第八十一回

二人の下役が義憤を抱くこと

狄希陳が代わりに訴状を投じること

 

砒素、巴豆

蛇と虎、狐の精

毒ならば

これらにまさるものはなし

陰険は

やはり人間が一番

見よや小さき胸の中

あるは数多の悪巧み

最も憎き強欲男

冠を戴き吠ゆる虎にぞ似たる

強請(ゆすり)して銀を手に入れ

人を唆し、銭を求めり

役所に訴状を提出し

書状でひどき誣告せり  《両同心》

 恵希仁は劉振白の首の鎖を解きますと、言いました。

「面子を立てて、あれこれ言うのはやめにしよう。狄さんを見ろ。すっかりぼうっとしてしまっているぞ」

 さて、童奶奶、寄姐、調羮は、使いが狄希陳と広間で話をしているのを、中門の裏でこっそり聞いていました。そして、令状に、童氏一人を捕らえるようにと書いてあること、女を捕まえるようにと言っていることを聞きますと、童奶奶は、すっかり怯えてぶるぶる震えだしました。寄姐は、あっという間に、顔が臘の滓のように黄色くなり、足元に大きな水溜まりを作りました。調羮は黙っていましたが、心の中でこう考えました。

「腹を立てているのかと思ったら、びっくりして小便を漏らしている」

童奶奶は、狄希陳は幾ら待ってもやってこないだろう、彼は下役に賄賂を贈ることはできず、下役が面子を立ててくれなくなってしまうだろうと考えました。そこで、小選子に狄希陳を呼びにいかせ、彼と相談をしようとしました。

恵希仁「狄の奥さまのお姿は見えませんのに、狄さままで入っていかれてしまっては、お屋敷は海のように広いのですから、あなたがたを捜し出すことができなくなってしまいます。狄さまが狄の奥さまを呼んできて、引き渡してくだされば、どこに行かれようと、私たちは構わないのですがね」

 童奶奶は、寄姐を出せば狄希陳を中に入らせると言っているのを聞きますと、気が気ではなくなりました。上着、裳裾、靴をととのえますと、悠然と広間に行き、上座に向かって立ち、尋ねました。

「上座にいるお二人は、お役所のお使いでしょうか」

恵希仁、単完は、慌てて立ち上がると、言いました。

「そうです」

童奶奶「お掛け下さい」

人に命じて椅子を持ってこさせ、北向きに腰を掛けると、言いました。

「童氏は私の娘です」

狄希陳を指差して

「私の婿です。小間使いは、運悪く死んでしまいました。病気は、どうすることもできないものです。あなたがたは、彼女が病気で死んだのに、人が殴り殺したのだとおっしゃっていますが、大枚をはたいて小間使いを買ったのは、彼女を幸せにしてやろうと思ったからで、殴り殺そうとしたからではございません。あの女と前世の恨みがあったわけでもございません。小間使いが仕事をしなくても、転売すればいいのですから、殴り殺す必要はございません。よその人間は可愛くなくても、自分の銀子は惜しいものです。彼女が病気になりますと、医者を呼び、薬を買い、どれだけの金を使ったか分かりませんが、あれこれ治療をしても良くならず、死んでしまったのです。彼女の両親は、どこにもいませんでしたので、埋めるしかありませんでした。ところが、あの女の両親は、たくさんの下男、下女をつれてきて、物を奪い、家具を壊し、娘をこてんぱんに殴り、顔中に糞をかけました。もちろん、彼らは娘が死に、堪え難い悲しみを感じていることは間違いないので、彼らとは争わず、数文の銅銭を与え、慰謝料といたしました。ところが、彼らは銅銭を手に入れると、また告訴をしました。男を告訴せず、若い女だけを告訴したのです」

韓蘆は口を挾みました。

「俺に金をくれただと。どれだけの銅銭をくれたというんだ。俺の娘を殴り殺したくせに、どうして俺に銅銭をくれたんだ。狄希陳さんは俺の娘を殴り殺してはいない。俺は善人に迷惑を掛ける訳にはいかない。察院の役所は狄さんを呼んではいないからな。しかし、あんたは寄姐の母親だ。理屈からいえば、あんたを告訴するべきだ。俺はそれでもあんたとは関係がないと言い、あんたの娘とだけ話しをしようとしているんだ。皆さん、公平に判断してください。私は無茶苦茶なことを言っていますか」

