第七十七回

口卑しい小者が食べ物の恨みで人を唆すこと

気違い女房が大騒ぎをして首を吊ること

 

軽んずるなかれ食べ物を

羊の(スープ)に国滅ぶ[1]

水掛け飯が呼ぶ国士[2]

美酒(うまざけ)なけれあ去る賢者[3]

ともにすべきはうまき物

珍味があれば隠さざれ

垂らす涎に動く食指(ゆび)

人を走らせ首吊らす

 さて、素姐は古今にまれな悪事を行い、天下のあらゆる悪行を犯し、親戚たちは彼女から遠ざかり、道行く人々は歯咬みをしました。ですから、狄希陳が都で質屋を開き、妾をとり、調羮母子を都に迎え、童奶奶とともに住むようになりますと、人々は示し合わせて素姐一人をだましました。相進士の下男の相旺は、小さいときから仕えていましたので、狄希陳の宿屋にしばしば出入りしました。彼が宿屋に行きますと、童奶奶、寄姐、調羮、それに狄希陳と虎哥でさえも、彼をよそ者とは見做さず、酒があれば引き止めて飲ませ、ご飯があれば食べるように勧めるのが常でした。ある日、相進士の夫人は寄姐に真珠の頭飾りを作るように頼みました。相大妗子は調羮に命じてさらに二つの小さな衣装を作らせ、相旺にとりにいくように命じました。相旺は正午近くにやってきました。そこでは、調羮と小珍珠が厨房の鍋で韮と羊肉の合子を焼いており、家の表にも奥にもいい匂いがしていました。相旺はごくりと唾を飲み、引き止められて料理を食べさせてもらえると思い、待ち構えていました。ところが、童奶奶は調羮が作った衣服、寄姐は出来上がった珠墊を、包装紙で包みますと、相旺に渡しました。相旺はそれでも引き止めてもらいたいと思っていましたので、わざと尋ねました。

「狄奶奶[4]からお話はございませんか。私は戻りますが」

童奶奶「あなたを引き止めて食事をとらせれば、奥さまが家で待ち遠しく思われることでしょう。行かれてください。日を改めてあなたをお持てなし致しましょう」

相旺は唾を飲み込み、恨みを抱き、それからというもの、相大妗子と相進士の女房にしばしば悪口を言いました。さいわい相大妗子は親戚の誼を重んじる人でしたから、小人の言葉を信じず、相手にしようとしませんでした。折しも、彼は山東の家に行かされることになりましたので、こう考えました。

「大奥さまと奥さまを騙すことはできなかったが、すきを見て狄大爺が都でしたことをすべて漏らしてやろう。あの恐ろしい女をここに来させ、調羮、寄姐を困らせ、韮と羊肉の入った香ばしい合餅[5]を食べることができなくしてやることにしよう」

そこで、狄希陳が都にいたときの細かいことを、すべて素姐に話してしまいました。

 素姐には堪え性などありませんでしたから、このようなことを許すことはできませんでした。そして、雷のように怒り、すぐに都に入ろうと思いました。彼女は川や海をひっくりかえすほど暴れ回り、都を騒がせようとし、相旺についてくるように頼みました。

相旺「一つにはやりおえていない仕事がたくさんあるため、今すぐに行くことはできません。二つには私自らが奥さまについていくわけにはまいりません。狄さまは、きっと私が情報を漏らした、奥さまを呼び、寺で騒ぎを起こしたとおっしゃることでしょうからね。狄さまは私をお咎めにならないかもしれませんが、私の家の主人と若さまはきっと板子で打たれることでしょう。奥さま、行きたければ一人で行かれてください。あちらへ行ったら、私が余計なことをいったとは絶対におっしゃらないでください。奥さま、私に誓いを立ててください。誰かが私を疑ったときは、あなたが私のために尻拭いしてくだされば、仕事をしてさしあげたかいがあったというものです」

素姐はそれに従い、薛家に戻りますと、龍氏にこのことを話しました。

 龍氏がもしもまともな人間であれば、娘を「おまえは男にひどいことをし、身の置き所がなくなるような目に遭わせてはいけないよ。あの人は、血気が盛んで、金も持っており、両足も大きいのだから、あちこちに行くことができる。『この土地にとどめてもらえなくても、ほかに彼をとどめるところがある』のだよ。おまえは自分を悔やむべきで、人を恨むべきではないよ」と宥めていたでしょう。そうすれば、彼女の凶悪な心は挫かれていたはずです。ところが、龍氏は薛教授夫妻が亡くなってから、二人の真面目な老人にたえず指図されることがなくなっていました。彼女は、古今を通じて変わらず、天下にあまねく行われている道理や善悪を弁えぬ、ろくでもない女の性をむきだしにしていました。彼女はまず、ろくでなし、悪党とさんざん罵り、

