帰らせました。周相公はまだ役所におり、知府との会話を伝えました。狄希陳は田舎の真面目な男でしたが、嘘をつくことはできました。

「知府さまは『あの女は刑罰を受けるのを恐れ、わざとおまえをだましたのかもしれん。あいつを許しても、今までの性格は変わっていないかもしれん。わしは人を遣わして何度も役所の前で様子を探らせることにしよう。あの女がさらに悪いことをすれば、上申書が提出されなくても、人を遣わしてあの女を掴まえ、離婚させることも、護送することもせず、布袋にいれ、長江にすてることにしよう』といっていたよ。知府さまはさらに『家にはほかに誰がいるのだ。』とお尋ねになったので、僕はこう言った。『小者の小濃袋がおります』。知府さまは言った。『二つの布袋を作るがいい、また悪さをしたら、あの小濃袋も長江に投げ込み、あの女の関係者を根絶やしにしてやろう』といっていたよ」

周相公は、狄希陳の話の後半部が、素姐を脅すための嘘だということに気が付いていましたが、口裏を合わせていいました。

「知府さまはよく人を長江に投げ込むのです。ここ数日間で、私が知っているだけでも、十四五人が投げ込まれました」

濃袋は外で盗み聞きしていましたが、びっくりして舌を出しました。小濃袋はその話を素姐に知らせたのでしょうか。素姐は過ちを改めたのでしょうか。とにかく次回のお話しをお聞きください。

 

最終更新日:2010118

醒世姻縁伝

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[1]四川省成都府を流れる川。「錦江の西」とは、「成都よりももっと奥地へ」の意。

[2]原文「国人皆曰可殺」。『孟子』梁恵王下。

[3]緑頭巾に関しては第二回の注を参照。

[4]男の家から女の家に結納品を贈る儀式。

[5]嫁迎え。

[6]御史中丞。

[7] 「濃袋」は「濃帯」「膿帯」に同じ、「鼻涕」とともに鼻水の意。

[8]妻を離別する七つの理由。子供がないこと、淫乱なこと、義父母につかえないこと、口数が多いこと、盗みをすること、嫉妬深いこと、悪疾があること。『儀礼』喪服「出妻之子為母」〔疏〕「七出者、無子、一也。淫泆、二也。不事舅姑、三也。口舌、四也。盗窃、五也。妬忌、六也。悪疾、七也」。

[9] 「あなたが先に訴える必要はありません」の意。原文「狄友蘇不必自做悪人」。「悪人先告状」という慣用句をふまえる。

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