第九十五回

素姐が数年間の宿怨を晴らすこと

希陳が六百回しこたま棒でぶたれること

 

夫より愛しきものは世にはなし

怒るは道姑を呼んだため

顔中を顰め、唇尖らせて

両眉を蹙め、唇膨らます

殺伐の気は鬼神をも恐れしめ

棍棒を力一杯振り回す

下役がすぐに救いにこなければ

狄希陳あっという間にあの世行き

 狄希陳は半死半生となりましたが、医者はすぐにやってくることができませんでしたので、家中の人々はやきもきしました。素姐は役所に入りますと、驚いたり憐れんだりする様子はまったくみせず、ひたすらわめき罵りました。そして、わざと事実を知らない振りをして、寄姐が何者で、どうして役所にいるのか、小京哥と小成哥の二人の息子は誰が生んだのかと尋ねました。さらに、寄姐と下男、女房、小間使いたちが会いにこないことに腹を立て、さんざん罵ったり、わめいたりしました。わめいたり罵ったりしていますと、役所で拍子木が鳴らされ、医者が呼ばれたとの知らせが入りました。ところが、素姐はまだ罵っており、引っ込もうとしませんでした。たくさんの女たちは、奥に逃げるしかありませんでした。下男は医者とともに狄希陳を丁寧に診察しました。

医者「これは心臓がびっくりしたのです。はやく生の豚の心臓を用意してください。薬がきたら、研いで細かい粉末にし、豚の心臓を切り裂き、熱い血をとって薬に混ぜ、生姜湯で飲ませれば、何事もないでしょう」

 医者は戻りますと、朱砂が外側に掛かった鎮驚丸[1]を送りましたが、龍眼ほどの大きさがありました。処方通りに飲ませますと、狄希陳はだんだんと目を動かし、腹を鳴らし、たくさんの痰を吐き、意識を回復しました。そして、素姐を見ますと、手を伸ばして彼女を引っ張りましたが、素姐は狄希陳の手を力一杯推しのけました。

狄希陳「この前お前を迎えて一緒にいこうとしたのだが、お前はどうしてもこようとしなかった。苦しい道を、一人でどうやってきたのだ。とても苦しい目に遭っただろう。だれと一緒だったんだ。付き添いは誰だったのだ。急いでご飯を用意してやろう」

 狄希陳はやさしい言葉を掛け続けましたが、薛素姐はひどい罵りの言葉を浴びせ続けました。童寄姐は彼女が善人でないのをみますと、少し怖くなりました。やがて、張樸茂の女房の羅氏が寄姐の前にきて、目配せをして、寄姐を静かな所にいかせ、こっそりこう言いました。

「あなたはどうしてあの人にびくびくしているのですか。あの人はただの目が欠けて鼻のない人ではありませんか。たとえあの人が龍であったとしても、たった一人に過ぎません。ここは私たちの天下なのですよ。あの人に手荒なことをした場合はもちろん、代わる代わるあの人を怒らせても、あの人は腹を立てて死んでしまうでしょう。人は弱い者の言うことには従いません。あなたは弱くなればなるほど苛められ、あなたは強くなればなるほど怖がられるのです。あいつがぶてば、あいつと喧嘩をし、あいつが罵れば、あなたはあいつと罵りあうのです。あなたがあいつをぶつときは、私たちは脇で立って見ていましょう。あいつがあなたをぶったら、私たちは仲裁をするふりをして、あいつの手を封じ、場所を選んで、思いきり叩いてやりましょう。あなたは『主人は都で私を娶られたとき、媒酌を通じて結納品を贈ったが、家にほかに奥さんがいるとはいわなかった。たとえおまえがあの人の奥さんでも、すでに天泡瘡と頑癬ができ、目が潰れ、鼻が欠けてしまっている。『大明律』には『悪疾をもっている妻は離婚していい』とある[2]。天泡瘡にまさる悪疾はない。おまえがおとなしくしていれば、私はおまえとは姉、妹と呼びあうことにしよう。年を言いあい、大きい方が姉さんになり、小さい方が妹になることにしよう。家は私が今まで通り切り盛りし、財産は今までどおり私が管理しよう。私はおまえにいい服を着せ、いい食べ物を食べさせ、一か月の間に間男があなたと二三回寝るのを許すが、これは一番上等な待遇だ。おまえが身の程を弁えなければ、私は糞のようにおまえをすててしまい、おまえの着る服、食べるご飯の面倒もみてやらない。そして、夫が私から一歩たりとも離れるのは許さない。これは第二等の待遇だ。おまえがそれでもひねくれた態度をとったら、もっとひどいことをしてやろう。空き部屋がたくさんあるから、掃除をし、おまえを住まわせ、丈夫な鉄の鎖で、扉に鍵を掛け、一日に二碗の薄粥をやろう。おまえが生きていても邪魔とは思わないが、おまえが死んでも、悲しみはしないよ。主人が昇任したときに、おまえが死んだら、それでよし。死ななければ、途中で殺し、おまえが家にいって主人を苛めないようにすることにしよう』とおっしゃるのです。嘘は申しません。私のいう通りに強い態度をとられれば、あいつは無礼を働くことはないでしょう」

