第八十九回

薛素姐が夫を謗って反抗すること

顧大嫂が人に代わって厄払いすること

 

妻は美人なりとな思ひそ

並外れたる凶暴さ

比ぶものなき恐ろしさ

山犬に虎、蜂に蛇

謀反がありと誣告をし

代書人には嘘をつき

虚偽の訴状を差し出す

お上が名裁判をなし

証人が正しきことのなかりせば

九族死罪となりつらむ  《訴衷情》

 さて、薛素姐は淮安でひどい目に遭って戻ってきてからというもの、狄希陳を恨み、彼の肉を食べて皮を敷物にしたくてたまらず、恨みを忘れることはありませんでした。その次に狄周を恨みました。彼が故郷に戻ったとき、狄希陳と一緒になって彼女を騙したのはけしからんというのでした。さらに、彼女は狄希陳が都で別の妻を娶ったことを話さなかった相大妗子を恨みました。素姐が都にいったとき、人々に口止めをし、少しも情報を漏らさなかったのは、すべて相大妗子の謀りごとだったからでした。素姐は昼夜思いを巡らし、一人一人に復讐をしようとしました。しかし、狄希陳は、はるか七八千里離れたところにいました。狄周は狄希陳を送りますと船に乗り、ふたたび北京に戻っていましたが、素姐はそれを知らず、四川にいったと思っていましたので、仕返しをしようとはしませんでした。そして、心の中で思いました。

「『正しい人は財を築けず、優しい人は兵を率いることはできない』という。これこれこうすれば、あいつが万里離れたところにいようと、私の恨みを晴らすことができるだろう」

晩にあれこれ考え、考えを決め、五更に起きました。そして、作男を呼んで騾馬につけ、宿屋を探してとまり、訴状を書くのがうまい代書屋を訪ね、こう言いました。

「県庁に訴状を提出したいので、くわしく書いてください。一両の紋銀をあげましょう」

代書屋「とりあえず事情をお話しください。事情をお聞きしてから、書いてさしあげましょう」

素姐「私は薛氏といい、監生の狄希陳の妻になりました。狄希陳は本分に安んじず、下男の狄周と毎日謀反を企んでいました。しばらく都に隠れ住み、歌い女[1]を娶って妻にし、草を切って馬にしたり、豆を撒いて兵士にしたり、風や雨を呼んだり、星を動かしたり、雲に乗ったり、霧を吐いたり、あらゆる悪事をしました。昨日、狄希陳は逆賊の歌い女たちを連れて、四川成都府に兵を調えにいき、偽の役人になりすまし、偽の勘合を使い、家に戻ってきて、一緒に行くようにと誘いました。私は事件に関わりになるのを恐れていましたので、一緒に行きませんでした。これは九族を滅ぼされることですから、出頭して罪を免れようと思ったのです」

代書屋「これは遊びごとではありませんよ。確実な証拠があればいいのですがね。嘘であることがばれれば、あなたは誣告した罪三等を加えられることは言うまでもなく、訴状を書いた者も捕まって殴られます[2]。お尋ねしますが、証人はどなたですか」

素姐「私はあいつの妻なのですから、私以上によく知っている者はいませんよ。夫が謀反をしているのを、妻が告訴をするときに、ほかに証人が必要なのですか」

代書人はもともと訴状を書く勇気はありませんでしたが、彼女が約束した銀一両は簡単に稼げるものではありませんので、肝を据えてこう書きました。

原告薛氏、三十七歳、本県人、自首して罪を免れたく思います。

わが夫の狄希陳は、幼い頃から性格が悪く、あらゆる悪事を行い、監生になるという名目で、ひそかに都に住みました。そして、妖婦で歌い女の童氏を妻とし、邪教を信じ、草を切って馬にし、豆を撒いて兵士にし、反乱を企みました。本年八月に、偽の役人になり、勘合を偽造し、妖婦の童氏、弟子の狄周を連れ、四川に兵を調えにいきました。そして、私にも入信するように勧めました。私は巻き添えになるのを恐れ、一緒に行こうとはしませんでした。賊が反乱を起こせば、告訴をしていなかった者は、連座することになり、後悔しても取り返しのつかないことになってしまいます。どうか捕縛を行われ、私を連座させませぬようお願い申し上げます。本県の知事さまが書状を審理され、お裁きを下されますようお願い申し上げます。被告は狄希陳、狄周、童氏です。

