第八十三回

三千両を費やして中書の地位を買うこと

一階級降格されて地方の官吏となること

 

人々の生活は

影で鬼神が決めたまふ

招かずともすぐやつてきて逃がれることぞあたはざる

帳簿にしつかり記されて

少しも間違ひありはせず

成都府で幕僚となりたるは

明らかに河伯の言ひし通りなり

コネ使ひ、良き官爵を求むることは許されず

謀りごとは無駄となり

むなしく捨つる三千両  《酔落魄》

 狄希陳は、劉振白との裁判をおえました。彼はたくさんの銀子を使い、さんざんひどい目に遭い、北京城は住みにくいところだということに気が付きました。そこで、父母の喪が明けますと、部に赴き、選任を待つことになりました。喪に服していた時期は、選任を待っていた時期と重なっていました。喪が明ける頃になりますと、年数を経ていましたので、真っ先に彼が選ばれることになっていました。彼は幼いときの水神の言葉通りになることを恐れました。四川成都府に選ばれるとなれば、七八千里の遠い道のりですし、長江、三峡を通っていくのは、とても恐ろしいことでした。知り合いを吏部にいかせ、尋ねてみますと、今回の大選では、七人の府経歴の空きがあるとのことでした。本省人は選ばれない山東の二つの空き以外に、南直隷の常州、浙江の金華、北直隷の河間、真定、河南の南陽がありました。いずれも近くのいい土地でした。狄希陳は、心の中で喜びました。

「この五つの土地なら、どこでも構わない。四川の成都府にいきさえしなければ、運がいいというものだ」

 ある日、吏部にいって点呼を受けていますと、ちょうど駱校尉が湖広への出張から戻ってきました。彼は湖広の品物を持って、童奶奶と狄希陳に会いにきたのでした。彼は狄希陳が役人に選ばれたことを知りますと、口を開いて話をしようとしました。すると、狄希陳が吏部から戻ってきました。彼は挨拶をして席を薦め、酒を出してもてなしました。酒を飲んでいますと、

駱校尉「愚見ですが、狄さん、あなたはこの官職につかれるべきではありません。府の経歴は、あなたに勤まる仕事ではありません。あなたはお金持ちの坊っちゃまで、わがままな性格です。明水鎮に住まれているときは、人々はあなたを仰ぎ見ていました。あなたは借金をされていませんでしたし、税金も納めていました。門を閉じて腰を掛けていれば、誰もあなたに悪いことをしようとはしませんでした。しかし、首領官になれば、上には知府、同知、通判、推官がいます。彼らは、あなたの姑のようなもので、毎日、あなたと顔を合わます。あなたは、いつもこれら四人の上司を仰ぎ見ていなければなりません。たとえおべっかがうまかったとしても、四人の上司は、良い性格だとは限りません。三人があなたと仲が良くても、一人はあなたとは話が合わず、あなたをひどい目にあわせることでしょう。役所に住まれても、首領官の住むところなど、心地好い場所ではありません。刑庁とも隣り合わせです。あなたは大きな声で話しをしたり、大きな咳をしたりすることもできません。あなたが人の口を押さえたり、人をぶとうとされなくても、板子の響く音が聞こえてくることでしょう。故郷で秀才、監生をしているときは、相手が尚書閣老でも、お辞儀をし、揖をし、大宗師と呼びさえすればよいのです。しかし、首領官になれば、人のことを旦那さまと呼び、叩頭しなければなりません。あなたが立ち上がっても、相手は揖すら返しません。お役所と刑庁との間に少しでもうまくいかないことがあれば、筆をとってさらさらと、悪い評語を書かれます。また、巡撫、巡按による勤務評定など、嫌なことばかりあります。これは辛い仕事です。体裁などお構いなく、この役人になったら、ぺこぺこして、数両の銀子を稼ぎ、家族を養わなければなりません。希陳さんがこの職につこうとするのは、名誉を得るためですか。利益を得るためですか。名誉を得たいといっても、ぺこぺこするわけですから、何の名誉にもなりません。利益を得たいといっても、あなたは借金をしているわけでもないのでしょう。先ほどおっしゃった幾つかの土地のうち、北直隷は近くですが、ほかは遠い所ばかりです。私が考えて差し上げましょう。利益を求めず、名誉だけをもとめるなら、金を払って中央官になられることです。銀子が払えるのでしたら、いっそのこと中書になられれば、体裁もいいでしょう。銀の帯に鸂繐の補子[1]を付け、拳大の帖子を書いて人々に挨拶をし、「欽差」という札を先頭に外に出、巡撫、巡按とも対等です。繍江県では、あなたは初めての中央官です。それに今では新たに捐納が募集されており、中書は太僕少卿を加えられます。いっそのことさらに数両の銀子を払い、肩書きを加えれば、金の帯に黄色い傘で、馬に乗り先払いをつけることができます。こうすれば、経歴よりいいですよ。金を払うのが惜しいとおっしゃるのなら、使う金を数両少なめにし、光禄署丞[2]、鴻臚序班[3]か何かを買われれば、首領よりはずっとましです。しかし、この二つの職にはなかなか選任してもらえませんし、買うのも大変ですから、やはり地方に県丞、主簿に転任していかなければならないことになるでしょう。中書が一番です。銀子を納め任命が認められれば、地方回りをさせられることもありません。ほかの金を納めて中書になろうとしている人たちは、あまり援助を受けていないようです。現在、相大爺が都にいらっしゃいます。相大爺の三百名の同年はすべてあなたの友達です。とにかく、錦を身に着け、鞍に跨り、房のついた牙牌[4]をひきずり、毎日これらの人々と交際して宴席に招かれれば、見栄えがいいではありませんか。相大爺は名望がありますし、将来は吏部に転任されるか、兵部に転任されるかするでしょう。年を経れば、中央の役所に転任し、都に住むこともできるでしょう。このような良い後ろ盾がいれば、中央官はいとも簡単に手にはいり、二代前までのご先祖が貤封[5]を受け、亡くなったお父さま、お母さまはどちらも七品の封誥を受けられます。ご自身が賜った恩典を旦那さま、奶奶に移封されようとされるなら、これは三代が陛下の恩恵に服することになります。あなたは銀子をたくさん持ってらっしゃいますし、あなたの山にはたくさんの石がありますから、鎮にも、城内にも、雲を突くような牌坊を二つ建ててもらえます。これも有名になった甲斐があるというものです。申し上げた通りでしょう。よくお考えになってください」