寄姐はそれを聞きますと、満面に笑みを浮かべ、言いました。

「そうだね。『一人の知恵では二人の知恵に勝てない』というからね。『人は弱い者の言うことを聴かない』というのは本当だよ。おまえが話すことは筋が通っているよ」

 寄姐は引き返していきました。素姐は狄希陳を罵っている真っ最中でしたので、寄姐と下女、小間使いを彼女に叩頭させませんでした。狄希陳は寄姐に向かって言いました。

「姉さんがきたのだから、挨拶をおし」

寄姐は素姐が口を開くのを待たずに、進み出て言いました。

「誰が姉さんなのです。私を奥さまという人はどれだけいるか分かりません。不愉快ですよ。『姉さんが、姉さんが』とおっしゃるなんて。挨拶をしたいのなら、やってきて挨拶をすればいいのです。あれこれ罵って、私が言い返すとでも思っているのかね」

素姐は、腹を立て、言葉もありませんでした。狄希陳は、さらに下男の女房と小間使いたちを呼んで素姐に叩頭をさせました。

「正月でも、節句でもないのに、どうして奥さまに叩頭されるのですか」

狄希陳「家から女房がきたのだよ」

羅氏「そのようなことはありません。一つの家には一人の奥さんしかいないものです。そんなに奥さんがいるものですか。鼻が欠けて目がない人でも奥方になれるなら、鼻や目のきちんとした人は何になるか知れたものではありませんよ。『家には二人の主人はなく、国には二人の主人はない』といいます。叩頭したい人はすればいいのです。私は叩頭はしませんからね」

人々は羅氏がそういうのを見ていましたが、伊留雷の女房は目から鼻へ抜けるようなでしたから、その意味を理解し、こう言いました。

「まあいいでしょう。『一人が取り仕切れば何事もありないが、二人が取り仕切ると騒ぎが起こる』といいますからね」

 素姐は皇帝のような心を持った女でしたから、他人からこのようなひどいことをいわれるのには我慢できませんでした。そこで、鞭を手にとりますと、狄希陳目掛けて、頭といわず顔といわず殴りつけました。寄姐は進み出て、片手で鞭を奪いますと、罵りました。

「ひどい。何て乱暴者だろう。新しくきたばかりで、張だか李だかも分からないのに、まるで気違い犬みたいに」

すると、素姐が急に寄姐の胸に掴み掛かってきましたので、寄姐は仰向けにぽんとひっくり返ってしまいました。素姐は鞭を手にとり、寄姐を滅多打ちにしました。羅氏たちは言いました。

「おやめください。奥さまをぶたれるなんて」

一斉に進み出て、素姐を抱きかかえ、引っ張り、手を封じました。寄姐はすきを見て、立ち上がりますと、素姐の手の中にある鞭を取り、素姐を地面に倒し、尻を頭に乗せ、鞭を手にとり、頭からぶちました。素姐は初めは口答えしていましたが、だんだんと口答えをしなくなり、最後にはお姉さま、お母さま、おばあさまなどといい、ひたすら許しを請いました。

 狄希陳は女たちを宥めることができず、跪いて許しを請いました。役所の入り口ではたくさんの下役がこっそり聞いていました。東隣と西隣は県丞主簿の役所でしたが、両方の塀には大勢の女たちがのぼって覗き見をしていました。素姐はどうしようもなく、思わずおならをしてしまいました。実は素姐はこの世では人でしたが、前世では狐でした。狐のおならを嗅ぎますと、龍だろうが、虎だろうが、山犬だろうが、狼だろうが、脳を蝕まれてしまうのです。寄姐は臭くて鞭を落とし、急いで逃げました。素姐は飛び上がって、今まで通り大騒ぎをして罵りました。

寄姐「罵るのはやめるんだ。よくお聞き。これ以上罵ったら、またぶってやるからね」

素姐は聴こうとはせず、今まで通りひどく罵りました。寄姐は袖を絡げ、スカートを脱ぎますと、庫で時間を告げときに使う竹札を持ち、進み出て頭の後ろの襟を掴み、地面に引き倒し、罵りました。

