第七十五回

狄希陳が文書を奉じて国子監に赴くこと

薛素姐が呪い罵りながら送別をすること

 

睦む夫婦(めうと)は楽しきも

啀む仲なら別れたや

三世の(えにし)に笑みはなく

家では日がな棒で打つ

鴛鴦の頸を()むるを信じずに

ひたすら厭ふ齊眉の(ぢよ)[1]

いと悲しきは別れ際

呪ひの(うた)を送ること

 素姐は、狄希陳、薛如卞、薛如兼のために、追善の法事を行い、帰りましたが、凶暴な性格は、少しも改まりませんでした。しかし、強気をごろつきたちに半分挫かれてからというもの、家の人々ではなく、もっぱら狄希陳に因縁をつけるようになりました。狄希陳は、彼女に追われ、罵られ、家に入る勇気もなく、書房に泊まりました。気候はだんだんと暖かくなりましたし、静かに一人で暮らし、とても快適でしたので、噛まれた傷もすっかり良くなりました。端午を過ぎますと、明水は、湖のほとりの低湿地で、蚊が多かったため、蚊帳がないと、噛まれて辛い思いをし、一晩眠ることができませんでした。小玉蘭の寝床にも、夏布の帳がつけられました。狄希陳は、すでに夫と認められていませんでしたので、部屋に入ることを許されませんでした。それだけならまだよかったのですが、彼女は、やがて、ふたたび彼を部屋に入れようとし、部屋の中に、蚊に噛まれる人がいないので、蚊が飢え、蚊帳の中に入り、彼女を噛む、小玉蘭もひどく蚊に食われてしまう、と言いました。そして、狄希陳を部屋に入れ、そこで眠らせ、蚊の餌食にしました。彼女は狄希陳が蚊帳を吊ることを許さなかったばかりでなく、彼の扇をすべて取り上げたため、狄希陳は体が疥癬のようになりました。そして、五月から七月初旬まで、丸々二か月、ひどい目に遭い、人間とは思えない有様となりました。

 ところが、人間がこのようなことをしても、天には別の考えがあるものです。その年、成化帝が即位して改元され、八月に国子監に御幸し、二千里以内の地の監生は、挙人も貢生も俊秀[2]も、文書を提出し、国子監に行くことになりました。文書が県庁に送られますと、県知事は、しきりに出発を促しました。礼房が明水に着きますと、狄員外は、酒とご飯で、彼をもてなし、さらに、五銭の銀子を送り、その場を離れさせ、急いで旅装を整えさせ、旅費を集め、七月十二日に出発させましたが、このことは、くわしくは申し上げません。

 素姐は、狄希陳が楽な思いをすることになるのが恨めしく、蚊が血を吸えなくなることがかわいそうになり、とても不愉快そうでした。出発するとき、狄希陳が部屋に入り、別れを告げますと、素姐は言いました。

「道を歩くときに、馬賊や強盗に会えば、彼らはあんたを一万回切り刻むだろう。九千九百九十九回目まで、絶対に逃げることを考えてはいけないよ。深い川があるところで、急いで数歩走り、足を滑らせて落ち、腐った味噌のようになれば、これから辛い生活をし、苦しみを受けるのを、免れることができるだろうよ。断崖絶壁を歩けば、ゆっくり歩いても、崖が崩れてあんたを押し潰すから、筵を買い、あんたを巻かなくてすむだろうよ。川を渡るときは、あんたが馬といっしょに船に乗っても、馬は飛び上がり、あんたは川に落ちるだろうよ。汚い宿屋に泊まれば、宿屋が崩れ、ぺしゃんこになるだろうよ。昔、父さんは、都の人間は、炭でいぶされて臭く、臭い炭を買って焼かなければならない、通りの両脇には、二つの底無しの臭いどぶがあり、よく人が落ち、どぶさらいが骨を掬い上げていると言っていたが、あんたが人の代わりに溺れ死ねば、陰徳を積んだというものだ。あんたはこれらのことを、どれか一つするべきだよ。そうすれば私は済度され、あんたも解脱することができるだろうよ」

素姐は、椅子に腰掛けながら、一つ一つ命令しました。狄希陳は、うなだれ、元気のない目つきで、耳をそばだて、居住まいを正して聞いていました。狄周の女房は、脇で聞いているうちに、我慢できなくなり、言いました。

