第八十四回

童奶奶が計略を伝授すること

駱舅舅が幕僚を推薦すること

 

おかしや田舎者

目に一丁字なし

金で入るは国子監

急に北京に来たものの

西も東も分からずに

粗忽なことをしてばかり

もしも姑が

聡明で

正しい道を指し示し

人情を説いてなければ

ひどく焦って死にかかり

目玉が落ちていただろう

幕僚や大事な客を

自ら迎えようとせず

呼び出して相見え

一般人の扱いをして

官位を汚す

田舎者

紗の帽子をば返上し

もう一度田圃、畑を耕すがよい

 童奶奶は狄希陳に言いました。

「紗帽をかぶって役人になられましたが、少しも仕事はできないでしょう。あなたたち二人を遠くに行かせるのは安心できません。旅費がないのが心配でしたら、考えてあげましょう。家で四五百両の銀子を工面し、相大爺に五百両を出すように頼めば、千両になるでしょう。衣裳はすべて揃っていますから、ほかに買われる必要はありません。二十匹の生地を買ってもっておゆきなさい。ほかにもこまごまとした礼物として、二つの象牙の笏、四束の象牙の箸、四つの象牙の櫛、四つの象牙の仙人、仙鶴、獬豸、麒麟、斗牛の補子を、それぞれ二揃い、大きな犀帯を一つ買いましょう。それから、劉鶴の家の袷、香帯[1]を数本多めに買いましょう。これらを上司に送れば珍らしがられるでしょう。撒線のテーブル掛け、敷物、帳、刺繍をした掛け蒲団、刺繍をした袍、刺繍をした裙、刺繍をしたチョッキ、外套、湖鏡[2]、銅の火鉢、銅の花觚[3]、湖紬[4]、湖綿[5]、眉公布[6]、松江の綾絹、湖筆、徽墨、蘇州の金扇[7]、徽州の白銅鎖[8]、篾絲[9]の拝匣、南京の縮緬。すべて目録を作るから、南京に買いにおゆきなさい。今流行っているのは山東の山繭紬です。本物を十数匹買い、堂官と刑庁に送ることにしましょう。犀杯も四つ買わなければなりません。お香屋には二つの安息香、二つの黄香[10]の餅子を作ってもらいましょう。これで十分です。多くなると持ってゆきにくいですからね。領絹[11]も南へ買いにゆかれてください。北京では紗羅の涼靴[12]、天壇の靴を買いましょう。これで大小の礼物は大体揃います。南京に行かれ、さらに良い玉のかんざし、玉結、玉扣[13]、軟翠華[14]、羊皮金[15]を買い、小さい礼物の中に加えれば、奥方たちが喜ぶことでしょう。質屋の資金のうち五百両を相大爺にわたし、あの人から借りた五百両の銀子を返したことになさい。そうすれば、質屋に相大爺の五百両の資金があるということになり、相大爺と共同で仕事をしているということになります。相大爺が切り盛りをすれば、店はうまくゆきます。狄管家と開かせることにしましょう。劉姐も息子を連れ、川や海を越え、あなたについてゆく必要はありません。質屋は利息を稼ぎ、私たち母子は家で一緒に過ごすことにしましょう。あなたは役人ですから、しょっちゅう都に人を遣わすことでしょう。そのときは、必要な物をもってゆくことができますし、金を稼ぐ店があるということは、やはり便利でしょう」

