第七十六回

狄希陳が二人の正妻を娶ること

薛素姐が一人で財産を貪ること

 

この女

一体何者。

気違ひか

怒りん坊か

舅姑(ぎふぼ)の前で嫁らしくなく

夫の前で妻らしくせず

比ぶものなき狂暴さ

並外れたる凶悪さ

法事を行ひ、罵って

呪術を施す

猿は激怒し

目を抉り 皮を毟れり

目の見えぬ老人は罵れり

淫らな女 あばずれと

阿鼻泥犂

報い受くるが当たり前

 狄希陳は結納を取り交わし、銀匠の薛和同に装身具を、仕立て屋の龍一福に衣装を、装身具屋の邱煥に珠結[1]、カワセミの羽飾り、蜚翠の装身具を作らせました。様々なものを急いで揃えますと、十月十八日卯の刻に、新婦を家に迎えることにしました。

 狄希陳は待ち遠しくてたまりませんでした。さいわい十月は、時間が経つのが早く、あっという間に吉日になりました。狄希陳は、礼服を着け、馬に乗り、花や赤い飾り布をつけました。童寄姐は、真紅の紵絲の麒麟筒袖の袍、銀帯を着け、文王百子の錦の布を被り、四人がきの大轎に、十二名の楽士を連れ、宿屋まで迎えにいき、天地に拝をし、祝い酒を飲み、撒帳、牽紅をしました。李奶奶と駱校尉の女房は、それを見守りました。すべてはきちんと行われました。三日前、十二両の銀子で、一人の小間使いを買いました。彼女は十二歳、美しい眉、澄んだ目、白い歯、赤い唇の、とても賢い娘でした。彼女は寄姐に仕え、「珍珠」と命名されました。狄希陳は、彼女をとても気に入り、寄姐が嫁入りし、仮にあらゆることが気に入らなかったとしても、この賢い小間使いだけは、とても気に入るだろうと思いました。ところが、寄姐は家に入り、珍珠を見ますと、どういうわけか、敵に出会ったかのようにふるまいました。珍珠も寄姐に会いますと、怯えて進み出ることができず、逃げようとばかりしました。晩に眠るときは、外間に追い出され、床に布団を敷き、部屋の中で寝るのを許されませんでした。寄姐は、結婚して三日目の回門のときも、彼女を連れて帰りませんでした。そこで、仕方なく、彼女に茶を持ってこさせたり、おまるをあけさせたり、炕に布団を敷いたり、掛け蒲団を畳んだりさせましたが、寄姐は顔を背け、彼女を見ようともしませんでした。毎日がこの調子でした。狄希陳もどういうわけなのか分かりませんでした。くわしく寄姐に尋ねましたが、寄姐自身も理由が分からず、彼女に会いますと、まるで平素から恨みがあったかのように、彼女を腹の中に呑みこみたくてたまらなくなるというのでした。狄希陳は、寄姐とは水と魚、漆と膠のような仲で、よろずにつけ仲睦まじくし、その有様は筆舌に尽くし難いものがありましたが、珍珠の件に関してだけは、安心することができませんでした。

 ある日、狄周が故郷から銀二百両をもってきました。冬着を作ることはできましたが、狄周は、狄員外が調羮に男の子を生ませたため、素姐がわざと彼女の部屋の窓の外で爆竹を鳴らしたり、犬をぶったり、鶏を掴まえたりし、男の子をびっくりさせ、殺そうとしたこと、さらに素姐が調羮と喧嘩をし、子供は舅の子ではない、ほかのところから連れてきたものだと言ったこと、狄員外はひどい目に遭い、病気になり、起き上がることができなくなり、きわめて危険な状態にあることを話しました。そして、銀子は持ってきたが、とりあえず官職を買うのはやめ、すぐに家に戻り、父親に会うべきだ、行くのが少し遅れれば、財産は保証できない、といいました。相大舅の手紙もありました。狄希陳は、その手紙を見ましたが、内容は狄周の言っていたこととほぼ同じでした。狄希陳は、すぐに童家に行き、彼の姑と相談をしました。