 駱校尉が話しをしますと、狄希陳は心も晴れ晴れとして、耳や頬を掻いて跳びはね、すぐに中書になりたくてたまらなくなりました。童奶奶は金を払って中央官になるという話をききますと、寄姐を遠い地方の任地にいかせなくてすみますので、しつこく唆しました。狄希陳はさらにおじ、従弟と相談しました。

「駱校尉のいうことは、とてもいいことだ」

狄希陳の財産なら、なることができるだろうと考え、手放しに賛成こそしませんでしたが、面と向かって阻みもしませんでした。狄希陳は考えを決めました。彼は吏部の選任を待つのはやめにし、上申書を送り、中書の職を買うことにしました。正月前に運んできた四千両を、すべて出しますと、諸費用にするにはちょうどよい額でした。銀子を納めますと、庫房の領収書を貰い、吏部に文書を提出しました。そして、その日のうちに上奏が行われました。三日足らずで、命令が下り、武英殿の中書舎人を授けられました。

 吉報を届ける乞食たちは、二三十人ばかり、一斉に家にやってきて、大騒ぎをしました。

「狄さまが高い地位に就かれたのは、大変めでたいことです。まずはそれぞれに一匹の大紅の雲紵を掛け、お祝儀を下さい」

さらにわめきました。

「はやく酒席を設けてください。役者を呼んでもてなしてください」

そして、狄希陳の家からすぐに返事がないのに腹を立て、門や窓を叩き、椅子を叩きました。彼らは喜びを怒りに変え、大声で罵りました。狄希陳は、びっくりして、ますます顔を出すことができなくなりました。人々は狄希陳が出てこないので、ますます乱暴を始め、罵ったり、家具を壊したりしました。さらに、最もろくでなしの乱暴者を幾人か選びました。彼らは衣装を脱ぎ、網巾をとり、髪の毛をざんばらにしました。そして、瓦で頭を引っ掻き、顔中を血だらけにし、母屋に横たわると、ひたすら叫びました。

「狄中書が人殺しをしたぞ」

通りにいた数千の人々は、門を取り囲んで見物をしました。童奶奶は、小選子に命じて、駱校尉を呼んできますと、彼らを追い払わせようとしました。彼らは救援を求めにいく使いが遣わされることを知りますと、中門を堅く閉めました。一人の小選子はもちろん、十人の小選子でも飛び出ることはできなかったでしょう。童奶奶は、まず五両の銀子を封にしましたが、彼らは面子を潰されたと考え、ますます乱暴をしました。そして、まずは千両を要求しました。しかし、実際には、八百両がほしいと思っており、さらに譲歩すれば、最低では五百両はもらいたいと思ってました。

「この金額通りにしなければ、財産がなく、この世に未練がない者に、あんたの家で死んでもらい、財産を奪い、人命事件の裁判を起こすぜ」

童奶奶が五十両と四疋の赤い生地を与えるといい、自ら出てきて彼らに懇願しますと、彼らはますますいい気になりました。脅したり、宥めたりした結果、各人十両、二十七人で二百七十両ということにしました。また、彼らの中には「大将」と呼ばれる者が二人おり、彼らには十両ずつ余計にだすことにしましたので、全部で二百九十両払うことになりました。狄希陳はそんなにたくさんは出せないといいますと、彼らはどうしてもこの金額を手に入れようとし、今まで通り大騒ぎをしました。

