第八十二回

童寄姐が下女に死なれて裁きを受けること

劉振白が銀子を失って妾に逃げられること

 

満ち足ることを知る人は

寝ても覚めても心清らか

煩悩がなく

野菜の根でもうましと思ふ

諍ひはなく

粗末な家は穏やかに

日が高くなるまで眠り

世の人々と関はらず

卑しき口に鷹の心を持ちたれば

満ち足ることはたえてなし

四十両でも

満ち足らず

夾棍に掛けられたるは

いと(あらた)かなる鬼神の報い

子は財産を奪ひ去り、妾は逃げて、家は売られて

棒でぶたるる三十回  《両同心》

 狄希陳は、投文牌に付き従い、訴状をテーブルに置きました。そして、丹墀に跪き、一人一人の点呼と処置が行われるのを待ちました。やがて、狄希陳が呼び出されました。察院が訴状を見てみますと、そこにはこう書かれていました。

原告狄希陳、三十一歳、山東人、詐欺の件について告訴いたします。

私が都で選任を受けるのを待っていたおり、家に十四歳の下女がおりましたが、夏服を作ってやらなかったことを怒り、本月十二日未明、首を吊って死亡しました。悪い隣人の劉芳名は、私が異郷で親戚がないのをいいことに、銀四十両を脅しとりました。そして、下女の父親の韓蘆らを唆し、韓蘆らは銀二十五両、棺担ぎは銀八両を脅しとりました。そして、飽くことを知らず、韓蘆を唆して私の妾の童氏を告訴し、さらに財産を脅し取ろうとしました。察院さまには、どうか書状を審査され、お裁きを下されますようお願い申し上げます。

察院は訴状を見ますと、言いました。

「訴状は受理したから、さがるがよい」

狄希陳は訴状が受理されますと、単完は恵希仁に向かって言いました。

「狄さまをひどい目に遭わせるわけにはまいりません。あの方は工部の相さまの従兄ですからね」

恵希仁「そうだったのですか。先日従兄の陸好善が蘆溝橋までお送りしたのは狄さまの奥さまだったのでしょうか」

狄希陳「あれは妻です。陸長班は、恵さまの従兄だったのですか」

恵希仁「相さまと察院さまは、同門の同年です。察院さまが散館[1]される前は、一日たりとも一緒でないときはありませんでした。今でも、三日にあげず書簡のやり取りをしています。どうして相さまに一筆書いていただかないのですか」

狄希陳「私はあの人の手を煩わさなくても大丈夫だと思うのです。あの人とはちょっと会えば宜しいでしょう」

恵希仁「察院さまは冷徹な方で、不当な裁きをされたことはありませんが、頼りになる手紙がありさえすれば、安全です。狄さま、家に戻られ、童奶奶と相談されてください。手紙を書いてもらうのは、余計なことではありません。令状が出されましたら、狄さまにお話しをしにまいります」

人々は別れを告げますと、去っていきました。

 そのとき、陸好善が、相主事のために買った十二個の椅子用の敷物を、人を雇って廟から担いでこさせました。そして、恵希仁、単完の二人に会いますと、揖をし、時候の挨拶を述べました。恵希仁は尋ねました。

「相さまの従兄には、狄希陳さんがいらっしゃるでしょう」

陸好善「近い親戚です。どうしてご存じなのですか」

恵希仁「察院で裁判があり、私や単さんと関係ができたのです。相さまとあなたの面子を立て、決してあの方にひどいことはいたしません。あの人は私たちに銀十数両を下さいましたから、あの人と争う積もりはございません。先ほど、あの人に訴状を出すようにいったところです」

陸好善「どういうことですか。わたしは何も聞いていませんし、相さまも話しをされませんでした。道理でここ数日家にこなかったわけだ。何が起こったのですか」

恵希仁「家で、小間使いが首を吊り、小間使いの親父が告訴をしたのです」

陸好善「大したことではありませんね。小間使いが首を吊ったのなら、その女の両親にちょっとした送り物をすればいいのです。そうすれば、そいつらは、何も告訴することはできないでしょう」

