第七十回

悪い男が欲を張って主人に追われること

賢い妻がうまいことをいって夫を災いから逃れさせること

 

し給ふなかれひどきこと

天の神さま許すまじ

永久(とは)に流るる細き水

すべては運命(さだめ)に関はれり

危険を犯して僥幸(たなぼた)求め

わづかな銭に騙されり

賢き妻が執り成しせねば

殴られ追ひ払はれたはず  《謁金門》

 さて、狄希陳は都で国子監に入学したとき、童七の家に泊まっていました。名前は童有ァ、号は童山城といい、先祖代々燻銀の職人でした。父親の童一品は燻銀細工の開祖で、宦官の陳公に出資をしてもらい、前門外で燻銀細工を作っていました。ほかの銀匠が金銀の装身具を作るときは、三対七の割合で銅を混ぜたり、四対六の割合で銅を混ぜたりしても、簡単に分かってしまうものです。しかし、燻銀細工は、まず真っ黒に焼きますので、品質を見分けることはできませんでした。ですから、彼は銅を使い、指輪、釦、灯台、杯の類いを作り、金銭に換え、他人の銀貨を手にいれるという、元手なしで利益を得ることのできる商売をしました。ところが、彼は満足することを知らず、銅一両につき三銭の工賃を要求しましたので、銅が銀より高いということになりました。彼はさらにうまい計略を設けて、愚かな人々を騙しました。彼は広告を印刷し、こう書きました。

「本店が作りましたる食器や装身具は、すべて純銀で、少しも質の低い金属を混ぜておりません。これは、女の子孫が娼婦に、男の子孫が盗賊になることを恐れるからです*[1]。製品が壊れた場合は、いつでもこの書き付けを持ってご来店ください。照合し、間違いがなければ、作り直し、工賃だけを頂きます。銀がお入り用の場合は、もとの量通りに銀をお返しし、工賃はいただきません。書き付けを証拠といたします」

彼のものを買った人々が、作り直してもらいにいきますと、彼は書き付けにしたがって一つ一つ作り直してあげました。ですから、いい噂が広まり、商売は大繁盛しました。最初は老陳公に出資をしてもらい、毎月二割の利息を払っていました。老陳公への利子負担は重くはなく、好きなように使うことができました。また、老陳公の名を借りれば、だれからもひどい目にあわされる心配がありませんでした。彼は老陳公に悪いことをする勇気はありませんでした、利息は季節ごとに納め、元本は一年ごとに計算しました。このようにして数年が過ぎました。老陳公は童一品が善人であると信じ、気前良く一千両の銀子を出し、童一品と一緒に店を経営しました。元手が多ければ利息も多く、商売はますます繁盛しました。

 童一品は他の人が彼の商売を手伝って、彼の技術を真似るのを恐れ、弟子をとろうとせず、小さいときから息子の童有ァに手助けをさせました。童有ァは一族の排行によって童七と呼ばれていました。童七は十二歳のときから父親について仕事をし、商売を学び、十八歳のときに結婚をしました。相手は毛皮職人の駱佳才の娘で、錦衣衛の白皮靴校尉駱有莪の妹でした。童七はこの職業で食べていく運命にありましたので、作るものは優れていましたし、商売もとてもうまくいきました。この年の秋、童一品が病死しますと、老陳公は今まで通り童七と商売をしました。冬になりますと、老陳公は病気で亡くなり、燻銀店の元手の一千両は、出資者の小陳公の名義になりましたが、小陳公は今まで通り童七と銀細工店を開き、商売は今まで通り繁盛しました。童一品は商売が繁盛しても、人に仕事を任せようとはせず、一人で仕事をしました。その後、童七が成長しますと、親子は二人で仕事をし、女たちは、彼らに金銀に彫刻させたり、金箔を張ったりさせました。