 県知事は訴状を見ますと、言いました。

「彼が都に潜んでいるときに、このような悪事をしていたのなら、八九千里離れた四川にいって兵を調えることはあるまい。お前の訴状は下心のあるもので、真実ではあるまい」

県知事は訴状の最後の代書人の名を見ますと、彼を捕まえてきて、尋ねました。

「お前はどうしてこの女のためにでたらめの訴状を書いたのだ」

代書人「本当は嘘だろうと思いました。しかし彼の妻が出頭してきたわけですし、謀反に関することでもありましたので、書かないわけにはいかなかったのです」

県知事「お前が心配したのも尤もなことだ」

薛氏を呼び

「お前はどこの宿に泊まっているのだ」

素姐「県庁の入り口の郜家です」

県知事は、人を遣わし、宿の主人を呼んできますと、女を保護し、しっかり見張らせました。そして、訴状を批准し、捕縛、尋問を行うことにしました。彼は令状を出すよう宿直に命じ、捕り手を遣わし、狄希陳の東西の隣人や、郷約、地保を県庁に連行し、取り調べました。

 使いは令状をもって城外にいきますと、東隣の陳実、西隣の石巨、郷約の杜其思、保長の宮直らを呼び集めました。下役は令状を引き渡して報告を行いました。晩に審問がおこなわれ、県知事が出廷するのは初めてのことでした。まず陳実、次に石巨、さらに杜其思、最後に宮直を呼びました。県知事は尋ねました。

「明水の地に怪しげなことを行い、謀反を起こそうとする人間がいたのに、両隣がそのことを指摘せず、郷約、保長も報告をしないとは、どういうことだ」

陳実が真っ先に口を開いて報告しました。

「昨日、知事さまのお使いが、城外に来て、私たちを呼ばれました。令状に書かれた朱字には、出頭すれば罪を免じるとありました。お使いの方に尋ねますと、薛氏が彼女の夫の謀反を告発したものだということでした。きっと狄監生狄希陳でしょう」

県知事「そうだ」

陳実「まいりましたのは私だけではございません。石巨は西隣、杜其思は郷約、宮直は保長です。みなさん、正直に知事さまにお答えしてください。狄希陳さんは本当に反乱を起こしたのでしょうか」

人々は一斉にいいました。

「狄希陳は監生、彼の父親は狄宗羽です。狄宗羽は知事さまの県では有名な善人でした。亡くなって三年以上になります。息子は狄希陳しかいませんが、やはり真面目な男で、怪しげな行いをし、謀反を起こすなどといったことは聞いたことがありません」

素姐「あいつが邪悪なことをせず、謀反をしていないだって。お前たちは、あいつの一味だから、知事さまに本当のことを言わないのだろう。あいつは、この間、四川へ兵を調えに行く途中、故郷に戻ってきたのだよ。お前たちは、あいつと気脈を通じているのだろう」

県知事「彼は四川に何をしにいったのだ」

人々「四川成都府の経歴に選ばれて赴任したのです、兵を調えるためなどではございません」

 県知事は下役に命じて新しい『縉紳録』を持ってこさせました。そこには、成都府の経歴狄希陳、号は友蘇、山東の繍江県人、貢生とありました。県知事はさらに尋ねました。

「あの女が訴状を出したのは、どういう積もりなのだろう」

陳実「この女の父親は、教官をしていました。二人の弟は、有名で、立派な秀才です。しかし彼女だけは、あまり賢くありません。彼女は舅姑を殴り、罵り、隣近所を騒がせ、夫を尻に敷き、普通の人とは違っています。夫は都に逃げ、三年以上とどまりました。そして、童という姓の妾を娶ったとのことです。彼はこの前、故郷に戻って先祖を祭り、半月とどまって去っていきました。この女は、後に、狄監生の料理人の呂祥から、何やら余計なことを聞かされ、呂祥とともに狄監生を追い掛けました。そして、淮安まで追い掛けたものの追い付けず、呂祥に騾馬を盗まれてしまいました。先日、揚州府江都県が、関文を、知事さまのところに送り、調査をされませんでしたか」

県知事は考えました。

「あの女か。もっと話してくれ」

人々はさらに言いました。

「追い付けなかったので、この訴状を提出したのでしょう。知事さまの命令で、あの人を連れ戻してもらおうと思ったのでしょう」

県知事「良家の娘なのに、どうして鼻が欠けているのだ。わしのところでは駆け落ちした女が、掴まって戻ってきた場合、鼻を切られることになっているが」

人々「知事さまがおっしゃった鼻のことですが、これは長い話になります。あの女は夫が家を留守にしている間、猿を一匹飼いました。そして、夫の頭巾や帽子、衣装をすべて猿に着せ、夫の姿をさせ、一日中ぶったため、猿はぶたれて腹を立て、鉄の鎖を捩じきり、肩に掛け上がって、まずあの女の目を抉り、次に鼻を噛んだのです」