恵希仁「ちょっとした物を贈っても仕方ありません。八九十両の銀子を脅しとったのに、また告訴をしたのですからね」

陸好善「きっと唆した者がいるのでしょう」

恵希仁「よくお分かりになりましたね。隣人の劉芳名が唆したのですよ。奴は四十両の銀を脅しとってもまだ満足しなかったのです」

陸好善「またあいつが悪いことをしたのですか。相手を屈服させるまで、あいつは手を休めませんからね」

言い終わりますと、拱手をし、去っていきました。

 相主事の家に行きますと、相主事は客に茶を出していました。客を送り出して戻ってきますと、陸好善は、椅子の敷物を手渡しました。

相主事「正月に敷物を買えといったのだぞ。もうすぐ五月なのだから、そんなものは必要ない。奥に持っていけ」

陸好善「狄さまはこのところ来られないのでしょうか」

相主事「ああ。ここ数日、まったく家に来ないが、何かあったのか」

陸好善「ご存じないのでしょうか。小間使いが首を吊って死に、その親父が南城の察院に告訴をしたそうですが」

相主事「まったく知らなかったぞ。しかし、おかしいな。どうしてわしに黙っていたのだろう」

相主事は、家に戻りますと、両親に向かって言いました。

「道理で狄さんがここ数日こなかったわけです。家で小間使いが首を吊り、たくさんの銀子を脅しとられたのです。さらに、小間使いの親父が、南城の察院に告訴をしたそうです」

相棟宇「おかしいな。何かあったらやってきて相談するべきなのに、どうしてこなかったのだろう」

相大子「あの子がろくでなしであることを私はよく知っています。あの子は故郷にいる虎のような女房に耐えられず、ここに逃げてきたのです。ところが探し当てた女房は、前の女房に輪を掛けたような女だったということだ。あの人の家には、小珍珠しか小間使いはいませんでした。きっと何かいかがわしいことがあり、家で騒ぎが起こり、小間使いが首を吊ったのでしょう。私たちに笑われるのが心配で、言おうとしなかったのです。狄さんは馬鹿ではありません。人に黙っていたのですよ。早くあの人を呼んできておくれ」

 相主事は、すぐに相旺を遣わしました。すると、訴状を提出しにくる狄希陳に会いました。彼は南城から歩いてきて、全身汗まみれになりましたので、腰を掛けながら冷やした白酒を飲んでいました。童奶奶と調羮は、げっそりとして腰を掛けていました。寄姐は脇で口を尖らせながら、小京哥に乳をやっていました。童奶奶は、相旺に会いますと、相太爺、太太、大爺、大奶奶の御機嫌伺いをしました。相旺も安否を聞き返し、さらにこう言いました。

「大旦那さま、大奥さまは、狄さまは最近何が忙しくて家に来られなかったのかと尋ねてらっしゃいます。行って事情をお話しください」

狄希陳「最近、小さな事件があり、忙しくしていたため、行くことができなかったのです。どうか大旦那さま、大奥さまとあなたのご主人に宜しくお伝えください。数日したらそちらへまいりますと」

相旺「大旦那さまと私の主人は、狄さまに用事があることを聞き、私を呼んできて、狄さまをはやく行かせ、早く相談しましょう」

狄希陳「あなたのご主人は、私にどのようなことがあったのかをご存じのうえで、私を呼ばれているのですか」

相旺「狄さまの家で、小間使いが首を吊り、彼女の親父が告訴をしたのでしょう」

狄希陳「あなたのご主人は千里眼ですね。話しをしにいってもいないのに、どこで知られたのでしょう」

童奶奶「今日は暑いね。旺官児、おまえも表の広間に行って服を脱ぎ、一碗の冷やした白酒を飲んでおくれ。しばらく涼んでから、狄さまと一緒に行っておくれ」

そして、相旺に酒とご飯を食べさせました。彼はとても口卑しい男でしたので、恭しく点心や惣菜を買い、たらふく食べさせてやりました。食事が終わりますと、狄希陳とともに、相主事の家に行きました。おじ、おばと相主事に会い、質問をしあい、前後の事情を話したことは、これ以上くわしく申し上げる必要はございますまい。

相主事「李さんと私は、とても仲の良い同年です。私に一筆書いてもらわずに、他人と裁判を起こせば、ただでは済まされませんよ」

狄希陳を昼食に引き止め、審査が行われる一日前に、彼に書状を出しました。狄希陳は、別れを告げて家に戻りますと、事情を話しました。

 寄姐は口答えをしたものの、心の中ではとてもびくびくしていました。女でありながら一人だけ告訴され、役所に引き出され、拶子に掛けられ、百回、二百回と、真っ白で柔らかい細い指が、太い檀の木の棍棒、縄できつく締められ、木の板で、体のあちこちを、一二百回ぶたれるのですから、恐くないなどというのは、所詮は嘘でした。それでも、彼女は相主事が察院に手紙を出そうとしていることを聞きますと、偉そうにこう言いました。