童奶奶「世の中のことで、これより重大なことはない。お父さまが重病になられたのなら、昼夜兼行で駆け付けるべきです。また会うことができれば、一生後悔しないで済むことになるでしょう。ぐずぐずなさってはいけません」

すぐに荷物を纏めますと、狄希陳を狄周とともに騾馬屋に行かせ、長距離用の騾馬を雇いました。そして、姑に、寄姐、珍珠と持っていくことができない衣服を管理するように頼みました。寄姐が使う数十両の銀子以外は貯金させ、役人に選ばれるときに使うようにさせました。翌朝、狄希陳は、寄姐に別れ、童、李二人の奥さまに別れを告げ、部屋代を計算し、狄周、小選子、呂祥を連れ、飛ぶように故郷に帰りました。

 狄員外が狄周を送り出してからというもの、素姐は何度も騒ぎを起こし、狄員外はしばしば気絶していました。狄家では相大舅を呼び、狄員外を、相大妗子を呼び、調羮を守りました。ところが折りも折り、相于廷が郷試に合格し、相家はとても忙しくなったため、彼らは狄希陳がやってくることを、目から血が出るほど待ち望んでおりました。狄員外の病気が、日一日と重くなりますと、

相大舅「希陳くんはやってこないし、狄賓梁さんの病気はだんだん重くなっています。昔は希陳くんしかいなかったから、どのようなことがあっても構いませんでしたが、今では小さな甥が生まれましたから、財産分けをしなければなりません。あなたが生きているうちに、財産分けをしなければ、あなたが亡くなったときに、まずいことになります」

 ところが、素姐は、相大舅の部屋の中の話しを、窓の外で一句一句をはっきり聞きますと、腹を立てていいました。

「減らず口ほど腹が立つものはないね。私は狄、あんたは相という名字なのに、どうしてうちのことに構うんだい。私以外、どこにも親戚はないというのに、甥ができたから、財産を分けるべきだとはどういうことだい。あいつが張三、李四、張六、銭七の息子なのに、あんたの甥ということにしているというのは分かっているよ。あいつらに子供ができたものだから、あんたは後ろ盾になろうと考えているんだろう。だから家のくわしいことを知っているんだ。財産は、すべて私のものだからね。誰にも分けてやりはしないよ」

相大舅は尋ねました。

「外で喋っているのは誰だ」

素姐「私ですよ」

相大舅「希陳の女房か。どうしてそんな乱暴なことを言うんだ。おまえの舅が、おまえにひどい目にあわされ、病気になり、起き上がることができないといっても、わしは信じなかった。しかし、こんなにひどいことをしていたとはな。子供がおまえの舅のものではないというが、それなら誰のものだというのだ」

素姐「私のように若い者でも、まだ子供を産むことはできないのに、死に掛かった爺さんが子供を産めるはずがありませんよ」

相大舅「まったくろくでなしだな。何ということをいうのだ」

素姐「ろくでなしだろうが、ろくでなしでなかろうが構いません。とにかく、みんなの前で、文書を書いてください。財産はすべて私のものです。関係のない人には、少しも分けませんからね。調羮は、雑種の子とともに、よその家に嫁がせましょう。私は、あの女を家に残して恥ずかしい思いをすることがないようにしますよ。私はこれでも手ぬるいと思っているのですよ。門と箪笥の鍵を持ってきて、私にください」

一人で狄員外の部屋に入っていきますと、皮の箱を持ち、大きな箪笥を担ぎ、身を乗り出し、寝床の中から鍵を探しました。調羮は怒って暗房で泣きました。相大舅は狄員外を宥め、どうしても狄希陳を目の前に連れてこようとしました。すると、占いをする目くらが通り掛かりました。相大舅は彼を中に入れ、狄希陳のことを占いますと、「もうすぐいいことがあります」といい、すぐにやってくると言いました。相大舅は、目くらに占いの料金を払いました。すると、河道[2]の使いが相于廷のために額を掛け、旗を立てました。相大舅と相大妗子は、自分の家に戻り、接待をしようとしましたが、素姐が調羮母子をひどい目に遭わせる恐れがあったため、安心して行くことができませんでした。