童奶奶「つまらないことを言うのはやめてください。訴状が受け入れられ、人が遣わされたのです。『役人だろうが下役だろうが、来た人に違いはない』ものです。何て馬鹿な婿だろう。どのようにおもてなしをするか、どのようにお金を差し上げるかを考えるべきなのに、ぼんやりとして、まるでうんこでもしようとしているかのようだ。人にテーブルを置かせ、お二人を座らせるのだよ。それから、お二人に、韓さんと一緒に座るかどうか尋ねておくれ。一緒に座らなければ、私が別のところでもてなしをすることにするよ。娘は出てくるべきですが、本当に韓さんの奥さんにぶたれて怪我をし、動くことができず、横になっているのです。お二人とも、ご飯を召し上がって下さい。さらに、ささやかな贈り物をさしあげましょう。貧しい家ではありますが、必ずお出しいたします。お二人を喜ばせ、娘の面倒をみていただきましょう。お二人とも腰を掛けられてください。私は奥に行き、ご飯を出すように言ってまいります」

恵希仁、単完は口を揃えて褒めました。

「本当に知恵のあるお方だ。馬鹿な男の十倍はましだ。奥さまがもっとはやく出てこられ、私たちと話をしてくだされば、私たちも騒ぎませんでしたよ。狄さん、あなたは府経歴に選ばれる運命にあるそうですね。府の首領は閑職ではありませんから、あなたには無理な仕事でしょうな」

単完「無理なことがあるものか。童の奥さまを幕僚にすれば、きっとうまくやれるはずだ。奥さま、どうか中にお入りください。相談をしましょう。狄さまはただの飾りです。狄さまがご馳走をどうぞとをおっしゃっても、私たちはご馳走になるわけには参りませんが、童の奥さまのご命令とあれば、お断りするわけにも参りません。三杯ご馳走になりましょう」

 言い終わりますと、童奶奶は中に入りました、程なく、四つの小皿に入った菓子、酒の肴、スープにご飯が、次々と出てきましたが、大変豊富で清潔なものでした。松竹居[1]の美酒を買い、さんざん勧めました。実は、下役たちが表で話をしていたときに、童奶奶は、呂祥を菜市巷に遣わし、食材を買いととのえていたのでした。呂祥が指揮をとり、調羮が手伝いをし、料理はあっという間に出来上がりました。二人の使いは腹一杯食べました。劉振白と韓蘆も、がつがつと食べて満腹しました。

使い「お酒もご飯も、たっぷり頂きました。童の奥さまとお話ししましょう。お話しは何でしょうか」

言い終わると、中に入りました。童奶奶は、狄希陳を呼び、相談しました。狄希陳は、恵希仁が前と同じように引き留めるのではないかと思い、動こうとしませんでした。

恵希仁「童の奥さまにお会いできたのですから、狄さまはお部屋に戻られても結構です」

狄希陳は戻っていきました。

童奶奶「あの二人の下役には、どんな贈り物をすることにしようか」

狄希陳「私は、人と裁判をしたことがありません。このようなことは、私にはよくわかりません。幾ら贈るかは、お義母さまが決めてくだされば結構です」

童奶奶「彼らが掴まえようとしているのは女ですから、面子を立ててもらわなければいけません。少なければ体裁が悪いので、それぞれに十五両の銀子を与えることにしましょう」

狄希陳「お義母さまの考えはご尤もです。そうすることといたしましょう」

童奶奶「あなたにはちょっと尋ねてみただけですよ。あの人への賄賂は私がおくりましょう。出ていってあの方たちのお相伴をしてください」

狄希陳はふたたび表に行き、下役のお相伴をしました。

 童奶奶は、二両の銀子をはかりとり、二つの封にしますと、呂祥をわざと客がいるところへ行かせ、こう言わせました。

「おもてで、一人の男が、恵さまと話をしたいと言っています。どなたかは存じませんが」

恵希仁「何者だ」

呂祥「三十数歳で、屯絹の道袍を着けています」

恵希仁「一体誰だろう。同じ職場の友人かもしれん。おもてに見にいってみよう」

恵希仁が立ち上がりますと、呂祥も一緒に外に出ました。そして、恵希仁を静かなところに連れていきますと、言いました。

「女主人が、お二人に宜しくと申しておりました。童氏は役所に出向きます。すべてはお二方のお取り計らい次第です。どうか面子を潰さないようにしてください。薄謝十五両を差し上げましょう。ただ、韓蘆と老劉の前で出すわけにはまいりませんので、とりあえず一両差し上げましょう。晩に、彼らには内緒でおこしください。ご報告は以上です」