「奥さま、どういうことですか。旦那さまにどんな恨みがあって、こんなに罵られなければならないのですか。神さまに話しを聞かれるのが怖くないのですか」

さらに、狄希陳に言いました。

「もうたっぷり呪いを掛けられたでしょう。どこかへ行かれないのですか。まだ呪いを掛けられたいのですか」

素姐は言いました。

「さっさと行っておくれ。あんたは気にいった死に方を選ぶがいいよ」

狄希陳は、素姐に二回揖をすると、出ていきました。

狄周の女房「大丈夫です。行かれてください。『人が人に死ねといっても、人は死なないが、天が人を殺そうとすれば、人は死ぬ』といいますからね」

 狄希陳は、父親に別れを告げ、狄周を連れ、さらに料理人の呂祥、小者の小選子を雇い、主従四人で、騾馬に乗り、都に出発しました。その頃は、平和でしたので、道に落ちているものは拾われず、山は崩れず、川は氾濫せず、人も病気にならず、危険はありませんでしたが、出発のとき、素姐にひどい呪いの言葉を掛けられましたので、心が落ち着きませんでした。しかし、狄周の女房の言ったことには、少しも間違いがなく、風や波は穏やかで、少しも滞りはなく、沙窩門の国子監の東の道の北側にある、童七の旧宅に着きました。家の様子は以前の通りでしたが、入り口には国子監の封印が張られており、壁には喧嘩を禁じる告示が張られていました。狄周は、騾馬から降り、門番に尋ねますと、国子監の助教[3]の王爺の私宅で、ケ公が借りているとのことでした。童七の行方を尋ねますと、門番は、引っ越してきてから二か月足らずなので、童七などは知らないといいました。古くから住んでいる隣人に尋ねますと、童七の銀細工店は、店じまいした、彼はまぐさ商人に推薦され、首を吊って死んだ、小虎哥は戸部司官の長班になった、寄姐はまだ婚約をしておらず、その日暮らしで、今は、翰林院の入り口から、西に五六軒行った道の南側に住んでいる、入り口で、棗と火焼を売っているのが彼女の家だ、とのことでした。狄周は、話しをしてくれた隣家の老人に礼を言い、ふたたび騾馬に乗り、翰林院の入り口に行きました。西へ六軒目の、火焼を売る店に行き、尋ねようとしますと、年は四十ばかりの女が、古い薄絹のチョッキ、下には古い白い薄絹の裙、高底の砂緑の潞紬の靴をつけ、入り口に立ち、豆腐干の値段を交渉していました。

「童の奥さんではありませんか。よかった、すぐに見付かって」

童奶奶「狄さんじゃありませんか。旦那さまと坊っちゃまはどうされたのですか」

狄周「旦那さまは家におられ、坊っちゃまだけが来られました。騾馬に乗ってらっしゃいます」

さらに、狄希陳を招いて言いました。

「騾馬から降りられてください。こちらが童の奥さまです」

狄希陳は、急いで騾馬からおり、目の前に進みでました。童奶奶は、彼を中に招き入れ、数年間の出来事を話し、家や近所の誰が死んだなどといったことをあれこれ話し、茶を飲み、顔を洗い、とても親しくしました。寄姐も成長し、髷を結っていましたが、やはり出てきて、狄希陳と会いました。

 狄希陳が見てみますと、童奶奶の三間の家の東の裏間には、童奶奶と寄姐が住み、西の裏間には、虎哥が住んでいました。もうすぐ結婚なので、小さな中庭の東にある、一間の小さな部屋には、竈が造られており、食事を作るところでした。狄希陳は、泊まることができる場所がないのを見ますと、立ち上がり、別の所へ行こうとしました。童奶奶「荷物をおろし、とりあえずお泊まりください。小大哥が晩に戻ってきたら、近くに便利なところを捜させましょう。そうすれば、私たち女は、朝も昼も話をすることができます。服を縫ったり、糊をつけたりするのにも便利です」

狄希陳は荷物を下ろし、騾馬引きを去らせ、ご飯の代わりに、銀三銭を与えました。童奶奶は、数百銭を袖に入れました。外に行き、火焼売りの息子の小麻子に豚足、豚の頭、鳩麦酒[4]、豆腐、生の芹を買うように頼み、火焼を作り、緑豆と古米の粥を作り、狄希陳たちを引き止め、食べさせました。

 狄周は、他のところで、宿屋を探しました。翰林院の中の、長班の家でした。小さな三つの部屋は、二つが明間、一つが裏間で、綺麗に表具がなされていました。裏間の窓の向かいには、艶出し煉瓦の炕があり、窓の下には、着木[5]に金漆を塗った文几、高い背凭れのついた方椅、水磨の衣桁[6]があり、明間には、黒い退光漆[7]のテーブル、四つの金漆の方椅がありました。その上には仇十洲[8]の「曹大家修史図」[9]が掛けられていました。中門、中庭があり、部屋の西には一間の厨房、東には便所があり、とても清潔でした。部屋の主に尋ねますと、翰林院の役所の長班は、姓を李、号を明宇という、この家は、彼が官有地を手に入れ、建てたもので、裏は彼の住宅だということでした。その日、李明宇はおらず、李明宇の女房の李奶奶が家にいました。双子の男の子は、ようやく四五歳になったばかり、李奶奶は、二十六七歳で、とても親切、すぐに出てきて、狄周に応対をし、大変和やかにしました。家賃は、一か月一両とし、家具もすべて中にありました。狄周も、彼女の言うことに逆らわず、一か月の部屋代、一銭の心付けを残しました。

