第九十六回

二人の道姑が他人の金を騙しとること

大勢の下役が役所の物を奪いかえすこと

 

家では切に慎めよ

六婆と親しくするなかれ

疑へば好意はもてず

食ひ物にする緑頭巾

多くの事件を引き起こし

数多の銀を騙しとる

人連れ歩く別れ道

すでに邪神を鎮めたり

夫を尻の下に敷き

金持ちを貧しくす

途中で物を奪ひとる

この人々は快し

 寄姐は、狄希陳を書吏の呂徳遠と小使いの盛于弥に引き渡しますと、寝ずの番をし、晩には耳を澄まし、何か事件があれば、すぐに知らせるように命じました。狄希陳は、だんだんと意識を取り戻しましたが、全身が痛かったため、寝返りを打つこともできませんでした。真夜中まで眠りますと、叫び声をあげ、胸がむかむかし、吐き気がすると言いました。呂徳遠と盛于弥が急いで火鉢で酒を温め、血竭を混ぜ、飲ませますと、すぐに落ち着き、夜明けまで眠りました。

 寄姐は、朝、起きて頭を梳かしますと、小成哥を抱き、人に命じて、小京哥を外の書房につれていかせ、様子をみさせました。

狄希陳「真夜中にも悪心がしたので、呂徳遠と盛門子に助けられ、血竭を入れた温かい酒を飲んだら、悪心は治まった。しかし、全身が痛く、動くことができない。世の中には、凶暴な人間がいるものだ。あんなにひどいことをし、僕をぶつとはな。おまえが救ってくれなければ、僕の命は、昨日の晩、あいつに奪われていたよ」

寄姐「『高い山がなければ、平地があることも分からない』といいます。あなたは、毎日、私のことをひどいとおっしゃっていましたが、冷静にお考えになってみてください。昔から、私が、あのようにあなたをぶったことがありましたか。何回かびんたを食らわせたことはありますし、何度か体を引っ掻いたこともありますが、棍棒で、こんなにひどくぶったことはありませんでしたよ。人に粥を煮させましたから、立ち上がり、腰掛けて、二碗お食べになってください」

狄希陳「僕はまだ気分が悪いから、ご飯を食べる気はしないよ」

 寄姐が狄希陳と話しをしていますと、素姐が頭を露にし、ズボンを穿き、走り出てきて、吠えるように言いました。

「はやく二人のお師匠さまを呼んできておくれ。またぶたれたいのかい」

狄希陳は、唸りながら言いました。

「あの人たちは、出発してしまっただろうから、追い掛けることはできないよ」

素姐「たとえ天に行ってしまったとしても、私のために連れ戻してきておくれ。連れ戻してこなかったら、あんたの命はないからね」

狄希陳は、寄姐に目で合図をするばかりで、追い掛けようという勇気はありませんでした。

寄姐「あの人たちを連れ戻せと言っているのですから、追い掛けさせるべきです。私を見てどうなさいます」

狄希陳は、言い付けました。

「適当な者を長江に行かせ、昨日来た二人の道姑を連れ戻してくれ。話すことがあるから」

素姐「あなたの家に、『道姑』などいませんでしたよ。軽はずみなことを言ってはいけません。追い掛けていく人には、あの人たちのことを、『お二方』と呼ばせておくれ」

 張樸茂は、表に伝言をし、こっそりと、行く人に、言い含めました。

「昨日、二人の女を中に入れなかったので、旦那さまはぶたれてしまった。連れ戻さなければ、ひどい目に遭うだろう。絶対に連れ戻さなければいかんぞ」

二人の捕り手が遣わされました。一人は胥感上といい、もう一人は畢騰雲といいました。二人は、命令を受けますと、川のほとりに行き、身支度をし、出発しようとしました。二人の捕り手は、進み出て、言いました。

「役所から命令が出されました。昨日、知事さまは、たまたま用事があり、お二方を役所に引き止めておもてなしできませんでした。心がとても落ち着きませんので、特別に人を遣わし、お二方を、役所に呼び入れ、あらためて敬意を表したいと言っております」