 困っておりますと、ちょうど狄希陳が都からやってきました。狄員外は喜びました。相大舅は、狄員外と調羮母子を狄希陳に引き渡しますと、自分の家に戻りました。素姐は狄希陳を罵りました。

「あんたは都で罪を犯して、枷に嵌められて殺されたと思っていたよ。あんたが家にこず、私がこの財産を守っていなければ、悪党どもが財産分けをしていただろう。あんたはまた兄弟ができたことを知っているのかい。一年で一人生まれれば、十年では十人になってしまうよ。あんたがきて良かった。私はあんたの全財産を守り、私のものを少しでも分けようとする奴がいれば、あんたと決着をつけることにするよ。あんたの前世と今生の母親と、父親の妾を、家から追い出しておくれ。彼らを家に置きたいのなら、私を離婚して家に戻しておくれ」

狄希陳「声を小さくしてくれ。父さんが死にそうなんだ。父さんが聞いたら腹を立てるじゃないか」

素姐「あの人が怒るのが怖ければ、私は話をやめますが、私はあの人を怒らせようと思っているのです。私の考えでは、あの人がこんな災いの種を残させなければよかったのです。誰があの女に子供をうませたのでしょう。まったく憎たらしいことじゃありませんか」

狄希陳「おまえの言う通りだ。ゆっくり相談しよう。僕はおまえの言う通りにするから、おまえも僕に従ってくれ。お父さんがこんなにひどい病気なのだから、どうか黙ってくれ。後で話をしよう」

 すると、狄員外が寝床で叫びましたので、狄希陳は急いで部屋に入りました。狄員外は狄希陳と話しをしようとしましたが、素姐に盗み聞きされるのを恐れ、手で外を指差しました。狄希陳が外を見ますと、素姐が窓敷居に伏せて聞き耳を立てておりました。狄希陳が口を曲げて合図しますと、狄員外は口を閉じて黙ってしまいました。狄員外は狄希陳が戻りましたので、病気はややよくなりましたが、所詮は老人でしたので、虐待に耐えきれませんでした。何度も腹を立てているうちに、病いは重くなり、生きるのが精一杯というありさまとなりました。狄希陳は狄員外の部屋に泊まり、調羮は満月に産室から出ました。しかし素姐がたえず見張っておりましたので、狄員外は、話があってもすることができませんでした。昼間、相大舅が部屋にいるときは、素姐は、窓の外から一歩も離れませんでした。晩に相大舅が戻りますと、素姐は表の間で眠りました。

 ある日、素姐が便所へいきますと、狄員外が小玉蘭をつかわして、こういわせました。

「調羮、わしは養生をしなければならない。西の棟の稲桶の下、馬屋の飼い葉桶の下に、おまえの生活していくための品物があるぞ」

話をしておりますと、素姐が手洗いからもどってきました。狄希陳は両目を擦って真っ赤にしながら、小玉蘭を遠ざけました。調羮は狄員外の部屋の中で目を擦っておりました。素姐は狄希陳を表の間に呼び、何度も尋ねました。

「こっそり何を相談していたのですか。『良いことを話すときは人を遠ざけない』といいますよ。どうして小玉蘭を外に行かせたのですか。あなたがたは目を擦って真っ赤にしていますが、白状すればよし、白状しなければ、ひどい目に遭わせますよ」