 童七は仕事を継ぎましたが、父親のやり方を改めませんでした。後に商売が繁盛し、金を稼ぎますと、家の中に部屋を設けました。立派な部屋ができますと、テーブル、椅子、屏風、火鉢、花瓶、盆景、有名人の書画の類いを並べ、読書人の真似をし、だんだんと立派な身なりをするようになりました。そして、立派な家に住み、立派な衣裳を着けました。都は帝王のお膝元でしたが、人々の人を見る目は小皿よりも薄っぺらでしたので、彼が少し銅銭を持っているのを見ますと、みんな彼のことをちやほやしだし、彼を「童さま」と呼び、彼の女房を「童奥さま」と呼びました。何度もこう呼ばれていますと、夫婦は自分が銀匠であることをすっかり忘れ、自分たちのことを童さま、童奥さまだと考えました。

 親戚たちの運勢も、大体同じで、童七は商売が繁盛しますと、童奶奶の父親の駱佳才も幸運になりました。彼は貂の毛皮の職人でした。貂の毛皮はとても高価でしたので、彼は帽套を作るときは、貂の背中の最も綺麗なところを盗み、たくさん集め、繋ぎ合わせて帽套にしました。黒い麻糸で裏打ちしますと、人々は外側がふさふさしていて色が紫であることしか見ず、内側がたくさんの屑皮を繋ぎ合わせたものであることには気がつきませんでした。駱佳才は二三十両の売り値で、だんだんと財産を築き、錦衛官の心をつかみ、息子の駱有莪を校尉にし、人々とともに捕縛や脅迫をし、たくさんの不義の財産を手にいれ、土地家屋を買いました。人々は駱佳才を「駱の大旦那」、女房を「駱の大奥さま」と呼び、駱有莪を「駱さま」、女房を「駱奥さま」と呼びました。二つの家はどちらも栄えました。

 さて、富貴な童爺は、絹物に身を固め、広くて豪華な家に住みましたので、左手に火吹き棒をもち、右手にやっとこをもち、女房にふいごを吹かせ、息子に火鉢を扇がせるようなみっともないことをするわけにもいかなくなりました。銀を鋳て細工をするとき、童爺は大筋の指示をし、全体の数を調べることしかしなくなりました。童奶奶に至っては仕事をみようともしませんでした。息子の小虎哥を書館に送って勉強させますと、人々が彼の父親は銀匠だといっても、彼も信じませんでした。寄姑娘はいうまでもありませんでした。童爺は人を雇って細工をさせ、自分は仕事をみませんでした。

 童一品父子が仕事をしていたときは、一両の重さの燻銀細工には、三銭の銀が含まれていました。しかし、人を雇うようになりますと、彼らは顧客のことなど考えませんでしたから、三割りの銀さえも懐にいれ、作られた品物は、すべて銅という有様でした。運気が良い時は、たくさんの人がやってきました。製品が壊れれば、新しい物に換え、工賃を要求するだけのことでした。ところが、人の運気は真っ昼間の日光のようなもので、朝から昼、昼から夜へと変化し、いつまでも昼であるということはないのです。盛んになれば必ず衰えるのは、理の当然です。以前と同じ製品を作っているのに、品物は売れなくなり、儲けは以前の十分の一になりました。売れた一割の品物は、十のうち九が返品されました。古い物は、書き付けを手にして銀に換えにくるものがほとんどで、品物を作り直そうとするものはいませんでした。童七は商売がふたたび繁盛することを期待しながら、歯を食いしばって換えてやるしかありませんでした。年の暮れに清算をしますと、稼ぎは多くなく、だんだんと利益がなくなり、損をし、年を追うごとに悪くなりました。ついに陳内官は資本金を回収して、店を閉じようとしました。

 最初童七は強がりを言いました。

「儲けが少なく、商売がうまくいかないのなら、店を畳めば宜しいでしょう」

陳内官が本当に店を畳もうとしだしますと、童七も慌てました。陳内官は部下を幾人か遣わし、店に行かせ、帳簿を引き渡して決算をさせました。童七はもちあわせの銀子がありませんでしたので、返済を延期してもらうことにしました。四五百両で装身具を作りましたが、二三百両分の返品された傷物を差し引きますと、儲けは二百八九十両弱、三百両には十二両足りませんでした。使いは童七とともに、帳簿をもって、陳公の所へ報告しにいきました。陳公は作った装身具と傷物をきちんとはかり、もとの箱にしまわせ、つけ買いと欠損の分は、保証人を立て、一か月以内に返すように命じました。童七はまだ平然としていました。そして一か月たちますと、家にある銀を集め、金額通り返済をし、保証書を破棄しました。陳内官はとても申し訳ないと思い、酒とご飯でもてなし、優しい言葉をかけて慰めました。