恵希仁「奥さまにおっしゃってください。この人命事件は、兵馬司が審理をするのです。韓蘆が訴状を提出し、ひどいことを報告したため、察院さまは、自分で自供書を審理され、尋問を行うことにされたのです。私たちは、最初に令状を受け取ったときも、こんなにたくさん頂こうとは思いませんでしたが、狄さまに会いますと、望む額が多くなりました。しかし、童の奥さまがもてなして下さったのですから、もう何も申し上げることはございません。奥さまにおっしゃってください。まずは一両を、さらにそれぞれに二十両をお送りください。寄姐さまが役所に行かれたときは、すべて私どもが面倒をみてさしあげます。少しも面子を潰しは致しません。私たちは万事了解致しました。どうか奥さまに報告なさってください」

恵希仁は、戻りますと単完に向かって

「呉仁宇が比較をするといってきました。あの人に会いにいかれて下さい」

単完は、役所の人間で、事情をよく知っておりましたので、こう言いました。

「兄さんがあの人に会われたのならそれで宜しいでしょう。私はあの人に会う必要はありません」

 呂祥が報告をしますと、童奶奶が現れました。小選子は一両の包みを二つもち、付き従っていました。

童奶奶「お二人ともご苦労さまでした。これは薄謝です。瓜子、炒り豆を買われてください。明日の裁判のときは、宜しくお願い申し上げます」

恵希仁「ご厚意を受けたからには、争うべきではございませんが、奥さまは私どもに少し薄情にしてらっしゃるのではありませんか」

童奶奶「本当なら手厚くお礼をするべきですが、貧乏人ですのでそれもできません。どうか我慢されてください。お二人に叩頭してお礼致します」

恵希仁「奥さま、このように礼儀正しくもてなしていただいたからには、私たちは話したいことがあっても、話したりはいたしません」

単完に言いました。

「単さん、これがわたしたち二人のすることですが、どう思われますか」

単完「すべてあなたに任せましょう。あなたがおっしゃったことに、すべて従います」

恵希仁「ようし。狄さまは、真面目な人ですし、童奶奶も賢い方ですから、親戚の契りを結ぶことにしましょう。寄姐さんの件は、童奶奶の面子を立てることにいたしましょう。私は明日寄姐さんを呼びにまいりましょう」

話がおわりますと、狄希陳は、表門まで送り出し、拱手して別れました。劉振白は使いにむかって言いました。

「私はおもてなしをしていません。お酒の代わりに、遠くまでお送りすることに致しましょう」

使いを送って東に行ってしまいました。

 狄希陳が家に入ってしまいますと、劉振白は言いました。

「お二人ともどうなさったのですか。うまくいかなかったのですか」

恵希仁「だめだ。交渉は決裂だ。おまえとはもう話しはしない。わしらは別の計画を立てなければならん。二両の銀子でいいということにしたのか」

劉振白をごまかして帰らせますと、恵希仁は単完に事情を知らせました。

単完「まあいいでしょう。小間使いが死んでも、大したことではありませんが、この金額はなかなかのものですからね。狄さんは恐妻家ですが、童奶奶は『文王に会えば礼楽を行い、桀紂にあえば矛を手にとる』優れた人で、礼節によって私たちを手懐けてしまったのです。私たち以外なら、あんな待遇はしてもらえなかったでしょう。あなたの奥さんも優れた人といえるでしょうが、どうやらあの人にはおよばないようですね」

恵希仁「私の女房は意気地無しで、童奶奶に会えば、降伏状を提出するしかありません。あなたの奥さんとはいい対になるでしょう」

単完「うちの奴は、門の奥で腹這わせておくしかありません。顔を出す勇気もありませんよ」

恵希仁「冗談はそのくらいにして、まともな話をしましょう。あの女はならず者ですが、世の中のことを良く知っており、見識があり、しっかりした人です。しかし、劉芳名の犬畜生は憎らしい奴です。あいつはあれこれいって狄さんから金を脅しとったのです。狄さんが私たちにもう二十両の銀子をくれたら、あの人を助け、劉芳名の犬畜生を板子打ちにし、韓蘆には自供を撤回するようにいうことにしましょう」

