第九十七回

狄経歴が体を火で焼かれること

周相公が頭から糞を浴びること

 

何と猛々しき女。

悪しき心は

狼勝り

夫の体を火攻めせり

背中は真赤に焼け爛れ

大火傷

床には膿と血が流れ

いと憐れ。

見ていた人が腹立てれあ

頭の先から糞掛けり  《黄鶯児》

 寄姐は役所に入っていきました。呂徳遠は手に包みをもち、袖に二封の二十両の銀子を入れ、書房にやってきました。狄希陳は寝床で眠っていましたが、尋ねました。

「何を持っているのだ」

呂徳遠「先ほど二人の女が持っていった銀、紬は、人を遣わして、取り戻してきましたよ」

狄希陳はびっくりしていいました。

「どうして取り戻すことができたのだ。あいつらがおとなしく返したはずがあるまい」

呂徳遠「私たちもあいつらがおとなしく渡そうとはしないだろうと思い、大変な苦労をして、取り戻したのです。私は捕り手の賈為道、畢環の二人を遣わし、自分の弟子を連れ、総勢六人で、城から半里離れたところで待ち伏せました。あいつらの轎がきますと、怒鳴りつけて轎から出しました。彼らは両膝をついて哀願しましたが、無理に彼らの持ち物をおいていかせました」

狄希陳「賈為道たち二人は、僕が事情を知っていることを話したのか」

呂徳遠「旦那さまが事情を知っているなどと、話すはずがありません。強盗の振りをして彼らの物を奪ったのです」

狄希陳「何ということだ。彼らが軽々しくこんなたくさんの金を手放すはずがない。きっと県庁に戻って盗難届けを出し、僕にまとわりつき、彼らのために捕縛と弁償をするように言うだろう。彼らはかならず役所にきて窮状を訴えるだろう。もしも情報が漏れたら、僕はただでは済まされない。僕はひどい目に遭うだろう」

呂徳遠「そのようなことになれば、旦那さまにはご迷惑をおかけすることになります。しかし、私はそこまで考えてあります。私たちは彼らに銀子と生地を置かせ、轎かきを城内に戻らせたあとで、二人の女を護送して船に乗せ、彼らが向こう岸に渡ってから、知事さまにお知らせしたのです。さらに門番の兵士に、二人の山東の初老の女がいたら、旦那さまは城門の中に入れてはならないとお命じになったといい、表門のp隷にも、邪魔をして中にいれないように命じました。彼らは羽がない限り、告訴をしにくることはできません」

狄希陳「あいつらが川を越え告訴をしにこないのなら、結構なことだ。しかし、僕が故郷に戻ったときは、どうしたらいいだろう」

呂徳遠「旦那さまはとにかくあの人に銀、紬を送られ、彼らを家から追い出されればよろしいのです。途中で誘拐されようが、行方不明になろうが、船がひっくり返ろうが、泥棒に遭おうが、旦那さまが保証書を出し、あの人の旅の安全を保障しなければならないというわけではないのですから」

狄希陳「それもそうだな。彼らの銀子を奪ったとき、胥感上と畢騰雲の二人はどこにいたのだ」

呂徳遠「畢騰雲は畢環の叔父です。人々が走り出て轎を止めたとき、彼ら二人はわざと怖がる振りをし、遠くへ逃げたのです」

狄希陳「用意周到なことをしたものだな。しかし言葉には注意するのだ。絶対に奥の下男どもに告げては駄目だぞ。秘密を漏らしたら、ただでは済まされないからな」

呂徳遠「秘密を漏らすはずがございません。旦那さまこそ口を慎まれるべきです。童奶奶には、一言も秘密を漏らしてはいけません」

狄希陳「僕は秘密を漏らしたりはしないぞ」

呂徳遠「それは違います。執事たちは旦那さまのことを少し馬鹿だといっていましたよ。旦那さまは奥さまから少し優しくされると、表のありもしないことを奥さまに話してしまうので、奥さまは口汚なく彼らのことを罵っていますとね」

狄希陳は、風呂敷に包まれた生地、汗巾と二封の銀子を、盛門子に命じて他のところにしまわせ、呂書辧たちを慰労しました。

 狄希陳は、二十日以上療養してからやっと起き上がり、法廷に出て事務を行うことにし、各役所に赴いて休暇が終わったことを報告しました。呉推官は茶を出し、人払いをしますと、こっそり尋ねました。