 童七は家に戻りますと、数十斤の銅を買って元手とし、今まで通り燻銀匠の店を開きました。ところが、運が悪くなった人は、昔のような商売をすることはできませんでした。十日のうち九日は取り引きがありませんでした。取り引きがあったかと思うと返品があり、銅でも、銀を使って買わなければなりませんでした。人を雇って仕事をさせれば、工賃が必要でした。家を借りて店を開くと、家賃が必要で、これらはすべて損失になりました。さらに「幸福は二つでは訪れず、災いは一つでは訪れない」ものです。九月十六日は陳公公の母親の誕生日でした。陳公公は東廠[2]に着任したばかりで、大変羽振りがよく、陳太太の誕生日に訪れる人は大勢いました。歌い女たちも、お祝いをしにきました。

陳公「お祝いにきてくれてご苦労。いい物を持っているから、お前たちにやろう」

叫びました。

「おまえたち、童夥計が持ってきた燻銀の釦、楊子と三事児[3]を、全部持ってきてくれ」

 暫くしますと、一人の食客が、二つの大きな紙の包みを持ってきました。

陳公「包みを開けて、数を調べることにしよう」

ところが、銅の品物というものはすぐに変化してしまうものです。三伏の梅雨時に、長いこと皮の箱の中に入れられて蒸されていましたので、取り出してみますと、すっかり青緑の斑点ができていました。陳公はそれを見ますと、訝かって、いいました。

「これは童夥計が送ってきたものか」

食客「もちろんです」

陳公公は罵りました。

「あの犬畜生め。とんでもない奴だ。こんな銅の品物でわしをだますとは。ほかの物もこうなのか見てみてくれ」

食客は仲間とともに皮の箱を陳公公の前に運んできて、一つ一つ手にとってみてみますと、まったく同じで、すべて「堯舜も人と」[4]という有様で、まったく銀らしさがありませんでした。陳公公は罵りました。

「憎らしい犬畜生め。わしをだましたのだな。はやく東廠の者を遣わし、あの犬畜生を捕まえにいかせるのだ。皮の鞭と短い棍棒を用意し、あの犬畜生を殴ってやる」

 東廠の力と、宦官の心は、侮り難いものでした。「東廠の者に童夥計を捕まえにいかせてくれ。老公があの者に尋ねたいことがあるのだ」という命令が一たび伝えられますと、階段の前にいる大勢の者たちは一斉にはいと返事をしました。さいわい、童七は陳公の相棒だった人でしたので、遣わされたのはわずかに十人ほど、用向きも伝えませんでした。彼らは、童七だけを二人がかりで掴まえてきましたが、彼の財産を奪ったり、彼の女房を辱めたりはしませんでした。捕り手は童七を連れていきましたが、陳公公が客の相手をしていましたので、童七を宿直室に連れていって待機させました。童七は陳公がどうして自分を咎めているのかを聞きましたが、少しも情報を聞き出すことができませんでした。

「太太の誕生日には、礼物を送り、叩頭をした。礼物が少なかったことを怒っていたのなら、立派な宴席を設けて俺を酒とご飯でもてなすはずがない。送ったものが良くなかったのかもしれないが、もう半年を過ぎているのだから、見破られたわけでもあるまい」

 ちょうど小者の小承恩が出てきていいました。

「田植え歌をうたう者がいたら呼びとめるように門番にいってくれ、老太太が歌を聞きたがっていらっしゃるからな」

童七は普段からこの小承恩と知り合いでしたので、叫びました。

「承恩さん」

承恩は振り向きますと、言いました。

「童さん、まったくとんでもないことになったね。あんたが渡したあの銀の装身具を、今日老公が取り出して人に与えようとしたのだが、すっかり銅に変わっていて、表面が緑青だらけだったぜ。あの人は人に皮の鞭と木の棍棒を持ってこさせ、あんたを殴ろうとしているぜ」