 「狄管家夫婦があなたについてゆかないのなら、女房がいる下男を二人探さなければなりません。数両の銀子で全竈を買い、呂祥の嫁にすれば、役所に行ってご飯を作ることができます。酒宴を開くときも便利です。八九千里以上離れた所の食習慣がどのようなものかご存じですか。それから、十一二歳の小間使いを買って部屋で使うことにしましょう。あなたたち夫婦は家にいるのに、朝、昼に女たちを入れることはできないでしょう。故郷にいる薛奶奶は、行かせる必要はないでしょう。私は私の家の娘のことを思っているのではありません。うちの娘だってなかなかの強者ですから、あの人を恐れるわけがありません。しかしあの娘の伯父が言っていました。あなたの役所は狭苦しく、女の部屋でなければ役所と隣り合わせだ。一日中がやがやとうるさく、そのときはあなたは『豆腐が灰の中に落ちる−吹いても、叩いてもだめ』ということになるでしょう。必ず故郷を通ってゆかなければなりません。あなたはあの薛奶奶にも帯、通袖の袍を作り、二握の真珠で二つの挑牌[16]を作り、幾つかのかんざしなども作ってやらなければなりません。さらに、あの人の気に入った数匹の生地、玉簪、玉結のようなこまごましたものも幾つか買わなければいけません。こうしてこそ都に二三年住んで、役人に選ばれて帰る者らしくなるのです。あの人と一緒にゆかないなどとおっしゃってはいけません。道が遠くて、行くのが難しいなどと言ってもいけません。とにかくあの人と一緒に行きたいと言うことです。あの人が道が遠いと言ったら、『遠くはない。二千里と離れていないよ』と言うのです。あの人が道を歩くのは大変だと言ったら、『少しも大変なことはない。陸路を行くのなら轎に乗り、水路を行くのなら船に乗ればいい』『おまえを迎えにこず、都から直接赴任すれば、もっと近かったよ』というのです。一方で、呂祥と小選子に命じて、素姐さんに、道はゆうに一万里はあり、険しく、歩くのが難しい。長江の水は恐ろしく、桟道の下は底無しの谷川になっていて、足を滑らせて落ちたら、半月十日たっても底につかないという話しをさせるのです。そして、あなたは小者たちに、余計なことをいうなといい、口喧嘩をするのです。素姐さんは怪しいと思い、あなたとはゆかないでしょう。あなたは呂祥、小選子だけをつれてゆけばいいのです。狄周には故郷まであなたを送らせましょう。それから身の回りの荷物を持ってゆくといいでしょう。他の人とたくさんの荷物は家に持ってゆく必要はありません。このように遠い道は、陸路で旅してはいけません。必ず船を雇わなければなりません。張家湾で船に乗り、河西滸[17]からでも、滄州[18]からでもいいですから、陸路で故郷に行かれてください。済寧でも、船を泊めてあなたを待ちましょう。狄周はあなたを送った後、船で都に戻ってこさせます。私の考えは以上ですが、いかがですか」

狄希陳「素晴らしい、素晴らしい。もっと早く考えていただければ、心配をすることはありませんでしたのに。お言葉は版木で印刷をしたようなもので、これ以上かえる必要は少しもありません。おっしゃった通りにすることにしましょう」

 狄希陳は童奶奶に買うべき物を読み上げさせ、細かい目録を作り、北京で買うべき物は買い、南京で買うべき物は、下に「南」の字をつけました。目録に従って、まず薛素姐のために、帯、袍とその他の物を作りました。次に媒婆に命じて下男夫婦、全竈、下女を買い、周嫂児、馬嫂児を呼び、あちこちを探させました。彼らは四五歳の娘と一緒の夫婦を連れてきました。男は薄黄色で痩せた体をしており、年は二十七八で、山東の臨清州の人、名を張樸茂といいました。妻は黒い髪、白く太った綺麗な顔をしていましたが、大きな足をしていました。実家は羅といい、娘は利発な子で、三日の新月のときに生まれたので、勾姐と呼ばれていました。彼女は、継母の苛めに耐えきれず、腹を立てて都の親戚のもとに逃げようとしましたが、親戚が見付からなかったため、都をさまよい、自ら身売りしたのでした。身売り金は三両として、契約書を作りました。狄希陳も名字を変えず、下女として使いました。「来たばかりの嫁は三日はよく働く」といいますが、この夫婦はなかなかのものでした。

 翌日、二人の媒婆が十二歳の娘をつれてやってきました。その娘は髪を伸ばしはじめたばかりで、頭にはまだ頂搭が残っていました。そして、焦げ茶色をした数本の髪の毛で、なつめほどの大きさの小さな髷を結っていました。それは六七月の毬栗のようで、色も毬栗と同じでした。顔色は蕎麦粉のよう、鼻は低く、口は大きく、耳は灯明皿のようでした。さいわい足はあまり大きくなく、半分のシロウリほどの大きさしかありませんでした。借り物の黒い木綿の衫を着け、梭羅[19]を引きずり、借り物の赤い絹のスカートを、脇の下で結んでいました。二人の仲介者と彼女の母親が、おもてには彼女の父親がついてきていました。周嫂児はその娘を童奶奶に叩頭させようとしましたが、娘は叩頭しようとしませんでした。娘の母親は言いました。

「この娘は小さいときから甘やかされて育ち、まるで花のようです。こんなに大きくなるまで育てましたが、生活がひどく苦しいので、手放そうとしているのです」

童奶奶「この子は良くないね。不器量なのが気に入らないよ。もっと綺麗なのを選んでつれてきておくれ」

寄姐「器量不器量は関係ありません、お母さまの世話をするのに、綺麗な人が必要ですか。醜い人こそ家の宝ですよ[20]