侯、張の二人の道姑は、心の中では、本当は戻りたいと思っていたのですが、わざと断ろうと思い、こう言いました。

「あなたのご主人さまと先日やってきた奥さまは、私たち二人の弟子です。私たちが彼らに道を修めさせたために、彼ら夫婦は、あそこまで修行をしたのです。このような高い官職と給料を得ることができたのは、とても名誉なことです。先日、私たちは、遠く離れたところから、年をとっているにもかかわらず、命懸けで四川に入りました。ところが、あの人の奥さんを送り、任地にやってきたというのに、あの人はお役人になった途端に、師匠を忘れてしまっていました。私たちに、ご飯を出さないまでも、中に入れ、お茶ぐらい出されれば、私たちが連れてきた人たちの前で、面子が立ったというものです。ところが、すぐに追い出され、それぞれに五銭の銀子を与えられました。私たちがこの程度の人間だと思われるのですか。私たちは旅行中ですから、倹約をしているのです。私たちが郷里でどのような生活をしているかご存じないのですね。人々は、お金や食糧を私たちにくれますし、紬絹を着せてもくれます。張大嫂は、夫に内緒で薪を送り、李大娘は、舅姑に隠れて炭を送ってきます。私たちは、強盗のようにひどいことはしませんが、強盗のようにいい思いをしています。役人など眼中にありませんよ。先日の五銭の銀子は、私たちは、腹を立てて受け取らないつもりでしたが、女弟子の面子を立て、仕方なく受け取ったのです。私たちは、あの人にまた馬鹿にされるために、身を翻して帰ることなどできませんよ。八人がきの轎で迎えにこられても、私たちは帰りませんよ」

胥感上、畢騰雲が何度も頼み、一緒にいた人々が何度も宥めますと、侯、張の二人はようやく帰ることを約束しました。人々は、彼女たちを、さらに半日待ちました。二人の快手のうち、一人は待機し、もう一人は二挺の肩輿、小轎を呼んできて、二人の道姑を中に座らせました。二人の捕り手が轎のかつぎ棒を持ち、知事の師匠だといい、轎をまっすぐ儀門に入れました。そして、宅門の入り口まで担いでいき、轎から降りました。

 素姐は、自ら彼らを迎え、中に入れ、互いに挨拶をしました。寄姐は、ゆったりと中から出てきて会いました。素姐は、侯、張の二人が耳障りなことを言うのを恐れ、慌てて言いました。

「私の妹です」

互いに挨拶をしました。侯、張の二人は、さらに狄希陳を訪ねて会いました。寄姐が黙っていますと、素姐は言いました。

「あいつのためにお二方を呼び入れることができませんでしたので、ちょっと棍棒でぶってやったら、動くことができず、死んだように眠っていますよ」

侯、張は言いました。

「奥さま。お宅の規則は、そんなに恐ろしいものなのですか。あの方は、役人になった方なのですから、もう少し手加減すれば宜しいのに、こんなにぶたれるなんて。あの人は、歯をむき出しにして横たわっています。私たち二人がここに座っているのは、面目ありません」

素姐「何をおっしゃいます。ぶたなければ、あいつは、あなた方を呼び戻そうとはしなかったでしょうよ」

 寄姐は、果物皿を並べ、小料理や、酒肴、ご飯を作り、二人の同郷の親戚をもてなすように命じました。素姐は、寄姐に同郷の親戚と言われると、慌てて言いました。

「あなたはご存じないのです。これはすべて私たち役人をしているものの料理人です」

寄姐「私はがさつ者で、精進物を食べたり念仏を唱えたりすることはできません。師匠はおりません」

料理が出てきても、寄姐はお相伴をしませんでした。食事が終わりますと、素姐は、侯、張の二人に、役所のあちこちを見せ、彼ら二人を自分の部屋に送り、手を引き、三人で寝床の脇に腰掛け、親しく話しをしました。侯婆子は、こっそり尋ねました。

「あの方は二号さんですか。良くない顔をしていますね。あなたとはうまくいっているのですか」

素姐「あの人は最初は乱暴をしていましたが、私が服従させたのです。今、あの人は私たちに従っていますので、私もあの人にきちんとした態度を取っているのです」

侯婆「きちんとした態度を取らなければなりませんが、優しくしすぎてもいけません。あの人は善人ではありません。あの人は『人は敬うに値しない、一物は弄ぶに値しない』人で、あなたを踏み付けにし、最後はあなたを苛めることでしょう」