「狄さん、あなたはおとなしすぎます。『小さな杖でぶたれても、大きな杖ではぶたれるな』といいます。あなたもぶたれたときは逃げるべきです。あの人からこのような目にあわされるなんて」

狄希陳「あの日、私は服を脱いで眠っていました。そこへ、あいつが入ってきたのです。私は対処する暇はなく、逃げることなどできませんでしたよ」

呉推官「狄さん、あなたが衣裳を脱いで先に眠っていたのは、油断というものです。女どもが夫を殴るときは、夫が寝ているすきに乗じるものなのです。わたしたちが先に服を脱いで眠ったり、彼らが仕事があると嘘をつき、私たちより先に起きようとするときは、私たちが殴られる危険があります。彼らがどんなに騙そうと、私たちはひたすら、『お前が先に眠らなければ、僕は先に眠らない』『僕が先に起きて門を開け、小間使いに火を起こさせ、床を掃除させよう。お前を先に起こすわけにはいかん』というのです。あなたはあの人を先に起こさせてはなりませんし、あの人を後に眠らせてもいけません。そうすれば、私たちは服を着て、動き回ることができます。あの人が尻を丸出しにしていれば、私たちは立ち向かうことができます。仲が良い同郷でなければ、あなたにこのような良策を授けたりはしませんよ」

狄希陳「私は役所の中では寝ず、役所の外の書斎で寝ています。ところが、あいつは鍵を盗み、自分で入り口を開け、人を殴ったので、私はズボンを穿く暇もありませんでした」

呉推官「私はあなたよりましです。私が恐れているのは正妻で、彼女を少し怖がっているだけです。あの二人の妾は、怖くありません。都で職務に就き、妻が故郷にいたときは、二人とも偉そうにしていました。しかし、後に妻がやってきますと、彼らはおとなしくなってしまいました。私はあなたのように妾まで恐れているわけではありません」

狄希陳「私の妾が偉そうにしていたときは、妻はまだ来ていなかったのです。昨日、私をひどい目に遭わせたのは妻で、先日偉そうにしていた妾ではありません」

呉推官はとても驚いていいました。

「奥さまはいつこられたのですか」

狄希陳「きてから一か月以上になります」

呉推官「奥さまがこられたのなら、お妾さんも少しはおとなしくなったのではないですか」

狄希陳「『山が変わらないように、性格も変わることはない』といいます。おとなしくなるはずがありません」

呉推官「何ということでしょう。双方から攻められたのなら、立ち向かわなければなりませんね」

狄希陳「何を争うというのですか。ひたすら我慢するしかありませんよ。きけば新しい知事さまがもうすぐ到着されるそうですね。経歴の役所に戻れば、あなたと隣同士ですから、あなたに聞かれるのを恐れ、少しおとなしくなるかもしれません」

呉推官「望みはありません。私の役所が平穏なら、あの人を恐れさせることができるでしょう。刑庁が恐ろしく手強い、怒れば情け容赦ない、というのであれば、私だってはったりをかませて、あの人をおさえつけることができるでしょう。しかし、今、私の役所は、『晏公老児が西洋に下る−我が身は保てない』という有様です。あなたがあの人を脅かしても、あの人が従わないとおっしゃるなら、私もはったりをかませて抑えつける勇気はありません。いずれにしてもしばらくあの人を避けるのがいいでしょう」

お互いに笑いますと、入り口を開けて別れていきました。

 さて、成都県の新任の県知事は姓を李、名を為政といい、湖広の黄岡県[1]の人、若くして進士になったばかり、証書を受け取り、道すがら故郷に戻り、黄岡から赴任しました。狄希陳は素姐、寄姐、家族たちとともに役所に戻って住みました。狄希陳は県庁で、周相公とともに文書の引継ぎの準備をし、まもなく、新しい役人と職務引継ぎをしました。そして、役所に戻り、ふたたびもとの経歴の職務を行うことになりました。素姐が故郷から四川にきたときは、狄希陳は正印官の官舎におり、官舎はなかなか広いものでした。しかし、もとの首領官の役所に戻りますと、明水鎮の家の菜園の中の書房の方がましで、腰をおろそうにも、しっかりおろすことができないほどでした。呉推官が調査のため外出しますと、役所の中には災いを招く人間はいなくなり、とても静かでした。人々はわざと刑庁の隣の威勢を利用して彼女を押さえ付けましたので、彼女も少しびくびくしていました。しかし、彼女は山猿のように奔放な性格でしたので、じっとしていることは我慢できませんでした。彼女はすぐに狄希陳に催促し、外から数本の杉の木を借りてこさせ、太い縄を探し、彫刻を施した踏み板を縛りつけ、大きなぶらんこを組み立てました。そして、素姐が先頭に立ち、寄姐がそれに従い、下男の女房、小間使い、乳母が一日中ぶらんこの木組みに寄り掛かり、ある者がのぼれば、別の者がのぼるといった具合に、順繰りにぶらんこをして遊びました。狄希陳は何度も頼みました。