「こちらが正しいのだから、あの人の書状など有り難いとも思いませんよ」

しかし、鼻はむずむずし、口は綻び、嬉しさのあまり笑いそうになりました。童奶奶は言いました。

「何馬鹿なことをいっているんだい。お前が頼んだわけでもないのに、あの人はお前を呼び、一筆書いてくださろうとしているというのに、有り難いと思わないとはね。お前があの人の縁者でなければ、百両の銀子を使ったって、取りなしはしてもらえなかったよ」

寄姐はようやく怒りを喜びに変え、言いました。

「あんなことを言いましたが、本気で有り難くないと言ったわけではありませんよ」

調羮「私は真っ直ぐな性格ですから、有り難いことは有り難いと言うのです。考えていることと言うことが違うなどということはありません」

 さて、恵希仁、単完は、翌日、狄希陳の訴状の写しを受けとりました。そこにはまず最初に劉振白、その次に韓蘆、韓輝、戴氏らの人々が書かれていました。彼らは、狄希陳の家に行き、令状を見せますと、手分けして犯人たちを捕らえにいきました。そして、全員が揃いますと、訴状を提出し、審理を受けるために待機しました。

 さて、劉振白は、起更に、単完によって監獄に送られていました。城内の使いが配下の地にいきますと、監獄の総甲、火夫[2]は、小鬼が閻魔大王を見たとき以上に恐れるものです。単完が「重要事件の犯人だから、よく見張ってくれ。逃げたらただでは済まされないからな」と言いますと、監獄の総甲は、乞食たちに命じて、短い鉄の縄の片方を、劉振白の首に結び、片方を、大きな石の腰掛けに縛りました。さらに、彼が手で縄を外し、逃げてしまうことを恐れ、手も鉄の手錠でとめ、少しも動くことができないようにしました。四月も終りに近付き、蚤、南京虫のはびこる時期でしたので、彼らの餌食になるのを免れることはできませんでした。監獄で、翌日まで縛られていましたが、家からは誰もきませんでしたので、監獄にいた乞食に、家へ知らせに行くように頼みました。

 ところが、劉振白は、親戚、友人、街の隣人に悪口を言い、悪いことをしていたため、人々に恨まれていました。彼は自分の女房、息子にも、少しも愛情をもたず、冷酷なことばかりしていました。その晩、家では、劉振白が、家の入り口で、狄家の様子を探っているのだとばかり思っていました。一更ほど待ちましたが、彼は入ってきませんでした。息子の劉敏が出てきて、様子を窺いますと、門が開いているばかりで、父親の劉振白は、行方知れずになっていました。翌日の朝になって、下役によって監獄に入れられたことが分かりました。劉敏は、監獄に走っていきますと、劉振白は猿回しの猿ように、石に縛られていました。劉敏は尋ねました。

「どうして監獄に入れられたのですか」

劉振白「きいてくれ。昨日、わしは、狄家の小者が手で合図をして下役を外に行かせ、話をしてから中に入ってくるのを見たのだ。狄家は一両の銀子を払っただけだったが、下役たちは少しも争わなかった。わしは、これにはきっと裏があるに違いない、後でこっそりきて交渉をするのだろうと思った。わしは、あいつらを待っていたといった[3]。起鼓すぎに、案の定、二人の使いがやってきた。奴らは、恥ずかしさのあまり腹を立て、俺を縛って監獄に入れたが、けしからんことだ。家に行き、はやく飯を持ってきてくれ。それから、何かを買って、この監獄の人に与え、わしを釈放するように頼んでくれ」

劉敏は承知し、家に戻りました。

 劉敏は、劉振白の正妻の生んだ子で、二十三歳でしたが、立派な人間ではありませんでした。劉振白も悪い性格で、自分のことしか考えず、父母、妻子のことなど眼中になく、ややもすれば硬い鞭を振るうこともありました。彼は一日中食べるには事欠きませんでしたが、衣服飲食の類いは、十のうち一二も妻のところにはいきませんでした。後に、彼は素性の知れない醜い女と知り合い、彼女を妾にしました。若い妾がきますと、劉振白は「飢えた人が瓜の皮を見る−素晴らしいと思う」という有様になり、正妻をますます尊重しなくなりました。この正妻は、死ぬ運命にありました。彼女は以前はひどい目に遭っても、腹を立てたり、病気になったりはしませんでした。しかし、不運がやってきますと、腹を立て始めました。槍、刀、棍棒が降り懸かってきたら、避ければいいのです。避けることができずに何回か受けたとしても、傷が付かないことだってあるものです。ところが、口では言えない怒りは、槍、刀、棍棒よりもひどいものです。周瑜は、堂々たる体をもち、大都督に任命され、千百万の勇猛な兵士たちを率いていました。しかし、孔明に三度腹を立てますと、九尺の長さ、幅の広い腰をもった体を、頭が大きく、尻尾の小さい四角い木の箱に収める羽目になってしまいました。劉振白の正妻は、ただの馬鹿な女房に過ぎず、大した知恵はありませんでした。彼女は何度も腹を立てさせられるのには耐えられず、周都督とともに、冥土へいってしまいました。劉敏は、愛情の少ない父親の下で育ちましたが、愛情のある実の母親がいる間は、互いに寄り添い、愛し合って、暮らすことができました。しかし、母親が病死しますと、十数歳でしたので、自分では何もすることができませんでした。さいわい外祖母、おじが何とか面倒を見ましたので、いびり殺されることはなく、大人になりました。劉振白は、獣のような心を持った男で、人と長い間よい関係を保とうとはしませんでした。そして、わずか数日で、新妻を苛めだしました。彼はさんざんぶったり罵ったりし、着る物や食べる物を与えませんでした。立派な妻も、どうしようもなく、運命のままに、苛められているしかありませんでした。このあばずれは、もともといい思いをすることを目的にして、連れ合いになったものでした。彼女に誠実に接しても、彼女は誠実に接しようとはしませんでした。彼女の心は劉振白から離れており、檻の中から抜け出そうとばかり思っていました。

