第七十八回

陸好善がおびえて損をすること

寧承古がゆすりをして殴られること

 

会ひたや心の善き人と

あるは楽しきことばかり

たとひ苦難に遭はんとも

善き神さまに助けらる

悪しき女に従はば

無理に宿屋に泊まらされ

旅行けばあつといふ間に金をする

金に限りはあるものの

憂への尽くることはなし  《一落索》

 さて、素姐は人々に救われ、寝室に担ぎこまれました。翌日は、胸が腫れ、首が痛かったため、髪梳きと洗顔はせず、食事もとらず、丸々一日眠りました。相主事の女房は、しばしば中に入り、彼女を見舞いました。相大妗子も部屋に入り、様子を見ますと、こう言いました。

「お前はもともと綺麗で元気が良かったのに、役所の中に閉じ込められていては、気が塞ぐのは当然だ。甥は故郷にいったが、恐らく何か仕事があって、すぐに戻ってくることができないのだろう。お前の義理の従弟と相談し、とりあえずお前を故郷に送れば、気晴らしをすることもできるだろう。万一気鬱で、病気になったら、甥から恨まれてしまうよ」

素姐「故郷へ送ってくださるのでしたら、本当に父母の生まれ変わりのようなものです」

枕の上で振り向くと、枕の上で、続け様に何度か頷き、言いました。

「ここでおばさまに叩頭してお礼申し上げますから、どうか約束を反古になさらないでください」

相大妗子は何度も宥め、素姐を着飾らせました。そして、荷物を纏め、四名の人夫を雇い、二人がきの小さな轎を買い、防水布を作り、下男の倪奇を選び、再冬の護衛をさせ、吉日を選んで出発しました。見送りをし、餞別を贈ったことは、決まりきったことですから、くわしくお話しする必要はございますまい。素姐が別れを告げて外に出ますと、相主事は、長班の陸好善を蘆溝橋に送り、報告をしました。

 素姐が外に出ますと、轎の中で言いました。

「毎日私は役所に閉じ込められ、まるで『びっこの和尚さんが説法をする−話すことはできても歩くことはできない』という有様だった。今回、私は外に出してもらい、自由になった。宿屋を探し、二日泊まり、皇姑寺に行くことにしよう。とりあえず、私を洪井胡同の調羮のところに連れていっておくれ。様子を見てから宿屋へ行くことにしよう」

倪奇と陸好善は言いました。

「旦那さまは、旅立たれるとき、狄(おくさま)が宿屋を探すようなことはあってはならない、ずっと狄に付き添って故郷まで行くように、陸長班は蘆溝橋まで付き添ってゆく、出発したら、その日のうちに報告するべきだと言われました。狄をお泊めするわけには参りません。それに、皇姑寺は、宮中の太后さまのお寺で、皇族や元勲の親戚でない一般人は、簡単には入ることができないところです。偉い方の奥方でも、入れる時期が決まっており、正月元旦、十五日の元宵、二月十九日の観音菩薩の誕生日、三月三日の王母蟠桃会、四月八日の浴仏、十八日の碧霞玄君の誕生日、七月十五日の中元、十月十五日の下元、十一月の冬至、臘八日の施粥のときだけ、お参りすることができるのです。これらの時以外は、偉い方の親戚でも、お礼参り、袍の奉納、幡、灯明の奉納などの際に、司礼官から券を貰い、門番の宦官に送らなければ、中に入ることはできないのです。十数歳の少年でさえ、中に入ることは許されず、戸締まりはとても厳重です。今は行事があるわけでもございませんから、御覧になることはできませんよ」

 素姐は轎の中で腹を立て、言いました。

「私の考えは決まっているんだよ。おまえが私の母親でも、私に逆らうことはできないよ。私を遊ばせるように勧めたほうがいいよ。とにかく道を進んでおくれ。陸さんは私の性格を知らないだろうが、倪さんは知っているだろう。あなたたちがどうしても邪魔をしようとするなら、私は死んでやるからね。私の家にはろくでなしの弟が二人いるから、おまえたちに命の償いをさせるだろうよ」