 戻りますと、狄希陳は、童奶奶とともに、腰を掛け、食事をとりました。

狄周「もう宿屋が見付かりました」

童奶奶は、彼が遠い場所に宿屋を見付けたのではないかと思い、あまり喜ばずに、言いました。

「あれまあ。うちの息子が戻ったら、あなたのために、近めの宿屋を探させると申し上げたのに、どこに泊まることにされたのですか」

狄周「遠い所に泊まるはずがありません。翰林院の、李さんの家です」

童奶奶「それは良かった。それは良かった。きっと李明宇さんの家でしょう。あの人の奥さんは、私の妹ですから、あそこなら、行き来するのに便利です」

狄周は、食事を終えますと、呂祥、小選子とともに、荷物を運びました。狄周が戻ってきますと、李奶奶は、部屋の入り口の内と外に、カーテンを掛け、厨房の竈に火を起こし、炕に筵を敷き、甕に水をあけ、お碗、杯、家具を揃えました。準備が調いますと、狄希陳を呼びました。李奶奶は、迎えに出てきて、茶を飲むのに付き添い、事情を尋ねました。狄希陳が、童奶奶の話しをしますと、李奶奶は結義した姉、小虎哥は彼女の甥だと言いました。このような縁がありましたので、ますます親しくなりました。程なく、虎哥が拝礼をしにきましたが、郎素[10]の涼帽[11]、屯絹の道袍、縁取りをした靴と、綺麗な靴下を着けた、とても綺麗な若者でした。狄希陳と時候の挨拶をし、さらに、彼のおばの李奶奶に会いますと、狄希陳は以前彼の家に泊まったことのある、山東の金持ちで、父子の人柄は、とても誠実だ、と言いました。李奶奶は、ますます恭しくしました。李明宇が晩に戻り、会って挨拶をしたことは、くわしくは申し上げません。

 翌日、狄希陳は、礼部に行き、文書を提出し、祭酒、司業[12]と、六堂[13]の先生に会い、荷物を開け、童奶奶に、二匹の木綿の紬、二双のネルのズボン、二斤の木綿糸、二双のネルの半ズボンを送りました。李明宇には、一双のネルの靴下、二双のネルの脚半、四本の毛巾、一斤の木綿糸を送りました。李明宇は、誰とでも仲良くする人でしたし、李奶奶は、都の女でしたので、人を手厚くもてなしました。狄希陳は、夜叉のような女と別れたため、元気が出て、主人も客もとても仲睦まじくしました。三日目には、童奶奶は、一塊の肉、二羽の湯がいた鶏、二つの盒子に入った点心を送ってきました。狄希陳は、狄周に、たくさんの果物を買わせ、李奶奶と童奶奶を、一緒に座らせました。日が西に傾く頃、李明宇、虎哥は、それぞれ家に帰り、一緒に一更過ぎまで酒を飲みました。後に、李明宇の家で宴会があったときも、狄希陳が返礼の宴席を設けたときも、必ずこれらの人々がおりました。

 狄希陳は、家で素姐と一緒にいたときは、まさに虎を抱いて寝ているような気分でしたが、今では火地地獄[14]から抜け出たような気分でした。八月七日、天子が国子監に御幸され、聖旨恩典により、監生に官職が与えられることになりました。狄希陳も吏部に赴き、試験を受け、文書を提出し、府の経歴に選ばれました。彼は、以前、明水鎮で洪水があったとき、水神が成都府の経歴になると言っていたことを聞いていました。どこの府なのかは、まだ決まっていませんでしたが、経歴になるということがあたっていましたので、成都府に間違いないと考え、こう思いました。

「家では、素姐にさんざん苛められ、秦檜、曹操が地獄で受けるような苦しみをなめ尽くした。数千両の銀子を使い、四川の成都に選任されれば、山東から数千里離れているから、あいつを家に置き去りにしてしまうことにしよう。妾を一人とり、二人の小間使いを買い、下男とその女房を二組雇い、任地に行けば、故郷から抜け出ることができ、快適ではないか。童奶奶は、女ではあるが、とても見識があり、よく人のことを考えてくれる。以前、調羮の件も、うまく処置してくれた。僕の本当の気持ちを、童奶奶に話し、よく相談してみよう」

 雨で暇な日、狄希陳は、呂祥に、酒と料理−山東の小麦ご飯−を作るように命じ、童奶奶と李奶奶を呼び、世間話をしました。酒を飲んでいる間、狄希陳は、あれやこれやと、家でひどい目に遭ったことを話しました。童奶奶は、溜め息をつき、悲しみましたが、李奶奶は、狄希陳がでたらめをいっているのだと思い、言いました。