 さて、素姐は県庁に告訴をしにいったことを、家族には知らせませんでした。龍氏は薛三省の女房を遣わし、盒子に入った点心を素姐に食べさせようとしましたが、素姐の家の中門は閉じられていました。表に住んでいる人々は、言いました。

「行方が知れません。噂によれば城内に告訴をしにいったそうです」

やがて、薛三省の女房が家にもどってきて、龍氏に事情を知らせました。龍氏は薛如卞、薛如兼がどうしても動かないだろうと思い、薛再冬を遣わすことにしました。彼は銅銭を持ち、城内にいき、彼の姉に付き添うことにしました。四十里を歩き、県庁を訪ねていきますと、素姐は、間借り人の家の入り口の腰掛けに座り、通りを見ていました。再冬が詳しい話を聞きますと、狄希陳の謀反を告訴した、訴状は批准され、下役は両隣の郷役地保を捕らえにいった、下役は人々をすべて捕らえると、文書を提出して役所に行ったとのことでした。再冬が見識、分別のある人ならば、姉がこのような誣告状を提出することに気づけば、遠くに逃げ、隠れていたことでしょう。しかし、彼は素姐に付き添い、月台の下に跪いて審理を聞きました。郷約たちが猿に目を抉られ、鼻を噛まれたことを報告しているのを聞きますと、彼は下座で大声でいいました。

「お前たちはこの人の家の下男、作男でもないくせに、どうしてそんなに詳しいことを知っているんだ」

県知事は尋ねました。

「下座で話しているのは何者だ」

郷約が報告しました。

「薛氏の弟です」

県知事「つれてきてくれ」

いいました。

「わしは心の中で疑っていた。この世のどこにこのような、法律に違反することをする女がいるものかとな。お前が唆したのだろう。訴状にお前の名はないが、勝手にわしの役所に入り、郷約に盾突くとは、図々しいことだ。大板をもってきてくれ」

六本の簽を抜き、力を込めてぶつように命じました。あっという間に、小再冬は皮や肉が裂けてしまいました。薛素姐は下座で冤罪ですといい、ひたすら

「南無観世音菩薩。城隍さま。泰山聖母さま。善人を苛めないでください」

と叫びました。県知事は激怒し、素姐を捕まえるように命じ、一回拶子に掛け百回叩きました。さらに、再冬を枷に掛けて一か月晒しものにし、素姐の拶子を外して追い出しました。薛素姐は、手の指が拶子に掛けられてめちゃめちゃになり、腫れて痛くてたまらず、家に帰ることができませんでした。しかし、世話をする者もいませんでしたので、今まで通り宿屋に泊まり、人を雇って家に報告しました。龍氏は声をあげて泣き叫び、県知事に薛再冬の枷を外すことを頼むように薛如卞兄弟に言いました。

 薛如卞兄弟は、事ここに至っては、明らかに自分たちに分がないとおもっていました。しかし、断ったり、黙ってみたりしているわけにはいきませんでした。そこで、すぐに出発して県庁に行き、素姐を訪ねました。さらに、再冬に会いにいきましたが、彼は焦げ茶色の汚い顔をし、髪をざんばらにし、腿をめちゃめちゃにされ、県庁の前で枷に掛けられていました。枷の左側には告示があり、「実の姉を唆して夫を謀反犯であると誣告させた薛再冬を枷にかけて晒しものにする」と書かれていました。右側には封印がしてあり、「繍江県某日封」とあり、「一か月たったら釈放する」と書かれていました。薛再冬は、薛如卞兄弟がきたのを見ますと、瓢ほどの大きさの口を開けて大声で泣き、「兄さん、助けてください」と言いました。

薛如卞「どうだ。わしの言うことをこれ以上きかないことができるか。去年、お前が姉さんに従って、北京に来たとき、お前に言い含めたろう。謀反の誣告をするのは、大変なことだ。お前が枷に首を突っ込んでいるのを救うことはできないぞ。家にこのようなろくでなしの姉さんがいるせいで、わしは隠れてもまだ危険があるありさまだ。『晏公老児が西洋に下る』[3]で、救うことなどできないぞ」