童七「ああ。そうだったのですか。びっくりしたじゃありませんか。私は老公の前で細絲の銀子に換えて差し上げればいいでしょう。こんな暑くてじめじめしたときには、触っていない元宝にだって緑青がつきますよ。まして人が汗を流して作ったものなのですから、変色しないはずがございませんでしょう。承恩さん、来てください。お話ししたいことがございます」

部屋の隅に引っ張っていき、こっそり袖から一両あまりの銀子を彼に手渡しますと言いました。

「炒り栗、炒り豆を買って召し上がってください。くれぐれも老太太に宜しくお伝えください、私は太太と老公とは仲良くしてきたのですから、装身具が贋物であれば、すべて償いを致しましょう。老太太の誕生日の前後三か月は懲罰を行わないのが、老公公の孝行で、老太太のために功徳を積むことにもなります。私は償いをするのは何ともございませんが、ぶたれて鶴のように頭が血塗れになるのには耐えられません[5]。私が毒を飲んだら、老太太のおめでたい日に縁起の悪いことが起きることになるじゃありませんか。いずれにしても老太太にお話しをされてください。ご返事をお待ちしております」

 承恩は銀子を手にとって見てみますと、いいました。

「いい銀子でしょうね。あの装身具と同じものではありませんか」

童七「何をおっしゃいます。一分質が悪いものがあれば、一銭の質の良いものに換えて差し上げますよ。老太太を説得して、わたしがぶたないようにしてください。私の家では、話しをすることができる臘嘴[6]を飼っています。二両の銀を出す人がいても、売りませんでしたが、あなたに差し上げましょう」

承恩は喜んで

「嘘をおっしゃらないでください。本当にあの臘嘴をくださるのなら、この銀子は頂きません」

童七「愛玩するものだけあって、食べるものがないのは面白くありません。銀子を受け取られればいいじゃありませんか」

承恩「待っていてください。あなたのために話しをしにいきましょう」

承恩は太太の前にいきますと、地面に伏して叩頭して、いいました。

「申し上げます」

かくかくしかじか、童七の話をひとしきり報告しました。

太太「あの犬畜生は本当に憎たらしい奴だ。銅で人をだますとは。老公はもちろん、私だってあいつをぶってやりたいよ。あいつに言っておくれ。私が一生懸命説得をして、あいつがぶたれないようにしてやったら、早く銀を持ってきてあいつの銅の品物を持ち帰るようにとね。人に命じて一盆の点心、四碗の料理、徳利にいれた酒を持ってこさせ、彼に飲ませておくれ。人々に彼を苛めないように言い含めよう。私の命令だといっておくれ」

承恩はお許しを得ますと、外に出、童七にむかってわざとこう言いました。

「老太太のおめでたい日に、つまらないことを報告するわけには参りません。銀子はお返ししましょう」

童七「承官児、銀子を欲しがらないのはいいですが、喋る臘嘴は欲しいでしょう。とてもよく馴れていますよ。私のために話しをしてくれないのなら、仕方がありません。私が臘嘴を老公に差し上げれば、老公は喜ばれ、きっと許してくださり、銀子の弁償も求めないでしょうよ」

承恩「臘嘴を持ってきて私にくだされば、あなたにお話しをしましょう」

童七「一歩も動くことはできないから、取りにいくことはできません」

承恩「証拠になるものをくだされば、私があなたの家にとりにいきましょう」

 童七の家には二羽の臘嘴がおり、一羽はとてもよく喋ることができましたが、もう一羽はあまり喋ることができませんでした。彼はあまりよくない方を上げる積もりでしたが、事態が差し迫っていましたので、どうしようもなく、彼に袖の中にあった汗巾を与え、家にとりにいかせました。承恩は早馬のように彼の家に走っていきました。童七が東廠の使者に連れていかれましたので、童奶奶は慌てて、入り口も閉じていませんでした。承恩は客間の軒下にいきますと、二つの竹籠に二羽の臘嘴が掛かっておりました。承恩はとても喜び、椅子を持ってきて踏み台にし、二つの竹籠を取り、手に持って、叫びました。