狄希陳は何度か地団太を踏み、叫びますと、言いました。

「神さま。神さま。年寄りが病気で死にかけているのに、一言も喋らせないとは。僕は死んでしまいたい。僕をはやく殺してください」

素姐「おやおや。私は何もしていないのに、飛び跳ねはじめるなんてね」

狄希陳を地面に引き倒し、小さな板の腰掛けを取り上げますと、目茶苦茶に殴りました、さいわい相大舅が中に入ってきて、何度も言いました。

「何ということだ。まったくけしからん」

彼女はそれでも何回かぶちました。

 素姐が外でわめくたびに、狄員外は部屋で何度も叫びました。かわいそうに、一生善良だった人は、凶悪な女のせいで、死んでしまいました。狄希陳は懸命にもがき、部屋の中に走っていき、調羮とともに狄員外を布でくるみました。相大舅子は子供を家に抱いていき、乳母を探し、素姐に殺されるのを防ぎました。素姐は頭をざんばらにしてはおりませんでしたが、荒々しく箱や箪笥をひっくりかえし、金をぶちまけ、銅銭を探しました。さらに調羮の部屋に行き、彼女の衣服を奪い、子供を地面に落として殺そうとしました。さいわい調羮の持ち物、産んだ子供は、すきをみて相大舅の家に運ばれ、隠されました。相大舅は弔問受付けをやめる必要もないといい、十三日に老狄婆子とともに葬式を出すことにしました。狄員外の遺言も同じでした。法事、墓掘り、葬式が、すべてきちんと行われたことは、くわしくお話しする必要はございますまい。

 出棺が行われ、弔問客への返礼が済みますと、素姐は調羮にほかの家へ嫁ぐように迫りました。

調羮「私はあなたたち善人に未練があるわけではありません。私はまだ再婚していませんが、あなたの下を離れましょう。しかし、私はもともと都の人間です。『軍隊を率いて来たからには、軍隊を率いてかえらなければならない』といいます。人に命じて私を都に帰し、私を他人に嫁がせてくれればよし、私にここで結婚しろと言うのなら、私は死ぬまで承知しませんよ」

素姐「私はあなたにこの土地を離れてもらいたくて仕方がなかったのですよ。私は人にあなたを送り返させようと思いますよ。だが、子供はかならず私のところに残すのですよ」

調羮「子供があなたの家の子ではないとおっしゃっていたのに、残してどうなさるのですか。子供を残されたいのなら、私は命をあなた方に差し上げましょう」

素姐「あなたが子供を抱いていくというなら、それもいいでしょう」

狄希陳はわざと調羮と喧嘩をし、彼女を追い出しました。調羮は腹を立てて相大舅の家に走っていきました。狄希陳はほかのことに託つけて、相大舅の家に赤ん坊を見に行きますと、言いました。

「父は病気が重かったので、弟のために名前を付けておりませんでした。毎日この子のことを『坊や』と呼んでいたのです」

調羮「もう幼名をつけました。『小翅膀』といいます。あなたの羽や翼になるということです」

 狄希陳は素姐が知っている田地、家屋をすべて残しました。しかし、素姐が知らないものは、相大舅父子を証人にして、すべて小翅膀に分け、相大舅子に年貢の取り立てを頼みました。狄希陳は、調羮を都に送り、狄周夫婦に護衛をさせることにきめました。そして、彼らに三百両の銀子を与え、童奶奶に家を買ってもらい、相奶奶と調羮、寄姐を一緒に住まわせようとし、こう言いました。

「僕も理由をつけて出発し、故郷でひどい目に遭わないようにしようと思います」

戻りますと、素姐にむかって、調羮は嫁いでいった、小翅膀は途中で死んでしまった、と言いました。狄周はすべて命令に従い、都にいる女房さえも、病気で死んでしまったといいました。

