第八十五回

狄経歴が逃げて任地に赴くこと

薛素姐が嫌われて故郷に残ること

 

一年都に隠れ住み

(かたき)の来るを恐れたり

ただひたすらに心配し

会はぬやうにと願掛けり

いと面白き謀りごと

男は乗り気で女は拒む

気付かず 深き計略に

飄然と妾を連れて去りゆけり  《惜分飛》

 狄希陳は、駱校尉を送り、戻ってきますと、童奶奶たちに言いました。

「おじさんが本当にうるさかったので、代筆をする人を雇い、銀子を払うことを約束してしまいました。僕がその人に会いたいから呼んできてくれというと、僕のことを田舎臭いと言い、物の道理を弁えていないとも言われました」

童奶奶「おやおや、私もおじさんも、あなたを叱りたくはないのですがね。私は役人の家の娘ではありませんが、物の道理はわきまえていますよ。文官にとっての幕僚とは、将軍にとっての軍師のようなものです。あらゆることを彼らと相談し、代わりに仕事をしてもらわなければなりません。諸葛亮を三度訪ねたという話もあるでしょう。一回呼んだだけではだめで、三回は呼ばなければ、その人は出てきませんよ。その人を呼んできて会おうとするなんて、この前張樸茂を買ったのとはわけが違うのですよ。あなたは約束の銀子が多いことを怒っていますが、兄はあの人がどうしても八十両を払えとは言わなかったといっていたでしょう。六十両でもいいし、五十両でもいいと、あの人は言ったのです。師を貴び、友人を重んじられるのなら、あまり少なくしてはいけないのは当然のことですよ。吉日を選び、帖子を書き、招待状を送り、二つの酒席を設け、直々に五六両の礼物を贈らなければなりません。生地を一対と二種類の靴下も加えれば、さらに見栄えがいいでしょう。おじさんいっしょに招待をしにおゆきなさい。おじさんがお相伴をし、あの人一人のために宴席を設け、おじさんと二人でテーブルに腰掛けていればいいのです。さらに二人の歌い女を呼び、宴席では、役者を呼ぶべきではありますが、家は狭いので、歌い女の方がよいと考えました、と型通りの挨拶をするのだ。出発する数日前に、あらかじめあの人に二十両の銀子を与え、あの人に荷物を整理させなければなりません。私のいっていることは正しいでしょう。さらに相大爺にも話しをしてください。言った通りかどうか確かめてください。すぐにお行きなさい。行く日も迫っていて、もうすぐ証書を受けとるのですからね」

狄希陳を促し、相主事の家に行かせ、出発の準備をすることを話させました。

 相主事「あなたは首領官ですから、役所ではいつも批語を書かなければなりません。代書人を呼ばれないということは、ご自身で書かれるのですか。府知事さまを喜ばせれば、あらゆる仕事が与えられるでしょう。州、県知事の職務を代行することもあるかもしれません。しかし、最初から知事さまのご機嫌を損ねたりすれば、あなたは役人をしてゆくことができませんよ」

狄希陳「人を見つけたので、相談しにきたのだよ」

相主事は尋ねました。

「どこの人ですか。教養がどの程度かは分かりませんよ。あまりいいものを使わず、生半可なものを手に入れればよろしいのです。一年にどれだけの束修を払うことにしたのですか。だれが仲立ちをしたのですか」

狄希陳「駱有莪が推薦したのだ。湖広の道州とかいうところの人だ。その人は八十両でもいいし、六十両、五十両でもいいと言った。駱有莪はその人のいう通りにするべきだと言ったので、八十両を与えることにした」

相主事「その人は今までどこにいたのですか。幕僚をしたことがあるのですか。一体どんな人なのですか。人当たりは良いのでしょうか」

狄希陳「僕はその人を見たことがないのだ。まずは呼んでみてみよう。駱有莪と女房は、僕のことを田舎臭いといった。そして、まずその人に挨拶をし、招待状を送り、酒席をもうけてから、五六両の銀子の礼物、一対の生地、靴、靴下の類いを贈ることが必要だといい、あらかじめ二十両の銀子を与え、荷物を準備させた。僕は君のところにどうしたらいいか相談をしにきたのだ」