娘の母親は言いました。

「この娘は醜くはありません。お金持ちの家で、臙脂や白粉を塗り、紬の木綿の衣裳を着け、一面錦をちりばめた鬘を戴けば、まるで絵から出てきたようになるでしょう」

寄姐「絵から出てきたようですって。正月に絵に描いて、門に貼るがいいよ[21]。幾らなのかおっしゃってください。交渉をしましょう」

娘の母親「値段は情況次第です。任地へ連れてゆかれるのとゆかれないのとは違いますし、家に残して使われるか、大きくなったら嫁にゆかせるかによっても違います」

童奶奶は寄姐に言いました。

「おまえ、どうしてこの娘を欲しがるんだい」

寄姐「お母さま、私に指図なさるのですか。器量か不器量かは私が決めます。綺麗な者は災いを起こすということを聞かれたことがないのですか。本当の売り値をおっしゃってください。私に指図しないでください。私はとにかくこの娘が欲しいのです」

母親「この子は今年十二歳になりましたから、一年あたり銀一両五銭を私にください」

寄姐「熱病に罹ったわけでもないでしょうに、そんなことをおっしゃって」

母親「奥さま、銀十八両が高いというのですか。応城伯の家ではこの子を妾にしようと考え、二十五両の銀子を出そうとしています。私はあの功臣さまとぐるになったりはしておりません。周さん、馬さん、御覧になられましたでしょう」

周嫂児「こちらは妾にされるわけではないのだよ。あんたのいう十八両は高すぎるよ。交渉を始めてください」

童奶奶「まずは銀二両としよう」

寄姐「二両では先方も承知しませんよ。四両にしましょう。私たちは都の人間で、任地に行こうとしているのです。勤めを終えたら戻ってきます。二人のご老人は家に残りますので、娘さんは連れてゆきません。家は私がいても、ひどく閑散としているのです。通房[22]にする必要はありません。十七八歳になったら、嫁にゆかせましょう。この値段で、売る売らないはあなた次第です。実を言いますと、私はこの娘が醜いのが気に入ったのです。自分と似ても似つかないものだからこそ、欲しくなったのです。絵に描いたような目鼻立ちをした綺麗な娘だったら、いりませんよ」

母親「奥さまは善良なお方ですから、お金のことなど考えず、娘のためによいご主人を探してくだることでしょう。奥さま、六両にしましょう。十二両おまけしましょう」

 媒婆は交渉の結果、銀五両で話をつけました。そして、娘の父親に代書人を探しに行かせ、家では媒婆と母子に食事をとらせました。ところが、食事中、娘の父親が文書も作らずに戻ってきて、中門を叩き、言いました。

「子供を連れてきてください。売るのはやめました」

二人の媒婆は急いで出ていって、言いました。

「こんなにいい家で、さしあげた銀子も少なくないのに、どうして態度を変えられたのですか」

父親「なにがいい家だ。おまえら媒婆は、尻の穴からも嘘を言い、少しも誠がないのだからな。表で人を探して文書をかかせてよかった。そうでなければ、子供を苦海に沈めているところだった」

寄姐「はやくその子をつれていっておくれ。売らないのならまだしも、このようにろくでもないことを言うとはね。さっさと家から出ていっておくれ」

二人の媒婆は女房に言いました。

「外でどなたの話しを聞かれて、そのような態度をとられるのですか。こちらは私たちとは数十年のおつきあいがある方です。私たちは錦衣衛の駱さまの家に住んでいるのです。こちらは駱さまの妹さんで、私たちは『姑奶奶』と呼んでいます。この狄の奥さまは姑奶奶の娘さんで、私たちは『姑娘』と呼んでいます。狄さまが役人になられたので、私たちは『狄の奥さま』と呼んでいるのです。狄の奥さまは、小さい頃から大きくなるまでずっと見てきましたが、本当に蟻もつぶさぬようなお方です。奥さまは蠍に刺されても、蠍を殺そうとはせず、箸で挟んで街に棄てさせるほどです。虱、南京虫があの方を噛んでも、潰そうとはなされないでしょう」

彼女の母親は娘を連れてゆき、二人の媒婆もついてゆきました。

寄姐「二人ともご飯を食べていないでしょう。彼女を送り、戻ってきたらご飯を食べてお帰りなさい」

 周、馬嫂児は彼女を送りだし、しばらくしますと、戻ってきて言いました。

「あいつの減らず口には腹が立ちます。あいつは代書人を探しにゆき、どこかのろくでなしの話をきいたのです。そのろくでなしは、私たちの家が、小間使いを買い、大きくならないうちに引き取って使おうとした、娘が拒むと、夫婦で彼女を殴り、縄できつく縛り上げ、半死半生にし、棺に入れて埋めてしまった、娘の母親がやってきてしばらく泣くと、察院に送ってしこたまぶってもらった、さらに、下役に銀子を払うことを約束し、娘の母親を追及させ、娘の家の土地、屋敷は売り払われ、一家は離散してしまった、と言ったのです」

