第六十八回

侯道婆が大勢で邪教を起こすこと

狄監生が自分で驢馬を牽くこと

 

慈父と孝子で家正し

烈夫と賢妻で愛篤し

善行を積めば幸多く

六婆[1]は家に来はしない

六婆の心は凶悪で

家の平和を乱すもの

富める監生狄希陳

女房のため驢馬をひく

 さて、明水鎮の二人の道姑老侯、老張は、夫や息子が仕事をしていませんでしたので、西の村で鐘、仏像を鋳造したり、神さまの誕生日の法事をしたりして生きていました。彼らはお布施をしようとするものは、この世で現に栄誉を得るばかりでなく、来世でも限りなく富貴になることができる、けちで布施をしようとしないものは、来世では人になることはできないばかりでなく、この世でも地位が低くなり、貧乏になる、夫を恐れる嫁、正妻から苛められている妾が、多額の布施をすれば、夫は改心し、嫁を苛めないばかりでなく、女房を恐れだす、妾が布施をし、善い行いをすれば、夫は妾を西天の活仏のように敬い、妾が臭いおならをしてもいい香りだ、正妻の話はよくないといい、妾がどんなに邪悪で、悪いことばかりしても、仏さまのご加護により、隠れ蓑をもらうことができるから、夫は少しもそれを見ることができなくなる、などといいました。こうした言葉に、愚かな女たちは騙されてしまうものです。かれらは占いをしてもらったときのように騙され、道姑たちと仲間になってしまうのでした。

 自分で家を切り盛りし、金をもっている女たちは、自分の好きなように数両数銭を彼女たちにお布施しました。舅姑が家を切り盛りしていたり、夫が妻をおさえている家の女たちは、銀子や銅銭を手にいれたり、食糧を盗んだりすることはできず、舅姑や夫に内緒で、自分のかんざし、耳輪、装身具、あるいは衣裳などを盗み、彼女たちにお布施しました。妾などは、正妻にも監視されていますから、正々堂々と彼女たちにお布施をするようなことは、決してありませんでしたが、こっそりと女主人のものを盗んだり、夫の食糧を盗んだりして、この二人の女泥棒の餌食になってしまうのでした。

 女たちの中で、堂々とお布施をする者たちは、舅や姑に知られたり、夫に管理されたりすることを恐れませんでした。彼らは仏像や鐘を鋳造するところや、廟を建てたり法事をおこなったりするところへは、自ら出掛け、万人碑や、勧進帳までも調べましたので、二人の泥棒女は十のうち六七割りを着服し、残りの三四割りを寺に入れることしかできませんでした。しかし、舅姑を騙したり、夫に背いたりしている妾たちには、たくさんのお布施をもらったときでも、二人は一言も「ありがとうございます」とはいいませんでした。そして、お布施の銀子や銅銭を集めては、土地や家屋を買いました。お布施の穀物、麦、豆は、大きな布袋に入れ、家に担いでゆき、彼ら一家の、尻の穴のような口で食べてしまうのでした。お布施の衣裳は、夫や息子に着せたり、自分で着たりしました。

 二人の泥棒女は、和合二聖[2]のようにぐるになり、気脈を通じ合い、とても楽しい暮らしをしました。彼らは、七月十五日に、三官廟で素姐と知り合ってからというもの、とても騙しやすい女だと考えていました。しかし、素姐が狄員外の息子の女房であり、狄員外の人柄がまじめであることを聞きますと、あらゆることについて手加減をしました。狄員外の女房の相氏は、とても気が荒かったので、明水の人々は、彼女を怒らせるようなことはしませんでした。二人はあれこれ考えましたが、どうにも手のつけようがありませんでしたので、素姐が実家にもどっているときに、彼女を家に招くのがいいだろうと考えました。しかし、素姐はほかでもない、お堅い道学者薛先生の娘でした。この頭の固い老人の家には、二人の泥棒女が入りこむことなどできませんでした。二人は入りたいと思いながらも、どうしても中に入ることはできませんでした。

 後に狄夫人が亡くなりますと、二人の女は紙銭を買い、弔問に行きました。狄家では親戚の女と同じようにもてなし、相家のおばと崔家のおばも陪席しました。素姐は相大子にさんざん殴られていましたので、話があってもしようとはしませんでした。