相主事「そんなことを誰がいったのですか」

狄希陳「童奶奶さ。僕は信じられなかったから、わざわざ教えを請いにきたのだ」

相主事「それは極めて妥当な考えで、少しも間違いがありません。いわれた通りになさってください」

狄希陳「八十両は多すぎると思う。五十両でもいいといったのだから、五十両を与えてはどうだろう」

相主事「良い物は安くはなく、安くない物が良くないものかもしれません。その人が今までどこにいたのか話されていないのですか」

狄希陳「ずっと江西の郭総兵の幕僚をしていたのだ。郭総兵が捕縛されたので、郭総兵に付き従って都に来たのだ。最近郭総兵は成都衛に充軍になっただろう」

相主事「郭総兵とは郭威のことですか。各役所に送られた弁明文は、よく書けていました。文章は堂々としたものでしたので、総督は言葉に詰まって言い返すことができず、仕方なく彼を充軍の罪にしたのです。郭威の弁明文は彼が作ったものではないでしょうか。文書を作ったのが彼だとしたら、これは大人物ですから、五六十両の銀子ではあなたについてゆこうとしないでしょう。その人の姓は何といい、名前は何というのですか」

狄希陳「駱有莪さんの話しを、はっきりとは覚えていないのですが、周何とか楊といいました」

相主事「分かりました、周景楊、名は周希震という人です。あの人は楊震[1]を尊敬しているので、景楊なのです[2]。あの人は字を四知といいます。どうしてまたそんなに安い値段で、あなたに付き従って八九千里はなれたところにゆくのを承知したのでしょう」

狄希陳「郭総兵に付き従うためです。私とともに行くのはむしろついでなのです」

相主事「そうでしょう。私は分かっています。八十両は必ず払わなければなりませんよ、天の神のようにあの人を敬われるべきです。私がどうしてあの人を知っていると思われますか。私の房師が京堂[3]に栄転した際、秦年兄が先頭に立って送別を行いました、そのときの帳詞[4]はとてもよく書けていました。あの人は同郷の周景楊が書いたものだと言っていました。周景楊は郭総兵の幕僚だということでした。あの人が詩を出版しているので、私はあの人の名や、字が四知であることを知っているのです。あの人には会ったこともあります」

狄希陳「あなたのところに相談をしにこなければ、あの人を疎略に扱ってしまうところでした。あの人をよんだら、あの人をあなたに会わせてさしあげましょう」

相主事「何をおっしゃいますか。あなたの幕僚なら、私もあの人を敬うべきです。まして名士であればなおさらのことです。誠意を尽くしてあの人に挨拶をし、酒席を設けて招待することにいたしましょう」

後に相主事がすべていった通りにしたことは、くわしくはお話し致しません。狄希陳は相主事の言葉を聞きますと、喜んで承服し、田舎臭い態度はとらずに、礼儀正しく、礼物を贈りました。

 さて、駱有莪は狄希陳に十両の銀子を要求し、呂祥を張家湾までついてゆかせ、船を雇ってくれる宿屋に泊まりました。郭総兵と狄希陳は四川行きの坐船を二隻雇いました。郭総兵は広西総兵府の勘合を持っており、そこには人夫と馬が書き込まれていました[5]。船頭は私物を持ち込もうと思っていましたし[6]、食糧の支給もうけることができましたので、船賃は大したことはなく、各船が五両でした。狄希陳が百両ばかりの旅費を払わずにすんだのは、周景楊の最初の功績でした。また、郭総兵と一緒に旅をするのは心強いものでした。船を雇って戻ってきますと、狄希陳と郭大将軍はとても喜びました。狄希陳はようやく周景楊が尊敬に値することを知り、彼を呼び付けるのはよくないと思いました。そこであらためて宴会を開き、郭大将軍を呼び、周景楊を付き添わせ、相主事をも列席させました。前に周景楊を呼んだときは役者は呼びませんでしたので、童奶奶は今度も二人の歌手を呼んで余興にしました。郭大将軍は都で二人の妾を娶っていました。一人は権という姓で、権奶奶と呼ばれていました。一人は戴という姓で、戴奶奶と呼ばれていました。そのほか買った小間使いがいました。寄姐も宴席をととのえ、先に彼らを呼んで会いました。権奶奶も答礼宴をし、お互いに交際をしました。女たちがまず通家となり、やがて男たちも親友となりました。八月十二日を選び、両家は一緒に出発しました。出発のときの様子、送別をした様子は、くわしくお話しする必要はありますまい。