「おまえをぶち殺してやる。ここにはおまえの命乞いをしてくれる人はいないだろう。おまえを山東に追い返すのはもちろん、ぶち殺しても問題はないだろうよ」

素姐は慌てて言いました。

「私はあなたを恐れていますから、あなたに従いましょう。お話しがあれば、お聞き致しましょう」

寄姐「私はおまえとは話しをしないよ。何の話を聴くというんだい。とりあえずぶってから、また話をすることにしよう」

 狄希陳は跪き、ぎゅっと引っ張りました。素姐は罵るのをやめ、さんざん哀れっぽく頼みました。羅氏たちは、あれこれ宥める振りをして、言いました。

「この人は非を認めたのですし、これ以上何もしないとも言っているのですから、今回はこの人を許されてください。また無礼があったら、ぶたれればよろしいでしょう。私たちの面子を立ててこの人を許してください」

寄姐はまだ承知しませんでした。羅氏はさらに薛素姐に言いました。

「私たちはあなたがどのような方なのか本当に知らないのです。私たちが家の中でお仕えしているのは今の奥さまです。私たちの上に立っているのはこの奥さまで、足で踏んでいるのもこの奥さまです。私たちはあなたを見たことがありませんし、あなたがいることを聞いたこともありません。いきなりやってきて、じっくり話もなさらないで、どうしてこのように乱暴なことをされるのですか。いくらも人を連れてこなかったのでしょう。小者を連れてこられたと聞きましたが、いずれにしてもあなたと二人だけです。あなたが本当に奥さまだとしても、『綺麗な牡丹も、緑の葉がなければ引き立たない』といいます。あなた一人だけで、一体どこにいけるというのですか」

素姐「下男も悪いことをしたのだよ。おまえたちは途中で雇われた者たちだから、私がいることを知らなかったのは仕方がない。しかし、狄周の奴は、私の下男だというのに、どこへいってしまったのだろう。姿も現さないなんて」

狄希陳「狄周は旅をしてまもなく、銀子をもっていってしまったから、ここにはいないよ」

素姐「狄周はいってしまったのなら、あなたと一緒に家にきた張樸茂、小選子はどうしたんだい。彼ら二人も私がいることを知らなかったのかい」

狄希陳「あの下女は張樸茂の女房だよ」

素姐「何だって。私はおまえの主人にお茶やご飯を出し、一か月近く過ごさせてやったというのに、あいつは故郷に私がいることを話さなかったのかい。お前の主人をぶつことができないから、お前をぶってやるよ」

走ってきて羅氏をぶとうとしました。羅氏は立ち止まり、動こうともしませんでした。素姐が手を伸ばしますと、羅氏は手で引っ張りました。寄姐はいいました。

「私の下女をぶつ人はだれもいません。この人がぶったら、おまえも仕返しをしていいよ」

 素姐はびくびくしていましたから、手を引っ込めました。

寄姐「おまえが善悪を弁えているのなら、椅子を持ってきて、この人を腰掛けさせてください。この人と話しをしましょう」

そして、素姐に言いました。

「あなたに対する待遇には三つあります。上等、中等、下等のどれを選ばれますか」

素姐は何も言いませんでした。

寄姐「何も言わないのなら、下等の待遇をしてやりましょう。これは難しいことではありません。私の恐ろしさは他の人は経験したことがありませんが、主人に尋ねてごらんなさい。あの人は経験したことがありますよ。私が下等の対応をしてから、別の待遇をするように求めても、絶対に不可能ですよ。さっさと一番いい待遇を選び、楽な思いをなさい」

素姐「悔やまれてならないよ。『一人で敵陣に深入りする』とはこのことだ。あんたたち強盗の罠に嵌まり、跳び出ることも、飛んでいくこともできないよ。死のうとしても、犬死にするだけだよ。上等の待遇をしてくれさえすればいいよ」

 寄姐「上等の待遇をしてもらいたいのなら、簡単なことです。先ほどしたような乱暴を、これからはせず、二度と腹を立ててはいけません。私も先にきたとか後にきたとかいうことは言いませんから、年にしたがって、姉妹と呼び合うことにしましょう。あなたもつまらないことに関わるのはやめてください。ご飯がきたとき口を開けば、良いご飯を選んで食べさせてあげましょう。服がきたとき手を伸ばせば、良い服を選んであなたに着せてあげましょう。夫は十日か半月は、あなたと寝るかも知れませんよ」