「隣は刑庁だから、絶対に高く飛び上がっては駄目だ。彼らに見られたら、ただでは済まされないぞ」

寄姐たちはみんな指示に従い、少し高く揚がりますと、すぐに飛び上がるのを押さえました。しかし、素姐はわざと力を込め、両手で縄を引っ張り、両足で踏板をふみ、しゃがんだり立ち上がったり、体を前に乗り出したり後ろに退かせたりして、あっという間に空高く飛び上がり、横木の上にまで跳ね上がりました。素姐が刑庁の役所の中をはっきりと見、刑庁の人が素姐をしっかりと見るということは、一日にとどまりませんでした。

 呉推官は調査を終えますと、役所に戻りましたが、素姐はまったく避けようともしませんでした。呉推官は魂亭[2]のような縐紗の頭巾を被り、銀紅の秋羅の道袍を着け、塀の方を見ますと、素姐が塀の上でひらひらとしていました。呉推官は、下からそれを指差して笑いました。ある日、呉推官は『臨江仙』の詞を作りました。

ぶらんこの影 塀の外

それでもものを思はする

今見るすつきりした体

黒髪揺るる蝉の鬢

軽やかな舞ひ 鶴か蝶

柳に勝る細き腰

蓮の花瓣(はなびら) とどまらず

遠目に見れば美しく

すぐ隠るるぞ恨めしき

しばしとどまれ恋人よ

 手紙に書き、封筒で封をし、表に「狄経歴さま親展」と書き、人を遣わして送ってきました。

 狄希陳は「ぶらんこの影塀の外」という句を見ますと、自分たちの家でぶらんこをこいでいるために。手紙が送られてきたことを知りました。しかし、その詞を、どのように区切って読んだらいいか分かりませんでした。「影」の字も、何の字なのかすぐには分かりませんでした。「衫」の字に三つの払いがあったことを思いだしましたが、「ぶらんこの衫塀の外」とは何なのか分からず、こう考えました。

「ぶらんこをこぐとき、衫が塀の向こうにとんでいってしまったので、人を遣わして届けにきたのだろう」

家の数人の女たちすべてに尋ねましたが、誰も衫が塀の向こうにとんでいったのを見ていないと言いました。狄希陳はさらに人を遣わして、手紙を送ってきた人に、衫を送ってくるように頼みました。きた男は衫はありませんと返事をし、肩書きと姓名を書いた手本を持ち帰ってしまいました。狄希陳は心の中で訝しく思い、人を郭総兵の公館に遣わし、周景陽を呼んできました。そして、呉推官のもとの手紙をもってこさせて、彼に解説をさせました。周景陽は『臨江仙』の詞を見ますと、一句一句解説しました。狄希陳は奥の二人の女に話しをしました。

寄姐「呉さんが見たのはきっと私です。薛家のねえさんだったら、鼻も目もないのですから、こんなにきれいな詩が作れるはずがありません」

素姐「あなたはぶらんこで高く飛び上がっていないのですから、先方があなたを見た筈がないでしょう。私を褒めているのですよ」

 その後、素姐はぶらんこをこぐときは、前にも増して高く飛び上がり、呉推官に顔をひけらかそうとしました。呉推官の家ではたくさんの女たちがそれを見て、さんざん噂をしました、ある人は色気があって美しいと言い、ある人は片目が欠けていると言いました。ある日、呉推官はふたたび人を遣わして一枚の手紙を送ってきましたが、そこにはこう書かれていました。

ぶらんこを踏む金の蓮

風に靡ける(あや)の縄

新しき緑の袷 赤き裙

ちらりと見れば(たま)踊る

ところがどつこいよく見れば

何と片目が欠けてゐる

 狄希陳は開封してよく見てみましたが、やはり読み解くことができませんでした、しかし「ところがどっこいよく見れば、何と片目が欠けている」というところを読みますと、

寄姐「これはきっと『清江引』です。『清江引』の字数にしたがって区切れば、読み解くことができます」

 狄希陳が『清江引』として読んでみますと、素姐は呉推官を口汚なく罵り、あらゆる呪いの言葉をとなえ、ぶらんこで遊ぶのを、相変わらずやめようとしませんでした。ある日、呉推官はふたたび人を遣わして封書を送ってきました。狄希陳が見てみますと、そこにはこう書かれていました。