再冬「ここ数日、吐き気がして、ご飯も喉を通らないのです。兄さんたちが救ってくださらなければ、死んでしまいます」

 薛如卞、薛如兼は、ほかの宿屋を探し、晩に人を遣わし、再冬の面倒をみさせました。翌朝、兄弟二人は、儒巾、官服ではなく、黒い服を着ました。そして、稟帖をもち、文書を提出する役人に従い、中に入り、稟帖を提出しますと、呼び出しが掛かるのを待ちました。県知事が稟帖を見てみますと。

本県の儒学廩膳生員薛如卞、附学生員薛如兼は、罪を認め、許しを請うことについて上申いたします。

実姉薛氏は家の教えに背き、夫を誣告し、実弟の薛如衡は勝手に役所に入り、僣越にも文書を提出いたしました。両者の罪には筆舌に尽くし難いものがあります。知事さまの天のように広い度量によって、罪は軽いものですみました。薛氏は追い出され、追及を免れ、如衡は枷に掛けられて晒しものになりました。知事さまによって法のお裁きを受け、私どもの心は平穏を失っております。不躾ではありますが放免をお願い申し上げます。知事さまが寛大なお裁きをされますよう、伏してお願い申し上げます。

県知事は見終わりますと、薛兄弟にくるように命じ

「薛氏は実の姉か」

薛如卞は答えました。

「左様です」

県知事「秀才で、名士であれば、家を管理するのが第一なのに、彼らにこのような勝手なことをさせ、一言も戒めようとしなかったのはどういうことだ。姉に関しては、嫁にいったから戒めることができなかったということもできよう。しかし、薛再冬はお前たちの弟で、躾をすることができたのに、どうして勝手なことをさせたのだ」

薛如卞は一言も返事をすることができず、痛哭して涙を流すばかりでした。県知事も彼の苦しみが分かったので、薛再冬を担ぎ込ませました。

県知事「わしは、本当はお前を一か月枷に掛けるつもりだったが、棒で打たれた傷が良くなってから、さらに三十回板打ちにし、釈放することにしよう。お前の二人の兄が許しを請うているから、とりあえず許すことにしよう。以後薛氏を唆して分にすぎたことをさせれば、絶対に許さぬぞ。出ていって悔い改めるがよい」

処分を受けますと、宿屋に戻りました。薛如卞兄弟は服を着替え、役所にいって県知事に感謝し、素姐、再冬とともに家に戻りました。素姐は両手が腫れ、左手で手綱、右手で鞭を持つことができず、手を縮め、まるで木驢に乗っているかのようなありさまでした。

 家に戻りますと、龍氏が様子を見にやってきましたが、可愛い娘は、拶子に掛けられて八本の指が目茶目茶になり、可愛い息子は、ぶたれて両太腿から膿と血を流しているのを見ますと、彼らを引っ張ったり、頭をぶつけたり、転げ回ったりして叫びました。

薛如卞「姉さん、再冬、僕たち兄弟二人が、ひたすら県知事さまのお説教を受け、おとなしくしていたから、五体満足で救い出されたのですよ。このようなことは今回限り、二度としてはいけません。姉さん、これからはこのような訴状を、決して提出されてはいけません。姉さんがこのような訴状を提出しようとしても、再冬、お前は何がなんでも引き止めて、唆してはいかんぞ。県知事さまが役所でおっしゃっていたことは、姉さんはきいていないが、お前は聞いただろう。お前が恐れなければ、わしらはもうお前を救うことはできないぞ」

再冬「僕は、お姉さまが告訴状を提出され、下役が両隣、郷約をよびにきたので、県庁に行ったのです。僕とは何の関係もないのに、姉に告訴をするように唆したといわれたのです」

薛如卞「下役は両隣、郷約のほかに、お前も呼びにきたのではないのか。おまえは一緒に役所に行き、さらに余計なことを言ったのだろう。まだ口答えをする積もりか」

龍氏「大爺、二爺のお陰で、息子と娘を救い出していただき、叩頭して感謝致します。十分お話しは承りました。どうか我慢なさってください」

薛如卞、薛如兼は、恥ずかしくて、煙のように走っていってしまいました。

 素姐は締め上げられてぐちゃぐちゃになった手で、籠のようにぼさぼさになった髪の毛を梳かしますと、東隣の陳実の門にまたがって、大声で罵りました。

「わたしは大鍋でおまえの母親、親父を食べたわけでも、お前の子供を井戸に棄てたわけでもないのだよ。目くらの猿役人の前で、証人になって、私をこんなひどい目に遭わせることなどなかったのだよ」