単完「兄さんのおっしゃる通りです。まったくとんでもないことで、とても腹が立ちます。私たちは、家に戻り、様子を見、物を買い、奥様方に食べさせてあげましょう。私は家で兄さんを待ち、起更のときに、あそこへ行くことにしましょう」

それぞれ別れていきました。

 童奶奶は、家に酒とご飯を準備し、金額通り二十両の銀子の包みを二つ作り、恵希仁、単完の二人を待ちました。起鼓を過ぎると、恵希仁たち二人は、狄家の入り口にやってきました。門を叩こうとしますと、劉振白の黒い影が、門の中から走りよってきて、こう言いました。

「お二人とも、真夜中に何をしにこられたのですか。人を騙して金を稼ごうとしているのですか。『爛肉[2]を食べたいときは、炊事係を粗末にしてはいけない』[3]といいますのに、どうして私に黙ってこられたのですか」

恵希仁「ちょうどいいところへきた。劉さんは本当にいい人だね。あんたを尋ねていく手間が省けたよ。監獄に行こう。察院さまは、俺たちが期限に遅れたのを怒り、人を遣わして俺たちに催促をされているんだ」

劉振白「それはおかしなことを。お二人をお助けしたというのに、しょっぴかれるわけにはいきませんよ。私を掴まえて監獄に送るですって」

恵希仁「俺もあんたが行こうとしないことはわかっている。あんたを監獄に連れていき、一晩放り込んでやるのさ。使いの目をくらますことができるからな。俺たちは童氏も呼びにきたんだ」

劉振白「童氏がきたら一緒に監獄に行きましょう」

単完「察院さまは、良家の婦人を、男と同じ監獄に入れるのが嫌いなのだ。俺たちは、あの人の母親を付き添わせる。俺たち二人どちらかの家で一晩泊まっていただき、明日、役所に行って報告をする。俺たちが仕事を怠けていないことを明らかにするのだ」

劉振白「私も一緒に二人の家に行き、一晩泊まることにしましょう」

恵希仁は舌打ちをして言いました。

「馬鹿野郎め。男女が一緒にいることは許されないというのに、中に紛れこむつもりか。こいつには構うな。鎖を持ってきて、首に掛け、引っ張っていけ。監獄に引き渡し、よく見張らせよう。逃げたら、ただでは済まされないからな」

劉振白は歩きながら、ははと笑って

「面白い。こりゃ自業自得というものだ。一晩監獄にいるのも、結構なことじゃないか」

恵希仁は単完に言いました。

「監獄に入れたら、はやく来るんだ。まずは童氏に付き添い、奴が逃げないようにすることにしよう」

 単完は、劉振白を縛り、遠くへ行きました。恵希仁は門を叩きにいきました。最初に狄希陳が出てきました。童奶奶も、すぐに後から現れ、小選子にむかって言いました。

「暗くなったから、料理を持ってきて、酒を温めてくれ」

恵希仁「ご馳走になります。もう遅いですから、お酒をいただく必要はありません」

童奶奶「何も準備しておりませんが、お掛けください。単さまは来られなかったのですか」

恵希仁「一緒にお宅の入り口に来たのですが、用事がで何かをしにいってしまいました。遠いところではありませんから、すぐにやってまいります」

童奶奶「薄謝を別々に包んでおきました。お二人とも、分け前に違いはございませんでしょう」

恵希仁「私たち二人は姓こそ違え、実は同腹です。関羽、張飛のようだと言われても腹を立て、管仲、鮑叔のようだといわれても有り難いとは思わないほどです。金があれば同じ時に使い、金がなければそれぞれが別々に耐えることを望まないのです。しばらくしてから、同時に送ってくだされば結構です」

話をしていますと、単完が門を叩きました。童奶奶は茶を出し、料理を並べ、二封の謝礼を持ってこさせました。狄希陳は、それぞれに、一封を手渡しました。二人が見てみますと、付箋には「薄謝二十両」と書かれていました。受け取ってみますと、ずっしりと重かったので、心の中で大変喜び、声を揃えて言いました。

「奥さまは賢く、狄さまは真面目な方ですから、この礼物を受け取らなくても、寄姐さまの面倒をしっかりみてさしあげるのが当然ということでしょう。ただ、役所の人間は、頭を使って金を稼がなければなりません。家では女房子供が、着る物や、食べる物を求めていますので、厳しいことを申し上げたのです。半分でも結構ですよ。実は、私たちは、最初は三十両を望んでおり、狄さまに会いますと、五十両がほしくなりました。しかし、奥さまが出てこられたからには、無礼なことを申し上げるわけにはまいりません。面と向かって、厚かましくもお尋ねいたしますが、この銀子は純銀でしょうか。鉛は入っていませんでしょうか」