嬉しや東の色女

薄き化粧に濃き化粧

婀娜な姿でゆつたりと

白粉の香の漂へり

行つたり来たり塀の上

じつと見るには堪へぬ顔

血色だけは良きものの

顔の真中(まなか)鼻梁骨(ほね)ばかり

 狄希陳は、何度読んでも理解できませんでしたし、寄姐も『清江引』以外に曲牌を知りませんでした。そこで、周相公を呼んできて読ませました。周相公は笑って

「奥の女のご家族で、鼻が欠けている方がおられませんか」

狄希陳「手紙にそんなことが書いてあるのですか」

周相公は最初から解説しますと、言いました。

「呉刑庁は若くて非凡な人ですが、心に締まりがなく、礼儀にもこだわらないのです。しかし、いずれにしてもあの人は上司です。低い塀を隔てて、ぶらんこで遊び、お互いに覗き見をし、三回続けて詞を作られてしまいましたが、まったくみっともないことです。これからは慎み深くなさるべきです」

狄希陳が周相公の話を奥に伝えました。素姐は、聞くに堪えぬほどひどい言葉で、呉刑庁、周相公、狄希陳の三人をまとめて罵りました。寄姐は言いました。

「周相公は老成した人です。あの人は、昔から、どんなことを言うときにも、筋が通っていました。あの人の言うことを聞くべきです。私たちもずいぶん遊びましたから、ぶらんこを壊させるのがいいでしょう」

素姐「何を言うのですか。絶対に壊してはいけません。狭い箱のような場所で、動くこともできないのですよ。猿役人の言うことに拘って、私を外に遊びにいかせず、その上ぶらんこで遊ぶことも許さなければ、私は気が塞いでしまいますよ」

寄姐「遊ぶにも時と場所というものがあります。遊んでばかりいていいものではありません。それに飽きないのですか。私は壊すことに決めましたからね」

 素姐は悪人ではありましたが、寄姐の下で悪いことをする勇気はありませんでしたので、それ以上何も言おうとはしませんでした。しかし、寄姐が子供に乳を与えるために部屋に入っていきますと、素姐は狄希陳のところへ行って言いました。

「このぶらんこは、あんたが管理しておくれ。私のものを壊すことは許さないよ。もしも従わなかったら、わたしは『冬瓜を擦らずにホコリタケを擦る』ことにし、あんたに復讐してやるからね。そうなったら、私たち二人は生きてはいられないからね」

狄希陳は寄姐が頑固で、壊すと言ったら壊し、絶対に引き止めることができないこと、素姐が厳しいことを言ったら必ず実行することを知っていました。そこで、うなだれて、心配をしていました。

 狄希陳は寄姐にぶらんこを壊してはいけないと頼んではいませんでした。翌日の夜明けになりますと、寄姐は起き出して、手帕を頭に巻きました。そして、おもてに出、張樸茂、伊留雷、小選子らとともに、あっという間にぶらんこを片付けてしまいました。素姐は焦りましたが、部屋の中にいましたので、すぐに腹を立てるわけにもいかず、がちがち歯咬みをして狄希陳を恨みました。そこへ、ちょうど狄希陳が通り掛かりました。彼女は言いました。

「あなたは私のぶらんこを取り壊しましたね。そとは天気がいいのですから、私を自由に遊ばせるべきです。私はあわただしく四川にやってきたので、海棠楼[3]、錦官楼[4]にまだ行っていません。連れていってください」

狄希陳が返事もせずに、しばらく立っていますと、素姐は言いました。

「あんたは鼈か燕のように声を立てず、私を行かせないつもりなのかい。私を行かせないのなら、返事をするべきなのに、炭疽病に罹ったみたいに何も言わないとはね」

狄希陳「僕は表にいって人に尋ねてくるよ、三庁と首領官の役所から女がおもてに出て景色を見たことがあるかどうかをね。人が出たことがあるのなら、君を外に出してあげよう。しかし、他の役所で女が外に出たことがないのなら、僕も許すわけにはいかないよ。今すぐに返事をすることはできないよ」