倪奇と陸長班は顔を見合わせました。

陸好善「これはあなたがお決めください。私が決めるわけにはまいりません」

倪奇「狄奶奶はどうしても泊まりたいと仰いますが、すぐにご返事申し上げるわけにはまいりません。家に戻り、報告をしてから考えるしかございません」

素姐「行けるものなら行ってごらん。そんなことをしようものなら、私はかんざしを抜き、轎の中で喉に刺し、おまえたち二人が私を苛めたと言ってやるからね」

倪奇「狄奶奶、あなたはずいぶん意地悪な方ですね。戻って報告いたします。あなたがどこへ行かれるときも私たちが付き従い、金を払わなければならないのですか、とね」

素姐「それが意地悪といえるのかえ。私を怒らせると、もっと意地悪してやるよ」

陸好善は倪奇に言いました。

「仕方ありません。狄奶奶は言うことを聴いてくださいませんから、仰る通りにいたしましょう。この城内には、人を泊めるのに適当な場所はございません、倪さん、狄奶奶といっしょに洪井胡同に行かれてください。私は先に自分の家に行き、片付けをしましょう。狄奶奶を私のところに招き、三日泊まっていただき、うちの婆さんと一緒に皇姑寺に行かせましょう」

倪奇「狄の奥さま、それで宜しゅうございますか」

素姐「どうしても私を泊めようとするんだね。私を担いでどこに行くつもりだい」

倪奇「洪井胡同のどなたの家に行くのですか。私は存じ上げないのですが」

再冬「僕は知っていますから、ついてきてください」

道を何度も曲がり、調羮が泊まっていたところへ行きますと、二つのかたく閉められた扉には、鉄の鍵が掛けられ、錦衣衛の封印が張られておりました。彼らは、人に事情を尋ねることもできませんでしたので、がっかりして帰ってきました。

 実は、相大舅子は素姐がふたたびやってきて、事が露見するのを恐れ、あらかじめ調羮に情報を漏らしていました。そして、彼女をとりあえず駱有莪の家に避難させていたため、家には誰もいなかったのでした。素姐の轎は陸長班の家に戻りました。陸好善は草帽胡同[1]に住んでいました。それは彼が自分で買った家でした。その有様はと言えば、

街路に通じたる過道[2]三間(さんげん)の間は北を向く。奥にあるのは中門と、一つの南向きの部屋。厠と厨房向かひ合ひ、廂房、仏閣隣り合ふ。『丹鳳日に鳴く』木綿窓、白壁(かべ)には『八仙海渡り』。先に出でたる五十(いそぢ)過ぎ悪魔のやうな醜女(ぶをんな)は、陸好善の母ならん。(あと)に出でたる艶やかな三十ほどの色女、陸長班の女房か。塩に漬けたる金木犀、すでに()ぎたる紹興茶。瓜の蜜漬け移し換へ、慌てて買ふは薊州酒[3]。狄奶奶に遠慮なく、無礼なことも厭ふなし。陸の奥さま穏やかで、とても喜ぶご来訪。

 素姐が陸好善の家に行きますと、陸好善の母親、嫁はとても喜び、奥に案内し、再冬、倪奇を客の席に座らせ、鶏を殺し、肉を計りとり、ご飯を作り、酒を買い、手厚くもてなしましたが、このことはくわしくは申し上げません。

 素姐は皇姑寺に行きたいと言いましたが、行事がある時期ではありませんでしたので、中に入ることができませんでした。折も折、陸好善の家の脇に住んでいる、姓を支、名を一驥という銅匠が、大声で不平を言い、誰かと殴り合いを始めました。陸好善は素姐の轎かきが罵りあっているのだと思い、外へ見にいきましたが、定家の侍従の伊世行が支一驥を掴んでぶっていたのでした。この伊世行は、小さいときから陸好善とは同窓で、ずっと知り合いでした。陸好善は伊世行の手を引っ張り、言いました。

「伊さん、どうして怒ってらっしゃるのですか。乱暴をやめ、私の面子を立ててください。きっと何か品物がなくなったのでしょう」

伊世行は支一驥を放しますと、陸好善に言いました。

「大広間に置かれていた大奥さまの大轎の四つの銅の輪が、三つ盗まれてしまったのです。こいつに六銭の銀子と三分の酒手をやり、三つの轎の環をつくるように頼みましたが、三か月たったのにまだ作ってくれません。そして、毎日私を騙してここに来させているのです。お若い方、定家からこの草帽胡同までは、往復十四五里あります。以前は十数日に一回来るだけでしたが、やがて五六日に一回となり、最近は毎日です。驢馬代だけでもどれだけ使ったか知れません。昨日、神に誓いを立て、今日できると約束したので、騙されてやってきましたが、家に隠れて出てきませんでした。まったく腹立たしいことです」

 陸好善「支一驥、おまえは本当に憎たらしい奴だ。人でなしの犬畜生め。銀子を受け取って三か月余り、環をつけてあげないばかりか、人を騙して遠い道を行き来させるとは、おまえをぶたないで犬をぶてというのか。その上、ぶったら不平までいうとはな。伊さん、私の顔に免じて、彼に三日の期限を与え、環をつけさせることにしましょう。これ以上嘘をついたら、伊さん、あなたは彼をぶち、私は彼を追い出すことにしましょう。しょっちゅう人からぶたれたり罵られたりしては、家主の私も体裁が悪いですからね」