素姐はすぐに言いました。

「寝るか寝ないかは気にしてはいないよ。そんな汚らわしいことはしたいとも思わないよ。私がそんな事をしたいと思っているとしたら、とっくに子供を産んでいただろうよ」

寄姐「人が女房を娶るのは、子供を産み、子孫を残すためではなく、ご飯を彼女に食べさせ、衣装を彼女に着せるためなのですか。子作りは、これからも、私が担当をし、あなたが邪魔をするのは許しません。家事は、やはり私がきりもりし、あなたが勝手に指図をするのは許しません。下女や小間使いは、私が教育し、あなたが軽々しくぶったり罵ったりするのは許しません。私は彼らに、あなたを薛奶奶と呼ぶように言い含めましょう」

素姐は続けていいました。

「私を薛奶奶と呼ぶのなら、あなたの実家は童という名字だそうだから、彼らにもあなたのことを童奶奶と呼ばせましょう」

寄姐「あなたの言うとおりにしましょう。彼らに私を童奶奶と呼ばせましょう。私たちが一緒に寝起きするようにしましょう。これは上等のもてなしです。さらに中等のもてなしがあります。あなたが悪いことをしなければ、私もあなたを苛めたりはしません。ご飯を食べようが、食べまいが構いません。衣装はあなたが冷たい思いをしようが、熱い思いをしようが、私とは何の関係もありません。あなたがとんぼ返りをしようと、真っ直ぐに立とうと、関係ありません。あなたの好きなようになさってください。これは第二等のもてなしです。さらに一等下った待遇があります。あなたが先ほどのように人間らしくない振る舞いをし、大騒ぎして人を苛め、私を大切にしなかった場合のことです。ここは「山が高く皇帝は遠くにいる」所ですから、私たちの実の父母は、私たちが喉が裂けるほど叫んでも、私たちのところには来てくれません。私は一番奥の空き部屋を綺麗に片付け、あなたを住まわせます。あなたがおとなしく入らなければ、数人の男にあなたを担いでいかせ、頑丈な鍵を買って、門に鍵を掛けることにします。あなたが門を壊し、窓を壊し、壁を削り、穴を開けようとしたら、あなたの手足を縛ってやります。生きたいと思えば、数日生きることができるでしょうが、生きたくないと思えば、数日早く死ぬことができるでしょう。あなたに薄い棺を買ってやる金もまだありますから、中に入れ、奥に穴を開けて引っ張り出しましょう。四川ではよく火葬をしますが、薪をよけいに買って、骨さえも姿をとどめないようにしてあげましょう。あなたについてきた小者を根絶やしにすることだって難しいことではありませんよ。山東にもどらないのなら、そうすることはもっと簡単です。たとえ山東に戻ったときに、あんたの実家が文句を言っても、あなたたち母子二人は、水が合わなくて病気になって死んだということにしましょう。あなたの家で訴状を出す人がいても、このような証拠のない裁判では何も明らかになりませんよ。それに、私はあなたの家にいる、あなたのご生母のことを知っています。田舎の小県のろくでなしの女など、北京城内のやくざな女の眼中にはありませんよ。あなたたちの三人の兄弟は、あなたが父親、姑を憤死させたことを恨んでいますから、あなたを相手にしませんよ。一人は私たちの家の婿ですから、彼もあなたと打ち解けはしないでしょう。一人は木偶の坊で、ちょっと怒鳴りつければ、目をつぶり、他のところで涙を流すだけでしょう。孤立無援のくせに、どうしてそんなに悪いことをするのですか」

 素姐はそれを聞きますと、声を上げて大泣きし、言いました。

「私は悔やまれてなりません。神さま。私は龍ですが、大海を離れてしまいました。私は虎ですが、山を離れてしまいました。そのため、魚、鼈、蝦、蟹、豚、犬、猫、兎までもが、私を馬鹿にしているのです」

寄姐「私たちは、魚、鼈、蝦、蟹ではありませんし、豚、犬、猫、兎でもありません。私たち二人は、釘と釘、鉄と鉄の間柄です。張飛、胡敬徳は髭を剃っても、優男ではないものです。分かりましたか。女房や小間使いたち、これからは薛奶奶と呼ぶんだよ。私が命令したとき以外は、この人を苛めるのは許さないよ。はやくテーブルを持ってきて、料理とご飯を並べてください。表にいる従者たちは、人に面倒をみさせよう。みんなやってきて薛奶奶に叩頭をおし。西の裏間を片付けて薛奶奶に住んでもらおう。帳を掛け、絨毯を敷き、新しい敷き布団を準備しておくれ。腰を掛けて、姉妹二人で挨拶をするから」