「正妻を忘れ、素性の知れないあばずれを娶ったのは、許すことのできない罪だよ。さらに、調羮をかどわかして一緒に住むなど、刑を免れることはできないよ。すぐに、あの二人の淫婦を売らせ、災いの根を断つようにするべきだ。私も一緒に行くべきだが、お前の兄弟二人に邪魔されるのが残念だよ。小再冬をおまえと一緒に行かせることにしよう」

考えが決まりますと、荷物を纏め、人に留守番を頼み、短距離用の馬を雇って出発しました。

 小再冬が二人の兄に事情を知らせますと、薛如卞は返事をしました。

「考えを決められたのなら、僕も邪魔をするわけにはいかん。しかし、都はこことは違うぞ。一番上には天子さまがおわし、次に閣老、尚書、侯、伯、御史が数千数万人おり、乱暴なことをするのは許されない。少しでも違反すれば、重ければ剮の刑、軽くても首切りだ。姉さんは、何でもしでかしてしまうだろう。あの人は自業自得だから後悔しないが、お前は若い身空で、柳州城に嵌まり込むことになるのだぞ。ひたすら首を伸ばして、二人の兄さんを目の前に呼んでも、兄さんはおまえを救うことはできないぞ。胸に手を当てて考えてみろ。人が逃げるまで追いつめ、この上どこに訪ねていく必要があるというのだ」

再冬「それは恐ろしいことですね。僕はあの人と一緒に行かないことにしましょう」

薛如卞「一緒に行くことを約束したのだから、言ったことを換えていいはずがない。とにかく情況をよく見て、姉さんと一緒に勝手なことをしてはだめだ。内緒にすることができるのなら内緒にし、騙すことができるのなら騙せばいい。言うことを聞かなければ、大きな災いが起こり、ひどい目に遭うことは請け合いだぞ。相覲皇は、今、工部で役人をしている。あの人は自分の従兄の味方をし、お前を捕らえ、板子打ちにし、兵馬司に送り、故郷に護送するだろう。お前は生きてはいられないぞ。気をつけろ。ほかに話すことはない」

再冬は、はじめは姉について上京すると言い、とても勇ましくしていました。彼は、二人の兄の話を聞きますと、とても興ざめしましたが、賢かったため、二人の兄の言うことはとても筋が通っている、まったくその通りだと思い直しました。そして、吉日を選んで出発し、上京しました。

 さて、狄希陳は、都に一年以上とどまり、兵部のお堀の質屋で商売をしました。曇りや雨の日は自分の宿屋で寄姐と遊びました。さらに、調羮、童奶奶と無駄話をし、三日にあげずおじ、おばと会い、相進士と付き合いました。とても楽しかったので、家を懐かしむ気持ちはまったくなく、素姐から離れることができて幸せだと考えていました。ところが、ある晩のこと、ふと夢を見ました。それは、素姐が狄希陳の住んでいた家を、八百両で劉挙人に売ったところ、家がすぐに壊れたので、厩の後ろの大きな石の飼い葉桶が、たくさんの人によって、ほかの場所に移されるというものでした。地面を掘りますと、四角い大きな穴が開いており、穴の中には真っ白な元宝が詰まっていました。劉挙人は人に命じて自分の家に運ばせましたが、狄希陳は彼と争い、言いました。

「家は売りましたが、この銀子は僕の父が埋め、僕に授けたものです。どうして銀を掘っていってしまうのですか。全部を僕にくれとは言いませんが、半分ずつ分けるのが、当然というものでしょう」

劉挙人「あなたの奥さんが家を私に売ってくださった以上、地上のものも地下のものも、すべて私のものです。妄りに争われてはいけません」

下男を呼び

「毛を毟り、県庁に送り、このごろつきを枷に掛けてくれ」

狄希陳「僕は明水鎮の旧家で、ごろつきではありません。学校の例貢生募集により、天子さまから四川成都府の経歴を授けられ、実の従弟は、今、工部主事になっています。あなたなど怖くはありません」

ところが、家の取り壊しを指図していたのは、劉挙人ではなく、舅の薛教授だったのでした。そして、穴の中にあった元宝は、すべて小さなハリネズミになって走り回りました。そこへ、遠くから狼が走り出てきて、狄希陳に噛み付きました。びっくりして目を覚ましますと、夢だったことがわかりました。そこで、すぐに寄姐に知らせ、翌日、調羮にも話をしました。