「どなたかいらっしゃいますか。これは童さんの汗巾です。老公が臘嘴を欲しがっておられるので、私は汗巾をもって取りにまいりました。汗巾はおいていきます。戸締まりをなさってください」

童奶奶はすぐに尋ねました。

「老公が人々を遣わしてあの人を呼んだのはどうしてですか」

承恩は飛び跳ねながら、言いました。

「老太太の誕生日なので、宴席に呼ばれたのです」

そう言いながら、去っていってしまいました

童奶奶「あの臘嘴は二三年飼ったが、とても懐いていた。きっと酒席で噂になり、老公に知られたので、欲しいといっているのだろう」

そう言いながら、安心しました。

 暫くしますと、承恩は、二つの籠を提げ、客間の軒下からもってきました。

童七「ああ。一つ残しておいてくださればよかったのに、どうして二つ持ってきたのですか」

承恩「もう飼われるつもりがなく、惜しみながら手放されると思ったのです。いっそのこと全部私にください。汗巾はあなたの家に置いてきました。少し待っていてください。私は太太に報告にいきますから」

承恩は奥に行き、出てくるといいました。

「太太はこうおっしゃいました。あなたは銅で老公をだますべきではなかった、これは憎むべきことで、ぶたれて当然だ、しかし、あなたは番頭だったし、今日は太太の誕生日でもあるので、午後に老公に話しをし、あなたをぶつのを許してもらい、品物をあるだけの銀子と交換させることにする、態度を変えて銀子と交換するのを遅らせれば、もうこのことには関与しない、とね。あの方はあなたには辛い思いをさせないようにとお命じになり、あなたを捕らえた人に、四碗の料理、一盆の点心、徳利に入った酒をもってこさせ、あなたに食べさせるように命じられました」

童七「承恩さん、私をだましていますね。入ってから少ししかたっていないじゃありませんか。そんなにはやく報告をされたのですか」

承恩「そんなことに構ってどうされるのです。臘嘴を頂いたので、はやく報告をしたまでですよ」

話をしていますと、奥から一人の男が盆を捧げ持ってきました。そこには、承恩が話したものが、すべて揃っていました。男は叫びました。

「童先児はどこにいる。太太がおまえに食事を出してくださったぞ」

童七は、心に疚しいところがあり、食欲もありませんでしたので、あまりたくさん食べず、人々に食べさせてしまいました。承恩は報告しました。

「童銀匠は酒とご飯を食べ、叩頭して太太に感謝しておりました」

 さて、童七は、宿直室に三更まで待機しました。やがて、劇、雑技が終わり、陳公が客を送り、広間に戻りました。使いは童七を連れてきますと、報告しました。

「童銀匠をつれて参りました」

陳公「今日は太太のお祝いの日だ。わしはおまえのような犬畜生とは話しはせん。この真夜中に、おまえをぶってギャアギャア叫ばれては耳障りだ。こいつを宿直室に連れていけ。犬畜生を吊り下げておけ。明日おまえと話をしよう」

下役は声を揃えてはいといい、童七を連れ出しました。さいわい太太はあらかじめ彼を苛めないように命じていました。陳公は吊り下げるように命じましたが、下役は太太の言葉に従い、彼に付き添って眠りました。

 陳公は奥に戻り、改めて母親に叩頭して腰を掛け、田植え歌をうたう婆さんをひきとめました。婆さんは銅鑼や太鼓を鳴らし、体をくねらせて歌いました。四更近くまで食事をし、ようやく宴会は終わりました。

太太「おまえ、話ししたいことがあるんだよ。おまえは童銀匠を掴まえてきたが、私の話を聞いておくれ。あの人に銀子を弁償させればいい。ぶってはだめだ。誕生日に、私は家で一か月刑具を用いないことを約束したのだよ。それにあの人は私たちの昔の仲間だし、おまえは私の孝行息子だ、私の執り成しを聞いておくれ。私はもうあの人と約束をしたのだよ」

陳公「では、どうしたらいいのですか。あいつはさんざん私をだましたのですよ。銅を銀子といって私をだまし、私を目くら扱いにしたのですよ。仕方ありません。お母さまが執り成されるのなら、あいつがどんな奴であろうと、私もぶったりはいたしません。あいつに銀子を弁償させましょう。ただ、お母さま、あいつをぶつのを許しても、あいつがぐずぐずして銀を弁償しなかったら、どうされますか」