素姐「とんでもありません。あんな人が」

 二人はさらに言いました。

「あなたは本当にご主人を動けなくなるほど殴られたのですか」

素姐「ぶたないはずがないでしょう。たっぷり七百回棒でぶちましたよ。いつもぶっていましたが、人々に引き止められ、満足がいくまでぶつことはありませんでした。今回のように満足のいくまでぶったのは初めてです。あの人の体が痛いかどうかは私には分かりません。私は自分の腕が痛いことしか分かりません。まるで折れてしまったかのようで、振り上げることもできませんよ」

侯婆「『優しくしても人は従わない』と、途中で申し上げたでしょう。役所にきたとき、まず最初に、あの人にはったりをかませればよかったのです。人間は付和雷同しますから、あなたが最初にちゃんとした態度をとらなければ、どうしようもないことになってしまいますよ。あなたは雄鳥を見たことがありませんか。戦って負けると、尻尾を垂れて塀の下に逃げていき、戻ってこようとしないでしょう」

張道婆「あなたがあの人をぶているとき、お妾さんはあの人のことをかわいそうに思ったり、何か言ったりはしなかったのですか」

素姐「何か言おうとしていましたが、何も言いませんでしたよ。あの人はあなたがた二人を帰らせるべきではないとまで言いました」

さらに尋ねました。

「お師匠さま、帰りの旅費は十分でしょうか」

侯、張の二人は言いました。

「私たちは家で相談したのですが、往復で八九か月足らずの道程です。来るときは、七か月かかりました。帰るときは、早く歩いても、やはり四五か月はかかり、一年の時間を費やすことになります。ちょうど旅費がないことを心配していたのです」

素姐「心配されることはありません。二人のお師匠さまのために、それぞれ二十両の旅費を出させましょう」

侯、張「滅相もございません。あの方がそんなにくださるわけがありません。あなたに贈り物を差し上げてもおりませんのに」

素姐「何をおっしゃいます。あいつが土地や家を売ったお金がありますよ。あいつのもっているお金はいずれにしても人を殴って要求したお金です。『豆腐売りが河原を選ぶ−湯の中からきたものは、水の中に去っていく』[1]のです。まったく、何をおっしゃるのです」

侯、張「そうはおっしゃっても、お金があなたの手元になく、あの人がお金を出すことを承知しなければ、あなたは『灯心草の杖』[2]になってしまいます」

素姐「あいつが承知しないですって。承知しなければまたぶってやるまでですよ」

侯、張「あの人はどちらでお休みになっているのですか。会いにいきましょう」

素姐「歯をむき出して、幽霊のような有様なのに、会ってどうなさるのですか」

侯、張「そのように悪意のある態度をとられるのはよくありません。あの人に会いにいかなくていいはずがありません。あの人と喧嘩してどうなさいます。中に入った以上は、会いにいくことにいたしましょう」

 素姐は鍵を貰い、侯、張の二人に付き添って狄希陳に会いに行こうとし、寄姐にも一緒に外に出るように言いました。

寄姐「小間使いをついていかせましょう。小成哥が泣いて乳をほしがっていますから」

小渉淇、小河間の二人を呼び、ついていかせました。

狄希陳「お二人には、はるばる妻につきそって頂きまして」

素姐「お二人がはるばる私に付き添ってきてくださったというのに、どうして中に入れて一杯の水も差し上げようとされなかったのですか」

侯、張「狄さま、どうなさったのですか。お体が悪いのですか。うんうんうなられて。先ほど弟子を宥め、よく説教しましたから」

狄希陳「大変ありがとうございます。大変ありがとうございます。まことに有り難く存じます。お二人が宥めてくださらなければ、私の命はなかったでしょう」

素姐「それは本当ですね。嘘ではありませんよ」

狄希陳「お二人は遠くからここにこられて、あと何日泊まられるのですか」

侯、張「私たちはあちこちにお参りをし、景勝地を見ました。船を動かして長江を渡りますと、狄さまのお遣いがすぐに来られたので、来ないわけにはいかなかったのです。もう長いことご馳走になりましたから、お別れすることに致しましょう。狄さま、あなたは役人をして数年になりますから、もうすぐ三級昇進されることでしょう。故郷でまたお会いしましょう。頂上奶奶に申し上げましたよ。あなたが良い役人に昇任されますようにとね」