上は三代前の先祖まで、下は孫にいたるまで、ひどい言葉、汚らしい言葉で罵りました。陳実は罵られて腹を立て、抑えても抑えても怒りが込み上げてきました。このとき、愚かな妻が脇で挑発をしていたら、災いが起こっていたことでしょう。しかし、陳実の妻趙氏は、小人の家の娘ではありましたが、性格が穏やかで、たいへん賢い人でした。彼女は陳実が腹を立てたのを見ますと、何度もやんわりと宥めました。

「私たちが、このような凶暴な女と隣同士なのは、神さまが私たちを不幸にしているのです。お上が人を遣わしてわざわざ呼んでいるのですから、本当の事を言わなければ、咎められていたでしょう。しかし、本当のことを言えば、彼らは私たちのことをよく思わないでしょう。あいつが賢くなく、凶暴だということは、みんなが知っていますから、あいつに罵られても、恥にはなりません。あいつに勝っても、強いことの証しにはなりません。『男は女と争わない』といいます。世の中はみんなそうです。あなたが外に出られても、あいつと殴り合ったり、罵り合ったりするわけにはいかないでしょう。それに、あなたと狄希陳さんは、父子二代にわたる付き合いがあります。『和尚の顔を見ず仏の顔を見る』べきです。通りに面した門をきつく閉じ、あいつがどんなに罵ろうと、耳元を吹く風のようなものだと考えることです。あいつは、罵り疲れれば、自然に尻を窄め、去っていくでしょう。狄希陳さんが後日戻ってこられたとき、あなたは顔を合わせても、恥ずかしい思いをしませんが、狄希陳さんはあなたに会えば、とても恥ずかしい思いをされることでしょう。出ていかれて、あいつと男女で言い争いをしたら、狄希陳さんが戻ってこられたとき、合わせる顔がありませんし、はたから見ている人も、あなたが悪いと言うことでしょう」

陳実「それも尤もだが、あいつがますますつけあがるのには、我慢ならん」

趙氏「あいつは気がふれているようなものです。まともな人間が気違いの女房に構われることはありません」

陳実は、趙氏の言葉を聞きますと、通りに面した門を堅く閉じ、素姐にたっぷり汚い言葉で罵られました。素姐はあれこれ罵りましたが、陳実がどうしても顔を出しませんでしたので、自分でも面白くないと思い、西隣の石巨の家の入り口に行き、罵りました。

 石巨の女房の張氏は、生まれつき賢くない女で、隣近所が彼女を避けても彼らの家を訪ねていくような人間でした。彼女は家の前で大声で罵られるのには我慢できませんでした。素姐が陳実を罵っているとき、彼女はそれを聞いて、言いました。

「狄家の、鼻が欠けて目のない女房が陳家で罵っている。陳家で罵ったら、きっと私たちの家の入り口にきてわめくことだろう」

手頃な棒を探し、手にとり、もし罵りにきたら、素姐を引き倒し、頭に腰掛け、腰から腿、腿から腰まで、たっぷり殴ってやろう、彼女が首を括ったら、一緒に首をつり、川に飛び込んだら、一緒にとびこんでやろう、と考えました。そして、素姐のご来臨を待つことにしました。素姐が陳実の家の前で罵っているのに、陳実が顔を出そうとしないのを見ますと、張氏は顔に腿のように太い青筋を立てました。間もなく、素姐が家の前にきて罵りますと、張氏は袖を絡げ、スカートの紐を縛り、手に棒を持って、外に走って行こうとしました。ところが、張氏は賢くありませんでしたが、石巨はしっかりした考えをもっていましたので、彼女を両手で抱き留め、言いました。

「ああ。俺たち男は癇癪持ちではないのに、女のお前が癇癪持ちとはな。狄家の気違いは人間とはいえん。それなのに、あんな奴の相手をしようとするとはな。あんな気違い犬は、避けてもまだ危険なものだ。あの屋敷の陳嫂子がお前より背が低く、陳哥がお前より弱いとでもいうのか。もしも本当に争うとなれば、陳嫂子は手をこまねいてはいないだろうし、陳哥は門を閉じようとしてはいないだろう。とにかく堪忍すればあらゆる災いを消すことができるんだ。腹を立てて棒でぶって、万一ぶち殺しでもしたら、お前かわしがあいつの命の償いをしなければならん。お前が命の償いをすれば、わしには女房がいなくなってしまう。わしが命の償いをすれば、お前には亭主がいなくなってしまう。あいつを殴る必要はない。あいつは、陳家を罵り、わしらの家を罵った。あいつはわしらを罵ったから、さらに杜其思と宮直の家に罵りにいくことだろう。宮直と杜其思はともかく、宮直の女房は、人を許すことができない奴だ。彼ら夫婦にあの女の相手をさせれば、おもしろいことになるではないか」