調羮「夢は当てにならないものですが、とてもおかしな夢ですね。あの方はああいう性格ですから、そのようなことも起こりうるでしょう。あなたがたご兄弟の一生の生活はすべてあの財産にかかっています。本当に夢の通りであれば、とんでもないことです」

狄希陳「そのようなことがあるものか。僕は家におらず、一人の女がいるだけなのに、だれがあの家を売るというのだ」

調羮「他の人なら、買おうとはしないでしょう。たとえ買っても、その人と交渉をなされば宜しいでしょう。しかし、本当に劉挙人に売られていた場合、あなたはあの悪者をやり込めることができますか。あなたはこの一年半、故郷に帰られず、ご両親のお墓を掃除する人もいませんでした。巧姐姐からも知らせがありませんでしたから、この機会に故郷に行かれ、様子を見られるのが宜しいでしょう。ご両親の肖像画と位牌をまつる人がいなければ、暇をみて、これらのものをもってこられれば宜しいでしょう」

狄希陳「龍姐、おまえのいうことは筋が通っているよ。荷物を纏めてくれ。今日おじさん、おばさん、従弟に話しをし、吉日を選んでいくことにしよう」

果たして、ご飯を食べますと相家に行き、事情を話しました。相棟宇夫婦も行くべきだと言いました。

 狄周は質屋の仕事で忙しく、抜け出すことができませんでした。

相棟宇「あの人を一緒に行かせればいいだろう。あの人は事情を知っているし、おまえの手助けをすることもできる。質屋は−わしは何もすることがないから−お前の代わりに管理することにしよう」

狄希陳はとても有り難く思い、おじ夫婦、従弟に別れを告げ、童奶奶、調羮、寄姐に別れ、狄周、呂祥、小選子を連れて家に帰りました。

 南北二つの都を結ぶ大路は、行く人もあれば来る人があり、去る人もあれば止まる人もあり、先を行く人もあれば後を行く人もあるというありさまで、知っている者同士が気付かずに通り過ぎてしまう場合がたくさんありました。素姐は北上し、狄希陳は南下しましたが、どこで擦れ違ったものか、出くわすことはありませんでした。

 素姐は順城門に入りますと、まっすぐ錦衣衛裏洪井胡同の狄希陳の宿屋にいきました。門を叩いて開けますと、再冬に門の外で、荷物を見張らせました。素姐は奥さまでしたので、人に取り次ぎをしてもらう必要もありませんでした。真っ直ぐ奥に行き、見てみますと、いるのは知らない人ばかりでした。人々は、素姐が中に入っていったのを見ますと、びっくりして、尋ねました。

「どこから来たのですか。何をしているのですか」

素姐「私にどこからきたか、何をしているかと尋ねるとはね。お前たちこそどこからきたんだい。ここで何をしているんだい。一万回刀で切り刻まれるろくでなしはどこにいるんだい。出てこないのかい」

童奶奶「これはおかしい。どこからあばずれが出てきて、人を罵っているのだろう」

調羮は奥で何かをしていて、出てきませんでした。

童奶奶「ええい。何をしているんだえ。どこからか変な言葉を喋る女がやってきたよ。見にきておくれ」

調羮は顔を覗かせてみました。素姐は目が潰れ、鼻はなくなり、色黒で痩せ、昔のような姿ではなくなっていましたが、調羮は彼女に気が付きました。素姐は調羮に気がつきますと、口を開いて罵りました。

「淫婦め。あばずれめ。よくも人を騙してくれたね。いい家の嫁になったものだね。おまえが亭主を横取りしていたとは知らなかったよ」

調羮はようやく素姐だと分かり[6]、すぐに言いました。

「大騒ぎなさらないでください。私はあなたの家の者ではありませんから、あなたに怒られることはありません。まったくおかしなことですね。結婚して一年になるのに、あなたが遠い道を訪ねてこられるなんて」