童奶奶「これはひどい。とんでもないぬれぎぬですね。誰がそんなことを言っていたのですか。そいつと争いましょう。そうしなければ、二度と小間使いを買うことができなくなります。私は小玉児を使ったときも、五体満足に送り出してやったのですから、これは承服できません。お二人は先ほど彼らをしっかり問い質し、『だれの話を聞いたのですか。私たちはその人と争います』というべきだったのです。そして彼らが嘘を言っていることがわかれば、びんたを食らわせてやればよかったのです」

周嫂児「私たち二人は奴らに何度も尋ねました。しかし、奴らはまるで秦檜[23]のように言おうとはしませんでした。そして、一言『千両の銀子をもらっても、むやみに子供を売りはしない』といいました。私たちは糞のように臭い唾がないことを腹立たしく思いながら、女房、夫それぞれに唾を吐き掛けました。私たちは言いました。『子供を売らないのなら、あの人から出された食事を食べるんじゃないよ。』。すると女房は言いました。『契約書をかいてしまいましたが、亭主が人の話しを聞いてしまったものですから』」

寄姐「私たちの近くにはきっと悪人がいるのです。小間使いを買ったり、料理人を買ったりすれば、そいつはかならず害を及ぼすことでしょう。おじさんの家に話をしにゆきましょう。そのろくでなしが悪いことをしにゆくことができないようにしてやりましょう」

周嫂児たち二人は言いました。

「それは結構ですね。適当な人がいれば、話をしにゆきましょう。きちんと話をしたら、舅爺の家から人を遣わして話しをしにこさせてください。ろくでなしには寝言をいわせておきましょう」

童奶奶は人に命じてご飯を暖めなおし、彼ら二人に食べさせ、すぐに人を捜しにゆくように命じました。

「狄さんの赴任の期限が迫っています。それに、あの方は故郷にいってご先祖をお祭りせねばなりません。出発の日も近く、なかなか大変ですから、紹介料を多めにしましょう」

二人の媒婆は別れを告げて去ってゆきました。

 翌日の午後になりますと、駱校尉の家から小者の林鶯児がやってきて、言いました。

「周嫂児が料理人を見つけましたが、なかなかよさそうでしたので、姑奶奶を呼んで相談をしようとしております」

童奶奶は慌てて身繕いをし、驢馬を雇い、こっそり実家に帰りました。駱校尉は童奶奶を家に迎え入れますと、尋ねました。

「まだ料理人を買おうとしているのか」

童奶奶「婿が遠い道を行くのです。向こうの風土や食習慣がどのようなものか分かりませんので、人を探してご飯を作らせ、彼ら夫婦に食べさせてやるのです」

駱校尉「この小間使いをどこに落ち着かせるのだ。希陳さんの部屋に置くわけにもゆくまい」

童奶奶「呂祥の嫁にしましょう」

駱校尉「呂祥は知っているが、あの男は狄希陳さんとはどういう関係なのだ」

童奶奶「料理人です。むかし尤聡についてきたでしょう。尤聡が雷に打たれましたので、呂祥を探して、一年に銀三両の給料で雇ったのです。今、私たちの家にはご飯を作る人がいるので、小者として使っております」

駱校尉「お前は考えが万事しっかりしているが、今回狄希陳さんのためにしたことはよくないな。全竈を一人買うには、少なくとも二十数両の銀子が必要だ。全竈は家の者ではない。こんなにたくさんの銀子を使って呂祥のために嫁を捜して、どうするつもりだ」

童奶奶「呂祥には別に文書を書かせましょう。金はあの人の給料から差し引き、嫁取りの金額に達したら、女を呂祥のものにしましょう。金額に達しなければ、私たちの全竈ということにしましょう。いずれにしても、はやく呂祥の女房にしてしまいましょう。夫が良くなければ、夫を追いだし、女房を残すことにしましょう」

駱校尉「それはよくない。もう少しよく考えろ。急ぐのは禁物だ。呂祥は善人ではないと思うのだ。あいつはちびで、両目をきょろきょろさせている。善人の目の下に毛は生えていないものだ。[24]それに、あいつは勝手なことを言い、傍若無人のありさまだ。連れてゆくべきではないぞ。また狄希陳さんに害を与えるだろうからな。娘を探してあいつの嫁にすることを、あいつは知っているのか」

童奶奶「これは我々女たちがこっそり相談したことで、誰も話していません」

駱校尉「それならば、いっそのことそんなことはせぬ方がいい。昨日買ったあの女もご飯が作れるそうだ。狄希陳さんが故郷に着いてから、その土地の夫婦の召し使いを探せば十分だろう。呂祥はつれていってもいいし、連れてゆかなくてもいいだろう」

童奶奶「『一人では二人の知恵には適わない』といいますが、兄さんのおっしゃることはご尤もです。あの人に返事をすることにしましょう。とりあえず探すのはやめましょう」

童奶奶はしばらく腰を掛け、ご飯を食べますと、驢馬を貸す場所にゆきました。そして、驢馬に乗って家に帰りますと、駱校尉の言っていたことを寄姐、狄希陳に話し、全竈を探すのをやめました。