狄希陳「私は都堂[3]になろうと思っているのです。願いを適えて下さるのなら、財産を全部差し出してもお礼しきれません」

侯、張「それは簡単なことです。すべて私たち二人が引き受けました。頂上奶奶のご加護があれば、簡単なことです」

素姐「あなた、お二人は遠い道を、長い時間を掛けてこられましたが、旅費がなくなりましたので、あなたから二十両の銀子を借りようとしているのです。貸してあげてください」

狄希陳「僕が何の役人をしていると思っているんだ。すぐに四十両の銀子など貸せるはずがないだろう」

素姐は鋭い片目を見張って、言いました。

「ないだって。四十両の銀子とあんたの命とどっちが大事なんだい。あんたが金を出さなければ、お二人は乞食をしながら家に帰らなければならないのだよ。あんたは命よりも金が大事なのかい。こいつは銀子がないと言っています。お二人はどうか行かれてください。私はどうすることもできません」

狄希陳は慌てて返事をしました。

「お二人は奥に行って掛けられてください。何とかお金を集めて差し上げましょう」

素姐「お二人は二十両の銀子のほか、二匹の生地を欲しがっています。こんな遠い道を私と一緒に来てくださったのですから、服を作ってさしあげるべきではありませんか。私にこんなことまで言わせるとはね」

狄希陳「分かったよ。分かったよ。準備させよう」

素姐は、侯、張の二人を奥に招きいれ、狄希陳が生地と銀子を持ってくるのを待ちました。

 素姐が中に入りますと、呂徳遠と盛門子は中に入って待機しました。狄希陳は長く短く溜め息をつき、目にいっぱい涙をためました。呂徳遠は言いました。

「旦那さまはお体が優れず、気血が損なわれています。気を楽にして過ごされることが大事です。腹を立てて、気血を滞らせてはいけません」

狄希陳「二人の女はあいつと何の関係があって、二十両の銀、二匹の生地を贈るように迫ったのだ。これには我慢ならん」

呂徳遠「贈る贈らないは、旦那さまご自身が決められてください。旦那さまに強制をすることはできませんから」

狄希陳「すべて僕が取りしきったから、何事もなかったのだ。先ほど少しぐずぐずしたら、さんざんひどいことを言われた。あいつは言ったことは、必ず実行する。僕はすぐに承知し、とりあえず災いを避けることにしたのだ」

呂徳遠はさらに言いました。

「あの二人の女は、今まで旦那さま、奥さまにいいことをしてきたのですか」

狄希陳「ああ、あいつらにいいことをしてもらっていれば、首を切ってあいつらに差し出しても、恨みはない。だが、僕はあいつらからどれだけの災いを受けたか分からない。立派な良家の婦人を誘って寺を回ってお参りをさせたり、仏像を拝ませたり、銀子や銅銭をお布施させたり、穀物を運ばせたり、家で凶暴なことをさせたりしたのは、すべてあの二人の女が唆したせいだ。昨日の災いもあの二人の女が唆したものだ。敵に銀子を与えろといわれて、怒るのは当然だ」

呂徳遠「旦那さまの話を聞きますと、この二人の女を喜んでいるのは、新しく来られた奥さまだけで、旦那さまはあの人に腹を立ててらっしゃるようです。本当にそうなら、何も難しいことはありません。旦那さまは私の計画に従ってください。旦那さまが役所でひどい目に遭わないようにして差し上げましょう。さらに旦那さまの昨日の恨みを晴らして差し上げましょう」

狄希陳「お前にはどんなうまい方法があるのだ」

呂徳遠「すぐに四十両の銀子をはかりとり、二つの封に分けてください。さらに、四匹の上等の生地を買い、奥さまのもとに送り、検分をさせ、二人に送り、すぐに送り出すのです。奥さまが銀子をやれとおっしゃれば銀子を送り、生地をやれとおっしゃれば生地を送るのです。そうすれば、奥さまに不満はなくなり、旦那さまと争ったりはしないでしょう。旦那さまは奥さまからひどい目にあわされずにすみます。私は数人を連れてあいつらとともに長江の岸にいき、銀子、生地をあいつらからすっかり奪って戻ってきましょう。さらにあいつらを辱め、旦那さまのために恨みを晴らして差し上げましょう」