素姐「相家の連中のようにろくでもないことを言って。私に他の人と一緒に一つのズボンを穿けというのかい。他の人が外に出ていたら、私が外に出るのを許すのかい。他人に尋ねるのは許さないよ。とにかく私の言うことに従うんだよ」

狄希陳は、返事もせずに、引き下がって外に行ってしまいました。

 寄姐は、髪梳き洗顔を終えますと出てきました。

素姐「この府城には海棠楼と錦官楼があり、どちらも天下に名高い名勝ですが、見にいきませんか。あなたが行くのなら、ついていきますし、行かないのなら、一人で行くことにしましょう。あの人が私の邪魔をして、行かせないのなら、私はあの人を許しません。あなたは自分と関係のないつまらないことに構わないでください」

寄姐「あの人に頼って生活をしているのに、あの人を許さず、私にもあの人に構うなとおっしゃるのですね。またこの間のように乱暴にあの人をぶったら、私は承知しませんからね」

素姐「聞くところによれば、あなたは私がきてから、少しおとなしくなったそうじゃありませんか。あなたは普段はあの人をぶっていたのではありませんか」

寄姐「あの人が自分から優しい心をもって話をするようにさせなさい。私はあなたのようにあの人をひどくぶったことはありません」

素姐「あなたはご存じないのです。ろくでもない奴は、ひどい目に遭わせなければ、従わせることはできません。あの人が私を外に行かせるならよし、行かせなければ、この前よりももっとひどいことになるでしょうよ」

寄姐「それは分かりませんね。あの時は私があなたの邪魔をしなかったので、あなたはあの人をぶつことができました。しかし、今は私が控えていますから、あの人をぶつことはできませんよ」

寄姐は素姐が脅しているのだと思い、さらに自分が護法神[5]、伽藍神[6]であることを頼りにし、気に留めませんでした。狄希陳は、表でしばらく過ごした後、寄姐の部屋に戻りました。

寄姐「あなたはあの人を外に出して海棠楼とやらを見せるのですか」

狄希陳「あいつは僕を苦しめてばかりいる。女房を外に出してあちこちぶらぶらさせる役人など、どこにもいるものか。それなのに、僕がいいと言わないのを怒るなんて」

寄姐「あの人を行かせないのなら、用心して、あの人を避けるべきです。あの人はとても凶暴です」

狄希陳「避けることにするよ。あいつが僕を監禁したら、すぐに助けておくれ。いつかのように油断して、あいつが数え切れないほど僕をぶつようなことがないようにしておくれ」

 それからというもの、狄希陳はいつも用心をしました。奥で寄姐と眠るときは、必ず門に厳重に押さえ、何重にも閂を掛けようとしました。表で一人で眠るときは、必ずまず門にしっかりつっかい棒をし、閂を差し、その後で服を脱ぎ、網巾を外し、肌着は、呉推官の言ったことに従って、脱ごうとしませんでした。素姐はすぐにはひどいことをしようとはしませんでしたが、だんだんと喧嘩を売り、乱暴をしようとするようになりました。しかし、寄姐は進み出て狄希陳を庇いましたし、狄希陳は公務があると嘘をつき、表に走り出て、一日中隠れたりしました。素姐の恨みはますます深まりました。

 ある日、糧庁の誕生日になりますと、狄希陳は彼の成都県の印を奪ったために、彼に咎められるのを恐れ、機会をとらえては贈り物を買って彼のご機嫌をとり、彼の歓心を得ようとしました。八大十二小の礼物のほかに、十五両の重さの三つの爵杯、十六両の重さの銀の如意、二十四両の重さの銀の急須、三十二両の重さの手洗い盆を買って、彼のためにお祝いをしようとしました。さらに、蜀殿下[7]から絵巻をお借りし、周相公を役所に招き、取り囲んでもてなすことにしました。そして、すべてを買い調え、毛氈の包みにし、ひたすら糧庁の知らせを待ちました。