伊世行「三日遅れなら、私も待てます。明後日の朝、奥さまと呉の奥さまは皇姑寺に幡を掛けにいくのですが、乗る轎がございません。結構なことをしてくれたものですよ。そうでなければ私はこいつに二回びんたをくらわせたりはしませんよ。太太がほかの轎に乗られるにしても、乗り慣れていない轎では嫌でしょう。絹の覆いは新しく作られたばかりで、あとは環が釘付けされるのを待つばかりなのです。銀子を返してくれても、承知しないぞ。徹夜で作ればよし、そうでなければ、おまえを兵馬司に連れていくぞ」

支一驥「あなたに恨みはございません。家には銅がございますから、作ってさしあげましょう。ぐずぐずしたりはいたしません。明日の昼に釘打ちをし、明後日に太太が乗れるように致しましょう」

伊世行「早く作ってくれ。わしはここでおまえの番をし、家には行かんから」

陸好善「伊さんは私の家に行かれてください。彼に銅を溶かさせますから」

伊世行「それはいけません。私が家に帰ったら、こいつは姿をくらましてしまいます。これは『首の中の腫瘤が切れる−致命的なこと』です」

陸好善「やはり彼には用心しなければなりませんね」

家に入り、茶を持ってきますと、銅細工店で、伊世行と飲み、さらに言いました。

「どこかへ行かれてはなりません。女房にご飯を作らせましょう」

伊世行は何度も辞退しました。

 話の合間に、陸好善は、伊世行を店の外に連れていき、こっそりと尋ねました。

「奥さまは、本当に明後日皇姑寺に行かれるのですか」

伊世行「当然ですよ。呉の奥さまとともに奉納することを約束した幡も、作りおわりましたから、明後日は必ず行かれるはずです。もう人を寺に遣わして話をなさいました。あなたはどのようなお話しでしょうか」

陸好善「お頼みたいことがあるのです。ちょうどいいところに来られました。これも天のお計らいでしょう。相さまのいとこの兄嫁が山東から来て、皇姑寺を見にゆこうとしました。相さまは行かせようとしませんでしたが、その人は怒って首を吊ってしまいました。今、その人を故郷に帰らせようとしていますが、大騒ぎをし、皇姑寺に行こうとしています。今は私の家に泊まっていますが、どうにかして彼女に皇姑寺見物をさせていただけないでしょうか」

伊世行は少し考えると、言いました。

「それは簡単です。奥さまに報告をし、その方を連れて見にいかせればいいのです」

陸好善「その人は衣裳も綺麗ではありませんし、ついていく女もいません。それに、どういうわけか鼻もなく、醜い顔をしており、奥さまとはどうにもこうにも釣り合いがとれないでしょう」

伊世行「それでしたら、その方を中に紛れ込ませ、話しをさせないようにしましょう。そうすれば、奥さまは、その方を呉家の人だと思うでしょう。呉の奥さまがその方に会えば、私たちの家の者だと思われるでしょう。だれも調べたり点呼したりはしませんよ。人々が叩頭するときは、その方は中に混じり、腹這いになり、叩頭し、隅っこにいけばいいのです。もしも取り調べがあれば、私が脇から受け答えをして差し上げましょう」

陸好善「それはとても結構なことです。どうもありがとうございます。二人の奥さまは、明日のいつ出発されるのですか」

伊世行「行かれるのでしたら、明日の朝、府庁の前の餅折[4]を売る店でお待ちしております、奥さまの轎が出てきたら、あなた方は一緒に行かれてください。いずれにしても呉の奥さまは私たちの家に集まるでしょう」

 二人はきちんと相談をしました。陸好善は家に着きますと、素姐に向かって言いました。

「奥さまは、普通の人は入ることができないという、皇姑寺の決まりをご存じありません。今、手立てを考えました。奥さまには少し腰を低くしていただきたく存じます」

素姐「中に入る手だてがあるのならば、どんなことであろうと従います」

陸好善「先ほど、表で不平を言われていたのは、私たちの泊まり客の銅細工師です。定家の轎の環をなかなか作らなかったため、伊世行にぶたれたのです。定家の徐太太と呉太太は、後日、皇姑寺に幡を奉納しにゆかれますが、奥さまがお嫌でなければ、執事の女房たちの群れに紛れて、中をごらんになれば宜しいでしょう。ただし、用心された方が宜しいですよ。露見すれば、ただでは済まされませんからね」