 家中が手をこまねいていますと、ちょうどいい具合に、相主事が先触れの声を響かせながらやってきました。彼は入り口をたくさんの人が取り囲み、わめき罵るっているのをみますと、馬から降り、広間に入りました。そこでは、二三十人の悪漢が悪さをしていました。実は、工部の、街道を管理する役人と五城[6]はすべて相主事の管轄でしたので、各宿場の総甲たちが相主事を代わる代わる送り迎えしていたのでした。相主事は尋ねました。

「こいつらは何者だ。どうしてこんなことをしているのだ」

ごろつきどもは、相主事が街道になったことや、甲科[7]の部属[8]であることを知りませんでした。そして、売官をしたろくでもない役人だと思い、まったく相手にせず、こう言いました。

「皇帝だって吉報を届けたものをぶたないものだ。尚書、閣老、六科、十三道[9]の長官は、十年間苦しい勉強をし、十四編の文章[10]を書き、苦労をして役人になれたのだから、俺たちが吉報を届けたら、数百両を褒美としてくれるはずだ。おまえは何もせずに、このような良い官職を得たのだから、五六十両の銀子を褒美としてくれるべきだ。我々が『鳳儀韶舞』に知らせを届けたら、俺たちに数十両の銀子を謝礼としてくれたぞ。おまえが『鳳儀韶舞』にも劣るというわけはあるまい」

相主事は長班に尋ねました。

「『鳳儀韶舞』とは何だ」

長班「役所にいる役者のことだ」[11]

相主事は怒って

「何と憎らしいのだ。表門の番をしてくれ。一人たりとも外に出すことは許さぬ。人に地方、総甲を呼んでこさせよう」

ごろつきたちは言いました。

「腹を立てられてはいけません。お体に毒です。治療にお金が掛かりますよ。銀子を無駄にし、金を使っても体が回復しなかったら、惜しくはありませんか」

さらに他のものが言いました。

「へっ、表門の番をするとはね。揖をして、哀れみを請い[12]、我々に出ていってくれというのか」

長班はごろつきたちが勝手なことをしているのを見ますと、怒鳴りつけました。

「犬どもめ。目を開いてよく見てみろ。こちらは街道工部の相さまだぞ。乞食どもが何をいうか」

 ごろつきたちはそれを聞きますと、互いに顔を見合わせました。そして、髪の毛を調え、帽子を被り、木綿の衫を羽織りますと、外に走っていこうとしました。しかし、表門は閉まっており、出ることはできませんでした。

相主事「皆を呼んできてくれ」

ごろつきたちは最初の元気はどこへやら、一斉に中庭に跪き、一生懸命叩頭をしました。そして、お怒りをお鎮めくださいともいわず、ひたすらお役人さまどうか命をお助けをと言いました。

相主事「おまえたちごろつきはすべて殴り殺すべきだが、全員を罰するのはやめよう。首謀者の名を挙げれば、他の者たちは許してやろう。しかし、首謀者の名を挙げなければ、兵馬司に送り、それぞれ三十回板打ちにしてやろう。四人を同じ枷に掛け、二か月枷に掛けて晒しものにすることとしよう」

乞食たちは帥先行という首領の名を挙げました。

相主事「おまえたちは大勢だから、首謀者は一人だけではあるまい。もう一人挙げれば、許してやろう」

彼らは互いに罪をおしつけあい、もう一人の名を挙げました。古会という者でした。相主事が指図をしていますと、総甲がやってきました。

相主事「地方なのにごろつきどもが悪さをするのを許すとはな。おまえのような総甲は役には立たん。首謀者の帥先行、古会を南城の兵馬司に連行し、監獄に入れよ。令状が発せられ、尋問が行われるのを待つがよい。そのほかの従犯は、追い出すがよい」

 ごろつきたちは地面に跪き、旦那さまと叫び、ぽんぽんと頭を地面にうちつけながら、ひたすら叫びました。

「狄さま、どうか哀れと思し召し、執り成しをしてくださいまし。私どもは目玉のない目くらでございました。狄さま、私どもと争われないでくださいまし。狄さま、これはこれはおめでたいことです。ゆくゆくは入閣されて宮保になられることでしょう」

童奶奶も一生懸命狄希陳に出てくるように勧めました。相主事に彼らの許しを請い、乞食たちを兵馬司に送るのを免除し、十数両の銀子を報酬として与え、釈放してやろうというのでした。狄希陳はようやく広間に出ました。乞食たちは狄希陳を迎え、ひたすら叩頭してお願いをしました。狄希陳は広間にきて揖をしました。

相主事「狄さん、すこしおかしいですね。乞食どもが勝手なことをいって罵っていたのに、どうして知らせてくださらなかったのですか。私が出てこなかったら、こいつらはおとなしくしようとはしなかったでしょう」

狄希陳「実に憎たらしいことです。奴らは門を遮り、人が出ていくのを許さなかったので、あなたにお話しすることができなかったのです。奴らは勝手なことをしていたのですから、彼らを処罰して当然ですが、無知な小人たちなのですから、許してやりましょう」