張氏「下らないことを言って。家の前で罵られたというのに、門を閉じていろというのかい。人に聞かれたら、あなたは泥棒、馬鹿ということになるのですよ」

石巨「盗賊でもいいし、馬鹿でもいい。とにかく災いが起こらなければいいのだ。以前、子供が生まれなかったとき、あいつの舅の狄大叔は、晩に松明を点し、お前のために薬を探してくれたのだから、お前もあいつを相手にするな」

張氏は、その話を聞きますと、ようやく怒りをおさめ、棒を持って家に戻りました。

 素姐は、さらに心ゆくまで罵りますと、郷約の杜其思を罵りにいきました。彼女は、続けて二つの家を罵りましたが、人が相手をしに出てこようとしなかったので、いい気になり、ますますひどく罵りました。まったく聞くに堪えぬ、口にするのも憚られるようなことばかりでした。人が考え付かないことを、彼女は思い付くことができるのでした。杜其思は罵られてかっとなり、彼女と口喧嘩をしにきました。すると、素姐は有無を言わせず、懐に潜り込み、片手で杜其思の髭を毟り、片手で杜其思の顔に雨のようにびんたをくらわし、「馬鹿。強盗」と罵り、

「杜郷約が良家の女を殴りました。二人の秀才の弟におまえを告訴させてやる。隣近所の皆さん、私の家から人を呼んできてください」

罵りながら、引っ張ってぶちました。さいわい両手がぐちゃぐちゃになっていましたので強くぶつことはできませんでした。杜郷約は言いました。

「狄の奥さん。あんたが礼儀を弁えないのは仕方のないことだ。しかし、郷約の俺は礼儀を弁えているぞ。だれがあんたをぶつものか。おれは狄希陳さん、二人の薛の若さまの顔を立て、あんたを殴ったりはしないよ。狄の奥さん、手を離してくれ。そんなことをしないでくれ。俺と狄希陳さんは、父子二代にわたる付き合いだ。俺は、狄希陳さんより、数歳年上で、大伯[4]でもあるのだぞ」

素姐は罵りました。

「このへのこ大伯。まら大伯。おまんこ大伯。私の可愛い弟を、枷に掛けて板子でぶったくせに、それでも大伯かい」

杜郷約「奥さんも馬鹿な方ですな。狄希陳さんはもともと謀反などしていなかったのです。私はあの人が謀反をしていると嘘をいったわけではありません。あの人の九族を滅ぼそうとしたわけでもありません。再冬さんは、余計なことを言ったために、捕まって枷に掛けられてしまったのです。これから恨み言をおっしゃらなければ、お役人も、あなたを拶子に掛けたりはしないでしょう。弟さんが枷に掛けられたのは、私とは関係ないことです」

素姐は聞こうとせず、平手で流れ星のように杜其思の顔を殴りつけました。取り囲んでいた人々は、腹を立て、声を揃えて言いました。

「まったく馬鹿な女だ。杜郷約がどんな悪いことをしたというんだ。罵られても言い返さず、ぶたれても仕返しをしないのは、我慢もできるが、そんな酷いことまでするとは。その人はお前の息子か。杜さんは狄相公と二人の薛相公の面子を立ててくれているのだぞ。もしもわしらと一緒に県庁に告訴をすれば、もう一度この間と同じことが起こるぞ」

素姐は、杜其思を放し、人々の方を向こうとしました。杜其思は、そのすきに家に逃げ込み、門を押さえ、樊噲[5]でも突き破れないようにしました。人々は、杜其思が門に鍵を掛け、中に入ったのを見ますと、去っていきました。素姐だけは一人残って何回か罵りましたが、だれも相手にしませんでしたので、保長の宮直の家の入り口に行き、罵りました。しかし、宮直は、ちょうど捕衙に出勤しており、家にはいませんでした。