 呂祥は主人から直接説明を受けたわけではありませんでしたが、壁に耳あり障子に目あり、もちろん情報は漏れてしまいました。彼は事がおじゃんになったことを知りますと、とてもがっかりし、狄希陳に別れを告げて帰ろうとしました。狄希陳は、呂祥が故郷に行き、相旺のように素姐を唆し、全竈捜しが彼女によって目茶苦茶にされるのを心配し、彼を何度も引き止めました。彼は言いました。

「家には父母兄弟がおりますので、遠路を一緒に行くわけにはまいりません」

狄希陳に引き止められますと、彼はいいました。

「どうしても一緒に行けとおっしゃるのでしたら、一月に銀一両をください、閏月も計算に入れてください。まず半年の給料を私にください。衣裳を準備いたしますから」

狄希陳「どんなに道が遠くても、三両から十二両へと増やすわけにはゆかないぞ。六両の銀をやることにしよう」

呂祥は承知しませんでした。

童奶奶「八九千里お供するわけですから、十二両でも多いとはいえません。やってもいいでしょう」

呂祥「奥さまは人の苦しみをよくご存じです。遠くなければ、わたくしも争ったりはいたしません」

狄希陳はまとわりつかれましたので、すぐに六両の紋銀を払い、缸青[25]を買い、道袍と袷、靴下の類を作ってやりました。呂祥は小選子と張樸茂の前で腹を立て、言いました。

「料理人を探して俺の嫁にするといっていたのに、どういうわけか、態度を変えて、探すのをやめてしまった。あいつの家の運命はすべてこの俺が握っているんだぜ。この俺が故郷に行って、少しでも情報を漏らしたら、任地に行くものも任地に赴くことができなくなるし、奥方になるものも奥方になれないようになるだろう。天がひっくり返るような騒ぎを起こしてやるぜ」

小選子と張樸茂の女房は、奥へ行って童奶奶と調羮に話をしました。

童奶奶「男の見識は女よりも優れているものですね。希陳さんのおじさんは呂祥が善人ではないと言っていましたが、やはりその通りでした。もう少しで呂祥にひどい目にあわされるところでした。ただ、あいつの悪巧みは酷すぎますから、私にも防ぎようがありません」

その後、童奶奶が駱校尉に告げますと、駱校尉は鼻でせせら笑って、言いました。

「まったく問題はない。とりあえずあいつの言う通りにすることだ。時がきたら、あいつが口もきけず、悪さもできないようにしてやろう」

これは後の回でお話し致しますから、とりあえずお話はせぬことと致しましょう。

 ある日、駱校尉は狄希陳の家に行きました。小林鶯が黒い木綿の表、青い杭紬の裏地の帽套嚢をもっていました。駱校尉は帽嚢を受け取りますと、貂の皮の帽套を取り出しました。帽套は大きくて堂々としており、毛はふかふかとして、鴨の卵さえ隠せるほどでした。毛皮は黒貂でした。駱校尉は帽套を手にとって揮ってみますと、両手で捧げ持ち、自分でまず見てから、狄希陳に尋ねました。

「希陳さん、この帽套はいかがでしょうか」

狄希陳「とても綺麗な帽套ですね。都では数千百の帽套を見ました。兵部職方司の呉さんのものが綺麗でしたが、このように前も後ろも同じではありませんでした。あの人の帽套の後ろの部分は前の部分より悪いものでした」

駱校尉「貧乏なおじからは何も差し上げるものはございません、お祝い品はこの帽套だけです。ご自分で使われてください。他の人にあげてはなりません。本当のことをお話ししましょう。手元においてかぶられるぶんには、誰の帽套であろうとあなたのものには敵いません。しかし、人にあげ、ぼろを見付けられますと、鐚一文にもならないのです。この帽套は前と後ろが同じです。呉さんの帽套の後ろが前よりもよくないとおっしゃいましたが、物を見る目をお持ちですね。呉さんの帽套は三つの皮のうち一つ良い物を選んで前を作ってありますが、両側と後ろ側はあまりよくありません。この帽套は背骨の上の同じ毛皮を選び、細かいものを集めて、縫い合わせて作ったものなので、前と後ろが同じなのです。寄せ集めたものだということには、呂道賓、韓湘子でも気が付きませんから、人々は良い帽套だと言うことでしょう。しかし、人にあげ、気付かれてしまいますと、一発のおならほどの値打ちもなくなってしまいます。これは大変なもので、作るのに幾年も掛かるのです。希陳さん、これから帽套を作るときは、毛皮職人に用心されるべきです。彼らに良い毛皮を盗まれないようにしなければなりません。この帽套は、少なくとも銀一斤の価値のある贈り物ですよ」