 劉敏は監獄から出ますと、こう思いました。

「父子の情は、断つべきものではない。しかし、親父には慈悲心がなく、お袋を憤死させ、俺を子供と認めてもいない。あいつが牢屋に入れられているうちに、あいつが脅しとった四十両の銀子をもち、よその州か遠い府に逃げて、一人で苦しく暮らすことにしよう。そして、あの年寄りのごろつきには、楽しい暮らしをさせてやることにしよう」

考えを決めますと、家に戻って言いました。

「父さんは、昨日の午後から、南城の第三監獄に入れられ、ご飯を食べていません。すぐに古米の干し飯を作りましょう。それから、五銭の銀子を、送りましょう。家で訴状を書き、察院さまに提出し、父さんを救い出しましょう」

女房は本当だと思い、急いで古米のご飯を作り、豆腐、白菜を炒め、盆罐に入れました。そして、四十両の中から五銭の銀子をはかりとり、一緒に監獄にもっていきました。

劉振白「どうして劉敏がこないで、おまえが一人でここにきたのだ」

「あの子は家で訴状を書いています。察院の晩の法廷に提出し、あなたを監獄から救おうとしているのです」

劉振白は本当だと思い、心の中で喜びました。ご飯を食べ終わりますと、五銭の銀子を監獄の人々に分け与えました。

 女房が家に戻りますと、通りに面した門には、鉄の鍵が掛けられていました。女房は、劉敏が外にいき、何かをしているのだ、すぐに帰るだろうと思いました。そこで、盆罐を持ち、ぼんやりと立って待っていました。ところが、いくら待っても、劉敏は現れませんでした。両足が疲れても、劉敏の姿は見えませんでした。彼女は待ちきれなくなり、向かいの石鹸屋の尼[火旦]に尋ねました。

「うちの子がどこにいったか知りませんか」

尼[火旦]は返事をしました。

「布団の包みを背負い、傘を担ぎ、急いで東に行かれるのを見ました。急いで歩いてらっしゃったので、どこへ行くのかも尋ねませんでした」

女房は、焦りました。両手で門を開けますと、鍵が門の中に置かれていました。家に入りますと、箱や箪笥は、すっかりひっくり返されていました。四十両の銀子、掛け蒲団、敷き布団、道袍、雨傘は、すべてなくなっていました。劉敏が計略を用いて盗んでいってしまったのでした。彼女はあたふたと監獄に戻り、劉振白に事情を話しました。劉振白は、それを聞きますと、鎖を着け、石の腰掛けを抱えたまま、地面から三尺の高さにまで跳ね上がって、罵りました。

「売女め。汚らわしい淫婦め。恥知らずめ。わしのところにご機嫌取りにきて、家で見張っていなかったから、あいつに財産を盗まれてしまったのだ。わしがせっかく稼いだものなのに。明日、役所に訴え出ても、吉と出るか凶と出るかは分からなかったのだ。それを軽々しく間男にやってしまいやがって。汚らわしい淫婦め。はやく探しにいけ。汚らしい例のところを窄めて立っているつもりか。あいつが見付からなければ、わしに会う必要はないぞ。間男と一緒に、どこかに行ってしまえ。もうお前とは暮らしていかないからな」