狄希陳「これはただごとではないぞ。あの女に知られたら、僕は命がなくなってしまうぞ」

呂徳遠「もしもあの方に知られれば、当然耐えることはできません。これでは良い方法とはいえません。私がしようとしているのは、神さまでも予測のつかないことですから、何も怖いことはありません。私がすべて引き受けましたから、旦那さまは安心して、とにかく好きなようになさってください」

 狄希陳はまだ決心がつきませんでした。

呂徳遠「旦那さまの役所で銀子、生地がすぐに手に入らなければ、私はよそへ準備をしにいきます」

狄希陳「銀子、生地が手に入ったら、注意して作ればいいだろう」

人に命じて銀子を取り出させました。呂徳遠は表の蔵から天秤を貰ってきて、二十両の銀子を二封はかりとり、紙できちんとくるみました。そして、一匹の綸子の絹の紬、一匹の絨紗、四つの蜀錦の汗巾を、毛氈の包みにして捧げ持たせ、素姐に届けました。

素姐「『見掛けが正直そうでも信じるな、不誠実な心に用心せよ』といいます。天秤を持ってきて、この銀子をはかり、『赤鼻の下戸−見掛けだけ』ということがないようにしましょう」

天秤を貰って中に入り、一封ずつ量りますと、銀は分銅よりも一目盛り分傾きました。彼女は、さらに、二人の道姑を呼びました。

「よく品質を調べられてから、途中で使われてください」

侯、張「騙されるはずはないでしょう。品質が劣るものでも、我慢して使いましょう」

素姐「何をおっしゃいます。私がやっとの思いで銀子を手に入れたのに、途中で調査を受けたときに偽の銀子だったら、お二人がひどい目に遭われるではありませんか」

 侯、張の二人は二封の銀子を一つ一つ調べましたが、すべて最上の細絲でした。素姐はさらに汗巾を見ますと、言いました。

「申し上げませんでしたが、この汗巾は、主人の特別の贈り物です。主人がよろずにつけこのようにすれば、私だって主人を人間として扱います」

侯、張「旅費を援助していただき、このような良い生地、良い汗巾を送っていただいたのですから、ここでお別れしましょう。風がありませんから、長江を渡って向こう側で泊まり、明日の朝に出発いたしましょう。私たちから申し上げることはございませんが、あなたはお一人で、実家もこの地にはありませんし、私たち二人も近くにはいませんから、万事臨機応変にし、ひどい目に遭われないようにしてください」

素姐に別れを告げ、さらに寄姐を呼んで礼を言いました。

 寄姐は小間使いに報告をさせました。

「奥さまは坊ちゃまにお乳を与えており、手が離せません。どうかご自由に行かれてください。お会い致しません。どうせ服従させられた二号ですから、あの方に別れを告げられても仕方ありません」

侯、張の二人は、素姐の部屋でこっそり話したことが、人に聞かれ、告げ口されたことを知り、合わせる顔がないと思い、「二号さんに宜しく」と返事をし、外に走っていきました。寄姐は、部屋の中で腹を立て、言いました。

「あのろくでなしどもめ。例の所を窄めていってしまえばいいんだよ。何が二奶奶、三奶奶だ。位牌を書いたり点呼をしたりしているのではないのだからね。[4]

侯、張の二人は、聞こえないふりをしました。そして、口汚ない罵り声を聞きながら、奥に行き、一緒に狄希陳の書房に行きますと、何度も礼を言いました。

「遠い道をやってきて、狄さまには差し上げませんでしたのに、旅費、生地、汗巾を送っていただき、まことに忝ないことでございます。私は先ほど弟子に、故郷にいた時とは違うのだから、あらゆることに耐えるように、夫婦で仲良く暮らし、これ以上乱暴をしてはいけない、夫は私たち女の天で、天をぶっていいはずがない、と言い含めました。あの人はきっと私たちの話に従うでしょう」

狄希陳「あの人はほかの人の話は聞きませんが、あなたがた二人の話には従うでしょう。どうもありがとうございます。私はまだ立ち上がって、お二人にお礼を申し上げることができませんが、心の中では感謝しております」