 童奶奶は、目から鼻へ抜ける人でしたから、すぐに、狄希陳の正妻が来たことを悟りましたが、心の中でこう思いました。

「素姐は綺麗な人だと聞いていたが、どうして目くらになり、鼻がないのだろう」

訝しく思い、わざと調羮に尋ねました。

「おまえは、この人を知っているのかい。この人と話しをしたことがあるかい」

調羮「こちらは、私が以前いた狄家の息子さんの奥さんですが、どういうわけか私の所に訪ねてこられたのです」

素姐「おまえが人の亭主を横取りしたのだから、私がおまえを訪ねてくるのは当然だよ」

童奶奶「勝手なことをおっしゃらないでください。この人は私の姪で、私はこの人のおばです。この人は山東から来て、身を寄せるところがなかったので、私の家に来たのです。私はこの人が若いのに頼りにする人がいなかったので、だれかの嫁になるように勧めました。この人はある知県に嫁ぎましたが、知県は鄷都県に赴任してしまいました。そして、道が遠く、一緒に行くことができなかったため、私にこの人を養わせたのです。この人が嫁いだ男があなたの夫というわけではないでしょう。この人があなたの亭主を横取りしたとはどういうことですか」

素姐「私の夫は狄希陳といい、監生です。正月に都にいってから、淫婦どもに一年半横取りされていたのです」

童奶奶「それは分かりかねます」

調羮に尋ねました。

「狄希陳を見たことがあるかい」

調羮「いいえ。私は都におり、山東からは一千里離れていましたから、狄希陳という方など見たことがありません」

童奶奶「『名を聞くよりは顔を合わせた方がいい』といいます。姪は、毎日あなたのことをよく話していましたが、本当はこんな人だったのですか。あの人はあなたの家を出られたのですから、あなたと関係はありません。あなたがあの人に会うことはできませんよ」

素姐「私の夫の娶った妾の寄姐はどうしたんだい。童銀の女房はどうしたんだい」

童奶奶「またまたおかしなことをおっしゃいますね。頭が変になられたのでしょう。わたしは姓を駱といいます。私の家は錦衣衛の校尉で、よその土地から来た人間を捕らえているのですよ」

寄姐を指差して言いました。

「これは私の息子の嫁です。私の息子は、錦尉衛に仕事をしにいったため、家にはおりません。さっさと行ってください。これ以上ここで勝手なことをおっしゃったら、私は息子を呼び、あなたを錦衣衛に連れていき、ぶたせますよ」

素姐は証人がいないので、かなり気弱になってしまいました。

 都は、「旦那さま」という言葉を使わずに話をすることができない所です。山東人は粗野で、明水はとりわけがさつな所でした。再冬は、素姐が家の中で気違いじみたことをしているのを見たり聴いたりしていましたので、家の外で狄希陳を探しました。彼が人に向かって腰を低くし、「旦那さま」といいながら質問をすれば、人はおのずと事情を話していたでしょう。しかし、明青布の広袖の袷、二つの白絹の護領、一双の長くて踵の高い明青の木綿の靴や、沙緑の絹紐で結ばれた雲頭[7]、琴面[8]を着け、悲しげな顔をして、人の前に行き、ああといいながら

「狄廩生はどこに住んでいますか」

と尋ねても、都の人は怪しく思うだけでした。誠実なものは、「知りません」と返事をしました。不誠実なものは、目を剥いて彼を見、「どこからきたんだろう。恐らく密偵だぞ。捕り手があいつを掴まえ、廠衛に連行すればいいのに」と言いました

ですから、再冬は長いこと尋ねましたが、少しの情報も聞き出すことはできませんでした。素姐は、調羮と童奶奶に冷たくあしらわれ、恥ずかしい気持ちで外に出、相旺の言っていたところ、兵部窪[9]の質屋まで尋ねていきますと、果たして質屋がありました。その前に行きますと、相棟宇が黒い縐紗の方巾を被り、天藍の縐紗の袷を着、フェルトの靴に綸子の靴下を履き、腰掛けていました。

素姐「相おじさんではありませんか。甥っこの狄希陳はどうしたのですか」

相棟宇は顔を上げてみてみますと

「希陳の嫁ではないか。何をしにきたのだ」

素姐「あなたの甥っこを訪ねてきたのですよ」

相棟宇「いつ来たのだ。甥は故郷にいってしまったが、会わなかったのか」

素姐「いつ行ったのですか。どうしてあの人と会わなかったのでしょう。あの人の宿屋はどこにありますか」

相棟宇「わしの家に住んでおり、宿屋などにはおらん」

素姐「人々は、あの人が、洪井胡同で童銀の娘の小寄姐を娶り、調羮と一緒に住んでいるといっていました。私は先ほどそこを尋ねましたが、調羮には会えたものの、他の人には会いませんでした。あそこは駱という家で、童という家ではなく、調羮のおばの家です。調羮が嫁いだのは、鄷都県の知県で、赴任していったそうです。道が遠く、調羹を連れていけなかったので、おばのもとにおいて養わせたのだそうです」