狄希陳「おじさまに差し上げるものは何もございませんから、このような手厚い贈り物をお受けするわけには参りません。どうもありがとうごさいます。必ずお礼は致しましょう」

 駱校尉はさらに尋ねました。

「仕事はすべて片付いたのですか」

狄希陳「すべて目鼻がつきました。昨日憑科[26]に四両の銀子を与え、二か月余分に猶予をくれるように頼みました。まだ張家湾にいって船を雇っておりません。おじさま、お暇でしたら、数両の銀子をもち、時間を見付けて、私の代わりに一走り行ってきてください」

駱校尉「座船に乗るといいでしょう。数両の銀子を使って勘合を買えば、旅をするのは簡単です。四川にゆく船があるのなら、さらに便利なことでしょう。直通がないのなら、南京に行ってから雇われればいいでしょう」

狄希陳「船を雇うのは、おじさまにお願いし、承諾を受けましたから、この件は終わったようなものです。大事なのは幕僚を捜すことですが、まだ見つからないのでしょう」

駱校尉「これは難しいことです。どうしたらいいでしょう。あなたが大官で、お役所の仕事が多く、お金もたくさん入ってくるなら、二三百両で立派な人を頼まれれば宜しいでしょう。しかし、首領官のお役所は、仕事も知れたものですし、収入も知れたものです。ただ、銀子を惜しんで、いい人を呼ぶことができず、筆をとっても事務を処理できないようなら、呼ばない方がましですから、才能があり、値段もあまり高くはない人を呼ばれるのがいいでしょう。しかし、道が遠いのだけが難点です」

狄希陳「この件もおじさまが私に代わってなさってください」

駱校尉「これは相大爺に頼まれるべきです。あの人が付き合っている人に適当な人がいれば、推薦してもらうのがいいでしょう。私は人がいると聞かされても、その人が腹の中で何を考えているかは、分かりません。この北京城には、方巾を被り、絹物の衣裳を着け、自分はとても能力があると自慢してはいるものの、二三日逆さに吊るしても、教養の「き」の字も出てこないような奴がいるのです[27]。私はある人を思い出しましたよ。その人がまだ都にいるかどうかは分かりませんが、その人を訪ねてゆきましょう。その人が行くのを承知すれば、きっと役に立つでしょう」

狄希陳は尋ねました。

「何という姓、何という名で、どこの人なのですか」

駱校尉「その人を訪ねて話をし、その人がゆくといってから、お話ししても遅くはないでしょう。もしもその人に会えなかったり、その人が行こうとしなかったりすれば、話しをした意味がなくなってしまいます」

狄希陳は駱校尉を引き止め、酒とご飯をとらせました。駱校尉は別れを告げ、その人を訪ねてゆきました。

 実はその人は姓を周、名を希震、字を景楊といい、湖広道州の人で、同郷の郭威と付き合っていました。郭威は武進士に合格し、守備から始まって、広西の蛮族を征伐する総兵にまでなりました。周景楊は彼の幕僚となり、以心伝心の間柄でした。『自分が知っていることは、すべて語ってしまう』とは、まさにこのような間柄をいうのでした。後に苗族が反乱を起こしたとき、郭大将軍は軍機を誤りました。両江総督は文官でしたので、庇ってくれる人があり、職を失うことはありませんでしたが、郭大将軍だけは捕らえられ、都に送られました。郭大将軍が周景楊に別れを告げて去ろうとしますと、周景楊はこう考えました。

「長い間、富貴、安楽をともにしてきたのに、挫折があると勝手に去っていってしまうようでは、立派な男とはいえない。それに、あの方は武将だから、私のような文人が都についてゆかなければ、弁明の上申書を作るときも、人手がないことになってしまう」

そこで、道すがら故郷に帰ることもせず、郭大将軍とともに上京しました。郭大将軍は錦衣衛に送られ、尋問を受けましたが、上申書の言葉がきちんとしており、筋が通っておりましたので、「辺境に派遣する」罰を与えられただけでした。部の上奏文は承認されましたが、流刑地は定められていませんでした。後に、刑部が上奏文を提出し、郭大将軍を四川成都衛に充軍にし、彼を護送することにしました。郭大将軍は、心の中では別れたくありませんでしたが、周景楊を遠い蜀の地まで行かせるのは申し訳ないと思っていました。それに、流刑地では、彼に謝礼を出すこともできませんでした。ところが、周景楊は一緒に行こうとして、こう言いました。

「将軍さまは流刑に処せられましたが、大将としての体面があります。巡撫さまの役所でしばらく働かれれば、起用されることでしょう。これからも私と相談なされば宜しいのです。私は最後まで将軍さまのために尽くしたいと思っております」