 宮直の女房の顧氏は、渾名を「佘太君」[6]といい、とても背が高く、太って大きな体をしていました。彼女の両足はとても大きく、腕は男の足のように太く、十本の指は、子供の腕ほどの大きさがありました。天秤棒で水や、六七斗の食糧を担ぐのは、朝飯前でした。よその臼を借りて使うときは、二つの臼を引き摺っていきました。素姐が、家の入り口で、しばらく罵っていますと、顧氏は悠然と家を出、素姐をちらりと見、こう言いました。

「誰かと思えば、狄さんだったのですか。どうしてそんなに腹を立てられているのですか」

素姐「強盗で、間抜けで、悪党で、血汗症の、あんたの亭主が、証人になったから、役所は私を拶子に掛けたんだよ。私はあいつと刺し違えてやろうと思っているんだよ」

顧氏は言いました。

「そうだったのですか。狄さんが大騒ぎをされるのも当然です。私の家にお出でください。狄大嫂に叩頭してお詫び致しましょう」

片手で素姐の右手をとり、力一杯捩じりますと、素姐は、痛さに豚が殺されるときのような叫び声をあげ、左手をばたばたさせました。顧氏が右手を放し、左手をとり、ぎゅっと握り締めますと、素姐は痛さに地面を転げ回りました。

 顧氏「狄さん、熱を出されたのですね。家にじっとされていた方が宜しいのに、こんなに叫ばれるなんて」

素姐は罵るのをやめ、言いました。

「ひどいことをしてくれますね。拶子に掛けられてぐちゃぐちゃになった手を、力一杯握り締めるなんて」

顧氏「狄さんが拶子に掛けられたとは知りませんでした。手を握って家に案内しようと思ったのに、こんなに痛がられるとは思いませんでした。狄さん、手を伸ばしてください。私が見てみましょう」

素姐は騙されたとも知らず、右手を伸ばしました。顧氏は手を取りますと、

「拶子に掛けられて目茶苦茶になっていますね。しかし、さっきは、決して力を込めて握ったわけではなかったのですよ」

先ほどの様子をまねて、言いました。

「私はこのように握っただけです。そんなに痛くはなかったでしょう」

素姐はまたも手を握られ、転げ回りました。

顧氏「狄さん、駄目ですよ。これでは、女の豪傑にはなれませんよ。意気地無しにもなれませんよ[7]。左手を伸ばして見せてください」

素姐「まだ私の手を握る積もりですか。あなたの言うことは信じませんよ」

身を翻して帰ろうとしました。

顧氏「家に来て、人を嫌われるすじはありません。私は狄さんを家に呼び、お茶を飲んでいただこうと思っているのです」

二つの指を伸ばし、素姐の片腕をとって握り、家に向かって歩いていきました。素姐は犬にくわえられた膀胱のように引っ張られ、少しも反抗することができませんでした。顧氏は素姐を家に連れてきますと、一緒に腰掛けに座りました。そして、素姐の手をとり、仲のよい振りをし、話をしながら責め立てました。無駄話をしたり、世間話をしたりしながら、何気ない振りをして、何度も何度も握りました。素姐は、逃げようとしましたが、少しも動くことができませんでした。

素姐「宮さん、あなたの力は分かりました。私は家に帰ります」

顧氏「狄さん、もっとゆっくりされていってください」

素姐は固く断わりましたが、顧氏はなおも素姐の手を引き、外に出ました。そして、通りまで送りますと、手を離す前に、ふたたびぎゅっと握り締めました。素姐は叫びますと、ようやく去っていきましたが、口ではぶつぶつと私娼め、淫婦めと罵るのをやめませんでした。

顧氏は

「狄大嫂はまだ恨みを解いてくださらないようですね。また戻ってきて私にお詫びをさせてください」

といいますと、素姐を追い掛けました。素姐は逃げましたが、転んでしまい、片方の靴を落としてしまいました。素姐は立ち上がりましたが、靴を拾うわけにもいかず、纒足布を引き摺りながら、煙のように逃げ去りました。

顧氏は素姐の靴を持って追い掛けながら、言いました。

「狄さん、お待ちください、靴を拾ってさしあげましょう」

素姐は立ち止まろうとはせず、家に走って行きますと、門を押さえ、顔も出そうとしませんでした。

顧氏は素姐の片方の靴を持って家に戻りました。街中の人々は手を叩いて大笑いしました。

 素姐はその日は外に出ようともせず、翌朝、相大妗子の家に行きました。相大妗子はまだ起きていませんでした。素姐は宅門に跪きますと、叫びました。

「相太太、どうか哀れと思し召し、夫を返してください。人々は、夫を騙し、都に住まわせ、夫のために別に妻を娶り、そのことを私に知らせませんでした。夫は行方知れずとなり、私は面子を失ってしまいました。相太太、これはひどすぎます」