相棟宇「そのことは、あまりくわしくは知らん。希陳も話してくれなかったのでな」

素姐は尋ねました。

「この質屋はどなたのものですか」

相棟宇「息子は部のしがない属官をしているが、金を稼ぐことができないので、人と組んで商売をし、息子が役人をするのを助けているのだ」

素姐「人々は、あなたの甥がこの店を開いている、狄周は番頭をしている、と言っていますが」

相棟宇「それはでたらめだ。人々は、甥が、一日中店に座っており、狄周がしばしば行き来しているのを見て、間違ったことを言ったのだ。ここに長くとどまってはいかん。早く故郷に戻るのだ」

虎哥を呼び、

「轎を呼んできてくれ」

 素姐を腰掛けさせますと、薛再冬とともに、相主事の私宅に行きました。相主事と大妗子が迎えました。相棟宇は相主事と大妗子が素姐に嘘をついてぼろが出ることを恐れ、進み出て素姐の来意を告げました。

「まず洪井胡同に行き、調羮さんに会ったのだそうだ。調羹さんはすでに鄷都知県に嫁いでいたが、任地には一緒に行かなかったのだそうだ。それから質屋に行き、轎を雇い、この人を送って戻ってきたのだ」

相大妗子とその嫁は、相棟宇が言った通りの話しをし、ひたすら素姐をだまし、彼女にどうして目が潰れ、鼻がなくなったのかと尋ねました。彼女は猿を狄希陳と見做してしばしばぶったとは言わず、猿回しが猿を逃がし、猿が彼女の家にやってきたため、彼女が捕らえようとすると、猿に目を抉られ、鼻を齧られてしまったのだと言いました。大妗子は人を呼び、寝室を片付けさせ、寝床や帳を整え、彼女を休ませ、再冬を泊める場所を準備しました。そして、狄希陳のことは少しも漏らしてはいけないと厳しく命じました。

 素姐は安心できませんでした。再冬はといえば、海のように広い都で、人間もたくさんいましたので、外に出ようともせず、どこにも情報を尋ねにいきませんでした。素姐は何度も洪井胡同に行き、相主事たちのぼろを見付け出そうとしました。

大妗子「ここは役所で、女が出入りするのは許されません。この家に入ったからには、外に出ようなどと思ってはいけません。あなたの義理の従弟[10]が昇任すれば、私たちは、都を離れ、帰ることができます」

素姐は、井戸に落ちた猛虎のように、空威張りをするばかりで、すこしも動くことができず、とても辛い思いでした。素姐が役所に入った翌日から、相棟宇は自ら童家に赴き、調羮に会い、このことを話しました。人々は笑いましたが、誰が秘密を漏らし、素姐がここまで訪ねてきたのかは分かりませんでした。素姐の話はここまでと致します。

 さて、狄希陳は明水に戻り、家に着きましたが、家はひっそりして埃だらけ、一つの部屋で小作人が番をしているだけでした。そのほかの部屋には、すべて鍵が掛けられていました。きけば素姐は一人で上京していったとのことでした。狄希陳はとても寂しかったので、しばしば崔近塘の家を訪ねて休みました。荷物を置き、ご飯を食べますと、舅の家に行き、薛如卞兄弟に会いました。そして、奥に入り、妹の巧姐に会い、兄妹でとても悲しみました。そこへ、龍氏が出てきて、言いました。

「あなたは都に家を買い、妾を娶り、調羮を迎え、一緒に住み、私の娘を棄てましたね。必要もないのに、どうして戻ってきたのです」

狄希陳は何度もごまかしました。

龍氏「相家の小随童が証人だというのに、まだ認めないのですか。その元気な体を指差して二回誓いを立てれば、許してあげましょう。どうしてうちの娘がいなくなってから、戻ってきたのですか。あなたはわざとこういうことをしているのでしょう」