 調羮は家から出ていってしまいましたし、狄周の女房も「山から離れた虎」になってしまいましたので[3]、狄希陳は一日中ひどい目にあったばかりか、朝晩の食事さえも作ってはもらえませんでした。素姐は、小玉蘭を台所に行かせ、ご飯を作らせましたが、生煮えで、汚くて、食べることができませんでした。作らないときは、焼餅と点心を幾つか買って食べましたが、狄希陳がご飯を食べたかどうかには構いませんでした。小玉蘭は二十数歳になりますと、夫を探してもらえなかったことに腹を立て、主人に背いて逃げてしまいました。そこで、ますます『和尚が女房を亡くす−みんないなくなる』[4]という有様になってしまいました。狄希陳はまるで財産のない貧乏人のように、一日三度の食事のときや、一月(ひとつき)三十日のうち、二十九日半を彼のおじの家で過ごし、家は無縁仏の祭壇のように寂しくなってしまいました。下女を雇ってご飯を作らせても、主人が下女を嫌うか、下女が主人を嫌うかで、朝から晩になり、晩から朝になる間に、どれだけ換えたかわかりませんでした。鉄の桶のようにしっかりしていた家は、二人の立派な人がいなくなり、一人の悪者がきただけで、目茶苦茶になってしまいました。狄希陳は土地を人に貸し、年貢を取り立てて素姐に使わせました。そして、葬式のときに人から借りた金を返すことができないから、米を金に換えようといいました。米をすっかり売りますと、狄周を遠ざけ、八十封の銀子を取り出しました。各封には五十両、全部で四千両ありました。そして、来るのが急だったので、吏部から休暇を頂いていない、戻って賄賂をおくらなければならないと言い、荷物を纏め、四千両の銀を積み荷にし、吉日を選んで出発しました。素姐は夫とはもともと愛し合っておらず、彼が目の前から消え、勝手気ままにできることを望んでいました。彼女は夫を遠くに行かせたくてたまりませんでした。そして、別れるときは、例によって縁起のいいことは何一ついいませんでしたが、このことはくわしく申し上げる必要はございますまい。

 狄希陳はふたたび狄周、呂祥、小選子を連れて都に入りました。翰林院の入り口に行きますと、童奶奶が家を買い、錦衣衛街の裏の路地に引っ越して住んでいることがわかりました。訪ねていきますと、小さな家でしたが、戸締まりがよく、とても立派でした。銀三百六十両で買ったものでした。調羮母子、童奶奶母子、小虎哥、狄周の女房、小珍珠はすべて一緒に住んでいました。小翅膀は話したり笑ったりすることができるようになっており、色白で肥え太っておりました。小玉児のことを尋ねますと、すでに嫁にいったとのことでした。家は賑やかで、和気藹々とし、発展成長の時が訪れたかのようでした。

 何日かたちますと、狄希陳は兵部の堀で小さな質屋を開き、利益を得て日々の費用にしようと考えました。そこで、家を借り、家具を買い、虎哥には長班に別れを告げさせ、狄周とともに店の番をさせました。狄周の女房は店に住み、ご飯を作りました。後に虎哥は女房を娶り、店の裏に住み、商売をしました。狄希陳は一千両の出資をしました。虎哥は利口、狄周は誠実でしたので、よろずにつけ頼りになりました。

 相于廷は会試のために都に赴き、狄希陳の家に泊まりました。狄希陳は相于廷が都にいるので、一緒に過ごしていると嘘をつき、正月を過ごすために故郷に戻ろうとはしませんでした。翌年、相于廷は進士に合格し、殿試の二甲、工部主事を授けられました。狄希陳はそれを口実にして、都で暮らすことにしました。おじ、おばも一緒で、とても賑やかでした。人々は集まって、南京虫[5]だけを騙すことにし、素姐に少しも便りをしませんでした。

 狄員外が健在で、狄希陳が家におり、薛夫人が生きており、相大妗子がまだ任地にいっていなかった頃、素姐は彼らにどうされるということもありませんでしたが、彼らを邪魔に感じていました。素姐を誘う人、侯、張ら二人の道姑も、しばしば素姐の家にやってくることはありませんでした。しかし、目障りな敵たちがすっかりいなくなりますと、素姐は何の気兼ねもなく、したい放題のことをし、気違いのように、侯、張の二人の道姑を家に養いました。さらに、類が友を呼んで、周龍皋の女房、白姑子の類いも大勢出入りするようになりました。狄員外が生きていたときに蓄えた食糧、綿花は、人々にやってしまいましたし、お布施をしたため、十のうち五六はなくなってしまいました。以前、女が廟にお参りするのを禁じた守道、彼の命令を報じて告示を出した知事は昇進して去ってしまっていました。ですから、素姐は家で悪さをしたばかりでなく、寺院の中でも戦場のような大騒ぎをしました。