 何日かしますと、二人はふたたび狄家にやってきて、中に入りますと、狄員外とぶつかってしまいました。その時の、入ろうとしても入るわけにゆかず、退こうとしても退くわけにはゆかない有様たるや、とても哀れなものでした。

狄員外「侯さんと張さんは、何の用でいらっしゃったのでしょうか」

二人「話しがあり、狄の若さまにお会いしにきたのです」

狄員外「息子に何のお話しでしょうか。話があるのでしたら親の私としましょう」

彼女たちを家に行かせず、むりに客間に案内し、腰を掛け、下男に茶を出させますと、こう尋ねました。

「お二人とも、お話しがあればおっしゃってください。何のお話しでしょうか」

二人の泥棒女はいいました。

「この二月十九日は、私たち白衣庵の白衣奶奶の誕生日で、三昼夜の法事をしました。わが鎮の楊尚書さまのお宅の奥さまが法事を主催されました。白衣奶奶はたいへん霊験あらたかで、お布施をすれば、男の子が欲しい人は男の子を、女の子が欲しい人は女の子を授かり、必ず思い通りになるのです。私たちは、以前狄の若奥さまにお会いし、お布施をしていただきましたから、立派なお子さんを授けられることでしょう」

狄員外「そうだったのですか。それはとても結構なことですな。お世話していただき大変ありがとうございました」

袖から一塊の銅銭を取り出し、言いました。

「これは先ほど麻を売って手に入れた百二十文ぴったりの銅銭です。持ってゆかれてください。人を遣わしてお届けしなくてすみますから」

二人は銅銭を受け取りますと、浮かない顔をして去ってゆきました。

 暫くしますと、二人はふたたび狄家にゆきました。その頃の狄家は運気が盛んで、家を六神が守っておりましたから、二人のような怪物が家に入りますと、屋敷神、土地神が反応し、狄員外が出てきて、またもばったり出くわすこととなりました。狄員外は尋ねました。

「また神さまのお誕生日でしょうか」

二人「この四月十八日は泰山奶奶の誕生日です。お忘れになったわけではございませんでしょう」

狄員外「その通りでした。忘れておりました」

袖から一塊の銅銭を取り出し、言いました。

「これは五十文の銅銭です。使おうと思いながら使っておりません。法事の費用にしてください」

二人「奥にゆき、若奥さまを呼んでまいりましょう。十八日になったら朝からお参りをしていただきますから」

狄員外「その必要はありません。息子たちはしっかりした考えをもっておりません。お二人がお話をされ、彼らが本当に行こうとすれば、若い娘ですから、とんでもないことをしでかすことでしょう。これからはお話があれば私になさってください。子供達に話しをして、我々の面子を傷付けるようなことは二度となさらないでください」

二人の道姑は、冷や水を浴びせられ、例の所をすぼめて逃げてゆきました。

 このようなことが二回続きますと、素姐をだまそうという心は半分は消えてしまいました。しかし、薛教授が亡くなり、素姐が実家に帰りますと、付け込むすきができましたので、ふたたび家にゆきました。ところが、薛教授の夫人はさらに手強い人でしたので、石の上で飛び上がっても石に入り込むことができないのと同じように、付け込むすきがありませんでした。やがて、薛夫人が老衰で亡くなり、素姐は葬式のため実家にゆきました。この機会は、絶対に逃すべきではありませんでした。二人の泥棒女はすぐには素姐を騙そうとしませんでしたが、白姑子がたくさんの金を騙しとったことを聞きますと、素姐は頭のよくない女だろうと思い、しつこくつけ回し、九江府で黄魚を釣る漁夫のように[3]、寝るときも食事をするときも、一刻も放っておこうとはしませんでした。二人一緒に紙銭を買い、薛夫人の弔問をすると称して、薛家に行きました。薛如卞兄弟はまじめな人々でしたが、彼らの母親のために紙銭を焼きにきたといわれますと、彼女たちを拒むわけにもゆきませんでした。彼女たちが霊前にきますと、孝婦と孝女は返礼をし、叩頭して礼を言いました。

 素姐は二人の道姑に会いますと、前世の実の母親を見たとき以上に親しくし、人気のない部屋に案内して茶を出しました。二人の道姑は素姐の慇懃な様子を見ますと、かえって勿体をつけて、いいました。