 さて、呂祥は願い通り、給料を増やしてもらい、半年分も前払いしてもらっていましたが、心の中では満足せず、全竈の妻を娶ることができなかったことを恨んでいました。彼は公然と腹を立て、半年分の給料を使って故郷に帰り、都の出来事を洗いざらい話し、素姐を唆して恨みを晴らしてもらおうと考えていました。

 駱有莪と童奶奶は船に送られ、明かりの下で酒を飲んでいるときに、駱校尉は言いました。

「証書が一番大切です。油紙で包み、なくさないようにしなければなりません。今まで話を聞いたことがあるだけで、証書がどういうものなのか見たことがありません。希陳さん、取り出して見せてください」

狄希陳は拝匣を開き、証書を取りだしますと、駱校尉に手渡しました。駱校尉はテーブルの下で狄希陳をそっと蹴りました。狄希陳は了解しました。駱校尉は証書を広げてみてみますと、一通り読みました。「成都府の推官狄希陳」というところまで読みますと、尋ねました。

「希陳さんは経歴なのに、どうして推官なのですか。これは間違いではないでしょうか」

狄希陳はわざと驚いて、言いました。

「本当だ。どうしましょう。証書を貰った日、自分の名前を見ただけで、肩書きを見ませんでした。役人が着任するときは証書がなければいけませんが、証書に推官と書いてあります。証書をもって推官として赴任すれば、役所では推官と認めてくれるでしょうか」

駱校尉「希陳さん、あなたがおっしゃることはまったく野蛮人のようです。凭科の書吏が書き間違えて、推官と書いたからといって、推官として赴任できるはずがありません。推官は進士か、挙人がなるもので、監生でなれるものではありません。あちらには、現在、推官がいます。あなたが任地に行かれても、推官になることはできません。それに、経歴も偽者ということになってしまいます。希陳さんは本当に運がいいです。私に証書を見てもらい、間違いに気付くことができたのですからね。現地に着いてから、間違いに気付くようでは、進退極まっていたことでしょうよ」

狄希陳「今はどうしようもありません。もう船に乗ってしまいました。郭総兵だって待ってはくれないでしょう」

駱校尉「難しいことではありません。とにかくゆかれてください。証書はここに残してください。私が郭総兵に話にゆきましょう。上申書を提出して換えてもらわなければなりません。故郷にゆかれて先祖を祭り、数日待っていてください。その間に、証書も換えてもらえるでしょう。故郷に行くことになっていたのはちょうどよかった。旅を遅らせることにもなりませんからね」

狄希陳「それもいいでしょうが、またおじさまにご迷惑をおかけしてしまいます。狄周を残し、証書を換えてもらったら、追い掛けてくるようにさせましょう」

駱校尉「狄周では無理です。あの人は吏部がどこにあるかも知りません。ここ数年仕事をしたのに、ますます田舎者になってしまいました。やはり呂祥がいいでしょう。あの男は都に長いこと住んでおり、吏部で選任を待つあなたに付き添っていたので、誰にでも知られています。あの男は口がうまく、口を開けば人のことを旦那さまといい、誰とでも話をしています。呂祥を残しましょう」

狄希陳「故郷にいって先祖を祭り、酒を並べ、飛蜜菓子[7]を揚げるにも、すべてあの人が必要です。役に立つ人を残すことにしましょう」

駱校尉「あなたは物事をあまり真面目に考えていませんね。どんなことが大切かを考えるべきです。証書を受け取るのは小さなことで、飛蜜菓子を揚げるのが大事だというのですか」

童奶奶「おじさんは、役に立つ人には大事な仕事をさせるべきだといっているのです。呂祥を私たちとともに帰らせ、彼が証書を取り替えたら追い掛けてくるようにさせましょう」