童奶奶「何をおっしゃいます。喉元過ぎて熱さを忘れるのは善人ではありませんよ。川を渡ってもいないのに、橋を壊すものですか」

単完「奥さまのおっしゃることはご尤もです。私ども兄弟二人が悪うございました」

童奶奶「ゆっくり腰を掛けて、何杯か飲まれてください。明日、一声掛けにきてくだされば、娘を送り出すことにいたしましょう。数人の親戚を呼び、付き添わせ、私は家にもどります」

恵希仁「家に行かれてはいけません。ここで腰を掛けられてください。話があれば奥さまと相談いたします。狄さまは姓を林といい、ぼんやりした方ですから[4]、話しはできません」

童奶奶は、酒を飲むのには付き添わず、脇に腰を掛けていました。

 恵希仁「私たちは、礼物を受け取った以上は、仲間同士です。本当は、小間使いはどうして死んだのですか」

童奶奶「本当のことを申し上げましょう。あの小間使いは、とても善良で、清らかで、賢かったのです。まず小間使いが買われ、後に娘が娶られたのですが、どういう訳か、娘と小間使いは、相性が良くありませんでした。娘は、小間使いと会うと、すぐに腹を立て、ぶとうとしました。誓って申し上げますが、実際は少しもぶってはおりません。衣服や食事については、実にひどい扱いをしましたがね。小間使いはそれが気に入らず、銅の盆を手にとると、がらんと地面に落としました。赤ん坊は乳を飲んでいましたが、びっくりし、長いこと泣き声をたてることができませんでした。そこで、彼女を空き部屋に送り、二日間閉じ込めたところ、すきを見て、自ら首を吊ってしまったのです」

恵希仁「死んだら運び出すべきなのに、あの女の両親は来なかったのですか」

童奶奶「彼らの住所を知らず、気候も暑かったので、仕方なく人に担がせていったのです。埋葬をして戻ってきますと、あの女の両親は、たくさんの下男、下女を連れてきました。そして、物を壊し、娘を殴った上、糞を掛け、今まで受けたことがないような辱めを加えました。娘のために執り成しをする人もいませんでした。婿は−お二人もよくご存じの通り−動こうとしませんでした。劉振白を呼び、脅したり、すかしたりして、帰ってもらうしかありませんでした」

恵希仁「小間使いが死んだのに、韓家に連絡しなかったのは、私たちの落ち度です。彼らがきた以上、何かを与えて、黙らせればよかったのです。貧乏人というものは、子供が死に、少しも得る物がなかった場合、脇に唆す人がいますと、他人が何と言おうと告訴をするものです。これも私たちの失敗です」

童奶奶「お二方に嘘は申しません。劉振白は事をうまく纏め、数両の銀子を手に入れると行ってしまったのです」

恵希仁「銀子を貰ったのに、さらに告訴をするなんて、何て憎たらしいんだろう。きっと銀子が少なかったのでしょう」

童奶奶「お二人は私たちの仲間です。彼らが手に入れた銀子は、少ないとはいえません。男は十五両、女は十両、ついてきた三人の男、四人の女には、それぞれに一両与えました。これは少ないとはいえないでしょう」

恵希仁「まったく腹が立ちますね。埋葬費だって十両三銭を越えることはありません。人からこれだけの金を脅しとっておきながら、まだ満足しないとは」

単完「きっと劉振白がことを起こしたのです。狄さまと童奶奶があいつに礼をいわなかったものですから、彼らに告訴をするように唆したのです。きっとそうに違いありません」

童奶奶「あの人は、私たちの銀子を手に入れてから、私たちのために交渉をしたのです」

恵希仁は尋ねました。

「どのように脅したのですか。どれだけ脅しとったのですか」

童奶奶「棺を担ぎ出すとき、彼は棺を運ぶのを邪魔し、難癖をつけました。外に担ぎだした棺を、元に戻すことはできませんから、たっぷり四十両脅しとられてしまいました。棺を担いでいた四人の乞食にも、八両脅しとられてしまいました」