太太「保証人を立てさせ、三か月の期限をもうけることにしよう。おまえに銀子を与えなければ、それは憎らしいことだから、私もあの人の面倒はみないよ」

陳公「仕方ありません。お母さまのおっしゃる通りにしましょう。おまえたち、このことをよく覚えておき、明日またわしに話しをしてくれ。わしは今日酒に酔って忘れてしまうかもしれないからな」

 翌朝になりますと、陳公は母親の誕生日のため、前後三日の休暇を取りました。この日は宮中に出向く必要はなく、太太に付き添って朝食をとりました。太太は改めて頼みごとをしました。承恩はあらかじめ外に行き、太太の話をすべて童七に伝えました。陳公はご飯を食べますと、おもての広間にでて仕事をしようとしました。太太は陳公が忘れてしまわないように、さらに何度も言い含めました。陳公は広間に腰を掛け、童銀匠を呼び、彼の銅製品を広間に運んでこさせました。使いは童七を鉄の鎖で縛り、階段の前に跪かせました。陳公は罵りました。

「おい。この犬畜生め。その汚らしい目を見開いてわしが誰だか見てみろ。わしを汚らしい子供扱いして騙しおって。わしの細絲の銀子を受け取りながら、銅の品物をわしに渡しただろう。銅の品物で人の銀子を騙しとるのはまだいいが、さらに一両につき三銭の工賃を要求するとはな。おまえはわしを恐れなくても、神を恐れないわけはあるまい。おまえは息子や娘がいるというのに、彼らが泥棒や売女になったり、驢馬や馬に生まれ変わったりすることを恐れないのか。おまえは人々に償いをしたのか。おまえに聞くが、おまえはだれを通じて老太太に執り成しをたのんだのだ。わしはおまえを気の済むまでぶってやらなければ、腹の虫がおさまらん」

童七はひたすら叩頭していいました。

「老公より偉いのは天子様だけです。あなたは万人の上におられる方で、海のように深い度量を持っておられるのに、私ごとき者に構われてどうなさいます。どうか哀れと思し召し、お手を緩めてください。そうすれば、私は去っていきましょう。手を緩めようとされなければ、老公のお屋敷の、筵ほどの広さの地面を汚すことになりますよ」

陳公「犬め。おまえはここ数年わしの一千両の資金を使ったが、三割りの利息しかわしに渡さなかった。わしに幾ら返すべきかは、自分で決めるべきだ。期限は三日にする。期限に遅れたら、母上、父上のいうこともきかんぞ」

童七「老公さま、申し上げたいことがございます。老公から一千両の資金をいただきましたが、毎年、決算のときに、利益を老公に差し上げておりませんでしたか。四季と八節気、老公、太太のお誕生日のとき、贈り物を差し上げませんでしたか」

陳公「おう。犬畜生め。利息などはまだいいのだ。しかし、わしの出した資金はどうしたのだ。わしはおまえに銅をやったのか」

童七「老公は惚けられましたね。銅を使わなければ、銀匠の仕事で金を稼ぐことはできませんよ。毎年、老公も二百両の銀子を使われました。私は礼物を送りましたが、銀数両の値打ちのあるものばかりでしたよ。何をおっしゃるのですか」

陳公「犬畜生め。またわしに口答えしおって。おまえの三割りの工賃が、利益ではないか」

童七「惚けておられるといったから、お怒りになるのですね。三割りの工賃とおっしゃいますが、三百六十両ほどでしょう。人を雇うには、工賃を払ったり、食事を与えたりしなければなりません。老公が儲けをすべて手にいれ、大きな図体をしたわたしが、老公のためにただ働きをし、一家に霞を食らうようなひもじい思いをさせるわけにはまいりません。私の考えですが、この十五六年、老公さまも三千両以上の銀子をもうけられました。私の親父と亡くなった老公のときの分は計算しないことにしましょう。要求はほどほどにされた方が宜しいですよ」