 狄希陳は礼服を着け、おもてで周相公と話しをしました。糧庁に入り、礼物を送り、挨拶をし、退出し、表で服を脱いでいれば、大きな災いから逃れることができたはずでした。しかし、彼は周相公に出した朝食がきちんとしていないのではないかと思い、わざわざ一人で官舎に入り、寄姐の部屋に行き、何度も言い含めました。素姐は彼が寄姐の部屋に入ったのを見ると、すぐに熨斗をとり、火鉢の炭火を詰め、部屋の入り口の暖簾の中に立ちました。そして、狄希陳が寄姐の部屋から出てきますと、後ろから襟を引っ張り、右の手で炭を入れた熨斗を手にとり、すべて襟から服の中にいれました。狄希陳は焼かれて煮え湯地獄に落ちたような有様となり、声を辺りに響かせました。たくさんの人が集まってきました。あいにく角帯は何度ひっぱってもほどけず、丸襟の結び目も、慌てていたのでほどけませんでした。大騒ぎで服を剥ぎとったときには、狄希陳の背中には、小さな水膨れだけでなく、蒲扇[8]ほどの大きさの火傷ができていました。周景楊はびっくりして、女部屋であることにもお構いなく、急いで走り込んできますと、叫びました。

「早く塩を持ってきてください」

濃い塩水を作りますと、鶏の羽に浸して、火傷に塗りました。

 狄希陳は塩水が体に染みましたが、我慢しました。周景楊は、素姐が火を用いて、わざと夫に火傷を負わせたことを聞き出しますと、大声で罵りました。

「世の中にあんなに凶暴な女はいない。あのような悪者が、雷にも打たれず、お上にも処罰されず、世の中に生き残っているなんて。狄友蘇さん、あなたは意気地がなさすぎます。あのような畜生は、狼、虎、蛇、蠍のようなもので、見掛けたらすぐに殺し、先手を打つのがいいのです。あいつにひどい目にあわされては、生きていくことはできませんよ」

素姐は部屋で罵りました。

「減らず口を叩くんじゃないよ。お前は人から二両のはした金を稼いでいればいいんだ。お前が人に代わって女房に指図する必要はない。そいつが私を殺さなければ、お前がそいつに代わって私を殺せばいいんだよ」

周相公「おまえを殺し、世の中から両頭の蛇の害を除けば、陰徳を積んだことになるだろう。わしは減らず口を叩いたりはしていないぞ。古人もこのようなことはたくさんしている。蘇東坡が陳慥[9]の女房をぶったり、陳芳洲が高相公[10]の女房をぶったりしたのは、どちらも侠気のある男の振る舞いだ。おまえを殺したって構うものか。狄友蘇さんも変わった人だ。狄希陳という名はどこからとったのだろう。『陳』を『(のぞ)むとは一体何だろう。これは季常陳慥のようになることを『(のぞ)』むという意味にちがいない。では、陳季常のどのようなところを『(のぞ)』むのか。これは彼のような恐妻家になることを『希(のぞ)』むということにちがいない。それに狄さんは号を友蘇というが、これは東坡と達になろうとしているということではないか。わしは蘇東坡で、柳氏のような凶暴な女をぶつことには慣れているぞ。おまえはわしの目の前に出てくる勇気があるのか」

 周景陽が一人で大いに怒りを爆発させていますと、素姐は盆にたっぷり入った尿と糞便を頭からぶっかけました。そして、言いました。

「私はこの通りおまえの前にくる勇気があるよ。おまえは私をどうすることもできないよ」

人々は周相公が顔中に大小便を掛けられたのを見ますと、大慌てしました。周相公は手で顔を拭おうとしましたが、自分の手が汚れますので、手を使わずに擦ろうとしました。尿はどろどろと頭から流れくだり、口の中にも流れ込みました。狄希陳は、腰掛けの上に横たわり、うんうんと唸りながらも、周景陽を見て、にやにやと笑っていました。寄姐は怒鳴りました。

「この馬鹿。人があなたのために腹を立て、このようなことになったというのに、何が嬉しくて、笑っているんだい」

張樸茂、伊霤雷に、周相公をおもてに行かせて洗うように命じました。また、下女たちに、すぐに湯を沸かすように命じました。さらに、小選子に、水をもってくるように命じ、部屋の中で、火を焚きました。

 周相公は、顔を洗い、湯浴みをし、狄希陳の上着と下着、頭巾と履物を取り出し、着替えをしますと、張樸茂たちに向かって言いました。

「まったくひどいことだ。わしの家でも女がのさばっているが、あのように凶悪ではない。わしは、どんなに悪い女でも高夫人、柳氏ぐらいなものだろうと思ったから、憤慨したのだ。しかし、あんなにひどい目に遭うとは思わなかった」