陸好善の女房と嫁は言いました。

「狄の奥さまは、ぼろが出たら、隠すことができず、必ず厄介ごとを起こすでしょう。私たち母子があの人についてゆきましょう」

陸好善は承知しました。

 翌朝、起きて髪梳きをし、食事をとりました。素姐は北京の髷に換え、陸好善の母親から蒲緑素紗[5]の衫子を借り、三頭の馬を雇い、一日分の代金を払い、徐国公の家の前の、餅折を売る店に行きました。伊世行は、すでに人を遣わして、そこで仕度をさせていました。暫くしますと、呉太太も到着しました。さらにしばらくしますと、徐太太と呉太太の乗った福建骨花[6]の大轎がやってきました。轎には重福絹金[7]の縁取りをした簾がつけられ、簾は開いていました。二人の婦人は天藍実地紗[8]の筒袖の宮袍、真っ白な彫刻を施した玉の帯を着けていました。椶棍[9]が先払いをし、後ろには大紅の柄の金箔を貼った掌扇[10]を持った者たちがおりました。小間使い、下男、女房と侍従、執事、小者、老人の世話をする子供[11]が、全部で七八十人おりました。彼らはすべて馬に乗って付き従い、一緒に進みました。陸好善は、倪奇、小再冬両家の従者たちが通り過ぎますと、素姐と陸家の姑、嫁を助けて馬に乗せ、一緒に行きました。大通りや路地を曲がって、皇姑寺に近付きますと、以下のような景色が見えました。

一面の赤き壁、四方には青き松、青や緑の華やかな重なり合へる建物は。周りに紫気が立ち籠めて、北門守る石の獅子。宮居にをれる宦官が、代はる代はるに守る門。光禄閣の重臣が、代はる代はるに捧ぐ膳。香の煙はこまやかに、珠の簾を通りたり。重なり合へる花の影、花々は飛ぶ欄干(おばしま)に。蓮座の上には、丈六の仏、高々と。お堂[12]には、三千の美人(たをやめ)が艶やかに。一人一人が陳妙常[13]、花に水やり鶴を飼ひ、座禅なんぞは組みあしない。一人一人が魚玄機[14]で、鶯を聴き草合はせ、念仏なんぞは唱へない。纏ふ薄絹、緞子、絹、食らふ酒、肉、(とり)、魚。朝には佩玉(おびだま)響かせて、掲ぐ御車(みくるま)玉簾。暮れて車と馬は去り、碧紗で覆ふ銀蝋燭。清らかな道場などとは名ばかりで、()にも華やかなる世界。

 二つの大きな轎が寺の入り口に着きますと、天地を揺るがすような声が四方から沸き起こり、この寺を守っている年をとった尼が、若い尼たちを率いて出迎えました。ところが、二人の夫人は、奥さまと呼ばれていたとはいえ、年はまだ若い女たちでした。徐太太は、一体の純金の抜絲観音[15]を戴き、右には指の先ほどの大きさの西洋真珠、葉の形をした蜚翠を嵌め込んだ花飾りを戴いていました。呉太太は純金製の丹鳳が四粒の明珠を口にくわえた宝結[16]を戴き、右には映紅をちりばめた赤い桃を戴いていました。彼らは扇で隠されながら進みました。黒ずくめの小間使いや下男の女房が付き従いました。素姐と陸家の女房、嫁は、中に混じっていましたが、大海の中の砂のようなもので、見分けられることはありませんでした。彼らは二つの家の奥方に付き従って楼閣に上り、建物を巡り、あちこちを歩き、すべてを見ました。素姐はすっかり満足しました。

 すべてを見おわりますと、上座で二人の貴人がもてなされ、下座でも普通のもてなしが行われました。茶菓、山海のものが並べられ、スープ、ご飯、生臭物などがすべて出されました。席についた人々の中には、素姐たち三人もいました。人々が箸を手にとりますと、素姐たち三人も食事をしました。半文の布施もせず、一分の食事代も使わず、美しい景色を嫌というほど眺め、たくさんのおいしいあつものやスープを食べましたが、これは素姐にとって一生一度の珍体験でした。

 精進物を食べ終えますと、二人の奥方は普段着に着替え、仏さまや大勢の尼たちに別れを告げ、轎に乗り、家に帰りました。素姐たち三人は一番最後を歩き、分かれ道に差し掛かりますと、人々をおいて陸家に戻り、陸長班の厚意に感謝しました。

 陸長班は家に女の料理人を呼び、あらかじめ酒席を設け、素姐が寺から帰ってくるのを待っていました。そして、素姐の送別をし、彼女を翌日出発させようとしました。素姐は宴席に赴きましたが、まったく出発しようとせず、いいました。