翌日の五鼓に、船上で神に祈り、太鼓を叩いて船を出発させました。童奶奶と寄姐は涙を拭きながら別れました。駱校尉は狄希陳に別れを告げました。そして、ふたたび郭大将軍とともに周景楊の船に行き、何度も頼みごとをし、その後で呂祥を連れて都に帰りました。呂祥はすべての衣服、荷物を船に残し、背嚢を一つだけもって都に帰りました。駱校尉は都に戻りますと、翌日、凭科にいって証書を取換えてくると言い、呂祥を家におきました。また、しばしば相家にも出入りしました。相主事は駱校尉の話は本当だと思いました。

 狄希陳と郭大将軍の二隻の船は、順調に進み、十日足らずで、滄州に着きました。郭大将軍、周景楊と、臨清で待っているように約束しました。郭大将軍は臨清に知り合いがとても多く、やはり数日逗留しなければならなかったため、一石二鳥でした。狄希陳は轎かきを雇い、狄周、小選子、張樸茂は騾馬を雇い、身の回りの持ち物をもち、河間の武定から明水にゆきました。狄周は先に故郷につきました。素姐は家にはおらず、たくさんの仲間たちといっしょに、張師傅の家で茶を飲んでいました。狄周はそこへ訪ねていって、狄希陳が

「成都府の経歴になり、故郷に錦を飾られました。墓でご先祖さまをお祭りします。奥さまを迎えて一緒に赴任され、一緒に栄耀栄華を享受されます。奥さまのために銀の帯、真紅の出水麒麟の通袖の袍を、大真珠の挑牌を作られます。さらに、たくさんの鮮やかな生地を買い、奥さまの衣装を作らせ、福建の大轎を買い、翠藍の絹の官傘を作らせます。もうすぐやってこられますから、すぐに戻られて門を開け、掃除をなさってください」

と言いました。

 素姐は、狄周から、うまい話しを聞かされますと、思わず喜びましたが、口では罵りました。

「あのろくでなしどもめ、熱病になって都で死んだと思っていたが、またまた戻ってきたのか」

罵りながら、立ち上がり、師友に別れを告げますと、狄周を従えて、家に戻り、門を開けました。狄周は作男を呼び、家の表から奥まで掃除をしました。素姐は、さらに尋ねました。

「あいつは、本当に、私のために品物を買ってくれたのかい」

狄周「もうすぐいらっしゃいます。私が嘘を申し上げるわけがございませんでしょう」

素姐はさらに尋ねました。

「都に探しにゆけば、私を避け、戻ってくれば、また私を避けるとは、まるで私と隠れんぼをしているみたいだ。私を二三か月監禁しろと相于廷を唆しただろう。私が怒らなかったら、今ごろ私は監禁されて死んでいただろうよ」

狄周「それはひどいことをおっしゃいますね。希陳さまは都にいらっしゃったとき、奥さまが目、鼻を怪我したことを下男から聞かされました。希陳さまは心配され、四五日間、食事も喉を通らず、死にそうになられたのですよ。私どもが『心配されても仕方ありません。はやく帰られ、ご自身で、本当か嘘か様子を御覧になってください。それから心配されても遅くはないでしょう』と慰めますと、希陳さまは『おまえの言う通りだ』とおっしゃり、取る物もとりあえず、短距離用の驢馬を雇い、徹夜で家にやってきたのです。家に着きますと、ひっそりかんとしており、門には鍵が掛けられておりました。尋ねますと、奥さまは都へ行かれたとのことでした。希陳さまは泣いて話しをすることもできなかったのですよ。薛の奥さまは希陳さまを罵られ、都で妾をとったとおっしゃいました。希陳さまは慌てて何の誓いも立てず。すぐに墓に行き、家を片づけ、『都にいる素姐のところへまいります』とおっしゃいました。そして、あわてふためいて都に行き、真っ先に相棟宇さまに会い、尋ねてみますと、素姐さまは帰ってしまわれたとのことでした。そこで、希陳さまは、相さまに尋ねられました。『素姐は、本当に目を怪我していたのですか。棟宇さま『大した怪我はしていないかったぞ。目が飛び出、目の縁が凹んだのだ』『鼻は欠けたのでしょうか『鼻は欠けてはいない。鼻筋はきちんとしている。ただ、鼻の先がなくなり、指先ほどの小さな穴があいているのだ』。希陳さまは、お尻を叩いて『絵に描いたように綺麗な人だったのにと泣かれました。棟宇さまは『おい、おまえはまったく分からん奴だな。わしがおまえの嫁の目を抉り、鼻を齧ったというのか。わしに向かって泣くなんて。二三か月おじおばに会わなかったのに、挨拶もせず、絵に描いたような人に哭礼をするとはなとおっしゃっていました」