相主事「何をおっしゃるのですか。あいつらは私にすら勝手なことをしたのですよ。長班が怒鳴りつけなければ、彼らはどれだけけしからんことをいっていたか分かりません。『鳳儀韶舞だって数十両を褒美としてくれたのだ。鳳儀韶舞にも及ばないわけはあるまい』とか、私のことを『人のために腹を立てられてはいけません。体に毒です。金を失ってもあなたに弁償する人はいませんよ』といいました。このようなことをいわれれば、腹が立つではありませんか。二人を枷に掛けて殺さなければ、あいつらも怖がりはしないでしょう」

人々「私は死んで当然です。どうかお役人さま、私を許して下さいまし」

 狄希陳は童奶奶の指示を受け、一生懸命彼らのために許しを請いました。相主事もだまされた振りをして寛大な態度をとり、こう言いました。

「とりあえず尋問を行うのはやめよう」

人々はまるで数万両の黄金を拾ったかのように喜び、まず相主事、次に狄希陳に向かって、千八百回叩頭し、八万四千回念仏を唱え、外に出ていきました。すると、狄希陳が

「ちょっと待ってくれ」

といい、家から十両の銀子を持ってきて、乞食たちに酒を買って飲ませました。ごろつきたちは身動ぎもせず、こう言いました。

「狄さま、いただくわけには参りません。犬でさえ恩義に報いることを知っています。私たちは犬にも及びません。狄さま、お気遣いは御無用です」

相主事は笑って

「口の減らない奴らだ。先ほどは『鳳儀韶舞』にも劣るといっていたのに、今度は犬にも劣るというとはな」

奥から銀子の包みが運ばれてきますと、ごろつきたちは何度も遠慮をしてから受けとり、相主事、狄希陳に感謝し、雷のような歓声をあげて去っていきました。狄希陳は相主事を引き止め、奥でご飯を食べさせ、謝恩、朝見、赴任、閣老への謁見などについて相談しました。

 相主事は別れて帰っていきますと、狄希陳は慌てて円領、朝冠、幞頭、紗帽、銀帯、革靴を作り、玎璫[13] 、錦綬を買い、儀仗の傘、扇を作りました。また、寄姐のために筒袖の袍、白銀の帯、真珠と裴翠の鳳冠を作り、霞佩を買いました。さらに、拝帖書弁[14]、四人の長班を雇いました。中書科に赴任の告示を出し、表門に、腰掛けたり、寝そべったり、騒いだりすることを禁ずる告示、内府中書科の、真紅の地に藍で字が印刷された封じ紙を貼り、鴻臚寺[15]で名前を報告し、謝恩と朝見をし、その後で着任しました。

 そこへ六七人の裁縫師がたくさんの錦の礼服、寄姐の衣装を作って引き渡しにきました。銀の帯、鳳冠などはすべてできあがっていました。一つ一つ試着してみようとしますと、駱校尉がやってきました。茶を飲み終わりますと、駱校尉は脇にたくさんの作り終わった衣服がおいてあるのを見て、尋ねました。

「服は全部できましたか。試着はしましたか。体にぴったりでなかったら、仕立て屋が表にいる間に修理させましょう」

狄希陳もそのように考えていました。彼はうきうきとまず円領を着ようとしました。

駱校尉「官服を着るときには一定の順序があります。靴も履かず、官帽も被らないうちに、赤い円領を着けては、劇が始まるときに登場する末のようです。まず靴を履き、官帽をかぶり、その後で円領を着けるのです。良く覚えて、人に笑われないようにしなければいけません」

狄希陳は円領を一つ一つ試着しますと、まず靴を脱ぎ、官帽をとり、その後で円領を脱ぎました。駱校尉は笑っていいました。

「本当におかしな人ですね。どうして円領を脱がずに、まず靴を脱ぎ、官帽をとられたのです」

狄希陳「まず靴を履き、次に紗帽を被り、円領を着けろとおっしゃっていたでしょう。どうしてそうするのがいけないのですか」

駱校尉「着るときはそうだといいましたが、脱ぐときはそうだとはいっていません。まず円領を脱ぎ、頭巾をもってきて官帽とかえ、最後に靴を脱ぐのです。相大爺がどのように着るかを御覧にならなかったのですか」

狄希陳「あの人は大きな圏子[16]を着けていました。わたしは心の中で思いました。これをどうやって腰に着けるのだろう。まさか頭の上から下に嵌めるわけではあるまいな。足元から上にあげて腰を縛るわけでもあるまい。私は帯を見ただけで、あの人が衣裳を着けるところは注意して見ていませんでした。長班が何やら帯をねじると帯がとれるのは見たことがありますが、腰に掛けるとき、どのように結ぶのかは分かりませんでした。しばらく見ますと、ようやくこの帯の仕組みが分かりました」