「私たちはとても忙しく、女の信者の方々が泰山へお参りにゆくための準備をしなければなりませんから、時間がございません、お茶をいただくわけには参りません」

素姐は彼らを行かせようとせず、一生懸命龍氏の寝室に案内し、菓子を並べ、茶を飲ませ、さらに料理を並べ、ご飯をとらせようとしました。素姐は一昨年の七月に法事を行ったことを話し、二人には世話になったといって感謝しました。二人はさらに言いました。

「二回お宅に伺いましたが、員外さまは表で私たちを遮られ、中に入れてくださいませんでした。二月十九日の白衣菩薩の誕生日には、三昼夜の法事を行い、黒山の人だかりでした。済南府城内の郷紳の夫人、挙人、秀才の女房の轎や馬でごった返して隙間もございませんでした。若奥さま、あそこに行かれれば宜しかったのです。員外さまは私たちを奥に行かせず、私たちに百十銭のお布施を与えて、私たちを追い出しました。四月十八日の頂上奶奶の誕生日は、白衣奶奶の誕生日よりもさらに立派で、二十の県から人々と、天下の品物がすべて集まり、衣服、装身具、瑪瑙、真珠など何でも売られておりました。奥さまがたはみな廟に行かれ、ご自分で気に入ったものを選び、買われました」

素姐は彼ら二人が話し終わらないうちに、遮っていいました。

「そのような素晴らしいことがあったのに、あなたがたはどうして私に話しをし、連れていってくださらなかったのですか」

彼ら二人はいいました。

「よくおっしゃいますね。私たちはお宅に伺ったのですよ。ところが、あいにく員外さまに出食わしてしまい、中に入れていただけなかったのです。員外さまは、私たちに四五十文の銅銭をくださり、すぐに出てゆくようにおっしゃいました。員外さまは私たち二人のことを善人ではなく、若奥さまに会い、騙そうとしていると思ってらっしゃるのです。良いことをすれば、した人には良い功徳があるのです、白衣奶奶のための法事をするのは、子供が生まれることを望むからです。頂上奶奶のために法事をするのは、多幸と長寿を望むからです。ところが、員外さまは何もご存じないのです」

素姐は怒っていいました。

「あの老いぼれめ。あいつは私たちがあいつの金を使うことを心配して、あなたがたの邪魔をし、私に会わせず、秘密にし、私に知らせなかったのでしょう。ええい。私はあのろくでなしをただでは済ましません」

 やがて、二人の道姑は去ってゆこうとしました。

素姐「お二人とお会いすることは滅多にございません。腰掛けてご飯を食べ、もう少しお話しをしてからゆかれてください」

二人の道姑はいいました。

「大事なことがなければ、私たちもゆこうとは思いませんが、実はこの十五日に、信者の方々が、泰山へのお参りに出発しようとしているのです。私たちは引率者ですが、信者の方々の目覆い、青い絹の汗巾を、まだ作っておりません。乗り物の動物も交渉していますが、まだ借りておりません。金の清算もしておりません。四五日の旅ですから、私たちがお参りから帰ってくるのをお待ちください。私たちはふたたび狄家にゆく積もりはございません。若奥さまがこちらにこられていると伺ったものですから、こちらにきてお話しをしているのです。私たちがしばしばやってくることをこちらの若さまがお咎めになるのではないかと心配しております」

素姐「どうして男の人を引率者にせず、あなた方二人を引率者にするのですか」

二人の道姑はいいました。

「信者の中には男はおらず、すべて女なのです。八十人ぐらいは優にいるでしょう」

素姐「きちんとした家の女はいるのですか」

二人の道姑はいいました。

「言ってくださいますね。ろくでもない人間は、私たちのところには来ませんよ。楊尚書さまの家のご婦人が五六名、北街の孟奶奶の家のご婦人方、東街の洪奶奶、汪奶奶、耿奶奶、大通りの張奶奶、南街の汪奶奶、裏通りの劉奶奶の家のご婦人方など、すべて立派な家のご婦人方です。貧乏な人など入り込めませんよ」

素姐「私たちのところから泰安州まで、どれだけの道程でしょうか」

道姑「人々は二百九十里だといっています。道が良いので、ほかの道を二百里歩くより楽です。道ぞいには大きな廟や大きな寺がたくさんあり、景色は良く、参拝客がたくさんおり、立派な車や馬、教養のある方々など、優れたものが見きれないほどあり、道が短いのが恨めしいほどです」