素姐「さらに、尋ねたいことがある。劉という姓の母子二人を、こっそりどこの家に送ったんだい」

狄周「棟宇さまは、奥さまがあの人が来るのを見たことがあると言いました。私はあの人を探しましたが、どこにも姿がありませんでした。相おばさまはこうおっしゃいました。『きっと奥さまは私たちを騙したのでしょう。あの人に構われてはいけません』」

素姐「相旺が都にいったとき、相旺が私に話しを伝えたために、相于廷からぶたれたということだが」

狄周「奥さまを騙し、遠い道を走って戻らせたのですから、ぶたれたに決まっているでしょう」

素姐「おじさん、おばさんは、私が首を吊った話はしていなかったかい」

狄周「ええ。話をなさらないはずがございませんでしょう」

素姐は尋ねました。

「どのように話したんだい。私に聞かせておくれ」

狄周「どのように話したかですって。『賢くなく、家を乱す悪い奴め。自分の家で悪いことをすることができないものだから、遠い道を通り、人の家に来て、悪さをするとはなと言っただけですよ。おばさまは『救わずに、災いの根を除くことにすればよかった』とおっしゃいました。于廷さまは『あんな糞女は、鋤を使って家から追い出せばいいのです』とおっしゃいました」

素姐「まったく腹が立つね。せっかく都にきたのだから、外へ見物をしにゆこうと思っていたのだよ。さんざん邪魔をして外に出そうとしなければ、首を吊るのも道理というものではないかえ。八十歳まで生きても、肉が食べられるわけでもないからね」[8]

狄周「ご飯はございますか。少し食べてから、希陳さまを迎えにゆかなければなりません。今日は、待たれる必要はございません。どうやら明日来られるようです」

 素姐は、狄周が調子の良い約束をしましたし、狄希陳が久し振りに帰ってくるのを懐かしく感じたということもありましたので、人を呼び、小麦粉を発酵させ、饅頭を作りました。肉を計りとり、鶏を殺し、米を水に漬け、ご飯を作りました。翌日の午後になりますと、狄希陳が大轎に乗ってあらわれました。三つのひさしのついた青い傘をさし、天藍実地紗の金補[9]行衣[10]、純白の縁取りの経帯[11]を着け、まことに意気軒昂たるありさまでした。彼は家に行き、素姐に挨拶をしました。ところが、素姐は彼に会いますと、顔を曇らせ、怒りの表情を浮かべ、さんざん罵り、詰問しはじめました。さいわい、狄周があらかじめ狄希陳に話をしておりましたので、狄希陳の話したことは、狄周が話したことと少しも違いがありませんでした。また、質問が終わらないうちに、崔近塘、薛家の兄弟も、すぐに挨拶をしにきました。親友たちも、続々とやってきました。西の山に日が落ちますと、燭台を手にとり、眠りに就きましたが、その晩のことは、くわしく述べる必要はございますまい。

 翌朝、髪梳きと洗顔を終えますと、狄希陳は、都で素姐のために買った衣服、装身具、冬用、夏用の生地、四つの大きな毛織物の包みを担いでこさせました。素姐は、それを見ますと、口を開け、歯をむき出しにし、急に怒って、言いました。

「私は鼻を噛まれ、目を抉られてしまったのだよ。こんな服や髪飾りは似合わないよ。思い出したが、あなたとは長きにわたる恨みがあるからね」

狄希陳はびっくりして口を開け、目を見張り、彼女がどうしてそのようなことをいうのか分かりませんでした。

 狄希陳は、先祖を祭る準備をしながら、南へ行く準備をしました。そして、ひたすら素姐と一緒に行きたいと言いました。素姐は行きたいと言ったり、行くのをやめようと言ったりしました。狄希陳が途中の景色、任地での華やかなさま、二千里と離れていないので、半月しかかからないといったことをさんざん話しましたので、素姐は騙され、八九割りは行こうと思いました。狄希陳は、心の中で考えました。