女房は家に向かって歩きながら、心の中で考えました。

「劉敏には女房がないし、劉敏の父親は子供に愛情を注がなかったし、ご飯を食べるときでもさんざん罵っていた。劉敏が銀子をもって逃げてしまったのは当然のことだ。劉敏は危険を脱し、いい暮らしをしにいってしまった。都は海のように広く、八十本の大通り、七千以上の胡同があるというのに、どこへいって探したらいいのだろう。劉敏が見付からず、あのろくでなしが出獄すれば、私だって生きてはいられないだろう」

何度も考えましたが、三十六計逃げるにしかずだと思いました。

「私にはほかに知り合いがいるから、生活することはできるだろう。あの薄情者にくっついている必要はない」

家に戻りますと、幾つかの銀の簪、銀の棒、数件の木綿や絹の衣装、数吊の黄銭を、包んだり、脇の下に挟んだりしました。そして、今まで通り、表門に鍵を掛けますと、あっという間に、行方知れずになってしまいました。

 恵希仁たち二人は、訴状に書かれた人々を揃えますと、狄希陳、劉振白とともに、先に去っていきました。寄姐は二人がきの轎に乗り、童奶奶、彼女の実家の親戚、隣近所の人々が付き従いました。相主事も、相旺を察院の前に遣わし、裁判の様子を探りました。間もなく、察院が門を開きますと、狄希陳ら関係者が一緒に入って、訴状を提出しました。使いが令状を提出し、脇で書吏が一人一人の名を呼びました。やがて、童氏が呼ばれました。『黄鶯児』が彼女の様子を述べております。

女はとても綺麗な顔。緑の眉は、柳の葉、黒き綾のスカーフは髪を覆える。か細き指は春の筍(たけ)、尖った足は金の蓮、しゃなりしゃなりと役所を歩く。恐らくは、名を呼べば艶ある声で返事せん、くわえる衫は黒木綿。

察院は、関係者たちを一人一人点呼し、一人も欠けていないことを確かめました。彼はもともとてきぱきした人でしたし、相同年の手紙を受け取ってもいましたので、札が掲げられるのもまたず、[4]晩の取り調べであるにも構わず、一人目の劉芳名に尋ねました

「童氏の小間使いは、なぜ死んだのだ」

劉芳名「私は、あの女のすぐ隣に住んでおりましたが、朝晩、童氏があの小間使いをぶつ音が聞こえました。四月十二日に、あの女の家では、棺を買いました。そして、暫くしてから、担ぎ出してきて埋葬しました。小間使いの両親は、童氏の家にきて泣き叫びました。童氏は私に彼らを宥めさせました。そして、訴状を提出し、私を証人にしたのです」

察院は尋ねました。

「おまえは、童氏の東隣か。西隣か」

劉芳名「西隣です」

察院「どうして両隣を証人にせず、おまえだけを告訴したのだ」

劉芳名は、何も言うことができませんでした。

察院「跪け」

韓蘆を呼びますと

「何か言うことがあるか」

韓蘆「私の娘は、狄希陳に売られて妓女となり、今年十六歳になります。狄希陳は、娘が美しいので、毎日、奸淫をしようとしました。しかし、娘は貞節でしたので、従いませんでした。狄希陳の妻の童氏は、彼女が従わないのを憎み、昼夜、彼女を殴り、殴り殺してしまいました。そして、私にはその事を知らせませんでした。死体もどこにいったのか分からなくなってしまいました」

察院「あの男がおまえの娘を奸淫しようとし、おまえの娘は従わなかった。それなのに、あの男の女房は、おまえの娘を嫌い、殴り殺したというのか。娘が殴り殺されたのに、役所に告訴せず、金を脅しとっていたのか」

韓蘆「私は、娘があの女に殴り殺されたことを聞きますと、妻と一緒に様子を見にいきました。しかし、死体はありませんでした。私たち夫婦は泣き、家に帰り、告訴を行いました。決して金を脅しとろうなどとは思いませんでした。私が金を脅しとったといいますが、証人があるのですか」

察院「こいつめ。まだ口答えをする積もりか。おまえは十五両、おまえの妻の戴氏は十両、おまえがつれていった三人の男、四人の女はそれぞれ一両もらったのだろう。劉芳名が自らおまえに渡したのだ。彼がはっきりと証言をしているのに、まだごまかそうとする積もりか。棍棒を持ってきてくれ」

韓蘆「本当のことを申し上げます。たしかに銀子はございます。彼は人命事件で賄賂を贈ったのです。私は銀子を受け取り、告訴をしました。しかし、金には手を振れておらず、今でも家に置いてあります」