周相公は、それほど腹を立てず、ただただ溜め息をつくだけでした。狄希陳は、死ぬほどの火傷を負わされましたので、他人のことには構っていられませんでした。周相公は、礼物を取り出しますと、照磨に頼み、糧庁に、狄希陳は火傷をし、服を着ることができなくなったので、彼に代わって礼物を送ることを報告させました。糧庁は、四つの銀器を査収し、照磨に頼み、両庁に彼が休暇をとることを許してもらうことにしました。狄希陳は、役所で病気療養をし、郭総兵と周相公は、しばしば見舞いにきました。

 撫院は成都府に命令を発して、言いました。

「成都府の城壁は破損が多いので、至急修理をせよ。本官が自ら成都府に赴いて検査を行うのを待つように」

府知事は人夫の数を勘定し、府の首領官と成都県の佐貳、典史、成都衛の経歴、知事を派遣し、受け持ちの場所を定め、手分けして、修理を行わせました。府の三庁及び成都知県は、それぞれ同じ場所を担当することになり、許可証を渡されますと、日を決めて、工事を始めました。しかし、狄希陳は、背中が爛れ、布団を掛けることさえできませんでしたので、服を着ることなどできようはずがありませんでした。彼だけは仕事をすることができませんでした。府知事が不愉快に思って、どんな病気に罹ったのだと尋ねますと、炭火で火傷をし、服を着ることができないのだと返事をしました。そして、税課大使[11]に代理をしてもらうしかありませんでした。

 ある日、大守と三庁は、城壁の上で工事を見ていました。府の首領官、県の佐貮が勢揃いし、衛の首領官も威張りちらし、力仕事用のp隷もおりましたので、城壁はとても堅固に修復され、工事も早く終わりました。しかし、税課大使だけは軍に指図することも、人民に指図することもできませんでした。職人、人夫たちは、何も恐れることはありませんでした。他の人なら毎日一丈を修復するところを、彼らはどんなによくても一日に六尺しか修理しませんでした。ほかの人なら煉瓦、顔料を八分しか使わないのに、彼らは十分つかっても足りませんでした。人手があれば、分担して職人たちを監督することができたでしょう。言うことを聞かない職人がいる場合は、管轄か否かにはお構いなく、お上の威勢を頼りに引き倒し、何回か板打ちにすれば、彼らも幾らか恐れを感じていたでしょう。しかし、人手は手に入らず、部下の見回り役たちは、あちこちに商品を買いにいったり、連れだって城壁にのぼってぶらぶらしたりしていました。

 府知事は工事が終わるのが遅く、きちんと修復されていないのを見ますと、大使をきつく叱り、彼に付き従っている下男をもぶとうとしました。大使は叩頭しただけですみましたが、府知事は狄経歴がしばしば病気になり、公務を行わないのに腹を立て、彼を咎めようとしました。そして、こう言いました。

「どうして用心をせずに、火傷をしたのだ。聞くところによると、あの男は大変な恐妻家だそうだな。以前、県知事の代理をしたときも、一か月近く、役所で寝ていて、仕事をしなかった。聞くところによると女房にぶたれたということだ。どうぶたれたか知らないが、どんなにひどくぶたれても、一か月も起き上がれないはずはあるまい。聞くところによると故郷からやってきた女房は、さらに凶暴だということだが」

呉推官「先にあの男と一緒にきたのが妾です。童という姓で、都で娶ったものです。最近新らしく来たのは、あの男の正妻です」

府知事は尋ねました。

「一緒にきたのが妻で、童という姓、最近きたのが妾で、薛という姓だと聞いたが」

呉推官「違います。先にきたのが妾で、童氏といい、都の人です。私はすでに調べました。あの人はかくかくしかじかの性格です。後からきたのがあの人の正妻で、知事さまはあの人が薛という姓だと言っていました。あの人の姓はよく変わるのです。来たときは薛という姓でしたが、間もなく潘という姓に変わりました。潘丞相の娘、潘公子の女兄弟です。今では潘という姓をやめて、諸葛という姓に変わり、諸葛武侯の子孫ということになっています」

府知事は笑って

「あなたは冗談ばかりおっしゃっていたから、きっとまたご冗談でしょう」

呉推官は笑って

「潘公子の女兄弟でなければ、棒を使って、六百回狄経歴をぶって一か月起き上がれないようにさせるわけがありません。しかし、あの人は棒では手緩いと考え、諸葛亮の火攻めを真似て、狄経歴に服が着れないほどの火傷を負わせたのです」