薛如卞「何てことをおっしゃるのです。部屋にお戻りください。お客さまが久し振りに家にきたのに、冷や水も飲ませず、このように罵るとは」

薛如卞兄弟は、狄希陳を客間に案内し、何度も引きとめましたが、狄希陳はとどまろうとはしませんでした。

 翌日、供物を買い、巧姐を迎えますと、狄員外夫婦の墓へ、一緒に掃除をしにいきました。さらに、自分の家へ行きましたが、狄員外夫婦の位牌、肖像画は見当たりませんでした。何度も探しますと、狄員外の位牌は、屑籠の中に置かれ、狄婆子の位牌は箱の下に敷かれていました。さらに遺像を探しますと、すべて逆さにされ、小屋掛けの土壁に貼られていました。狄希陳はこの有様を見ますと、良心の呵責に耐えきれず、一しきり痛哭しました。狄希陳は、人を呼び、部屋を片付けさせ、供物を捧げました。そして、崔近塘の家から荷物を運び、狄周とともに、主従四人、男ばかりで家に泊まりました。厩の石の飼葉桶を見ますと、今まで通りでした。狄希陳は二年近く帰ってきませんでしたので、職人たちに家を修理させるのに暇がありませんでしたが、その合間に、劉挙人の家で大工事をし、地面を掘り、塀を壊し、土を掘りさげていったところ、たくさんの銀を手に入れた、五千両ほどあったということを聞きました。狄希陳はとてもびっくりし、家に二か月以上とどまれば、素姐が都でどんな悪さをするかわからない、調羮、寄姐と争って事件を起こしたら、あらゆることが自分の思い通りにならなくなる、と考え、急いで荷物を纏め、ふたたび都に行きました。狄希陳は、安全であるのがよかったので、徳州[11]から座船に乗り、水路を通っていくことにしました。

 さて、素姐は狄家に嫁いで十余年、何の束縛もなく、野放図な性格になっていました。家にいたときは、退屈しますと、南の寺へお参りにいき、尼などと話をしたり、北の寺で仏を拝み、和尚と座禅をくんだりしました。腕がむずむずしますと、狄希陳をつかまえ、ぶって気晴らしをし、唇が乾燥しますと、狄希陳を罵って暇を潰していました。しかし、相主事の家に住むようになりますと、その家の中以外、一歩も外へ行くことができなくなりました。狄希陳はいませんでしたので、ぶつこともできず、とても気が塞ぎました。そこで、相主事の女房に、舅姑と夫に一言話をしてくれ、隆福[12]、承恩[13]、双塔[14]、白塔[15]、香山[16]、碧雲[17]などの各寺院にいって遊ぶことができれば、都に来たのも無駄ではなかったというものだ、といいました。相主事の女房は言いました。

「役人をしているというのに、女が寺参りするのを許していいはずがありません。何ということをおっしゃいます」

素姐の願いを拒絶し、夫たちに話そうともしませんでした。

素姐「寺には和尚、道士がいるから、行くのを許さないのならまだ結構です。しかし、都には皇姑寺(石景山区西黄村にある寺。明の天順年間の創建。写真は現在の皇姑寺)という寺があるそうです。そこでは、皇室の夫人や娘が剃髪して修行をし、宦官が門番をしており、男子は中には入れないということです。たくさんの夫人、侍長[18]がそこへ行って遊んでいます。ここへ行くのが許されないことはないでしょう。口利きをしてください。あなたとおばさんが私についてきてくれれば、なおのこと良いでしょう。もしもついてきていただけないときは、私一人でいっても、問題はないでしょう」

相主事の女房は、何度も彼女を引き止めました。

素姐「あなたの家は役人を出してからそれほど時間がたっていません。私たちが故郷にいたとき嫁同士で付き合っていた時間の方が長いのです。それなのに、役人の奥方のような顔をなさって。あの人に構われてはいけません。あなたは、私のために、おじとおばを一生懸命宥め、話しを纏めてください」

相主事の女房は、彼女にまとわりつかれますと、彼女のために、相主事に話しをするしかありませんでした。相主事は冗談だと思い、まったく意に介しませんでした。

 翌日、素姐は自ら相主事に会いますと、こう尋ねました。

「皇姑寺を見に行きたいのです。おばさんに話をするように頼んだのですが、話しをされていましたか」

相主事「現職の役人をしている家の女が寺参りをしていいはずがないでしょう。我が家は立派な家なのですよ。繍江県の知事、県知事の奥方、親戚が、外に出て遊んでいるのを御覧になったことがありますか。気持ちが塞ぐのなら、母と腰掛け、話をして暇を潰すか、女房とかるた遊びをするか、将棋をさすか、お手玉をすればいいのです。狄にいさんが来られれば、あなたをあの方に預けますから、そのときは、皇姑寺にでも黒姑寺にでも行かれてください[19]

素姐「つまらないことを言って。私を行かせないだって。数日役人をしているだけなのに、口を開けば、役人がどうのこうのと言うとはね。分かりましたよ。また臙脂と墨で、目に悪戯書きをしてもらいたいのですね」