察院は命じました。

「とりあえずおまえを許そう。跪け」

劉芳名を呼びますと

「こいつめ。何と憎たらしいのだ。小間使いが死ぬと、おまえは、四十両の銀子を脅しとった上、さらに事を荒立て、彼女の両親を呼び、総額三十二両の銀子を脅しとらせた。さらに、彼らに告訴をするように唆し、童氏だけを告訴させ、みんなで彼女の金を脅しとろうとしたのだろう」

劉芳名「私が、彼らから一銭でもお金を脅しとっていれば、目が落ち、一家が死に絶えるでしょう。彼女の両親に、告訴をさせたりはせず、彼らの両親も、あの人から金を脅しとったりはしていません。狄希陳が私を呼び、彼らを宥めさせ、私を証人にしたのです」

察院「口答えをしおって。韓蘆がはっきりと自供をしているのに、まだごまかそうとする積もりか。夾棍に掛けてくれ」

両脇のp隷が、狼か虎のように走りよってきて、彼を引っ張りました。彼らはまるで鷹が雀を捕らえるときのように、有無を言わせませんでした。夾棍に掛け、十二名のp隷が両側から夾みつけますと、劉芳名は、一切合切をすぐに話してしまいました[5]。劉芳名はまず銀子四十両を脅しとりましたが、狄希陳がくみしやすいことがわかると、脅し取った銀子が少ないのが残念になり、一計を案じ、小珍珠の両親を呼んできて、狄希陳から銀子三十二両を脅しとったのでした。小珍珠の父親は、劉芳名に五両のお礼をしますと、彼に告訴状を書かせました。男を告訴すれば、知事さまは婦人の捕縛を免除するのが普通でした。しかし、婦人を捕縛しなければ、たくさんの銀子を脅しとることはできませんでした。そこで、女だけを告訴し、逃げることができないようにしたというのが実情でした。

 察院は、供述を逐一書きとり、夾棍を外しました。そして、韓蘆と劉芳名を呼び、各人を三十回の大板打ちにしました。さらに、応仕前、応向才、韓輝らを呼び、それぞれ十五回ぶちました。さらに、童氏が進み出てきますと、腹を立てて言いました、

「どうして小間使いを苛め、首を吊らせたのだ。何と凶暴で憎たらしいのだ。拶子に掛けよ」

童氏はびっくりしてしまい、普段のように口答えすることもできず、知事さまとはいわずに、「お母さま、お助けください」と叫びました。察院も彼女が怯えていることが分かりましたので、言いました。

「本当なら拶子に掛け、さらに百回の板子打ちにするべきだが、とりあえず許すことにしよう」

「狄希陳、董氏は釈放して家に帰らせる。劉芳名、韓蘆、韓輝、応仕前、応向才は南城の兵馬司に連れていき、令状に従って、罰金を取り立てる。そのほかの女四人は、とりあえず釈放し、家に帰らせる。罰紙の罪は、すべて免除しよう」

下役は、関係者たちを南城の兵馬司に引き渡し、受取状をとって報告をしました。

 兵馬司は、人々を監獄に入れました。翌朝の法廷で、察院は一枚の令状を出しましたが、そこにはこう書かれていました。

南城の察院、人命事件について。南城兵馬司の官吏は、令状通りに事を処理するように。すぐに護送をし、犯人韓蘆らが脅し取った金を、期限をもうけ、金額通りに取り立てよ。そして、本城内の炊き出し場で粥を煮、飢えた人々を救うことにする。取り立てた銀、買った米は、五日以内にすべて炊き出し場に送るように。遅延は許さぬ。韓蘆夫婦は銀子二十五両、劉芳名は銀四十両、韓輝は銀一両、応仕前は一両、応向才は一両、四人の女たちは、それぞれ銀一両を脅しとった。それぞれの女の親族に、取り立てを行わせることとする。

兵馬司は令状に書かれた通り、韓蘆らを罰しました。韓蘆の二十五両は、あまり使われておらず、劉芳名への謝礼の五両を除くと、まだ十八両の銀子が、家に残っていました。戴氏は髪結い、足削りの客の家へ行きましたが、ある者は五銭出し、ある者は一両出しして、あっという間に二十五両が集まりました。さらに数両余計に金が集まりましたが、兵馬によって、二割り増しの金をゆすりとられたため、何も残りませんでした。韓輝の親戚の女たちも、金額が多くありませんでしたので、すべて納めおわり、それぞれ保証人を立てる[6]ことを許されました。しかし、劉振白は、息子は銀を盗んで逃げ、妾は夫に背いて逃げたため、家に人がいませんでした。ひたすら監獄で待ったものの、幽霊さえ尋ねてきませんでした。三日に一遍、罰が加えられ、二回罰が加えられました。