駱校尉「よく分からないのなら、じたばたされてはいけません。長班は四人しかいません。長班に任せなさい。何も面倒なことはありません。朝服、祭服の方がもっと面倒です」

童奶奶「兄さんは本当に頭がいいですね。うちには役人になった人はいませんが、兄さんは何でもご存じですね」

駱校尉「うちには役人になった者はいないが、わしはたくさんの役人を見ている。錦衣衛の役所では、一年に少なくとも千百人見ているぞ」

狄希陳は笑いました。

「一人の男が川炒鶏[17]を食べ、とてもうまいといいました。すると、脇から一人の小者が口を挾みました。『鶏と一緒に数十個の栗[18]を炒めれば、もっとおいしいでしょう』。その男は尋ねました。『おまえは食べたことがあるのか。』。小者はいいました。『兄の話を聞いたことがあるのです』。『おまえの兄さんは食べたことがあるのか。』。『私の兄は書吏からきいたのです』。『書吏は食べたことがあるのか。』。『書吏はお役人さまがおいしいというのを聞いたことがあるのです』」

駱校尉は顔を真っ赤にして、言いました。

「いい方だと思っていましたが、婿どのは私をからかいましたね」

狄希陳「役人がこのように着ているのを見たことがあるとおっしゃるので、冗談を申し上げたのです。からかったわけではありません」

寄姐「やめてください。見たことがあるのはまだいいことです。見たこともないよりはずっとましです」

狄希陳「おまえ、文句を言わないでくれ。鳳冠、霞帔、通袖、袍帯は、着たことがないのだろう。逆さに着るんじゃないぞ」

寄姐「あんたとは違いますよ。逆さに着ることなどありませんよ」

狄希陳「馬鹿にしないでくれ。轎に乗る人は顔を外に向け、お尻から中にはいるものだ。頭から入っていく人など見たことがないよ」

寄姐「関係ありませんよ。私は人とは違いますから、そのようにするのです。それのどこが悪いです」

狄希陳「そうだ、そうだ。おまえのいう通りだ。空も暗くなろうとしているし、おじさんがきたのだから、はやく酒をもってくるようにいってくれ」

寄姐はようやく厨房に戻り、テーブルを置き、料理を並べ、駱校尉を呼んで酒を飲ませました。狄希陳は酒席を準備し、童奶奶、寄姐の二人はお相伴をしました。起更の頃まで酒を飲みますと、駱校尉は家に帰ろうとしました。狄希陳と童奶奶は何度も引き止めました。

駱校尉「もう遅くなりました。お酒もたっぷりいただきました。希陳さんは、謝恩のため、五更に起きなければなりませんよ。この頃は、天子さまは朝早くから仕事をされています。早めにいかれ、朝房[19]に腰掛けてしばらく待たれるとよろしいでしょう」

駱校尉は固く断わって帰りました。

 狄希陳は無衣無冠の身から役人となり、寄姐は七品の中央官の夫人に、童奶奶は中書の姑となりましたので、心の中で喜びました。調羮は厨房で駱校尉をもてなし、しばらく忙しくしました。数杯の酒を一緒に飲む暇もありませんでした。そこで、ふたたび食器を整え、宴会を開き、みんなで食事をして楽しみました。小さな杯では飽き足らず、杯を大きなものにかえました。ここ数年、何度も酒を飲みましたが、今回ほど愉快な酒はありませんでした。楽しく酒を飲み、みんなで泥酔しました。三更の終わりまで飲みますと、ようやく解散になりました。酒と色の二文字は切り離せないものです。狄希陳は寄姐と一緒に床に就きますと、酔いに乗じて、どうしても例のことをしようとしました。酒に酔って疲れた人々は、横になるとすぐに眠り、朝廷にいって天子さまに礼を述べることを忘れ、栩栩園に蝶をつかまえにいってしまいました[20]。童奶奶と調羮がすこしでも目を覚ませば、彼らを呼び起こすこともできたのでしょう。しかし、彼らはみんな酒に酔い、宵っ張りをしていましたので、栩栩園に遊びにいってしまいました。呂祥、小選子は、奥で主人が酒を飲んで眠らなかったため、先に眠るわけにもいかず、三四更までじっとしていました。主人が一家で酒を飲みはじめますと、下男もぼんやりと口を開けて待っていようとはしませんでした。小選子は奥に行き、大瓶一杯の酒、お碗一杯の酒肴を盗んできて、勝手に食べ、眠る準備をし、陳摶の弟の「陳扁」になってしまいました。[21]

 五更になりますと、四人の長班がやってきて門を叩きました。ところが、狄希陳の家の門の扉は、細柳営の城門よりも固く閉じられていました。五更三点まで、四人の男は八本の手を腫らしながら、かけらで小山ができるほど、煉瓦で門をたたきました。小選子は夢から覚めますと、目を擦りながら門を開けました。