恵希仁「あの犬畜生め。まったく憎たらしいことだ。韓蘆は金を脅しとり、告訴をおこないましたが、すべて劉振白が唆したのですね。あいつは私たちにさんざん憎たれ口をきいていました。あの妓女の息子め。許さんぞ。私たち二人がいれば、あなた方は、きっと裁判を有利に進め、あの犬畜生をひどい目に遭わせることができます。『人に金を要求したら、人のために災いを取り除いてやれ』といいますが、人にこれだけの金を要求しておきながら、告訴をするように唆すとは。私たちはここにきたばかりですから、あいつは私たちを脅しにきたりはしません。先ほど、単さんが、あいつを縛り、監獄に連れていきました。あいつはすぐに捕まりましたよ。、明日は来る必要はありません。私たちは、察院の入り口で、狄さまをお待ちしております。狄の奥さまに訴状を提出し、あいつが韓蘆を唆し、告訴を行わせたと訴えましょう。あいつが銀子数両を脅しとったと言ってやりましょう。あいつを恐れることなどありません。察院さまは、嘘をつかない人を好まれますから」

童奶奶「訴状は、誰に書かせたらいいでしょうか」

単完「訴状を書く者などたくさんおります。趙唖子は、とてもうまく書くことができますから、五銭の銀を、与えましょう。早めに行かれてください。あの男を探してまいります。一人で行かれると、あの男は、あなたの間抜けな様子を見て、多めに金を欲しがることでしょうからね」

童奶奶「この訴状は、娘が自分で提出しなければならないのですか」

恵希仁「その必要はありません。狄さまがなさればよろしいでしょう。明日、訴状を提出すれば、明後日、批准がなされ、明々後日、令状が出されます。私たちはその次の日にあの人と会い、さっさと事を処理しましょう。時間も遅くなりました。提灯があったらお借りして、行くことに致しましょう」

童奶奶「夜が更けて、寒くなりましたから、もっと飲まれてください。提灯を点し、お二人をお送りしましょう」

単完「結構です。自分で帰ります。どちらも同じ道ですし、召使いの方が戻られるときに、苦労されなくてすみますからね。ここ数日は、とても夜回りが厳しいのです」

人々はそれぞれ別れていきました。

 狄希陳は家に行きますと、笑って

「ああ。明水の人々は、僕のことをずる賢いと言っていましたが、北京城に来て、僕が馬鹿だったことが分かりました。この世の中に、僕のような馬鹿者がいるでしょうか。みなさん、虚心坦懐におっしゃってください」

童奶奶「馬鹿ではありませんが、少し抜けたところがあるのです。まずは相談をいたしましょう。面倒をみてくれる人があっても、役人というものは、すぐに態度を変えますからね。彼らの心はしかとはつかめませんよ。娘は役所に行ったことがありませんから、あの二人のごろつきを言い負かせるはずがありません。あなたがひどい目に遭うようなことがあってはなりません。私が辛い思いをするのは構いませんが、あなたは役人になられる方なのですから、体裁が悪いでしょう。相大爺は進士で、部の属官になっています。あの人は、寄姐の面倒はみてくれませんが、あなたの面倒はみてくれるでしょう。あの人は、私たちにお金を要求しないでしょう。あの人に、執り成しの手紙を書くように頼みましょう。あの人と役所に行けば、心強いことです。そうでなければ、びくびくして、すらすらと受け答えすることができませんよ」

狄希陳「お義母さま、どれだけの銀子を使おうと、私は構いません。指図していただければ、誰にでも執り成しを頼むことにいたしましょう。しかし、従弟にだけは頼むことはできません。従弟は、おばに『希陳さんは奥さんの性格が悪いせいで、災難にあってばかりいますね。都に逃れ、賢い奥さんを探されたのはよかったが、その奥さんが小間使いを苛め、首を吊らせてしまうとは。あの奥さんもずいぶん賢くなったものですね』と冗談を言うかもしれません。このような冗談には我慢ができません」