侯、張の二人はさらに言いました。

「私たちは先ほど弟子の部屋にしばらく腰を掛け、少し話もし、弟子に他の人々と仲良くするように言いました。奥さまは、聞き間違えられたのか、誰かに間違ったことを伝えられたのか存じませんが、少し腹を立てられたようです。先ほど私はあの方に別れを告げましたが、あの方はお子さんにお乳を上げていると言って出てこられませんでした。私は罵る声を聞きましたが、罵っているのがどなたかは分かりませんでした。あの方が何かの間違いで私たちを咎めておられるようでしたら、狄さま、あなたは是非私たちのために弁明してください。このような待遇をしていただいたのですから、私たちがたとえ人間でなくても、減らず口などたたくはずがございませんよ。『木が千丈の高さでも、葉は落ちれば根元にかえる』ともうします。あなたが役人を辞められ、故郷で郷紳となられれば、私たちが一人の弟子としか仲良くできないのと、もう一人の弟子と仲良くできるのとどちらがよろしいですか」

狄希陳「一人と仲良くされるだけでもさんざんな目にあっているのに、さらに二人と仲良くしてもらうつもりなどありませんよ」

張老道「はやめにお暇いたしましょう」

狄希陳に向かって二回拝礼をし、何度も礼を言い、奥の建物に行きますと、ふたたび肩輿に乗りました。このときも、胥感上、畢騰雲の二人の捕り手が二人を送りました。

 城門を出ますと、長江の岸までは、まだ一里の距離がありました。城門を振り返ってみますと、すでに数里離れていました。すると、林の中から七八人が走り出てきて、声を揃えて怒鳴りました。

「はやく轎を止めろ。中に腰掛けている奴は出てこい。知事さまの命令だ。騙しとった成都県の銀子、生地、蜀錦、汗巾をすべておいていけば、お前たちを許し、生きて長江を渡らせてやる。少しでも『嫌だ』といったら、お前たちの服をすべてはぎとり、手足を縛って、川の中に投げこんでしまうぞ」

侯、張の二人は、轎の外に出、埃の上に跪きますと、言いました。

「他郷を旅する者を哀れと思われてください。数両の銀子を借りて、旅費にしようとしておりましたが、半分を残し、半分を差し上げます。生地はすべて差し上げましょう」

男たち「つべこべ言うな。さっさと物を出せ。命をとられないだけでも、幸せだと思え」

侯、張の二人は、命よりも金が大事でしたから、やすやすと金を出そうとはしませんでした。男たちは二人がぐずぐずしているのを見ますと、やっちまえと叫んで、詰め寄りました。侯、張はようやく腰からそれぞれ大きな銀の包みを取り出しました。轎からも汗巾、生地を取り出して、すべて渡しました。男たちは言いました。

「とりあえず許してやろう。はやく川を渡れ。ここで騒ぐのは許さん。これ以上轎に乗ることも許さん。はやく轎かきを帰らせるのだ」

男たちは、侯、張の二人を護送して船に乗せ、立ち止まって彼らが向こう岸に上陸し、空の船が戻ってくるのを見ますと、城内に戻りました。

 さて、童寄姐は、侯、張の二人を送り出しますと、怒って言いました。

「『優しくすれば、人は従わない』というのは本当だね。遠い道をはるばるとやってきたのは、大変なことだ。あんたが物事を弁えていれば、私だってあんたを丁寧に扱っていただろう。ところが、あんたはあの二人のろくでもない女を家に招き、あれこれ悪口をいわせたね。私が二号だって。じゃあ正妻は誰なんだい。私が最初は乱暴をしていたが、今ではあんたに服従しただって。私がおまえを奥さん、お母さまと呼んでいるだって。私を服従させただって。私のことを『敬うに値しない』と言っていたが、私をもう少し敬った方が身のためだよ。二人のろくでなしの女の言うことを聞いたかい。私が四川にやってきて数日で、夫をぶち、もう少しで殺してしまうところだっただって。あのぼんくらのために高い山を越えてきただけでも、私がおとなしいことが分かるというものだ。私が何も言わないのをいいことに、お前はますます悪知恵を働かせたね。二人の泥棒女はおまえの情人[5]かい。きっと大きな一物でお前を犯したんだろう。一人に三十両の銀子、生地を与えたのだからね。強盗が奪ってきた財産でもないのに、お前が勝手に使うなんてね。私はどなりつけてあいつらのものを奪ってやりたいよ。あのぼんくらに少しもしっかりしたところがなかったために、あいつらが財産を持っていってしまったのが腹立たしいよ。おまえが人のことを敬うに値しないと言った以上は、私たちはこれから敬い合わず、どちらが強いか決着をつけることにしよう。下男たち、聞いておくれ。これからはあいつを薛の奥さま、私を奥さまと呼び、『童』だの『銀』だのいうことは許さないよ」