「明日は高梁橋を見にいき、戻ってきてから出発しましょう。手厚くお礼致しますよ」

陸好善は上官の性格を普段から知っており、倪奇も主人の掟の厳しさを知っていましたので、彼女に出発するように促しました。ところが素姐は頑として行こうとしませんでした。陸好善の母親、妻も、虎に付き添って食事をしたため、虎の威をかる狐になってしまっていました。彼らは皇姑寺がとても面白かったので、素姐にもう一度いくように頼みました。陸好善は駄目だということは分かっていましたが、母親の意思に背くわけにも、女房の意向に従わないわけにもいきませんでした。しかし、今回は二人の奥方が連れていってくれるわけでもありませんでしたので、人をもてなすとなりますと、自分で「食料を蔵に蓄え、その後で干し飯を蓄え」[17]、「遠くへ行か[18]」なければなりませんでした。彼は急いで肉を買い、鶏を殺し、酒を買い、料理を作りました。さらに、蒸餅、火焼を買いました。また、肩輿、二頭の軍馬を雇い、翌日遊覧をするときに使うことにしました。

 朝に起き、髪梳き洗顔をしていますと、陸好善が三日目になっても報告にこないのを見て、疑わしく思った相主事が、下男の寧承古を陸長班の家に遣わしてきました。寧承古は倪奇がまだ出発しておらず、素姐が陸長班の家にいるのを知りますと、

「とんでもないことですね。何て図々しいのでしょう。旦那さまの厳しさを、あなた方はご存じないのですか。狄の奥さまを故郷に送るため、あなたに命じて陸長班の家に送らせてきたのですよ。陸好善さん、まったく図々しいことですね。あなたがしていることは大間違いですよ。旦那さまは蘆溝橋まで素姐さまを送るようお命じになり、あなたから返事がくるのを待っていたのですよ。あなたは何様のつもりですか。素姐さまを家に担ぎこみ、三四日も泊まらせるなんて。あなたの命で塩が買えるというのですか」

寧承古は腹を立てながら、去っていきました。陸好善と倪奇は、戻ってくるように頼みました。

「旦那さまの厳しさは、当然存じあげてりますが、狄の奥さまが帰ろうとせず、皇姑寺を見にいきたいと仰ったのです。行ってはいけないと言いますと、死ぬの生きるのと大騒ぎをされたため、怒らせるわけにはいかなかったのです。今度は高梁橋にいこうとしてらっしゃいます。寧さん、あなたはお分かりになるでしょう。私が素姐さまを家にお招きしたことは、まだ誰にも知られていません。しかし、宿屋に泊まれば、事が大っぴらになってしまうではありませんか。あなたは身分の低いものを苛めたりはしないお方です。私はどうでも宜しいですが、同僚の倪さんのことを考えてあげてください。私たち二人は、あなたに恨みがあるわけでもないのですからね。旦那さまには、あの日に城を出たとだけ仰ってください。そして、陸好善はまだ戻ってきていません、蘆溝橋にはあの人のおじがおり、あの人を二三日引き止めているのです、というのです。どうかお願いします。この通り、叩頭いたします。中に入って狄の奥さまに会われれば、ほかにも何かしていただけるでしょう」

 寧承古は、陸好善についていき、素姐に会いました。素姐は真っ先に言いました。

「お前の主人は、陸長班が報告をしなかったので、私を追い出しにきたのだろう。私がお前の主人の家を出ていなければ、お前の主人は私に命令することができるでしょう。しかし、お前の主人の家を出た以上は、私の勝手だから、命令はうけないよ。お前の主人が都で役人をしなくても、都で街を歩く人がいなくなるわけではないだろう。戻って私の代わりに挨拶をしておくれ。私が帰るにはまだ早いだろう。半年とどまるわけでも、三か月とどまるわけでもない。あなたの主人に出費をさせるわけでもない。あの人があまり減らず口を叩かないようにさせておくれ」

寧承古「狄の奥さま、あなたが私の主人の親戚でなければ、半年とどまられようが三か月とどまられようが、私どもとは関係がございません。しかし、あなたは私の主人の義理の従姉です。その方が私の主人の長班の家に泊まられては、主人の面子は潰れ、長班に会うせる顔がありません」

素姐は罵りました。

「ふん。ろくでなし、さっさといっておくれ。私に毛を毟られないようにおしよ。陸長班から一日分のご飯をふるまわれたら、一日分の食事代を払うまでさ。おまえの家とは関係ないよ」

陸好善「狄の奥さま、お怒りにならないでください。執事さまと話しをされ、隠しだてしていただいた方が宜しいです。執事さまが旦那さまに話しをすれば、私は責任を負いきれません。寧さん、私たち二人の顔を立てて、隠しだてをしてください。これは二両の銀子です。寧さん、お酒を買って飲まれてください。善行を積まれるべきです。狄の奥さま、荷物を纏めてください。高梁橋は蘆溝橋にいく途中にあります。通るときに御覧になれば、五六十里の道を行き来せずにすみます」