寄姐「やめておくれ。お母さま。あなたがこのようなことになったのは、自業自得というものです。私は主人の前世の母親を追い詰めて殺したわけではないのですよ。主人は私に恨みなどないのに、私を助けてくれる人を捜そうとはせず、ちょっと銀子をつかうことさえ惜しがっています。つてを求めて、金を使うはずなどありませんよ。構いませんよ。私はこう考えているのです。小間使いは、自分で首を吊ったのです。私は、珍珠をぶったりはしていません。私があの女をぶち殺したとしても、傷を捜し出さなければ、私に命の償いをさせることができません。傷が見付からなければ、むこうが拶子に掛けられることでしょう。そうでなくても、一二日拶子に掛ければ、かならず私を許してくれるでしょう。私は気を失い、強姦にあうでしょう。この前、小京哥を生んだときは、もう少しで気絶するところでした。私はまた子供が生まれたと思うことにします。使った主人のお金は、きちんと記録しましょう。そして、裁判が終わったら、蘆溝橋の河原に行き、小屋掛けを作り、自分の体で、こまめに金を稼ぎ、返すことにしましょう。私だって金を稼ぎ、あの人に恩返しすることができるでしょう。さらに、母さんにも恩返しすることにしましょう」

童奶奶「やめておくれ。気がふれたのかい。何て馬鹿なことを言っているんだい」

寄姐「お母さまが、あの人に頼みごとをしていたから、このようなやけを起こしたのです」

童奶奶「馬鹿を言わないでおくれ。何もやけになることはない。善人はそのようなことはしないものだよ」

狄希陳「小間使いがいびり殺されたため、他人からひどい目に遭わされても、僕は声をたてることもできなかった。お義母さまが相于廷に頼みごとをするようにとおっしゃったので、僕はこういったのだ。『相于廷は、おばに冗談を言うでしょう。ほかにつてを探しましょう』何もお前を傷付けてはいないのに、こんな事をいうなんて」

寄姐がさらに話をしようとしますと、童奶奶は怒鳴りつけました。

「やめておくれ。それ以上話しをするのは許さないよ。もう三四更にだよ。早く眠り、早く起きるようにしておくれ。希陳さんは察院に訴状を出しにいかれるのだからね」

人々は、ようやく口を閉じました。目を閉じますと、童奶奶と調羮は、先に起きだし、明りを点けました。調羮は餃子を作り、炉に火を起こし、お湯を沸かしました。そして、狄希陳が髪梳き、洗顔を終えますと、退きました。狄希陳は、食事を終えますと、汗巾に銀子を包みました。そして、小選子を付き従え、小帽、黒服を挟み、訴状を準備しにいかせました。

 南城の察院の入り口に行き、しばらくしますと、恵希仁と単完が、遠くからやってきました。彼らは揖をし、ご馳走へのお礼を言いましたが、このことはくわしくはお話し致しません。

恵希仁「単さん、あなたは、狄さまが訴状を書くのに付き添われてください。私は他のことをいたします。書状を提出するときは、私がいきましょう。みんなで狄さまの面倒をみてください」

単完と狄希陳は、趙唖子の風采があがらないのを見ますと、心の中でこう思いました。

「このような男に能力があるものか。人を動かすような訴状を書けるはずがない。もしもうまく書けなければ、事を仕損じてしまうぞ」

単完をこっそり外に引っ張っていき、尋ねました。

「あの男は、本当に訴状をうまく書けるのか。事を誤らなければ良いのだが」

単完「あの男は、幼いときからの同窓生で、もともと家柄は良いのです。実は、今上陛下も、あの男とつながりがあります。あの男は腹一杯に才能と学問が満ちています。順天府では、何度も童生を試験しましたが、運が悪いことに、どうしても学校に入ることができませんでした。あの男ほどの才能があれば、運がよければ、挙人、進士にも合格することができるのですが、運が悪いので、まだここで訴状を書いているのです。あの男は、腹一杯に才能を抱いています。友人たちはあの男に『西江月』を送りました。読んでお聞かせすれば、私の話しが嘘ではないことが分かることでしょう。お読み致しましょう。

『趙銭孫李』広く読み、『天地玄黄』[5]多く書き、一編の文字二三行、学問棄てて書く訴状。紙を敷いては嘘をつき、筆を執っては謗り言(ごと)、しばしば怒らす審問官、捕らえられ板で打たれる二十回。

狄希陳「これはとてもいい。でたらめを書かなければ訴状ではないからな。でたらめを書くのがうまいのなら、裁判はこっちの勝ちだ」

二人は、身を翻して中に入りますと、板の腰掛けに座りました。

単完「こちらは山東の狄さんです。吏部候選府の経歴で、訴状を書いて欲しいとおっしゃっています。丁寧に書いて差し上げてください。いい加減なことをされてはいけません。狄さん、事情をお話しになってください」