「そのようなことがあるはずがりません。そんなひどい悪行ができるわけがありません」

童奶奶「おまえは、狄さんと付き合っていたのに、詳しいことを知らなかったのだね。狄さんが今日私たちに話しをしてくれたことは、私は以前から知っていたよ。私たちの執事と尤厨長が、私に話しをしてくれたのだ。あの人はきれいな人だが、このような性格なのだ。狄さん、あなたの考えは、間違っていません。男が妻を娶ったり、妾を買ったりするのは、子供を産んで、いい暮らしをするためです。こうしなければ、長い人生を過ごすことはできません。あの女に殺されるわけにもいきませんからね。お父さまは、まだご壮健ですか。あのご老人が長生きされ、あなたのために、家を取り仕切ってくださるのでしたら、思った通りになさるべきです」

狄希陳「家のことなど構いませんし、財産など有り難いとも思いません。捨ててしまえばいいのです。土地や家屋は、持っていくことができるものではありませんし、千年たっても私のものというわけでもありません。あいつがおとなしくしていればそれでよし。いっそのこと家を捨て、親父も任地に連れていきましょう。家はあいつにくれてやり、好きなようにさせようと思います」

童奶奶「それも宜しいでしょう。それは狄さんご自身のお考えなのですからね」

李奶奶「私は信じられません。そんなに男を苛める女の人がいるなんて」

狄希陳「李奶奶、お信じにならないのですか」

左の腕を露にしますと、言いました。

「御覧ください。これは鎌で切られたのです。もう少しで命を失うところでした」

さらに右の腕を露わにしますと、言いました。

「御覧ください。これは噛まれたものです。お二人とも、うちの執事の狄周と小選子を呼ばれ、こっそりお尋ねになってください。私は、家を出るときに、揖をし、彼女に別れを告げましたが、あの女は、考え付く限りの、ありとあらゆる悪い死に方を挙げ、さんざん私を呪ったのですよ」

李奶奶「きっと決まりを守らず、外に女を囲われたのでしょう」

童奶奶「おやめなさい。一人の男が、女を囲ったり、かどわかしたりするのは、よくあることです。こんなにひどい仕打ちをして、いいはずがありません。これは、前世で恨みのある者同士が、この世で出くわしたのです」

酒を飲み、灯点し頃まで話をし、それぞれ去っていきました。

 翌日、さらに童奶奶と相談し、考えを決めました。役人の選任が行われるときは、狄周を故郷に遣わし、さらに百数両の銀子を使わせました。狄周が去った後、狄希陳は、童奶奶に、妾を探してくれと頼みました。童奶奶は、調羮を捜し出した周嫂児、馬嫂児に、あちこちを探すように命じました。ところが、都には、いい女はなかなかおらず、家の父母が良くなかったり、兄弟が凶悪だったり、女本人がまずかったりしました。あれこれ見てみましたが、すべて気に入りませんでした。彼は見立てをするたびに、童奶奶に、贈り物を袖に入れながら、二人の媒婆とともに、驢馬に乗るように頼みました。通りをぶらつき、胡同を歩き、半日捜しました。狄希陳と寄姐は、炕に座り、かるた遊びをしたり、将棋をさしたりしました。玉児も娘になっておりました。彼女はがっしりした体格でしたが、醜くはありませんでした。そして、目の前に立ち、骨牌をしたり、話をしたりし、三人で冗談を言い合いました。狄希陳も、しばしば小玉児に銅銭を与え、入り口で、炒り栗と炒り豆を買い、みんなで食べました。また、彼女を玉河橋[15]に行かせ、惣菜や酒肴を買わせたりもしました。童奶奶は、外にいる間、寄姐と狄希陳を、家に残していました。見立てをして戻りますと、通りに面した門には、鍵が掛けられていませんでした。真っ直ぐ部屋の中に入りますと、玉児の姿はなく、寄姐と狄希陳が、腰掛けて戯れていました。彼ら二人は、童奶奶を意に介さず、童奶奶も彼らのことを怪しいとは思いませんでした。玉児の行方を尋ねますと、物を買いにいっている、戻ってきたら、みんなで食事をするのだという返事でした。

 ある日、童奶奶が、ふたたび妾を物色しにいきますと、寄姐は、狄希陳とサイコロ賭博をしました。そして、対を出したものが勝ち、対でないものは負けということにし、狄希陳が袖に入れていた数文の銅銭を、すっかりとってしまいました。

狄希陳「僕は、すっかり金をすってしまったから、数十文を貸してくれ。またサイコロを投げるから」

寄姐「おや。あなたはどんな徳があって、私にお金を貸せだなどと仰るのです。私がかったらお金はいただかず、肘を叩くことにしましょう。私が負けたら、銅銭をあげましょう。あなたが負けたら、あなたの肘を叩きましょう」