陳公「何という犬畜生だ。おまえたち、よく聞け。こいつはわしに出資金も返さないつもりだぞ。銅の品物などいらん。反抗するならそれでも結構。太太の命令があるから、わしの家ではこいつをぶつわけにはいかん。東廠に連れていって待機しているように。わしのところではおまえはぶたず、理刑に引き渡すことにしよう」

 使いは返事をしますと、鉄の鎖を外に引っ張っていきました

童七「ゆっくり引いてくれ。まだ老公に申し上げることがあるんだから」

陳公「東廠に連れていけ。そいつに構ってはいかん。そいつは口が達者だから、言うことを聞いても何にもならん。文書係りの先児に令状を書かせ、銅製品は全部銀と交換し、理刑の周百戸のもとに送り、厳しい期限を設けて追及を行うようにしてくれ」

 その晩、童七は家に戻りませんでしたが、童奶奶は、彼が陳公の私邸で一晩中飲んでいるものとばかり思い、気に留めませんでした。ところが、翌日の昼近くなっても帰ってきませんでしたので、小虎哥を陳公の宅門の入り口に行かせ、様子を探りました。すると、ちょうど昨日臘嘴をもっていった承恩と出くわしました。承恩は、太太が執り成しをしたのでぶつのは許されたが、資本金を返そうとしなかったので、老公を怒らせてしまった、令状に署名がなされ、銅製品と人を周家に送り、追及が行われることになった、と言いました。虎哥は家に戻り、童奶奶に事情を話しました。

童奶奶「何て馬鹿な奴だろう。金なんてどうでもいい。命が助かることが大事じゃないか。理刑衙門は大変なところだ。それに、宦官を怒らせたら、事態を収集するのは難しいよ」

首帕で頭を覆い、毛青の布の衫に着替え、白い綸子の裙を脱ぎ、向かいの呉嫂児から晒の青い木綿布の裙を借りて穿き、腰に数百銭を帯び、驢馬を雇い、太僕寺街四眼井の脇の東廠を管理する陳公の屋敷にいき、驢馬から降り、驢馬代を払い、門の中に入りました。すると、門番が遮りました。

「こら。どこのあばずれ女だ。ここをどこだと思っているんだ。中に入り込もうとするとは。俺が見ていなかったら、こっそり入り込まれるところだった。老公は今広間で人がテーブルを並べるのをみておられるぞ。わしを馬鹿にしおって」

童奶奶はその男に向かって二回拝礼をして、いいました。

「新しい規則ができたとは存じませんでした。普段のように入ることができるものとばかり思っていました」。

門番「おまえは何者だ。わしはおまえを知らないが」

童奶奶「私は童夥計の女房です。私は夫に代わって銀子を返しに参りました、老公と太太にお会いしたいのですが」

銀子四銭以上の値打ちがある三百の黄銭を腰から取りだし、門番に渡し、

「お酒を買って飲まれてください。申し訳ありませんが、私がきたことをご報告ください」

門番は童奶奶が頭が良く、幾分色っぽいのを見ますと、断るに忍びませんでしたし、三百の黄銭が何よりも大事でしたので、すぐに承知しました。

「大通りでは都合が悪いから、どうか門房に来られてください。しばらくお待ちください。奶奶に報告してあげましょう」

門番は銅銭を腹掛けに入れ、広間に行き、手をこまねいて脇に立っていました。

 まもなく、陳公が彼を見て、尋ねました。

「何を報告しにきたのだ」

門番は跪き、報告しました。

「童夥計の女房が老公と老太太に会いにきたのです」

陳公「わしに会ってどうするのだ。何の話しがあるのだ」

門番「何を申し上げるのかは分かりません。あの女は自分の夫がろくでなしで、老公のお金で生活をさせてもらいながら、老公に恩返しをせず、太太の誕生日に老公に盾突き、老公を怒らせてしまった、老公と太太に叩頭をし、銀子で償いをすると申しております」