素姐は尋ねました。

「山の上には見所はあるのですか」

道姑「若奥さま、泰山ほどのところは他にはございませんよ。頂上からは国土のすべて、竜宮や海蔵、仏殿や仙宮などを、実際に見ることができるのです。いいところがなければ、雲南、貴州、川湖、両広の人々が数千数万里の道をお参りにきたりはいたしませんよ。それに、泰山奶奶は、天下の人々の生死福禄をつかさどっています。人々が心を込めて山に登ってお参りをすれば、天から赤い布が垂れ下がり、人の体に掛かり、楽の音とともに頂上に迎えられるのです。しかし、心がこもっていなければ、王霊官が人をすぐに縛り、少しも動けなくしてしまいます。心が誠実な人には、女神さまの顔が生身の顔に見えます。誠実でない人には、女神さまの顔が金色の顔に見えます。福を増し、罪を許し、とても霊験あらたかです。山の上にはたくさんの見所があり、朝陽洞[4]、三天門[5]、黄花嶼[6]、舎身台[7]、晒経石[8]、無字碑[9]、秦松[10]、漢柏[11]、金簡、玉書[12]などは、神仙が住んでいる場所です。縁のない人は、そこへゆくことはできないのです」

 話を聞きますと、素姐は心がむずむず、気持ちが浮き浮きして、尋ねました。

「信者の人たちは、みんな轎に乗ったり、馬に乗ったりするのですか。どれだけの旅費が必要なのですか。途中、宿屋はあるのですか」

二人の道姑がいいました。

「お参りは、一つには功徳を積むため、一つには景色を見て楽しむためにするものです。ただただ轎の中にうずくまっていては、飽きてしまいます。乗るのは騾馬ばかりです。参拝団で雇う長距離用の驢馬は、往復銀八銭です。ご自分の騾馬に乗られる場合は、八銭の銀子をお返しします。参拝団の会費は、当初は銀三両でしたが、ここ三年ほどの間に、増額され、十両になりました。驢馬を雇い、宿屋に入り、参拝をしますが、思いきり使っても五両はかかりません。残りの五両で、贈り物を買うのです」

素姐「信者以外の人も、加わることができるのですか」

二人の道姑「人によりますね。私たちが仲良くしている方なら、みんなの出資額と同額の銀子を出していただき、私たちから話しをし、連れてゆくことにしましょう。関係のない人でしたら、連れてゆくことはございません」

素姐「私も一緒に女神さまにお参りをし、来世では今のようにひどい目には遭わず、夫に腹を立てることがないように、守っていただこうと思います。連れていって下さいませんか」

二人の道姑「あなたがゆかれるのであれば、私たちは願ったりかなったりです。途中一緒に楽しい話をしながら行けばいいでしょう。しかし、狄員外さまは頑固な方ですし、いろいろ難しいこともありますから、ご自分では決められないでしょう」

素姐「大丈夫ですよ。私はすぐに行きます。彼らが私に指図することはできません。ところで、お参りをする人たちには、家のちゃんとした人がついているのでしょうか」

二人の道姑「いますとも。夫がついていたり、息子がついていたり、婿や甥がついていたり、下男がついていたり、人それぞれです。しかし、旅費は自己負担です」

素姐「私を連れていって下さい。十両の銀子をもって、私も一緒に行くことにいたしましょう」

二人の道姑「ゆかれるのでしたら、旅用の服と家畜を増やして差し上げましょう。十三日に、一緒に娘娘廟にゆき、お参りをしますから、絶対に遅れてはなりません。銀子も人に命じて送らせ、準備しておかれてはいかがでしょう」

 素姐と二人の道姑は、行く約束をしました。このときは八月の十日でしたが、素姐はお参りのことばかりを考え、母親の葬式にゆく気持ちはまったくありませんでしたので、すぐに狄希陳を呼び、言いました。

「泰安にゆき、頂上奶奶にお参りしたいのだが、一緒に行くかい。一緒に行くなら、あんたのために着飾ることにするよ」

狄希陳が真面目な人でしたら、厳しい言葉で彼女を阻み、彼女は羽があってもゆくことはできなくなっていたでしょう。しかし、狄希陳は若くてうわついた性格でしたので、すぐにこういいました。