 正月一日、薛如卞兄弟三人がやってきました。彼らは素姐に新年のお祝いをし、狄員外夫妻の肖像画に拝礼を行おうとしました。ところが、素姐は肖像画を祭っておらず、二人の位牌をテーブルの下に放り、位牌箱は物入れとして使っていました。表の客間には遠くからきた尼や道士を泊め、建てたばかりの巻棚を掃除して仲間を接待しました。壁にはまだ泥が塗られていませんでしたので、狄希陳が学校や国子監生になったときのお祝いの軸を裏返し、土壁に貼っていました。狄員外の肖像画も裏返され、壁を覆うのに使われていました。相大妗子が任地に赴いていなかった頃、狄婆子の肖像画は壁に掛けられていましたが、相大妗子が去ってしまいますと、それすらも壁紙にされてしまいました。

 二月十六日は、素姐の誕生日でしたので、狐や犬のような女どもは素姐に誕生祝いをしにこようとしました。老侯は、操り人形芝居を、老張は、猿回しの乞食を紹介し、客を接待することにしました。素姐は操り人形と猿の服があまり綺麗でないと思い、服を買ってやろうとしました。そして、狄員外と老狄婆子の衣服をすべてばらし、木偶人形の衣装を、狄希陳の衣服を小さく切り、猿のために道袍と袷を作ってやりました。さらに、狄希陳がかぶっていた方巾を猿の頭巾に換え、人々に向かって、木偶人形は狄員外、狄婆子、猿は狄希陳だと冗談を言いました。数日間上演を続け、人形使いと、乞食に数両の銀子を与えました。操り人形のうち、白髭の老人、白髪頭の老婆を狄員外夫婦とし、生きた猿を狄希陳とし、それらに本人の衣服や帽子を着せ、一日中叱り付けたりぶったりしました。二つの木偶人形は顔かたちは人そっくりでしたが、さいわい木で作られておりましたので、どんなにぶったり罵ったりしても動きませんでした。しかし、猿は山の獣でしたので、ぶたれるのには我慢できませんでした。素姐は相手が猿ではなく、本物の自分の夫だと考え、朝晩鞭で打ちましたので、猿は上へ下へと飛び回りました。鉄の鎖は、猿によって一日中擦られ、ほとんど切れてしまいました。ある日、狄希陳の名を呼んで罵りながら、ぶっておりますと、猿は鉄の鎖を引き千切り、素姐の肩に飛び乗り、鼻を噛み、目を抉り、顔をぐちゃぐちゃに引っ掻きました。さいわい脇にいた人が素姐を救ったため、片目をえぐられ、鼻を噛み千切られただけで、命に別条はありませんでした。猿は千切れた鉄鎖をつけたまま、屋根に飛び上がり、台所にあった食べ物を盗んで食べ、人が来ますと屋根に飛び乗り、瓦を剥がし、素姐が住んでいる部屋の入り口や窓に向かって一日中投げました。龍氏は素姐が怪我をしましたので、みずから様子を見にきました。猿は素姐だと思ったのでしょう、屋根から龍氏の肩に飛び下りますと、顔を掻き、髪を引っ張り、足元に潜り込み、ズボンを粉々に引き裂きました。龍氏はびっくりして死にそうになりました。さいわい彼女は人に救われました。その人は猿回しの乞食を呼び、猿を引き取らせました。