「童奶奶の計略は、普段は百発百中だが、今回はうまくいかなかったな」

小選子は綿の衣装を欲しいといって騒ぎました。

素姐「二千里と離れておらず、半月で着くのだろう。九月に南に行くのに、どうして木綿の衣装が欲しいといって騒ぐのだい。持っていったら重いじゃないか」

小選子「二千里で、半月歩けばいいなどとどなたがおっしゃったのですか。一万里は十分にあり、今年中に着くことはできませんよ。半月で着くはずがありませんよ」

素姐「何をでたらめをいっているんだい。主人さまのいったことが嘘だというのかい」

小選子「旦那さまのおっしゃったことが嘘で、私の申し上げていることが本当なのです。旦那さまは、奥さまが行かれないと困るので、奥さまを騙されたのです。八千里のとても辛い道程ですよ。水路の長江は、川岸が見えず、底なしです。船は山の洞窟を、松明を点しながら七八百里進み、下に向かってゆきます。そこは、三峡と呼ばれます。このような三つの場所では、陸路を行く場合は桟道で、数万丈の高い山を歩きます。下は底の見えない深い谷川です。山の中腹には、杭が差し込まれ、板が敷かれており、人と馬はその上を歩きます。このような道が八百里あるのですよ」

素姐は罵りました。

「このろくでなしめ。行ってもいないくせに、どうしてそんなによく知っているんだい」

小選子「私は行ったことはございませんが、人が話していたことを聞いたのです」

素姐はさらに尋ねました。

「誰の話しを聞いたんだい」

選子「誰でも話していますよ。都でもよく話していますよ。奥さま、あなたは行かれるおつもりなのですか」

素姐「ええい。何てけしからん馬鹿者だろう。私を騙して行かせるなんて、何を考えているんだろう。小選子、狄周を呼んできておくれ」

選子は、狄周を呼んできました。素姐は尋ねました。

「ここから四川まで、どれだけの道程だい」

狄周「八九千里は十分にございます」

素姐はさらに尋ねました。

「水路かい。陸路かい」

狄周「陸路でも水路でも宜しいでしょう」

素姐「私は子供の頃、八百里の連雲桟[12]のことを聞いたことがあるが、どこにあるんだい」

狄周「四川へ行く途中にございます。奥さま、あちらに行かれたくないのですか」

素姐は怒って言いました。

「あの小わっぱめ。あのろくでなしの馬鹿息子についてゆき、人がいないところへ行ったら、どのような目にあわされていたか知れたものではなかったよ」

 狄希陳が客に挨拶をし、家に戻りますと、素姐はあれやこれやと呪い罵り、噛み付いて苛め、彼を追い詰め、何のつもりなのか話しをさせようとしました。

狄希陳「もう一度尋ねてごらん。馬鹿な奴らのでたらめを信じては駄目だよ」

素姐「罵られて当然だよ。でたらめを言い、悪巧みをしたんだからね。このろくでなしの馬鹿息子め」

狄希陳「奴らは行ったこともないのに、人のでたらめを聞いただけで、尾鰭をつけているんだよ。四川に行ったことのある人に、本当か嘘か尋ねてごらん」

素姐はまだ半信半疑でしたが、とりあえず狄希陳に構うのはやめ、行く考えを改め、行かないことにしました。狄希陳は、すぐに供物を並べ、墓に筵で作った大きな小屋掛けを組み立て、酒席を並べました。そして、村の数人の秀才に、礼生になるように頼み、先祖を祭ることにしました。