「それはなかなかいい。一緒に行く人はいるのかい」

素姐「先ほどの侯さん、張さんの話では、会の女たちはこの十三日に線香を焚き、十五日に出発するそうだよ。私に十両の銀子を払ってもらいたい、旅費には十分で、銀五両が余るだろう、参拝団が雇った驢馬に乗らない場合は、八銭の銀子を私たちにくれると言っていたよ」

狄希陳「父さんが僕たちをゆかせなかったら、どうする積もりなんだい」

素姐「お父さまに話しをしておくれ。話をしてくれれば、あんたによくしてやろう。話さなかったら、あんたはいい暮らしをすることはできないよ」

狄希陳「父さんは僕をとても可愛がってくれるから、僕が話しをしにゆけば、承知してくれるかもしれないよ」

素姐は、狄希陳に家に話しをしにゆくようにいいました。

「はやく報告をしにきておくれ」

 狄希陳はぐずぐずするわけにはゆかず、家に戻りますと、父親に会い、女房がお参りに行きたがっていることを、くわしく話しました。

狄員外「昔ならよかったのだが、おまえは今監生になり、読書人なのだから、若い女をお参りに行かせるわけにはゆくまい。おまえは大勢で参拝をしている女たちを見ているだろう。彼らは黒い屯絹の目隠しをつけ、青い絹の布で香を束ね、肩に縛りつけ、男女入り乱れて通りを歩き、とてもみっともない。あの女が行きたいといっているのなら、秋の収穫がすみ、騾馬が暇になってから、旅費をととのえ、夫婦でゆけばいい。あの侯の婆さんをつれていってはいかん。彼ら二人は善人ではないからな。彼ら二人は二回続けてわしの家にきたが、わしは彼らを中にいれず、百十文の銅銭をやり、追い払ったのだ」

狄希陳はすぐに素姐のところへゆき、彼の父親の話しを素姐に伝えました。素姐は話を聞かないときは何ともありませんでしたが、話を聞きますと、思わず腹を立て、すぐに顔を赤黒くし、こういいました。

「今すぐに行きたいんだよ。どうしてもゆきたいんだよ。侯さん、張さんと一緒に行きたいんだよ。どうして少しも私の思い通りにならないんだい。すぐに私の言う通りにした方が身のためだよ。後悔しないようにしておくれ」

狄希陳は辛い思いで、うなだれ、どうしていいか分かりませんでした。

 素姐は暗くなる前に家に戻り、十両の銀を手にとりました。そして翌朝実家に戻り、龍氏に話しをしました。龍氏は薛如卞兄弟に内緒で、こっそり二人の道姑を家に呼び、彼らに十両の銀子を渡し、驢馬を雇わせ、十三日の朝に、老張の家に集合することを約束しました。準備が済みますと、狄員外、狄希陳とはもう相談をしませんでした。十三日の朝に起き、髪を綺麗に梳かし、白粉を塗り、頭一杯に飾りをつけますと、母親の喪中であることにもお構いなく、顧繍の裙と衫を着け、小玉蘭を従え、悠然と外に出てゆきました。狄員外と狄希陳は、脇に立ち、目をぱちくりさせ、何も話そうとはしませんでした。列をなし、人々とともに線香を焚いたり演じたりした者たちの、数多くの醜態については、くわしく申し上げる必要はございますまい。素姐は、お参りを終えてから宿屋に戻り、装身具のついた服を脱ぎ、ぷんぷんしながら部屋に腰掛けていました。

 狄希陳は何の用心もせず、部屋に入りました。素姐は罵りました。

「あんたは頭が割れ、両足を折り、私についてくることができなくなったものとばかり思っていたが、まだいたとは知らなかったよ。あんたは私についてゆかなかったが、私はちゃんと戻ってきたよ。私をつまもうとする人さえいなかったよ」