兵馬「家に人がいないのなら、人に命じて、あいつを護送させよう。適当な保証人を立てて釈放し、財産を売り払わせ、役所に納めさせよう」

使いは彼を家に護送しました。通りに面した門に鍵を掛け、門を両手で開けて中に入りましたが、ぼろぼろの衣服と、安っぽい家具しか残っておらず、すべて売っても、四五両の銀子にしかなりませんでした。住んでいた数軒の家は、五六十両以上の値打ちはありましたので、広告を書いて売りに出しました。

 しかし、劉振白はずるがしこい男でしたから、たまたま彼に会う者がいても、彼らは焼いた炭を酢にいれるか[7]、頭が痛くなるかして、だれも売買をしようとはしませんでした。彼には劉光宇という甥がおり、順天府学の秀才でしたが、劉振白は彼のことをまるで仇敵のようにあつかっていました。劉光宇はある皇族の家で勉強を教えていたため、知らんぷりをし、彼に会いにもきませんでした。下役は、数日間、彼を獄に入れていましたが、保証人を捜し出すことも、財産を金に換えることもできませんでしたので、役所に連れ戻すしかありませんでした。兵馬もどうしようもなく、下役に、彼を監獄から出し、金を集めさせるように命じました。家に残っていたぼろぼろの物を、毎日売りましたが、使いとご飯を食べる代金にもならず、お金を集めることなどできようはずがありませんでした。使いは慌て、劉振白に、向こう三軒両隣の隣人を兵馬司に告訴するように命じ、彼らに家を買うように迫ることにしました。劉振白は果たして上申書を提出しました。上申書は受理されましたが、東隣は狄希陳でした。狄希陳のために、劉振白から罰金を取り立てているのですから、狄希陳が彼の家を買うはずはありませんでした。それに、狄希陳は工部の相主事の従兄でしたし、相主事は新たに街道[8]になった人で、兵馬にとっては上官でしたから、兵馬は、彼を怒らせるわけにはいきませんでした。西隣は、南方人で、中城の察院の書吏をしており、兵馬の直接の上官でした。向かいは、錦衣衛の指揮で、家で暇にしており、何の権力もありませんでしたが、兵馬司が彼を怒らせるわけにはいきませんでした。下役は、この三つの家に令状をもっていこうともせず、令状を持ち帰りました。兵馬は怒りました。

「何と憎たらしいのだ。わしに上申書を出し、令状を出させ、人を捕縛させようとするとは。賢い下役が、こっそり令状を持ちかえってきてくれてよかった。令状を彼らに見られたら、名がそこに書かれているから、わしは捕縛され、役人をしていられなくなるところだった。これは明らかにわしを騙そうとしているのだ」

保証人を捜すための下役と劉芳名を、それぞれ十五回板子打ちにし、五日以内に罰金を納めなければ、下役とともに察院へ護送することにしました。劉振白は、城じゅうの仲買商に頼み、安目に取り引きをするしかありませんでした。

「私の素行が悪いのが心配のなら、役所でお金の授受をしても構いません。契約書に兵馬の印を押してもらえば、私は悪いことをしたくてもできません」

 ちょうど三辺総督[9]、提塘[10]、報房[11]が、ずっと家を借りて住んでいました。彼らはしばしば引っ越しをしなければならず、とても不便な思いをしていました。新しくきた提塘官は、寧夏中衛の指揮でしたが、総督に上申書を提出しました。

「報房は、ずっと家を借りておりましたので、引っ越しは不便です。部屋代は、一回ごとに払うのはは大した額ではありませんが、合計するとかなりの額になります。北京のしかるべきところに、家を一軒買い、きちんと屋根を葺けば、提塘が常の住まいをもつことができます。使った部屋代ほどの金があれば十分です。下役がきたときに、この家に泊まることにすれば、宿屋に泊まったことによって軍機が漏れるのを防ぐことができます」

総督は、まったくその通りだと思い、提塘官に二百両を渡し、上京したときに自由に家を買うことを許しました。仲買人が話しを纏め、五十八両の定価で買い、報房にしました。ところが、契約書を書き、金を渡すときになりますと、劉振白は売ろうとせず、ひたすら契約解消を求めました。指揮は腹を立てて買わず、こう言いました。

「わしはあいつの銀子を借りたわけでもないし、あいつにいいことをしてもらったわけでもないのに、どうして無理にあいつの家を買わなければならないのだ」

下役は焦って言いました。

「あなたの家が売れなければ、私たちまで罰を受けます。満足のいく金額を払ってくれる人がいるというのに、態度を変えて売ろうとしないのは、明らかにいかさまです。いつまで私を困らせるつもりですか」