 素姐は涙を擦り、立ち上がって下座に行きました。寄姐は臨機応変にいいました。

「年を言い合う必要もないでしょう。きっとあなたが私より年上ですから、あなたが姉さんです。どうか左側にいかれてください」

二人は四回叩頭をしました。

寄姐「がさつな田舎者ですね。挨拶は互いにし会うものですから、あなたも私を左側にいかせ、返礼をすればいいのに、どうして謙虚な態度を取られないのですか」

素姐は、寄姐を左側にいかせ、挨拶をしました。狄希陳も揖をしました。素姐も拝を返しました。三人は、同じテーブルで、酒やご飯をとりました。狄希陳は、素姐を上座に据え、寄姐は東側、自分は西側にいて、両脇に陪席しました。

 素姐が人の心の分かる人であれば、来たばかりのときに、少し様子を見、情況を探ってから、大暴れしていたことでしょう。しかし、彼女はまったく様子を見ず、いきなり蜂の巣をつつくようなことをしたため、人から怒鳴られ、さんざんひどい目に遭ってしまいました。このようなひどい目にあわされても、あくまで強い態度をとり、じっと我慢すれば、気の荒い女房の面目躍如たるものがあったはずです。しかし、彼女はぶたれるのに耐えきれず、いくらも殴られないうちに、旦那さま、奥さまと何度も命乞いをしました。臭いおならで命を救わなければ、さらにどれだけひどい目に遭っていたか知れませんでした。先ほどぶたれたときも、もしも本当に猛々しい人なら、相手と一千年話しをしなかったでしょう。ところが、ひどくぶたれますと、あっという間に屈服し、すぐに笑顔を作り、拝礼をしろといわれれば拝礼をし、酒を飲めといわれれば飲み、ひたすら自分が悪かった、寄姐がもともとは心の正しい善人であるといいました。彼女は酒とご飯をとりますと、上房の西の間に入りました。寝具はきちんとしており、帳はきらびやかで、置物もととのっていました。そこで、ぶたれたことをすっかり忘れてしまいました。

 素姐は、心の中で、初めての晩に狄希陳はかならず部屋に泊まりにくるだろう、そうしたら、入り口に鍵を掛け、さんざんぶち、積もる恨みをはらしてやろうと思っていました。しかし、寄姐の話では、狄希陳は仕事が忙しく、ながいこと家では寝ていない、表の書房にいっている、とのことでした。三日続けて、素姐は悪いことをしませんでした。寄姐はいいました。

「あなたは私の決まりを守り、数日間じっとしています。きっと私の実力が分かったのでしょう。私はあなたに衣裳を準備してあげましょう」

数匹の生地を買い、素姐の上下内外の服を着替えさせました。素姐もとても喜びました。数日後、寄姐は素姐のために大袖の錦の衫、筒袖の袍のスカート、撒綫のスカートを作ってやりました。素姐はますます喜び、小便はもらすはおならはするはという有様になり、寄姐のことを良いお方、愛しいお方といい、聞いている方が恥ずかしくなるほどの美辞麗句を並べました。寄姐もしばしば彼女に甘い汁を吸わせ、彼女の心を引き付けました。素姐は寄姐に恨みを持たなくなったばかりでなく、だんだんと寄姐と仲良くするようになり、とても懐き、寄姐に仕事があるときは、代わりにしてやろうとしました。寄姐の手にでき物ができますと、代わりに髪の毛を梳いてやろうとしました。寄姐に頭痛や発熱があるときは、一日中ひっきりなしに部屋に入って看病をしました。彼女の寝床の脇に腰掛け、付き添いました。寄姐の小便桶やおまるは、彼女に代わって運んでやろうとしました。寄姐は素姐が何くれとなく面倒を見、さんざんご機嫌取りをしてくれましたので、彼女と仲間になりました。下男の女房、小間使いと乳母たちは、もともとしっかりした考えはもっていませんでしたので「馬が銅鑼の音を聞いてもどってくる」という有様になり、寄姐が素姐と仲良くしますと、だれも素姐を苛めようとはせず、茶や水を運び、寄姐に対するのと同じように仕えました小間使い

 狄希陳は忙しいことに託つけて、毎日家の表の間にいて、奥の間にいることはあまりありませんでした。そのため、素姐に掴まることがなかったばかりでなく、寄姐からも苛められずにすみました。狄希陳は、真夜中、素姐が眠りにつきますと、こっそり宅門を開き、中にはいって寄姐と休みました。そして、夜が明けるまで眠りますと、抜き足差し足、こっそり表の書房に出、食事をとるときも奥の間にはいきませんでした。礼物を受け取り、銀子と銅銭を稼ぎますと、独りぼっちの素姐には内緒で、こっそり寄姐のもとに運びました。