狄希陳「私は、原籍が大明国南贍部洲山東承宣布政司済南府繍江県の者で、家は、城から四十里離れた明水鎮にあります。父は姓を狄といい、名は宗羽、号は賓梁です。亡母は相氏で、現任の工部主事相于廷の娘です」

単完は、話しを遮りますと、尋ねました。

「狄さまは、相さまとは母方の従兄弟同士でしたね」

狄希陳「あの人はおじの息子、私は母の息子で、従兄弟同士です。偽りはございません」

単完「私たちがよけいなことをしなくてよかった。狄さまはほかにもつてをお持ちだったのですね。だんだん遅くなってきました。察院で、もうすぐ二点の時報が鳴ります。狄さん、お話は手短かになさってください。この人に早く訴状を書かせてください」

狄希陳「はっきりと事情を話さなければ、訴状を書くことはできないでしょう」

単完「書状を書くのに、先ほど話されたようなことは必要ありません。あなたに代わって話しをしてあげましょう。趙さん、おとなしく聞いていてください。狄さまは、上京され、選任を受けるのを待っているときに、都の娘を娶りました。彼女は十五歳の小間使いでしたが、彼女のために、衣裳を作ってやらなかったことに腹を立て、この四月十七日、首を吊って死にました。隣人の劉芳名は、狄さんがよそ者であるのをいいことに四十両を、棺を担ぐ者は八両を、小間使いの両親は二十五両を、ついてきた下男、下女は七両を脅しとり、事を収めました。ところが、劉芳名は、この肉は骨がない、すべて食い物にしてやろう、と言い、小間使いの親父の韓蘆を唆しました。そして、狄さんではなく、狄さんの奥さんの童氏だけを告訴し、証人になりました。ところで、童氏が一人で訴えることにするか、狄さまが名前を出して訴えることにするか、どちらにしましょう」

趙唖子「方法は一つしかありません。まず、劉芳名を告訴しましょう。彼が金を脅しとったのに満足せず、韓蘆を唆し、女を告訴させたというのです。察院さまは女を捕らえません。だから男を告訴しません。女を役所に出させ、一生懸命騙しました。ご主人が名前を出し、代わりに告訴をされる場合でも、脅しとられた銀子の額をお書きください」

狄希陳「あいつが銀を脅しとったことを、役人は贈賄だと言うでしょう。これは、あまり穏当なことではありません」

趙唖子「察院さまは正直な方を好まれます。この件に関しては、あなたを追及したりはしないでしょう。私がこの訴状を提出し、あいつをひどい目に遭わせればいいのです。狄さま、三両の銀子をお礼にください」

単完「察院さまが出廷されるから、はやく書いてくれ。まずは五銭の銀をあげよう。裁判に勝ったら、狄さんにさらに二両出させよう。裁判が収まれば、大丈夫だ。とりあえずこの五銭をお礼にするよ」

趙唖子は、用紙を敷き、墨を擦り、筆に着けますと、推敲もせず、すぐに書き上げました。書き終わりますと、察院で三回雲板が鳴り、門が開きました。恵希仁は、急いで走り出てきて尋ねました。

「訴状は書き終わりましたか」

単完「書き終わったばかりだが、まだ読みなおしていない。うまく書けているかは分からないよ」

趙唖子「大丈夫です。はやく提出されてください。私は、字を書き間違えたことはありません。間違いがあったら、責任をとります」

狄希陳は、黒い服、単衣の服に着換え、恵希仁は、投文牌に従い、中に入りました。

 「一枚の紙が役所に入ると、九頭の牛でも引っ張りだすことができない」「役人の裁きは十人十色」と申しますが、勝敗やいかに。何はともあれ、次回をお聞きください。

 

最終更新日:2010118

醒世姻縁伝

中国文学

トップページ

 



[1]酒屋の名と思われるが未詳。

[2]揚州地方の豚肉料理の一種。豚の下顎の肉をよく煮て、生姜、葱、塩、酒を入れ、さらに豆腐くらいの柔らかさに煮込む。

[3] 「うまい汁にありつこうとするときは、人の助けが必要だ」の意。「要飯吃、休要悪了火頭(飯を食いたければ、炊事係を粗末にするな)」(『金瓶梅』四十七回)とも

[4]原文「狄爺姓林、木木的」。「木木的」は「木木然」「木木樗樗」「木呆呆」などと同義。ぼうっとしているの意。

[5]幼児用教科書『千字文』の冒頭句。

inserted by FC2 system