 陸好善は、何度も寧承古に頼み、すぐに轎かきを促し、素姐を轎に乗せました。素姐は、何度も言い含めました。

「必ず高梁橋を通っておくれ。道を間違えないでおくれ」

陸好善は轎かきと示し合わせ、順成[19]、張翼門[20]道を進みました。廟の前まで担いでいきますと、

陸好善「轎を止めてください。狄の奥さまが、中を見にいこうとされています」

素姐は尋ねました。

「これが高梁橋かい。どうして薄汚くて、埃を被っているんだい」

陸好善「何を仰っいます。有名な高梁橋ですよ。こんなに綺麗なのに、どうして汚いなどと仰るのですか」

素姐は轎から降り、中に入って見てみました。和尚が茶を出しますと、素姐は二銭のお布施を与えました。そして、出てきて轎に乗りますと、言いました。

「どうしてはやく言ってくれなかったんだい。綺麗でもなく、きちんとしてもいない。通り掛かりだったからよかったものの、そうでなければ、骨折れ損のくたびれもうけになっていたじゃないか」

 素姐が寧承古に見つけられた話はここまでと致します。彼女は強情を張りましたが、結局はつまらないことをしたと思い、にせの高梁橋を見ますと、轎に乗り、蘆溝橋にいき、陸好善は別れを告げて帰っていきました。

 さて、寧承古は陸好善の家からもどりますと、陸好善から二両の銀をつかまされていましたので、ひたすら事実を隠して、言いました。

「私が行ってみますと、入り口が閉じられており、叩いても開きませんでした。長いこと門を叩きますと、陸長班の女房が出てきて門を開けました。陸長班はどこにいるのだ、ここ数日家にこないのだが、と尋ねますと、彼の女房は言いました。『数日前から留守にしております。何でも狄の奥さまとやらを蘆溝橋へ送っていったということです。あちらには亭主のおじの家がありますから、何日か泊まっているのでしょう』」

相主事はどうすることもできず、それ以上尋ねようとはしませんでした。

 ところが、数日たちますと、長班たちは、あるものが喋れば、別のものが喋るという具合に、こう噂しました。

「陸好善は図々しい奴だ。狄の奥さまを家に三四日住まわせ、皇姑寺、高梁橋に遊ばせ、道々勝手な行いをさせた。そして、寧管家が調べに行くと慌て、何度も寧管家に話しをしないように頼み、狄の奥さまを出発させた。さらに、二両の銀子を寧管家に与えたそうだ」

長班がこそこそ話していることを、執事たちはみんな知ってしまいました。彼らは一緒になって寧承古をゆすりました。寧承古が身の振り方を弁えた人なら、同僚たちと交渉し、半額を出して彼らに奢り、口を封じ、何ごとも起こっていなかったことでしょう。ところが、彼は大声で罵り、糞味噌に執事たちを呪いました。執事たちは寄り集まって寧承古と喧嘩し、執事の奥方たちもみんな事情を知ってしまいました。彼らはぺちゃくちゃと喋り、さんざん噂をし、相主事の女房に知らせ、相主事に話しをしました。相主事はとても怒り、すぐに寧承古を呼び、自供をとり、本当のことを語らせました。そして、寧承古を押さえつけ、たっぷり二十回叩き、陸長班を免職にしようとしました。

相大妗子「あの男をあまり咎めてはいけないよ。お前の義理の従姉の性格は、よく知っているだろう。あの女は考えを決めると、舅、姑にも従わないのだから、倪奇や陸長班の話を聞くはずがないよ。ちょっと説教をしてやればいい。あの男をぶったり、免職にしたりしてはいけないよ。あの男が私たちの親戚をもてなして、何が悪いものかい」

相主事「お母さまは、あの男の邪悪な心をご存じないのです。あの男は口止めをしたのですよ」

 話をしていますと、陸長班が呼びだされたと報告がありました。相主事は広間に出ると、いいました。

「わしはおまえに、狄の奥さまを送り、蘆溝橋に行ったら戻ってきて報告をするようにと言ったはずだ。お前の家に担いでいき、三四日泊まらせるようにとは言っていない。わしの役所からは、男でも外に出ることは許されないし、女なら尚更のことだというのに、何と憎たらしい奴だ」