 時間が経つのは速く、あっという間に二十日がたちました。侯、張二人の道姑は、成都の属県の景勝地を見終わってから、綿州[3]の天池山[4]から戻り、役所に入って素姐と会おうとしました。素姐は都にいたときは活発に動いておりましたので、役所に長いことじっとしていますと、よその人が尋ねてきて、気晴らしができればいいと思っていました。そこで、彼らを役所に呼んでもてなそう、他郷で出会った旧友でもあるから、ずっと案内をし、家の者を付き添わせるべきだといって、狄希陳を唆しました。

 狄希陳は、以前は、女房が口にした言葉には、うやうやしく従っていました。女房たちが、素姐のような減らず口を叩いても、とても誠実に、何日も耳を傾けていました。この二十日間、素姐は狄希陳を捕らえて目の前に連れてくることができませんでした。寄姐は素姐が新しく来たばかりなので、無理に物分かりのよいふりをしていたのでした。そのため、狄希陳は自分の肩書きが南贍部洲大明国の都督大元帥であることを忘れてしまっていました。寄姐も道姑を呼ぶように唆しましたし、素姐も執拗に彼らを呼ぼうとしました。万里離れた故郷からきた同郷人でしたし、最初のお参りで泰安州へ行く途中、狄希陳も八拝の礼をおこなって、彼らを師匠としていました。彼らを役所に入れ、盛大にもてなし、一晩引き止め、それぞれに二三両の旅費を与えても、いきすぎとはいえませんでした。ところが、狄希陳は役人風を吹かせてやろうと考えました。彼は侯、張が素姐に悪いことをするように唆していたことを恨んでもいました。泰安にいく途中、素姐は希陳に騾馬をひいて歩く罰を与えましたが、これは二人の女の考えでした。素姐が遠くから尋ねてきて騒ぎを起こしたのも、二人が唆したことによるものでした。ですから、狄希陳は彼らを快く迎え入れる気持ちにはなれませんでした。そこで両眉をしかめ、顔を曇らせて、こう言いました。

「この役所には、人を出入りさせるわけにはいかない。人が噂を立てる恐れもある。男が出入りするのさえ許されないのに、厚化粧をした女などが出入りしていいはずがない。周相公だって一か月以上役所に住んでいたが、郭総兵が何度もあの人を招いたので、今日始めてあの人を外に出したのだ。侯、張を中に入れる必要はない。彼らに五銭の旅費を送り、人を遣わして彼らを出発させれば、失礼とはいえないだろう」

狄希陳は妻の命令に背きました。もしも昔の素姐であれば、決して簡単に許そうとはしなかったでしょう。しかし、今では夫人が二人になり、寄姐もおりましたので、素姐は手を出すことも、口を開くこともできませんでした。彼女は満面に怒りをたたえながら、こう言いました。

「中に入れないのなら仕方ありません。そうするしかありません」

寄姐「中に入れようと入れまいと、私とは関係ありません。私は北京人、彼らは山東人で、私とは縁もゆかりもありません。あなたが話しを聞いてくださらなければそれまでですが」

 狄希陳が、人の話しの裏をよめる人であれば、すぐに態度を変えていたでしょう。しかし、彼は頭が固く、ぶたれれば痛いと感じますが、ぶたれなければ恐れることはありませんでした。彼はどうしても自分の考えに従おうとし、五銭の旅費を二包み作り、人に命じて送らせました。

「役所には決まりがあり、女が出入りしてはならないのです。これはお二人への五銭の薄謝です。お茶を飲んだら、すぐに出発されてください。長いこと待たれる必要はありません」

戻りますと、侯、張の二人は、顔中に羞じらいの色を浮かべながら、去っていきました。

 すでに日が落ちる時間となりましたが、素姐は腹を立ててご飯を食べませんでした。寄姐は取りなしを聞いてもらえなかったので、あまり嬉しそうではありませんでした。起鼓の後、人々は準備をし、家に戻りました。狄希陳も外に出ていきました。素姐は、役所の鍵に目を付け、眠るとき、それを手に取り、身に着けました。そして、人々が眠りに就きますと、こっそりと手頃な棍棒、鍵を持ち、役所の門を開け、狄希陳の書斎にいきました。明りが漏れており、部屋の入り口は、閉じられていませんでした。簾を掲げ、中に入りますと、狄希陳は、寝たばかりで、頭がぼさぼさの小姓が服を被っていました。素姐は、棒を取りだし、小姓の肩に振り下ろしました。小姓は「あれえ」と叫び、門の外に逃げていきました。素姐は、部屋に戻りますと、入口に閂を掛け、椅子をもってきて、しっかり押さえました。そして、寝床の脇に行き、狄希陳の衣装、布団をすっかり剥ぎ取りますと、尻を頭に乗せ、棒をぶんぶん回し、雨のように降り下ろしました。狄希陳が「助けてくれ」と叫びますと、