長班「どうしたのですか。こんなにぐっすり眠ってらっしゃるなんて。まずいですよ。もうすぐ夜が明けます。はやく宮中に行かれてください」

馬に鞍を付け、提灯に火を灯しますと、今度は中門を叩き、人を呼び起こしました。門を開け、髪梳き洗顔を終えたころには、東の空がすっかり明るくなっていました。

「どうしましょう。まったくとんでもないことです」

狄希陳を助けて馬に乗せ、飛ぶように走り、長安街に行きますと、人々はすでに朝見を終えて出てきていました。

狄希陳「参内に遅れてしまった。明日、改めて参内しても差し障りないか」

長班「旦那さま、何をおっしゃるのですか。早く人を探して文書を書き、文書を上程して罪を認めることです。もしも旦那さまの運がよければ、半年、数か月の減給ですみます。これで十分です。参内される必要はありません。どうかお戻りください」

急いで中書科に行き、文書を作る人を呼んできますと、五更に参内するため早起きしたが、馬の目が霞んで、転んで足を怪我してしまい、陛下の恩徳に謝することができませんでした、罪を認めて許しを請いますと嘘をつきました。書吏はその通りに文書を作り、翌日会極門[22]から参内しました。

 実は、鴻臚寺[23]は、その日すでに科道[24]に会い、狄希陳の話をしてしまっていました。狄希陳の上申書に厳しい命令を下し、とりあえず一級降格して地方官とすることにしました。命令が下されますと、家中の人々はがっかりし、晩に酒を飲んだことを後悔しました。楽しみが極まり悲しみが生じるとはまさにこのことでした。相棟宇、相主事は腹を立てましたが、何も言いませんでした。しかし、駱校尉はやってきますと、妹を恨み、甥に腹を立て、自分の顔を殴り、呪い罵って、こう言いました。

「わしには酒を飲む癖があり、がつがつ食べる癖もある。希陳さんが五更に参内するために早く起きなければならなかったのに、わしは腰をおろし、がつがつと食べて動かなかった。実に恥ずかしいことだ。わしはろくでなしだ。あの人に官位を買うように勧め、数千両もの銀子を損させてしまった。いったいどうしたものだろう」

 狄希陳は首の骨が折れたかのように、俯いて黙ってしまいました。

童奶奶「兄さんとは関係ありませんのに、そんなに焦られるなんて。兄さんが中央官を買わせたのは良いことです。人に危害を与えたというわけでもないでしょう。兄さんが起更前に、帰っていかれたことも、悪くはありません。兄さんが帰られてから、家であらためて酒を飲んだのですが、飲みすぎてしまったのです。四更近くに眠り、眠ったら起きることができなくなってしまったのです」

駱校尉「婿どの夫婦は、若くて善悪を弁えていないのだから仕方ない。しかし、おまえは真面目で、しっかりした考えを持っていたはずだ。どうしてそのようなことをしたのだ」

童奶奶「何をおっしゃるのですか。魔がさしたときは仕方ないでしょう」

狄希陳「私は承知しませんよ。私たちからあれだけの銀子を騙しとって、一日も役人をさせてくれないなんて。とにかく銀子を私に返してください」

駱校尉は鼻で笑うと、言いました。

「なかなかいい性格をしていますね。朝廷はあなたの父親のようなもので、あなたの話には従わないでしょうよ」

童奶奶は尋ねました。

「一級降格されて地方官になるというが、何の役人に降格されるのだろう」

駱校尉「従七位から正八位に落とされるのですから、県知事、府の経歴、按察司の照磨[25]でしょう」

狄希陳「県丞に降格されれば、結構なことです。僕は昔、県の臧主簿が扁額を掛けにきてくれたのを見たことがありますが、なかなか威厳がありました。県丞は主簿より偉いのですか。[26]

駱校尉「府の経歴もつとまらないのに、県丞になる実力があるとおっしゃるのですか。県丞は府の経歴よりさらにひどい目に遭うでしょう。県丞は叩頭して知事さまと言わなければなりません。温厚な上司なら、あなたが休むのを許してくれるでしょう。しかし、冷酷な奴に出会えば、役所の角門はぴっちりと閉じられ、指三本ほどの大きさの帖子もあなたの前にくることはできないでしょう。あなたは一本の野菜を買うにも検査をうけなければなりません。あなたは、口が臭く歯が黄色くなっても、鐚一文与えられません。端午、中秋、重陽、冬至、正月、元宵、息子の誕生日や母親の満月には、定められた額通りあなたの礼物を受け取ります。きちんとした礼物を送らなければ、苦しい仕事を与えます。胖襖[27]や京辺[28]や顔料を運ぶなど、あなたは危険な仕事を与えられ、損をすることでしょう。さらによくないことをすれば、あなたに関する悪い評語を書きます。あなたの罪が軽ければ懲戒を受けますが[29]さらによいことをなされば、離任させられることでしょう。ろくでもないことをすれば、捕縛されて罰金をとられることでしょう。按察照磨になれば、三司の首領官ですから、体裁もいいことでしょう。叩頭して知事さまと叫ばなくてすむのが、第一の長所です。府の役人とは対等に振る舞うことができ、州県の印を委ねられます。上官が立派になった分だけ、あまり意地悪をされることはありません。上官は自分の役所の体面があるため、首領官をひどい目に遭わせようとはしないのです。とても苦しい仕事があなたにまわってくることもありません。あなたは豸補[30]を着け、印綬を結び、白魚[31]の帯を結び、御史の振りをして人を驚かすことができます」