 素姐は、部屋の中から、目を擦りながら出てきますと、言いました。

「さっきから聞いていましたが、怒ってらっしゃるようですね。私は『ここ数日、あの人は体の具合が悪く、あまりご飯を食べていない。坊ちゃんもお乳を吸っているのだから、つまらないことで腹を立てることはないのに』と思いましたが、よく聞いてみると、私に腹を立ててらっしゃるようですね。あなたが話したことは、ご自身が聞かれたことなのですか。それとも、誰かがあなたに言ったことなのですか。私は愚かな家畜ですが、人の長所はよく分かっていますよ。私がそのような減らず口を叩くはずがありません。私たち姉妹は、半月以上も一緒にいるのですから、私の性格がお分かりにならないわけはないでしょう。あの二人のことをお話でしたが、私は、彼らのために、誓いを立てることができます。あなたは、彼らがそのような女たちだと思われたかもしれませんが、故郷では、大郷紳の奥さまや娘など、たくさんの人たちが、二人を師匠と仰いでいます。人々は争ってあの二人を家に迎えようとしていますよ。あの二人は、相手が善人であれば、彼らからもらった物を受け取りますが、相手が少しでも欠点のある人なら、彼らが山のような銀をあの人たちにあげても、目もくれようとはしないのです。二人は、故郷では、雲にも届くような、瓦屋根の楼閣に住んでいて、蔵一杯に米を蓄え、銀子、銅銭は、地面に無数に撒くことができるほどもっています。彼らは、普通の服を着、人を一人も付き従えていません。彼らがいいものを着ないのは、善行を積んでいるのです。人を付き従えないのは、苦行をするためです。彼らのことをご存じないのに、騒ぎを起こす、ろくでもない奴らとして待遇されるのは、不当なことです。彼ら二人は、何度も言い含めました。『あなたがた二人を、どうお呼びしていいか分かりません。どちらがお姉さんで、どちらが妹さんですか。』。私は言いました。『私はあの人よりも十歳ばかり年上ですから、私が姉さんです』。彼ら二人は言いました。『お会いできて本当に光栄です。性格が同じであるばかりでなく、美しさも甲乙付け難いものがあります』。私は言いました。『私は妹とはくらべものになりません。あの人は、鼻も目もきちんとしていて、私よりずっとましですよ』。以上が、私たち三人が部屋の中で話したことです。誰も減らず口を叩いたりはしていません。ご自身が聞かれたのなら、間違いはないでしょうが、きっとどこかの耳の悪い奴が聞き間違えて、他の人に伝え、腹を立てられたのでしょう。でも、この話しがあろうがなかろうが、彼ら二人を部屋に招き入れ、こっそり話をさせたのは、私の過ちでした。妹妹、どうか私をお許し下さい。私と争われないでください。この通り謝りましょう」

そして、さっと拝礼を行いました。

寄姐「話しをしていなければそれでいいのに、どうして謝られるのですか」

素姐「妹妹が私を謝らせず、笑ってくだされば、謝るのをやめましょう。笑われなければ、私はあなたを千回拝みます。夜までそれを続け、夜になったら朝まであなたに拝をしますよ。眩暈と悪心を起こしても、やめはしませんから」

寄姐は、素姐が妾のように振る舞っていましたので、思わず笑い、相手にするのをやめました。

 灯点し頃を過ぎますと、寄姐は宅門を開け、狄希陳の様子を見にいきました。狄希陳は、全身がさらに腫れ、痛くてひたすら「お母さま」と叫んでいました。寄姐は言いました。

「あの二人の老いぼれは、あなたと関係があったわけでもないでしょうに、どうしてあんなにたくさんの物をやったのですか。苦労して稼いだものを、やすやすとあんなにたくさんやってしまわれるなんて」