素姐「おとなしく殴られていればいいんだよ。これ以上叫んだら、ぶち殺してやるよ。今日は、生きるか死ぬかの闘いをしてやるからね」

狄希陳は、本当に、それ以上叫ぶ気がしなくなってしまい、「命だけは助けてください」と言いました。小姓は、主人がひどくぶたれているのを見ますと、命に関わることだと思い、役所の入り口に行き、拍子木を打ち鳴らし、言いました。

「先日、故郷から新しく来られた奥さまが、役所の門を開け、表の書房に旦那さまを訪ねていき、棒を持ち、部屋の入口を閉じ、旦那さまをぶち殺そうとしています。はやく出てきて助けてください」

 寄姐は、それを聞きますと、たまげてしまいました。彼女は衣装を脱いでおり、小成哥は、乳をくわえ、まだ眠っていませんでした。寄姐は慌て、乳を引っ張っていた小成哥を傍らに押し退けました。小成哥は、押されて大声で泣きました。寄姐はズボンを引き寄せ、身に着けようとしましたが、どうにもこうにも着ることができず、しばらくしてから、初めてズボンだということに気が付きました。袷を手に取りましたが、袷の襟がどこだか分かりませんでした。しばらくもたもたし、ようやく上下の衣装を着ました。寝床から降りますと、靴が見当たりませんでした。小姓は、続けざまに、拍子木を鳴らし、言いました。

「はやく助けてください。ぶつ音だけは聞こえますが、声は聞こえません」

寄姐も、靴を穿かずに冠をはめ、小間使いを呼び、小成哥を見張らせました。そして、自分は、二人の下男の女房、数人の小間使いを連れ、宅門を出、下役を立ち退かせました。部屋の入り口はしっかり押さえられており、少しも動かすことができませんでした。窓はとても固く、押し開けることはできませんでした。

 素姐は、表に人が来ますと、ますます激しく殴りました。寄姐は、慌てて言いました。

「こうなったからには、体面には構っていられない。下役を呼び、門を開けさせよう」

命令が伝えられますと、たくさんの人々がやってきて、ある者は門を壊し、ある者は窓を壊し、一枚の仕切りの木の板を壊しました。寄姐は、真っ先に中に入っていきますと、言いました。

「どういうことですか。乱暴に他人を殴るなんて」

素姐の棒を奪おうとしました。素姐は寄姐が狄希陳のために復讐をするだろうと思い、ようやく手を離し、こう言いました。

「寄姐さん。『怨みには拠り所があり、借金には貸し主がある』といいますよ。あなたとは関係ありません。こいつは悪いことをしたので、私はこいつを許すことができないのです。今日はこいつと一緒に死んでやるのですよ」

寄姐は言いました。

「あなたがこの人と死んだら、私は孤児と寡婦になり、帰ることができなくなってしまいます」

狄希陳は、寝床に横たわり、虫の息という有様でした。

 表で、宿直の書吏が、窓越しに言いました。

「旦那さまは、ぶたれて重傷を負われました。私たちは、外で勘定していましたが、六百四十回棒でぶたれました。早く子供の便を飲ませ、悪血が心臓を痛めさせないようになさるべきです。表に報せを伝えましょう。孟郷宦の家に、本物の血竭がありますから、少し貰えば助かるでしょう」

寄姐は、すぐに命令をし、子供の便を持ってこさせました。また、書き付けを持たせ、血竭を取りにやらせました。狄希陳は、何度も気を失い、口から鮮血を吐きました。寄姐は、彼を奥に運び込ませようとしました。すると、書吏が言いました。

「奥さまは、旦那さまを役所に運び込まれる必要はありません。旦那さまが、こんなにひどい目に遭われたのですから、ふたたび危険な場所に入れるわけにはまいりません。奥ではすぐにお守りすることができません。ひどい目に遭い、殺されることは分かりきっています。やはり、表で、私どもが見張りをした方が、危険がないでしょうし、治療をしてもらうこともできるでしょう。奥さまが様子をみにこられるときは、私たちは、しばらく身を隠していましょう」