狄希陳「行きたいのなら、一人で行けばいい。僕が方巾を被り、おまえにくっついて通りでするなど、とんでもないことだよ」

素姐は怒っていいました。

「ああ。あんたが私についてゆかなかったのは、私があんたの面子を傷付けることを心配していたからかい。私はあんたの面子を傷付けたくてたまらないんだよ。私は十五日に出発するが、あんたに方巾を着けさせ、道袍を着せ、私の驢馬を引かせ、山に登るときは、私の轎を担がせ、あんたが一歩でも私から離れようものなら、あんたを真っ二つに叩ききり、薛と名乗るのをやめてやるよ。汚らしい眉を挙げて私を見てごらん。私はあんたにいい思いをさせてやっているんだよ。あんたが私についてきたら、みんなはあんたのことをこう言うだろう。『あんな醜い男に、あんな女房がいるとはな。』とね。私はあんたに格好いい思いをさせようとしているのだよ。あんたの面子を傷付けたりはしないよ。私は心の中でこう考えてもいるんだよ。あんたが私についてきたら、あの青い絹で袷を、残りの布で袷のズボンを、さらに綸子のチョッキを作ってやろう、それを着て山に登り、奶奶にお参りするがいい、とね。それなのに、格好をつけるなんてね。私は思うのだが。泰山奶奶は女だから、泰山爺爺があんたたちのように反抗したら、許しはしないだろう。よくも反抗したね。私は『すべての権力を握り、命令を発している』のだからね」

 狄希陳は、こっそり彼の父親と相談しました、

狄員外「あの女の考えが決まっているのなら。嫌だとは言えまい。あの女を無理に引き止めても、大騒ぎをし、耐えがたい苦しみを受けることだろう。準備をさせるから、あの女と一緒に行くがよい」

狄員外は、人に命じて荷物を纏め、米麺、塩漬け肉、滓漬けの魚、味噌漬けの瓜、豆豉の類いを運び、準備をしました。

 さて、十四日の朝になりますと、龍氏は薛如卞の女房に言いました。

「おねえさんが泰安州にお参りに行くのですから、あなた方は酒を買い、送別をしてあげなければいけませんよ」

連氏「本当ですか。いつ出発するのですか。どうしてまったく話をしてくださらなかったのですか」

龍氏「あらゆることを前もっておまえに伝えなければならないほど、おまえは偉いのかい。おねえさんがここ二三日話をしていたのに、おまえはねえさんの相手をしないばかりか、知らないと言うんだね」

連氏は急いで部屋に入り、夫にそのことを知らせました。薛如卞は素姐が狄希陳といっしょにお参りにゆこうとしていることを聞きますと、両眉をしかめ、言いました。

「狄のおじさんと狄のにいさんほどとんでもない人はいない。若い女を泰山に登らせるなんて。山轎に乗り、上に登るときはいいが、降りるときは逆に轎に乗るから、女は轎かきと顔を合わせてしまう。また、仰向けになるから、足が轎かきの肩の辺りに触れてしまう。轎かきたちは、ろくでなしで、憎たらしく、わざと轎を揺すり、人をひどい目に遭わせるのだ。これが読書人がすることか。送別などしてはだめだ。あの人に腹を立てさせておけばいい」

素姐が老侯婆の仲間になり、すでに十三日に線香を焚いたことを知りますと、

薛如卞「これはとんでもないことだ」

人に命じて素姐をすぐに家に迎え、狄希陳も呼んで話しをしました。

 素姐は送別をしてもらえるものと思い、すぐに家に帰りました。狄希陳もついてゆかないわけにはゆかず、一緒に家に入りました。薛如卞は尋ねました。

「姉さんは泰安州にお参りにゆかれる積もりですか。いつ出発されるのですか。だれと一緒に行かれるのですか」

素姐は銀子を払い、会に入り、十五日に出発すること、老侯、老張が引率者であることを話しました。

薛如卞「私の考えでは、姉さんは行かれてはいけません。立派な家のご婦人たちが一緒にお参りに行くというのですか。狄にいさんも学校を出て、監生になられた方です。人々に笑われても構わないとおっしゃるのならいいのですが、私たち兄弟はこれからも学校にいって人々と会わなければならないのですよ。姉さんが通りを歩きながら線香を燃やし、泰安州へ行くときは旗を振り、太鼓を叩き、顔を露にし、人々から、あれは狄友蘇の女房だといわれるのはまだいいでしょう。しかし、あれは薛如卞と薛如兼の姉だ、あの女の父親は教官で、二人の兄弟は頭巾を被って偉そうにしているが、姉さんはあんなことをしているよ、といわれてはたまりません」