このようなわけで、二人はお互いに考えが一致しておりませんでした。

 実は、郭大将軍が錦衣衛で尋問を受けているとき、駱校尉は、周景楊が一生懸命郭大将軍のために尽くしているのを見ていました。後に、駱校尉は、周景楊が郭大将軍の幕僚であることを知りますと、周景楊の義気に敬服し、彼と話をし、友人になりました。そして、彼を推薦し、狄希陳についてゆかせようとしたのでした。彼は周景楊が湖広道州会館に泊まっていることを聞きますと、恭しく彼の宿舎を訪ねました。周景楊はそこにいました。駱校尉は恭しい態度で、誠実に事情を話しました。周景楊は気前良く承知し、もったいぶったことは何も言いませんでした。

駱校尉「ご承諾を頂いたからには、はっきりした束修の額をお教えいただきたく存じます」

周景楊「私はおよそ十数年、郭大将軍に付き従い、幕僚をしていました。故郷には数畝の田地があり、家のことを心配される必要はありません。私が外地で一年間使う金額に足りさえすればいいのです。外地で数年我慢すれば、ご親戚は昇任、転任されるかもしれませんし、私の主人が赦免を受けたり、起用を受けることもあるかもしれません」

駱校尉「周さまは鷹揚で、長い目で物事をみてらっしゃるので、束修の額を交渉なさらないのでしょうが、何とぞ額をお示しください」

周景楊は尋ねました。

「ご親戚はお金持ちでしょうか」

駱校尉「以前は金持ちでしたが、最近、中書を買うために銀子を使い、手元が空になってしまいました」

周景楊「私はもともと郭さまについてゆくつもりだったのですが、ご親戚にもついてゆきましょう。八十でも、六十でも、五十でも、その方の好きなようにしていただければ結構です。私が幕僚になれば、数両の銀子を稼ぐのは、簡単なことです」

さらに尋ねました。

「ご親戚は山東城内にお住まいですか。城外にお住まいですか」

駱校尉「城外に住んでいます。村の名は明水といい、山紫水明の場所だということです」

周景楊「山河が美しいのなら、きっと人物も優れていることでしょう。城外に住んでいる方は、普通なら田舎臭さがあります。田舎臭い方とは、お付き合いすることはできません。ご親戚は、秀才の援例でしょうか。俊秀の援例でしょうか」[28]

駱校尉「府学生員の援例です。今、街道を管理し、工部主事をしている相さまは従弟にあたります」

周景楊「お出でいただいたからには、お引き受け致しましょう。成都では、ご親戚のあらゆる仕事を、断ったりは致しせん。しかし、私が郭さまのところへ行くこともお許しください。ご親戚と郭さまが一緒に行くことにしていただければなお結構です。ご親戚は家族を同伴されることでしょう。水路でしょうか。陸路でしょうか」

駱校尉「家族を連れ、水路を通ってゆくことに決めましたが、まだ船は雇っておりません」

周景楊「私も周さまにかならず家族を連れてゆくように勧めました。ご親戚の船に同乗するか、それぞれが船を雇うかは、改めて相談致しましょう」

駱校尉「狄希陳さんはお金持ちの子弟ですので、世間に出られたことがありません。私はあの人のことがとても心配で、安心することはできませんでした。今、周さまの腹蔵のないお話を伺いましたが、長いこと世間を回られ、郭さまともお知り合いでしたので、安心を致しました。とりあえずお別れしましょう。吉日を選んで、お願いをしに参ります」

別れてゆきますと、狄希陳に、周景楊の来歴、話したこと、約束をした束修の金額を逐一話しました。

 狄希陳は喜びましたが、八十両の束修の話しをしますと、少し躊躇して、言いました。

「うちの村の程先生のような立派な秀才でも、私と従弟の相覲皇、二人の義弟を教えたとき、一年にたったの四十両でした。一生懸命勉強を教え、僕からひどい目に遭わされたとはいえ、銀四十両はなかなかの大金でした。今回は程先生の二倍です。それに程先生の四十両の束修は、三つの家で出したものでしたが、今回は私一人が出すことになりますね」

駱校尉「道理であの人はあなたが城外に住んでいるか、城内に住んでいるか、秀才の援例か、無衣無冠の援例かと尋ねていたわけですね。あなたが田舎臭く、世間知らずであることを心配していたのですよ。また、四十両の束修で、程先生を呼ばれてはいかがですか。また二百両の銀子で、幕僚を呼ばれてはいかがですか」

狄希陳「ちょっと言ってみたまでです。おじさまがその人と約束をされたのでしたら、お金を払いましょう。いつ呼びましょうか。どんな人か見てから、家に置くことにしましょう」