寄姐「それは尤もだ。考え付かなかったよ。おまえは何者で、何という名だい」

男は言いました。

「私は宿直の書吏で、呂徳遠と申します」

寄姐は言いました。

「表のことは、おまえが取り仕切っておくれ。旦那さまが良くなったら、褒美をやろう」

 呂徳遠は、うまい酒を温めさせ、子供の便が手に入りますと、混ぜて飲ませるように言いました。間もなく、透き通って、まったく臭気のない、二碗の子供の便が来ましたので、茶碗一杯の美酒を混ぜ、飲ませました。急須の茶が沸き上がるほどの時間で、狄希陳は、目を開きました。そして、たくさんの女たちが取り囲んでいるのを見ますと、口を開いて言いました。

「僕をさんざんぶちやがって。僕が死んだら、あいつに命の償いをさせてやる」

 素姐は疲れ果てて、傍らに座りますと、言いました。

「人を殴り殺すことができるんだから、命の償いをすることだって怖くはないよ。さっきは、あんたの急所をぶち、殺してやろうと思ったが、あんたがすぐに死んでしまっては、あんたにいい思いをさせることになるから、こまめにぶち、あんたが苦しみを受けさせてやろうと思ったんだよ。あんたはここ数年悪いことをしてきたのだから、死んでも罪はあがないきれないよ。仕返しが十分でなかったから、あんたをいい気にさせてしまったよ。あんただって彼ら二人を師匠と仰いだことがあるじゃないか。お師匠さまが私をはるばる送ってきたというのに、ご飯さえ差し上げず、それぞれに四五銭の銀子を与え、追い出してしまうとはね。文句を言いながら、乱暴をしてやるよ。私がきてから二十日以上、あんたは私の部屋の入口すら踏まず、理由を付けて、表にいたんだからね」

寄姐は言いました。

「あなたが悪いのですよ。私は、あの人たちを中に入れ、ご飯を出し、それぞれに三両の銀子を与えるように言ったのですからね。他人の話はもちろん、私の話しすら聞かないとはね。私が昔のように怒りっぽかったら、私はあなたを許さなかったでしょうよ」

 狄希陳は唸りながら言いました。

「僕が悪かった。本当に申し訳ない」

そう言いながら、目を閉じて、うなだれてしまいました。寄姐が彼にどうしたのかと尋ねますと、

「胸がどきどきして、目の前が真っ暗になったんだよ」

寄姐は人に命じて呂徳遠に尋ねさせました。彼は言いました。

「まだ飲み終わっていない子供の便がありますから、熱い酒を混ぜて飲んで頂きましょう」

さらに、一碗飲ませますと、狄希陳も意識を取り戻しました。さらに、血竭を貰ってきて、熱い酒で溶かし、飲ませました。暫くしますと、全身の関節が、調子を合わせているかのように鳴りました。音が止みますと、狄希陳は、体から千百斤の重さの荷物が下ろされたような気がする、悪心も止まったし、目の前も真っ暗でなくなったと言いました。しかし、全身の、怪我を負った箇所には、瞬く間に、紫色の腫れができました。呂徳遠に尋ねますと、言いました。

「毒が外部を蝕んでいるだけで、中に向かって爛れてはいませんから、きっと大丈夫です。どうか安心して戻られてください。私たちが旦那さまの部屋に泊まり、火を起こし、真夜中に、また血竭を飲ませれば、何事もないでしょう」

 寄姐は狄希陳を呂徳遠に引き渡し、素姐に奥へ行くように促しました。呂徳遠は、こっそりと張樸茂に言いました。

「新しく来られた奥さまが凶暴で、夫を苛め、殺そうとしていることを、奥さまに知らせるべきです。二人の若さまも用心をされ、間違いがないようにしなければなりません」

寄姐は、それを聞きますと、とても感謝しました。狄希陳は、ひどくぶたれましたが、傷はいつ治り、どのような結果になったのでしょうか。とりあえず次回の結末を御覧ください。

 

最終更新日:2010118

醒世姻縁伝

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[1] 『証治准縄』によれば「人参三銭、粉甘草、茯神、白僵蚕、枳殻各五銭、白附子、白茯苓、天南星、硼砂、牙硝、朱砂各二銭五分、全蠍十枚、麝香一字」を用いて作る薬品という。

[2] 『大明律』にこのような規定はない。

[3]州名。四川省成都府。

[4] 『太平寰宇記』天池山「上有池、其水常満、号曰天池、本名石人山、唐改霊液山」。 

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