相大妗子は、それを聞きますと、言いました。

「あの女は気が違ってしまった。お前たち、はやくあの女を家に入れておくれ」

下男の女房、小間使いや乳母がたくさん出てきて、あれこれ宥めましたが、素姐は、どうしても立ち上がろうとせず、ひたすら大騒ぎをしました。そして、彼女に内緒で別に女房を娶ったり、調羮母子を養ったりしたのは、すべて相大妗子の入れ知恵だと言いました。相大妗子は、ぐっすり眠ることができませんでした。彼女は起き上がって衣服を着け、纏足布も巻かず、髪も梳かさずに出ていきますと、彼女を中に入れ、さんざん釈明をしました。素姐はますますいい気になり、あらゆる悪口を言いました。相大妗子はどうすることもできず、彼女が外でひどいことをするに任すことにし、宅門に鍵を閉め、中に入りました。素姐は午後まで罵りますと、去っていきました。

 翌日の朝になりますと、素姐は、ふたたび相家に行き、騒ぎ立てました。何度頼んでもやめようとしませんでした。相大妗子は、薛如卞兄弟のもとに人を遣わし、彼らの姉に、帰るように言うように頼んでもらおうとしました。薛如卞兄弟は、体面を気にする人でしたし、宥めても無駄だと思いましたので、遠回しに断り、やってこようとしませんでした。また、彼女は長い間罵り、日が西に傾いてから去っていったのだから、もう来ることはないだろうと思いました。ところが、翌日、夜が明ける頃、素姐は、ふたたびやってきて、前と同じように罵りました。相大妗子は慌て、一人で中門に行きますと、言いました。

「まったく無茶苦茶だね。お前の亭主が妾をとろうがとるまいが、私はあの子のおばなのだよ。私があの子の母親だったとしても、『息子も大きくなれば母親の命令をきかない』ものだから、私があの子に指図することはできないのだよ。お前はどうして私をひどい目に遭わせるんだい。私は、希陳と狄員外さん、姉の顔に免じて、お前とは喧嘩をしなかった。だが、お前は、立て続けにやってきて、私を三日罵った。私は七八十歳の婆さんなのに、お前は私を侮辱するつもりかえ。私をお前のおばと認めないのなら、私もお前が甥の嫁であるとは認めないよ。どこの家の甥の嫁も、三四日間、おばを罵ったりはしないよ。小間使い、下女たち、棒と鞭で、あのあばずれをぶっておくれ。頭はぶたずに、体だけをね」

相妗子が話し終わらないうちに、山犬のような女たちが走り出てきました。馬の鞭や、短い棍棒を持った者が、十五六人いました。素姐は、形勢が不利なのを見ますと、身を翻し、出口に向かって走りましたが、女たちは追い付き、引っ張り、引き摺りました。素姐は、慌てて言いました。

「おばさま。おねえさま。あなたがたは私に何の恨みもないのですから、放してください」

女たちは強面な態度をとったり、優しい態度をとったりして、彼女を逃がし、騒ぎは収まりました。それからどうなりましたか。さらに次回を御覧ください。

 

最終更新日:2010118

醒世姻縁伝

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[1]原文「紅羅女」。『宋史』楽志「女弟子隊…六曰採蓮隊、衣紅羅生色綽子、繋暈裙、戴雲鬟髻、乗綵船、執蓮花」。

[2] 『大清律例』によれば、人を誣告して笞罪に陥れたものは罪二等、流、徒、杖罪に陥れたものは罪三等を加えられた。笞、杖、徒罪にはそれぞれ五つ、流罪には三つの等級があり、たとえば笞罪の罪二等は笞二十回、杖罪の罪三等は杖八十回、徒罪は二年の徒刑及び杖八十回、流罪は三千里の流刑及び杖百回であった。ただ、謀反の罪は死刑なので、「罪三等を加えられる」云々という代書人の言葉は的を得ていない。

[3]第十一回に既出。歇後語。「自身難保」と続き、自分の身も危ないの意。

[4]父親の友人。

[5]漢の高祖の部将。鴻門の会の際、会場に突入し、高祖を救ったことで有名。

[6] 第四十九回の注参照。

[7]原文「軟膿血也成的麼」。「軟膿血」は「軟膿包(意気地なし)」と同義であると思われる。

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