 素姐はすっかり激怒していましたが、怒りを露わにはしませんでした。ところが、龍氏は激怒して言いました。

「ろくでもないことを抜かして。おまえの姉さんがおまえに恥をかかせるはずがないだろう。姉さんは嫁にいったのだから、おまえが気に入れば、姉さんだと言えばいいし、気に入らなければ、姉さんと認めず、家にこさせなければいいんだよ。狄家には食べるものはあるから、お前には迷惑は掛からないよ」

薛如卞「私が忠告をしているのに、私に説教をするなんて。にいさんがここで聞いていますよ。私が言っていることは間違っていますか」

龍氏は大声で泣きながら

「神さま。私はどうしてこうも不幸なのでしょう。夫がいるときは、夫におさえつけられ。夫が死んだら、正妻に蛭のようにくっつかれ。正妻が死ねば、息子たちに指図され、何も私の自由にならないなんて。ああ神さま」

 薛如卞は彼女が泣くにまかせ、構おうともせず、狄希陳を客間につれてゆきました。

薛如卞「姉さんがお参りに行こうとしているのを、にいさんは阻むことはできないでしょう。ただ、お二人で行くことはできないのですか。二人の婆さんの仲間たちと一緒に行かれようとするのは、どうしてですか」

狄希陳は狄員外の話しと、素姐が腹を立てたことを、薛如卞に告げました。すると、素姐が入り口の外でそれを聞き、虎のように中に走りこんできました。狄希陳は外に逃げ、捕まりませんでしたが、薛如卞は襟を掴まれ、罵られ、ぶたれました。薛如卞は衣裳をずりおろし、風のように去ってゆきました。素姐は奥の部屋には戻らず、狄家にゆきました。狄希陳は自分が悪かったと思い、家で素姐のために敷物、搭連を買い、腹掛けを縫い、轡を買い、味噌升を作り、あらゆるものを準備しました。あとは素姐の出発を待つばかりでした。

 翌日の五鼓まで眠りますと、素姐は起きて髪梳き洗顔をし、白い絹の小さなチョッキを着け、水紅の綸子の小さな袷、天藍の綸子の小さな衫、白い秋羅の裙、白い撒綫の秋羅の膝褲、裏表が真紅の緞子でできている綿入れ長靴、背中には青い絹の汗巾で包んだ香を背負い、頭には甲馬[13]をかぶり、どうしても長距離用の騾馬に乗ろうとしました。狄員外は作男に命じて、彼女のために驢馬をひいてこさせましたが、彼女は作男の首に一鞭くれて追い払い、狄希陳に騾馬を引かせ、道の両側の女、男は、美しい素姐と、みっともない狄希陳を眺めました。狄希陳はとても恥ずかしがりましたが、素姐を虎のように恐れていましたので、苦しみを口にすることはできず、ひたすら彼女のために驢馬を引き、人々の群れに交じって歩きました。

 あいにく、二里もゆかないうちに、相于廷が戻ってきました。狄希陳は相于廷に見つかっていないと思い、急いで袖で顔を覆いました。ところが、相于廷はすでにはっきりと狄希陳を見てしまっておりましたので、道の脇に立ち止まりました。狄希陳が前に歩いてきますと、

相于廷「狄さん、袖をおとりください。道に注意し、驢馬をひいて歩かれてください。袖で顔を隠していては、躓いてしまいますよ」

素姐は相于廷が夫に話し掛けているのを見ますと、鞭を手にとって相于廷を指差しました。すると、一群の女たちが、山犬の群れのように、自分たちの驢馬を走らせてきました。ある者が先を行きますと、別のものがそれを追い越しました。ある者は驢馬に乗りながら子供を抱き、ある者は驢馬の上で髷をのせました。ある者は鞍がずり落ちて驢馬から落ち、ある者は驢馬に逃げられて大声で叫びました。ある者は数里もゆかないうちに腹の具合がおかしいと言いながら、驢馬から降り、人のいないところを見つけて糞をしようとし、ある者は体の調子がおかしいと言いながら、布団の中から布を取り出し、例のところに挟もうとしました。ある者は子供に乳を飲ませるため、馬子を呼んで手綱をとらせ、ある者は脚が痺れたと言いながら、鐙から足を取り出してもらいました。ある者は丁香[14]をおとしたため、人に探させ、ある者は化粧箱を忘れたため、人に命じて家にとりにゆかせました。埃がたち、生臭い匂いがたちこめました。出発のときの有様からして、すでに見るにたえないものでした。お参りをしたときは、さらにどれだけひどいことがあったか知れたものではございません。次回ではこのお参りの様子についてお話し致しましょう。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]牙婆(仲買をする女)、媒婆(媒酌をする女)、師婆(巫女)、虔婆(やり手ばばあ)、薬婆(薬屋の女)、穏婆(産婆)。