狄希陳「それはいい。僕でも務まるでしょう。しかし、どうすればなることができるのでしょう」

駱校尉「難しいことはありません。相さまは進士で、どこにいっても、たくさん同年がいますから、簡単なことです」

 そこで、狄希陳は考えを決め、按察司照磨に降格してもらおうと思いました。相主事と相談しますと、相主事は気前よく承知し、つてを探しました。うまくいく機会は十分にありました。そして、河南察司の照磨の空きがあることを調べますと、狄希陳を降格させることで話しを纏めました。しかし、いざ降格するときになりますと、急に狄希陳より権力があり、能力は狄希陳より上の人が話をまとめてしまいました。文選司[32]は相主事の面子を立てようともせず、諫言をする給事を降格してしまいました。そこで、相主事は貴州に空きがあることを調べ、狄希陳をそこに降格させようとしました。ところが、相主事が何度頼んでも、吏部では、狄希陳はが北方人だ、貴州は遠すぎて、行くことができないだろうといいました。さらに数日が過ぎますと、任官をあまりぐずぐずしてもいられないということで、相主事とは相談もせず、邸報にこのような文章が載せられました。

吏部の文書、役人の空きの件について

成都府の経歴が欠けている。まだ選任を受けていない武英殿中書舎人狄希陳を降格することにする。

聖旨 よろしい。[33]

相主事はこの官報を見ますと、びっくりし、相旺を遣わし、狄希陳に知らせました。狄希陳は、それを聞きますと腹を立て、子供の頃、洪水のときに、神さまから四川成都府の経歴になるように定められていたことを思い出しました。朝廷の役人ですので、神さまは彼を守ろうとしたのでした。狄希陳は、長い歳月をかけ、たくさんの年を経て、数千両の銀子を使いましたが、運命は版木で刷ったかのように変えることができず、結局水神が定めた職場に着くことになりました。狄希陳は何度も溜め息をつき、じっくりと思い返し、腹を立てるのをやめました。そして、つまらぬ考えを断ち、四川成都に赴任することにしました。彼はふたたび朝廷に赴き、礼を述べることになりました。その日は、一晩中安眠せず、ちょっと眠りますと、誰かが彼を呼び起こすようにしました。寄姐、童奶奶、調羮は、まるで棍棒で両目を開けられたかのようにしていました。表の呂祥、小選子は、四更になったばかりのときに、門を叩き、起きるように促しました。宮城の入り口に行き、さんざん待ってから、感謝をおえますと、宿屋に戻り、証書が来るのを待ちました。そして、新たに八品官の服を作り直し、四名の長班と書吏を解雇しました。成都府の執事になりましたので、幕僚も呼ばなければなりませんでした。童奶奶と調羮を任地に連れていくか、都に残すか、兵部窪の質屋はどのように店仕舞いするか、といったことをきちんと決めなければ、遠くにいくことはできませんでした。さらに、四川に陸路でいくか、水路でいくかを尋ねなければなりませんでした。家に戻り、先祖を祭ろうとも考えましたが、寄姐の落ち着き先がないことが心配でもありましたし、素姐から逃れることができなくなるのが恐くもありました。そこで、山東には戻らず、真っ直ぐ任地に行こうと考えました。しかし、家の財産はきちんと始末しなければなりませんでしたし、父母の墓に別れを告げぬわけにもいきませんでした。

 狄希陳は、一人では少しも考えを決めることができず、うなだれて、後ろ手を組み、東へ行ったり、西へ行ったりしました。寄姐は口を開けて笑いました。

童奶奶「まったく大人気がないね。焦っている人を笑うなんて。今回遠くへ行くことは、神さまがあらかじめ決められていたのだよ。銀子を失ったのも、運命に違いない。空っぽの財布で、遠い道を、家族を連れて行くのだから、たくさんの旅費が必要だ。これが焦らずにいられるかい。それを笑ったりするなんて」

狄希陳「仏さま。仏さま。ほかの人は知りませんが、私とうまがあうのはあなただけです。あなたはいつもいいことをおっしゃいます」

童奶奶「焦ってもどうしようもありませんよ。病気になったりしたら、大変ですからね。車で行かれれば悪路はありません。天が何とかしてくださるでしょう。遠くへ行かれるのですから、私たちの土地の端までお送りしましょう。まずは気を楽になさることです。あなたのために考えてさしあげましょう。悪いようにはいたしませんよ」

この女参謀はどのようなことを考えたのでしょうか。いい考えだったのでしょうか。まずは次回のお話しをお聞きください。

  

最終更新日:2010118

醒世姻縁伝

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[1]鸂繐は未詳。のことか。鸂鶒は『本草綱目』鸂鶒に「時珍曰『…其形大於鴛鴦、而色多紫、亦好竝游、故謂之紫鴛鴦也』とあり、鴛鴦よりやや大きく、紫色をした鳥で、紫鴛鴦といわれるものという。補子は官服の胸元につけるアップリケ状のもので、位階を表す。鸂鶒は文七品官の補子として用いられる。