 素姐は重傷を負い、三か月以上治療をし、ようやく床から起き上がりましたが、片目を抉られ、鼻の先がなくなり、片方の鼻の穴がむき出しになりましたので、鏡を見るのが嫌になり、白い絹を張りました。顔にはたくさんの傷ができ、以前の美しさがすっかりなくなってしまいましたが、自分は少しも悔い改めませんでした。そして、猿をぶってこのようになったのに、まるで狄希陳にひどい目にあわされたかのように考え、ひどく腹を立て、猿ではなく狄希陳を呪い、仇に報いようとしました。そして、通り掛かりの目くらの男にたのみ、桃の木で作った人形を作り、狄希陳の顔にし、狄希陳の壬辰正月二十日亥の刻の八字を書きました。さらに、狄希陳の髪の毛を七本探し、肌着を小さな服に変え、桃の木の人形に着せ、新しい針七本を胸の前に、七本を胸の裏に、十四本を左右の目に刺し、二つの新しい釘を両耳に、四つの新しく作った釘を左右の手足に打ち付けました。さらに、黄色い紙と朱砂で護符を書き、小さな棺を作り、桃の木の人形を入れ、狄希陳がふだん寝ていた寝床の下に埋め、小さな墓を作りました。素姐は七日ごとに桃の木の人形を埋めた所へ行き、大声で泣きました。そして、一七には狄希陳の頭がくらくらし、二七には意識が朦朧とし、三七には寒くなったり熱くなったりし、四七には寒気が増して発熱し、五七には床に就き、六七には気絶し、七七には「則ち天必ずこれを命ず」[6]ということになることを期待しました。素姐は決められた通りに術を施し、まず目くらに一両の紋銀を与え、効き目があれば、海青を作ることを約束しました。素姐は目くらの男の言ったことを忠実に守り、謹んで術を施し、七日ごとに哭礼を行い、ひたすら狄希陳の訃報を待ち、七七が過ぎますと術を施すのをやめました。

 二か月後、相旺が都からもどってきました。素姐は狄希陳がもう死んだに違いないと思っていました。ところが、相旺は狄希陳の手紙を取り出しますと、いいました。

「狄さまはこのところずっとお元気です。旦那さまにしたがって、西山の碧雲寺、金魚池、高梁橋、天壇、韋公寺[7]を訪ねられました。昼間はずっと外に出られ、食べて太られ、とても綺麗になりました」

素姐はそれを聞かないときは何ともありませんでしたが、それを聞きますと、腹を立てて胸は張り裂けんばかりでした。彼女は呪術を行った目くらをひどい目に遭わせ、術は効き目がなかったといい、一両の銀子を返してもらおうと考え、一日中通りに面した門で待ち構え、占い師が通り掛かりますと、すぐに自ら通りに走り出て例の目くらか否かを確かめようとしました。

 数日待ちますと、例の目くらが東から西へ、杖をつきながら、大股で歩いてきました。素姐は彼を呼び止め、表門に入れました。目くらはとても賢かったので、素姐が彼をひどい目に遭わせようとしているのだと思い、中に入ろうとはしませんでした。素姐は彼の呪術に効き目がなかったといい、あれやこれやと罵り、さらに彼の衣装をはぎ取り、一両の銀子を返すように言いました。目くらはわざと尋ねました。

「あなたはどなたですか。あなたが私に呪術を施させたですって」

素姐「何をとぼけているんだい。二か月前、おまえは私のために桃の木で人形を作り、針を刺し、小さい棺に入れて寝床の下に埋め、七日ごとに墓にいって哭礼を行えば、四十九日には死ぬことは間違いないといったじゃないか。そして、私から一両の銀子を騙しとり、さらにおまえに海青を作ることを約束したんだ。ところが、あいつは死ななかった。そして、頭痛も発熱もなく、食事をとり、ますます肥え太っているということだよ。このろくでなし。眉をあげて私をよく見てごらん。私は薛家の娘、狄家の嫁だ。金を騙しとられたりはしないよ。銀子があったら返しておくれ。銀子がなければ、服を脱いで銀子の代わりにしておくれ」

目くら「私の衣装を剥ぎとられるつもりですか。あなたこそ眉をあげ、目を開いて私を御覧になってください。私は史先児で、名を史相公といいます。あなたにお尋ねしますが、あなたはどなたに呪いを掛けられたのですか。あなたはわたしの術に効き目がないとおっしゃるのですか」