狄希陳「神さま、神さま。まったく腹が立つなあ。ここ数年一緒に暮らしてきたのだから、お前だって、僕の性格を知っているだろう。奴らに頬を突き刺され、竈で焼かれたって、軽々しく金を出してやったりするものか。だが、素姐が脇にいて、二人の売女婆あの前で、僕に金を出すように迫ったんだ。お前が目の前にいてくれたら、僕は味方がいて、心強かったんだが。お前は出てきてくれなかったし、僕がぐずぐずしていれば、あいつはとびあがって、僕は生きてはいられなかっただろう。あいつ一人なら、僕だって我慢できたが、あの二人の悪者は、あいつの仲間だ。僕が金を出さなければ、取り返しの付かないことになっていただろうよ」

寄姐「私は、一つには、あの二人の売女婆あを馬鹿にしていて、あの人と一緒に出てくるのが嫌だったから。二つには、小成哥が乳をくわえ、どうしても離れようとしなかったから、出てこなかったのです。二人の老いぼれは、あの人の部屋であなたをぶつようにあの人を唆したばかりか、私を苛めるように唆しました。あの人は、私を苛めたので、私には乱暴をする勇気がないと言っていました。すると、老いぼれは言いました。『まったくいい気味です。『人は敬うに値しない、一物は弄ぶに値しない』とはこのことですね』。まったく憎たらしいじゃありませんか」

狄希陳「お前はその耳で聞いたのかい」

寄姐「彼ら三人が部屋の中で話をしているのを、伊留雷の女房と小河漢が、窓の外で聞いていたのですよ」

狄希陳「何ということだ。僕はあいつが唆したのだと思っていた。故郷でもぶたれていたが、こんなにひどくぶたれたことはなかった。これからはお前が守ってくれなければ、僕は素姐に命を奪われてしまうだろう。故郷にいたときは、あいつがひどいことをしようとすると、母さんが守ってくれた。母さんが亡くなると、父さんは、自分では守りにきてくださらなかったが、やはり、僕にとってはお守りのようだった。龍姐も僕を助けてくれたし、狄周の女房も執り成しにきた。昨日はあいつにひどい目にあわされてしまったが、僕はともかく、お前たち母子は、楽しく暮らしている。あいつの仲間になっては駄目だよ」

寄姐「あなたは人を責めてばかりいて、自分のことは責められませんが、不愉快なことですね。昨日、私が急いで入ってこなければ、今日、あなたは生きていませんでしたよ」

狄希陳「お前があいつと仲間になって僕をぶったとは言っていない。あいつに構うなと言っただけだよ。お前は、ここのところ、あいつととても仲良くしているじゃないか」

寄姐「あの人をどうしろとおっしゃるのですか。『厳しい母親も、笑っている人を殴ることはできない』と言いますよ。あの人が妾のように振る舞っているのを御覧にならなかったのですか。あの人は、二人の婆あと一緒に、私の悪口を言いましたが、私に知られますと、先ほど、それを取り消しましたので、私も怒りがなくなりました。これからは、あの人を避け、船の上で私に腹を立てたときのように、あの人を扱えば、厄介ごとは起こらないでしょう」

狄希陳「あいつの激しい気性は、お前とは比べものにならないよ。あいつは、すぐに因縁をつけるんだ。あいつの尻を嘗めたって、舌に棘があると言い、尻の穴を窄めるだろうよ」

狄希陳が寄姐と話をしていますと、小選子が入ってきて言いました。

「二人の女を送った人が戻ってきました。呂書班が旦那さまに報告をしたいと申しております」

寄姐は、役所に戻っていきました。侯、張が船に送られ、川を渡ることができましたかどうか。呂徳遠がどんなことを報告しようとしたのかは、この回ではお話ししきれませんので、さらに次回をお聞きください。

 

最終更新日:2010118

醒世姻縁伝

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[1]原文「売豆腐点了河灘地−湯裏来、水裏去」。「湯裏来、水裏去」は金が右から左へ消えてしまう、悪銭身につかずの意。

[2]原文「灯草拐」。洒落言葉「做不了主」と続き、頼りにならないことをいう。

[3]明代、都御史、副都御史、僉都御史をいった。

[4]原文「你家題主点名哩麼」。「題主」は位牌に名を書き入れること。これがどのように数字と関係するのかは未詳。あるいは、位牌に排行などを書き入れるものか。

[5]原文「孤老」。私通の相手をいう俗語。清朱駿声『説文通訓定声豫部』「『声類』[女固]嫪恋惜不能去也。按今俗謂女所私之人曰孤老。其遺語也」。

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