相主事「まだ何かおっしゃるのですか。僕の目に悪戯書きをしたから、片方の目が潰れたのですよ」

素姐「やめておくれ。お前は何さまだというんだい。お前の目に悪戯書きをしたから私が目くらになっただって。じゃあ、私に鼻がなくなったのは、なぜなんだい」

相主事「それも報いですよ。あなたが去年法事をし、狄大哥と薛大哥、薛妹夫を呪った報いですよ。お経をあげ、あの人たちに、目、耳、鼻、舌、体、心がなくなるように呪いを掛けられていましたから、もうじき耳、舌、体もなくなることでしょうよ」

相主事は、笑いながら外に行ってしまいました。

 素姐は、皇姑寺に行かせてもらえなかったため、腹を立て、

「役人が名誉と利益を得るためには、豚箱の飯を食べ、軟禁されていなければいけないんだね。この私がどんな罪を犯したというんだい。死刑囚の牢屋のような場所に、一日中閉じ込められ、三度の食事を食べるだけで、お日様も見せてもらえないなんて。外に出してくれればよし、本当に外に出してくれないなら、首を切るか、縄で首を吊るかして、この命をお前に渡すことにしよう。そうすれば、私は幽霊になって、北京城内を漂うことができるだろうからね」

一日中腹を立て、相主事が彼女を外に出してくれることを望んでいました。ところが、相主事は考えを変えず、まったく素姐に構わず、彼女がどんなに大騒ぎしようと、馬耳東風と聞き流しました。

 ある日、起こるべきことが起こりました。素姐は外に出してもらえなかったために、ふたたび相主事を罵りました。喧嘩はすぐにおさまり、人々は片付けをして眠りました。ところが、素姐は人々が眠ったのを見計らい、一本の腰をしばっている絹糸の鸞条を手にとり、こっそりと相主事の部屋の入り口にいって首を吊ってしまいました。さいわい相主事は小便をしたくなりました。そして、踏み台の上を探りましたが尿瓶がありませんでしたので、小間使いが忘れて、持ってこなかったのだと思い、小間使いに門を開けさせ、とりにいかせました。小間使いは入口を開け、片足を踏み出しますと、あれと大声で叫んで、いいました。

「大変です」

相主事「何ということだ。これは誰だ」

相主事の女房「ほかでもありません。狄大嫂でしょう」

相主事夫婦は慌てて起きあがりました。彼女の体を触ってみますとまだ暖かく、喉からは鼾が出ていました。相主事の女房は、彼女を抱きかかえて上に持ち上げ、相主事は父母と宿直の下男の女房を呼び起こしました。さいわい十四日の二更で、月が明るかったため、はっきりと様子を見ることができました。

相大妗子「大したことはありません、しかし、どうしてこんなことになったのでしょう。この人を救う必要はありません。希陳のために災いを除いてやりましょう。棺を買って納め、この人の家に送りましょう」

相大舅「何を言っているんだ。すぐに下ろさなければ、死んでしまうぞ」

相主事は女房を遠ざけますと、薛三哥を呼んできて、素姐を救うのに立ち会わせました。そして、人に宅門を開けさせますと、寝ていた再冬を呼んできて、理由を尋ねました。

相棟宇「どうしてこんなことになったのか分かりません。彼女が意識を取り戻したら、理由を尋ねてみましょう」

二人の下男の女房が上に持ち上げ、一人が縄を切りました。救うのが早かったとはいえ、眉は吊り上がり目はとびでていました。結び目を解きますと、素姐は何回か啖を吐き、手足をばたばたさせて言いました。

「このとんま。誰が助けてくれなどといったんだい」

再冬は尋ねました。

「姉さん、どうしてこんな早まったことをされたのです。相おじさんと相おばさんが姉さんにひどいことをしたから、このようなことをされたのですか。救うのが遅かったら、あなたは相大哥に文句を言うこともできなかったのですよ。人々の前で、理由をお話しになってください」

素姐「どうということはないよ。私は閉じ込められているのがとにかく我慢できなかったんだよ」

再冬「阿弥陀仏。姉さん、何をおっしゃるのですか。罪深いことを。姉さん、どうしてこんな早まったことをされたのですか。我慢して待たれることです。相おばさんはあなたに食べるもの、着る物をくださっています。じっとしているのが嫌ならば、荷物をまとめて故郷に帰りましょう、相おばさんも無理に引き止めたりはしていません。それなのにどうしてこんなことをされたのですか」

 再冬がひたすら責め立てますと、素姐はいきなり、彼の顔にびんたを食らわせました。まるで雷のような音がしました。再冬はぶたれて長いこと頭がくらくらしていました。素姐は罵りました。