陳公「あの女がそう言っていたのか。あの女が自分の夫はろくでなしで、わしの恩に背いたといっていたのか」

門番「もちろん申しておりました」

陳公「あの童銀匠の奴め。あいつは人の皮をかぶった犬だが、女房の方はよっぽど物事をよく弁えておるわい」

門番「綺麗で、色気もありますよ」

陳公「彼女を呼んできてくれ」。

 童奶奶は階段の下に歩いてきて、四回叩頭をしました。陳公は尋ねました。

「おまえは童銀匠の女房か」

童奶奶「そうです」

陳公「おまえは自分の夫がろくでなしで、わしの恩に背いていると言ったそうだな。おまえは善い心をもった女だ。わしの怒りは半分はおさまったぞ」

童奶奶は陳公の口振りを窺うと

「もちろん申しました。あいつは強情を張り、人の忠告を聞かず、老公が清算をして店を畳もうとされますと、銀子を渡さず、作った品物を渡そうとしました。私は何度もこう言いました。『あの品物は質が悪いので、良心が許しません。老公にお返しするわけにはいきません。私たちが頂いている天、踏んでいる地、養っている体は、すべて老公のものです。あなたが老公を騙したのは、天を騙したようなものですから、神もあなたを守ってはくださらないでしょう。銀子をすべて老公に返しましょう。老公は私たちに食べるものがないのを御覧になれば、ほかの商売をして私たちの面倒をみてくださるでしょう。絶対に私たちを飢え凍えさせるようなことはなさいません。銀子がなければ、丁寧に老公さまにお願いをしなさい。老公は長いことあなたと一緒に商売をされてきたのですから、あなたのことを哀れに思われ、許してくださるかも知れませんよ。老公がどうしても許そうとされない場合は、私たちの家のものは、すべて老公から頂いたものなのですから、お金に換えて償いをすることにしましょう。このような贋物で老公をだましてはいけません』。ところが、あいつは話を聞こうとせず、言いました。『大丈夫、大丈夫。老公はこんなものは珍しいとは思わず、少し見ただけで、捨ててしまうだろうから、ばれるはずはあるまい』。あいつはとんでもない奴です。老公に見付かっても、罪を認めようとせず、さらに老公に盾突くなど、死んで当然というものです」

陳公「おまえはどうする積もりだ」

童奶奶「私は、あのような恩知らずは、理刑に送って追及をし、ぶち殺しても構わないと思います。しかし、小さい子供達はあれに頼って生きておりますので、あれを殺せば、私たち一家が殺されたも同然です。老公さまはあいつを連れ戻され、保証人を立て、財産を金に換えて老公に償いをし、理刑で追及されないようにしてくださいませんか」

陳公「簡単なことだ。善人であるおまえの面子を立て、適当な処置をすることにしよう。おまえは家に帰るがよい。わしは令状を書かせ、あいつを連れ戻してこよう」

童奶奶は何度も礼を言って別れていきました。陳公は童七を監獄から出して、言い付けました。

「おまえの女房が善人であることに免じて、追及、処罰をせず、銅製品六百両は、酌量して三百両賠償させることにする。二か月以内に納めるように。これ以上反抗したら、全額を返させることにするぞ」。

 童七は周百戸のところに送られますと、家は破滅し、命も危うく、助かりようはない、あるのはただ死のみだと考えておりました。女房が陳公のご機嫌取りをし、やすやすと虎口を脱し、三百両の銀子を償うことを免れることができるようになったとは思ってもいませんでした。「家に賢い妻がいれば、夫は不慮の災いに遭わない」と申しますが、知恵のある女なら、災いを消すことさえできるのです。童七の運命やいかに。どのような結末になりましたか。まずは次回のお話しをお聞きください。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]原文「恐致後世子孫女娼男盗」。善書に典故があると思われるが未詳。

[2]明代の皇帝直属の諜報機関。長官には宦官が置かれた。

[3]楊枝、耳掻き、毛抜きをいう。

[4] 「同じである」の意。原文「堯舜与人」。『孟子』離婁下に出てくる、「堯舜与人同耳(堯舜も人と同じきのみ)」。に基づく言葉。

[5]原文「我可捱不的打我戴着仙鶴頂上的血哩」。鶴の頭のてっぺんが赤いのを、殴られて血塗れになった頭にたとえたものと思われるが未詳。

[6]臘のような嘴をした雀ほどの大きさの小鳥。『山堂肆考』「蝋嘴生於象山、似雀而大、嘴如黄蝋」。

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