 さて、素姐は狄家の嫁になってからの数年間、先祖の墓参りをしたことがありませんでした、舅姑が死んだときも、仮病を使い、野辺の送りをしませんでした。しかし、今回は、きちんとした衣裳が手に入りましたので、喜んで行こうとしました。彼女はてかてかに髪の毛を梳かし、頭一杯の髪飾りを着け、金の鳳凰がくわえる、白くて大きな丸真珠の挑牌[13]をつけていました。そして、杭州の白粉を塗り、水紅の絹を、猿に噛まれた鼻の穴に糊付けし、下着には深緑色の秋羅の大袖の衫を、上着には真紅の縐紗の麒麟袍、無紋の銀帯を、スカートの腰には七事の巾着を掛け、下には、百匹の蝶を刺繍した薄絹のスカート、模様のある膝褲、高底の靴を履いていました。後ろから見れば、相変わらずすっきりとした美人でしたが、前から見れば、鼻がなく、目が欠けた化け物でした。大きな轎にじっと腰掛け、三つのひさしのついた緑の傘をさし、前後にたくさんの人を従えて墓に行き、それぞれの墓に数回拝礼をしました。狄希陳は冠に赤い袍、象牙の白帯を着け、礼生に付き従い、一本の掌扇が後につづきました。礼生は「着席、鞠躬、立て、伏せ、拝礼終わり」と唱えました。その後、狄希陳は小屋掛けに戻り、祭礼に列席した賓客たちに感謝し、賓客たちは盛大なもてなしに感謝しました。

 素姐は婦人客の小屋掛けの中におりました。崔家の三姨はすでに亡くなっていました。薛家の親戚以外は、精進物を食べて念仏を唱える道姑ばかりでした。彼らは両肩を張り、大きな口で、がつがつと食事をしました。侯、張の二人の道姑には、素姐という立派な弟子がいました。素姐は、上は舅姑に、下は夫に束縛されることがなく、二人の道姑に米や麦、衣装をたくさん寄進しました。厨房が所望すれば藁を、仕切り板を作るときは高粱稈を送りました。そして、師匠が寒い思いをするのを心配し、驢馬一杯の白炭(しろずみ)、車一杯の薪を、惜薪司[14]に金や食糧を納めるときのように、二人に提供しました。素姐が四川に行くと聞きますと、二人は金のなる木が倒れるかのように悲しみ、引き止めるすべがないことを残念がっていました。小屋掛けの中で蜀の桟道は危険で、素姐が怖がってゆこうとしないと言いますと、侯、張の二人はますますひどい嘘をつき、彼ら二人が「以前峨眉山にお参りにゆき、峡谷を通りましたが、船が壊れ、すんでのところであの底無しの長江に落ちるところでした。八百里の連雲桟を通ったときは、木の杭が折れ、渡り板が崩れました。観音菩薩が私たちを両手で受け止めてくださらなければ、空中を漂い、十日半月たっても底に着かなかったでしょう。とにかくここで暮らしていらっしゃればそれで宜しいのです。ついてゆかれるべきではありません。位の高い役人でも何でもないのですから、狭苦しい首領官の役所に住み、腰を伸ばすこともできないでしょう。都で退屈して首を吊られたそうですが、四川では首を切ることになるでしょう。善行を積まれてすでに良い所に行く運命にあり、さらに二三年の時間があれば祖師さまになることができます。修行をやめてしまわれれば、今までの修行はすべて無駄になってしまいます。私どもは、それが悲しくてたまりません」といいました。

素姐「私も、行かないことにしようと思います。私の主人は、道は歩きやすく、半月足らずで着く、長江などは渡らず、桟道もないなどと言いました。あいつは、私を騙したかもしれないので、私はお二人にお尋ねしようと思っていたのです。お二人が行ったことがおありだとは知りませんでした。お二人は、そのときは、どのくらい歩かれたのですか」