素姐「私は夫と仲が悪く、あんたに夫を呪わせたのだよ。ほかにだれを呪うというんだい」

史相公「夫に呪いを掛けて殺すですって。これは夫を謀殺するということではございませんか。凌遅の罪に問われるべきですな。それなのに、私を掴まえようとされるなんて。地方さま。総甲さま。この鎮には郷約はいないのですか。薛家の娘、狄家の嫁が、一両の銀子、海青を約束し、私に呪術を行うように頼み、夫を呪い殺そうといたしました。私がそれを拒むと、私を家に入れてぶち、衣装をはぎ取ろうといたしました。地方さま、総甲さま、近所の方々、お聞きください。わたくし、史瞎子は、貧しいとはいえ、ろくでもない女たちと一緒に夫を忙殺したりはいたしません。神さま」

 史先児は、外に飛び出しますと、大声で叫びました。行き来する人々は、みんな立ち止まってそれを見ました。たくさんの人々が周りを取り囲みました。こうなりますと、素姐はだいぶ気弱になって、言いました。

「目くらめ。おまえに銀子を返せなどと頼んではいないよ。行っておしまい。何を焦っているんだい」

史先「行きますとも。あなたが私にそのようなことをさせれば、あなたは凌遅に、私は斬罪に処せられます。私が自首したら、この罪は免れることはできませんよ」

素姐「私はおまえに夫を呪わせたりはしていないよ。私に金をくれといったのに、やらなかったものだから、こんなに大騒ぎをして。私はおまえなんか怖くないよ」

史先「あなたは私に夫を呪わせようとしたでしょう。壬辰年正月二十日の亥の刻は、どこの売女の夫の八字ですか。一万人の男と関係を持つ、どこの女の夫ですか。地方さま、総甲さま、来てください。私は県庁に行き、告訴状を提出いたします。この鎮の地方、総甲、郷約、保長は、すぐには行こうとしないでしょうからね」

史先はひたすら騒ぎました。素姐は彼を去らせることができませんでしたので、張茂実の姑の林婆子に頼み、史先をとりなしましたが、彼は相変わらず喋りまくりました。林婆子がさらに何度も頼みますと、

史先「私は、今日、三百数銭を稼いだのに、奪われてしまいました。さらに三丈の木綿の胴巻き、新しい青の木綿の衫がありましたが、すべて剥ぎとられ、家に持っていかれてしまいました。これでは家に帰ることができません」

素姐「こいつの話を信じてはいけません」

史先は見えない目を閉じ、二本の手を伸ばし、素姐を叩きますと言いました。

「仕方ありません。あんたと役所にいって話しをするしかありませんな」

周りを取り囲む人はますます増えました。林婆子が脇から執り成し、史先に一吊の黄銭を与え、何度も宥め、家から離れさせました。

 素姐が大罪を犯したため、天地の鬼神が彼女を許さず、猿、目くらを遣わし、報いを与えたのでした。彼女は、その後、反省したのでしょうか。とりあえずどうなったか見てみることといたしましょう。次回のお話しをお聞きください。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]真珠で作った結子。結子は簪のはしに真珠が垂らしてあるもの。明顧起元『客座贅語』服飾「長摘而首圜式方、雑爵華為飾。金銀、玉、玳瑁、瑪瑙、琥珀皆可為之、曰簪。其端垂珠若華者、曰結子」。

[2]河道総督のこと。清代、河道修築を司った官。

[3]原文「狄周媳婦又做了調虎離山」。「調虎離山」は、虎を山からおびき出す、強い敵を強さを発揮できない場所に誘い出すことをいうが、ここでは、素姐の強敵である狄周の女房が、素姐の目の前からいなくなってしまったことをいう。

[4]原文「和尚死了老婆−大家没有」。歇後語。「和尚が女房を亡くす−みんなそんなことはあり得ない」というのが表面上の意味。「大家没有」には「みんないなくなる」の意もあり、本文の意味はこちら。

[5]素姐を南京虫に譬えたもの。原文は「臭虫」。「臭」には、臭いという意味のほかに、傲慢、下品などの意味がある。

[6]出典未詳。「天が必ず命じるもの」すなわち死をいう。

[7]北京南部、左安門外二里のところにある寺。明の正徳年間、常侍韋が建てた。海棠の名所。『帝京景物略』巻三参照。

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