狄希陳「どういうことだい。君が負けたら僕に銅銭をくれて、僕が負けたらぶたれるだって」

寄姐は、腕前が上なのを頼りにして、言いました。

「いいじゃありませんか」

そして、続けざまに対を出しますと、狄希陳の腕を引っ張り、片手を伸ばして、二本の指でぶちました。狄希陳は、一の対を出しますと、喜んで飛び跳ね、言いました。

「かたきをとってやるぞ」

ところが、寄姐は袖をとり、腕を曲げ、手を伸ばそうとしませんでした。狄希陳が彼女の首を掻き、彼女の腕を引っ張りますと、彼女はぶたせようとはせず、こう言いました。

「また一を二つ出してください。そうすれば、あなたにぶたれましょう」

狄希陳「まあいいだろう」

投げてみますと、また一が二つ出ました。寄姐は急いで言いました。

「私は承知しません」

サイコロを手にとり、口の中で何やら唱えますと、狄希陳に渡し、言いました。

「四の対を出したら、私をぶっていいですよ」

狄希陳も、サイコロを手にとり、大声で唱えました。

「神さま、私は寄妹妹と、かくかくしかじか。一対の四が出ますように」

寄姐は顔を赤らめ、言いました。

「何がかくかくしかじかなのですか」

狄希陳「君が呪文を唱えるのは許されて、僕が呪文を唱えるのは許されないのか」

投げますと、まさに四の対でした。寄姐と狄希陳は、とても喜びました。

寄姐「あなたをごまかしたりはいたしません。ぶってくださいな」

燻銀の腕輪をつけた、白い蓮根のような腕を伸ばしました。狄希陳は、手に受けとりますと、言いました。

「どうりでぶたせなかったわけだ。僕だってぶつのが惜しいよ」

顔に何回か押し当て、言いました。

「ぶつのが惜しいから、噛むことにしようか」

口に入れ、歯形をつけました。

 狄希陳は、ふざけながら、寄姐の袖に手を伸ばし、桃紅の汗巾をとり出しました。そこには、燻銀の臙脂入れ、鴛鴦の模様のついた巾着が掛けられており、中には香茶[16]が入っていました。

狄希陳「僕は君をぶっていないのに、君は臙脂入れと巾着を僕にくれるのかい」

寄姐「私の物を、あなたに差し上げたのですから、私もあなたの袖を探ります。何かがあれば、頂きたいものです」

狄希陳は、袖を伸ばし、言いました。

「どうか探ってくれ。何も取るべきものはないがね」

寄姐「信じませんよ。取ったものは、みんなわたしのものですからね」

手を伸ばし、汗巾をとり出しますと、寄姐は彼の腕を捩じり、言いました。

「この嘘つき。何もないといっていたくせに、これは何ですか」

引っ張り出してみますと、月白の縐紗の汗巾に銀子が包まれていました。寄姐は、自分の汗巾を、狄希陳の懐に入れますと、言いました。

「交換しましょう」

狄希陳「交換してから、後悔するのはなしだぞ」

寄姐「私は汗巾が欲しいのです。包まれているものは、欲しくありません」

汗巾の結び目を解き、銀を取り出しますと、八九両の重さがありましたが、狄希陳の袖の中に入れました。狄希陳は、ふたたびその銀子を寄姐の懐に入れますと、言いました。

「交換しようと言ったのに、汗巾だけを欲しがり、銀子は入らないというのかい。君はいい性格だね。僕と結婚しようか」

寄姐「あなたは何ていい性格なのでしょう。あなたに嫁ぎますわ。私は汗巾だけが欲しいのです。これはいりません」

狄希陳「とにかく受け取っておくれ。君が欲しくないというのは許さないぞ」

いちゃついておりますと、童奶奶が家にやってきて、尋ねました。

「兄妹二人で、何を喧嘩しているんだい」

寄姐「この人の汗巾を勝ちとったのに、この人は銀子まで私にくれようとしているのです。私はこの人の銀子は欲しくありません」

童奶奶はおやおやといい、構おうとしませんでした。

 二日が過ぎ、二人の媒婆は、他に適当な家がありましたので、狄希陳の宿屋に相談をしにいきました。狄希陳は言いました。

「第一に、器量のいい人を選びたい。第二に、縁のある人が欲しい。ちょうどいい人を選んだが、お前たちは、口利きをすることはできないだろう」

二人の媒酌人「普通の方を仰ってくだされば、口利きを致しましょう。お金持ちの方であれば、先方は、よその人のために妾にはならないでしょうから、口利きをしてさしあげることはできません」

狄希陳「目の前にいい人がいるのだ。先方は僕を尋ねる必要はないし、僕が先方に会う必要もない。あなたたちは何の造作もいらない。それを遠くへ探しにいくなんてね。僕のような人間が、婿になることができないはずがあるまい」