陸長班はひたすら叩頭し、言上しました。

「都では一石の米が一両、一斤の肉が八分、一羽の鶏が銀半銭で、酒も高いというのに、私が何を目当てにして、家にあの方を呼び、泊まらせたと仰るのですか。あの日、奥さまは家から出ますと、どうしても行こうとせず、宿屋を探して泊まろうとなさいました。私と倪さんがちょっと反対しますと、あの方は、轎の中で大騒ぎをし、かんざしを抜いて喉に刺し、私たち二人の前で、死のうとされました。倪さんはいいました。『狄の奥さまが泊まりたいと仰るのなら、私は家に帰り、旦那さまに知らせますよ』。狄の奥さまは仰いました。『おまえが少しでも行こうとすれば、私はすぐに死んでやるからね』。私は言いました。『宿屋に泊まるのはよくありません。何でしたら、私の家にご案内致しましょう。私のやもめの母がお相伴致します。部屋も広いです』。二日泊まりますと、私は母親と妻に、あの方に付き添って一緒に皇姑寺に行くように言いました。あの方は、その翌日も、出発しようとせず、高梁橋へ行こうとされ、戻ってきたら出発しようと仰いました。私は言いました。『高梁橋でしたら、南へ行くときに通りますから、御覧になることができます。また戻ってこなくてすみます』。唾を飲みこみながら話をしていますと、寧承古がやってきました。寧さんが口も開かないうちに、あの方は罵られましたので、寧さんは目を見開いていました。私は言いました。『寧さん、家に帰っても旦那さまに話しをして、不愉快な思いをさせては駄目だぜ。出発したとだけ言っておくれ』。狄の奥さまがあんなに性格がきつく、相手をしにくい方だとは思いませんでしたよ」

相主事「あの人が出発するとき、倪奇はおまえに飯代を払ったか」

陸好善「私は、あの方に家から離れてさえいただければ有り難かったので、飯代などは求めませんでした」

相主事「おまえは、その数日間に、どれほどの銀子を支払ったのだ」

陸好善「五六両です」

相主事「金を使ってまでしてわしに不愉快な思いをさせるとはどういうことだ」

陸好善「数両の銀子など大したことではございませんでした。出ていっていただけなかったのには難儀いたしましたが」

相主事は尋ねました。

「あの人はほかに何と言ったんだ」

陸好善「何も仰いませんでした。ただ、私の母親と妻に尋ねました。『狄さまは、都で童銀匠の娘の寄姐を娶り、小間使いを買い、姑の一家を養い、今、洪井胡同に住んでいるのかい。』。私の母親は言いました。『息子の話では、狄さまは、相さまのお宅に住んでらっしゃるということです。そのような話は聞いたことがございません。人の話を信じられてはいけません。人が言っていることは、恐らく間違いでしょう』。狄の奥さまは仰いました。『相旺が家に帰ってきたときに、私に話したのだから、嘘であるはずがないよ」

相主事は、陸好善に去るように命じ、言いました。

「寧承古は二十回ぶってやったぞ」

 相主事は奥に戻りますと、父母に告げました。

「今回素姐が上京したのは、小隨童が故郷に戻って素姐に秘密を漏らしたためです。他の者は許すことはできますが、小隨童には腹が立ちます」

相大妗子「あの男が秘密を漏らしたのか。あの馬鹿め。まったく腹の立つ奴だ。出発のとき、私は、狄の奥さまに一言も余計なことを言わないよう、何度もあいつに言い含め、秘密を漏らしたら、ただでは済まさないよと言った。すると、あいつはこう言った。『狄の奥さまのご性格は、よく存じ上げております。私は狄さまに恨みはございません』。ところが、よりによってあの女に話しをしたものだから、あの女は都に来て、気違い犬のように罵ったのだよ」

脇にいた小間使いの小紅梅が言いました。

「ほかでもない。あの男が言ったのです。以前、大奥さまと奥さまは、あの男に、衣裳と真珠の頭飾りを取りにいくように命じられましたが、あの男は、戻ってきたときに、口を尖らせ、こう言っていました。『ええい。古米のご飯、豆腐湯で、人を苦しい目に遭わせやがって。鍋で羊肉の盒子を焼き、いい匂いで、人が涎をだらだら垂らしているというのに、少しも食べさせてくれないとはな。俺を山東に行かせない方がいいぜ。俺が行けば、『李逵が大いに師師府を騒がす』を演じることになるだろうからな』。私たちがあいつに『何て口卑しいんだろう。恥ずかしくないのかい。』と言いますと、あいつは言いました。『『君子は礼儀に関することで争い、小人は食事に関することで争う』というものだ。まったく腹が立つぜ』」