侯、張の二人は言いました。

「それほど多くはありません。正月一日に出発して四川へゆき、六月十八日に故郷に戻りました。閏月がありましたから、往復で一年七か月です」

素姐「何てろくでなしでしょう。このような悪さをして、私を騙して行かせようとするなんて、私を殺す積もりなのでしょう」

侯、張の二人は言いました。

「あの方には、何も悪気はありませんよ。遠くへ行き、独り身になることが嫌なので、あなたについてきてもらおうと思ったのでしょう」

素姐「お師匠さまはご存じないのです。このろくでなしは、悪巧みをしていたのです。以前、私はこんな夢を見ました。私が野原を一人で歩いていたところ、急に埃が舞い上がり、振り返ってみてみますと、たくさんの人馬が、鷹を連れ、犬を引き、弓に矢をつがえ、私に向かって押し寄せてきました。私は懸命に逃げましたが、彼らに捉えられました。私は地面に倒れ、手足を動かしました。前には大きな川があり、天地をひっくりかえすかのように波立っていました。後ろからは人馬が追い掛けてきて、空にはたくさんの鷹が旋回していました。私は慌てましたが、逃げ道がなかったので、ぽとんと長江に飛び込み、びっくりして目を覚ましますと、体中に冷や汗が出ていました。私は、以前、そのことをあの男に話したことがあります。あの男は、途中に川があると聞き、私を夢で見たような目に遭わせようとしていたのでしょう。私には味方はいませんし、いっしょにゆく人間はすべてあいつの仲間です。あいつが私を長江に投げ入れても、私の実家には、私の怒りを晴らしてくれる弟がいるよ。きっと私が真面目に修行をしたために、神霊があらかじめ夢で知らせてくださったのでしょう。今回二人のお師匠さまに教えて頂きましたが、まことに『天は良い心をもった人を裏切ることはない』とはこのことです。人はひたすらよく修行をすべきだということが分かります」

 薛大官の女房の連氏、薛二官の女房の巧姐、その他の真面目な女たちは、居住まいを正し、何も言わず、じっと悪人どものでたらめを聞いていました。食事を終え、家に戻りますと、素姐は、狄希陳が彼女を騙したことに腹を立て、今までの性格に戻り、ある時は親しく、ある時は冷たくし、一日中あら捜しをし、ぶったり、罵ったりしました。さいわい、狄希陳は、昼間は挨拶回りで忙しく、晩は宴席に赴き、送別を受けましたので、彼女の厚い愛情を受けとめる時間はありませんでした。素姐が行かないことに決めたのは、狄希陳にとっては天を祀る時の大赦にあったかのようなものでした。『大亀が釣針を離れる』機会は、ほかにはありませんでした。彼は呂祥がやってきて波乱を起こせば、行きたくても行くことができなくなるだろうと思いましたので、あたふたと赴任してゆきました。呂祥が戻ってきてから、素姐がどのような行動をとったかは、この回では述べ尽くせませんので、さらに次回をお聞きください。

 

最終更新日:2010118

醒世姻縁伝

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[1]後漢、華陰の人。『後漢書』巻八十四に伝がある。王密から賄賂を贈られた際、「天知る、地知る、我知る、君知る」といって受けなかった四知の故事で有名。

[2]「景」は「慕」に同じい。『後漢書』劉ト伝「今ト景化前修」注「景、猶慕也」

[3]中央の高官をいう。

[4]帳詞については第六回の注参照

[5]勘合は、通行証で、そこに書かれた数の人馬を、各宿駅で支給される。

[6]役人が乗っている船には税関で取調や課税が行われることがないため、商品を積んで売りに行こうとしている船頭にとっては有利なのであろう。

[7] 「飛」は呉語では油で揚げることをいう。「蜜菓子」は冀魯官話で林檎のことをいう。おそらく、油で揚げた林檎をさすと思われる。

[8]原文「活八十、待殺肉吃哩麼」。義未詳。

[9]金色のアップリケ状のものと思われるが未詳。

[10]騎馬用の綿入れ服。缺襟袍。官吏の旅装として用いる。片方の裾が短くなっており、騎馬に適する。徐珂『清稗類鈔』服飾「缺襟袍、袍之右襟短缺、以便于騎馬者也。行装所用…京外大小文武各官、若因公出差、以礼服謁客、則行装。行装不用外褂、以対襟大袖之馬褂代之、色天青」清翟灝『通俗編』巻一二「『中華古今注』『隋文帝征遼、詔武官缺胯襖子、取軍用無所妨也』按今缺襟袍、亦曰行衣、蓋因其意」。

[11]帯の一種と思われるが未詳。ただし、経は布の一種で、二種類の糸を一本に紡ぎあげて作ったものという。あるいはこれで作った帯のことか。民国『呉県志』巻五十一、物産二、帛之属、経「経読去声。合二絲為一、以軽車紡之成」。

[12]陝西省漢中府にある桟道。

[13]挑牌の仕組みについては、第八十四回の注参照

[14]宮中で使う薪、炭を管理する部署。宦官がその任に当たった。『明史』職官三・宦官「惜薪司、掌印太監一員、總理、僉書、掌道、掌司、寫字、監工及外廠、北廠、南廠、新南廠、新西廠各設僉書、監工倶無定員、掌所用薪炭之事」。 

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