 周嫂児は、はっと気が付きましたが、馬嫂児はまだ分からずに、言いました。

「どなたですか。私は分からないのですが」

周嫂児「狄さまが仰ったのは、きっと寄姐さまのことでしょう。童奶奶が家を選び、婿を選んでらっしゃることは知っていましたが、狄さんのことは思い付きませんでした」

馬嫂児「ああ。だめですよ。あの方は、妾になろうとはされるでしょうが、山東に行こうとはしないでしょう」

狄希陳「その二つの件に関しては、心配ご無用。僕には女房がいるが、僕を敵扱いにしているんだ。僕は彼女を捨て、家も捨てることにするよ。僕は、妻を娶るのであって、妾をとるわけではないんだ。彼女を故郷に連れていくことを心配しているが、故郷に未練はない。故郷から銀子をもってきて、金を使い、役人に選ばれ、都から赴任すれば、僕は旦那さま、彼女は奥方ということになるだろう。寄姐さんが僕のものになれば、童奶奶も任地に呼び、家事を切り盛りしてもらうことにしよう。僕には母親も姑もいないからな。童奶奶は、僕の実の母親のようなものだ。僕は役人にならなくても、都で物を買い、商売をしよう。危険な故郷に戻ったりはしないよ。僕が役人になり、金を稼がなくても、僕が生活するのに十分な金はあるさ。童奶奶に相談をしにいってくれ。承知しようがしまいが、報告をしにきてくれ」

周嫂児「あの人が承知しようとしまいと、話をしにいきましょう。あの人が承知しなくても、ぶったり罵ったりなさらないでください。ひょとしたらうまくいくかも知れません。行ってまいります」

 二人が童奶奶の家に行きますと、童奶奶は尋ねました。

「狄さまは家にいらっしゃったかえ」

周嫂子「あちこち歩き回り、長いこと見立てをしても、気に入っていただけないのは、なぜだろうと思っていましたが、あの方は、心の中で、別のことを考えていたのですよ」

童奶奶「どんな考えですか。故郷の人が来て、奥さんの様子を話すのを待っていたのですか。それとも、奥さんが、銀子をくれないことを心配していたのですか」

周嫂児「そうではございません」

童奶奶の耳元で、

「あの人は、奥さまの婿になろうとしてらっしゃったのですよ」

童奶奶「彼ら二人は、小さいときから、兄妹のようなものだ。そのようなことはできないよ。あの人の家には、正妻がいる。私たちの娘が、あの人の妾になるはずがないだろう。それに、あの人が山東に戻ってしまえば、私は娘のことを死ぬほど心配することだろう」

周嫂児は、童奶奶がそれほど拒絶をせず、どうにでもなることばかり言っているのを見ますと、すぐに狄希陳の話しに尾鰭を加え、童奶奶と童寄姐を丸めこみました。そして、寄姐に尋ねました。

「お嬢さま、聞かれましたか。これは、あなたの一生の大事です。お父さまは亡くなられ、弟さんは幼く、私はしょせん女ですから、考えを決められません。ご自分で考えを決められなければなりません。狄さまは赤の他人ではないのですから、私どもも単刀直入にお話ししましょう。宜しいなら宜しい、駄目なら駄目と仰ってください。あの方に劣情を起こさせてはいけません」

寄姐「私は決められません。お母さまがお決めになってください。小さいときから一緒で、お互いよく知っていますから、双方で相手のことを調べる必要はありません。要するに、この件は、お母さまの一存で決まるのです。私が決めることはできませんし、弟が決めることもできません」

童奶奶「おまえの弟が戻ってきたら、相談をし、彼を向かいの関帝廟に行かせ、籤を引かせてみよう」

寄姐「弟と相談なさればいいのです。生きている人を放っておいて、泥でできた神さまにご託宣を仰ぎにいかれるなんて」

童奶奶「とりあえず半日待ち、兄さんが家にきたら、相談をし、様子をみることにしましょう」

二人「あの方は、目から血が出るほど待ち焦がれていますから、とりあえずあの方のところへ行き、話をし、返事を待つことにしましょう」

童奶奶「それもそうですね。ただあちらへ行ったら、はっきりとした話しはしないでおくれ」

 二人の媒酌人は、狄希陳の宿屋に戻りますと、真っ先に

「お信じにならないでしょうが、口利きをするのは大変です。うまく話をすれば、二割りほどの確率でうまくいくでしょう。口利きには手間が掛かりますが、狄さま、いかほどのお金をくださいますか」

狄希陳「僕が寄姑娘と夫婦になることができれば、出し惜しみはしない。一つのものを使うべきところに、二つのものをあげよう。けちけちしたりはしないぞ」

周嫂児「そういえば−私どもは、面の皮を厚くし、狄大爺のためにお仕事をいたしますが、冬に綿入れのズボン、綿入れの袷、炭がないことが心配なのです」

狄希陳「安心してくれ。うまくいけば、二人に暖かい思いをさせてやろう」

さらに、呂祥を呼びました。

「酒とご飯を用意し、二人に食べさせてくれ」

食事を終えますと、二人は別れを告げ、明朝報告をすることを約束しました。狄希陳は、いつも童家にいっていましたが、このときは婿になろうとしていましたので、行くわけにはいきませんでした。その晩、狄希陳は、何度も寝返りを打ち、眠ることができず、ひたすら吉報が来るのを待ちました。

 翌朝、二人の媒婆は、童家に行き、結果を尋ねました。童奶奶と寄姐は、すでにすっかり考えを決めており、虎哥と相談するといったのは、形式だけにすぎませんでした。媒酌人が来ますと、童奶奶は、気前良く承知し、さらに言いました。