相大妗子「あの食い意地の張った奴が来たら、説教をしてやろう」

 数日後、狄希陳、呂祥、狄周、小選子、相旺は、運河を通り、張家湾に着きました。相主事の家に着きますと、素姐が轎を雇い、倪奇とともに陸路で帰ったため、狄希陳に会わなかったことが分かりました。相妗子は、素姐がまず洪井胡同にやってきたこと、寄姐と調羮がしらばっくれてごまかすと、質屋に行ったこと、皇姑寺にいこうとし、行くことができないと、首を吊って大騒ぎをしたことを話しました。さらに、狄希陳に尋ねました。

「お前は誰があの女に話しをしたか聞いていないかえ」

狄希陳は、相旺に拱手をして言いました。

「この人です」

相大妗子「なるほどね。相旺、ただではすまされないよ。おまえは狄さんに迷惑は掛けなかったが、旦那さまの名声を損なったのだからね」

すぐに狄希陳を引き止め、ご飯を食べさせました。狄周は、洪井胡同に荷物を運ぶ準備をしました。狄希陳は、ご飯を食べ終わりますと、相棟宇夫婦に別れを告げ、家に帰りました。

 相主事は一生懸命考えを巡らし、相旺をぶとうとしましたが、彼が故郷からもどってきたばかりでしたので、すぐにぶつわけにはいきませんでした。ある日、相旺は、小者の小司花と如露を奪い合い、腹を立て、小司花を殴りました。小司花は殴られて、鼻を青くし、目を腫らしながら、相主事の前にいき、相旺が以前した悪事と、今回した悪事とを告げました。そこで、相主事は相旺を三十回板子打ちにしました。相旺は脚が裂け、数日間じっとしていなければなりませんでした。童奶奶は、後にそのことを知りますと、羊肉、韮を買い、肉合子を焼き、相旺を呼び、たらふく食わせました。相旺もここは馬鹿になった方が得と考え、決して遠慮せず、腹一杯食べました。

 狄希陳は、故郷と都を二回行き来しましたが、疫病神の素姐には会いませんでした。彼にはどうやら運が巡ってきたようでした。しかし、良いことは長続きせず、楽しみが極まれば変事が起こるものです。後にどのようなことが起こりましたか。とりあえず次回のお話しを御覧ください。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]朱一新等撰『京師坊巷志』巻二・西長安街の条に、草帽胡同を載せる。

[2] 通路。

[3]薏苡仁酒のことと思われる。数珠玉の澱粉から造る酒。同治十年『畿輔通志』巻七十四、輿地二十九、物産二に「薊州薏苡仁酒、周氏第一、成氏次之、三屯営所造、更勝清烈」。

[4]黍の粉で作った薄焼き菓子。

[5]蒲緑は葡緑の誤り。葡萄緑ともいい、藍、蘇木などで染めた色。衛杰『蚕桑萃編』巻六「葡萄青色、入靛缸深染、蘇木水深蓋」。素紗は素沙とも書き、白い紗の裏地をいう。『周礼、天官、内司服』注に「素沙者、今之白縛也。六服皆袍制、以白縛為裏」。

[6]未詳。ただし、福建の轎は細工が細かく美麗であるとされる。明文震亨『長物志』巻九、巾車「今之肩輿、即古之巾車也。第古用牛馬、今用人車、実非雅士所宜。出閩広者精麗且軽便」。

[7]重福絹金。未詳。

[8]紗の一種だが、肌が透けて見えにくいもの。夏、改まった場所で着用する。『清稗類鈔』服飾「朝服之宜忌。夏不得服亮紗、悪其見膚也。以実地紗代之、致敬也」。

[9]棕櫚の木で作った棍棒と思われるが未詳。

[10]輿に乗る際に用いる扇。宋程大呂『演繁露』障扇「今人呼乗輿所用扇為掌扇。殊無義。蓋障扇之訛也」。

[11]原文「拐子頭」。老人の介添え役。「拐子」は杖のこと。

[12]原文「貝葉堂」。寺院のこと。貝葉とはインド人が写経に使った木の葉のことで、仏経をさす。また、「貝葉宮」は仏寺のこと。

[13]戯曲『玉簪記』に登場する尼僧。

[14]唐代の女流詩人。長安咸宜観の道姑であった。

[15]観音像の一種と思われるが未詳。

[16]宝石で作った結子。結子については、第七十六回の注を参照。

[17] 「乃積乃倉、乃裹餱糧」『孟子』梁恵王下。

[18] 「爰方啓行」『詩経』大雅・公劉。

[19]現在の宣武門のこと。順承門とも。崔世珍『老朴集覧』平則門「永楽十九年営建宮室、立門九。…南之右曰宣武。元則曰順承」。

[20]彰儀門、彰義門とも。いずれも「張翼」と同音、張翼はあて字。現在の広寧門の俗称。『明宮史』巻二「広寧門即俗称彰義門也」。

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