[2]二人の少年が睦みあう姿をした神像。和合。吉祥図案としても用いられる。は呉山主編『中国工芸大辞典』に示す南京剪紙の和合二聖。

[3]典故未詳。九江府は江西省の府名。黄魚は鱣魚、蝋魚、玉版魚などともいい、太っており、油は黄色く、肉は玉色の魚という。明李時珍『本草綱目、鱣魚』「【時珍曰】鱣肥而不善游。有邅如之象。曰黄曰蝋、言其脂色也。玉版、言其肉色也」。

[4]泰山にある洞窟。堂内に泉があり米萬鍾の「雲根」という文字が壁に題されているという。清孔貞瑄『泰山紀勝、朝陽洞』「石竅出雲、通山皆潤、入朝陽洞避雨、洞中澄泉甘冽、硼上滴露如懸珠、道士以器承之、命曰石乳、官庁後石屏、碨礧有奇致、西偏石笋入庁壁、米萬鍾用六書古篆題雲根二字、筆法遒然生動」。

[5]泰山の参道にある三つの門、山麓から、一天門、中天門、南天門。

[6]黄花嶼。未詳。

[7]泰山にある崖。捨身崖とも。石を投げると、しばらくして音が聞こえるという。自殺の名所ともいう。清孔貞瑄『泰山紀勝』捨身崖「捨身崖奇険、以石投之、移時及地、微聞[馬害]然之声。愚民或攛身其下、常有遣骸撑住、不知何取、或曰墨氏之教也、夫墨子兼愛、其流弊乃至不仁其身、悲夫」。

[8]泰山経石峪にあり、数畝の大きさの石に、経書の文字が刻まれたものという。清孔貞瑄『泰山紀勝、経石峪』「澗東有峪、乳山倒垂、鋭若凪。、倚岩作石亭、左峯肱抱、中石陂斜平如掌、方数畝許、徧鐫字如斗大、相伝以為晒経石、上有小瀑布、横闊若短簾、浸蝕経字半雕落矣、布席陂中央趺坐、水左右来、濺人衣襦、欹身汲寒流漱歯、似非人間境界」。

[9]泰山山頂付近にある石碑状のもので、封禅文を入れたものではないかといわれる。清孔貞瑄『泰山紀勝、無字碑』「無字碑非碑也。度其中必有所蔵。当是封禅文銘或玉撿金函之属。相伝一巡方悪其疑天下、命撤之、甫動其蓋、雷風驟作。説雖近怪、然其中有物焉。則断断無疑」。(写真を見る)

[10]始皇帝が東巡した際、その下で雨宿りをしたため、大夫の爵位を授けられたという五本の松。『史記、秦始皇紀』「二十八年、始皇東行…乃遂上泰山…風雨暴至、休於樹下、因封其樹為五大夫」。『淵鑑類函』引『泰山記』「岱宗小天門有秦時五大夫松在」。清孔貞瑄『泰山紀勝、五松樹』「始皇東巡、五大夫以捍衛功受封。不知後祖龍幾年而没。或者非甘棠遺愛、土人不復擁護之。幸後王寛仁、不奪其爵。迄今十八公猶襲名号。未詳是其苗裔否。其別族有独立大夫。亦就衰拉矣」。

[11]岱嶽廟にある柏樹。清孔貞瑄『泰山紀勝』岱廟「岱廟東嶽、正祀歴代柴望祭告之所。殿宇弘麗、繚以周垣、楼堞百雉。中有漢柏唐槐」。『佩文韻府』引『済南行記』「岱岳観有漢柏、柯葉甚茂」。

[12]未詳。金篋、玉策の誤りか。泰山の頂上にあるといわれ、人々の寿命が記してあるという。『風俗通』「岱宗上有金篋玉策。能知人年寿修短」。

[13]仏像を印刷した紙。

[14] 第十五回注参照。

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