府知事と軍庁、糧庁は驚きました。

「狄希陳の不注意で、火傷をしたのかと思っていたが、女に火傷を負わされたとはどういうことだ。話をしてくれ。見聞を広めたいから」

呉推官「熨斗に炭火をたっぷり入れ、後ろの襟を引っ張り、全部中に入れたのです。そのときは礼服を着て、童寅爺の誕生日に参加しようとしていましたので、すぐには服を脱ぐことができませんでした。背中はすっかり焼けてしまい、『藤甲軍』[12]よりもひどい有様になってしまいました」

府知事「世の中には、どうしてこんなにおかしなことがあり、こんなに凶暴な女がいるのだろう。老寅翁はあの女と隣同士なのだから、あの女が何の憚りもなく、そのような勝手なことをしたわけはないでしょう」

呉推官は笑って

「私の役所はあの人を恐れませんが、あの人の役所も私を恐れないのです」

軍庁「あの人の役所では上司が隣に住んでいるのに気兼ねせず、『鸚鵡記』[13]を演じ、さらに『三国志』を演じ、少しも恐れることがありませんでした。あなたの役所では、この二つの劇が演じられるのを見たことがありませんね」

人々は一しきり笑いました。

 府知事は、自分のことは棚に上げて、言いました。

「狄希陳が快復して出てきたら、夫の権威を保て、小さくなっていては駄目だと言うことにしましょう。あの男が意気地なしなら、あの男の悪い評語を書き、家に帰らせ、官職を免じることにしましょう。評語は呉さんが書いてください」

呉推官は笑って

「やはり知事さまご自身がお書きください。私があの人の悪い評語を書くわけには参りません。あの人は仕返しに、私が女房に鼻を殴られ、鼻血が持病になり、驢馬の糞を吹き込まれたことを話すでしょう。私が女房にぶたれて、頭はぼさぼさ、足をはだけたまま役所に逃げ、ずっと家に帰れなかったことも話すかも知れません。さらに、女房によって役所に追い出され、書吏、小遣いに執り成しをするように頼んだことを話されたら、私はあの人に返す言葉がありません。『禿げと言わなければ、目くらと言われることもない』とも言いますからね」

府知事は呉推官は本当のことを言っている、童通判は賢いと思い、笑いながら

「その心配はありませんよ。ただ、あの人は『私は行香をしに出ていきませんでしたが、寝室でちょっと立っていたのです』と言うかもしれません。こうなるとあの人に返す言葉がなくなってしまいます」

同僚たちはさらに笑いました。狄希陳の背中の火傷はいつ良くなりましたか。府知事が果たしてどのようなことを命じたのかは、話が長くなりますので、この回ではくわしくお話し致しません。

 

最終更新日:2010118

醒世姻縁伝

中国文学

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[1]湖広黄州府。

[2]葬儀の時に用いる、紙で造った家状のもの。現在の紙馬のたぐい。宋陸游『放翁家訓』「近世出葬、或作香亭、魂亭、寓人、寓馬之類、一切当屏去」。

[3]成都にある旧跡。唐の李囘が建て、幕僚を集めて議事をしたという。趙朴『成都古今記』「海棠楼、李囘所建、以会僚佐議事。裴坦為之記」。

[4]錦楼のことか。亀城山の前にあり、大江に望み、白敏中がそこで詩を賦したという旧跡。趙朴『成都古今記』「錦楼在亀城山前。臨大江、下瞰井邑。西眺雪嶺、東望長松。白敏中常賦詩於其上。旧記云路岩所建、非也。岩在敏中之後」。

[5]仏法の守護神。梵天、帝釈天、八部鬼神などをいう。

[6]仏教寺院の守護神。美音、梵音、雷音、獅子などの十八神。

[7]明代、四川の藩王。

[8]蒲葵扇のことと思われる。ビロウの葉から作られる扇。清闕名氏『談徴』物部「蒲葵樹…其葉一歳凡三割、割已、暴之兼旬、乃水濯之、火烘之、使皆玉瑩冰柔、而随其葉之圓長、製而為扇、其製雅、出風和好」

[9]宋、永嘉の人。字は季常。『宋史』巻二百九十八に伝がある。妻の柳氏が嫉妬深かったことで有名。

[10] 第六十二回に出てくる高穀陳循のことをいう。ただ、陳循が高穀の妻を殴った話の典拠は未詳。

[11]明代、各府に置かれた年貢割り当て官。

[12]戯曲か小説の登場人物かと思われるが未詳。

[13]明闕名氏撰『蘇英皇后鸚鵡記』のこと。上に出てきた潘丞相はこの戯曲の登場人物。 

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