[2]司膳官。

[3]明、清代の官名。鴻臚寺に属し、百官の班次を序することを司る。

[4]官吏が宮廷に出入りするときに身につける、象牙製の牌。

[5]官吏が賜った封爵名号を、朝廷が官吏の尊属にもあたえること。

[6]北京城の中城、東城、南城、西城、北城。

[7]進士のこと。

[8]中央官庁である六部に勤務する役人。

[9]六科、十三道ともに第十五回の注を参照。

[10]明代、郷試、会試では、受験者は十四編の文章を書くことを要求された。試験はどちらも三次試験まであり、一次試験では四書から三題、経から四題の問題が、二次試験では論を書く問題が一題、詔、誥、章、表を書く問題が一題、三次試験では経史策を書く問題が五題出題された。

[11] 「鳳儀韶舞」は「鳳儀獣舞」の誤り。『書経』益稷によれば、禹の時代、鳳凰、百獣が禹の教化を喜び、舞ったという。ここでは歌舞を行う劇団のことを指している。

[12]原文「殺鶏扯嗉児的」。「殺鶏扯脖」とも。「殺鶏扯脖」は、自ら首を切る動作をして哀れみを請うことをいうという。『金瓶梅』第二十二回に「跪在地下、殺鶏扯脖、口裏姐姐長、姐姐短」。また「殺鶏扯腿」とも。『金瓶梅』第八十六回に「経済見這虔婆口硬不収銭、又向頭上抜下一対金頭銀脚簪子、重五銭、殺鶏扯腿跪在地下」。

[13] アクセサリーの一種。明沈滂『宛署雑記』経費下「万暦二十年、取状元梁冠一頂、黒角束帯一条、玎璫一付、進士巾七十五頂」。

[14]拝帖は、人に会う前に提出する書状で、身分、姓名などを書いたもの。拝帖書弁は、それを書く下役のことと思われるが未詳。

[15]外国に関する事項、朝貢来聘のこと、及び凶儀、祠廟のことなどを司る役所。

[16]腰の周りに着ける、玉などの飾りのついた丸い帯。

[17] 『居家必用事類全集』鶏肉を葱、塩などとともに炒め、胡椒、山椒、茴香などを加えたもの。「川炒鶏」「毎只洗浄、事件。煉香油三両炒肉、入葱絲、塩半両。炒七分熟。用醤一匙同研爛胡椒、川椒、茴香入水一大碗、下鍋煮熟為度。加好酒些小為妙」。

[18]原文「栗子黄児」。皮を取り去った栗。

[19]百官が朝廷にはいるときに待機する場所。

[20] 「寝てしまった」の意。荘周が夢の中で蝴蝶になったという『荘子』斉物論の故事にちなむ。「荘周夢為蝴蝶、栩栩然蝴蝶也」。

[21]陳摶は宋、真源の人。仙術を修め、武当山に隠れ、太極図を周惇頤に授けた。『宋史』巻四百五十七に伝があり、武当山少華石室で百余日眠っていたとある。「又止少華石室、毎寝処、多百余日不起」。『醒世姻縁伝』の記述の趣旨は「陳摶にならった−ぐっすり寝てしまった」ということと思われる。ただし、彼に陳扁という弟がいたことの典故は未詳。なお、元雑劇に『陳摶高臥』あり。

[22]皇極門の東にある門。明劉若愚『酌中志』「皇極門之東曰会極門」。

[23] ここでは鴻臚寺卿のこと。鴻臚寺の長官。

[24] 第十二回の注参照。

[25]府に置かれた文書官。正八品。『明史』職官志「府、知府一人…照磨所、照磨一人…経歴照磨検校受発上下文移、磨勘六房巻宗」。

[26]県丞は正八品、主簿は正九品官。

[27]綿入れの軍服。『明会典、軍器軍装二』「洪武九年、令将作局、造棉花戦衣、用紅、紫、青、黄四色…造胖襖、用細密闊白綿布、染青、紅緑三色、倶要身袖寛長、実以真正綿花絨」。

[28]衣裳の一種と思われるが未詳。

[29]原文ではこの後、「升王宮」とあるが、義未詳。

[30]神獣の一種である獬豸をあしらった補子。

[31]白鰷ともいう。数寸の長さで細く扁平、柳の葉に似、鱗はきめが細かく、純白、群れて泳ぐことを好むという。明李時珍『本草綱目』鰷魚「鰷、生江湖中小魚也。長僅数寸、形狭而扁、状如柳葉、鱗細而整、潔白可愛、性好群游」。

[32]吏部にある部署で、文官の選任を司る

[33]原文「奉聖旨。是」。「奉聖旨」は皇帝の批のついた上奏文を受けた後、役所がつけた書き付け。「是」は皇帝の批。 

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