「話があれば、狄さんを呼んできておくれ。顔を合わせ、話しをしよう。小さいときから育て上げたのですから、見ず知らずの婿ではない。婚礼ではとにかく節約をし、妄りにお金を使うのはやめよう。お金は残しておき、彼ら夫婦の生活費にさせよう」

二人を引き止め、朝食をとらせました。

 狄希陳は、報せが来るのを待ち望んでいました。すると、二人が酒で頬を真っ赤にし、うきうきしながらやってきました。彼らは、童奶奶はさんざん勿体をつけたが、幾分か成功の気配があった、と言い、童奶奶の話を伝えました。

「狄さまに話をしておくれ。今までは行き来しても構わなかったが、縁談を持ち込まれた以上は、嫌疑を受けるのを避けるため[17]、本人がたずねていくわけにはいかない。話しは、お前たちが伝えておくれ」

狄希陳は、喜んで三尺飛び上がり、まず周嫂児、馬嫂児に、一両のお祝儀を与えました。

「暦によれば、明日が吉日だから、結納品を贈ろう。結納は、買うか、代わりに金を払うかしよう。二人ではっきりとした返答を貰ってきてくれ。嫁をとる日は、僕がさらに人に選ばせよう」

二人の媒婆は言いました。

「もうはっきりと尋ねました。童奶奶は、長いこといっしょに生活しているが、親戚たちがいるので、見栄えよくしなければならない、髪飾り、結納の茶、衣服、装身具、茶菓、礼物は、すべて揃え、いい加減にしてはいけない、親戚や近所に笑われるから、と仰っていました」

狄希陳「我々山東のやり方は、北京とは違うから、どうしたらいいか分からないな。狄周も家に行っており、ここにはまったく人手がない。準備をすることはできないだろう」

周嫂児「使う人がいないことを、心配される必要はありません。私たちには亭主や息子たちがいますから、心配されることはありませんよ」

狄希陳「僕はどうすることもできない。童奶奶の所に、相談をしにいってくれ」

 二人の媒酌人は、童家に行きますと、言いました。

「狄希陳さんは、とても喜んでおり、童奶奶が承諾してくださったことは、永遠に忘れることはできないと仰っていました。明日、結納品、茶をお送りしますが、装身具と衣服は、どう致しましょう。姑奶奶のご指示に従いましょう。きちんとしたものにし、ご親戚に笑われないようにしなければいけません」

童奶奶「娘と相談しました。あの人は、故郷を離れており、使う人もいないので、茶を送ることもできないでしょう。親戚はどうせ老人とおじ、おばだけですから、笑われることなどありません。私たちは、狭苦しい家に住んでいますから、茶を送られても、置くところがありません。衣服、装身具は、ゆるゆる買い、今すぐ揃えることはありません。二揃いの衣服、かんざし、耳輪、指輪、さらに幾つかの小さな細工の込んだ髪飾りが必要です。近い吉日を選び、あちらに娶られて、三日過ぎたときか、一か月過ぎたときに、一緒に住むか、別々に住むか考えましょう。あの方につまらない手数を掛けさせてはいけません」

周嫂児「奥さま、狄さまにそうお話ししたのですが、あの方は、とにかく見栄えを良くするべきだ、金を惜しんではいけないと仰っていました」

童奶奶「まったく物分かりの悪い子だね。あの子は私たちに会わず、伝言だけするつもりかね。あの子を呼んできて、私が、自分で話しをすることにしよう」

周嫂児「あれまあ。私があの方を呼びますと、あの方は『普段ならいいが、嫁を娶る前の新郎が、嫁の家に訪ねていくわけにはいかない』と仰っていましたよ」

童奶奶「お尻を丸出しにしていた時からずっと知っている子だというのに、婿だなどと言って。お前たちは、あの子には構わなくていいよ。暫くしたら、私が、自分で話しをしにいこう」

周嫂児たち二人に、四銭の銀子を与え、酒とご飯でもてなし、返しました。

 童奶奶は、身支度をし、一人で狄希陳の宿屋に行きますと、外から言いました「狄さん、おやおや。新郎だから私の家には行かないなどと言い、他人に伝言をさせるとはね」

狄希陳「周嫂児は、童奶奶が『もう婿になったのですから、昔とは違います。嫌疑を避けなければなりません。あそこへ行かれてはいけません』と仰っていたといっていましたよ」

童奶奶「何だって。そんなことは言っていないよ。何て憎たらしいのだろう。私はあの女に、狄さんは故郷を離れていて人手もない、どうせ二人はとても親しいのだから、茶を送ったり、結納を送ったりする必要はない。二揃いの衣裳、幾つかの細工の込んだ髪飾り、かんざし、耳輪、指輪を買い、近い日を選び、結婚式を挙げよう、必要もないのに金を使う必要はない、といったのですよ」