役所に連れていき、報告をしました。

 下役は、家代を五十八両まで出しましたが、これは公正な値段でした。彼が土壇場になって態度を変えて売らないのは、明らかにぐずぐずとして、勿体をつけているのでした。兵馬は腹を立て、人を遣わし、書房に護送していきました。そして、彼に契約書を書かせ、上官の印鑑を押し、人を遣わし、指揮に引きわたしました。指揮は、契約書を受け取りますと、五十八両の純銀を払いました。そして、下男を遣わし、兵馬司に行かせ、役人の立ち会いのもと、劉振白に渡しました。兵馬は、劉振白に、四十四両の罰金を払わせ、残った十四両は、彼に受け取らせました。下役は監獄に送られ、取り調べを受けることになりました。劉振白を監獄の外に送り出しますと、彼は大声をあげて泣きました。

「他の人ならば、俺が因縁をつければ、家は戻ってきただろう。しかし、今は、総督さまのお屋敷になってしまったから、どうすることもできなくなってしまった」

彼が土壇場で態度を変えたのには、このようなわけがあったのでした。兵馬は、銀で米を買い、粥場に運びました。察院に報告をし、文書を受理し、釈放しました。

 狄希陳は、相主事が書状を出してくれたために裁判に勝つことができましたので、彼にお礼を言いました。さらに、二席の酒宴を設け、五両のお祝儀を二封作り、恵希仁、単完の二人を呼び、役所の取り計らいに感謝しました。劉振白は、残りの十四両の銀子のうち二両を下役に取られてしまいました。そして、銀を持っていった息子をあちこち捜しますと、銀子は、火の上で弄ばれる氷のように、数日でなくなってしまい、ご飯も食べることができなくなってしまいました。そして、役所が四十両の銀で米を買い、粥を煮、人々にふるまったが、自分は飢えを我慢しなければならないことに腹を立てました。彼は巾着の中に、一銭九分の小銭が残っているのを見ますと、一か所に集め、一枚の粥票を買い、一日二回粥を食べました。劉振白は、狄希陳の四十両の銀を脅しとりました。金額は少なくありませんでした。小珍珠の両親が狄家に掠奪をしにきたとき、執り成しをしていれば、何事もなかったはずです。小珍珠の両親を唆し、たくさんの銀子を脅しとっても、それで手を収めておけば、不足があるはずがありませんでした。ところが、彼は欲を張り、計略を設け、女の遺族を唆して告訴をさせ、さらに銀子を脅しとろうとしたため、天は彼を許さず、鬼神は腹を立てたのでした。そして、家族には逃げられ、財産は失い、もともとあった物はすべてなくなり、察院からは夾棍でぶたれ、兵馬からも罰を加えられたのでした。まさに、

悪い企みやめよかし

すべては天の思し召し

 

最終更新日:2010118

醒世姻縁伝

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[1]進士が科挙及第後、庶常館に入り、三年後試験を受ける。成績優秀なものは庶常館に残って、国史の編纂などに当たり、これを留館という。その他のものは、庶常館以外の場所で働くことになるが、これを散館という。

[2]見回り役。明・陸容『菽園雑記』「今街市巡警鋪夫、率以十人為甲、謂之火夫」。

[3] この一文は、前後とうまくつながらない。おそらく、後の「二人の使いがやってきた」と「奴らは恥ずかしさのあまり腹を立て」の間にあったものが、抄写の際に誤ってこの位置にきたものであろう。

[4]原文「也不等掛牌」。牌は投文牌のこと。開廷に先立ち掲げられる木札。清黄六鴻『福恵全書』莅任・堂規式「次擡投文牌、用長卓一張、把堂p隷擡置堂階上、投文人等由東角門進、親自跪投卓上、仍退立東階下聴候」。

[5]原文「把个劉芳名恨不得把他娘養漢、爹做賊的事情都要説将出来」。「母親が間男をし、父親が盗賊をしたことまで話したくなった」というのが文字通りの意味だが、どんなに酷いことでもすべて白状したくなった、の意。

[6]原文「討保」。罪人が自分で保証人を捜し、自分が今後二度と犯罪を犯さないことを保証してもらうこと。

[7]正月に、熱い石に酢をかけて蒸気を出し、厄払いをする。これを「打醋壜」という。ここで「焼いた炭を酢にいれる」とあるのは「打醋壜」の動作をいったもので、いいたいことは、劉振白が悪魔のように嫌われていたということ。

[8]清代の官名。街道庁。北京の街道の修築、溝洫の浚渫等を司る。

[9]三辺とは、延綏、寧夏、甘粛をいう。

[10]京師に駐在し、公文を地方に届ける役人。

[11]邸報、書信の発送場所。

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