「ろくでなし。おまえまで兄さんの真似をして、私に指図するんだね。奴らは私を囚人のように監禁し、外に出そうともしなかったんだよ。ほかの寺は和尚、道士がいるから、行かせないのも仕方がないだろう。しかし、皇姑寺は、尼だけしかおらず、門番も宦官で、私に手出しをするはずもないのに、そこすらも見にいかせないとはね。私は何度も強く頼んだが、どうしても承知してもらえなかったので、生きていても仕方がないと思ったんだよ。私は命をあいつに与えるのだ。私の魂は、押さえ付けられることもなく、都を漂い、数日遊んだ後、生まれ変わることができるんだよ。それなのに私をあれやこれやと説教するとはね」

再冬「姉さん、そんなことをされる必要はありません。おとなしくされればよし、おとなしくされなければ、私は一両足らずの銀子で、短距離用の車馬を雇うことにします。今は日が長いですから、五日も掛からないでしょう。私はあなたを置き去りにして、一人で家に帰りますからね」

人々は叱ったり宥めたりし、素姐の介添えをして寝室に戻し、二人の下男の女房に見張りをさせました。相大舅と相主事の夫婦は部屋に戻って休みました。それからどのような結末となりましたか。素姐を遊びにいかせましたかどうか。さらに次回を御覧になれば、詳しいことがお分かりになることでしょう。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1] 『戦国策』中山に見える、中山君が司馬子期に羮を与えなかったため、司馬子期が楚にいき、その武力によって中山国を滅ぼした故事をふまえる。

[2]原文「壺餐」。中山が楚に攻められ、中山君が逃亡したとき、中山君に壺餐を恵んでもらった者の子が駆けつけてきて従ったという故事にちなむ。『戦国策』中山策「楚王伐中山、中山君亡、有二人挈戈而随其後者、中山君顧謂二人、子奚為者也。二人対曰、臣有父、嘗餓且死、君下壺餐餌之、臣父且死曰、中山有事、汝必死之。故来死君也」。

[3]漢代、楚の元王の子が穆生に酒を出さなくなったため、穆生が彼のもとを退いたという故事にちなむ。『漢書』楚元王世家「初元王敬礼申公等、穆生不耆酒、元王毎置酒、常為穆生設醴、及王戊即位、常設後忘設焉。穆生退曰、可以逝矣。醴酒不設、王之意怠」。

[4]狄の奥さまの意で、ここでは童寄姐のこと。

[5]合子、盒子に同じ。二つの(ピン)の中に野菜、肉などを夾んで焼いたもの。

[6] この部分、上に出てきた「調羮は彼女に気が付きました」という記述と明らかに矛盾する。

[7]雲の模様をつけた靴。徐珂『清稗類鈔』服飾「太祖之履、以牛皮為之、飾以緑皮雲頭」。

[8]琴鞋、笏頭履とも。爪先が尺のように、著しくそりあがっている靴。田藝蘅『留青日札』巻二十「琴面鞋、即笏頭履也」。

[9]朱一新等撰『京師坊巷志』巻二「西長安街」の条に兵部窪を載せる。「火神廟井一、文殊庵井一、旧有鑲紅旗義学」。

[10]原文「只等你小叔児升転纔是咱們離京回去之日」。「小叔」は普通は義弟をさすが、ここでは素姐の義理の従弟である相于廷をさす。

[11]山東省済南府。

[12]北京市東城区にあった寺。朝廷の香火院。光緒二十七(一九〇一)年焼失。

[13]北京市石景山区模式口にある寺。明正徳年間(一五〇六〜二一)の創建。

[14]北京市西城区にあった寺、双塔慶寿寺という。明正統年間(一四三六〜四九)、宦官の王振により創建。

[15]北京市西城区にある寺。妙応寺。遼代の創建で、元至元八年(一二七一)に白塔が建てられた。

[16]北京市海澱区にある寺。香山寺。金の大定二六(一一八六)年創建。

[17]北京市海澱区にある寺。碧雲寺。

[18]侍妾の長。王族の家で用いられた呼称だが、庶民の家でも用いた。沈徳符『野獲編』宗藩・使長侍長「又侍長之号、則今各藩府之女、倶有此称。曽細叩何義、則云尊其為侍妾之長也。乃至支庶猥賎、不膺封号、且恣為非礼者、亦例受比呼、其辱朱邸極矣。今『荊釵記』戯文中、尚有『怕触突侍長』之語、剛此号相伝、亦非一口」。

[19]原文「可任你皇姑寺、黒姑寺、你可去」。「黒姑寺」は、「皇姑寺」の「皇」の字が「黄」と同音であることと引っかけた洒落。

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