駱校尉「おかしなことを言いますね。幕僚を呼ぶということは、村で作男を雇うのとは違うのですよ。相さんとどう応対したらいいものか相談をいたしますから、その通りになさってください。今は時間がありませんから、改めて相談することにしましょう」

 

最終更新日:2010118

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[1]原文「合香帯」。未詳。香帯は香木を用いて作った帯。明無名氏『天水氷山録』に厳嵩の家に「檀香帯六条」があったとある。『金瓶梅詞話』第三十一回にも「毎日騎着大白馬、頭戴烏紗、身穿五彩撒綫揉頭獅子補子圓領、四指大寛萌金茄楠香帯」とあり。

[2]浙江省湖州呉興県に産する鏡。清冽な湖で磨いたもので、映りがよいという。乾隆元年『浙江通志』引『西呉枝乗』「鏡以呉興為良。其水清冽、能発光也。最馳名者薛氏」。『崇禎烏程県志』「湖之薛鏡馳名。薛杭人而業於湖、以磨鏡必用湖水。郡旧有靖坑工人鋳鏡、得訣。大小方円、照鑑若一」。

[3]許之衡『飲流斎説瓷、花觚』「口大腹小者謂之花觚」。口が大きく、腹の小さい瓶。

[4]浙江省湖州に産する紬。菱湖で生産されるものがよいとされるという。『浙江通志』引『万暦湖州府志』「有水紬、有紡絲、紬出菱湖者佳」。

[5]湖縐から類推して、湖州に産する木綿と思われるが未詳。

[6]松江産の木綿布。清葉夢珠『閲世編』巻七「棉花布、吾邑所産、已有三等、而松城之飛花、尤墩、眉織不与焉」。

[7]扇は蘇州の名物。金や白のものがあり、細工が緻密なのだという。『蘇州府志(光緒九年)、物産、扇』「或金或素、最細巧、郡城所製、扇骨亦極工」。

[8]白銅で作った首飾りのようなものであろうが未詳。

[9]竹の繊維を糸状にしたもの。

[10]梅の一種。宋范成大『梅譜』「百葉緗梅、亦名黄香梅、亦名千葉香梅。花葉至廿余、瓣心色微黄、花頭差小而繁密、別有一種芳香、比常梅尤穠美、不結実」。餅子はこれを丸い塊にしたもの。

[11]未詳。領圏の誤りか。領圏は金銀宝石などで作った婦人用の首飾り。絹と圏は同音。

[12]草、棕櫚などで編んだ夏用靴。清曹庭楝『養生随筆』巻三「陳橋草編涼鞋。質甚軽、但底薄而松。湿気易透、暑天可暫着。有椶結者、椶性不受湿、梅雨天最宜」。

[13]玉の帯扣。帯止め。

[14]未詳だが、翠翹と同じものと思われる。翠翹はカワセミの羽で作った簪で、歩くと揺れる。

[15] 金箔を貼った羊皮。刺繍に用いる。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』六百六十九頁参照。

[16]挑排、珠子挑牌、挑珠牌、挑牌結子とも。鳳冠につける飾りで、真珠を貫き通して作り、鸞鳳の口から垂らす。

[17]直隷順天府の運河沿いの地名。張家湾から東南に四十キロほどの地点にある。

[18]直隷河間府。

[19]手織のうすぎぬ。

[20]原文「醜的纔是家中宝哩」。醜女のことを「家中宝」という。『包待制智斬魯斎郎』楔子「別尋个家中宝省力的渾家」。王学奇主編『元曲選校注』に「今北語仍有『醜婦近地家中宝』之説」とあり。『金瓶梅詞話』第九十一回にも「常言醜是家中宝」とあり。

[21]中国では、正月、凶悪な顔をした神荼、郁壘の二門神の絵を門に貼り、魔除けとする。

[22]通房丫頭。妾と女中の中間の地位にある女性。

[23]原文「秦賊」。おそらく秦檜をさすと思われる。『宋史』巻四百七十四の伝によれば、秦檜は陰険で、人から非難されてもほとんど反論しなかったが、必ずその人物を陥れたという。「李光嘗与檜争。論言頗侵檜。檜不答。及光言畢、檜徐曰、李光無人臣礼。帝始怒之。凡陥忠良、率用此術」。

[24] この部分、相術書に出典があるかと思われるが未詳。

[25]未詳。染料、またはそれで染めた布地をいうか。

[26]通行証を発行する部署。

[27]原文「倒吊了両三日、要点墨水児也没有哩」。「逆さにしても、一滴の墨も出てこない」。「肚裏有墨(腹の中に墨がある)」は「教養がある」の意、それと引っかけた洒落。

[28]清代、文官は、科挙合格者だけでなく、捐納をした生員からも任用された。また、生員でない者も、捐納をすれば、俊秀と称され、官職を得ることができた。 

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