狄希陳「僕も、人手がないし、都の風習も知らない、礼物の代わりにお金を払おう、と言いました。ところが、周嫂児は『童奶奶が承知しませんよ。きちんと見栄えよくしなければなりません。親戚に笑われます』といっていました」

童奶奶「彼らの話は根も葉もないでたらめです。双方に嘘をつくなんてね。これからは、あの女の話しを、絶対に聞いてはいけません。とにかく節約をするのです。これからは、あの女に、お金をやる必要はありません。娘が嫁いだら、あの女に数銭の銀子を、お祝儀として与えてください」

狄希陳「明日、定礼[18]を贈り、吉日を選び、聘礼[19]と、娘さんの衣服の類いを送ることにしましょう」

童奶奶「昔でしたら、一分の金もいりませんでした。しかし、今では生活が苦しくなり、息子の世話になって暮らしています、娘を送り出すのに、数両の銀子を使わなければなりません。今年は作柄も悪いので、強いことを言うことはできません。お金を数両いただければ宜しいのです。娘にまともな服を着せることができさえすれば結構です。娘を利用して金を稼ぐわけではありませんからね。多くても二十両たらずで十分です。今は寒いですから、一揃いの秋羅か、一揃いの紵絲を買うかしましょう。下着やスカートなども幾つかつけ、嫁入りしたら、ゆっくり気に入ったものを選び、服を作ればいいのです」

狄希陳は、童奶奶を送り出しますと、部屋の入り口に鍵を掛け、小選子を付き従え、江米巷の臨清店に歩いていき、頭機の銀花喜字の首帕を買いました。さらに安福胡同に行き、一対の釵、一対の簪、四つの指輪、一服の腕輪を買い、薛銀匠を宿に呼び、装身具を作らせました。

 翌日、周嫂児は、朝早くから、馬嫂児とともに、狄希陳の宿屋にやってきて、結納品を贈りました。小選子は、結納品を入れた、真紅の毛氈の包みを、二人の媒酌人とともに、童家に送りました。童奶奶は、結納品を受け取りますと、小選子と媒酌人を、酒とご飯でもてなし、返礼を贈り、お祝儀を与え、周嫂児とおしゃべりをしました。周嫂児は戻ってきますと、狄希陳に報告をしました。その後、どのように結納を行い、いつ寄姐を家に娶ったか、狄希陳が役人に選ばれたか否かは、すべて次回でお話いたしましょう。ここではお話ししきれませんので。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]後漢の孟光のこと。夫梁鴻を敬い、膳を出すときは眉の高さまで捧げもった「挙案斉眉」の故事で有名。 元雑劇にもこれを題材にした『挙案斉眉』がある。

[2]明代、捐納をして国子監に入った者をいう。

[3]教授の次の官。国子博士を助けて生徒に教授した。

[4] 『五雑俎』「京師有薏酒、用薏苡実醸之、淡而有風致」

[5]原文「窗下一張着木金漆文几」。着木は未詳。衍字か。

[6]原文「一个水磨衣袈」。「衣袈」は「衣架(衣桁)」の誤りであろう。「水磨」は水鑢で磨いた煉瓦などをいうが、木製の衣桁に、水鑢をかけたものがあるのかは未詳。

[7]生漆の一種。塗った当初は色が暗く、だんだんと明るくなるものという。

[8]明代の著名な画家仇英。江蘇太倉の人。

[9]後漢の班固の妹班昭のこと。博学で、班固が『漢書』を完成しないうちに死ぬと、和帝の命を受け、補足を行った。曹寿の妻だったため、曹大家といわれる。『後漢書』列女伝「扶風曹世叔妻者、同郡班彪之女也。名昭、博学高才、世叔早卒、有節行法度。兄固、著漢書、其八表及天文志未及竟而卒、和帝詔昭就東観蔵書閣踵而成之」。

[10]朗素の誤字。朗素帽は馬の鬣で作った帽子。范濂『雲間据目抄』巻二「万暦以来、不論貧富皆用騣、価亦甚賤、有四五銭、七八銭者、又有朗素、密結等名」。

[11]夏用帽子。写真

[12]祭酒の添え役。

[13]国子監にある六つの堂。率性堂、修道堂、誠心堂、正義堂、崇志堂、広業堂。

[14] 「火坑地獄」の誤りと思われるが未詳。「火坑」は仏教語で、地獄、餓鬼、畜生道の苦しみを、烈火の燃えさかる穴に譬えたもの。

[15]紫禁城の南にある、玉河にかかる橋。『一統志』「順天府玉河橋在府南玉河之上、一跨長安東街、一跨文徳坊街、一近城垣」。

[16] 第五十回 参照。

[17]原文「如今既講親事、嫌疑之際」。旧時、縁談は媒酌人を通じて行わなければならず、結婚当事者の男女が顔を合わせるのは避けるべきこととされた。

[18]結納品。婚約の際に送るもの。

[19]男の家から女の家に送る結納品。

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